rapt - 秘儀のグ真相...
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一ーの!ルに
覆われた大嘗祭における
秘儀のグ真相μ
唯 1989
年、昭和天皇の死で凍りついたメディア状況の中で、
「自粛ムl
ド」を批判し、その空虚な実態を暴き続けた『噂の真相』が、
翌年、明仁天皇の即位に際して天皇家最大の秘密である
「大嘗祭」
に迫った。
編集部が未だこれを超える天皇論は存在しないと自負する慧眼の批判研究。
-秘儀を否定する
宮内庁の異例の見解
皇室の公的行事として強行することが決定
されたのみで、中身については一貫して秘密
裡に準備進行されていた天皇明仁の大嘗祭
、
その式次第がこの
叩月ゆ日、宮内庁より公表
された。延々4
時間にも及ぶ記者会見を関い
もって語られはじめていることの裏返しに他
ならない。実際
、昭和天皇の死去以降、ま
ず、宗教学、民俗学、歴史学といったアカデ
ミズムからのアプローチが盛んになり、大嘗
祭が近づくにつれて
、及び腰なが
らも〈秘
儀〉を活字にするマスコミも登場するように
なった。また、海外のメディアまでがこの
〈秘儀〉に
強い関心を示しはじめている
。
そして
何より、我々の問で、様
々な風説が
まことしやかに流布しはじめているのだ。日
く
「
天皇は大嘗祭で窓きものがついたように
トランス状態になる」「
深夜、大嘗宮の中で
女性と性的な行為をするらしいL「
昭和天皇
のミイラと一緒に寝る儀式がある」「稲穂に
天皇が精液をかける儀式が大嘗祭の骨子だL
OL6t
ρし・.. ‘。
天皇制②ヴェールに覆われた大嘗祭における秘儀の ご真相ミ
-霊魂が新天皇に付着するけ
単なる無責任なデマ、としか思えないこれ
らの風説は、あながち無根拠というわけでも
ない。むしろ
、ある種の本質をいいあててい
るとさえいえる
部分もあるのだ
。
大嘗祭の中心儀礼は大嘗宮に建
てられた悠
紀殿・
主基殿の閉ざされた内陣に、
夕刻から
て発表された儀式の概容は、ひとことでいえ
ば、予想通り登極令を焼き直しにした神道色
まるだしの中身、という表現で十分なものだ
ろう。それよりもこの会見で注目されたの
は、記者の質問を受ける形で宮内庁幹部が大
嘗祭における〈秘儀〉の存在を正式に否定し
たことの方である。
「
特別の秘儀はなく、天皇が神前で読み上げ
朝にかけて新天皇が引き縫ってとり行う儀式
である。この中で行われている儀式として明
らかになっているのは、秋にとれた穀物を皇
祖である天照大神に供え、共にこれを食べる
〈福鋲供進の儀〉
以外にない。
これをうのみ
にすれば、大嘗祭は毎年秋に行われる新嘗祭
と全く同一の内容、つまりは瑞穂の国・
稲作
国家の祭紀王たる天皇による単なる収穫儀
礼、ということになる。しかし
、
にもかかわ
らず、大嘗祭は天皇としての神格を継承させ
る一世一代の儀式なのだ。加えて、大嘗祭で
は新嘗祭の約三倍以上もの長時間にわたって
新天皇が悠紀殿・主基殿両殿内陣に引き簸る
ことになっている。だとすれば新嘗祭と同一
の中身のはずがない
。
神との〈共食〉以外に
何か儀式が隠されているのではないか
、そん
な疑惑が大嘗祭に関して浮かびあがってくる
のも当然のことだろう。
そして着目されたのが、内陣
の構造、だ。両
殿内部には天皇と神の席がしつらえられてお
り、ここで対座して
〈共食〉をすることにな
っている。ところが
、これが中心儀礼の割に
は部屋全体から見ると片隅に追いやられてお
り、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳
の寝座
、
つまりベッドなのだ。そしてこのべ
-104
hnつげぷみ
る御告文にもそのような思想はない」
かねてより国会答弁等では〈秘儀〉に対す
る否定的見解をのべたこともある宮内庁だ
が、マスコミに対して、しかも具体的な根拠
を提示する形で
「ない」と断言したのはきわ
めて異例といえるだろう。これは言い換えれ
