小学校・中学年編 ー子ども ·...

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巨空空翌日| 小学校・中学年編 京の 子ど 明日 5 8 京都府教育委員会

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Page 1: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

巨空空翌日|小学校・中学年編

京のー子ども

明日へのとび5

8京都府教育委員会

Page 2: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

とびらをあけて

よく考えてみるとふしぎだなあ

わたしはどうして

生まれてきたのだろう

わたしはなんのために

生きているのだろう

家かわ族7た七し

t~' は

七宗仁 、

V/, 7 んな7c 気で

楽しくなかよくくらしたい

だけどまわりをながめてみると

いいことばかりじ

ゃないみたい

市立悲

しいできごと

こまったできごと

まわりにいっぱいあふれでいる

わたしがいつもねがうこと

みんなもきっとねがっている

だれもがなかよく楽しく

くらせるあした

そんなあしたになればいい

ーーひ ー「 々

人i目;ふ2二存V) とよ

ねびう7ドら

Page 3: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

京都府教育委員会

Page 4: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ーそうじする

2すてきな人

3分かち合うむ

5 4

生日ゆ命Zめはをえかいなええんるかた?め

6いっしょにがんばってみょうか

7自分って、何だろう

8勇気。それはゆめのとびらを開けるかぎ

11 10 9 45大5小室長志し学E言きを生

いのだこけろ

かl書くということl

のすすめ

どう、山つ

|人はどこまで動物か|

MM

ねこはどこまでわがままか

しS

〈五

つか

恰植物とわたし

l北海道ですごした少年時代|

叫京捗というところ

必の広場

ふみん

府民ほっとメッセージ

梶田真章

やまもとけんいち

山本兼一

河合雅雄

武田美保

おかだときんど

岡田節人

にしもとよしお

西本吉生

日ひ石ピ松号本E佐さ鷲t高~ JIIg尾ぉ庶5渡ど田だ敏E九';Ie,'.t 清3隆E楊き空i佑き裕喜一幸

村E河2井ぃ野田康3昭ミ彦2-=

4 8 12 16 20 24 28 32 36 40 44 48 52 56 60 61

O第二部

ー正しいことを正しいと言えるクラスに

3 2

友之お達Eじ

族きついてちいやいんなのあお

そっ式与

4 家か

5係のこと

きんかつどう

6ぽ金活動

987

守ミじ ジれよユ

つ一天宮化かア橋rセパ立毛ンン

タ ド|は

楽しい

叩叫ん伊きふるさと

むの広場

ふみん

府民ほっとメッセージ化

-34うとふあんない

京都府案内

64 66 70 74 78 82 86 90 94 102 100 98

このしりょう集は

あなたが人間として,害せに生きていくため?に,何を

たいせつにすればいいのか,どうすればいいのか,

自分で考え,みんなで学び合うためのものです

Page 5: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

第一部

第一部は、京都にかかわりのある方々が、

めに書かれた文をのせたページです。

*人間として生きていくうえで考えたい大事なテーマが集められています。

みなさんの生き方をおうえんするた

第一部のあとは「府民ほっとメッセージ」のぺ

lジてす。

みなさんを見守り、はげますためにとどけられた府民のみなさんの

声をしようかいしています。

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4

そうじする

梶t固た

盲豆早

そうじを毎日していますか。一週間に一度くらいはそうじをしていますか。

おお

一度くらいですか。それとも一年に一回大そうじをするだけですか。

まわ

そうじはだれのためにするの守でしょうか。自分のためでしょうか、周りの人のためで

一か月に

しようか、

それともみんなのためにするの、でしょうか。

そうじをしてもすぐにまたよごれてしまうから、

そうじをしてもむだだと思ってそう

じをしないでいると、どんどんよごれていって、

いきますね。今日できることを明日にのばすと、

そうじをするのがもっといやになって

また次の日にのばすということにな

て、なまけるくせがついてしまいます。

そんなによごれていなくても毎日そうじをして

いちぶ

そうじをすることが毎日の生活の一部になって、そうじするのがそんなに

いや

でなくなっていきます。そうじをすることで、毎日くりかえすことのたいせっさを学ん

でいくことができると思います。

れば

Page 7: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

1 そうじする

生きていくときには、今までとはちがった新し

いことをしていくこどもたいせつですが、ほかの

もの

生き物のくらしを見ているとわかるとおり、生き

こんばん

物のくらしの根本は毎日同じことのくリかえしで

す。顔をあらう、歯をみがく、ごはんを食べる、

べんきょう

勉強することと同じようにそうじすることを毎日

の決まリにすると、そうじすることがいやでなく

K

2

4

そうじすることが気持ちよくなって

なってきて、

くるのです。

学校のそうじはみんなで使う場所をきれいにす

ること。ですから、おたがいが気持ちよくすごすの

にたいせつです。みんなでそうじするときには、

わたしはほうきではく係、ぼくはぞうきんでふく

係、わたしははたき、わたしはちりとリ、わたし

はごみ箱のごみをすでにいく係というように、

5

Page 8: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

れぞれがうまくやくわりをもってはたらかなけ

ればなりません。チームワークが大事ですね。

一人一人がやるべき仕事をすれば、終わったと

きには部屋がきれいになって、みんなが気持ち

ょくすごすごとができます。もしだれかがうま

くできないときには、周リの人が手伝って助け

ましょう。地いき社会や国も同じようにみんな

で助け合っていくためにあるのです。みんなで

みんなで社会をつくって

いそくう第fじー:を歩1:1'すだるとこ足、とL、はます

周リの人にやさしい心、て、やさしいまなざし

を向け、おだやかな顔をして、あたたかいこと

ばをかけ、こまっているときはからだを使って

助け、こまっていなくてもお手伝いするなど、

お金を使わなくても自分の心や行いで、周りの

6

Page 9: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

1 そうじする

人に喜んでもらえることはいくらでもあります。

そうじするのもそれと同じように、場所をきれいにするだけで、周リの人に喜んでも

らえる行いですね。家や学校のほかにもそうじする場所はあります。例えば、家の前の

道路がよごれているなと思ったときには、自分でそうじしてみましょう。ご近所の人た

ちに喜んでもらえて、家族以外の人とも今よリもっと仲よくなれるかもしれません。

そうじすることは自分のためにもなり、周りの人のためにもなリ、地いきの人にも喜

んでもらえる行いであると思います。

今までそうじするのがきらいだった人は、ほうき、ぞうきん、はたき、ちリとりなど

のそうじ道具を持つ前に、自分の身の周リをいつもきちんと整どんしておくことから始

めてみませんか。

7

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8

2

すてきな人

山本兼一

世ょの中

大子や人よさでしも L、

ぎゃくに、

いろいろな人がいます。く

ら暗い人、

おこりっぱい人、

たにん

他人にめいわくをかける人がいます。

わがままな人・・・・・・。

こわい人、

明るい人、

自分かってな人や、

わがままな人、

やさしくてすてきな人もいます。

あなたは、どんな人になリたいですか?

わたしは、

はんせ

いつも反省ばかリしています。

すてきなのでしょうか?

々々、

luや

長い閉ざっしの記者をしていたので、

どんな人が、

すてきな人になリたいと思っています。

ずに千む

れが案Eタト?:むずかし

わたしは、

いろいろな人に話を聞きに行ったこ

とがあります。め

名医だとひょ、7ばんの九州のお医者さんに、

あるとき、

会いに行くことになりました。

Page 11: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

2 すてきな人

「午前三時に来てください。L

お医者さんは、電話、てきロいました。

夜中の三時に来いだなんて、じようしきは

ずれもいいところです。わたしは、なんて自

分かってで、わがままな人だろうと、ちょっ

とはらが立ちました。

むこうがそうと一ロうのだから、

乗のまっ せてん

しかたあり

カメラマンといっしょに飛行機に

九真け'1'1夜ょの中五そにの起ぉ町き にて行

三号

ホテルて少

L、しるね病?む院川)

