末梢静脈栄養と成分栄養剤の投与で治癒したs状結腸癌 術後縫合 … ·...

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末梢静脈栄養と成分栄養剤の投与で治癒した S 状結腸癌 術後縫合不全の1例 小林 純哉 , 佐藤 泰輔 , 石川 山梨県富士吉田市上吉田6530 富士吉田市立病院外科 群馬県高崎市高松町36 国立病院機構高崎総合医療センター 大腸癌術後の縫合不全には一時的人口肛門造設による経口摂取の維持, または中心静脈栄養 ( 以下, TPN) による保存治 , といった栄養療法が必要となる. 今回,S 状結腸癌術後の縫合不全に対し TPN を行わずに保存的に治癒した症例を経験 した. 症例は 54歳の男性で, 膀胱浸潤 S 状結腸癌の診断で当科に紹介された. 回腸にも浸潤を認め,S 状結腸切除, 膀胱・回 腸合併切除を行い, 結腸は端々吻合で再建した. 病理診断は T4b, N0, H0, P0, M0, StageⅡであった. 術後頚部までの広範に 気腫を伴う縫合不全が出現した. 患者は保存治療を希望したが中心静脈カテーテルの設置が困難であったため, 末梢静脈栄 養と成分栄養剤で栄養管理し軽快した. 大腸術後の縫合不全に対する保存治療には一般的に TPN が必須とされるが, 低残 渣が特質である成分栄養剤による栄養療法も選択肢となり, その創傷治癒促進作用も近年注目されている. はじめに 大腸癌術後の縫合不全に対しては一般的に, 一時的人口 肛門造設による経口摂取の維持, または経口摂取を制限し ての中心静脈栄養 ( 以下,TPN)による保存治療といった栄 養療法が必要となる. 今回, 局所進行 S 状結腸癌根治術後 に合併した全身気腫を伴う縫合不全に対し, TPN を行わず に末梢静脈栄養 ( 以下,PPN) と成分栄養剤を使用した経腸 栄養で保存的に治癒した症例を経験したので, 若干の文献 的考察を加え報告する. 症例 54, 男性. :肉眼的血尿, 排尿障害. 家族歴,既往歴:特記事項なし. 現病歴:上記主訴により近医を受診し, 膀胱腫瘍を疑われ 当院泌尿器科を受診した. 諸検査で S 状結腸癌の膀胱浸潤 との診断に至り, また膀胱左尿管口への腫瘍の進展が疑わ れたため左尿管ステントが留置された状態で当科に紹介と なった. 来院時現症:身長 165cm, 体重 67kg, 血圧 114 / 82mmHg, 脈拍 88 / min,,体温 36.0 .眼瞼結膜に貧血,黄染なし.腹部に手拳大の腫瘤を触知するも表在リンパ節は触知せ . 血液検査所見:白血球 10,560 l,Hb 12.2g / dl,血小板 33.4 万/μ l, CRP 2.62mg / dl と軽度の貧血, 炎症反応の亢進があ 199 文献情報 キーワード: S 状結腸癌, 縫合不全, 末梢静脈栄養, 成分栄養 投稿履歴: 受付 平成27年5月7日 修正 平成27年5月27日 採択 平成27年6月4日 論文別刷請求先: 小林純哉 〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田6530 富士吉田市立病院 電話:0555-22-4111 E-mail:junyak s9. dion.ne.jp 症例報告 2015;65:199~203

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Page 1: 末梢静脈栄養と成分栄養剤の投与で治癒したS状結腸癌 術後縫合 … · 末梢静脈栄養と成分栄養剤の投与で治癒したs状結腸癌 術後縫合不全の1例

