スポーツ実況研究の視座 -...
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スポーツ実況研究の視座 ―「物語」の視点を中心に―
Perspectives on Play-by-Play Sports Broadcasting Research: Focusing on the Narrative Approach
深 澤 弘 樹 Hiroki Fukasawa
1.はじめに
本稿では、メディアスポーツの日常的消費形態であるスポーツ実況中継にお
ける研究動向をまとめ、そのなかでも、「物語」の観点からの分析枠組みについ
て考察する。筆者はローカル局アナウンサーとして 18 年間スポーツ実況に携わ
ってきたが、その経験も踏まえながらスポーツ実況に関する知見をまとめ、筆
者が依拠する「物語」論の観点からスポーツ実況分析の視点を提供したい。
なぜスポーツ実況中継に注目するのかという問いには 2 つの答えを用意し
たい。一つ目は、みるスポーツが常態化している昨今において、スポーツ実
況中継は人々にとって も手っ取り早いスポーツ消費の方法となっている点
である。試しに、2010 年の視聴率上位 10 位までをみてみる。ビデオリサー
チ社の調べによると、10 番組中 8 番組までもスポーツ関連番組が占めている
(ビデオリサーチ社「2010 年年間高世帯視聴率番組 30〈関東地区〉」,
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/best30.htm,2011 年 12 月 22 日アクセス)。冬
季バンクーバー五輪やサッカーW杯といったビッグイベントの開催がスポーツ
番組が上位を占める要因になったのは間違いないが、国民的視聴番組が減って
いる昨今、これだけの高視聴率を稼げるコンテンツはスポーツ以外にないとい
っても過言ではないだろう。
そして二つ目の理由は、スポーツが人々に与える影響力の大きさである。従
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来から、スポーツの国際大会の報道はメディア・イベントとして共同体意識の
高揚に重要な役割を果たすことが指摘されてきた。古くは 1936 年のベルリン五
輪における河西三省アナウンサーの「前畑がんばれ」に代表される応援放送で
あり、2011 年でいえば、東日本大震災後の日本人を勇気づけた「なでしこジャ
パン」の世界制覇が記憶に新しい。岡田光弘が「スポーツ・イヴェントの実況
中継は、人々の記憶をつくりあげる装置」(岡田,2002: 164)と述べるように、
スポーツ・イベントはアルヴァックスのいう集合的記憶を形づくるのである。
以上のような理由から、スポーツ中継とはわれわれがスポーツを楽しむ身近
なツールとなっているばかりでなく、社会の動きと連動することによって、単
なる楽しみに終わらない私たちの意識を形づくる文化装置としての役割を果た
しているといえる。文化装置とは C・W・ミルズが提示した概念である。ミル
ズの言葉を借りると、文化装置とは「人びとがそれを通して見る人類のレンズ」
であって、「その媒介によって自分たちが見るものを解釈し報告する」のである
(Mills,1939=1971: 323)。つまり、文化装置とは、「それを通して私たちが社
会的な経験を意味づけ、それをそれとして受け取るための媒介として働くもの」
(石田,1998: 5)なのである。
石田佐恵子は、文化装置の機能として「提供される枠組みを通じてある文化
領域に権威をさずけ、その見方を正統的なものとする」(石田,1998: 6)こと
を挙げている。本稿において「文化装置」を持ち出した意味合いもそこにある。
スポーツ実況という日常的なメディア消費の形態が当該社会における人々の意
識の枠組みを構成している側面に注目したいからである。三宅和子がいうよう
に、「スポーツ放送は、メディアに載せて『らしさ』の再生産を増幅させる装置
であり、ことばは、映像とともに『らしさ』、社会文化の『決まり』の再生産を
担い、さらに、その構築・強化に貢献している」(三宅,2004: 96)のである。
とりわけ、本稿では、スポーツ実況を「物語」という観点でとらえる。「物語」
の定義づけについては後述するが、簡単にいうと、「物語」とは単なる時間的経
過に沿って出来事を記述するだけでなく、プロットいわゆる因果関係によって
諸要素が結ばれた一連の筋書きを意味する。スポーツの試合は「筋書きのない
ドラマ」とよくいわれるが、本稿では、スポーツ実況アナウンサーの営みをあ
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えて筋書きを描こうとする存在ととらえて考察を進める。
また、亀山佳明は、物語が当該社会のメタコードであることを指摘している
(亀山,1990: 25)。スポーツ実況のなかの「物語」は社会の成員らに共有され
ている意味の典型として表象されているのであり、私たちの社会のありようを
端的に示しているとも考えられる。
筆者はかつて、『スポーツ観戦学』(世界思想社)において、スポーツ実況を
「物語」の観点から考察し、スポーツ実況の「物語」が現在・過去・未来の時
間軸のなかで語られていることを指摘した(深澤,2010)。本稿ではその知見を
援用しながら、前回踏み込めなかった「物語」の類型化を試み、「勝負の物語」
と「共同体の物語」の性格の異なる 2 種類の「物語」が存在することを指摘す
る。それにより、「物語」の観点からのスポーツ実況分析を精緻化させ、実況の
特性やスポーツ実況の語りの構造を探っていきたい。
2.スポーツ実況中継とは何か
(1)スポーツ実況中継と「現実」
スポーツ中継はメディアなくして存在しない。そもそもスポーツは身体行為
であり、「する」ものである。ところが、近代スポーツにおいては、「する」人
と「みる」人とが分離し、メディアの発達によって、さらに「みる」スポーツ
は発展を遂げることとなった。スペクタクルとしてのスポーツの誕生である。
その流れはメディア化の進展によってさらに進行している。
スペクタクル化とは「見世物」化することにほかならない。では、「みる」ス
ポーツは何ゆえに人びと心をとらえているのであろうか。それは一言でいえば、
スポーツがもたらす「感動」である。人びとがスポーツに感動を求める背景に
