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Title <論説>唐代人民の負担体系における課と税の意義 : 唐律 の輸課税物と課税用語との関連 Author(s) 西村, 元佑 Citation 史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (1963), 46(4): 563-581 Issue Date 1963-07-01 URL https://doi.org/10.14989/shirin_46_563 Right Type Journal Article Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: Title 唐代人民の負担体系における課と税の意義 : 唐律 …...Title 唐代人民の負担体系における課と税の意義 : 唐律

Title <論説>唐代人民の負担体系における課と税の意義 : 唐律の輸課税物と課税用語との関連

Author(s) 西村, 元佑

Citation 史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (1963),46(4): 563-581

Issue Date 1963-07-01

URL https://doi.org/10.14989/shirin_46_563

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唐代人民の負担体系における課と税の意義

-ll唐律の輸課税物と課税用語との関連一

西

鷹:代入民の負担体系における課と税の惹義(西村)

コ、罫紺】、鵜飼貧撚強烈無熱割纐砺憲削離離叢叢覇総画てるもの総額豪寵読響,

}蒙ら収取するものである.雷鯉代は前婁主で、霧法時代になると後者が基歪なる.・の間において税套語には蓼の

 ものが登場し混乱をきたすおそれもないとはいえない。本稿ではこれら税制用語を整理・検討しつつ、課と税の相違点および課より

                                                       ~

  税への移行の考察をこころみることとした。       、                               

                             り、また唐代は北朝以来継続発展してきた均田制度が崩壊

    順 序

                             して、両税法というあたらしい税綱が登場する時であるか

 わたくしはさきに東洋史研究、第二〇巻第一・二号掲載

の「徳論計帳戸籍における課と税の意義」において、中国

北朝時代の均田制度下における人民の負担体系を、課と税

の二つの範疇に大別できることをのべたが、同様の原品は

晴・唐の均田体制下においてもそのままあてはまる。そこ

で前論のしめくくりの意味において竜、当然、唐代におけ

る課と税に関するわたくしの考えをまとめておくべきであ

ら、課と税の問題をとりあげる以上、歯群度の相関関係に

ついてもあわせ考えるべきである。しかし均田綱と両税法

の両者にわたる全般的な論議は、実に広汎茨諸問題をふく

んでいるから、本論では主として税制上の粟穂を中心とし

て、両三の関係を論ずるにとどめた。唐事の税綱用語は均

田制時代と両税法時代とでは、同一の雷葉でも意味内容の

ことなる場合があり、これらを区別せずに取扱うと混乱が

41 (563)

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生ずる。その点でわたくしは劇題にしめしたように、均田

制時代の純粋な用語として信頼のおける唐律の課税用語を

中心として論をすすめることとした。なお本論は課と税の

両者について論ずるが、唐代の課関係用語についてはさき

に松永雅生氏の「唐代の課について」 (『史淵』五五)と題

する網羅的な研究があるが、なお残された問題もあり、こ

の機会にこれわについても卑亮をのべることとした。不備

の点については、学界諸賢の御教正を期待してやまない。

二 唐律における課役関係用語

 唐律令においては、均田民の負担を総括的に表明する場

合に、課役の語を使用することが多い。課役の内容につい

ては従来学界でもしばしば論ぜられたから重複をさけるが、

課役はまた賦役ともいわれる。すなわち唐名例律、第二〇・

府号富称の条疏議に

 雑戸者。謂前代以来。配轟隷諸司魂職掌課役。不レ岡昌百姓浦

 とあるものを同戸婚律、第一五九・養雑戸為子孫の条論

議には

 難戸者。前代犯・葬没・嘗。散一【飼諸司〔趣使。亦鮒昌州衆賢聖引書

 役不レ岡属白丁司

 といい、両者を対照すると、課役と賦役は同一内容のも、

のとすべきである。わたくしはさきに西魏以前の賦と課と

の内容についてのべたさい、この二つは同一の意味をもつ

            ①

用語であるとしておいたが、幾代において竜このことは同

様で、多くの事例がみとめられるが、つぎに一例をしめす

と、新唐書一四五・楊炎伝に

 冨喜多止男。以一軸学釈老一得レ免。貧人無レ所レ入期丁存。故課

 免二於上刃弼賦増詣於下鴻

 とあるものは課と賦とを互蔵した竜ので、両者が同一内

容であることをしめしている。ところが右のように課役と

賦役、課と賦とが同一内容の語であるとすると、次のよう

な疑問がおこる。すなわち唐六典三・戸部郎東員外郎の条

に 凡賦役之制膚ピ四。一日租。二田調。三R[役。四日雑締。

 とあるように、賦役の内容として租調役(}}.51)のほかに

雑樒をかぞえている。唐代丁男の負担に雑催をふくむこと

は明白な事実であるから、賦役の内容として四種匿をかぞ

えるのは当然のことである。ところが唐賦役令第一一条

42 〈564)

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鷹代人斑の負撞体系における課と税の意義(蓉村)

(論

f八P恰澱旭志ハ七山二百パ) には

 諸田。有昌水回鐡前司為レ至愚。拠一見営田謁州県検実。具レ帳申レ

 省。十分損レ四已上免レ祖。損レ六已上免昌租獄司損レ七已上。課

 役倶免。

 とあるように、課役の内容として租艶紅の三のみをかぞ

えている。では総轄のしめすように賦役の内容は租・調・

庸・雑徹の四つであり、課役の内容は租・調・庸の三つで、

賦役と課役の語にはその内容に広狭の差があるのかという

と、そうではないようである。陸宣公益二二、中書奏議六、

均節賦税植百姓第一条には

 国朝夕レ令。賦役之法有レ三。一日租。二間調。三日庸。

 とあり、ここでは賦役の内容が租調庸の三となっている。

したがって賦役と課役とは同一内容の用語で、両者と竜に

厳密な意味では租・調・庸・前揺の四本建とすべきである

が、雑…儀を省略して租調庸の三者のみを掲げる場合もある

とせねばならない。では同一の用語になぜ二つの解釈が井

存するのか。さらにつきつめれば当然四つでなければなら

ないものが、一二つだけで処理される場合があるのはなぜか。

 課役の内熔を三つに要約する帯革として鳳、ゆ男の場合、

雑徳の負担者であるが、これを不課口とし、平戸の場合は

雑藩をもふくめて租調庸の負担者であるのを、課口とする

のであるから、課口・不課口を区別する標識は租調庸の三

ということになる。こうした点にも、課役の内容をこの三

                ②

つにしぼる根拠があると考えられる。

 しかしこのことを唐橘および疏議の課役関係用語の桐互

関係かわ考察してみることも、問題解決の一つの方法であ

ろう。唐律令において均田民の負担を総括的に表明する場

合に、課役の諮がもっとも多く使用されるのであるが、唐

律および疏議においては、課役のほかに課輪・課調・課・

課物などの語が三塁されている。そしてこれらのうちでも

っとも簡単な用語は「課」である。唐戸婚律、第一七四・

輸課税物違期の条文および疏議に

 諸都内。輸課税臓物。違レ期不レ国者。以属十分}論。一分答四十。

  一分伽二一等4

 疏影岡。輸晶課税之物苅謂 租調及庸.地租雑税之類4

 とあり、課の内容を租界及び庸としている。すなわち唐

心においては租調庸の三を単に課または動物として要約し

ているので填る。己のことは課役負担を直覧、物納負担と

・.

