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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞ かし」が意味するもの(The meaning of chakin placed on koita, as the evidence that temae has changed) 著者 Author(s) 廣田, 吉崇 掲載誌・巻号・ページ Citation 鶴山論叢,1213:1-11 刊行日 Issue date 2013-03 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81005241 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005241 PDF issue: 2020-01-11

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Page 1: Kobe University Repository : Kernel · 利 休 百 首 の「 小 板 に て 濃 茶 を 点 て ば 茶 巾 を ば 小 板 の 端 に おくものぞかし」 が意味するもの

Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le

利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの(The meaning of chakin placed on koita, as theevidence that temae has changed)

著者Author(s) 廣田, 吉崇

掲載誌・巻号・ページCitat ion 鶴山論叢,12・13:1-11

刊行日Issue date 2013-03

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81005241

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005241

PDF issue: 2020-01-11

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの1

【要旨】

現在の茶の湯の教えでは、一年を夏と冬とに大別して、夏は風

炉、冬は炉が用いられる。そして、それぞれに濃茶点前と薄茶点

前がある。千家流等では、風炉濃茶点前にかならず「一杓の水」

をさすと教えている。しかし、かつての風炉濃茶点前では、暑さ

が厳しいときだけ「一杓の水」をさしていた。すなわち、同じ風

炉濃茶点前の場合でも、暑さが厳しい時期とそれ以外の時期によ

り、「一杓の水」をさす・ささないと点前が二種類存在していた

のである。

これでは点前の体系が複雑となる。そこで〝風炉濃茶点前の一

元化〞によって、点前をわかりやすく単純化する方向へと改変さ

れたのであろう。その結果、千家流等では風炉濃茶点前にかなら

ず「一杓の水」をさすことになったのである。この変遷を示すも

利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端に

おくものぞかし」が意味するもの

廣田 吉崇 

のとして「茶巾を小板におく」ことを教える『利休百首』がある。

現在ではおこなわない「茶巾を小板におく」作法が存在したこ

とは、点前において茶巾をおく位置が明らかに変化したことを示

している。長い年月をかけて、流派の点前が形成され、改変をと

もないながら、現在に至る過程があったことが、この事例を通じ

てうかがえる。

【キーワード】

 

点前、利休百首、風炉濃茶「一杓の水」、茶巾、小板、裏千家

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2『鶴山論叢』第12 ・ 13号 2013年 3月31日

1 

風炉濃茶「一杓の水」をめぐる問題(1)

(1) 「一杓の水」をめぐる〝風炉濃茶点前の一元化〞

現在の茶の湯の教えでは、一年を夏と冬とに大別し、湯

をわかす釜のかけ方として夏は風炉、冬は炉が用いられ

る。そして、それぞれに濃茶点前と薄茶点前がある。

風炉の濃茶点前と炉の濃茶点前とのちがいについて、千

家流等では、抹茶を入れた茶碗に湯を汲む前、釜に「一杓

の水」を〝さす〞・〝ささない〞のちがいがある(本稿では、

風炉濃茶点前の際に釜にさす水のことを、〝風炉濃茶「一

杓の水」〞、あるいは単に「一杓の水」と表記する)。しかし、

すべての流派で「一杓の水」をさすわけではない。遠州流

や石州流等では「一杓の水」をさすことがないように、流

派により点前の相違がみられる。

このようなちがいが生じてきた経緯として、まず、暑さ

が厳しいとき釜の湯の沸騰をさけるために水をさすのが、

「一杓の水」の本来の理由付けであったと考えられる(こ

れを「熱暑沸騰説」とよぶ)。ところが、この考え方によ

るならば、同じ風炉濃茶点前の場合でも、暑さが厳しい時

期とそれ以外の時期により、「一杓の水」をさす・ささな

いと、点前が二種類存在することとなる。それにともない

点前手順が変化するので、点前の体系が複雑となる。この

わずらわしさをさけるために、風炉濃茶点前を一種類に整

理してしまったのではないか。すなわち、「一杓の水」を

かならず〝さす〞流派(千家流等)、〝ささない〞流派(遠

州流や石州流等)というように、流派によって別々の方向

に〝風炉濃茶点前の一元化〞をしたものと考えられる。

現在では、「一杓の水」をさすことは、茶が古くなり、

茶の気が弱まる風炉の時期に、風炉の熱湯に水を一杓入れ

て湯をやわらげるためであるという説明(これを「茶の新

古説」とよぶ)が一般的である。こうした「一杓の水」の

理由付けは、風炉濃茶点前の一元化によって放棄された「熱

暑沸騰説」にかわって主張されたものであろう。

(2)  

