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関西学院大学図書館報 『時計台』 ISSN 0918-3639

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Page 1: 関西学院大学図書館報 『時計台』 · れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている ... 今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

関西学院大学図書館報『時計台』

ISSN 0918-3639

Page 2: 関西学院大学図書館報 『時計台』 · れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている ... 今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

(表紙 題字:山崎掃雪)

巻頭言 大学図書館長就任にあたって  大学図書館長 杉原左右一 第15回(2006年度)大学図書館学術資料講演会  「上方文化と西鶴」~関西学院大学図書館所蔵西鶴本書誌について~ 文学部教授 森田 雅也

死海写本-20世紀最大の考古学的発見- 神学部教授 向井 考史

第67回私立大学図書館協会総会・研究大会の開催について 図書館こぼれ話(2)

 人物から見た図書館史-中島猶治郎- 大学図書館運営課主幹 今村 太朗

第7回J.C.C.Newton賞 神戸三田キャンパス図書メディア館~メディアフォーラムの活用~ 神戸三田キャンパス図書メディア館 中谷 良規 関西学院大学図書館の図書目録品質向上への歩み  ~システム化開始から現在に至るまで~  

大学図書館運営課主任 渡部 信吾 アメリカ大学図書館の最新事情  -イリノイ大学図書館などの事例報告- 大学図書館利用サービス課主任 魚住 英子

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大学図書館長就任にあたって

大学において、図書館が知的探求の場として必要不可欠なものであり、学問・研究の

ために中心的な役割を果たすものであることは改めて指摘するまでもないでしょう。

ご存知の通り、関西学院大学図書館は、現在西宮上ケ原キャンパス大学図書館と神戸

三田キャンパス大学図書館分室(図書メディア館)から構成されていますが、このよう

な体制がとられる以前は、長い間上ケ原キャンパスにある時計台が図書館として使用さ

れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている

ことからも容易に推察できるように、関西学院大学においても図書館は学問・研究の中

心としてのシンボル的な意味を持ってきたと言えるでしょう。

これに加えて、特に関西学院大学の場合には、図書館が関西学院のスクール・モット

ーである“Mastery for Service”の精神を学ぶ道場としての役割を担うものであること

に是非思いを馳せて頂きたいと思うのです。

この点に関連して、孔子の有名な次の言葉に触れてみたいと思います。

『学びて思わざれば則ち罔くら

く 思いて学ばざれば則ち殆あやう

し』(論語)

たとえ万巻の書を読破し、あらゆる事柄を学んだとしても、何のため、誰のために学

ぶのかについて自ら沈思黙考することがないのなら、万巻の書も単なる知識の膨大な堆

積でしかないでしょう。また逆にいかに高い志を持っていたとしても、その志を実現す

るに足る十分な知識を有し、学問を研鑽する努力が伴わないのなら、そのような志も単

なる絵空事に終わってしまうでしょう。図書館は自ら「学び」かつ「思う」ことを鍛錬

する最適な場なのです。

今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

21世紀に入り、特に科学技術の進展、とりわけIT技術の進歩には著しいものがあり、図

書館もこの動向に適応する必要があることは言うまでもありませんが、時代の変化の中

にあっても図書館の役割は今後とも不変であると思うのです。

関西学院大学図書館が、関西学院大学での勉学・研究の場であると同時に、“Mastery

for Service”の精神を学ぶ道場として、これからの人生の歩みの中で重要な役割を果た

すことを心から祈念いたします。

『あなたたちは真理を知り 真理はあなたたちを自由にする』

(西宮上ケ原キャンパス大学図書館入口に掲げられている聖句 ヨハネによる福音書8章32節)

関西学院大学図書館長 杉原 左右一

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No.77

巻 頭 言

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No.77

第15回(2006年度)大学図書館学術資料講演会

「上方文化と西鶴」~関西学院大学図書館所蔵西鶴本書誌について~

2006年11月17日に大学図書館ホールで学術資料講演会を開催し、森田雅也文学部教授に「上方文化と西鶴」

~関西学院大学図書館所蔵西鶴本書誌について~と題して講演をしていただいた。またそれに関連して2006年10

月23日から11月30日まで西宮上ケ原キャンパス大学図書館において第15回大学図書館特別展示「西鶴」を行い、

図書館所蔵の西鶴本『好色一代男』『本朝櫻陰比事』『世間胸算用』『西鶴織留』などの展示を行った。

大学図書館長 井上 智

第15回大学図書館特別展示は「西鶴」、学術資料講演会は「上方文化と西鶴」~関西学院大学図書館所

蔵西鶴本書誌について~というテーマで開催されることになりました。関西学院大学図書館は、その特徴

を示す特別文庫の構成からみても、必ずしも日本文学の蔵書に特徴があるわけではありません。与謝野晶

子とその愛弟子の丹羽安喜子旧蔵の近代短歌関連の文献を集めた「丹羽記念文庫」があるものの、それは

あくまで近代日本文学の図書資料であり、いわゆる「上方文化」を象徴する図書資料の蒐集は不十分なも

のでした。しかし上方文化を代表する西鶴の図書資料が、文学部とりわけ今回学術資料講演会でお話いた

だく森田雅也文学部教授のご協力で、蒐集できるようになりました。

展示いたしますのは『好色一代男』、『本朝櫻陰比事』、『世間胸算用』などです。これらは西鶴を知る上

で必要な図書資料の一部に過ぎませんが、今回の特別展示・学術資料講演会を契機に、これまで西洋社会

科学中心の特別文庫を所蔵することでその特徴を示してきた関西学院大学図書館が、その蔵書の幅を広げ、

新しい顔を創るための第一歩にしたいと思います。

今回の特別展示・学術資料講演会を通じて、広く関西学院にかかわる人びとが、日本文化の原点の一つ

である上方文化にふれ、そこから何かを学んでいただければ幸いです。

(職名は2006年度のもの)