S3 (565)

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して処理している竜のと理解すべきであろう。(ここでは役

翻歳役はもはや庸…の物勲…負担とされ、実役としての性格を喪失し

ているのである。)すなわち租調庸の三はともに物納である

に対し、雑〃佃は実役であって、物納できないという点が両

者を戯然と区別するものである。

 元来、均田体制下においては、租調と対立して負担体系

の重要な一翼となっていた役負担が、階…の開皇瓢一年、歳役

  ③

の成立によって、歳役と雑樒の二つに分割され、歳役は全

国畏の一入一人がすべて実役として負損するのでなく、庸

         ④

によって物納する場合が次第に多くなったため、歳役の物

納化が行なわれ、一部実役によって収取した事例は唐初に

     ⑤

もみられるが、一般には物納負担となったようで、駿府元

亀四九〇・劇論部、燭復には

 儀鳳三年十月詔。以昌来年正月婦幸昌東都謁関内百姓。宜レ象二

 年庸調及租井地子鷺草嶋

とあり、唐会要八五・籍帳には

 景龍二年閏九月勅。諸籍応レ送v野獣。懸隔轟誤断調車一送。

 などというものによると、調之ともに庸は匹段物物納負

担としてひろく収取されたのであって、役負担の重要部分

である歳役の物納化が、階の統’帝国成立以来の舖般的趨

勢であったとみられる。かくして正丁の負担の主要部分が

物納化され、これが読物として軽物とともに収取されたと

ころに、唐代における負担体系の特徴がみとめられる。も

ちろん唐代人民の負担は租調庸の物納負担のほかに雑藩四

〇日が付随するが、これらをすべて雑樒負担に換箕した一

四〇日中の一〇〇日、すなわち七〇.パーセント以上が物納

           ⑥

負担に集約されたのである。かくして国家財政収入の大本

である租寄草の三負担が、課役と通称されるようになった

のであろう。これは理論上の問題よりも、負担体系の現実

に即してそうならざるをえなかった竜のとされよう。

 右にあげた課役・課物・課だけでなく、租調庸の物納負

担一般を指す語として唐律には面輪・論調の語がある。唐

名例律、第二六・犯死罪非十悪の条に

 犯扁流罪一者。権留養レ親。不レ在し赦例一。課調依レ旧。

 とあり、その疏議に

 侍丁。依μ全盛レ役。唯輪鑑調悪事鴻為“・其充侍未肇流故。云鑑薫製

 依㍗旧。

 とあり、課調とは常例では租調を意味するが、一般的に

44 (566),

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紅毛人民の負揖体系における諜と税の意義(醤村)

は物納負担全般を指す語であることは、戸命乞、第一五三・

里正官司.妄脱漏の条疏議に

 里正及累官司。 各於昌三都之内舶三三丁脱亀漏戸口司或増ゆ減年

 状よ。以崖 入課役刃 一口徒一年。二口加二等⑩(中略)若有下

 因晶脱漏増減4取』其課調}入5己。計レ臓得レ罪。重 於脱漏増減

 口罪}者。即準レ職以一…柱法一論。

 とあるものによれば、里正や官司が脱漏増減によって課

役を出入する罪についてのべ、さらにその課役を着服した

場合の罪状をのべるにあたって、課役を課調の語によって

                  ⑦

説明していることによってあきらかである。また唐名例律、

第四四・共犯罪有逃亡の条疏議の問答に

 律…衿昌妊三入三役司聴レ折万来年課輸4来歳既無晶課役4将来聖誕来

 年。

 とのべている。右の課輸は課役とまったく同意である。

かくして課役・賦役のみならず、課調・課輸さらにはその

もっとも要約された形としての財物・課などは、と竜に物

納負担一般をあらわす語として使用されており、課役を通

常租調庸の三本建とすることは、唐代入民の負担体系が物

納負担である巻心庸…に要約されるという現実が招来した事

態とすべきであろう。

三 課役以外の課関係三三

     1 資課およびこれに関連あるもの

 上来のべた課役・課輸・無調等は、賦役とと竜に晴以前

からあった課の概念内容である租調等の物納負担に、さら

に役(庸)が加わってできたもので、均田儲…度の負担体系

として固有のものである。これに対し資課は金納…負担とし

てあらたに登場したものである。資課の用語が唐代史料に

みえるのは玄宗の治世になってからであるが、これを単に

課とも称呼することがあるから、寛厚の課と課役の課との

関係についても解明しておく必要があろう。

 課役の課と資課の課とは畢魔、同一のものであるが、前

者が物納であるに対し、後者は選任役に就任したもののみ

が不就役の代償として納入するものである点がちがってい

る。資課という用語が史料にみえるのは開元年商であり、

渡会要五八・尚書省諸司中、戸都尚書、開元六年五月四日

勅に

 諸州毎年。応輸購調資課租。及諸色銭物等。令尚書劣本司。務

45 (567)

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 離紙送部.

