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旭川医科大学薬理学講座教授� 牛首 文隆� 第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎� プロスタサイクリンとは� Key words O OH OH COOH O O OH COOH PGE2 OH O OH COOH COOH COOH PGD2 O OH OH HO HO OH COOH PGF2α� OH COOH TXA2 O O PGIS PGDS PGES TXS PGFS プロスタサイクリン� (PGI2)� アラキドン酸� COX Prostaglandin Endoperoxide� (PGH2) リン脂質� PLA2 O O O O O O Choline P プロスタノイドの生合成 プロスタノイドは,プロスタグランジン(PG)とトロンボキサン(TX)よりなる生理活性脂 質である。プロスタノイドは多様な細胞によって産生されるが,それらの細胞ではまず刺激 によってホスホリパーゼA (PLA )が活性化され,膜リン脂質よりアラキドン酸が切り出さ れる。ついで,シクロオキシゲナーゼ(COX)によって,アラキドン酸に酸素が添加され, プロスタノイドの共通の前駆物質であるPGH が合成される。PGH は,各プロスタノイドに 特異的な合成酵素によって,おのおののプロスタノイドに変換され,細胞外に放出される 図1)。生理的に重要なプロスタノイドは5種類存在し,PGD ,PGE ,PGF α,プロスタ サイクリン(PGI ),TXA よりなる。また,プロスタノイドの生物学的半減期はきわめて短 いことから,プロスタノイドは合成された局所で作用し,そのホメオスタシスの維持や種々 の病態形成に関与すると考えられる。また,プロスタノイドは非常に多彩な作用を示し,そ の作用は全身の臓器・組織に及ぶといっても過言ではない。一方,これらの作用は,標的細 胞上に存在するおのおののプロスタノイドに特異的な受容体を介して発揮される。 プロスタサイクリンの働き PGI はその構造の特徴から,プロスタサイクリンとも呼ばれる。従来,プロスタサイクリ ンは,心血管系での作用がよく知られており,この系では主に血管内皮から産生される。プ ロスタサイクリンの血中での化学的半減期は数分であり,またその多くは肺循環中に血管内 皮細胞内に取り込まれ,代謝を受けて不活化される。プロスタサイクリンの心血管系での作 用として,血小板活性化の抑制作用と血管平滑筋の弛緩作用がよく知られている。一方, TXA は血小板活性化と血管平滑筋の収縮作用を示すことから,この両者のバランスが血栓 傾向,臓器血流量の調節や動脈硬化の要因として重要と考えられている。また,プロスタサ イクリンの作用として,炎症のメディエーターとしての作用,血管平滑筋の増殖抑制作用や 虚血障害からの心筋保護作用などが知られている。一方,プロスタサイクリン受容体(IP) は,免疫系の中心臓器である胸腺や中枢神経系での発現が知られており,免疫系や中枢神経 系での役割が想定される。 プロスタノイド,プロスタグランジン(PG),トロンボキサン (TX),プロスタノイド受容体,ノックアウトマウス,血管リ モデリング,原発性肺高血圧症,心筋保護 図1 プロスタノイドの生合成経路 細胞が刺激を受けると,ホスホリパーゼA (PLA )が活性化され,膜リン脂質よりアラキドン酸が遊離され る。ついで,シクロオキシゲナーゼ(COX)によってPGG を経てPGH が合成される。最終的には,各細胞に 存在するおのおののプロスタノイドに特異的な合成酵素によって,生理的に重要なPGD ,PGE ,PGF αプロスタサイクリン,TXA の5種類のプロスタノイドが合成される。 第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは 18 19

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旭川医科大学薬理学講座教授�牛首 文隆�

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎�

1 プロスタサイクリンとは�

Key wordsO

OH OH

COOH

O

OOH

COOH

PGE2

OH

O OH

COOH

COOH

COOH

PGD2

O

OHOH

HO

HO OH

COOH

PGF2α�

OH

COOH

TXA2

OO PGIS

PGDSPGES

TXS

PGFS

プロスタサイクリン�(PGI2)�

アラキドン酸�

COXProstaglandin Endoperoxide�(PGH2)

