バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. ·...

14
Meiji University Title �:�-�- Author(s) �,Citation �, 67: (67)-(79) URL http://hdl.handle.net/10291/7444 Rights Issue Date 1992-02-28 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Upload: others

Post on 03-Sep-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

Meiji University

 

Titleバイロンの英雄:その誕生と理想追及の失敗-『邪宗徒

』を中心にして-

Author(s) 木村,佳恵

Citation 文芸研究, 67: (67)-(79)

URL http://hdl.handle.net/10291/7444

Rights

Issue Date 1992-02-28

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(67)

バイロンの英雄:その誕生と

理想追求の失敗

一r邪宗徒』を中心にして一

木 村 佳 恵

 バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から

1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental Tales)(1)の

中で,独自の人物像を登場させた。それがパイPソ的英雄(Byronic hero)

である。『邪宗徒』(The Giaour,1813)は,この作品群のうち最初のもの

で,・ミイロソが1809年から2年間,東方を中心にしたグラソドッアーの途

中,ギリシャで実際に目にしたエピソードに基づいている(2)。グラソドツ

アーを現在進行形で題材にした『チャイルド・ハロルドの巡礼』(Childe

Harold’s Pilgrimage)の第1,2巻とは違い,帰国後その経験を昇華させ

た形で書かれたものが東方の物語があるので,そこに現れる人物や背景は詩

人の持っていた願望や理想をより強烈に表現している。

 『邪宗徒』には最初からギリシャの現在の有様を嘆くバイロンの思いが表

され,これに続く英雄の誕生が暗示されている。

  No breath of air to break the wave

That rolls below the Athenian’s grave,

That tomb which, gleaming o’er the cliff,

First greets the homeward-veering skiff

High o’er the land he saved in vain;

When shall such Hero live again ?(s)

                 (11.1-6)

208

Page 3: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(68)

アテネ人の墓の下を渦巻く波を

打ち砕く風のそよぎさえない,

その墓石は絶壁の上で光り

家路に向かう小舟を最初に迎える,

彼が救ったが無駄だった国を見下ろしながら。

このような英雄はいつになったら再び生まれるのか。

海に浮かぶギリシャの島々は,よどんだ空気に囲まれている。そのよどんだ

空気を動かす風はそよとも吹かない。風がないので波も起こらず,ただでさ

え温暖な気候のこの土地は暑さで息がつまりそうである。そしてこの島に船

で向かうと真っ先に目に入るのは,いにしえの英雄テミストクレスの墓であ

る。テミストクレスは紀元前5世紀にペルシャの侵攻からアテネを守った英

雄で,その墓が現在トルコの支配下にあってなすすべをもたないギリシャ全

体を見下ろしている。テミストクレスという英雄がいて活気にあふれていた

時代とは異なり,今のギリシャには新鮮な風を送りこんで,重苦しい空気の

鎖から人々を解放すべき人物がいないのである。奴隷のようになってしまっ

たギリシャの人々や,イスラムにどんどん破壊されていくギリシャの誇るべ

き風土や文化を守るために,現代のテミストクレスの誕生が待たれる。.『邪

宗徒』には,新たな英雄を作り出してやろうというバイロソが抱いていた意

気込みが感じられるのだ。

 r邪宗徒』には3人の主要な人物が登場する。それは,「邪宗徒」(the

Giaour)と呼ばれているキリスト教徒の若者,作品の舞台となっているギ

リシャを支配するイスラム教徒の支配者ハッサン(Hassan),キリスト教徒

の娘でありながらハッサンのハーレムに捕えられているが,そのハッサンを

裏切って「邪宗徒」と共に逃げようとして処刑されるレイラ(Leila)の3

人である。この3人の間の三角関係による悲劇が,r邪宗徒』のテーマとし

て語られているが,レイラに対しての「邪宗徒」とハッサンの執着は強く,

必然的に起こるこの2人の間の憎しみは,互いを破滅に導くのに十分なほど

である。

 この作品の全体は3つの部分に分けられている。最初の部分は,1行目か

ら167行目までで,ギリシャの美しい過去と荒廃してしまった現在の状態が

207

Page 4: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(69)

