駆逐艦「kamikaze」を撃沈せよ · 2020. 7. 10. · 1 駆逐艦「kamikaze」を撃沈せよ...
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駆逐艦「Kamikaze」を撃沈せよ
Harry Hilfield
September 10, 2013
映画『深く静かに潜航せよ』は、太平洋戦争におけるアメリカの潜水艦と日本の駆逐艦の戦いを
描いている。場所は日本の豊後水道、アメリカ潜水艦の名前はホーカー、駆逐艦の名前はアキカ
ゼとなっており、映画ではアキカゼが簡単に撃沈されてしまう。しかしこれは駆逐艦「神風」と
潜水艦「ホークビル」の戦いをもとにしたもので、場所はマレー半島付近の海域である。また結
果も全く違っている。
「ハロー、ハロー、マイ・ネーム・イズ・タカハシ・ハウドゥユードゥ」
「オゥ、ハロー・サー、アイム・マーク・フロム・サンディエゴ」
この会話は実際に日本兵とアメリカ兵の間に交わされたものである。彼らはお互いの駆逐艦を砲
撃で沈めあい、二人とも海に投げ出され、お互いにフィリピンの岸を目指して泳いでいるところ
であった。つまり、つい先ほどまで殺しあいを演じていた敵同士である。海軍というのは、敵で
あっても海に投げ出されたものは助けるという伝統がある。しかし敵艦となると、相手がぼろぼ
ろになって沈む寸前であっても徹底的に攻撃を加える。
潜水艦 USS ホークビル
1945年7月某日、フィリピン・ルソン島にあるスービ
ック湾から米海軍潜水艦 USS ホークビルがワース・スキャンランド少佐を艦長とし、その五回
目のパトロールのため出航した。USS ホークビルはマレー半島沿いの海域パトロールのため北
上し、600マイル離れたシャム湾(現在のタイランド湾)を目指した。天候は良好で、シンガ
ポールにいる日本軍用の食糧であろうか、中国のジャンクボートが行き来していた。そろそろシ
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ャム湾に差し掛かる頃、フィリピンのジェームス・ファイフ准将から、日本軍の輸送船数隻が、
駆逐艦カミカゼに護衛されベトナムのサイゴンに向かうという極秘情報がもたらされた(実際は
目的地が間違っていた)。しかし、命令は輸送船の撃沈ではなく、護衛の駆逐艦カミカゼの破壊
であった。
「なんだって?輸送船ではなく、駆逐艦が目標か、それじゃ物資はみすみす日本軍に渡してもい
いということか、何の意味があるのかな」
通信士から電報を見せられた艦長のスキャンランドに思わず副長が話しかけた。しかしスキャン
ランドにはその目的は把握できていた。それは駆逐艦神風と特定して、それを撃沈することであ
った。そのくらいこの駆逐艦は米海軍にとって疫病神であった。
駆逐艦は、敵の潜水艦を駆逐する役目を持っている軍艦ということができる。艦体は比較的小型
で、強力なエンジンを持ち、対艦、対空戦闘能力は限定されているが、潜水艦を破壊するための
性能に特化した探知装置や爆雷、魚雷を装備している。駆逐艦「神風」は大正 11 年(1922)12
月の就役、基準排水量 1270 トン、38500 馬力のエンジンを持ち、最高速 38 ノットを出すこと
ができる一等駆逐艦である。38 ノットは時速に直すと 60km/h にほぼ等しい。小型艦とは言っ
ても 1270 トンの軍艦が本当に 38 ノットを出すと、波頭から波頭へジャンプするかのような迫
力があり、その状態から舵を切ると、艦は真横に転倒するかと思えるほど大きく傾き、速度はガ
クンと落ちる。戦闘機が上空から爆弾をリリースした瞬間、船が急激に左か右に舵を切ると、船