リン脂質�

PLA2O

O

O

O

O

O CholineP

プロスタノイドの生合成

プロスタノイドは,プロスタグランジン(PG)とトロンボキサン(TX)よりなる生理活性脂

質である。プロスタノイドは多様な細胞によって産生されるが,それらの細胞ではまず刺激

によってホスホリパーゼA2(PLA2)が活性化され,膜リン脂質よりアラキドン酸が切り出さ

れる。ついで,シクロオキシゲナーゼ(COX)によって,アラキドン酸に酸素が添加され,

プロスタノイドの共通の前駆物質であるPGH2が合成される。PGH2は,各プロスタノイドに

特異的な合成酵素によって,おのおののプロスタノイドに変換され,細胞外に放出される

(図1)。生理的に重要なプロスタノイドは5種類存在し,PGD2,PGE2,PGF2α,プロスタ

サイクリン(PGI2),TXA2よりなる。また,プロスタノイドの生物学的半減期はきわめて短

いことから,プロスタノイドは合成された局所で作用し,そのホメオスタシスの維持や種々

の病態形成に関与すると考えられる。また,プロスタノイドは非常に多彩な作用を示し,そ

の作用は全身の臓器・組織に及ぶといっても過言ではない。一方,これらの作用は,標的細

胞上に存在するおのおののプロスタノイドに特異的な受容体を介して発揮される。

プロスタサイクリンの働き

PGI2はその構造の特徴から,プロスタサイクリンとも呼ばれる。従来,プロスタサイクリ

ンは,心血管系での作用がよく知られており,この系では主に血管内皮から産生される。プ

ロスタサイクリンの血中での化学的半減期は数分であり,またその多くは肺循環中に血管内

皮細胞内に取り込まれ,代謝を受けて不活化される。プロスタサイクリンの心血管系での作

用として,血小板活性化の抑制作用と血管平滑筋の弛緩作用がよく知られている。一方,

TXA2は血小板活性化と血管平滑筋の収縮作用を示すことから,この両者のバランスが血栓

傾向,臓器血流量の調節や動脈硬化の要因として重要と考えられている。また,プロスタサ

イクリンの作用として,炎症のメディエーターとしての作用,血管平滑筋の増殖抑制作用や

虚血障害からの心筋保護作用などが知られている。一方,プロスタサイクリン受容体(IP)

は,免疫系の中心臓器である胸腺や中枢神経系での発現が知られており,免疫系や中枢神経

系での役割が想定される。

プロスタノイド,プロスタグランジン(PG),トロンボキサン

(TX),プロスタノイド受容体,ノックアウトマウス,血管リ

モデリング,原発性肺高血圧症,心筋保護

図1 プロスタノイドの生合成経路細胞が刺激を受けると,ホスホリパーゼA2(PLA2)が活性化され,膜リン脂質よりアラキドン酸が遊離され

る。ついで,シクロオキシゲナーゼ(COX)によってPGG2を経てPGH2が合成される。最終的には,各細胞に

存在するおのおののプロスタノイドに特異的な合成酵素によって,生理的に重要なPGD2,PGE2,PGF2α,プロスタサイクリン,TXA2の5種類のプロスタノイドが合成される。