末梢静脈栄養と成分栄養剤の投与で治癒したS状結腸癌術後縫合不全の1例

小林 純哉 ,佐藤 泰輔 ,石川 仁

1 山梨県富士吉田市上吉田6530 富士吉田市立病院外科2 群馬県高崎市高松町36 国立病院機構高崎総合医療センター

要 旨

大腸癌術後の縫合不全には一時的人口肛門造設による経口摂取の維持,または中心静脈栄養 (以下, TPN)による保存治

療,といった栄養療法が必要となる.今回,S状結腸癌術後の縫合不全に対し TPNを行わずに保存的に治癒した症例を経験

した.症例は 54歳の男性で,膀胱浸潤 S状結腸癌の診断で当科に紹介された.回腸にも浸潤を認め,S状結腸切除,膀胱・回

腸合併切除を行い,結腸は端々吻合で再建した.病理診断は T4b,N0,H0,P0,M0,StageⅡであった.術後頚部までの広範に

気腫を伴う縫合不全が出現した.患者は保存治療を希望したが中心静脈カテーテルの設置が困難であったため,末梢静脈栄

養と成分栄養剤で栄養管理し軽快した.大腸術後の縫合不全に対する保存治療には一般的に TPNが必須とされるが,低残

渣が特質である成分栄養剤による栄養療法も選択肢となり,その創傷治癒促進作用も近年注目されている.

はじめに

大腸癌術後の縫合不全に対しては一般的に,一時的人口

肛門造設による経口摂取の維持,または経口摂取を制限し

ての中心静脈栄養 (以下,TPN)による保存治療といった栄

養療法が必要となる.今回,局所進行 S状結腸癌根治術後

に合併した全身気腫を伴う縫合不全に対し,TPNを行わず

に末梢静脈栄養 (以下,PPN)と成分栄養剤を使用した経腸

栄養で保存的に治癒した症例を経験したので,若干の文献

的考察を加え報告する.

症例

患 者:54歳,男性.

主 訴:肉眼的血尿,排尿障害.

家族歴,既往歴:特記事項なし.

現病歴:上記主訴により近医を受診し,膀胱腫瘍を疑われ

当院泌尿器科を受診した.諸検査で S状結腸癌の膀胱浸潤

との診断に至り,また膀胱左尿管口への腫瘍の進展が疑わ

れたため左尿管ステントが留置された状態で当科に紹介と

なった.

来院時現症:身長 165 cm,体重 67 kg,血圧 114/82 mmHg,

脈拍 88/min,整,体温 36.0℃.眼瞼結膜に貧血,黄染なし.下

腹部に手拳大の腫瘤を触知するも表在リンパ節は触知せ

ず.

血液検査所見:白血球 10,560/μl,Hb 12.2 g/dl,血小板 33.4

万/μl,CRP 2.62 mg/dlと軽度の貧血,炎症反応の亢進があ

― ―199

文献情報

キーワード:

S状結腸癌,縫合不全,末梢静脈栄養,成分栄養

投稿履歴:

受付 平成27年5月7日

修正 平成27年5月27日

採択 平成27年6月4日

論文別刷請求先:

小林純哉

〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田6530

富士吉田市立病院

電話:0555-22-4111

E-mail:junyak@s9.dion.ne.jp

症例報告

2015;65:199~203

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り,Alb 2.7 g/dlと低栄養を認めた.腫瘍マーカーは正常域,

尿検査で蛋白,潜血,白血球が陽性であった.

注腸造影:S状結腸に全周性の狭窄を認めたが造影剤の腸

管外漏出は確認されなかった.

大腸内視鏡:肛門縁より 15から 25 cmまでの S状結腸に

2型の全周性腫瘍を認めた.

膀胱鏡:内腔の広範囲に腫瘍の浸潤を疑う隆起性病変があ

り,左尿管口の狭窄が認められたが,生検では腫瘍は認め

られなかった.

腹部骨盤造影CT:S状結腸に不均一に造影される腫瘤状

の全周性壁肥厚を認め,尾側において膀胱左側壁への,ま

た頭側においては小腸への直接浸潤が疑われた.膀胱内に

は気泡が認められた.遠隔転移は明らかでなかった.

骨盤MRI:S状結腸の腫瘍が膀胱頂部に浸潤する所見が

あり,膀胱壁の断裂も疑われた.