行九

ました

お医者さんの

9

Page 12: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

行っておどろきました。

お医者さんは、わがままでも、自分

かってでもありませんでした。

そのお医者さんは、

八十オに近いお

じいさんでしたが、

らしんさつを始め、夜の十時まで、

リょうや病院の仕事をしています。

P

母日、

朝の九時

治ちか

「それから、午前三時まで、

ぼうぼうけんきゅもつ

治りょう方法を研究するんです。L

わら

お医者さんは、にこにこ笑ってそう

屯お

むずかしい病気を治そう

病気の

ム一一ロいました。

お医者さんだってたくさ

と思ったら、

べんきょう

ん勉強しなければなリません。

それは、

とてもたいせつな時間、て、あとまわし

になんかできないのです。ふつうのお

10

Page 13: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

2 すてきな人

客さんに会うのは、

はん

お医者さんは、朝の五時に、病院のとなりにある家に帰リ、おふろに入ってご飯を食

べます。それからねて、また九時に起きてしんさつをします。ねむるのは、毎日三時間

だけ。そんな生活を、もう何十年も続けているのです。

しつれい

「自分かってなかただと思っていました。失礼しました。L

そのあとです。

わたしは、

たにん

世の中には、自分の楽しみゃ生活をあとまわしにして、他人のためにがんばっている

人がいます。

正直にあやまリました。

そういう人は、

とてもすてきです。

めい

一生けん命何かをする人こそ、すてきな人だとわたしは思います。

あほなかたのの人周iのりたにめもに

きっとすてきな人がいるはずです。

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3

分かち合う必

ニホンザルの群れ社会では、

いしい物を持っていると、

子どもがお

強いボスザルが

子どもをいじめてそれをうばい取る、と

われています。しかし、

いうことはなく、

ボスザルじのつ権1さ成 、L、をに強?は調?そす う

るために作られた話、てす。どんなに強いお

すであれ母親であれ、子どもから食べ物を

「うばい取る」ということはあリません。

おいしい食べ物は、だれもがほしい。で

もの

いつも強い者がひとりじめしたりうば

社会のちつじょがたもた

千む、い

合っていては、

12

?可fA"" ロい

雅ぎ雄を

与一~~ー -rこうじま みやざきげん

.....幸島(宮崎県)のサルは,

イモをあらって食べる

Page 15: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

3 分かち合う必

ひつよう

れません。なんらかのルールが必要です。

というルールができているのです。

しょゅうけん

手に入れた者の所有権を

ニホンザルなどは、

みとめる、

ひと

それは一人が食べ物をどくせんしな

ほかの者にも分けあたえるということです。手を差し出してのおちょうだいや、

物ほしそうな目、て相手の目をじっと見つめるなどの必切ごい行動u

をします。人間と同

じですね。こうしてねだられると、たいていの場合、持っている物を分けてやリます。

めすが持っている食べ物を力ずくでうばうようなことをせず、

チンパンジーはもっといいルールを作りました。

いて

いちばん強いおすでも、

やはりおちょうだいをしてもらいます。

けんきゅ、っそうししゃ

野生チンパンジーの研究の創始者の一人ジェ

lン

やリたくない相手にはどうするか。

かんさつ

川、グドールさんが、おもしろい観察をしています。

かわ

やらない、もっときらいな相手には皮だけやるのです。

わら

ほうの気持ちをそうぞうして、思わず笑ってしまいました。

チンパンジーは狩リをします。肉は大好物です。

きらいな相手にはバナナを少ししか

あたえるほうともらうほうの両

し?っだ

肉は集団の全員に

取り合いになると強い者勝ちになり、

物をめぐっての争いをざけるために、

たいていの場合、

分けられます。

おいしい物はだれもほしい。

けが

をする者も出てくる、でしょう。

チンパンジーの長

13

Page 16: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

¥ 、主

f

企チンパンジーのめすがおすからサトウキビをもらっている

企肉を分けあたえている

14

Page 17: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

3 分かち合う必

しん

れき

ぶんばいこう

ディl

エヌエ

|

い進化の歴史の中で、分配行動の遺伝子が

DNAの中に組みこまれたのです。

れいちょうるい

いっ

しゅ

もの

人間は霊長類の一種、てす。サル類から進化してたんじようした人間は、物を分配する

あたた

物を分かち合うという心は、ちつじょのある温か

※き

持てる者は持たない人を助けるという気

うつ〈

でんとう

その美しい伝統がうすれて

という遺伝子を引きついてきました。

い社会をつくるためにたいへんたいせつです。

風は、日本の社会、ても大事にされてきました。

ざんねん

きたのは残念です。

人間のすぐれた所は、

しかし今は、

とです。

せいしん

物の分配の精神をもう一歩高め、新たな世界をつくり出したこ

よろこ喜

びをともにし、悲しみゃ心のいた

人間だけがもっている美しい

それは心を分かち合う、ということです。

くる

きょうゆう

いかリや苦しみを共有するという心は、

という言葉をよく聞きます。

みを分かち合い、

心です。人間らしく生きたい

か」と問われると、

その一つは、「心を分かち

ては、「人間らしさとは何

わかっているようで答えにくいですね。

ム口、7」

ということだと思います。

※気風・:・・・心のもち方

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4

ゆめをかなえるために

武5田だ

ほ美保

人間は生まれながらにして、強い人なんでいません。最、初からなんでも一人でできる

人なんでいません。ただ待っているだけでゆめをかなえられた人もいません。スタート

はだれもが真っさらのじようたいです。弱くて、たくさんのことができなくて、

ゆめを

もってもそれがかなうかどうかもわからない。そんなさらのどころから、人はスタート

するのです。それからは自分次第。「こんな人にわたしはなりたい。」というゆめが少し

でもえがくことができたならば、「そうなるためにまず自分は何からできるのかっ・しを

考え、行動をとリ、それと同じ数の分、わき起こるいろんなかんじようと向き合い、だ

めになリそうでも決してあきらめずに、「考える、行動をとる、向き合う」ことをやリ

せんじよう

続けられた人が、、初めてそのえんちょう線上にゆめをとらえ、

かなえられるのだと思い

ます。こ

んな、中うに小さいころのわたしは自分のことを見つめていました。

一つしようかい

Page 19: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

4 ゆめをかなえるために

しましょ、っ。

した。

生まれて、初めての習い事に水泳を選びま

中打

ト4

小学校に上がる前に泳げるようになれればいい

ようち園から始め、

わたしは、

なと、

小学校二年生のときに「シ

てんこう

というきょうぎに転向し

ンクロナイズドスイミング」

牛デしょん。

シンクロを始めたばかりのわたしは、

にがて

そしてしんどいことも苦手で、

いつも

てきな

いことだらけ。

弘吉ト&、勺,,

「今日はもうできない:::。」

子どもでした。でも、無理だとあきらめてしまったそ

とても悲しい気持ちになったのです。悲

キ正

かんたんにしんどさに負け、がんば

それを周リの友達にばれないように

と弱音をはいてしまう

のすぐ後は、

しいというより、

ることをやめて、

ごまかしている自分を自分の中に見つけてしまって、

はずかしい気持ちとくやしい気持ちていっぱいになり

J

、,。

こんな気持ちになるのはやっぱり苦しいです。

土41し七人。

17

Page 20: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ここでたいせつなのが、「はずかしくてくやしい気持ちをもった自分」が今ここにいる

くる

という自覚をもつことなんです。この自覚がないと、ほんとうは苦しい気持ちのはずな

かん

のに、それを見すごすうちに何も感じない人になっていってしまいます。自分にうそを

けんこう

ついているのですから、心が健康なはずがありません。それに気づいたわたしは、こう

回心うようになれました。「こんなにはずかしくてくやしい気持ちになるのは、わたしが

7

主、よ、7

自分でまだやれるカが残っているのにさぼったことを知っているからだ。昨日より今日

い+勺びょう

がんばる気持ちをもち続ける時間を、一秒ずつでもふやせばこんなかんじようにな

一秒、ずつならできる。」と。

とらないはずだ。

いっしゅんだけ楽になります。ても、気持ちはずっと苦しいまま

残ります。このことに気づくことができました。

「ここがげんかいかもしれない」と負けそうになったとき、次の行動にまよったとき、

わたしが選ぶほうはいつもシンクロを始めたばかりのころに気づいた、自分なりのこ

ぜんせんぜんしよう

答え。自分との全戦全勝はむずかしいてすが、三目、て差し引きしてプラスだったらとて

もうれしくて、また次の三日問、さらには明日が楽しみになってきます。そのしっかり

しん

どした積み重ねがゆめの実げんへとかならずつながリます。うそのない自分には、白、信

やめてしまうのは、

18

Page 21: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

4 ゆめをかなえるために

がもてます。こうしてオリンピックというゆめにちょうせんすることができました。

うし

そしてもう一つ、ゆめをかなえるために必要なことがあります。両親、兄弟、友達、

先生、だれでもいいです。自分の心の内を話せる人をかならず見つけることです。たく

さんその人たちとお話をしましょう。苦しいときに言葉で気持ちを外にはき出すだけで

すっきりすることもあリます。それだけでなく、自分との向き合いの結果出た答えが、

ほんとうに正しいかどうかを落ち着いてたしかめることにもなります。お話をするうち

せいり

にわからなかったことが整理されて、ふとひらめくこともあったりします。わたしはほ

んとうにたくさんの時間を使って、たくさんのお話を父や母としました。会話の中で、

心からおうえんしてくれていることもわかリまし

た。自分が一人じゃないと知ることも、弱い人間

が強くなれるたいせつなことかもしれません。

みなさんそれぞれのゆめに向かって歩み出しま

しよう。おうえんしています。

そして、近いしょ

「こんなふうにかないました!」

、っ、hJい

とそっと

教えてもらえることを楽しみにしています。

19

Page 22: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

5 生命はえいえんか?

長、

からだを真っニつにちょん切っても平気で生きていけ

る動物があリます。半分に切られたからだが、そのまま、

つまリ半分の大きさでそのまま生き続けるのではありま

せん。

半分のからだは、

いつのまにやら、もとと同じ大

ト4-」

きさと同じ形にまでなるのです。つまり、真っニつに横

うしろ

切リにされると、からだの後半分からは、今ゃなくなっ

のこ

た頭ができてきます。もう一方つまリ前半分(頭は残っ

てついています。)からは、しっぽができてきます。やで

すから、最後には、もとと全く同じ動物が二ひき、めで

たくできてくることになります。

岡ま田だ

とさんど

節人

20

企プラナリア

Page 23: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

5 生命はえいえんか?

この。フラナリアをとってきて、よく切れるナイフでニつに切ると、やがて二ひきになっ

四つに切ると四ひきに、さらに八つに切ると八。ひきになリます。どこまで小

そだ

それぞれの切れはしは一びきへと育つことができるのです。まるで不

切る

g ググ

<手ニコ

てきます。

さくきざんでも、

せいめいリょく

めざましい生命力です。

んなす

こ生の命地ち力

これは、

さんねん

は残念ながら、われわれ人間にはありませんが、

きヴつじよう

球上に生息している生き物たちの、実に多くがこんなす

ごいことをやれるのです。

例えば、。フラナリア

(ウズムシともよばれます。)と

L

、っ

ふつうは一センチメートルか二センチメートルの

長さの茶色っぽい色をした水生の動物がいます。

物は、きれいで、すきとおった水の小川の石のうらなど

で見つけられます。京都の東山や北山の小川には今もす

んでいます。

この動

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Page 24: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

死じ身み

(切っても切っても生命は終わることはない。)

のようてす。

22

せいめいリょく

しかし、こんな不死身の生命力をもっているように見えるフラナリアも、実はとても

弱々しい面があります。この動物をとってきて真っこつに切らないでもペットボトルに

入れてしいくしてみます。毎日毎日よく世話をしていないとすぐに、ほんとうに死んで

しまいます。

しかし、

まず、食べ物をあたえなければなりま

かなリ大食いなのです。

のこ

あたえたえさが残っていると、

レバーとか、

どんな世話をしてやればよいの守でしょうかつ・

のせ黄きん身みどこ

かのは動大主物女子すは長

てす

からだが小さいわリには、

水がきたなくなり、

プラナリアはすぐに死んでしまいます。

、ですから、毎日のようにでも、水はかえてやらないといけません。水は、水道の水で

しぜん

といって死んでしまうこともよくあリます。いど水か自然の水

、、て

は「この水はイヤ。L

かいましょう。

Page 25: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

5 生命はえいえんか ?

もの

このような「不死身」の生き物は、自然には数多くいます。。フラナリアでは生命は、

いわばいつまでもえいえんに続くかのようです。しかし、そのようなすごい生命力をもっ

ている生き物守であっても、実はとても弱い面があり、水のよごれのような、それがすん

ている周辺(かんきょう)の変化には、

とてもとてもびんかんなのです。

からだをニつにちょん切っても生きている動物がいる、

やチョウチョウをつかまえて「どうせ、

というこの話を読んで、

とばかりに羽をむ

セミ

また生えてくるんだから。」

とっ

なと

ぜっ

-Iし度どてなは

なけつまたせ

ん。セミやチョウチョウは、

ところが生えてくる。フラナリアのようなのう

リょくはあリません。

J

、A

」、

手十十

lL,刀ltw

不死身の生

き物はいろいろとそんざいしています。だか

らといって、生き物はほんとうに弱いもので

もあり、すぐにこわれてしまうものでもあリ

ます。

23

Page 26: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

24

6

いっしょにがんばってみょうか

西E本2

吉生

ー 1Þ.!1!:・ ~ !.l 司

しんいち

進一、

泣いていてばかりではわからないよ。

7

落ち着いて、お父さんに話してご

いったい、

何があったんだい?

