メタボロミクスで用いられる 分析手法...9 メタボロミクスで用いられる...

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9 メタボロミクスで用いられる 分析手法 Analytical Methods Used in Metabolomics 1900 年代は分離分析技術が未発達であり、かつ測定機器がきわめて高価であったため、 個々の代謝物質を正確に定量することよりも試料中の代謝物質パターンを総括的に評価する " メタボリック・プロファイリング " が主流であった。ここでは、検出装置 ( 分離装置のない ) の分離能に頼る手法が主流であり、核磁気共鳴装置 (NMR) や赤外分光器 (IR)、質量分析器 (MS) を用いて代謝物質を分離せずに検出しスペクトルを得ていた。このような状況では数 百成分を一斉にかつ正確に定量分析することは困難であり、" メタボロミクス " としての共 通認識のもとに学問分野として成立するには至らなかった。 しかし 1990 年代後半から液体クロマトグラフィー (LC) における親水性相互作用クロマ トグラフィー (HILIC) カラムの発明やガスクロマトグラフィー (GC) の普及、キャピラリー 電気泳動 (CE) メソッドの開発が盛んになり、MS と組み合わせることでパフォーマンスの高 い分離 - 検出装置 (hyphenated technology と呼ばれる ) が一般に用いられるようになった。 これにより多くの代謝物質を正確に一斉分析することが可能となり、独立した研究分野とし てのメタボロミクスが醸成されていった。 このように、メタボロミクスにおいては試料中に存在する代謝物質レベルを一斉に、か つ網羅的に測定する技術が鍵となる。加えて、個々の代謝物質の定性および定量性を維持し なければならないため、代謝物質を高度に分離、分析する機器分析法を用いることになる。 現段階では、単一の機器ですべての代謝物質を一斉に分析する手法はないため 23 、現実的 にはいくつかの相補的手法を組み合わせることが要求される。本項では、メタボロミクス分 野で近年用いられる分析技術について解説する。

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メタボロミクスで用いられる分析手法Analytical Methods Used in Metabolomics

1900 年代は分離分析技術が未発達であり、かつ測定機器がきわめて高価であったため、

個々の代謝物質を正確に定量することよりも試料中の代謝物質パターンを総括的に評価する

" メタボリック・プロファイリング " が主流であった。ここでは、検出装置 ( 分離装置のない )

