mimi/宮本典子特集 18 · 2013. 4. 8. · mimi/宮本典子 一問一答...

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18 mimi/宮本典子特集 プロフィール&一問一答 本人コメント・ディスク・レビュー 冊子版特典:A3カタログ・ポスター 芽瑠璃堂マガジン『ROOT』 #018 和製R&Bディーヴァの先駆け、mimi/宮本典子特集

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Page 1: mimi/宮本典子特集 18 · 2013. 4. 8. · mimi/宮本典子 一問一答 これまでに『Rush』『Vivid』『Push』『Noriko』と宮本さ んのキャリアを辿っていく上で欠かす事の出来ない、初

18mimi/宮本典子特集プロフィール&一問一答本人コメント・ディスク・レビュー冊子版特典: A3カタログ・ポスター

芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジ ン 『 R O O T 』 # 0 1 8

和製R&Bディーヴァの先駆け、mimi/宮本典子特集

Page 2: mimi/宮本典子特集 18 · 2013. 4. 8. · mimi/宮本典子 一問一答 これまでに『Rush』『Vivid』『Push』『Noriko』と宮本さ んのキャリアを辿っていく上で欠かす事の出来ない、初

 パフォーマーとしての本格的なデビューは赤坂にあった伝説のディスコ「MUGEN」でのこと。ただし、シンガーとしてではなく、当時は「ゴー・ゴー・ガール」と呼ばれたダンサーとしてである。当時「MUGEN」は、アメリカからのバンドが毎日プレーし、年に数回、ビックスターがゲストで出演していた。「ティナ・ターナー」「エドウィン・スター」「バーケイズ」「B.B.キング」。特に心を惹かれたのは「ティナ・ターナー」、彼女のステージ・パフォーマンスに魅了され、彼女のようなシンガーになりたいと、後にダンサーを辞め、シンガーを目指すことになるキーパーソンでもあった。しかし、歌い始めた頃は、ティナの様な声が出る筈もなく、始めは歌を諦めようかとも思ったそうだ。そして数年後、日本人だけのソウルバンド「スリー・チアーズ」を結成。ヴォーカルにグッチ祐三、ドラムにはウガンダ等、7ピースによるバンドは、古巣の「MUGEN」や米軍キャンプ、ディスコを中心に活動し、当時、その業界では高い評価を受けていた。3年間続いたこのバンドは、メンバーの音楽性の違いによって解散した。その後、ジャズの大御所「鈴木勲」と出会い、彼の率いるグループにジャズ・フュージョン・シンガーとしてジャズシーンにデビューした。鈴木勲とのコラボレートのアルバム『Push』も製作し、ジャズシンガーの地位を確立した。同時に、スタジオシンガーとして呼ばれ、歌った曲がコマーシャルに抜擢。それを機に歌謡界にデビューする事になる。その曲が「ひとつ年上」、その後「エピローグ」「ラスト・トレイン」をヒットさせるが、3年後、芸能界を辞め、自分の音楽を追求するため、ライブ中心の音楽活動に切り替える。その時代に東京の音楽学校「メザーハウス」の講師としての話があり、歌の指導を始める。シンガーを目指す生徒達に自分の体験などを話し「歌だけでなく、パフォーマーになりなさい!」と指導し、生徒たちは歌は勿論、ステージパフォームを自分たちなりに考え、各ヴォーカルクラスが集まり行う恒例の発表会では、名物クラスになってしまったそうだ。その時代、憧れでもあったアメリカで自分の力を試してみたい!と強く思いはじめ、90年、渡米を決意した。知り合った元モータウンシンガー、そして「Tレックス」の妻でもあった「グロリア・ジョーンズ」の元を訪れ、彼女の歌のレッスンを受けながら西海岸を活動の拠点としてキャリアを一から積み直し始める。91年には、「ミシシッピ・マスクワイア」のソリストとして日本公演に参加し、アメリカ人にとってのゴスペルの大切さを学んだと話している。その後、リユニオンをプランしていた「ラリー・グラハム」(元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストでチョッパー・ベースのパイオニア)「ジョージ・ジョンソン」(ブラザース・ジョンソンのギターリスト)らと知り合い、13年間活動を停止していたグラハム・セントラル・ステーション(GCS)再結成に参加した。以前、宮本は日本人バンド「スリー・チアーズ」時代、このグラハム・セントラル・ステーションの曲をプレーしていたので、GCSの曲をすべて歌え、ラリー・グラハムも驚いたそうだ。GCSは全米ツアーをはじめ、92年には来日公演も実現し、mimiの名で凱旋した。その後、「ラリー・グラハム」がリーダーとなり「エディ・マーフィー」バンドを結成、「サイケデリック・ソウル」と呼ばれたバンドにmimiもメンバーとして参加。1993年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行われた、エディー初ライブをサポートする。モントルー帰国後、エディーバンドはアメリカ国内のコンサートを半年ほど続け解散した。その後、「ジョージ・ジョンソン」のラブコールで「ブラザース・ジョンソン」のメンバーとなる。彼らは、アメリカ国内の小さな町に至るまでツアーがあり、オールド・スクールと呼ばれる、1980年代、人気のあったファンク・R&Bバンド達によるコンサートに多々出演し、観客達を直接感じることが出来た時代であった。そして「ブラザース・ジョンソン」でコーラスを一緒に担当していたのが、「Always There」のヒットで知られる「サイド・エフェクト」のオギー・ジョンソンとグレッグ・マター。その後、彼らのグループ「サイド・エフェクト」のメンバーとして、活動を開始する。ソリストとして歌い始めたmimiだが、コーラスの楽しさに魅了され、今もL.A.を中心に活躍している。