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは

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プロスタノイド受容体

プロスタノイド受容体には,PGD2,PGE2,PGF2α,プロスタサイクリン,TXA2に特異

的な受容体として,おのおのDP,EP,FP,IP,TPが含まれる。さらに,EPにはEP1,

EP2,EP3,EP4の4種類のサブタイプが存在する。これらの受容体は7回膜貫通構造をも

ち,G蛋白質と連関するロドプシン型受容体に属するが,PG受容体としての構造上の相同性

をもち,全体としてサブファミリーを形成している1)2)。

プロスタサイクリン受容体であるIPは,血管(特に動脈)平滑筋,心臓,血小板,胸腺髄質

(T細胞)あるいは脊髄後根神経節や孤束核などの神経細胞に特異的に発現している3)4)。IPの

主な情報伝達はGs蛋白質を介するアデニレートシクラーゼの活性化であり,これが血小板

活性化の抑制や血管平滑筋の弛緩作用の機構と考えられている。一方,CHO細胞を用いた

IPの発現系の解析により,高濃度のプロスタサイクリンは,Gs蛋白質以外にGq蛋白質を介

してPI(ホスファチジルイノシトール)代謝回転を惹起することが報告されている5)6)。

IP欠損マウスの解析

1.プロスタサイクリンと血栓形成,炎症反応および痛覚伝達IP欠損マウスは正常に発育し,生殖機能にも異常を認めない。また,IP欠損マウスの血小

板や血管平滑筋は,プロスタサイクリンアゴニストに対する反応を欠如するが,その出血時

間や血圧には変化を認めなかった。したがって,これらの血小板や血管平滑筋での作用は,

通常の状態では発揮されなく,種々の病態時での血小板機能や局所の臓器血流の調節などに

関与すると考えられた。そこで,まず血管内皮障害モデルを用いたプロスタサイクリンの血

栓形成への関与が検討された。具体的には,頸動脈の外膜側より塩化第二鉄を添加して血管

内皮障害を惹起し,その後の血流と血管組織像が解析された。その結果,IP欠損マウスで

は,血栓形成傾向の著明な増強が認められ,プロスタサイクリンが血管の内皮障害に起因す

る血栓形成に重要な役割を果たすことが示された(図2)。また,動脈硬化が血管内皮の障害

を契機として発症・進展することを考えると,この抗血栓形成効果がプロスタサイクリンの

もつ抗動脈効果の作用機構の一部であると考えられた7)。

一方,従来プロスタノイドは,炎症のメディエーターとしての役割が知られている。なか

でもPGE2がその中心と考えられ,プロスタサイクリンの炎症への関与は明らかではなかっ

た。そこで,炎症反応の指標として血管透過性の亢進について焦点をあて,外来性に投与し

たこれらのPGの作用が解析された。マウスにポンタミン・スカイブルー色素を静注した後,

背部皮下にブラジキニン単独あるいはPGと併せて注入し,4時間後に皮内に漏出した色素

を抽出し比色定量した。この結果,野生型マウスではPGE2とプロスタサイクリンはともに

ブラジキニンの血管透過性亢進作用を強く増強し,IP欠損マウスではプロスタサイクリンの

作用のみが欠失していた。この結果は,PGE2とプロスタサイクリンがともに炎症の場にお

いて血管透過性を亢進させる可能性を示唆した。ついで,内因性PGの炎症反応への関与が,

カラゲニン浮腫モデルを用いて検討された。マウス後肢に起炎性物質であるカラゲニンを皮

下注入し,惹起された炎症反応に伴う血管透過性亢進による浮腫が,足趾の体積の変化とし

て解析された。その結果,IP欠損マウスでは浮腫の形成が著明に減弱しており,その程度は

野生型マウスをインドメタシン(全てのプロスタノイドの産生を抑制する薬物)処理したもの

と同程度であった。この結果,予想に反してPGE2ではなくプロスタサイクリンがカラゲニ

ン炎症に伴う血管透過性に重要なプロスタノイドであることが解明され,少なくとも炎症反