の分離能に頼る手法が主流であり、核磁気共鳴装置 (NMR) や赤外分光器 (IR)、質量分析器

(MS) を用いて代謝物質を分離せずに検出しスペクトルを得ていた。このような状況では数

百成分を一斉にかつ正確に定量分析することは困難であり、" メタボロミクス " としての共

通認識のもとに学問分野として成立するには至らなかった。

しかし 1990 年代後半から液体クロマトグラフィー (LC) における親水性相互作用クロマ

トグラフィー (HILIC) カラムの発明やガスクロマトグラフィー (GC) の普及、キャピラリー

電気泳動 (CE) メソッドの開発が盛んになり、MS と組み合わせることでパフォーマンスの高

い分離 - 検出装置 (hyphenated technology と呼ばれる ) が一般に用いられるようになった。

これにより多くの代謝物質を正確に一斉分析することが可能となり、独立した研究分野とし

てのメタボロミクスが醸成されていった。

このように、メタボロミクスにおいては試料中に存在する代謝物質レベルを一斉に、か

つ網羅的に測定する技術が鍵となる。加えて、個々の代謝物質の定性および定量性を維持し

なければならないため、代謝物質を高度に分離、分析する機器分析法を用いることになる。

現段階では、単一の機器ですべての代謝物質を一斉に分析する手法はないため 23、現実的

にはいくつかの相補的手法を組み合わせることが要求される。本項では、メタボロミクス分

野で近年用いられる分析技術について解説する。

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主要代謝物質 水溶性の代謝物質

402

水溶液中で電荷を持つ

イオン性代謝物質92% 96%

最少培地で培養した大腸菌に存在するとされる一次代謝物質

親水基、短鎖炭化水素( ~ 8C) を持つ代謝物質

図 3.1 大腸菌代謝物質の分類

10

メタボロミクスで用いられる分析手法

3.1 代謝物質の物理化学的性質

" メタボローム " は、アミノ酸、アミン、ヌクレオチド、糖、脂質などを含む低分子量代

謝物質の総体である。一般に、DNA, RNA およびタンパク質はメタボロームに含めないが、

それらの分解物や断片などはメタボロミクス解析対象として認識されている。代謝物質の物

理化学的性質は、特定溶媒への溶解性 ( 極性 )、イオンの電荷 ( 電離度 )、揮発性 ( 沸点 ) お

よび分子量などの多様な要素を含んでいる。

例として、大腸菌代謝物質について考え

てみよう。大腸菌には 727 種の代謝物質の

存在が確認されている ( 図 3.1)。それらの

うち 453 種 (62%) の代謝物質が細胞の基本

的な機能 ( 増殖 ) に関与する一次代謝物質

およびその分解物である。それら主要な代

謝物質のうち 92% は水溶性であり、さらに

それら水溶性物質の 96% は水溶液中で電荷

をもつイオン性代謝物質である。従って、

水溶性イオン性代謝物質を標的とした分析手法を採用することで、主要な代謝物質の実に

90% をカバーできる 10。

3.2 分析手法の比較

メタボローム解析では、目的代謝物質群の性質に応じて様々な分析手法を使い分けなけ

ればならない ( 表 3.1、表 3.2)。現在よく用いられている分離手法は GC、LC、CE である。

これらの機器は一般に MS と組み合わせることで分離 - 検出機器として利用され、NMR な

どよりも高い定量性能をもつことが特徴である。

GC は、比較的高分離能を有しながら安定した測定が可能である。とくに、低分子有機酸

表 3.1 メタボロミクスで用いられる分離法の特徴

CE GC LC

対象代謝物質 イオン性 揮発性 中性・脂溶性 (・イオン性 )

サンプル誘導体化 不要 必要 不要

理論段数 105 ~ 106 104 ~ 105 104

構造異性体の分離 可能 可能 困難

MS との接続適合性 良好 良好 測定メソッド依存 *

測定時間 30 ~ 45 分 30 ~ 60 分 測定メソッド依存 *

サンプル分画 不可能 不可能 可能* イオン交換モードは不可

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や芳香族化合物のような揮発性代謝物質の測定に適している。しかし、不揮発性代謝物質を

測定する場合には誘導体化が必要であり、定量性に問題が生じることがあるのが短所である。

多くの代謝物質は不揮発性であるため、GC の最大のメリットである揮発性物質の測定は有

機酸などに限定される傾向がある。実際、メチオニン、トリプトファン、グルタミン酸、チ

ロシンおよびヒスチジンのようなアミノ酸は、GC-MS での測定は困難である 24。

LC は高分子量のタンパク質や核酸、脂肪酸、リン酸化合物および有機酸など、幅広い化

学的性質の代謝物質が測定可能であり、メタボローム研究で頻繁に利用される。しかし、複

雑な溶媒選択やイオン性代謝物質分析での MS との不適合性などの問題をはらんでいる。

個々の代謝物質の分離定量という観点では、理論段数 *(NTP)が比較的低いことが短所である。

またカラム充填剤への代謝物質の吸着が問題になることもある。

CE は、慶應義塾大学の曽我朋義の研究グループによって、エレクトロスプレーイオン化

(electrospray ionization; ESI) を用いて CE と MS を組み合わせた CE-MS が開発された 25 26 27。

CE-MS は生物学者にとって、LC や GC に比べ身近ではなかったせいか、普遍的に利用され

るに至っていない (2009 年に米国質量分析学会が行ったアンケート調査では、メタボロミ

クス分野での各機器の使用割合は LC-MS が 57%、GC-MS が 28%、CE-MS が 8%、NMR が

7%)**。原理的に水溶性かつイオン性の代謝物質測定に限定された分析手法であるが、理論段

数が高くきわめて良好な分離性能をもつ 28。

これらの手法を完全に比較することは困難であるが、標準物質混合試料や生体試料の検

出性能を比較してプラットフォームの差別化や比較を試みている報告が少数ながら存在す

る。

* 二相間での物質の分配比の差を利用して分離する装置もしくは手法の評価指標。値が大きいほど分離能が高いことを意味する。クロマトグラフィーなどでは、物質に対する平均保持 ( 滞留 ) 時間とシグナルピークの拡がりとの比で表現される。** http://metabolomicssurvey.com/