ば、宮内庁が直接的に対応せざるをえないほ
ど、「秘儀の存在」がある種のリアリティを
ッ
ドを使っ
て
〈秘儀〉
が行われている、とい
うのが最も有力な説として浮上してきた
。
こ
の〈寝具の秘儀〉を最初に指摘したのは
ご存知のように民俗学者
・折口信夫である。
折口は講演「
大嘗祭の本義」
で寝具を天孫降
臨神話でニニギノミコトがくるまって地上に
降り立ったとされる
〈マドコオフスマ
〉に
見
たて
、
このベッドの布団に天皇がくるまる儀
式の存在を唱えたのである。
さらに折口、かこの〈マドコオフスマの儀〉
に必要不可欠な要素として提示したのが、
〈天皇霊〉の
存在だ。大嘗祭で布団にくるま
っている聞に〈天皇霊〉が天皇の肉体に付着
し、そのことによってはじめて完全な天皇に
なる、というのである。つまり、天皇の肉体
は霊魂の容れ物にすぎず、大嘗祭は霊魂が新
天皇の肉体を借りて復活する、神性の継承儀
式であると主張したのだ。
前述の「ト
ランス
状態」の風説は、この
〈天皇霊〉が付着する時間を指している、と
いえなくもない。実際、狂信的な神道家の間
では天皇の霊能力なるものが本気で信じられ
ているらしく、例えば、昭和の大嘗祭で福岡
が主基斎田に勅定、された際、すべての祭事を
とりしきったといわれる古神道家
・
川面凡児
105
などは天皇が大嘗祭はおろか、毎日朝夕に
「イメ
」なる
トランス状態に陥るとい
ってい
る。天皇の霊魂がたえず霊界と現界を往来し
天皇は霊界をも統治しているという説であ
ス九さ
すがにここまでマッドな説になると、ま
ともにとりあげられる
ことは
ないが、本質的
には〈天皇霊〉
論もこの種の奇説と同一なの
だ。そして
、
儀式の意味づけを行った折口の
意図とは全く関係なく
、
〈天皇霊〉
の存在そ
のものが
、
今や神道界では常識となっている
という。
-新天皇は前天皇の死体と同会か
折口の
〈マドコオ
フスマ
〉〈天皇霊〉
を深
化発展させる形で、その後
〈秘儀〉
に関する
様々な考察が登場した。〈先帝同会〉
説もそ
のひとつである。
他ならぬ折口信夫自身が
「
大嘗祭の本義」講演の翌年、「
古代人の思考
の基礎」
と題された講演でこの説を開陳して
いる。
折口によれば、古代には生死を明確にする
意識がなく
、
平安期でも
「
生きてゐるのか、
死んでゐ
る
のか、
はっ
きりわからなか
っ
-大嘗祭の本質は性的行為なのか
天皇帝IJ②ウ・エールに覆われた大嘗祭における秘儀の ξ真相ミ
〈マドコオフスマ〉の延長線上に浮かびあが
るもうひとつの〈秘儀〉説に(聖婚儀礼)が
ある。
〈聖婚〉というのはもってまわったい
い方であり、要するに大嘗祭で天皇による性
的行為がおこなわれる、というも
のだ。
大嘗宮正殿の中にまで入れる人間はきわめ
て限定されている。そのしつらえを見ると
、
御座
(天皇の席)と神座をのぞけば、関白の
ヲねめ
座と宮王の座、そして数人の采女の座しかな
い。しかも内障にまで入れるのは天皇と采女
の代表ひとりで、残りの人間は外陣
にとどま
る
ことにな
っている。そして内陣と外陣はカ
ーテンによ
ってさえぎら
れている
。大嘗祭と
は、また、男女が二人きりで夜をすごす儀式
でもあるわけだ。
この采女を性行為の相手として見るのが、
歴史学者の岡田精司らである。采女とは「
宮
中で炊事・食事などをつかさどった女官、大
化以前は地方の
一家族の子女から選んで奉
」
(岩波古語辞典
〉ら
れた女性である
。つま
り、子女と性交することで、豪族に服従を誓
わせた服属儀礼との説だ。
同じく采女を性行
た」。生き返るのか、別
の肉体に魂が移るの
かを判別する必要があ
ったのだ。そこでも
と
の天皇霊のついていた肉体
(H先帝の死体)
と新しく霊のつくべき肉体
(H新天皇)を
「一つ会で覆うて」
復活のための儀式を行っ
たのだという。
その後、生死の区分が明確化してくるにつ
れて二つの肉体を別々の場所に置くようにな
る。もともとは
一つしかなか
っ
たと思われる
