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1 / 4 PRESS RELEASE 2020/3/11 北太平洋の生態系を潤す,鉄分の海洋循環メカニズムを解明 ~有機物にくっついてオホーツク海から亜熱帯へ,4,000km の旅~ ポイント ・水に溶けにくい必須栄養素である鉄分が北太平洋を長距離移動するメカニズムを解明。 ・オホーツク海の堆積物由来の鉄が有機物とくっつくことで,海洋内に広く運ばれていることを発見。 ・気候変動に伴う日本近海の海洋生態系への影響の理解に大きく貢献。 概要 北海道大学大学院地球環境科学研究院の山下洋平准教授と同大学低温科学研究所の西岡 純准教 授は,東京大学大気海洋研究所の小畑 元教授及び小川浩史教授らと共同で,「どのようにしてオホ ーツク海由来の鉄分が北太平洋の広範囲に運ばれているのか」,そのメカニズムを捉える事に成功し ました。 鉄分は生物にとって必須の栄養素ですが,海水に溶けにくい性質を持ちます。世界の多くの海域で は,鉄分の多さが生態系の基盤である植物プランクトンの豊富さを左右しているため,鉄分の海洋循 環メカニズムを明らかにすることは海洋生態系を理解する上で重要なテーマです。北太平洋では,鉄 分の多くがオホーツク海の大陸棚堆積物から供給され,海洋内を長距離運ばれていることがこれまで の研究から明らかとなっていましたが,どのようにして溶けにくい鉄分が海洋の広範囲に運ばれてい るか,そのメカニズム自体は不明でした。そこで研究グループは,鉄分を溶かす(鉄分と錯体を形成 する)働きをもつ有機物である「腐植物質」に着目し,オホーツク海から亜熱帯海域までの広範な海 域における鉄分と腐植物質の南北断面分布を世界で初めて明らかにしました。特筆すべきは,海洋に 存在する腐植物質を,海洋内部で細菌により生み出されるもの(自生性)と海洋の外から供給される もの(外来性)に区別する手法を考案し,外来性である堆積物起源の腐植物質のみの分布を定量化す る事に世界で初めて成功した点です。これにより,オホーツク海の堆積物起源の腐植物質は鉄分と錯 体を形成することで,北太平洋の中層水循環 *1 システムによって,少なくとも 4,000km 運ばれ,亜 熱帯海域にまで達している事が判明しました。 本研究成果は,気候変動によって環境が大きく変わりつつある海洋において,必須栄養素である鉄 分の輸送を介して,生物生産性や二酸化炭素吸収量がどのように変動していくかを理解する上でも貴 重な知見となります。 なお本研究は,新学術領域研究「海洋混合学の創設」及び「新海洋像」,その他の科学研究費補助 金,低温科学研究所共同利用の助成を受けて実施され,2020 年 3 月 11 日(水)公開の Scientific Reports 誌にオンライン掲載されました。

