日本古代の「知」の編成と仏典・漢籍...日本古代の「知」の編成と仏典・漢籍...
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日本古代の「知」の編成と仏典・漢籍 更可請章疏等目録の検討より
中林隆之
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I Takayuki
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iterature and Chinese Books :
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mentaries on H
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はじめに
❶更可請章疏等目録の基礎的検討
❷更可請章疏等目録の作成意義
おわりに
正倉院文書には、天平二十年(七四八)六月十日の日付を有した、全文一筆の更可
請章疏等目録と名付けられた典籍目録(帳簿)が残存する。この目録には仏典(論・
章疏類)と漢籍(外典)合わせて一七二部の典籍が収録されている。小稿では、本目
録の作成過程および記載内容の基礎的な検討を行い、それを前提に八世紀半ばの古代
国家による思想・学術編成策の一端を解明した。
本目録には、八世紀前半に新羅で留学した審詳所蔵の典籍の一部が掲載されていた。
審詳の死後は、彼の所蔵典籍は、弟子で生成期の花厳宗の一員でもあった平摂が管理
した。本目録は、僧綱による全容の捕捉・検定を前提として、内裏が審詳の所蔵典籍
の貸し出しを平摂の房に求めた原目録をもとに、それを平摂房で忠実に書写し、写経
所に渡したものであった。
審詳の所蔵典籍には、彼が新羅で入手したものが多かった。仏典は、元暁など新羅
人撰述の章疏類が一定の比重をしめた。それらの仏典は、写経所での常疏の書写に先
だって長期にわたり内裏に貸し出されていた。内裏に貸し出された中で、とくに華厳
系の章疏類は、南都六宗の筆頭たる花厳宗が担当する講読章疏の選定と布施額の調整
などに活用された。漢籍も、最新の唐の書籍や南北朝期以来の古本、さらに兵書まで
をも含むなど、激動の東アジア情勢を反映した多様な内容であったが、これらも内裏
に貸し出され、国家による諸学術の拡充政策などに活用されたとみられる。
八世紀半ばの日本古代王権は、『華厳経』を頂点とする仏教を主軸においた諸思想・
学術の国家的な編成・整備政策を推進したが、その際、唐からの直接的な知的資源の
確保の困難性という所与の国際的条件のもと、本目録にみられたものを含む、新羅と
の交流を通して入手した典籍群が一定の重要な役割を担ったのである。
【キーワード】
審詳、花厳宗、南都六宗、漢籍、新羅
[論文要旨]