レヘ」中め、

らん。

けん

そうか。となりの研ちゃんが、スーパー

マーケットてカードを万引、きしていると

それで、

ころを見たんだね。

進一はどう

したのだっ・

なるほど、

むねがどきどき

するばかリで、

研ちゃんに

「やめとけ

よ。」って言おうと思っても、

一一一ロえなかっ

Page 27: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

6 いっしょにがんばってみょうか

たってわけか。

てんいん

それで、研ちゃんはどうなったの?うーん。庖買さんに見つかって、おくのはうへ

連れて行かれたのか:::。もう、泣くなよ。おまえのつらい気持ちはよくわかるよ。そ

ゅうき

のとき、勇気を出して、

研ちゃんに声をかけていれば、

たのにと、一一一ロうんだね。でもなかなか言えないよね。研ちゃんは六年生だし・・

泣かなくっていいよ。実は、お父さんにも、

このようなことにはならなかっ

よく話してくれた。もう、

子どものころ

にこんなことがあったんだよ。

そういえば、ちょうどおまえと同じ四年生のときの話だ。学校の帰リ道のことなんだ

いそ

が、その日は、お使いをたのまれていたので、少しでも早く帰ろうと急いていたんだ。

じんじゃ

ところが、神社のそばを通りかかったとき、広場から女の子の泣き声が聞こえてきた。

不思議に思ったお父さんは、大きなすぎの木に身をかくしながら、中のようすをのぞき

同じクラスの三人の男子が、小さい女の子をかこんで、

ひと

三人のうちの一人は、いちばんけんかが強く、

こんだんだ。すると、

いじめて

いるではないか。しかも、

いつもいばっ

ているいたずらっ子。たたいている。

つねってもいる。

25

Page 28: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

向こう向きの三人はお父さんには気

たす

こっちを向いて助け

26

づかなかったが、

を求めている女の子とは、

合ってしまった。女の子の目はうった

「早く来て!」

つい目が

えていた。

と。お父、さ

んの心ぞうははちきれんばかりだった。

いそ

『急いで助けてやらねば』とい、っ心と、

『知らんふりをして早く家に帰れ』

いう心が戦っているのがわかった。見 と

すててはだめだ。いや助けにいっても、

はんたい

反対にやられるだけだ。どうしよう、

どうすればいいんだ::・。

結局、お父さんは何もできなかった。

何もできないうちに、

-、-、

、、-、BE

,,F、

ふ/'ふI'i、ふI'le

けった

し三て人立はち 女去さのつ子てを

Page 29: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

6 いっしょにがんばってみょう か

いった。

三分だっただろう。でも、

そのときのお父さんにとっては、

日寺

時間

も成 Zニじた

この問、

三人がいなくなった後、

お父さんは急いて女の子にかけより、服についていたどろを

それがせいいっぱいだった。

家に帰るとなみだが出てきた。悲しくて、

はらってやった。

くやしくて、

くる苦

しかった。

お父さんの心からはなれることはなかった。

その後も、

そうすることが正しい、

こうしなければならないとわかっていても、

なすなすてきな

いもんだ。人間なんて、そんなに強くないもの。でも、

ろうと努力していくことが大事なんだろうね。どうや、進土弱

、 台¥

Lっ

少しでも強くな

いっしょにがんばってみ

ょうか。

その女の子って、今どこにいるのかつて?

えっ

うーん。

たりして・・・・・・。

案2タト?:

おまえの近くにい

27

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28

7

自分って、

何だろう

鷲七回だ

きよかず

連凋一

「自分って、何だろう。」

からないけれど、

人はなぜかかならず、

と犬やねこも考えるのだろうか。それはわ

こういう問いに向き合わされ

amh

ν

「自分って、何だろう。」と考えるとき、わたしたちが真っ先にさがお

FJ

h

誌がバ

すのは、ほかの人にはない、自分だけのとくちょうだ。算数が強いと

か、水泳が得意だとか、ピアノがひけるとか、歌がうまいとかV

とき

には、うそつきだとか、こわがりだとか、はずかしがりだとかいった、

まわ

へこんだとくちょうをまずは思いつく人もいるだろう。ともかく、周

リの人とくらべて、自分にしかないものをさがすのだ。

??ト鴨川

でも、ちょっと考えればわかるのだけれども、算数が強い人は自分

且町

以外にもいくらでもいる。ピアノがひける人も、はずかしがリやの人

Page 31: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

7 自分って,何だろ う

千U

いっぱいいる。算数が強くて、水泳が得意で、

。てもはずかしがリやの人も、いっぱいいる。

分だけがもつものではない。

ピアノがひけて、

これらのとくちょうは自

これらはほかの人ももっているもので、

それらをいくら数え上げても、

いつまでたっても

「このわたし」

二た

どりつきはしない。そういうとくちょうをもった人、

ぷんるい

の人として、分類されるだけだ。

「自分って、何だろう。L

そ、7い、っタイプ

と自分に向かって問いを発しても、

このよ

うに、答えはなかなか出てこない。

では、

「二のわたしL

、ほかのだれとも取りかえることのできないっこ

のわたし」

とは、

いったいだれなのだろう。「このわたし」

というも

いったいどこにあるのだろう。

どかいてん

そこで、考えを百八十度回転させてみる。「このわた

たにん

はうからではなく、他人のほうから見てみる。

ののかけがえのなさは、

すると見えない

っこのわたし」

のかたちはとたんにくっきりしてく

る。わたしの親にとってわたしはぜったいに代わりのきかないもので

29

Page 32: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

なか

ともだち

はずだ。仲よしのあの友達にとっても、わた

V』

ないものにちがいない。しばらくれんら

は代昔、

のヨを

ある、

のと聞いてくれるから。わたしが

と挟 2し どんうて、し

くてれ た

きかないものだろう。

そのとき

「わたし」はある。わたし

か、え

が友達をなぐったときでも、なみだをあふれさせてよらみ返すその友

達の目に、「わたし」がうつっている。先生がわたしを本気でおこる

のことを思ってくれているとき、

ときには、おこるその顔の中に、「わたし」ははっきりうつっている。

艇くはない人生のさい月をたっぷりくぐってトきてんヲわたしは思うの

だが、自分がこれまでやってきたこと、なしとげてきたこと、ゃれな

かったことはあまりくっきりとよみがえってはこ'ない町それよりも、

あのときだれそれに会って自分がそれまでとは大きζ安

わって:::と

30

Page 33: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

7 自分って,何だろう

L、、

※そ、つ

と、7

いうことばかりが、走馬灯のように心をよぎる。うれしい出会いも、

いやな出会いもあった。初めは出会いとすら思わないような出会いも

あった。けれど、そのだれかに会って自分が変わった〈とはたしかだ。

すす

人生というのは、たぶん一直線で進むものではない。だれかと出会

かん

その人とすごす時間の中で、生き方、考え方、感じ方もそれまで

そのようにジグザグと折れ曲がうた形

本の中で出会った人。て

とはぐいっと変わる。人生は、

をしているのだろう。

そのだれかはもちろん、

あるかもしれない。

「自分って、

Y」

そんな問いがこみ上げてきたとき、

してん

そういう視点からながめれば、

何だろう。L

いったいだれにとっての他人なのか、

問いはたぶんから回りせずに、

たしかなかたちをとるはずだ。

※回リ灯ろうともよばれ、

灯ろうの内側に

つつのかたちをしたわくを入れ、そこに切り絵をは

ってかげ絵の

ように見せる。火をともすと、熱てくるくる回るようになっ

ている。

31

Page 34: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

8

勇気。

それはゆめのとびらを聞けるかぎ

32

佐渡裕

ぼくの仕事はオーケストラの指揮者。てす。

せかいじ?っ

世界中のオーケストラを指揮し、

指揮ぼ、つを

音楽をかな

かた手に、

ひっしゃ

企オーケス卜ラの指揮をする筆者

てています。

っちの指お揮父1者ちをやイ士ん事

して

みんなの知り合いで、

いる人っている、でしょうか?

指揮

「となリのおじさんは指揮者だ。」

者。」

とかつて、

あまり聞いたことないですよね。

とてもめずらしい仕事

かもしれませんが、

ぼくはこの指揮者という仕事に、み

つぎょうぶん

小学校の卒業文

んなと同じ年ごろのときにあこがれて、

集の「大人になったら、

「ベルリンフィル

何になリたいか」

(ドイツを代表する世界一のオ

|

とい、っページ

ケストラです。)

の指揮者になる。」

と室田きました。

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8 勇気。それはゆめのとびらを開けるかぎ

とてもリコーダーが得意でした。

て、じゅぎょうの聞の休み時間にはテレビ番組のテーマソングをふいたりして、

の友達を喜ばせていました。ぼくのリコーダlに合わせて、

ぼくは小学生のとき、

いつもリコーダーをふいてい

クラス

みんなが歌を歌って、教室

そんなすばらしい力をもっている音楽が、ぼくの一生の仕

事になったらうれしいなと思いました。ですからそれからは、ただただやリたい仕事、

つまり音楽のために努力をしてきたと思います。努力といっても大好きなことやですから、

一度も苦しいと思ったことはあリません。だけど、勇気をふりしぼらなくてはならない

できごとは何度もありました。

一年のうち半分はヨーロッパで指揮をしていますから、言葉が通じなくてなやんだり、

ちょう

長い旅行で体調がすぐれず、それでもえんそう会をしなければならなかったり、えんそ

う旅行先に荷物がとどかなかったりと、毎日のようにいろいろな問題は起こリます。大

いけん

好きな音楽の仕事ですが、ときにはほかの人と音楽についての意見が合わずに、言い合

そんなときも「勇気を出して」「笑顔で努める」ようにして

が明るく元気になリました。

いになることもあリます。

きました。

みんなの生活の中ても同じように勇気がいるときがあるはずです。じゅぎようで手を

33

Page 36: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

上げて意ぃ見1を

つと三時

目標の高さのとび箱

34

をとほうとするとき、

はずです。

とてもきんちょうする

でもやりたいと思うことを実げん

ゅうき

思い切って勇気をふリしぼリ、

するためには、

最、初の一歩をふみ出さなければなリません。

きしゃ

ぼくが指揮者になったように、

そ、71・

みん

ながそれぞれにやリたいと思うゆめを実げん

するために自分で開けなくてはいけないとび

みんなの自の前にあリ、

ひら

びらを開くことができるのは、

、hノ十1

民、

一?そ人iし一て人そのの勇と

気なのです。ぼくは自分にさいのうがあるか

どうかわかリません。ただぼくがもっていた

のは、だれよリもこの

勇気」

だっ

たと田

問iぃ

ます。そう考えると、

題があるときやこんなんがやって来たときこ

みんなにとっても、

Page 37: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

8 勇気。それはゆめのとびらを開けるかぎ

そが、実はゆめをかなえるとびらを開けるチャンスなのだと思います。

「勇気」というかぎを手に入れること、それはすごく身近などころか

きんじよ

らスタートできるはずです!例えば、道ですれちがった近所のおばちゃんに「こんに

ひつよう

ちは!」と元気に言ってみる。これも勇気が必要なはずです。親切にしてくれた人に「あせ

リがとう!」とかんしゃの気持ちを伝える。これも勇気がいりますよねーぼくが今世

とびらを開ける

みんなと同じで、

どころからのスタートだったと思います。

ぼくはいちばん好きな音楽を、自分の一生の仕事にできたことをとてもほこリに思い

ます。今日も世界のどこかの街の指揮台で、昔、クラスの友達をリコーダーで喜ばせた

ように、たくさんの人を音楽のすばらしいカて元気にさせています!

を出していきましょう!

