家族に対するがん告知 - chiba...

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171 家族に対するがん告知 About truth telling the diagnosis of cancer to patient’s family 石田 瞳 ISHIDA Hitomi 要旨 近年、最高裁判決で医師の説明義務の範囲が患者だけでなく、その家族にも及ぶと 判断された。これにより、医師は患者本人以外である家族等に対してもがんの告知義務を 負担することとなる。しかし、なぜ、医師は診療契約の当事者以外の家族に対して、告知 義務を負うのかが問題となる。患者の家族に対するがん告知に関しては、わが国における 研究は十分に尽くされていないのが現状である。医師と患者との診療契約において、患者 の家族は如何なる法的地位を与えられるのかと言う点は、詳細に検討すべき課題であろう。 そこで、本稿においてはこの点を検討するために、2でがん告知と家族が問題となった 裁判例および学説の同行を整理し、医師の裁量権、家族へのがん告知、告知適否義務を診 療契約の観点から考察するという構成をとっている。 1 はじめに 医師が患者に対して説明義務を負うことについて、今日においてはほとんど異論がない。 このことは、医療における利益の主体が患者本人であることから、病状改善のために必要 となる医療措置を施す際、患者の身体に対して侵襲を伴うために患者本人の自己決定の下 での有効な同意が必要となることからも伺える。これは、医師が有効な同意を得るために、 患者にとって必要である情報を提供するべき義務が存在するという考え方に基づいている。 しかし、「がん」といった治療が困難であり回復の見込みがない患者に対し、病状や病 名などを告知することについては、告知自体が患者の心身状況を著しく損なう恐れの可能 性が高い。このことから、右告知に対する医師の裁量権と残りの人生をいかにより良く過 ごすのかという患者の自己決定権との関係が問題となる。 生命・生き方にかかわる決定を本人の認識の無いままになされることは、いかに正当化 されるのか。また、家族などへの告知はどのような位置づけでなされるのか。本稿におい ては、まず、がん告知に対する判例と学説を紹介しながら整理し、最後に本稿が掲げた課 題を再検討し、今後のあるべき方向性を探る。 なお、本稿においては、家族に対する病名告知の問題に重点をあてて検討する。なぜな ら、たとえ家族といえども、他者の介入が無原則的になされることがよいわけでもなく 1) 家族の問題を本人の問題の中に収めて論じる事は適切ではないと思われるからである 2) 1) 唄孝一・石川稔編『家族と医療―その法的考察―』弘文堂、第1版、1995 年 唄孝一「家族と医療 序説―個の再生産と種の再生産」4頁 2) 癌の病名告知における本人への問題については、重要な課題ではあるが、時間的、能力的にも本稿に おいては、検討できなかった。

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家族に対するがん告知About truth telling the diagnosis of cancer to patient’s family

石田 瞳 ISHIDA Hitomi

要旨 近年、最高裁判決で医師の説明義務の範囲が患者だけでなく、その家族にも及ぶと判断された。これにより、医師は患者本人以外である家族等に対してもがんの告知義務を負担することとなる。しかし、なぜ、医師は診療契約の当事者以外の家族に対して、告知義務を負うのかが問題となる。患者の家族に対するがん告知に関しては、わが国における研究は十分に尽くされていないのが現状である。医師と患者との診療契約において、患者の家族は如何なる法的地位を与えられるのかと言う点は、詳細に検討すべき課題であろう。 そこで、本稿においてはこの点を検討するために、2でがん告知と家族が問題となった裁判例および学説の同行を整理し、医師の裁量権、家族へのがん告知、告知適否義務を診療契約の観点から考察するという構成をとっている。

1 はじめに

 医師が患者に対して説明義務を負うことについて、今日においてはほとんど異論がない。このことは、医療における利益の主体が患者本人であることから、病状改善のために必要となる医療措置を施す際、患者の身体に対して侵襲を伴うために患者本人の自己決定の下での有効な同意が必要となることからも伺える。これは、医師が有効な同意を得るために、患者にとって必要である情報を提供するべき義務が存在するという考え方に基づいている。 しかし、「がん」といった治療が困難であり回復の見込みがない患者に対し、病状や病名などを告知することについては、告知自体が患者の心身状況を著しく損なう恐れの可能性が高い。このことから、右告知に対する医師の裁量権と残りの人生をいかにより良く過ごすのかという患者の自己決定権との関係が問題となる。 生命・生き方にかかわる決定を本人の認識の無いままになされることは、いかに正当化されるのか。また、家族などへの告知はどのような位置づけでなされるのか。本稿においては、まず、がん告知に対する判例と学説を紹介しながら整理し、最後に本稿が掲げた課題を再検討し、今後のあるべき方向性を探る。 なお、本稿においては、家族に対する病名告知の問題に重点をあてて検討する。なぜなら、たとえ家族といえども、他者の介入が無原則的になされることがよいわけでもなく1)、家族の問題を本人の問題の中に収めて論じる事は適切ではないと思われるからである2)。

