古典派およびマルクスの経済学入門2 はじめに <本稿の執筆動機>...

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1 古典派およびマルクスの経済学入門 田中淳平 * 北九州市立大学経済学部 概要 本稿は 1 部門ないし 2 部門の古典派モデル(=単純化されたレオンチェフ=スラッファ型 の線形経済モデル)を用いて、「マルクスの基本定理」や「階級・搾取の対応定理」といっ た数理マルクス経済学の主要命題を、この分野に関する予備知識のない人でも理解できる ように丁寧に解説したものである。 キーワード:古典派モデル、レオンチェフ=スラッファ型の線形経済モデル、数理マルク ス経済学、アナリティカルマルキシズム、マルクスの基本定理、階級・搾取の対応定理 目次 はじめに 1 1 部門モデル 1.1 2 階級モデル 1.2 階級生成モデル 2 2 部門モデル 2.1 2 階級モデル 2.2 階級生成モデル * E-mail: [email protected] The Society for Economic Studies The University of Kitakyushu Working Paper Series No.2011-5 (accepted in 24/01/2012)

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Page 1: 古典派およびマルクスの経済学入門2 はじめに <本稿の執筆動機> 本稿は「マルクスの基本定理」や「階級・搾取の対応定理」といった数理マルクス経済

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古典派およびマルクスの経済学入門

田中淳平*

北九州市立大学経済学部

概要 本稿は 1 部門ないし 2 部門の古典派モデル(=単純化されたレオンチェフ=スラッファ型

の線形経済モデル)を用いて、「マルクスの基本定理」や「階級・搾取の対応定理」といっ

た数理マルクス経済学の主要命題を、この分野に関する予備知識のない人でも理解できる

ように丁寧に解説したものである。

キーワード:古典派モデル、レオンチェフ=スラッファ型の線形経済モデル、数理マルク

ス経済学、アナリティカルマルキシズム、マルクスの基本定理、階級・搾取の対応定理

目次 はじめに

第 1 章 1 部門モデル

1.1 2 階級モデル

1.2 階級生成モデル

第 2 章 2 部門モデル

2.1 2 階級モデル

2.2 階級生成モデル

* E-mail: [email protected]

The Society for Economic Studies The University of Kitakyushu Working Paper Series No.2011-5 (accepted in 24/01/2012)

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はじめに

<本稿の執筆動機>

本稿は「マルクスの基本定理」や「階級・搾取の対応定理」といった数理マルクス経済

学の基本命題を、この分野に関する予備知識のない人でも理解できるように丁寧に解説し

た講義ノートである。近年、我が国では格差問題に対する関心の広がりなどを背景として

マルクスの経済学が再び脚光を浴びており、一般読者を対象としたマルクス経済学関連の

書籍が次々と出版されている1が、それら啓蒙書のレベルを越えて数理マルクス経済学の核

心部分である搾取論を親切に解説した本はほとんど存在していない(もしくは過去に出版

されていたとしても現時点で入手しづらい)2。これは、主流派経済学(=いわゆる近代経

済学)の領域において様々な啓蒙書から大学生を対象とした教科書、大学院レベルの専門

書までがバラエティ豊かに出版されているという状況とは対照的であり、こうした現状は

啓蒙書レベルを越えて数理マルクス経済学をきちんと勉強してみたいと考えている読者に

とって大きな障害になっているように思われる。本稿はこうした現状を少しでも改善する

目的で執筆されたもので、単純なモデルを用いて数理マルクス経済学の主要命題を丁寧に、

しかし難しい数学を使うことなく解説している(したがってレベル的には大学生向けの初

級から中級程度の教科書に相当する内容となっている)。ただ、著者はこの分野の専門家で

はなくむしろ素人に近い立場なので、本稿には様々な誤りが含まれている可能性があるこ

とをあらかじめ申し上げておかなければならない。もし明らかな誤りを見つけられた場合、

著者にメールしていただけると幸いである。

<数理マルクス経済学とは>

数理マルクス経済学では、基本的な分析枠組みとして経済内の商品群が拡大再生産され

ていく様子を描いた古典派的な線形経済モデル(レオンチェフ=スラッファ型のモデル)

を用いるのが標準的である3。ただ、古典派経済学では例えば「そのような経済において所

得分配はどのような要因によって規定されるのか」といった実証的(=事実解明的)な問

題に関心を持つ場合が多いのに対し、マルクス経済学では「そのような経済において実現

する所得分配は果たして公正と言えるのか」といった規範的な問題を分析する点にその最

大の特徴がある。

1 例えば、稲葉・松尾・吉原(2006)、的場(2008)、池上(2009)、木暮(2010)、松尾(2008, 2010)などを挙げることができる。また、最近出版されたものではないが、廣松(1990)や木原(1994)などもこの分野の啓蒙書として一読の価値がある。 2 数理マルクス経済学の古典的著作としては置塩(1978)や森嶋(1974)、比較的最近出版

された解説書としては高増・松井編(1999)などがあるが、どちらも現時点で入手しづら

い。雑誌で発表された解説記事を含めると、高増(2000)、吉原(2008.b)なども参考にな

る。 3 古典派経済理論の解説としては、マインウェアリング(1987)、フォーリー&マイクル

(2002)、パシネッティ(1979)、細田(2007)などがある。

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マルクス経済学において分配の公正さを測る尺度として導入されるのが「(投下)労働価

値」という概念である。ある財(=商品)の労働価値とは、その財を 1 単位生産するのに

直接・間接に投入した労働の量のことを意味するが、マルクス経済学では労働者が 1 単位

の労働を市場に提供した見返りとして得た財の労働価値が 1 未満のときその労働者は搾取

されていると呼び、どのような条件下でそのような不公正な帰結が生じるかを考察するの

である。この意味で、(主流派の近代経済学の立場から見ると)数理マルクス経済学とは、

労働価値という公正さに関する特定の価値基準を採用することで、実現した所得分配の規

範的性質を考察する厚生経済学の一種と理解するのが最も適当であるように思われる4。も

っとも、労働価値という指標が分配の公正性の尺度としてどの程度普遍的な説得力を持っ

ているのかという点に関して、現時点では必ずしも満足の行く説明が与えられていないよ

うに思えるので、万人がこうした視点から経済システムの性能を規範的に評価することに

賛成するとは限らないかもしれないが、少なくとも数理マルクス経済学は(主流派経済学

の標準的教科書からは学べない)ユニークな視点で経済のあり方を考察する一つのきっか

けを与えてくれるし、また、その分析の方法や手順は基本的に主流派経済学と共通してい

るので、数理マルクス経済学を学ぶことで主流派経済学に対する理解も深まるものと思わ

れる。現時点で数理マルクス経済学は標準的な経済学の学習カリキュラムから除外されて

しまっており、日陰で細々と生き延びているといった状況に近いが、本稿を通じてこうし

た現状が少しでも改善すれば望外の幸せである。

4 学説史的には、労働価値という概念は市場における財の交換比率を説明するために考案さ

れた(例えば財 A の労働価値が 1 で財 B の労働価値が 0.5 のとき、財 A の(財 B で測った)