本稿の目的―風炉濃茶点前の一元化にともなう点前

の改変―

いまくわしく論じることはしないが、この風炉濃茶点前

の一元化の過程では、点前の「一杓の水」をさす・ささな

いの部分が整理されるだけではなく、風炉・炉の使い分け

や、古茶から新茶に切りかえる口切も時期を一致させるこ

とによって、点前を夏と冬とで峻別する、わかりやすい形

態に変化したのである。これと整合するように、点前の他

の部分にも改変がくわえられた可能性が考えられる。

たとえば、夏の風炉に対して、冬の炉の場合は「一杓の

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの3

水」をさすことがない。そのため、風炉でも「一杓の水」

をささない方向に点前を整理した遠州流や石州流等の流派

では、濃茶点前については、夏の風炉も冬の炉も大差はな

い。一方、千家流等では、風炉濃茶点前にかならず「一杓

の水」をさす方向に点前を整理した結果、炉濃茶点前と比

較すると、その部分が大きく異なることとなる。

このような点前の複雑さは、実技を指導する上で歓迎さ

れることではない。そこで点前をわかりやすく単純化する

方向に改変されたことをうかがわせる事例がある。それが

本稿で考察する〝茶巾を風炉の小板(敷板)の隅におく〞(以

下略して「茶巾を小板におく」)という作法をめぐってみ

られるのである。

2 

点前における茶巾をおく位置について

(1) 

風炉濃茶点前における茶巾をおく位置の問題

やや技術的となるが、茶巾をおく位置がなぜ問題となる

のかについて説明する。風炉濃茶点前の一元化以前の「熱

暑沸騰説」によるならば、風炉濃茶点前は、「一杓の水」

をさす・ささないの二種類となることはすでに説明した。

その「一杓の水」をさすためには、水の入っている水指の

蓋をあらかじめ開けなければならない。しかし、「一杓の水」

をささないならば、水指の蓋はしめたままでもよい。すな

わち、二種類の場合に応じて、水指の蓋を開ける・開けな

いという点前のちがいが関係してくる。

この水指の蓋を開ける・開けないに関連して、茶巾をお

く位置が問題となる。それは、茶碗から出した茶巾を最初

の段階で水指の蓋のうえにおくと、「一杓の水」をさす場

合には、水指の蓋を開ける前にまず茶巾を動かさなければ

ならないというわずらわしさが出てくる。そのため、あら

かじめ茶巾を蓋置においてある釜の蓋にうつしておく方法

もあるが、釜の蓋を閉める場合には、今度は茶巾がじゃま

となる。

そこで茶巾をおく位置が重要となってくるのである。「茶

巾を小板におく」という作法によるならば茶巾の位置は、

水指の蓋を開ける・開けないに影響される心配はない。た

だし、炉の点前では小板を用いないので、風炉と炉とで点

前が異なるという欠点がある。

このことは、実技に関することであるので、わかりにく

いことであろう。風炉濃茶点前における茶巾をおく位置の

ちがいを写真に示したので参考にされたい。

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4『鶴山論叢』第12 ・ 13号 2013年 3月31日

