文化変容の礼靴こ基づいた歴史教育の研究 a study of history...

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社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第n号 1999 (pp.69-76) 文化変容の礼靴こ基づいた歴史教育の研究 A Study of History Education Based on the Vi I。はじめに 現行の高等学校地理歴史科の「日本史B 」では, 匚文化の総合的学習 」が強調されている。そのね らいの 一つは,人物と文化遺産を中心に自国史を 学ぶ小学校歴史学習 ,世界史を背景に自国史を学 ぶ中学校歴史学習1 )を受けて ,高等学校の日本史 学習の特色を明確にしたことである 。もう一つは, 政治史中心の総合史に対する批判の意味をこめて のものである2 。つまり,文化を中心に時代背景 や社会構造を関連づけて学習させようとしている のである。 高等学校日本史で文化が重視されるようになっ たのは ,昭和35 年版の学習指導要領からであって, 以後,学習指導要領が改訂されるごとに徹底され ていった。 文化史学習の困難さについては ,これまでもさ まざまなことがいわれてきた 。例えば,政治・経 済の領域は動態的であるのに ,文化の領域になる と静態的である ,それぞれの時代に生きていた人々 には文化がなかったように受け取られかねないな どである 。つまり文化が,主として,匚文献史学」 の成果と「‾考古学 」の成果によって,その時々に おいて珍しいもの ,以前になかったものを取り上 げようとする内容構成がされているのである 文化というと ,普通,すぐれた芸術とか文学・ 学問とかを連想するが ,文化人類学では生活様式 の意味で用いている 。学習指導要領はその両方を 包含した概念として文化という言葉を用いてい る3 ‰本研究では,固定的・伝統的な文化を伝達 するのではなく ,文化はどういう時代の人々も, 自らつくりあげてきたものであり ,現代に生きる われわれ自身も文化の形成者として位置付けるも のである。 陶山 (兵庫県立加古川北高等学校) 第15 期中央教育審議会の審議の中で ,「‾これか らの学校教育と匚生きる力 」の育成」の論議がな された 。その中で教育内容の厳選(精選ではなく) が示され ,厳選の視点として,「‾単なる知識の伝 達や暗記に陥りがちな内容の精選を図る 」があげ られている 。その内,匚中学校社会科の歴史にお ける各時代の詳細な文化史 」という具体例が示さ れている几文化史の内容については ,中学校社 会科に隕らず高等学校地理歴史科においても上記 の視点は以前から指摘されてきたものの ,改善が なされていないのが実状である 。歴史は,過去の 足跡のうち ,科学的に確認できた事実の中からあ るものを選択し ,それを構成していく作業によっ て具体化するのである 。しかし,それはいくつか の歴史認識のうちの 一つに過ぎないのである。よっ ,現状の問題点を解決していくための方途とし ての歴史教育の方向は ,歴史を客観的な知識とし て知るのみでいいのかということである 。過去の 長い時間の経過の中で生起した事柄は数限りなく あるのである。 もう 一つの「生きる力」の重要な要素は,文化・ 伝統を尊重する態度の育成である 。匚つまり,集 団の 一員として安定的に生きていこうと考えれば, 自分の所属する集団の生活スタイル ・価値判断を 修得しそれを手がかりに判断し行動することが必 要になる 」5 )としている。しかし,こうした考え 方に対し ,匚生徒を文化・伝統の単なる継承者と してではなく ,むしろ新たな文化の創造者,形成 者として位置づけるような歴史教育に転換してゆ かなくてはならない 」6 )とする見方もある。 日本史の文化の取扱いについては ,昭和53 年版 学習指導要領から厂文化の総合的学習 」「‾生活文 化の重視」が唱えられ,それは平成元年版におい ― 69

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社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第n号 1999 (pp.69-76)

文化変容の礼靴こ基づいた歴史教育の研究A Study of History Education Based on the Viewpoint of "Acculturation"