の行き脚は急ブレーキがかかり、爆弾はほとんど通り過ぎてしまい当たらないという。大正生ま
れの神風は老朽化し始めており、このような速度は実際には出せなかったが、
それでも十分に早い戦闘艦であった。前日シンガポールを出港した駆逐艦「神
風」は 1945 年 7 月 18 日、ハッチェン(現在のベトナム最南端)を目指し、
輸送船 3 隻を護衛しながら之の字運動を繰り返していた。
駆逐艦カミカゼの艦長「春日均中佐」は、最も手ごわい敵の一人としてアメリカ海軍では有名で
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あった。何度も春日中佐に煮え湯を飲まされたアメリカ海軍は、この恐るべき敵を除いてしまう
という作戦命令を伝えてきた。スキャンランドはカミカゼを攻撃することに特に意欲的というわ
けではなかったが命令は命令である。彼の潜水艦ホークビルは岸辺に限界まで近づき、船底から
のクリアランス7メートルの浅瀬に艦尾を岸に向け、すべての周波数の音に耳を澄ませていた。
その日、7月18日の午後、南の海は紫色の光に包まれ始めていた。潜望鏡から見る南シナ海は
ゆったりとうねり、静かな午後であった。艦長スキャンランドは、艦長用のスツールに腰かけ、
こんな午後になると自宅でよく飲んだマティーニの一杯を思い出していた。
「嵐の前の静けさか」
副長がだれに言うともなく冗談を言った。その時、潜望鏡をつかんでいたオフィサーの両腕が突
然緊張した。
「艦長、南方向です、マストの先端が見えています!」
In Harm’s Way(危険な道というジョン・ポール・ジョーンズの小説・映画)か!スキャンラン
ドは椅子から飛び降り、潜望鏡にとびついた。そこには3~4隻編成の日本タンカー船団が見え
はじめており、その先頭を駆逐艦が盛んに回避運動を繰り返しながら北へ向かっていた。
「TDC(魚雷照準コンピュータ)はどうだ?」
「だめです。相手が動き回っているため発射位置が決められません。ですが、放射状に発射すれ
ば1基はヒットすると出ています」
「そうか・・・・よし6発いこう。だが相手は名うてのハンターだ。やり損なうとこっちがやら
れるぞ」
米軍のマーク18型魚雷は、スピードは遅いが航跡(泡)を残さない。発射諸元が読み上げられ、
スキャンランドは発射命令を下した。艦内を強い緊張が張り詰める中、6発の魚雷はズ~ンと言
う発射音を残して次々に目標へ向かった。だが魚雷が半分の距離もいかないうちに駆逐艦がこち
らにくるりと頭を向け、フルスピードで突進してきた。魚雷は細くなった目標の横を通り過ぎて
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しまった。スキャンランドは驚愕した。何と勘のいい敵だろうか、これがカミカゼか。
「全速前進、とにかくクソまっすぐだ」
了解、クソ前進します、ヘルムスマン(操舵手)が答えた。USSホークビルはエンジンを全速
で回し離脱を図った。だが潜水艦の速度と駆逐艦のそれでは2倍以上違う。2~3分後スキャン
ランドがペリスコープを除くと、艦首に凶暴な白波を蹴立てながら駆逐艦がまっすぐ迫りつつあ
った。この浅瀬では潜水もできない。ふざけたことに、その艦首には水兵数人が集まりホークビ
ルを指さしていた。ホークビルはあわてて潜望鏡を格納すると、深さいくらもない海底へとまっ
しぐらに潜航し始めた。
「ホーミング(目標追尾型の魚雷)はどうだ、使えるか」
「だめです。距離が近すぎて信管のセットができません」
このままでは攻撃もできず、逃げおおせることもできない。潜航も浮上も不可能である。艦内を