以上より, 膀胱への直接浸潤を有する S状結腸癌の診断

で, 膀胱合併切除を伴う S状結腸切除を予定術式に開腹し

た.

手術所見:腹膜播種,肝転移などは認めなかったが,膀胱

へ広範に浸潤し小児頭大となった S状結腸癌を認め,さら

に回腸の 2か所にも直接浸潤を認めた. D3郭清を伴う S

状結腸切除と膀胱合併切除, 2か所の回腸部分切除を行っ

た.結腸・回腸はそれぞれ端々吻合し,回腸導管造設による

尿路変更を併せ行った.

摘出標本・病理診断:S状結腸に 10.5×8.5 cm大の 5型腫

瘍を認めた (図 1).中分化腺癌の組織像で,小腸壁全層と膀

胱筋層までの浸潤を認めた.リンパ節転移は無かった.最

終診断は T4b,N0,H0,P0,M0,StageⅡとなった.

術後経過 :術後第 4病日に,発熱とともにドレーンより便

臭のある多量の排液を認めた.第 5病日には右側を主体と

した下腹部から頚部まで至る皮下気腫を認めたため CTを

撮像したところ,骨盤から後腹膜腔,縦隔,頚部までの皮

下・深部の広範に気腫を認め (図 2 a, b, c),吻合部近傍の

小骨盤腔には膿瘍を疑う液体貯留を認めた (図 2d).腸管の

縫合不全部から漏れた腸管内ガスが,縫合閉鎖した骨盤内

腹膜の間𨻶から後腹膜腔を通して広範囲に拡散したと考え

た.その後の瘻孔造影では縫合不全に伴う瘻孔と腸管外の

膿瘍腔が造影された (図 3).重症な縫合不全が疑われ人工

肛門造設などの再手術の適応とも考えられたが,患者は保

PPNと成分栄養で治癒した縫合不全の 1例

図1 摘出標本 :S状結腸に 10.5×8.5 cm大の全周性 5型腫瘍

を認めた.

図2 全身 CT:(a,b,c)右後腹膜腔から縦隔や頚部にまで至る

広範な気腫を認めた. (d)骨盤底には膿瘍を疑う液体貯

留を認めた.

a

b

c

d

― ―200

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存治療を希望した. TPNの適応と思われたが,通常の中心

静脈カテーテル (以下, CVC) 穿刺部の皮下にも気腫を認

めたため躊躇した.よってまず PPNを継続し,第 8病日よ

りエレンタール 配合内用剤の内服を 1日 1包 (300 kcal/

300 ml)で開始した.投与当初はドレーン排液と下痢便の

増量が認められたが,速やかに軽快したため徐々に投与を

増量し,第 16病日からは 1日 3包,第 30病日からは 5包

としてこれを継続することで 1日 1,500 kcal以上の摂取カ

ロリーが維持された (図 4).縫合不全に軽快がみられたた

め第 33病日より低残渣食を開始し,第 47病日にはドレー

ンを抜去し,補助化学療法を導入して第 52病日に退院さ

れた.その後は現在まで再発の兆候なく生存されている.

考察

下部消化管,特に直腸近傍の再建を伴う切除術には,未

だ縫合不全が重篤となり得る合併症の一つとして問題とな

る.縫合不全をきたした場合には適切な栄養療法を行うこ

とが必要であり,早期に縫合不全の口側に人工肛門を造設

して経口摂取を維持するか,経口摂取を制限して TPNで

管理することが一般的である. 直腸癌術後の縫合不全に関

しての斉田らによる全国調査 でも 90%以上の施設で

TPNが必要との結果であった. 当科では術後早期に発症

し,その後の重篤化が予想される症例は手術を考慮するが,

基本的には保存治療を選択している.保存治療を選択する

場合には TPNを併せ行うことが基本という意見に異論は

無い.