P R O F I L E

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mimi/宮本典子 一問一答

これまでに『Rush』『Vivid』『Push』『Noriko』と宮本さ

んのキャリアを辿っていく上で欠かす事の出来ない、初

期の重要な作品が続 と々CD化されてきました。今のお

気持ちを聞かせて頂けますか?

 十数年経って、この様にCD化されるなんて思っても

いませんでした。私のルーツがCD化されることで、喜ん

でくださる方がいれば、大変うれしく思います。

現在はLAを拠点にサイド・エフェクトと共に活動を行っ

ていらっしゃいますが、具体的にどのような活動を行

なっているか、詳しく教えて下さい。

 最近は、スタジオに入りラジオ局ジングル(テーマ)

を数点作りました。後は、リーダーのオギー・ジョンソン

のプロデュースバンド「LAボッパーズ」と一緒に活動を

しようと話しを進めてるところです。

音楽に興味を持った最初のきっかけと、どのような音楽

遍歴を辿ってきたか、宮本さんの音楽的なバック・グラ

ウンド/ルーツをお教え頂けますでしょうか?

 音楽は子供の時から好きだったようです。実は3歳の

時、事故にあい入院をしていたのですが、その時すで

に先生達の前で歌を唄ったそうです(笑)

そして、ビートルズ等のブームがあり、ダンスが流行し、

赤坂MUGENでダンサーになり、ティナターナーに憧

れシンガーになりました。

最近ではどのようなアーティスト、ミュージシャンに注目

していますか?

 特別いません。

今後取り組んでいきたいことや、夢、目標などがあれば

差し支えのない範囲で結構ですので教えて下さい。

 やっぱりライブ好きな私としては、ライブを多くしたい

です。マイペースで長く音楽をして行く事が大事だと考

えています。

今後共演してみたいアーティスト、ミュージシャンを教

えて下さい。

特別いません。

今後日本でライブを行なう予定や、新作のレコーディ

ング・プランなどはありますか?

 サイドエフェクトとのレコーディングを少しずつ始め

ています。それと、サイドエフェクト&LAボッパーズ・ラ

イブを実現させたいと、思っています。   

宮本さんにとってずばり「音楽」とはなんでしょうか?