応の一部には,プロスタサイクリンが重要な役割を果たすことが明らかとなった7)。

一方,脊髄後根神経節の神経細胞の約50%にIPの発現が認められることから,知覚伝達へ

のプロスタサイクリンの関与が示唆されていた。そこで,酢酸ライジングを用いた炎症反応

に伴う疼痛が解析された。マウスの腹腔内に希酢酸を注入し,疼痛反応としてのライジング

(痛みのため体をよじる反応)の回数を30分間計測した。その結果,野生型マウスでは約40回

のライジング反応が認められるのに対し,IP欠損マウスでは約8回と疼痛反応の著明な減少

を認め,その程度は野生型マウスをインドメタシン処理したものと同程度であった。この結

果,この系における痛覚の伝達は主にIPを介していることが証明された。このように,プロ

スタサイクリンは心血管系での抗血栓作用以外に炎症反応の場において血管透過性の亢進や

疼痛の伝達などに非常に重要な役割を果たしていることが示された7)。

2.プロスタサイクリンの心筋虚血・再灌流障害での役割急性心筋梗塞は,冠動脈(心臓の血管)での血栓の形成が引き金となって発症する疾患であ

る。従来,急性心筋梗塞を発症した心臓において,プロスタサイクリンやTXA2の産生が亢

進することが報告されている。しかし,急性心筋梗塞時の心筋の虚血・再灌流に伴う障害に

おけるプロスタサイクリンやTXA2の役割に関しては,不明な点が多く残されていた。そこ

で,IPあるいはTPを欠損するマウスを用い,この役割について解析が行われた8)。

In vivoの心筋梗塞モデルを用いた解析では,左冠動脈前下行枝を1時間結紮した後,24

時間再灌流を行い,心筋梗塞巣のサイズが計測された。その結果,IP欠損マウスでは野生型

図2 プロスタサイクリンの抗血栓作用マウスの頸動脈を露出後,塩化第二鉄を外膜側か

ら添加し,血管内膜障害を加えた。ついで,術後

4時間の時点で,血管内皮障害に起因する血栓形

成を観察した。図は摘出した頸動脈を示す。IP欠

損マウスでは,赤褐色の赤色血栓とその間に存在

する白色血栓が認められ,野生型マウスと比較し

て著明な血栓形成の増強が認められる。

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは

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*�55%

50%

45%

40%

35%AAR/LVS Infarct Size/AAR

WT IP-/-� TP-/-�

A

B1.5

1.0

0.5

0.0IP TP IPTP

**�

*�

野生型�欠損マウス�

I/M

WT IP-/-� TP-/-�

マウスに比し,梗塞巣のサイズが有意に増加することが明らかとなったが,TP欠損マウス

ではそのような差は認められなかった(図3)。一方,従来外来性に投与されたプロスタサイ

クリンが,好中球の心筋梗塞巣への浸潤を抑制することによって,その有害作用から心筋を

保護することが報告されていた9)。そこで,ex vivoの摘出灌流心臓モデルを用い,プロスタ

サイクリンの虚血・再灌流障害での心筋保護作用が,心臓への直接作用であるかどうかが検

討された8)。その結果,IP欠損マウスの心臓では野生型マウスの心臓に比し,収縮期や拡張

期の張力の回復の遅延や心筋より遊離してくる逸脱酵素量の有意な増加が観察された。

これらの結果,急性心筋梗塞時に産生が亢進する内因性のプロスタサイクリンは,心臓に

直接作用することにより,虚血・再灌流障害から心筋を保護する役割をもつことが明らかと

なった。また,従来心臓の虚血・再灌流障害の増悪因子と考えられていたTXA2には,その

ような増悪作用が認められなかった。

3.プロスタサイクリンの血管平滑筋増殖での役割近年の動脈硬化性疾患の増加に伴い,血栓除去術や血管移植の行われる機会が増加してい

