リビア(解説p.1〜2) 地理・地図資料...④ ⑤ ⑥ ② ③ ①...

24
2010年度 1学期特別号 地理・地図資料 リビア(解説 p. 1 〜 2)

Upload: others

Post on 21-Apr-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

2010年度 1学期特別号

地理・地図資料リビア(解説p.1〜2)

●④

●⑥●⑤

●③●②

●①

写真はすべて2009年8月撮影/帝国書院

リビア表紙写真でめぐる旅 ②

2009年8月、国土の90%を砂漠が占めるといわれるリビアについて、

地中海沿岸地域を中心に取材する機会を得た。首都のトリポリを中心に、

乾燥地域の風土や人々の生活の工夫について、現地の様子をレポートする。

2

チュニジアトリポリ

地 中 海

スルト湾

ニジェール

リ ビ ア

チャド

エジプト

アルジェリア

●④●①●②●⑤●③●⑥

0 400km

地誌概略  リビアはアフリカで4番目に広い国土をもつ国(1,774,440㎢)である。地中海沿岸のわずかな農耕地帯を除いて、国土の93%は砂漠地帯である。海岸地域の気候は温暖な地中海性気候で、夏は乾季に、冬は雨季になる。内陸地域は広大な砂漠で、夏の昼間は猛暑となり、冬の夜間は零下の寒さとなる。真夏でも寒暖の差が激しい地域である。 この地中海沿岸には、ギリシア・ローマの古代遺跡が点々と散在している。地形と産物  リビアの砂漠は、なだらかな稜線を描く丘状の砂漠らしい砂砂漠、標高1000〜1500m級の山岳地帯を形成する岩石砂漠などさまざまである。そのほかに点在する高原、オアシス、湿地帯、湖などがある。近年の考古学と地質学の調査によれば、紀元前6000年ころまで、サハラ砂漠の大部分は森林や草原におおわれていたという。先史時代の豊かな農耕や狩猟の光景は、世界遺産であるタドラット・アカクスの岩絵に生き生きと描かれている。 ローマ時代までのリビアは実り多い農耕地帯でもあったようである。オリーブや柑橘類が整然と植えられており、地平線まで果樹園がひろがっていた。しかし、現代のリビアの農業は、雨季のわずかな降雨とオアシスなどの地下水によってかろうじて維持されているために、農産物の供給が急激な人口増加に追いつかず、

食料の4分の3を外国からの輸入に頼っている。 地中海に面しているリビアでは海の幸は豊富だが、スルト湾沖で日本の漁業会社がクロマグロ漁をしていることを知る人は少ない。2010年3月にワシントン条約によって大西洋と地中海のクロマグロの国際取引を禁止するという提案がEUから出されたが、リビアが反対に回ったために日本の立場が保たれたというニュースは興味深い。民族  リビアには、紀元前2000年ころのフェニキア人以降さまざまな外国勢力が侵入したが、それらの支配も海岸地域のみに集中していた。 現在のリビア人は、民族的には97%がアラブ系かアラブ系とベルベル系の混血だといわれている。ベルベル人(アマジグ人)とは、北アフリカからサハラ砂漠にかけての広大な地域に先史時代から住んでいたとみられる人々である。リビアには黒人系のトゥアレグ人も多い。表紙写真  ナールートの旧市街である。ナフーサ山地の西端に位置するオアシスの町。気候は乾燥しているが温暖。周辺の岩山の地層が水平状になっているのは、この地域に地殻変動が少なかったことを示している。そのために周辺には台形のテーブル状の岩山が多くみられる。

リビアの地勢と人々解説

筑波大学理事・副学長 塩尻和子

 関西国際空港からドバイ経由、15時

間かけてリビアの首都トリポリに着い

た。まずは、世界遺産にも登録されて

いるアルジェリア国境近くのオアシス

都市ガダーミス(写真④)。暑さをし

のぐために、日干しレンガでつくられ

た通路が町全体に張り巡らされており、

建物の内壁や外壁が、白を基調とした

たいへん美しい都市である。残念なが

ら遺跡全体が修復工事中で、本来の美

しい姿は、ごくわずかしか見ることが

できなかった。次はガリアン(写真

②)へ。陶器製造で有名な町だが、ベ

ルベル人が生み出したダモース(穴居

住宅、写真⑤)がある。ダモースは、

夏の暑さと外敵の襲来をさけるために

つくられたそうだが、今は生活してい

る人はいない。実際に中に入ってみた

が、思ったより涼しく快適だった。

 トリポリには、砂漠の国リビアを緑

化するための大運河をコントロールす

る管理センターがある(写真③)。大

運河といっても地中に埋められた巨大

給水管のことであり、リビア中央部の

地中深くに貯まった地中化石水をポン

プで汲み出している。非常に巨大な国

家プロジェクトのようで、これによっ

て砂漠に農地を生み出し、産業を育て

る計画のようだ。現在のところかなり

の部分ができあがっており、本年中に

はすべて完成するようだ。

 最後に、レプティス・マグナ(北ア

フリカ最大の古代ローマの遺跡)を訪

れた。とにかく広大で、まだ完全に発

掘されたわけではないので、その規模

は計りしれない。ローマ劇場(写真⑥)

は、海に面しており、海の色(エーゲ

海ブルー)と空の青色のコンストラス

トがとても綺麗だった。

取材レポート帝国書院取材班

3 4

はじめに

 北アフリカ地域は一般的にアフリカ大陸の北部の地中

海に面したエジプト、リビア、チュニジア、アルジェリ

ア、モロッコ、そしてモロッコの南に位置し大西洋に面

したモーリタニアの6か国を指す。これらの国々は一見

日本との関係が薄いように見えるが、食に関しての深い

つながりを持っている。たとえばスーパーマーケットの

魚介類売り場に行けば「モーリタニア産」、「モロッコ産」

と表示された輸入ダコを多く見かけるし、食品量販店の

パスタ売り場では「地中海産スパゲティ」としてチュニ

ジア産のものがよく売られている。

 本稿ではまず北アフリカ、とくにチュニジア以西のマ

グレブ(マグリブ)地域の地理的背景と食文化を概観し、

次いでこれらの国々との食料品の貿易統計からみる北ア

フリカと日本の食のつながりについて紹介する。最後に

近年の研究によって注目を浴びつつある食薬資源の宝庫

としての北アフリカの可能性について論じたい。北アフ

リカの個々の料理については本号の別稿(p.21-22)も参

照されたい。

北アフリカの地理・気候・食文化

 図1で示すように、北アフリカの大半は砂漠気候に属

するが、アトラス山脈を擁するモロッコ、アルジェリア、

チュニジアの地中海沿岸部は地中海性気候域が広がる。

これらの地域では緑が多く、古代ローマの時代からオ

リーブや小麦のほか、オレンジ、ぶどうなどの果樹の栽

食を通した北アフリカと日本のつながり

筑波大学北アフリカ研究センター講師

地図にみる現代世界

森尾貴広

培も盛んに行われてきた。小麦ではデュラム小麦が多く

栽培され、マカロニ、スパゲティ、そして北アフリカ特

有のパスタであるクスクスに加工され、食卓に並ぶと共

にヨーロッパなどに輸出されている。しかしながらその

一方で、気候の変動による乾燥地の拡大とそれに伴う塩

害の進行による小麦の栽培地の縮小の問題を抱えており、

乾燥、塩害に耐性のある品種の育種が急務となっている。

 オリーブについては2008年時点でスペイン、イタリア、

ギリシャ、トルコに次いでチュニジアが世界第5位、モ

ロッコが第6位の生産高を誇っており、良質のオリーブ

油を生産している。オリーブ油は北アフリカを含む地中

海沿岸域の食卓には欠かせないものであり、サラダのド

レッシング、炒め物のほか料理の味付けの基本となって

いる。また、オリーブの塩漬け(テーブルオリーブ)も

付け合わせの定番として食卓に登場する。

 果物はオレンジ、いちご、いちじく、メロン、すいか、

すもも、黄桃、ぶどう、ウチワサボテン、洋なし、ざく

ろなど季節ごとの果物が市場に出回っている。また、日

本ではあまり知られていないがモロッコ、アルジェリア、

チュニジアはワインの一大生産地であり、ヨーロッパに

多く輸出されている。このほか地中海性気候の広大な牧

草地では食用として牛、羊、ヤギ、農耕用としてロバが、

内陸乾燥地ではラクダが放牧されている。内陸の乾燥地

ではオアシスでのなつめやしの栽培のほか、地下水を利

用したハウス栽培により、トマト、きゅうり、すいか、

メロンなどが栽培されている。なつめやしの実は日常の

デザートとして、とくに腹持ちのよい食品として断食月

(ラマダーン)の日の出前に食されるほか、完熟した実

が菓子づくりに用いられる。

 チュニジアはアトラス山脈の東端に位置し、北西部に

標高1544mのシャンビ山をはじめとする比較的低い山岳

地帯が広がるほかは平坦な土地である。この地形的特徴

のためにチュニジアでは北西部の地中海岸の湿潤気候か

ら、半乾燥地、乾燥地、砂漠気候への変化がきわめて短

い距離でみられる。このことが独特で多彩な植生を生み

出し、後述のように機能性食品、医薬品、化粧品などの

原料となる植物の宝庫となっている。

 リビア、エジプトでは海岸部に地中海性気候がわずか

図1 北アフリカ・地中海地域のケッペン─ガイガー気候区分M. Kottek ら, World Map of the Köppen-Geiger climate classification updated. Meteorologische Zeitschrift 誌 15巻 3号, 259-263頁, 2006年より転載、一部改変。

