マテリアルズ・インフォマティクスの現状と展望 outlook and...

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マテリアルズ・インフォマティクスの現状と展望 Outlook and current status of materials informatics 武市憲典 (株)豊田中央研究所 マテリアルズインフォマティクス研究領域 機械学習を用いたデータ駆動型の材料開発、すなわちマテリアルズインフォ マティクス(MI)が一つの学際領域を創り出し近年目覚ましい発展を遂げてい るが、一方で、これを用いて開発された材料が世の中を席巻しているかといえ ば、そのような例は未だないに等しい。果たして MI は真に役立つ技術なの か?MI 研究はどこまで進んでいて、また、そのボトルネックは何か?技術的、 戦略的な側面から分析する。 別の視点では、アメリカでの創成/発展を遂げてきた MI はいま、アジア、特に 中国の参戦によってその地勢図が大きく変化しようとしている。AI を取り巻く思 想的背景の違いなどを考察しながら、それぞれの強みと戦略を考察する。そ して日本における MI 研究開発の状況と展望について概観する。 最後に、MI は材料開発の構造を一変させるポテンシャルを秘めているが、 その意義は産業界において特に大きい。単なる工期短縮やコストダウンに留 まらず、循環型社会の実現に向けて産業界が果たすべき役割と、そのために 必要な MI の位置づけについての期待と責務について議論する。

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  • マテリアルズ・インフォマティクスの現状と展望 Outlook and current status of materials informatics

    武市憲典

    (株)豊田中央研究所 マテリアルズインフォマティクス研究領域

    機械学習を用いたデータ駆動型の材料開発、すなわちマテリアルズインフォ

    マティクス(MI)が一つの学際領域を創り出し近年目覚ましい発展を遂げてい

    るが、一方で、これを用いて開発された材料が世の中を席巻しているかといえ

    ば、そのような例は未だないに等しい。果たして MI は真に役立つ技術なの

    か?MI 研究はどこまで進んでいて、また、そのボトルネックは何か?技術的、

    戦略的な側面から分析する。

    別の視点では、アメリカでの創成/発展を遂げてきたMIはいま、アジア、特に

    中国の参戦によってその地勢図が大きく変化しようとしている。AI を取り巻く思

    想的背景の違いなどを考察しながら、それぞれの強みと戦略を考察する。そ

    して日本における MI 研究開発の状況と展望について概観する。

    最後に、MI は材料開発の構造を一変させるポテンシャルを秘めているが、

    その意義は産業界において特に大きい。単なる工期短縮やコストダウンに留

    まらず、循環型社会の実現に向けて産業界が果たすべき役割と、そのために

    必要な MI の位置づけについての期待と責務について議論する。

  • クライオ電子顕微鏡は 2 Åに達するのになぜ 30 年もかかっ

    たか? Why did cryo-electron microscopy take 30 years to

    reach 2 Å resolution?