る。しかし,これらの手術にとって問題となる現象として,血管リモデリングが挙げられ

る。この血管リモデリングは,血管平滑筋の増殖を主体とした新生内膜(neointima)の増生

によって,術後に再度血管が閉塞する現象として捉えられる。この現象には,さまざまな因

子の関与が考えられるが,その抑制因子の代表としてプロスタサイクリンがある。実際われ

われは,培養血管平滑筋を用いた解析により,プロスタサイクリンがIPを介して,血小板由

来成長因子で刺激された血管平滑筋の増殖を抑制することを確認している10)。また最近,血

管内膜新生におけるプロスタサイクリンの役割に関し,IP欠損マウスを用いた解析の報告が

なされた11)。この報告では,頸動脈の内皮をカテーテルで傷害し,その後の血管内膜肥厚を

観察している。その結果,IP欠損マウスでは野生型マウスに比し,著明な内膜肥厚の亢進が

認められ,局所で産生された内因性のプロスタサイクリンがneointimaの増生を抑制する役

割をもつことが明らかとなった。一方,TP欠損マウスでは,IP欠損マウスとは逆に血管内

膜肥厚の軽減が認められ,この血管内膜肥厚の場においてもプロスタサイクリンとTXA2が

拮抗した役割をもつことが示された(図4)。

臨床応用と将来の展望

現在,プロスタサイクリンの臨床応用に際しては,その心血管系での作用を基本としてい

る。これらの作用には,血管拡張作用,血管平滑筋増殖抑制作用,虚血心筋保護作用や血小

板活性化抑制作用がある。実際,閉塞性動脈硬化症の治療や抗血小板療法には,PG製剤が

しばしば用いられる。従来,PGE1製剤がその主体となってきたが,この薬物の活性の多く

はIP(プロスタサイクリン受容体)を介したものと考えられている。一方,最近になって経口

プロスタサイクリン製剤の使用が可能となり,広く使用されるようになってきた。また,原

発性肺高血圧症でのプロスタサイクリン類似物質の有効性がよく知られている。この疾患で

は,肺の細小動脈における血管平滑筋の増殖や間質の増生がその病態形成に中心的な役割を

果たすが,プロスタサイクリンがこれらの現象を抑制すると考えられる。しかし,原発性肺

高血圧症の治療においては,その治療期間が長いことや,この種の薬物が高価であることか

ら,治療費が莫大となる難点がある。また,プロスタサイクリンの心筋梗塞における有効性図3 プロスタサイクリンの虚血

心筋保護作用A:心室横断面。青く染まっている領域

を除く部位は,結紮された左冠動脈前下

降枝の支配領域(AAR)を示す。AARの

中で,赤色部位は心筋が生存しており,

白色部位は心筋が壊死していることを示

す。IP欠損マウスでは,壊死に至った領

域が,野生型マウスに比し拡大している。

B:心筋梗塞巣のサイズ。左冠動脈前下

降枝の支配領域(AAR)の体積の左心室体

積(LVS)に対する比率(左)と梗塞巣の体

積のAARに対する比率(右)を示す。IP欠

損マウスでは野生型マウスに比し,梗塞

巣のサイズが有意に増加しているが,TP

欠損マウスでは野生型マウスとの差は認

められない。□;野生型マウス,■;

IP-/-マウス, ;TP

-/-マウス。

*;p<0.01,n=10。

図4 血管内皮損傷後の血管内膜肥厚カテーテルにより頸動脈内皮を�離し,2週間後の内膜肥厚を観察した。縦軸には血管中膜と内膜の面積比

(I/M)を示す。IP欠損マウスではI/Mの増加が増強

し,逆にTP欠損マウスでは減弱する。しかし,IPと

TPのダブルノックアウトでは,I/Mの増加は野生型

のものと比較して差を認めない。*;p<0.05,**;p<0.01。文献11)より。

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは

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を示す報告があるが,その血管拡張作用に基づく血圧低下作用が実際の治療の障害となって

