東日本大震災地盤沈下区域における干潟の再生と生物多様性 ...floating larva...

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東日本大震災地盤沈下区域における干潟の再生と生物多様性の検討 A study of restoration and biodiversity of tidal flat at a subsidence area caused by the Tohoku earthquake 吉野 真史*伊藤 靖**千葉 達*** Masashi YOSHINO, Yasushi ITO and Satoru TIBA *(一財)漁港漁場漁村総合研究所 第2調査研究部 主任研究員 **(一財)漁港漁場漁村総合研究所 第2調査研究部 部長 *** 陸前高田市企画部商工観光課 The Tohoku earthquake caused a subsidence of Otomoura reclaimed land (Rikuzentakata city, Iwate Pref.) . And the repair works has been difficult . A tidal that was developed into the reclaimed land about 50 years ago. A requirement for restoration of the reclaimed land into tidal flat was advocated by citizens. On this study, a possibility for restoration into tidal flat(used Manila clam as an index), an evaluation for biodiversity and a target for restoration were examined. Consequently, the biodiversity was on high level, the floating larva of Manila clam would reach to the tidal flat bottom which would be planned. And the importance of involving the tidal flat biodiversity into construction and management was pointed out. Keywords: biodiversity, tidal flat, Manila clam 1.はじめに 東日本大震災による影響は当該地域の地盤の変化にま でおよび,多くの地域で地盤沈下が発生した.これは,岩手 県陸前高田市でも同様であり,同市小友浦地区は沿岸の干 拓地が震災に伴う著しい地盤沈下と津波侵食被害を受け た.図-1.1 に小友浦の位置を示す. 小友浦干拓地は,本来は干潟であったところを,高度経 済成長期の食糧増産の要請に鑑み,干拓農地として昭和 43 年に竣工したものである.しかし,東日本大震災による干 拓堤防が被災したことに加えて,その堤防は当初位置で復 旧することが施工上非常に困難であることが判明したた め,200m 程度岸側に施工することとなった.ここで,その 200m 区間を当初のように干潟として再生する構想が生ま れた.図-1.2 に被災した干拓堤防を,図-1.3 に対象区域の 平面図を示す. かつて小友浦干潟は,その生産力と生物多様性の高さか ら,広田湾の漁業や潮干狩り等の地域交流の拠点であった. そのため,震災復興の象徴,環境修復,地域コミュニティー や憩いの場の創出の観点から,地域住民は干潟の再生を強 く求めている. 以上に鑑み本調査は,友浦地区を干拓前の姿である干潟 へ再生すると共に周辺部を地域交流拠点として整備する に必要な現地調査及び数値予測解析を行うと共に,過去の 変遷やその生態系サービスを参考に干潟再生の実現可能 性を検討することを目的として行った.本調査では特にア サリを指標生物として干潟の再生検討を試みた.調査項目 を以下に列挙する.なお,本調査は東日本大震災復興調整 費事業(環境省)として行った. ◆現地調査 ①深浅測量 ②海底観察(サイドスキャンソナー) ③底質調査 ④底生生物調査 ⑤アサリ現存量調査(L.1~4) ⑥プランクトン調査(St.A~J) ⑦アサリ浮遊幼生調査 ⑧海象調査 ⑨水質調査 ◆検討調査 ①アサリ浮遊幼生移動数値解析 ②干潟再生可能性検討 ③干潟基本設計 図-1.1 小友浦位置図 小友浦 49

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東日本大震災地盤沈下区域における干潟の再生と生物多様性の検討

A study of restoration and biodiversity of tidal flat at a subsidence area caused by the Tohoku earthquake

吉野 真史*・伊藤 靖**・千葉 達***

Masashi YOSHINO, Yasushi ITO and Satoru TIBA

*(一財)漁港漁場漁村総合研究所 第2調査研究部 主任研究員

**(一財)漁港漁場漁村総合研究所 第2調査研究部 部長

*** 陸前高田市企画部商工観光課

The Tohoku earthquake caused a subsidence of Otomoura reclaimed land (Rikuzentakata city, Iwate Pref.) . And

the repair works has been difficult . A tidal that was developed into the reclaimed land about 50 years ago. A

requirement for restoration of the reclaimed land into tidal flat was advocated by citizens.

