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70 『説得』における失われた愛 ジェイン・オースティン(1775-1817)の主要6作品の中で、『分別と多感』(1811)、『高慢 と偏見』(1813)、『マンスフィールド・パーク』(1814)、『エマ』(1815)は、彼女の生前に出 版された。しかし、彼女の最初の作品だとされる『ノ―サンガー・アベイ』は、紆余曲折を経 て、『説得』との合本の形で、彼女の死後、兄ヘンリーの手によって 1817 年 12 月に出版され ている。「ただし、本の扉には1818年と記された。」(ポール・ポプラウスキー 295) 本稿で取り上げる作品は、ジェイン・オースティンの最後の完成された小説、『説得』である。 この小説は、1815 年 8 月 8 日に書き始められ、1816 年 7 月 18 日に書き上げられたが、その後、 最後の二つの章が大幅に改訂され、1816 年 8 月 6 日に第二草稿が仕上げられている。これ以 降さらに改訂がなされたかどうかは、はっきりしないが、1817年1月には『サンディトン』(未 完)が書き始められているので、彼女がこの作品に満足していなかったとはいえ、完成作品で あることにはほぼ間違いなかろう。タイトルは兄ヘンリーによって『説得』と付けられた。(ポ プラウスキー 294-5) オースティンの作品の中では、『説得』だけが、1814 年の夏から 1815 年の 2 月半ばまでと 厳密に年代が設定されている。「こうして『現実の』時間を特定することによって、作品には 明らかに迫真性が加わった」(ポプラウスキー 295)のである。ケリンチ・ホールのサー・ウォ ルター・エリオットの唯一の愛読書である『准男爵名鑑』のエリオット家の歴史には、サー・ エリオットの誕生日から結婚した日、三人の娘たち、エリザベス、アン、メアリーの誕生日が 印刷されている。ここにサー・エリオットの直筆によって、妻の死亡した日とメアリーの結婚 した日が付け加えられている。このような一家の出来事に具体的な日付が明記されることに よって、物語の迫真性がさらに強められている。 サー・エリオットの関心事は、准男爵という社会的地位と自分自身の容姿だけであり、その 虚栄心の象徴が『准男爵名鑑』と化粧室に据え付けられている数多い大きな鏡である。彼の虚 序論 KIYAWAKI Tokuko 北 脇 徳 子 『説得』における失われた愛 

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Page 1: 北 脇 徳 子 - kyoto-seika.ac.jp · デイビッド・モナガンは、さらにこの愚かな浪費家を次のように批評している。 サー・ウォルターは、身だしなみ、社会的地位や個人の容貌といった外面的なことに非

― 70 ― 『説得』における失われた愛

ジェイン・オースティン(1775-1817)の主要 6作品の中で、『分別と多感』(1811)、『高慢

と偏見』(1813)、『マンスフィールド・パーク』(1814)、『エマ』(1815)は、彼女の生前に出

版された。しかし、彼女の最初の作品だとされる『ノ―サンガー・アベイ』は、紆余曲折を経

て、『説得』との合本の形で、彼女の死後、兄ヘンリーの手によって 1817 年 12月に出版され

ている。「ただし、本の扉には 1818 年と記された。」(ポール・ポプラウスキー 295)

本稿で取り上げる作品は、ジェイン・オースティンの最後の完成された小説、『説得』である。

この小説は、1815 年 8月 8日に書き始められ、1816 年 7月 18日に書き上げられたが、その後、

最後の二つの章が大幅に改訂され、1816 年 8月 6日に第二草稿が仕上げられている。これ以

降さらに改訂がなされたかどうかは、はっきりしないが、1817 年 1月には『サンディトン』(未

完)が書き始められているので、彼女がこの作品に満足していなかったとはいえ、完成作品で

あることにはほぼ間違いなかろう。タイトルは兄ヘンリーによって『説得』と付けられた。(ポ

プラウスキー 294-5)