(2)歴史資料にみる「茶巾を小板におく」

ア.「熱暑沸騰説」の教え

「熱暑沸騰説」を採用していたと考えられる古田織部の

教えには、茶巾をおく位置について、つぎのとおり説明が

ある。

茶碗仕込之茶巾取右ヌクイ候小板之隅ニ風炉之ソコ

トせカせテ立候心得ニ置也。此時水指之蓋ノ上ニ不置

事風炉之手前之替也(

2)。

此水〔水指から釜にさす「一杓の水」―引用者注〕

を入て濃茶立候故ニ水指の上ニ茶巾を不置、風炉之手

前之口伝也(

3)。

すなわち、前者では、茶巾を小板におき、水指の蓋のう

えにおかないことは風炉点前の特徴であるとのべている。

そして、後者では、水指の蓋を開けて釜に「一杓の水」を

さす都合から、水指の蓋のうえに茶巾をおかないと説明し

ている。さらに、

此時〔茶筅とおしをして、茶碗の湯を捨て、茶碗を

ふいた後―引用者注〕ニ茶巾釜之蓋上ヘ可置也。若釜

    釜の蓋         小板     水指の蓋※ 茶巾のたたみ方、茶巾のおき方は流派により異なるが、その点は考慮していない。なお、肥後古流では、小板の左隅におく。

写真 風炉濃茶点前における茶巾をおく位置

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの5

之蓋ヲシメ候ハヽ茶巾又小板之上ニ置(4)

最初は小板においた茶巾を、釜の蓋を開けたままにする

場合は、釜の蓋のうえに茶巾をおき、釜の蓋を閉める場合

は、小板に茶巾をもどすというように、茶巾のおく位置も

二種類あることをのべている。この最後の記述から、「熱

暑沸騰説」の場合には、風炉濃茶点前はたいへん複雑にな

ることが想像できるだろう。この複雑さを排除しようとし

たのが、〝風炉濃茶点前の一元化〞であったわけである。

これらの記述から推測できるように、「一杓の水」をさ

すことと「茶巾を小板におく」こととは、ふかく関連して

いるのである。

イ.「利休百首」にみる「茶巾を小板におく」

「利休百首」のなかに、この茶巾をおく位置についての

教歌がある。すなわち「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小

板の端におくものぞかし

(5)」である。「利休百首」は、裏千

家第十一代千宗室(玄々斎)が当時流布していた茶の湯に

関する教歌を「利休百首」として整理したものといわれて

いる(

6)。

この教歌について、古いかたちをさぐると、宝永五年

(一七〇八)松屋久充書写の「茶湯百首 

千宗易製」では、

「小板ニて茶をたつる時茶巾をハ小板のうへニ置物ぞか

し(7)」、文政十一年(一八二八)の奥書のある「紹鴎茶湯百首」

では、「小板にて茶をたつる時茶巾をは小板のはしに置も

のそかし(

8)」となっている。

それが、千宗室(玄々斎)の時代になると、弘化二年(一

八四五)の奥書がある「茶道教諭百首詠」には、「小板に

て濃茶をたては茶巾をはこいたの端に置物そかし(

9)」と記さ

れ、安政三年(一八五六)に千宗室(玄々斎)が「法護普

須磨」という襖に記した「利休居士教諭百首詠」には、「小

板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし)

10(

と微妙に表記が修正されている。現在では、最後の表記が

一般におこなわれている。

このような変遷をみると、現在の表記は、濃茶点前か薄

茶点前かを明確にするため、千宗室(玄々斎)の手によっ

て「茶」を「濃茶」に改変されたものと考えられる)

11(

。すな

わち、千宗室(玄々斎)の時代には、風炉濃茶点前の場合、

茶巾は小板においていたことがうかがえる。

3 

千家流にみる「茶巾をおく位置」

(1)現行点前における茶巾をおく位置のちがい

各流派の現行点前における茶巾の位置を概観する。点前

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6『鶴山論叢』第12 ・ 13号 2013年 3月31日

