北米国境管理ガバナンスの形成 -...

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1 はじめに グローバル化によって、国境を越える人や物の移動は、正規移動ばかりではなく、非正 規移動の多様化に見られるような質的な変化が進むと同時に、量的な拡大を見せてきた。 このような状況を背景として、主権国家の専権事項であると考えられてきた国境管理の在 り方も、主権国家の政策や能力ばかりではなく、地域主義の枠組みや民間企業などの多様 な動向・アクターが複合的に絡み合いながら、変容を遂げてきている。2001 年の同時多発 テロ(以下、「911 テロ」)以降、欧米諸国において顕著になった国境管理の強化は、国境 を完全に閉鎖することを意味していない。国境を管理するということは、国境を越える人 や物の移動を効率的にコントロールすることであり、テロなどの多様化するネットワーク 型の脅威に共同で対処することである。911 テロ以後、人や物の移動のスムーズな通過 を阻害する安全保障措置の増加によって、北米地域統合の進展に暗雲が立ち込めたことか ら、地域全体の経済的繁栄を図りつつ、国境管理を効率的に行うガバナンスの構築が、北 米三ヵ国の首脳レベルや民間企業レベルで取り上げられるようになった (1) 。人や物の移動 を円滑にする経済統合を推進しながら、不法移民やテロリストの侵入を防ぐ国境管理をは じめとした政治統合の促進は、表裏一体の関係にあり、透過性の高い国境の実現のために は、その機能開発を担う民間企業や、国家と民間企業との関係に民主主義的正当性を担保 する市民社会組織の存在を視野に入れたガバナンスの構築が求められている。 1994 年の北米自由貿易協定 (NAFTA: North American Free Trade Agreement) 締結後、北米 地域では大部分の北米産品の関税が撤廃されるなど、経済的な地域統合は推進されてき (1) Brian Bow and Greg Anderson, eds., Regional Governance in Post-NAFTA North America: Building without Architecture (Oxford: Routledge, 2015); Gaspare M. Genna and David A. Mayer-Foulkes, eds., North American Integration: An Institutional Void in Migration, Security and Development (New York: Routledge, 2013); Brian Bow and Arturo Santa-Cruz, eds., The State and Security in Mexico: Transformation and Crisis in Regional Perspective (Oxford: Routledge, 2013). 北米国境管理ガバナンスの形成 「北米の安全と繁栄のためのパートナーシップ (SPP)」の 成立と挫折を手がかりとして 川 久 保 文 紀 『境界研究』No. 9 2019pp. 001–016 DOI : 10.14943/jbr.9.1 [ 論文 ]

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北米国境管理ガバナンスの形成

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はじめに グローバル化によって、国境を越える人や物の移動は、正規移動ばかりではなく、非正規移動の多様化に見られるような質的な変化が進むと同時に、量的な拡大を見せてきた。このような状況を背景として、主権国家の専権事項であると考えられてきた国境管理の在り方も、主権国家の政策や能力ばかりではなく、地域主義の枠組みや民間企業などの多様な動向・アクターが複合的に絡み合いながら、変容を遂げてきている。2001年の同時多発テロ(以下、「9・11テロ」)以降、欧米諸国において顕著になった国境管理の強化は、国境を完全に閉鎖することを意味していない。国境を管理するということは、国境を越える人や物の移動を効率的にコントロールすることであり、テロなどの多様化するネットワーク型の脅威に共同で対処することである。9・11テロ以後、人や物の移動のスムーズな通過を阻害する安全保障措置の増加によって、北米地域統合の進展に暗雲が立ち込めたことから、地域全体の経済的繁栄を図りつつ、国境管理を効率的に行うガバナンスの構築が、北米三ヵ国の首脳レベルや民間企業レベルで取り上げられるようになった (1)。人や物の移動を円滑にする経済統合を推進しながら、不法移民やテロリストの侵入を防ぐ国境管理をはじめとした政治統合の促進は、表裏一体の関係にあり、透過性の高い国境の実現のためには、その機能開発を担う民間企業や、国家と民間企業との関係に民主主義的正当性を担保する市民社会組織の存在を視野に入れたガバナンスの構築が求められている。 1994年の北米自由貿易協定 (NAFTA: North American Free Trade Agreement)締結後、北米地域では大部分の北米産品の関税が撤廃されるなど、経済的な地域統合は推進されてき

(1) Brian Bow and Greg Anderson, eds., Regional Governance in Post-NAFTA North America: Building without Architecture (Oxford: Routledge, 2015); Gaspare M. Genna and David A. Mayer-Foulkes, eds., North American Integration: An Institutional Void in Migration, Security and Development (New York: Routledge, 2013); Brian Bow and Arturo Santa-Cruz, eds., The State and Security in Mexico: Transformation and Crisis in Regional Perspective (Oxford: Routledge, 2013).

北米国境管理ガバナンスの形成─ 「北米の安全と繁栄のためのパートナーシップ (SPP)」の

成立と挫折を手がかりとして ─

川 久 保 文 紀

『境界研究』No. 9(2019)pp. 001–016

DOI : 10.14943/jbr.9.1

[ 論文 ]

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た (2)。とりわけ9・11テロ以降、移民や国境管理を始めとした大陸共通の安全保障上の課題に直面し、アメリカの国土安全保障を基軸としたカナダおよびメキシコとの「二つの二ヵ国主義 (dual bilateralism)」に基づくトランスガバメンタル・ネットワーク (TGNs: Trans-

governmental networks)の広がりも見られてきた。さらには、2005年には、「三ヵ国主義(trilateralism)」に立脚する「北米の安全と繁栄のためのパートナーシップ (SPP: Security and

Prosperity Partnership of North America)」が結ばれ、貿易・投資の自由化(経済的開放性)と安全保障の強化(政治的閉鎖性)という国境管理の有する両義的な政策目標を地域全体でどのように達成し、「北米の地政学的再境界化」を企図する地域的枠組みの輪郭が明らかになった (3)。 SPP成立の背景には、グローバル経済における新興国としての中国やインドの台頭や、9 ・11 テロ以降のアメリカの地政学的位置の変化を受けて、北米三ヵ国の経済的競争力の向上を企図する新自由主義的な国境管理の強化に伴う負の外部性を、どのように地域全体でマネジメントしていくのかという共通課題があったと思われる。本稿では、こうした共通課題に対処するためにNAFTAの政治的補完メカニズムとして結ばれたSPPを、民間企業や市民社会組織という非国家アクターを視野に入れた重層的な北米国境管理ガバナンスの形成の端緒として位置づけた上で、その形成プロセスにおけるSPPのビジネス・エリート中心モデルやその軍事的性格、および域内における人の移動を特定のカテゴリーの差異化によって規制するSPPの内在的特質を検証しながら、その民主的正当性に関する批判的な考察を試みたい。こうした批判的考察を試みることによって、地域統合モデルとしてあまり研究蓄積のない北米地域に新たな可能性を見出すことにつながり、境界研究を方法論的視座とした他の地域との比較相関を試みる契機となりうるからである。