I。はじめに

現行の高等学校地理歴史科の「日本史B」では,

匚文化の総合的学習」が強調されている。そのね

らいの一つは,人物と文化遺産を中心に自国史を

学ぶ小学校歴史学習,世界史を背景に自国史を学

ぶ中学校歴史学習1)を受けて,高等学校の日本史

学習の特色を明確にしたことである。もう一つは,

政治史中心の総合史に対する批判の意味をこめてのものである2)

。つまり,文化を中心に時代背景

や社会構造を関連づけて学習させようとしているのである。

高等学校日本史で文化が重視されるようになったのは

,昭和35年版の学習指導要領からであって,

以後,学習指導要領が改訂されるごとに徹底されていった。

文化史学習の困難さについては,これまでもさ

まざまなことがいわれてきた。例えば,政治・経

済の領域は動態的であるのに,文化の領域になる

と静態的である,それぞれの時代に生きていた人々

には文化がなかったように受け取られかねないなどである

。つまり文化が,主として,匚文献史学」

の成果と「‾考古学」の成果によって,その時々に

おいて珍しいもの,以前になかったものを取り上

げようとする内容構成がされているのである。

文化というと,普通,すぐれた芸術とか文学・

学問とかを連想するが,文化人類学では生活様式

の意味で用いている。学習指導要領はその両方を

包含した概念として文化という言葉を用いている3‰本研究では,固定的・伝統的な文化を伝達

するのではなく,文化はどういう時代の人々も,

自らつくりあげてきたものであり,現代に生きる

われわれ自身も文化の形成者として位置付けるものである。

陶 山  浩(兵庫県立加古川北高等学校)

第15期中央教育審議会の審議の中で,「‾これか

らの学校教育と匚生きる力」の育成」の論議がな

された。その中で教育内容の厳選(精選ではなく)