                1) 唄孝一・石川稔編『家族と医療―その法的考察―』弘文堂、第1版、1995 年唄孝一「家族と医療 序説―個の再生産と種の再生産」4頁

2) 癌の病名告知における本人への問題については、重要な課題ではあるが、時間的、能力的にも本稿においては、検討できなかった。

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人文社会科学研究 第 19 号

2 裁判例の動向と学説

 がん患者の家族に対する医師の告知義務が問題とされた裁判例としては、以下のものが挙げられる。

2.1 裁判例 ① 東京地判昭和 56 年 12 月 21 日(判時 1047 号 101 頁) 脳腫瘍の患者が剔出手術を受け一時退院したが、その後再発して他の病院に転院して死亡した。当該手術を行なう際に医師が患者および家族に対して真の病名告知をしなかったことにより、早期に適切な処置を受ける機会が失われたとして、同医師の告知義務違反が問題となった。 東京地裁は、患者の家族に対し真の病名の不告知に関し、結果的に妥当であったかは問題であるとしながらも、患者に与える不安などに鑑み、患者又は家族に対し病名を告知するか否かの判断は医師の裁量に属するとした。本件は、再発の恐怖を患者が訴えており、精神的安定を与える目的で同人および家族に対して告知しなかったという点に、医師の過失はないとして請求を棄却した。

 ② 大阪地判昭和 57 年9月 27 日(判時 1074 号 105 頁) 早期がんの疑いがある患者に病名告知をすることは相当でないと判断した医師が、代わりに家族に病名告知をして病巣切除手術を勧め、本人には病名を告知せずに手術を勧告した。手術を行ったものの縫合部分から胃の内容物が流出して、4回の手術を行ったが、患者は腹膜炎を起こし死亡した。病巣切除手術に際しての告知の不存在、手術の必要性・危険性などについての十分な説明がなかったことが問題となった。 大阪地裁は、診療契約上の義務、または医的侵襲に対する承諾の前提として、医師は、患者又は家族に対して、病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予想される危険などについて、当時の医療水準に照らし相当と思われる事項に関する説明義務を負うとした。しかし、がんに対する一般の認識や医療の現状、患者本人に及ぼす心理的影響などを考慮すると、病名を患者本人に告知することが妥当であるかは疑問であり、家族に対してなされた説明は十分に尽くされたものであるとして、請求を棄却した。

 ③ 名古屋地判平成元年5月 29 日(判時 1325 号 103 頁、判タ 699 号 279 頁) 検査結果に胆のうがんの疑いがある外来患者に対し、医師は入院による精密検査を実施して確定診断と治療方針の決定が必要であると判断した。しかし、患者の性格、家族関係、治療方針に対する家族の協力の見込みなどが不明であり、がんの疑いを患者に告知した場合には精神的打撃を与えて治療に悪影響を及ぼす恐れがあることから、患者には真の病名告知をしなかった。精密検査後に家族の中から適当な者を選んで説明することにした。患者は、海外旅行や家庭の事情により、同病院に入院することなく、がんセンターにて死亡した。本人に対し、真実と異なる病名を告げたこと、家族にがんまたはがんの疑いを説明しなかったことが義務違反にあたるか否かが問題となった。

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家族に対するがん告知(石田)

 名古屋地裁は、患者やその家族に対して医師が病気の内容やこれに対する治療方法、期待される治療効果を具体的に説明するのは診療契約の一内容であるとした。しかし右義務は、患者の権利を侵害しない限度において、説明の相手、時期、内容、程度についてはかかる説明が治療に対して影響を与えることから、病状の内容、程度に応じて、医師の裁量を認めた。不治ないし難治病疾患については、患者に与える精神的打撃を排除する慎重さが望まれるとして、真実と異なる病状の告知をしたことは説明義務違反とならないと判示し、請求を棄却した。

 ④  名古屋高判平成2年 10 月 31 日(高民集 43 巻3号 178 頁、判時 1373 号 68 頁、判タ 44 号 182 頁)③の控訴審判決である。

 名古屋高裁は、難治疾患における病名告知が患者にとって有益であるのか否かを医師と患者のおかれたすべての状況(患者の病状、意思、精神状態、受容能力、医師と患者の信頼関係の程度、家族の協力体制の有無や程度等)によるため、病名告知の当否は医療の専門家である医師の合理的裁量を尊重しなければならない。病名を告知する場合でも、その時期、告知の直接の相手方、告知の内容・態様、程度などについては、十分に慎重な配慮が必要とされる。しかし、病名の告知・不告知の態様が医師の合理的裁量を逸脱する場合には、説明義務の不履行と評価されることを認めた。この場合の合理性とは、当時の大多数の医師が相当としていた考え方に従って説明を行った場合には、特段の事情のない限り、これを違法と言うことはできないとした。本件は、昭和 58 年において、がん患者に対して真実とは異なる病名を告げることが許されると認定し、控訴を棄却した。

 ⑤ 静岡地裁沼津支部判平成2年 12 月 19 日(判例時報 1394 号 137 頁) 人間ドックの検査後、直腸に病変を発見した医師が直腸がんの疑いありと診断したが、受診者に対してそのことを告げず、また、精密検査の指示もしていなかった。約1年9ヶ月後、患者は血便の自覚症状を訴えて同病院の診察を受け、直腸がん、肝転移との診断されたため、摘出手術を行い退院した。その後、再発したために再度手術を受けたが、肺にも転移し死亡した。人間ドック検査時の医師の過失の有無と適切ながん告知、精密検査が行われていた場合の延命可能性の有無が問題となった。 静岡地裁沼津支部は、検査時の告知義務については場合を分けて判断すべきであるとした。発見された異常に確信が得られかつ疑診された疾患に治療法が確立している場合はこれを告知すべきであるが、そうでない場合の所見の告知は医師の裁量にゆだねられていると判示した。これは、本人及び親族に対しても同様であるとした。人間ドック検査時に直腸がんを疑う病変を発見したにもかかわらず、自ら検査することや、患者又はその家族に他の医療機関での精密検査を受診するよう説明指導すべき注意義務を失念し、放置したことについて、過失があると判示した。また、右過失による放置によって、直腸がんが相当程度進行したこと、人間ドックの直後に直腸がんについて確定診断が得られていれば早期に直腸がんの切除手術が可能であったと解され、患者の年齢、手術と再発の経過等を考慮して、人間ドック検査の直後に直腸がんの確定診断を得て手術が実施されていれば、根治しうるとまでは言えなくとも、少なくとも相当な期間延命できたと推認できることから、請求の一部を認容した。