    吉川雅英 東京大学・大学院・医学系研究科・生体構造学分野

    生体分子や、細胞の構造は、生命科学の理解に取って最も基本的な情報の

    一つです。生体分子の構造は、そこに結合する薬の作動原理にもつながり、

    新たな創薬にも書くことの出来ない情報になりつつあります。1990 年台に生体

    分子の X 線結晶解析が進歩したことで、「構造生物学」という分野が生まれ、

    シンクロトロンで発生される強力な X 線が大きな役割を担ってきました。しかし、

    X 線結晶解析の為には、生体分子の結晶化が不可欠でした。しかし、近年、

    結晶化を必要としないクライオ電子顕微鏡によって、原子分解能(2-3 Å)や、

    近原子分解能(3-4 Å)が達成されるようになってきました。

    しかし、電子顕微鏡は物性物理の分野では、30 年も前に 2 Å の解像度を達

    成していました。生体分子の構造解析で 2 Å を切る解像度が達成されるまで

    には 2018 年まで待つ必要があったのです。それでは、なぜ、生体分子の構造

    解析はそれ程難しかったのでしょうか? この問いに対する答えを理解すると、

    クライオ電子顕微鏡法の開発に大きく貢献した三氏に対し、2017 年にノーベ

    ル化学賞が授与された理由が理解できます。

    生体分子の構造解析が、主に金属など重い原子を対象とする物性物理と大

    きく異なるのは、「水」の存在でした。本講演では、この「水」の問題を解決して

    きた技術、特に、凍結技術、クライオステージ、電子線直接検知型カメラ、高

    度な画像解析などを解説し、今後のクライオ電子顕微鏡法の発展の可能性と、

    解決すべき問題についてお話します。

  • 巨大生体分子複合体に対するクライオ電顕

    フィッティング計算の高速化 Acceleration of cryo-EM flexible fitting

    for large biomolecular systems

    森貴治

    理研・杉田理論分子科学研究室 近年、クライオ電顕を用いた単粒子解析によるタンパク質の立体構造解析

    が大きな注目を集めている。電子顕微鏡を用いて溶液中でのタンパク質粒子

    の2次元像を撮影し、得られた2次元像を分類、重ね合わせをすることにより、

    近原子解像度の3次元密度マップを得ることができる。対象とする系がタンパ

    ク質複合体の場合、3次元マップから原子構造をモデリングするためには、複

    合体を形成する個々のタンパク質の X 線結晶構造や NMR 構造を密度マップ

    に合理的にフィッティングさせる必要がある。このとき、フレキシブル・フィッティ

    ング法がよく用いられ、電顕マップにタンパク質の構造がフィットするように原

    子にバイアスを加えながら分子動力学(MD)計算を行う。

    リボソームのような巨大生体分子複合体に対してフレキシブル・フィッティン

    グを行おうとすると、MD 計算部分だけでなく、バイアスの計算にも膨大な計算

    時間が必要になる。このような問題を解決することを目的として、我々はフレ

    キシブル・フィッティング法の高速な並列計算法を開発した。本手法は kd-treeアルゴリズムなどの幾何学計算に基づき、MD 計算中の空間と電顕マップを効

    率良く分割することで、CPU 間でのロードバランスを一定に保つように並列計

    算を実行する。開発した手法を分子動力学計算プログラム GENESIS [1] に導

    入し、バイアスの計算には CPU、MD 計算には GPGPU を用いたハイブリッドな

    手法を用いることで溶媒も含めた全原子モデルでの大規模フィッティング計算

    の高速化を実現した[2]。本発表では、これらを膜タンパク質やリボソームなど

    に応用した結果を紹介する。

    [1] https://www.r-ccs.riken.jp/labs/cbrt/

    [2] T. Mori, M. Kulik, O. Miyashita, J. Jung, F. Tama, and Y. Sugita, Structure, 27, 161-174.e3 (2019).

  • ディープラーニングを用いた

    タンパク質結晶画像の自動判別 Classification of X-ray Protein Crystallization

    Using Deep Learning

    三浦 佑晟1、櫻井 鉄也1、加藤 龍一2、山田 悠介2

    1 筑波大学 人工知能科学センター、2 KEK 物構研 構造生物学研究センター

    近年、ディープラーニングが幅広い分野に対して適用されており、社会に大き

    な影響を及ぼしている。タンパク質の X 線構造解析において、ディープラーニ

    ングの一種である畳み込みニューラルネットワークを用いた画像認識手法が

    システムの高度化に貢献するようになった。一方で、高性能なディープラーニ

    ングには学習コストや計算コストが大きくなる傾向を持つ。タンパク質結晶画

    像に対する認識では、性能を出すために数十万もの画像を用意するなどとい

    った負担が大きいなどの課題を残していた。本手法では、ディープラーニング

    がもたらす性能の向上だけでなく、ディープラーニングを導入する上で必要な

    コストの軽減にも取り組んだ。タンパク質結晶画像に対して、少ない学習デー

    タ数でも高精度な認識を行うモデルを提案し、その性能について示す。本発表

    では、KEK との共同研究について触れながら、今後の量子ビームとディープラ

    ーニングの関わりについても論じる。

  • AI(深層強化学習)を用いた X 線結晶構造解析の可能性 Potential of structure determination on X-ray

    crystallography using AI(DQN)

