日本基督教団百人町教会 2012 年3月18 日 ろば...

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1 日本基督教団百人町教会 2012 3 18 ろば No.192 拝:毎週日曜 午前 10 時半 東京家政専門学校 2 聖書研究会:第 13 水曜 午後 7 石原 連絡先:〒162-0066 東京都新宿区 市谷台町 14-1-701 晶淳 TEL/FAX 03-3351-0807 http://www3.ocn.ne.jp/~roba 郵便振替口座:00180-8-565379 百人町教会 集会案内

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    日本基督教団百人町教会 2012年 3月 18日 ろば No.192

    私の目線(五四)

    大きなものに護られて

    上田

    美鈴

    いつも困っている時に何かが手助けをして

    くれる。思えば優樹が幼稚園の年少の終わり頃、

    それまで幼稚園と併用して社会福祉協議会の育

    成室に通っていたころ、支援をレベルアップさ

    せたいなと、考えていました。突然、育成室が

    閉鎖されることになり、子供発達支援センター

    に移る事になりました。ここでの支援がちょう

    ど、私が思っていたレベルアップになりました。

    馴染みの先生達との別れは辛かったですが優樹

    には良いことでした。また、隔週の先生との面

    談や同じ教室に通っている子のお母さんとの会

    話で、私のストレスもかなり減りました。例え

    ば優樹が二歳くらいの頃、遊びに来た人が帰る

    時、相手がバイバイと手を振っても優樹はなか

    なか手を振り返さず、私が優樹の手をもって振

    っていました。相手が遠くの方に行って見えな

    くなったころようやく手を振っていました。こ

    んな事を支援センターに通っている他の子のお

    母さんたちに話すと「うちも同じだよ」と、言

    う声にホッとしていました。そして悩みが笑い

    に変わっていきました。何か大きな力が働いた

    ことを感じました。

    ある日、お風呂に湯はりしようと栓をしてフ

    タをした時、風呂の栓がちゃんとなっていない

    イメージが湧いたのです。でも自分ではちゃん

    と栓をしたつもりだったので、「マサカな」と思

    い確かめずそのまま湯はりをしました。さあ、

    お風呂に入ろうと思って風呂のフタを開けたら

    全くお湯が溜まっていなかったという経験をし

    たことがあります。ある本に「イメージやひら

    めきは打ち消さないほうがよい」と書いてあっ

    たのを思い出し、こんな時さえ何かが働きイメ

    ージを与えてくれたと感じました。

    今年度学級の保護者の委員になりました。委

    員を決める時、前年度委員の人に「他にもなっ

    てもいいと言っている人がいるから無理してな

    らなくてもいいよ」と、言ってもらえたのに私

    はその言葉を聞き入れず、委員をすることにし

    ました。もう一人の委員は、優樹が二年の時に

    帰りが同じ方向だったので時々話をしたりして

    一緒に帰ったことのあるお母さんで、私とはち

    ょっと考えが違うなと感じていた人でした。事

    あるごとにぶつかってしまい二人の仲が悪くな

    ったそんな時、①私の気持ちを解ってくれる人

    が常にいて話を聞いてくれて②出来事を客観的

    に見てくれ③「相手が誤解して心がかたくなに

    なっているから誤解を解かなきゃ」と、言って

    くれて④「ちょっと肩に力が入りすぎてるよ」

    と、言って助言をしてくれた人達が順番に現れ

    てくれました。そんな時も何か大きなものに護

    られているのを感じました。その後も⑤二人が

    うまくいくように、「情報を言ってあげた方が

    いい」と、教えてくれる人がいてくれました。

    お陰で二人の仲は険悪を免れうまくいくよ

    うになりました。

    あと二ヶ月、もう一人の委員の人を立てつつ、

    力まずやっていこうと思っています。

    礼 拝:毎週日曜 午前 10時半

    於 東京家政専門学校 2階 聖書研究会:第 1・3水曜 午後 7時

    於 石原 宅

    連絡先:〒162-0066 東京都新宿区

    市谷台町 14-1-701 賈 晶淳 方

    TEL/FAX 03-3351-0807

    http://www3.ocn.ne.jp/~roba

    郵便振替口座:00180-8-565379

    ろ ば 百人町教会

    集会案内

  • 2012年 3月 18日 ろば No.192 日本基督教団百人町教会

    2

    大惨事を前に、「神信仰」は可能か 佐

    「大惨事」といえば、今の私たちは何よりも

    東日本大震災を思います。ただ、私自身は被災