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PRESS RELEASE 2020/3/11

北太平洋の生態系を潤す,鉄分の海洋循環メカニズムを解明 ~有機物にくっついてオホーツク海から亜熱帯へ,4,000kmの旅~

ポイント

・水に溶けにくい必須栄養素である鉄分が北太平洋を長距離移動するメカニズムを解明。

・オホーツク海の堆積物由来の鉄が有機物とくっつくことで,海洋内に広く運ばれていることを発見。

・気候変動に伴う日本近海の海洋生態系への影響の理解に大きく貢献。

概要

北海道大学大学院地球環境科学研究院の山下洋平准教授と同大学低温科学研究所の西岡 純准教

授は,東京大学大気海洋研究所の小畑 元教授及び小川浩史教授らと共同で,「どのようにしてオホ

ーツク海由来の鉄分が北太平洋の広範囲に運ばれているのか」,そのメカニズムを捉える事に成功し

ました。

鉄分は生物にとって必須の栄養素ですが,海水に溶けにくい性質を持ちます。世界の多くの海域で

は,鉄分の多さが生態系の基盤である植物プランクトンの豊富さを左右しているため,鉄分の海洋循

環メカニズムを明らかにすることは海洋生態系を理解する上で重要なテーマです。北太平洋では,鉄

分の多くがオホーツク海の大陸棚堆積物から供給され,海洋内を長距離運ばれていることがこれまで

の研究から明らかとなっていましたが,どのようにして溶けにくい鉄分が海洋の広範囲に運ばれてい

るか,そのメカニズム自体は不明でした。そこで研究グループは,鉄分を溶かす(鉄分と錯体を形成

する)働きをもつ有機物である「腐植物質」に着目し,オホーツク海から亜熱帯海域までの広範な海

域における鉄分と腐植物質の南北断面分布を世界で初めて明らかにしました。特筆すべきは,海洋に

存在する腐植物質を,海洋内部で細菌により生み出されるもの(自生性)と海洋の外から供給される

もの(外来性)に区別する手法を考案し,外来性である堆積物起源の腐植物質のみの分布を定量化す

る事に世界で初めて成功した点です。これにより,オホーツク海の堆積物起源の腐植物質は鉄分と錯

体を形成することで,北太平洋の中層水循環*1 システムによって,少なくとも 4,000km 運ばれ,亜

熱帯海域にまで達している事が判明しました。

本研究成果は,気候変動によって環境が大きく変わりつつある海洋において,必須栄養素である鉄

分の輸送を介して,生物生産性や二酸化炭素吸収量がどのように変動していくかを理解する上でも貴

重な知見となります。

なお本研究は,新学術領域研究「海洋混合学の創設」及び「新海洋像」,その他の科学研究費補助

金,低温科学研究所共同利用の助成を受けて実施され,2020 年 3 月 11 日(水)公開の Scientific

Reports 誌にオンライン掲載されました。

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【背景】

海洋生態系の豊かさを支える植物プランクトンの生育には,窒素やリンなどの主要な栄養素のほか

に,鉄分などの微量栄養素も不可欠です。しかし,鉄分は海水に極めて溶けにくいため,粒子となっ

て海底に沈殿し,水中からすぐに無くなってしまうことから,鉄分の不足が植物プランクトンの成長

を抑える一因となっている海域が世界中に広く存在しています。一方で,有機配位子*2 が存在すると,

鉄分は海水に溶け,海洋の水の循環に乗って遠い海域まで運ばれると考えられていますが,海水中に

存在する鉄分や有機配位子の化学的実体は解明が遅れており,海洋における鉄分循環を解明する上で

重要な研究テーマとなっていました。

基本的に鉄分が不足している北部北太平洋では,大気から降り注ぐ微粒子に含まれる鉄分が植物プ

ランクトンの増殖を支えていると歴史的に考えられてきましたが,研究グループの最近の研究により,

オホーツク海の大陸棚堆積物から供給された鉄分が中層水循環により海洋へと運ばれ,植物プランク

トンの増殖に寄与していることがわかってきました。しかし,オホーツク海の堆積物由来の鉄分がど

のようにして北太平洋の広い海域に行き渡るのか,そのメカニズムは解明されていませんでした。

そのため研究グループは,海水中の代表的な有機配位子である「腐植物質」に着目し,鉄分と腐植

物質の分布を海洋の広い範囲で調査することで,オホーツク海から北太平洋全体に運ばれる鉄分の化

学的実体を把握し,輸送メカニズムを解明する事を試みました。

【研究手法】

本研究には,試料採取から分析に至るまで,汚染が生じない状態で処理をする特殊技術で鉄分を分

析し,さらに有機配位子である腐植物質を蛍光分析する必要があります。

そこで,研究グループは,研究船を用いることでオホーツク海と西部北太平洋を観測しました(図