    篠田 晃 1

    1 KEK-物質構造科学研究所

    X 線結晶構造解析の分野では結晶化したタンパク質サンプル測定の自動化と

    ハイスループット化が世界的に進められており PF、PF-AR でも昨年からユー

    ザーへの全自動測定ビームタイムの提供を開始し、数分から数十分に一つの

    タンパク質結晶サンプルの測定を行っている。測定したデータセットは解析を

    行いタンパク質の立体情報を得るが一日に 1 つのビームラインだけで百を超

    えるデータセットの収集が可能であるため構造解析の効率化が望まれる。

    X 線結晶構造解析の位相決定には分子置換法と実験的位相決定法である短

    波長異常散乱法(SAD法)が頻繁に利用されている。その中でも手作業による

    試行錯誤を多く要する S-SAD 法に対して深層強化学習を用いた自動的な構

    造解析の可能性について考察する。S-SAD 法はタンパク質中に存在する硫

    黄原子の異常散乱シグナルを用いて位相決定を行う手法であり、解析ソフト

    ウェアの 1 つに SHELX C/D/E1 がある。特に SHELX D を用いて解析する最に

    硫黄原子の数と分解能のパラメータを試行錯誤する必要であり、この過程を

    深層強化学習で効率的に行えるかを検証した。

    強化学習は試行錯誤を行いながら学習する機械学習の一種であり上記のよ

    うな試行錯誤と相性が良く、深層学習のニューラルネットワークと組み合わせ

    た深層強化学習は近年注目されている。深層強化学習ではAlphaGoによる囲

    碁の対局が広く知られており、また最近ではリアルタイムストラテジーゲーム

    StarCraft II でプロゲーマーに勝利した AlphaStar2 が話題となっており研究が

    盛んである。複雑な状況の中から適切な次の一手の判断を学習により獲得す

    る深層強化学習の手法を X 線結晶構造解析にも用いる事ができるか試みた。

    謝辞:解析環境を提供して頂いた KEK-SBRC の山田様と解析用データを提供

    して頂いた KEK-SBRC の原田様に感謝します。

    1 Sheldrick, G.M. (2010). Acta Cryst. D66, 479-485. 2

    https://deepmind.com/blog/alphastar-mastering-real-time-strategy-game-s

    tarcraft-ii/

  • 放射光を用いた社会インフラ構造材料の

    劣質化起点の観察 Finding trigger sites of degradation in structural materials

    for infrastructures using synchrotron radiation

    木村正雄1,2 1KEK-物質構造科学研究所-放射光、2 総研大-高エネ加速器科学研究科

    社会インフラを支える構造材料の代表が鉄鋼材料であり、建築,プラント,道路,橋梁

    をはじめ車,電車等の輸送機器に至るまで広く利用されている。その特性(強度,靱性,

    耐食性等)が加工熱プロセスや僅かな元素添加により大きく制御できるのが鉄鋼材

    料の大きな特徴である。そのメカニズムについては、長年の経験や研究の蓄積で理

    解が進んでいる。しかし 更なる特性の高度化や、原材料の劣質化に対応するため

    に、その基礎メカニズムの解明が必要なプロセスや反応も多く、放射光や中性子を

    用いた研究も盛んに行われている 1。

    そのひとつとして、原料の鉄鋼石から銑鉄を製造する製銑プロセスの基礎現象解

    明に放射光観察を活用した例をとりあげ、(a)高温(>1200℃)での酸化物の液相焼結

    反応のその場観察2、(b)焼結鉱(Fe-Ca-O 系の複合酸化物)の還元プロセスの X 線

    顕微鏡によりマルチスケール計測と顕微データの応用数学解析3、等を紹介する。

    社会インフラを支える構造材料の中で比較的歴史の浅い新材料の例として、航空

    機用構造材料がある。航空機の燃費向上のために、機体材料の軽量化やエンジン

    の燃焼温度向上のための耐熱化に対応した構造材料が強く求められている。これら

    利用経験による蓄積が少ない材料の信頼性向上のためには基礎科学的な裏付け

    が重要となり、放射光を用いたマルチスケールでの in situ 観察が注目されている。

    その取り組み例として、軽量構造材料である繊維強化複合材料(CFRP)、高耐熱

    性の耐環境性セラミックスコーティング(EBC)、について、SIP 国プロ4での研究例を

    紹介する。CFRP のき裂発生と進展5、EBC の劣化起点6、について X 線顕微鏡や高

    温 in situ 観察7等による基本現象の解明を行い、マクロ特性を劣化させる起点

    (trigger sites)を解明する挑戦を進めている。

    昔から現在に至るまで広く使われている様々な社会インフラ構造材料の研究課題

    は、工業的に重要であるだけでなく、基礎科学の多くの共通問題を含むものが多く、

    更に安全・信頼性という社会的意義も大きい。そうした課題の解決に放射光を始め

    とした量子ビームの貢献を今後も期待したい。

    本研究の放射光実験の一部は、PF-PAC の承認(課題番号 2014G707, 2015S2-002, 2016S2-001)のもとで

    実施された。本研究の一部は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログ

    ラム(SIP)「革新的構造材料」(ユニット D66)(管理法人:JST)の支援により実施した。

    [1] M. Kimura, Synch. Rad. News 30, 23(2017), [2] M. Kimura and R. Murao, ISIJ Int., 53, 2047 (2013), [3] M. Kimura et al, Sci. Rep. 8, 3553 (2018), [4] http://www.jst.go.jp/sip/k03/sm4i/index.html, http://sip-sm4i.kek.jp/, [5] T. Watanabe et al., Microsc. Microanal. 24, 432 (2018), [6] Y. Takeichi et al., Microsc. Microanal. 24, 484 (2018), [7] K. Kimijima et al., Radiat. Phys. Chem. (2019) (submitted).

  • 中性子を利用した車載用リチウムイオン電池の非破壊解析

    Non-destructive analysis of automotive lithium ion batteries using neutrons

    玉井 敦 1、佐藤 健児 1、中尾 和人 1 1 株式会社 本田技術研究所

    概要

    車載用電池の劣化セルにおける反応の不均一性を解析するため、電池の側

    面を横に 4 等分、縦に 3 等分し 12 個の区画において中性子回折を利用した

    充電状態(以下 SOC)のマッピング測定を行った。測定は完全放電状態と満充

    電状態において行った。図 1.に完全放電状態における正極の SOC 分布をグ

    レースケールのマップとして示す。新品セルの SOC 分布はほぼ均一なのに対

    して、劣化セルではセル中央部の SOC が高い傾向が見られた。

    図2.に満充電状態における負極のSOC分布を示す。こちらも新品セルの分布

    がほぼ均一なのに対して、劣化セルではセル中央部の SOC が低い傾向が得

    られた。以上の結果は劣化セルの中央部の電極が Li 欠乏状態にあることを

    示唆する。(正極の放電反応、負極の充電反応はともに Li 挿入反応である)

    図1. 完全放電状態における正極の SOC マップ a.新品セル、b.劣化セル

    (図中の数値は SOC の値(%)を示す)

    図2. 満充電状態における負極のSOCマップ a.新品セル、b.劣化セル

  • インフォマティクス的 磁気構造解析法 A new mathematical approach to finding global solutions of

    the magnetic structure determination problem

    富安 啓輔・(株)⽇産アーク

    磁気構造は、結晶構造と並ぶ最重要基本情報であり、磁性材料の磁気特性のみならず、磁気を媒介した熱・圧⼒・電磁場・光・化学環境等に対する応答など、材料・物質の様々な機能に直結している。

    磁気構造は、中性⼦回折データを測定し、そのデータに最も合致する候補として得られる(磁気構造解析)。しかしながら、最⼩⼆乗法をはじめとする従来の解析⽅法では、与えた候補のうちどれがより良いかの相対的な評価はできるものの、⼤域解(真に実験データと最も合致する磁気構造)であるという保証が出来なかった。そのため、これまで産業・応⽤上のターゲットとなるより複雑でパラメター数の多い材料について磁気構造を解くことは、局所解問題に阻まれ、極めて困難であった。

    そこで、研究チームはこの局所解問題の数理科学的解決に取り組んだ [1]。その結果、⾮線形最適化分野で発展してきた「半正定値計画緩和法」を適⽤するという⼿法を着想した。図に概要を⽰す。さらに、本⼿法を、酸化物磁性材料に関する実測の粉末中性⼦回折データに適⽤し、⼤域解であることが数学的に証明された磁気構造を実験的に決定するという初の事例を得た。本⼿法の収束がかなり⾼速であることも付記する。

    図:磁気構造の決定の流れ。(a) 実験データの例。(b)(c) 実験データ解析(最適化問題)の概念図。解析結果が狭い変数領域における最適解にすぎないかもしれないという局所解問題が、今回の⽅法で解決されることを表す。(d) 得られた磁気構造の例。Q.E.D.は数理科学において証明終了を表す記号である。