本症例は術後早期に発症し, 全身の皮下気腫も生じてお

り,重篤化が十分に予想される症例であったが,患者の強

い希望により保存治療を選択した.しかし CVC留置のた

めの通常の穿刺部位にも気腫があったため,回避して PPN

と成分栄養剤の経口摂取で管理を始めた.当初は経腸栄養

による縫合不全の増悪などを懸念し,実際一時的には下痢

とドレーン排液量の増多を招いたが,その後は増悪も無く,

比較的順調に投与を増量することが可能となった.気腫の

軽快を待って CVCの留置も検討していたが,必要量とほ

ぼ同等の栄養の維持が概ね可能であったため, 結果的に

CVCを留置することなく治療を完遂することができた.

成分栄養剤の炎症性腸疾患などにおける有用性は確立さ

れている が,極めて低残渣であることが特徴で,下部腸管

の狭窄症例 や本症例のような縫合不全症例にも投与が可

能である ため, 当科では好んで多くの症例に使用してい

る.しかしながら高浸透圧 (760 mOsm/l)であることから,

かえって縫合不全の増悪をきたすこともあるため,特に投

与の初期においては十分な観察と評価が必要である. TPN

を行うことで経口的な栄養に頼らず十分な栄養を投与する

図3 ドレーン造影 :腸管外の膿瘍腔と縫合不全で生じた腸管

内に通ずる瘻孔 (矢印)が造影された.

図4 投与カロリーと血清アルブミン値の推移 :PPNと EN (経腸栄養)によりアルブミン値の上昇が認められた.

― ―201

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ことが可能ではある.しかし, CVC関連合併症 などが指

摘される昨今において,本症例のように成分栄養剤などで

栄養が維持されるのであれば,本法は CVCを要さない一

つの治療戦略になり得ると考える.また成分栄養剤はアミ

ノ酸で構成されており,含有するグルタミンやアルギニン

の創傷治癒促進作用や消化管粘膜の維持作用, またヒス

チジンの抗炎症作用 などが注目されている.本症例のよ

うな縫合不全症例においてこれらの成分が有効に作用して

いると推察していることも投与する理由の一つである.

結語

大腸癌術後の縫合不全に対し TPNを行わずに PPNと

成分栄養剤の投与で保存的に治癒した症例を経験した.消

化管術後の縫合不全に対し保存治療を選択する場合には

TPNによる経静脈的な栄養が基本と考えるが,何らかの状

況により TPNが施行できない場合に,特に下部消化管に

おいては成分栄養剤による経腸栄養も一つの治療戦略にな

り得ると思われた.

なお本論文の要旨は第 27回日本静脈経腸栄養学会学術

集会 (2012年 2月,神戸)で報告した.

文献

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消化器外科 1996;21:891.

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― ―202

PPNと成分栄養で治癒した縫合不全の 1例

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A Case of Suture Failure after Resection for Sigmoid Colon

Cancer, which was Conservatively Healed with Peripheral

Parenteral Nutrition and Elemental Diet

Junya Kobayashi,Taisuke Sato and Hitoshi Ishikawa

1 Department of Surgery,Fujiyoshida Municipal Hospital,6530 Kamiyoshida,Fujiyoshida,Yamanashi 403-0005,Japan

2 National Hospital Organization Takasaki General Medical Center,38 Takamatsu-cho,Takasaki,Gunma 370-0829,Japan

Abstract

A 54-year-old male diagnosed with sigmoid colon cancer associated with urinary bladder invasion was referred

to our department. Due to invasion into the ileum,we performed a sigmoidectomy with resection of the bladder

and ileum,and reconstructed the colon using end-to-end anastomosis. The pathological diagnosis was T4b,N0,H0,P0,M0,stage II. After the operation,suture complications resulted in massive emphysema. Patient elected for

conservative treatment,but we were unable to insert a central venous catheter due to subcutaneous emphysema,and

so implemented nutritional management using peripheral venous nutrition and elemental diet. Total parenteral

nutrition is generally required as conservative treatment for colon post-operative suture failure. However, the

low-residue of the elemental diet turned nutritional management into a treatment option,its wound-healing effects

have been the subject of some focus in recent years.

Key words:sigmoid colon cancer,suture failure,peripheral parenteral nutrition,elemental diet

― ―203