は、社会の構造的変化がある。近代とは合理性を追求してきた社会である。文
明化の過程では感情もコントロールされるべきものとされ、感情抑制の飛び地
として「みるスポーツ」は位置づけられる。さらには、情報化社会において感
情をコントロールする存在としてメディアがあり、メディアは意図的に「感動」
をつくり出すことにもなっている(杉本,1998: 8-10)。
スポーツ中継の醍醐味とは「生」の魅力であり、その先どうなるかわからな
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いスポーツの予測不可能性に裏打ちされた本物の魅力である。みる人の期待は
ときに成就したとしても、いともたやすく裏切られる。つまり、「予測―期待―
裏切り/成就」のサイクルが人びとの緊張感を生み、カタルシスをもたらすの
だ(佐伯,1996: 52)。スポーツ中継にはヤラセはなく、選手たちが実際に真剣
にプレーをしている姿を映しだし、「ホンモノ」の迫力を感じさせてくれる。「目
の前で繰り広げられる『事実』をテレビがそのまま伝えてくれる」(宮崎,1990:
32)からこそ魅力を感じるのである。
しかしながら、スポーツ中継は「現実」そのものではない。スポーツ中継と
はあくまでメディアに媒介されたスポーツなのである。メディアは現実を加工
し、意味づけを加えて人々に提示する。スポーツ中継においても同様だ。宮崎
幹朗は、テレビのスポーツ中継が、ゲームそのものによって成り立つのではな
く、テレビカメラによって切り取られた「映像」と実況アナウンサーの語る「言
葉」、さらには、過去の記録やデータの紹介という「言葉」によって成立してい
ることを指摘している(宮崎,1990: 41)。スポーツの試合はメディアの媒介に
よって姿を変え、メディア独特の文法で加工されたうえで視聴者に提示されて
いる。さらに、スポーツ実況や解説は、「スポーツへの理解をうながし、知識を
深めるテキスト(岡田,2002: 166)となっており、メディアスポーツは人びと
の意識を構成する役割を担っている。
では、メディアによって媒介されたスポーツの試合、つまり実況中継は言説
面でいかなる特徴を持ったものなのであろうか。以下では実況アナウンサーの
言葉を手がかりに論じてみたい。
(2)スポーツ実況とは何か
簡単にスポーツ実況の特性を説明しておく。スポーツ実況は、実況アナウン
サーが今まさに目の前で行われている試合の場面、状況などを正確かつ克明に
描写し、それに解説者が専門的な解説を加えるというパターンで進められる。
このスタイルは日本で 1920 年代にラジオ放送が開始された後、試行錯誤の末に
確立されたものである。
1920 年代から 30 年代にかけ早慶戦のラジオ実況で一世を風靡したのは大阪
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放送局の松内則三アナウンサーであった。松内の実況には美辞麗句が散りばめ
られ、「講談に通じる漢語の語感の強さと歯切れのよさ、そして、『読みきり小
説的な面白さ』」(竹山,2002: 182)が聴取者をひきつけた。その後、東京放送
局に入った河西三省アナウンサーのアナウンスは対照的にデータ中心の写実に
徹する実況であった。日本においては、スポーツ放送の普及につれて、松内型
の「面白く」から河西型の「正確に」が主流となり、このスタイルは現在も踏
襲されている(竹山,2002: 179-187)。
では、スポーツ実況の特徴とはいかなるものなのか。清水泰生らはスポーツ
実況中継の言語的特徴として、以下の 6 点を挙げている(清水・岡村・梅津・
松田,2006: 27)。
① 発話は短く体言止めが多い。
② 日常あまり使わない「~であります」や「さあ、どうか」等の表現が多
い。
③ 映像を解説する表現も多く、また、現象をありのままに述べる現象描写
文を多用する。
④ 専門用語の多用。
⑤ 時制の変容など文法(軌範)に逸脱している表現の使用。
⑥ 助詞の省略が多い。
以上のように、スポーツ実況には普段の会話とは異なる独特の文体があるこ
とがわかる。これらはできるだけ早く、そして的確に目の前のプレー、場面を
描写するために洗練されてきた実況アナウンスならではの表現技法といえるだ
ろう。
(3)スポーツ実況を構成する要素
続いては、スポーツ実況において、アナウンサーが語る実況とはどのような
要素から成り立っているのかを考える。
これまで数々の名実況を生み出してきた元 NHK アナウンサーの山本浩は、
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スポーツアナウンサーが用いるアナウンスメントのパターンを挙げている。そ
れは、「無機質で情感を排した声の質」のほか、「十分な音域、スピード、抑揚、
表情」「明瞭な発音、正確な共通アクセント、理想的なイントネーション、そし
て特定の部分を強調するプロミネンス」「リズム感」である。アナウンサーは、
以上のパターンを画面の切り替えに応じて使い分け、場面場面に合わせた言葉
を発している(山本,2003a: 59-60)。
さらに、山本はスポーツ中継におけるアナウンサーの仕事を 5 つのフェイズ
に分けて論じている。それは、①実況、②分析、③過去の情報を伝える、④予
測、⑤会話の 5 つである。実況はこれらのフェイズの組み合わせで組み立てら
れることになる(山本,2003a: 63-64)。
①の実況とは、試合が動いている際のプレーの描写であり、スポーツ中継ア
ナウンスの も基本となる部分だ。野球でいえば、「ピッチャー第一球を投げま
した」「打ったー。大きい。左中間に伸びていく」といった逐一プレーを追うア
ナウンスを指す。ただし、スポーツの試合には、試合が緩慢になったりプレー
そのものが止まっている時間帯がつきものであり、そういった時間帯には実況
以外のフェイズが現れる。それが②から⑤であり、試合展開やプレーの分析を
したり(②)、過去のデータや資料を紹介する場合(③)のほか、これから先の
戦術や選手交代があるかを予測したり(④)、解説者やリポーターとのやりとり
(⑤)をしながら試合が進んでいく。
②から⑤の実況以外の時に重要な役割を担うのが、取材に基づいた個人デー
タや事前の下調べで得た記録などの資料である。実況アナウンサーは、中継前