Csb

Csa

BWh

BWk CsaBSk

BSh

BWh

BWkBSk

3 4

に広がるものの、ほとんどが乾燥帯である。農業はリビ

アのトリポリタニア、ベンガジ周辺の地中海沿岸、エジ

プトのナイル川流域など限られた地域で営まれているほ

か、オアシスでのなつめやし栽培が行われている。リビ

アは常に水をたたえている河川がなく、農業は雨季のご

くわずかな降雨と地下水に依存していたが、近年南部の

サハラ砂漠地下に眠る化石水をくみ上げ、巨大パイプラ

インによって都市部および農耕地帯に供給する計画が進

行中で一部給水を開始している。

 モーリタニアは国土の大半が年間降水量100mm以下

の砂漠であるが、南部のセネガル国境を流れるセネガル

川流域で川の水を用いた灌漑による農業が営まれており、

稲作も行われている。

 北アフリカ地域が面する地中海は良質の漁場として古

くから漁業が盛んであり、ローマ時代のモザイク画にも

多種多様な魚や漁業の様子が多く描かれていることから

もうかがい知ることができる。日本でもなじみの深いク

ロマグロのほかカジキマグロ、タチウオ、タイ、スズキ、

シタビラメ、ヒメジ、メロ、タコ、イカ、エビ、ムール

貝などが水揚げされる。

 一方、モロッコ、モーリタニアの大西洋岸は深海から

栄養分に富む海水が上昇する沿岸湧昇流が発生し、よい

漁場を形成している。この海域の漁場は1960年代に日本

の水産会社が発見・開拓し、カナリア諸島のラスパルマ

ス港を基地に多くの日本のトロール船が操業していた。

しかしながら1970年代からの各国の排他的経済水域の設

定以降(モロッコは1973年、モーリタニアは1982年に設

定)、採算性の点からトロール船の撤退が相次ぎ、現在

はもっぱらスペイン、モロッコ、モーリタニアの漁船か

らの買い付けを行っている。また、モロッコの大西洋沿

岸では寒天の材料であるテングサを多く生産する。

 この地域ではマグロ漁が盛んであるが刺身やステー

キの形で食卓に上ることはまれで、加工品であるツナフ

レークがサラダ、ピザ、サンドウィッチの具材としてよ

く用いられる。タイ、スズキの塩焼きは沿岸地域のもて

なし料理やレストランの定番メニューであり、日常の食

卓にはヒメジ、イワシ、カラマリ(小イカ)が食される。

貿易統計にみる日本と北アフリカの食のつながり

 表1は2009年の北アフリカ諸国から我が国への食料品

の輸入高とその内訳を示したものである。リビア、チュ

ニジア、モロッコ、モーリタニアについては輸入総額の

半分以上を食料品が占め、そのほとんどが魚介類、とく

にタコ、クロマグロである。日本はタコ、クロマグロの

最大の消費国であり、その市場の動向がこれらの国々の

漁業に大きな影響を与えている。

 図2で見られるようにチュニジア、モロッコの地中

海・大西洋クロマグロ(Thunnus thynnus)の漁獲高はス

ペイン、フランス、日本に次いで多い。これらは直接出

荷されるほか、若魚や痩せた成魚を捕獲し生け簀で太ら

せて出荷する畜養に用いられている。畜養は安価で脂の

のったマグロを求める日本市場の嗜好に合わせるために

1990年代半ばより始められ、スペイン、クロアチア、マ

ルタ、イタリア、トルコが多く畜養場を有している。マ

グロの生け捕りのために地中海諸国は競って大型巻き網

漁船の建造を進めており、日本の商社が現地の企業との

合弁で畜養場を経営する例も少なくない。近年、畜養の

ためのマグロおよび飼料となるイワシ類の乱獲の問題、

大規模な巻き網漁による地元の中小事業者への圧迫、そ

して畜養場周辺海域の環境に対する悪影響からEU諸国

表1 日本における北アフリカ諸国からの輸入高と食料品類の輸入高(単位1,000米ドル)およびその内訳(%)(2009年)

エジプト リビア チュニジア アルジェリア モロッコ モーリタニア輸入総額(1,000米ドル) 298,548 1,781 144,314 171,666 235,229 143,026食料品総額(1,000米ドル) 8,624 1,448 77,602 4,538 132,189 143,001

内訳(%)

魚介類肉類穀物類野菜果実その他

0.00.04.534.643.817.1

100.00.00.00.00.00.0

96.90.02.60.20.10.2

99.70.00.00.00.00.3

92.00.00.02.20.25.6

100.00.00.00.00.00.0

おもな品目(輸入額の多い順)

かんきつ類加工品(ゼリーなど)、穀物加工品(コーンフレークなど)、ソーセージ、野菜加工品、オリーブ油、ごま、じゃがいも、オレンジジュース

クロマグロ、魚の肝油

クロマグロ、スパゲティ、イワシ加工品、マカロニ、トマト加工品、ワイン、なつめやし、サンゴ、オリーブ油、クスクス

クロマグロ、ワイン

タコ、クロマグロ、モンゴウイカ、寒天(テングサを含む)、コリアンダー、トマト加工品、魚粉、カタクチイワシ加工品、ケーパー、タイ

タコ、カマス

日本貿易振興機構(JETRO)輸入統計、財務省統計をもとに作成。

5 6

では畜養に対する規制が厳しくなりつつあり、規制の緩

やかなリビア、チュニジアなど北アフリカ諸国での畜養

業が伸びている。このことは2010年3月カタールのドー

ハで開催されたワシントン条約締約国会議において大西

洋クロマグロの国際商業取引の原則禁止の提案に対して

リビアが強硬に反対した背景のひとつとなっている。

 我が国のタコの年間漁獲高は1960年代をピークに減少

傾向を示し、現在では約5万tを前後しているが、供給

不足を補う形で1970年代半ば以降輸入が行われている。

現在ほぼ半数がモーリタニアからの輸入であり、モロッ

コからの輸入を合わせると実に4分の3を占める(図

3)。とくにモーリタニアは我が国への輸出品目のほぼ

100%がタコであり、同国の対日貿易の生命線となって

いる。我が国も漁業におけるモーリタニアとの関係を重

要視しており、ODAによる首都ヌアクショットの魚市

場の整備や漁場調査の技術協力が行われてきた(写真)。

しかしながらその一方で、モーリタニアはもともとタコ

を食べる習慣がほとんどないため、水揚げされたものは

地元で消費されることなく我が国に輸出されており、水

産資源の乱獲に対する批判も少なくはない。また、食料

品の生産地から消費地までの遠距離輸送によるコストお

よびCO2排出の観点(フードマイレージ)から批判の対

象にもなっており、水産資源の保全と調和した持続可能

なモーリタニアの漁業の発展が今後の課題である。

 このほかモロッコの大西洋沿岸域で生産されるテング

サからつくられる寒天もチリ、韓国に次いで我が国の輸

入量の10%以上のシェアを誇っている(図3)。

 以上のように日本のマグロ、タコ市場の動向はこれら

の国の漁業のみならずこの海域の生態系にも影響を及ぼ

し、日本はこれらの保全に対して大きな責任を負ってい

ることは疑いない。その中で北アフリカの水産資源の保

全に関する我が国の政府開発援助(ODA)による技術協

力が行われており、たとえばトロール漁による海底の攪

乱で荒廃したチュニジア沿岸域の藻場の回復プロジェク

図2 大西洋・地中海域でのクロマグロの国別漁獲量(2008年) FAOの統計データをもとに図を作成。

写真 ヌアクショット郊外の魚市場

写真左:日本の技術協力によって整備されたこと

が記念碑に記されている。フランス語で「日本」

を意味する「JAPON」が見て取れる。

写真右上、中:毎日様々な魚が水揚げされる。

写真右下:魚市場のすぐ付近の沖合で多くの小型

漁船が漁を行っている。

モロッコ

イタリアリビ

スペイン

フランス 日本

チュニジア

トルコ

クロアチア

アルジェリア

キプロスカナ

ギリシャ 韓国

アメリカマル

タ 中国

ドミニカ

ポルトガルシリア

モンテネグロ

メキシコ

サンピエール島・ミクロン島

アイルランド

6000

5000

4000

3000

2000

1000

0

漁獲量(t)

5405

31852923 2866

2478 2455

1318961 892 889 778

578350 335 329 296

118 77 56 42 7 7 3 1

5 6

トが進められ、魚の定着率が再び上昇するなど少しずつ

ながら成果を上げている。

 農産物においては日本におけるシェアこそ少ないもの

の、オリーブ油、パスタ類、加工トマト、ジャムなど果

実の加工品が輸出されている。とくにオリーブ油につい

てはチュニジア、モロッコ政府が対日輸出を拡大すべき

重点品目のひとつとして位置づけられ、食品見本市への

積極的な出展などブランド確立に向けて様々な活動を展

開している。また、北アフリカ地域は香辛料、ハーブ類

の生産も盛んであり、コリアンダー、ケーパー、月桂樹、

タイムなどが日本に輸出されている。とくにコリアン

ダーについてはモロッコ産が実に90%以上のシェアを占

めている(図3)。

 エジプトからの輸入食料品についてはその他の北アフ

リカ諸国とは異なり農産物およびその加工品の割合が多

いが(表1)、玉ねぎ、じゃがいものほか果実ジャム、

シリアル、インスタントコーヒーといった加工食品が主

要な輸入品である。

食薬資源の宝庫としての北アフリカの可能性

 北アフリカ地域ではその地理的・気候的特性からロー

ズマリー、タイムなどの多様な薬用・アロマ植物が生育

し、伝統的な民間療法に用いられてきた。また、ネロリ

(オレンジの一種)、バラなどから抽出されるエッセン

シャルオイルは香料や香水の原料としてヨーロッパに輸

出されている。これらの植物は北アフリカの半乾燥・乾

燥環境下で乾燥、塩害、強い日ざし、昼夜の気温差といっ

た厳しいストレスに常にさらされており、ストレスを引

き金として植物体内で生産される有害な活性酸素から自

身を守るためにポリフェノールなどの抗酸化・抗ストレ

ス物質を蓄積するような進化を遂げてきた。たとえばチ

ュニジアで栽培されている品種からつくられたオリーブ

油は、ヨーロッパ産のものに比べて抗酸化物質含有量が

高いことが近年の研究によって明らかにされている。こ

れらの抗酸化・抗ストレス物質は生活習慣病の予防に効

果があると期待されており、機能性食品、医薬品、化粧

品の原料となる食薬資源として北アフリカの植物に注目

が集まりつつある。

 北アフリカの植物については伝統的な民間療法の知識

の蓄積があったものの、これまで機能性の探索や薬効の

作用メカニズムについての体系的な研究はあまり行われ

てはいなかった。近年、筑波大学北アフリカ研究センター

を中心とする日本の大学の研究グループが北アフリカの

植物の機能性に関する研究を積極的に展開しており、こ

れらの植物の新たな有用性が明らかにされつつある。

 これまで北アフリカ産のオリーブ油やエッセンシャル

オイルは、独自のブランド力が弱いため、以前はバルク

(原料の状態)でヨーロッパに売られ、ブレンドされた

後ヨーロッパのブランドとして流通し、生産者への利益

配分が十分に行われないことがしばしばあった。このよ

うな研究を通してオリーブ油など既存の製品や今まで市

場価値が低いとされていた植物に新たな価値が付与され、

ブランド力の強化による市場の開拓と地域産業の育成に

貢献し、ひいては北アフリカの国々の発展につながるこ

とを期待してやまない。

クロマグロ

メキシコ33%

韓国16%スペイン

13%

トルコ7%

イタリア5%

チュニジア4%

寒天

アメリカ4%

モロッコ3%

フランス3%

マルタ2%

アルジェリア1% リビア

1%その他2%

カナダ6%

その他2%

中国9%

インドネシア9%

ポルトガル6%

韓国17%

モロッコ13%

チリ47%

モーリタニア47%

その他2%

モロッコ25%

中国10%

ベトナム7%

スペイン5%

タイ3%

セネガル2%

モロッコ92%

カナダ7%

その他1%

タコ コリアンダー

図3 日本におけるクロマグロ(太平洋クロマグロを含む)、タコ、寒天、コリアンダーの輸入相手国の割合(2009年)(t数による内訳) 財務省貿易統計データより図を作成。

7 8

世界の今知りたい!