表 3.2 メタボロミクスで用いられる質量分析装置の特徴

QMS TOF MS Iont-trapハイブリッド MS

TripleQMS QMS/TOF MS FT-ICR MS Ion-trap/

FT-MS*

質量分解能 1 103 ~ 104 1 1 103 ~ 104 106 106

感度 中 中 中 高 中 低 低

ダイナミックレンジ 102 ~ 103 102 ~ 103 102 103 102 ― ―

定量性能 中 高 低 高 中 不可能 不可能

構造情報取得 不可能 不可能 可能 可能 可能 不可能 可能

定性能力 低 中 中 中 高 中 中

コスト 低 中 中 中 高 非常に高 非常に高* このタイプの MS は Thermo 社から Orbitrap™ として販売されている

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メタボロミクスで用いられる分析手法

ファン・デル・ウェルフらは、大腸菌、枯草菌、酵母の代謝物質を 6 種類のプラット

フォームを用いて解析し、大腸菌では 176 種の代謝物質の検出に成功している 29。彼女ら

の用いたプラットフォームは、オキシム化およびシリル化 GC-MS(OS-GC-MS)、揮発性有機

酸 GC-MS(VAC-GC-MS)、非極性 GC-MS、イオンペア LC-MS(IP-LC-MS)、親水性相互作用 LC-

MS(HILIC-LC-MS)、脂質 LC-MS である。各プラットフォームで検出された代謝物質 ( 同定さ

れたもの ) は各々、85、2、30、48、37、21 であった。この結果は、従来から利用されて

いる誘導体化を用いた GC-MS の網羅性がよいことを示しており、LC-MS はメソッドの選択

が分析法開発の鍵であることが明示された。

また、同様に CE-MS を用いて 3 種のメソッド ( アニオン、カチオン、ヌクレオチド ) に

て大腸菌代謝物質を測定した場合、合計 198 種の代謝物質が定量された 10。

ゲイアーらは、線虫 (C. elegans) の代謝物質を、メトキシ化およびシリル化 GC-MS、二次

元 NMR(600MHz) で測定して比較した 30。各プラットフォームにより検出された代謝物質

数は各々、54、32 であった。

ラマウターらは、ヒト尿中代謝物質を、ポリブレン / 硫酸デキストラン / ポリブレンで 3

重コーティングした CE-MS および C18 カラム UPLC-MS で分析し、結果を比較した 31。こ

こでは、すべての代謝物質を同定していないが、CE-MS で約 500、UPLC-MS で約 300 の代

謝物質由来シグナルが得られた、共通で検出されたものはなかったことから、これらのプラッ

トフォームは相補的であると結論している。

メタボロミクスでよく用いられる 3 種のプラットフォームを直接比較した例は、ザン

ボーニのグループによるものである 32。彼らは、酵母の代謝物質をメトキシ化およびトリメ

チルシラン (TMS) 化 GC-MS、tert- ブチルジメチルシリル (TBDMS) 化 GC-MS、IP-LC-MS、

HILIC-LC-MS、CE-MS( アニオンおよびカチオン ) を用いて分析し、各プラットフォームの

網羅性と定量性を議論している。各プラットフォーム (GC-MS、LC-MS、CE-MS) で検出され

た代謝物質 ( 同定されたもの ) は各々、38、60、47 であった。また、GC-MS はマトリクス

効果 * の影響を受けやすいのに対し、CE-MS( カチオン ) はほとんど影響を受けず、LC-MS お

よび CE-MS( アニオン ) はそれらの中間であった。これらの結果から、著者らは LC-MS が最

も推奨され、LC-MS と GC-MS の組み合わせがよいとしている。それに対し CE-MS は分離

能や感度は遜色ないが、生物試料を測定するための頑強性に欠けるとしている。とくに CE-

MS( アニオン ) に問題があるが、これは MS のネブライザーニードルを白金製とすることで

解決できることが報告されている 33。

メタボロミクスにおける分析手法の概略を述べたが、次項からは各分析手法についてよ

り詳細に解説する。HMT の基盤技術である CE-MS につてはとくに詳細に解説し、その他の

手法については基礎的な記述にとどめる。

* 分析の際、試料に含まれる夾雑物もしくは混在物により、特定物質の測定が影響を受け、シグナルピークの形状の変化や定量値に変化をおよぼす現象。

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図 3.2 CE-(Q-)TOF MS( アジレント・テクノロジー社製 )

陽イオン

電荷をもたない代謝物質

陰イオン

図 3.3   キャピラリー電気泳動の概念図

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3.3 キャピラリー電気泳動 (CE)

主要代謝物質の多くは水溶性かつイオン

性であることから、これらの分子を分離で

きるキャピラリー電気泳動 (CE) はメタボロ

ミクスにきわめて有効な分析手段である。

測定機器としての CE の長所は、1) 理論段

数が高く分離性能が良好であるため、マト

リクス効果の影響を受けにくく、ダイナミッ

クレンジ ** が広い、2)MS との相性が良い、3)

分離原理が比較的単純であるため、機器自

体もシンプルである、4) キャピラリーを用

いるため損失試料量が少なく、MSでのイオンサプレッション *** が起こりにくい点が挙げられ

る。一方で、1) 試料の pH やキャピラリー温度の影響を受けやすく、測定がデリケートである、

2) 試料のイオン強度を高くできないことや試料注入量を増やすことができないため、検出

限界を高めることが困難である、3) 原理的に脂溶性物質や電気的中性物質の分離が困難で

ある点が短所である。しかし、主要代謝パスウェイマップを描く際や、バイオマーカー探索

など高度な定量性が求められる場合にはきわめて有用な測定手法である。

3.3.1 イオンの移動度

生物学分野では、タンパク質分析や DNA

の塩基配列を決定する際に用いられるアガ

ロースゲルやポリアクリルアミドゲルを

支持体とするスラブゲル電気泳動 **** が広く

知られている。一方、CE では内径 50 ~

100μmのガラス中空毛細管(キャピラリー)