対比され,さらに現在のギリシャを救う英雄の登場が求められている。2番

目の部分は,168行目から786行目までで,3人の登場人物の様子が描かれて

いる。ここで「邪宗徒」とハッサンの2人の戦いが述べられている。3番目

の部分は,787行目から1,334行目で,2人の戦いから6年後「邪宗徒」が修

道院でレイラの死を悲しみ,その罪の意識から孤独の内に死んでいくまでを

描いている㈲。また,この作品は最初の原稿が出版されてから第7版に至る

までに,407行から1, 334行に大きく拡大された(5)。最初の段階では主に「邪

宗徒」とハッサンとの間の戦いが語られ,それは冒険物語の域を出ていなか

ったが,「邪宗徒」の激しい性質が付け加えられ,うちひしがれた心が強調

され,徐々に「邪宗徒」はロマン派的な宿命を持った人物像に仕立てられて

いったのである。                     ’

 第1の部分では,rチャイルド・ハロルド』の第2巻にあるものと同様の,

ギリシャの現状へのバイロソの不満が繰り返されている。『チャイルド・ハ

ロルド』でもギリシャを墓場とイメージし,過ぎ去った栄光を惜しんではい

る。しかし,エルギン卿によって彫刻が持ち去られたぽかりの神殿を目の当

りにしているため,バイロンが攻撃を向けている対象は,主に,住む場所を

失った神々が去って行き,精神的な拠り所がなくなってしまったギリシャ人

の心の空虚さである。一方, 『邪宗徒』では,現在生きている人間に目が向

けられている。昔,テルモピレーやサラミスの海で実際に戦った勇敢な男た

ちが今は生まれて来ない,ということに対するバイロンの怒りは,ギリシャ

の人々を「奴隷ども,いや,奴隷よりももっといやしい奴らめ」(151行目)

と呼ぶほどの剣幕となって表れている。

 往年のギリシャには,もちろんさわやかな風が吹いていたし,優しく岸を

洗う波が太陽の光りを反射して光っていた。そこに住む人々も愛に満ち,自

然のもたらす恩恵に囲まれて暮らしている。ここはエデンの園のような理想

郷であった(6)。しかし2回の「不思議だ」(46行目,58行目)という言葉を

境にして,風景が急転する。この楽園に失意の念に捕らわれて自然の恵みに

は盲目となった人間が現れ,豊かなこの土地を破壊し,荒れ果てた,まるで

墓場のような不毛の土地にしてしまう。何の汚れもなく,明るい光を浴びて

いたこの土地を,「情欲」「肉欲」「強奪」が台頭して暗い闇の中に閉じ込め

る。そして,この「危険」「絶望」がはびこった世界から逃れようとすると

ついには「死」へと追いやられる。人々の目にはもはや生気はなく,来たる

206

Page 5: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(70)