モータースポーツジャーナリスト 古賀敬介

ダカールラリーにみるアフリカ情報

■ダカールラリーとは

 「パリダカ」という名前で親しまれている世界一苛

酷なラリーは、「ダカールラリー」が正規の大会名称で

ある。1979年にフランス人ライダーのティエリー・サ

ビーヌが創始、フランスのパリをスタートしてセネガ

ルのダカールでフィニッシュするルートが基本の形で

ある。かつてのフランス植民地であり、言葉など何か

と利便性が高いことが、セネガルが目的地に選ばれた

理由のひとつだ。パリ~ダカールラリーを略してパリ

ダカと呼ぶのは日本的だが、現在のダカールラリーは

パリもダカールもコースに含まれていない。ヨーロッ

パとアフリカを結ぶルートは2007年が最後で、2009年

からは舞台を南米へと移しアルゼンチンとチリの2か

国をまたぐラリーに変わった。そういう意味では、ダ

カールラリーという正式名称もすでに内容を正しく示

してはいない。

 ダカールラリーは1979年の初開催以降、ダイナミッ

クな砂漠のラリーとしてヨーロッパを中心に世界中で

人気を博してきた。総走行距離数千kmにもおよぶコー

スはその大部分が荒れ果てた土漠や砂漠で、他のラ

リーよりも冒険的な意味合いが強い。四輪駆動車で普

通に走ることさえ難しい道なき道を全開で走り続ける

のは至難の業で、当然のようにアクシデントが頻発し

毎年のように死傷者が出る。それでもラリーが続いて

きたのはヨーロッパ的個人主義が根底にあるからで、

危険なラリーという評判はむしろ参加者を増やす材料

となっている。

 そんなダカールラリーが大きく方向転換したのは

2009年大会からであった。ラリーのスピリットともい

えるアフリカの地を離れ、南米大陸に舞台を移したの

は、西アフリカおよび北アフリカ諸国の急激な治安悪

化が原因である。その前年の2008年、ポルトガルの首都

リスボンからダカールへと向かうルートが予定されて

いた第30回大会は、スタート前日の1月4日に急きょ

ラリー全日程の中止が決まった。通過国のひとつであ

るモーリタニアでのテロ活動が活発化し、ラリー参加

者の安全を保証できないと主催者が判断したためだ。

 ダカールラリーの長い歴史の中で、政情不安や治安

悪化が原因でラリーが中止となったのは初めてのこと

であった。主催者が被った金銭的な被害はばく大で、

80億円以上ともいわれている。参加者やラリー通過国『新詳高等地図 初訂版』p.37

■アフリカから南米へ

西サハラ

エチオピア(不明)

南アフリカ共和国(1910)

(独立した当時は 南アフリカ連邦)(独立した当時は 南アフリカ連邦)

7 8

が負ったマイナスも含めると、全体での被害額はさら

に大きく膨れ上がる。大人数が移動するラリーを迎え

ることでアフリカ各国の通過都市は経済活動が盛んに

なる。また、主催者および参加者による農地開発や井

戸掘りなど地元支援活動も長年行われてきた。そして、

主催者から支払われる施設使用料や補助金は各国政府

にとっては重要な財源で、それゆえモーリタニアなど

各国政府は最後の最後まで開催実行を切望し軍隊や警

察を使っての警備を約束した。主催者も何とかラリー

を開催しようと試みたのだが、最終的にはフランス政

府からの強い圧力がかかり開催を断念したといわれて

いる。それゆえ、開催中止の最終決定がスタート前日

というギリギリのタイミングまで遅れたのだ。これま

で競技で死傷者が何人出ようともダカールラリーは続

いてきた。それでもダカールラリーはアフリカの大地

にこだわり続けてきたが、直前に大会中止という最悪

の事態は影響の大きさを考えると二度と許されない。

主催者はしかたなく、アフリカと比べればテロの危険

性がはるかに少ない南米に場を移すことにしたのであ

る。

 ダカールラリーがテロ攻撃の標的となったのは2008

年が最初ではない。1991年に参加者のフランス人がマ

リで銃撃され死亡したのをはじめ、1996年には参加者

を支援する三菱のトラックがマリとモーリタニアの国

境付近で何者かから銃弾を受けた。幸いにもこの件で

死傷者は出なかったが、シトロエンのサポートトラッ

クがモロッコでコース外の地雷を踏み1人が命を落と

すという痛ましい事件が起こった。また、2000年には

ニジェールで反政府ゲリラがラリーを襲撃するという

情報が入り、主催者はニジェールを陸路で通過せずマ

リからリビアまで全参加者および車輛を大型輸送機で

■ダカールラリーとアフリカの治安の悪化

2010年に使用されたコース2008年に中止になったコース

リスボン

ポルティマン マラガ

スペインポルトガル

ナドル

ラチディアワルザザート

グリミーム

セマラ

アタル

ティジクジャ

ヌアディブー

ヌアクショット

サンルイ

ダカール

キッファ

モロッコ

アルジェリア

マリ

モーリタニア西サハラ

セネガル

N

ガンビアN

チリ

ボリビア

パラグアイ

ウルグアイ

アルゼンチン

サンタロサ

コルドバサンフアンサンフアン

ラリオハ

サンラファエル

イキーケ

アントファガスタ

コピアポ

ラセレーナ

サンティアゴサンティアゴブエノスアイレスブエノスアイレス

 ヨーロッパを発ちセネガルのダカールでゴールというのがかつての基本ルート。アルジェリア、マリに続きモーリタニアも通れなくなったことでダカールへの道は閉ざされた。2009年からは右図のようにアルゼンチン、チリを舞台とする南米大会に姿を変えた。