絶望が支配した。ホークビルは艦尾から3発の魚雷を発射したが、軌跡は合っていたにもかかわ
らず爆発は起きなかった。相手の駆逐艦は今やホークビルの艦尾に嫌なスクリュー音をまき散ら
しながら接近し、ホークビルの真上を通り過ぎると同時に一斉に爆雷攻撃を開始した。この状況
で潜水艦が生き残ることなどあり得ないことである。艦の周りのあちこちで爆雷が爆発をはじめ、
そのたびに潜水艦は右へ左へと吹き飛ばされた。あるものは自分の膝で顔を打ち、スキャンラン
ド艦長の結婚指輪は激しいショックで外れ飛んでしまった。船殻がグンとひずむノイズにギシギ
シいう不吉な音が混じった。潜水艦が破壊される時はこんなものなのか。次の瞬間一発の爆雷が
艦の下のほうで爆発すると、潜水艦は艦首を上に向け、猛烈な速度で上昇を始めた。いや上昇し
ているのではなく、上方向に吹き飛ばされているのである。
「なんだ、これは?」
スキャンランドがあわててペリスコープを覗くと、何と艦はクジラのように海面から飛び出ると
ころであった。艦内はみなあっけにとられむしろ静かであった。カミカゼがその後部40ミリ機
銃をこちらに向け発砲し始め、海面にパパパと水しぶきが糸を引いた。こうなれば唯一の反撃方
法は潜水艦に搭載されている15インチ砲によるしかないが勝敗は目に見えている。スキャンラ
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ンドは覚悟を決めた。だが、空中に飛び出した潜水艦はドシーンと海面にたたきつけられた後ず
るずると沈み始めた。
「ベントを開けろ!」
スキャンランドは冷静に命じた。7トンの海水をタンクに引き入れ、艦を少しでも沈めようとい
うわけである。駆逐艦はむこうの方でこちらに向け方向転換しようとしていた。潜水艦は海底に
着底したが、ペリスコープの先端はそれでも海面から10メートルもない浅瀬であった。
スキャンランドはクルーに落ち着けと言い渡し、水夫長のマーフィに艦尾から艦首まで一通りダ
メージ報告を行うように命じた。幸いなことに浸水はなく、被害は主に中央部のギャレーに集中
していた。皿や食器が割れ飛び散り、惨憺たる状態であったが、それで艦が沈没するなどの心配
はなかった。ジャイロその他の航行機器がどのくらいダメージを受けているかはわからなかった。
スキャンランドは酸素消費を抑えるため全員に動き回らないように、音をたてないように命じた。
頭上には悪名高き駆逐艦カミカゼが、このアメリカ海軍の潜水艦にとどめを刺そうとゆっくり動
き回っていた。
海底での約20分が過ぎた18:30時過ぎ、カミカゼは突然ソナーを探射した。そのピン音が
ホークビルに当たり、周波数が変わるのが潜水艦の中からはっきりわかった。間もなく動かない
目標に対し爆雷攻撃が始まる、助かる道はない。ただ死を待つだけの絶体絶命であった。艦のす
ぐ直近で2発の爆雷が爆発し艦は激しく揺れた。カミカゼはこれでもかといわんばかりに爆雷を
ばらまきながら遠ざかって行った。束の間の静寂が訪れた。
「カミカゼは艦隊任務に就いている、もう少しで日がくれればこの攻撃を最後に任務に戻るかも
しれない」
スキャンランドはだれに言うともなく、操舵室の全員に言った。そうなれば、この不運な、哀れ
な潜水艦も生き延びることができるかもしれない。だがそれは空しい期待であった。やがて駆逐
艦が再びぐるりと転舵し、こちらに向かいながらばらまく爆雷のズ~ンと言う爆裂音が聞こえ始
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めた。だが不思議だ、駆逐艦はホークビルの位置をつかんでいないのであろうか。これほどの浅