中に茶巾をおく位置については、すでに写真で示した。最

初に茶巾をおく位置を流派ごとに整理したものが表1であ

る)12(

。「一杓の水」を〝さす〞流派として八流派をあげたが、

風炉濃茶点前の場合、四流派が風炉の小板に茶巾をおいて

いる。ただし、風炉薄茶点前の場合は、八流派のうち一流

派のみである。一方、「一杓の水」を〝ささない〞流派では、

小板に茶巾をおく流派はみられない。ここからも「一杓の

水」をさすことと「茶巾を小板におく」こととの関連性が

うかがえる。

ところで、「利休百首」の教歌にあるとおり、近世末期

には「茶巾を小板におく」教えがあったと考えられる裏千

家流であるが、現在では、茶巾を小板におかないとされて

いる。しかし、ある教本には、つぎのとおり記されている。

茶巾を荒目板にのせることもある。土風炉の場合に

は敷板に荒目板を用いるが、荒目板に限り、(略)そ

こへ茶巾の向きを逆にして、斜めにのせてもよい)13(

ここでは、「荒目板」という特殊な「小板」の場合だけ

にかぎられると教えているが、この茶巾をおく位置に関し

て近現代の裏千家流では微妙な変化がみられる。表2に整

理したとおり、第十三代千宗室(円能斎)は〝小板〞、第

表 1 各流派の現行点前における最初に茶巾をおく位置 

区 分 流派名風炉点前 炉点前

濃茶 薄茶 濃茶 薄茶

「一杓の水」を“さす”流派

表千家流 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋裏千家流 水指の蓋※ 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋武者小路千家流 小板 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋宗徧流 小板 水指の蓋 水指の蓋 水指の蓋江戸千家流 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋大日本茶道学会 水指の蓋※ 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋藪内流 小板 小板 水指の蓋 釜の蓋肥後古流 小板 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋

「一杓の水」を“ささない”流派

遠州流 水指の蓋 水指の蓋 水指の蓋 水指の蓋宗和流 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋石州流怡溪会 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋石州流讃岐清水派 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋鎮信流 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋南坊流 水指の蓋 釜の蓋 水指の蓋 釜の蓋

※は、近現代において、小板から水指の蓋に変化したと考えられるものである。

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの7

十四代千宗室(淡々斎)は〝荒目板〞、第十五代千宗室(鵬

雲斎)は〝水指の蓋〞と、教えの内容に変遷がみられ、原

則と例外とが入れかわるのである)

14(

。裏千家流から近代にわ

かれた大日本茶道学会においても、初期の教本では、当時

の裏千家流の教えと同様に、「茶巾を小板におく」と記さ

れている。

表1のとおり、「茶巾を小板におく」教えが、千家流等

の流派にも伝えられていることにくわえ、表2のとおり、

今はそのようには教えない裏千家流および大日本茶道学会

でも、「茶巾を小板におく」教えが教本に残っていること

は、かつては「熱暑沸騰説」が一般的な教えであったこと

の痕跡を示すものである。そして、〝風炉濃茶点前の一元化〞

によって、必然性がなくなった「茶巾を小板におく」こと

が、点前を整理した結果失われていく経緯を示しているも

のと考えられる。炉点前ではありえない選択肢である「茶

巾を小板におく」よりも、炉点前と同じ「茶巾を水指の蓋

におく」方が好ましい作法とされたためであろう。

(2)三千家流における茶巾をおく位置の変遷

誤解がないように付言しておくが、裏千家流における茶

巾をおく位置の変遷は、裏千家流の教えに混乱があったと

解すべきものではない。裏千家流の点前に関する近現代の

表 2 裏千家流の風炉濃茶点前における最初に茶巾をおく位置の変遷

教 本 著 者 刊行年 原則の教え 例外の教え

『茶道講義』(15)田中鼎(仙樵)(大日本茶道学会)

明治32年(1899)

小板の右角 記載なし

『茶道浜の真砂』(16) 第十三代円能斎明治36年(1903)

小板の右前の隅 記載なし

『茶道浦のとまや』(17)第十二代又玅斎、第十三代円能斎共編

明治36年(1903)

小板の右前角焼物・木地等の場合、水指の蓋

『鉄中茶話』(18)第十三代円能斎口述、第十四代淡々斎補閲、佐々木三味編

大正15年(1926)

荒目板の客付きの前隅

敷瓦の場合、水指の蓋

『風興集』(19) 第十四代淡々斎昭和11年(1936)

荒目板の右前隅敷瓦の場合、水指の蓋

『裏千家流点前』(20) 井口三郎(海仙)昭和13年(1938)

水指の蓋荒目板の場合、右前角

『初歩の茶道 風炉点前』(21)