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人文社会科学研究 第 19 号

 ⑥ 東京地判平成6年3月 30 日(判時 1522 号 104 頁) 進行性胃がんと診断された患者に対し、医師は、救命の可能性がほとんどないと判断し、「胃の出口にかなり大きな潰瘍があるから薬より手術の方がよい」と真実とは異なる説明をして入院と手術を勧めた。しかし、患者はこれを拒否し、同居している夫が心臓を患っているため、夫に対しても告知を控えた。代わりに患者の実弟に対して、告知を行ったが、実弟は「患者に告知してほしい」旨を医師に伝えた。それにもかかわらず、医師は本人に告知すべきでないと判断し、実弟に患者本人や夫には病名を伝えないよう頼んだ。患者の通院時に何度も入院、手術をするよう勧めたが、患者はこれを拒否し、最後には通院をやめてしまった。まもなく、患者は他の病院に入院し検査を受け「十二指腸にがんができている。1年以上前に手術していたら助かったのではないか」と言われたが、胃がんが肝臓に転移し、血小板減少症で死亡した。転医および家族への告知に対する義務違反が問題となった。 東京地裁は、医師の診療契約上の義務として、適切な治療実施義務のほか、それが不可能である場合の転医義務、「患者が適切に判断し得るように、患者に病状などを説明すべき」義務、および「何らかの事情で、患者本人に対する病状などの告知が適当でない場合には、その家族などの近親者に病状などを説明し、その協力の下に患者が適切な治療を受けることが可能となるような措置を執るべき」義務が含まれる。治療可能性の低いがんの告知の是非は、医師の合理的裁量に基づき、「病状の重篤さ、患者本人の希望、その人格、家庭環境、医師と患者の信頼関係、医療機関の人的物的設備など」を考慮して慎重に判断すべきとした。しかし、これは患者本人の余生を根本的に左右するため、医師の独断によるものではなく、「患者本人の医師やその家族などの意見を斟酌してなされなければならない」とした。一方、家族に対する告知については、患者に関する情報収集源として、また、患者に適切な治療を受けるよう働きかけるために家族その他の近親者に告知し、患者に適切な治療を受けるよう協力を求めることが必要である。 患者の同居家族に告知しなかったことは事情により許されるが、他の近親者(本件においては、近所に住む娘)に対して積極的に連絡を取る義務があるとした。右義務は、医師が家族の連絡先を紹介したところ、患者が回答を拒否したため、患者の家族または近親者の来院を漠然と待つのみでは、履行したとはいえないとする。患者本人や心臓病を患っている夫に対する不告知は不相当ではないが、娘がいることを知りながらも娘に告知しなかったことは、診療契約上の債務不履行にあたるため、請求を一部認容した。 本件は、患者の実弟に病名告知をしているため、これをもって近親者への告知義務の履行にあたるのか否かの判断を行っている。医師は、実弟に対して患者の家族関係を聞き出すにとどまっており、患者に対して入院や手術のための説得を依頼したのでもなく、娘に伝達を依頼したものでもない。むしろ、患者や家族に絶対に言わないでほしいと口止めしていることから、実弟に対する告知が右告知義務の履行にあたるものではないと判断している。右告知義務は、患者本人に告知するのが妥当でない場合に、本人保護の必要上、第二次的に家族らに告知する義務を生ずるものである。よって、家族らに対してなされる告知義務は、家族らに対する義務ではなく、患者本人に対する義務と解すると判示した。

 ⑦  最判平成7年4月 25 日(民集 49 巻4号 1163 頁、判時 1530 号 53 頁、判タ 877 号

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家族に対するがん告知(石田)

171 頁)③④の上告審判決である。 最高裁は、医師が患者に対して真の病名を告知することについて、次のように判示した。「医師が患者の精神的打撃と治療への悪影響を考慮し、重度の胆石症と説明して入院させた後に精密検査を行おうとしたことは、患者が初診でその性格なども不明であり、当時の医師の間ではがんについて患者に真実と異なる病名を告げるのが一般的であったことからしても医師としてやむを得ない措置であり、不合理とは言えない」と示した。 家族に対する告知は、医師にとって、初診の患者であるため、その家族関係や治療に対する家族の協力の見込みも不明であった。また、患者に対しては手術の必要な重度の胆石症と説明し、入院後に患者の家族の中から適当な者を選んで検査結果などを説明しようとしたことが不合理であったと言うことはできないとして、上告を棄却した。 患者として医師の相談を受ける以上、十分な治療を受けるためには専門家である医師の意見を尊重し治療に協力する必要があると判示している。