いっしょに勇気

35

Page 38: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

べんきょう

りこえるためにもう勉強をして、

けんきゅうしょしよいん

クフエラ

l研究所の所員となリ、

おうねつびょう

黄熱病の研究でガ|ナ

五十一オでなくなりました。

かんどう

み、すごく日感動したことを思い出します。

とする努力によって、

9

小学生のころ

しかし、

せんし、

36

ほんじょ

たすく

本庶佑

さつ

ひで

みなさんは千円札の表に印刷されている野口英世博士を

知っている、でしょう。野口英世博士は一オ半のとき、

に落ちて左手に大きなやけどを負いました。十五オのとき、

しゅじゅつによって左手が動くようになったことがきっかけ

いしゃ

医者になろうと決心しました。左手の不自由なことを乗

こっか

けん

二十オで医師国家試験にごうかくしたあと、米国ロ

じんるい

伝せん病の研究、て人類に大きなごうけんをしました。

いろリ

(アフリカ)にたいざい中に自分もこの伝せん病にかん

でんき

小学校時代に、わたしは野口英世博士の伝記を読

自分にあたえられたこんなんを乗りこえよう

人はこんなにすばらしいことができるのか、という思いです。ま

Page 39: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

9 小学生のころ

たなによりもわたしが強く感動したのは、野口英世博

ねつ

士のすさまじいじよう熱、てす。人は何かをやろうとす

あつ

るときに、熱い心がたいせつなのだということを強く

日感じたのを思い出します。

大人になってふたたび野口博士の伝記を読む機会が

あリましたが、今度は野口英世のちがう面に気がつき

ゆび

ました。野口英世はやけどで指がくっついてこんぼう

のようになった左手のせいで、「てんぼう、てんぼう。し

とからかわれて、いじめられたそうです。野口博士が

しゅ、っち?っ

あれほどま、てにはつぶんして勉学に集中したのは、こ

のくやしさに打ち勝ち、なんとか自分がみとめられる

ような仕事をしたいと思ったからです。野口英世博士

の負けん気がいじめを乗りこえて大きな仕事をさせた

ことになリます。

いっぽうで、野口博士には弱い面があったことも知

u

ulll/A砂

防/倣

37

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?

野口博士は、恩師小林先生や血脇先生から米国留学の費用も出してもらい

ぜん

ところが、と航の直前にその費用を全部えん会、て使ってしまうという大しった

いをしてしまったのです。おそらく生まれて、初めて見たような大金を手にして、また外

みうしな

遊に行くということで気持ちが大きくなり、自分を見失ってしまったのでしょう。どん

さけ

ないじめにも負けないような強い野口と、お酒を飲んだせいかかんたんにゅうわくに負

そくめん

わる

人にはいろんな側面があることを学びました。良い人と悪い人

ト且世

の中の人

け/土JR1しkh。

ました。

とけいてうし区くま方lJ:;うが弱ていき聖子るロ(まとと

人間はそんなにかんたんなものではあリません。

リ一人の人間もその時々で、

もさまざまな人がいますし、

いろんな側面が出てくるもので

戸入

校時じ代行は

ひてよ

いわゆる悪ガキだったのではないかと思います。野口一英世

?

?

医学のように世界中の人に共通に役に立つ仕事ができ

の伝Zわ言己きたを し読もんてから

わたしは、

るというのはすばらしいことだとばくぜんと思いましたが、

業中のおしゃべりをやめることができず、また家に帰ってからは、

あそ

玉やばっちんをして遊びまわることにせいを出していました。

うにしてビl玉の勝負に勝っか、

あいかわらず学校ではじゅ

あくゆ、7

ただちに悪友と、ヒー

そのころは、

P

母日、どのよ

それがわたしの生きがいであり、

ほんとうにねてもさ

38

Page 41: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

9 小学生のころ

めてもその二とを考えていたように思います。そのようなじよう熱が急速に冷めたのは、

次の大きな感動がおと、ずれたときです。

小学校の五年生のとき、夏の夜の校庭、て理科クラブの先生のしどうによる天体観そく

J

をさせていただいたときです。望遠鏡の中に見えた土星の輪の不思議なすがたに大きな

、伸、っ

感動をおぼえました。どうして地球の外に、こんなすばらしい天体があるのだろうか、

く、7そ、っ

そして地球はどうしてできたのか。空想がどこまでも広がリ天文学の入門書を何さつか

ますますその不思議にひきこまれました。いつかわたしのきょうみは医学から

こんな不思議な世界、うちゅうの果てに

読んで、

天文学にうつリ、

何があるのか知リたいな、

と思うようになりました。

小学校時代は自分がきょうみをもつことにどんどんふみ

せいいっぱい自分の心をはばたかせてこられたのが

こみ、

楽しい思い出です。生きるということは、自分が自分の生

きるかちを見いだすことにつきます。さまざまなものにふ

たび

れ、自分がどういったものに感動できるのか、楽しい旅を

じゅ-つト也、

7

することが重要だとわたしは思います。

39

Page 42: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

40

10

大志をいだけ

松雪尾ぉ

It'x ヲbくニ巳う

昔のお話です。

思いがけないじこで自ら動けなくなった父親が、

小学校六年生とその

とれたばかりの魚を市場にとどけるよう言いつけました。日ごろかわいがってい

しんや

しゅ勺ばっ

るくり毛の馬に荷車をひかせて夜明け前に市場にとどくよう、深夜に出発したのですが、

うんわる

しゃ

運悪く、どしゃぶりの雨になリ、ほそうのできていない道はどろぬまのようになって車

リん

輪がはまりこんでしまい、車は進めなくなりました。二人の兄弟は、馬をむち打ち、そ

ひっ

の首を必死にたたきます。一歩、ても前進しようとロにあわをふきながらあがきま

弟に、

馬は、

す。しかし、車はびくともしません。

とうとう馬は、

その場にはいつくばってしまいま

した。今

まで、

その首をたたきつ。つけていた兄弟が、ふと気づいて馬の目を見ると、

あい

はなみだがいっぱいあふれでいました。日ごろ、愛していた馬の必死の思いを見た兄弟

は、思わず二人てその首にしがみついておいおい泣くのでした。ふリしきる雨の中に、

そ二に

Page 43: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

10 大志をいだけ

二人のなみだも止まるごとがな

かったのです。

これは、徳永直という人の『馬』

という物語の一場面です。ここに

ろうとう

は、当時のきびしい生活と労働に

もの

まつわる、兄弟と物言わぬ馬との、

かんどうてき

あせとなみだの感動的な心の通い

ムロいがあります。

さくしゃじしん

には作者自身のまずしくきびしい

体験が反えいしているのでしょう。

まずしさはときに深い感動をあた

おそらく、

そこ

えます。

ところで

わたしは戦Z時じ中?

食〉料}兵ご

士が学ぶ学校にいましたが、

ぶそく

不足で一日中おなかをすかせてい

41

Page 44: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

食また しくた

出十ま日しにた一日が度ど

まんじゅうがニつ

42

わたしはこっそり

ぬのぶくろの中に入れておきました。夜

になると、三日に上げずアメリカのばく

げき機が来て、わたしたちは身を守るた

めにぼうくうごうに入らなければなりま

せんでした。そこではだれもいない、たっ

かい

た一人の世界です。そこで、あのまんじゅ

うをぬのぶくろから取り出すのですが、

かじって食べたのでは早くなくなります。

あじ

より長く、よりていねいに味わうために、

かわ

たいけん

皮をなめ、あんをなめました。この体験

もの

があるので、食べ物をそまつにする気持

ちには決してなれません。「もったいな

、、OL

という心が

「食べ物のとぼしさL

Page 45: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

10 大志をいだけ

うに続いているのです。

「それは、金を得るためではない。

めいよを手にするためでもない。

のすべての修養をなしとげるために。L

ろ、っと、ヮ

というのです。労働をとうとび、まずしさやと、ほしさにたえる心を養うためにも、

ほ、フ二、7

みうしな

の方向を見失わないように生きることがたいせつです。

けんリょくを得るためでもない。

大志をいだけ。 企クラーク博士ぞう

そだ

を通じて育っていったのです。

明治初年、札幌農学校(今の北

海道大学)に、初代の教頭としてふ

はかせ

クラ|ク博士が、

にんした、

少年よ大(亡、 そ志しの

母国へ帰るときに、

もを実i有?L、は名fだ、 jkけ

τt斗ー 0

てす と

を一ロったのは、

とて

クフ

クの博あ士との

次2葉ばのはよ

「大志をいだけ」

キま七八、

むなしい

それは、

人の人たる道を歩むため

大志

43

Page 46: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

44

1 1

「楽書L

のすすめ

書くということ

きゅうよう

九楊

へんじゃ俳句ゅう

かん

Lた

¥編者注漢字に親しんでもらうために、すべJ

f

ての漢字にふりがなをつけています。

石:)(I~

海辺をはだして歩いてみると、水は冷たく、時には、なまぬるい。ところが、手に持つ

いすい

た棒切れて海水をたたいたときには、波しぶきは飛び散っても、水の冷たさや温かさは

った

いっこうに伝わってはこない。同じ水なのに、

「、つ/門/.L

これはいったいどうしたことなのだっ・

にんげん

はじ

ことば

くち

こうけい

人聞が、初めて言葉をロにしたときの光景

はきっとこんなことだったのだろう。

みず

ちょくせつ

かんせつ

はだして水に触れれば直接、棒で触れれば間接。

人聞がほかの動物と違うのは、言葉を使う、道具を使う、火を使うからという話は聞

いす

道具を使うというのは、この棒て海水に触れるように、間接に

いたことがあるだろう。

触れることを指す。

人間はニつの言葉とともに生きている。ひ

あいて

たい

ちょくせつ

こと

一つは目の前の相手に対しての直接の言葉。

Page 47: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

1 1 '楽暫」のすすめ

それを「話し言葉しという。もう一つは、自の前にいない遠い相手に対しての間接の言

ゃく

葉。それを「書き言葉」という。だから書き言葉のつまった本を読むと、何千年も何百

年も前の人の話だって聞くことができる。とてもふしぎなことだとは思わないかい?

「うつ・」に生まれた言葉は、「なぜっ・」という、疑問と

きやっ

ともにある。「なぜ空の色は青いつ・L

「なぜ地球

はまるい?」。どんどん質問を見つけて、

きょうだいともだち

お父さんやお母さん、先生や兄弟、友達

言葉とともにあ

45

にたずねるのがいい。

にんげん

る人間は、いつも「なぜっ・L

かんが

ぜっ・L

と考えながら生きるように 「な

, ,

てきている。

直接の話し言葉と、間接の書き

言葉を合わせたものが人間の言葉。

だから言葉は、ひととおリの答え

. .

ιγ」

y」、

ではなく、

寸マ・・、、、

-手十十,刀L

「ーし、し'力」

Page 48: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

カあ

「お母さんはそう言うけれど・•••••

L

違う考えがあってあたりまえなのだ。

そして言

違った答えを用意している。

おも

も:::」ど思うことがあるのは、

言葉は人間のあかし。言葉には

葉には、「話す言葉」と「書く言葉L

話すこともたいせつだが、「キョウダイ」と言っ

ても、「兄弟」か

「京大」か「鏡台」かの区別のつ

かない日本語。ては、書くことはもっとたいせつだ。

「書き言葉L

は、速い昔(過去)と、は

ノい

るかな先(未来)ま、てをもつなぐ、かけ

献でもあるo

,r

っき

4

とう〈

鉛筆やぺンは筆記具。筆記具は道具。

道具というのは紙や木や石や土などの相

dた

手にはたらきかけて、その形を変えるも

筆記具の先も、刃物の先もみな先に

そのためなのだ。

「なぜっ・L

がある。

そのため、

向むのか。

てと

がっ

とい、つのは、

「先生にそうは、一一一ロわれて

46

「しかし・・・・・・L

がつきまとう。

Page 49: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

11 i楽書」のすすめ

---,

欠かL

せきそう

いて石像をつくることや、

つち

ちょう『

で土を「掻」いてたがやすことや、彫刻家がのみで石を

さかな

お母さんが野菜や肉や魚を切って料理することと同じだ。

?