市場価格は 2 となると考える)。ただ、19 世紀後半のいわゆる「限界革命」によって市場価

格を説明する主観主義的かつ需給均衡論的な接近法が確立・浸透するにつれ、市場価格の

決定要因としての労働価値概念は見捨てられていく結果となる。 マルクスの経済学は限界革命以前に構築された学問体系なので、その体系内において労

働価値という概念は、財の交換比率を説明する実証的な意味合いと、分配の公正さを測定

する規範的な意味合いの両方を兼ね備えた概念として用いられているが、前者の意味での

説得力がほとんど失われてしまった現在、「マルクス経済学とは労働価値概念を後者の意味

で用いた厚生経済学の一種である」と解釈するのが最もすっきりするように思われるので

ある。

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第 1 章 1 部門モデル

第 1 章では小麦と労働力を生産過程に投入することで小麦が拡大再生産されるような単

純な 1 部門モデルを用いて数理マルクス経済学の主要命題を説明する。以下、1.1 節では生

産手段としての小麦を独占的に所有する資本家と、小麦を持たず自らの労働力を資本家に

売ることで生計を立てる労働者の 2 階級から構成される経済を想定して、どのような条件

の下で搾取が生じるのかという問題(=マルクスの基本定理)を検討する。次に 1.2 節では、

各個人は与えられた労働時間に関しては同質的であるが小麦の保有量に関して格差が存在

するような経済を想定し、各個人の合理的選択の帰結として誰が雇用者(もしくは被雇用

者)となり、誰が搾取者(もしくは被搾取者)となるのかという問題(=階級・搾取の対

応定理)を検討する。

1.1 2 階級モデル <生産技術>

1 種類の財(それを小麦と呼ぶ)が生産される経済を想定しよう。1 単位の小麦の生産に

は、a 単位の小麦とb 単位の労働を投入する必要がある。以下では、小麦の拡大再生産が可

能である経済、すなわち小麦の生産量がその投入量を上回るような経済を想定して議論を

進めるので、小麦の投入係数に関して a <1 を仮定する。また、小麦はひとたびそれを生産

過程に投入すると消滅するものとする。

<各経済主体の行動>

この経済には資本家と労働者の 2 人の経済主体がいる。資本家は期首に K 単位の小麦を

所有し、それと労働者から調達した労働力を用いて小麦を生産する。資本家が 1 単位の小

麦の生産から受け取れる収入は以下のように表わせる。

小麦生産 1 単位あたりの収入= p -wb

ここで、p は小麦 1 単位の価格、wは労働 1 単位あたり賃金(=賃金率)を意味している。

資本家はこの収入を得るために期首に pa の額の小麦を生産過程に投下しているので、彼の

獲得する利潤率 は以下のように求められる。

(1.1) 1+ =pa

wbp (もしくは、 =

pa

wbpap )( )

以下ではこの利潤率が正( >0)であるような状況を想定して議論を進める。利潤率が正

の時、資本家が獲得する利潤総額は生産量に比例して大きくなる5ので、この場合、期首に

保有していた全ての小麦を生産過程に投下するのが合理的となる。したがって、資本家が

その期に生産する小麦の量 y と対応する労働需要dL はそれぞれ以下のようになる。

5 小麦生産 1 単位あたりの利潤は )( wbpap なので、小麦の生産量を y としたとき、資

本家が獲得する利潤総額は[ )( wbpap ]× y で表せる。

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(1.2) y = aK / , dL = abK /

また、資本家が小麦の生産を通じて得る収入kR 、およびその収入で購入できる小麦の量

pRk / はそれぞれ kR = ywbp )( = pK)1( , pRk / = K)1(

となる。

一方、労働者は期首に L 単位の労働のみを保有しているが、それが資本家の労働需要dL よ

りも大きく(dL < L )、その結果、労働者は資本家の労働需要を制約として受け入れる(=

dL に等しいだけの労働を受動的に供給する)ような状況を想定する。したがって、彼が受

け取る収入wR (=賃金所得)、およびその収入で購入できる小麦の量 pRw / はそれぞれ

wR =dwL , pRw / = pwLd /

となる。

<市場均衡>

この経済の市場均衡を導出しよう。(1.2)より、この経済の生産量と雇用量は

(1.3) *y = aK / , *L = abK /

となるので、残るは諸価格の決定のみである。(1.1)を変形することで

(1.4) p = pa)1( +wb

を得るが、この式は「価格方程式」と呼ばれ、左辺は小麦 1 単位あたりの価格を、右辺は

小麦 1 単位の生産にかかる(利潤部分も含めた)生産費を意味している。均衡における諸

価格は当然この式を満たす値でなければならないが、仮に小麦を価値尺度(ニュメレール:

1p )に設定しても6、(1.4)は実質賃金率w(=小麦単位で測った賃金率)と実質利潤率

(=小麦単位で測った利潤率)の 2 つの未知数を含んでいるので、追加的仮定なしに両

者の値を確定することはできない。そこで以下では実質賃金率w が「労働者がその水準の

下でぎりぎり生存できるような最低水準w 」で外生的に与えられているような状況を想定

して議論を進めることにする。この場合、均衡利潤率は以下の値に確定する。

(1.5) *1 = abw /)1(

(1.5)より、この経済において実質利潤率と実質賃金率との間に相反関係が成立する(=

資本家と労働者はその所得分配において利害が対立する)ことが確認できるが、これは労

働者への賃金が上昇するにつれて資本家が受け取る利潤が減少することをふまえれば当然

の結果と言える。

最後に、各階級の小麦の取り分はそれぞれ以下のようになる。

pRk / = aKbw /)1( , pRw / = abKw /

6 価格方程式(1.4)は名目小麦価格と名目賃金率に関して 1 次同次、すなわちある ),( wp の

組み合わせが(1.4)を満たすならそれを倍した ),( wp も(1.4)を満たすという性質

を持っているので、その絶対水準は不確定となり、せいぜいその相対比率を決定しうるの

みとなる。

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<市場均衡における搾取>

上述の経済において、生産された小麦が資本家と労働者の間で公正に分配されていると

言えるかどうかを検討しよう。この点を論じるためには、公正性の基準をあらかじめ設定

しておく必要がある。マルクス経済学においてこの基準となる概念が「(投下)労働価値」

である。ある財の労働価値とは、その財を 1 単位生産するのに直接・間接に投下された労

働量のことを意味する。例えば、労働のみを 1 単位投入することで財 A を 1 単位生産でき

る場合、財 A の労働価値は 1 となる。また、財 B を 1 単位生産するのに、1 単位の労働に

加えて財 A を 2 単位投入する必要がある場合、財 B の労働価値は

1(直接的に投入された労働量)+2(財 A を通じて間接的に投入された労働量)=3

と計算できる。

では、上述の経済において、小麦の労働価値はどのように求められるだろうか。小麦の

労働価値を vとおくと、 vは以下の「価値方程式」を満たさなければならない。

(1.6) v= va+b

ここで、右辺の第 1 項は小麦自身の投入を通じて間接的に投下された労働量、右辺の第 2

項は直接的に投下された労働量を意味している。これを解くことで小麦の労働価値は以下

のように求められる。

(1.7) v= )1/( ab

マルクス経済学では、市場に提供した生産要素に含まれる労働価値と市場から受け取っ

た財に含まれる労働価値とを比較し、前者が後者を上回るときその主体は搾取されている

と定義する。上述の経済の場合、労働者は 1 単位の労働供給に対してw 単位の小麦を受け

取っているので

(1.8) 1> wv

が成立する場合に労働者は搾取されていることになるが、(1.5)と(1.7)より

1- wv = )1(/* aa

が成立するので、利潤率* が正のとき労働者は搾取される立場となるという以下の結果が

成立すること分かる。

(1.9) * >0 1> wv

このマルクス経済学の核とも言える結果は「マルクスの基本定理」と呼ばれ、より一般的

なモデル設定の下でもかなり普遍的に成立することが知られている7。

なぜ、利潤率が正のとき労働者は搾取されることになるのだろうか。この点は次のよう

に理解することができる。価値方程式(1.6)の両辺に均衡生産量*y を掛けて整理すること

で、以下が成立する。

7 マルクスの基本定理を世界に先駆けて証明したのは置塩信雄である。吉原(2008.a)は、

マルクスの基本定理がどのようなモデル設定の下で成立するか(もしくは成立しないか)