死の影を恐れつつも,避けるすべもなくおびえている。このような現状を目

の当りにすれぽ,「これがギリシャだ。しかし生きているギリシャではもは

やない。」(91行目)と叫ばずにはいられない。ギリシャはトルコの支配下に

あり,独立しようにも指導者やその力に欠けていた。現在のこの土地には,

アテネをペルシャから守ったように,トルコの進撃からギリシャを守るテミ

ストクレスはいないのだ。

 第2の場面で登場するキリスト教国の娘レィラが没落していく様は,ギリ

シャの様子と重なり合う。ギリシャを骨抜きにしたのが欲望に燃えた人間だ

ったように,レイラもこの欲望の化身ともいえるイスラム教徒のハッサソに

捕らわれる。ギリシャにもレイラにも悪の力が介入して堕落を促しているの

だ。しかしレイラの前には英雄として「邪宗徒」が現れ,彼女を救出しよう

とし,トルコの支配者ハッサンを打ち倒している。レイラをめぐる「邪宗

徒」とハッサソの間に,ギリシャを支配するトルコと,それを不愉快に思う

キリスト教徒たちの関係がそのまま象徴されている。生気を失い,魂の抜け

殼になっているギリシャにバイロンは魂として「宗邪徒」を送りこみ,ギリ

シャを生き返らせようとした。“When shall such Hero live again ?”バ

イロンは自分の手でその英雄を作り出そうとしたのである。

 この作品でバイロンが創造した「邪宗徒」は,rチャイルド・ハロルド』

の中に表されているバイロソ自身の反逆的な気質や,人間の持つべき自由へ

の情熱が具体的に人間像となって現れたものであり,それが,一般的にバイ

ロン的英雄(Byronic Hero)と呼ぼれるものである。彼が独自に生み出し

たこの人物像について,プラーツは,「謎につつまれた(しかも高貴なもの

と思われる)生まれ,燃えつきた情熱の跡,恐ろしい罪の疑惑,i憂うつな性

格,青ざめた顔,忘れられぬ目」を持つ人物と定義し,更にミルトンのサタ

ン(Satan)との共通点を指摘している(7)。また,トゥルーブラッドは,そ

の特徴を,「ロマン派的な憂うつさ,誇り,孤独,罪深い情熱,反抗心,暴

力的な復讐,そして自責の念」としている(8)。これらを考え合わせると,バ

イロン的英雄として必要な条件は,憂うつさ,罪の意識,嫌悪する心,反抗

を起こす動機と情熱的な行動,ということになる。この特質を「邪宗徒」で

見てみると,レイラを救出しようとする行為は,ハッサソという権威に対し

ての反抗であり,これに注がれる憎しみはあまりにも強く,火口下で溶岩が

205

Page 6: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(71)