    者ではありません。私の兄姉および親族たちは

    福島県の中通りに住んでいますので、福島第一

    核発電所の事故の影響をもろに受けています。

    そのためいつも心が痛みますが、私の家自体が

    津波で流されたり、私自身が放射能で町から追

    われたわけではありません。その意味では、こ

    のような主題で語ることには忸怩たるものがあ

    ります。

    ただし、首都直下型大地震が確実に来る、そ

    れも今日明日に起こっても全く不思議ではない

    と言われている現在は、私がいつ「当事者」に

    なっても不思議はないのです。また、福島第一

    核発電所の惨事のために、多くの人々が「放射

    線管理区域」と同様の地表上に住むことになり、

    また私たちの全員がそこから来る放射性物質の

    食物連鎖に常に晒されている現状を思えば、日

    本に生きる者は誰しも何らかの程度の「当事者」

    であることを避けることは出来ないのです。そ

    の意味で、標題の問は、日本にいるキリスト教

    者なら誰でも多かれ少なかれ心に持っているも

    のではないでしょうか。

    つまり、「キリスト教信仰」の伝統によれば

    「愛と正義の主」であるはずの神が、なぜこの

    ような仕業を下すのか、という問です。実はこ

    れは、聖書の中でも、「知恵文学」という分野の

    最大の課題でした。知恵文学はもともと神の「創

    造」の秩序を賛美することから始まったのです

    が、外国の支配を受け続け、貧富の差が拡大す

    るにつれ、その「創造」の秩序に亀裂が走り出

    したのです。神の慈愛と社会正義、そして苦難

    との釣り合いが崩壊し出したのです。これは、

    世界を統べる「人格神」という前提への激しい

    挑戦でした。

    この問に対しては、それは「罪」への「罰」

    である、というのが最も一般的な理解でした。

    しかし、なぜその「罪」を犯した当事者ではな

    く、全く無辜の者がそのために苦しまねばなら

    ないのかが解決されませんでした。ここに「コ

    ヘレトの書」や「ヨブ記」の苦しみがあります。

    この前の東日本大震災でも、石原都知事が、拝

    金主義の日本に「天罰」が下ったのだ、と言い

    ましたが、ではなぜ、その罰が石原知事自身や

    東京電力のお偉方、そして金権政治屋などに下

    らず、全く罪のない大川小学校の子供たちに下

    らねばならないのか。つまり、この「合理化」

    した説明では、人はとうてい納得できないので

    す。 も

    う一つの合理的理解は、そうした無辜の者

    たちが犠牲になるのは、それによって他の者を

    「贖う」ためだ、というものです。しかしこれ

    は残った者たちの勝手な自己防衛的理解であっ

    て、そもそも、なぜそのような「贖い」が必要

    なのか、なぜ子供たちがそのために犠牲になら

    ねばならないのか、犠牲になった子供たちの運

    命はどうなるのかが、全く納得不可で残ること

    になります。

    さらにもう一つの合理化は、こうした運命は、

    神が私たちに対して施した「教育的配慮」であ

    る、私たちがこの「試練」に打ち勝つことで、

    より真実なものを知るための神の配慮である、

    というものです。しかしこれも、残った者の自

    己正当化の論理であり、去ってしまった者たち

    には、どのようにしてその「教育」の意義が及

    ぶのか、解せない点として残るのです。

    そこでとうとう最後に知恵文学は、「分から

    ない」、神のなさることは、被造物の知恵の及ぶ

    ところではない、として、判断中止してしまっ

    たのです。しかしそれは、事実上、「伝統的な神

    中心の世界観」の崩壊を意味します。人類は、

    とりわけ二〇世紀の二つの世界大戦、その後の

    ロシアや中国の大量虐殺の事実などを前にして、

    事実上は、これまでのキリスト教的な「愛と公

    平の神」の世界史支配という伝統的テーゼを放

    棄せずにおれなくなった、と思うのです。この

    前の新聞記事ですと、カトリックの法王ですら、

    七歳の子供に「どうして日本の子供は怖くて悲

    しい思いをしなければならないの」と問われた

    のに対して、「私も自問しており、答えはないか

    も知れない」と述べたそうです。正直なことで

    す。ここに、現代の文明世界においてキリスト

    教的世界観が急速に衰退してしまった、一つの

    根があります。

    しかしそれでは一切が無に帰し、混沌のみが

    支配し、愚昧なニヒリズムしか存在しないのか、

    ということになります。これに対しては、私は

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    日本基督教団百人町教会 2012年 3月 18日 ろば No.192

