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特別企画 「笑い」はどこから来ていたか? 昨年末刊行の増刊号『「笑い」はどこから来るのか?』で は、差別や障害、ポリティカル・コレクトネス、「誰も傷つけ ない笑い」など、現代の「笑い」が置かれている複雑な状 況を様々な角度から問うた。 もちろん、「笑い」をめぐる問いは現代だけに限ったもので はない。ひとはいつの時も笑い、笑われ、そのつどの時代 を生きながら、「笑い」とは何かについて考え続けてきた。 「早稲田文学」約130年の歴史のなかで、「笑い」はどの ように論じられてきたか。その一端をたどることで、これまで の、そしてこれからの「笑い」の姿が見えてくるはずだ。 早稲田文学増刊号 『「笑い」はどこから来るのか?』表紙より イラスト:藤岡拓太郎

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  • 特別企画

    「笑い」はどこから来ていたか?

    昨年末刊行の増刊号『「笑い」はどこから来るのか?』では、差別や障害、ポリティカル・コレクトネス、「誰も傷つけない笑い」など、現代の「笑い」が置かれている複雑な状況を様々な角度から問うた。もちろん、「笑い」をめぐる問いは現代だけに限ったものではない。ひとはいつの時も笑い、笑われ、そのつどの時代を生きながら、「笑い」とは何かについて考え続けてきた。「早稲田文学」約130年の歴史のなかで、「笑い」はどのように論じられてきたか。その一端をたどることで、これまでの、そしてこれからの「笑い」の姿が見えてくるはずだ。

    早稲田文学増刊号『「笑い」はどこから来るのか?』表紙よりイラスト:藤岡拓太郎

  • 地口又はp

    ポン

    un

    と我が所謂かけ言葉

    0

    0

    0

    0

    とは一見酷似して其の用間〻

    異なればなり、p

    ポン

    un

    は地口なり地口は語ヲオドの上の頓ヰツト智、概して一

    言兩意なるが爲に興あるのみ、他に何の用をもなさゞるを例と

    す、ひきかけ言葉は必しも然らず、一語をして兩意を兼ねしむ

    るを眼目とはせず、否、語を簡にすること、語呂を滑にするこ

    と、語を美にすること、此の三者

    0

    0

    を目的とす、もとよりかけ言

    葉にも然らざるものあり又巧拙あり 「語

    を簡にすること、語呂を滑に

    すること、語を美にすること」と

    いう三つの目的を持つという。

    他の言語と比べて同音異語が非

    常に多い日本語において、「かけ

    言葉」は「我が國文の特質」であ

    り、軽視すべきではない。それが

    理解できない者は、(日本で最初の

    笑いをめぐる研究として知られる)土

    子金四郎『洒落哲学』および近松

    門左衛門の作品五、六〇篇を読破

    すべきだ、とする。

    初出時は鄭隈子の筆名とともに

    掲載されていたが、のちに逍遙

    の著作『文学その折々』に「滑

    稽家」等とともに収録された(そ

    の際、タイトルが「P

    ポン

    un

    、地口、かけ言

    葉」となっている。ただ、初出時も目次

    では「ひき」が無い)。

    「pun

    」は「駄洒落・地口・語

    呂合わせ」などを意味する英単

    語。坪内逍遙はこれを「必竟は劣ロ

    等ウ才コン思スート、

    所謂「地ポ口ンは是イれズ最ロウエスト

    下等

    文ヰツト才

    」なるもの、文人の好みて用

    ふべきものにあらざるなり」とし

    た上で、日本語における「かけ言

    葉」とどのように異なるかを論

    じている。逍遙いわく、「かけ言

    葉」は「隱喩直喩等に比すべき

    〔…〕一種のfigure

    」、「類例なき一

    種の詞姿(figure of speech

    )」であり、

    心のまゝにならぬ此の浮世に齟齬扞挌の絕えぬ限りは、悲哀と

    好笑との根ね絕だえなく、其のうちに笑ふべき事も悲しむべき事も

    ある衟理なれば、悲哀を寫す作ばかりありて嬉笑を描く作のな

    きは、不具の文壇たる無論なれど、さりとて好笑は悲哀と殊ことに

    て專ら心の据すゑ方かたに由るものゆゑ、所謂hearty laugh

    は決して望

    まれぬ場合もあるべし、而して腸はらわたをえぐるやうなるを悲哀の作

    の上乗となす如く、我れを忘れて絕倒せしむる無邪純粹の好を笑か

    しき作をこそ滑𥡴の傑作といふならめば、豫め時と塲合とを

    考へ、果してかゝるhearty laugh

    の得望まるゝか否かを見定め、

    さて好笑を求めずんば、嬉笑を求めて案外に苦笑を得、鰻を求

    めてとんだ蛇を握る悔あるべし。

    山樗牛が論争を仕掛けた。〈日本

    における滑稽の不在〉をめぐるこ

    の論争は、各所に飛び火し多くの

    論者を巻き込むものとなったが

    (詳しくは浦和男「滑稽の不在

    ―明治

    文豪の論争」(『笑い学研究』二〇号、二

    〇一三年)等を参照)、「何故に滑稽

    作者はいでざるか」は逍遙から高

    山への最初の応答である。動かし

    がたく実在する「悲哀」と心のあ

    りように応じて変化しうる「好

    笑」の区別、「滑稽」と「諷刺」

    の関係、忌むべき「滑稽」とはど

    のようなものかなど、興味深い論

    点が立て続けに展開されている。

    「P

    ポン

    un

    、地口、ひきかけ言葉」以

    降も「滑稽」(一八九五年四月、第一

    次第一期八六号、「小羊子」名義)、「筆

    頭花」(一八九六年三月 第一次第二

    期五号、「小羊子」名義)等、「笑い」

    をめぐる論を「早稲田文学」に続

    けて寄稿していた坪内逍遙だが、

    そこに当時「太陽」編集だった高

    P

    un

    、地口、ひきかけ言葉 坪内逍遙

    一八九五年四月(第一次第一期八五号)