噴出する時を待ち構えているような激しさがある。また,第3の場面で「邪

宗徒」が修道院で苦悩する姿からは,生きる希望を失った陰うつさが感じら

れるが,それ以上にレイラを結局は死なせることになってしまったことへの

罪の意識が特に目を引く。「邪宗徒」の苦しみは,自分の存在がレイラにと

っては災いでしかなかった上に,彼女が死んでしまった後でも自分がいつま

でも生きていることに対しての苦しみであるが,これこそが彼に与えられた

宿命であり,バイPン的英雄が負うべき呪いなのだ。

 『チャイルド・ハロルド』第1巻には,日ごと酒を飲んで浮かれ騒ぐ仲間

たちを忌み嫌う主人公が現れるが,彼は何か恐ろしい争いごとや打ち砕かれ

た野望のために眉をひそめる時があり,そしてけっして涙を流さない誇り高

さを持っている。r邪宗徒』の主人公である「邪宗徒」も,初めて読者の前

に姿を現わす時には苦悩のあまり眉をしかめているし,r海賊』のコンラッ

ド(Conrad)も, rララ』のララ(Lara)も,口数少なく憂いを秘め,その

鋭い眼光は人々を震え上がらせる。しかしチャイルド・ハロルドとこれらの

人物との間の決定的な違いは,チャイルド・ハロルドがたとえばギリシャの

惨状を目にした時にも,ただ傍観するだけにとどまったのに対して,東方の

物語のどの主人公も勇敢に戦うところにある。ただ,チャイルド・ハロルド

の場合は,個人的な屈辱のため,もしくは復讐のため,などという動機を持

たない巡礼の旅をしているので比較をすることはできないのかもしれない。

それでもチャイルド・ハロルドの態度は,あまりにも客観的である。そして

客観性に徹したために,彼には自己の宿命に涙することもなく,いわゆるバ

イロン的英雄とは一線を画する。それに対して東方の物語の主人公たちには

自らを突き動かす程の強い憎しみや苦悩があり,第三者的な立場ではいられ

ずに立ち上がるのである。

 それでは,バイロンが特にこの一連の東方の物語において,独自の人物像

を登場させた背景はどのようなものだったのだろうか。これらの作品が書か

れた当時,バイロンはrチャイルド・ハロルド』第1,2巻の出版の大成功

によって「ある朝目覚めると,有名になっていた」という有名な文句に象徴

されるように,一躍文壇の寵児となり,人気絶頂で得意の日々を過ごしてい

た。『チャイルド・ハロルド』の翌年発表された東方の物語は,当然のことな

がら読者に大歓迎され,rアビドスの花嫁』は出版後1ヶ月のあいだに6,000

部売れ,r海賊』はその日のうちに10,000部売れるという有様だった(9)。し

204

Page 7: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(72)

かしこの読者の熱狂を,単に彼が人気作家だから,と解釈するのでは的を得

ないだろう。パイロソが作り出す世界には,当時の人々がもっていた時代感

覚に合う要素があったのだと考えられるからである。プラーツは,シェイク

スピアが創造した人物のうち,ジョン王,キャシアス,そしてリチャード3

世といった人物が持つ性質と,バイロン的英雄のそれとがとてもよく似てい

ること(10),そしてルザーフォードは,スコットのマーミオンやロデリック

・デューといった登場人物がもたらしたバイロン的英雄への影響を指導して

いる(11)。イギリスのスコヅトだけでなく, ドィッのゲーテ,シラー,フラ

ンスではシャトーブリアンといった詩人が同じ傾向のある人物像を生み出し

ていることから(12),宿命を持った人物を描くことが,ロマソ派としての共

通した伝統となっていたということができる。バイロンもその例に従ったか

たちで独自の人物像を作り出したのだ。

 さらに,当時19世紀の初め,エルギン卿はギリシャの大理石の彫刻をイギ

リスに持ちこんだ。その時以来,イギリスの人々の間で東方への関心が高ま

り,作品の中に東方的な雰囲気を持ちこむことによって多くの読者に支持さ

れたであろうことは想像にかたくない。ロマン派的な宿命を背負った男の姿

と,東方趣味という不可欠な要因を,バイロンは大いに使いこなしたのだと

言える。例えぽ,バイロソは,アテネを訪れた時にエルギン卿のした行為を

目の当りにした。彼はアクロポリスの惨めな様子を嘆き,憤っている。そし

てその怒りを『チャイルド・ハロルド』第2巻や,『ミネルバの呪い』(The

Curse of Minerva)の中で表している。東方の物語はその舞台を東方の国

々に置き,その土地の気候や衣服などを細かく描写し,読者に未知の世界へ

の夢を与えている。このこともまた,彼が当時の人々の好みに敏感に反応し

たことを示している。バイロソ的英雄は,読者の要求に見事に応えた人物像

だったのである。

 バイロンは読者の好みに合い,しかも悪を退治して幸福をもたらしてくれ

るような英雄を,「邪宗徒」という形で我々の前に送り出したのだが,バイ

ロン的英雄には罪の意識や,自責の念といった特質が必要となるため,「邪

宗徒」の場合も,ハッサンを倒すという目的の達成を単純に喜んではいられ

ない。第3の部分では「邪宗徒」は復讐を遂げたことを喜ぶどころか,自分

がレイラを救い出せずにかえって彼女の死を招いたことに対しての後悔のた

めに打ちひしがれている。従って,「邪宗徒」の本来の目的は,ハッサンを

203

Page 8: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(73)