瀬であるにもかかわらず、爆雷の投下位置が少し、あるいは遠くずれていた。
それから何回の攻撃を受けただろうか、最後の攻撃から時間がたち、気づくと、もう夜の11時
になっていた。前部の電池室から、電力が半分に減っていること、塩素ガスが発生していること
を報告してきた。なんということか、つまり、どこからか浸水しているということではないか。
塩素ガスは猛毒である。浮上して換気しなければ全員が死亡するであろう。だがいつになったら
浮上できるのか、敵はまだ海面を支配している。しかし全員が事態の解決策を話し合う間、少な
くともカミカゼからのうるさいピン音と、絶え間ない爆発音を皆が忘れることができた。死刑囚
が明日着る服を心配するようなものである。だが不思議なことに爆裂音はなくなり、周囲が静ま
り返った。全員がかたずをのんでじっと上を見るうちソナーのオペレータから報告があった。
「艦長、おそらくカミカゼは離れていったと思います。もうスクリュー音もピン音も聞こえませ
ん」
あれから何時間か。時計はちょうど深夜12時を指していた。全員の顔に希望が広がった。潜水
艦は東シナ海15尋の海底に6時間も貼り付けになり、そして生き残ったのだ。艦長は眼の下に
あるコントロールルームのハッチにしばらく頭を押し付けた後静かに言った、全員に伝えろ、浮
上する。下のほうから歓声が聞こえた。スキャンランドが浮上スイッチを押すと、バラストタン
クに空気が入るゴボゴボという懐かしい音が聞こえ始め、艦は浮上し始めた。90フィート、7
0フィート、60、浮上!ヘルムスマンがハッチのロックアームをもどかしげに回し、外気がさ
っと流れ込み、スキャンランドは真っ先にラダーを上るという艦長の合法的わがままを行使した。
スキャンランドはブリッジにたどり着くと上を見た。そこには降るような星空があった。スキャ
ンランドの目に涙がにじんだ。
「エンジンがちゃんと動くか点検しろ。それと汚れた空気の換気だ」
全員が艦の清掃にかかり、爆雷攻撃の後始末を始めた。夕食が出され、海軍本部への連絡が行わ
れた。ホークビルはジャイロもソナーも壊され、推進器のギアもおかしくなっていた。日本語の
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記事には無線も壊されていたとあるが艦長本人の報告にはそうは書いていない。あるいはアンテ
ナ等の一部破損か。
一段落し、あの忌々しいカミカゼに何とか借りを返す方法を考えていたスキャンランドは、ナビ
ゲータのフレッド・タッカーにカミカゼに追いつくための進路と速度を算出させ、潜水艦のエン
ジンにアヘッドを命じた。明け方には敵コンボイの先方、15尋に海底に到達した。そこはシャ
ム湾の入り口あたりであった。だがそこでスキャンランドが見たものは、コンボイの上空を飛び
交う敵護衛戦闘機の姿であった。この傷みきった艦で、なぎ状態の海面で、しかも敵の護衛戦闘
機がいるにもかかわらず、軍人として攻撃命令を順守すべきか、それとも乗員の安全を優先すべ
きかの決断をスキャンランドは迫られた。
「自分は、半世紀前の自分の決定、つまり傷ついた艦で攻撃を続けるより、まず帰港して修繕を
行うべきだという決定を正しいものであると信じている。自分は確かにカミカゼとの戦いに敗れ
たが、人間はジョン・ポールの『危険な道』のようにそう簡単に勝者になれるものではない」
駆逐艦「神風」
太平洋戦争末期、南西海域を担当する帝国海軍の戦艦は損耗が激しく、残るは駆逐艦「神風」だ
けになっていた。艦長の春日均大佐はこれまで獅子奮迅の活躍をしてきたが、アメリカ軍の攻撃
で僚艦は一隻ずつ破壊され、今や「神風」だけがこの広い海洋で護衛任務にあたっていた。終戦