を厳密かつ系統的に論じている。

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(1.10) )( * Kyv =*L

ここで、 Ky *は均衡における小麦の純生産量(=生産量から投入量を差し引いた値)を

意味する。(1.10)は、均衡における小麦の純生産量の労働価値は、その経済の労働投入量

に等しいことを示している。他方、価格方程式(1.4)の両辺に均衡生産量*y を掛けて整理

することで、以下を導出できる。

Ky *= K +

*wL

これは、小麦の純生産量は資本家の利潤所得 K と労働者の賃金所得*wL とに分配されるこ

とを示している。したがって、利潤率 が正ならば労働者は小麦の純生産量全てを賃金所

得として受け取ることができなくなり、ゆえに(1.10)より賃金所得として受け取った小麦

の労働価値は彼が市場に提供した労働量*L よりも小さくなるのである8。

<いくつかの注意点>

ここまでの分析から、利潤率が正であるような経済環境の下では労働者が搾取されるこ

とが明らかとなったが、以下ではこの結論に関していくつかの注意点を述べておく。

まず第一に、そもそも労働価値という概念を尺度として分配の公正性を論じることに普

遍的な説得力はあるのか、という点である。この問題は分配の倫理学的側面と関連する非

常に難しい問題であって一義的な答えを提示することは困難だと思われる(言い換えると、

もし労働価値概念が分配の公正性を判断する指標として何らかの普遍性を持っていること

を説得的に論証できたなら、マルクス経済学の搾取論の重要性が見直されるきっかけにな

ると思われる)。したがって以下では労働価値に基づく搾取という厚生評価のあり方をいっ

たん受け入れ、搾取なき世界を実現するためには何が必要かを検討することで、その前提

に潜んでいる含意を考察してみよう。上のモデルで労働者が搾取される理由は、利潤率が

正だと小麦の純生産量の一部が資本家に分配されるからであった。言い換えると、労働者

が搾取から免れるためには小麦の純生産量が全て労働者に分配される状況が成立しなけれ

ばならないが、そのような経済においては利潤率がゼロとなるがゆえに資本家が生産活動

に参加するインセンティブが存在しない(なぜなら、その場合資本家が保有する小麦を単

に期末に持ち越すこととそれを生産過程に投下することの間に差がなくなるから)。これは、

搾取なき世界を実現することと、資本家が生産活動に参加するかどうかを決定する自由を

保証することの間に、二律相反の関係にあることを示している。このうち後者は、私有財

産制度(=この場合、資本財である小麦の私的所有を容認する制度)を基礎におく市場経

済の下では常に保証されるから、労働価値という概念に基づいて分配の公正性を追求する

ことを妥当と見なす立場に立つ限り、必然的に「何らかの根本的な制限を加えることなし

に私有財産制度を基礎におく市場経済システムを容認すべきではない」という立場に自ら

を追いやることとなるが、果たしてそれはどのくらい現実的な思考と言えるのか――とく

8 松尾(2010)では以上の説明が数式を用いずに行われている。

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に共産主義経済圏の崩壊を歴史的事実として知ってしまっている今日の我々にとって――

という疑問が生じる。

第二に、なぜ搾取の程度を測る尺度として労働価値を採用するのかという点である。労

働価値ではなく「商品価値」を用いて搾取の問題を論じたとき、どのような結果が生じる

のか。以下ではこの点を考察すべく、上述の経済における「小麦価値」の概念を定式化し

てみよう。一般にある財の「小麦価値」とは、その財を 1 単位生産するのに直接・間接に

投入した小麦の量を意味する。上述の経済においては、1 単位の小麦の生産に際して、直接

的に a 単位の小麦を投入すると同時に、b 単位の労働を投下しているが、1 単位の労働を再

生産する(=労働者を生存させることで労働を供給できる状態に保つ)ために必要な小麦

の量はw 単位だったので、小麦の小麦価値cv 、すなわち 1 単位の小麦を生産するのに直接・

間接に必要な小麦の量は

(1.11) cv = a + bw

で表わすことができる。

ところで、(1.8)で示されているように、労働が搾取されている状態とは実質賃金率の労

働価値 wv が 1 を下回ることを意味していたが、この不等式の右辺は労働 1 単位を(再)生

産するのに必要な小麦の労働価値を意味しているので、労働が搾取されている状態とは 1

単位の労働を(再)生産するのに必要な小麦の投下労働量が 1 を下回ることと定義できる。

全く同様に、「小麦が搾取される」状況とは、1 単位の小麦を生産するのに必要な投下小麦

量(1.11)が 1 を下回る状態、すなわち

1> cv

が成立する状況と定義できる。ここで(1.5)より

1- cv =1- )( bwa = a/*

となるので、(1.9)と同様に * >0 1> cv

が成立することが分かる。この結果は「一般化された商品搾取定理」と呼ばれ、利潤率が

正ならば(労働だけでなく)生産過程に投下されている諸商品も搾取されていることを意

味しており、資本家が獲得する利潤の源泉を労働搾取にのみ求めようとするマルクス経済

学の古典的発想に問題があることを示唆している。

ただ、上述のモデルにおいて小麦が搾取されているということは誰が搾取されているこ

とを意味するのだろうか。一見すると、小麦が搾取されているということはそれを保有し

ている資本家が搾取されていることを意味しているように思えるが、(利潤率が正ならば)

資本家は生産活動を通じて期首に所有していた量以上の小麦を受け取ることになるので彼

が被搾取者でないことは明らかである。他方、労働者も 1 単位の労働を(再)生産するの

に必要な量の小麦を市場から受け取っているのだから、やはり被搾取者ではない。すなわ

ち、ここで導入した小麦価値という概念は(労働価値と違って)誰が搾取者で誰が被搾取

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者なのかを決定するための尺度として利用できないように思われる。この意味で、私には

小麦価値という概念は労働価値という概念と同等の有用性を持っているようには思えない

のであるが、このような考え方は誤っているのだろうか。

1.2 階級生成モデル 1.1 節では、生産手段となる資本財(=小麦)を所有し労働者を雇用する階級(=資本家)

と、それを一切持たず資本家に雇われることで生計を立てる階級(=労働者)が最初から

決まっているような状況を想定したので、経済活動の過程で誰が雇用者となり誰が被雇用

者となるのかという階級の自発的生成の問題を論じることができなかった。ジョン・ロー

マー(John Roemer)はこの問題に取り組み、資本財の初期保有量が異なる多数の個人で

構成される経済において、各個人が収入最大化の観点から自らの経済活動を決定するとき、

資本財の初期保有量の多い(少ない)個人ほど雇用者(被雇用者)となって搾取する(搾

取される)立場となることを明らかにした9。この節ではこの階級と搾取の対応関係を 1.1

節と同様の 1 部門モデルを用いて説明する。

<各個人の収入最大化行動とその帰結>

1.1 節と同じ、小麦のみが生産される 1 部門モデルを想定しよう。小麦の生産技術は以前

と同じなので、小麦を生産することで獲得できる利潤率 は(1.1)で与えられる。

(1.1) 1+ =pa

wbp (もしくは、 =

pa

wbpap )( )

以下ではこの利潤率が正( >0)である状況を想定して議論を進める(なお、利潤が資本

財の提供者に帰属することは言うまでもない)。

経済には N 人の個人が存在し、個人 i ( i = N,,2,1 )は資本財としての小麦を ik 単位

( ik 0)、労働を l 単位( l >0)保有している10。すなわち、各個人は小麦の保有量のみが

異なっていて、それ以外は同質的であるとする。

個人 i は

① 自分の小麦と自分の労働を投入することで得られる小麦生産量 i からの収入

② 自分の小麦と他人の労働を投入することで得られる小麦生産量 i からの収入

③ 自分の労働を i だけ他人に売ることで得られる賃金収入

の合計が最大になるように ),,( iii を選択する。したがって彼の収入最大化問題は以下

のようになる。

9 ローマー自身の解説としては、Roemer(1986)が分かりやすい。 10 正確の述べておくと、以下の議論では各個人が保有する労働量 l は実は外生変数ではない。