の取材において、過去の戦績、チームの戦い方、選手の特徴、監督の用兵、戦
術の考え方、けが人の有無などを調べたうえで練習会場に行き確認をする。ま
た、練習後の談話取材では、試合に向けた選手の顔や雰囲気などを把握するこ
とに精力を注ぐ(山本,2003a: 63)。このように、スポーツ実況者は単に眼前の
プレーを描写しているのではなく、事前にリサーチしたうえで、そのプレーに
付随した周辺情報や予測を付け加えながら実況中継を行っている。
本稿では、データや選手の思い、予測など、①の実況以外が「物語」を構成
するものと考える。以下では、「物語」の構造について説明する前に、スポーツ
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実況はこれまでどうとらえられ、研究が蓄積されてきたのかをまとめておく。
3.スポーツ実況中継分析の視点
(1)スポーツ実況中継批判
スポーツ中継はとかく批判の対象となりやすい。その大きな理由は、スポー
ツの魅力を存分に引き出すことができず、エンターテイメント化、劇場化して
いるというものである。
例えば、プロボクサーの亀田興毅選手の取り上げ方を論じた狩野慶二郎は、
過熱するスポーツ中継の過剰なあおりを例にして、スポーツ選手としての資質
とメディアの取り上げ方の乖離を批判する(狩野,2006)。また、貴地久好は、
箱根駅伝中継を例に、「箱根駅伝のテレビ中継はスポーツ実況なのか、エンター
テイメントなのか」という問題提起をしている。貴地が批判の矛先を向けるの
は、「ブレーキ」を待ち望んでいたかのような放送の方向性である。貴地は、箱
根駅伝におけるエンターテイメント性とは、「個々の身体的・精神的な痛手を基
礎に置く残酷なもの」(貴地,2000: 132)だとして、コンディションを整えた
選手同士のトップ争いをときに軽視してしまう放送方針を批判している(貴地,
2000)。
これらの見方に通底しているのは、メディアが本来のスポーツのありようを
歪め、視聴率稼ぎのために極端なショーアップ化を図っている、あるいはスポ
ーツを商品化しているという批判である。タレントを使った過剰演出もその例
である。また、過剰なエンターテイメント路線の批判は、アナウンサーのしゃ
べり方にも及んでいる。狩野は、「世界の…」や「〇〇姫」といった大仰なキャ
ッチフレーズや大声で雄叫びを上げる「絶叫中継」に批判を加え、アナウンサ
ーとは「叫ぶ人」ではないかと揶揄している(狩野,2006: 26)。
これらの批判は、日本におけるスポーツジャーナリズムの未熟さの指摘につ
ながっている。スポーツジャーナリストの谷口源太郎は、国際試合における日
本の試合の取り上げ方は、本来のジャーナリズムの存在意義である「調査、検
証、批判」を放棄し、日本勝利の扇動・翼賛報道で埋め尽くされてしまうとい
う(谷口,2009: 113)。さらに、谷口は、「テレビは、視聴者を楽しませて視聴
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率を稼ぐことしか考えず、スポーツの理解力を高めたり、スポーツへの参加を
鼓舞するような課題を持ち合わせていない」(谷口,2009: 128)と批判する。
以上のように、スポーツ中継批判は、スポーツ実況がスポーツの本来の魅力
を損ない、スポーツを歪めてしまっているという認識から生じている。
(2)会話分析からのアプローチ
続いては、会話分析の知見を援用したスポーツ実況中継分析について概観し
ておく。会話分析とは、「人々が実際に行っている会話をデータにして、やり取
りにおける規則やルールを見出そうとする研究方法」(鈴木,2007: 7)である。
そのなかでも、テレビでのインタビューなどは実際の対面状況における会話と
は違って、何らかの組織や制度下でのやり取りを対象とすることから、「制度的
状況の会話分析」と呼ばれている(鈴木,2007: 23)。
スポーツ中継における実況アナウンサーと解説者とのやり取りは、両者の間
の会話であることに加えて、テレビ画面を通して視聴者に伝えられているので
あり、従来の会話とは違うスタイルでの会話となっている。つまり、制度的状
況の会話の典型例といえよう。
スポーツ実況を会話分析の視点から行った例として岡田光弘の研究がある。
岡田は、スポーツ中継の特徴として、「すでに準備してある原稿を朗読している
ようなリズミカルな場面や活動の描写だけでなく、それ以外のさまざまなモー
ドが並存している」(岡田,2002: 167)とし、実況者と解説者の役割分担を手
がかりにスポーツ実況特有のモードの存在を明らかにした(岡田,2002)。
また、三宅和子は、社会言語学の観点から、1996 年のアトランタ五輪の女子
マラソン実況をデータとして、アナウンサーや解説者の間の役割分担や話し方
の約束事の存在を指摘した。このマラソン中継は、当時、視聴者による批判が
集中したものであり、三宅は、実況アナウンサーと解説者とのやりとりにどの
ような特徴があり、視聴者の不快感の要因は何であるのかを探っている。分析
の結果として、「スポーツ放送の典型的なスタイルからの逸脱」を指摘し、アナ
ウンサーと解説者と「やり取りの断絶」、「解説者の役割放棄」、「解説者の役割
崩壊」を不快感の原因として結論づけた(三宅,2004)。
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こうした言語学的な視点からのスポーツ実況研究については、今後、音声学
的なアプローチの必要性も求められるであろう。ただし、その場合は現場経験
や競技への理解が不可欠で、ともすれば単なる分類に終わる危険性も指摘され
ている(清水・岡村・梅津・松田,2006: 30)。
(3)言説分析からのアプローチ
次に、言説分析からの視点を紹介する。言説分析とは、「ある時代において、
ある言説が支配的になるのはなぜか、その問いを言説というデータに即しなが
ら、解明すること」(友枝,2006: 236)である。言説とは、その時代に「語ら
れるもの/こと」であり、言説分析では、なぜ語られるのかを背後で支える形
式つまりは編成の規則性を問うことになる(赤川,1990: 30)。メディアスポー
ツの言説分析では、ポピュラーカルチャーにおけるイデオロギーの埋め込みに
着目し、ナショナリズムやジェンダー、人種、チームワーク、暴力など、当該