    [1] K. Tomiyasu, R. Oishi-Tomiyasu, M. Matsuda, and K. Matsuhira: Sci. Rep. 8, 16228 (2018) [東北⼤・⼭形⼤よりプレスリリース]. 本成果は、JST さきがけ、科研費基盤(B, S, C)、ISSP と⽶国 DOE の⽇⽶協⼒事業「中性⼦散乱」の⽀援を受けた。

  • Anatase TiO2 (001)表面の2次元電子状態制御 Control of two-dimensional electronic states at

    anatase TiO2 (001) surface

    湯川龍 1、 簔原誠人 1、 志賀大亮 1,2、 北村未歩 1、 三橋太一 1,2、

    小林正起 1、 堀場弘司 1、 組頭広志 1,2

    1 KEK-PF、 2 東北大院理

    酸化物半導体表面に形成される2次元電子状態(2DES)においては、ドー

    プ量に依存しないサブバンド構造の形成[1]や巨大スピン分裂[2]などの特異

    な電子状態を示すことが報告され、新たな量子物性探索の場として注目が集

    まっている。近年、アナターゼ型酸化チタン(a-TiO2)の(001)表面において、光

    照射による金属状態の形成が角度分解光電子分光(ARPES)法を用いた研究

    で報告された[3]。しかしながら、この光照射による a-TiO2 表面の金属状態に

    おいては、実験によって次元性の異なる振る舞いが報告されている[3,4]。

    a-TiO2 表面に形成される 2DES の本質を明らかにするためは、よく定義さ

    れた量子化状態の形成が必要不可欠である。そこで我々は、表面にのみ電

    子ドープ可能な K 吸着法に注目して、KEK-PF BL-2A MUSASHI ビームライン

    に設置した「in situ 角度分解光電子分光—レーザーMBE 複合装置」を用いて K吸着に伴う a-TiO2 表面の電子状態の変化を調べた。得られた K 吸着前後の

    a-TiO2 表面の ARPES 結果を図1(a)に示す。K 吸着により金属状態の Fermi

    波数が増大することから、K 吸着により a-TiO2 表面へ電子がドープされること

    が確認された。また、この金属状態では明確な量子化準位が見て取れる。こ

    れらのことから、K 吸着により2次元的な金属状態が形成され、その2次元状

    態密度(n2D)を制御可能であることが分かった[図1(b)]。さらに、詳細なスペクトル解析の結果、この 2DES は電子ドープによりポーラン状態から Fermi 液体状

    態へと転移することが明らかになった[5]。

    [1] A. F. Santander-Syro et al., Nature 469, 189 (2011). [2] A. F. Santander-Syro et al., Nat. Mater. 13, 1085 (2014). [3] S. Moser et al., Phys. Rev. Lett. 110, 196403 (2013). [4] T. C. Rödel et al., Phys. Rev. B 92, 41106 (2015). [5] R. Yukawa et al., Phys. Rev. B 97, 165428 (2018).

    図1 (a) K吸着における a-TiO2 (001)表面のARPESイメージと(b)2次元状態密度の変化。

  • カムチャツカ半島産低次元磁性体における量子状態Quantum states in low-dimensional quantum magnets

    found in Kamchatka 藤原理賀1,満田節生1,杉本貴則1,森田 克洋1,遠山貴巳1,稲垣祐次2, 河江達也2,R. Mole3,矢野真一郎4,富安啓輔5,佐賀山基6,幸田章宏6,

    岡部博孝6,羽合孝文6,井深壮史6,横尾哲也6,伊藤晋一6 1東理大理,2九大院工,3ANSTO,4NSRRC,5東北大理,6KEK物構研

    低次元磁性体では,量子多体効果に起因する新奇スピン状態の観測が期待できる.その中でも,絶対零度においてもスピンが秩序化しない「量子スピン液体状態」,近年盛んに研究されている「トポロジカル秩序状態」は,理論・実験の両面から盛んに研究されている.これらの状態が持つ量子力学的性質は,量子ビットやスピントロニクスへの応用が可能であり,実用化に向けての研究も開始されつつあるが,モデル物質が存在しない場合も多々ある.  本発表では,カムチャツカ半島産鉱物であり,一次元量子磁性体のアルモクライシェブスク鉱 [1] とフェドトフ鉱 [2] を中心に,それらの磁性を紹介する.これらの鉱物では,極低温においても磁気秩序が形成されないため,理想的な低次元量子磁性体であるといえる.中性子散乱実験の結果を中心に,ミュオンスピン回転/緩和(μSR)法を駆使したスピンダイナミクスの観測,そして理論計算の結果にも触れる予定である.

    [1] M. Fujihala et al., Scientific reports 7, 16785 (2017). [2] M. Fujihala et al., PRL 120, 077201 (2018).

    Cu

    S O

    (左)不等辺ダイアモンド型量子スピン鎖物質 アルモクライシェブスク鉱 . (右)辺共有四面体量子スピンクラスタ鎖物質 フェドトフ鉱 の結晶構造.