第十五代鵬雲斎昭和51年(1976)

水指の蓋 記載なし

※著者の欄に代数を示している者は、裏千家の家元(千宗室)である。

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8『鶴山論叢』第12 ・ 13号 2013年 3月31日

資料が多いので、その経緯が明らかにできたのである。つ

ぎに示すように、表千家流でも同様の変遷があり、かつて

の風炉濃茶点前では茶巾を小板においていたと推測される

ことを強調しておく。

千宗旦の教えがしばしばみられる『茶湯聞塵』のなかに

は、「盆立之事 

風炉 

宗旦」として「取茶巾置小板)

22(

」と

ある。このことから、当時は千宗旦も茶巾を小板におくと

教えていたと考えられる。また、千宗旦の三男である表千

家第四代千宗左(江岑)が書き記した『江岑夏書』には、

どのような場合のことか不明であるが、「小板ニハ、ちや

きんふくさめて置候)

23(

」とある。なお、千宗旦の四男である

裏千家第四代千宗室(仙叟)の教えを記した『茶之湯道聞

書』には、「茶巾小板の右ノ角、左トヲ尋候ヘハ、何も左

ニ被置となり)

24(

」とある。

さらに、千家流の判断材料にすることには問題がないわ

けではないが、延宝八年(一六八〇)に版行された「利休

茶法の最初の出版物)

25(

」である『利休茶湯書』にも、風炉点

前の説明のなかに「茶巾ハ小板の上に置申候)

26(

」とある。

以上のことから、千家流においても近世前期には、「茶

巾を小板におく」ことが原則であったと考えられる。それ

に対して、〝風炉濃茶点前の一元化〞による点前の整理は、

三千家流の点前にそれぞれ異なる影響を与えたのである。

すなわち、「茶巾を小板におく」ことについて、表千家流

はある早い時期に水指の蓋に変更し、裏千家流はそののち

近現代になってそのように変更し、武者小路千家流は現在

でも古法を残していると、このように評価すべきものであ

ろう。

4 

まとめ―点前の形成過程―

本稿では、〝風炉濃茶点前の一元化〞によって点前の体

系が大きく変更されたことは、点前が形成されていく過程

にどのような影響を与えたのか、それをめぐって、「茶巾

を小板におく」という作法に着目して分析した。さきに引

用した『茶湯聞塵』のなかの慶安四年(一六五一)四月十

日の条には、「宗旦流にハ風炉にハかならす水一柄杓つゝ

さしてから湯をくミて茶をたつる也)

27(

」とあり、かならず「一

杓の水」をさすということから、風炉濃茶点前の一元化は、

千家流においては、十七世紀中頃のことと推測される。こ

のように考えると、風炉濃茶点前の一元化の影響は、当時

から近現代までの長期間におよんでいるということができ

るだろう。

点前が形成されていく過程についての研究は、いまだ進

んでいるとはいいがたい状況にある。また、実技指導の立

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの9

場からは、そうした変化の過程を認めない考え方もある)28(

その点で、「茶巾を小板におく」ことは、点前において茶

巾をおく位置が明らかに変遷していることを示している。

長い年月をかけて、流派の点前が形成され、改変をともな

いながら、現在に至る過程があったことが、この事例を通

じてうかがえるのである。

(付記)引用文中の漢字は、おおむね通用のものにあらためた。

(1)この問題については、平成二十年(二〇〇八)十一月十五

日、茶の湯文化学会近畿例会における「風炉濃茶一杓の水

をめぐる諸問題」の口頭発表のなかで論じた。関係する拙

論には、「なぜ風炉濃茶点前には『一杓の水』をさすのか―

茶の湯点前の形成とその理由付けについて―」『野村美術館

研究紀要』第二十号、平成二十三年(二〇一一)、六七〜八

四頁などがある。なお、当該論文中、七六頁下段二行目お

よび八三頁註五二の「原田康弘」氏は正しくは「原口康弘」

氏である。原口康弘氏をはじめ関係者の皆様に大変ご迷惑

をおかけしたことをこの場を借りてお詫び申し上げる。

(2)「古田織部正殿聞書」『古田織部茶書』一、思文閣、昭和五

十一年(一九七六)、三一二頁。ただし、翻刻の誤りと考え

られる句点を削除した。

(3)同右書、三一三頁。

(4)同右書、三一三頁。

(5)