1.北米地域統合の展開1. 1 NAFTAと北米地域の非対称的相互依存関係 アメリカとカナダの貿易・投資の自由化を目指した米加自由貿易協定 (CUSFTA: Canada-

United States Free Trade Agreement)は、1989年に発効したが、1994年にメキシコを加える形でNAFTAが成立した。NAFTAは、こうした経済的な地域統合からスタートした背景を有しているが、NAFTA締結後、アメリカ・メキシコ国境沿いにおける麻薬戦争の激化や9・11テロの発生によって、北米地域における安全保障分野での国境管理協力の動きも加速化

(2) 2017年に誕生したドナルド・トランプ政権は、保護主義を標榜するアメリカ第一主義を掲げ、NAFTAの再交渉に着手した。アメリカとカナダとの協議が2018年9月末に合意に達し、一ヵ月前にアメリカと「予備的合意」に達したメキシコをとの三カ国で妥結することになった。トランプ政権はNAFTAに関して、製造業を中心としてアメリカから大量の雇用を流出させたと強く批判してきたが、北米三カ国による新たな協定は、「アメリカ・メキシコ・カナダ協定 (USMCA: United States–Mexico–Canada Agreement)」と改称されることになった。

(3) Isidro Morales, “The Governance of Mobility and Risk in a Post-NAFTA Rebordered North America,” in Morales, ed., National Solutions to Trans-Border Problems?: The Governance of Security and Risk in a Post-NAFTA North America (Farnham: Ashgate, 2011), p. 85.

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してきた。 欧州理事会や欧州議会などの政治行政制度を有するEUとは異なり、北米地域にはそれらに相当するものがない形で、NAFTAを中心とした「緩やかな」地域統合が進展してきた歴史がある (4)。北米地域については、先進国であるアメリカとカナダ、そして途上国のメキシコとの間にある、とりわけ経済的格差を起因とする「非対称的相互依存関係」が顕著であることから、地域統合の均質的発展が困難であるという見方が支配的であった (5)。例えば、2009年の購買力平価に基づく国民一人あたりのGDP(米ドル)は、アメリカが46,400ドル、カナダが38,400ドルであるのに対してメキシコは13,200ドルである (6)。また、表1からも分かるように、民主主義指数、政治腐敗指数、そして政府の効率性指数におけるアメリカ・カナダ両国とメキシコとの格差が埋まる傾向は見て取れない。こうした点からは、アメリカ・カナダ両国の信頼構築に基づく協力関係は密接であるものの、地域における信頼でき

(4) 北米地域においては、様々な制度的基盤を有するEU型の「統合 (integration)」ではなく、ロバート・コヘインのネオリベラル制度主義に基づく、政府間交渉を通じた共通の目標達成に向けた「協力 (cooperation)」という用語が適切であるとの見方もある。本稿では、統合か協力かという概念的区別の重要性を認識しながらも、非政治的な領域における協力が政治的な領域におけるそれへと通じていく波及効果(スピルオーバー)が、漸進的に統合へ向かう余地を残すという意味において、地域統合という用語を用いている。Jimena Jiménez, “The Security and Prosperity Partnership: Made in North American Integration or Co-operation,” in Julian Castro-Rea, ed., One North America: Social and Political Issues beyond NAFTA (Farnham, Ashgate, 2012), pp. 69–72.

(5) Robert A. Pastor, The North American Idea: A Vision of a Continental Future (Oxford: Oxford University Press, 2011); Pastor, Toward a North American Community: Lessons from the Old World for the New (Washington, D.C.: Institute for International Economics, 2001). カナダ・メキシコ関係に関していえば、NAFTA締結以前は、両国間において国境管理協力をめぐる政策調整はマージナルな位置を占めていた。9・11テロ以降、両国はテロ対策においてアメリカと歩調を合わせる動きも存在したが、2003年にアメリカが開始したイラクへの武力攻撃には反対し、アメリカと一定の距離を保った。2009年のメキシコで開催された北米首脳会議では、カナダは、メキシコが遂行する麻薬取引組織の摘発・撲滅に絡む情報交換を進めると同時に、メキシコの法執行機関や治安部隊の訓練への資金援助を行うなどの協力を表明した。

(6) Julian Castro-Rea, “Introduction,” in Castro-Rea, ed., One North America, p. 10.

表1 北米三ヵ国の比較指数

出典:R. Domínguez and R. Velázquez, “Obstacles to Security Cooperation in North America,” in G. M. Genna and D. A. Mayer-Foulkes, eds., North American Integration: An Institutional Void in Migration, Security and Development (New York: Routledge, 2013), p.179 (Table 10.1) を基に筆者作成。民主主義指数(『エコノミスト』誌の「インテリジェンス・ユニット」)は1から10、腐敗認識指数(NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」)は0から10、政府の効率性指数(世界銀行)は -2.5から2.5で示されている。

民主主義 腐敗認識 政府の効率性

2011 2016 2011 2016 2011 2016

カナダ 9.08 9.07 8.70 9.20 1.87 1.96

アメリカ 8.11 8.22 7.10 7.80 1.44 1.86

メキシコ 6.93 6.67 3.00 3.30 0.17 0.23

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るパートナーとしてのメキシコの地位の確立が北米地域統合の鍵のひとつになってきた。 北米地域における安全保障協力の必要性は、1990年代後半から2000年代半ばの時期に盛んに論じられたが (7)、こうした構想に対するシンクタンクなどの好反応とは比して、政府レベルでは積極的な受け止めがなされなかった (8)。なぜならば、メキシコには、アメリカの介入主義政策に翻弄されてきた歴史から独自の外交政策を追求するという姿勢があり、こうした構想には長らく抵抗してきた背景があるからである。1980年代における金融危機以降、アメリカとの経済的相互依存関係が深化し、メキシコ経済の自由化も加速化する中で、カルロス・サリナス (Carlos Salinas de Gortari)政権はNAFTAを締結したが、アメリカ・メキシコ両国における共同体認識は、あくまで貿易・投資の自由化に限定したものであった。「北米共通市場」をめぐる動きの中でも、移民労働や人の移動という制度的に政策調整が困難な問題に関しては、交渉テーマからは除外されたのであった。 研究者の立場から、ロバート・パスター (Robert Pastor)は、北米三ヵ国の「非対称的相互依存関係」を踏まえた上で、「北米共同体 (North American Community)」構想を提唱した (9)。これは、北米地域におけるアメリカ・カナダ両国とメキシコとの間にある様々な格差を埋めつつ、地域統合へ向けた制度的深化を図る構想であり、その中には、三ヵ国首脳に政策提言を行う北米委員会、貿易・投資に関する常設裁判所、北米関税同盟、メキシコがGDP