っかん

君も筆記具を手に持って書いてみよう。書くことを習慣にしよう。

う。日記をつけるのも良いだろう。手紙を書くのも良いことだ。パソコンでは、できあ

いの活字しか出てこないが、手で書けば、まちがいなく君自身の文字と、言葉が生まれて

おどろ

こころ

くる。それは驚くべきことではないか。それはとても楽しい、心おどることではないか。

書く言葉のうかばないときには、「楽書」

、てもすればいい。一本の線に一本の線が新

たに加わるだけで、ノートはどんどん姿を変えていくてはないか。平仮名をどんどん速

がた

く書いていくと、いつしか縦や横の一本の線の姿に化けていくてはないか。ノートの一

ページが真っ黒に姿を変えていく途中にあらわれてくるいろんな姿は、これまで見たこ

すがた

ともないふしぎな姿ではないか。

れんの

書くことは、かなしい心、さみしい心、おそれる心をやわらげてくれる。そして、楽

しい心、うれしい心を長くとどめてくれる。それはパソコンやケlタイてはとうてい手

しようが

たか」つもの

に入れることはできない生涯にわたる楽しみ。人間の宝物なのだ。

ひっ

筆記具を持ち歩こ

47

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48

12

ねこはどこまでわがままか

人はどこまで動物か

ぼくの家には、

もう三十年以上昔から、

いつもねこがいま

した。も

ちろん同じ一びきのねこがずっといたというわけではあ

りません。新しいねこと入れかわリながらだったのですが、

rvk々、

ねこがいないという時期はありませんでした。今も二ひきの

おすねこがいます。

「ねこってほん

こんなに長い間ねごといっしょにいると、

とうにわがままだな。」と思うことがよくあります。

「おいて1

・L

どよんでもぜったいに来てくれません。とこ

ろが、とつぜん何を思ったか、ぼくが読んでいる新聞の上に

やって来てすわリこんてしまったりします。そういうときは、

日高

敏t隆2

Page 51: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

12 ねこはどこまて'わがままか

つどいて!し

と言ってもぜったいに、とこうとはしません。

自分のした

ばっ

しか て

主ぞての命f人令れの

すう

しとたながん7 か

聞かないのです。犬だったら、

どうしてねこは、

それは、

こんなにわがままなのでしょう?

ねこがむれをつくって生きる動物ではないからで

す。犬はそのそせんのオオカミと同じく、何びきかでむれに

なってくらす動物、てす。むれの中の犬たちは、自分たちのリー

じぶんかつて

ダlにちゃんとしたがい、自分勝手なことはしません。そう

しないと、むれから追い出されてしまうからです。

犬はもともとそういう生き方をしてきた動物なので、

にかわれるようになってからも、かい主を自分のリーダーだ

人間

と思っているのです。だからちゃんとかい主の言うことを聞

くのです。

49

Page 52: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ね二は犬とちがって、大人になったら一ぴきずってくらす

ひつよう

動物

、、てす。だから、だれかの言うことを聞く必要もあリませ

ん。自分ではんだんしながら、どうしたらよいかを決めてい

ぬし

くのです。かい主が「おいて!しとすロったって、自分が行き

たくなければ近よって行ったりはしません。でも、もし自分

が行きたかったら、かい主がなんと言おうと近よって行くの

です。だから「ねこはわがままだなあ。L

と思われるのです。

ねこはかい主のことなんか考えていないので

それでは、

しようか?

どうやらそんなことはないようてす。

実は、

かわれているねこは、

とても気に

かい主のことを、

集号 しま伊IJ~ てつえい

でばるし 食〉のま事じてやうのすとと。

三号

かい主の家族がみんな食たくの周りに

ねこもその部屋へやってきます。ねこは

さっき自分の食事はすませたので、

おなかがすいているわけ

50

Page 53: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

12 ねこはどこまでわがままか

ではありません。やでもかい主たちのそばへやって来ます。

そして、

一メートルぐらいはなれたところにすわったり、

ねころんだりして、

かい主たちをじっと見ています。

ねこにはそれがとても楽しいことらしいのです。

何かの用事で家族がそろってどこかへ出かけようとすると、

ふあん

ねこはとても不安そうになリます。「みんなどこへ行っちゃ

しんぱい

うんだろうつ・」まるでそんな心配をしているように思えます。

ねこはわがままだけど、かい主が大好きなのです。かい主

といっしょにいて、近くからじっと見ていたいのです。けれ

どベタベタはしたくない。ねこのそんなせいしつが、ぼくは

大好、会¥てす。

51

Page 54: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

わたしが子どもの」ろ住んでいたのは北海道の森の中の小さな家です。お父さん

お母さんや弟、そしておじいさんやおばあさんたち、家族がみんないっしょにくらしていま

した。かやぶき屋根の小さな家の周りには、畑や牧場が広がリ、近くには森があリまし

た。家のすぐそばにあった馬小屋には、めすとおすの親馬ニ頭と、子馬が三頭いました

どきどき、馬さんたちに「かいば」(かわかした草)をやるのは、わたしと弟の仕事でした

わたしのおじいさんやおばあさんの一家が、遠い北の園、北海道へうつり住んできた

めい

のは、今から百年ほど前の明治三十八年(一九

O五年)のころだと知ったのは、だい

ぶあ

き?

しま

とで大人になってからのことです。南の国の九州や瀬戸内にうかぶ淡路島から、船に乗

たり、馬車に乗ったり、歩いたりして、一か月もかかってはるばる北海道へわたってき

たという話を、、初めて聞いたときはびっくりしました。

家の周りの森の中には小さな川が曲がりくねって流れていました。長いえ、が終わる 。。

13

植物とわたし

北海道ですー"7、、

、ーー

しfこ

狙f少

筋書じ昭}イミボ

52

Page 55: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

13 植物とわたし

と、雪がとけるのを待ちかねたように、小川のほとリには真っ白で、十五センチほどの

とても大きな花をつける植物が真っ先にさいていたことを、今でもよくおぼえています。

でもこの植物は、なぜか花をさかせているときには、葉っぱは出していません。どこ

ろが、花がさき終わってから、一か月以上もたつてから、

うな葉っぱを、

とても大きな「うちわ」

にょきにょきと出しはじめ、小川のふちは大きな葉がたくさん、ならん

のよ

て生えていました。

林の中やへりには、春になると、白や、黄色や、すみれ色のいろいろな花がさいてい

ました。子どものころには、花の名前は知りませんでしたが、色のちがう花を、小さな

あそ

いっぱいにつんで遊んだことを、よくおぼえています。

「かご」

七オになった春、四月から学校へ通いはじめました。毎日、山の中の家から学校へ通

うのはなかなかたいへんでした。朝、早く起きて一時間ほど山道を、とことこ歩かない

と、学校へたどり着けなかったか、わやです。

べんきょう

でも、このころ、学校での勉強が終わリ、家に帰るとちゅうでは、よく道草をくって、

林や小川のそばにさいているきれいな花をつんだり、ザリ、ガニをつかまえたりしながら、

家まで帰るのが毎日でした。

53

Page 56: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

秋になると、近くに住んでいた友達といっしょに学校からの帰リ道で、大きな木にま

きついた「つるしのあちこちに、こいむらさき色のふさをつリさげたヤマブドウや、ご

みと

い緑色にじゅくしたサルナシの実をさがしながら帰リました。じゅくした実を見つける

のぼ

と、「つるしをひっぱりおろしたり、木によじ登り、実をつんではよく食べました。じ

ゆび

その色や、指でさわってみるとじゅくした実はやわらかい

くした実は、

とてもあまく、

ので、

すぐにわかりました。

学校が休みの日には、

少しはなれたところにある牧場に、放

はだか馬にまたがリ得意になっていたとき、

おじさんといっしょに、

しがいにしていた馬をつ

れに行きました。

急に馬が走り出してふり落とされた二とも、よくあリました。

やでも、今、思い出すと、

とても楽しい毎日でした。

そのころ、北海道のいなかでは、はなればなれの一けん家には電気がなかったので、

はん

夜はランプのほの暗い光の中でタご飯をすませ、

した。でも、今、思い出すと、

そのあとでは本も読めない暗い毎日で

近くの小川でザリガニをつかまえたり、

木に登リ木の実

とても楽しかったことをおぼえています。

を食べたりして、

まわ

家の周リにもたくさんの花がさきましたが、

その名前は知りませんでした。何年かあ

54

Page 57: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

13 植物とわたし

-:;-/'