9 10

空輸するという前代未聞のできごとがあった。2004年

には三菱の増岡浩選手がモーリタニアで地元の武装強

盗団に銃を向けられ、不正な通行料を要求される事件

が発生。また、2007年大会ではマリ国内でテロの危険

性が高まったことでラリー中に急きょコースを大幅変

更。マリを通らぬ代替ルートが採用された。

 以上が代表的な例であるが、この他にも小さな事件

は山ほど起こっている。それでもダカールラリーは開

催を重ねてきたわけだが、近年はアフリカ全体の治安

レベルが急激に悪化。中止となった2008年大会の前年

末にはモーリタニアでフランス人観光客4人が殺害さ

れ、それとは別にモーリタニア軍の兵士が武装集団に

襲撃されて死亡するという事件が起こった。犯行はい

ずれもアルカイーダ系のイスラーム過激派によるもの

と、犯人の一部を捕えたモーリタニア政府は発表した。

これまでのテロ事件と大きく異なるのはアルカイーダ

の流れをくむ急進的なテロ集団が事件に関与していた

ことで、もしもラリーが襲撃された場合は多数の死傷

者が出るだけでなく、人質がとられる可能性もあった。

政治的リスクが極めて高いということで、フランス政

府は主催者に対し半強制的にラリーの開催中止を求め

たのである。

 ヨーロッパからダカールへと向かうルートは限られ

ている。ヨーロッパからアフリカまではスペイン南端

の港から船に乗ることになるが、上陸地点として現実

的なのは北アフリカのモロッコ、アルジェリア、チュ

ニジア、リビアといった国々である。ここでネックと

なるのはアルジェリアの治安がひじょうによくないこ

とで、ダカールラリーもここしばらくはアルジェリア

国内を通らないルートを設定してきた。本来ならア

ルジェリアからその南に位置するニジェールまではラ

リーに最適なすばらしい砂漠地帯が広がっているのだ

が、北アフリカ中央部を南下するルートは治安が悪い。

そこで近年はモロッコに上陸し、西サハラを通過して

モーリタニア、マリ、ブルキナファソといった国々を

走りセネガルのダカールへと至る西側ルートが主流と

なっていた。

 しかし、マリにアルジェリアからの武装集団が流れ

込み、さらには比較的治安が安定していたモーリタニ

アまでもがテロ攻撃の射程圏内に入ったことでルート

の策定作業は手詰まりともいえるほど厳しくなった。

もはや、テロの危険性を完全に排してダカールへと向

かうことは不可能に近い。南米大陸へのシフトは、い

わば必然だったといえよう。

 では、なぜダカールラリーはテロの標的となるの

か? それは西洋的文明・宗教の象徴であり、旧植民

地支配を連想させるものであり、さらには報道効果が

大きいためだ。ダカールラリーのステージとなる北お

よび西アフリカの国々は、そのほとんどがフランスの

旧植民地である。公用語はフランス語、通貨は植民地

という単語を源流にもつCFAフラン。キリスト教な

どの宗教や西洋的文明・文化を長年にわたり強要され

てきた。そのひずみがフランスの影響力の低下に伴い

噴出してきたといえ、貧困問題を礎とする宗教的な反

発力は年々勢いを増している。テロ集団にとって、世

界的に名高いダカールラリーの襲撃はラリーそれ自

体のせん滅が目的ではない。自分たちの活動と力をメ

ディアの力を使って世界中にアピールすることが最大

の狙いである。実際、彼らはダカールラリーを中止に

追い込み、組織の名前を世に知らしめることに成功し

た。

 2008年の大会中止後、主催者は「テロには屈しない。

我々は必ずアフリカへ戻る」と宣言したが、2011年も

またダカールラリーはアルゼンチン~チリ間で行わ

れることが決まった。今後、アフリカでイスラーム過

激派の活動が急速に縮小する可能性は極めて低く、ダ

カールラリーが再びダカールに進路をとる日はまだま

だ先のことになるだろう。

■なぜ、テロ攻撃の標的に

9 10

広島県立五日市高等学校 高林賢治

いきいき授業実践 平成22年度『新詳高等地図 初訂版』

北アフリカ編

現代社会における地図帳の活用

 現代社会の授業には二つの問題がある。一つは生徒

の空間認識の欠如と、現代社会という科目の捉え方の

混乱である。高校の教員としては中学校で地理は十分

やってきているのに、実際に世界地図や日本地図を描

かせてみると驚くほど描けないという印象がある。こ

れは中学校の地理の学習内容でもとりあげる地域の選

択が行われており、教師側の期待する知識がないこと

も関係するだろう。しかし、世界や日本の空間認識が

ないことは、世界や日本の関係を抽象的な概念モデル

に落とし込んで理解させる現代社会の学習の阻害要因

となる。二つ目の現代社会の捉え方であるが、たとえ

ば環境問題については、公民科と地歴科とはアプロー

チが異なる。公民科では環境問題を概念モデルとして

認識させ、自分たちの行動に応用させるのに対して、

地歴科では実証的に事実を分析し認識させる。地歴科

から見るとそのつながりに違和感を感じるのではない

か。図で示すと以下のようになる。

1.現代社会の授業の問題点

 しかし、現代社会に地理の空間認識が加味されると

どうであろうか。たとえば、ツバルの写真を象徴的に

見せるのではなく地図を見ることで日本と異なる環境

であることがわかる。また気候区分図やデータを使う

ことにより、結論が先にある抽象的な道徳論から事実

を中心とした問題解決学習へと姿を変える。さらに、

軸足を自分の世界から社会に広げることができ、抽象

2.解決の糸口

的な概念モデルがなぜ必要なのかを理解できる。すな

わち、社会は、自分たちの生活の場とは異なる空間で

できているので、理論化しなければ認識できないこと

がわかるのである。

 では具体的にどのように展開すればよいだろうか。

現代社会は課題設定を「現状追認」vs「現状批判」と

いう対立の図式で行うことが多い。本稿では対立の図

式により争点を明らかにし、地図を用いて空間的に分

析を行うことにより、立体的に概念モデルを捉えて思

考させることをめざした。

 現代社会の諸問題は世界のいずれかで発生している。

そしてそれは地図中のポイントとして見つけることが

できる。次にその地点は地形や気候などの自然条件に

支配されており、特殊性を見つけることができる。一

方、その問題が生じるに至るには普遍性のある人間の

活動がかかわる社会条件が加わる。生徒は地図上でそ

の条件を探究する。以上の観点から地図を活用するこ

とにより、環境問題の扱いも、環境問題はさまざまな

要因で生じている、という概念的なモデルで整理する

だけでなく、その要因が空間的な広がりを持つことに

なる。そのことにより、生徒はより具体的に思考し、

概念モデルを習得することができるのである。地理と

現代社会の関係を抽象的な概念モデルに示してみよう。

(1)今回、取り上げたのは北アフリカのサヘルであ

3.概念モデルを用いた授業実践 

地理

自然条件

社会条件

課題

自然条件 社会条件

概念

応用

空間の認識 概念の認識

分析の視点 統合の視点

現代社会

価値判断

自然条件 社会条件

現状批判現状追認 対立

争点

理論理論

理論理論

現代社会

概念モデル

地理

11 12

る。現代社会のオープニングとして地球温暖化などさ

まざまな地球環境問題が取り上げられる。サヘルは砂

漠化が深刻化していると生徒に非常にわかりやすい印

象を与える。一方で、アフリカそのものについては理

解していないので、具体的に地図を丹念に見ながら学

習するには新鮮である。

 構成は2本立てである。「交易都市から観光都市に変

わったジェンネ」「出稼ぎ農民が戻り苦境に陥るブルキ

ナファソ」である。両者ともにサヘルであり、地球温

暖化と人間活動の破綻により、住民の生活が困窮して

いる。これを現地の視点で分析し「人間の生活は自然

条件と社会条件があいまって変化する」ことを概念化

する。これなら身近な問題に応用できるであろう。

(2)事例1「交易都市から観光都市へ変化したジェンネ」

 「ジェンネ」はマリのニジェール川沿いにある都市

である。地図中には「ジェンネ」の旧市街と赤字で示

されているとおり、観光都市であり、観光コースになっ

ている。しかし「天国」という意味のこの都市は、紀

元前からあり、チュニスの塩と南部の森林部のコーラ

の実の交易都市だった。それが、交通の便の都合でモ

プティという都市に取って代わられ、さらに1980年代

の温暖化によるニジェール川の水位の低下により交易

機能を失い、取り残された町となった。

 授業では、まず「ギニア湾岸の森林でとれるコーラ

の実とチュニスの塩を交易したいのだが、どのような

交易路があるだろうか。」と地図を示し問う。

 「この交易は古くから行われていたが、古い都市は

ないだろうか。」と問うと、「ジェンネ」が見つかる。

そこでジェンネが交易に適したニジェール水系である

ことを確認する。

 「しかし、ジェンネは現在観光都市としてかつての

イスラームのモスクなどを観光資源としており交易都

市ではない。なぜだろうか。」

 そこでサヘルであるという自然条件、近くのモプ

ティという都市に交易機能が移動した社会条件、そし

て、地球温暖化によりニジェール川の水位が下がり水

運ができなくなったという環境問題を示す。

 生徒は、そこに暮らす人びとの生活の変化を想像し、

自分たちの生活に置き換えて考えることができる。

(3)事例2「出稼ぎ農民が戻り苦境に陥るブルキナファソ」

 事例1で検討したサヘルの砂漠化が進んだ地域での

生活を検討する。ブルキナファソは、サヘルにある人

口1373万の国家である。農業人口が91%と高く、おも

な輸出品は綿花、繊維製品、ごま、シアバターである

から、乾燥に強い作物を産出していることがわかる。

1人あたりのGNIは年間460ドルであり(日本は38410

ドル)最貧国に位置づけられる(2006年)(『新詳高等

地図 初訂版』以下地図帳、p.135を参照させる)。出生

時の平均余命52歳、5歳児未満の死亡率は191人(1000

人中)で世界第7位、新生児死亡率32人(1000人中)