における税収割合を増やすことを条件として同国のインフラ整備に対して資金援助を行う北米投資ファンドの設立が含まれていた。 このように、北米三ヵ国に及ぼすNAFTAの経済的影響力やその制度設計は各方面から様々な議論の対象とされてきたが、北米地域統合の政治変容に関する分析が十分になされてきたとはいい難い。地域統合の観点からすれば、貿易・投資の自由化によって人や物の移動を円滑にする経済統合と、移民や国境管理を始めとした安全保障分野における政治統合の促進は、表裏一体の関係にあるといえるが、NAFTAそれ自体は、1993年に労働と環境に関する補完協定には合意したものの、安全保障分野における協定ではないために、移民や国境管理といった地域全体での政策調整を必要とする課題に対して適切に対処できないという側面があったのである (10)。

1.2 トランスガバメンタル・ネットワークとしての国境管理ガバナンス 移民や国境管理という政策領域は、主権国家の伝統的な専権事項であったために、こ

(7) Rafael Domínguez and Roberto Velázquez, “Obstacles to Security Cooperation in North America,” in Gaspare M. Genna and David A. Mayer-Foulkes, eds., North American Integration: An Institutional Void in Migration, Security and Development (New York: Routledge, 2013), p. 187.

(8) Domínguez and Velázquez, “Obstacles to Security Cooperation in North America,” p. 180.(9) R. Pastor, Toward a North American Community.(10) Robert Pastor, “North America: Three Nations, a Partnership, or a Community,” Jean Monnet/Robert Schuman Paper

Series 5, no. 13 (June 2005), p. 8.

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うした分野に「ガバナンス (governance)」という概念を導入することには、政治学や国際関係論における理論的抵抗があった (11)。しかしながら、ハイナー・ハンギ (Heiner Hänggi)

も指摘しているように、従来型の国家ベースのアプローチでは、グローバル化の進む現代の安全保障上の課題には対応できないという観点から、「セキュリティ・ガバナンス(security governance)」という概念が有効な分析ツールとして取り上げられるようになった (12)。これは、安全保障を供給する主体としての主権国家の伝統的な機能の一部が「分解(disaggregation)」され、ガバナンス形態に「再配置 (reconfiguration)」されている動きと捉えられる (13)。主権国家が独占してきた支配的コントロール能力が、民間企業や市民社会組織などの他のアクターと分有され、それらと「戦略的関係」を結ぶようになってきているガバナンス形態ともいえよう。 アメリカ国務省の元政策企画局長を務め、現在はプリンストン大学で国際法を教えるアン・マリー・スローター (Anne-Marie Slaughter)は、ポスト冷戦期の「リアルな新しい世界秩序 (The Real New World Order)」を形作っている特定のガバナンスの様態を、トランスガバメンタル・ネットワーク (TGNs)という概念で表わした (14)。それは、国家主権はいくつかの政策領域においては機能的に分解され、ある国家のアクターは、他国のカウンターパ

(11) Jason Ackleson and Yosef Lapid, “New Directions in Border Security Governance,” in Brian Bow and Greg Anderson, eds., Regional Governance in Post-NAFTA North America: Building without Architecture (Oxford: Routledge, 2015), pp. 54–57.

(12) Heiner Hänggi, “Approaching Peacebuilding from a Security Governance Perspective,” in Alan Bryden and Heiner Hänngi, eds., Security Governance in Post-Conflict Peacebuilding (Geneva: Geneva Center for the Democratic Control of Armed Forces, 2005), pp. xx. 足立研幾は、セキュリティ・ガバナンス論が近年発展してきた理由について以下のように述べている。「とりわけ冷戦終焉後、安全保障環境が大きく変化し、またグローバル化が加速度的に深化する中で、安全保障概念が拡大し始めた[……]安全保障の課題が拡大すると、中央政府が安全保障政策全てを自ら立案・実施することが、必ずしも効率的でなくなった。また、中央政府の予算制約も厳しくなる中で、政策実施の効率性を高めるために、安全保障政策であっても、時として政府以外の主体に協力を求めるようになっていった。こうして、依然中央政府が重要な役割を果たしつつも、中央政府と多様な主体が協働し安全保障を追求する態様を分析する、セキュリティ・ガヴァナンス論が発展してきた。」足立研幾編著『セキュリティ・ガヴァナンス論の脱西欧化と再構築』ミネルヴァ書房、2018年、7頁。

(13) リタ・アブラハムセン (Rita Abrahamsen)とマイケル・ウィリアムズ (Michael Williams)は、セキュリティ・ガバナンスと類似した概念として、「グローバルセキュリティ・アッサンブラージュ (global security assemblages)」を提示したが、それは、①公共政策と安全保障の供給における新自由主義的発想、②安全保障の規範の変化、③安全保障の商品化とリスクに基づく安全保障概念という三つの基盤に依っているとさ れ る。Rita Abrahamsen and Michael C. Williams, “Security Beyond the State: Global Security Assemblages in International Politics,” International Political Sociology 3, no. 1 (2009), pp. 1–17; Abrahamsen and Williams, Security Beyond the State: Private Security in International Politics (Cambridge: Cambridge University Press), 2011.

(14) Anne-Marie Slaughter, “The Real New World Order,” Foreign Affairs 76, no. 5 (September/October, 1997), pp.183–197. このTGNsは、ロバート・コヘイン (Robert Keohane)とジョセフ・ナイ (Josheph Nye)による「トランスガバメンタルな関係」と理論的親和性を有しているように思われる。それは、相互作用するサブユニットレベルでのアクター間でのネットワークを通じて、政策調整や連合形成を行う組織的協働関係ともいえる。Robert O. Keohane and Joseph S. Nye, Jr., “Transgovernmental Relations and International Organization,“ World Politics 27, no. 1 (1974), pp. 39–62. また、日本語文献によるTGNsの紹介として、本稿で取り扱う事例と異なるが、以下が参考になる。奥迫元「国際関係論とグローバル・ガバナンス論」山本武彦編『国際関係論のニュー・フロンティア』成文堂、2010年、112–133頁。