すなわち、各個人は彼らの経済活動の結果として生じる総労働需要の平均値に等しいだけ

の労働をたまたま所有していたという設定になっている。この点については後の該当箇所

で再度説明を加える。

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iii ,,max iR = ip + iwbp )( + iw s.t. ia + ia = ik , ib + i = l

ここで、 iR は個人 i の総収入を意味する。この問題は目的関数と制約式の双方が線形なので

内点解が一意に定まるような標準的な問題ではないが、以下のような議論を通じて、この

問題の最適解がとりうるパターンをある程度絞り込むことができる。

以下では、この問題の最適解が例えば

i >0, i >0, i =0

となるとき、それを

),,( iii =(+, +, 0)

と表記することにする。したがって、最適解がとりうる全てのパターンを列挙すると次の 8

通りとなる。

(0, 0, 0) (+, 0, 0) (0, +, 0) (0, 0, +)

(+, +, 0) (+, 0, +) (0, +, +) (+, +, +)

しかし、このうち

(0, 0, 0) (0, +, 0)

の 2 つが最適解にはなりえないことは明らかである。なぜなら、この 2 つのパターンは個

人が自ら保有する労働を生産活動に投入していない状況に対応しているが、そのような行

動は明らかに収入最大化に反するからである。

また、

(0, +, +) (+, +, +)

の 2 つも最適解の候補から除外することができる。なぜなら、これらのパターンでは個人

は他人から労働を雇用する( i >0)と同時に自らが被雇用者となっている( i >0)が、

そのような場合において個人は収入を一切変えることなく最適解のパターンを(+, +, 0)、

(+, 0, 0)、(+, 0, +)のいずれかに変えることができるからである。この点は以下のよ

うに証明することができる。仮に上述の収入最大化問題の最適解を ),,( iii とおくと、

),,( bzzz iii という選択もまた、制約条件を満たしつつ最適解 ),,( iii と同じ

収入をもたらすことを確認できる。ここで z = i とおくことで、(ⅰ) i - ib >0 ならば

最適解を(+, 0, +)へと変えることができ、(ⅱ) i - ib =0 ならば最適解を(+, 0, 0)

へと変えることができる。一方、(ⅲ) i - ib <0 なら、 z = bi / と設定し直すことで最

適解を(+, +, 0)へと変えることができる(証明終わり)。

以上より、最適解がとりうるパターンは

(+, +, 0) (+, 0, 0) (+, 0, +) (0, 0, +)

の 4 つに絞られた。最初の(+, +, 0)を選択する個人は、自ら所有する小麦を生かして自

分で働くと同時に、他人を雇用する形でも生産活動を行う資本家タイプ、2 番目の(+, 0, 0)

を選択する個人は、自ら所有する小麦を生かして自分で働く自営業者タイプ、3 番目の(+,

0, +)を選択する個人は、自ら所有する小麦を生かして自分で働くと同時に、他人に雇用

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される形でも働くという兼業自営業者タイプ、そして最後の(0, 0, +)を選択する個人は、

もっぱら他人に雇用される形でのみ働くという労働者タイプを意味する。これら 4 つの解

をそれぞれ以下のように呼ぶことにする。

(+, +, 0): ブルジョアジー

(+, 0, 0): プチブルジョア

(+, 0, +): 準プロレタリア

(0, 0, +): プロレタリアート

以上の準備の下、各個人の所属する階級を規定する要因を考察しよう。この点を論じる

にあたって、各個人はその意思決定に際して収入最大化問題の制約条件:

ia + ia = ik , ib + i = l

を満たすように ),,( iii を選択し、かつ i と i の両方が正とはならないことに注意しよ

う。このとき、各個人の階級を規定する条件を以下のように分類することができる。

第一に、個人 i の期首の資本労働比率が lki / =0(すなわち ik =0)のとき、彼はプロレ

タリアートに属する結果となる。なぜならこの場合、 ia + ia =0 より i = i =0 が成

立し、彼は自らの保有する労働を全て他人に売る( i = l )ことになるからである。

第二に、個人 i の期首の資本労働比率が lki / = ba / を満たすとき、彼はプチブルジョア

に属する結果となる。なぜならこの場合

ib + ib = l , ib + i = l

が成立することで i = i =0 となるからである。この場合、彼は自らの保有する小麦と労

働を過不足なく使い切ることができ、新たに他人を雇うだけの小麦も、新たに他人に売る

ことのできる労働力も手元に残らない。

第三に、個人 i の期首の資本労働比率が 0< lki / < ba / を満たすとき、彼は準プロレタリ

アに属する結果となる。なぜならこの場合

ib + ib < l , ib + i = l

が成立することで i =0 となるからである。これは、彼の所有する小麦の量が相対的に少

なく、それと自らの労働とを組み合わせて生産活動を行うだけでは自らの労働をすべて使

い切ることができないことを意味している。

最後に、個人 i の期首の資本労働比率が lki / > ba / を満たすとき、彼はブルジョアジー

に属する結果となる。なぜならこの場合

ib + ib > l , ib + i = l

が成立することで i =0 となるからである。これは、彼の所有する資本財の量が相対的に多

く、それと自らの労働とを組み合わせて生産活動を行ってもなお、手元に小麦が残ること

を意味している。

以上の議論から明らかな点は、(いささか自明かもしれないが)各個人がどの階級に属す

るようになるかは、資本財(=小麦)の初期保有量 ik によって規定されるということであ

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12

る。資本財を一切保有しない個人はプロレタリアートとなり、資本財の保有量が増えるに

つれて準プロレタリア、プチブルジョア、ブルジョアジーへと所属する階級が上昇する。

これは、各個人の保有する富の大きさと各個人が属する階級との間にきれいな対応関係が

存在することを意味している。

なお、各個人がどのような階級に属するかとは関係なく、収入最大化の結果として個人 i

の獲得する最大収入は

(1.12) iR = ipk)1( +wl

となる。なぜなら、仮に収入最大化問題の解が ),,( iii で与えられるとき、

),,0( iiii b という選択もまた、制約条件を満たしつつ上記の最適解 ),,( iii と

同じ収入をもたらすことを確認できるが、最適解が後者で与えられる時の収入の大きさは

iR = ))(( iiwbp + )( ii bw

= ipk)1( +wl

と計算できるからである(なお、第 1 式から第 2 式への展開に際して、利潤率の定義式(1.1)

と収入最大化問題の制約条件を用いている)。

<市場均衡>

以上で各個人の収入最大化行動と、その帰結として生じる階級生成のメカニズムを説明

し終えたので、以下ではこの経済の市場均衡を導出しよう。この経済の期首に存在する小

麦の総量を K (=

N

iik

1

)とおくと、それらは全て生産過程に投入されることになるので、

この経済における小麦の総生産量*y と対応する総労働需要

dL の大きさはそれぞれ以下の

ようになる。

(1.13) *y = aK / , dL = abK /

以下では、個別労働供給 l の集計値と総労働需要dL が偶然等しい状況、すなわち

dL =

N

i

l1

(= Nl )