    個人的に以下のように感じています。つまり、

    少なくとも二つの点において、「合理性」を超え

    た「非合理的」な次元での力が存在し、それが

    私たちに、統一的な神観念の崩壊の中でも、新

    たに一歩を踏み出させるということです。

    一つは、私が「悲劇力」と呼びたい現象です。

    今回の震災でも、数えることが出来ないほどの

    鮮烈な事件が報じられ、周りの者の胸を抉りま

    した。たとえば宮城県南三陸町の防災放送担当

    の職員・遠藤未希さんは、到来する津波の危険

    を知らせ、人々を大至急非難するよう叫びつづ

    ける中で、自らは命を落としてしまった。二十

    四歳の彼女は、二〇一一年の秋には結婚するは

    ずでした。また、同じ宮城県女川町の水産加工

    会社専務の佐藤充さんは、中国・大連から来て

    いた研修生二十名を高台に避難させた後、自ら

    は津波に呑まれて行きました。これら痛ましい

    事件は、私たちを強烈に打たずにはいません。

    そしてその中に、ただのニヒリズムに陥らせな

    い何かが潜んでいるのです。実は、イエスの杭

    殺刑(いわゆる十字架刑)の事件も、同じもの

    を持っていることに気がつくのです。パウロは

    それを、「杭殺柱の言葉」にある「神の力」(1

    コリント一章)と呼んでいます。それは、この

    悲惨な事件のあとに「復活」があると信じられ

    るので出てくる慰めの力、というのではないの

    です。その悲惨な事件そのものが、私たちを「異

    様な力」で襲うのです。そしてそれが私たちを

    新たに連帯させる。「去って行った者たち」が与

    える力なのです。

    今日の聖句は、ルカ福音書からの言葉でした。

    「ノアの日々にそうであったと同じように、人

    の子の日々においてもそのようになるだろう。

    人々は食べたり飲んだり、娶ったり嫁いだりし

    ていた。そうしているうちに、ノアが箱船に入

    り、大洪水がやって来てすべての者を滅ぼして

    しまった……。人の子が啓示される日も、同一

    のことになるだろう」(ルカ一七・二六―三〇)。

    普通はノアが義人で、他の人々は罪の中に生き

    ていた、とされます。しかしよく見れば、「食べ

    たり飲んだり、娶ったり嫁いだり」とは、私た

    ちの生活そのものです。それ自体に何の「罪」

    があるでしょう。しかしながら、洪水は「すべ

    ての者を滅ぼしてしまった」。ではその際の「人

    の子」とは誰でしょう。「人の子」とは、神の

    王国の主体のことですが、私にはこの滅ぼされ

    た人々の一人一人が「人の子」だと思われるの

    です。「人の子」は、天から雲に乗ってやって

    来はしないのです。「人の子」は、悲劇のただ

    中にいる主体その人のことです。

    これは、神の沈黙を超えて湧き出る「声」で、

    それを聞きとれば、大惨事を引き起こした「神」

    すらをも最後に私たちは許すことができる、と

    思います。これは不遜な言い方ですが、あえて

    そう言える次元があると思います。イエスは、

    最後に「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てに

    なったのか」と叫んで死んだ、という記事があ

    ります。この伝承史的問題はさておき、この言

    葉は今言った意味で、「神を許す」声にすら聞こ

    えてくるのです。

    もし「キリスト教」が新生するとすれば、こ

    の「悲劇」の感覚を鋭利にし、深化するしかな

    いのではないか、と思います。それは、特殊キ

    リスト教的な事態ではありません。むしろ、ど

    の宗教の枠内であろうと発生する、人間の最奥

    の生(なま)の事実だと思います。キリスト教

    はそれを鮮明に聞き取り、そこから言葉を発す

    る運動としてこそ、再生出来るのではないか。

    世界観的な次元の「神」信仰を、どう整合的に

    リハビリするかには、もはや全く希望がなく、

    正当にも放棄されてしかるべきではないかと思

    います。

    ここで、もう一つの「非合理的力」の源泉を

    あげて終りにします。それは「ジャーナの力」

    とでもいうべきものです。つまり、自己の中へ、