 ⑧ 秋田地判平成8年3月 22 日(判時 1595 号 123 頁) 昭和 60 年頃から循環器外来で診察を受けていた患者が、治療効果のために行ったX線撮影により両肺に陰影が発見され、担当医師は、肺末期がんで余命1年程度であると診断した。医師は、がんの告知が死を覚悟させるだけの意味しかないと考え、カルテに患者の家族に何らかの説明が必要と記載したものの、患者本人にも家族にも病名告知をすることはなかった。医師は患者に入院して検査を受ける事、診察に家族を同伴させる事を勧めたが、家庭上の事情によりこれを拒んだため、医師もそれ以上家族について尋ねることはしなかった。その後、患者は病状が好転しないことから、他の病院を受診したところ患者の長男に対して肺末期がんの告知がなされ、その後死亡した。患者本人及びその家族に対して病状の説明をしなかったために救命・延命の機会を失ったとして、告知義務違反が問題となった。 秋田地裁は、「死期、余命は、個人に関する重要な情報であり、その情報が本人ないし家族に伝えられれば、原告ら主張のように、突然に死を迎える場合に比較し、死を予期した上で、その余命をより充実して送れる場合もあろう。しかしながら、末期癌であることの告知はある意味では、死の宣告に等しいものであり、本人に与える精神的衝撃が非常に大きいものであることは容易に想像できることであり、本人に対しては告知すべきでない場合が多いであろうし、また、すべての家族が原告らの主張するように末期癌の告知を望んでいるとは考えられず、最後まで死を予期しない生活を送る事を望む場合もあると考えられる。癌告知を受けた家族が動揺し、本人に癌であることが伝わり、かえって告知後の生活を不良なものにしてしまう恐れもある。また、現在医療関係者間においても、末期癌の告知に関し、明確な基準が確立されているとは認められない。」「末期癌の告知を行うべきか、行うとしても、いつ、誰に対して、どのように行うかについては、一義的な基準を設ける事が困難な性質のものであり、結局、患者本人の病状、予測される余命の期間、本人及び家族の人格、生活状況、告知を望んでいるか否か、患者等と医師との信頼関係、告知後の精神的ケア・支援の見込み等の諸要素を検討した上での担当医師の判断に委ねられている」と裁判所は判断を提示し、末期癌の告知には、他の医療行為に比べ担当医師に広範な裁量が認められるとした。本人やその家族に告知がなされなかったことが患者の救命

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人文社会科学研究 第 19 号

ないし延命に関する治療上の不利益は生じていないことや本人に検査の必要性を説明していたこと、家族に病状を説明する必要性があると考えていたこと等により、不告知が医師の裁量権を逸脱するものとはいえず、請求を棄却した。

 ⑨ 仙台高裁秋田支部判平成 10 年3月9日(判時 1679 号 40 頁)⑧の控訴審判決である。 「平成二年当時の医療水準に照らせば、医師が末期癌の患者及びその家族に対して、癌告知をすべきがどうか、誰にいつどのように告知すべきか、ということについては、それまでの診療経過、病気の現状、必要な検査 ・治療及びこれに対する患者の対応、患者の年齢 ・性格 ・精神状態、家族環境、病名を知らせる事が治療に及ぼす影響、知らされた後の患者の心理面を支える体制などの諸事情を考慮した上での当該患者を担当する医師の合理的裁量に委ねられているものというべきであるが、これは、右に述べた諸事情を検討した上での専門家である医師がなした告知・不告知という判断を基本的に尊重すべきであるとするものであるから、医師が、積極的に右諸事情について情報収集をしなかったり、収集した情報を真剣に検討しないままに、漫然と癌告知しないという判断に至ることを許容するものではなく、それゆえ、医師としては、右癌告知の適否、告知時期、告知方法などを選択するために、右に述べた患者に関する諸事情に注意を払い、できる限り右患者に関する諸事情についての情報を得るよう努力する医療契約上の義務があるというべきである。 以上によれば、医師が右合理的裁量を逸脱して患者本人に癌告知をしなかった場合には、右説明義務違反は患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうるし、患者本人への不告知が相当であるとされる場合には、医師には、当然に患者の家族への告知の適否を検討すべき義務があるから、医師が合理的裁量を逸脱して患者の家族に癌告知をしなかった場合にも、右説明義務違反は患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうる。さらに、医師が、前記患者に関する諸事情についての情報収集を怠り、あるいは右収集した情報の検討を怠り、その結果、癌を告知しなかった場合には、そもそも、癌告知の適否を検討しなかったものとして、それ自体が患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうる」と裁判所は判断した。医師が患者に告知しなかったことについて、当時の医療水準に照らせば医師の合理的裁量の範囲内であると評価する事ができるのであって、これをもって医療契約上の義務違反があったとまでは言うことができず、債務不履行にも、不法行為にもあたらないとした。しかし、医師は積極的に右事情について情報を得るよう努力する医療契約上の義務があるとし、家族等においても、「患者に対しより納得のいく医療を施したり、より多くの時間を患者と過ごすことなどにより、患者との残り少ない人生を充実させることを期待し得た。」と判示した。 患者の家族にがん告知をすべきか否かの判断をするにあたり、必要な家族に関する情報を収集することや家族と連絡を取る努力を怠っていたとして、患者は、家族等とより多くの時間を過ごし、より充実した日々を送る事ができた可能性を奪われたものとし、期待権侵害によって患者が被った精神的損害を賠償すべきであるとした。医師は、患者の家族に対するがん告知の適否を検討する義務を尽くしていなかったとして、請求を一部認容した。

 ⑩  最判平成 14 年9月 24 日(判時 1803 号 28 頁、判タ 1106 号 87 頁)⑧⑨の上告審判決である。

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家族に対するがん告知(石田)