オースティンの作品の中では、『説得』だけが、1814 年の夏から 1815 年の 2月半ばまでと

厳密に年代が設定されている。「こうして『現実の』時間を特定することによって、作品には

明らかに迫真性が加わった」(ポプラウスキー 295)のである。ケリンチ・ホールのサー・ウォ

ルター・エリオットの唯一の愛読書である『准男爵名鑑』のエリオット家の歴史には、サー・

エリオットの誕生日から結婚した日、三人の娘たち、エリザベス、アン、メアリーの誕生日が

印刷されている。ここにサー・エリオットの直筆によって、妻の死亡した日とメアリーの結婚

した日が付け加えられている。このような一家の出来事に具体的な日付が明記されることに

よって、物語の迫真性がさらに強められている。

サー・エリオットの関心事は、准男爵という社会的地位と自分自身の容姿だけであり、その

虚栄心の象徴が『准男爵名鑑』と化粧室に据え付けられている数多い大きな鏡である。彼の虚

序論

KIYAWAKI Tokuko

北 脇 徳 子

『説得』における失われた愛 

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― 71 ―京都精華大学紀要 第四十五号

栄心は長女エリザベスと三女メアリーに受け継がれ、特に美人のエリザベスは父親そっくりで、

彼に溺愛されている。亡きレディー・エリオットは「良識豊かで気立てのよいすばらしい女性」

(36)で、次女のアンだけがその性格を受け継いでいる。アンは「洗練された知性とやさしい

性格を備えている」(37)のだが、父と姉にとっては「いないに等しいまったく目立たぬ存在」

(37)なのである。彼女の唯一のよき理解者は、レディー・エリオットの親友であり、アンの

名付け親であるレディー・ラッセルである。レディー・ラッセルは、ケリンチ・ホールの近く

に住み、様々な面で一家の相談相手になり、重要な役割をはたしてきた。彼女は、三人の娘た

ちの中でも、「母のおもかげを髣髴とさせる」(37)アンを誰よりも愛していて、いわば彼女の

母親代わりを務める存在なのである。

この作品のヒロインは、エリオット家の次女アンである。1806 年の夏、19歳のアンは、ケ

リンチの近隣の副牧師エドワード・ウェントワースの弟である海軍軍人フレデリック・ウェン

トワースと婚約した。フレデリックは、その当時、「知性と活力と才気あふれるすばらしい好

青年」(55)であったが、23歳の若さでまだ将校にもなっておらず、家柄も財産もなく、将来

の見込みも未知数であったため、レディー・ラッセルがアンを説得して、婚約を破棄させた。

アンは、一番信頼を寄せているレディー・ラッセルに反対され、母親代わりの彼女に逆らうこ

とができずに婚約解消に至った。アンはウェントワースを到底あきらめることはできなかった

が、「自分は何よりも『彼の』ためを思って慎重に振る舞い、自分を抑えているのだ」(56)と

自らを説得して、最後の別れの悲しみに慰めを見出した。しかし、ウェントワースはこの婚約

解消に納得せず、「不当な仕打ちを受けた」(56)と、深い恨みを抱いて去ったのである。

『説得』は、今や 27歳になり、結婚適齢期をとっくに過ぎてしまったヒロインが、説得され

たとはいえ、若かりし時の自らの判断の過ちを後悔し、苦しみや失望に耐えて、ようやく、声

に出して自分の気持ちを「女性の永遠の愛」に託して熱烈に語り、恋人の愛を取り戻していく

物語である。ジェイン・オースティンは、「アンは青春時代に思慮分別を強いられ、年を取る

につれてロマンスを学んだのである。 つまり、不自然な始まりのまことに自然な結末であっ

た」(58)と作品の中で語っている。この作者の言葉を、トニー・タナーは次のように解釈し

ている。

アンは、生まれてからずっと抑圧され、承認されてこなかったので、ロマンスを学ばな

ければならないのである。ロマンスは確かに意図的な矛盾語法である。というのは、ロマ

ンスは自発的な感情と結びついているからである。(Tony Tanner 212)

オースティン文学のお決まりは、ヒロインが偏見やうぬぼれ、判断ミスや思慮分別に欠ける

といった欠点を克服し、最終的には、自分の一番愛する男性と結婚に至るというパターンであ

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る。しかし、『説得』は、それまでのパターンとは全く違った描かれかたをしている。物語は、

アンとウェントワースの婚約解消からすでに 8年を経て、二人の再会から始まる。物語の始ま

る時点では、アンの判断の過ちによって、二人の愛は失われてしまっているのである。二人は

長い年月を経て、再会し、今でもまだ、お互いに愛していることを確認しあい、やっと結ばれ

るのである。

オースティンは、最後の作品において、一番円熟していて、全く欠点のない完璧な女性であ

るが、受け身で生彩に欠け、無口で孤独なアン・エリオットをヒロインに据え、彼女の失われ

た愛の回復物語を描いている。アンが雄弁になるのは、ウェントワースの愛を再び獲得するた

めに、「女性の永遠の愛」について語る場面だけである。アンは、その鋭い感受性と観察眼を

通して、他の登場人物たちの気持ちを読み取り、心の中では悩める者に同情したり、その苦悩

や苦境を感じ取ったり、考えたりしているが、自分の意見や気持ちを他人には言葉であまり語

らない。この内省的なヒロインが愛する男性を取り戻すには、言語で、はっきりと自分の意思

を相手に伝えなければならない。

本稿では、ヒロインのアン・エリオットの愛の喪失に焦点をあて、失われた愛を取り戻して

いくプロセスを論じていく。物語の進行と共に、アンはケリンチ・ホールのエリオット家から、

妹メアリーの嫁ぎ先アパークロスのマスグローヴ家に、それからウェントワースの海軍仲間

ハーヴィル家が住んでいるライム・レジスへ、最後に全員が集合するバースへと移動する。彼

女は移動先の環境に適応するように自ら努め、どこにいても、「他人のお役にたちたい」と望

んで行動している。彼女の努力と忍耐が報われて、「彼女が『ひとかどの人物』だと心から見

なされる時にのみ、彼女の発言は十分な価値を持つことができるのである。」(Tanner 220)

1 章 エリオット家の人々と取り巻き

サマセット州のケリンチに大邸宅を構える准男爵、サー・ウォルター・エリオットは、全身

が虚栄心のかたまりといった人物である。彼は准男爵という爵位と自分の容姿にゆるぎない誇

りを持っている。彼は自分自身にしか興味を示さないエゴイストである。化粧室に鏡を置き、

自分の美しい容姿を映し、自己満悦に浸っている。娘たちの中で、長女エリザベスだけが、彼

の性格にそっくりだという理由でお気に入りである。鏡とエリザベスは、彼のナルシシズムを

象徴している。収入以上の生活をしないようにと常に節制をしていたレディー・エリオットが

亡くなると、エリオット家は経済的な困窮に陥る。サー・ウォルターは、准男爵の地位と体面

を保つために贅沢三昧をして、莫大な借金を抱えることになったのである。

出費を抑えて、借金を返済する方策が検討された。サー・ウォルターは、「旅行もロンドンも、

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召使も馬もごちそうも」(44)あきらめられず、結局、代理人弁護士シェパード氏の提案で、

ケリンチ・ホールを元海軍のクロフト提督に貸して、バースに引っ越すことに決定する。「彼

は自分の屋敷に対するいかなる義務も認識できない、だから借金の支払いの問題に立ち向かう

よりは、バースの怠惰な歓楽を選んで、屋敷を見捨てるのである。」(David Monaghan 143) 

デイビッド・モナガンは、さらにこの愚かな浪費家を次のように批評している。

サー・ウォルターは、身だしなみ、社会的地位や個人の容貌といった外面的なことに非

常に関心があるが、そういったものは、人間の内面に潜んでいる精神的な関心事を反映し

ている場合にのみ、価値があるということを認識していない。(Monaghan 146)