に電解質溶液のみを充填したものを用いる

ことから、フリーゾーン電気泳動と呼ばれる。キャピラリーの両端に電圧を印加することで

生じた電場中では、代謝物質の物性によって移動方向と速度に差が生じる ( 図 3.3)。この移

動度の差を利用することで、測定試料中に存在する数百~数千の代謝物質を一斉に分離する

ことが可能となる。電場中でのイオンの移動速度は次式で示される。

** 識別可能な信号の最大値と最小値の比。分析においては、定量的に検出できる最小濃度と最大濃度の比を指す。*** 質量分析において、試料に含まれる夾雑物もしくは混在物により、特定物質のイオン化効率が低下し、実際よりも低い測定値を与える現象。**** 平板状(スラブ)のゲルを支持体とした電気泳動。平板状にしたアガロースやポリアクリルアミドゲルを用いて行う一般的な電気泳動。

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qμe= 6πηrv

v=μeE 式 (1)

式 (2)

図 3.4  電解質中でのキャピラリー内壁

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メタボロミクスで用いられる分析手法

ここで、ν はイオンの移動速度 (cm/s)、μe はイオン固有の電気泳動移動度 (cm2/Vs)、E

は電場の強さ (V/cm) である。電場は印加電圧とキャピラリーの長さの関数である。移動度

μe はイオン特有の定数となる。移動度 μe は分子が受ける電気力によって決定され、電気力

は溶媒中を移動するイオン ( 球体 ) の摩擦力と釣り合うことから、移動度 μe は次式で示され

る。

q はイオンの電荷、η は溶液の粘度、r はイオン半径、ν はイオンの移動速度である。式

(2) より、物質の移動度は、イオンの電荷 ( ≒電解質中での解離度 ) とイオン半径 ( ≒分子の

立体構造の大きさ ) によって規定されることが分かる。つまり高電荷でイオン半径が小さい

物質ほど移動度は大きく、反対に電荷が小さくてイオン半径が大きい物質ほど低い移動度

しかもたないこととなる。イオンの電荷 q は電解質の pH に依存しており、カチオン分析で

は pH1.8(1M ギ酸 ) とすることで分子内の塩基性官能基を正に帯電させ ( 例:-NH3 + H+ →

-NH4+)、アニオン分析では pH8.5(50mM 硫酸アンモニウム ) とすることで分子内の酸性官

能基を負に帯電させる ( 例:-COOH + OH- → -COO- + H2O)。また、溶液粘度 η は温度に依存

するため、イオンの移動時間 (migration time; MT) の日間差の原因となる。そのため、測定

室温をできるだけ一定に保つ工夫が必要である。

3.3.2 電気浸透流

CE の分離能を決定する重要な要素のひとつは、電気浸透流 (electroosmotic fl ow; EOF) と

いうキャピラリー中の電解質溶液自体が移動する現象である。この電解質溶液の流れが、キャ

ピラリーの検出器側 (CE-MS の場合は MS 側 ) から試料が押し出される主な駆動力である。

CE では通常、フューズドシリカキャピラリーが用いられるが、キャピラリー内壁に存在す

るシラノール基 (SiOH) の表面電荷が EOF 発生に重要な役割を果たしている。電解質溶液中

では、キャピラリー内壁のシラノール基はイオン化 (SiO-) し、過剰の負電荷を帯びている。

相対する電解質溶液中のイオン ( 主に陽イ

オン ) は、電荷のバランスをとるために内

壁表面に引き寄せられ、イオン化したシラ

ノール基との二重層を形成する ( 図 3.4)。こ

の際、内壁に非常に近いところでは電位差

が生じる。キャピラリーの両端に電圧を印

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A B

図 3.5   カラム内の流れの先端とシグナルピーク形状

カチオンモード

アニオンモード

陽極

陰極

電解質

内壁はマイナスにチャージ

内壁はプラスにチャージ

陰極

陽極

フューズドシリカキャピラリー

フューズドシリカキャピラリー

図 3.6   CE-MS の概念図

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加すると、拡散二重層を形成している陽イ

オンは陰極側に引き寄せられる。一方、シ

ラノール基は壁面に固定されているため移

動することはできず、キャピラリー内の電

解質溶液は全体が陽イオンの移動によって

陰極側へ引き寄せられ、流れを生じる。

キャピラリー内で発生する EOF の大きな

特徴として、流れの先端が平面的であるこ

とがあげられる。流れの駆動力はキャピラ

リー内壁で一様に分布しているため、キャピラリー内での圧力降下は起こらず、キャピラリー

内壁と中心部での流れは均一になる ( 図 3.5A)。この平面的な流れは代謝物質の拡散を防ぐ

利点があり、シャープなシグナルピーク形状を作り出して 105 ~ 106/m もの高い理論段数

を実現する。LC の場合、移動相の流れは液送ポンプの圧力によるため、壁面との摩擦力で