(ユニセフ資料)。ではどのように生活しているのか

と問うと、外国へ出稼ぎに行くと考えることができる。

実際、50万人ものブルキナファソ人がカカオの輸出で

名高いコートジボアールに流出しており、移住農民と

なっている(地図帳、p.35「滷サヘルの砂漠化と都市

への人口集中」)。しかし、2000年の大統領選挙の際、

コートジボアールではブルキナファソ人の排斥運動や

虐殺が起こっており、そのため36万人が帰国した。こ

の影響が、砂漠化が進む地域とあいまって混乱を巻き

起こしている。

 授業では、「シアバター(女子生徒は化粧品として知

っている)」の生産地であることを示し、「美しい夕日

ジェンネの大モスク(マリ)『高等学校 新地理A 初訂版』口絵5

交易の利便性サヘル

日本の環境問題への応用

政策温暖化

ジェンネの歴史観光ガイドの記述

現代社会

交易観光資源

生活は自然条件と社会条件の影響生活は自然条件と社会条件の影響

地理

11 12

の写真、野生動物の写真」を見せる。また、外務省の

ホームページでは「政府は財政不均衡や国際収支の是

正、民間部門の強化等各種政策を実施。1994年のCFA

フランの切り下げ後もその衝撃を吸収するのに成功。

西アフリカ諸国の中で比較的良好なパフォーマンスを

見せている。2000年にはサブサハラで2番目にPRSP

(貧困削減戦略文書)を策定。ブルキナファソによる

経済改革、民主化努力は、世銀、IMF等を含む諸パー

トナーからも高く評価されている。」としてブルキナ

ファソのがんばりを示す。

 その後、日本ユニセフ協会のアグネス・チャン大使

のレポートを示す。

 「気候変動のために、世界中で様々な問題が起こっ

ていることは知っていました。でも、ブルキナファソの

子どもたちがあんなに辛い状況に追い込まれてしまって

いるなんて…。」

 黄色く濁った池の水を牛と一緒に飲んでいた男の子。

砂漠化で放牧や農業をする土地を追われた家計を助け

るために、気温47度の灼熱の金鉱で埃まみれになりな

がら、ご飯も食べられずに一日中働き続ける幼い女の子。

 同じ国家の見方をめぐって争点が生じているが、こ

れだけでは、「助けなくては」という道徳的な感情論か、

政府批判に終始する危険がある。そこで争点の分析に

客観性を持たせるために地図帳を使った空間的な分析

を行う必要がある。

 さらに、人口が流出するのはなぜか、コートジボアー

ルに出稼ぎしていた農民が戻ってきたのはなぜかとい

う問いを考える中で(地図帳p.35「滷サヘルの砂漠化

と都市への人口集中」)、生徒たちは自然条件と社会条

件から問題を冷静に分析し、両者の立論を考えていく

ことができる。

 本稿では、北アフリカを素材に、現代社会で地図を

利用する意義のある授業について提案した。現代社会

でともすれば抽象的な概念の議論に終始しがちなとこ

ろを、地図を用いることによって(当然地図も概念で

はあるが)、生徒は空間的広がりを持って自然条件と

社会条件を概念化して考えることができる。すなわち、

世界で起こる諸問題を日本人の感覚で考えるのではな

く、現地の感覚でアプローチすることができる。この

ようにして少しでも問題の本質に近づくことで、日本

の環境問題に応用することができる概念モデルを修得

することができる。しかし、このような概念モデルか

ら現代社会において重点がおかれる「対策」の部分に

ついては、未解決である。身近な取り組みと国際的な

取り組みの違いは何か、日本人が海外で活動するなら

ばどのようにすべきであろうか、などの問題点を、単

なる制度の羅列や道徳ではない授業は可能か、すなわ

ち空間認識を持ちつつ、一般的な概念モデルをつくる

ことは可能であろうか。地図を利用した授業の開発が

課題となる。

『新詳高等地図 初訂版』p.35

4.課題

〈参考文献〉

■ジェンネについて

島田義仁・松田素二・和崎春日編『アフリカの都市的世界』世界思想

社 2001年 第2章56頁

■ブルキナファソについて

池谷和信・佐藤廉也・武内進一編『朝倉世界地理講座11 アフリカ蠢』

朝倉書店 2007年 島田周平「アフリカ農村の日常的環境問題」p.28

外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/burkina/data.html

日本ユニセフ協会HP http://www.unicef.or.jp/osirase/back2009/0904_08.htm

■サヘルについて

石弘之『地球環境報告』(岩波新書)岩波書店 1988年 p.1~15

■地名

21世紀研究会編『地名の世界地図』(文春新書)文藝春秋 2000年 

p.185

■アフリカの農業システムについて

高橋伸夫・谷内達・阿部和俊・佐藤哲夫・杉谷隆編『改訂新版ジオグ

ラフィー入門』古今書院 2008年 p.126

脆弱な農業・出稼ぎサヘル

日本の環境問題への応用

政策砂漠化

ユニセフの分析

現代社会

統治の場面

生活は自然条件と社会条件の影響生活は自然条件と社会条件の影響

生活の場面

外務省の分析 対立

地理

13 14

鹿児島県立鶴丸高等学校 脇田政人

いきいき授業実践 平成22年度『高等学校 新地理A 初訂版』

平成22年度『新詳高等地図 初訂版』

変貌する北アフリカ -ヨーロッパ・アラブ・アフリカの結節点-

 石油、天然ガスをはじめ、多くの鉱産資源に恵ま

れるアフリカ大陸は、資源獲得を目論む先進工業国や

BRICsの積極的な援助や投資の結果、着実に経済成長

を遂げつつある。また、10億を超える人口は、金融危

機で世界的に需要が冷え切った今、新たな巨大市場と

して大きな存在を示している。

 そのアフリカにあって、将来的に北アフリカ諸国が

果たす役割は大きいであろう。なぜならば、地理的に

は「アフリカの玄関口」に位置すること、歴史的には

イスラーム世界にありながら、ヨーロッパとも関係が

深く、西洋社会との「架け橋的存在」になり得るから

である。

 同時多発テロやイラク戦争、また石油価格高騰やド

バイショックなど、わが国においても新聞やテレビで

イスラーム世界が話題に上がる機会が増え、また経済

的な面でアフリカに対する評価が高まりつつある今、

北アフリカの地誌について学ぶことは大変有意義であ

ると考える。

 この単元では、まず、北アフリカ地域に今もなお絶

大な影響力を持つイスラームと人々の生活の関わりを

学習する。次に、ヨーロッパの周辺地域として経済発

展を続けるマグレブ諸国の現状を述べる。「伝統的な地

1.はじめに 域性」と「現代の経済発展」という過去と現在の両面

を取り上げることで、北アフリカ地域の現状をより立

体的に理解できるのではないかと考える。

 なお、国連の定義では、北アフリカの範囲を東はエ

ジプト・スーダンから、西はモロッコ・西サハラにま

たがる地域としている。

2.イスラームと生活の関わり   イスラームが北アフリカ全域に伝わったのは8世紀

の頃である。教典であるコーラン(クルアーン)がア

ラビア語で書かれていたことから、同時にアラビア語

もこの地域に広く普及した。アラブ人とはアラビア語

を母語とし、イスラームを信仰する民族の総称であり、

この地域の人口の大部分を占めている(図1)。また、

マグレブ諸国には、独自の言語系統をもつベルベル人

(アマジグ人)も約1500万人居住し、イスラームを信

仰し農牧業を営んでいる。

 イスラームの信仰の基礎となっているのは「六信五

行」である。六信とはムスリム(イスラム教徒)が信

じるべき六つの対象のことであり、五行とはムスリム

として日々の生活で実践しなければならない五つの行

動のことである(表1)。断食(サウム)が行われるラ

マダーン月にアラブ諸国を訪れると、ムスリムでない

限り断食する必要はないが、レストランや商店の営業

図1 『高等学校 新地理A 初訂版』p.105

モロッコモロッコ

赤数字赤数字

チュニジアチュニジア

アルジェリアアルジェリアリビアリビア

エジプトエジプト

イスラエルイスラエル

トルコトルコシリアシリア

イラクイラク

アゼルバイジャンアゼルバイジャン

サウジアラビアサウジアラビア

トルクメニスタントルクメニスタンカザフスタンカザフスタン

タジキスタンタジキスタン

キルギスキルギス

アラブ首長国連邦アラブ首長国連邦

イランイラン

オマーンオマーン

レバノンレバノン9898

989830173017

32913291548548

10031003

72077207

350350

693693

71907190

23122312

27962796 68476847

404404

839839

18141814

47447415151515

514514

685685

251251

9494

5757

1414

8484

8686

9999 9292

9292

9797

9595

9494

8484

9090

8787

8585

7575

4747

13 14

時間が短縮されたり、催し物の内容が変更されたりと、

何かと不都合が生じる。この他にも、イスラームには

さまざまな禁忌(タブー)が存在する。食事を例にとっ

てみると、排泄物に触れることの多い左手を使うこと

や、不浄とされる豚肉を食べることが禁止されている。

その他にも、アルコールは飲まない、女性は黒地のベー

ルやチャドルで顔や体を覆い肌を見せない、賭け事は

禁止、などのタブーがある(図2)。

 ムスリムの信仰のよりどころとなっているのが、 

モスクである。モスクとはそもそも「ひざまずいて礼

拝する」という意味をもち、転じてイスラーム寺院を

さす名詞となった。外観としては、ドーム(たまね

ぎ)型の屋根とミナレット(尖塔)が特徴である(図

3)。また、偶像崇拝の禁止を徹底していることから、

内部の壁面に人物などが描かれることはなく、アラベ

スクと呼ばれる幾何学模様が描かれている(写真1)。

ムスリムは金曜日になるとモスクに集まり、聖地メッ

カに向かって、唯一神アッラーへの祈りを捧げる。

 イスラームは厳しい乾燥気候の下で生まれ広まった

教えである。だからこそ、神への奉仕を重んじ、信徒

同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特

色があり、その精神文化は、現代でも脈々と受け継が

れているということを理解させたい。

3.豊かな原油・天然ガス資源 北アフリカは、原油・天然ガス資源に恵まれた地域

である。原油については、エジプト、リビア、アルジェ

リア、チュニジアで生産があるが、とくに、リビアと

アルジェリアの産出量が多く、その世界に占める産出

量の割合は、リビア2.4%、アルジェリア1.9%となっ

ている。主要な油田としては、リビアのゼルテン油田、

サリール油田、アルジェリアのハシメサウド油田、エ

ジェレ油田があげられ、欧米資本によって開発された。

両国で産する石油は低硫黄であり、また、欧州への近

接性を生かして、そのほとんどがイタリア・ドイツ・

フランスに輸出されている。天然ガスについては、ア

ルジェリアの生産量が多く、イタリアやフランス・ス

ペインへ、パイプラインやLNG船を利用して輸出さ

れている(図4)。

表1 エルサレムで誕生した三宗教   『新詳 資料地理の研究』p.243

図3『世界の諸地域NOW 2010』p.83

写真1 『世界の諸地域NOW 2010』p.83 図4 『新詳 資料地理の研究』p.249

ユダヤ教 キリスト教 イスラーム成 立 紀元前6世紀 1世紀 7世紀創設者 イエス ムハンマド

神の名 唯一神 ヤハウェ唯一神(父なる神・子なるイエス・聖霊→三位一体)

唯一神 アッラー

聖 典 旧約聖書 旧約聖書、新約聖書 クルアーン(コーラン)

教義の特徴

厳格な律法主義(モーセの十戒)選民思想,偶像否定,救世主(メシア)思想

“イエスは救世主である”使徒ペテロ・パウロらの伝道

神への絶対服従,六信五行を守る,偶像崇拝の禁止

ゼルテンゼルテンエジェレエジェレ

図2 『高等学校 新地理A 初訂版』p.105

15

2010.2~4

16

■授業で使える最新情報

地理インフォメーション このようにヨーロッパのエネルギー供給基地として

の地位が高まる一方で、石油・天然ガスによる外貨獲

得に依存したモノカルチャー経済から脱却できない現

状もあることを理解させたい(表2)。

4.チュニジアの経済発展と課題 チュニジアは温暖な気候に恵まれ、古くから農業の

盛んな国である。国土に占める耕地率は30%を超え、

小麦、大麦、柑橘類、オリーブ、なつめやしなどを産

する。また、鉱産資源としては燐鉱石のほか、少量な

がら石油、天然ガスも産出する。このような背景に

より、かつては輸出品の大部分が一次産品であった。

しかし、脆弱なモノカルチャー経済から脱却すべく、

1970年代初めに計画経済から市場経済に改めて、積極

的に外資を導入したことにより工業化が進み、現在で

は、繊維・機械・皮革・化学肥料・加工食品などの輸

出品が上位を占めるようになった(表2)。

 1995年には、地中海諸国で初めてEUとの間に自由

貿易協定を締結し、それを受けて、2008年、工業製品

に関する関税撤廃が導入された。また地中海に面する

アラブ諸国との間でも協定を締結するなど、さらなる

経済の自由化を推進している。

 チュニジアは観光資源にも恵まれている。チュニス

旧市街、カルタゴ遺跡など計八つの世界遺産や、地中

海沿岸のリゾート地などには、ヨーロッパ人を中心に

多くの観光客が訪れ、観光収入が外貨獲得の柱の一つ

となっている。

 このように、政情が安定していること、ヨーロッパ

から近く人件費や物価が安いことを受けて安定した成

長を続けるチュニジアは、1人あたりGNIが2970ドル

(2006年)であり、アフリカにおいては、産油国を除けば、

アフリカの中でも上位に位置する。

 しかし、貿易の8割をヨーロッパに依存しているた

めに、経済状況がヨーロッパの景気の動向に大きく左

右されてしまうことや、経済成長に伴う人件費上昇に

伴い東欧諸国との競合が高まること、若年層を中心と

した高い失業率(約14%、2007年)など、多くの課題

を抱えていることにも言及したい。

5.ヨーロッパへの移民、出稼ぎ労働者 マグレブ3国はかつてフランスの植民地であり、現

在でも仏語が広く使われている。1950年代、本国フラ

ンスでは労働者不足が深刻であったため、マグレブか

ら多くの移民を受け入れた。しかし、石油危機以降は

一転して、「移民流入の抑制」と「移民のフランス社

会への同化」を柱とした政策をとった。2004年、フラ

ンスの公立学校でムスリムの女子生徒のスカーフ着用

を禁じた新法が施行され、ムスリムの強い抗議運動が

起きた。また、2005年、アフリカ系移民の少年2人が、

警察の追跡から逃げる途中に感電死するという事件が

パリ郊外で起こった。この事件をきっかけに、移民の

若者による暴動が一気に拡大し、非常事態宣言が出さ

れるほど、フランスは一時混乱に陥った。

 現在、フランスには推定600万人のムスリムが暮ら

している。これは実に全人口の10%を占める。今後も

イスラーム世界からの外国人労働者の数が増えること

を考えると、さらなる民族間の対立の激化が予想され

ることにもふれておきたい(表3)。

6.おわりに 北アフリカは、文化の壁はありながらも、ヨーロッ

パとの密接な関係を保ちながら発展を続けてきた。

 かつて、日本企業が豊富な資源、安価な労働力を求

めてアジアへと進出し、現在では市場として成長した

のと同じように、北アフリカも変化していくのであろ

う。経済のグローバル化は、民族の違いをものともせ

ず進展していくのである。そのことについても生徒に

発展的に学習させたい。

表2 北アフリカ各国の状況 『新詳高等地図 初訂版』p.133~136

表3 フランスへの外国人流入人口

〈参考文献・資料〉・『世界国勢図会 2009/2010 世界がわかるデータブック』矢野恒太記念会 ・JICA'S World(2010年3月号)

・国際連合HP http://unic.or.jp/index.php ・NHK高校生講座 地理

国名1995年(人)

2006年(人)

全体に占める割合(2006年)(%)

アルジェリア 8,400 25,400 18.8モロッコ 6,600 19,200 14.2トルコ 3,600 8,300 6.1チュニジア 1,900 8,200 6.1カメルーン 700 4,400 3.3全体 48,800 135,100 100

国名 面積(万Km2)

人口(万人)

1人あたりGNI(ドル)

おもな民族(%)

おもな宗教(%)

おもな輸出品

おもな輸出相手国

エジプト 100.2 7201 1350 アラブ人(92)

イスラーム(84)キリスト教(9)

石油製品鉄鋼綿花

インドイタリアスペイン

リビア 176.0 548 7380 アラブ人ベルベル人

イスラーム(92)

原油石油製品有機薬品

イタリアドイツスペイン

チュニジア 16.4 1013 2970 アラブ人(98)

イスラーム(98)

衣類機械類原油

フランスイタリアドイツ

アルジェリア 238.2 3348 3030

アラブ人(80)ベルベル人(19)

イスラーム(99)

原油天然ガスLNG

アメリカ合衆国イタリアスペイン

モロッコ 44.7 3051 1900

アラブ人(65)ベルベル人(35)

イスラーム(98)キリスト教

衣類機械類魚介類

フランススペインイギリス

※アフリカの国のみ

抜粋

ステップアップワークシート②

19 20

気 候 を 極 め る !