On this study, a possibility for restoration into tidal flat(used Manila clam as an index), an evaluation for

biodiversity and a target for restoration were examined. Consequently, the biodiversity was on high level, the

floating larva of Manila clam would reach to the tidal flat bottom which would be planned. And the importance

of involving the tidal flat biodiversity into construction and management was pointed out.

Keywords: biodiversity, tidal flat, Manila clam

1.はじめに

東日本大震災による影響は当該地域の地盤の変化にま

でおよび,多くの地域で地盤沈下が発生した.これは,岩手

県陸前高田市でも同様であり,同市小友浦地区は沿岸の干

拓地が震災に伴う著しい地盤沈下と津波侵食被害を受け

た.図-1.1に小友浦の位置を示す.

小友浦干拓地は,本来は干潟であったところを,高度経

済成長期の食糧増産の要請に鑑み,干拓農地として昭和 43

年に竣工したものである.しかし,東日本大震災による干

拓堤防が被災したことに加えて,その堤防は当初位置で復

旧することが施工上非常に困難であることが判明したた

め,200m 程度岸側に施工することとなった.ここで,その

200m 区間を当初のように干潟として再生する構想が生ま

れた.図-1.2 に被災した干拓堤防を,図-1.3 に対象区域の

平面図を示す.

かつて小友浦干潟は,その生産力と生物多様性の高さか

ら,広田湾の漁業や潮干狩り等の地域交流の拠点であった.

そのため,震災復興の象徴,環境修復,地域コミュニティー

や憩いの場の創出の観点から,地域住民は干潟の再生を強

く求めている.

以上に鑑み本調査は,友浦地区を干拓前の姿である干潟

へ再生すると共に周辺部を地域交流拠点として整備する

に必要な現地調査及び数値予測解析を行うと共に,過去の

変遷やその生態系サービスを参考に干潟再生の実現可能

性を検討することを目的として行った.本調査では特にア

サリを指標生物として干潟の再生検討を試みた.調査項目

を以下に列挙する.なお,本調査は東日本大震災復興調整

費事業(環境省)として行った.

◆現地調査

①深浅測量

②海底観察(サイドスキャンソナー)

③底質調査

④底生生物調査

⑤アサリ現存量調査(L.1~4)

⑥プランクトン調査(St.A~J)

⑦アサリ浮遊幼生調査

⑧海象調査

⑨水質調査

◆検討調査

①アサリ浮遊幼生移動数値解析

②干潟再生可能性検討

③干潟基本設計

図-1.1 小友浦位置図

小友浦

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図-1.2 被災した干拓堤防

図-1.3 干潟造成計画区域平面図

2.現地調査の内容

1)調査項目・位置

現地調査地点を表-2.1及び図-2.1に,現地調査のうちア

サリ浮遊幼生調査地点を図-2.2 に示す.深浅測量,海底観

察の範囲は,図-1.3 に示したとおりである.なお,調査時期

は,アサリ浮遊幼生調査のみ産卵時期を想定して平成24年

9月に,他の調査は平成25年1~3月に行った.

表-2.1 現地調査地点と調査内容

地点 底質・底

生生物

プランク

トン 海象 水質

St.1 ○ ○

St.2 ○

St.3 ○ ○

St.4 ○ ○

St.5 ○

St.6 ○ ○

St.7 ○ ○ ○

St.8 ○ ○ ○

St.9 ○ ○ ○

St.10 ○ ○ ○

St.11 波浪

St.12 鉛直流況 ○

St.13 鉛直流況 ○

St.14 潮位

St.15 潮位

2)深浅測量,海底観察

沈下した小友浦の現状の水深把握,海底のガレキや海藻

等の確認のため,深浅測量と海底観察を行った.深浅測量

は,調査船が入れる水深までは音響測深機にて,汀線付近

は直接水準測量にて行った.海底観察にはL-3KLEIN社製サ

イドスキャンソナーSystem -3000及び水中カメラを用いた.