大嘗宮主殿が悠紀殿と主基殿に分かれてくる
のはそのためで
、片方に前天皇の死体を置
き、もう一方に新天皇が入る。表は別々とな
るが趣旨は同様で
、
復活とそれを果たせない
場合は〈天皇霊〉の移動が行われる、という
のが折口の唱える説の概容だ
。
この〈先帝同会〉
説は当時からかなり広範
に流布されていたらしく、折口以外にも
「
天
照大神の死骸(いっ
たいそんなもの、がどこに
あるんだろうか?〉と
同会する」
といった説
を唱える神道家もいたという。現
代でもこ
の
〈先帝同会〉を支持する学者は多く、谷川健
一、山折哲雄など、民俗学・宗教学も
この説
に立っている。ことに山折は比較王権の視座
から、フ
ランスやダライ
・
ラマの場合にも同
様の例があっ
たとし、
〈先帝同会〉
説を補強
為の対象として見る西郷信網は、その根拠と
して「国造が新任の日に、神官の采女と称し
て百姓の女と婚」したという
「
淫風L
が平安
初期まで続いていたことをあげている。
一方、性的行為の相手を神だとする説もあ
る。穀神に擬せられた王と穀母神に扮した花
嫁が交わり、豊穣を祈るという習慣が古代オ
リエントをはじめ、日本以外でも広くおこな
われていることは、文化人類学の成果として
すでに明らかにされているところだ
。
吉本隆
明も神の代理としての女性と「性行為」を行
うことで〈対幻想〉を
〈共同幻想〉として同
致させようとする模擬行為と見ている。
いずれにしても、大嘗祭がある種の性的な
意味合いをおびている、とする
研究は少なく
ない。実をいえば、折口信夫もまた、性交儀
礼の存在を示唆しているのだ。しかし
、同じ
折口の「天皇霊」論がいたるところで紹介
・
引用されている
にもかかわらず、
この部分は
完全に黙殺されている。そして、たしかに折
口の展開した説は、マスコミ
やアカデ
ミズム
が黙殺せざるを得ない
ほど大胆なものだっ
た折口が性行為を示す場所として推定したの
は自らが着目した悠紀殿・
主基殿内陣の寝座
している
。
もっとも
、物理的に考えれば、〈崩御〉か
らかなりの時間を経過している大嘗祭で前天
皇の死骸と共寝する、というのは不可能に近
い。
折口
〈先帝同会〉説を真正面から継承し
ているひとりである歴史学者の洞富雄も、こ
れは模擬儀礼であるとしている。寝座の側に
靴をおいてあるのもそのためで、前天皇、が寝
座に績たわ
っ
ていると想定して行われる儀
式、というわけだ。では、前出の「
ミイラ
」
の風説はやや飛躍しすぎ
、
なのだろうか。
しかし
、
一方ではこの
〈先帝同会〉
が大嘗
祭ではなく、〈崩御〉の直後に実際に行われ
ているのではないか、との噂もある
。
この
〈先帝同会〉
に直接的なイメージを与えてい
るのが
、
〈残〉の
儀礼である。天武天皇の時
には
二年二カ月にも及んだと記録されてい
る、
この儀式は復活儀礼としての性格が色濃
く漂っ
ており
、昭和天皇の〈崩御〉
の際も
、
〈殖宮の儀〉
として死後日日目から
ω日目
ま
での長期にわたってとり
行われた。
むしろ大
嘗祭よりも、この
聞に実際に前天皇の死骸と
寝る秘密の風習が、天皇家には残っているの
ではないか
、と
いうのだ。
-106-
ではなく、両殿の北にある廻立殿だった。
天
皇は両殿に引き箆もる儀式の前に、ここで
お
み
「
小己むの湯」という湯を使い、体を清めるこ
とになっている。
つまりシモジモ風にいえば
風呂場だ。そして
「西官記」「江家次第」等
にはここで天皇が
〈天羽衣〉をまと
っている
という記述が登場する。折口はこの〈天羽
衣〉があろうことかフンドシであるとし
、
廻
立殿の儀ではじめてこれを解き、性の解放を
するという
。そ
して、フンドシを解くのが、
丹波から送りこまれた処女であり、天皇はこ
の処女と性交する、と説くのである。
いったい何が学説的根拠となっているかは
不明だが、ある神道研究家の一人はこんな感
想をもらす。「天皇の儀式では中心の儀礼よ
りも、その直前の儀
礼が全体の本質をあらわ
していることが多い。