とになって中学へ入リ、先生に教えてもらい、花の名前を

、初めて知リました。春早く、品川、ヨがとけると大きな白い花だ

けをさかせ、あとで大きな「うちわ」のような葉をひろげ

コるのは、ミズバショウでした。直径が三センチぐらいで、

白く細長い花びらをたくさんつける花は、キクザキイチリ

司旬、ンソウでした。黄色、て五まいの花びらをつけるのはキジム

シロというバラの仲間の草でした。わたしの住んでいた周

‘ミズバショウr

の リ花のや森

タチツボスミレというスミレ

このほかにも、

企シラネアオイ

エンレイソウというユリの仲間、

大きくかわったうすむらさき色の花をさかせるシラネアオ

イというキンポウゲの仲間の植物などが、たくさんあるこ

べんきょう

どを知りました。高校、大学へ入ってからも、植物を勉強l

γ'り

し、今

、、ても日本中あちこちをたずねて、いろいろな花を、調

そして、

とても

べまわっています。

55

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14

京都というところ

しゃくしよ

みなさんは、京都の市役所の前の

おいけとお

道が「御池通リ」とよばれているのす

を知っていますか。この道を西へ進

しんせんえん

むと「神泉苑しという池があリます。

実は、御池通りという名前は、この

神泉苑に通じる道であるどころから

つけられたもので、その神泉苑を「御

池しともよんでたいせつにしてきた

のです。昔は今よりずっと大きな池

でした。地元の人々は「ヒゼンサンL

かん

どよんでいますが、親しみが感じら

56

村井康彦

vげんざいの神泉苑

Page 59: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

14 京都というところ

れてここちよいですね。

この池が人々の生活に欠かせない、大事な池だったことがよく

わかリます。

平安京がつくられる以前、

この京都ぼん地には森の緑が広がリ、

北の山地からはゆたかな地下水が流れ、それらの池やぬまにつ

ながっていました。とくに神泉苑は、どんなに日照りが続いても水がかれることはなかっ

せいき

すえ

たのです。そこで八世紀の末に平安京がつくられたときには、この池の周リに中国風の

建物が建てられ、とてもリっぱな園池として整えられました。天皇や貴族は季節の変わ

るたびにおとずれ、当時さかんであった漢詩を熱心につくったものでした。

みずぶそく

ところが九世紀の半ばに、日照りが続き、京の町は水不足におちいってしまいます。

そこで役所、ては、神泉苑の水をいっぱん市民に開放する二とを決めたのです。

ゅ、ヲらく

これまで貴族の遊楽の場

、、であった神泉苑が、

と変わっていくきっかけとなリました。

えき病も大流行しました。

遠い昔、

あちこちに

池やぬまがあリました。

二れが、

市民の生活にとって、

たいせつな水げんへ

せいじのけんリょく争い

たいへんおそれていました。そこでこれ

果物をそなえ、芸のうをほうのうするな

それを当時の人々は、

同じころ、

に敗れて死んだ人たちのうらみのためと考え、

神泉苑に祭だんをつくり、

をなぐさめるため、

57

Page 60: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

やまぼこ

v祇園祭の山鉾

続いているのです。

どして、祭リを行ったのです。

れが御霊会とよばれた祭りです。

やさかじんじゃ

毎年七月八坂神社て行われる祇園

ぎおんごリょうえ

祭も、正しくは祇園御霊会といい、

しんせんえんいらいかくしょ

神泉苑以来久ロ所て行われるように

なっていた御霊会の中で最もさか

58

」ー

んとなったもので、

それが今でも

話を神泉苑にもどしましょう。九世紀の半ば、日照り

が続いたとき、神泉苑の水を市民の水として開放したこ

みずぶそく

とは前に、一一一ロいましたが、のちには水不足のたびに、南の

ほうにあった田んぼのかんがい用水にも使われるように

そこでこんな言い伝えが生まれています。

...八坂神社

なりました。

「神泉苑の水を開放したらかならず雨がふる。」

このことからも、

この池がすっかり人々の生活にとけ

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14 京都というところ

こんだことがよくわかりますね。京都が千二百年をこえる、長い年月続いてきたのも、

人々が生活の中、てさまざまなちえをはたらかせたか、わやでした。

ころ

「京都L

とはもともと「みやこ」つまリ天皇の住む所という意味です。「みやこしは飛鳥

や奈良などいろいろな所に置かれてきました。しかし

地名として「京都L

と書かれることはあリませんでし

た。わたしたちの住む、この京都だけです。それはこ

のまちに人々が住み続け、「みやこL

にふさわしい文

化を生み出し伝とうを守リ続けてきたからです。「み

企京都御所

や「どどしての京都が地名としての京都になったのは

平安時代の終わリのころでした。

みなさんも「京都」

どよんでみましょう。この地名

のゅうがな

のもつやさしいひびきは、今も「みやこし

おもむきを表しているかのようてす。それがみりよく

となって、多くの人たちがこの都市にあこがれ、おと

ずれているのやでしょう。京都だからこそだと思います。

59

Page 62: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

必の広場

〈〉必に残った学習

〈〉真けんに考えたこと、大事だなあと思ったこと

大今までのわたしについて思っていること

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まちがいはだれにでもあるよ

Page 64: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

雨、トリも

かわすあいさつ

心はれ

ル初?生め活 めん信

ルのの いな号

か わてら歩 くわ

たれl工

しんごフキ

信号機

Page 65: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

第二部

第二部は、みなさんと同じ京都時の小学生がゆめや鵬いをもって、

まわ

や周りのことについて書いた作文をのせたページです。

*また、それぞれの作文に対して「おうえんメッセージ」がよせられています。

自分のこと

第二部のあとは「府民ほっとメッセージ」のぺ

lジてす。

みなさんを見守り、はげますためにとどけられた府民のみなさんの

声をしようかいしています。

Page 66: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

正しいことを正しいと言えるクラスに

あそ

ぼくが、朝、学校に来て、かばんを下ろして遊びに行こ

うとしたときのことですが。

Aくんが自分のノートを持っ

て、

Bくんのところに来て「ぼくの宿題やっておいて。」

と言いました。ぼくは、そこで思いました。

「なんて、宿

題を自分でしてこないんだろう。」

Bくんは、

「いやや。」

とか

「自分の宿題ぐらい、自分てすればいいゃん。L

と言

わなかったのも、「へんだなあ。」と思いました。

プよ/¥・寸Ea

Aくんに

「そんなこと、一一一ロうのはやめろよ。」と言っても、したうちばかリ

ちヴつい

して、聞いてくれませんでした。となリにいたCくんも、「自分、てやれよ。」と注意し

ているのに、まったく聞かず、

Bくんに自分のノl卜をあずけたまま、遊びに行きま

した。ぼくたち以外の人は、何も言いませんでした。そんなことが何回か続いて、

B

64

Page 67: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

くんは宿題をや、わされるばかリでした。

先生に宿題のことがわかり、

ん気がすみませんでした。

はんせい

Aくんも反省していると聞いたけど、ぼくは、

Aくんは、自分のことぐらいは自分てしないといけないし、

ぜんぜ

みんなだって、けんかが強い、カが強いからAくんには、注意しないというのは、よ

くないと思います。だれでもが、どんな人にだって注意してほしいてす。そして、注

音心された人もちゃんとその注意を聞いてほしいてす。

ずよ

/¥+Ea、

正しいことが正しいと言えるクラスにしていきたいと思います。

きゅう

久木久代

いちど

学級の中を、もう一度ぐるリと見てみよう。元気な人、おとなしい人、

ベリが好きな人、話すのが苦手な人、しっかりそうじができる人、ちょっぴりな

まけてしまう人、給食の早い人、おそい人、カの強い人、はずかしがリやさん:・

いろんな人がいる守でしょう。もちろん顔も体かくもちがうよね。

そんないろんな人たちが毎日いっしょにすごすところが学級だ。

みんなが気持ちよく生活できるためには、どうしていったらいいのかなあ。 お

しゃ

65

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2

おじいちゃんのおそう式

人はいつ、どこで、何で死ぬのかわからないです。

夜、おじいちゃんが死んだと電話で聞いて、お父さんとお母さんとわたしは、とつ

ぜんなのでおどろきました。

おそう式の、初めにおきょうをとなえました。おじい

ちゃんの顔を見たとき、悲しくなリました。わたしは、

おじいちゃんにお花をそなえました。お母さんやおば

ちゃんたちもたくさんのお花をそなえました。おじい

ちゃんは、お酒が大好きだったから、おかんの中にお

酒も入れました。親せきのみんなで書いたよせ書きも

入れました。わたしは、「おじいちゃん、わたしが大人

みまも

になるのをずっと見守ってほしかったです。安らかに

66

Page 69: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

と書きました。

おかんをしめて、く、ぎを打つ

て、おじいちゃんを焼きました。とつ

ねむってください。L

そして、

‘-'

ても悲しかったです。おじいちゃんの

はねは、真っ白でした。はしてひろっ

てはねをつぼに入れました。

おじいちゃんとは、

はなれてくらし

ていました。お正月と夏休みにしか会

わる

えませんでした。それに、耳が悪くなっ

ていたので、あまりおしゃべりが通じ

ませんでした。もっとお話がしたかっ

たです。声が聞きたかったです。でも、

おは

おじいちゃんの顔は、今、、ても覚えてい

P 司巴事......

;~~

ます。わ

たしのおじいちゃんは、

八十八オ

67

Page 70: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

と八か月生きました。わたしは、おじいちゃ

んよリもっと長生きしたいです。わたしの

家族や親せき、友達にも長生きしてほしい

てす。わ

たしは、まだ子どもだから、

死という

ものがあまリよくわかりません。でも、お

じいちゃんは、世界でたった一人しかいな

いということはわかリます。おじいちゃん

が死んでしまっても、わたしは、おじいちゃ

んのことをわすれないです。

68

Page 71: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

松号尾ぉ

しんくう

必空た

いけん

自分が体験できるものではあリません。守ですから、

みぢか

身近な人の死ほどそのあたえる

人間の死と

つも

イ也たの人μまの死のみです

をリかいするのは、

感がいは深くなるのがつねてす。

しかも、

おじいちゃんはいっしょにく、わしていなくても、それゆえに、かえってたまた

いっそう思いを深めるのではない*でしょうか。

々々、

AHL

もっとお話をしておけばよかった、もっと会う機会をもちたかった、

y」λj

お父さん、

まの出会いが、

というお

かあ

じいちゃんのことを思うとき、今元気で身近におられる、お母さんと

の日々の生活に、より深い意味を見いだしていきたいと思います。死も別れもか

ならずおと、ずれるからです。

69

Page 72: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

3

友達っていいなあ

友達が、

ある人から

「ぜつこう」。

と言われているのを聞きました。

ぜつこうという、一一一ロ葉は、

わたしは、

けん

かをしただけで言う言葉ではないと思いま

す。そもそもぜつこうという言葉は、

達をやめL

「一生仲よくしない」

み味だと、

つ「意ぃ友

思っています。それに

あい

その言葉は、言われた相手をすごくさずつ

ける言葉です。

大好きな人や親友と思っていた人から言

わたしは、

70

Page 73: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

われたとしたら、

「もう、学校なんて行き

たくない」「友達なんでいらないL

てしまう場合もあると思います。

と思っ

れたり、

じめ

死しら

みんなにきらわれたりしたら、

にたいと思うかもしれません。

わたしも、

ささいなことで友達をなくし

かけたことがあリました。

そうだん

れに相談したらいいのかわからず、

そのときは、

学校に

行きたくありませんでした。しかし、

わた

しをささえてくれたのは、やっぱり『友達』

です。もう、

みんなにきらわれたと思って

いましたが、ずっといっしょにいてくれた

友達だけは、

わたしに、

「だいじようぶ。元気出して。」

と言ってくれました。ふつうのときは、

71

Page 74: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

うなくらいうれしかったです。

ゅ、っき

すごく勇気をもらいました。だれかに

わるぐち

かげで、悪口をム一一ロわれでも、

みかた

わたしの味方をしてくれました。

初めて、

「ありがとう。L

J

とそれだけですが、そのときは、

『 ιて

たしは、

_1

の き友iら達2わだれけではも

...,.~

そのとき、わたしは、

b n

なあし

と思いました。

のな言:み葉ばだて、-/J{

出そわ

「友達っていい

人をきずつける言葉もあれば、

;よTK

言葉は、

ます言葉にもなると思います。

はげ

72

Page 75: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

松雪尾ぉ

しんくう

必空

ある、

カえ

つみをおかした人の話です。自分のかこをふリ返ってみますと、

つだけ、小学校五年生のとき、

なに一

つ人からほめられたことが田心いつきません。ただ一

といって先生にほめられたきおくがよみがえリました。

へんじ

この先生に手紙を出したところ、先生から返事が返ってき

どうぜん

ました。その中には、当然のことですが、づみをつぐなって人の道に立ち返るこ

とが説かれていました。

図画の二うずがうまい、

さっそく、

かれは、

かれの人生に意味をあたえてくれた、この先生の手

ひとこと

一言、てもたいせつ

たった一つのはめ言葉が、

よろこ

紙を心から喜んだことはいうまでもありません。ほんとうに、

いい友達をもって、

にしなければなリません。

よかったですね。

73

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4

家ヵ、

族?