いる。

これらのプロスタサイクリン製剤を用いた臨床応用とは別に,プロスタサイクリン合成酵

素による遺伝子治療への可能性を示唆する報告がある。1つは,血管リモデリング(血管内

膜肥厚)の抑制を目的として,プロスタサイクリン合成酵素を血管平滑筋に発現させた試み

がある。このとき,バルーン障害に起因する内膜肥厚が,プロスタサイクリン合成酵素の発

現により抑制された12)。また,肺高血圧症の治療を目的に,肺血管にプロスタサイクリン合

成酵素を発現させた報告がある。この報告では,モノクロタリン誘発ラット肺高血圧モデル

での,プロスタサイクリン合成酵素発現の有効性が示された13)。

このように,プロスタサイクリンの臨床応用は主に循環器系の疾患をターゲットに進めら

れてきた。将来的には,プロスタサイクリン製剤の血圧低下などの副作用を低減するため,

薬物が標的臓器や組織に選択的に作用するような投与法や製剤の開発が必要となろう。ま

た,薬物の有効性を考える上で,IPの脱感作の問題が挙げられる。この問題の解決は困難で

あるが,より低い受容体占有率で効果を発揮できる新規IPアゴニストが開発される必要があ

る。さらに,現時点で動物モデルにおいて実証された,プロスタサイクリン合成酵素による

遺伝子治療が,心・血管リモデリングや原発性肺高血圧症の治療へ応用されることが期待さ

れる。

文 献

1)Ushikubi F, Hirata M, Narumiya S:Molecular biology of prostanoid receptors;An overview.J Lipid Mediat 12:343-359, 1995

2)Narumiya S, Sugimoto Y, Ushikubi F:Prostanoid receptors;Structures, properties and func-tions. Physiol Rev 79:1193-1226, 1999

3)Oida H, Namba T, Sugimoto Y, et al:In situ hybridization studies of prostacyclin receptormRNA expression in various mouse organs. Br J Pharmacol 116:2828-2836, 1995

4)Nakagawa O, Tanaka I, Usui T, et al:Molecular cloning of human prostacyclin receptor cDNAand its gene expression in the cardiovascular system. Circulation 90:1643-1647, 1994

5)Namba T, Oida H, Sugimoto Y, et al:cDNA cloning of a mouse prostacyclin receptor;Multi-ple signaling pathways and expression in thymic medulla. J Biol Chem 269:9986-9992, 1994

6)Katsuyama M, Sugimoto Y, Namba T, et al:Cloning and expression of a cDNA for the humanprostacyclin receptor. FEBS Lett 344:74-78, 1994

7)Murata T, Ushikubi F, Matsuoka T, et al:Altered pain perception and inflammatory responsein mice lacking prostacyclin receptor. Nature 388:678-682, 1997

8)Xiao C-Y, Hara A, Yuhki K, et al:Roles of prostaglandin I2 and thromboxane A2 in cardiacischemia-reperfusion injury;A study using mice lacking their respective receptors. Circula-tion 104:2210-2215, 2001

9)Simpson PJ, Mickelson J, Fantone JC, et al:Iloprost inhibits neutrophil function in vitro and invivo and limits experimental infarct size in canine heart. Circ Res 60:666-673, 1987

10)Fujino T, Yuhki K, Yamada T, et al:Effects of the prostanoids on the proliferation or hy-pertrophy of cultured murine aortic smooth muscle cells. Br J Pharmacol 136:530-539, 2002

11)Cheng Y, Austin SC, Rocca B, et al:Role of prostacyclin in the cardiovascular response to

thromboxane A2.Science 296:539-541, 200212)Todaka T, Yokoyama C, Yanamoto H, et al:Gene transfer of human prostacyclin synthase

prevents neointimal formation after carotid balloon injury in rats. Stroke 30:419-426, 199913)Nagaya N, Yokoyama C, Kyotani S, et al:Gene transfer of human prostacyclin synthase ame-

liorates monocrotaline-induced pulmonary hypertension in rats. Circulation 102:2005-2010,2000