即位礼の本質を賢所大
前の儀が表わしているよう
に。そう
いう意味
では廻立殿の儀が性交儀礼としての大嘗祭の
性格をあらわしている可能性はあるだろう
」
ヴt
Aリ
-宮内斤
〈秘儀〉
否定の舞台裏
霊魂、性、血・;。様々な〈秘儀〉
に関す
る論考の多くは、結局、折口をその出発点と
している。折口が講演「大嘗祭の本義Lを発
表したのは昭和の大嘗祭を2
カ月後に控え
た、
昭和3
年9
月のことである。この年は同
時に
、
治安維持法の最高刑が十年から死刑へ
改められた年であり
、
「三・一五事件」
と呼
ばれる共産党への大弾圧も行われた。
そんな中で、かくも異様な儀式の存在を暴
いた説が放置されていたのはいっ
たい何故
か。いや、取締の対象とならなかっただけで
はない。折口の説はその後、国家神道推進の
中心人物によ
って堂々と紹介されてもいる
。
近代神道の創始者であり、内務省神社局考証
課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で
「天皇霊L論を講義したのである。
これは、つまり、〈秘儀〉説が現人神とい
う明治憲法下の天皇制にとって都合の悪いも
のではなかった
、という事実を意味してい
る。むしろ
、国家体制にある種のイデオロギ
ー基礎として歓迎され、積極的に流布された
のだ。事実
、
〈天皇霊〉論をはじめとする
〈秘儀〉に関するあらゆる考察は、天皇に神
性を与えるという意味においても、ミステリ
アスな部分を増幅させるという意味において
も
、有効に機能してきたのは確かなのであ
る。
認、されており、答察官僚出身の藤森昭一を宮
内庁長官にすえ、侍従職の大半を官僚出身者
にぎりかえるなど、皇室を政府のコントロー
ル下に置く作業が着々と進められてきた。そ
してこれまでの代替り儀式は時代に対応した
形で、操作を加えながら極めて巧妙かつソフ
トに行なわれてきたといっていいだろう。い
わば
、
今回の大嘗祭はその集大成なのだ。
-神社本庁によ
る
操作とある論文
天皇制②ヴヱールに覆われた大嘗祭における秘儀のご真相ミ
しかし、常に右派勢力からの圧力にさら、さ
れてきた宮内庁がここまで〈神性〉否定を明
言できたのは、最近になってスイ星のごとく
あらわれた若手学者の存在に負うところが大
きい。国学院大学助教授・岡田壮司(前山山・
岡田精司とは別人)がその人で、まさに神道
界本流に位置する新進気鋭の研究者である。
岡田は昨年からいくつかの論文を発表、折
口の
〈マドコオフスマ〉〈寝具の儀〉〈
天皇
霊〉
論をすべて根拠のないものと断じ、完全
否定した。さらには
大嘗祭で天皇が「霊威を
享受するLとはしながらも、神と一体化する
ことはない、とその神性付与すらも一蹴した
のである。右翼民族派がよく黙っているもの
ところが、平成の大嘗祭に際して、宮内庁
はこの〈秘儀〉の存在を全面否定した。〈秘
儀〉だけならまだしも
、
大嘗祭は「穀物が豊
かに実りますように、との祈願が中
心し
で
「天皇が神と一体化するという儀式ではな
い」とその神性をも完全否定したのである。
かつては小学校の教科書にさえ〈大神と天皇
とが御一体になりあそばす御神事vと明記さ
れていたものと全く同一の儀式を、である。
このことは大嘗祭の準備が本格的に始まろ
うとしていた昨年秋、宮内庁で行われたある
人事と無関係ではない。大嘗祭の祭杷をつか
さとるのは天皇家の私的使用人である掌典職
だが、中でも最も古く、中心人物と考えられ
ていた永田忠興掌典補が更迭されたのだ。永
田はまた、掌典職
の中でも最も強硬な伝統墨
守派で、ことあるごとに政府
・
宮内庁の妥協
的な動きと衝突してきた人物でもあった。
「
右派ジャーナリズムに宮内庁批判の情報を
リークし続けていたのもこの永田さんだとい
われてますね。ただ、宮中祭紀については最
も詳しい人物だったし、今回の大嘗祭も永田
さんがとりしきると考えられていた。〈秘
儀〉の有無についても天皇以外に知っている
人間がいるとすれば、彼ぐらいだったかもし