殺すことよりもむしろレイラを救出すること,つまり彼女を自分のものにす

ることであったと言える。

 「邪宗徒」にとってレイラは,「生命と光に形を与えたものだった」(1127

行目)。その光も,「邪宗徒」を導く神が投げかげたような光であり,このよ

うな光を発するレイラは人間の生命の躍動を感じさせるかけがいのない存在

だった。レイラが死んでしまったことへの復讐は果たしたものの,レイラと

いう光を失った「邪宗徒」は,心を開くこともできず,また,悲しみの涙も

流せず,自責の念に苦しみながら死を待つぽかりである。しかし「邪宗徒」

のこの苦悩は,レイラの死によって強められはしたが,ここで初めて生まれ

たのではない。 「邪宗徒」には,生まれながらにして罪深い情熱や誇り高さ

がバイロン的英雄であるための条件として備わっているからだ。この性質が

「邪宗徒」の周りに人を寄せ付けず,彼は常に深い孤独感を抱いている。誰

とも心を通わせることができない苦しみを「邪宗徒」は,自分の体を這い回

るウジ虫を感じる死体や,自分の胸をつついてその血でひなを養うペリヵン

でたとえているが(13’,人間として耐え難い疎外感は,彼にとって精神面だけ

でなくすでに肉体的,それも異常なほどの痛みを感じると思うほど切実なも

のとなっている。従って,そこから救い出してくれるレイラの存在は,「邪宗

徒」には生きている喜びを与えてくれる唯一のものであり,レイラを獲得す

ることで「邪宗徒」は彼を縛る宿命の鎖から逃れられたはずである。

 愛する女性を手に入れることは,バイロンの作品の中ではとても重要な位

置を占めている。r邪宗徒』のレイラはもちろんのこと, rアビドスの花嫁』

でセリーム(Selim)を支える,ズーレイカ(Zuleika), r海賊』でコンラッ

ド(Conrad)の無事を信じて待ち続けたメドーラ(Medora), rララ』で少

年に変装してララに仕えたケイリド(Kaled)というように,東方の物語の

中だけでも,バイロンが追い続けていく理想の女性像であるといえる女性た

ちが登場する。しかし,彼女たちは,とうとう主人公と幸せに結ぽれること

なくその恋は悲劇的な最後を遂げるのである。これら理想的な女性像を主人

公たちが追い求め,また心の拠り所としているのは,この女性たちが主人公

が持たない美徳を体現しているからであり,彼女を失うことは,彼らが永遠

にその美徳を手にすることができずに,深い苦しみの中で生きていかなけれ

ぽならないということを意味する。『邪宗徒』でレイラが自由を奪われたギ

リシャを示していると考えた場合,彼女を救い,ギリシャに自由を再び取り

202

Page 9: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(74)

戻すことを失敗してしまった「邪宗徒」は,今もなお死んだようになってい

るギリシャの様子を見ながら,自分の無力を痛切に感じ,深い絶望の中で,

修道院の奥深くに身を置く。バイロンが作p出した英雄には,ギリシャに生

命の息吹きを与える力が欠けており,詩人の意図に反してテミストクレスに

なることができなかったのである。パイPンが魂を注ぎ込み,自由獲得のテ

ーマを追求しようとした試みは,レイラが死んだことで目的を達成すること

ができなかった。彼の作りだす他の主人公もことごとく挫折している。コン

ラッドも,セリームも,ララも戦いに敗れている。「邪宗徒」は戦いには勝

っが,マンフレッド(Manfred)と同じように恋人の死の痛手が引き起こす

苦悩に押しつぶされる。バイロソ的英雄の登場する作品はどれも悲劇的な結

末を迎え,ハッピーエンドにはならない。この挫折感もバイロン的英雄の宿

命を形成する一つの要因となるのである。

 『邪宗徒』の第2の部分に,理想の女性像とも言えるレイラをカシミア地

方の比類なく美しい蝶(insect-queen of Kashmeer)に見立てて・それを

追う若者(pursuer)の悲しみの様子の描写がある。蝶は若者をあちこち誘

った後,何の哀れみを感ずる事なく若者を捨て去る。蝶を追う行為をパイロ

ンは,

Achase of idle hopes and fears,

Begun in folly, closed in tears.