社会の支配的な価値観のメディア表象を問題としてきた。
例えば、トンプソンは、日本のスポーツメディアに特徴的な「日本人種」言
説を浮き彫りにすることを目的とし、書籍や広告、テレビ中継などのメディア
を事例として分析を試みた。ここでいう「日本人種」言説とは、「体格、筋力で
劣る日本人」というステレオタイプ的な見方である。例えば、大相撲中継分析
では、外国人力士に対する実況アナウンサーと解説者とのやりとりを通して、
「日本人」と「日本人以外」を無意識に区別したやりとりがみられた。トンプ
ソンは、そこから、スポーツメディアにおいて自明視されている「日本人種」
言説を浮き彫りにしている(トンプソン,2008)。
このほか、2002 年の日韓共催ワールドカップにおけるメディア言説を分析し
た坂本佳鶴恵の研究がある(坂本,2006)。坂本は、スポーツをメディア・イベ
ントととらえたうえで試合中継を分析し、「ドラマ化の演出」の存在を指摘して
いる。さらに、メディア言説における「日本」や「日本人」に対する意識の強
調を取り上げ、自国の応援に対する熱狂ぶりがグローバルスタンダードとして
正当化され、世界に対する報道が決して国境を越えるものではなく、むしろ国
家に対する意識を強化する言説として機能している点を明らかにした。スポー
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ツ実況に関係あるものでは、応援放送化への批判もこの系譜でとらえることが
可能である。また、ジェンダーについては、主に映像面からジェンダーバイア
スを指摘したものとして神原(2009)の研究などがある。
筆者も同様に、スポーツ実況に埋め込まれているイデオロギー性に注目して
言説分析の手法を用いながらメディアスポーツを分析してきた。以下ではその
際に依拠する「物語」の観点からのスポーツ実況の分析枠組みを提示する。
4.物語としてのスポーツ実況
(1)メディア・スポーツにおける「物語」
本稿が依拠するメディアスポーツを「物語」としてとらえる視点は新しいも
のではない。代表的な例では、清水諭が文化人類学の知見を援用しながら甲子
園野球を「物語」ととらえた研究がある(清水,1998)。清水は実況アナウンサ
ーの語りを分析し、甲子園野球のテレビ中継が「青春」「若者らしさ」を強調し
ていることを指摘した。また、山本教人は、西日本新聞社が主催する「九州一
周駅伝」について、西日本新聞の内容分析を行って、時代ごとの語られ方の変
化を明らかにした(山本,2002)。
また、阿部潔は、「アスリートを取り巻くメディアの語り=物語の文法」(阿
部,2008: 83)について考察した。阿部は、スポーツ・ドキュメンタリーが引
き起こす感動は物語性に起因するのだと述べ、スポーツ・ドキュメンタリーに
は、「栄光→挫折→努力→再起」というパターンが存在することや、国際大会に
特徴的な「ナショナルな物語」の語られ方に言及している(阿部,2008)。
このなかで阿部は、ドキュメンタリーでは、スポーツが引き起こす感動を構
造化することが比較的容易であることを指摘し、スポーツ実況は感動を構造化
することが困難であると述べている(阿部,2008: 86)。確かに、リアルタイム
の生の試合を追うスポーツ実況においては勝敗の行方は誰もわからず、「物語」
になりにくいという側面を持っている。しかしながら、そうであっても実況ア
ナウンサーは「物語」を構成しようと試み、実際に、スポーツ中継を「物語」
として論じることが可能である。なぜならば、出来事について他者に語るとい
う行為そのものが「物語」へと出来事を変換して語る行為であり、「物語る」こ
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とでもあるからだ(Genette,1972=1985: 16)。亀山佳明は、出来事を語る場合
には、「当の一連の流れを一定のパースペクティブから切り取り、多様な諸事実
を選択するとともに一定の秩序を有するものへと整理される必要がある」(亀山,
1990: 20)と述べる。つまり、物語る際には語り手の取捨選択を必ず伴い、「語
るべきこと」の集積として「物語」が構成されるのだ。
「物語」を語る際に重要なのがプロットである。プロットとは、事実と事実
との相互の関連性であり、因果関係を意味する。亀山は、諸事実を時の経過に
ともなって展開するものをストーリーと呼び、プロットと区別したうえで、人
間の行動をストーリーとプロットをもつ様式で叙述したものを「物語」と呼ん
でいる(亀山,1990: 20)。
こうした観点からすると、スポーツ実況についても「物語」ととらえること
が可能である。続いては、スポーツ実況における「物語」の構造を明らかにし
ていく。
(2)筋書きのないドラマの「筋書き」
スポーツの試合は「筋書きのないドラマ」といわれる。確かに、スポーツが
ヤラセ、八百長でない以上、シナリオはなく真剣勝負の行方は誰もわからない。
それが人びとの心をとらえるのであり、スポーツがもつ「予測不可能性」が人々
の心に訴えかける。
しかし、それは、前もって勝敗の行方はわからない、何が起きるか予測でき
ないという意味であり、スポーツ実況中継がメディアに媒介されている以上、
何らかの意味づけをもって視聴者に提示されていることは間違いない。実況ア
ナウンサーは、試合の 中は眼前で繰り広げられるプレーを克明に追う。しか
し、実況アナウンスを注意深く聞いていると、選手の動きや監督の采配を意味
づけ、評価しながら、勝敗を予測していることに気がつく。つまり、実況アナ
ウンサーは「筋書きのないドラマ」の「筋書き」をあえて描き、視聴者に勝ち
負けにつながる「物語」を提供している(深澤,2010)
アナウンサーは事前の想定なしに試合に臨むことはありえない。取材をもと
にして選手の動きを把握し、両者(両チーム)の力関係からどのような試合に
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なるのか、誰が活躍しそうか、試合を決するポイントは何かをあらかじめ想定
したうえで試合に臨んでいる。つまり、当該試合の主人公を設定したうえで試
合展開を予測し、シミュレーションを行ってから実況中継を行っている。スポ
ーツ実況とは、シミュレーションをもとにして、「試合展開に合わせて自身の言