1)。オホーツク海の観測は,日本の研究グループのみでは実施することが困難であるため,ロシア極

東海洋気象研究所との共同で,同研究所所属のクロモフ号とマルタノフスキー号による観測を行い,

西部北太平洋の観測は,海洋研究開発機構の学術研究船白鳳丸で実施しました。これらの航海は,30

名近い研究者と数十名の乗組員が1ヶ月以上も船上で過ごす長期航海であり,鉄分と腐植物質の分布

を,同時かつ高精度で得るために,採水や濾過などの処理と分析を昼夜問わず行いました。

【研究成果】

本研究で大きな壁となったのは,腐植物質の由来をどのように判断するかという点です。海水中の

腐植物質には,海洋細菌によってその場で生成されるもの(自生性)と,ほかの場所から運ばれてき

たもの(外来性)が混在している事がかねてより指摘されていたためです。そこで研究グループは,

海洋細菌が活動すると酸素が消費される事に着目し,海水中の溶存酸素濃度などを計測することで,

自生性と外来性の腐植物質を定量的に区別し,それらの分布を求めることに成功しました。その結果,

北太平洋の中層域に分布する外来性の腐植物質は,オホーツク海で海氷が作られる時に海底の堆積物

から高密度海水へと流れ出し,その後は少なくとも数十年にわたって分解・除去されず,中層水循環

により 4,000km 以上運ばれ,北太平洋の亜熱帯海域まで達する事がわかりました。

また,腐植物質の分布をもとに,腐植物質の有機配位子としての能力を示す鉄溶解度の分布を計算

し,腐植物質と錯体を形成している鉄濃度の分布を明らかにしました。これにより,堆積物起源の腐

植物質と錯体を形成している鉄分は,中層水循環により北太平洋に広く運ばれていることがわかりま

した(図 2)。

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【今後への期待】

本研究により,オホーツク海の堆積物由来の腐植物質が鉄分を北太平洋の亜熱帯海域まで広く運ん

でいる事がわかりました。これはオホーツク海が鉄分の長距離輸送を介して,亜寒帯海域のみでなく,

亜熱帯海域の植物プランクトンや魚などの生物生産にも影響を及ぼしている可能性を示しています。

近年,オホーツク海では海氷面積が減少し,「鉄分を運ぶエンジン」ともいうべき中層水循環が弱く

なってきています。本研究成果によって,オホーツク海の変化が北太平洋全域における生物生産に及

ぼす影響の解明へつながる事が期待されます。

論文情報

論文名 Shelf humic substances as carriers for basin-scale iron transport in the North Pacific

(北太平洋における大陸棚堆積物起源の腐植物質による海盆スケールの鉄分輸送)

著者名 山下洋平 1,西岡 純 2,小畑 元 3,小川浩史 3(1 北海道大学大学院地球環境科学研究院,

2 北海道大学低温科学研究所,3 東京大学大気海洋研究所)

雑誌名 Scientific Reports

DOI s41598-020-61375-7

公表日 日本時間 2020 年 3 月 11 日(水)19 時(オンライン公開)

お問い合わせ先

北海道大学大学院地球環境科学研究院 准教授 山下洋平(やましたようへい)

TEL 011-706-2349 メール [email protected]

URL https://geos.ees.hokudai.ac.jp/yamashita/

配信元

北海道大学総務企画部広報課(〒060-0808 札幌市北区北 8 条西 5 丁目)

TEL 011-706-2610 FAX 011-706-2092 メール [email protected]

東京大学大気海洋研究所 広報室(〒277-8564 千葉県柏市柏の葉 5-1-5)

メール [email protected]

【用語解説】

*1 中層水循環 ・・・ 冬季のオホーツク海の北西陸棚域では活発に海氷が生成され, それに伴い形成さ

れる冷たくて高塩分な高密度陸棚水が, 千島列島間のブッソル海峡を経由し, 北太平洋の中層(200

〜800 m)に拡がっていくこと。

*2 有機配位子 ・・・ 金属イオンと結びつく(錯体を形成する)ことができる有機物のこと。

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【参考図】

図 1.左:オホーツク海から亜熱帯海域における観測点。右上:ブッソル海峡付近の観測を実施したロシ

ア極東海洋気象研究所所属船のマルタノフスキー号。右下:西部北太平洋の観測を実施した海洋研究

開発機構の学術研究船白鳳丸。

図 2.海水中の堆積物起源の腐植物質と錯体を形成する鉄分の分布