阿部宗正『利休道歌に学ぶ』淡交社、平成十二年(二〇〇

〇)、九四頁。

(6)井口海仙『茶人のことば』淡交社、昭和三十二年(一九五

七)、二頁。

(7)「茶湯百首 

千宗易製」『茶湯秘抄』巻五『茶の湯文化学』

第七号、茶の湯文化学会、平成十二年、七七頁。

(8)「紹鷗茶湯百首」『続群書類従』第十九輯下(訂正三版)、平

文社、昭和三十二年、四五〇頁。または、橋本博『茶道大鑑』

下巻、昭和八年(一九三三)、六頁(『茶道古典集成』大学

堂書店、昭和四十八年(一九七三)収録)。

(9)千宗室(淡々斎)「茶道教諭百首詠」『茶道古典全集』第十巻、

淡交社、昭和三十六年(一九六一)、一三九頁。

(10)「利休居士教諭 

百首詠」『昭和増訂 

法護普須磨』茶道月

報社、昭和四年(一九二九)、六二頁。

(11)この改変は、利休百首の「風炉濃茶かならず釜に水さすと

一筋におもふ人はあやまり」と同じ方向性である。拙論「利

休百首の『風炉濃茶かならず釜に水さすと一筋におもふ人

はあやまり』とは何を意味するのか」『日本文化論年報』第

十四号、神戸大学大学院国際文化学研究科日本学コース、

平成二十三年、三頁参照。

(12)各流派の点前手順については、可能なかぎり各流派の教本

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10『鶴山論叢』第12 ・ 13号 2013年 3月31日

等により確認し、それらが存在しない肥後古流、宗和流、

南坊流および鎮信流は、教授者からの教示、または筆者の

経験から判断した。具体的に根拠を示すと、以下のとおり

である。(教本の当該箇所は、順に風炉濃茶、風炉薄茶、炉

濃茶、炉薄茶を示す。)

表千家流は、千宗左(而妙斎)『新独習シリーズ 

表千家』

主婦の友社、昭和四十九年(一九七四)、一三〇、六四、一

四四、八六頁。裏千家流は、千宗室(鵬雲斎)『初歩の茶道 

風炉点前』淡交社、昭和五十一年(一九七六)、五七、一九頁、

千宗室(鵬雲斎)『初歩の茶道 

炉点前』淡交社、昭和五十

一年、四八、一八頁。武者小路千家流は、千宗守(有隣斎)

監修・千宗屋(不徹斎)著『武者小路千家茶の湯シリーズ2 

基本点前 

薄茶・濃茶―炉・風炉』主婦の友社、昭和六十

三年(一九八八)、一八六、一一八、一六二、八六頁。宗徧

流は、山田宗徧(成学)『茶の湯テキストブック 

宗徧流』

主婦の友社、昭和五十七年(一九八二)、一四二、九六、一

六二、一一八頁。江戸千家流は、川上閑雪『江戸千家テキ

スト2 

江戸千家基本の点前』主婦の友社、平成六年(一

九九四)、一五二、八九、一七二、一一七頁。大日本茶道学

会は、田中仙翁『茶の湯テキストブック 

大日本茶道学会 

基礎編』主婦の友社、昭和四十三年(一九六八)、平成元年(一

九八九)改版、一七九〜一八〇、一四七、一八八、一五八

〜一六〇頁。藪内流は、藪内紹智『藪内家の茶』日本放送

出版協会、昭和六十三年、一一六、二〇六、二二二、四二

〜四三頁。肥後古流は、熊本県熊本市の小堀富夫氏の教示

を得た。遠州流は、月刊『遠州』平成十二年(二〇〇〇)