葉を調整しながら表現し、ひとまとまりの叙述を練り上げていく作業」(深澤,
2010: 172)なのである。
その作業において必須なのがアナウンサーの構成能力である。NHK アナウン
サーの刈谷富士雄は、実況アナウンサーに求められるスキルとして、実況能力、
会話力、取材力に加えて、プレゼンテーション能力を挙げている。刈屋は、ス
ポーツ実況では、「取材した情報、解説者とのやり取り、リポーターからの情報
を駆使してそれぞれのポイントを浮き彫りにしながら、その中継の 大の焦点
へと視聴者を導き、その 大のポイントの一瞬の攻防を伝えきる力が必要」(刈
屋,2005: 105)と述べ、「そのためにはポイントを把握する力とそれをよりわ
かりやすく効果的に視聴者に指示する力、そして放送そのものを熟知して仕切
る力も重要」(刈屋,2005: 105)であると構成能力の大切さを強調している。
注目すべきは、刈屋が実況者の役割とは、視聴者の思いを代弁し、共感させ
る力が必要だと述べている点である。刈屋は「見ている人の心に共鳴するコメ
ントを 高のタイミングで発すること」(刈屋,2005: 105)を目指していると
述べ、視聴者の思いと実況コメントが共鳴したときに人々の感動は大きくなる
のだとしている(刈屋,2005: 105)。
また、前述の山本浩は、「実況は、勝利を目指して戦う選手の一つ一つの動き
や心理状態を追いながら、試合というストーリーを書き上げる翻訳家の仕事」
(山本,2005: 118)であると述べている。したがって、スポーツ実況とは、眼
前で行われている「いま、ここ」のプレーをその魅力を損なうことなく届け、
視聴者とシンクロするように言葉を紡ぎだし、「現実」以上に人々の心を揺さぶ
り、感動を増幅させる営みといえるだろう。
しかしながら、こうしたアナウンサーの意識は時に試合展開と遊離した過剰
さとなって視聴者に届き、「うるさい」ものとして批判の対象ともなるのは前述
のとおりである。
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(3)スポーツ実況における「物語」の構造
1)スポーツ実況のなかの「物語」
続いては、スポーツ実況で語られる「物語」が「勝負の物語」と「共同体の
物語」とに類型化されることを指摘し、両者の絡まりによってスポーツ中継に
おける「物語」が構成されることを明らかにしたい。
その前に確認しておきたいのは「物語」の構造についてである。藤田真文は
アダンの知見を援用しながら、物語とは「ある登場人物の身に(参加者の恒常
性)、時間が経過して何かが起こったことで(過程の継起)、ある登場人物が変
化する(述語感の関係の論理)」(藤田,2006: 30)ものだと述べている。つま
り、物語には①一定の登場人物、②時間の経過と連続する出来事、③登場人物
の変化が必要なのである。
この知見をスポーツ中継に援用した場合にはどのようにいえるのか。まず、
①の登場人物について述べる。スポーツ中継においては、選手やチーム、監督
といった試合を行っている人物(団体)が主人公となる。主人公を中心として
スポーツの「物語」は構成されるのであり、実況アナウンサーの試合のシミュ
レーションでは必ず主人公を設定し、主人公の名前は試合中頻繁に話題に上る
ことになる。
②、③については、スポーツ実況における時間構造との関係で考えてみたい。
当然、試合は「現在」行われている。それを逐一追っていくのがスポーツ実況
である。つまり、視聴者は生放送では現在進行形でテレビをみている。しかし、
試合は必ず終了の時を迎える。終了つまりは勝敗が決することによって、選手
やチームに変化が訪れる、これが「過程の継起」に伴う登場人物(選手、チー
ム)の変化である。
このように、スポーツ実況は「現在」を追いながらも、主人公の設定とその
主人公の変化という「物語」的要素を含んで語られている。以下では、もう少
しこの構造を詳しくみていきたい。
2)勝負の物語
では、サッカーを例にスポーツ実況の「物語」について考えてみよう。山本
史華は実況分析によって、「現在・過去・未来」という時間軸がサッカーの試合
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に含まれていることを明らかにした(山本,2000)。山本は、実況中継の役割を、
①知識の提供、②試合の実況放送、③ゲームの展望の 3 つの側面に分類してい
る。
この 3 つは①から順に、過去、現在、未来または可能性(反事実的条件法)
に対応している。順番に説明すると、①の「知識の提供」とは、選手の身長、
体重などのパーソナルデータやプロフィール、戦績、戦術などの試合時点まで
に得られたデータである。②の「試合の実況放送」は、「まさに目の前で展開さ
れている試合そのものの伝達」(山本,2000: 75)を指す。これは実況アナウン
サーの独白が中心である。
そして③の「ゲームの展望」であるが、これは「~だったならば~になるだ
ろう」というように、主に仮定法で語られる言説である。現在の状況を把握し
た上で、「○○選手を投入すれば……のように変化するだろう」、という未来を
予測する形で語られることになる。
③の「ゲームの展望」は勝ち負けに結びつく言説である。リアルタイムでの
展望は前述のとおり未来の予測として語られるが、試合が終了した際には、「な
ぜ勝ったのか」「なぜ負けたのか」の理由を未来予測の言説が担うことになる。
アダンは、物語は結末から発端へとさかのぼることで秩序立てられている
(Adam,1984=2004: 108)と述べている。つまり、勝敗という結末を起点とし
て、プレーや戦術についての評価がさかのぼって因果関係によってまとめあげ
られることで一連の流れが形成され、「物語」が構成されていく。こうした直接、
勝敗につながる「物語」を本稿では「勝負の物語」と呼んでおく。
3)共同体の物語
そして、スポーツ実況にはもう一つの「物語」が存在している。それは、勝
敗とは直接は関係ない「物語」であり、選手の生き様や人間関係、思いなどを
語る「物語」である。本稿ではそうした「物語」を「共同体の物語」と呼ぶ。
前述の「勝負の物語」と「共同体の物語」はスポーツを構成する二つの側面
に対応する。小椋博は、スポーツの側面を、「ゲームあるいはレースとしてのス
ポーツ」(スポーツのゲーム的側面)と、そのゲームを遂行し成り立たせている