 とある屯のが初見であろう。しかし事実上、資課と同質

のものは唐初から存在していると考える。盛会要九一・内

外官紅型上には、武徳巳後、京宮の俸官銭は公爵本銭を給

して、当司の令史・番官が廻易して利を収め、これを官員

に分給したといい、さらに嶽観十二年二月、諌議大夫補遂

良の上書により、言承をやめて諸州人民の上戸のものを得

士とし、防湿の例に準じて輪課せしめたとある。また同九

一二

E諸司諸色本銭上、貞観十二年の条には、右の胃士の記

事をのせたのち

 又令文武職事三贔以上。給昌親事帳内司以二六品七品子搏為二親事4

 以晶八品九二子刈為昌帳内刃歳納篇銭干五百司謂 之漏子細三一。

 とあるから、親事・帳内の課銭納入はこの時にはじまる

ようである。通典ゴ一五・職官、禄秩には、京師文武職事官

五品以上には防閤、六品以下には庶僕、州梨官には白黒、

親王府属には士力を給することをのべ

 其防霜庶僕白蔭士力納亡者。毎年不レ過三一千五百魂

 としている。右にかかげた史料は癩子。白丁を問わず、

かれらの納入する金銭を輪課・納言・課鉛管といって、こ

の銭納の府容が課にあたることをしゅしているα課は前述

したように租調庸の物納負担であるから、二五〇〇文の銭

納は些細庸と等二値の屯のとして処理されたのであり、こ

のなかに雑徳は計上されていない。というのは雑任役は雑

著とは両立せず、選任役につくものは雑感を免除されるの

が当然とされたからで、したがってその代償金にも雑領分

                ⑧

は計加されていないとすべきであろう。

 しかしこれが資課と呼ばれるようになったのは、おそら

く馬銭との関係からであろうとおもわれる。新唐書四六・

百官志には、文散官の吏部番上についてのべ、不番上のさ

いの納資について

 不ゾ」み者。歳輪劉工銭鴻 三即印以上六}珊。 六口剛ロ以下囲千。 (論欺下腿賀回

 の丘一部番上の場合も同様)

 としている。これは勲官の場合竜同様である。文武散窟

や勲官はいずれも品賞であり、不課口であるから、かれら

の納入する免番代償金を課という道理はないはずであり、

単に資銭といったのである。これに対し、課口の納入する

免番酒仙金は宿銭または課といった。しかし課は本来租調

庸の物納負担であるから、これと.区別するためにも、また

46 (568),;

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唐代人畏の負担体系における課と税の意義(西村)

納資制である点からも、次第に資課という熟謡が成立した

    ⑨

のであろう。要するにこれは課役の金納制である。したが

って均田租庸調体制全般からみれば、特殊な負担納入法で

ある。ではこのような制度は一体いつごろから発生したの

か。卑見によればおそらく階…からあったのではないかと思

う。すなわち西魏大統十三年の計帳戸籍には防閤が記載さ

れており、これは雑出遊の一つとされるが、雑任役は一般

課口に比較して租負担が軽減され、この軽減租負担をとく

に甲声と呼んでいる。しかし雑領導に就任しない時は、 一

                   ⑧.

般課口なみの租を納入することになっており、この点から

みて免番号償金制度は西魏には存在しなかったとみてよい。

西魏をうけた北爆竜おそらくこの点は同一であったろう。

ところが北斉は北周より竜貨幣経済が進歩してお妙、寓豪

・は租調を金納したらしい。すなわち晴書食貨志には

 及=文宣受㌻禅。多レ所篇客年4(中略)始立扁九等領掌一死麦畑昌

 其銭魂貧者役一智力而

 とあるのがそれで、寓者は銭で納税した。この北斉の制

度が、雑同役の資課や公協動銭人の場合に導入されたので

はなかろうか。

資課に類似したものとして手力資課・納課戸がある。唐

三聖九一・内外官制蝦上、乾一75元年の条には『外官は半料

を給して職田を与う。京官は料を給せず、傍って度爆弾に

勅して閑劇を量って手力課を分給せん』とある。手力課と

は官僚の給仕、人の納入する胆略であった。手力課が兜料に

みえるのはこの時からであり、手力は本来実役で労力を提

供すべきものであることは、唐戸要七二、府兵、宝応元年

四月十七日の条に

 畿県折衝専意レ官。本県全[摂判鱒其手力。毎鰐不レ得レ過江人司

 とのべていることによってあきらかである。しかし金納

の資銭として納入されることも多かったのであろう。冊府

元亀五〇六・累計、俸禄二、大腰一二年十一月の条に『是の

年、京城諸司を通計するに、毎月手力資銭を給するもの凡

そ四万七干五百四十六貫四十八。並びに天下青藩銭を以っ

て充つ。』とあるものによると、 ここでは手力を銭高で計

算し、それを青苗銭から醸出している。したがって手力課

は資課と岡類の竜のとみてよいであろう。今後の吏料によ

くみえる手力は、大体以上のような解釈に屯とついて処理

できる。つぎに納課戸であるが、唐会要七二・京城諸軍、

47 (569)

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元和十三年十二月勅に納課戸の語がみえ、霞注に『貞元よ

り以来、長安の窟戸はみな要司に広し、影庇を求め、全軍

に桂籍するものが十の五・六を占めている。その細動を待

んで閾聞(町のなか)に安処し、身ずから宿衛しないで、

銭を納めて(宿泊を)代行せしめている。これを納課戸と

                          ⑭

いう。』とある。 これ秀資課の一種とみることができる。

ただここで注意すべきことは、両税法施行以後の実役免除

銭が、均田制時代の課役代償の資諜とまったく同質である

とは考えられず、両者を混同してはならない。

 右にのべた資課は官吏俸の一部に充当される財源として

使胴されたが、これらの収入にもとづいて支給される官吏

          ⑧

の俸給を課料といった。一書とは冊府元亀五〇六・邦計部、

俸禄二、永泰二年五月の条に

 初粛宗。乾元已来。属天下用レ兵。京司百宮落零減粍(中略)

 税(天下地青菌銭魂以褒㎜百司課料⑩

 とあるものによれば、百⊥冨の俸銭を意味する語である。ま

た皿即府離ル亀五〇七。難航細部、僚げ禄一二、一丁和山ハ年閣 十一月勅に

 河中・鳳翔・薄層四道州累。久破算俸給一至微。吏曹注富。将同昌

 北道⑩在当於理体囎切要吊均融4宜丁以昌戸部銭五万五千貫文魂充巾

 加閥道弼娘富課料潟。

 とあり、同’のことを唐切要九一。内外画料肩上には

                     ⑬

 宜筆以 戸部銭五万五千貫文而充申加四道州県宮課上。

 とのべている。これによって課料はまた官職ともいった

ことがわかる。これはこの記事だけでなく、他の諸事例に

徴しても納得されることである。かくして官吏の俸銭を医

料または官課といったことがわかったが、この俸銭につい

ては、唐会要九一・内外官電磁下、開成五年三月、中書門

下奏に

 準二今年二月八目赦薫蒸刃旛凶冷諸司勒留官。全 本処剋一撃手力

 早撃銭一者。臣等位渦詳諸道正官料銭一癖少。雑感手力照星。今

 警官勒留。首捻二公事司俸入多少。事未レ得レ中。臣等軽羅、其

 料銭雑給等銭。塾毎貫蟹一三二百文岡与 摂宮鴻其職田蘇米。全

 還=正官司従レ之。

 とあるように、料銭のことを翁飴というのであり、これ

は雑給・手力等と区別さるべきものなのである。すなわち

料銭(俸銭)は本俸であり、 手力雑給は本俸外諸手当を意

味する。これについては撃墜要九一・内外官料銭上、爽元

二雲叢に

48 (570)

