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文◎

(横浜市立大学名誉教授)

横浜の夜明け

新連載

開港一五〇周年に向けて(第一回)

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嘉永七年二月十日(一八五四年三月八日)正午、ペリーは艦隊参謀長ア

ダムス以下の随員を従え、約五〇〇名の武装水兵に護衛されて横浜に上

陸した。続いて約三十名が画面左手に見える横浜応接所に入り、第一回

日米会談が開始された。右端は水神社の祠、背後の大木が現在横浜開港

資料館中庭に繁る玉楠の木の前身と伝えられる(横浜開港資料館蔵)

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1854年3月8日、史上初の日米公式会談を幕府側が描いた絵。松代藩絵師・高川文筌(ぶんせん)「横浜応接場秘図」(真田宝物館蔵)には各種の複写版がある。手前右から林大学頭を筆頭に応接掛、その対面がペリー、アダムス、ペリーの息子と並ぶ。左端で画帳を開いているのが画家ハイネである(横浜市中央図書館蔵)

上野国の豪農の家に生まれた学者・堀口貞明が描いた絵巻(『ペリー来航と横浜』)より転載

加藤祐三(かとう・ゆうぞう)

昭和十一年(一九三六年)、東京生まれ。横浜市

立大学助教授・教授、学長を経て、横浜市立大学

名誉教授。国際日本文化研究センター客員教授。

主な著書に『幕末外交と開国』(ちくま新書 二

〇〇四年)、『アジアと欧米世界』(中央公論社

『世界の歴史』第二十五巻 一九九八年、川北稔

と共著)など。

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文◎

(横浜市立大学名誉教授)

横浜の夜明け

(黒船来航画巻)中央に描かれた建物で幕府全権とペリーとの会談が行われた。横浜開港資料館蔵

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(黒船来航画巻)この船はペリー再来航時の旗艦であった。横浜開港資料館蔵

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この絵の原本は、岡山県の津山市立津山洋学資料館が所蔵している。原本は石橋李朝という人物が描いたといわれる。津山藩が描かせたペリー来航記録のひとつ。横浜市中央図書館蔵

絵図 日本人が描いたアメリカ使節。右からペリー提督、アダムス、ペリーの息子、ポートマン、ウィリアムズ、マセドニアン号艦長アボット。アボット以外の5名が代表として会談に臨んだ。アボットは2月15日(陽歴3月13日)の献上品陸揚げの際、ペリーの代理で上陸したとの書き入れがある。横浜市中央図書館蔵

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横浜の夜明け

11

4

3

2

対等性

列強 列強

交渉条約国

約40年

約100年

約200年

敗戦条約国

植民地

従属性

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

q列強―19世紀中葉では「海洋国」の英、米、蘭、仏、露、それにスペイン、ポルトガルなど。w植民地―インド(1773年~)、インドネシアなど。立法・司法・行政の国家三権すべてを喪失。e敗戦条約国―中国(アヘン戦争の結果の南京条約=1842年、以降、複数の敗戦条約)。「懲罰」として賠償金支払い、領土割譲を伴う。司法・行政の一部喪失。r交渉条約国―日本(日米和親条約=1854年、通商条約=1858年)、タイ(通商条約=1855年)。「懲罰」なく、司法・行政の一部喪失。日本の場合には、アヘン禁輸条項の明示、早期の条約改正を達成。

『ペリー艦隊日本遠征記』より(横浜開港資料館蔵)

上は「遊山屋形船」こと蒸気車、下は艦隊への贈り物の米俵を運んで怪力を誇示する力士と驚く水兵達(横浜開港資料館蔵)

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ペリーは、幕府関係者に多様な贈り物を持参した。農具・望遠鏡・書物・オルゴール・ボート・汽車の模型など。贈り物を受け取った人々はアメリカの工業力に驚きの目を見張った。ここに挙げたのはそのなかの農具類(横浜開港資料館蔵)

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(横浜市中央図書館蔵)

艦隊乗組員による余興を描いたもの。嘉永7(1854)年2月29日にペリーが幕府の役人をポーハタン号に招待しているから、その時の一コマであろう。この絵の原画は松代藩士高川文筌が描き、長野県の真田宝物館が所蔵している(横浜市中央図書館蔵)

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

1850年代の下田 (上)下田の入り江(下)船着き場で、浦賀に奉行所が移されるまで江戸湾に入る船はここで検問を受けた(いずれも『ペリー艦隊日本遠征記』の挿図より)横浜開港資料館所蔵

タウンセンド・ハリス肖像画 「えびすのうわさ」より。国立国会図書館所蔵

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1850年代の中国・上海の様子(『ペリー艦隊日本遠征記』の挿図より)横浜開港資料館所蔵

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アヘン没収事件。1839年3月、広東に着任した林則除は貿易商からアヘンを没収。虎門の海辺に運び、箱を開けてボール状のアヘンを池に放り込み、生石灰をまぜて焼却処分にした。これがこれがアヘン戦争に発展する(「海外新話」より)横浜開港資料館所蔵

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

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アメリカ人墓地から見た下田「ペリー艦隊日本遠征記」より(横浜開港資料館蔵)