 「医師は診療契約上の付随義務として、患者に対し診断結果、治療方針などの説明義務を負担する。そして、患者が末期的疾患に罹患し、余命が限られている旨の診断をした医師が患者本人にはその旨を告知すべきではないと判断した場合には、患者本人やその家族にとってのその診断結果の重大性に照らすと、当該医師は、診療契約に付随する義務として、少なくとも、患者の家族等のうち連絡が容易なものに対しては接触し、同人または同人を介してさらに接触できた家族等に対する告知の適否を検討し、告知が適当であると判断できたときには、その診断結果などを説明すべき義務を負うものといわなければならない。なぜならば、このようにして告知を受けた家族等の側では、医師側の治療方針を理解した上で、物心両面において患者の治療を支え、また、患者の余命がより安らかで充実したものとなるように家族等としてのできる限りの手厚い配慮をすることが出来る事になり、適時の告知によって行われるであろうこのような家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益であるというべきだからである」と裁判所は判断し、上告を棄却した。 これに対し、本判決には、上田裁判官による反対意見が付されている。上田裁判官は、平成2,3年当時における末期癌の告知に関する医療水準を明らかにし、これに照らして、末期がんの告知につき診療契約上、医療機関がどのような債務を負うのか、あるいはどのような注意義務を課せられるのかを明らかにすべきであるとし、それを怠った原審は、重要な法律問題についての解釈を誤ったものとして、原判決を破棄し、差し戻すべきとされている。

 ⑪ さいたま地判川越支部平成 15 年 10 月 30 日(判タ 1185 号 252 頁) がんに罹患していた患者が入院中に自殺した。遺族らは、患者に検査結果及び治療方針を説明しなかった適時説明義務違反及び、がん告知に関して告知方法配慮義務違反、告知後の患者対応配慮義務違反が不法行為を構成するのか否かが問題となった。 さいたま地裁は、患者や家族から患者の病状などに対して説明を受けたいなどの積極的な要望がある場合、治療に悪影響を与えないよう配慮した上で可能な限りでその要望に応じることが望ましいとした。患者の病状など家族らに説明しなかった本件は、医師の対応に必ずしも十分とは言い難いが、患者の治療に関する自己決定権を侵害する違法な措置であったとは言えず、説明義務違反があったとは言えないとした。医師は、患者の治療に関する自己決定権にかんがみ、患者やその家族に対して説明義務を負うとした。しかし、がんのような難治疾患場合、いつ、誰に、いかなる内容をどのような方法、態様で説明すべきかは、患者の性格や心身の状態、家族環境、病状を知らせることの治療に及ぼす影響などの諸事情を勘案した上で、慎重な配慮が不可欠とした。また、告知後は、その影響にかんがみ、患者の病状や様態の推移などにいっそう留意し、その後の治療において患者に対し十分な配慮をすることが必要であるとした。本件は、いずれにおいても義務違反があるとは言えず、請求を棄却した。

 ⑫ 名古屋地判平成 19 年6月 14 日(判タ 1266 号 271 頁) 前立腺がんに罹患している患者に対し、医師はがんが進行性のものであり予後が良くないこと、検査及び治療を受けるべきことや薬の副作用などの説明を行い、泌尿器科専門医

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人文社会科学研究 第 19 号

のいる総合病院への転院を複数回にわたり説明したが、患者は薬の副作用である勃起傷害を避けたいとして、転院および本来の治療法の実施を拒否した。その後、なんとか転院したものの、骨転移も診断され前立腺がんに対する手術は行わなかった。再び、はじめの病院で入院治療を続けていたが死亡した。患者に対してがんの告知及び治療法などの説明義務の有無と近親者に対する告知義務が問題となった。 名古屋地裁は、医師は、患者との診療契約に基づき患者の疾患を治療するに当たり、特別の事情のない限り、患者に対して当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の治療の内容、治療に付随する危険性、他に選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務があるとした。がん告知においては、告知を受けた患者に対する肉体的・精神的影響を考慮し、告知しなかったからといって説明義務違反とはならない場合もあり得るが、告知する以上は、治療に対する患者の自己決定権の見地から、治療法等上記の点について十分説明すべきであるとした。医師は、患者に前立腺がんであることを告知したことが認められ、検査結果、治療法、予後等の説明についても不適切であったということはできないのであって、医師に過失があったということはできない、と判示した。 どのような治療を受けるかを決定するのは患者本人であり、医師が患者に対し治療法等の説明をしなければならないとされているのは、治療法の選択をする前提として患者が自己の病状等を理解する必要があるからだと判示した。その際、医師が患者本人に対する説明義務を果たし、その結果、患者が自己に対する治療法を選択したのであれば、医師はその選択を尊重すべきであり、かつそれに従って治療を行えば医師としての法的義務を果たしたといえ、このことは、仮にその治療法が疾患に対する最適な方法ではないとしても、変わりはないと判断した。 従って、医師は、患者本人に対し適切な説明をしたのであれば、さらに近親者へ告知する必要はなく、医師が患者の家族に対してがんを告知したことにより、家族らが患者を説得した結果、患者の気持ちが変わることがないとはいえないとしても、そのことから直ちに家族に対して癌を告知すべき法的な義務が生じるとまではいえない、と判示した。よって、家族に対して告知をしなかったからといって、医師に法的な義務違反はないと判断し、請求を棄却した。

2.2 裁判例の検討 告知すべきではないと判断している場合において、多くの場合、医師は患者本人に真実とは異なる病名を用い、家族に真実の病名を告げている。医師が患者本人に病名告知をせず、家族に対しても告知しなかったことが結果的に問題になるとしながらも、家族への告知の是非も医師の裁量に属すると言う判決がある(裁判例①④⑤⑧;以下、裁判例を挙げる際には番号のみとする)。また、告知の心理的影響にかんがみ、患者本人やその家族に対して説明義務を尽くしている場合、患者の家族に対する告知義務はないとする判決もある(③)。諸判例は、患者本人と患者の家族を同列に扱っており、ほとんど区別されていない。しかし、近年の判例においては、徐々に区別されるようになってきている。⑥は、患者に真実とは異なる病名を告げた医師は、患者が治療に協力するための配慮として、その家族に真実の病名を告げるべきか否かを検討する必要があると指摘している。右指摘に対し、家族に対する告知はそれ自体が医療活動を妨げるものではないとしている。これに