 気分を楽しくされてくれたり、エネルギーになる物。そ

して、時を超えて昔の自分に戻してくれるアルバムのよ

うな物です。

  

読者の方に何かひとことお願いします。

 レコードしか持ってなくって「聞けない!」なんて

思ってらした方もいらっしゃると思います。アルバムの

CD化で当時に戻った自分を見つめられるかもしれま

せん。そんなお役に立てたら嬉しいです、是非聞いて

ください♪

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生涯の名盤/お気に入りを現時点ので結構ですので、9タイトル教えて下さい。

Natalie Cole「NATALIE LIVE」ナタリーコールはイメージ的に育ちの良い、上品なおとなしい感じ、と思っていたのですが、始めてナタリーコールが来日した時、コンサートに行きそれが覆りました!なんて唄が熱いのだろう。そんな彼女の心の叫びが聞こえてくるような大好きなアルバムです。

William Salter「IT IS SO BEAUTIFUL TO ME」当時、レコードショップをしていた友達から奨められて聞いたのがこのアルバム。プロデューサーとして有名な彼ですが、ホッとする温かい声に魅了されました。アルバムとしても飽きのこないトータルサウンドが好きです。

「GRAHAM CENTRAL STATION」私の音楽人生に無くてはならない「GCS」。そしてこのアルバムは当時のバンドでLAに行った際、何気なく購入した1枚です。日本では余り知られていなくて、私達バンドの教祖的存在になったアルバムでした。

Betty Davis「BETTY DAVIS」このジャケットは強烈でした。そしてベティーの声は個性的、レコーディングメンバーも素晴らしいし、昔も今も彼女の様なシンガーは出てこない。私の中では女性ファンクNo.1です。

Quincy Jones「BODY HEAT」昔、通っていたジャズ喫茶(死語)でよく掛かっていて、クインシーの存在を意識し始めたアルバム。ジャズなのに覚えやすいメロディーとお洒落なコード感で大好きなアルバムでした。その後、私の夢は「クインシーにプロデュースをしてもらいたい」に変わりました。

Dee Dee Bridgewater「AFRO BLUE」ジャズシンガーを目指し始めた頃、夢中になって聞いたのがこのアルバム。伸びのある声や規定のジャズシンガーの枠にはまらない歌が好きでした。彼女の初アルバムが日本人の手によってレコーディングされたなんて素敵ですよね。

Patti Austin「END OF A RAINBOW」時には囁くように、時にはファンキーに、たっぷりとした唄声はメロディーを引き立たせるテクニックが抜群!一緒に歌ってみると、とっても難しいのに驚かされます。ジャケットも印象的で大好きなアルバムです。

Merry Clayton「KEEP YOUR EYE ON THE SPARROW」当時のディスコブームの中、人と違った声と違う曲のアプローチで私を引きつけました。なんかロックぽい!なんて思って調べたら、ロックシーンでは有名なバックコーラスだったことが判明し納得。アルバムのコンセプトがシッカリしている所が大好きです。

Joan Gilberto「AMORSO」私がこのアルバムを選んだことに驚いてますか?今で言う「まったり系」のジルベルトは、当時一緒にプレーしていた「鈴木勲」バンドの影響かな~。大人になった気分にさせてくれたアルバムの一つです。

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Disc Review

PUSH1. モノローグ(ひとりごと)2. ステラ・バイ・スターライト3. エブリシング・アイ・ハブ・イズ・ユアーズ4. プッシュ5. キャデラック・ウーマン6. やりかけの人生

VIVID01. 熱い風02. 時にまかせて03. ミスター・マジック04. ひとつ年上 <クリスタル・ファンタジー>05. アイム・ア・ジャスト・リトル・オーディナリー・ガール06. フィール・ライク・メイキング・ラヴ07. ゲット・イット・スターテッド08. ラヴ・ミー・モア