だ。それはともかく、あらゆる分野でほぼ定
説となっていた折口
の論考を真っ向から否定
した論文はこれがはじめてといえる。しか
も、それは「天皇霊
」の存在が常識化してい
る神道界から、中でも折口、が祖と呼ばれる国
学院神道から出てきたのである。大嘗祭を研
究する若手歴史学者はその辺の事情をこう語
る。
「
岡田さんの登場は完全にタ
|
ニングポイン
トとなった。論旨自体はたいしたことはない
が、神道界からああも完全否定されるとね。
学説的には今はもう
〈秘儀〉がどんどん否定
される方向に向かいはじめている
L
たしかに、最近も〈秘儀〉否定のイデオロ
ーグとしてマスコミに
も登場し、宮内庁見解
に格好のお墨付きを与える形となっている。
おそらく、岡田の出現は偶然ではないだろ
う。それは、神道界本流、つまり神社本庁全
体の意志だ、と見る向きも少なくない。岡田
がはじめて折口説を否定するとく短い論文を
吋
国学院雑誌』
に掲載したのは昨年の夏のこ
とである。この直後、神社本庁の前統理であ
り、今も神道界に大きな影響力を持つといわ
れる桜井勝之進が岡田を呼び、二人が会談し
たという情報がある。つまり、この席で桜井
れない。その永田さんを更迭した、というの
は政府・宮内庁が象徴天皇制の下で大嘗祭の
性格を変える必要がある、と考えたためだろ
う」(宮内庁詰め記者)
そして永田の後任として新たに外部から送
り込まれたのが、鎌田純一祭杷課長である。
国学院出身で祭紀学の学者でもある鎌田は、
永田とはうってかわってきわめて柔軟な人物
といわれる。今回の大嘗祭はすべて、この人
物を中心に本来の掌典とは別の、学者
・
研究
者を中心とした委嘱の掌典によるプロジェク
トチ
l
ムによって準備進行されているとい
う。そして
、
前述の記者会見では鎌田自身が
根拠をあげて〈秘儀〉
を否定したのである
。
おそらくこうした動きは
、
現在の自民党政
府の天皇制に対する位置づけの延長線上にあ
るのだろう。現政権は戦前天皇制復活を単純
にめざしているわけではない。もちろん、そ
ういう勢力が存在していることは確かだが、
主流はむしろ、女性誌による皇族の芸能人化
などを利用しながら国際化社会と象徴制に対
応しうる形で天皇制を維持・
強化していこう
という方針だと思われる。
事実
、
中曽根内閣時代に当時の官房長官・
後藤田正晴を中心にして、こうした路線は確 一 108 一
は岡田にバックアップを約束し、岡田はその
意を受けてさらに大きな論文・
単行本等を発
表、反折口説のイデオロ
1
グとして本格的に
活動を開始したのではないかと推定されるの
だ。事実、桜井はこの問、岡田論文を補強す
るような発言を神社本庁関係の一肩書をあえて
使わずに何度かおこなっている。
それにしても、戦前の天皇制復活を目論
み、常に「
伝統墨守」
を叫んできた極右団
体・
神社本庁までが大嘗祭における神性継承
的性格を否定しはじめたのはなぜだろうか
。
「戦前は有効だった折口説も、現代では逆に
作用しかねない、との政治的判断でしょう。
怪奇な儀式として反対勢力の攻撃材料にされ
たり、海外メディアの好奇の自に閲されたり
ということになりかねない。神道というのは
何よりカタチを重視しますからね。形式さえ
伝統に則っていれば、意味づけで後退しても
いい、との判断です」(神社本庁関係者)
しかも、神社本庁は公式には何ら神性継承
の〈秘儀〉
を否定してはいない。無名の若手
学者をプロパガンダに使うことで、自らは陰
に隠れたまま、〈秘儀〉説安二時的に隠蔽し
ようとしているだけなのだ。
そして、宮内庁の〈秘儀〉否定もまた、神
- 109 一
社本庁・桜井勝之進の働きかけによるものと
もいわれている。また、やはり国学院で教鞭
もとっている掌典・鎌
田純一が岡田を招き
、
勉強会を開いたとの未確認情報もある。
いずれにしても、
一連の〈秘儀〉否定の流
れは、神社本庁|岡田壮司宮内庁の巧妙な
連携プレーであることはほぼ間違いないとこ
ろだろう。つまり、天皇護持勢力がこぞって