彼はエリザベス以外の家族、アンやメアリーに全く興味を持っていない。その上、ケリンチ・

ホールの当主として、威厳だけは誇示したがるが、村人たちに果たすべき社会的な義務や責任

も自覚していない。彼が体面や形式だけを重んじる空虚な人間であることを、トニー・タナー

は、「もしも、今、誰かが『とるに足らない無に等しい存在』だとすれば、それは彼である」(

Tanner 217)とオースティンの皮肉を的確に捕えている。当主の父親に代わって、引っ越しの

リストを作ったり、荷物の整理の采配をしたり、庭師と相談したり、教区の家を一軒ずつ回っ

て別れの挨拶をするのは、父や姉に見向きもされず、エリオット家の周縁にいる次女のアンで

ある。

サー・ウォルターとエリザベスは、バースの高台にある高級住宅街、カムデン・プレイスの

立派な家と家具に大満足である。「バースはファッショナブルな都会であり、それゆえにエリ

オット家の俗物根性にピッタリなのである。」(W. A. Craik 194)彼らにとって、今やケリンチ

もアパークロスも興味の対象ではなく、バースがすべてなのである。

マスグローヴ家に滞在していて、遅れてバースにやって来たアンは、「父は、自分が落ちぶ

れたなどとは少しも感じていないし、大地主の義務と威厳を失ったことを全く後悔していない、

都会生活のたわいないことで虚栄心を満足させて、こんなに喜んでいる」(152)と、失望して

いる。さらにアンは、ローラ・プレイスに 3か月間、家を借りることになったダブリンの親戚

にあたるダルリンプル子爵未亡人と令嬢のミス・カートレットとの交際の再開に夢中になって

いる父と姉を見て、恥ずかしく思うのである。アンだけは、ダルリンプル母娘は「何の取り柄

もない人たちなのだ。態度も、教養も、知性もどこも秀でたところがない」(162)と一目で見

抜いている。アンが交際したい相手は、「知性と教養にあふれた、話題の豊富な人たち」(162)

であり、「家柄と教育と礼儀作法」(162)のある人たちとの交際ではない。アンは、虚栄心の

強い父や姉、妹とは違って、心の豊かな、率直で飾り気のない誠実な人たちを愛している。

アン・エリオットはおそらくオースティン文学のヒロインたちの中では最も孤独であろう。

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アンの不幸の原因は家族である。父や姉に尊重されず、感情を無視され、彼女の存在すら認め

てもらえない。彼らに必要だと見なされないアンは、自分を必要としている妹のメアリーの住

むアパークロスでしばらく過ごすことになる。父と姉は、バースへは相談役として、シェパー

ド氏の娘で、彼らに媚へつらうクレイ夫人(未亡人)を伴って行くという、アンにとっては侮

辱的な行動を取る。アンは、家族のそのような対応には忍耐強く我慢しているが、レディー・ラッ

セルはその処置に憤り、「驚きと悲しみと恐怖」(62)を感じている。

レディー・エリオットの亡き後、レディー・ラッセルは、エリオット家の相談役として重要

な立場に居る。彼女は、正直で、常識もあり、愛情深い性格であるが、唯一の欠点は、「立派

な家柄に対する偏愛」(42)である。彼女は准男爵という爵位にたいへんな敬意を払っていて、

社会的地位や家柄を重視する人物である。この点において、彼女も、サー・ウォルターやエリ

ザベスと価値観を同じくするエリオット家の一員なのである。アンも彼女を最も信頼している。

しかし、このレディー・ラッセルこそ、善意からとはいえ、アンの幸福を壊した張本人なので

ある。                            

19歳のアンの婚約相手、海軍軍人のフレデリック・ウェントワースは、前途洋々たる将来

に向かって邁進する自信にあふれた青年であった。しかし、レディー・ラッセルは、彼の「恐

れを知らない精神」(62)に危惧の念を抱き、彼を危険な性格だと判断したのである。地位や

財産に価値を置き、人間の真価を見抜けなかったのである。レディー・ラッセルの穏やかな説

得を受け、19歳のアンは、ウェントワースの婚約を破棄した。

アンは、レディー・ラッセルを恨んではいないが、それ以来、自分の苦しみや悲しみを自分

の胸にしまって、彼女に決して打ち明けない。チャールズ・マスグローヴからプロポーズされ

た時も、彼女に相談せずに断っている。ウェントワースとの再会、その後の彼との出会い、彼

のマスブローヴ姉妹との恋の戯れに動揺しながらも、アンは、レディー・ラッセルに自分の気

持ちをひた隠しにして、一人で耐え忍んでいる。レディー・ラッセルの人柄を評価しているが、

自分と彼女の価値観の違いを認識しているので、アンは二人の不和や反目を生むような発言を

しないのである。アンは、彼女に相談をしないで、自分自身の分別に従って行動をしている。

アンは、27歳の自立した独立独歩のヒロインなのである。

ここにもう一人、エリオット家の人物がいる。サー・ウォルターの甥であり、彼の爵位と財

産を継ぐ推定相続人のウィリアム・ウォルター・エリオットである。女性に相続権のない時代

にあって、長女のエリザベスとミスター・エリオットが結婚をして、ケリンチ・ホールを継ぐ

ことが得策であり、その方向でサー・ウォルターは彼に働きかけたが、彼は爵位や邸宅よりも

財産を選び、身分の低い金持ちの女性と結婚した。ところが、ミスター・エリオットは、妻が

死ぬと、若い頃に捨ててしまった地位と邸宅が惜しくなり、それらを取り戻そうと、バースに

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滞在しているエリオット家に交際を求めてやってくる。エリザベスは、彼との結婚を再び夢み

