swath-ms 法って何? 優れた定量精度・感度・ 網羅性を兼ね備 …

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228 薬剤学 Vol. 78, No. 5 (2018) 薬剤学, 78 (5), 228-234 (2018) ≪最近のトピックス≫ SWATH-MS 法って何? 優れた定量精度・感度・ 網羅性を兼ね備えた次世代型定量プロテオミクス 内 田 康 雄* Yasuo Uchida 東北大学大学院薬学研究科 薬物送達学分野 1.は じ め に ひと昔前までのプロテオミクスに対する印象は, 網羅的にタンパク質を定量することに関して,精度 が悪く定量結果をあまり信用できない,網羅的な解 析につきものの偽陽性の定量結果を多く含むだろ う,というものではなかっただろうか.Sequential window acquisition of all theoretical fragment ion spectra mass spectrometrySWATH-MS)法は, これらの問題を解決し,はじめて信頼性をもって 網羅的にタンパク質(例えば一度に約 5,000 種類) を定量できる方法である.この SWATH-MS は,様々なライフサイエンス研究分野において有用 であり,皆さんの期待に(おそらく)対応でき,ラ イフサイエンス領域におけるプロテオミクスの価値 を飛躍的に上げるものと期待されている.しかし, 残念なことに,プロテオミクス領域以外にはあまり 理解されていないのが現状である.そこで,本稿で は,「SWATH-MS 法って?」という方々のために本 手法の特徴を概説したい. 2.SWATH-MS 法の概要 生体試料中に存在するタンパク質の種類と量を決 定する手法「定量プロテオミクス」は,ライフサイ エンスを中心としたあらゆる領域において有用な技 術である.2012 年,スイス連邦工科大学の Ruedi Aebersold 教授らによって,新しい定量プロテオミ クス手法である「SWATH-MS 法」が発表された 1液体クロマトグラフ接続型質量分析装置(LC-MS/ MS)を用いた従来の定量プロテオミクスは,①シ ョットガン法に代表されるように, data dependent acquisitionDDAmode を用いて標的タンパク質 を限定せずに網羅的に試料中のタンパク質を定量す る方法,と② selected reaction monitoringSRMmode parallel reaction monitoring PRMmode を用いて標的タンパク質を限定的に高感度かつ高精 度に定量する方法,の主に 2 つであった.前者①は, 定量に欠かせない定量精度・再現性・感度に劣る方 法であり,後者②は,網羅性に欠ける方法である. これに対して,SWATH-MS 法は,両手法の長所を 兼ね備えており,従来法よりもさらに網羅的に定量 できる方法である.生物学研究の多くで, 「精度は欠 けるが網羅的な手法を用いてスクリーニングし,そ の後高精度な手法でバリデートする」という戦略が しばしば見受けられる.一見合理的のように見える が,初めに実施する精度の悪いスクリーニングによ ってその後の研究の運命が決定してしまう. SWATH-MS 法は,高精度かつ網羅的な手法である ため,この従来の研究戦略を塗り替えることができ る画期的な手法である. *2010 年東北大学大学院薬学研究科博士課程中退,助手 に着任.2012 年博士(薬学)取得,助教に昇進,現在 に至る.ヒト BBB 定量プロテオミクスの論文(Uchida et al., J. Neurochem. 117: 333–345, 2011)が J Neuro- chem 誌の「Top Cited Paper in 2013」に選ばれ,2018 年までの 7 年間の被引用回数は 301 回を記録.研究テー マ;Omics による中枢関門の輸送機構の解明.連絡先: 980–8578 仙台市青葉区荒巻字青葉 6–3 E-mail: [email protected]

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Page 1: SWATH-MS 法って何? 優れた定量精度・感度・ 網羅性を兼ね備 …

228 薬 剤 学 Vol. 78, No. 5 (2018)

薬 剤 学, 78 (5), 228-234 (2018)