地理の授業にあたって

 世界は民族、宗教、生活習慣などが異なる国々から

なっていることを理解することで、他国を尊重し、互

いに共存する道をさぐることができる。「地理」学習

の目的の一つはここにある。筆者の勤務校では、各

教室にテレビが設置され視聴覚教材が手軽に利用でき

る。たとえばこの4月に放映された、「世界の子供が

SOS!THE☆仕事人バンク マチャアキJAPAN」(中学

校)や「世界を変える100人の日本人!」(高校)を録

画し授業の導入に使用した。前者は発展途上国の子ど

ものSOSに応えて日本から仕事人を派遣する番組。あ

るウガンダの村では、子どもたちは1日3回、片道30

分かけてため池の濁り水(飲み水も含む生活用水)を

汲みに行く。学校では、弁当をもたない子も大勢いる。

堺正章が、井戸掘り職人と左官職人を派遣する。上総

掘りは日本古来の井戸掘りの技術で、人力で100mもの

深さを掘ることが可能である。左官職人は、150人の

給食調理が可能なかまどを日干しレンガ、土(粘土)、

枯れ草を利用して製作する。現地の材料を利用し、環

境破壊はせず、技術を伝えることがこの番組の原則で

ある。生徒たちに内容要約と感想を書かせると「自分

たちがいかに恵まれているかわかった」「水や食料は

大切にしないと」「現地の人を助けた技術はすごい」

「自分も役に立ちたい」などの感想が出る。

 後者は、日本の技術や文化、日本人そのものが外国

でいかに高く評価されているかを紹介する。たとえば、

スペインのある地方にJAPON(スペイン語の発音で

はハポン)姓が800人もいる。彼らはローマ使節支倉

常長の一行の末裔だが、それに誇りをもっている。ま

た、スペインで国家的遺産のパイプオルガンを14年も

通って修復して勲章を授与された日本人もいる。トル

コでは、好きな国調査で日本はダントツの1位で、日

本製品は人気があり、日本語熱も高い。昔、和歌山沖

で難破したトルコ使節団を援助したことに感謝し、イ

ラン・イラク戦争では日本人用救援機を派遣してくれ

た。さらに大地震後、消防署を再建をした日本の援助

を忘れず、現在も消防署にトルコ国旗と並べて日の丸

が飾られていることも明らかにされる。生徒は、「日

本や日本人がこんなに好かれたり、感謝されていると

昭和学院中・高等学校 西岡陽子

教科書:平成22年度『世界を学ぶ高校生の地理A 最新版』地図帳:平成22年度『新詳高等地図 初訂版』

付録の解説

は思わなかった」「日本人であることに誇りをもった」

「昔の日本人の功績が大きいので自分たちもがんばり

たい」などという感想をもった。自国を知ることも国

際理解の重要な一歩である。

●ケッペンの気候区分とは?

 この気候区分は、月別の気温と降水量のデータさえ

あれば、気候区が特定できることが、大きな特色であ

る。その論理性ゆえに、社会科に興味がうすく理数系

が好きな生徒も関心をもてる単元でもある。

●ケッペンの気候区分の名称について

 ケッペンの気候区分は、大文字のA~Eで5大区分

をした後に、各気候区を小区分してゆくが、その際、

小文字を利用する場合と、大文字を利用する場合があ

る。いずれにせよドイツ語の由来である。

 小文字の場合は、ワークシートで述べたように、f・

ウォーミングアップ!

w・sは「乾季がいつあるか」を示しており、f:乾

季がない(ドイツ語の~を欠くfehlen、から名づけら

れたという説と湿気feuchtからという説がある)、つ

まり年中降水あり。w:乾季が冬(ドイツ語で冬は

Winter)、つまり夏に降水がある。s:乾季が夏(ド

イツ語で夏はSommer)、つまり冬に降水がある。こ

こで「降水」と「降雨」を混同しないように(降水と

は雨だけでなく雪なども含まれる)。Afは、熱帯で年

中雨なので「熱帯雨林気候」である。密林が茂ってお

り(60mの高さにも達するものもある)、「ジャングル」

という呼び名はおなじみだが、これは、東南アジアな

どの呼び名で、アマゾン地域では、スペイン語、ポル

トガル語で大密林を意味する「セルバ」が使われる。

Awは、冬に乾季のある気候だが、アフリカ、スーダ

ン地方で疎林と草原からなる「サバナ」に典型的に見

られることからきた呼称である。

 Csは温暖夏季少雨気候ともいうべきだが、地中海

沿岸で典型的なため、「地中海性気候」という。ここで

は夏の乾燥が著しく、樹木は耐乾性のコルクがしやオ

リーブなどに限られる。オリーブ畑の地面は土がむき

出しで草さえ生育できない。ギリシャの青い空、紺碧

の海と白壁の家々の写真から感じられるように、夏は

ステップアップワークシート②

19 20

ジャンプアップ!

本当に暑く、昼の砂浜ではパラソルなしではいられな

い。熱波による死者も毎年のように報じられている。

小麦などの作物は冬の雨を利用して栽培されている。

アフリカ北岸のモロッコを夏に訪れたとき(ここも地

中海性気候)、帽子だけでは暑いだろうと日傘を日本

から持参したが、地面からの反射熱が強くまったく役

に立たなかった。直射日光が強く肌を露出していられ

ず、ムスリムの人々の長袖長い裾の衣服が理解できた。

なお、厚い土壁で外気を遮断したモスクの中はひんや

りとしており、1日5回もの祈りの時間は理にかなっ

ているのでは、と感じた。

 「a」と「b」はワークシートに書いたように、「夏ら

しい夏がある」気候と、「ない」気候(夏の気温のち

がい)ということになる。Cfaは温帯で年中雨なので、

「温暖湿潤気候」と呼ぶ。日本は、北海道と高山地域

以外は、この気候区に属する。Cfbは、夏が涼しく快

適な気候でイギリス、ドイツなど大陸の西岸に典型的

に見られるので「西岸海洋性気候」という。とくにロ

ンドンは、最暖月7月の平均気温は17.1℃にすぎず、東

京の10月の平均気温より低い。夏、熱帯夜の続く、蒸し

暑い東京から訪れるとなんと快適なことか。初めて7

月にロンドンを訪れたとき、夏物しか持参せず、寒さの

あまり店に飛び込んだのだが、日本なら真冬にしか着

ない厚地のコートやスカートが売られており驚いた。

海辺に行くバスツアーで毛皮の老婦人の姿を見てさら

にびっくり、海辺も寒く、水も冷たく、服を着たまま汐

風にあたるのがイギリス人の楽しみ方だと理解した次

第である。夏もしとしと雨が降り続くことは珍しくな

く、「ウェールズに1週間キャンピングカーで出かけ

たけど、毎日雨降りだったわ」という会話も珍しくな

い。涼しさと適度な雨が牧草地を育てることがわかる。

 Dwは、文字通り「亜寒帯冬季少雨気候」、Dfは「亜

寒帯湿潤気候」となる。なお、2地域を比べると、冬

乾燥する(晴天が多いと放射冷却が大きいためか)

Dw気候のほうが低温になるのは放射冷却が大きいか

らであろう。

 大文字で示される小区分は、それぞれの単語の頭文

字を示す。つまり、BWのWはドイツ語のWüste砂漠から、

BSのSはドイツ語の乾燥地の疎林・草原を表すSteppe

からきている(小文字のw・sと混同しないように)。

砂漠気候の日較差の大きさに言及する必要がある。砂

の比熱の小ささから、1日の気温の最高と最低の差が

大きい。砂漠では砂嵐も頻繁で、居住環境が過酷なこ

とはいうまでもない。米軍はイラク駐留時、極小砂粒

によるハイテク機器のトラブルに悩まされたようだ。

 ETのTは、夏短期間のみ氷が溶けコケや小低木が育

つ地域ツンドラThundraからきている。EFのFは凍

るfrierenからきているのだろうか。EFには、人間が常

住している地域はなく、昭和基地のような施設のみ該

当する。

ステップアップ!

 ここでは自分が住む地域の気候と比べることで、各

気候区を理解する助けとしたい。住む地域の年平均気

温、最暖月平均気温、最寒月平均気温、年降水量を覚

えておくと、外国の気温と降水量の数値を見たときに、

それがどの程度のものか類推可能である。日本がケッ

ペンの気候区分のどの気候区に属するかも確認する。

 南半球の生活を想像するには発想の転換が必要であ

る。夏は11、12、1月にあるし、赤道は北の方向にあ

る。北が暑く南が寒いのだ。生徒にとって簡単ではな

い。グラフの都市は、地図帳p.109~110のケッペン気

候区図からとったが、この機会に、都市名を少しずつ

覚えさせたい。

応用問題を解いてみよう

 最後に応用(?)問題をひとつ。「オーストラリア

では、サンタクロースがサーフィンでくる写真が見ら

れます。クリスマスは夏暑いときにあるからです。で

は、オーストラリアのクリスマスは何月でしょうか?」

12月に決まっているが、何人かひっかかるかなと試験

で出題したところ、あまりに多くの生徒が誤答し焦っ

たことがある。ちなみに、オーストラリアでもホワ

イトクリスマスにあこがれ、クリスマスを7月に移そ

うという意見も出たことがあったが、北半球の人々と

カードやプレゼントの交換をする場合のことを考え、

立ち消えになったそうだ。

 気候区の学習では、自然条件が重要な意味をもつ農

業をはじめとし、地域の人々の自然環境や生活も概観

できるため、地理学習の導入として最適である。ぜひ、

写真や映像を多用して、人々の生活実態に迫ってほし

い。そして、世界の人々の多様性に気づかせてほしい。

NHK学校放送を録画した各気候区10分のシリーズも

のはたいへん便利な教材である。

21

モロッコとマグレブの食文化筑波大学北アフリカ研究センター講師 森尾貴広

食 文化にみる世界̶モロッコの食卓から̶

 今回は、2009年11月に日本にいらしたハディ

ジャさんに、故郷モロッコの料理を披露してい

ただきました。お友だちも集まり、朝早くから

準備を手伝ってくださいました。

料理紹介笊クスクス:肉や魚介類・野菜(ズッキーニ・にんじんなど)、豆(ヒヨコ豆など)を煮てサフランなどで味付けし、蒸したクスクスにかける。笆タジーン:牛肉・玉ねぎを蒸し煮にし、スパイスで味付ける。戻して砂糖・シナモンバターと炒めたプルーン、白ごまを添える。笳ハリーラ:ヒヨコ豆・レンズ豆・玉ねぎ・トマト・セロリ・牛肉・細いパスタ・コリアンダー・イタリアンパセリ・トマトペースト・なつめやしを煮込む。笘バスティーア:鶏肉・卵・玉ねぎ・アーモンドパウダー・砂糖でつくった具を小麦粉と水でできた皮(ワルカ)で包み、オーブンで焼く。笙魚のバスティーア:いか・鮭・春雨・ズッキーニ・キャベツ入り。ハリッサ(唐辛子)でチュニジア風に。笞タックトゥーカ:赤と緑のピーマンは炙り、皮をむいて切り、トマトソース・にんにく・クミンと和える。