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは

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プロスタノイド

プロスタノイドは,生理的にはアラキドン酸から合成されるものが圧倒的に多い。その結果,プロスタノイド分子構造の側鎖に2個の二重結合が存在する2-シリーズのプロスタノイドが重要となる。一方,エイコサペンタエ ン 酸(EPA)から合成される3-シリーズのプロスタノイドは,2-シリーズのものとは異なった性質をもつ。たとえば,TXA3の血小板活性化作用は弱く,そのためEPAが血栓予防などの目的に用いられる。

プロスタノイド合成酵素

プロスタノイドの生合成では,PGH2がその合成の共通の前駆物質であり,ある細胞でどのような種類のプロスタノイドが産生されるかは,その細胞に存在する合成酵素の種類に依存する。たとえば,血管内皮細胞と血小板とでは,おのおのプロスタサイクリン合成酵素とTXA2合成酵素が多く,結果として血管内皮細胞ではプロスタサイクリンが,血小板ではTXA2が多く産生される。

トロンボキサン(TX)

プロスタノイドの一種であるTXA2は,血小板から多く産生され,その分子構造にオキサン環をもつことから命名された。TXA2は,化学的に不安定な物質であり,その半減期は生理的な条件では約30秒と短い。

リピッドメディエーター

生理活性脂質の総称であり,プロスタノイド,ロイコトリエン,血小板活性化因子(PAF)やリポキシンなどが含まれる。この中で,プロスタノイドとロイコトリエン分子は炭素20個より成り,併せてエイコサノイドと呼ばれる。

PGE1

プロスタグランジン製剤の中で,PGE1製剤が多く用いられている。PGE1は,その分子のα側鎖の二重結合がなく,その立体構造上の自由度が大きくなる。その結果,プロスタサイクリンの側鎖の配置と類似した構造が可能となる。このため,PGE1は4種類のPGE2受容体に結合するのみならず,プロスタサイクリン受容体を活性化する。この事実は臨床的にも重要であり,PGE1製剤の作用にはプロスタサイクリン受容体を介するものが多く含まれる。

オータコイド

オータコイドとは,刺激に応じて局所で産生・放出され,局所の恒常性維持や種々の病態形成に関与する物質の総称である。従来,ヒスタミンやセロトニンがその代表例に挙げられてきたが,プロスタノイドこそオータコイドの代表例とも考えられる。

シクロオキシゲナーゼ(COX)

COXは,プロスタノイド産生の律速酵素である。この酵素には,常在型のCOX-1と誘導型のCOX-2の2種類のアイソザイムが知られている。一般的に,COX-1によって産生されるプロスタノイドは,胃や腎臓の生理に重要な役割を果たす。一方,COX-2は炎症などの場で発現誘導され,結果産生されるプロスタノイドが種々の病態形成に関与する。

ロドプシン型受容体

プロスタノイド受容体は,ロドプシン型受容体ファミリーに属する。ロドプシン型受容体は,構造上の特徴として7回膜貫通構造を有する。また,機能上の特徴として,特異的なリガンドによって活性化されると,三量体型GTP結合蛋白質を活性化し,種々の細胞応答を惹起する。

新生内膜(neointima)

血栓除去術や血管移植術の後に,新生内膜(neointima)が形成され再狭窄をきたすことが問題となる。実際には,新生内膜の実体は平滑筋細胞の増殖であり,その細胞起源が血管平滑筋か骨髄間葉系細胞かで注目を集めている。

COX阻害薬

文字どおりCOXを阻害し,プロスタノイドの産生を抑制する薬物の総称であり,非 ス テ ロ イ ド 性 抗 炎 症 薬(NSAIDs)とほぼ同意語である。歴史的には,アスピリンやインドメタシンなどが有名である。これらは,COX-1とCOX-2の両者を阻害するが,最近COX-2を選択的に阻害し副作用が少ないとされる薬物が登場している。

用語解説

第Ⅰ章 プロスタサイクリンの基礎 1.プロスタサイクリンとは

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