≪最近のトピックス≫

SWATH-MS法って何? 優れた定量精度・感度・ 網羅性を兼ね備えた次世代型定量プロテオミクス

内 田 康 雄* Yasuo Uchida東北大学大学院薬学研究科 薬物送達学分野

1.は じ め に

 ひと昔前までのプロテオミクスに対する印象は,網羅的にタンパク質を定量することに関して,精度が悪く定量結果をあまり信用できない,網羅的な解析につきものの偽陽性の定量結果を多く含むだろう,というものではなかっただろうか.Sequential

window acquisition of all theoretical fragment ion

spectra mass spectrometry(SWATH-MS)法は,これらの問題を解決し,はじめて信頼性をもって“網羅的にタンパク質(例えば一度に約 5,000種類)を定量できる”方法である.この SWATH-MS法は,様々なライフサイエンス研究分野において有用であり,皆さんの期待に(おそらく)対応でき,ライフサイエンス領域におけるプロテオミクスの価値を飛躍的に上げるものと期待されている.しかし,残念なことに,プロテオミクス領域以外にはあまり理解されていないのが現状である.そこで,本稿では,「SWATH-MS法って?」という方々のために本手法の特徴を概説したい.

2.SWATH-MS法の概要

 生体試料中に存在するタンパク質の種類と量を決定する手法「定量プロテオミクス」は,ライフサイエンスを中心としたあらゆる領域において有用な技術である.2012年,スイス連邦工科大学の Ruedi

Aebersold教授らによって,新しい定量プロテオミクス手法である「SWATH-MS法」が発表された 1).液体クロマトグラフ接続型質量分析装置(LC-MS/MS)を用いた従来の定量プロテオミクスは,①ショットガン法に代表されるように,data dependent

acquisition(DDA)modeを用いて標的タンパク質を限定せずに網羅的に試料中のタンパク質を定量する方法,と②selected reaction monitoring(SRM)modeや parallel reaction monitoring(PRM)mode

を用いて標的タンパク質を限定的に高感度かつ高精度に定量する方法,の主に 2つであった.前者①は,定量に欠かせない定量精度・再現性・感度に劣る方法であり,後者②は,網羅性に欠ける方法である.これに対して,SWATH-MS法は,両手法の長所を兼ね備えており,従来法よりもさらに網羅的に定量できる方法である.生物学研究の多くで,「精度は欠けるが網羅的な手法を用いてスクリーニングし,その後高精度な手法でバリデートする」という戦略がしばしば見受けられる.一見合理的のように見えるが,初めに実施する精度の悪いスクリーニングによってその後の研究の運命が決定してしまう.SWATH-MS法は,高精度かつ網羅的な手法であるため,この従来の研究戦略を塗り替えることができる画期的な手法である.

*2010年東北大学大学院薬学研究科博士課程中退,助手に着任.2012年博士(薬学)取得,助教に昇進,現在に至る.ヒト BBB定量プロテオミクスの論文(Uchida et al., J. Neurochem. 117: 333–345, 2011)が J Neuro-chem誌の「Top Cited Paper in 2013」に選ばれ,2018年までの 7年間の被引用回数は 301回を記録.研究テーマ;Omicsによる中枢関門の輸送機構の解明.連絡先:〒980–8578 仙台市青葉区荒巻字青葉 6–3 E-mail: [email protected]

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3.SWATH-MS法と従来のプロテオミクスの比較

 SWATH-MS法が,従来の DDA法や SRM/PRM

法に比べて,具体的にどの程度優れているか? 表 1

に,SWATH-MS法と従来の定量プロテオミクスの特徴をまとめた.3.1 定量可能なタンパク数 例えばヒトやマウスなどの各生物種でUniprotデータベースに登録されているタンパク質数は約 2,3

万種類であるが(canonical data),SWATH-MS法では,そのうち凡そ 5,000~10,000種類のタンパク質を一度の測定で定量することができる.ただし,後述するが,SWATH-MS法で定量できるタンパク質は,データ解析時に用いる SWATHライブラリーに収載されたタンパク質に限定されるため,定量可能なタンパク質数はこの SWATHライブラリーの規模に依存する.また,測定試料の種類にも依存する.筆者の経験では,培養細胞や組織のwhole cell lysate

や各オルガネラ画分のトリプシン消化物を SWATH

測定し,約 15,000種類以上のタンパク質を収載した SWATHライブラリーを用いてデータ解析した場合,5,000~10,000タンパク質を定量できるという感覚である.ライブラリーの規模が大きい場合でも,血液試料のように存在するタンパク質の種類が少ない試料の SWATH測定の場合は,定量できるタンパク質数は少なくなる.