流れの先端が放物面となり、理論段数を低下させる ( 図 3.5B)。また、EOF の速度は一般的

な条件 ( 上述したようなフューズドシリカキャピラリーを用いて電気泳動を行った場合 ) で

のアニオンの移動速度よりも一桁以上大きいため、アニオンも陰極へ向かって押し流される。

従って、試料中のカチオン、アニオンおよび中性物質は、移動速度の違いはあるが全て同じ

方向へ移動することとなる。

カチオンモード測定ではフューズドシリカキャピラリーを用い、試料の注入側を陽極、

検出器側を陰極にして電圧を印加する。電圧の印加により、移動度の大きい ( 正電荷が大き

く、かつイオン半径が小さい ) 代謝物質ほど先に検出器に辿り着き、最終的に EOF に押し

流されるかたちで負電荷をもつ代謝物質と中性物質が検出されることになる ( 図 3.6)。

以上のように、キャピラリー電気泳動における分離にはイオン移動度と EOF の存在が大

きく関与している。とくに、電解質溶液の

pH は測定条件を決定する際の大きな決め

手となる。物質の移動度はイオンの電解質

中での解離度とイオン半径に依存するが、

各物質のイオン半径は固有であり、電解質

溶液の pH の決定が重要である。EOF も電

解質溶液の pH に依存し、高い pH ではシ

ラノール基のイオン化が大きくなるため、

EOF は著しく大きくなる。メタボローム解

析においては、高い網羅性を保ちつつ、個々

の物質がしっかりと分離するような厳しい

測定条件が要求される。対象となる代謝物

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図 3.7 LC-MS( アジレント・テクノロジー社製 )

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メタボロミクスで用いられる分析手法

質を正しく分析するためには、以上の原理を基にして最適な測定条件を決定する必要がある。

3.4 液体クロマトグラフィー (LC)

液体クロマトグラフィー (LC) は、シリカ

ゲルなどの表面を修飾した充填剤 ( 固定相 )

を詰めたカラムに試料を注入し、移動相と

呼ばれる緩衝液をカラムに通液することで、

固定相と移動相への分配のされやすさによ

り、試料中の化学物質を分離する手法であ

る。LC は固定相と移動相の組み合わせ ( 分

離モード ) により、多様な物質を分離でき

ることから化学物質の分離手段として広く

用いられている。一般的に、カラムの充填

剤の粒子怪が小さいほど分離能が上昇する。粒子径が小さくなるとカラムにかかる圧力が高

くなるが、近年高耐圧の LC が発売されており、分離能は現在も改善され続けている。メタ

ボロミクスにおける LC の検出器としては質量分析計 (MS) が用いられることが多いが、そ

の場合に使用する移動相は揮発性の塩・溶媒に限定される。

以下、メタボロミクスでよく用いられる分離モードについて簡単に説明する。

3.4.1 逆相クロマトグラフィー

固定相にオクタデシル (C18) 基などの疎水性の官能基を用いる分離モードであり、最も

広く用いられている分離モードである。とくに疎水性の強い物質に対して、効果的な分離モー

ドである。MS と接続した応用例も多く、その場合は移動相として含水有機溶媒が用いられ

る。脂質を網羅的に解析するリピドミクスにはこの分離モードがよく用いられる 34。

一般的に逆相モードでは、極性物質は保持しにくいが、イオンペア試薬 * を用いることに

より保持させることが可能である。イオンペア試薬として用いられる物質は、測定対象物質

がもつ電荷と正負逆の電荷を持つ物質である。測定対象物質とイオンペア試薬がイオンペア

を形成することで電荷が消滅し、極性が小さくなることで固定相に分配されやすくなり、保

持力が増大する。また、オクタデシル基以外の極性の高い官能基を修飾した固定相を利用す

ることにより、極性物質を分離することも可能である ( ペンタフルオロフェニルプロピルな

ど )35。

* 水溶性物質を逆相系カラムを用いて分離しようとした場合、水溶性の度合いが高いと保持されない。そこで、それらの酸や塩基に対になるイオン性物質をイオン結合により結合させ、カラムに保持されるように設計した試薬。

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図 3.8 飛行時間型質量分析計 ; TOF-MS( アジレント・テクノロジー社製 )

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ただし、検出器として MS を用いる場合、イオンペア試薬はイオン源内でも測定対象物質

とイオンペアを形成し、感度の低下を引き起こすことがある。また、C18 系以外のカラム

を使用しても逆相クロマトグラフィーでの極性物質の溶出条件は有機溶媒の割合が小さいこ

とが多く、MS での検出では感度の面で不利である。そのため、逆相クロマトグラフィーを

用いた極性物質の分離と MS の相性は必ずしも良くない。

3.4.2 親水性相互作用クロマトグラフィー (HILIC)