    何故に滑稽作者はいでざるか 坪内逍遙

    一八九七年一一月(第一次第三期二号)

    明治の天地は笑ふべきこと尠うして悲むべきことひとり多きか

    何ぞ黃表紙以下三馬一九の時代に似ざることの甚しき最初は滑

    𥡴と諷諧とを以てあらはれたりし作者も次第に言葉を片附けて

    眞地目なる理窟にひそみ去りぬ悲極りて喜來るか然らば明治の

    天地は未だ悲哀の足らざるかユーモアとパソスとは人情の兩輪

    なり其一を欠きたる片輪車明治の文園に行やるに足らんや

    エッセイのひとつである。人情を

    「ユーモア」と「パソス」(ギリシ

    ャ語で「苦痛」等の意)の二極から

    成るものとした上で、明治の世は

    そのどちらかが欠けてしまってい

    ると指摘。「文壇の五滑稽家」と

    称して、諷刺の竹のや(=饗庭篁

    村)、滑稽の幸堂得知、詼謔の南

    (=須藤南翠)、冷嘲の正直正太夫

    (=斎藤緑雨)、

    滑稽俳諧の尾崎紅葉

    を挙げていく。逍遙にとって「笑

    い」とは何か、その核にあたる部

    分が垣間見えると同時に、当時の

    逍遙の文学観や国内外の作家への

    評価も窺える。「笑に長じたる者

    は大に笑へ泣蟲の傳染にちゞむ勿

    れ笑はば則ち大宇宙を笑倒せよ然

    らざれば現實と人間とを脫離して

    笑へ」という一節のもつ強さ、激

    しさは、今でも色褪せない。

    「早稲田文学」創始者であり小

    説・批評・劇作・翻訳など幅広

    い分野で活躍した坪内逍遙(一八

    五九

    一九三五)。彼は創刊号(一八

    九一年一〇月)掲載の「シヱークス

    ピヤ脚本評註」で「com

    edy

    」を

    「喜劇」と訳し、その後の普及に

    大きく貢献したことでも知られる

    (ただし最初の使用例は徳富蘇峰による

    一八八三年発表の文章)。その生涯で

    「笑い」と文学をめぐる文章を多

    く残したが、「滑稽家」はそのな

    かでも比較的早い時期に書かれた

    喜劇は前述の如く、社會の實相を活寫して頗る可をかしき笑

    を主眼とす。

    されば其目的は不幸を寫すにもあらず、罪惡を描くにもあらず、

    たゞ社會の「馬鹿氣たる事」「不愉快なる事」「不便利なる事」

    等を、刺るが如く嘲るが如く寫して、人をして覺えず抱腹絕倒

    せしむるにあり、もとより間接には勸善懲惡の精神を含みたり

    といひ得べし。必竟人を笑はせ人を面白がらするが主眼なれば、

    本來いたく淚を忌み、悲嘆危險等を示すにも、そを比喩もて暗

    示し、あからさまに物するを不可とす。凡そ喜劇の事件はふは

    くと漂へる雲の、やう

    く霽れ渡りゆくらん如く、若しく

    は水紋の幾重ともなく圓環を畵きつゝ、おひ

    くに擴大すらん

    如く、序を逐うて次第次第に推移するを要す、即ち急劇ママに變化

    するを不可とす。

    先人の喜劇をめぐる主張を幾つ

    も引きつつ、喜劇における滑稽や

    筋、詞句、俳優などを概説。さら

    に、フランスにおける喜劇の種類

    を二一に分類し、それぞれについ

    て、時に該当する戯曲のあらすじ

    を紹介しながら論じている。「田

    舍的喜劇」「怪異的喜劇」「短歌的

    喜劇」「歷史的喜劇」「雑話喜劇」

    「舞踊的喜劇」など、その分類の

    面白さは勿論、「眞正の滑稽は常

    に不德と「馬鹿らしさ」との中間

    にあるものなり」といった一節な

    ど、鋭い指摘も光る。

    長田忠一(一八七一

    一九一五)

    は、のちに長田秋濤の名で活躍し

    た劇作家・翻訳家。一八九〇年に

    フランスに渡り、そこで学んだ喜

    劇をめぐる知識を帰国後すぐ、弱

    冠二二歳にして紹介したのが、こ

    の「佛國喜劇」である。

    滑稽家 坪内逍遙

    一八九二年九月(第一次第一期二四号)

    佛國喜劇 長田忠一口述/南强生筆記

    一八九四年四月(第一次第一期六一号)

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