が示され,厳選の視点として,「‾単なる知識の伝

達や暗記に陥りがちな内容の精選を図る」があげ

られている。その内,匚中学校社会科の歴史にお

ける各時代の詳細な文化史」という具体例が示さ

れている几文化史の内容については,中学校社

会科に隕らず高等学校地理歴史科においても上記の視点は以前から指摘されてきたものの

,改善が

なされていないのが実状である。歴史は,過去の

足跡のうち,科学的に確認できた事実の中からあ

るものを選択し,それを構成していく作業によっ

て具体化するのである。しかし,それはいくつか

の歴史認識のうちの一つに過ぎないのである。よっ

て,現状の問題点を解決していくための方途とし

ての歴史教育の方向は,歴史を客観的な知識とし

て知るのみでいいのかということである。過去の

長い時間の経過の中で生起した事柄は数限りなくあるのである。

もう一つの「生きる力」の重要な要素は,文化・

伝統を尊重する態度の育成である。匚つまり,集

団の一員として安定的に生きていこうと考えれば,

自分の所属する集団の生活スタイル・価値判断を

修得しそれを手がかりに判断し行動することが必要になる

」5)としている。しかし,こうした考え

方に対し,匚生徒を文化・伝統の単なる継承者と

してではなく,むしろ新たな文化の創造者,形成

者として位置づけるような歴史教育に転換してゆかなくてはならない

」6)とする見方もある。

日本史の文化の取扱いについては,昭和53年版

学習指導要領から厂文化の総合的学習」「‾生活文

化の重視」が唱えられ,それは平成元年版におい

― 69 ―

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ても受け継がれている。しかし,現行の教科書で

は,原始文化や古墳文化の内容で,考古学的史料

から当時の衣食住など生活史としての文化史が展開されているが

,奈良・平安時代以降は,全く文

化史が独立しているO教育現場の現状は,各時代

の学習で,政治史や経済史を済ませたあとの文化

史,というように狭い意味の文化史としてとらえ

る傾向が強い7)。

高等学校地理歴史科は,匚文化理解を通して,

国際的な資質を育成する」8)教科としてとらえる

ことができる。国際的資質とは,匚異なった文化

をもつ人々と相互に理解し協力できる資質」を意

味するところから,地理歴史科の成否を握るのは,

「文化の理解」であることがわかる。つまり,日

本史では日本文化の形成過程の理解が重視されるのである

。文化は固定的なものではなく,制度や

意識と同様に構造的なものでゆっくりと変化する。

日本の歴史においては,原始以来長年の国際的交

流の中で文化が形成されてきた。

従来の文化のとらえかたは,文化をその時代の

特徴的な固定的なものに限定してしまいがちであった。そこからは文化の連続歐や複雑性を読み取る

ことはできないし,歴史を平板なものとしか取り

扱うことができない。したがって,文化史を中心

とする通史学習や総合的学習には限界があるのである。

本研究では,上記のような現状は,これまで展

開されてきた文化史学習の方法論に問題があるためであるという前提に立ち

,その改善をめざして,

地理歴史科日本史における文化史学習の内容構成と方法のあり方について考察する

。そのために,

これまでの社会科および地理歴史科日本史における文化史の問題点を分析し

,改善すべき問題点を

明らかにする。さらに,文化変容の視点を導入し,

その成果をふまえて,新しい文化史学習の授業モ

デルを構築する。

皿。文化史学習に取り入れる文化変容の視点

(1)文化変容の有効性

文化の変化の要因は,内的要因と外的要因に大

別できる。内的要因は,自然環境,進化法則の要

因,人口の要因があげられる。外的要因は,伝播

と文化変容があげられる。

その外的要因の文化変容の研究は,文化伝達の

過程を究明するものである9‰文化変容の定義は,

「異なった文化をもったひとびとの群が,持続的

に直接接触をなし,その結果,いずれか一方また

は双方の集団の元の文化様式に変化を起こす場合に生じる現象JlO)をいう

。元来,文化人類学の立

場からの文化変容の研究の対象とされたのは,欧

米文化が,未開民族または「後進的」な民族のう

ちに導入された場合に生じた文化の顕著な変容の様相であった11)