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ートやそれ以外のアクターと国家間の政策上の差異を埋めようと自由に協働し、多様な課題をマネジメントしようとするガバナンスの一形態といえる (15)。TGNsは、「国際制度よりも柔軟」であり、グローバル化による相互依存の深化や国境を越える脅威が迫る加速度と多様性を考慮すれば、移民や国境管理という政策領域において中核的な位置づけを持つようになったといえる。地政学的変化や技術革新によってもたらされた、新しいタイプの脅威に効率的に対処するためには、垂直的で階層的な構造をもつ、一般的に規模の大きい国家組織には限界があることを踏まえれば、多様なアクターの機能的連携を前提とし、支配的コントロールの行使が水平的で分権的なセキュリティ・ガバナンスの在り方が模索されるべきであろう。 国境管理をめぐるアメリカ・カナダ間の協力関係は、法執行機関の組織的連携を深めることを閣僚級協議によって取り決めた1997年の「アメリカ・カナダ越境犯罪フォーラム(CBCF: Canada-US Cross-Border Crime Forum)」に端緒を求めることができるが、9・11テロの発生が両国における国境管理協力に大きな影響を与えることになったことはいうまでもない。9・11テロ以前は、アメリカ・カナダ国境においては、国境が閉じられることを意味するのは、夕刻に路上に置かれるオレンジ色の円錐標識の設置だけであった (16)。ところが、9・11テロ以降、こうした「世界で最も無防備な国境」といわれてきた状況は一変し、「アメリカ・カナダ国境のメキシコ化 (Mexicanization of the US-Canada Border)」と呼ばれるほどのセキュリティの昂進化が見られるようになったのである (17)。 2001年12月に両国間で「スマートな国境宣言 (Smart Border Declaration)」が結ばれた。これは、(1)人の安全な移動、(2)物の安全な移動、(3)安全なインフラストラクチャー、(4)情報共有と調整を四つの柱とする二ヵ国間の国境管理に関する調整メカニズムであった (18)。これらは、国境管理におけるテクノロジー的基盤に依拠したものであり、とくに、両国間の陸域国境を通過する際に導入されたNEXUSシステムでは、システム登録済みのカード保持者は専用レーンを通って優先的に国境を通過できるという仕組みを導入した。2011年2月、両国は「国境を越えて (Beyond the Border)」を公表したが、これは国境管理に関する協力枠組みの中では最も高次なものであった (19)。この中では、両国間で「協力すべき重要な

(15) Anne-Marie Slaughter, “Disaggregated Sovereignty: Towards the Public Accountability of Global Government Networks,” in David Held and Mathias Koenig-Archibugi, eds., Global Governance and Public Accountability (Oxford: Blackwell Publishing, 2005), pp. 35–66.

(16) Peter Andreas, “The Mexicanization of the US-Canada Border: Asymmetric Interdependence in a Changing Security Context,” International Journal 60, no. 2 (2005), p. 455.

(17) Ibid. (18) Christopher Rudolph, “International Migration and Homeland Security: Coordination and Collaboration in North

America,” Law & Business Review of the America 11 (2005), pp. 441–450.(19) The Whitehouse, Office of the Press Secretary, “Beyond the Border: A Shared Vision for Perimeter Security

and Economic Competitiveness,” The Whitehouse, President of Barack Obama (February 4, 2011) [https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2011/02/04/declaration-president-obama-and-prime-minister-harper-canada-beyond-bord] (閲覧日:2018年9月25日 ).

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領域」として四つが列挙されているが、特筆すべき点として、「法執行機関の統合化された越境協力」が含まれていた (20)。さらに、同年12月には、これに基づくアクションプランが発表され、「両国で共有する国境におけるテロや犯罪への共同対処能力の向上に努める」ことが謳われたのである。 これに対して、アメリカ・メキシコ両国の国境管理をめぐる協力関係を進める上では、安全保障を供給する主体としてのメキシコの国家としての脆弱性ゆえに、アメリカは単独主義的な行動を採る傾向がある (21)。歴史的にみて、両国関係における最大の不安定要素は、国境を越える麻薬取引であるが、こうした非合法活動を行う麻薬取引組織に対するメキシコ政府の対処能力の欠如は、「オペレーション・インターセプト (Operation Intercept)」

(1969年)や「オペレーション・カサブランカ (Operation Casablanca)」(1998年)などに代表されるアメリカ主導の麻薬取引組織摘発・撲滅のオペレーションを生み出してきた (22)。 9・11テロ翌年の2002年には、アメリカ・メキシコ両国間でも「国境パートナーシップ協定 (Border Partnership Agreement)」が公表され、システム登録者は優先的な通行権をもつ

「信頼された渡航者プログラム (Trusted Traveler Program)」としてのSENTRIシステムが導入された (23)。2009年、ロサンゼルスに本拠を置く国際問題に関する太平洋協議会とメキシコ外交評議会によって共同で設立された「二ヵ国間タスクフォース」は、両国国境における諸問題の検討結果を公表し、その中では、経済発展のための官民パートーシップや両国の法執行機関による国境の共同警備が提言された (24)。これに政策的に呼応する形で、アメリカ国境警備隊 (USBP: US Border Patrol)は、2012年に公表した『戦略レポート 2012–2016』の中で、「越境する脅威のダイナミックな性格を考慮すれば、国境管理に関わる組織自体が臨機応変に対応するために、より柔軟でネットワーク的な形態をもつ組織へと生まれ変わらなければならない」(25) と言及している。 2005年には、アメリカ・メキシコ国境の警備にあたるためにテキサス州ラレドに「国境警備タスクフォース (BEST: Border Enforcement Security Task Force)」、およびデトロイト(アメリカ)、ウインザー(カナダ)の国境地域において、アメリカの沿岸警備隊とカナダの王立騎馬警察が共同で沿岸警備を開始した「シップライダー (Shiprider)」なども結成された。

(20) Ibid.(21) Domínguez and Velázquez, “Obstacles to Security Cooperation in North America,” p. 187.(22) アメリカ・メキシコ国境における不法移民問題は、国境管理政策の中核的要素であった1996年に制定

された「不法移民改革・移民責任法 (IIRIRA: Illegal Immigration Reform and Immigrant Responsibility Act of 1996)」に象徴されるように、1990年代における不法移民問題は社会・経済問題として理解されることが多かったが、とりわけ9・11テロ以降は、「法と秩序」という観点からそれを捉える見方が支配的になった。

(23) Rudolph, “International Migration and Homeland Security,” pp. 450–456.(24) Binational Task Force on the US-Mexico Border, Managing the United States-Mexico Border: Cooperative Solutions

to Common Problems (San Diego: Pacific Council on International Policy, 2009).(25) US Border Patrol, 2012–2016 Border Patrol National Strategy (Washington, D.C.: US Customs and Border

Protection, 2012).