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唐:代入民の負担体系}こおける課と税の意義(西村)

 左右金五隅及十六衛将軍。 ・翻畠天宝銀光一以後、 難’篇衛丘ハ山野歓湘 弼

 晶臨本高。宜丁増 緑肥「以示ゆ優崇よ。並宜レ加 給料銭及随身幹

 力桜課等⑩(下略)

 とあり、その後文に具体例をあげ、そのなかの一つに

 一十⊥ハ愚ハ戴繭衛上将軍。左右衛太・料。各六志-千。加二蹴慰㎜物恥而

 とあり、自注に

 毎月各辮㎜米六斗。 塩七A口五勺。乎力七人。資望千五ガハ。 私馬五

 匹。草望百束。料温石七斗五升。随身十五人。糧米驚動。塩一

 斗一升三合五勺。春衣布一十五端.絹三農疋。冬衣抱紬一十五

 疋。絹三十疋。綿二十屯

 と記している。右の諸釣上将軍、左右衛の場合をみると、

俸料等の内訳が本料と糧賜の二つに大別され、糧賜のなか

が、自注にあるように、本人の糧米・手力・資・私馬と、

随身の糧米・春冬衣料に細分されているのであるから、官

人への俸賜は、大別すれば本料(本立)と男芸等諸手当と

の一一つになる。これを前文と対照すると、前文に料詩意随

身幹力説課とあるうちの料銭が後文の黙止であり、随身・

幹力・糧課が諸芸であることがわかる。かくして宮吏の本

俸を本料・俸料・官憲・課潮煙といい、本俸外諸雑給手当

                       ⑭

を糧賜・糧課等といったものと解してよいようである。

 以上、盗幽霊・手力課・納…課・官同課・糧憎課についてのべた

が、これらを通観すると、均田制下における庶民白丁の負

担の基本は課役(租調庸)であるが、雑詠役電導代償制度

によって課役が金納される場合は資課となり、これが促銭

事業の収入である課銭や、戸税等の金銭収入とともに官

市《へのA皿銭給与の財源とな閉り、かくして官μ吏の金船銭によ・⇔

俸料がまた課料。官課といわれ、これに対し現物給与が糧

賜・糧課といわれるようになったのは、官吏給俸をめぐる

国家の収入支出を一連の竜のとして取扱う性質上、おのず

からこのような「課」の語をともなった一つの用語を形成

するようになったのであろう。

     琵 官業牧入域に関係ある課

 税綱用語として使用される課役・情調・課等等とは別に、

官業収入としての専売益金を意味する擁課・課利等の胴語

がある。すなわち唐会要八八・塩鉄、長慶元年三月勅に、

『河剃がはじめて平静になり、人民は徳沢を願っているから

河北の楼糠法をやめる。もし智利の品数を約黙することが

できる電のは、 収冷して毎年(銭)数によって野塩院に付

49 (571)

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すべし。』との旨がのべられている。この単利は右同所に、

この勅のだされた理由として、天心末の兵乱以来、河北の

塩法はただ覇話するだけであったが、元和中におよんで、

皇甫鋳の奏によって税塩院をおいて江潅山事の権利と同様

の取扱いをしたが、人友が犯禁に苦しんだので、この勅命

をだすことになったとのべてあるから、課利と権利とは画

一内容の屯のとみてよい。また藩府元亀四九四・邦計、山

沢二、文宗太和箆年四月勅に

 安事解県。両池開墾。以昌実銭一筥万貫一。馬匹定額⑩

 とあり、この確課はあきらかに専売利益金を意味してい

る。そしてこのような用語はこの他に竜多数使用され、権

課のことをまた課額とのべた個所もある。すなわち唐会要

八八・塩鉄扇、温池の条に

 至漏 (大中) 六年一声。軸隷瓜猷州④ M以昌気心~堺鷹。出小レ山皿二四額調

 とあり、同事実は感覚元亀四九四・邦計、山沢二には「未

立擁課定額」となっている。このように専売収入を賞盃等

というようになったのは、元来、塩鉄生産割当額または塩

鉄生産の成果などを、塩鉄の課といったことからはじまっ

たものとおもわれる。すなわち唐会要八八・塩鉄、開元元

年十一月五日、左拾遺劉彫の上表によると『漢の孝恩は外

征を行ない、慰書をきわめたため出費は多かったが、財力

には余裕があった。ところが現今は出費は少ないのに財力

が不足している。その根本原m囚は国家の費用を藁蕎からと

りたてるためである。 (租傭調制のことをいう。)もし山海の

利をとれば、人民は調敏重重を免れることができ、そのう

え(山海の利は)財力豊富な業者からとるのであるから、窮

苦の人をいぢめる必要もない。(下略)』とのべ、 玄宗はこ

れをもっと希な意見と考え、舞錐等もこれに賛成したので、

将士大匠姜師度、戸部侍郎強循…に御史暴露を兼摂せしめ、

諸道按察使とともに海内塩鉄之課を検校せしめたという。

この場合の塩鉄の課は塩瀬の生産高、利益額等の意で、課

の語義のみをとくに追求すれば、塩鉄による園塚財政上の

成果(ノルマをともなう)を意味するものとされよう。唐会

要、同右、開元十年八月十日の勅には『豊州所造の漁鉄、

毎年官課あるべし。』といい、官課の語を使用している。

この官課はさきの塩鉄の課をうけたもので、前節にのべた

官吏俸料の窟課とはまったく別個の意味をもつ藷である。

ところで右に政府の藤葛事業に関連する用語としての権課

5e (572)

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麿代人民の負担体系における諜と税の意義(西村)