るが、彼のお目当てはアンである。

「ミスター・エリオットのプロット上での役割は、ウェントワース大佐に嫉妬させることで

ある。」(Robert Liddell 122)ミスター・エリオットが、ライムでアンの美貌に目を止めて振り

返る場面を見たウェントワースは、改めて、アンの美しさを再認識する。バースでのコンサー

ト会場では、アンの傍を離れないミスター・エリオットに、ウェントワースは激しい嫉妬心を

掻き立てられる。彼女とミスター・エリオットの結婚の噂話に、ウェントワースは絶望して、

アンをあきらめそうになる。アンはウェントワースの嫉妬に気づき、自分が彼に愛されている

ことを知ると、彼の愛を取り戻すためにどうしたらよいか、必死に自分の気持ちを伝えるチャ

ンスを作ろうとするのである。自分のために決して行動しなかったアンが、ここで初めて、自

らの意思で積極的な行動を取るのである。アンがウェントワースの愛を取り戻すきっかけから、

二人の結婚に至るまでのプロセスに、決定的な影響を与えるのが、恋のライバルとして登場し

てくるミスター・エリオットなのである。

ミスター・エリオットもまた外面を重んじるエリオット家の同類である。彼は若い時に善良

なスミス夫妻を騙して、彼らに散財させ、滅亡させた。夫の死後、スミス夫人は、莫大な借金

とひどいリューマチに苦しんでいる。彼女はアンの旧友でバースのみすぼらしい宿に住んでい

て、アンは彼女を訪問している間に、ミスター・エリオットの過去を知ることになる。スミス

夫人の打ち明け話は、ミスター・エリオットとアンの結婚を不可能にした決定的な要因である。

ところが、審美眼のあるアンは、旧友から彼の過去の行状を聞かされる前から、彼がエリオッ

ト家に近づいてきた真意を測りかねていて、彼を信用していなかったのである。レディー・ラッ

セルは、アンにケリンチ・ホールのレディー・エリオットの再来の夢を託して、彼女に最もふ

さわしい相手だとして、ミスター・エリオットとの結婚を勧める。レディー・ラッセルは、そ

の偏った判断で、再び、アンの幸せを壊そうとしているのである。アンは、いくら「理性的で、

慎重で、洗練されている」としても、「率直さがない。感情を爆発させたり、他人の善悪に喜

んだり、怒ったりすることがまったくない」という側面に、ミスター・エリオットの「致命的

な欠陥」(173)を感じていて、彼をどうしても受け入れられない。アンは「率直で、あけっ

ぴろげで、熱意のある性格を他の誰よりも称賛した」(173)からである。27歳のアンは、レ

ディー・ラッセルの説得に応じないで、自分の気持ちに素直になって、長年愛してきたウェン

トワースを結婚相手に選ぶのである。

ミスター・エリオットの顛末は、エリオット家にお世辞を振りまいてご機嫌をとり、サー・

エリオットの後釜をねらっていたクレイ夫人とロンドンで暮らしているという噂で終わってい

る。 付け加えて、「もしかしたらクレイ夫人の甘言と愛撫にたぶらかされて、結局は、彼女

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をサー・ウィリアムの妻として迎えることになるかもしれない」(252)と、作者は皮肉なコメ

ントをしている。

サー・ウォルターとエリザベスは、ご機嫌取りのクレイ夫人を失い、途方に暮れている。そ

の上、自分たちだけが一方的に頭を下げてお世辞を言うだけの立派な親戚との付き合いは面白

くないと思い始めている。ジェイン・オースティンは、二人の虚栄心と偽善に満ちた性格をこ

のように滑稽に描いているのである。

2章 マスグローヴ家の人々

マスグローヴ家の長男チャールズは、アン・エリオットに結婚を断られたので、自分に気の

あるアンの妹メアリーと結婚した。二人の間には男の子が二人いる。メアリーは、エリオット

家の虚栄心とうぬぼれや、義母マスグローヴ夫人よりも上座に座りたいとする席順へのこだわ

りや、常に体調不調を訴えるために、結婚先の家族から嫌われ、避けられている。メアリーか

ら、体調がすぐれないので、手伝いに来てほしいと頼まれたアンは、マスグローヴ家に滞在し、

メアリーとマスグローヴ家の両方からお互いの苦情を聞くことになる。マスグローヴ夫人は、

メアリーの小間使いや孫の育て方の不満を述べ、ヘンリエッタとルイーズは義理の姉の席順へ

のこだわりに文句を言う。メアリーは、義母の小間使いや孫に甘いものばかりを与える守りの

仕方が気に入らない。彼女らのこういった日常生活の不平は、深刻な対立を生んでいるわけで

もないので、アンには、双方の不満を聞いてやり、なだめることしかできない。メアリーは自

分と自分の利害に関わることに興味を示すだけで、アンの感情に無関心で、彼女の意見に耳を

傾けたことはない。 マスグローヴ家の人々も同じである。「彼らは彼女 [アン ]を見ていない

し、彼女の言うことを聞いていない」(Stuart M. Tave 258)のである。アンは、この一家と共

に居て、長所や欠点に気づきながらも、その柔軟な精神で、彼らの生活に歩調を合わせていく

ことを学んでいくのである。

マスグローヴ家はアパークロス村の大邸宅アパークロス屋敷に住む地主階級である。長男

チャールズは、農家を改装したモダンなアパークロス・コテッジに住んでいる。両親は旧式の

邸宅と同じく昔ながらの英国式であり、「非常に善良な人たちで、友好的で、歓待精神にあふ

れているが、あまり教養がなく、洗練されていなかった。」(67)息子や娘たちは考え方も態度

も現代的である。娘たちはエクセターの学校で女性としての教養を身につけ、はつらつとして

いて、「ファッショナブルで、幸せで、楽しい」(67)生活が待っている。ヘンリエッタとルイー

ザはいつも一緒にいる仲良しで、クロフト提督が二人の区別がつかないくらい、それぞれにあ

まり個性はない。 彼女らには家族の楽しみが一番の関心事で、家族以外のもっと深刻な事柄

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には注意を払わないし、親に干渉されないので、好きなことをしている。礼儀作法もわきまえ