人間やその集団的な仕組みである「共同体としてのスポーツ」(スポーツの社会
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的側面)とにわけて論じている(小椋,2000: 31)。
前者は、各種目ごとの競技規則に従って、プレーヤーが技能と戦略を駆使し
て勝利を得るために戦うスポーツの側面である。一方、後者は、ゲームを遂行
する人間の社会的集団としての側面である。選手たちはスポーツ共同体の一員
として競技規則はもちろん当該社会の伝統や慣習を守ることが要求される。メ
ディアもそうした観点でスポーツを扱い、人間個人や社会集団に関係する出来
事が道徳的に語られるのである(小椋,2000: 32)。
その際たるものが高校スポーツの中継である。高校スポーツでは、勝者だけ
でなく敗者にスポットがあたることが多い。また、勝敗の行方よりもスポーツ
とは直接は関係ない人間ドラマに焦点を当てた取り上げ方もされる。スポーツ
が教育の一環として語られる日本のアマチュアスポーツならではの取り上げ方
であり、それは人生訓となって人々のスポーツ観を構成する。当該社会の価値
観をなぞる形でその物語は語られ、人々の社会的現実を形づくることになる。
また、技術面に注目した場合、アマチュアスポーツはプロに比べ未熟である
がために、技術・戦術眼よりは選手個人が浮かび上がるという面もある。山本
浩は、高校スポーツで選手や学校の情報を取り上げることは「登場人物のイメ
ージをプレー以外でもふくらませ、選手に対する親近感をもたらす」(山本,
2003b: 55)と述べており、結果として、高校スポーツの実況は「共同体の物語」
に重きを置いたものとなっている。
このほか、国際大会でナショナリズムが強調される例もそうであり、社会で
共有されている常識、価値観に則った形で「物語」化されている。この物語は、
メディアによる「共同体」をつくり出す作用を果たしているといえよう。
(4)事例研究:全国高校サッカー選手権決勝戦を例に
1)「勝負の物語」の語られ方
では、具体的に、実際のスポーツ実況において「勝負の物語」がどのように
語られているのかをみていこう。分析対象として、2009 年 1 月 12 日に行われ
た第 87 回全国高校サッカー選手権決勝戦「鹿児島城西高校 対 広島皆実高
校」(日本テレビ系)の中継映像を用いる。実況を担当した藤井貴彦アナウンサ
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ーと解説者の武田修宏さんのコメントをもとに「物語」の語られ方をみていく。
なお、試合は 3 対 2 で広島皆実高校が勝ち、初優勝を飾っている。
まずは、実況アナウンサーがいかに試合の見どころを提示しているかを確認
する。実況アナウンサーはどの試合においても試合の見どころを伝える「図式
化」をはかり、主人公を設定する。これは試合を「わかりやすく」みてもらう
ための戦略である(深澤,2010)。
この試合においても、両校の対照的なチームカラーが紹介された。鹿児島城
西高校の攻撃力に対し、広島皆実高校の守備力との対比である。以下のオープ
ニングコメントが端的に示している。
【オープニングコメント】
藤井:第 87 回の決勝は、歴史に残る名勝負が生まれるかもしれません。すでに選手
権の 多得点記録 27 ゴールをたたき出した鹿児島県代表・鹿児島城西高校、
広島伝統の守備でここまで 4 試合の完封、広島県代表・広島皆実。日本一鋭
い剣と日本一硬い盾はどちらが強いのか、国立に新たな歴史が生まれようと
しています。第 87 回全国高校サッカー選手権大会、4082 校の頂点が決まる決
勝戦、優勝旗は、広島でとまるのか、九州に入るのか。関門海峡を挟んだ熱
戦がこの後です。
さらには、主人公として、注目のストライカー鹿児島城西高校の大迫選手を
設定する。以下が藤井アナウンサーと武田さんとのやりとりである。
【前半 30 秒】
藤井:ともに初優勝がかかります。鹿児島城西高校と広島皆実高校の対戦です。鹿
児島城西は、県勢 3 大会ぶり 6 回目の決勝を迎えました。第 83 回鹿児島実業
以来、4 回大会ぶりの優勝を狙います青いユニフォーム鹿児島城西高校。歴代
多タイの 9 ゴールを上げている大迫勇也を中心にここまで 27 ゴールを挙げ
てきました。これは選手権 多記録になりました。鹿児島実業以外で初の決
勝進出を決めている鹿児島城西高校です。武田さん、大迫勇也選手にどれぐ
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らいボールが入るかというのが一つ鹿児島城西高校の攻撃の軸になりますね。
武田:そうですね。逆に言ったら広島皆実はどういう風に組織として防ぐのかとい
うのが注目ですね。
以上のように、注目選手として大迫選手を挙げたうえで、広島皆実高校が鹿
児島城西高校の大迫選手を軸にした攻撃力をどう防ぐかがこの試合のポイント
であることを示した。視聴者の理解を助ける準拠枠組み(フレーム)の提示は、
物語の筋書きとなる重要な要素であり、試合が終わり「物語」が完成した際に
意味を持つことになる。
続いては、得点の場面である。後半 17 分に鹿児島城西が 2 対 2 の同点に追い
ついた時のトランスクリプトを以下に示す。
【後半 17 分】
藤井:平原、中には野村が待っている。野村右足のシュート、同点ゴール、同点ゴ
ール、鹿児島城西のパスサッカーが 2 対 2、同点に追いついた。2 年生の平原
から野村が右足で流し込んだ……。
武田:よく切れましたねー。後半から出た平原選手がねー勝負して…。
以上が、鹿児島城西高校が同点に追いついた場面である。1 点ビハインドの
鹿児島城西は、途中出場の平原選手からのパスを受けた野村選手が同点ゴール
を奪った。この場面では、なぜ得点に結びついたのかについて、解説の武田さ
んが「後半から出た平原が勝負した」ことに起因するといっている。プレーと
得点とが因果関係で結ばれた場面といえる。
さらに、この得点で注目すべきは、得点の直前に、解説者が鹿児島城西の攻
撃の変化を指摘し、右サイドを起点とした攻撃が機能し得点への期待を示して
いることである。以下がその際の実況と解説者のコメントである。
【後半 15 分】
武田:後半から出た右サイドの平原選手がですね、積極的に仕掛けてチャンスを作