固定相に親水性の官能基 ( 未修飾のシリカゲル等 ) を用いる分離モードである。HPLC が

本格的に利用され始めた時期では、移動相としてヘキサンなどの低極性溶媒を用い、順相ク

ロマトグラフィーとして脂質など主に低極性物質の分離に用いられていた。近年、極性物

質の分離のため、移動相にアセトニトリルなどの含水高極性溶媒を用いることによる HILIC

としての利用が広まり、メタボロミクスへの応用も報告されている 36。移動相は含水有機溶

媒であるため揮発が容易であり、MS との相性もよく、LC-MS としての報告例も多い。

3.4.3 イオンクロマトグラフィー (IC)

固定相にイオン交換体を用いる分離モードである。無機イオンや有機酸、アミノ酸等の

イオン性物質が対象となる。移動相には高濃度の水系緩衝液を用いることが多く、一般的に

は MS との相性は良くない。また、MS のような選択的な検出手段に乏しいことから多数の

物質を分離するには複雑な溶出条件が要求され 37、メタボロミクスに代表される網羅的な測

定は難しい。しかし、近年、サプレッサータイプの機器を利用し、IC-MS としての応用例も

報告され、物質特異的な検出も可能となり、また、100μL 単位の大量注入が可能であるこ

とから感度も良い 38。

3.5 質量分析 /マススペクトロメトリー (MS)

あらゆる物質や分子は原子が結合するこ

とによって作られ、それぞれの原子は固有

の質量をもっているので、物質の質量を精

密に測定することにより、その物質がどの

ような原子から構成されているか、知るこ

とができる。

そして質量分析とは、物質の質量を精密

に測定することにより、その物質がどんな

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図 3.9 タンデム質量分析計 ; MS/MS( アジレント・テクノロジー社製 )

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メタボロミクスで用いられる分析手法

化合物でどのような構造をしているのかを

明らかにする技術である。質量分析に用い

る装置 ( 質量分析計 ) は、天秤やばね計り

のように、重力を利用して物質をそのまま

測定するのではなく、いったん物質をイオ

ンと呼ばれる電荷を帯びた粒子の状態にし

て測定する。イオンは電場や磁場の中では、

その質量と電荷数によって動く速度に差が

あり、小さい質量あるいは電荷数の大きな

イオンは早く動き、大きい質量あるいは電荷数の小さなイオンの動きはゆっくりと動く。こ

のイオンの動き方の違いを利用し、装置の中で質量ごとに分離されたイオンを検出すること

で、その質量を求める。

ただし実際に質量分析計で測定しているのはイオンの質量そのものではなく、質量を電

荷数で割った m/z ( エムオーバージーと読む ) という値を測って、それから物質の質量に換

算している。

質量分析計は、次のような構成になっている。

(1) 物質をイオン化する部分 ( イオン源 )

(2) イオンを質量と電荷数の違いによって分離する部分 ( 分析計 )

(3) イオンを検出する部分 ( 検出器 )

(4) 質量ごとのスペクトルに表示する部分 ( コンピュータ、データ処理 )

3.5.1 イオン源

イオンとはプラスやマイナスの電荷を帯びた粒子のことである。例えば食塩水は塩化ナ

トリウム NaCl を水に溶かしたものであるが、溶液中では Na+( 正イオン ) と Cl-( 負イオン )

として存在している。同様に液体中では、中性の分子がプロトン H+ の付加と放出によって

イオン化されるケースも多い。

例えば中性の分子 M に1個の H+ が付加すると一価のプロトン化分子 [M+H]+ が生成する。

同様に2個、3個の H+ が付加すると、二価、三価のプロトン化分子 [M+2H]2+、[M+3H]3+

が生成する。また二量体のイオン [2M+H]+ もよく観測される。逆に H+ が取れると [M-H]-、

[M-2H]2-、[M-3H]3- などの脱プロトン化分子が生成する。また第四アンモニウム塩 N+(R)4・

X- は、四つの置換基 R をもつ窒素原子 N 上にプラスの電荷があり、マイナス電荷のハロゲ

ン X とイオン結合しているので、液体中では N+(R)4 と X- のようなイオンを生成する。

質量分析計では、イオンを含んだ液体をそのまま分析計に導入することはできないので、

液中からイオンを気相中に取り出す必要がある。そしてエレクトロスプレーイオン化 (ESI:

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+ ー

ーーー

ーー

ーー

ーーー

ーー

+++

ーー

++

++ ++

++

+ ++

++ +

+++ +

スプレイヤー

シース液

キャピラリー

イオン源( 大気圧下 )

分析計へ( 真空 )