3.2 定量感度 ペプチドの種類によって検出効率に差異があるため厳密ではないが,SWATH-MS法は,DDA法に比べて,約 10~100倍程度高感度である.対照的に,SRM/PRM法に比べると約 5~10倍程度感度が悪い.SWATH-MS法では,試料のトリプシン消化物1 μg proteinあたり 1 fmol以上存在すれば定量できる.筆者は自身の過去の研究において脳毛細血管におけるトランスポーターの絶対発現量を明らかにしてきたが 2,3),この「1 fmol/μg protein以上」というのは,血液脳関門で輸送機能が観察されるトランスポーターの多くが持つ絶対発現量である.DDA法の感度では,血液脳関門のトランスポーターを定量するのは難しい.従って,SWATH-MS法は,生理学的に意味のあるレベルの感度をもって網羅的にタンパク質を定量できる.3.3 定量精度 従来,網羅的プロテオミクス(DDA法)と標的プロテオミクス(SRM/PRM法)の定量精度のレベルには大きな乖離があった.SWATH-MS法の登場によって,このギャップが飛躍的に縮まった.図 1は,酵母の diauxic shift処理によるタンパク質の発現量変化を定量した結果を表している.SWATH-MS法は,発現量の変化率の大小にかかわらず,SRM法で定量された発現量の変化率を反映する結果を与えることが可能であることが示されている(図 1) 1).また,定量のダイナミックレンジも広く,細胞内の絶

表 1 SWATH-MS法と従来の定量プロテオミクスの特徴

Data independent acquisition(DIA) [SWATH-MS]

Data dependent acquisition(DDA)

Selected/parallel reaction monitoring (SRM/PRM)

定量タイプ MS2定量 MS1定量 MS2定量一度に定量可能なタンパク数

5,000~10,000 1,000~2,000 ~100

(全 2~3万種類のタンパク質のうち)おおよその 定量感度

>1 fmol/μgprotein

>10 fmol/μgprotein

>0.1 fmol/μgprotein

定量精度 ○ △ ◎  MS1定量およびMS2定量とは,それぞれ precursor ionおよび product ionsのピークを用いた定量を意味する.おおよその定量感度は,試料中の総タンパク 1 μg proteinあたりおおよそ何 fmol存在すれば定量できるかを表す.>1 fmol/μg proteinとは,トランスポーターや受容体などの微量な膜タンパク質を定量できる感度である.Data dependent acquisition(DDA)とは,MSスペクトラムにおけるピーク強度が高い precursor ionについてMS/MSスペクトルを取得する方式の総称.Data independent acquisition(DIA)とは,MSスペクトルに依存せずに,すべての precursor ionsをフラグメンテーションさせ,MS/MSスペクトルを取得する方式の総称.SWATH-MSはその代表的なものの 1つ.

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対量の小さいタンパク質から大きいものまで定量できることが示されている(図 1).しかし,後述する原理の違いのため,理論的には,SRM/PRM法に比べて,SWATH-MS法の定量精度は若干劣る(表 1).