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るようになってきましたけどね。
【後半 17 分】
藤井: 武田さん、ただ徐々に鹿児島城西が敵陣でプレーする時間帯が多くなってき
ました。
武田:そうですね、あのーしっかりと中盤つなぐように、特に安田選手ですね、右
サイドからチャンスをつくるようになってきましたね。
【後半 18 分】
藤井:やはりこの大迫勇也にパスを入れ続けていることから始まりました。
以上のように、得点が入る前に実況者は鹿児島城西のチャンスが増えてきた
ことについて触れ、解説者がなぜそうした展開になっているのかを説明してい
る。解説者の役割とは、「~だからこそ~となる」との理由づけをすることであ
り、試合中での予測が結果に結びついたときに、視聴者は「物語」としての一
連の流れを感じることができる。前述の結末(得点)からさかのぼって「物語」
となる例ともいえよう。さらに、後半 18 分には、解説者の言葉を受けて、藤井
アナウンサーが、先ほどの得点が大迫選手へのパスを続けたことから生じたも
のと理由づけをしており、このコメントでも得点とプレーが因果関係で結ばれ
ている。本来、スポーツの得点や結果は偶然性に左右されることが多い。ただ
し、スポーツ実況においては結果に至る過程が因果関係で結ばれて「物語」が
形成される。
2)「共同体の物語」の語られ方
続いては、高校サッカー選手権の実況中継において「共同体の物語」がどう
語られたのかを確認しておく。先に述べたとおり、「共同体の物語」の語りとは、
当該社会の成員が共有する価値観に基づいたものであり、選手、チームの人間
ドラマのことを指す。この試合においても選手や監督のプロフィールを紹介し
たり、人間性を示すようなエピソードが紹介された。以下、この試合における
例を抜き出してみる。
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【前半 14 分】
藤井: 後は 10 番の安田啓優、身長 170 センチ、鹿児島育英館中学校からの 6 年間
一貫教育を経て、この決勝に進んできました。この決勝が終わった後は就職
をして鹿児島県内の石油エネルギー関連の会社に就職をするということでサ
ッカーを本格的にするのはこれが 後だと話をしていました。武田さん、就
職をする選手もいれば、この後、センター試験を受ける選手もいます。そし
て、J リーグに行く選手もいる。いろんな選手たちがこの決勝を戦っているん
ですね。
武田:そうですね、まあ、高校生にとってはこの舞台は夢ですし、まあこれが 後
の 3 年生にとってのグランドなので、 後の 1 秒までプレーしたいという気
持ちで今日は頑張っているんじゃないですか。
【前半 29 分】
藤井:今、体を張った 13 番の伊地知ですが、毎試合毎試合勝って宿舎に戻れること
が本当に嬉しかった。プレッシャーに堪えてきた選手権だったと話します。
実はこのあとは自衛隊に入隊することが決まっています。4 人兄弟の 2 番目。
お姉さんも弟も大学に行くということで、自分は奄美大島の出身なんでねー、
鹿児島県にその下宿をさせてもらった……下宿をさせてもらった。もうすで
にわがままを言ったので大学での進学ではなく、はやく親孝行をしたいとい
うことで自衛隊に入隊を決めたということです。
以上のような要素はスポーツとは直接関係がない。しかし、スポーツは当該
社会が共有する価値観を強化する役割を果たし、「教訓」として語られる。上記
の例は、努力することの尊さ、学生の本分は勉強であること、親孝行の大切さ
などの道徳的な価値観が表象されている。また、「夢の舞台」として国立競技場
の聖性を強調していて、実況アナウンサーはもちろん、ベンチや応援席リポー
ターを巻き込みながら、数々のエピソードが織り込まれる。
3)交錯する「物語」
続いては、両者の「物語」が交錯する「語り」について触れてみたい。「勝負
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の物語」と「共同体の物語」は完全に峻別されるものではない。時には、「共同
体の物語」としての選手の思いやヒューマンストーリーが、「勝負の物語」の要
素である得点やプレーと結びつけられて語られることがある。この試合では、2
得点の活躍をみせた広島皆実高校の金島選手に対する語りがその一例といえる。
以下は、1 点目を取った後の前半 32 分のコメントである。
【前半 32 分】
藤井:9 番の金島へのパス、今日は金島、ボールを受ける、その回数がいつもより多
いような気がいたします。
武田:本当に右と左からね、広島皆実は非常にいいショートパスをつないだ、チャ
ンスを狙っていますね。
藤井:どうもこのオレンジのスパイク、金島からもう一度、チャンスが生まれそう
な勢いです。実はこの 9 番の金島はセンター試験を 1 月の 17 日、18 日の土曜
日、日曜日に控えています。実は広島皆実高校で文系で 1 位の成績を持って
いるということで宿舎でも参考書を積み上げて勉強を続けながらこの決勝に
コマを進めてきました、さあ、その金島。
アナウンサーの発話時点では、金島選手はまだ 2 点目を取っていないのだが、
金島選手に視聴者の注目を集め、未来(得点)を予測する(「チャンスが生まれ
そうな勢いです」というコメント)ことによって視聴者を引きつけるテクニッ
クを使っている。得点を奪った時には、事前のこうした予告が物語の構成に意
味を持ってくるのである。日本テレビの元アナウンサーである今井伊佐男は、
試合中に選手やチームのネタを披露し、結果が出た時に意味を持たせる実況テ
クニックを「クサビを打つ」という表現を使ってその重要性を指摘している(今
井,1994: 105)。このコメントはまさにその例であり、実況者が注目選手を設
定し、試合中に存在を浮かび上がらせることで、活躍の予感を表明している。
さらに、注目してほしいのは、「共同体の物語」である選手の個人的情報と得
点への期待という「勝負の物語」が並列で紹介されている点である。センター
試験を受験すること、トップの成績を持っていることが、プレーの紹介と同時
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に語られている。パーソナルな情報が選手の活躍と絡めて語られているのがス