。伝播との違いは,伝播は,文化

の諸要素または諸部分に生起する事柄であり,文

化変容は諸文化に起こるところの事柄であり1町文化のシステムの変化に注目するといえる

文化変容は外来文化との持続的,直接的接触に

よって起こってくる現象である。その現象は文化

要素の種類にもよるが,概ね長い歳月を要する。

よって研究は,現象そのものに重きをおくのでは

なく,変動の過程に着目する。人びとが気づかな

いような変動も,それが蓄積されると,緩やかな

文化変容を生じることになる。こうしたことも研

究の対象となるのである。

このように,文化を内側の視点ではなく,外側

の視点でとらえることによって,日本の歴史を内

的な要因だけではない外的な要因を含んだ文化要素として位置付けることができる

。「現実に,文

化というものは,絶えず拡大し,他の文化とぶっ

かり,それらとお互いに関係を切り結んでいる。

そして,歴史的に見て,およそ,文化の拡大とか

伝播とか接触とかの現象ほど,多種多様なものは

ない」13)わが国では

,「日本論」「日本人論」が度々展開

され,日本や日本人の特殊性が取り沙汰される。

これはまさに形式上は,比較分析的に日本や日本

人をとらえようとしているが,視点としては,内

側の視点を通してとらえているために,日本・日

本人の特殊性が強調されることになってしまう。

これと同様,歴史学における文化史の取扱いは,

日本の伝統文化の強調に終始してしまうのは,外

側の視点の欠如,科学的な思考過程の欠如といえ

るのである。    ・ ,     ・

(2)文化変容の視点

70-

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文化変容の概念の特質は,以下の3点にまとめ

ることができる。第一に,文化変容は,変動の過

程に着目するという点である。変動の過程に着目

することによって,変動の条件や変動のしかたが

明らかになってくる。そこから,変動の過程に現

れる現象にはたらく合理化の根拠を探求することができる

。第二に,文化要素は,社会的必然性の

中に生きていることであるOつまり,社会構造の

中の必要要素として存在しているのである。もと

もと社会的必然性があって存在する文化要素でも,

その時代背景となる社会が変化すると,もとの意

味が変化してくる。そうして新しい社会や環境に

適合した合理化がはたらく。第三に,文化要素の

解釈は,多くの場合,時代とともに変化すること

である。文化要素自体,解釈付きで変動の過程を

伝わってくる。異なる時代背景で同じ文化要素を

解釈しても,それは違ったものを意味することに

なってしまう。時代背景や社会構造が重要になっ

てくる所以はそこにある。

以上の特質を踏まえ,文化変容の研究方法論を

まとめてみる。文化変容は文化の変動に着目する。

文化の変動に着目するとは,変動の過程に着目す

ることである。変動の過程は,外来文化との接触,

流入,波及,影響をさすこととする。外来文化が

日本文化と接触し,流入か流入の拒否の段階があ

る。外来文化が流入すると,さまざまな領域に波

及し,具体的な影響が日本文化に現れてくる。物

質文化と精神文化では,影響が現れてくる期間に

差異がでてくる。

この変動の過程をみていくには,文化変容の研

究方法が必要になってくる。文化変容の研究方法

の意義は,現在に残っている文化要素から,その

文化要素の解釈をたどることが可能であるということである

。つまり,時代背景や社会構造をふま

えての解釈である。匚なぜ,その文化要素は変化

したのか」「以前の状況はどうであったか」「それ

に対する背景はどうであったか」を探求過程とし

て設定することによって,文化変容の研究目的で

ある変動の過程に現れる現象(社会的必然性=文

化要素と解釈)にはたらく合理化の根拠を探ることができるのである。以上のような方法論にしたがった文化変容の視

点から明らかになる歴史は,以下3点にまとめら

れる。歴史教育における内容構成に求められる

「時代の特色」や匚時代の移り変わり」の視点に一致してくるのである。

①時代背景・社会構造として文化をみる歴史

②外来文化を受容・変容していくダイナミッ

クな営みの積み重ねとしての歴史③文化要素の相互関連と配置のしかたに視点をあてだ歴史

今日まで存在する文化要素,排除されてしまっ

た文化要素かおるが,いずれもわが国にいったん

受容され,なんらかの変容の過程を経過している。

その変容の過程において,何らかの諸条件によっ

て変容をしたはずである。同じ文化要素であって

も,受容した時代によっては異なる変容のしかた

をしたであろうし,同時期に受容した同じような

文化要素が全く異なる変容をたどる場合もある。

そこに文化変容論のダイナミズムがあるのである。

以下,文化変容論の視点を組み込んだ歴史授業

構成原理の視点を示す。

71-

1。文化変容論の視点

①異なった文化との接触によって,文化が

いかに変容したかの過程をみていく。

②その場合,大別すると,「‾ある文化が他の

文化と接触して受けた影響」か厂他の文

化によるある文化の変容」を包括的に理解しようとする。

③匚文化」を単に事実としてとらえるので

はなく,時代背景・社会構造や日本の歴

史の動きをとらえる理論としてとらえることにする。

つまり,単なる文化事項の学習ではな

く,また,あらゆる文化要素に転移でき

る一般性の高い文化変容のパターンを学

習するものでもなく,時代を区切り,そ

の時代背景や社会構造がとらえられる理論を学習するものとする。

④従来の権力側からの視点ではなくて,民

衆の側からの視点に立っての文化と文化

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の衝突によるダイナミックな変容をみる。

2.文化変容論の取り扱う範囲

文化変容論の取り扱う範囲は,各々の文

化要素を変容させた要因,また時代を理解

させる説明仮説である。図1のモデルによる(b)(C)が

,文化変容

論の取り扱う範囲となる。

3.学習・教授過程

①つまり,文化の変容の過程をみていくこ

とによって,その時代の人びとの行動を

規定する規則を理解する=理論の発見。

②学習した理論を検証する過程を保証し,

批判的な学習を保証する。

文化要素A(a)↑

←社会構造・時代背景→(c)

変容→(b)

③そこで,発見した理論は,個別的知識と

違って,それ以外の社会事象に転移する。

④よって,文化の変容の過程から発見した

理論を教育内容として設定できる。

⑤文化変容論の命題化は,社会諸科学の研

究成果に依拠しながら行なう。

4.授業構成上の時代区分時代区分としては,以下のように設定す

る。(1)前近代の東アジア世界における文化変容(a)大陸文化の日本化

(b)南蛮文化の日本化(2)近代世界における文化変容

歴史的な文化複合(d)