    Cu

    SO4

  • 遍歴電子描像から見た鉄系超伝導体 Ba1-xKxFe2As2 の

    高エネルギースピン揺らぎ

    Itinerant Approach to High-Energy Spin-Fluctuations in Ba1-xKxFe2As2

    村井直樹 日本原子力研究開発機構 J-PARC センター

    鉄系超伝導体の発見以来、フェルミ面のネスティングに基づく遍歴電子描像により、その

    スピン揺らぎや超伝導発現機構を理解する立場が最も一般的である[1]。それとは対照的に、

    非弾性中性子散乱から決定された鉄系超伝導体のスピン揺らぎの全体構造はむしろ、実空間

    の反強磁性相互作用に基づく局在描像で議論されることが多い[2]。そのため、鉄系超伝導体

    のスピン揺らぎの構造を、遍歴電子描像の範疇でどのように理解するのかという問題は非常

    に興味深い。

    我々はホールドープ型鉄系超伝導 Ba0.75K0.25Fe2As2 に対する非弾性中性子散乱実験を行い、

    遍歴電子描像に基づいた磁気励起構造の理解を目指した。観測された磁気励起の主な特徴と

    して、エネルギー遷移に伴い、

    (1): (1,0)→(0,0)方向(H方向)には明確な分散構

    造が現れない。

    (2):(1,0)→(1,1)方向(K方向)にはバンド幅200

    meVのスピン波的分散構造が現れる。

    というH-K 方向間の異方的振る舞いが観測される(図1)。観測された磁気励起の構造は、同一試料

    のARPES測定から決定されたバンド繰り込み因子を

    考慮する事で、5 軌道模型に対する乱雑位相近似

    (RPA)により再現される[3]。講演では、鉄系超伝導

    体のバンド構造や電子相関効果といった電子構造

    情報がどのように磁気励起スペクトルに反映され

    るのかについて議論する。

    [参考文献]

    [1] K. Kuroki et al., Phys. Rev. Lett. 101, 087004 (2008). [2] L. W. Harriger et al., Phys. Rev. B 84, 054544 (2011). [3] N. Murai et al., Phys. Rev. B 97, 241112(R) (2018).

    [謝辞]

    本研究は、梶本亮一(原子力機構)、鈴木雄大、池田浩章(立命館大学)、中島正道(大阪大学)、

    出田真一郎、田中清尚(分子科学研究所)の各氏(敬略称)との共同研究に基づくものである。

    図 1) (a):低エネルギー領域でのスピン揺らぎ

    構造の模式図。矢印はエネルギー分散(b),(c)

    を得るためのカット方向。(b):(1,0)→(0,0)方

    向の分散。(c):(1,0)→(1,1)方向の分散

  • コヒーレント軟 X 線回折による磁気イメージングと スパース位相回復法

    Coherent Soft X-ray Diffraction Magnetic Imaging and Sparse Phase Retrieval Algorithm

    山崎裕一 (物質・材料研究機構 統合型材料開発・情報基盤部門) 可干渉なコヒーレント X 線を用いた X 線回折は、集光レンズを用いずに実空間イ

    メージングが可能となる手法である。軟 X 線領域おいては磁性材料に多く使われる3d 電子遷移金属の L 吸収端があり磁気モーメントの情報が検出可能なため、コヒーレント共鳴軟 X 線回折を用いるとナノメトリック領域の磁気イメージングを行うことも可能となる。回折像は実空間における磁気モーメントの空間分布像をフーリエ変

    換した絶対値として観測されるため、実空間像に戻すためには位相情報を回復する必

    要がある。位相情報を得る方法を大別すると参照波を回折像と干渉させるホログラフ

    ィー計測と、オーバーサンプリング条件を満たす試料を用いて反復フーリエ変換によ

    って求める位相回復アルゴリズム法が知られている。 本研究では、ナノメトリックな磁気構造体である磁気スキルミオンに着目し、コヒ

    ーレント軟 X 線回折による磁気イメージングを行ってきた。PF BL-16A の共鳴軟 X線小角散乱装置を用いて、磁気スキルミオンが発現するカイラル磁性体 FeGe の磁気構造をホログライフィ法と位相回復法のそれぞれの手法により、実空間観測すること

    に成功している[1]。しかし、高精度な実空間像を再構成するためには、統計精度の良い回折図形を観測する必要があり、必然的に計測時間が長時間となってしまい、ダイ

    ナミクス測定などへの適用は難しい。また、本計測手法ではダイレクトビームキャッ

    チャなどによる情報欠損が避けられないため、不完全な回折図形から実空間像を再構

    成しなければならない。 そのような問題を解決するため、磁気スキルミオンにおける磁気モーメント分布の

    スパース性に着目し、スパースモデリングに基づく位相回復法(スパース位相回復法)

    を適用し、精度の良くない計測データからの磁気スキルミオンの可視化を試みた。モ

    デル画像を用いたシミュレーションでは、従来法と比較しても高精度に磁気スキルミ

    オンの可視化ができる結果が得られることを確認している[2]。講演では、コヒーレント共鳴軟 X 線回折による磁気イメージング実験の現状と、スパース位相回復法による磁気スキルミオン可視化の詳細について紹介する。

    [1] Victor Ukleev, Yuichi Yamasaki, et al., QuBS 2, 3 (2018) [2] Y. Yokoyama, T. Arime, M. Okada, and Y. Yamasaki, JPSJ 88, 024009 (2019)

  • 量子ビーム実験・構造モデリング・トポロジカル解析の

    協奏による非晶質材料の構造物性研究 Structure of Non-Crystalline Materials Revealed by a Complementary Use of Quantum Beam Experiment,

    Modelling, and Topological Data Analysis

    小野寺 陽平 1,2、小原 真司 2,3,4、正井 博和 5、平岡 裕章 1, 2、大林 一平 6、

    平田 秋彦 7、西山 宣正 8、Philip S. Salmon9、Anita Zeidler9、増野 敦信 10,2、

    井上 博之 11、田原周太 12,2、Henry E. Fischer13、尾原 幸治 4

    1 京大、2 NIMS、3 JST さきがけ、4 JASRI、5 AIST、6 RIKEN、7 早稲田大、

    8 東工大、9 Univ. Bath、10 弘前大、11 東大、12 琉球大、13 ILL

    ガラス・液体・アモルファスといった非晶質材料は、結晶のような長周期的な

    構造秩序を持たず、回折パターンから原子の位置を一意的に決定することが

    できない。そのため、非晶質の構造解析には古くから規格化された回折パタ

    ーンのフーリエ変換によって得られる二体分布関数が用いられ、原子間距離

    や配位数といった平均化された短距離の構造情報の抽出や、密度が近い結

    晶構造を見立てた中距離秩序の推測がこれまでは行われてきた。しかし近年、

    J-PARC や SPring-8 といった大型量子ビーム実験施設の登場により非晶質の実験データが高いスループットで精度良く得られるようになり、また、シミュレ

    ーション技術の発達により実験データを再現する非晶質の 3 次元構造モデルが構築できるようになった。加えて、3 次元構造中のトポロジーを解析するための様々な解析ツールの登場により、これまでは非晶質の平均化された二体