 マグレブ地域はアラブ・イスラーム文化を基本に、ヨー

ロッパ、ベルベル(アマジグ)、アフリカの文化が交錯す

る「文明の交差点」であり、食文化においてもそれぞれの

文化の影響を受けた独特なものが見られる。

 マグレブ地域はローマ帝国以来の小麦の生産が盛んなこ

ともあり、パン、パスタ類が主食である。近年いわゆる「フ

ランスパン」であるバゲットに主役の座を明け渡しつつあ

るが、アラブ特有のもっちりとした円形パンのホブスやク

レープのような薄い生地のバガリィルが食卓に並ぶ。

 この地域のパスタといえばクスクスがもっとも代表的で

ある。ベルベルの食文化を起源とする細粒状のパスタで、

蒸したものに肉や野菜が入ったスープをかけて食べる。伝

統的には上下2段からなるクスクス鍋を用い、下段に入れ

た具を加熱しながらその蒸気で上段のクスクスを蒸す。具

の中身と味付けは国や地域によって様々で、モロッコでは

サフラン、ターメリック、クミンなどで味付けした黄色の

スープが基本であり、レーズンやなつめやしを入れて甘く

することもある。イスラームの安息日である金曜日の昼食

に食べるほか、結婚式などで賓客をもてなす際に供される。

 モロッコの街中や街道沿いの屋台の店先では、厚手の陶

製の器にとんがり帽子状のふたをかぶせた独特の形の鍋が

並んでいる光景がよく見られる。これはタジーンという料

理であり、クスクスと並んで典型的なモロッコ料理として

知られている。肉や野菜をサフラン、クミン、パプリカ、

シナモンなどのスパイスで味付けし、鍋で蒸し煮したもの

であり、昼、夕食の一品もののおかずとして食べられる。

写真のタジーンではプルーンを添えており、甘さと塩辛さ

の絶妙なハーモニーが楽しめる。モロッコではサフランに

よる味付けが多く、対岸のスペイン料理とのつながりを感

じさせる。実際、スペインのバレンシア地方の郷土料理で

あり、日本でもおなじみのパエリアは9世紀以降にイベリ

ア半島に進出したムスリムの間でつくられたものが起源で

あるともいわれている。

 バスティーア(日本ではパスティラと紹介されることが

多い)と呼ばれるミートパイの一種も典型的なモロッコ料

理であり、クスクス同様賓客に振る舞われる。雛鳩の肉、

玉ねぎ、卵、アーモンドパウダーを包み込んだパイが本来

のものであるが、雛鳩の代わりに鶏肉を入れたものや、魚

介類や春雨を詰め込んだものもある。いずれもモロッコ料

理特有の甘さと辛さが調和した味である。

 ラマダーンの月は日中の飲食を断ち日没を待って食事を

摂るが、このとき最初に口にするのがハリーラと呼ばれる

スープである。ハリーラはトマトをベースに肉、野菜、豆

類、ハーブ、パスタを煮込んだもので、粥のように日中の

絶食後の胃を癒す役割を果たす。スープの後は豪華な食事

が夜通し続き、断食の苦しみを忘れさせてくれる。

 食事のしめくくりは、中国産の緑茶にミントの葉を入れ

て煮出し、たっぷりの砂糖を入れたミントティーが定番で

ある。

 クスクスやタジーンはかつての宗主国フランスでも日

本におけるカレーライスのごとく手軽な国民食として浸透

している。また、日本でもクスクスを出すレストランやタ

ジーン鍋を用いた調理法の紹介記事を多く見かけるように

なった。食文化における「日出ずる国」と「日の没すると

ころ」の距離も急速に縮まっている感がある。

左からベナン出身のファドヌボさん、

ハディジャさん、山浦さん

笵ザイールック:ゆでて柔らかくしたなすをつぶし、ニンニク・クミン・ピーマンと和える。笨パエリア:モロッコでは米もよく食す。玉ねぎ・トマト・鶏肉・オリーブオイル・魚介類・赤や緑のピーマンなどを米といっしょに炊く。笶ブリワット:鶏肉・玉ねぎ・コリアンダー・シナモン・ローズウォーターを煮てワルカで包み、バターを塗りオーブンで焼くか揚げる。蜂蜜をかけて食べる。筐ホブス:モロッコのパン。全粒粉の小麦粉(強力粉)でつくる。筺ズィトゥン(オリーブの塩漬け):塩・クエン酸・オリーブ・レモン(コリアンダー・パセリ入りもある)を漬け込む。通常、水と塩で1か月ほど漬ける。

笳 笘

筐筺

[右写真解説]

世界 の 気 候

樹林の ない気候

樹林の ある気候

乾燥が理由で 樹林なし B気候

(乾燥限界*7未満の降水)

低温が理由で 樹林なし E気候

(最暖月平均気温10℃未満)

最寒月平均気温18℃以上

最寒月平均気温 18℃未満 -3℃以上

最寒月平均気温-3℃未満 最暖月平均気温10℃以上

A 気 候

C 気 候

D 気 候

乾燥限界の1/2未満の降水

乾燥限界の1/2以上の降水

最暖月平均気温0℃以上

最暖月平均気温0℃未満

乾季なし

乾季あり

夏季乾燥*2

冬季乾燥*3

年中湿潤

年中湿潤

冬季乾燥*3

(①    )気候

サバナ気候

地中海性気候

(②      )気候

西岸海洋性気候

温暖湿潤気候

亜寒帯冬季少雨気候

亜寒帯湿潤気候

Af Am

Aw

Cs

Cw

Cfb Cfc

Cfa

Dw

Df

*6

*4*1

*5

*1

*2

最少月降水量が 60mm以上 夏の最少月降水 量が冬の最多月 降水量の1/3未満

*3

*4

冬の最少月降水量が夏の 最多月降水量の1/10未満 Am は Af と Aw の中間型で 弱い乾季を持つ熱帯雨林気 候

*5

*6

月平均気温10℃以上の月 が4か月未満 通常,最暖月平均気温が 22℃以上をCfa 22℃未満をCfb とする。

*7 年平均気温をt〔℃〕として 夏季乾燥型では 20t 年中湿潤型では 20(t + 7 ) 冬季乾燥型では 20(t +14) で求められる降水量の値

標高が高いため 気温が低い地域 は高山気候と区 分される場合も ある。

(③    )気候

ステップ気候

(④    )気候

氷雪気候

BW

BS

ET

EF

気 候 を 極 め る !ステップアップワークシート② 年    組    番      氏名

●ケッペンの気候区分とは?1.まず、教科書のp.58の最初の部分を読んで、(  )にあてはまる語句を書いてみよう。 ドイツ人の地理学者ケッペンは、世界各地を旅行して、各地域の気候がさまざまに異なり、さらに植生が気候の違いを反映していることに着目した。ケッペンの気候区分の特色は、区分の指標として樹林の(    )や(    )に注目したことにある。そして植物の生育に影響を与える(    )と(    )にもとづいて、世界をまず赤道に近い方から「(    )帯」「(    )帯」「(    )帯」「(    )帯」「(    )帯」の五つの気候帯に分け、次に熱帯から寒帯のそれぞれについて、(    )が多い時期などによっていくつかの気候区に細分化した。2.さらに、下のケッペン気候区分図を参考に、細分化について、(  )にあてはまる小文字を書いてみよう。答えはa、b、f、s、wから選ぼう。 降水の状況で、乾季がないものを小文字の(  )、乾季が冬にあるものを小文字の(  )、乾季が夏にあるものを小文字の(  )に3分する。さらに、夏の気温により、最暖月平均気温が22℃以上である小文字の(  )と、最暖月平均気温が22℃未満の小文字(  )に分けられる。

●下記の図は、ケッペンの気候区の分けかたを示している。教科書p.58の表を参考に、(  )にあてはまる気候区の名称を書いてみよう。

ウォーミングアップ!●日本の気候をケッペンの気候区分にあてはめると? 地図帳p.132の「日本のおもな都市の月平均気温・月降水量」(出典:理科年表平成21年)の表で、下記の地域の気候を調べてみよう。1.自分の住所に最も近い都市を選んで都市名を[  ]に記入し、その都市のデータにマーカーで印をつけ、(  )にあてはまる数字や語句を書いてみよう。都市名[         ]年平均気温(    )℃  降水量(全年)(    )mm最暖月平均気温は(  )月の(   )℃  最寒月平均気温は(  )月の(   )℃・ケッペンの気候区にあてはめると、 最寒月平均気温が「(   )℃〜(   )℃」にあてはまる

→ケッペンの気候区分のアルファベット(  )の(   )帯2.[那覇]に関するデータで、(  )にあてはまる数字や語句を書いてみよう。 最寒月平均気温が(  )月の(   )℃で、「(   )℃〜(   )℃」にあてはまる

→ケッペンの気候区分のアルファベット(  )の(   )帯3.[稚内]に関するデータで、(  )にあてはまる数字や語句を書いてみよう。 最寒月平均気温が(  )月の(  )℃で、「(   )℃未満」、かつ最暖月平均気温が(  )月の(  )℃で、「(   )℃以上」

→ケッペンの気候区分のアルファベット(  )の(   )帯4.日本の各地域の降雨量の分布は乾季のない気候とみなされ、小文字の(f)がつく。 さらに、最暖月平均気温をチェックすると、北海道以外は、すべて22℃以上となっているので、北海道以外の地域は、すべて「Cfa」となる。22℃以上というと、たとえば東京では6月半ばから9月半ば、暑い盛りを含む季節である。一方「b」はこの期間がない、ということは、「暑い夏がない気候」ということができる。

●教科書の雨温図を見て気候区を特定しよう。また、(  )にあてはまる語句を書いてみよう。1.リオブランコ(p.60) 気温の18℃のところに線をひくと、年中18℃以上なのでAの(   )帯。さらに、降水の状況は、乾季と雨季がはっきりしている。� →Aw(      )気候6月に最低気温が現れるのは、ここが(   )半球にあることを示す。2.サカーカ(p.62) 降水量が極端に少ない(目安は年降水量が250mm以下)。� →BW(      )気候

3.マラガ(p.64) 年降水量は多く、気温18℃と−3℃に線をひくと、最寒月平均気温が「(   )℃〜(   )�℃」となるので、Cの(   )帯。さらに、夏に降水量が少ないので� →Cs(      )気候4.オイミャコン(p.66) 気温10℃と−3℃に線をひくと、最寒月−3℃未満、かつ最暖月10℃以上で、Dの(      )帯。かつ降水量は冬に少ない。� →Dw(         )気候

ステップアップ!

教科書:平成22年度『世界を学ぶ高校生の地理A 最新版』 地図帳:平成22年度『新詳高等地図 初訂版』

ジャンプアップ!

●下の①〜⑪はある都市の雨温図である。ケッペンの気候区のうちどれにあたるか、気候区の記号と名前を書き入れよう。さらに、①〜⑪の都市名を、それぞれ下の都市名から選んで書き入れよう。気候区( Af  Aw  BW  BS  Cs  Cfa  Cfb  Df  Dw  ET  EF )都市名  シンガポール  コルカタ  ラホール  カイロ  ローマ  ブエノスアイレス      ロンドン    モスクワ  チタ    バロー  昭和基地

1.平均気温の形を見る。山型なら6、7、8月に夏があるので北半球である。反対に谷型なら11、12、 1月に夏があるので南半球である。

→ グラフ(  )とグラフ(  )は南半球であり、ブエノスアイレスか昭和基地となる。2.各雨温図に、18℃、10℃、−3℃、0℃の4本の線をひき、気候帯を特定する。・気温は高いが、降水量が少ないグラフ⑤とグラフ⑪� → Bの(   )帯・18℃より気温のグラフが上にあるグラフ(  )とグラフ(  )� → Aの(   )帯・最寒月平均温度が−3℃と18℃の間にあるグラフ(  )とグラフ(  )とグラフ(  )

→ Cの(   )帯・最寒月平均気温は−3℃未満、かつ最暖月平均気温が10℃以上のグラフ(  )とグラフ(  )

→ Dの(   )帯・最暖月平均気温が10℃未満のグラフ(  )とグラフ(  )� → Eの(   )帯

3.各雨温図の降水の分布状況を見て各気候区を特定する。A熱帯気候のグラフのうち、年中降雨のグラフ(  )� →(   )の(        気候)

               乾季があるグラフ(  )� →(   )の(        気候)B乾燥帯気候のうち、降雨が極端に少ないグラフ(  )� →(   )の(        気候)

          ある程度の降雨量があるグラフ(  )� →(   )の(        気候)C温帯気候のうち、夏に降水量が少ないグラフ(  )� →(   )の(        気候)

           年中降雨があり、最暖月平均気温が22℃をこえるグラフ(  )→(   )の(        気候)

           年中降雨があり、最暖月平均気温が22℃をこえないグラフ(  )→(   )の(        気候)

D亜寒帯気候のうち、冬に降水量が少ないグラフ(  )� →(   )の(        気候)          年中平均して降水のあるグラフ(  )� →(   )の(        気候)4.E寒帯気候のうち、最暖月平均気温が10℃未満だが、0℃以上のグラフ(  )�

→(   )の(        気候)       最暖月平均気温が0℃未満のグラフ(  )� →(   )の(        気候)5.各グラフの都市名を答えなさい。①(        )  ②(        )  ③(        )  ④(        )⑤(        )  ⑥(        )  ⑦(        )  ⑧(        )⑨(        )  ⑩(        )  ⑪(        )

( )

解  答

●ケッペンの気候区分とは?1.樹林の(有無)や(種類)に注目。(気温)や(降水量)にもとづいて区分「(熱)帯」「(乾燥)帯」「(温)帯」「(亜寒または冷)帯」「(寒)帯」(降水)が多い時期などによって細分。2.乾季がない(f)、乾季が冬(w)、乾季が夏(s)に3分する。22℃以上である(a)と22℃未満の(b)に分けられる。●①熱帯雨林  ②温暖冬季少雨  ③砂漠  ④ツンドラ

ウォーミングアップ!