タウンセンド・ハリス“The complete journal of TownsendHarris ; first American ConsulGeneral and Minister to Japan”より(横浜開港資料館蔵)

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ヘンリー・ヒュースケン「えびすのうわさ」より(国立国会図書館蔵)

下田を見下ろす谷「ペリー艦隊日本遠征記」より(横浜開港資料館蔵)

下田の水夫の寺「ペリー艦隊日本遠征記」より(横浜開港資料館蔵)

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

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安政4(1857)年、ハリスが将軍家定に謁見するため江戸城中の大広間に向かうところ。案内役の大目付、下田奉行の後に、ハリスと国書を持つヒュースケンが続く。(黒船館所蔵)

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(『堀田正睦』大正11年11月5日発行、著作:千葉県内務部より)

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アメリカ議会図書館所蔵LC-DIG-cwpbh-01611横浜開港資料館提供

横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

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「アメリカと結んだ通商条約と税則」これは翌安政6(1859)年に刊行された和文の版本。横浜開港資料館所蔵

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先の69ページにある和文の版本「アメリカと結んだ通商条約と税則」を開いたもの。横浜開港資料館所蔵

今年は幕府がアメリカをはじめとする欧米5カ国と通商条約を締結してちょうど150年。展示では、通商条約締結のアメリカ側の立役者であるハリスを中心に、ハリスと一緒に、時には対立しながら初期の対日外交を担ったイギリスをはじめとする各国外交使節の活動を取り上げ、港都・横浜が誕生するまでの道程を紹介している。(問い合わせ)TEL 045-201-2100

(*注)ハリス日記には、The permanent residence of Americans shall be at Kanagawa, and, after first of January,1863,one street shall be opened for the temporary residence of Americans to buyand sell.とあり、江戸は一街区に限定している。また第4回でKanagawa and Yokohamaとあったものが、この第5回ではKanagawaだけとなる。

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

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開港直前の様子を示す「神奈川御開港横浜絵図」神奈川宿から横浜、本牧十二天までを収める。通商条約の文面では「神奈川」が開港場とされていた。安政6(1859)年5月 横浜開港資料館蔵 五味文庫

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タウンセンド・ハリス 横浜開港資料館提供

加藤祐三(かとう・ゆうぞう)昭和11年(1936年)、東京生まれ。横浜市立大学助教授・教授、学長を経て、横浜市立大学名誉教授。国際日本文化研究センター客員教授。主な著書に『開国史話』(神奈川新聞社 2008年)、『幕末外交と開国』(ちくま新書 2004年)のほか、『アジアと欧米世界』(中央公論社『世界の歴史』第25巻、川北稔と共著)、『黒船前後の世界』(岩波書店)など多数。

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

五雲亭貞秀画1860(万延元)年の作品。現在の横浜駅は、横浜道の左手に広がる海中に当たる(横浜開港資料館蔵)

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絵図の下を左右に延びる道が東海道。右下から右上にかけて描かれている道が横浜道。中央に波止場(現在の大さん橋付近)が見える(横浜開港資料館蔵)

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3代広重画1870(明治3)年の作品。輸出入品はこの波止場で移出入された。波止場は当初、まっすぐであったが、1866(慶応2)年に波止場の内側への北風の影響を少なくするために湾曲した形に修築された。それ以後、その形状から象の鼻と呼ばれるようになった(横浜開港資料館蔵)

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横浜の夜明け

文◎

(横浜市立大学名誉教授)

五雲亭貞秀の作品。初編から4編までは万延元(1860)年閏3月から6月にかけての各月、5編は翌文久元(1861)年9月に江戸の版元鳳来堂から出版された。前編は初編から3編の途中までを合本したもの。見開き個所は横浜町の入口。左上に吉田橋関門、右手に弁天社の境内が見えている。 横浜開港資料館蔵

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開港直後の1861(文久元)年に横浜を訪れた武士が書き残す。筆者は美しい市街地の地図を付している。自筆日記、横浜開港資料館蔵

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3編の途中から5編までの合本。見開き個所の「新大川」は1860(万延元)年夏に開削(かいさく)された運河。左側が外国人居留地、右手は横浜村の人々が集まってできた元町。横浜開港資料館蔵

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五雲亭貞秀の作品。前編は1862(文久2)年、後編は1865(慶応元)年の出版。開港間もない横浜の町の様子や、居留外国人の生活から外国の風景・風物までが生き生きと描かれている。ブルーム・コレクションより。横浜開港資料館蔵

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東波止場の前、思い思いに休日を楽しむ各国の人々を描く。波止場の先端にあるのは案内灯。1861(文久元)年2月刊 横浜開港資料館蔵

加藤祐三(かとう・ゆうぞう)1936(昭和11)年、東京生まれ。横浜市立大学助教授・教授、学長を経て、横浜市立大学名誉教授。主な著書に『開国史話』(神奈川新聞社 2008年)、『幕末外交と開国』(ちくま新書 2004年)のほか、『アジアと欧米世界』(中央公論社『世界の歴史』第25巻、川北稔と共著)、『黒船前後の世界』(岩波書店)など多数。