ポーツ実況の特徴といえる。そして、その金島選手は 2 対 2 の同点から勝ち越
しゴールを奪う。その時の実況を以下に示す。
【後半 21 分】
藤井:勝ち越しゴール、金島きょう 2 点目、大会通算 3 ゴール、センター試験を控
えながら、参考書とも戦いながら、国立の決勝で 2 ゴールを挙げた。あと 1
ゴールでハットトリックが待っている。9 番の金島、広島皆実を救うゴールに
なるか、これで 3 点目。
このように、センター試験を目指して勉強してきたという金島選手の「共同
体の物語」と得点を奪うという「勝負の物語」が結ばれて語られるのである。
4)まとめ
以上のように、スポーツ実況の「物語」には、「勝負の物語」と「共同体の物
語」との二つが存在し、実際のスポーツ中継においては両者が錯綜しながら語
られていくことになる。「勝負の物語」における感動とは、スポーツそのものが
持つ感動である。その感動に「共同体の物語」がシンクロしたときに感動は相
乗効果でより多くの人を引きつけることになる。両方の物語は完全に独立して
いるのではなく、相互に影響を及ぼしながら、当該の試合の「物語」が形成さ
れていく。
また、勝負において 大の価値は勝利することであり、なぜ勝ったのかは「勝
利の物語」として語られる。一方の敗者にも「なぜ負けたのか」「なぜ勝てなか
ったのか」という物語(敗者の物語)が存在する。実況アナウンサーは、勝負
が決した時には視聴者に勝者、敗者両者の物語を提示する。それは戦略、戦術、
プレーといったスポーツそのもの(「勝負の物語」)にとどまらず、本稿でいう
「共同体の物語」とからめながら語られていく。つまり、両者の「物語」の相
互参照による遂行性によってスポーツの「物語」は語られるのだ。実況中継で
は、アナウンサーはシナリオを書く役割を負っている。ときに試合前に書いた
シナリオは修正を強いられる。しかし、試合展開に合わせて実況アナウンサー
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はその都度、主人公を設定し直し、新たなシナリオに改変しながら「物語」を
構成することになる。
5.おわりに
以上、本稿では、スポーツ実況研究の視座を提供し、そのなかでも「物語」
の観点からの分析枠組みを提示した。これまで述べてきたように、リアルタイ
ムの試合を伝える実況中継においても「物語」化は避けられないのであり、「勝
負の物語」と「共同体の物語」とが相互に参照し合いながらスポーツ実況にお
ける「物語」は織り上げられている。
また、こうした「物語」は試合終了後に他のメディアや番組にも取り上げら
れることになる。その場合に、新聞記事、テレビ番組、ドキュメンタリーとい
ったスポーツをめぐる様々な言説が複雑にせめぎ合いながら支配的な言説を形
づくり、私たちの価値観を構成していくことになるのだ。
しかし、こうした「物語」化は負の側面を抱えている。浅野智彦は、「物語」
のマイナス面として、物語を通して可能性や矛盾が隠蔽される点を指摘してい
る(浅野,2001: 63-65)。また、フィスクも、物語行為では、「語られないこと」
が排除され、そのような排除された存在が見えにくくなる働きを指摘している
(Fiske,1987=1996: 197)。つまり、メディアによって提示された「物語」では、
その内部に知るべき情報はすべて含まれており、あたかもその「外部」が存在
しないかのように世界が構築されてしまうのである(津田,2006: 67)。スポー
ツの「物語」では、口当たりのいい感動ドラマばかりが語られ、単純化、一元
化してスポーツが語られる危険性があり、それらはスポーツの魅力を伝えてい
ないという批判に結びついていく。
では、どのような実況スタイルが望ましいのであろうか。本稿で何度も引用
した山本浩は、スポーツ実況者の役割について、「ありのまま」を伝えることだ
と述べている(山本,2003a: 71)。しかし、スポーツの言説は「物語」化される
のが常であり、必然的に「ありのまま」以上のものを含んでしまう。そうした
なかで、スポーツ中継批判は、アナウンサーが語る「言葉の過剰さ」「無意味な
盛り上げ」を問題とする。ただ、古舘伊知郎アナウンサーのプロレス実況が一
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世を風靡したように、視聴者がその過剰さを楽しんでいる部分もある。となる
と、スポーツ実況の「物語」とは単に「うるさい」と批判すればこと足りるも
のではなく、受け手がどのようにスポーツ実況の「物語」を消費しているのか
という点にも目を配る必要がある。そのうえで、送り手の「物語」化について
も考察を進めなくてはならない。
小椋博は、スポーツとは、近代社会の一つの制度として構造化され、合理主
義・能力主義・科学主義を内包する文化として形成されたのだとする。その反
面、現実生活では味わうことのできない「一発逆転」や日常で排除される賭け
や偶然を楽しむなど、非日常的ドラマの可能性が残された貴重な世界がスポー
ツなのだと述べている(小椋,2000: 34)。そうであるならば、スポーツ実況者
が描く「筋書き」とは、「非日常的ドラマ」をどうやって視聴者にみせることが
可能かが問われている。
スポーツでは、送り手の意図を超えて予想しえないことがときに起きる。筆
者もそういった場面に立ち会い、放送席で絶句することもしばしばだった。そ
うであるなら、スポーツの感動に言葉は不要なのだろうか。また、「生」の試合
が引き起こすスポーツの偶有性とアナウンサーが志向する「言葉」への欲望は
相容れないものなのか。スポーツを言語化することに腐心してきた身として、
メディアはスポーツをどう伝えるべきなのかをこれからも考え続けたい。
また、今後の課題として、「物語」の構造をさらに細かく分析し、プロスポー
ツやアマチュアスポーツ、ナショナルイベントなどの大会ごとの構造の違いの
解明や、映像面の分析にも力を注いでいきたい。
参考文献
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語論:プロップからエーコまで』白水社.
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ィーズ』世界思想社.
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