・課題の語についてのべたが、課利の語は専売事業にかぎ

らず、のちにはひろく政府の収入を意味する語として竜使

 用される。すなわち冊府元亀四九一・邦計部、鋤復三、五

代後梁の末帝貞明六年四月掛亥詔にある営鑓課利や、置忘

荘宗同位四年正月壬戌制にある『其諸色残欠衷心。及不迫

係官勲爵。磁極放免』の課利、および岡、鰯夢野・後唐心

宗長興元年二月、南郊畢詔にある諸道商税課利などは、す

べて広義に解すべきものである。しかし総括的に官の収入

一般を意味する課利等の課は、上掲、開元元年十一月五日

の左拾遺劉形の上表にみ・えるように、均田租庸調体系によ

る唐の国家財政政策が行詰り、これをおぎなう目約から塩

鉄収入に着軽し、この方薗に活路を開く途上において成立

した用語である。したがって課利の語は撫専売収入を意味

することがもっとも多い。

 以上、唐代における諜役をはじめとして、課に関係のあ

る諸用語についてのべた。これを要約すれば、課役・課調・

課輸・課物・課のように、均田民の物納負担を意味する語

と、課銭・資課のように金納負担を意味する語があり、資

課が宮吏俸料に充当されたことから、官吏にたいし金銭に

よって支給される俸料が燃料・官課と呼ばれト現物支給の

賜与が糧課といわれるようになった。またこれから発展し

て官の専売収入を権課・官課・課利というようにな夢、さ

らに官業収益または官物の使用料にいたるまで課利と称す

るようになった。藤代の課役および無関係用語は大体右に

よって尽される。そのうち均田制時代の負担体系に関係あ

るものは課役・蟷螂・課物争、唐律語議に掲載された一連

の課役関係用語と資課とであって、その他の手力課・納課

(戸)・課料。官【課・編鴇課・確課・課利等はすべて派生的山な

ものである。概して安史の乱以後に登場し、両税法時代に

あらわれる課関係用語には、派生的な種々雑多な意味が付

加されてくる。わたくしが本論においてあきらかにしょう

としたのは、本来、課役関係の用語についてであり、その

他の竜のにも論及したのは、むしろ付随的な作業としてで

あった。しかし右によって課関係用語中、課役と似而非な

るものや、葱味のかけはなれたものについての説明も一通

り行なったので、これによって課役用語そのものを、純粋

な姿で把握する一助ともなしえたとおもう。ではつぎに

「税」についてのべることとしよう。

51 (573)

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四 均照体三下における税と両税法の賦税

 均田綱時代の律令欄語における税とは、課役以外の、 一

般所得ないし収益に賦課されるものを意味する。すなわち

唐戸婚律、第一七四・輸課税物違期の条疏明には

 輪課税濯物。謂粛租調及庸。地租雑税之類痢

 とあり、同、概庫律、第二一七・応輸課税の条国議には

 応輪課税。謂曲調地税之類。

 とあって、・石により唐墨疏議のなかから、税に関しては

地算・口重・雑税の三をかぞえることができる。つぎに唐

令では倉庫令第四条に

 諸鷺洲給糧課而七塚 当処正倉}充。無レ倉之処。追申レ省。随レ近

 有レ処}支給刃又無者。聴下煮二税物及和耀屯再呈物一充塞。

 とあり、関市令第十四条には

 富商.賀。潅レ令所在収レ税。

 とあって、商税と平物一般を指摘している。右のうち地

租は一般に官田の小作料等を意味する網語として理解され

ており、地税は耕地漁積一畝ごとに二升の率で収取される

重税で、待には戸等に応じて戸当に獄課されることもあっ

 ⑭た

が、要するに土地所有面積の多寡に応じて差異のある税

であった。四一は商業利得に対して課せられる税であるこ

とはいうまでもない。右のほか新羅書四八・百官志、少府監、

掌冶署の条に『銅鉄は人、採ることを得るも、官は収むる

に税を以ってす』とある竜のは山沢の税であり、また前述

した塩の専売益金である課利竜、山沢税の部類に属すべき

ものである。数お唐会要八六・関市、長安二年正月の条に

『有司表諮して関市に税す(下略)』とあるものは関市の税

であり、冊府元亀五〇四・邦計、権酷、単身広徳二年十二

月詔には『天下州県、各女酷酒の戸を蚤定して、月に随っ

て税を納む。(下略)』として酒税をあげている。このほか

唐代には戸税があり、戸等の上下に応じて一定額の税銭を

                       ⑯

納入したことは、従来しばしば論じられたことである。

 以上にのべた山沢・関市の税、地機・戸税等は、均田制

時代に租調庸の課と井行して収取されたものであるが、そ

の税としての特徴は、課のよう・な人身賦課方式でないこと、

丁中や貴賎の区別に関係なく、 一般所得収益に賦課される

点にある。

 ところで掌中元年(七八○)に制定された両税法は、その

52 (574)

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唐代人斑の負担体系における課と税の意義(1村)

名のしめすように、人風の負担体系を税一本に統一したも

のである。かくして両税法施行以後は、人民の負担をあら

わす用謡も、当然のことながら総括的に「税」と称呼する

のが一般的になった。すなわち画会要八四・両早使、元和

四年六月勅には

 両税法。総見悉諸税一葉極是便レ畏。但縁回覧レ法之初、不v定温物

 佑4粟七転賎.賦税農加。

 とあるように、両説のことを賦税と称呼している。冊府

元亀四九一・邦計部、劉復三、僖宗広明元年五月乙卯詔に

は 箇昌広明已前却諸色税賦。宜レ令三十分減漏四分司

 とあり、税賦とも称呼している。右例のほか両税を総括

                         ⑬

して賦税・税賦と称呼する事例は枚挙に挫ない状態である。

 しかしすべてが賦税の語に統一されたというのではなく、

賦税とともに繁用される語に租税がある。冊府元亀四九

一 ・邦尉訂、馴鮒復一二、一難和山一年十月・油搾制…に↑

 京兆府。従三兀和五年一田前。諸銀甲税。膚一【選句浦銭在一一百姓腹

 頃者。放免。

 とあり、ここでは人民の負担曽爾.税を総括表明する用語

              ⑱

として租税の諾が使網されている。また租賦の語を使正す

ることもある。旧前書一九上・懇宗紀、鍍銀二年二月、検

校工部尚書李福奏に

 属衆幼立。虚器夏大雨。 (中略)乞鰯{租賦⑩従レ之。

 などかなり多くの事例がある。ただここではっきりして

おきたいことは、両税法時代になってからは、人民の税負

担一般を課役と称呼することはなくなったという一点であ

 ⑲

る。 

さて右にのべた賦税・租.税・租賦等の諸用語のなかで、

両税全般を総括的に表明する称呼として、もっとも多く使

規される代表的粥語としての「賦税」の意味について考察

すると、漢書食貨志に

 有レ賦。有レ税。税謂二公田什一及工商衡虞之入 也。賦共皿車馬

 甲兵土焼御役刈充 実鰐主筆予之用一。

 とのべているように、元来賦と税とは別のものであり、

この区別がそのこもつづき、均田制時代の課口の負担体系

である臨調庸は、賦の系譜につらなるものであり、諜口・

不課口ともに負担する戸税。地税等は、税の系譜につらな

                        ⑳

るものとすべきで、それぞれ範疇を異にする概念である。

53 (575)