3)底質・底生生物・アサリ現存量調査

小友浦の現在の底質状況を確認し,生物生息の適性を検

討するため,粒径,ベントス分析を行った.また,現地で現

在もアサリが存在して再生産が行われているか確認する

ため,アサリ現存量調査を行った.底質採取はスミスマッキ

ンタイヤー採泥器,アサリ採取はスコップ,鋤簾で行った.

4)プランクトン・アサリ浮遊幼生調査

干潟及び周辺海域の生産力や生物多様性を確認するた

め,St.7~10にて植物・動物プランクトン調査を行った.

植物プランクトンは,バンドン採水器にて上層(海面下-

1.0m)で採水した.動物プランクトンは,上層で北原式プ

ランクトンネット(目合い0.1mm)にて水平曳10mにより採

取した.

また,アサリ浮遊幼生調査を行い,対象海域に浮遊幼生が

存在するか実際に確認した.地点は St.A~J とし,水面下

2.0m からポンプを用いて揚水した海水をネットでろ過し,

アサリの浮遊幼生を採取した.1回の海水採取量は250L,ネ

ットの目合いは63μmとした.採取サンプルは,モノクロー

ナル抗体を用いて,アサリ浮遊幼生を同定すると共に,発

育段階別個体数を計数した.

図-2.1 現地調査地点(アサリ浮遊幼生調査以外)

St.10St.9

St.8

St.11

St.12

St.13

St.14

St.15

St.1 St.2

St.3

St.4

St.5St.6

St.7

小友浦地区

復旧計画干拓堤防

被災干拓堤防

干潟造成計画区域

深浅測量・海底観察範囲

L.1

L.2

L.3

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図-2.2 現地調査地点(アサリ浮遊幼生調査(At.A~J)

5)海象調査

小友浦を含む広田湾の流況と小友浦へ来襲する波浪を確

認し,アサリ浮遊幼生の小友浦への着底を評価するため,

波浪・流況調査を行った.また,広田湾の潮位変動を評価す

ると共に,数値解析の境界条件を得るために潮位調査を行

った.St.11 には流速計付水圧式波高計,St.12~13 にはド

ップラー式流速計(ADCP),St.14~15 には水圧式水位計を

設置した.

6)水質調査

周辺海域の水質が生物生息に適しているか確認するため

水質調査を行った.分析項目は,水温,塩分,濁度,溶存酸素,

クロロフィル a(機器分析),全窒素,全リン,無機三態窒素,

リン酸態リン,COD(採水分析)とした.

3.現地調査結果

1)深浅測量,海底観察

水深は概ね 3m 以下で平坦であるが南北端でテラス状に

地形が張り出しており,更にはガレキが多数散乱していた.

ガレキや礫(干拓堤防の中詰め材と思われる)を基盤とし

てホンダワラ類が多く繁茂していたほか,砂地にはアマモ

も見られた.

図-3.1 礫に付着したホンダワラ類

2)底質・底生生物・アサリ現存量調査

図-3.2 に粒度組成分布を,図-3.3 に底生生物の紋別出現

個体数と湿重量を示す.粒度組成では砂分が卓越していた.

底生生物では,個体数は環形動物(多毛類)が優占していた

が,湿重量では軟体動物が優占していた.小友浦近傍の種

類数は8~19種であり,多様な底生生物が生息していた.

アサリは主にL1で稚貝が,L3で成貝が見られた.L1は被

災した干拓堤防の前面であることから,被災後に着底した

新規加入のアサリである.図-3.4 に全調査地点における殻

長組成と個体数の関係を示す.稚貝の個体数が多く,新規

加入が進んでいると考えられる.

3)プランクトン・アサリ浮遊幼生調査

図-3.5 に植物プランクトンの出現細胞数を,図-3.6 に動

物プランクトンの出現個体数を示す.植物プランクトンは

2 枚貝の餌料となる珪藻でほぼ全体を占めた.動物プラン

クトンは,稚仔魚の餌料となる節足動物,輪形動物が優占

していた.