4.SWATH-MS法の原理

 図 2に,SWATH-MS法と従来の他の定量プロテオミクスの測定原理をまとめた. SRM法は,precursor ionのm/zの質量フィルターを用いて標的ペプチドを選別し,さらに開裂して生成された product ionのm/zの質量フィルターでその product ionを選別し,検出する.これによって,高い選択性(定量精度)と優れた感度を実現することができる.標的とした数十から 100種類程度のペプチドを限定的に常に検出し続ける方法である(図 2A).従来の網羅的プロテオミクスである DDA

法は,1回の測定サイクル(単位時間)において先ず precursor ionsをすべて検出し,その中で検出強度の高かった上位 10個程度のイオンについて,Q1

質量フィルター(1 Da幅)による選別後にMS/MS

スペクトルを取得する方法である(図 2B).MS/MS

スペクトルを得ることができたペプチドについてのみ同定が可能である.同定ができたペプチドについてのみ,その precursor ionのピークを用いて定量解析(MS1定量)を行うことができる.検出強度が低いためにMS/MSスペクトル取得へ進まなかったペプチドについては,同定されないため,定量されない. これに対して SWATH-MS法では,precursor ions

の検出強度に関係無く,すべての precursor ionsについてMS/MSスペクトルを取得する(図 2C).ただし,Q1質量フィルターによって precursor ionsをある程度選別しMS/MSスペクトル取得へ進むことによってMS/MSスペクトルの複雑さをある程度抑えている.1回の測定サイクル内で(例えば 3秒),この Q1質量フィルター(SWATH windowと呼ぶ)を低分子量から高分子量までシフトさせることによって,あらゆるペプチドを網羅的に検出する.400

~1,200 Daの範囲を測定することによって概ねあらゆるペプチドを網羅できること,また 1サイクルあたり 3秒程度かつ 1つの SWATH windowあたり0.05秒程度が望ましいことから,800 Daの幅を 60

図 1  SWATH-MS法の定量精度は SRM法のそれと同程度である;Diauxic shift実験条件下における酵母代謝系に関わる酵素群のタンパク質発現量の変化の定量

 (A)酵母の代謝ネットワーク.Diauxic shift処理による発現量の変化の程度を色違いで示している.各酵素名の枠線は,細胞内におけるタンパク質絶対発現量の違いによって区別している.発現量の小さい酵素まで,SRMモードと同様に,SWATH-MSモードでも検出・定量できている.(B)SWATH-MSモードで定量された各酵素の発現量の変化率は,SRMモードで定量された変化率をほぼ反映している.Gillet et al., Molecular & Cellular Proteomics, 2012 1)

から引用し,一部改変.

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個の SWATH windowsでカバーするため,1つのSWATH windowの幅は約 13 Da程度となる.ただし,ペプチドの種類が多い質量範囲では例えば 5 Da

以下,少ない範囲では 50 Da以上の windowを設定することによって,MS/MSスペクトルの複雑さを抑える工夫が可能である.このように,DDA法と異なり,すべての precursor ionsのMS/MSスペクトルを取得する方式であるため,DDA法よりもさらに網羅的にペプチドを同定・定量することができる. しかし,現在の質量分析装置の性能では,1つのSWATH windowの幅は上述の通り約13 Daと広く,複数のペプチドを通過させてしまい,依然としてMS/

MSスペクトルが複雑になるため,そのスペクトルからペプチド配列を同定することは困難である.そこで,この同定を助けるために,「SWATHライブラリー」が用いられている(図 2C).SWATHライブラリーとは,あらゆるペプチドについてMS/MSスペクトルや保持時間の情報を収載したものである.試料が異なっても,配列が同じペプチドであれば,固有のMS/MSスペクトル・保持時間を持つ,という考え方に基づいている.具体的には,発現するタンパク質の種類が異なる様々な組織・細胞・オルガネラ画分のトリプシン消化物を用意し,順次 DDA