イオン

スプレーの拡がり

液滴が小さくなっていく

図 3.10 エレクトロスプレーイオン化の概念

19

electrospray ionization) は、これに適した

イオン化方法である。ESI では、サンプル

溶液の流出する金属性のキャピラリー先端

とそのキャピラリーに対向する電極の間に

高電圧をかけると溶液中のサンプル分子が

積極的に正イオンと負イオンに分かれる電

荷分離という現象がおこる。キャピラリー

先端に正の高電圧をかけるか、対向電極に

負の高電圧をかけると、正イオンを比較的

多くの含む溶液がキャピラリー先端に集まってくる。その溶液を窒素ガスで噴霧すると、正

イオンを多く含む微細な液滴となって飛び出してくる。この液滴は、溶媒が蒸発するにつれ、

そのサイズがどんどん小さくなってゆき、液滴中に含まれる正イオン同士の距離が接近して

くる。近づきすぎた正イオン間には反発力が生じ、ついには液滴中から正イオンが飛び散っ

て気相へ姿を現すことになる。この正イオンは負の電圧がかかった対向電極に引き寄せられ

るとともに、高真空に保たれた分析計の中へ吸い込まれていく ( 図 3.10)。

3.5.2 分析計

イオン源で発生し、分析計へと導かれたイオンを電場や磁場の中で運動させると、m/z

ごとに分離させることができる。分離させるには、いくつかの方法がある。

(1) 電圧が振動する電場の中で運動するイオンは、その電場の影響で振幅運動を始める。そ

の時の振幅が m/z ごとに異なることを利用する。( 四重極型、イオントラップ型 )

(2) 一定の電圧を印加するとイオンは加速される。その時にイオンの持つ速度が m/z ごとに

異なることを利用する。( 飛行時間:time-of-flight:TOF 型 )

(3) 磁場の中を運動するイオンの軌道半径が m/z ごとに異なることを利用する。( 磁場型 )

CE を用いたメタボローム解析に適した MS が TOF 型である。飛行時間型といわれるとお

り、一定の距離を飛行するのに要する時間を測定して質量を求める装置で、次のような長所

がある。

(1) 全質量範囲のイオンをすべて検出 ( スキャニング ) することが可能なため高感度

(2) 測定時間が非常に短い

(3) 高分解能が得られる

これらの長所が、高分離能でピーク幅の狭いエレクトロフェログラムが得られる CE との

相性を良くしている。一定の電圧をかけてイオンを加速すると、電圧に応じた運動エネルギー

がすべてのイオンに対して与えられる。これを式で表すと、

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t = 72.0l m/z 1/V・ (5)

k=1/2mv² (4)

m/z

20

メタボロミクスで用いられる分析手法

k はイオンの運動エネルギー、q はイオンの電気量、V はイオンの加速電圧である。また

一定の運動エネルギーを与えられたイオンの速度は、

で示される。m はイオンの質量、ν はイオンの速度である。この式から、イオンの速度は質

量の小さいイオンは速く、質量の大きなイオンは遅いので、一定の距離を検出器に向かって

飛行させると、イオンは質量の小さいものから順番に検出器に到着することが分かる。そし

てイオンを加速してから検出器に到着する時間を測定すれば、そのイオンの質量が求められ

る。その関係式は、式 (3) と式 (4) から導かれ、式 (5) で表される。

t は飛行時間 (μs)、l は飛行距離 (m)、m はイオンの質量 (u, Da)、z はイオンの電荷数、は

イオンの加速電圧 (V) である。

3.5.3 検出器

イオンは電荷を持っているので、電流として計測することができる。しかしイオン 1 個

の電荷量は非常に微弱であるため、1 個のイオンを多くの電子に変換し、電流量を増幅する

二次電子増倍管が用いられている。加速したイオンをある種の固体にぶつけると、二次電子

と呼ばれる電子が固体表面からたたきだされるが、その電子を 100 eV 程度に加速してまた

固体にぶつけると平均 2 個の二次電子が発生する。1 個の電子から 2 個の電子が発生する

ので、これを繰り返すことにより、指数関数的に電子を増やすことができる。20 回の繰り

返しで 1 個のイオンが 100 万個の電子に増幅されることになる。

3.5.4 データ処理

イオン源で作りだされたイオンは、m/z ごとに分析計で分離されて検出器に届き、それぞ

れの量が測定される。検出された信号はコンピュータにより処理され、マススペクトラムが

得られる。マススペクトルとは、横軸に m/z、縦軸に信号強度を表示したものである。TOF

型の場合、質量分析計で取り込まれる信号は、実際には横軸が飛行時間、縦軸が信号強度で

ある。飛行時間は (   ) に 比例する関係式、

k=qV (3)

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t α m/z (6)