文化要素B(a)↑

←社会構造・時代背景→(c)

(a)は,各々の文化要素に限定して,説明するもの

(b)は,各々の文化要素を変容さす要因

(c)は,時代を理解させる説明仮説

(d)は,全時代を理解させる説明仮説(一般性の高いもの)

変容→(b)

図工 文化変容論の取り扱う範囲

Ⅲ。文化変容論の視点を組み込んだ授業構成(1)授業構成の視点

現在,伝統文化と呼ばれる茶道,香道,華道は,

中世に成立した。従来,それらのものは,ひとに

ぎりの支配者階級にだけ享受されたものとして取り扱われてきた

。しかし,いずれもひろく民衆的

基盤をもっており,むしろ自由奔放な庶民の文化

から芸能へと高められる共通の傾向をもっていることが注目される。

なぜ,中世に現在まで続く曇哇的な文化が生み

出されてきたのか,その社会構造,時代背景はど

のようなものであるかを,茶の文化要素変動過程

をみながら,変動過程の理論を通して茶の文化要

素にみる文化変容をみていきたい。

文化要素C-(a)-↑

←社会構造・時代背景→i(C)

(目にみえるもの)

(目にみえないもの)

そこで,単元「茶にみる文化変容一非日常性と

しての茶-」を設定した。

(2)小単元の構成と概要

・茶と芸能性(3時間配当を想定)・茶と時代性(2時間配当を想定)