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より、もはや延命しか期待できず、患者本人に告知しない場合は、それを妨げる特別の事情がない(例えば、意思能力がない場合などが挙げられる)限りで家族その他の近親者には、患者が適切な治療を受けることができるように協力を求めるために告知すべきだとしている。右理由は、医師に対する有益な情報の提供や患者本人に適切な決断を促すという観点から要請されるものであるとした3)。⑨においても、患者本人への告知が不相当である場合には、医師に患者の家族への告知の適否を検討すべき義務があるとしている。⑩は、患者本人への不告知が相当である場合には、診療契約に付随する義務として、患者の家族らのうち連絡が容易なものに対しては接触し、同人又は同人を介して更に接触できた家族らに対する告知の適否を検討し、告知が適当であると判断できた場合には、その診断結果などを説明すべき義務を負うとした。 このように、患者の家族に対する告知の態様は、医師の裁量から義務へと移行しつつある。しかし、あくまでも患者本人に病名告知をするのが不相当の場合であり、⑫のように患者本人に告知がなされ、本人による治療法の選択がなされている場合には、家族への告知は不要であるとしている。このことからも、諸判例は、家族への告知もあくまでも本人に対する義務として捉えている。

2.3 学説 判例と同様に患者に告知すべきでないと判断した場合、患者の家族等に告知すべきであるという肯定の立場が多数説ではあるものの、その法的根拠については未だ十分な議論がなされたとはいえない。肯定の立場の場合、家族に告知をすることの実質的な利益として、患者本人に関する情報の収集、患者への伝達、家族による説得などが挙げられる4)。少数説ではあるが、法的根拠の不明さを理由に家族等への告知について疑問視している見解5)

や契約の当事者ではない患者の家族等が告知義務の客体となる事はできないという見解6)

も存在する。 多数説の中でも見解は分かれており、診療契約上、医師・患者間には「家族への告知」が黙示の合意であるとする見解7)、患者本人が有している自己決定権を代わりに行使することを認める見解8)、判断能力・自己決定能力を否定された患者に代わり近親者を代理人とする見解9)、医師法上の療養指導義務として位置づける見解10)、家族が患者の病状を把                3) 患者本人に告知するのが適当でない場合に、本人を保護する必要上、家族らに告知する義務を生じるのであり、家族らに対して病名告知をする法的義務ではなく、あくまでも本人に対する義務と解すべきとしている。4) 富田清美「家族に対する説明の義務」医療過誤判例百選〔第二版〕26~27 頁5) 小西知世「癌患者本人への医師の病名告知義務(3)」明治大学大学院法学研究論集第 15 号 133 頁146 頁 2001 年6) 新美育文「末期状態患者への『病名告知』をめぐる法理と裁判例」ジュリスト 945 号 41 頁 1989 年、藤岡康宏「判例批評」判例タイムズ 893 号 58 頁 1996 年7) 廣瀬美佳「癌の不告知と診療契約上の債務不履行」法学教室 182 号 86 頁 1995 年8) 前掲7 86 頁9) 新美育文「胆のう癌の疑いと医師の告知義務および裁量権」私法判例リマークス 13 号 36 頁 1996年、植木哲「胆のうがんの疑いがあると診断した医師が患者にその旨を説明しなかったことが診療契約上の債務不履行に当たらないとされた事例2.胆のうがんの疑いがあると診断した医師が患者の夫にその旨を説明しなかったことが診療契約上の債務不履行に当たらないとされた事例(最高裁判決平成7年4月 25 日)」民商法雑誌 114 巻3号 494 頁

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握した上で行う患者に対する様々な看護の実態を重視して、家族への告知を検討することは診療契約上の付随義務であるとする見解11) があげられる。

3 検討

 患者本人に対する告知を治療の選択や自己決定権の行使と解する場合、病名告知義務を否定する立場では、医師の裁量を理由に右権利を制限することについての是非が問題となる。また、告知義務を肯定する立場においては、治療に関する患者の自己決定の要請が後退するにもかかわらず、医師の告知が求められる理由が明確でない。さらに、家族に対する告知自体が本人保護の観点から肯定されるにしても、診療契約上の当事者でない者がなぜ義務の相手方になりうるのか明らかとなっていない。