1977年・田園コロシアム「Live Under The Sky 77」で、鈴木勲Soul Familyの一員としてジャズシンガーとしてデビュー。その後、鈴木勲プロデュースによる宮本典子のファーストアルバムです。ジャズシーンで唄う以前は、伝説のディスコ・赤坂MUGENや米軍キャンプ等を中心としたディスコバンドで活動していましたが、このジャズシーンで唄い始めた頃からシンガーとしての自分に目覚め、しっかり自分を見つめ始めました。今まで聞かなかったフリージャズも聞くようになり音楽の幅を広げていった時期でもありました。当時の私はフローラ・プリム☆ディディ・ブリッジウォーター☆マリナ・ショウ☆パティ―・オースティンらがお気に入りで、それこそレコードが擦り切れるほど聞きました。このSoul Familyでの私の歌は、ジャズと言うより、ジャズフュージョン・シンガーとしての位置づけでした。そして1年後の1978年、鈴木勲さんから「レコーディングの話があるが、やってみないか?」と聞かれ、「人生の思い出に!」って感じでレコーディングする運びになりました。メンバーは当時一緒にプレーしていたミュージシャン達なので、自分のレ

コーディングですがSoul Familyのレコーディングって感じで、緊張せずリラックスして臨めました。タイトル曲の「Push」は鈴木さんがインストゥルメンタルで演奏していた曲を私が英語で作詞をしファンキーなナンバーに仕上がったと思います。「Cadillac Woman」は鈴木勲の代表曲でもあり、とても好きな曲だったので英詩を付けてもらいレコーディングしました。アルバムの中に1曲「モノローグ」と言う日本語の曲がありますが、鈴木さんのアイデアで日本語で唄うことになりました。哀愁のあるメロディーで英語の中に入っても素直に聞ける曲です。アルバムの中にスタンダードナンバー「Everything I Have Is Yours」が入っていますが、これはライブでも唄っていた大好きなサラボーンの曲です。この1枚目をレコーディングした時は、こんなに長くシンガーとして続けていられることなど想像もしていませんでした。唯、この頃から「うわべだけの歌は唄いたくない!どんな事も体験し、自分の唄に取り入れたい」と思っていたことは確かです。そんな気持ちが長く唄う事が出来た原動力になっている気がします。

鈴木勲Soul Familyの一員としてジャズ界にいた私に、CMソングの話があり「ひとつ年上」を録音。その後「ひとつ年上」を入れたアルバムを作成、この『VIVID』が出来上がりました。ジャズフュージョン・シンガーとしての自分がまだまだ色濃く残っていて、3曲を除き、後の5曲は全て英語と言うチグハグなイメージのアルバム。特に「Love Me More」は、ウェザー・リポートの曲を意識したオリジナルで、「ひとつ年上」とのギャップが今となっては面白い!このアルバムは、私は私なりに自分を主張していたと思います。曲の話になりますが「ひとつ年上」はカネボウの冬CMソング・故夏目雅子さんのCFでした。作曲は植木仁さんの息子さん「比呂公一」さん、同じ詩を何人もの作曲家が曲を書き、いろいろなシンガーが歌った中で、この比呂さんと私の曲が選ばれたんです。これも運命&転換期!でした

ね。そしてこの曲以外は、全て気の合ったSoul Familyのメンバーでのレコーディング。今はアレンジで大先生になっている笹治正徳もこの時は大学生、ジャズギターの天才児・秋山一将も新人でした。私も日本語と英語の作詞に挑戦し、和気あいあいでレコーディングしたことを覚えています。その当時、コマ劇場の主催だったか、注目新人ミュージシャンのコンサートがあり、これに宮本典子として声が掛かったことがあり、とっても誇らしかったと記憶しています。ゲストには鈴木勲さんを迎えてライブをしました、なんて大胆だったんでしょう!この『VIVID』を通して過ごした時代は、次のステップへの中間地点だったように感じます。今まで私の周りにいたのはミュージシャン達だったのですが、芸能界の方達も多くなり、違う世界の扉を開けた1枚でした。

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文=mimi/宮本典子

NORIKO1. 摩天楼物語2. ファイナル・レイン3. ターキッシュ・コーヒー4. Lovely City5. レイジー・アフタヌーン6. よろめいてヒロイン7. Just Samba8. マイルド・コネクション9. ボーカリスト