ていないので、「本質的に、彼女らは思慮が浅く、無知である。」(Monaghan 149)アンは二人

の仲をうらやむが、「自分のより洗練された教養豊かな知性を、彼女らの楽しみと取り替えたい」

(67)とは思っていない。

マスグローヴ家は、子爵の家柄とのつながりを重視する「エリオット家とは全く違っていて、

家族の愛情と家庭的な絆で結ばれている家族」であるが、「その愛情には、彼らの性格の限定

された判断力のために限界がある」(Craik 178)とW. A. クレイクは指摘している。男性たち

は狩りと馬や犬の世話、女性たちは隣人との交際、ファッション、ダンスや音楽に明け暮れ、

家族内の団欒を何よりも楽しんでいる。彼らの暮らしぶりは、団欒の場に象徴されている。客

間は娘たちの物で、「適度に雑然とした雰囲気」で、「秩序と整頓」(67)がない。マスグロー

ヴ夫妻は、ケリンチ・ホールの存亡の危機にも関心はなく、アンの立場を気遣うわけでもなく、

パーティで専らピアノを弾いて皆に楽しんでもらおうとしている彼女を思いやるわけでもな

い。彼らはアンを評価できるほど賢くはないのである。 「彼女の優れた行儀作法はケリンチ

と同様、ここでも重要視されない。」(Monaghan 149)アンは「自分の家を離れると、何物で

もない存在になってしまうということを知る」(69)という、もう一つの教訓を学ばざるを得

ない状況に追いやられる。

マスグローヴ家は、知性や秩序がなくても、近隣に住む人々を惹きつけるのに十分な財力と、

あふれんばかりの歓待の心がある。彼らは、身分や地位や形式に無関心である。彼らよりも社

会的な地位も低く、財力もなく、近隣の村の副牧師を務める従兄チャールズ・ヘイターもヘン

リエッタの恋人として歓迎されている。メアリーは、自分が准男爵の娘であることを尊重され

ないので不満であるが、彼らは爵位に対して何の敬意も払っていない。海軍将校たちも、彼ら

の職業に関係なく、彼らが感じのいい人たちなので、おおいに歓迎すべき仲間なのである。

ウェントワース大佐も、ケリンチを借りることになった姉のクロフト提督夫人を訪ねてやっ

て来たが、チャールズと狩りに出かけたり、ヘンリエッタやルイーズとの交際を楽しんだりす

るために、頻繁にアパークロスを訪問する。ルイーザはもちろんのこと、ヘンリエッタまでヘ

イターへの気持ちを忘れて、ウェントワースに夢中になる。二人を相手にするウェントワース

の態度を、マスグローヴ夫妻は「すべてを成り行きに任せて」(98)気にかけていない様子で

あり、チャールズ夫妻は、無責任にどちらが選ばれるか話し合っている。ただ、アンだけが、

見向きもされなくなったヘイターの気持ちに同情し、ウェントワースが自分の名誉と姉妹の幸

せを傷つけないように、「早く自分の気持ちをはっきりさせるべきだ」(100)と、この恋の行

方を心配している。

ウェントワースは、その「弱さと臆病」(86)のために、自分を見捨て裏切ったアンをまだ

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許しておらず、彼女と再会しても、儀礼的で、親密に話しかけようとしない。アンは、彼の性

格と気持ちを十分理解しているので、彼に対する愛情を押し殺し、ただひたすら彼を観察し、

彼の心の動きを感じ取るだけである。マスグローヴ姉妹、チャールズ夫妻、ウェントワースと

一緒に散歩していた時に、アンは、ウェントワースの気持ちを知る。ルイーザが、ヘンリエッ

タを励まして、ヘイターへの愛を後押ししたと語ると、彼は「あなたは決断力と強い意志を持っ

た人です」(110)とルイーザを称賛しているのである。アンは彼のこの言葉の中に、自分への

非難を読み取り激しく動揺する。しかし、すぐこの後で、散歩に疲れたアンの背中を押して、

クロフト提督の馬車に乗せてくれた彼の行動に、「彼自身の心の温かさと優しさの表れ」(113)

に、昔の思い出がよみがえり、喜びと苦しみの混ざり合った複雑な感情に襲われるのである。

これ以前にも、アンが、ウェントワースの思いやりを感じて動揺する場面がある。アンは、

木から落ちて鎖骨が外れ、背中にも大けがを負ったチャールズ夫妻の長男の世話をしていた。

アパークロス・コテッジに偶然やって来たウェントワースは、アンの背中にまつわりつく次男

をそっと引き離して、アンにお礼を言われるのを避けるかのように、子供とふざけて遊んでい

る。彼がしてくれた行為にアンは感動して、部屋を逃げるように出る。このような場面で、ア

ンは昔のウェントワースの気持ちを感じ取っているが、彼がアンの性格を本当に理解するのは、

ライムでのできごとである。

ヘンリエッタがヘイターと結ばれ、ウェントワースは、成り行き上、ルイーザとの交際を余

儀なくされる。マスグローヴ姉妹、チャールズ夫妻とアンは、ウェントワースの海軍仲間のハー

ヴィル一家の住むライムに一泊旅行に出かける。ハーヴィル大佐夫妻に歓迎され、帰る間際に、

彼らは突堤(コッブ)を散歩する。ところが、強風にあおられて、低い部分を歩くために、石

段を降り始める。この時に、ルイーザは石段を降りずに、上から飛び降りてウェントワースに

受け止めてもらうという無分別な行動を取る。一度成功した彼女は、もう一度飛び降りると言

い張り、ウェントワースもしぶしぶ承知するが、今度はタイミングが合わず、硬い石畳に強く

頭を打ち、意識不明になる。ルイーザを抱きかかえて、ウェントワースは茫然としてなす術も

知らず、「誰も助けてくれないのですか」(130)と悲痛な叫びをあげる。ヘンリエッタがそれ

を見て気絶し、メアリーはパニックになる。ヘンリエッタの介抱をしながら、アンはチャール

ズとウェントワースに指示を与え、ハーヴィル大佐の家に寄宿しているベニック大佐に医者を

呼びに行かせ、ルイーザをひとまずハーヴィル家に運ぶ。危機にあって、アンの的確な判断能

力に全員が救われたのである。チャールズもウェントワースもアンを信頼し、彼女の判断を

仰ぐ。

モナガンは、「ルイーザの転落は、もっと秩序がある社会であれば決しておこらなかったで

あろう。さらにアンのような優れた性格を持つ人の価値を認めていれば、きっと、そのような

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異常な事故がおこる必然性はなかったであろう」(Monaghan 157)とマスグローヴ家の無秩序