がたまたま成立しているような状況を想定して議論を進めることにしよう。この場合、各

個人の労働供給量(=それは同時に均衡雇用量でもある)は以下のようになる。

(1.14) *l = aNbK /

したがって、上で考察した各個人の階級を規定する条件は次のように書き直すことができ

る。

(1.15) ik =0 個人 i はプロレタリアートに所属

0< ik < NK / 個人 i は準プロレタリアに所属

ik = NK / 個人 i はプチブルジョアに所属

ik > NK / 個人 i はブルジョアジーに所属

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13

すなわち、各個人の所属する階級は、彼の所有する資本財(=小麦)の量と、その経済の

平均資本量 NK / との大小関係によって規定されることになる。

均衡における小麦の生産量と雇用量がそれぞれ(1.13)と(1.14)で決定したので、残る

は均衡価格体系の導出であるが、この点については 1.1 節での議論と全く同じである。すな

わち、均衡価格体系は価格方程式(1.4)を満たすような組み合わせでなければならないが、

小麦の価格を価値尺度( p =1)に設定してもなお、(1.4)は実質賃金率wと実質利潤率の 2 つの未知数を含んでいるので、実質賃金率wが「労働者がその水準の下でぎりぎり生

存できる最低水準w 」で外生的に与えられているような状況を想定して議論を進めるので

ある。この場合、均衡利潤率は 1.1 節と同様

(1.5) *1 = abw /)1(

で与えられる。

最後に、(1.5)、(1.12)および p =1 より、個人 i が生産活動の結果獲得する小麦の量 pRi /

を計算すると以下のとおり。

pRi / =a

bw1ik +w

aN

bK

<階級と搾取の対応関係>

市場均衡において誰が搾取し、誰が搾取されているのかを明らかにしよう。この経済の

生産技術の構造は 1.1 節と同じなので、小麦の労働価値は依然として価値方程式(1.10)を

解くことで求められる。以下、その値を再掲しておく。

(1.7) v= )1/( ab

一方、この経済において個人 i は

・市場に ik 単位の小麦と、*l (= aNbK / )単位の労働を提供し、

・市場からa

bw1ik +w

aN

bK単位の小麦を受け取った

ことになるので、個人 i が搾取されているかどうかを明らかにするには

・市場に提供した生産要素の労働価値:sV =

a

b

1× ik +

aN

bK

・市場から受け取った小麦の労働価値:dV =

a

b

aN

bKwk

a

bwi

1

の大小関係を比較すればよい。若干の計算を行うことで

sV -dV =

a

b

1*

ikN

K

となるので、利潤率が正ならば、各個人の資本財の所有量と搾取の関係について以下の結

果を導くことができる。

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14

(1.16) ik > NK / 個人 i は搾取者

ik = NK / 個人 i は搾取者でも被搾取者でもない

ik < NK / 個人 i は被搾取者

この(1.16)と、各個人の階級を規定する条件(1.15)を合わせることで、本節の分析結果

を次のように要約することができる。各個人の所属する階級は、彼の所有する資本財の量 ik

と、その経済の平均資本量 NK / との大小関係によって規定され、資本財の所有量が経済の

平均値より小さい(大きい)個人は、雇用される立場(雇用する立場)となる。そして、

雇用される立場(雇用する立場)の個人は、搾取される立場(搾取する立場)でもある。

以上より、資本財の初期保有量と階級、および搾取関係との間にはきれいな対応が存在す

るという「階級・搾取の対応定理」が、単純な 1 部門モデルの枠組みの下で示されたこと

になる。

なお、本稿ではある量の財を生産するための方法が 1 通りしか存在しないような状況を

仮定して議論を進めてきたが、この仮定を緩めてある量の財を生産するための方法が複数

存在するような状況を想定すると、(標準的な労働価値概念の定式化の下では)上述のよう

な階級と搾取の明快な対応関係が崩れる可能性があることが知られている(例えば他人を

雇用して生産活動に従事するブルジョアジーが均衡において被搾取者になりうる)。この点

に関する解説としては吉原(2008.b)を参照せよ。

<搾取の問題と富の不平等の問題の関係>

最後に、搾取なき経済を実現するためにはどのような施策が必要かを考えよう。上の分

析結果から明らかなように、たとえ利潤率が正であっても、各個人の所有する資本財の量

が同じであれば(=全ての個人 i に対して ik = NK / ならば)、均衡において搾取は発生し

ない。したがって、搾取なき経済を実現する一つの方法は、各個人の所有する富(=資本

財)を完全に平等化するという徹底した再分配政策である。この政策は、政府が富の再分

配を実施した後はその経済運営を市場に委ねることを意味しているので、必ずしも資本制

に基づく市場経済を全否定するものではないことに注意する必要がある。

しかし、搾取なき経済を達成するための方法はそれだけではない。上の分析から明らか

なように、もし利潤率がゼロなら、たとえ富の初期保有に関して不平等が存在してたとし

ても搾取は生じない。したがって、各個人が期首に所有する資本財を平等に再分配するの

ではなく、生産活動の結果生じる利潤所得を適当に再分配することで、富の大きさに関す

る不平等を許容しつつ、かつ搾取が生じないような状態を達成することが可能となる。

これら 2 つの施策のうち、実施に際してより抵抗が少ないのは後者だと思われる。資本

財を豊富に所有している個人にとって、前者においては自らが保有する富を政府によって

強制的に押収されるのに対し、後者においては富自体は押収されず、それが生み出した純

利潤のみが分配の対象となるにすぎないので、厚生上の損失がより小さくて済むと思われ

るからである。したがって、「階級・搾取の対応定理」をもって搾取の問題と富の不平等の

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問題を同一視するという姿勢は必ずしも適切ではないと私には思われるのであるが、この

ような考え方は誤っているだろうか。

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第 2 章 2 部門モデル

この章では、第 1 章で用いられた 1 部門モデルを 2 部門モデルへと拡張して数理マルク

ス経済学の主要命題を導出し直す。以下、2.1 節では 2 部門モデルの市場均衡を導出した上

でマルクスの基本定理が成立することを確認し、2.2 節では同様の経済環境下で階級・搾取

の対応定理が成立することを確認する。

2.1 2 階級モデル <生産技術>

財 1(=資本財)と財 2(=消費財)の 2 種類の財が生産される経済を考えよう。資本財

を 1 単位生産するためには資本財を 1a 単位と労働を 1b 単位投入する必要があり、消費財を

1 単位生産するためには資本財を 2a 単位と労働を 2b 単位投入する必要がある。このような

生産技術を表で示すと以下のようになる。この表の縦のマスは各財の 1 単位の生産のため

に各財および労働を何単位投入しなければならないかを示している11。

財 1(資本財) 財 2(消費財)

財 1(資本財) 1a 2a

財 2(消費財) 0 0

労働 1b 2b

(表 1:2 部門モデルの生産技術)

以下では資本財生産部門の方が資本集約的、すなわち 1 単位の財の生産に要する資本労

働比率が大きいと仮定する。

1

1

b

a>

2

2

b

a

また、資本財(=財 1)の拡大再生産が可能であるような経済を想定して議論を進めるので、

この部門における資本財の投入係数 1a に関して

1a <1

を仮定する。なお、資本財はひとたびそれを生産過程に投入すると消滅するものとする。 11 このような生産技術は、以下の表で示される「レオンチェフ型の生産技術」をさらに単

純化したものと解釈できる。なお、本章で得られる結論はレオンチェフ型の生産技術を想

定しても成立する。 財 1 財 2

財 1 11a 12a

財 2 21a 22a

労働 1b 2b

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<各経済主体の行動>

この経済には資本家と労働者の 2 人の経済主体がいる。資本家は期首に K 単位の資本財

を所有し、それと労働者から調達した労働力を用いて資本財と消費財を生産する。資本家

が 1 単位の資本財(=財 1)の生産から受け取れる収入kR1 は以下のように表せる。

kR1 = 1p - 1wb

ここで、 1p は資本財(=財 1)の価格、wは(両部門で共通の)賃金率を意味している。

賃金率が両部門で共通と仮定する理由は、労働者が部門間を自由に移動できるなら、賃金

率の高い(低い)部門で労働の超過供給(超過需要)が生じ、最終的に両部門の賃金率が

均等化すると考えられるからである。資本家は上で示された収入kR1 を得るにあたって 11ap

の額の資本財を投下しているので、彼が資本財生産から得る利潤率 1 は以下のようになる。

(2.1) 1+ 1 =11

11

ap

wbp (もしくは、 1 =

11

1111 )(

ap

wbapp )