の1か月前の昭和20年7月17日、航空ガソリンを満載した小型油槽船3隻を護衛し、駆逐艦
神風は自らも甲板にドラム缶をいっぱいに乗せ、シンガポールを出港した。目的地はカンボディ
アのハッチェン(タイランド湾)であった。仏印は日本軍にとって最後の防衛線となっており、「神
風」はそこの友軍に対しシンガポールから航空ガソリンを輸送し、帰りにコメを積んで帰るとい
うミッションに連日従事していた。
「足の遅い輸送船を護衛し、マレー半島の東側を北上し、それからシャム湾を横切ってカンボデ
ィアのハッチェン入港するわけですが、毎回必ず敵潜水艦の攻撃を受けました。初めに駆逐艦さ
え撃沈すれば、輸送船はあとでゆっくり料理できますから、まず私の艦が狙われるわけです」
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春日はインタビューで、その戦歴とエピソードについて淡々と話している。「艦長たちの太平洋
戦争」の一文を少し編集してある。
「コタバルの南方海域を哨戒していたんですが、ある夜2隻の英国艦が攻撃してきたんです。そ
の時私の「白雪」は魚雷攻撃を受けましてね。ところが深度調整がうまくいってなかったようで、
相手の魚雷はこちらの艦底を通り過ぎてしまったんです。こちらは逃げる相手に向かって主砲を
打ったらこれが見事に命中しました。三浦という砲術長でしたが、射撃が実にうまくて職人芸で
した。とうとう砲撃だけで(英国艦を)撃沈しちゃった。もう一隻は煙幕を張って逃げてしまいま
した。その後相手の生存者を30名ほど救出しました。その中に中尉がいましてね、機関長の個
室を明け渡しました。飯を食う時は皆一緒で、とっておきのウィスキーを飲ませたりしましたよ」
勝った話より、むしろ負けた話の方が多い。春日は多くの僚艦を沈めたアメリカの潜水艦に手を
焼いたようである。
「カムラン湾付近を『野風』と一緒に走っていたんですが、突然右後ろ方向に高さ50メートル
の水柱が上がり、あ、やられたなと思いました。すぐ21ノットで現場に向かったんですが、す
でに艦影はありませんでした。轟沈です。翌朝31名しか救助できませんでした」
ペナン沖海戦では敵艦隊の袋叩きに合う重巡『羽黒』を戦術的理由で見捨てて離脱する羽目にな
り、バンカ海峡では『足柄』が目の前で沈み、神風は兵士3000人を救助している。アメリカ
の潜水艦は、春日にとって憎んで余りある敵であっただろう。
話を戻す。水深が浅ければ潜水艦は魚雷発射位置が確保できず、攻撃ができない。船団はマレー
半島東側を警戒しながら北上した。しかしマレー半島の中央部にはプロテンゴールという場所が
あり、ここは水深が深く敵潜水艦が跳梁する危険場所である。春日は、シンガポール出港直後に
敵の哨戒機に見つかっていることを知っており、そこに必ず敵潜が待ち構えていることを覚悟し
ていた。翌18日午後1時、船団は問題の場所に差し掛かり、春日は船団にもっと陸側に近づく
よう指示を出し、自らは船団を隠すように沖に展開し速度を落とした。この穏やかな海のどこか
に敵は潜んでいる、春日は厳重に見張りをつけ、ソナー探索を行いながら慎重に之ノ字を描きな
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がら前進した。スコープにはすでに潜水艦の影がチラチラと映り始め、いつ攻撃を受けてもおか
しくない強い緊張の中、1分、1分が過ぎて行った。夕方が近づき、傾いた太陽がギラギラと海
面に反射し、肉眼による前方視界はゼロになった。船団はますます岸に寄り、これで一応切り抜
けたかなと春日がホッとしかかったとき後部見張りが叫んだ、魚雷、魚雷!