を非難している。アンは、この事故が契機になって、マスグローヴ家にとって重要な存在にな

り、ウェントワースに見直される。 「ライムでの、彼女 [ルイーザ ]自身の事故を引き起こし

た我が儘な頑固さが、彼に教訓を教える」(Craik 179)のである。「彼は断固たる心の強さと、

片意地な強情さとの違いを、そして、向う見ずな大胆さと、冷静な決断力との違いを学んだ」

(244)のである。

ルイーザは、ライムで静養中に自分に寄り添ってくれた文学好きなベニック大佐と結ばれ、

マスグローヴ家は二人の娘の結婚によって幸せな結末を迎える。しかし、落ちぶれた貴族の

サー・ウォルターとエリザベスには、幸せが用意されていない。ジェイン・オースティンは、

愚かで、知性や教養のない無秩序なマスグローヴ家を決して肯定しているわけではないが、冷

淡な形式主義のエリオット家より、マスグローヴ家の善良さを評価しているのである。バース

で皆がにぎやかに楽しく集うのは、マスグローヴ家のホワイト・ハートであり、そこにサー・ウォ

ルターとエリザベスが登場すると、「部屋全体に冷たい空気が流れ」(230)て、和やかな雰囲

気が、一瞬にして、冷ややかな静寂に変わるのである。モナガンも「ホワイト・ハートに滞在

する人たちの寛大さは、礼儀作法の欠如の適切な代わり以上のものとして、今、提示されてい

るのである」(Monaghan 146)と述べている。

3章 海軍の人々

アン・エリオットは、ライムでのルイーザの事故とその後の活躍で、マスグローヴ家に感謝

され、絶大なる信頼を勝ち得た。彼女は、マスグローヴ家の相談役として、彼らに助言し、励

まし、共に事後対策を考える。彼女のお役に立ちたいという奉仕精神と思慮分別のある判断能

力が認められたからこそ、このように彼女の発言が聞き入れられるのである。こうして、マス

グローヴ家におけるアンの立場は、周縁の人物から、中心人物へと変化していくのである。メ

アリー・ウォルドロンは、ライムでの事故の場面を次のように分析している。

心の変化が小説を動かす原動力には必要である、すなわち、アンは人生の積極的な目的

を取り戻すために、消極的な態度から自発的な態度に移って行かなければならない。おそ

らく、この小説の最も顕著な側面は、作者が、アンとウェントワースのコミュニケイショ

ンの回復を綿密に描いている点であろう。それはライムで始まるのである。(Mary

Waldron 143-4)

アンにとって、ライムは人生の転換点である。ここで、ウェントワースの愛を回復する重大

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なきっかけをつかんだからである。しかし、彼女は、突然、積極的な行動を取ったわけではな

い。それまでも、アンはいくつかの場面で積極的な発言をしている。彼女は、海軍の人たちと

共に過ごしている時に、その優れた知性と優しさを発揮して、心置きなく自分の気持ちを語っ

ているのである。

アンは、ウェントワースと別れてからもずっと彼への愛を心の内に秘めて、彼の属する海軍

にも絶えず愛着と尊敬を覚えている。エリオット家の父と姉の前で、口数の少ない彼女が、勇

気を振り絞って声に出したのは、クレイ夫人に対する危惧の念と海軍に関する事柄である。ア

ンは、ケリンチ・ホールの借り主の議論の場で、「海軍の方たちは、私たちのためにあんなに働

いて下さったのですから、他の誰よりも快適な家に住んで、あらゆる特権を与えられる権利が

あると思います。」(49)と語っている。さらに、クロフト提督は、トラファルガーの海戦に参加

し、西インド諸島に数年間駐屯していた白色艦隊の少将(51)であると答える。そして、クロ

フト夫人の弟の名前を思い出せないシェパード氏に、それはウェントワース氏だと教える。(52)

アンは、クロフト提督夫妻を立派な人たちであり、「教区民たちの立派なお手本となり、貧

しい人たちに最高の親切と援助を与えてくれるだろう」(141)と思っている。彼女は、彼らを

表敬訪問して、「ケリンチ・ホールは、持ち主より立派な人たちの手に渡ったのだ」(141)と

確信する。アンはクロフト提督との冗談交じりの会話にも喜びを感じている。「提督の善良な

心と素朴な人柄にはなんとも言えない魅力があった」(142)からである。バースでは、アンは

馬車の中から、クロフト夫妻が仲睦ましく散歩していたり、海軍将校たちと熱心に話していた

りする姿を見かけて、その幸せそうな光景を楽しんでいる。ある日、一人で散歩している提督

を見つけると、アンは自分の方から彼に声をかけて、一緒に歩く。その間の彼の海軍将校への

気さくな挨拶とお喋りに、アンの心はすっかり和むのである。

クロフト夫人は、結婚生活の大半を、夫と共に戦艦に乗って海の上で過ごしてきた。夫と離

れて一人で暮らした冬に、心細くて死ぬ思いをしたが、夫と一緒ならば、船の方が快適だと言

う。アンは、彼女を初対面の時から、次のように称賛している。

態度は率直で、自然で、きっぱりしていて、自分の考えや行動に対して、疑いや迷いな

どいっさい持たない人のようであった。でも粗野な感じは全くなくて、明るい人柄だった。

(74-5)

クロフト夫妻は理想のカップルであるが、それは夫人の有能な実務能力と才覚に負うところ

が大きい。ケリンチ・ホールを取り仕切り、馬車を操縦し、少し礼儀作法に欠けている夫の態

度を軌道修正するのは、夫人である。マスグローヴ家のパーティの席で、気分転換のために、

両手を後ろに組んで歩き回る夫の不作法をたしなめる。女性を戦艦に乗せるのは嫌いだという

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弟のフレデリックには、「自分は立派な紳士で、まるで女性がすべて立派な淑女で、理性的な