(3)知識の構造(到達目標)A.中国の禅宗文化の一つの文化要素として受容

された茶は,庶民層にも浸透し,身分に関係

ない寄合の場が成立すると,茶は遊興性を有

するようになった。A-1.茶は,栄西によって宋(中国)からもた

らされた。A-2.茶は新しい文化要素であり

,薬用としてとらえられた。

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A-2-ア。中世の支配腦は,武士である。

A-2-イ。武士階級が取り入れた文化は,禅宗文化である。

A-2-ウ。禅宗は,当時の流行文化である。

A-2-エ。禅宗は,教養であり,文化として受容された。

A-2一才。禅宗は,幕府の権威を飾る宗派として,

保護されることになった。A-2-カ

。茶は,禅僧の修業や寺院の生活に欠か

せぬものとなって定着していった。

A-3.茶という新しい禅宗文化が,中世の身分

間の交流に支えられて,庶民層に広まっていった。

A-3-ア。庶民腦は,禅宗文化を村の行事に組み入れ,嗜好品としての茶として取り大れた。

A-3-イ。茶は,全国的に栽培されるようになった。

A-3-ウ。中世においては身分階層の間に上下交

流が活発に生じ,両者が文化を共有す

るようになった。A-3-エ。貴族文化であった連歌が

,あらゆる階腦に享受された。

A-3-オ。民間芸能の猿楽能は,演劇的構造をそ

なえ,支配階級から民衆にいたるまで

の階層に享受された。

A-4.茶は,身分の交流の寄合が成立すると,共

同飲食の茶として遊興の手段となっていった。

A-4-ア。闘茶は,身分間の交流を促した。

A-4-イ。さまざまな身分の交流を促すのは,寄合の場である。

A-4-ウ。茶寄合に参加したのは,バサラ大名や町衆と呼ばれる大びとであった。

A↓エ。バサラ大名は,旧来の秩序や権威に対

して挑戦的であった。

A↓オ。町衆は,経済力と文化性をもっていた。

A-4-力。寄合の共同飲食は,大と人の結束を深める。

A-4一半。寄合には,茶や酒,料理が饗されるようになる。

A-4-ク。人々は共同飲食によって,集団的な快

-73-

楽を求めていた。Aヰヶ。寄合の共同飲食は,非日常的な世界を

創りだす。

B。茶が緊張したハレの場となると,遊興として

の茶から虚構の世界を演出する芸能となる。

B-1.茶は,喫茶というごく日常的な行為に,し

ぐさや場にある種の虚構化を施して定型化した。

B-1-ア。茶は,茶をたてる際の道具の扱いや姿

勢,手の順序などが型として定型化していった。

B-レイ。茶の湯は,会所=書院造を場として,

最初に定型化をみる。B-2.茶は,芸能化する過程で,精神t生をもつよ

うになる。B-2-ア

。唐物崇拝の風潮のなかに,中世的な不

足の美の主張が茶の世界にも生じた。

B-2-イ。和物の粗相ではあるが,暖かみと親しみをもった美の認識がすすむ。

B-2-ウ。陶磁器の美を茶人たちは,高麗・李朝

の焼き物に見い出した。

B-2-エ。茶から生じた精神歐は,わびである。

B-2-オ。わびの思想は,唐物に対する和物,完

全なものよりは不完全なものに新しい美の基準を創造した。

B-3.茶が芸能となると,職能人(茶人)を出現させる。

B-3-ア。演者としての茶人が現われる。

B-3-イ。茶人は別世界の人間のようによそおい,

普段の自分ではない変身をとげた者としての自覚のもとに行動する。

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(4) 授業展開

段階 発      問 資料 学    習     内    容 指導上 の留意点

1時間目

○ 現在,私 たちは茶をど のよ うにとらえてい

るだろうか。

○ 日本の伝統文化 ととらえら れる茶 は, 中世

に成立するが, どのような過程を 通して成

立し たのかみていこう。

○ また中世を貫 く中国的価値観 の変 容につい

てもみていこう。

・喫茶としての茶と芸能としての茶であるo ・他 の嗜好品が, 日 本では芸

能にい たらな か ったのはな

ぜか, それ は嗜好 品自体 に

原因が ある のか, 芸能にい

たる時 代背景 にある のか,

本小単元 で は後者 に焦点を

あて ながら授 業を すすめ て

いくo

○中世 に茶は,どこから入 って きたのかO

O 中世の支配者 は, 茶をど のようにとらえて

いたかO

・中世 の支配者層は,誰かO

・武士階級が取り入れた文化 は何かO

・なぜ武士 は禅宗文化を取り入 れたのかO

・禅宗文化 は, 武士階級 にとってどのよ うに

受 容されたのか。

・武士によ って,禅宗文化 はどのよう に扱 わ

れたかO

・禅宗の茶 は, どのよ うに浸透してい ったの

か。

○茶が庶民層 に広が ったのは, なぜか。

・茶は,庶民層 にはどのように拡大されていっ