    ある敷居を越えて冥想的に沈潜することによっ

    て、人間は合理性を全く超えた、ある不可思議

    な力に出会います。これは命の根源の泉からの

    力です。それによって、はげしい苦悩や絶望の

    中ですら、「非合理的に安心」しているという事

    態が可能になります。こうした次元の可能性は、

    身体的「行」をほとんど無視してきたキリスト

    教の伝統では、考えてきませんでした。しかし

    東洋では二、三千年もの間、この「行」の道を

    保ってきました。まさに世界遺産と呼ばれるべ

    き人類の「財」です。これをこのまま滅ぼして

    しまうことは、まことにもったいないことです。

    というのも、ここに「七転び八起き」の力性の

    非合理な源泉が潜んでいるように思えるからで

    す。

  • 2012年 3月 18日 ろば No.192 日本基督教団百人町教会

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    九世紀中国の大変有名な禅師匠・趙州(じょ

    うしゅう)和尚に関して、次のような逸話が伝

    わっています。「(人、)問う、『大難、到来す。

    いかんが回避せん』。師いわく、『恰好』(かつこ

    う)」。「恰好」とは、「あたかも好し」、つまり、

    「よし来た!」という意味です。自分からその

    「大難」に向かっていく、それがその大難を避

    ける最善の道だというのです。これがこの「ジ

    ャーナ(この場合は坐禅)の道」のダイナミッ

    クスです。

    この「ジャーナの力」と「悲劇力」とが一体

    になれば、何か新しい宗教的力が鮮明に姿を見

    せるのではないか、と思っています。でもそれ

    は、何も将来のことではなく、今既に生じてい

    ることかも知れません。先日、大船渡町の医師

    でカトリックの山浦玄嗣さんが言っていました

    が、信者も含めた町の人たちの中には、「なぜ自

    分だけこんな目に遭わねばならんのだ」と愚痴

    る者が一人もいない。ただ黙々と助け合って前

    へ進んでいる、というのです。ここに既に、「大

    惨事」を前にすっ飛んだ「神信仰」をもさらに

    超えた、或る何かが生きているような気がしま

    す。

    (二〇一二年二月一九日証詞より)

    佐藤

    研氏(さとう

    みがく)

    一九四八年生まれ。東京大学大学院(西洋古典

    学)、ベルン大学等で学ぶ。神学博士(ベルン大

    学)。立教大学文学部キリスト教学科教員。新約

    聖書翻訳委員会訳『新約聖書』(岩波書店)で共

    観福音書を担当。著書に『悲劇と福音』(清水書

    院)ほか。

    今年度後半の活動

    写真を中心に

    韓国ソウル訪問

    二〇一一・一一・二九~一二・二、参加者一

    四名。主目的は留学や仕事などで来日し百人町

    教会で信仰生活を共にした仲間との再会。十数

    年ぶりの再会となった方もいるし赤ちゃんを連

    れてきた方もいた。一三名と再会を果たし、今

    後の交流の可能性も見えてきた。主目的達成の

    後は、毎週水曜日に日本大使館前で行われてい

    る元従軍慰安婦のハルモニたちのデモを訪問し、

    また「

    教会だから出来ることです」

    と『国家保安

    法廃止』の大きな垂れ幕を掲げた香隣教会を訪

    問した。切符を買って地下鉄やバスに乗り、見

    たいものを見ながら町を歩き、美味しいものも

    たくさん食べた。

    礼拝を待つこどもたち

    Sクリスマス会

    二〇一一・一二・二三日、杉並の石原氏宅で

    クリスマス会が開かれた。参加者はこども一五

    名におとなが加わり三七名。キャンドル・サー

    ビス、本の読み聞かせの間は静かだったこども

    たちも食事、ケーキカットと進むにつれ楽しさ

    が増しサンタさんの登場で最高潮。各自のため

    に心を込めて選ばれた本のプレゼント。賈牧師

    に祈って頂き、また会いたいと思いつつ家路へ。

    日本大使館前での水曜デモ

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    日本基督教団百人町教会 2012年 3月 18日 ろば No.192