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ところで唐会要八四・穆税下、大中六年三月勅に対する中

          ゑもんみ

書門下の奏に『伏して以るに、照光は古れ陛下の詳言、

寵待固より異等なるべし。薫り而して、地に拠りて税を出

すは天下皆同じく、戸に随って建直するは、久しく已に例

            む                  たが

を成す。(中略)況んや征賦入る所、経費常あり。差うて均

しからざら詰めば怨嵯量れ起わん(下略)』とあり、これに

            おも

対する天子の答えに、 『朕以うに、鄭光は元舅之尊貴なり。

      む

優異して征税を免れ令めんと欲す。初めは細思せざりしも、

卿等位を股肱に列ね、毎に匡益を存す(中略)省即するこ

と再三、良に慰悦を増す(下略)』とあり、同一のことをさ

きには征賦といい、のちには蚕食とのべている。これは両

税の内容が賦でもあり税でもあり、両者いずれにも共通の

要素があることをしめしているものとすべきであろう。

 新唐書一四五・丁霊伝にある、かれの底心への音響兇具申

によって、両税法の性格をうかがうと、e従来の雑多な税

目を統一して両税にまとめること。⇔百役の費、一銭の漱

屯、まずその(経費の)数を量ってのちに人に賦する(人民

から徴収する)。㊨主戸、客戸の別なく、 …規居によって徴税

する。㈲了、中の別なく、貧奮の差江よって徴税する。綱

旧翻の租庸(調)豊中は廃止するが、’丁額は廃しない。の

五項目に要約される。右によるとまず安史の乱以後、種女

の名臼で登場してきた雑多な税を統一して両税一本にまと

                      ⑳

めること。つぎに均田制時代の租庸調は廃止するが、丁額

は廃止しないというのである。ここに『丁額』とあるのは、

従来変身に賦課した課役の収入総額を保持するの意と解さ

れる。(潜勢は課役の一定額の意)したがって旧制の課役はそ

の収取形体としては消滅するが、両税のなかに繰込まれて

徴収されるのであり、したがって賦は税に化体して収取さ

れることになったとみてよい。かくして両税を総括的には

賦税と表明し、また単に賦とも税とも称呼するのは当然の

こととされよう。また両税を徴収するにあたっては、政府

の必要経費を前提として、これを収税の予測される丁額の

総計とにらみあわせて一定の予箪をたて、その予算の枠内

で徴税する。その場合、徴税方法としては、従来のように

丁身一人一人に一律に賦課するのではなく、各戸の財産額

に応じて上下の差別をつけて徴収することとしたのである。

すなわち前掲新淫書揚炎伝には

 戸無 主客浦以偏見居浦為レ簿。人無二丁中野以二貧窺一宇レ差。

54 (576)

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  とあり、また通典薬・賦税下、建中元年制に

   百姓招客等。約昌中産4定二等第四

   とあるように、主観・客戸を問わず、(したがって旧来の

  受田に関係なく)現業の資産高によって等級を定め、また新

  唐書冊四五・揚謹撰に『夏税は六月に尽き、秋税は十一月

  に尽く。歳終には戸賦の増失を以って長吏を進退し、而し

       これ

  て尚書度支藩を総ぶ』といい、また旧唐書一’八・同伝に

  は、同一のことを『愈歳心後、戸増したるに税減軽し、及

樽 び人散じたるに均を失う者あれば、長莫を進退す(下略)』

晒 とのべているように、両税法は政府の年間必要経費を各地

臓方別に割当て、各勢では各戸別に資産の羨に応じ薇

脚 税するのであるから、これは下墨、人民の所得・収益に課

と課 税する竜のであり、均田租庸調制のように、直接的個別的

るけ に人身そのものを把握して、その生産活動ぐるみ、皇帝の

おに 支配を貫徹しようとするものではなく、ただ生産活動の結

系体 果に課税するのである。したがって人民への直接的個別的

催喋な人身支配は後退し、ただ各戸の所得・収益が課税の対象

眠とされるのである。

代管、 かくして徴税の対象は人身より戸産にうつることとなり、

ここに古来の直接的個別人身支配が「戸」支配に転化をと

げる。両税法の収取対象となる戸は丁中老小の差別を問題

とするものではなく、ただ貧富の別を問題とする。魏晋以

来の「戸」は耕織一体のたてまえから、租調を収取する必

要上、戸の形体を重んじたが、このばあい国家権力が把握

の主対象とするものは丁男奇計の戸であって、老小の芦で

はない。丁身のあるところ極貧戸も直接収取の対象となる。

ここでは戸は人身のかげに埋没する。これらのことについ

てはいずれ稿をあらためて土地問題との関連のうえに論じ

たいとおもう。

 以上、わたくしは唐律県議における課と税との区別をよ

りどころとして、主として用語上から、一代における課と

税との区別を論じた。そして最後に均田法体制と両税法体

制の賦税収取形体の相違点にまで論及したが、前者の負担

体系である租調布11課役は、唐律における同類用語との相

互関係によって、唐代においては物納負担として集約され

た概念を形成し、さらに資課の登場によって、 一部金納負

担に移行する傾向をもしめしている。両税法は畢寛、均田

租庸調体綱の負損体系である血紅課役の丁額をそのままう

55 (577)

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けとめて、これを全般約には税の収取形体に転化ぜしめた

ものであり、したがって賦税の収取形体においては非連続

であるが、内容においては前後に網連続する性格の竜ので

ある。いったい唐代における両税法以前の課役は、備州物

納負担ないしは訴額金納負担として整備され、聖油の部顧

である雑篠負担が税黒金般のなかにしめる位鷹が軽少にな

ったところに、すでに両税法への転化が準備されていたと

みられるが、それのみ・ならず両税法においては塩鉄等の諸

収入が加わるとともに、全般として人民の所得と収益に課

税して園家財政に充当するようになり、ここに税制上の画

期的な変革がとげられることとなった。

五 結

葦ff下口

 右にのべたところを要約すると、8唐律およびその疏議

にみえる課役・課調・課物・課等の語は、物納負担として

の租調庸を意味する。⇔資課は全般的には課役の金納部面

と考えられ、これが官吏俸の一部に充当されたことから、

官吏の俸給を課料・官諜と呼ぶようになり、さらに発展し

て官業収入をも年鑑・課利と称呼するようになった。㊨課

は丁身に対し一律に定額割当されるが、税は不動産や動産

の所得・収益から収取される。㈱両税法は租庸調の収入定

額を保持しつつも、徴税対象を丁身から鳴管にきりかえた

ので、旧来の丁対象の一律均課方式の収取形体は消滅した。

すなわち賦鮭課が税にかわったのである。㈲ しかし政府財

政磁では賦として収取して屯、税として収取しても、実質

的には定額を保持するのであるから、この点では賦も税も

結局おなじことである。総括的には両税を賦税または税賦

と称呼することが多いのは、そのためであろう。以上、五

項欝となる。

①拙稿。「菌魏計帳戸籍における諜と税の意義」欄東洋史研究」

 二〇の一・一 

②浜ロ重掴博まは、受磁資格のない一六総の中93も雑篠を負摂

 するが、租調雁は負担しないことを指摘し、租調庸は授田の反

 対絵付であるに醤し、雑揺は給縫反購給樗の枠外のものである

 ことをのべて、両者を概然と区刷された。 「唐に於ける雑篠の

 胴始年令」 (噸.東洋学報』二三の一)