たのか。

・庶民層 に拡 大されて きた結 果, ど のよ うな

現象がお きて きたか。

・身分階 層の間に上下交流 が生 じた結果,両

者の文化 はど のよ うになっていったかO

・貴族の文化 はど うなったのかO

・庶民層に広まった文化は何か。

○な ぜ, 身分 に関係な い上 下交流によ って,

茶が遊興の茶に変容していったのか。

・上下交流は, 何によ って展開されたのかO

・上下交流は,どのような場で行われたのか。

・茶寄合に参加したのは,どんな人々か。

・ バサラ大名と は, どのような特徴を もつの

か。

・町衆は,どのような人 だちか。

・ 寄合の共同飲食 は, そこ に参加 する人間関

係 にどのような影響を与えたかO

・ 寄合の共同飲 食は, ど のよう に行われるの

か。

・寄合 の共同飲食の目的は何か。

・寄合の共同飲 食の世界は,ど のような もの

か。

・茶 の変容を通 して, 中国的

価値観 がど のよう に変容 し

ていったのかを みていく。

・当時の中国的価値観として,

禅宗文化を とらえるo

・ 寄合 について は, 一揆 のと

ころで 「一味 同心・一 味神

水 」を 学習し ている ので,

ここで あげる 寄合の精 神 に

通じることを加える。

茶は, 栄西によ って宋(中国)からもたらされた。

・武士階級であるO

・禅宗文化 である。

・禅宗は,当時の流行文化であるO

・教養であり,文化として取り入れられた。

・幕府の権威を飾る宗派として,保護されることになっ

たO

・禅 僧の修業や寺院 の生活 に欠 かせぬ ものとな って定

着していった。

2時間目

茶 は新しい文化要素 であり,薬用としてとらえられた。

・ 禅宗文化 を村の行事 に組 み入 れ,嗜好品と しての茶

として取り入れた。

・茶 は,全国的に栽培 されるようになった。

・身 分階層の間に上下交 流が 活発に生じ,両者 が文化

を共有するようになる。

・貴族文化であった連歌は,あらゆる階層に享受された。

・民 間芸能の猿楽能 は, 演劇的構造を備え, 支配階級

か ら民衆にいたるまでの階層に享受された。

茶という新しい禅宗文化 が, 中世 の身分間 の交 流に支

えられて庶民層に広まってい ったo

・闘茶である。

・さまざまな身分 の交流を促すのは,寄合の場であ る。

・バサラ大名や町衆と呼ばれる人々であった。

・旧来 の秩序や権威に対して挑戦的であった。

・経済力 と文化力を もっていた。

・寄合の共同飲食は,大と人の結束を深 めるo

・寄合には, 茶や酒,料理が饗されるよう になった。

・集団 的な快楽を求 めていたo

・寄合の共同 飲食 は,非日常的な世界を創り出す。

茶は,身分 の交流 の寄合が成立すると,共同飲食 の茶 として遊興の手 段

となっていった。

74 ―

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○ これまで みて きた茶は,ど のような変容を

して きたかo

○な ぜ薬用 の茶が,遊興 の茶に変容したのか。

○茶 は,どのように定型化 していったか。

・ど のよ うなところから定型化していったか。

・ 茶の湯の場 は, どのよう に定型 化してい っ

たのか。

○茶 が芸能化する ということ は, どういう こ

とか。

・茶 は,唐物崇拝の風潮にどう対応したか。

・和物を求めたのは, なぜかo

・陶磁器の美をどこに求 めたか。

・茶から生まれた精神性 は,何か。

・ わび茶の思想は,何か。

○茶 が芸能になる と, どのよ うな変化 が生じ

るのか。

・茶が芸能化する過程で,出現したのは誰か。

・茶人は,どのよ うに行動したがo

○ これまでみてき た茶は, ど のよ うな変容を

みせてきたか。

○なぜ,茶は芸能 とな っていったのか。

●な ぜ, 茶は薬用 の茶から芸能 の茶に変 容し

ていったのか。

○で は, 中世に成立 した華道・香道 の変 容は

どうであったであろうか。

3時間目

中国的価値観 の強い薬用 の茶から, 庶民層にまで拡大さ れた遊興 の茶に

変容した。

中国の禅宗文化 の一つの文化 要素として茶が受容されるが,庶民層にも浸透し,

身分に関係ない寄合 の場が成立すると,茶 は遊興性を有するよ うになった。

・茶を たて る際の道具の扱いや姿勢, 手の順序などが

型として定型化していった。

・茶 の湯 は, 会所=書院造り の場を通 して,最初 の定

型化をみるo

・芸能化 と定型化 につい て,

現代 の伝統文化 につ いて考

えさせて みる。

・当時 の中国 的価値観を 知る

上 で, 唐物崇 拝の風 潮とそ

れに対 する和物 に対 する想

いを比 較さ せながら 考察さ

せる。