図-3.2 粒度組成

図-3.3 地点ごとの底生生物個体数と湿重量

St.A

St.B St.C St.D

St.E St.F

St.G

St.H St.I St.J A-1

A-2 A-3

A-4

St.1

54%

21%25%

St.2

10%

30%

60%

St.3

54%45%

1%

St.4

31%26%

43%St.5

75%

18%7%

St.6

4% 11%

85%

St.7

69%

27%

4%

St.96%

2%

92%

St.10

97%

2%1%St.8

24% 20%

56%

St.125%21%

54%

泥分

砂分

礫分

0

50

100

150

St.1 St.2 St.3 St.4 St.5 St.6 St.7 St.8 St.9 St.10

個体数(個体/0.1m

2)

その他

節足動物

環形動物

軟体動物

0

10

20

30

40

50

St.1 St.2 St.3 St.4 St.5 St.6 St.7 St.8 St.9 St.10

湿重量

(g/0.1m

2 )

その他

節足動物

環形動物

軟体動物

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図-3.4 アサリの殻長組成と個体数

表-3.1 にはアサリ浮遊幼生分析結果を示す.採取された

のはトロコフォア,D 状期,アンボ期,フルグロウン期の成

長4段階の内D状期のみであった.個体数は 大で14,344

個/m3であったが,この値は,他のアサリ漁業の盛んな干潟

での値1)と比して同程度である.

図-3.5 植物プランクトンの出現細胞数

図-3.6 動物プランクトンの出現個体数

表-3.1 アサリ浮遊幼生分析結果(D状期)

St 試料全量 個体数/㎥ 殻長

A 48 192 115-120μ

B 906 3,624 120-170μ

C 3,036 12,144 110-160μ

D 0 0 -

E 48 192 115-120μ

F 102 408 115-120μ

G 144 576 120-130μ

H 52 208 115-120μ

I 54 216 110-115μ

J 3,586 14,344 110-160μ

4)海象調査

図-3.7にSt.12~13の上層下層流向別流速出現頻度と4

分潮で も卓越していたM2潮の潮流楕円を示す.この結果

によると,上層流の頻度分布は ESE 方向を中心に分布して

おり,流速は 5~10cm/s 程度であった.これに対し,下層で

は逆の N 方向を中心に分布していた.潮流の振幅は 1cm/s

程度と小さかった.観測期間の風向は WNW 方向が卓越して

いたことから,上層流は南下する吹送流であり,下層はそ

れを補償するため北上する戻り流れと考えられる.そして,

潮流の規模は小さく,広田湾の流れは吹送流に支配される

と考えられる.

図-3.7 流況観測結果(St.12,13)

5)水質調査

水質は良好であり,St.3,8,10でCODが若干高かった以

外は水産用水基準を満足した.

4.アサリ浮遊幼生移動数値解析

1)解析目的・手法

これまでの調査結果から,小友浦ではアサリ資源の加入

が進んでいることがわかった.そこで,造成干潟へアサリ

資源が定着する可能性を検討するため,数値解析による浮

遊幼生漂流解析を行った.

流動モデルは,潮汐流,風に駆動される吹送流,河川等か

らの淡水流入による密度流が複合した沿岸域の流れの場

を解析する多層位モデル(マルチレベルモデル)を適用し

0

500,000

1,000,000

1,500,000

2,000,000

St.7 St.8 St.9 St.10

細胞数/L

その他

珪藻

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

St.7 St.8 St.9 St.10

個体

数/L

その他幼生等

節足動物

輪形動物

刺胞動物

原生動物

St.12

St.13

上層

上層

下層

下層

1.0cm

1.0cm -1.0cm

-1.0cm

1.0cm

1.0cm

-1.0cm

-1.0cm

上層

上層

0.0-5.0cm/s

5.0-10.0m/s

10.0-15.0m/s

10.5-20.0m/s

20.0-25.0m/s

25.0-30.0m/s

30.0cm/s<

0

2

4

6

8

10

120-1

1-2

2-3

3-4

4-5

5-6

6-7

7-8

8-9

9-10

10-11

11-12

12-13

13-14

14-15

15-16

16-17

17-18

18-19

19-20

20-21

21-22

22-23

23-24

24-25

25-26

26-27

27-28

28-29

29-30

30-31

31-32

殻長区分(mm)