3.1 医師の裁量 古い裁判例においては、医師の裁量権を肯定しており、患者に対する告知と同様、家族への告知に対しても医師の裁量に委ねられるものが数多くある。 しかし、⑥⑫のように患者に対して告知が妥当ではないと判断した場合、患者が適切な治療を受けることができるよう協力を求めるために、特段の事情がない限りで近親者に告知を行なうべきとしており、医師の裁量権に一定の制限を加えているものもある。本人に告知するのか否かは、基本的に「医師の裁量」に委ねられるとしつつも、その裁量は、医師としての「合理的裁量」でなければならず、医師が「合理的裁量」を行うためには、患者に対する情報を得る努力が必要であるとしている。さらに、⑬では、「医師らには、患者の家族等と連絡を取るなどして接触を図り、告知するに適した家族等に対して患者の病状等を告知すべき義務の違反があった」として、⑫と同様に医師の裁量に一定の制限を加えている。 このような判例が出現してきた背景には、患者の自己決定権が浸透してきたことが挙げられる。患者の自己決定権を尊重するために患者本人に告知が妥当でないと判断された場合、本人の意思を推知するために家族等への告知が補充的になされる。 しかし、患者本人に対する告知が妥当でないと医師が判断するのは、患者が自己決定権の行使を放棄している場合や同意能力が不十分である患者に対してである。患者の自己決定権は人格的利益を保護するための権利であり、一身専属権である。患者は、自己が罹患している疾患にどのように対応すべきかという選択権を有している。患者自身が判断する機会を維持するために医師の説明義務が存在しており、当該義務違反とは、患者の自己決定権という人格的利益を侵害することである。 近年まで、医師が病名を告知するには患者本人に対しても患者の家族に対しても、医師の裁量に委ねられるとされていた。しかし、「本人への告知を控えた場合には、家族に関する情報を収集し、家族と接触するなどして、家族への告知の適否を検討し、適当と判断                10) 寺沢知子「判例紹介」年報医事法学 18 号 156 頁 日本評論社 2003 年寺沢氏は、年報医事法学 15 号(200 年)で第2章第1節の裁判例⑨の判例評釈で、家族に対して病

状を説明する事は、患者の利益であるとされている。11) 古積健三郎「判例紹介」法セ 582 号 115 頁(2003 年)

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される場合には、その診断結果などを説明すべき義務がある」として、一定の制限を加えている。これは、最高裁⑬で「告知によって可能となる家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益」と解されており、このような働きが期待できない患者の家族等に告知する意味がない12)。 家族等に告知した場合、患者本人に伝わる可能性があることや告知を受ける家族等に相当な影響を与える。これらを踏まえた意味でも告知することにおいて、医師に一定の裁量を与えるべきである13)。その際、⑥⑫⑬のように医師の裁量は合理的な根拠に基づくことを必要とし、証明責任は医師側に負わせるのが妥当である。

3.2 家族に対する告知 家族らに対して告知される実質的な根拠は、患者が適切な治療を受けることができるように、医師に有益な情報を提供するために要請されるもの14) であるとか、家族に本人に代わって治療などの承諾をしてもらう15) ためであるとか、⑫が述べるように患者の期待権にその実質的根拠を求めるもの、⑬のように、適時の告知により行われるであろう家族等の協力と配慮を本人の法的保護に値する利益であるため、診療契約に付随する義務とするものが挙げられる。 ⑫が述べたような「患者の期待権」に根拠を求めた場合、慰謝料の算定の際には、家族の慰謝料をも含まれている。⑬は、癌告知などの説明は、本人への説明を原則とすべき立場であろう。なぜなら、病名等の説明は、診療契約上の医師の義務であるとしていることから導かれる。そして、このような説明は、患者の自己決定権の行使のためにも必要である。これにより、家族に対する告知は、あくまでも本人への告知が前提とし、患者への告知に関し、家族の協力を得て、患者の権利を守るための共同という視点からなされるべきである。 末期がん患者にとって、家族等による手厚い配慮を受けることが重要な法益であり、医師は、これを保護するために配慮を尽くすべき義務を負う。ターミナル・ケアを視野に入れた措置を講じることが医師の重要な義務であることから、家族等への告知を診療契約上の義務と捉えるという見解16) に基づいている。これは、診療契約上の給付義務の内容を診察・治療行為であるとし、この給付義務の目的が患者の健康状態の改善・維持等であることから、患者の健康状態の改善 ・維持等に配慮することやこれらを保護するための注意義務が付随義務17) となる。付随義務とは、給付目的の実現・促進に資するための義務であることから、患者が安らかで充実した余命を送れるようにするためである家族への告知についての法的根拠を示した最高裁判決は妥当であると思われる。

                12) 小島愛美「医師の患者及び家族等へ対する癌告知義務の検討―説明義務論の再構築を前提として―」北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナルNo.14 191 頁 2007 年

13) 新美育文「家族へのがん告知検討義務」私法判例リマークス 28〈上〉27 頁 2004 年14) 東京地判平成6年3月 30 日(判時 1522 号 104 頁)15) 富田清美「家族に対する説明の義務」医療過誤判例百選〔第2版〕No.140 26 頁16) 前掲 13 29 頁 2004 年新美氏は、付随義務とする必要性について疑問視されている。