               (11.398-399)

意味のない望みとか恐れを追うことは,

愚かしさで始まり,涙にくれておわる。

また,

The lovely toy so fiercely sought

Hath lost its charm by being caught

               (11.404-405)

激しく探し求められる美しいおもちゃも,

捕まえられると魅力をなくしてしまうのだ。

201

Page 10: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(75)

と表し,理想を追い求めることの無意味さを示している。どんなに強く求め

て,やっと手に入れても,手に入れた瞬間それは跡形もなくその価値をなく

す。手の及ぽないところにあった時は,これ以上すぼらしいものはないと思

われていたものでも,いったん自分のものになれぽつまらない,ほんのささ

いなものとしか思えなくなってしまう。人間には誰にでもこのような欲の深

さがあり,しかもそれは満たされることがないので,人は永遠に新たなもの

を追いつづけなければならない。蝶が理想的な美を象徴し,さらに理想的な

状態においては当然なものである人々の自由を表しているとしたならぽ,バ

イロン的英雄がその戦いの目的としていた人間の自由の獲得は,無為な行為

でしかなくなってしまう。自由のない束縛された環境に身を置いているから

こそ,その自由の尊さが感じられるのであって,一度それを得れば,すぐに

満足できなくなり,更により高い次元のもの求めるようになる。最終的には,

理想だと考えていた全てのものに囲まれていくことは不可能となる。人間に

とって何かを獲得しようとすることは,いつまでも達成されずについてまわ

る宿命のようなものなのかもしれない。カシミアの蝶を追う若者の嘆きで,

この人間のむくわれない欲望を表したバイロソは,「邪宗徒」に無駄と承知

で自由への戦いを挑ませていることにもなり,「邪宗徒」もやはり蝶を追う

若者と同じ悲しみを味わうのだ。

 「邪宗徒」の場合,人間の抱く欲望は,彼の心の中に燃え盛る呪われた火

となって現れる。

The Mind, that broods o’er guilty woes,

  Is like the Scorpion girt by fire;

In CirCle narrOWing aS it glOWS,

The flames around their captive close,

Till inly searched by thousand throes,

  And maddening in her ire,

                (11.422-427)

罪深い苦しみを抱く心は,

火に取り巻かれた蝋のようなもの。

「火が燃え上がると火の環の中でちぢこまるが,

炎が獲物の周りをぴたりと包囲し,

200

Page 11: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(76)

ついには無数の死の苦しみに奥深く探られ,

怒り狂わされる。

並外れた激しい情熱や怒りを,バイロン的英雄iである「邪宗徒」は抱いてい

るが,その火は彼を奮い立たせるだけでなく,自身をも苦しめ,最後には死

にまで至らしめる。火におおわれた蝋は,苦しみから逃れるために自分を自

分の爪で刺し,その毒で自らを死によって救うこともできる。生きながら地

獄のような苦しみを味わうか,それとも死ぬか,バイロンの描く人間の世に

はこの二つの選択しか許されていない。しかしいずれを選択しても,欲望の

火に捕らわれた人間の運命には救いがない。

So writhes the mind Remorse hath riven,

Un丘t for earth, undoomed for heaven,

Darkness above, despair beneath,

Around it name, within it death!

               (11.435-438)

嫌悪の気持ちが引き裂いた心がこんなにももがき苦しんでいる。

地上での生には適さず,天国にも行けず,

上を見れぽ暗闇が,下の方には絶望が

周りには炎が,内部には死があるのだ。

罪深さが心の安らぎを奪い,永遠にその苦しみの中に置かれる。そこで救い

を求めることは,カシミアの蝶を無為にも追い求めたのと同じように無駄な

ことなのである。

 一方,残酷に滅ぼされたのはレイラだけではなく,ハッサンも同様であ

る。r邪宗徒』は「邪宗徒」,ハッサン,レイラの三角関係のもつれが生み出

した悲劇が主なテーマだが,どうしても「邪宗徒」を中心とした視点で読ま

れて,ハッサンを暴君として解釈しがちになる。もちろんハッサンは支配者

であったが,その居城は過去のギリシャがそうであったように自然にあふれ

ていた楽園で,そこで母親の愛情にいつくしまれて過ごしていた。そしてこ

の幸福を踏みにじったのが「邪宗徒」の登場だった。また,ハッサソにとっ

199

Page 12: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(77)