modeで測定し,ペプチド同定を行うことによって

図 2 SWATH-MS法と従来の他の定量プロテオミクスの測定原理

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作成され,SWATH-MS測定データと照合される.SWATH測定で得られたMS/MSスペクトルと同じ保持時間かつ同じ質量範囲に該当するライブラリー情報を照合に用いることによって,SWATHの複雑なMS/MSスペクトルからのペプチド配列の同定を可能にする.このように SWATH-MS法ではライブラリーを用いて同定作業を行うことから,ライブラリーの規模が大きければ必然的にSWATH測定で同定・定量されるタンパク質は増えるが,逆にライブラリーの規模が小さい場合は SWATH-MS法の網羅性の利点を十分に発揮できない.ライブラリーの充実化のためには,上述したようにあらゆる試料をDDA測定することが重要であるが,DDA測定は基本的に発現量の大きいものを中心に同定する方法であるため,例えば異なる組織や細胞の whole cell

lysateを測定した場合,その組織や細胞に特異的に発現するタンパク質由来の消化ペプチドを収載できる可能性はもちろんあるが,しばしばアクチンなどの高発現タンパク質ばかりが同定され,低発現量のユニークなタンパク質のペプチドを収載できない可能性がある.従って,筆者らは,オルガネラ分画やペプチド消化物の等電点電気泳動分画を行った試料を DDA測定することによって,低発現量のタンパク質のペプチドまで収載されるようにしている.

5.SWATH-MS法による定量と定量精度が高い理由

 SWATH-MS法の定量精度が DDA法よりも優れ

ている理由は,その定量の仕組みの違いにある(図3).図 2Cのように,SWATH測定でのMS/MSスペクトルとペプチド配列の対応(帰属)が取れたら,図 3Aのように各保持時間のMS/MSスペクトルを経時的に並べていき,MS/MSスペクトルのピークトップを結ぶことによって,定量可能なピークを得る.同じペプチド由来の異なる product ionsは全く同じ保持時間に検出されるため,保持時間がずれていた場合はピークの帰属が正しくないため,この時点で排除することができる.同定の精度が良かったペプチドについて,図 3Bのように,比較したい試料間でその面積の比率を取り,同一ペプチド由来の各 product ionの面積比の平均を取ることによって該当ペプチドの存在量比を計算する.該当タンパク質の存在量比は,そのタンパク質に特異的な配列を持った(複数の)ペプチドの存在量比(の平均値)によって決められる. 図 4に示したように,SWATH-MS法は,次に示す DDA法の 2つの欠点を克服できるため定量精度が優れている;①DDA法の場合,MS/MSスペクトル取得の再現性が低いため,試料 1ではMS/MSスペクトルが取得された precursor ionでも,試料 2

では取得されないことがある.MS/MSスペクトルが取得されないとペプチド配列の帰属ができないため,MS/MSスペクトルが取得された試料 1の pre-

cursor ionのm/zと保持時間の情報のみに頼って試料 2における該当ピークを判断せざるを得ない.し

図 3 SWATH-MS法では,各タンパク質はどのように定量されるか? 

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かし困ったことに,試料間で保持時間がずれること,また,無数のピークが実際には隣接するため,該当ピークの判断を誤ることがしばしばある.図 4①の試料 2の 2つの黒色ピークのどちらを試料 1の青色ピークと比較するかによって,該当タンパク質の発現変化について真逆の答えを出してしまう危険性がある.②もう 1つの欠点は,他の物質のピークと重なることによって定量結果を過大評価する危険性が高い点である.SWATH-MS法は,これらの DDA

法の欠点を克服できたため,あらゆる研究領域における網羅的定量プロテオミクスの利用価値を飛躍的に上昇させた.

6.改良型 SWATH-MS法とそれを用いた応用例

 SWATH-MS法は,薬剤学研究のみならず,あらゆる生体試料における網羅的タンパク質発現プロファイルの決定や分子メカニズムの解析,また臨床的なバイオマーカー探索研究,などその応用性は多岐にわたる.しかし,研究分野によって,100倍の変化が見えればよい場合もあれば,1.5倍の変化も精度よく追えることが重要な場合もあるだろう.あらゆるケースに対応できる方法の実現を目指して,筆者は「改良型 SWATH-MS法」を構築した.SWATH-