春日が振り向くと、まだかなりの距離があるものの、6発の魚雷が放射状にカミカゼに向かって
いた。
「前進12ノット、おも舵いっぱい、敵の発射点に向かえ!」
カミカゼは迫って来る魚雷に自らの頭をぶつけるかのように艦体を右に向け猛然と鉢合わせ進
路を取った。戦艦は艦幅が狭いので、真正面を向くときわめて小さな目標となってしまう。6発
の魚雷はすべて駆逐艦を外れ通り過ぎて行った。カミカゼが発信したピーンというソナーの探索
音が響いた。
「潜水艦です!」
ソナー係からの報告で春日がスコープを見ると艦首方向1500メートルを右へ移動しようと
する敵潜水艦の姿が鮮やかに映っていた。相手の潜水艦は逃げ始めていた。カミカゼは爆雷の爆
発深度を30メートルに設定すると、16ノットに増速して敵を追跡した。相手との距離はだん
だんと近づいてくる。その時、前方で大きな泡がぶくぶくと上がり、3本の魚雷が向かってきた。
そのうちの一本は神風と衝突航路にあり、これを避けようとすると左右どちらかの魚雷にやられ
る可能性があった。絶体絶命である。春日は一瞬腕を組んで考え込んだ。
「よし、敵と刺し違える。進路そのまま」
と見る間に、その魚雷は波に叩かれたのであろうか、わずかに進路を曲げた。春日はすかさず叫
んだ。
「おも舵3度!」
艦がすっと右へ首を振り、魚雷は左舷スレスレを通り、神風からそれていった。
「潜望鏡、艦首500!」
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敵の潜望鏡が1メートルも海面から突き出していた。
「ソナーあげろ、爆雷投射始め!」
神風のソナーは船から海中に吊り下げる方式で、そのまま爆雷攻撃を行うと爆圧で壊れてしまう。
春日が攻撃命令を出すと同時に潜水艦が左舷を通り過ぎた。それを直撃するかのように後部の投
下機から次々に爆雷が投下され、海中で続けて爆発が起こり、海水が黒く濁った。神風が方向転
換し、次の爆雷攻撃に移ろうとした時、思いがけないことが起こった。敵潜水艦が断末魔の黒い
巨人そのままに艦首を空に向け海面に飛び出してきたのである。すかさず神風の後部機関銃が火
を噴いた。潜水艦は頭を上げたまま水面にド~ンと落下すると、そのまま海中に沈み始めた。駆
逐艦上でワ~と歓声が上がった。神風はその後も攻撃を続けたが海水は濁りきっており、ソナー
による探索も困難になっていった。日も沈みかけたころ、神風はそれ以上の探索を打ち切り、海
底にじっと潜むホークビルを残し海域を離れた。
スキャンランド艦長からの手紙
戦後、ホークビル艦長のスキャンランドは春日に連絡を取りたいと願い、たまたま日本に進駐し
ていたアメリカ軍に勤務する息子を通じ春日の居所を突き止め、長文の手紙を書いた。下記はそ
の抜粋である。
1953年3月31日
春日均中佐殿
戦争終結以来、わたくしは貴官に連絡を取り、1945年7月18日夕方行われた駆逐艦「カミ
カゼ」と私の艦「ホークビル」との戦闘に関し、貴官の方から見た事実について知りたいと考え
ておりました。
当日、米国潜水艦ホークビルはマレー半島東海岸に接近して潜航哨戒を行っておりました。午後
6時頃、私は、数隻の小型船を護衛して航行中のカミカゼを発見しました。カミカゼは非常に丁
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寧に8の字運動をしながら前進中でした。こちらの水深は30メートルしかなく、魚雷の発射諸
元が極めて難しい状況でしたが、午後7時頃、約2000ヤードの距離から、カミカゼに対し電
池魚雷6発を発射いたしました。たぶん貴艦はこちらの魚雷を早期に発見されたものと思います
が、魚雷発射から1分もたたないうちにカミカゼはくるりとこちらに方向転換し、この時、貴艦
が我々を発見されたことは明らかでした。そのためこちらの魚雷は全部外れてしまいました。