74

きよねん

去年、わたしに弟ができました。

今まで、わたしは、弟や妹がほしくあリませんでした。なぜなら、もし弟や妹がやで

きれば、家族みんなが弟や妹のほうに気持ちがいってしまって、さみしくなる気がし

たからです。

だから、弟か妹ができるとわかったとき、

¥ ¥

ろいろな人から

「生まれるんやなあ、うれしいなあ。L

「妹か弟ができるし、

いいなあ。L

ときロわれでも、

そんなにうれしく思いませんで

した。け

れど、弟が生まれて、初めて顔を見たとき、

Page 77: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

とてもかわいいなと思いました。そして、

いん

い院してから家、て、初めてだいたとき、

4U

っy」

かわいいと思いました。弟が少し大きくなっ

て首がすわったとき、

やっとすわったと思っ

がえ

てほっとしました。そして、

、初めてね返りを

うったときは、とてもうれしかったです。

わら

弟が声を出して笑うとわたしまでうれしい

泣くとわたしまで悲しい悲しい気持ちに

しなったりします。

ほかの人

弟がまだ生まれていないときは、

の赤ちゃんを見ても何も思わなかったのに、

生まれてからは、

なぜかわからないけど、ど

の赤ちゃんを見てもかわいいと思うようにな

川ノキナーし七人。

今は、

あそ

弟が小さいのでみんなで遊びに行つ

75

Page 78: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

HHノトJa

『」、勺F

たり旅行に行ったりできないけど、

弟が出か

けられるようになるまで、

しでも平気です。弟が生まれでも前よりもっ

かぞく

家族、、て話をしたリする時聞が、中

わたしは、

がまん

とたくさん、

、ぇ半ま

lv七人。

これからたくさんいろいろなこと

あそ

を話してあげたリ、遊んであげたリしたいで

す。そして、家族みんなで出かけたりしたい

弟には、

と思います。

わたしは、弟ができて、

ほんとうによかっ

たと思います。

76

Page 79: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

よろこ

弟ができたときのきみの喜びょうが、手に取るようにわかリます。弟といっしょ

に笑ったり悲しんだりするかかわりもすばらしいです。

弟が今のきみの年令になるころ、きみはもう大人ですね。自分が生まれたこと

を心より喜んでくれたお姉ちゃんに、やさしく自分を世話してくれたお姉ちゃん

に、弟はかんしゃの気持ちていっぱいになることでしょう。

「いいなあ、かわいい弟がいて:::。わたしなんてひとりっ子だから:::。L

いう声も聞こえてきそうです。でも、いいんじゃない?お父さん、お母さん、

あい

おじいちゃんやおばあちゃんの愛をひとりじめできるんだから。

家族って、人数ではないですよね。大事なのは、

るかということではない、でしょうか。

西本吉生

おたがいにどれだけ思いやれ

77

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υ=

ハッピー係とい

HHHt一一一

ハッピー係の怠官、

U一一一ι

かつどう

Illi--

一一一

ハッピーにみんながなれるように係の活動を二-=一

するという意味です。

ハッピー係では、週に

十しこ=

三回ぐらい遊びの計画を立ててやっています。

円いいし目白

5

係のこと

ヂまくま、

つきゅう

あそ

学級の係で遊び係をしています。

このクラスては、

遊び係は、

う名前になっています。

ずに

4七

やっぱり、

もめ合いになることがたま

ハッピー係

にあリます。そうなったときは、

がいろいろ相談をして、次はこのようにしよ

kJ2

遊びを決めたりします。

うと考えて、

係の相

談でも、

意見がムロわなかって、

もめムロいにな

78

Page 81: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ることもあリます。でも、ぼくは、それがあつ

みんながなっとくできた遊びを決め

て二そ、

ることができるんだなあ、

と思っています。

、I品、

手'

遊びでけんかもあるけれど、みん

いっぱいの笑顔ができるし、ぼく自身も

ギよノ¥斗la

ハッピー係は、九

人か十人ぐらいいます。少し多いのでグル|

もん

プに分けてうまく相談をしています。何か問

題があったりするときは、みんなで話し合つ

遊びはとても楽しいです。

ています。

遊びのチームを決めるときはたいへんです。

チlムに対して少しいやな二とを言ったりす

るJ と/l、 、U

公こ

平ごや

などと、言ったりする人もいます。そういう

79

Page 82: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

出:za月十昼、~干ーェ

ことがないようにチームを考えてつくっていきたいです。

もっともっと、遊びてクラス全員がハッピーになれるように、ハッピー係もいろ

ろがんばって遊びゃチームを決めたいてす。そして問題があったらいろいろ相談して

がんばって係の活動をしたいてす。

80

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やまもとけんいち

山本兼一

,ミ当与がー二』 つ

級?

いけん

全員同じ意見をもってい

みんなが同じ考えをもっているほうが不自

たくさんの人がいますね。

その人たちが、

然Zるて こすと。 は

まずありません。

むしろ、

あつ

おおぜいの人が集まれば、意見がちがうのがあたりまえ。だからこそ、話し合つ

て、意見をまとめるのですね。

ちがう意見を一つにするのですから、ときにはもめることもあるでしょう。て

も、まずは、みんながきちんと意見を発表することがたいせつです。それを係の

人が公取にはんだんして、みんながなっとくした上でいっしょに遊べば、それこ

そとてもハッピーになれます。

81

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6

ぼ金活動

かんこうきゃく

あまのはしだ

わたしは、毎週、土曜日と日曜日に、観光客でにぎわう天橋立へ行ったり、駅へ行つ

おおがた

大型スーパーマーケ

ットに行ったりして、

ぽ金活動をしています。

んじよ

わたしが去年まで住んでいた家の近所の中

なぜそんなことをしているかというと、

学二年生のお姉さんが、重い心ぞう病になり、アメリカに行って心ぞういしょくをし

たす

ひつよう

なければ助からないからです。でもそのためには、たいへんながくのお金が必要です。

あつ

みんなでお金を集めているのです。

地元の人を中心に、、ほ金活動をして、

わたしは、日曜日に京都市内ま、てぼ金活動をしに行きました。お父さんとお母さん

ともだち

とお兄ちゃんといっしょに行きました。京都までは、お友達に乗せてもらって行きま

した。家から京都まではとても遠いので、着くのにすごく時聞がかかリました。

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Page 85: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

七人ぐらいに分かれてぼ

京都に着いて、

金を始めました。わたしは、

ねが

「お願いします。」

「ありがとうございます。」

とすロっていました。ぼ金を入れてくれた人

の中、て、

「少しだけど、

がんばってくださいね。」

と言ってくれる人がいました。とってもう

ぜんたいてき

れしかったです。全体的に、百円を入れて

くれる人が多かったけど、中には一万円を

入れてくれる人がいて、びっくりしました。

休けいをしてから、

またぼ金活動をしまし

た。お金がどんどんたまっていったので、

やつと終わって、

うれしかったです。

わた

しは

83

Page 86: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

「十位止め、

足がいたい。」

と言いました。なぜかというと、

四時間近くもやっていたか、わやです。わたしは、「今日

家に帰ったのは九時でした。

きんかっ

4

とう

ぼ金活動をがんばろうと思います。だ

たくさん入れてもらったなあ。L

と思いました。

そして家へ帰リました。

いろいろあって、

これからも九千万円というお金がいるので、

いろんな人に協力してほしいです。

からこれからも、

けっ

(このぼ金活動の結果、八王国から一億三千万円をこえる

あつ

ねえ

ぼ金が集まリました。そのお金、て、このお姉さんはアメ

リカに行くことができ、心ぞうていきょう者も見つかっ

いこう

て、無事しゅじゅつに成功することができました。今、

元気に生活しています。)

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Page 87: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

徳TJII~

てるひさ

輝尚あ

あなたの作文を読み、あなたの愛の活動にはくしゅを送ります。わたしも、

かいとき、、、ほ金活動をしました。それはたいへんな仕事でした。あなたが、その

つらい活動を化けられたのは、おい「思いやりの心」があったからでしょう。

苦しんでいる人に救いの手をさしのべることは、とてもとうといことです。あ

なたの

「田心いやリの行いしは、苦しむ人たちを力づけ、幸せにしました。

けん

かけがえのない命を救ったあなたのすばらしい体験をたいせつにしてください。

「回心いやリの心しをもって、自分のことしか考えない社会のやみを照ら

すばらしい明日が生まれることでしょう。

そして、

していってください。

長」っと、

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Page 88: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ぃンユ

ニアバンドは楽しい

わたしは、ジュニアバンドに入っています。週

れんしゅ、つ

に三回の練習があります。たまに、

‘O

J'cL

「たいへんだ

っ-っ

と思うこともあリますが、ずっと、続けて

います。

先生は、

きびしくてこわいけど、

おも

七人士4

に、

しろいときがあるので、

むずかしい曲ができないときは、

じようず

曲が上手にふけると、

楽しいてす。

気き自持も分ちに¥ ¥ IまL、Lってがす

立つけれど、

たとき、

とても楽しいです。

休む人が多いときは、

「あまリ、

思います。

初めて、ジュニア、ハンドのえんそうをきいたときは、 わ

たしは、

むずかしい曲ができ

休まないでほしい。L

プえっ、

こんな楽器だけで、

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Page 89: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

こんな曲ができるの。」と思いました。

初めは、歌の練習ばかリ、てつまらなかっ

たけれど、少しずつ楽器がふけるように

なっできたら、とても楽しくなリました。

じようき?っ

上級生は、上手なので、すごいなあと

思っていたけど、

「わたしも、

いつか、

こんなふうになれるんだ。L

と思うと、

今は、

わくわくしています。

わたしが、

、初めて楽器をふいたときは、

思っていたのとぜんぜんちがうふき方

だったので、音が出るまでがたいへんで

した。でも、上級生の人がやさしく教え

てくれたので、ふけるようになりました。

ゆび

わたしのたんとうは、ホルンです。指を

おぼ覚

えたりしなければならなかったので、

87

Page 90: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

と思いました。

今では、

上手にふけるよ

「思っていたより、たいへんなんだなあ。L

ゆび

うになりました。指使いも、ちゃんと覚えて、

つつ

わたしは、今、ジュニアバンドを続けていて、よかったと思います。

にきょうみがもてるようになったからです。ほかにも、ジュニアバンドをやっていて

ことば

きょ

よかったと思うことがあります。それは、先生の言葉を聞いてわかったことです。「去

年とくらべて人数が少なくて、体の大きさもちがうけど、どちらが、7まいとか下手と

かくらべるのは、意味がない

OL

れんし巾う

もっと練習して、

ふけるようになったので楽しいです。

いろんな音楽

ということです。

これから、

どんどんやる気がわい

てきます。

これからも、

もっと上手になれると思うと、

がんばって練習を続けていきたいと思います。

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Page 91: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

にしもとよしお

西本吉生

べんきょう

です。でも、それだけでは、自分を高めることはできません。さらに、「自分、、て

たい

つきょ

やろうと決めたことしに対しても積極的に取り組み、ねばり強くやりとげる二と

が必要です。ジュニアバンドは、『わたし』を大きく育ててくれています。

もっと練習すればもっと上手になリ、もっとやる気がわいてくるだろうと考え

しん

る『わたし』。学年が進むにつれ、より高い目標を立て、希望をもって前進する『わ

たし』のすがたがそうぞうてきます。

y」こλノイ'L

そうじなどは、

「自分てやろうと決めたことしがありますか?