21

にあることと、質量がすでにわかっている複数の標準物質を実際に測定することにより、飛

行時間から m/z へと換算する質量校正 ( マスキャリブレーション ) をおこなってマススペク

トラムを求める。

3.6 CE-MS に関する最近の開発動向

3.6.1 検出限界および分析安定性を向上させる試み:スプレイヤーの改良

CE-MS では試料の濃縮や注入量の増量ができないため、検出限界を向上させるこ

とは難しい。濃度感度を向上させる手法としては、一時的等速電気泳動法 (transient

isotachophoresis: TITP) が知られている 39 40。TITP は、キャピラリー内で移動度の大きいリー

ディングイオンを含む電解溶液と移動度の小さいターミナルイオンを含む電解溶液で試料溶

液をサンドイッチし、電圧を印加する方法である。この方法を用いると、試料内の分析目的

イオンは濃縮され、平衡状態に達したのち等速で泳動するため、測定前に行うことで、濃度

感度を向上させることができる。

一方、スプレイヤーを改良することでも感度を向上できる可能性がある。キャピラリー

末端から MS に試料が導入される際、スプレイヤー先端で窒素ガスを流しながら同時にシー

ス液を流すことで、キャピラリー末端に電圧を印加することができる。しかし、シース液と

試料が混合されることで試料が希釈され、濃度感度の低下が起きる。そこでこの損失を改善

するためにベックマン・コールター社は、シース液を用いず電気泳動を行える高感度多孔性

スプレイヤー (high sensitivity porous sprayer: HSPS) を開発した 41。この CE-MS 用スプレ

イヤーでは、キャピラリーの MS 側末端を加工して厚さ 5mm とし ( 通常は厚さ 60mm)、キャ

ピラリー外壁をステンレスニードルで覆って電解溶液で満たすと、ガラス薄膜を電子が通過

できるため電圧を印加できる。この手法により濃度感度は 4 ~ 36 倍向上した。

また慶應義塾大学の曽我のグループは、SMILE(+) キャピラリー 42 を用いたアニオン分析

の際、キャピラリーを覆うステンレスニードルが酸化され、酸化鉄 ( 錆 ) がキャピラリー内

に引き込まれることで詰まることを見出した 33。そこでニードルを白金製にしたところ、分

析安定性が増し、500 回以上の連続分析にも耐え、また濃度感度も最大 10 倍程度向上した。

3.6.2 不安定な代謝物質の測定法:チオール化合物の測定

システインやグルタチオン、CoA など、チオール (SH) 基をもつ代謝物質は酸化を受けや

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メタボロミクスで用いられる分析手法

すく、前処理の段階でシスチン ( システインの二量体 )、酸化型グルタチオン (GSSG)( 還元

型グルタチオン (GSH) の二量体 )、CoA 二量体を形成する。この現象は明らかにアーティファ

クトであり、システイン / シスチン比や GSH/GSSG 比による酸化状態評価 43 44 を誤らせる。

マックマスター大学 ( カナダ ) のブリッツ - マッキビンのグループは、これらチオール基を

もつ代謝物質を正確に定量するため、マレイミド (maleimide) 化合物によるチオール基修飾

を行い、イオン化効率を上げることで感度を向上させた 45。彼らは、酸性、塩基性、中性の

様々な側鎖をもつ 7 種類のマレイミド誘導体を用いてチオール化合物を修飾し、CE-MS で

の分離度やイオン化効率の向上を指標に評価した。測定には予め開発したオンライン濃縮法46 を用いている。その結果、N-[2-(trimethylammonium)ethyl]maleimide chrolide(NTAM) を

用いるときわめて良好な感度向上と分離が得られた。

3.6.3 バーチャル定量:イオン化効率を推測するアルゴリズム

メタボローム解析で得られる有益な情報として、試料中の代謝物質の絶対濃度 ( 物質濃度 )

がある。しかし、絶対濃度を得るためには標準物質の測定が必要であり、常に何百種類もの

標準物質を測定して換算することは現実的ではない。

そこで、マックマスター大学 ( カナダ ) のブリッツ - マッキビンのグループは、化合物の

物理化学的パラメーター ( 分子体積、オクタノール / 水分配係数、絶対移動度、有効電荷 )

から MS でのイオン化効率を予測し、疑似定量するアルゴリズムを開発した 47。精度はまだ

それほど高くはないが、データの蓄積により、実用的なレベルにまで完成させることが可能

であると期待される。

3.6.4 より精密に測定:単一細胞からのメタボローム解析

組織を形成する各細胞ごとのメタボローム・プロファイルが得られれば、細胞の不均一

性を回避し、かつ細胞集団としてのふるまいを明らかにできる。バクテリアのような単細胞

生物の場合は、遺伝子操作により単一なふるまいをする集団をつくることで不均一性を回

避できる場合がある 48 が、多細胞生物では単一の細胞から代謝物質を抽出し、測定するし

かない。イリノイ大学アーバナ - シャンペーン校 ( 米 ) のスウィードラーの研究グループは、

アメフラシの神経細胞ひとつから代謝物質を抽出し、CE-MS で測定することに成功した 49。

彼らは、自作の CE で神経細胞から微量溶媒抽出した代謝物質を分離し、50 種以上の代謝

物質を測定した。そして、アセチルコリンやグルタミンなど、神経細胞ごとに大きくレベル

が異なる代謝物質を明らかにした。この研究は、多細胞生物の組織をより詳細に観察する方

法となるだろう。