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このように、国境を越える多様な脅威に直面して、垂直的で階層的な構造を有してきた主権国家同士が、TGNsを通じてより水平的で分権的な対処能力を持ち合わせるようになってきており、その結果、ラインとしての国境は、地図上の位置を越えて、相互の主権国家の領域内部に浸潤する契機にもなりうるのである (26)。

2.「北米の安全と繁栄のためのパートナーシップ(SPP)」の成立と挫折2.1 SPPの制度デザイン 前述したアメリカ・カナダ間で結ばれた「スマートな国境宣言」、およびアメリカ・メキシコ間の「国境パートナーシップ協定」に盛り込まれた大半の行動プランは、「二つの二ヵ国主義」の広がりによって実行に移されてきたが、「三ヵ国主義」に基づく地域的枠組みの策定も政府間レベルで模索された。そのひとつの帰結として、2005年3月、アメリカのテキサス州ウェーコで開催された三ヵ国首脳会議において、アメリカのジョージ・W・ブッシュ (George W. Bush, Jr.)大統領、カナダのポール・マーティン (Paul Martin)首相、メキシコのヴィセンテ・フォックス・ケサーダ (Vicente Fox Quesada)大統領が、「北米の安全と繁栄のためのパートナーシップ (SPP)」を発表した (27)。それは条約でもなく、法的拘束力をもつ地域的取り決めでもなく、三ヵ国での「紳士協定」とも呼ぶべき政府間イニシアテ

ィブであった (28)。SPPは、移民や国境管理を中心とした安全保障分野 (security)と、貿易・投資の自由化を柱とした地域全体の競争力を高める経済的繁栄分野(prosperity)との政策の調和化をどのように図るのかという目的を有していた (29)。それは、首脳級会議、閣僚級会合、安全保障分野と経済的繁栄分野の二つの

(26) TGNsには、どの国の法体系が適用されるのか、命令系統はどの国に属するのか、権限と活動範囲の重複をどのようにするのかといった政府間レベルでの「相互運用性 (interoperability)」に伴う様々な限界も提起されることになった。Emily Gilbert, “Borders and Security in North America,” in Jeffrey Ayres and Laura Macdonald, eds., North America in Question: Regional Integration in an Era of Economic Turbulence (Toronto: University of Toronto Press, 2012), p. 207.

(27) M. Angeles Villarreal and Jennifer E. Lake, Security and Prosperity Partnership of North America: An Overview and Selected Issues (Washington, D.C.: Congressional Research Service, CRS Report, RS22701, January 22, 2010) [https://fas.org/sgp/crs/row/RS22701.pdf] (2019年2月19日閲覧 ).

(28) Laura Carlsen, “Extending NAFTA’s Reach,” Counterpunch (August 25, 2017) [https://www.counterpunch.org/2007/08/25/extending-nafta-s-reach/] (2018年9月20日閲覧 ).

(29) Jason Ackleson, and Justin Kastner, “The Security and Prosperity Partnership of North America,” American Review of Canadian Studies 36, no. 2 (2006), pp. 207–232.

図1 SPP の仕組み出典:原案筆者、笹谷めぐみ作成

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分野から構成される実務官僚による作業部会の三層レベルから構成され、2006年に三ヵ国の商工会議所や有力企業による諮問機関としての北米競争力会議 (NACC: North American

Competitiveness Council)が加わる形で運営された(図1および表2参照)。NACCは、北米三ヵ国の主要な民間企業から構成される組織体であり、三ヵ国首脳に対して北米地域の経済的競争力の向上に向けた具体的提言を行った (30)。事務局は、前出のカナダのCCCE、メキシコ競争力研究所 (IMCO: Instituto Mexicano para la Competitividad)、およびアメリカの全米商工会議所 (US Chamber of Commerce)とアメリカ評議会 (Council of the Americas)に置かれた。 アメリカの場合、SPPは、特定の法律を通じて連邦議会から行政府に対して付与される規制とルール形成に関する権限によって運用されるようになっていた。合衆国憲法によれば、通商や関税に関する権限はすべて連邦議会に与えられているが、議会によって策定された法の執行は行政府の責任においてなされる。それゆえに、連邦議会からのチェックを受ける必要のない政府間イニシアティブであるSPPは、連邦議会から交渉権限を付与されることなく、地域統合における貿易障壁の除去や、出入国および税関の検査工程の合理化

(30) “Background Paper on Security and Prosperity Partnership,” American National Standards Institute (published date unknown) [https://share.ansi.org/Shared%20Documents/Standards%20Activities/International%20Standardization/Regional/Americas/Background%20Paper%20-%20SPP.pdf] (2018年10月20日閲覧 ) NACCを構成する企業としては、アメリカ側は、フォード、ロッキードマーチン、ウォルマート、カナダ側は、サンコー・エナジー、ホームデポ、マニュライフ生命、メキシコ側は、グルーポ・ポサダス、タムサ、メキシカーナ航空など、北米三カ国を代表する30以上の有力民間企業であった。

安全保障分野 経済的繁栄分野

航空安全 電子商取引

生物保護 エネルギー

国境の通過 環境

貨物安全 金融サービス

インテリジェンス協力 ビジネス促進

法執行機関協力 製造業

海洋安全保障 商品流通

重要なインフラ施設の保護 健康

科学技術協力 食品と農業

渡航者の安全 交通・運輸

表2 実務官僚レベルによる作業部会

出所:筆者作成

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を行うことができるという特徴をもっていた (31)。SPPは、アメリカの場合と同様に、カナダやメキシコにおいても、立法府を迂回する形で行政府の直接的な執行によって運用されたのである。

2.2 SPPとビジネス・エリート SPPにおいては、ビジネス・エリートが大きな役割を果たした。アメリカ外交評議会(CFR: Council on Foreign Relations)によって招集された「北米に関する独立タスクフォース (ITFNA: Independent Task Force on North America)」は、2010年までに北米地域に「共通域外関税 (Common External Tariff)」の創設を伴う経済・安全保障共同体構想を打ち出した (32)。NAFTAの下では、原産地規制に則って北米産品が用いられているかどうかをチェックする必要があるが、域外共通関税の創設はそうした行程を省略することもできるのであり、サプライチェーンの拡大にもつながった。国境管理協力に関しては、(1)統一化された国境アクションプラン、(2)域内における軍事・インテリジェンス分野での協力の拡大・深化、

(3)「北米ボーダーパス」の創設などを柱とする共通の「境界安全保障 (perimeter security)」の構築が記された。また、カナダ経営者評議会 (CCCE: Canadian Council of Chief Executives)

は、2004年に公表したSPPの前身となる「北米の安全と繁栄のためのイニシアティブ(NASPI: North American Security and Prosperity Initiative)」において、中国やインドなどの新興国が台頭するグローバル経済において北米地域全体の競争力向上のための戦略としての