    東北被災地を訪ねる旅

    二・一三~一五日、教会有志一五名が旅に出

    た。初日は福島の原町教会と保育園を訪問。土

    壌の除染、食材購入の困難さなど、今も続く放

    射能との闘いをじっくり聞く。夜は、地元の詩

    人で反原発の立場からの著書も多い若松丈太郎

    氏ご夫妻の話に学ぶところが多かった。

    翌日は海岸沿いに気仙沼まで北上。至る所に

    見られる瓦礫の山、打ち上げられた船やひっく

    り返ったままの車、外壁だけの建物という風景

    が圧倒的な迫力で目に焼き付けられる。夜は、

    震災以来この地でボランティアを続ける青年た

    ちの話に希望の光を感じた。帰路には千厩教会

    を訪問することもできた。

    復興はまだ遠いが、ここに住む人々は日常を

    取り戻そうと懸命に生きている。南相馬のいち

    ご園も再開された。松島にも観光客の姿があっ

    た。少しの献金と買物をし、話を聞くことしか

    できない私たちを暖かく迎えてくださった東北

    の方々に心から感謝したい。そして地方の教会

    の状況を知る機会が与えられたことも貴重な体

    験だった。

    冬季集会

    二月二五~二六日、参加者二一名、於龍ヶ崎

    阿蘇宅。テーマは二つ。①阿蘇敏文牧師が農作

    業を中心に据え若者と寝食を共にしながら様々

    なプログラムを実践してきた龍ヶ崎の建物を今

    後どう使うか②今後の韓国との交流について。

    活発な意見が交わされ充実した話し合いができ、

    今後の見通しも立ってきた。総会を経た上で詳

    細は次号で報告したい。

    豊かな食事は充実した話し合いのエネルギー

    原町聖愛保育園の庭に

    設置された放射線の

    モニタリングポスト

    0.165μSv/hを表示

    気仙沼での風景

    海底の瓦礫除去が終わるのを

    待ちながら出漁に備える

  • 2012年 3月 18日 ろば No.192 日本基督教団百人町教会

    6

    「慣れ」と「自信」

    久保

    祐輔

    人はこれまでの人生を振り返るときが必要

    であろう。

    私はこれまで三十年以上いわゆる開発途上

    国の開発と呼ばれる領域で仕事をしてきた。最

    初に長期で行った国はバングラデシュであった。

    首都から二百キロほど離れた農村での滞在であ

    り仕事であった。できるだけ現地の人たちの暮

    らしぶりと同じような生活に努めた。村での私

    の仕事は、農家の人たちが行っている牛やヤギ、

    鶏などの家畜や家禽飼育の改善を通して、農村

    での貧しい人たちの生活改善や収入向上を目指

    すことである。仕事を始めた当初は村の人たち

    の状況を理解するためや、私を村の人たちに知

    ってもらうために自転車で村を回った。一緒に

    村を回る協働者はパキスタンからの独立戦争を

    戦った「解放のための戦士」と呼ばれる若者で

    あった。村にある地元NGOのセンターに寝泊

    まりし、村では村人が出してくれる食事を食べ、

    池や川から汲んできてくれる水を飲んだ。村の

    人たちの生活と同じようにすることにより、村

    の人たちと同じように、時には下痢をすること

    にもなるが、次第に村にそして仕事に慣れてい

    った。

    その後ソマリア、フィリピン、ヨルダン、ブ

    ータン、ミャンマーなどにも長期で滞在したが、

    普通の日本人の感覚からするとすべて遠隔地で

    ある。ソマリアでの仕事はエチオピアとの国境

    沿いにある難民キャンプの人たちのためのもの

    であり、難民の人たちが定住していくために、

    主に農業分野での支援を行うことであった。私

    が住んだのは難民キャンプがある地域であり、

    生活環境はキャンプに住んでいる人たちのそれ

    とさほど差がない状況であった。フィリピンで

    は、当初はミンダナオのダバオに住み、村を回

    っては農村の人々の自立のための支援を主な仕