    相関に潜んで抽出できなかった構造秩序が解析可能になりつつある。 我々は、中性子および放射光 X 線といった量子ビームを中心とした実験デ

    ータと逆モンテカルロ法 1)・分子動力学計算による構造モデリングを組み合わ

    せることで実験データを忠実に再現する非晶質材料の 3 次元構造モデルを構築し、トポロジカル解析を通してその構造と物性の相関を明らかにする研究に

    取り組んでいる。講演では、実用材料の母体ガラスである 2 元系の亜鉛リン酸塩ガラスが示す異常な熱膨張係数の構造的起源を見出した研究成果 2)につ

    いて報告する。さらに、もっとも典型的な非晶質材料であるシリカ(SiO2)ガラスの構造に対して先端数学理論を導入したパーシステントホモロジー法 3,4)を適

    用し、非晶質構造に潜んだホモロジーを抽出し、ガラスの高密度化のメカニズ

    ムについて解析した結果を紹介する。 【参考文献】 1) R. L. McGreevy and L. Pusztai, Mol. Simul., 1 (1988) 359. 2) Y. Onodera et al., Nat. Commun., 8 (2017) 15449. 3) Y. Hiraoka, T. Nakamura et al., Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 133 (2016) 7035. 4) 平岡裕章、西浦廉政、日本物理学会誌 72 (2017) 632.

  • ガウス過程回帰による能動学習 Active Learning by Gaussian Process

    日野英逸・統計数理研究所

    ガウス過程回帰は生成モデルに基づく関数近似手法であり,補間の不確実性

    を定量的に評価することができる.この不確実性を用いることで,現状の関数

    近似において最も補間の確度が低い点を同定し,選択的にサンプリング・計

    測するという方策を実現できる.この選択的なサンプリング・計測点の収集は

    機械学習分野において能動学習と呼ばれ,データの取得コストが高い状況で

    最小限のコストで精度の高い予測器を構築する方法論として盛んに研究され

    ている.

    本発表では,関数近似の問題設定から始めて,標準的な最小二乗法による

    線形モデルの当てはめを拡張する形でガウス過程回帰を導出する.その後,

    能動学習の導入を行い,ガウス過程回帰による能動学習の応用例を紹介す

    る.また,時間が許せばガウス過程回帰とニューラルネットワークの関係にも

    言及する.

  • X線イメージングによる

    リチウムイオン電池反応のオペランド観察 In operando Visualization of Li-ion Battery Reaction

    using Synchrotron X-ray Imaging

    高松大郊、米山明男、浅利裕介、平野辰巳

    (株)日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ

    リチウムイオン二次電池(LIB)の内部では、ナノ~ミリオーダーの空

    間的な階層構造、ミリ秒~年におよぶ時間的な階層構造が存在し、これ

    らの空間的・時間的な階層構造が複雑に関連した反応過程が、電池の耐

    久性・出力特性・安全性などの特性に大きな影響を及ぼす。LIB のさらなる高エネルギー密度化・高出力化・長寿命化のためには、電池内で起こ

    っている反応を十分理解して対策を立てる必要があるが、電池反応の不

    均一性・動的挙動の詳細は未解明なことが多い。 一方、シンクロトロン放射光は、高強度かつ高い透過能、光学系や検

    出器の工夫によるミリ~ナノ程度までの空間分解能、エネルギーが可変

    による多くの解析手法、等の特徴から、密閉された LIB の非破壊その場評価に非常に有効である。我々は、放射光を用いた X 線吸収分光(XAS)、X 線回折(XRD)、X 線イメージングなどの各種手法を、動作中の電池の“その場”“マルチスケール”反応解析に適用することで、①活物質粒子

    レベルでの相変化挙動[1]、②電極/電解液ナノ界面挙動[2]、③合剤電極内での反応不均一性の把握[3][4]、④電解液内でのイオン濃度分布の動的挙動[5]、⑤副次反応に起因する年レベルの劣化挙動[6]、といった空間的・時間的な階層構造における電池反応挙動の理解を進めてきた。

    本発表では、特に X 線イメージングを活用した LIB オペランド計測例として、③X 線吸収イメージング(2D-XAS)による合剤電極内の反応分布挙動と、④X 線位相イメージングによる電解液内のイオン濃度分布の動的挙動の結果を紹介する。 [1] D. Takamatsu et al., Advanced Lithium Batteries for Automobile Applications (ABAA-7) Meeting Abstracts 29 (2014). [2] D. Takamatsu et al., Angew. Chem. Int. Ed., 51, 11597 (2012). [3] 平野辰巳他、サンビーム年報・成果集 part2、vol.3、p39 (2013). [4] 高松大郊他、電気化学会第 81 回大会、3Q17 (2014). [5] D. Takamatsu et al., J. Am. Chem. Soc., 140 (5), 1608 (2018). [6] 高松大郊他、サンビーム年報・成果集 part3、vol.5、p136 (2015).

