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*これ以降の「山手帳」見つからず。代わりにコメントつきの写真たくさんあり №13 五頭 大沢~菱ヶ岳~黒川 1975年(昭和49年)9月22日 湯花沢が写真手前右からであって いるところにある F1 2m 両 岸から難なく越せる。ここから上流 もナメである。 【写真左】 左から、与平沢、中ノ沢、中ノ岳沢の第二三沢出合ともいうべきところにある尾根の末 端のガレた様子。ここに来るとあたりが開ける。与平沢は小滝二つで入っており小沢に見 える。中村さんのかつぐザックはなんと980gという軽さ。風にたなびくほどである。 【写真右】 出合から入ってすぐの屈曲点にある F2 12m 島津 坂上

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*これ以降の「山手帳」見つからず。代わりにコメントつきの写真たくさんあり

№13 五頭 大沢~菱ヶ岳~黒川

1975年(昭和49年)9月22日

湯花沢が写真手前右からであって

いるところにある F1 2m 両

岸から難なく越せる。ここから上流

もナメである。

【写真左】

左から、与平沢、中ノ沢、中ノ岳沢の第二三沢出合ともいうべきところにある尾根の末

端のガレた様子。ここに来るとあたりが開ける。与平沢は小滝二つで入っており小沢に見

える。中村さんのかつぐザックはなんと980gという軽さ。風にたなびくほどである。

【写真右】

出合から入ってすぐの屈曲点にある F2 12m 島津 坂上

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F2を登るとすぐ正面に見えるF3 7m 左岸の

へりを直登。

菱ヶ岳頂上標識と頂上三角点。この日は快晴で遠く

磐梯山まで見えた。

下山ルート菱ヶ岳沢の唯一の滝 ハコ滝12m

岩壁の途中は藤田さん、中村さん

№14 二王子岳

1975年(昭和49年)9月日日

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№15 七滝沢出合~ジョウ沢~焼峰山

1975年(昭和49年)9月15日、16日

9月15日

赤谷→七滝沢出合 幕営

左;内ノ倉本流 右;七滝沢

9月16日

2年は、七滝沢へ

1年は、ジョウ沢~焼峰山~東赤谷

【写真左】

両岸が急に狭まったところにあるF1 6m。

3段の滝2段目ゴルジュのため近づけず右岸大きく高

巻き。遠方に見える樹木のあるピークは、427P。

【写真上】

F1を越えてすぐに出てくるナメ滝5m。

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【写真右】

F3 3段12mの1段目。約6m。右岸大きく高巻き。

【写真左】

F3 2,3段目。

支尾根突き上げ途中から右沢の様子。上部の○の大

滝から出合付近の糸状の滝まで連暴帯になっている。

よって左沢からコルへ突き上げるのがよい。

*2万5千地図には、ジョウ沢沿い、そして突き上げ

の焼峰へ伸びる尾根のコルを通って頂上まで破線が

あるが、昭和41年、42年の羽越水害によりズタズ

タとなった。コル付近にのみしっかりとした道が残

っていた。また、焼峰頂上直下のこの道の合流する屈

曲点付近もしばらく看板があったり、道もしっかり

していた。この道は、数年後に網張場登山道として復

活したが、すぐに廃道となり、今では通る人も知る人

は少ない。

コルから先、雨が増し、ガスも出て一時道を失い孤立

した。

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【写真左】

尾根トラバース中より、1099mPから四ツ倉への連なりを望む。

【写真右】

同じく焼峰山、東台峰を望む。やがて、この山稜がガスによって隠された。

№16 越後駒ヶ岳 秋季登山研修会

1975年(昭和49年)10月7日、8日

10月7日 新発田→小出→駒ノ湯

10月8日 駒ノ湯⇔越後駒ヶ岳

上写真2枚撮影 杉浦英午先生

駒ノ湯幕営地より駒ヶ岳

昭和49年秋季登山会は、越後駒ヶ岳で行われたが、当日あ

いにくの雨で展望は全くきかず、王朝絵巻さながらの大斜面

の紅葉や絶壁などは、その片鱗を見せたに過ぎなかった。

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№17 赤津山

1975年(昭和49年)10月20日 21日

10月20日 東赤谷→四郎左衛門沢 赤津登山口幕営

*水を採りに坂上と四郎左衛門沢、松の木穴沢を下りる。松の木穴沢では、

本流まで下りる。島津、古川は登山口を偵察し、取り付き点を見つけて

くる。初の1年だけの幕営。

【写真左】

支尾根上、最初のピーク709mPから西の峰~赤津の稜線を望む。西の峰、赤津は見えな

いが、3本槍の上下の激しい上り下りがうかがえる。ここからヤセ尾根になる。岩稜も見

える。

【写真右】

1215mP、焼峰からの尾根の合流点から、赤津、3本槍、赤津沢源頭を望む。赤津沢

の様相がすごい。道はここから不明瞭となる。直下はクマザサの原となっており池塘もあ

る。

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山頂からちょっと前の雨量計設置点にある石碑。石碑から朳差岳。

人の立っているところが赤津山頂三角点。

№18 棚橋山・焼峰

1975年(昭和49年)11月3日 単独

№19 焼峰山

1975年(昭和49年)11月日日

№20 二王子岳 冬山合宿

1975年(昭和49年)12月25日~27日

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№21 俎倉スキー

1976年(昭和50年)1月日

同行者 山田弘二

№22 俎倉スキー

1976年(昭和50年)2月11日

同行者 山田弘二

№23 五頭山~菱ヶ岳

1976年(昭和50年)3月15日

同行者 坂上 古川

見晴台から烏帽子岩 烏帽子岩

烏帽子岩から768高地への登り 一ノ峰

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左 小倉沢源頭より五頭本峰、松平山、金鉢山。遠く二王子を望む。

右 五頭一ノ峰より菱ヶ岳

左 小倉沢源頭より飯豊連峰主稜線、蒜場山、焼峰、赤津を望む

右 中ノ岳付近の縦走路

左 中ノ岳付近より三川方面

右 オッタテ尾根と阿賀野川、蒲原平野

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左 菱ヶ岳北峰与平沢源頭への最後の登り

右 菱ヶ岳北峰より五頭、松平、二王子

左 菱ヶ岳山頂より902.8mP方面。さらに阿賀野川越えに管名岳を望む。

右 菱ヶ岳からの下り

№24 二王子岳 春山合宿

1976年(昭和50年)3月24日~28日

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*OBの相馬さんと偶然出会う。チェック

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