タイトルに『Noriko』と付けたほど、大好きなアルバムです。先ずは、アルバムカバーの話をします。絵には全然才能が無い私は、私のイラストを見て「アッ似てる!素敵」なんて感動しました。この絵を描いてくださった方は、後に、イラストレーター作品集に自分の作品として、このアルバムのイラストを載せてくれました。そして裏カバーは、当時のディレクターがニューヨークで撮ったウォーク・オブ・フェームの写真に私の名前をはめ込み、何時かこんな風に名前が刻まれるように!と思いを込めて作ってくれました。そしてサウンドは、9 曲中、7曲ジャズピアニスト「市川秀雄」さんがアレンジ、日本語でありながら、ジャズ・フュージョンやファンキーな要素がいっぱいのサウンドで、私らしい個性あふれるアルバムに仕上げてくれました。しかもレコーディングが楽しかった~!毎日スタジオに通い、市川さんの才能あふれるアレンジで曲が徐々に変わって行くのを聞き、私もアイデアを出したりと和気あいあいでレコーディングが出来ました。他の2曲は、ベーシストの「後藤次利」

さんがアレンジ、この時はスタジオには行けなったので残念でした。このアルバムの中に、お酒のCMソング用として作られた「マイルド・コネクション」も収められているのですが、この曲だけがイメージ違いの感じがします。作詞を 2曲してくれた「森雪之丞」さんは、私に過激な詞を唄わせたい!と、他のシンガーには書かないような詩を書いてくれました。「摩天楼物語」では、サックスの「ジェイク」のアドリブを私のアイデアで、ユニゾンし、ジャズシンガーとしての私を発揮したり、「レイジー・アフターヌーン」は初めてのデュエットに挑戦、当時好きだった「アレサ・フランクリン&ジョージ・ベンソン」を参考にし、「鈴木雄大」と二人でアドリブをハモったりもしました。この頃は、ライブを盛んにしていた時期で、このアルバムの曲はステージでかなり唄いました。「エピローグ」等の歌謡曲チックな曲調と違い、一緒にプレーしているバンドのメンバーも生き生きしていました(笑)当時このアルバムは高い評価を受け、自分の道を見つけた様な気がした時期でもありました。

RUSH01. シルバー・レイン02. 炎の頃03. ホワイ・ドント・ユー04. 北回帰線05. エピローグ 06. 朝やけの告白07. サムウェアー・サムワン08. 歩き出してナターシャ09. 積み木の箱10. ラスト・トレイン

宮本典子の代表曲でもある「エピローグ」が入ったこのアルバム『Rush』。大手の芸能事務所に移籍し、本格的に芸能界の一員として活動を始めた頃の作品です。この「エピローグ」には沢山の思い出があります。作曲をしてくれたのは梅垣達治さん、この曲が出来る以前、日本のカセットテープ会社が新商品の為にダイアナ・ロスを起用する話があり、梅垣さんがダイアナ用に 2 曲・作曲したんです。そのデモテープを歌ったのがこの私なんです!(もちろん英語です)それが梅垣さんとの出会いでした。彼の曲はメロディーが自然に唄わせてくれる感じがし、素敵な曲を作る方だなぁと思いました。それ以来、何時か梅垣さんに曲を書いてもらいたいと願っていました。作詞は呉田軽穂ことユーミンに依頼しました。初めて会ったユーミンは、着物姿で意表を突かれました。そして聞かれたことが「処女の詞がいいの?」また輪をかけて驚きでした!そしてこの二人によって「エピローグ」ができました。事務所が大きいこともあり、テレビで唄うこと

の多かったこの曲は、今でも覚えてくれてる方が沢山いらっしゃって嬉しいです。そして「ラスト・トレイン」も思い出いっぱいの1曲です。この曲は東京音楽祭にノミネートされ、世界大会で外国審査員団賞と言う、日本人の優れた人に贈られる賞を頂きました。ノミネートの中には当時グラミーを取ったディオンヌ・ワーウィックやスタイリスティックス等、有名なミュージシャン達が参加し、今では考えられない様な音楽番組でした。ここで、先ほどお話ししたダイアナ・ロスの CMの話に戻ります。この CM は結局、実現しなかったのですが、デモとして 2 曲唄った中の1曲がとっても気にいったので、詞を替えてこのアルバムに入れたんです。それが「Why Don’t You」です。この『Rush』も日本語と英語のミックスで出来ているアルバムですが、前回の『VIVID』より統一性がある気がします。この頃、取材などで「日本と洋楽の架け橋になりたい!」など生意気にも語った時代でした。今なら絶対こんな事は言わないと思います(笑)