個体数

/3.5m

2

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た.このモデルは海域の水柱を複数の層(本解析では10層)

に区分して,各層内の流速,圧力,水温および塩分分布を解

析する.解析期間は調査を行った平成25年2月1日~15日

(case1)とし,精度を確認した上でアサリの産卵時期であ

る平成24年の9月を想定した解析(case2)を行った.case1

は解析期間の観測風と4分潮を境界条件としたが,case2は

9 月の平均的な現象を再現することから,平均風況として

ESE方向1.5m/sの一様風と卓越するM2分潮を境界条件と

した.

次いで case2 を基に,アサリの浮遊幼生を粒子に見立て

た粒子追跡法による漂流解析(case3)を行い,浮遊幼生が

実際に小友浦へ定着するのか評価した.解析期間は,トロ

コフォア幼生からフルグロウン幼生期の漂流期間として

14 日間とした.アサリの浮遊幼生は発生位置は地元ヒアリ

ングと確認調査で成貝が生息していた気仙川河口と鳥島

とした.

2)解析結果

Case1 の解析結果をSt.15 観測潮位とSt.12~13 観測流

況による潮流楕円と比較し,計算精度が良好であることを

確認した.次いで,case2 の計算結果として,図-4.1 に表層

の流速ベクトルを示す.気仙川河口で塩分濃度が低く,そ

こから時計回りに流れて小友浦へ至る流動が見られた.

図-4.2 には case3 浮遊幼生の漂流結果を示す.浮遊幼生

は流れに従って反時計回りに漂流して一部が小友浦へ定

着し,一部が更に沖へ移動することがわかった.この結果

から,小友浦に干潟を造成した場合,アサリ浮遊幼生は小

友浦に来襲・着底すると判断できる.

図-4.1 case2表層流速ベクトル塩分計算結果

図-4.2 case3アサリ浮遊幼生漂流解析結果

5.干潟再生可能性検討

1)過去の変遷の把握及び住民意見の聴取

小友浦の過去の干潟の状況を把握するため,干拓地造成

の経緯をまとめると共に,当時を熟知する住民にヒアリン

グ調査,住民説明会による意見聴取を行った.

◆干拓地造成のスケジュール

・昭和27年:事業調査着手

・昭和33年:補助干拓事業地区農林省決定

・昭和34年:県営事業として開始

・昭和43年3月:事業完了竣工

・昭和45年:干拓地で水稲栽培開始

◆干拓地造成前の干潟の環境のまとめ

・アサリを含めた底生生物が豊富であった.

・干潟前面にはアマモが広範囲に繁茂しており,カレイ,ス

ズキ,シャコ等の資源が豊富であった.

・水質浄化の場であった.干拓地造成後は明らかに水質が

悪化した.

・ノリ養殖漁業が非常に盛んであったが,干拓地竣工後ワ

カメ,カキ,ホヤ養殖に代わった.

・カモ,シギ,チドリ等渡り鳥を多く見かけた.

・地域の遊び場,体験教育の場,コミュニケーションの場と

して地域の社会的環境の中核であった.

◆干潟再生に関する住民説明会で得られた意見のまとめ

(平成25年3月6日小友地区コミュニティセンターにて実施)

鳥島

気仙川 0日経過 3.5日経過

7日経過 14日経過

上潮 満潮

下潮 干潮

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・かつては豊かな干潟の自然環境が形成されていたが,現

在は漁港周辺にはヘドロが堆積するなど環境が悪化し

ている.

・自然再生のためにも干潟造成には賛成であるが,面積を

計画より増やすべき.

・地元がモニタリングや管理に参画することは大いに賛

成.