同様に、資本家が 1 単位の消費財(=財 2)の生産から受け取れる収入kR2 は

kR2 = 2p - 2wb

で表わされ、対応する利潤率 2 は次のようになる。

(2.2) 1+ 2 =21

22

ap

wbp (もしくは、 2 =

21

2212 )(

ap

wbapp )

当然、資本家はより高い利潤率を得られる部門に資本財を投下しようとするから、(賃金率

の均等化と同様の理由で)利潤率も最終的に両部門で一致すると考えられる。

(2.3) 1 = 2 =

以下では、この利潤率 が正であるような状況を想定して議論を進める。利潤率が正の時、

資本家が獲得する利潤額は各財の生産量が増えるにつれて大きくなるので、この場合、期

首に保有していた資本財をすべて生産過程に投下するのが合理的となる。

資本家が生産する資本財(=財 1)および消費財(=財 2)の生産量をそれぞれsy1 と

sy2 と

表記すると、彼が生産活動を通じて獲得する総収入kR は

kR =sk yR 11 +

sk yR 22

= )()1( 22111ss yayap

= Kp1)1(

となる。本章では議論の単純化のため、資本家はこの総収入をすべて資本財の購入に充て

る(=資本家は消費しない)と仮定する12。このとき彼の購買行動は以下のように表わせる。

(2.4) dyp 11 = Kp1)1(

ここで、dy1 は資本家がその期に需要する資本財の量を意味している。

一方、労働者は期首に L 単位の労働のみを保有し、それを資本家に売ることで得た賃金

12 この仮定を緩めても(=資本家も総収入の一部を消費財の購入に充てると想定しても)、

本章の結論に変化はない。

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18

所得をすべて消費財の購入に充てると仮定する。

(2.5) dyp 22 =wL

ここで、dy2 は労働者が需要する消費財の量を意味している。

<市場均衡>

以上で各経済主体の行動を説明し終えたので、この経済の市場均衡を導出しよう。この

期に生産された資本財および消費財の数量を ),( 21ss yy 、この期に需要された資本財および消

費財の数量を ),( 21dd yy と表記したので、財市場における各財の需給均衡条件はそれぞれ以

下のようになる。

(2.6) sy1 =

dy1 , sy2 =dy2

以下では、(表記の簡素化のため)各財の均衡における取引量を

(2.7) *1y (=

sy1 =dy1 ), *

2y (=sy2 =

dy2 )

で表わすことにする。

一方、生産要素市場における資本財および労働の需給均衡条件はそれぞれ以下のように

なる。

(2.8) *11 ya +

*22 ya = K , *

11 yb +*22 yb = L

これらの式の左辺は生産活動に投入される資本財および労働の量(=要素需要量)を、右

辺は期首に存在する資本財および労働の量(=要素供給量)を意味している。

この生産要素市場の均衡条件を図示すると図 1 のようになる。両方の線分の内側で重な

る領域が実現可能な各財の生産量の組み合わせであるが、この経済に賦与された要素供給

量 ),( LK をちょうど使い切るような各財の生産量の組み合わせは点 A のみであり、それは

以下のように求められる

(2.9) *1y =

1

2

2

b

Lb

aK

*2y =

2

1

1

b

KLb

a

( 1

1

b

a-

2

2

b

a)

(図 1:生産要素市場の均衡条件)

(2.4)で示されているように資本家は自らの収入をすべて資本財の購入に充ててそれを

次期に持ち越すので、均衡において資本成長率 Ky /*1 と粗利潤率 1+ * は一致し、それら

の値は以下のようになる。

(2.10) 1+ * = Ky /*1 =

1

2

21

b

K

L

b

a

以下では

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(2.11) (2

2

b

a<)

1

22

1

/

b

ba<

L

K<

1

1

b

a

を仮定して議論を進める。これは、均衡における各財の生産量 ),( *2

*1 yy および利潤率

* が

すべて正となるための条件である。

以上で均衡における各財の生産量と利潤率が確定したので、残るは諸価格 ),,( 21 wpp の

決定である。(2.3)を(2.1)と(2.2)に代入して整理することで以下の価格方程式のセッ

トを導出できる。

(2.12) 1p = 11)1( ap + 1wb , 2p = 21)1( ap + 2wb

以下では消費財(=財 2)を価値尺度に設定しよう。

2p =1

これより、残る未知数は 1p とwの 2 つとなりモデルが完結したことになる。(2.12)から 1p

を消去することで賃金利潤曲線:

(2.13) w=))(1(

)1(1

12212

1

babab

a

を導出できるが、これより(1.1 節の 1 部門モデルと同様)2 部門モデルにおいても実質利

潤率と実質賃金率との間に相反関係が成立する(=資本家と労働者はその所得分配におい

て利害が対立する)ことが分かる。(2.13)、(2.10)、(2.12)より、均衡における実質賃金

率と実質資本財価格はそれぞれ以下のようになる。

(2.14) *w =

Lbaba

KbLa

)( 1221

11

, *1p =

La

Kb

2

1

1 部門モデルではモデルを完結させるために実質賃金率を外生的に与えなければならなか

ったが、2 部門モデルではそのような仮定をおくことなく諸価格を内生的に決定できる点に

注意せよ。

なお、本章の目的は古典派モデルの均衡において搾取が生じるための条件を考察するこ

とにあるので、それとは直接関係しないトピックスをここで取り上げることはしないが、

古典派モデルを用いることで、例えば生産技術の変化が経済に及ぼす影響や、ある財を生

産する技術が複数存在するときの技術選択の問題について興味深い分析を行うことができ

る(このうち後者の問題はいわゆる「ケンブリッジ資本論争」とも密接に関係している問

題である)。また、本節では生産要素の完全雇用を前提とした新古典派的な経済を想定した

が、同様の枠組みで生産要素の不完全雇用を許容するケインズ的な経済を定式化して両者

の特性を比較することもできる。これらの論点について関心のある読者は宇仁・坂口・遠

山・鍋島(2004)を参照せよ。

<市場均衡における搾取>

上述の 2 部門モデルにおいて、資本家と労働者の間で公正な所得分配が実現するかどう

かを検討しよう。資本財の労働価値を 1v 、消費財の労働価値を 2v とおくと、この経済の価

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値方程式は

(2.15) 1v = 11av + 1b , 2v = 21av + 2b

の 2 式で示される。したがって各財の労働価値は以下のようになる。

(2.16) 1v =1

1

1 a

b

, 2v =

1

12

1 a

ba

+ 2b

この経済において労働者は市場に L 単位の労働を提供し、獲得した賃金所得をすべて消費

財の購入に充てるが、仮定により資本家は消費財を購入しないので、労働者が市場から受

け取る消費財の量は*2y に等しい。したがって、彼が市場に提供した労働価値

sV と市場から

受け取った労働価値dV はそれぞれ以下のようになる。

sV = L , dV =*22 yv =

1

12212

1

)(

a

babab

1221

11

baba

KbLa

ゆえに、両者の差は

sV -dV =

*1

1

1 a

b

K

と計算でき、sV -

dV と利潤率* との間には

* >0 sV -

dV >0

という関係、すなわち利潤率が正のとき労働者が搾取されるという「マルクスの基本定理」

が 2 部門モデルにおいても成立することが分かる。

なぜ利潤率が正のとき労働搾取が発生するのか。この点は関する基本的な仕組みは 1 部

門モデルの場合と同様である。価値方程式(2.15)の第 1 式に*1y 、第 2 式に

*2y を掛けて足

し合わせることで

)( *11 Kyv +

*22 yv = L

を得る。これは、労働者が市場に提供する労働価値 Lは、この経済の純生産物 ),( *2

*1 yKy

の労働価値総額に等しいことを意味している。他方、価格方程式(2.12)の第 1 式に*1y 、

第 2 式に*2y を掛けて足し合わせ、(2.8)を用いて整理することで

)( *11 Kyp +

*22 yp = Kp1 +wL

が成立するが、これは利潤率 が正である限り、労働者の受け取る賃金所得wL ではこの経

済の純生産物を全て買い取ることができない(=純生産物の一部は資本家に分配される)