「国境の再創造」を提唱した (33)。 前述のNACCは、2007年のカナダ・モンテベロと2008年のメキシコ・ロスカボスで開催された北米首脳会議には招かれたが、バラク・オバマ (Barack Obama)大統領が選出された後の2009年には招待されず、この時期からSPPは事実上、機能を停止することになった。こうした背景には、オバマ政権がアフガニスタンやイラクでの対テロ戦争を遂行する中で、リージョナルな政治よりもグローバルな政治に関与する政策方針を示していたと同時に、2008年の未曾有の金融危機に直面し、2009年の「アメリカ復興・再投資法 (American

Recovery and Reinvestment Act)」や同年の「バイ・アメリカン法 (Buy American Act)」の制定に代表される自国最優先の経済的保護主義に対応せざるを得なかったのである (34)。さらには、同年、オバマ政権では、「包括予算法 (Omnibus Appropriations Act)」の成立によって、

(31) Christopher. Sands, “A Vote for Change and U.S. Strategy for North American Integration,” PNA North American Policy Brief, no.1 (October 2008) [http://hudson.dev.area17.com/content/researchattachments/attachment/674/pna_na_policy_brief_1_-_a_vote_for_change.pdf] (2019年2月19日閲覧 ).

(32) John P. Manley et al., Building a North American Community (N.Y.: Council on Foreign Relations, Independent Task Force Report, no. 53, 2005), p. xvii.

(33) Canadian Council of Chief Executives, New Frontiers: Building a 21st Century Canada-United States Partnership in North America (Ottawa: CCCE, Discussion Paper of the Canadian Council of Chief Executives, April 2004), pp. 1–2.

(34) Gilbert, “Borders and Security in North America,” pp. 200–201.

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(35) Gilbert, “Borders and Security in North America,” p. 201.(36) The Whitehouse, Office of Press Secretary, “Joint Statement by North American Leaders,” The Whitehouse,

President of Barack Obama (April 2, 2012) [https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2012/04/02/joint-statement-north-american-leaders] (2018年10月10日閲覧 ).

(37) M. Angeles Villarreal and Ian F. Fergusson, The North American Free Trade Agreement (NAFTA) (Washington, D.C.: Congressional Research Service, CRS Report, R42965, May 24, 2017).

(38) Jessica Trisko Darden, “Rewriting NAFTA has serious implications beyond just trade,” The Conversation (May 5, 2017) [https://theconversation.com/rewriting-nafta-has-serious-implications-beyond-just-trade-77134] (2018 年10月10日閲覧 ).

ブッシュ Jr.政権が開始したアメリカ・メキシコ両国の貨物車両が国境を容易に行き来できるようにするパイロット・プログラムを中止し、NAFTAの再交渉を企図するような一連の法整備を行った (35)。2012年に開催された北米首脳会議の共同宣言の中には、SPPに関する言及がなく、「二つの二ヵ国主義」にもとづきながら、貿易取引に関するコスト削減やビジネス環境全般の改善に向けて取り組むことが明記された (36)。 2017年に新しく誕生したドナルド・トランプ (Donald Trump)政権は、同年5月、第115連邦議会に対して、カナダとメキシコとのNAFTAの再交渉を行うために、大統領に関税や非関税措置の交渉権限を付与する貿易促進権限法 (TPA: Trade Promotion Authority)によって認められた90日前通告を送付した (37)。同年4月に署名した大統領令によって運用が強化される「バイ・アメリカン、ハイヤー・アメリカン (Buy American, Hire American)」政策によって、原産地規制の徹底や高技能職向けのH1-Bビザの見直しを視野に入れており、NAFTA

の再交渉という観点からみれば、オバマ政権の政治的スタンスと変わらないとみることもできる (38)。NAFTAの再交渉によって、製造業を中心としたアメリカの雇用を回復させるというトランプ政権の主張には、貿易や経済という側面ばかりではなく、アメリカ国内に滞在しているカナダ・メキシコ両国民の滞在資格も含めた移民政策の観点からも大きな懸念が示された。 SPPは、ブッシュ Jr.政権が9・11テロ以後に推進した「二つの二ヵ国主義」にもとづくスマートな国境政策の発展的形成であるといえるが、オバマ政権は、グローバルな文脈からばかりではなく、後でも述べる新自由主義的な国境管理政策としての性質をもつSPPに対して政策的違和感をもっていたとも捉えられる。オバマ政権とトランプ政権は、NAFTA

の再交渉という点では政策的に一致していたが、前者は北米首脳会議にSPPの役割を受け継いだように、多国間主義を維持する一方で、後者はアメリカ第一主義を掲げながらあらゆる政策を推進しており、リージョナルな政治に対する向き合い方は異なっていた。

2.3 「軍事化する」NAFTAとしてのSPP SPPには、ビジネス・エリート中心の政策形成を行うという意図が背景にあるばかりではなく、北米三ヵ国の法執行機関の相互連携の強化、北米航空宇宙防衛司令部 (NORAD:

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North American Aerospace Defense Command)やアメリカ北方軍 (USNORTHCOM: United States

Northern Command)に代表される地域共同防衛部隊への支援なども含まれており、アメリカの国土安全保障を基軸としてカナダとメキシコを含めた地域安全保障の枠組みを形作る要素も含まれていた (39)。NACCでは、アメリカの重要なインフラストラクチャーの85パーセントは民間セクターによって運営されているために、ビジネス・エリートが、国土安全保障政策の形成に積極的に関与することが重要であるとの認識が示された (40)。2006年9

月、アメリカのマイケル・チャートフ (Michael Chertoff)国土安全保障長官は、ボーイング社によって主導されたコンソーシアムが国境管理の強化に伴うセンサーやレーダーなどの設置に数十億ドルにもおよぶ契約を結んだと公表している (41)。また同年、SPPの一環として、メキシコからの不法移民の増大に伴う移民収容センターの建設に関して、ハリバートン (Halliburton)の子会社であるKBR社との間で3億8,500万ドルの契約を結んだ事実も明らかになった (42)。 ローラ・カールセン (Laura Carlsen)が、SPPを「軍事化する」NAFTAと述べたように、SPPの成立によって国境の軍事化が進展したことも北米国境管理ガバナンスの特徴である (43)。2008年4月、アメリカ・カナダ両国は、カナダ国内にアメリカ軍が駐留することに同意したが、カナダ議会では審議が一切行われず、アメリカ側の政策的意向を一方的に盛り込んだ移民や国境管理に関する軍組織の二ヵ国間統合であるとの批判が起こった (44)。 SPPの安全保障分野におけるアメリカとメキシコの協力関係も新たな展開を見せた。アメリカからメキシコの軍や治安部隊に対する資金援助としての「メリダ・イニシアティブ(Mérida Initiative)」も、地域安全保障協力というSPPの有する軍事的側面のひとつとして捉えられる (45)。1998年から2010年までに、アメリカがメキシコに対して与えた資金援助の総額は約13億ドルにものぼり、そのうちの32パーセントが軍事装備品の購入、残りの65

パーセントが麻薬対策や法執行機関への援助に当てられた (46)。このメリダ・イニシアティブの最初の三年間は、その資金援助のほぼすべてがメキシコ軍の装備強化や兵員訓練のために充当させられたが、その後、アメリカ連邦議会は、メキシコの司法改革や反腐敗キャ

(39) Harsha Walia and Cynthia Oka, “The Security and Prosperity Partnership Agreement: NAFTA Plus Homeland Security,” Left Turn (April, 2008) [http://www.leftturn.org/security-and-prosperity-partnership-agreement-nafta-plus-homeland-security](閲覧日:2018年10月20日).