・かつてはバスで潮干狩り客が来ていた.観光資源として

も再生してほしい.

図-5.1 住民説明会

2)干潟再生の重要性と便益の考え方

様々に分類される生態系は,その本来的な機能において,

栄養塩固定や水質浄化,大気調節などの環境維持活動を

行うとともに,自然資源を生産する.これらは人間活動に

とって不可欠な生活基盤であり,経済活動との類似性を

基に捉えるならば,環境維持活動はサービスの提供,自然

資源生産は財の提供に他ならない.MA(Millennium

Ecosystem Assessment)では,これらを総称して「生態系

サービス」と呼んでいる.図-5.2に生態系サービスと人間

の福利の関係を示す.

図-5.2 生態系サービスと人間の福利の関係2)

干潟からもたらされる生態系サービスは多岐にわたっ

ており,基盤サービス(栄養塩の循環,一時生産等),供給

サービス(食料等),調整サービス(洪水調整,水の浄化

等),文化的サービス(教育的,レクリエーション的等)と

全体にかかっている.

小友浦を例にとると,干潟を干拓農地化したことで食

料の供給サービスは著しく向上したものの,一時生産と

しての基盤サービス,洪水調整・水の浄化としての調整

サービス,教育・レクリエーションとしての文化的サー

ビスは大きく低下したと評価できる.干拓地造成時は生

態系サービスという概念が無かったことと,食糧増産と

いう時代の要請の中で,食糧供給サービスの価値が他の

サービスの総量よりも高いと判断されたことが干拓地

造成の整備根拠であったと考えられる.ただし現在では,

食糧増産の必要性が薄くなったこともあり,小友浦の干

潟を再生する好機であると言える.また,干潟再生とそ

れによる生態系サービスの向上により,安全,豊かな生

活の基本資材,健康,良い社会的な絆といった人間の福

利向上をもたらすことが可能である.特に東日本大震災

では人と人との「絆」の回復が大きなテーマとなってお

り,干潟再生による生態系サービスの向上は,その流れ

とも合致すると考えられる.

図-5.3 に生態系サービスの総経済価値を示す.利用価

値は,さらに直接的利用価値,間接的利用価値,オプショ

ン価値へと分類され,直接的利用価値はさらに食料や水,

木材等物質の消費を伴うものと,エコツーリズム等物質

的消費を伴わないものへ区分される.間接的利用価値は

生態系生態系による水質浄化機能等の利用を指し,いわ

ゆる生態系の調整サービスを意味することが多い.オプ

ション価値は,遺伝子資源など将来的に利用し得るもの

の価値である.非利用価値は遺産価値と存在価値へ分類

される.遺産価値は,将来世代の利用のために生物多様

性を残しておくべきであるという価値を表す.存在価値

は,そこに生命が存在すること自体に価値があるという

観念的なものである.

このような多様な価値を持つ生態系サービスであるが,

これら価値について定量的に評価されているものは直

接的利用価値のみである.他の価値は定性的な価値評価

のみがそれぞれの社会や文化に応じてなされているだ

けである.このように定量的な指標を持たない価値は共

通認識を醸成させることが困難であり,直接的利用と比

して重視されることが少ない.しかしながら,直接的利

用価値以外の価値について定量的な評価を意思決定者

が行えるならば,自然環境を優先するという判断を促す

ことも可能と考えられる.

安全個人の安全資源利用の確実性災害からの安全

豊かな生活の基本資材適切な生活条件十分に栄養のある食糧住居商品の入手

健康体力精神的な快適さ清浄な空気および水

良い社会的な絆社会的な連帯相互尊重扶助能力

選択と行動の自由

個人個人の価値観で行いたいこと、そうありたいことを達成できる機会

福利を構成する要素生態系サービス

基盤サービス

栄養塩の循環土壌形成一次生産その他

供給サービス食糧淡水木材及び繊維燃料その他

調整サービス気候調整洪水調整疾病制御水の浄化その他

文化的サービス審美的精神的教育的レクリエーション的その他

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図-5.3生態系サービスの総経済価値2)

表-5.1 に各生態系の復元プロジェクトに関する費用

と便益を示す.これによると,沿岸域(干潟区分なし)は

40 年を供用期間とすると費用対便益比率が 4.4 と算出

されている.すなわち干潟再生は,生物多様性向上や生

態系サービスといったこれまであまり考慮されてこな

かった価値を定量化して見込むことで,そもそも論とし

て費用対効果が高い事業であることが判明したと言え

る.