4時間目

茶 は, 喫茶 というごく日常的な行為 に, しぐさや場 に

ある種の虚構化を施して定型化 した。

・唐物崇拝 の風 潮の中に,中世的 な不足 の美の主張が

茶の世界 にも生じた。

・和物 は粗相 ではあるが,暖か みと親しみを もった美

の認識が すすんだ。

・陶磁器 の美を 茶人たちは,高麗・ 李朝の焼き物 に見

いだした。

・わびであ るo

・わ びの思想 は, 従来にない新 しい美 の基準を創造し

たo

茶は,芸能化 する過程で,精神性を もつようになった。

・演者として の茶人が,現れる。

・別世界の人 間のようによそおい,普 段の自分で はな

い変身を遂げた者としての自覚 のもとに行動する。

5時間目

茶が芸能となると,職能人 (茶人)を出現させる。

遊興の茶から,芸能の茶に変容 した。

茶が緊張し たハレの場となると,遊興としての茶から虚構 の世界を演出する芸能

になる。

茶 は,寄合性と虚柵性が具有されると,芸能 として成立した。

※ 口 ‾¬ は,小単元を貫く問いに対する理論である。

F   日ま,上記 の問いに対する下位 の問いに対する理論であるO

○ は,小単元を貫く問いであるO

O は,小単元を貫く問いに対 する下位の問いであ る。

・ は,下位 の問いを構成する問いである。

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Page 8: 文化変容の礼靴こ基づいた歴史教育の研究 A Study of History …repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/14531/1/AN... · 文化のシステムの変化に注目するといえる

[資料の出典]資料① 『図説 日本文化の歴史6 南北朝・室町』小学館, 1986.10, p. 10.資料② 村井康彦『茶の文化史』岩波新書, 1981.2, p. 77.資料③ 平田精耕『高僧伝 栄西』集英社, 1985.9, p. 165.資料④ 『図説 日本文化の歴史6 南北朝

・室町』小学館, 1986.10, p.146.

資料⑤ 『日本生活文化史4 庶民生活の上昇』河出書房新社, 1980.10,口絵.

資料⑥ 『朝日百科 日本の歴史5 中世皿』朝日新聞社, 1989, p.175.資料⑦ 村井康彦『茶の湯』大阪書籍, 1982.10, p.103.

熊倉功夫『茶の文化史』日本放送出版協会, 1995.1, p.36.資料⑧ 『図説 日本文化の歴史6 南北朝

・室町』小学館, 1986.10, p.22.

資料⑨ 『図説 日本文化の歴史6 南北朝・室町』小学館, 1986.10, p.117.

資料⑩ 千 宗室『裏千家 茶道のおしえ』日本放送協会, 1990.6, p.117.資料⑩ 熊倉功夫『茶の文化史』日本放送出版協会, 1995.1, p.23.資料⑩ 『朝日百科 日本の歴史4 中世I』朝日新聞社, 1989, p.290.資料⑩ 村井康彦『茶の湯』大阪書籍, 1982.10, p.170.資料⑩ 『朝日百科 日本の歴史5 中世H』朝日新聞社, 1989, p.153.資料⑩ 千 宗室「裏千家 茶道のおしえ」日本放送協会, 1990.6,口絵.

IV.おわりに

高等学校日本史の文化史学習の問題点を改善する認識方法論として

,文化変容の視点から文化変

容論を提示した。その理論に基づいた授業を実践

してみた。生徒の評価については,まだ分析がで

きていない状況である。理論の有効欧と問題点に

ついては,今後明らかにし,問題点については改

善を行っていく必要がある。

[註]1)社会認識教育学会編『地理歴史科教育』学術図書出版社, 1996, p.73.2)熊谷幸次郎『歴史教育への道』法律文化社

1980, pp.94-97.3)『教職研修総合特集 キ

ーワード申教審答申読本』 教育開発研究所, No.130, 1996.4)同上.5)亀井浩明「文化と伝統を尊重する態度をどう考えるか

」奥田眞丈監修『「総合的な学習」の

実践「生きる力」100の課題徹底理解』教育開発研究所, 1997, p.27.6)原田智仁「高校日本史カリキ

ュラム論」『教育科学 社会科教育』明治図書, No.445, 1997.9, p.118.

7)熊谷幸次郎,前掲書,

pp.90-93.8)原田智仁「高等学校地理歴史科の授業づくりの方法

」星村平和編『社会科授業の理論と展開』

現代教育社, 1995, p.112.9)姫岡 勤『文化人類学』ミネルヴァ書房

1985, p.173.10)同上書, p.174.11)同上書, p.176.12)同上書,p.177.

13)増田義郎『日本人が世界史と衝突したとき』弓立社, 1997, p.25.

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