MS法で取得された生データの中には,少なからず精度の悪いデータが含まれる.筆者は,以前の研究においてペプチドの配列に依存して定量精度が変化することを評価してきた経験 4)と SWATH-MS法の開発者である Ruedi Aebersold教授(スイス連邦工科大学)のもとに留学した経験を融合させて,SWATH-MSの生データから質の悪いデータやペプチドを排除するワークフローを構築した.この改良型 SWATH-MS法を用いて,悪性脳腫瘍(GBM)患者と健常者の血液検体の比較解析を行った結果,GBMの血液バイオマーカー候補タンパク質が複数種類同定された.安定同位体標識ペプチドを用いたその後のバリデーションの結果,leucine-rich al-

pha-2-glycoprotein, complement component C9および C-reactive proteinの血漿中濃度が腫瘍サイズと有意に正の相関を示すことを突き止めることに成功した 5).

7.お わ り に

 現状,薬剤学領域におけるプロテオミクスの普及度は依然として低い.上述してきたように,SWATH-

MS法は,定量精度,感度および網羅性の点で従来法よりも優れているため,多くの研究者の期待に応

図 4 なぜ,従来法(DDA法)に比べて,SWATH-MS法は定量精度が良いか?  Precursor ion由来の単一のピークで定量を行う従来法と異なり,SWATH-MS法では,1つのペプチドについて複数の product ionsのピークを用いて定量できる.試料間で保持時間がシフトしても,SWATHライブラリーに基づいてピークの帰属ができていること,および同一ペプチドであれば product ions間のピークの相対強度比は試料間で統一されていることから,正しいピークを用いて試料間の相対定量が可能になる.また,SWATH-MS法では,Q1部で通過できるイオンの質量範囲を設定していることから,ノイズによる妨害を受けにくく,複数の product ionのピークを用いることから 1つのピークがノイズによって妨害されても平均的には致命的な妨害にはならない.

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えることができ,薬剤学領域におけるプロテオミクスの価値や普及度を飛躍的に上げるものと期待する.

引 用 文 献 1) L. C. Gillet, P. Navarro, S. Tate, H. Röst, N. Selevsek,

L. Reiter, R. Bonner, R. Aebersold, Targeted data extraction of the MS/MS spectra generated by da-ta-independent acquisition: a new concept for con-sistent and accurate proteome analysis, Mol. Cell. Proteomics, 11 (6), O111.016717 (2012).

2) J. Kamiie, S. Ohtsuki, R. Iwase, K. Ohmine, Y. Ka-tsukura, K. Yanai, Y. Sekine, Y. Uchida, S. Ito, T. Terasaki, Quantitative atlas of membrane trans-porter proteins: development and application of a highly sensitive simultaneous LC/MS/MS method combined with novel in-silico peptide selection cri-teria, Pharm. Res., 25 (6), 1469–1483 (2008).

3) Y. Uchida, S. Ohtsuki, Y. Katsukura, C. Ikeda, T.

Suzuki, J. Kamiie, T. Terasaki, Quantitative target-ed absolute proteomics of human blood-brain bar-rier transporters and receptors, J. Neurochem., 117 (2), 333–345 (2011).

4) Y. Uchida, M. Tachikawa, W. Obuchi, Y. Hoshi, Y. Tomioka, S. Ohtsuki, T. Terasaki, A study protocol for quantitative targeted absolute proteomics (QTAP) by LC-MS/MS: application for inter-strain differences in protein expression levels of trans-porters, receptors, claudin-5, and marker proteins at the blood-brain barrier in ddY, FVB, and C57BL/6J mice, Fluids Barriers CNS, 10 (1), 21 (2013).

5) E. Miyauchi, T. Furuta, S. Ohtsuki, M. Tachikawa, Y. Uchida, H. Sabit, W. Obuchi, T. Baba, M. Wata-nabe, T. Terasaki, M. Nakada, Identification of blood biomarkers in glioblastoma by SWATH mass spec-trometry and quantitative targeted absolute pro-teomics, PLoS One, 13 (3), e0193799 (2018).