表-5.1 各生態系の復元プロジェクトに関する費用と

便益2)

復元費用 (米ドル/ha)

年間便益 (米ドル/ha)

40年間の累積便益 (米ドル/ha)

収益率 (%)

費用対便益比率

サンゴ礁

542,500 129,200 1,166,000 7 2.8

沿岸域 232,700 73,900 935,400 11 4.4マングローブ

2,880 4,290 86,900 40 26.4

内陸湿地

33,000 14,200 171,300 12 5.4

河川・湖

4,000 3,800 69,700 27 15.5

熱帯林 3,450 7,000 148,700 50 37.3その他森林

2,390 1,620 26,300 20 10.3

疎林・低木林

990 1,571 32,180 42 28.4

草原 260 1,010 22,600 79 75.1

3)造成干潟の利活用

小友浦は従来干潟であったこともあり,住民意識とし

ても干潟再生が強く求められている.震災後から現在に

至る期間で,新たな生物環境が根付いてきており,これ

を維持すると共に,干潟を造成することで積極的に向上

させることが必要である.それにより,小友浦周辺の貴

重な環境を再生させることが必要であり,住民もそれを

望んでいる.

また,人工干潟の造成にあたっては継続的なモニタリ

ングと維持管理が不可欠である.ここで,住民を巻き込

んだ仕組を立ち上げ,沿岸環境の保全と活用に関する情

報を積極的に発信することが,効率的かつ有機的な維持

管理と利活用に重要である.例えば,博物館と小中学校

が自然教育の一環として簡単な生物モニタリングを行

い,博物館,地域住民,大学が本格的な地形・水質・底質・

生物モニタリングをするような仕組みが考えられる.以

下に造成干潟の目標を示す.

・住民の憩いや自然教育の場となる干潟とする.

・アサリが自然に発生し,潮干狩りができる干潟とする.

・干潟の生物多様性を保持し,様々な生物の保育場となる

干潟とする.

・渡り鳥が休息場とする生き物にやさしい干潟とする.

・水質浄化機能を発揮し,近隣の水質環境に好影響を与え

る干潟とする.

・波浪に対して安定する干潟とする.

6.干潟の設計

これまでの調査結果から,小友浦周辺海域は生態環境

が良好で生物生息に適しており,干潟を造成することで,

①良好な環境をさらに向上させられる可能性が高い,②

アサリの浮遊幼生は造成干潟に着底する可能性が高い,

③干潟は生態系サービスの観点から便益が高い,④住民

参加型の管理が社会的環境の向上にも有効である,こと

がわかった.以上に配慮した干潟の設計の概略を以下に

示す.

①底質粒径は,アサリ成貝が生息していた St.6 に準じ

て中央粒径0.2~0.4mmの砂85%,礫15%とする.

②砂層厚はアサリの潜砂深さ10cmに余裕を見て30cmと

する.

③アサリが生息していた水深と干出時間を勘案して,生

息好適水深帯をT.P.-0.3m~-1.5mとする.

④干潟の勾配は,隣接する両替漁港の 1 年確率波

(H1/3=1.1m,T1/3=3.0s)に対して,砂村の式,Swart の

式,Rectorの式から1:25以下とする.

⑤造成干潟の沖端水深は T.P.-1.5m, 沖側勾配

1:120(T.P.-0.3m~-1.5m幅150m),岸側勾配1:25,後浜

天端高は満潮時でも干出して利用者が移動できるよう

T.P.+1.1m(H.H.W.L.)とする.

⑥造成干潟の安定を確保するため先端に捨石による砂

止め潜堤を設置する.安定計算の結果から,捨石質量は

400kg以上とする.