てレィラとは,「支配者の情欲を満たすための魂のない玩具」(490行目)と

いうイスラム教徒の伝統的な考えで見た場合での女性とは違い,宝石のよう

な魂のきらめきが目の奥から発しているのを感じることができる女性であっ

た。「邪宗徒」と同様に,ハッサンもレイラをかけがいのないものと感じて

おり,「邪宗徒」は彼からレイラを奪った略奪者であり,暴君なのである。

この時点でハッサソと「邪宗徒」の立場は逆転している。

 イスラム教徒のトルコ人漁師(fisherman)は,敬愛するハッサンを殺し

た「邪宗徒」に対して激しい恨みの言葉を発している。

And丘re unquenched, unquenchable,

Around, wi‡hin, thy heart shall dwell;

Nor ear can hear nor tongue can tell

The tortures of that inward hell!

                     (11.750-753)

消えることのない,誰も消すことのできない火が,

お前の心の周りに,心の内部で燃え続けるがいい。

心の中の地獄の責め苦は

どんな耳にも聞こえず,どんな舌も語れない。

この漁師の口から吐かれた呪いの言葉は,「邪宗徒」がハッサンに向けて復

讐心を抱いた時に内部から湧き出した魂の熱い息ではなくて,能動的に犯し

た罪,つまりハッサンの殺人という実際に彼の手足を使った罪,言わぽ外側

からの悪に発せられている。ハッサンの死によって彼の国土が復興せずに荒

廃していくことも,「邪宗徒」がもたらしたことである。内側からも外側か

らも炎でおおいつくされた「邪宗徒」の存在は,自分だけを焼きつくすだけ

ではおさまらない。ハッサンと彼の国が滅びたのは直接的に「邪宗徒」にょ

るものであり,レイラの死も,実際に手にかけたのはハッサソだけれども,

間接的にやはり「邪宗徒」の呪われた心が影響している。彼はレイラへの愛

情を「溶岩の流れのようなものだ。」(1101行目)といっているが,この異常

なほどに熱い「邪宗徒」の情熱は,彼の中だけにとどまらずに外へと流れだ

し,近くにいる人にでさえもその熱が及んで滅ぼしてしまう。レイラも,そ

してハッサンもその犠牲者なのである。彼は厚い愛情の持ち主であり,レイ

198

Page 13: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(78)