    事とした。その後、フィリピンで最も高い山で

    あるアポ山の麓にある少数民族の人たちの村に

    住み、調査を行った。ヨルダンでは死海のそば

    の農村で女性の人たちの収入源拡大のための家

    畜飼育(ヤギ)を支援することが私の仕事であ

    った。ブータンでは首都に住み、必要に応じて

    農村を回るということであった。一般の日本の

    人たちにとっては、ブータンは国自体が遠隔地

    と考えられている国である。このように、私が

    これまでかかわった地域はこのような遠隔地と

    いえる場所であった。

    二〇一〇年まで約五年間住んだミャンマー

    での私の仕事は、中国との国境にあるコーカン

    という少数民族地域において、ケシ栽培をやめ

    た人々に対する支援であった。例えば、代替作

    物の普及(茶やそばなど)、生活改善(家畜飼育

    による収入源の拡大)、識字教育の普及、道路な

    ど農村インフラ整備などであった。私の仕事場

    であるコーカンに行くためには首都から二日か

    かる。コーカンは、一般観光客のみではなく、

    ミャンマーに住んでいる日本人も行くための許

    可が得られない地域であった。コーカンの中に

    は、車ではいけない村も多い。それらの村を数

    日あるいは一週間かけて回ることもある。コー

    カンは山岳地域であるため、車が走れる道路も

    狭く、片側が崖になっている場所も多い。雨期

    になれば車はスリップをしやすく、危険も伴う。

    舗装されていない道路ではぬかるみにタイヤを

    取られる。タイヤにはめるチェーンは必需品で

    あり、また道路に埋まった車の下の土を取るた

    めのクワも必需品であった。チェーンをはめて

    いても車をぬかるみから出すことができないと

    きもある。そのような地域での仕事であった。

    私はこれまで三十年以上いわゆる開発途上

    国と呼ばれている国の農村、とりわけ遠隔地農

    村での仕事に従事してきた。前述したように、

    ミャンマー以外にも、ブータン、ヨルダン、フ

    ィリピン、ソマリア、バングラデシュなどの国

    に直接出向き、そこでの仕事を行ってきた。ま

    た、現場に行かないときには日本にあるアジア

    学院というアジア・アフリカ農村指導者養成の

    ための学校で、留学生の人たちのための研修に

    携わった。オランダで開発学の研究に従事した

    留学時代も含めるとこれまでの三十年は一貫し

    て開発途上国の農村に目を向けてきたといえる。

    その中心は農村に直接かかわることであった。

    私はもともと四国の農家の長男として生ま

    れた。私の実家は決して大きい農家ではなく、

    その地域の一般の農家と同様、地域を大事にし

    ながら農業を行っている人たちの中にある。私

  • 7

    日本基督教団百人町教会 2012年 3月 18日 ろば No.192

    も農業をしたいと思っていた。実家が酪農をし

    ていたこともあり、酪農に関心を持ち、北海道

    の酪農学園で獣医の勉強をした。その後開発途

    上国での仕事に関心をもち、親の反対を押し切

    って、開発途上国の仕事を始めた。私のこれま

    での生き方の原点は、私が農家の長男であった

    ということのように思える。そのためか、これ

    までの私の生き方を見直すとき、私は現場であ

    る農村に身を置くことを常に重視してきたよう

    に思える。

    これまで続けてきたことにより、農村の現場

    で私が行う仕事に私自身がある意味での「慣れ」

    を持つようになってきたと最近感じることがあ

    る。また、私なりに体を動かし、精神を込めて

    行ってきたという少しの「自信」もそこに含ま

    れているようである。もちろん、これまで私が

    やってきたことがすべてうまくいってきたとい

    うことではない。様々な失敗もし、意識してい

    るしないにかかわらず間違いもした。「慣れ」と

    自分に対する「自信」はおそらく必要なことで