だ決めでなければ、早くつくったほ、つがいいですよ。

みなさんには、

土品

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8

じよう化センター

に、よごれがかたまっていました。

じよう化センターに行って、、初

めに見たのが、最、初ちんやてん池で

した。最、初ちんでん池では、あわが

ふき出ていました。目夜、初ちんでん

池では、どろをしずめるそうです。

せいぷつはん

次に見たのが、生物反のうそうのかっ

せいおていです。そこでも、

あわがふき

出ていて、これは空気のあわて、

おく

わを送ることで、び生物が、よごれを食

べてくれるのだそうです。見ると、

このあ

はし

企じよ う化センターのしくみ

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Page 93: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

づがわ う じが わ かつりがわ ごうりゅうてんふきん

企木津川,宇治川,桂川の合流点付近

最後には、最終ちんでん池に行き

ました。最終ちんでん池には、きれ

いな水が流れるみぞがあリ、その前

、て、び生物をしずませます。みぞに

すごくきれいな水が流れていま

lました。

カてい

思ったことは、家庭、

ら出たきたない水を、きれいにする

とても時間がかかるけれど、

工場などか

二十

J

じよう化センターの人たちのおかげ

で、きれいな水にできるんだなあと

思いました。

わたしの家、ては、お父さんが、せ

んたく物をあらっています。お父さ

せんざいの量をきちんと量っ

んは、

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Page 94: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

て入れます。どうしてかというと、

「せんざいをきちんと量らないと、

せんざいのむ

だになるし、水もむだになるからだよ。」と言っていました。また、、っちゃては金魚を

かっているので、雨水をためておいて、その雨水で金魚をかっています。これは、お

かあ

あぷL

母さんのアイデアです。お母さんは、油を使、っと、油をいつもかためてから、古新聞

にくるんでいるので、台所の流し台には、ぜったい流しません。

お母さんは、最、初からこのことを知っていて、

このことについてわ

たしは、

かためていたことは、

とても

えらいと思います。

ビデオを見て、

カレーなどのおさらば、

、きれいにふいてからあらう、

、ガソリンなどが入らないようにする。せんざいを多めに使わず、

から入れる。トイレに、紙などでも、

三時

ちんとマ量}ンをホ量|つルてに

水にどけないものは、

ぜったいに入れてはいけ

ないことなど、

ほかにも、

してはいけないことなどがわかリ

入れてはいけないもの、

じよう化センターの人たちが、

せいぶつ

おく

び生物も、空気を送ってもらえるかわリ

ました。川や海がいつもきれいなのは、

してくれているからだと思いました。また、

に、水のよごれを食べていることがわかリました。

かわあそ

川遊びはした二とがないけど、もしするとしたら、

わたしは、

水をきれいに

やはリきたない水よ

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Page 95: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

•••

,,,,

l

中わト4

中打

、きれいな水で遊ぶほうが、気持ちがいいです。海で泳ぐときにも、ごみなどが落

いってもきれいにする

ちていたらいやなので、きれいなほうがいいです。川も海も、

には、自分たち一人一人がルールを守ることが大事だと思いました。

梶t固た

しんしよう

盲豆早

ていねいにまとめられた文ですね。

じよう化センターを見学して学んだことが、

じよう化センターの人たちとび生物のおかげで水がきれいになるしくみがよくわ

νっ

かリました。じよう化センターだけでなく、森

、、ては死んだ動物やかれた植物が無

す、7数

のび生物のはたらきて土になります。ふだんは、わたしたちの知らないところ

もの

ではた、わいている人たちゃ、小さな生き物のことをそうぞうしながら、いろいろ

なことに気をつけて、なるべく水をよごさない生活を心がけて実行していきたい

ものです。自然をたいせつにするためには、木を植えることよりも生き物どうし

たす

の助け合いのしくみがこわれてしまわないように、毎日のくらしの中、て、もった

いないことをなくしていくことがたいせつなのだと思います。

93

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守れ、

天橋立

の時間に

き四の年白し:生然れ ま

わたしたち、

リノ半まlしふに。

を そ調tうべ こ

るつ二的;どなに学てな習ト

むカし

りょうしさんたちに話を聞いてみると、止日

の阿蘇海は、

魚がたくさんいて、

海草もたくさんあり、

うです。

食べられる

とてもきれいだったそ

やでも今は、

さんけ

よく見ると日本三景の天橋立に

ごみがたくさんあリ、

海の水がよごれて魚の

数が~

って

Eヨ L、年ま生す^ 今干 O

玉江

貝どて

この前川、

天橋立クリーン作

94

企天橋立

Page 97: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

せん戦

に行きました。

はんごとに大きなごみぶ

くろを一つずつもらい、はんの人と一生け

ん命ごみ拾いをしました。拾い始めて何分

かたったら、

ペットボトル、

ペットボトル

ストロー

おべんとうなどを

のキャップ、

包んであるビニール、ボール、

プラスチックやガラス板、カップラーメン

のカップなどいろんなごみが見つかりまし

まだ使えそうなタイヤゃな

フイタ|

、。、l

品、こ斗よ、

f

ナ,刀

ll

べまであリました。ごみぶくろはすぐに

わたしは、びっくりする

いっぱいになリ、

ような量のごみを拾っていたことに気がつ

きました。

この天橋立を、ある人がボランティアと

して十年間以上、毎朝ごみ拾いや草かリな

95

Page 98: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

_,:.._ """" -" ~?'"圃圏直面白田・国

企そうじをしているボランティアの人

どのそうじをしているということを聞きまし

た。その人は、かぜをひいても雨の目、ても、

かならず朝早く起きて、三時間もそうじをし

ているそうです。わたしは、

それはとてもた

いへんなことだと思いました。

てもごみは、

まだまだたくさんあリます。

このごろは、ごみぶくろごと流れてくるとい

うことも聞きました。

これから自分もそうじをしたい

さくせん

学校のクリーン作戦もふやしたいてす。

わたしは、

そしてこれからは、だれもが;1] や

海天引二橋lfご立マみも を

流さないように気をつけていけば、

むカし昔

のように、も

っときれいになると思います。

しぜん

いつまでも美し

い地いきの自然を、

ずっと守っていきたいてす。

わたしは、

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Page 99: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

ボランティアのかたの話

天橋立や阿蘇海を、きれいにしようと毎朝そうじを続け、

きよねんびょう

ニ千三百五十ふくろにもなリます。去年、病気をして体力も落ちましたが、

A 7

まて

体にが 集号動!めくた問ごはみそは

少しでも、

うじを続けていこうと思っています。

天橋立は、地いきのたからです。みんなでカを合わせ、これからも美しい景色を残していつ

子ども

たちがごみそうじをしているすがたを見たら、そんな人も心を入れかえるマでしょう。

天橋立は、魚もたくさんすむきれいな海があってこそ、美しい景色がなりたち

さんけい

これからもずっと日本三景としてたたえられるように、

てほしいてす。

事2ロい

雅き雄を

うーん、

こまりますね。ごみをまきちらして自然をよごす人は。

やでも、

ます。

子どものクリーン

作戦、

がんばれ!

97

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10

大t好すぎ

るぺと

企ヒガンバナ

ころ

わたしの住んでいる所のいいところは、田ん

ぎょうれ

、、ほ、畑がいっぱいあリ、ヒガンバナの行列がで

きているところです。車、て走っているととても

きれいです。

ヒガンバナは、

?7がく

わたしの通学路のどちゅうにもさいています。

みぎがわ

右側も左側もとてもきれいです。ぜ

んぶ

全部が黄色で、つ

いろいろな所にさいています。

田んぼは、

今は、

黄色です。

めつくされています。それも、

風がふくとゆれ

るのできれいです。パス

、、て通学している人たち

まわリは田んふはばかりだそうですが、

に聞くと、

98

Page 101: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

全部が黄色でとてもきれいだそうです。

わたしのふるさとは、

きれいな所ばかリなの

で見にきてほしいてす。

つぼうちねんでん

坪内稔典

このような具体

ヒ、ガンバナの行列ができる。田んぼは黄色、てうめつくされる。

的なひょうげんがとてもいいですね。あなたのきょうどへの愛がたしかでしっか

りしていることをその具体的なひょうげんがしめしています。行きたくなりまし

た。そして、あなたといっしょにヒガンバナの道を歩きたくなりました。

わたしは四国の半島の村がふるさとですが、青い海のその半島では、

の黄色い花がいっせいにさくのですよ。あなたに見せたいてす。

機会があったら、

ツワブキ

おたがいにふるさとじまんをしましょうか。

99

Page 102: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

必の広場

くしゅう

〈〉

必に残った学習

しん

〈〉

真けんに考えたこと、

だいじ

大事だなあと思ったこと

r

Page 103: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

寸大.0、τフのわたし、

-・~'-れ力、

らのわたし

ついて

ている-ー,'-

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ちょう訟ん どう

小学校 3年生の長男が右手をこっせっし学校を休んだとき,聞きゅうせい ともだち も

級生の友達が弟といっしょにゼリーを 1つずつ持って,「おみま

しりと言って,来てくれました。おとな

さりげないやさしさがすごくうれしくて,大人ならいろいろ考えがん

てちゅうちょしてしまうところですが,じゅんすいなIむを感じ,

いい子だなとうれしくなりました。

仕草てタトを歩いているとき,学校帰り

の小学校3年生ぐらいの男の子と女の

子に出会いました。「おかえりしつfと

声をかけると,「こんにちは。(仕事を 〉

がんばってください」と返事をしヱく

れて,仕事のつかれもとぶほど,温か

いゑ品ちになりました。

わたしたちの地いきの子どもたちはいってお とな

もどこでもあいさつができます。大人になっきも

ても,このまますなおな気持ちをわすれず

Page 105: 小学校・中学年編 ー子ども · とはらが立ちました。分かってで、わがままな人だろうと、ちょっずれもいいところです。わたしは、なんて自

わたしは語いごとに行くとき,ごみをひろ

子氏箇裂の首長選jSを見に行きまし

た。その日はあいにくの大雨。胡の

7暗半にとイ者しましたぜ'もうみ

なさん雨の中じゅんびゃ着がえをハ

511タしておられました。その中,:.

小学校語学年くらいの顔にけしよつ

をして主誠しようそやくの三ども七ち

が 。はげしい雨の中,裂が終わ

るまでしっかりと歩き,全国からの

議蓄を峯ばせてくれた子どもたちは

ほんとうにすばらしかったです。

拾いながら歩いている 10才くらいの

2人の人に会いました。とってもえら

いな…と思ったし,自分にもできたら

いいなとも思いました。もっといいの

は拾うごみがなくなること。それがい

ちばんいいことですね。

103

す ちょう絃ん じゅう

工作が好きな小学校 3年生の長男は,夏休みの自由工

作て「海ぞく船」を作りました。あせをかいて,何日さくひん いと

もかけてがんばった分,てきあがった作品がとても霊

しいようす。そして… 「この海ぞく船は,ぼくの子どあそ だいじ

もや。いっぱいいっしょに遊んで,大事に大事にしよ

~っと」と,作品を見つめて,ささやいていました。しゆっさんよてい

もうすぐ3人目を出産予定のわたしに,やさしくひびことば

くわが子の言葉でした。

, .

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-執筆者

梶田真章

山本兼一

河合雅雄

武田美保

岡田節人

西本吉生

鷲田清一

佐渡裕

本庶佑

松尾心空

石川九楊

日高敏隆

河野昭一

可司

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人iの族7なた たな界?:た とーちもたリ した中?リ人とみもま ののをま びがいんわえ かかさえ『の な た の わわがの らごち しこ リリしこ のlこが もと もはてと 向むいっ た‘ だだみだるな けれれてけこ

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つ なしの な心すてみてゆも向 るのばよん

歩め くこ 明あてらかなんをじっ 日寸治し つ ででもけ へ を いた考いちな L_ L_ えこ L、 ととよ

フ フ

京の子ども明日へのとひ、ら【出茎霊編】

-挿絵・図版

村井康彦

久木久代徳川輝尚

坪内稔典

長谷川容子 ホンマヨウヘイ 村淳良一 よしのぶもとこ

角田正己 山11府牧子河野修宏村 山ゆかり 倉本恵子

森田みゆき 吉村一葉 増田ひとみ ホロニック・プロダクト

植田愛子 永井ひろし みやざきひろかず

-写真河合雅雄商田利貞夜田光三

佐渡裕氏写真搬影:吉村純

兵庫芸術文化センター管弦楽団撮影飯島隆

PANA 宇11'泉苑

発行日平成 28年 3月31日

発 行京都府教育委員会〒602・8570京都市上京区下立売通新11月四入。KYOTOPREFECTURAL BOARD OF EDUCATION 2007

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