  • 中性子イメージングによるリチウムイオン電池充電量の

    空間分布測定 State-of-charge distribution of lithium ion battery

    measured by neutron imaging

    甲斐哲也 1、蘇玉華 1、廣井孝介 1、篠原武尚 1、及川健一 1、林田洋寿 2、

    Joseph D. Parker 2、松本吉弘 2、瀬川麻里子 1、中谷健 1、鬼柳善明 3

    1 原子力機構、 2 CROSS、 3 名大 J-PARCのMLFに設置されたエネルギー分析型中性子イメージング装置「螺鈿」において、実用製品を対象とした中性子利用技術開発の一つとして、リチウムイオン2次電池(LIB)を対象とした充電量の空間分布測定を行った結果を報告する。LIB の負極材料のグラファイトの面間距離は、リチウムイオンが層間に入る効果により、電池の充電量の増加に伴って広がることが知られている。LIB の中性子透過率を波長依存で測定した場合、グラファイトの面間距離に応じた波長で急激な透過率の変化(ブラッグエッジ)が観測されることから、ブラッグエッジの波長から充電量を評価することが可能となる[1]。 実験では、市販されている車の LIB を試料とし、透過中性子スペクト

    ルを2次元検出器で測定し、ブラッグエッジの波長の空間分布を求めた。まず、新品の LIB の充放電を行いながら透過中性子を測定し、位置依存性のないことを確認し、ブラッグエッジ波長から LIB の充電量を求めるための検量線を取得した。その後、急速な充放電を繰り返す劣化試験を行った 2 体の LIB を対象に、充放電時の透過中性子スペクトル測定を行った。1体の LIB は、全体を均等に拘束(Type-A)して劣化試験及び中性子測定を行ったが、他方は端部のみを拘束(Type-B)した状態で試験・測定を行った。位置毎の透過中性子スペクトルのブラッグエッジ波長から充電量分布を評価した結果、Type-A では充電分布に顕著な偏りが生じるが、Type-B では均質に充電が進行することが分かった。この結果から、中性子イメージングによる充電量の空間分布測定を通じて、LIB の劣化状態の評価が可能であるとの結論を得た。 本研究の一部は、文部科学省受託研究光量子融合連携研究開発プログラム「実用製品中の熱、構造、磁気、元素の直接観察による革新エネルギー機器の実現」の支援の元で行われた。また、本実験は J-PARC 物質・生命科学実験施設のプロジェクト課題(課題番号: 2015P0701)の下で行われた。 [1] T. Kamiyama, Y. Narita, H. Sato, et al., Physics Procedia 88, p. 27 (2017).

  • リチウムイオン実電池内部の温度・応力のオペランド計測In-Operand Measurement of Temperature and Stress

    Distribution in Lithium-Ion Batteries

    平野辰巳

    京大

    車載用リチウムイオン実電池(LIB)のサイクル時の劣化要因として、高い電流

    レートにおける電池内部の温度上昇、リチウムイオンの正負極間移動にとも

    なう電極の膨張・収縮による応力などが指摘されている。そこで、小型の LIB

    内部における温度・応力分布を同時に評価する手法を検討した。入射スリット

    とスパイラルスリットにより測定ゲージ体積を制限し、高感度な二次元検出器

    により回折 X 線像の一部を撮影し、sin2ψ法により解析した。その結果、18650

    型 LIB を高レートで繰り返し充放電した電池内部の温度は 29℃上昇し、軸方

    向に 67MPa の引張応力、半径方向に 46MPa の圧縮応力が発生した。本結果

    から、小型の LIB 内部における温度・応力を同時に評価するオペランド計測と

    解析が実証できた。 本研究は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構

    (NEDO)の革新型蓄電池実用化促進基盤技術開発(RISING2) 、日本原子力研究開発機構の施設共用制度(2016B-E13、2017A-E11、2017B-E10)の支援により実施した。

  • 中性子小角散乱/中性子準弾性散乱測定を用いた

    高分子主鎖の溶媒依存性らせん反転の原理解明 Elucidation of the Mechanism of the Solvent-

    dependent Helix Inversion of Polymer Backbone through SANS and QENS Experiments

    長田裕也

    京都大学大学院 工学研究科

    近年、新規キラル材料の創出に向けてらせん高分子主鎖の不斉らせん制

    御について精力的に研究が進められている [1]。我々はこれまでに、らせん高分子ポリ(キノキサリン-2,3-ジイル)(以下 PQX と略する)について研究を進め、キラル側鎖を有する PQX が、溶媒の僅かな違いに応じて主鎖の不斉らせん構造が完全に反転するという現象(溶媒依存性らせん反転)を示すことを見

    出した [2]。例えば、側鎖として(R)-2-オクチルオキシメチル基を有する PQXは、テトラヒドロフラン(THF)中で完全な右巻き構造をとるが、1,1,2-トリクロロエタン(1,1,2-TCE)/THF 混合溶媒中では完全な左巻き構造をとる。また、この現象を利用することで、溶媒によって不斉選択性が完全に逆転する高分子不

    斉触媒や [3]、円偏光のキラリティを反転可能なキラリティスイッチング型不斉光学材料の開発に成功した [4]。

    一方で、PQX の溶媒依存性らせん反転のメカニズムについては未だ解明されておらず、その原理解明が強く望まれてきた。本講演では、PQX 希薄溶液に対する小角中性子散乱 (SANS) 測定に加え [5] 、中性子準弾性散乱 (QENS) 測定を活用して、溶媒依存性らせん反転前後での PQX の構造とダイナミクスの違いを明らかにすることで、らせん反転の詳細なメカニズムの解

    明を目指したのでこれを紹介する。

    [1] (a) Yashima, E.; Maeda, K.; Iida, H.; Furusho, Y.; Nagai, K. Chem. Rev. 2009, 109, 6102. (b) Yashima, E.; Ousaka, N.; Taura, D.; Shimomura, K.; Ikai, T.; Maeda, K. Chem. Rev. 2016, 116, 13752.

    [2] Nagata, Y.; Yamada, T.; Adachi, T.; Akai, Y.; Yamamoto, T.; Suginome, M. J. Am. Chem. Soc. 2013, 135, 10104.