    はあろう。が、同時にこれらの「慣れ」や多少

    の「自信」という意識を持つがゆえに、新たな

    発想や考え、チャレンジの可能性を自ら狭めて

    いるようにも思える。

    「慣れ」や「自信」は自分にとってかなり厄

    介なもののようである。「慣れ」や「自信」は様々

    な局面に影響してくる。例えば、他者との関係

    においてややもすると他者が見えない状況を自

    分自身で作り上げる可能性がある。もちろん、

    「慣れ」や「自信」がなければ他者を見ること

    ができるということではないが、「慣れ」や「自

    信」は他者を見えにくくする可能性を確実に高

    めると思う。例えば私のケースで考えるならば、

    それは協働者に対してであり、村の人たちに対

    してであり、自然に対してである。それは往々

    にして私に比べて発言権が弱い立場の人となる。

    これらを私がどのように昇華し、次につなげて

    いけるか。今私に向けられている重要な課題に

    思える。

    言うまでもないことであるが、それぞれの地

    域ではそこに住んでいる人々が何年、何十年、

    先祖を含めると何百年、何千年と生活を行い、

    自然とともに、時には自然を相手に、生きてい

    く方法を作り、生活をしてきている。様々な技

    術や村の仕組み、自然とのかかわりの儀式や慣

    習を作ってきている。それらは長い時間の流れ

    の中で作られてきたものである。多くはなかな

    か変化しづらいものであるが、外部の力や技術、

    ものなどにより簡単に壊れてしまうものもある。

    人間は必ずしも長い将来を見通せるとは限らな

    い。目先の欲や必要性のために、あるいはその

    ような意識さえなくても、これまで長く培って

    きたものを簡単に壊すことさえある。

    自然や人々が培ってきたものを大切にしな

    ければならないとする考え方は現代の日本の多

    くの人に受け入れやすい考え方であろう。しか

    し、具体的にどのようにしていくかはそう簡単

    なことではない。その理由の一つは、これまで

    自然や人々により培われてきた自然や生活の手

    段、技術、村の仕組みや村の人たちとの関係と

    いったものが、現代に必要とされている生活の

    質や収入、技術、人との関係等に必ずしも役立

    つとは限らないからであろう。また、人はそれ

    らを完全に理解することはできないからでもあ

    ろう。これまで培ってきた自然と人の関係や地

    域の人たちとの関係など、その理解は完全なも

    のとはならず、自身の生活に直接役に立つと思

    われる範囲で受け入れられることになるのであ

    ろう。

    私は、この二月から二年間の予定でアフリカ

    のウガンダに行く。ウガンダの北部は二十年間

    ほど内戦があった地域であり、二百万人の国内

    避難民が出た地域であるが、数年前から治安が

    好転した地域である。私が今回携わる仕事は、

    避難民が村に帰ったのちのコミュニティの再生

    のために、地元の人たちが行う開発努力を支援

    することであり、また県や郡といった地方行政

    の機能向上を支援することである。今回の仕事

    もやはり農村での仕事である。新たな地域での

    新たな仕事であるが、これまでの「慣れ」や「自

    信」を昇華しながら、さらに深いレベルで貢献

    できるために、新たな領域に進んでいくことが

    必要であると考えている。

  • 2012年 3月 18日 ろば No.192 日本基督教団百人町教会

    8

    図書紹介

    『日本紀行』

    イザベラ・バード著

    講談社学術文庫

    著者・英国人・イザベラ・バードが一八七八

    年四七歳で健康回復する為に母国を離れ(持病

    を抱えていて転地療養の為と文明化された国に

    馴染んで暮らすことができない性分もあって世

    界各地を旅した)横浜に上陸し、欧米人未踏の

    内陸ルート・東京―函館間三ヵ月(

    六月―九月)