人間ではないと言わんばかりの、あなたのそういう言い方が気に入らないの」(94)と意見する。

クロフト夫人は、「紳士や淑女たちが依拠している、男性と女性を区別する習慣を持った制度

を断じて拒否している」(Claudia L. Johnson 152)のである。

アンは、クロフト夫人の生き方や考え方に賛同し、何よりもその人柄を称賛している。もち

ろん、作者も同じである。クロフト夫人は、「全くどの階級にも属さない」(Tanner 232)人物

である。彼女は、ジェイン・オースティンのこれまでの小説には登場してこなかった「新しい

種類の女性の新しいモデル」(Tanner 232)である。

海軍のもてなしの心が最もよく現れているのは、ライムのハーヴィル大佐の家である。アン

は、カムデン・プレイスよりも、ハーヴィル一家とベニック大佐の住む家と彼らの友情に、居

心地のよさと家庭の温かさを感じている。ハーヴィル大佐は、健康状態がすぐれず足も悪かっ

たが、「温かくて、親切な、気取らない申し分のない紳士」(119)であった。ハーヴィル夫人は、

「夫ほど洗練されてはいないが、同じように善良な人のようだった。」(119)ハーヴィル大佐の

儀礼的ではない心からの歓待精神と、狭い部屋を最大限に生かす彼の創意工夫と、冬に備えて

しっかり補強している彼の腕前に、アンは「休息と家庭的な幸福」(120)を感じて、喜びすら

覚える。しかし、深い愛情で結ばれたハーヴィル大佐とウェントワース大佐を見て、自分も入

れたかもしれないこの将校仲間の輪の中に居るのが、だんだん辛くなるのである。

ロバート・リデルは、「ハーヴィル大佐は、ジェイン・オースティンの中で、愛情深く、家

庭的な海軍将校の最も魅力ある人物描写である」(Liddell 135)と述べている。アンは、バー

スのホワイト・ハートで、ハーヴィル大佐と「男性の愛と女性の愛のどちらが永続するのか」

について議論する。彼女は、彼と議論しながら、ウェントワースへの自分の愛について、彼に

精一杯の力を込めて訴える。ハーヴィル大佐の示す妹ファニーへの愛情に心を打たれながら、

アンは、「永遠の女性の愛」に託して、自分の恋人への愛情を、彼に熱心に語るのである。も

ちろん、ハーヴィル大佐は、アンと机に向かってハーヴィル大佐に頼まれた代筆をしているウェ

ントワースとの関係を知らないし、彼女が自分の愛を語っていることにも気が付かない。しか

し、ウェントワースが、彼女の言葉をしっかりと受け止めてくれたのである。「私が言いたい

のは、女性だけに与えられた特権があり、(中略)その特権とは、女性は愛する男性と死に別

れても、愛し合える希望がなくなっても、その男性をいつまでも愛し続けることができるとい

うことです」(238)というアンの言葉は、彼の胸を「突き刺した」(240)のである。

ウェントワースは雄弁ではあるが、自分のアンへの愛情を一言も語ったことはない。アンが

主導権を取って自分の気持ちを語ったことによって、やっと二人の間にあった言語の障壁が取

り除かれたのである。アンがここに至るまでのプロセスに、ベニック大佐の存在が大きく貢献

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している。ベニック大佐は、ハーヴィル大佐の妹ファニーと結婚する筈であったが、彼の昇進

を待たずに彼女は亡くなってしまった。愛情深いハーヴィル夫妻は、婚約者の死を悲しみ、文

学に慰めを見出している青年を家族の一員として迎え入れているのである。他人の苦しみに同

情せずにはいられないアンは、ライムでベニック大佐に出会ったとき、文学を通して、彼の心

を開こうとする。スコットの恋愛の歌やバイロンの絶望的な苦悩の表現を語る彼に、アンは、「道

徳的かつ宗教的忍耐に関する最高の教えと最強の実例によって、精神を鼓舞し逞しくしてくれ

るような」(122)散文の本を勧める。ベニック大佐はアンの心遣いに感謝し、その忠告に耳を

傾ける。アンは、初対面のベニック大佐に、滔々と文学観を語った自分に驚いている。自分の

知性と教養と優しい人柄を評価してくれる海軍将校たちに囲まれて、アンは初めて言葉で語る

自信を得たのである。

結論

この作品のヒロイン、アン・エリオットの 8年越しの恋の相手であるフレデリック・ウェン

トワースは、もちろん海軍将校たちの中で一番魅力的な人物である。彼は、皆の中心人物であ

り、『海軍名鑑』を片手に数多くの冒険話を語り、聞いている者を楽しませる。中でも、彼のハー

ヴイル大佐に対する深い友情には、彼の温かい人柄と共に戦ってきた海軍仲間の強い絆がうか

がえる。彼は、戦艦に女性を乗せるのは嫌いだと言いつつ、ハーヴィル大佐の家族をポーツマ

スからプリマスまで運んであげたり、ハーヴィル大佐の妹ファニーの死を、ポーツマスに停泊

しているグラップラー号の艦長であったベニック大佐に知らせるというつらい役目を引き受

け、彼の傍で一週間慰めたりしている。ウェントワースのこの温かさと優しさと繊細な神経、

さらにその礼儀作法や物腰の優雅さ、確固たる自信に裏付けされた迅速な行動力に、若い女性

なら誰しも惹かれるであろう。マスグローヴ姉妹が二人とも夢中になるのは無理からぬことで

ある。しかし、彼は、誰よりもヒロインのアンが愛してやまない男性だからこそ、その魅力が

いっそう増すのである。

マリリン・バトラーは「ウェントワースは、個人的には魅力的で理想主義者であるが、自分

自身の昔の考えを余りにも無条件に信頼しているという欠点を持っている」(Marilyn Butler

275)と指摘している。「彼は、アンが自分と同じくらい彼を信頼し、彼女の親戚に屈せず立ち

向かい、彼女自身の気持ちを知り、彼女自身の意思を信頼する勇気を示さないというので、彼

女をずっと責めてきた」(Butler 275)と、彼が二人の婚約解消を一方的にアンの性格の弱さの

せいにしていると批評している。ウェントワースは海軍将校という職業柄、海の上で、慣習や

しきたりに縛られず、他人に左右されずに決断を下し、自分の才覚と手腕で、艦長という地位

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を勝ち取ってきた自信にあふれている独立独行の人なので、誰かに屈服するというアンの態度