ことを意味している。これより、利潤率が正である限り、労働者が市場に提供した労働価

値は、賃金所得で購入した消費財の労働価値額よりも常に小さくならざるを得ないのであ

る。

2.2 階級生成モデル 次に、労働時間の初期保有量は同じであるが資本財の初期保有量に差がある多数の個人

で構成される経済を想定して、誰が雇用者(もしくは被雇用者)となり、誰が搾取者(も

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21

しくは被搾取者)となるのかという問題を考察しよう。

<各個人の収入最大化問題>

引き続き、資本財と消費財が 2.1 節の表 1 で示されている技術の下で生産される 2 部門

モデルを想定しよう。経済には N 人の個人が存在し、個人 i ( i = N,,2,1 )は期首に ik

( 0)単位の資本財と l(>0)単位の労働を保有している。この経済における資本財と労

働の要素賦存量をそれぞれ K と Lで表わすと、以下が成立する。

N

iik

1

= K , Nl = L

各財を 1 単位生産することで資本財提供者が獲得できる利潤率はそれぞれ

(2.17) 1+ 1 =11

11

ap

wbp , 1+ 2 =

21

22

ap

wbp

となるが、資本移動が自由なら両部門の利潤率は均等化するので、以下では

(2.18) 1 = 2 =

を想定して議論を進めることにする(同様の理由で賃金率も各部門で均等化し、それをwで

表わしている)。

個人 i は、生産活動からの総収入 iR が最大となるように自らの行動を決定する。彼の生産

活動に関する記号を以下のように定める。

1i :個人 i が自分の資本財と自分の労働を用いて生産する資本財(=財 1)の量

2i :個人 i が自分の資本財と自分の労働を用いて生産する消費財(=財 2)の量

1i :個人 i が自分の資本財と他人の労働を用いて生産する資本財(=財 1)の量

2i :個人 i が自分の資本財と他人の労働を用いて生産する消費財(=財 2)の量

i :個人 i が他人に供給する自分の労働量

なお、以下では表記の単純化のため

i ),( 21 ii , i ),( 21 ii

とベクトル表記する場合がある。ここで、 i =0 とは両方の成分が 0 であることを意味し、

i >0 とは少なくとも片方の成分が正であることを意味する。したがって、例えば

),,( iii が(0, +, 0)と表わされる状況とは、 i の両方の成分が 0、 i の少なくとも

片方の成分が正、 i が 0 であることを意味している。

個人 i の収入最大化問題は以下のように定式化できる。

iii ,,max iR =

2

1jijjp +

2

1

)(j

ijjj wbp + iw

s.t. )( 111 iia + )( 222 iia = ik 11 ib + 22 ib + i = l

第 1 章の 1.2 節での議論と同様に、この問題の最適解がとりうるパターンを以下のように絞

り込んでいくことができる。

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22

まず、最適解 ),,( iii が(0, 0, 0)や(0, +, 0)とはなり得ないことは明らかである。

なぜなら、これら 2 つのパターンは個人 i が自ら保有する労働を生産活動に投入していない

状況に対応しているが、そのような行動は明らかに収入最大化に反するからである。

また(0, +, +)と(+, +, +)の 2 つも最適解の候補から除外できる。なぜなら、これ

らのパターンでは個人 i は雇用者( i >0)であると同時に被雇用者( i >0)でもあるが、

そのような場合において個人 i は収入 iR を変えることなく最適解のパターンを(+, +, 0)、

(+, 0, 0)、(+, 0, +)のいずれかに変更できるからである。この点は以下のように証明

できる。上述の収入最大化問題の最適解を仮に( 1i , 2i , 1i , 2i , i )とおくと( 1i+ 1z , 2i + 2z , 1i - 1z , 2i - 2z , i - )( 2211 zbzb )という選択も制約条件を満たし

つつ最適解( 1i , 2i , 1i , 2i , i )と同じ収入をもたらすことを確認できる。ここで、

1z = 1i かつ 2z = 2i とおくことで、(ⅰ) i - )( 2211 ii bb >0 ならば最適解を(+, 0,

+)へと変更でき、(ⅱ) i - )( 2211 ii bb =0 ならば最適解を(+, 0, 0)へと変更でき

る。一方、(ⅲ) i - )( 2211 ii bb <0 ならば、 i = 11zb + 22 zb (ただし、 1z 1i かつ

2z 2i )を満たすような 1z と 2z を選ぶことで、最適解を(+, +, 0)へと変更できる(証

明終わり)。

以上より、最適解がとりうるパターンは

(+, +, 0) (+, 0, 0) (+, 0, +) (0, 0, +)

の 4 つに絞られた。最初の(+, +, 0)がブルジョアジー、2 番目の(+, 0, 0)がプチブル

ジョア、3 番目の(+, 0, +)が準プロレタリア、そして最後の(0, 0, +)がプロレタリ

アートに該当する階級であることはすでに 1.2 節で述べたとおりである。

以上の準備の下、各個人の所属する階級を規定する要因を考察しよう。この点を論じる

にあたって、各個人はその意思決定に際して収入最大化の制約条件:

)( 111 iia + )( 222 iia = ik , 11 ib + 22 ib + i = l

を満たすように( 1i , 2i , 1i , 2i , i )を選択し、さらに i >0 かつ i >0 とはなら

ないことに注意しよう。このとき、各個人の階級を規定する条件を以下のように分類する

ことができる。

第一に、個人 i の期首の資本労働比率が lki / =0(すなわち ik =0)を満たすとき、彼は

プロレタリアートに属する結果となる。なぜならこの場合、 i = i =0 となり、彼は自ら

の保有する労働を全て他者に供給する( i = l )ことになるからである。

第二に、個人 i の期首の資本労働比率が lki / < 22 / ba を満たすとき、彼は準プロレタリア

に属する結果となる。なぜならこの場合、彼の所有する労働量が相対的に大きく、それを

全て労働集約的な産業(=消費財部門)に投下してもなお、自らの労働を完全に使い切る

ことができず余った労働時間を他人に供給せざるを得ないからである13。

13 個人 i が消費財部門のみで生産活動を行った場合( 1i = 1i =0 が成立する場合)、l

ki =

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第三に、個人 i の期首の資本労働比率が 11 / ba < lki / を満たすとき、彼はブルジョアジー

に属する結果となる。なぜならこの場合、彼の所有する資本財の量が相対的に大きく、そ

れを全て資本集約的な産業(=資本財部門)に投下してもなお、自らの資本財を完全に使

い切ることができず余った資本財で他人を雇用せざるを得ないからである14。

最後に、個人 i の期首の資本労働比率が 22 / ba lki / 11 / ba を満たすとき、彼はプチブ

ルジョアに属する結果となる。なぜならこの場合、彼は適当な i ),( 21 ii を選択するこ

とで自らが保有する資本財と労働を過不足なく使い切ることができ、新たに他人を雇うだ

けの資本財も、新たに他人に供給できる労働力も残らないからである15。

以上の議論から明らかな点は、1.2 節の時と同様、各個人がどの階級に属するかは資本財

の初期保有量によって規定されるということである。資本財を一切保有しない個人はプロ

レタリアートとなり、資本財の保有量が増えるにつれて準プロレタリア、プチブルジョア、

ブルジョアジーへと所属する階級が上昇する。すなわち、各個人の保有する資本財の大き

さと各個人が属する階級との間にはきれいな対応関係が存在する。

なお、各個人がどの階級に属するかとは関係なく、収入最大化の結果として個人 i が獲得

する最大収入は

iR = ikp1)1( +wl

と表わすことができる。なぜなら、仮に収入最大化問題の解が( 1i , 2i , 1i , 2i , i )