こちらは深い方に向け徐々に移動を開始していましたが、貴艦がこちらへ艦首を向けたので、艦
尾魚雷3本を発射しました。今度こそ当たると確信し、潜望鏡をいっぱいに上げると、貴艦が何
事もなかったかのようにこちらに向け突進してくるのが見えました。魚雷はまたしても当たらな
かったのです。次の瞬間、我々が生き残れるのは幸運しかないと思いました。衝突を避けるため
潜望鏡をおろすスレスレをカミカゼの艦尾が通り過ぎて行きました、17発の爆雷をばらまきな
がら。水深がたった100フィートしかなく、我々が受けた衝撃はすさまじいものでした。艦の
下の方で爆発した爆雷のため、我が艦は水面に吹き上げられ、その鼻先をカミカゼが通り過ぎま
した。私は、自分の艦がやられたのは確実だと思いましたので、この上は浮上して貴艦と砲戦を
するしかないと決心しました。しかし、この時我々は推進力を失っており、攻撃を続けることが
できませんでした。カミカゼは9時から真夜中(これは勘違いか)にいたるまで何度も、海底で動
けなくなっているホークビルに対し爆雷攻撃を行いました。貴艦が通り過ぎるたび、我々はこれ
でいよいよ最後だと覚悟いたしました。しかし真夜中を少し過ぎたころ、貴艦は次第に遠ざかり、
我々は零時半にタンクをブローさせ浮上いたしました。
我々は双方とも目的達成に失敗いたしました。しかし我々が受けた被害は甚大なものであり、修
理のため帰投せざるを得なくなりました。私の知る限り、その後48時間の間にカミカゼに対し
5隻以上の潜水艦が攻撃を仕掛けたはずですが、一発の魚雷もヒットさせることができませんで
した。貴官こそ、この戦争期間を通じ巡り合った中で、最も熟練した駆逐艦長であるとたくさん
のこちらの艦長が述べております。カミカゼこそ真に勇敢な艦であり、価値ある敵でありました。
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もし貴官が時間を割いてくださり、1945年7月18日の戦闘について思い出されるままをお
知らせいただければこれ以上の喜びはありません。
この長い手紙を読んだ春日は感動した。
「私はてっきり沈めたと思っていましたが、無事だと知って本当に嬉しく思いました。本当に、
沈めなくてよかったと、つくづく思いましたよ」
両者はその後何回か手紙をやりと知り、春日はスキャンランドに自分で描いた絵を送った。
日本海軍駆逐艦「神風」の艦長であった春日均(かすが・ひとし)大佐は、長野県飯山市に明治
44年(1911)3月21日生まれている。兵学校を卒業後、昭和3年から様々な艦に乗り組
み、上海事変では「望月」に、その後「夕暮」、「朝霧」、「白雪」等に乗り組み、昭和17年「初
雁」に初めて艦長として乗務した。そして翌年10月、32歳で駆逐艦「神風」に艦長として転
任した。春日は、太平洋戦争終戦後、故郷の広島県呉市でその輝かしい軍歴にもかかわらず小売
業、肉体労働に従事するなど苦労しながら、一方で病身の妻の介護を37年間続け、子供を育て
上げた。春日均は1995年、84歳の生涯を閉じている。2014年現在、両艦長はすでに死
亡している。
* この小説は、佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」の中の、「神風」艦長の実際の証言と、その一方の当事
者であったアメリカ潜水艦 Hawkbill に関する英文記事、およびスキャンランド艦長の英文手記を翻訳、再
構築したものである。
* 両者の説明には魚雷の数など若干の食い違いがあるが、そのまま掲載した。
* スキャンランド艦長の手紙は、筆者が訳したものではなく、佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」にある訳
文を編集したものである。実際はもっと長文である。