③階盤食貨憲に「騙皇三年蕉月。二三篇新宮㊥初令昌軍人一(軍

 入は軍民の意)。以豊一十丁成ゾ丁。減晶十二爵④毎歳為ニニ十臼

 役而とみえる。

④ 冊府元亀四八七・邦計、賦税、乱闘皇黒熱正月の条に、「減昌

56 (578)

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代人民の負担体系における課と税の意義(預村)

 +二番4令黒戚役功。不ワ嚢三+旦(二+降の譲)。不レ役取レ

 庸。鳳とある。

⑤旧説欝七四・馬周伝に、「(爽観)幸~年。周誌上疏賦(中略)

 今善姓承二爽綴織後⑩比 於階臨4畿十分之一。灘供 富穣役⑩道

 助諭畑胴継。 撒ル去面掛伊語。 萌艦尾不絶。 癌雌諏弱往二幅海山引馬墨山Q 春秋夏久・。

 略無二休時ごとある。

⑥課役は歳役鷲○日と等価値である。雑徳は歳役の二倍に計算

 されるから、 }○○日で課役と等撫榔になる。このほかに、さ

 らに雑誌…四〇環の負撫があるから、禽計一四〇臼となる。宮崎

 霧定・「鷹代賦役制度新考」、鰐、菓洋史研究し、 }四の闘、参照。

⑦諜調の語が物紬負損一般をあらわすことは、唐擁のみならず

 他の一搬史料においても同様である。霞た蔚代のみならず南北

 朝においても、葛篭の語は物納負越一般を意味する。従来課調

 に関しては階書食貨志の「醐皇八年五月。熱湯爽。諸州無課調

 処。及鞍壷管…戸数少考。官入禄ヵ。事前己来。想出随近之州。」

 とある自照繭について膏…見の対立があった(宮崎市定「普補剛の

 芦調式に就て」。曾我部静雄「均朋法とその税役越度」。鈴木俊

 「廊の一戸税と均賑捌し) が、 魏蛮目論ハ・酬顕祖紀。 和平六年留星}九月

 乙丑詔に「夫賦敷煩。剛民財匿。課調軽。鋼財用不足。是以十

 一聯税。頒声作奏。」とあり、同五三・李評伝に「解法課調之

 月。令知賦税期均。」宋欝九・後廃帝紀。元徽隔年四月の条に

 「遣憂欝部。到諸藩。検括疑戸。窮老尤貧者。錫除課調。」梁

 画歴 ・武帝紀。天監二年六月細筆詔に門以東陽儒安叢安三無水

 漆。 漂損聡思量慨旗。 遣瀬周澱。 帯蕪鋼椥課調。概冊府 兀亀田八六・

 邦計、戸籍。「漏出元年。鳳閣舎入溝矯。上表日。(中略)今天

 下之人。流散非一。 (中略)或往来山沢。非直課調虚実。闘於

 営賦。」議会要八四・租税下。 元和十五年八月の中書門下奏に

 「並解説端匹働両之物。為税額。如大野以前瓢賦課調。不計銭。

 命其折納。」とあるものなど、南北朝・欝唐を通じて課調とは

 租調等の物納負担一般を意味する語であることがわかる。ただ

 唐名例律、二六の疏議にある侍丁のばあい、または通典薫五・

 禄侠。門夫の芸事にある残疾のように役を免ぜられたものの謀

 調は、聖算のみとなるが、これは課調の対象によって変化する

 特殊例とみるべきで、本来、課調は物納負損{般を措し、課役・

 賦役と岡義に使胴される語である。この点が従来不明確であっ

 たので、注記した。

⑧拙稿「藩律令における雑任役と所謂難役・無量に関する一考

 察」 甲、龍谷史壇』第五〇号。参照

⑨資課を単に資とい、〉ことはある。(一振玉・鳴沙石蜜供聞所

 収、鷹水都式に「其丁。取㍗免鵜聯筏”・入。家道稽般有者占。人出二

 二千五善文資助而」とある。)しかし警官の納入する資銭を資課

 ということは太・来ない。

⑩拙稿、前掲

⑪ 納課戸については、鍛我部静雄「唐の麿興適度並に班田収授

 法廃止後の課戸と納課戸」、『文化』一〇の一〇がある。

⑫ 松永雅生「唐代の課について扁聯.史淵』五五。九一頁によれば、

 「課料の語は、筆者の管見によれば代宗初年の青覆銭実施以騎

 には晃翻し得ない。(青賭銭実施は広徳二年、七六四)しかして

(579)57

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 当時は官吏収入の課は手力資謙より他にないはずであるから、

 諜料の課億手力資課を意味する。」 とのべていられるが、課料

 の語は再会要九〇・内外官禄、光宅元年(六八四)十月二十日

 勅にすでにみえており、また諸購例に徴しても、課料の課を手

 力資課に限定せねばならぬ理由は見出せないので、この説には

 賛戒できない。

               む む   

⑬ 乱悪元亀には、 「元和六年閏十一月勅。河中・鳳翔.義定閥

                         む  む  む

 道州膿(下略)」とあるものが、会要では「元和旧年聞十二月

      む

 勅。河東・河中・鳳翔・易定賜道州県(下略)」 とあり、 爾者

 に一ヵ月の相違があるだけでなく、恥府元亀では四道州県の河

 東が脱落している。擶唐山一四・憲宗本紀上に徴すると、元和

 六年には閏十一婦はないから、閏十二月が正しい。また河東の

 脱落をあわせ考えると、ここでは会要の記事をとるべきであろ

 う。

⑭ 松永雅生前掲には「糧課は官吏役使人の受くべき労働代緬の

 …蔀または全部を意味する。」とのべてある。しかし糧課はと

 くに宮吏役使人の給与のみに限定解釈すべきものとは考えられ

 ず、宮吏の本俸以外の現物雑給、ことに粟米による給与を指す

 語と解すべき揚禽が多い。松永氏の指摘されるような場合もも

 ちろんあるが、これは官吏の現物雑給一般にふくまれるものと

 して広義に解すべきであろう。

⑮瘤会要八八、倉及常平倉、貞観二年四月三臼の条、および岡、

 永鷹徽二年照岡九月六R門勅参聰鍬。

⑯獄繰網三部「租調(庸)と事象」『菓洋史学』一一。

 鈴木俊「唐の戸税と席戸嗣」『中央大学交学部紀要』、史学桑海

  馨。

 自我部静雄「両税法と戸税地税の無関係を論ず』『東洋学』、二。

⑰ 賦税の語は両税法以後にはじめてあらわれるのではない。古

 くから人民の負担を総括酌にのべる場合に、間々使用される語

 である。 一例をしめせば、北斉の河漕三年令(階書食貨志掲載)