が理解できないのである。

ウェントワースは、ライムでのルイーザの事故は、自分の責任でもあることを知っており、

意識不明の彼女を抱きかかえて、苦悩し、絶望している。彼はこの危機にどのように対処した

らよいのかわからない。アンだけがその場の状況をすばやく察知して、皆に指示を与えるので

ある。ロリー・クラークは、ウェントワースの変化を次のように分析している。

(前略)ウェントワースは、自分が今まで持っていた堂々とした独立心ではなく、自分

がアンに「依存している」ことに気づくのである。そして、ウェントワースにとって、こ

の依存しているという認識は、今度は、自分が自然に依存しているという認識に至るので

ある。つまり、いつも海の時と変化を支配し、コントロールできて、自分がずっと持って

いた筈の自然から、独立していないという認識である。(Lorrie Clark 39)

彼は自分が不屈ではないことを悟る。ライムにおいて、彼のアンに対する評価が変わっただ

けではなく、彼自身の無力さをも自覚するのである。

ルイーザがベニック大佐と結ばれて、ウェントワースは彼女から解放されると、すぐにバー

スにいるアンに会いに来る。ところが、アンの傍にはいつもミスター・エリオットが付き添っ

ていて、ウェントワースはなかなか自分の気持ちが伝えられない。コンサート会場で、アンも

彼の視線を捕え、彼と話すチャンスを作ろうと必死に画策して、自ら彼に声をかける。彼も自

分の愛を伝える言葉を持たない。彼は、雑踏の中で、ルイーザに恋したベニック大佐のことを、

「ファニー・ハーヴィルは本当に素晴らしい女性でした。それにあのような女性をあんなに愛

した男は立ち直れません!立ち直れなくても当然だし、絶対に立ち直れません」(192)と興奮

しながらアンに語る。間接的に語られたウェントワースの心を、アンはしっかりと聞き取るの

である。アンが、「永遠の女性の愛」に託して、自分の愛を語るのと同じように。

アンとウェントワースがお互いに自分たちの愛情を直接言葉で表現するのは、小説の終章で

ある。アンは彼の行動や態度や視線によって、彼の微妙な心の変化を敏感に読み取っているが、

今一歩、前に踏み出せないでいる。しかし、ライムで彼の信頼を得たアンは、自分が積極的に

彼を励ます行動に出なければ、彼の愛を再び取り戻すチャンスはないということを切実に感じ

ている。二人の障壁は言葉である。「幸せを取り戻す唯一の手段は、言語を通してである。」

(Mooneyham 146)アンは遂に自分の愛を語ることができたのである。

ジェイン・オースティンの常套手段であるが、ヒロインとそのパートナーは、過去の自分た

ちを振り返り、反省しながら、お互いの愛を確かめ合うのである。アンはウェントワースに 8

年前の自分の決断について、次のように説明している。

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もしレディー・ラッセルの忠告に従わないで、あのまま婚約を続けていたら、結婚をあ

きらめた場合よりもっと苦しい思いをしていたと思います。母親代わりの親切な忠告に逆

らったという良心の呵責に、思い悩むに決まっています。(248)

そして、「強い義務感」(248)に従って行動したと述べている。ウェントワースは、自分た

ちの長い別離の責任は、レディー・ラッセルではなく、「自分自身」(248)だと反省している。

1806 年に財産も作り、ラコニア号の艦長に任命された時に、もう一度プロポーズするのはプ

ライドが許さなかった。「あなたを理解していなかった。自分で自分の目を閉じてしまって、

あなたを理解しようとしなかったし、あなたを公平な目でみようとしなかった」(248)とアン

に詫びている。

ムーニハムは、「実は、『説得』には、オースティン自身の健康の喪失に対する反応と目前に

迫った死に対する自覚が反映されているのかもしれない」(Mooneyham 147)と述べている。

それは、この作品に多くの喪失が描かれているからである。 「『説得』の世界には、5つのも

のが失われている。すなわち、財産、人間同士のつながりと地位、健康と愛する人である。死

か喪失かいずれかの理由によってである」(Mooneyham 150)。 エリオット家は、レディー・

エリオットを亡くし、ケリンチ・ホールと財産を失っている。マスグローヴ家は、次男のリチャー

ドの死を一度だけ思い出して、マスグローヴ夫人は悲しみの溜息をついている。ハーヴィル大

佐は、足が悪く、健康と妹ファニーを失くしている。ベニック大佐は婚約者を病気で亡くして

いる。ウェントワースは婚約者を失い、アンは母と住んでいた邸宅と婚約者を失っている。こ

の作品のほとんどすべての登場人物が、何らかの喪失に苦しんでいるのである。

アンは母を亡くし、相談相手もなく、家族に周縁に追いやられて、孤独であるが、マスグロー

ヴ家においても、海軍将校たちの輪の中でも、その優しい性格と不屈の精神を認められ、柔軟

に居場所を見つけていく。そして、陰に潜む受け身の存在ではなく、積極的に発言や行動をお

こし、ついに 8年前に失った愛を取り戻すのである。アンが自分の言葉で、自分の愛を語らな

かったら、この失われた愛を、到底手に入れることはできなかったであろう。ジェイン・オー

スティンのお決まりであるが、『説得』もまた、ヒロインの成長物語なのである。言い換えれば、

ヒロインの言語獲得の物語なのである。

日本語訳は次のものを参考にした。

中野康司訳『説得』筑摩書房、2008 年

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引用文献

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ポール・ポプラウスキー編著、向井秀忠監訳『ジェイン・オースティン事典』鷹書房弓プレス、2003 年