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GRAHAM CENTRAL STATION ~ ライブ・イン・ジャパン1992 をふりかえって

 GCSライブ・イン・JAPANを沢山の方が覚えていてくれて、とっても嬉しいです。そこで21年前を振り返り話をしようと思います。1992年GCSリユニオンの為に、LA・SIRリハーサルスタジオに集まった。ラリー・グラハム、ゲイロード”フラッシュ”バーチ、ハーシャル”ハピネス”ケネディー、ロバート”ブッチ”サム、ジョージ・ジョンソン、そして私・ミミ。GCS/ 13年ぶりの再会そしてリハーサルでした。ラリーが演奏を始めると、自然にみんなが付いて行き、ブランクを感じさせずに音がまとまって行く、すごいグルーブだった。私もジョージもGCSの曲を全て知っていたので、自然に音に溶け込んでいった。練習は3日間、そして最後の日は身内や知り合いが集まりリハーサルの打ち上げが行われました。その中にはマービン・ゲイの妹・スイーティーもいたんですよ。そして6月25日ツアー開始、東京ライブ初日、GCSのカラー☆ホワイト衣装でメンバー全員身を包み、客席からタンバリン・ドラム・ティンパル、そして私は先頭に立ちバトンをもって行進!音はするけど何処からなのか分からず、観客は音の方向を探してキョロキョロ。そしてメンバー全員ステージに上がり、演奏開始!!!ステージが楽しい、メンバー全員ニコニコ顔。アンコールでは、ラリーの奥様元GCSシンガー・ティナと一人娘のラティーヤをラリーが紹介。

 当時ラティーヤは13才、ダンスが上手く得意のダンスを披露しました。終了後、観客が一緒に歌ってくれてる!とラリーは感激していました。そしてラリーの部屋に集まりビデオを見ながら反省会が始まりました。ラリーは曲と曲との繋ぎのタイミングに注目、やっぱりトータルで曲を考えている、本物のエンターテイナーだな~と感じました。勿論、翌日からはこのタイミングは見事に解決です。ライブは東京・大阪・福岡・宮崎・名古屋そして東京と6か所でした。ここでアメリカと日本との違いについて話します。日本はライブが終わると各プロモーターの方が接待をしてくれますが、アメリカは違うんです。よくミュージシャン達が日本を好きな理由の中に、接待の良さを上げます。そして、この日本式接待を受けてキーボードのハーシャルは食べる&食

べる!初日より最終日には体が大きくなっていて、その画像を見てみんなで大笑いしました。宮崎・延岡では、ミミ☆ファンクラブが駅で大歓迎してくれて、私は涙がほろり。。。

 延岡ライブ・無事終了!ところがラリーとラティーヤが毎回の接待で疲れたのか体調を崩し、打ち上げには参加できませんでした。そして翌日は最終日の東京ライブ。この日はCDと映像を撮る予定なので、東京に戻り病院に連れて行ったのですが、宗教上、注射は出来ず熱さまし薬だけの処置、そしてリハーサルなしでライブに望みました。プロデューサーのアイデアで、東京中のアコースティック・ベースアンプをラリー用に集め、後ろに積み重ねてあり、これにはラリーもビックリし喜びを隠せませんでした。そして本番、グルーブが渦になって厚生年金を回ります。直前まで具合が悪いなんて感じさせない何時も通りのラリー。そして出来上がったのが「Graham Central Station・Live In JAPAN 92」CD。このツアーで私が一番印象に残っているのは、ドラムのゲイロードが「GCSの女性ヴォーカルは、とってもハード(きつい)だ。だけどミミはそれを見事にこなしたよ!Welcome to GCS!」と言われたのが心に残っています。しかしそのゲイロードも数年後には他界、キーボードのロバート”ブッチ“も他界し、今となってはこのライブCDをレコーディングしておいて良かったと思うばかりです。2度と同じメンバーでは出来ないGCSサウンド、あの感動を少しでも伝えられたら嬉しいです♪ (文=mimi /宮本典子)