四月号、大有、三九頁、小堀宗慶編『遠州流茶道宝典』新

訂版下、東京堂出版、昭和五十八年(一九八三)、一六六、

二〇五、一三七頁。宗和流は、石川県金沢市の馬場秀雄氏・

裕美氏の教示を得た。石州流怡溪会は、野村瑞典『石州流

茶道集成』中巻濃茶、主婦の友社、昭和六十三年、風炉濃

茶は一一〇頁、炉濃茶は九八頁、野村瑞典『石州流茶道集成』

下巻薄茶、主婦の友社、昭和六十三年、風炉薄茶は一〇六頁、

炉薄茶は一一七頁。石州流讃岐清水派(正確には「石州流

讃岐清水派和敬会」)は、野村瑞典、前掲『石州流茶道集成』

中巻濃茶、風炉濃茶は一八九頁、炉濃茶は一七九頁、野村

瑞典、前掲『石州流茶道集成』下巻薄茶、風炉薄茶は一八

八頁、炉薄茶は一九七頁。南坊流は、東京都千代田区の今

村宗啓氏の教示を得た。鎮信流は、筆者の経験による。

(13)鈴木宗保・宗幹『新独習シリーズ 

裏千家茶の湯』主婦の

友社、昭和四十六年(一九七一)、一一五頁。

(14)原則と例外とが入れかわった際に、この利休百首の教歌を

どのように解するのか。この矛盾について、「濃茶を点てる

とき、茶巾はすべて水指の蓋の上にのせますが、小板(荒

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利休百首の「小板にて濃茶を点てば茶巾をば小板の端におくものぞかし」が意味するもの11

目板)の場合は端にのせる法もできました」(川島宗敏「利

休百首小考⑧」『淡交』昭和四十二年(一九六七)八月号、

淡交社、七三頁)と、あとから「茶巾を小板におく」教え

ができたと説明されている。

(15)田中鼎『茶道講義』大日本茶道学会本部、明治三十二年(一

八九九)、第三冊三〇頁。

(16)千宗室(円能斎)『茶道浜の真砂』島之内同盟館、明治三十

六年(一九〇三)、第二冊二六丁裏。

(17)千玄室(又玅斎)、千宗室(円能斎)共編『茶道浦のとまや』

福田錦松堂、明治三十六年、一之巻四七丁。

(18)千宗室(円能斎)口述、千宗室(淡々斎)補閲、佐々木三

味編『鉄中茶話』茶道月報社、大正十五年(一九二六)、一

九六頁。

(19)千宗室(淡々斎)『風興集』、茶道月報出版部、昭和十一年(一

九三六)、四七丁裏。なお、河原書店、昭和二十三年(一九

四八)、九四頁。淡交新社、昭和三十五年(一九六〇)改訂版、

九二頁。

(20)井口三郎『裏千家流点前』河原書店、昭和十三年(一九三八)、

六三、六八頁。

(21)千宗室(鵬雲斎)、前掲『初歩の茶道 

風炉点前』五七頁。

(22)「茶湯聞塵」『茶の湯文化学』第一号、茶の湯文化学会、平

成六年(一九九四)、八四頁。

(23)「江岑夏書」『茶道古典全集』第十巻、淡交社、昭和三十六

年(一九六一)、八〇頁。

(24)「茶之湯道聞書」不審菴文庫編『和比』第一号、不審菴、平

成十五年(二〇〇三)、一〇六頁。なお、ここでは茶巾の位

置が現在と左右逆となる。

(25)「『利休茶湯書』解題」『利休大事典』淡交社、平成元年(一

九八九)、六四九頁。

(26)前掲『利休大事典』六三四頁。

(27)前掲「茶湯聞塵」『茶の湯文化学』第一号、一〇一頁。

(28)点前が変化するのかという問いは、流派の正統性と密接に

関係している。表千家家元は、「点前の形は昔から変わって

いませんし、変わってはならないものです」(千宗左(而妙

斎)、前掲書、一〇頁)とのべるが、その背景には、「利休

直系のものを伝へた」(千宗左(即中斎)『即中茶記』第一

分冊、河原書店、昭和二十四年(一九四九)、一六頁)とい

う流派の主張があるものと考えられる。

(ひろた 

よしたか、神戸大学大学院

国際文化学研究科博士課程後期課程修了)

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