ある穫の操作をしなければ、現在の環境下で
この大嘗祭を強行することは難しい、と判断
したのかもしれない。そして彼らは何より
も、天皇制というカタチの延命をとりあえず
優先させたのだろう。
-明仁天皇は
〈秘儀〉
を行うのかげ
では
、
こうした体制下で行われる天皇明仁
の大嘗祭にはもはや〈秘儀〉など存在しない
のだろうか。たしかに
、無個性な平成の新天
皇とおどろおどろしい〈秘儀〉は結びつかな
いし、天皇自身が式の簡略化を望んでいると
の情報もある。また
、
そもそも
〈秘儀〉があ
ったとしても、すでに平安期において形骸化
しているだろう
、
との見方が
一般的だ。
しかし、その一方ではこんな説もある。在
1993
年の皇太子妃決定に際しでも
、
野の神道研究家が語る
。
「
大嘗祭によらず、天皇家には一世一代の秘
事口伝があるというのは常識です。つまり
、
第三者を介さず
、
天皇から天皇へと直接伝え
られる送り事がある。セックスの処理、密教
秘伝の出産コントロール法などもそのひとつ
といわれています。その中にはおそらく大嘗
祭における〈秘儀〉も含まれているはず」
さらに興味深い
のは宮内庁が
〈秘儀〉否定
の記者会見を聞いた時の出来事である。折口
信夫がかフンドシを解くことで天皇が性交に
向かうωとした廻立殿の小思の湯の儀につい
て、ある新聞記者からの質問に
、
宮内庁は
「
お湯を使う、ということ以外は
一切いえな
い」とつっぱねたのだという。
悠紀殿・
主基殿の儀についてはかなり詳細
に根拠を示し、〈秘儀〉を否定した宮内庁の
一変した態度を考えると
、小忌の湯の儀にあ
る種の性交儀礼の名残りが残っている可能性
はあるのかもしれない
。
しかし、結論めいたことをいえば〈秘儀〉
の有無というのはさして大きい問題ではない
のではないか。仮に〈秘儀〉があったとして
もそれは神の偽装にすぎず、収穫儀礼であっ
たとしても農耕民族の祖という偽装にすぎな
ひたすら「おめでとう」の大合唱を繰り返すばかりで、当時
、
噂されていた
マスコミは皇室タブーを前に、
雅子妃の男性関係については一行たりとも報進しようとしなかった
。
そんな中、『噂の真相』は外務省で同僚だった本命の恋人の存在を突き止め、
その結婚じたいが国家機関を総動員した根回しの結果であることを指摘。
血の連続のために総力をあげた天皇制システムの本質をスクープしたのである
。
-強固な拒否の意志がなぜ
「スーパープリンセス雅子さん」「一途な愛
を貫き通した皇太子さま」「6年間の純愛が
実った」
1月6
日、皇太子妃内定の第一報が流れて
以降、この国のすべてのマス
コミはくる日も
ぃ。神聖祝される神社の洞内部が実はカラツ
ポであるように、そもそも大嘗祭には中身な
どない
。あるのは
、
どのようにでも語ること
のできる
、
カタチだけだ。
それゆえに時の国家権力や時代状況によっ
て〈大神と御一体になりあそばす御神事〉に
も〈国民の平和を祈念する行事〉にもなりう
る。今は否定されている折口〈天皇霊〉論が
再復活する可能性も
十分に残されている
の
だ。こ
れは
〈大元帥〉にも〈一家でテニ
スに興
じるマイホームパパ
〉
にもなりうる天皇制の
本質でもある。か
つてロラン・バルトは天皇
制を
〈空虚な中心〉と
呼び、柄谷行人は〈ゼ
ロ記号〉にたとえた。そして天皇制は〈ゼ
ロ〉であるがゆえにしぶとく生き永らえ
、
し
かも時の権力の有効なイデオロギー装置とな
ってきたのである。
問題は、大嘗祭に宗教色があるかないか
(あるにきまってる)、内廷費か宮廷費か(ど
ちらも国民の税金なのだ)ではない。この恐
るべき〈ゼロ〉
に我々がどう対処していくか
の主体性ヲ」そが関われているのである。
〈敬称略〉
.一九九
O年十二月号より/本誌特別取材班
ハU
唱EA
唱EA
、
くる日もまったく
同じ内容の情報をまったく
同じ論調で報じ続けている。妃に決ま
っ
た小
和田雅子という女性がいかに知性と美貌を備
えているスーパーウー
マンであるか、彼女に