    の旅を敢行。苦難に満ちた旅の折々に、彼女が

    自らの見聞や日本の印象を故国の妹と私的な友

    人にあてて書いた手紙を中心に構成した本。

    旅には馬を利用。馬を借りるのに相当苦労し

    た事が彼女の主要な関心事となっている。

    彼女は従者を雇うが、紹介状も持たない、若

    い、ハンサムでもない、やや怪しくもある男を

    選んだ―彼女の観察眼は独得。

    挿画は日本人画家の三点をのぞき、彼女の描

    いたスケッチか日本の写真から版を起こしたも

    のとあるが、とても繊細に出来ている。富士山

    の絵が二枚あるが日本に来た時と帰国直前の絵

    で心の変化が現れている。

    維新後間もない東北・北海道の文化・習俗・

    自然等を書いた日本北方紀行。下巻は北海道へ

    到達し、函館を起点とし、道内を旅し、アイヌ

    の人々と熱く接し、文化を観察。江戸時代以来

    続いてきた圧迫の上に、明治新政府による北海

    道開拓方針下の強制同化政策のもと、古来の習

    俗を禁じられ、日本語や文字の強制、先住民ア

    イヌ民族の文化や社会を破壊する方向に追いや

    られた。

    あとがきに、「アイヌ文化振興法が一九九七年

    施行されたが、明治期に差別と貧困のうちに生

    きたアイヌ民族の現実には今なお厳しいものが

    ある。本書がアイヌ民族やその歴史、彼らがお

    かれている現状、アイヌ語やアイヌ文化等につ

    いての認識と理解を深める契機となるように」

    とある。この本に書かれているのは当時の一面、

    今は存在しない世界だが日本人のルーツを知る

    本。彼女は日本のやさしさや美徳や幸せに気づ

    いた。「世界中で日本ほど婦人が危険にも無作

    法な目にもあわず全く安全に旅行出来る国はな

    いと信じている」と書いていて、治安のよい国

    ではあった事がわかるが、日本人の事を肯定的

    に見ているわけではなく、感じたまま書き分け

    られている。明治初期の日本の田舎の姿を覗く

    ことができる。旅人としてみると、その姿は貧

    しく、素朴そのもの。

    家のたたずまいに驚いた―イギリスとの違い

    ―日本の本当の姿を見たまま書いている。障子

    で仕切られた部屋、穴からいつも誰かがのぞい

    ている―プライバシーがないと。

    当時、江戸時代からの移動の制限が残り、ま

    だ日本が発展していない中では、豊かな農村と、

    貧しい疲弊した農村には大きな差があり、貧し

    い疲弊した農村では生きる事が精一杯だった。

    今、江戸時代の良さがなくなり、人の結びつ

    きが薄れ、私達は古いものはどんどんすててき

    た。大切な物までもすててきたのではないか。

    (坂

    百合子)

    ろばのせなか

    佐藤研氏は、十字架を杭殺柱と表現し杭殺刑

    を受け入れて死んでいったイエスの姿に信仰の

    基本を据えられています。「非合理的」な次元で

    の力の存在が、行き詰まっているキリスト教信

    仰に、新たな一歩を踏み出させるという言葉に

    共感します。礼拝で話すことは避けてきたとい

    う佐藤氏が証詞をして下さり感謝です。応答の

    時間が足りませんでした。急なお願いにもかか

    わらずすぐに原稿を下さり「ろば」に載せるこ

    とが出来ました。ありがとうございます。

    大震災から一年が過ぎても目に見えない放

    射能におびえながら、あるいは、瓦礫すら片付

    けられず遅々として進まない復興の中で人々は

    生活しています。施政者への怒りは収まりませ

    んが、私たちは生活している人々を念頭に出来

    ることをし続けたいです。

    (小池

    恵子)

    人は旅することで経験を重ね、思いを深める

    のでしょうか。上田美鈴さんが優樹君と共に心

    の旅を続けたように。

    明治初期の日本で、馬での不自由な旅を三か

    月も続けたイザベラ・バードにとっても、それ

    は必要なことだったのでしょう。

    久保祐輔氏も再び旅立ちました。

    そして百人町教会も韓国へ、東北へ、龍ヶ崎

    へと新たな展開をしようとしています。

    そなえられた道筋を誤らず進むことができま

    すように。

    (榎本

    征子)

    ろば一九一号六頁の写真キャプション「昇天」

    を「召天」に訂正します。

    (編集委員会)