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Joy Love HappinessVICP60647 (ビクター)1999.05.21

かつて本格派ソウル・シンガーとしてデビュー、やがて単身渡米して数々のセッションやグラハム・セントラル・ステイションへの参加などでその歌に磨きをかけた宮本典子が、mimiとして日本のシーンに返り咲き!

New RomancePSCR5914 (ユニバーサル)2000.09.20

元祖ディーヴァ系、宮本典子の1981年のアルバム。加藤和彦のプロデュースで、テクノ・ポップのエッセンスも取り入れた幅広い内容で、作家陣も加藤和彦、高橋幸宏、大貫妙子ら精鋭ぞろい!R&Bというジャンルに落ち着くことなく、試行錯誤しつつ音楽を作っている様が想像できておもしろい。

MimiVICP61236 (ビクター)2001.01.31

約1年ぶりとなるmimi名義でのセカンド・アルバム。腰の座った日本人離れしたソウルフルな歌いっぷりの王道路線に加えて最新型の弾むビートを効かせたファンキーさが気持ちイイ一枚。歌いっぷりもさらにソウルフルにしなやかさにも磨きがかかり、本物の風格魅せまくり。

ElementsVICP61993 (ビクター)2002.10.23

かねてから噂されていたmimiならではのカヴァーアルバムが遂に誕生!ファンク・バンドのリード・ヴォーカリストだった時代に、重要なレパートリーだったナンバーを改めてカヴァーしたアルバム。バーケイズ、アイズレー・ブラザーズらの名曲をソウルフルに歌いあげる。

AtitudeVICP63698 (ビクター)2007.02.21

変わらなくていいR&Bの流儀と今様なR&B様式が太いボトムを介して巧みに合わさる。そこに、訴求力たっぷりの可憐にして切ないなソウル・ヴォイスを乗せる前作より約6年ぶりとなるオリジナル・アルバム。華々しい経歴も納得の実力をみせている。

プッシュCRCD5052 (クリンク レコード)2013.02.20

和製R&Bディーヴァの先駆け、宮本典子のジャズ~クロスオーヴァー要素が最も強いアルバム。人気ガイド本『和ジャズ・ディスク・ガイド』でも紹介され和ジャズ・ファンからも注目を集め、CD化を求める声が高まっていたファースト・アルバムがついに奇跡の紙ジャケCD化!!

VividCRCD5010 (クリンク レコード)2007.02.20

1979年にトリオ・レコードからリリースされたセカンド・アルバム。グローバルな視野を持って歌と対峙していた姿勢を歴然と示す、全8曲中5曲が英語詞によるもの。コンテンポラリーでクロスオーヴァー志向の強い音楽性へとシフトし、前作以上にスケール感あふれる歌世界を聴かせてくれる充実作!!

RushCRCD5007 (クリンク レコード)2006.09.20

1980年にトリオ・レコードから発表されたサード・アルバム。日本語詞中心の楽曲が並び、前年の各音楽祭で軒並み新人賞を獲得したヒット・シングル『エピローグ』をはじめ、林哲司らしいライト・ソウル調シティ・ポップス『シルバー・レイン』、いかにも筒美京平といった曲作りの才が光る『炎の頃』など聴き所が満載!!

NORIKOCRCD5066 (クリンク レコード)2013.05.22

ジャパニーズR&Bディーヴァの先駆け、宮本典子のカサブランカから82年に発表した通算4枚目のアルバムが初CD化!市川秀男、大村憲司、後藤次利、ペッカー、ジェイク・コンセプションらジャズ~フュージョン系超一流ミュージシャン達の迫力のプレイも聴き応え満点のファン必携盤!

mimi / NORIKO MIYAMOTO

DISCOGRAPHY