基盤サービス物質循環、基礎生産の増大、生物多様性の維持

・現代世代が将来的に利用しうるものの価値(オプション)・将来世代の利用のために残しておくべきものの価値(遺産)・生命が存在すること自体の価値(観念的な価値)(存在)

調整サービス水質浄化、炭素固定

供給サービス漁獲量の増大

生態系サービスの総経済価値

直接的利用価 値

存 在価 値

遺 産価 値

オプション価 値

消費

間接的利用価 値

利用価値 非利用価値

非消費

文化的サービス海レク的利用

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Page 8: 東日本大震災地盤沈下区域における干潟の再生と生物多様性 ...floating larva of Manila clam would reach to the tidal flat bottom which would be planned. And

以上の条件で干潟の基本断面を設定した.図-6.1 に標

準断面を示す.波浪による底質移動とアサリの定位率は

シールズ数で評価でき,その値が 0.17 を境に,小さいと

定位率は 70%以上,大きいと 30%以下とされている.以

上を基に,設定断面における底質移動とアサリの定位率

の関係を評価した.表-6.1に各波浪条件における計算結

果を示す.この結果から,1年に1回来襲する高波浪では

洗掘される可能性が高いが,常時来襲する平均的な有義

波では洗掘されないことがわかった.以上から,気象擾

乱期には洗掘は発生するものの,常時は安定しており,

干潟は適正に機能すると評価できる.

表-6.1 各波浪条件によるシールズ数

波浪条件 波高(m) 周期(s) 水深 (m)

流速(m/s)

シールズ数

湾内発生波の 1年確率波

1.1 3.0 1.5 1.08 1.34

St.11 観測波浪大有義波 0.28 9.6

1.5 0.35 0.141.0 0.43 0.21

St.11 観測波浪平均有義波

0.07 7.8 1.5 0.09 0.010.3 0.20 0.04

図-6.1 造成干潟の標準断面図

(上段:全体,下段:砂止め潜堤)

7.おわりに

これまでの調査結果から,小友浦に造成干潟にはアサ

リの浮遊幼生が来襲・着底すると共に,干潟を中心とし

た豊かな生態系が構築されると考えられる.

前述の住民説明会は予想以上に盛況であり活発な議論

が展開され,住民の干潟復活に対する思いが改めて感じ

られた.干潟造成等自然修復に重要なのは,このような

住民の意思であり,それらを巻き込んだ形で干潟を管理

する仕組みが必要である.

しかし,人工干潟が現実に想定ほど機能していない例

が多いのも事実であり,以下に今後の課題を示す.

1)人工干潟の造成にあたっては継続的なモニタリング

と維持管理が不可欠である.ここで,住民を巻き込んだ

仕組を立ち上げ,沿岸環境の保全と活用に関する情報

を積極的に発信することが,効率的かつ有機的な維持

管理と利活用に重要である.これは,干潟の価値を認識

するという観点からも非常に重要である.

2)仕組としては,例えば博物館と小中学校が自然教育の

一環として簡単な生物モニタリングを行い,博物館,地

域住民,大学が本格的な地形・水質・底質・生物モニタ

リングをするようなものが考えられる.そのためにも,

やはり住民を巻き込んだ仕組が必要である.

謝辞

本調査の実施にあたっては,陸前高田市職員および住

民の皆様,広田湾漁業協同組合にご協力を賜った.ここ

に記して感謝の意を表す.

参考文献

1) 国土交通省中部地方整備局 港湾空港部:第8回 伊勢湾再

生海域検討会 三河湾部会参考資料2,伊勢湾再生海域検討

会 三河湾部会,2012.

(http://www.pa.cbr.mlit.go.jp/isewan/mbhoukoku/part08/

part08_s2.pdf)

2) 馬奈木俊介・地球環境戦略研究機関編:生物多様性の経済学-

経済評価と制度分析,昭和堂,2011.

H

L.W.L. T.P.-0.87m

H.H.W.L. T.P.+1.10m

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