(40) Ibid.(41) Ibid.(42) Ibid.(43) Constance Fogal, Laura Carlsen and Stephen Lendman, “Security and Prosperity Partnership: Militarized NAFTA,”

Voltaire Network (March 27, 2010) [http://www.voltairenet.org/article164650.html] (2018年年10月22日閲覧 ).(44) Ibid.(45) Laura Carlsen, “Armoring NAFTA: The Battleground for Mexico’s Future,” Global Research (October 1, 2008)

[http://www.globalresearch.ca/armoring-nafta-the-battleground-for-mexico-s-future/10412] (2018年10月22日閲覧 ).(46) John Bailey, “Plan Columbia and the Mérida Initiative: Policy Twins or Distant Cousins?” in Morales, ed., National

Solutions to Trans-Border Problems?, pp. 149–160.

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ンペーンなどに7,500万ドルを支出することを認めたのであり、メリダ・イシシアティブは、単なる軍事援助という枠組みを越えた、内政にまで関連する対メキシコ支援とでも呼ぶべき性格を有していた (47)。 また、軍事的性格を強めたSPPは、天然資源の民営化を促すために必要な強制的手段でもあった (48)。換言すれば、SPPの経済的繁栄分野におけるエネルギーは、安全保障分野を強化することによって安定的に確保されるということでもある。具体的には、SPPの主要目的は、カナダやメキシコにおける原油生産の拡大要求、および両国のエネルギー市場の規制緩和によるアメリカのアクセス権の増大によって、北米地域のエネルギー供給に対するアメリカの支配権を確立することであったともいえる。SPPにおける主要なターゲットは、カナダ・アルバータ州におけるオイルサンドの採掘であった (49)。NACCを構成するカナダの有力石油企業であるサンコー・エナジー (Suncor Energy)社は、オイルサンドの採掘によって一日当たり600万ドルの利益を得ているとされるが、それに伴う温室効果ガスの増加や、周辺に住むカナダ先住民の癌発生率の上昇が報じられているにもかかわらず、SPPが取り決められる以前の5倍の生産を要求したのである (50)。 また、アメリカは安定的な原油供給を求めて、メキシコの国有石油企業であるペメックス (PEMEX)の民営化を求めた (51)。ペメックスは、メキシコにとって国家主権のシンボル的な存在であり、メキシコ憲法においては、石油と天然ガスの管理は国有企業であるペメックスに委ね、エネルギー部門で得た利益はメキシコ国民に還元されることが保証されており、NAFTA交渉時には、メキシコはその民営化を拒否したとされる。しかしながら、SPP成立後の2008年、NACCの中心的企業であるアメリカのハリバートンは、ペメックスとの間に約七億ドルの石油採掘契約を結び、アメリカとメキシコを結ぶパイプラインの維持のための優先的な権利を得たのである (52)。

2.4 新自由主義的な国境管理政策としてのSPP SPPのさらなる特徴として挙げられるのは、新自由主義的な国境管理政策を導入したことである。それは、自己利益を最大化し、経済的合理性に基づいて行動する新自由主義的

(47) Clare Ribando Seelke, Mérida Initiative for Mexico and Central America: Funding and Policy Issues (Washington, D.C.: Congressional Research Service, CRS Report, R40135, August 21, 2009); Clare Ribando Seelke and Kristin Finklea, U.S.-Mexican Security Cooperation: The Mérida Initiative and Beyond (Washington, D.C.: Congressional Research Service, CRS Report, R41349, June 29, 2017).

(48) Katherine Sciacchitano, “From NAFTA to the SPP: Here Comes to the Security and Prosperity Partnership, but… What security? Whose prosperity?” Dollars & Sense: The Magazine of Economic Justice, January/February 2008 [http://www.dollarsandsense.org/archives/2008/0108sciacchitano.html] (2018年10月25日閲覧 ).

(49) Ibid.(50) Walia and Oka, “The Security and Prosperity Partnership Agreement.”(51) Sciacchitano, “From NAFTA to the SPP.”(52) Walia and Oka, “The Security and Prosperity Partnership Agreement.”

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(53) Matthew B. Sparke, “A Neoliberal Nexus: Economy, Security, and the Biopolitics of Citizenship on the Border,” Political Geography 25, no. 2 (2006), pp. 151–180.

(54) Emily Gilbert, “Leaky Borders and Solid Citizens: Governing Security, Prosperity and Quality of Life in a North American Partnership,” Antipode 39, issue 1 (2007), p. 89.

(55) Gilbert, “Leaky Borders and Solid Citizens,” pp. 86–92.(56) Gilbert, “Leaky Borders and Solid Citizens,” p. 90.(57) Gilbert, “Leaky Borders and Solid Citizens,” pp. 90–91.(58) Gilbert, “Leaky Borders and Solid Citizens,” p. 93.