17) 奥田昌道『債権総論〔増補版〕』16 頁以下 悠々社 1992 年

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3.3 告知適否義務 家族に対してなされるがん告知が、医師の合理的裁量の範囲内であるとしても、医師には患者の家族に対する告知の適否を検討すべき義務がある。そのために、医師は患者の家族に関する情報を収集し、必要であれば患者の家族と直接接触するなどして、その適否を判断する義務があるとした。家族に対する告知の適否検討義務を裁判所は、患者本人に対する義務としている。これは、最高裁⑬が患者本人にのみ損害を与えたと認定しており、家族固有の慰謝料を認めていないことから導き出せる。医師が家族に対する告知の適否検討を怠った結果、家族等の協力と配慮を受けられなかったとして、患者本人が慰謝料請求権を有することから、この義務は、患者本人に対して医師が負う義務であると考えられる。また、これを診療契約上の付随義務としたことについても債権法上の付随義務の説明(給付目的の実現・促進に資するための義務)にも合致するであろうし、家族等の手厚い看護を受けるという法益を保護するために、医師等に配慮を尽くしてもらうことは、信義則に適うと判断される。ただ、患者の家族に対する告知の適否検討義務のための家族に関する情報収集や接触については、樋口氏が言われているように容易ではなく、また、どの程度の情報収集や接触に関しての努力がなされればよいのか、未だ未確定18) であり、飯塚氏は、本人告知の原則がないがしろにされるという危険性も指摘されている19)。 診療行為の目的を達成するためには、医師の医療行為以外に、患者の努力も必要であろう。医師と患者の関係は診療契約であり、いわゆる準委任契約に基づいている。契約責任として医師には受任者である患者への説明義務が課されており、患者には医師に対して情報を提供する義務が発生する。医師が患者に対して客観的に妥当である理由から告知を差し控えた場合、その時点で医師と患者自身との診療契約は終了する。その結果、医師は急迫の事情がある場合には必要な処置をしなければならない20)。医療行為は継続しているため、医師は患者の家族と接触し同人に患者の症状を告げた上で、患者に対する今後の療養方法等に関する指示・指導や、今後の医療行為に関する方針等を決定するための判断材料を提供する側面をもった診療契約を新たに患者の家族と締結するという見解がある21)。 しかし、特に患者が末期状態であれば、患者の人間関係も無視できない。診療目的が充実した余命を送るというものである場合には、物心両面で患者をサポートする家族等の存在を無視することはできない。配偶者間には、協力扶助の義務(民法 752 条)があるので、がん告知を差し控えられた患者本人のために、同人の配偶者が、本人の最善の利益のために患者の治療方針を決定することは、扶助の態様であると思われる。また、直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない(730 条)との規定もあり、直系血族および兄弟姉妹間には、互いに扶養義務(877 条)が課されている。これらのことは、家族                18) 樋口範雄「家族に対する癌の告知」医療過誤判例百選No.138 121 頁樋口氏はこのように示唆されているが、どのような状態でも受診する際に、問診表に記入することが

できる場合に、緊急連絡先や家族構成などの記入を求めることで解決できると思われる。19) 飯塚和之「末期がん患者の家族に対する病状などの不告知と債務不履行」NBL No.761 74 頁 2003 年20) 一木孝之「診療契約における医師の病名告知義務に関する一考察―最高裁平成 14 年9月 24 日判決を契機として―」北九州私立大学法政論集第 31 巻第2・3・4合併号 142 頁 2004 年。一木氏は、民法 653 条、654 条を類推解釈して、受任者の応急処分義務の履行または事務管理として行われるとされている。21) 前掲 20 142 頁

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間の協力関係を規定しているものであり、これらの規定から、父母、配偶者、近親者には、同意能力を失った者や自己決定権の行使を放棄した患者に対する医療措置について、本人を扶けるため、本人の最善の利益を図るために、決定に関与することが出来ると考えられる。 このような見解にたてば、診療契約において、一方の当事者が患者本人であるため、告知などの対象も患者本人となるが、物心両面でサポートする家族等にも潜在的な当事者であるとみるのが、ターミナル ・ケアという場面では実態に即した見方であろう。ターミナル・ケアにおいては、家族等がケアの直接の担当者であり、医師は治療の担当者であるが、ケアについてのアドバイスを与える程度にとどまる。すなわち、医師のアドバイスを受けた家族等は、医師の指示に基づいて患者のケアを担当するので、医師の履行補助的な立場となる。患者本人が積極的な治療を拒否していた場合においても、患者の家族等が医師の指示に基づいてケアをする立場であれば、家族に対しても告知すべきであろう22)。 診療契約は双務契約であることは言うまでもない。そのため、医師の義務のみならず、患者にも当然に義務が生じる。患者は、医師と診療契約を締結したのであれば、当該契約の付随義務として、患者には分身両面を支えるような家族等の情報を医師側に提供する義務を負わせ、患者の家族等には、患者が充実した生活を送れるよう配慮する義務を負わすのが妥当であろう。  ⑩では付随的説明義務の相手方として、「家族など」と言う表現を用いている。これは、本人に家族がいない場合を想定しているだけでなく、告知が適当である者が家族以外の者である可能性を示唆してのことであろう。患者の人格的利益の保護するためには、患者本人の自己決定権を補完するのに適した者は家族の中にいることが多いが、必ずしもそうでない場合がある。

4 おわりに

 医師が本人に告知をすることが適当できないと判断した場合、家族等への告知の機会を確保する必要がある。しかし、家族関係を詮索されたくない患者や自分の病名を知られたくない患者もいるため、患者のプライバシーとの調整も必要であろう。 平成 16 年に個人情報保護法が施行され、病状等身体に関するあらゆる情報は、プライバシーの領域であり、家族といえども患者本人の同意が無ければ、同法に抵触する恐れがある。そこで、厚生労働省からガイドライン23) が示され、家族等への病状説明は予め本人の同意を得ることを原則としている。しかし、開示される相手が限られたものであることや開示の目的が相当である場合には患者本人の同意を欠いたとしても是認されるべきである。 本人ではない第三者に病状等の説明が行われた場合、本人に伝わる場合と伝わらない場合が考えられる。本人に伝わると精神的打撃を与えるような情報の伝え方自体を医師の裁                22) 患者の意思を尊重するためにも、予め医師は家族等の誰にケアしてもらいたいかを推知する必要があることは言うまでもない。23) 厚生労働省「医療・介護関係者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」2004 年12 月 24 日通達

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量に任せ、原則的には患者本人に病状説明等を行うとしつつも、手厚い配慮を行えるであろう家族に対しても説明を行い、そのためになされた情報収集などの努力の程度を考慮し、慎重な判断の下でなされた家族に対してなされたがん告知に対して、医師に責任問題は生じないとするのが妥当ではないだろうか。