ラへの愛ゆえに彼のすべての行動が生じたのだが,これがあまりにす強すぎ

たために相手に幸せをもたらすどころか,かえって害となっている。彼の情

熱があふれた所では,まるで火山の噴火の後のように焼け燭れて不毛となっ

た土地が広がる。このように「邪宗徒」の存在は危険極まりないものであ

り,それが彼の悲劇の根本をなしているのである。

 バイPンは,バイロン的英雄として「邪宗徒」を作りあげた。最初の目的

は,彼の行う英雄的行為であった。しかし英雄として振舞おうとすれぽする

ほど「邪宗徒」は破滅を招く内部からの激情で身動きできなくなり,また彼

を取り巻くものさえもその廃櫨の中に引きずり込む。「邪宗徒」の後に現れ

る主人公たちも,同じ傾向を持っている。例えぽ,ララも,彼の激しい性質

が憎しみを呼び,反逆の兵を挙げさせ,彼自身もそして彼の敵たちも死んで

いく,というように,彼の存在が取り巻く人々をも滅ぼす。バイロン的英雄

は,自由を奪われた人々を救うためにバイロンが生み出したのであるにもか

かわらず,反対にその人々を破滅させ,かえって不幸にするという皮肉に満

ちた結果に終わっている。「邪宗徒」が悪に敢然と立ち向かう正義漢であり

ながら,英雄というよりもイスラム教徒の立場から見て「邪教」を信仰する

野蛮人のように描かれているのも,「邪宗徒」に象徴されるキリスト教国の

人々がギリシャ救出の援助に対して無関心でいることをかえって強調するた

めに敵と味方の位置を入れ替えたと考えられ,バイロンの精一杯の反抗なの

である。

 バイPソ的英雄は,チャイルド・ハロルドが,つまりバイロン自身ができ

なかった社会の悪への直接的な挑戦を,代わりに行うために登場させられて

いるが,英雄たちの行為がことごとく失敗に終わっているということは,ギ

リシャの解放が木可能だということを意味しているのではなく,人間一人一

人が欲望という鎖で縛られていて身動きができない身でありながら,他者を

助けるために動くことなど所詮無理なのだということを意味しているのでは

ないだろうか。バイロンを含めて,安穏な生活に慣れた人間にとって自由の

ために立ち上がることは安易なことではなく,将来必ず英雄が現れることに

希望をつなぐことは現時点では期待できそうにもない。バイロンが実際にギ

リシャ独立戦争に参加するのはまだ先のことである。バイロンの希望を体現

するために生まれてきたはずの「邪宗徒」は,期待に沿うどころか,反対に

無力感を痛感させ,自由獲得という夢を果たせずにかえって絶望の淵に追い

197

Page 14: バイロンの英雄:その誕生と 理想追求の失敗 · 2012. 9. 27. · バイロソ(Byron, George Gordon Noel,1788-1824)は,1813年から 1816年の間に発表した東方的な雰囲気をもつ物語群(Oriental

(79)

やることになったのである。

                     注

(1) 東方を舞台にした物語群は,r邪宗徒』(The Giaour,1813), rアビドスの

  花魏(The Bride of Abydos,1813), r海賊』(The Corsair,1814)・『ラ

  ラ』(Lara,1814),『コリントの征服』(The Siege of Corinth,1816),そ

  して『パリシナ』(Parisina,1816)から成る。(2)バイロンは,グラソドツアーの途中,アテネで,袋に入れられ海に投げこま

  れるところだったギリシャ人の少女を助けている。この処刑の様子が,作品中

  でのレイラの処刑の描写に反映されている。

   Leslie A. Marchand, Byron:APortrait(The University of Chicago  Press,1970) pp.89-90. Harold Spender, Byron and Greece (John

  Murry,1970), pp.109-111.

(3)原典からの引用は,全て,下記のtextによった。   Byron’s Poetry(selected and edited by Frank D. McConnel, A Norton

  Critical Edition,1978).

(4) Daniel P. Deneau, Byron’s Narrative Poemsρア1813 Two Essays

  (Universitat Salzburg,1975), p.5.

(5) この作品の拡大については,下記の文献に詳しい。

   Williarn H. Harshall,“The Accretive Structure of Byron’s”The

  Giaour”,”in Modern Language Notes, vo1.76(June 1961).

   Michael G. Sunde11,“The Development of The Giaour,”in Studies

  in English Literatecre 1500-1900, vo1,9,(Autumn 1969)pp.587-599.

   Jarome McGann ed., The Complete Poetical VVorks(Oxford Univer-

  sity Press,1981), Commentary, pp.406-414.

(6) The Giaour, L 15。

(7) Mario Praz, Romantic lrony(Oxford University Press,1970), pp.

(8)

(9)

(10)

(11)

60-61.

Paul G. Trueblood, Lord Byron(Twayne Publishers,1977), p.62.

v.Marchand, oρ. cゴ’., p.157, p.162.

v.Praz, op.‘it,, pp.60-61.

Andrew Rutherford, Byron,A Criticat Study(Oliver and Boyd,

  1961), p. 39.

(12) v.Praz, op. cit., pp.68-7L

(13)  The Giaour, 11.944-956.

196