で与えられるとき、(0, 0, 1i + 1i , 2i + 2i , i + 11 ib + 22 ib )という選択もまた、

制約条件を満たしつつ上記の最適解と同じ収入をもたらすことを確認できるが、最適解が

後者で与えられるときの収入の大きさは

ii

ii

b

a

22

222 )(が成立する。ゆえに、 lki / < 22 / ba が満たされるとき、 2i =0 かつ i >0

が成立しなければならない。

14 個人 i が資本財部門のみで生産活動を行った場合( 2i = 2i =0 が成立する場合)、l

ki =

ii

ii

b

a

11

111 )(が成立する。ゆえに、 11 / ba < lki / が満たされるとき、 2i >0 かつ i =0 が

成立しなければならない。 15 適当な i ),( 21 ii とは

1i =

1

2

2

b

lb

aki

, 2i =

2

1

1

b

klb

ai

( 1

1

b

a-

2

2

b

a)

で与えられる組み合わせである。これらは

11 ia + 22 ia = ik , 11 ib + 22 ib = l

を満たす解であり、 22 / ba lki / 11 / ba の下で i >0 が成立する。

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iR =

2

1

))((j

ijijjj wbp + )( 2211 iii bbw

= 1)1( p [ )( 111 iia + )( 222 iia ]+ )( 2211 iii bbw

= ikp1)1( +wl

と計算できるからである(なお、第 1 式から第 2 式への展開に際して(2.17)、(2.18)お

よび収入最大化問題の制約条件を用いている)。

最後に、個人 i はそのように獲得した収入の内、利潤所得に相当する部分を資本財の購入

に充て、賃金所得に相当する部分を消費財の購入に充てると仮定しよう。

(2.19) diyp 11 = ikp1)1( , d

iyp 22 =wl

<市場均衡>

以上で各個人の最適化行動と、その結果として生じる階級生成のメカニズムを論じ終え

たので、以下では市場均衡とその厚生的含意について検討しよう。各個人の資本財および

消費財の購入行動を示した(2.19)を経済全体で集計すると

(2.20) 1p

N

i

diy

11 = 1)1( p

N

iik

1

, 2p

N

i

diy

12 =wlN

となるが、ここで

dy1

N

i

diy

11 , dy2

N

i

diy

12

と定義すると、(2.20)は

(2.21) dyp 11 = Kp1)1( , dyp 22 =wL

となり、これは 2.1 節で論じた各階級の行動式(2.4)および(2.5)と同じになる。また、

財市場や生産要素市場の均衡条件や価格方程式も 2.1 節と同じ式(=(2.6)、(2.7)、(2.8)、

(2.12))で表せるので、成立する市場均衡の状態も 2.1 節と同じになり、各財の生産量、

利潤率、資本財価格および賃金はそれぞれ(2.9)、(2.10)、(2.14)で与えられることにな

る。

<階級と搾取の関係>

この市場均衡において誰が搾取者(もしくは被搾取者)となるかを明らかにしよう。生

産技術の構造は 2.1 節と同じなので、各財の労働価値は以下で与えられる。

1v =1

1

1 a

b

, 2v =

1

12

1 a

ba

+ 2b

個人 i は ik 単位の資本財と l 単位の労働を市場に提供し、((2.19)から見て取れるように)

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ik)1( * 単位の資本財と lw*単位の消費財を市場から受け取る16ので、彼が市場に提供し

た労働価値sV と市場から受け取った労働価値

dV はそれぞれ以下のように表せる。

sV =1

1

1 a

b

ik + l , dV =1

1

1 a

b

ik)1( * +[1

12

1 a

ba

+ 2b ] lw*

したがって、(2.10)や(2.14)を用いて両者の差を計算すると

sV -dV =-

1

1

1 a

b

l*

L

K

l

ki

となり、利潤率* が正のとき、個人 i が搾取者(あるいは被搾取者)となるための条件は

以下のようにまとめられる。

(2.22) lki / > LK / 個人 i は搾取者

lki / = LK / 個人 i は搾取者でも被搾取者でもない

lki / < LK / 個人 i は被搾取者

最後に、以上の結果を要約しよう。(2.11)、各個人の階級を規定する要因、および(2.22)

などから、以下の結果が成立する。

(Ⅰ)個人 i は、期首の資本労働比率が lki / < 22 / ba を満たすときプロレタリアか準プロレ

タリアとなり、そのとき彼は被搾取者となる。

(Ⅱ)個人 i は、期首の資本労働比率が lki / > 11 / ba を満たすときブルジョアとなり、その

とき彼は搾取者となる。

(Ⅲ)個人 i は、期首の資本労働比率が 22 / ba lki / 11 / ba を満たすときプチブルジョア

となるが、この場合、彼は lki / と LK / との大小関係に応じて搾取者にも被搾取者にもなり

うる。

以上で、各個人の資本財の所有量と階級および搾取関係の間にきれいな対応が存在する

ことが明らかになった。もっとも、本節ではこの「階級・搾取の対応定理」を 2 部門モデ

ルという単純化された枠組みの下、各個人の購買行動に関する強い仮定を設けることで証

明したにすぎないが、この定理はそのような制限的な仮定を取り払っても成立することを

注意しておく17。

16 消費財の価格は 2p =1 と基準化されている点に留意。 17 この点については Roemer(1986)などを参照せよ。

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参考文献 <書籍>

池上彰(2009)「高校生からわかる「資本論」」集英社

稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅(2006)「マルクスの使いみち」太田出版

宇仁宏幸・坂口明義・遠山弘徳・鍋島直樹(2004)「入門 社会経済学(第 2 版)」

ナカニシヤ出版

置塩信雄(1978)「資本制経済の基礎理論(増訂版)」創文社

木原武一(1995)「ぼくたちのマルクス」筑摩書房

木暮太一(2010)「マルクスる?世界一簡単なマルクス経済学の本」マトマ出版

高増明・松井暁(編)(1999)「アナリティカル・マルキシズム」ナカニシヤ出版

パシネッティ(1979)「生産理論 ポスト・ケインジアンの経済学」東洋経済

廣松渉(1990)「今こそマルクスを読み返す」講談社

フォーリー&マイクル(2002)「成長と分配」日本経済評論社

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マインウェアリング(1987)「価値と分配の理論」日本経済評論社

松尾匡(2008)「「はだかの王様」の経済学」東洋経済新報社

―――(2010)「図解雑学 マルクス経済学」ナツメ社

的場昭弘(2008)「超訳『資本論』」祥伝社

森嶋通夫(1974)「マルクスの経済学 -価値と成長の二重の理論-」東洋経済新報社

吉原直毅(2008.a)「労働搾取の厚生理論序説」岩波書店

John Roemer(1986)Value, Exploitation and Class, Harwood Academic Publishers

<雑誌>

高増明(2000)「マルクス経済学のミクロ経済学 ―アナリティカル・マルキシズム入門」

経済セミナー(3 月号) 日本評論社

吉原直毅(2008.b)「連載:福祉社会の経済学(第 3 回・第 4 回)」

経済セミナー(6 月号・7 月号) 日本評論社

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2y

2/ aK

2/ bL

*2y 点 A

*1y 1y

<図 1:生産要素市場の均衡>