 に「墾租。皆依晶貧寓⑩為昌三桑㊨其賦読響調。則堕落。直書昌上

 戸一中扇面 中戸㊨(下略ととある。

⑲ 租税は倒羅して税租ともかかれている。総府元亀四九一・鰯

 復三、後唐荘宗醐光一…年二月認に、「数年兵革。盃昌甚凋残の(中

 略)応人戸所レ輪税租。特与二鍋減⑩」とあるなど、 かなりの事

 例が存在する。賦税を税賦というのと同様である。

⑲ 混乱をさけるためにつけくわえておくと、寒露・租税の語は

 均田制時代においても、人民の負撞を総称する場合に使欄され

 ているが、単に税の一語だけで、租庸調などの細物の徴収をい

 いあらわす嘉例もある。この場合は税が動詞として使燭される

 場合であるが、その事例をしめすと、唐会要八三・租税上、開

 元二十五年一二月勅に職階輔庸調。所レ税非レ少。』とあるものが

 それである。 これは陶、.永油元年、 太欝博士嚢守真の上表に

 『縞鋼所レ資。軍鶏之急。(中略)雨着レ以二課税般繁一。三無講壇

 積一故也。』とある賦調課税のように、課税物一椴の徴収を意味

 する動詞として用いられたもので、徴収の客体たる税物の性格

 を規制するものではない。またこのような慕例はきわめて稀で

 ある。なお両税法以後に繁用される賦税の語も、均田制時代の

(580)58

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 課税物}般の徴駁を意味する語として、動詞酌に使期される点

 では、右の税のばあいと岡一である。つぎにその築例をしめす

 と、冊府元亀騰八三・邦計、選任および才略に『韓滉(中略)

 初麹昌露悪至徳魂至=乾元以後凋所在軍興。賦税無レ度。病弱給

 納。多響胴因循ごとあるものがそれである。

⑳ 漢の賦税の区別が、以後北朝にもおよんだことは拙稿(前掲)

 にのべた。この区別は唐代の両税法麗始以前にもあてはまる。

⑳ 本案には雑福も廃止するよう具牢されている。両税法になつ

 て雑中皿が 溌止されたかどうかが っの疑問点になっているが、

 これについては別に専論を要するのでここではふれない。

                     (京都穴学講師)

代人民の負担体系における謙と税の意義(西村)

i59 (581)

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the main commodity of commerce, problems of measurement are

a major concern. Prof. Keigo H6getsu has already published his

excellent work on this prob!em. ln this ayelcie 1 have relied on

th.e京枡座文書(Documents of the Kyo-masu Za)which I had oc-

casion to peruse and have tried to throw light on the formation

and structure of the Masu Za which was part of the Bakufu’s

system for controlling comrnerce. The Kyo-masac Za came ui3der

the subordinates of £he. House of Nakai, Chief Carpenters, with

their close relationship to the Bal〈ufu. Thus they received the

Bakufu’s supervision and the privileges of specia} pyotection in

production and prices of masu. This analysis, as well as illListra-

ting certain features of the system of privileged inonopoly, also

clarifies some aspects of the feudal lords’ control of the market.

The Significance of税(Tax)and課(Levies)among          the Burdens on the Tang People

     The Vocabulary of the輪課税物System in Tang Law

by

Senyu Nishimura

  As 1 wrote previously in・ an article entitled “The S1gnificance

of税and課in the Ledgers and Registers of Western Wei”圭11

the Far Eastern History Review, Vol. 20,. Nos. 1 and 2{ the ap-

propriations至rom the people under the均田 (Land Division)

system of the Northern Dynasties period in China can be divided

into the £wo categories of tax and levies. Similar princlples of

classi且cation are applicable in the均田systems of the Swe and

Tang Dynasties. Therefore, 1 would like to discuss the taxes and

levies of the Tang period as an extension of my previous article.

  As the Tang period was the period of the breakdown of the

)t一’iE]] systein which had continued and developed from the time

ef the Northern Dynasties, and the period of the appearance of

anew system of taxation called the両税法(Two-Tax System),

the relation between the o1d and new systerns as well as the pro一

(709)

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blem of M and Vee rnust be considered. But the general discussion

◎f均田and両税systems involves many problems w三th wide ra.

mifications and thez”efore, in this article 1 have confined myse!f

maiRly to a discuSsion of the terminology of the taxation system.

  To enumerate the main points:1.)Terms such as課役,課調,

三物,and課itself in the唐織(Tang Laws)and疏議(Commen-

taries) signify exactions in kind for various taxes or labour levies.

2.) 資課=is generally considered to refer to payment of money for

relief from the labour levy, and as this was applied as part of

the salaries of ofiicials, their salaries came to be known as課料

a玉ユd官課,and later of猟dal incomes were cal16d官課and課利.

3.) 一ee“ was ievied agalnst T eg’ (adults) and was fixed at a certain

rate by the Laws, whiie ;Egt was levied against incorne and profits

from蝕ed or other assets.4.)Even though the両税法mai捻tained

a fixed total revenue from all taxation, as the object of taxation

shifted from lndividuals to household property, the old form of

legally equalized levies against individuals disappeared. That is,

賦(tithes)and課(1evies)gave way to税(taxes).5.)However,

as the levies of both central and provincial governments, whether

in the form of tithes or taxes, were both actually maintained at

fixed totals, from this polnt of view they were similar ln nature.

Perhaps this is the reason why both taxes were called either wr

税or税賦。

English Economic Trends on the Eve of Colonization

by

Takeomi Ocki

  For the generation breathing the air of the mid-tweBtieth cen-

tury it is unavoidabie, and even right, to think of national pro-

bleins in accordance with the international circumstances. This

is, however, a. new experience for a nation which has been

secluded intellectually and politically from the outei’ world for

the greater part of her history. Self-suficed in such a community,

                          (708)