な市民、すなわち「ホモ・エコノミクス (homo economicus)」に依拠している (53)。「ホモ・エコノミクス」の前提にあるのは、トランスナショナルな空間において、優先的に移動する権利を獲得できる新しいタイプの人間である。SPPを構成する「パートナーシップ」には、北米三ヵ国と市場との関係がどのように枠組み付けられるのかという視点ばかりではなく、いかに北米三ヵ国が域内市民に対して新自由主義的な統治技法を用いていくのかという意味も含まれる (54)。 同時に、SPPの中に盛り込まれたNEXUSおよびSENTRIなどの事前渡航許可システムを用いた国境管理の強化は、人や物の移動におけるシチズンシップの階層化現象をもたらすことになった (55)。SPPには、低リスクと判断された人や物の安全で効率的な移動を合理化することが掲げられている。これは、9・11テロ以降、NEXUSやSENTRIのカード保持者は、ある一定期間、移民・税関のチェックを日常的に受けることなく、国境に設置された専用レーンを優先的に通過できるのであるが、カード申請者の個人情報は、政府間で共同運用されるデータベース上でアクセスできるようになることを前提としている。 しかしながら、こうした優先的に移動する権利を獲得できない「ホモエコノミクス」の範疇から漏れた市民は、リスク管理の対象となってしまう。SPPは、国境管理におけるリスク因子については明確に定義していないが、テロリスト、麻薬取引組織、不法移民などを、「安全保障上の連続体」の延長線上において一括りにして、「潜在的な」脅威として強調する (56)。また、バイオメトリクスが技術的に応用されることによって進化する国境管理は、国境を通過する人間の「妥当性」を、アイデンティティの観点から判断する (57)。パスポートや国境通行カードを保持しているかどうかによって、国境を越える人間のアイデンティティが国家の行政目的を達成するために適合しているのかがチェックされるのである。このようにみると、SPPが自由や民主主義に基づいた「スムーズでシームレスな」国境空間を北米地域に建設しようという理想と、それを可能にする実践との間には乖離があることが分かる (58)。SPPが前提とする人の移動する権利は、新自由主義的な「ホモエコノミクス」に優先的に付与され、他の範疇に属する人間は排除され、リスク管理の対象となり、容易に国境を越えることができないということになる。 SPPは、北米地域における安全保障と経済的繁栄をいかに両立させていくのかというグランドデザインを基軸に据えながら、人の移動に関する「規制の新しい地理」を構想するも

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のであった。しかしながら、SPPの新自由主義的なシチズンシップ概念に基づいて、人の移動する権利が差異化されるというセキュリティの昂進化現象は、北米地域を特定のカテゴリーに属する人間だけが移動しやすくなるという特権化された国境空間へと変質させているとみることもできる。さらにSPPは、企業利益の増加のために「労働の柔軟性」を通じた新自由主義政策を推進し、契約労働者の雇用を通じた労働関連法制の規制緩和を進めたことも明らかになっている (59)。SPPにおける移民労働者の強制送還の危険性を併せ持つゲストワーカープログラムの導入は、北米地域の移民労働者の雇用環境を不安定化させながら、安価な労働力に依存したい民間企業の経済的思惑と相俟って重視されてきたともいえよう。

おわりに:SPPからの教訓と域内民主主義の確立 2000年代初頭、世界人口に占める割合は七パーセントに過ぎなかったが、NAFTAの域内三ヵ国のGDPは、当時のEU加盟25カ国のそれを凌駕し、世界のGDPの35パーセントを占める規模であった (60)。ところが、その後の中国やインドなどの新興国の台頭、テロリズムの席捲、世界的金融危機の発端となったリーマンショック、メキシコにおける麻薬戦争の激化などによって、NAFTA推進による北米地域統合には歯止めがかかったようにみえた。しかしながら、9・11テロ以降、アメリカ・カナダ、およびアメリカ・メキシコという「二つの二ヵ国主義」に基づいて、多様化する脅威に柔軟に対応する水平的で分権的なトランスガバメンタル・ネットワークが広がりを見せ、移民や国境管理といった政策領域における地域統合が進展してきた。2005年の北米三ヵ国によるSPP成立の背景には、北米地域全体の貿易や投資の自由化を中心とした経済的繁栄を図ると同時に、アメリカの国土安全保障を基軸とした国境管理の強化によって生じた負の外部性を除去する地域メカニズムの構築があった。このことは、NAFTAの制度的空白を埋め、それを政治的に補完するためのSPPの成立を通じた北米国境管理ガバナンスの形成として捉えられる。 ただ、SPPは行政府による裁量が中核的な部分を占め、立法府への説明責任を担う政治的な仕組みもなく、ビジネス・エリートが中心的な役割を果たすかなりアドホックな協議プロセスであった。こうした帰結として、SPPの経済的繁栄分野における新自由主義的な諸政策の推進と同時に、北米国境の軍事化、環境やエネルギー、および域内市民の移動の権利までも含めた広義の安全保障分野が拡大し、SPPの存立基盤の民主的正当性が問われることになったのである。北米地域統合の支持者は、支持の根拠を、国境を越える貿易のフローや投資額などのデータ表出に基づいて好意的に論じる「アウトプットによる正当性

(59) Sciacchitano, “From NAFTA to the SPP.”(60) Janine Brodie, “Conclusion: Will North America Survive?” in Ayres and Macdonald, eds., North America in

Question, p. 361.

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(output legitimacy)」に依拠してきたが、支持しない者は、SPPの有するビジネス・エリート中心で、不透明で排他的な性格を、立法府によるチェックや域内市民からの「インプットによる正当性 (input legitimacy)」に基づかない地域統合と批判してきた (61)。2009年におけるSPPの事実上の機能停止は、新自由主義的な国境管理の浸透という観点から北米地域の市民生活へ及ぼす影響が大であったという点を考慮すれば理解できるが、安全保障と経済的繁栄の政策的両立を図る北米地域統合を今後進めていく上では、市民的関与を視野に入れた域内民主主義を制度的に担保することのできる重層的な国境管理ガバナンスの構築が求められるのである。 EUなどの地域統合モデルと比較すれば、SPPの挫折は、北米地域統合においては「民主主義の欠損 (democratic deficit)」がみられていることの証左でもある。このような意味においては、国家を含めた多様なアクターが、どのように地域統合の政策決定プロセスに関わっているのかという多元的理解が求められているということであり、民主主義的要素を加味した地域統合モデルを、「新しい地域主義 (new regionalism)」と呼ぶこともできよう。CUSFTA、NAFTA、そしてSPPに至る北米地域統合の歴史は、域内の有力民間企業と結びついた政府間レベルでの交渉が主であったが、こうした地域統合推進の動きに反対する国内および域内の市民社会組織や、左派・右派両方からの抗議運動による「論争の政治(contentious politics)」が、北米地域統合の通奏低音としてあったことにも着目しなければならない (62)。地域としての北米が社会的に構築されてきた文脈を視野にいれながら、国境管理ガバナンスの形成に関わるあらゆるアクターが、多様なアイディアや規範を拡散・浸透させていく「言説を伴う代表制 (discursive representation)」(63) を、地域ガバナンスの重要な支柱として組み入れていくことも必要であろう。こうした点については、別稿に譲りたい。

(61) Janine Ayres and Laura Macdonald, “Introduction: North America in Question,” in Ayres and Macdonald, eds., North America in Question, pp. 20–21.

(62) cf. Janine Ayres and Laura Macdonald, eds., Contentious Politics in North America: National Protest and Transnational Collaboration under Continental Integration (Basingstoke: Palgrave, 2009).

(63) cf. Margaret E. Keck, ”Governance Regimes and and the Politics of Discursive Representation,” in Nicola Piper and Anders Uhlin, eds., Transnational Activism in Asia: Problems of Power and Democracy (London: Routledge, 2004).