地理・地図資料 2010年度1学期特別号 付録

●日本の気候をケッペンの気候区分にあてはめると?1.たとえば[東京]の場合、年平均気温(15.9)℃  降水量(全年)(1466.7)mm 最暖月平均気温は、(8)月の(27.1)℃  最寒月平均気温は、(1)月の(5.8)℃・北海道以外は、最寒月平均気温が「(−3)℃〜(18)℃」→(C)の(温)帯2.最寒月平均気温が(1、2)月の(16.6)℃で、「(−3)℃〜(18)℃」→(C)の(温)帯3.最寒月平均気温が(2)月(−5.1)℃で、「(−3)℃未満」、かつ最暖月平均気温が(8)月の�(19.5)℃で、「(10)℃以上」 → (D)の(亜寒または冷)帯

●教科書の雨温図を見て気候区を特定しよう。また、(  )にあてはまる語句を書いてみよう。1.(熱)帯、Aw(サバナ)気候、(南)半球     2.BW(砂漠)気候3.「(−3)℃〜(18)℃」でCの(温)帯、Cs(地中海性)気候4.D(亜寒または冷)帯、Dw(亜寒帯冬季少雨)気候

ステップアップ! (理科年表平成21年より。『新詳高等地図�初訂版』p.132)

1.グラフ(②)と(⑥)は南半球 [1、2数字は順不同]

2.グラフ⑤と⑪はB(乾燥)帯� グラフ(③)と(⑦)はA(熱)帯  グラフ(①)(②)(⑧)はC(温)帯� グラフ(④)と(⑩)はD(亜寒)帯  グラフ(⑥)と(⑨)はE(寒)帯3.Aの年中降雨(③)は(Af)(熱帯雨林気候)、乾季あり(⑦)は(Aw)(サバナ気候) Bの雨極少(⑤)は(BW)(砂漠気候)、雨少量あり(⑪)は(BS)(ステップ気候) Cの夏乾燥(①)は(Cs)(地中海性気候)    年中降雨、夏22℃以上は(②)(Cfa)(温暖湿潤気候)         夏22℃未満は(⑧)(Cfb)(西岸海洋性気候) Dの冬乾燥(④)は(Dw)(亜寒帯冬季少雨気候)    年中降水(⑩)は(Df)(亜寒帯湿潤気候)4.Eの最暖月平均気温が10℃未満、0℃以上は(⑨)(ET)(ツンドラ気候)            0℃未満は(⑥)(EF)(氷雪気候)5.①(ローマ)   ②(ブエノスアイレス)   ③(シンガポール)   ④(チタ)

⑤(カイロ)   ⑥(昭和基地)       ⑦(コルカタ)     ⑧(ロンドン)⑨(バロー)   ⑩(モスクワ)       ⑪(ラホール)

ジャンプアップ! (『新詳高等地図 初訂版』p.109〜110)

40°

20°

世界の気温と風2地理パーフェクト白地図作業

○参考資料を見ながら、やってみよう。

Ⅰ 世界の気温 次の図は世界における気温(全年・1月・7月)の等温線図である。各々に0℃(青)・10℃(緑)・20℃(赤)の等温線を書き入れてみよう。

年    組    番    氏名

Ⅱ 世界の風

①恒常風 右の図は赤道の上空から見た地球の模式図である。外側に対流圏の断面を示している。貿易風(北東貿易風・南東貿易風)、偏西風

(北半球と南半球の2か所)、極偏東風(北半球と南半球の2か所)の風向きを矢印で入れよう。

②季節風(モンスーン) 東南アジアと南アジアの季節風を地図(1月・7月)に風向きを矢印で入れよう。

参考資料:『新詳地理B 初訂版』p.37-39、『新詳高等地図 初訂版』p.111、131-132     『新詳 資料地理の研究』p.18-19

③局地風(地方風) 地中海周辺と北アフリカの局地風の風向きを凡例にしたがい分類して矢印で入れよう。

世界の気温と風 解説・解答2地理パーフェクト白地図作業

『新詳地理B 初訂版』p.37-39、『新詳高等地図 初訂版』p.111、131-132『新詳 資料地理の研究』p.18-19

Ⅰ 世界の気温

 等温線は緯度にほぼ平行して分布している。等温線の屈曲は水陸分布に影響され大陸性気候ほど年較差(最暖月と最寒月の気温差)が大である(長野市の8月平均気温が24.9℃、1月平均気温が−0.7℃であるから、年較差25.6℃、東京は8月の平均気温が27.1℃、1月が5.8℃で年較差は21.3℃になる。内陸部のモスクワは7月の平均気温が18.4℃、1月の平均気温が−7.5℃で年較差25.9℃になる)。また海岸部では海洋の影響を受けて寒暖の差は少ない(ホンコンは7月平均気温が28.3℃・2月平均気温が16.2℃で年較差12.1℃になる)。 気温は海流の影響を受けやすい。南アメリカの南西部は寒流のペルー(フンボルト)海流が流れて低温になる。アフリカ南西部でも寒流のベンゲラ海流が流れているので低温になる。 気温は標高が上がるにつれて低温になる。これは空気が薄いため太陽からの熱を吸収しにくいためである。気温の逓減率とは、高度100mにつき0.65℃低下することをいう。 一年間の中で平均気温の最も高い月と最も低い月の気温差を年較差、一日のうちで最高気温と最低気温の気温差を非周期的日較差という。人間が居住可能な地域(エクメーネ)で、最も高い気温を記録したところを熱極といいイラクのバスラで1921年に58.5℃、最も寒い

記録を寒極といいロシアのシベリアにあるオイミャコンで1933年に−71.2℃を記録した。ただし、人間が居住できない地域(アネクメーネ)では南極のボストーク基地で1983年7月21日に−89.2℃を記録している。日本の熱極としては2007年8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9℃を記録した。これはフェーン現象に加え、内陸地域であるために高温になったためである。また、寒極は1902

(明治35)年の旭川で−41.0℃であった。さらに大陸の東岸と西岸とでは年較差に違いがあり、北緯51度のロンドンは偏西風と北大西洋海流で7月17.1℃、1、2月4.4℃で年較差は12.7℃となる。東岸では北緯45度にある中国のハルピンは季節風の影響で、8月22.8℃、1月−18.6℃でそのため年較差は41.4℃にもなった。

Ⅱ 世界の風

 太陽の日射に暖められてできた高気圧から低温の低気圧に吹く風の中で、大気循環にともなう風を分類すると以下のようになる。①恒常風 恒常風には貿易風・偏西風・極偏東風がある。貿易風とは亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯)から赤道低圧帯に向かって吹く風(北緯・南緯0-10度付近)で北半球では北東風、南半球では南東風となり天気は安定している。これは地球上で最も太陽の熱をうける赤道付近

で常に雲がかかり、中緯度付近から赤道に向かって偏東風が吹くのである。偏西風は亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯)から亜寒帯低圧帯に向かって吹く風(北緯・南緯23-30度付近)で、地球の自転により西から東に向かって吹く西風となり、低気圧が発生しやすく雨が多い。また大陸の西岸にある西ヨーロッパやアメリカ合衆国のカリフォルニア州などは、東岸に比べて温和な気候になる。偏西風の上部

(上空5-15km)に吹くのがジェット・ストリームである。ジェット機も燃料を節約するのにこの風を利用しているためその名がついた。②季節風(モンスーン) 季節により大陸と海洋の比熱の差により吹く風で、夏季は大陸が暖まりやすく低圧帯が発生するため海洋から大陸へ、冬季は逆になり大陸から海洋に風が移動する。季節風は大陸の東岸に卓越し、その地帯では気温の年較差が大きくなる。東アジアでは夏季は南東季節風、冬季は北西季節風となり、東南アジア・南アジアでは夏季は南西季節風、冬季は北東季節風となる。③局地風(地方風) 局地風の特色は赤道付近から吹くと熱風・温風、高緯度から低緯度に吹くと寒風・冷風となる。フェーン(独Föhn、英foehn)はアルプス南部にあるイタリアからアルプスを越えて、スイス側に吹き高温で乾燥した風になる。そのため火災の原因にもなる。日本でも国内の内陸盆地で高温になるのは、フェーン現象の場合が多い(1933年7月25日、山形市で40.8℃)。ボラ(Bora)は冬季にアドリア海北部からアドリア海を越えて、ボスニアへルツェゴビナに吹き降ろす乾燥した寒風である。またシロッコは春、サハラ砂漠から地中

海を低気圧が抜けて南ヨーロッパに吹く熱風。ミストラルはフランスのローヌ河谷から地中海に向かって吹く寒風。スホベイは夏季、カラクム運河からウクライナ地方に吹く熱風。ブリザードは冬季、北アメリカに見られる雪をともなう暴風雨。 日本で顕著なのは、おろし(颪)という冬季に山地から吹き降ろす、乾燥した寒風である(群馬県の赤城おろし、兵庫県における六甲おろし)。ヤマセ(山背)は夏季、東北地方の三陸海岸に吹く冷風で、冷害(とくに稲の不作)の原因にもなる。

参考 風を伴う熱帯低気圧 熱帯では気温が高くなり上昇気流が発生しやすい。これが渦になり、強い風が中心に向かって吹く。大雨が伴うこともあり、時には災害をもたらす。 タイフーン(台風)は北西太平洋上から東アジア(日本・朝鮮半島・中国ほか)に進む。サイクロンはアラビア海・ベンガル湾で発生し南アジアを襲う。ハリケーンはカリブ海で発生し、カリブ海の島々やアメリカ合衆国、メキシコなどを襲う。ウィリーウィリーは南半球で発生し、オーストラリア北部を襲う。

■ 解 答 ■

〈省略〉Ⅰ 世界の気温

 『新詳高等地図 初訂版』p.111を参照。

Ⅱ 世界の風

 『新詳 資料地理の研究』p.18〜19を参照。

地理・地図資料 2010年度1学期特別号 付録