    [3] Yamamoto, T.; Yamada, T.; Nagata, Y.; Suginome, M. J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 7899.

    [4] Nagata, Y.; Takagi, K.; Suginome, M. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 9858. [5] Nagata, Y.; Nishikawa, T.; Suginome, M.; Sato, S.; Sugiyama, M.; Porcar, L.;

    Martel, A.; Inoue, R.; Sato, N. J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 2722.

  • 小角中性子散乱を利用したタンパク質/ナノ多孔複合材料

    の評価 Characterization of Protein/Nanoporous Hybrid

    Materials by Utilizing SANS

    山口央・茨城大量子線科学

    【緒言】シリカなど金属酸化物からなるナノ多孔材料は,その微細孔内

    にタンパク質を格納するホストとしての利用が期待されている。ナノ細

    孔内タンパク質の構造安定性や活性がバルク溶液系に比して著しく向上

    すると報告されているが,タンパク質の細孔内吸着,構造と活性の相関

    などの詳細を検証した例は少ない。我々は,細孔構造の均一性に優れた

    メソポーラスシリカを用いて,ナノ細孔内タンパク質の吸着挙動・構造

    におよぼす細孔サイズの影響を様々な測定法で検討している。本講演で

    は,小角中性子散乱(SANS)と示差走査熱量(DSC)測定を利用した検討例について紹介する。 【実験】一連の細孔径(2.3〜7.9 nm)のメソポーラスシリカを合成した。メソポーラスシリカにミオグロビン(球状タンパク質)を吸着させた後,

    その懸濁液(in H2O)の低温 DSC 測定を行い,ミオグロビン吸着による細孔内水の凝固/融解特性変化から細孔内吸着を評価した。SANS 実験では,H2O/D2O 中にメソポーラスシリカ試料を懸濁させ,J-PARC BL15 TAIKAN で測定を行った。 【結果】メソポーラスシリカ細孔内タンパク質について,SANS 測定例は無いため,様々な実験条件を適正化した後,溶媒とシリカのコントラ

    ストマッチング条件(62.1% D2O)で得られた SANS プロファイル解析を行った。DSC 測定から細孔内吸着が確認されたメソポーラスシリカ(細孔径:3.9 nm,4.0 nm,7.0 nm,7.5 nm)について,細孔内ミオグロビンの SANS プロファイル解析を行った。その結果,細孔径が 4.0 nm のメソポーラスシリカ細孔内でのみ,ミオグロビンの球状構造が歪むことが

    分かった。この構造歪みは可視・赤外吸収測定結果とも対応する。さら

    に,DSC 測定から細孔外表面にミオグロビンが優先吸着するメソポーラスシリカの SANS 測定を行った。その結果,SANS 測定からタンパク質の吸着部位(細孔内 or 細孔外)の特定が可能であることも示された。 本研究にご協力いただいたCROSS中性子科学センターの福嶋喜章氏,岩瀬裕希氏,阿久津和宏氏に御礼を申し上げます。

  • 超高エントロピー液体

    アルキル化テトラフェニルポルフィリンの構造とダイナミクス

    Structure and Dynamics of Super-high Entropy Liquid Alkylated Tetraphenylporphirin

    山室修 1、楡井真実 1、水野勇希 1、秋葉宙 1、Avijit Ghosh2、中西尚志 2、

    尾原幸治 3、小原真司 2、古府麻衣子 4、河村聖子 4、Madhusudan Tyagi5

    1 東大物性研、2 NIMS、3 JASRI、4 J-PARC JAEA、5 NIST

    最近、NIMS の中西グループによって、室温で

    液体として存在する巨大分子群が開発された。

    これらは、ポルフィリン、ピレン、フラーレンなど

    のπ電子系コアに長いアルキル鎖が結合した分

    子である。図1に今回取り上げるアルキル化テ

    トラフェニルポルフィリンの分子構造図を示す。

    我々は、アルキル鎖の配向無秩序による大き

    なエントロピーが液体状態を安定化させている

    と考え、これらの物質を超高エントロピー液体

    と呼んでいる。イオン性物質であるにもかかわらず室温で液体として存在する

    イオン液体も、この範疇に含まれる。今回我々は、超高エントロピー液体を熱

    力学、構造、ダイナミクスの観点から調べるため、2,5-C6C10-TPPと3,5-C6C10-

    TPP(分子量 2538)の熱容量、X線回折、中性子準弾性散乱の実験を行った。

    熱容量は研究室既設の断熱型熱量計、X線回折は SPring-8, BL04B2 の高エ

    ネルギーX線回折装置、準弾性散乱は J-PARC, MLF のチョッパー分光器

    AMATERAS と米国 NIST の後方散乱装置 HFBS を用いて測定した。

    熱容量測定からは、ガラス転移を Tg=210K に見出すとともに、室温付近では1000JK-1mol-1 に達する巨大な構造エントロピーをもつことを明らかにした。X

    線回折からは、2体分布関数 G(r)の温度変化(50K〜340K)を解析することにより、冷却に伴ってアルキル鎖の配向が徐々に秩序化してゆく様子が示され

    た。準弾性散乱からは、中間散乱関数 I(Q,t)が広い時間範囲(1ps〜5ns)で得られ、分子の運動が通常の分子全体の回転・並進運動(α緩和)とアルキル鎖

    の緩和運動に分けられること、またアルキル鎖の運動は広い緩和時間分布を

    もつことが分かった。さらに G(r)と I(Q,t)から、アルキル鎖が Tg 以下の温度でも運動を続け秩序化を進めるという、非常に興味深い現象が見出された。今後、

    他の超高エントロピー液体でも同様の測定を行い、これらの液体の一般的な

    描像を確立してゆきたい。

    図 1. 3,5-C6C10-TPP の分子構造