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No.77

西さい

鶴かく

寛永19(1642)年~元禄6(1693)年

江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者、

俳人

西鶴は、富裕な町人の子として寛永19(1642)年大

坂に生れる。本名は平山ひらやま

藤とう

五ご

。『見聞談叢』では西鶴は

平山藤五と称し有徳な町人であったと伝える。西鶴の

名乗る井原氏は母方の姓かと伝えられている。西鶴は

その号。他に鶴永、二万翁。晩年名乗った西鵬は、時

の5代将軍徳川綱吉が娘鶴姫を溺愛するあまり出した

「鶴字法度」(庶民の鶴の字の使用禁止)に因む。軒号

を松寿軒また松風軒などともいった。明暦2(1656)年

十五歳の時、俳諧を志し、二十一歳で点者(俳諧の撰

者として公認されていた審査員のこと)になったとい

う(『大矢数』跋・『石車』)。現存する書見は、寛文6

(1666)年西村長愛子撰『遠近集』に鶴永号で三句入句

する。これらの句作を見ると、当初貞門俳諧から出発

したようだが、寛文11(1671)年ごろ西山宗因門下に

加わり、延宝元(1673)年には大坂生玉社南坊で、大

坂および近郊の俳人156人の出座を得て、十二日間にわ

たる万句俳諧を興行し(『生玉万句』)、この年、宗因の

別号西翁の一字を許されて西鶴と改号した。西鶴の俳

諧は「阿蘭陀流」などと称され異端視もされていたが、

西鶴自らは「阿蘭陀流」俳諧の「姿すぐれてけだかく、

心ふかく詞新しくよき」などとこれを自負した。延宝5

(1677)年5月25日には大坂生玉の本覚寺において、一

昼夜で1600句を独吟するという俳諧興行を成就し、天

下一の記録を誇った(『俳諧大句数』)。これは京都の三

十三間堂で当時行われていた通し矢に習ったもので、

このような俳諧を矢数俳諧と称した。速吟(量)を競

う俳諧である。するとこの記録を打ち破ろうとする者

が現れ、月松軒紀子が1800句・大淀三千風が3000句を

成就する。そこで西鶴は延宝8(1680)年5月7・8日に生

玉の寺内において一昼夜に4000句の独吟を成功させた

(『西鶴大矢数』)。この流れはエスカレートし、終に西

鶴は貞享元(1684)年には2万3500句を独吟するという

前人未到の記録を成し遂げた。このような矢数俳諧の

展開の中で、天和2(1682)年『好色一代男』は刊行さ

れた。この書は当代の色好みの男、世之介を主人公と

した、一代記風の風俗小説で、すなわち、従来の仮名

草子を刷新する浮世草子の登場である。貞享元(1684)

年に『諸艶大鑑』、同2年『西鶴諸国はなし』、同3年

『好色五人女』『好色一代女』『本朝二十不孝』、同4年

『男色大鑑』『武道伝来記』、元禄元(1688)年『日本永

代蔵』『武家義理物語』、元禄5(1692)年『世間胸算用』

などの浮世草子の傑作が続々と刊行された。元禄6

(1693)年の没後も同6年『西鶴置土産』、同7年『西鶴

織留』などのいわゆる遺稿集が刊行された。現代の視

点では、天和2(1682)年以降は浮世草子作者の相貌が

大きくなるが、西鶴自身は辞世吟においても自らを難

波俳林と称している。西鶴は俳人を自認していたので

ある。

(兵庫文学館より)

人物解説

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【Ⅰ】上方の繁栄~海運~

江戸幕府は、開幕(1603年)とともに江戸を中心

とした交通網の整備に心血を注いだ。開幕以降推進

された東海道など五街道の本格的な整備は物流的利

用を企図していることは明らかであった。一里塚、

街道の石敷きによる舗装、並木の植え付けなどは、

この陸路を用いる人々の利便を考えてのことであっ

たが、1635年に参勤交代を定めたあとは、通行量は

飛躍的に伸び、街道を中心とした物資輸送は本格化

する。各宿場の制度・機構も整備され、各宿場に常

備すべき人足と馬も定められ、モノを運ぶ便宜はさ

らに向上していくのである。

ところで、古来中国で「南船北馬」とされているよ

うに、地理的な条件によれば、交通手段に海川を用い

た船のルートが存在することは、狭い日本でも同様で

ある。特に難波より発する瀬戸内海の海運は、遣隋使、

遣唐使の時代から独自の発達をし、人々の、モノの流

通を支えてきた。中世においても、日本海海戦の戦術

資料となる村上水軍に見るような瀬戸内水軍、さらに

勘合貿易、南蛮貿易、後の朱印船貿易などによって、

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No.77

第15回大学図書館学術資料講演会要旨

上方文化と西鶴~関西学院大学図書館所蔵西鶴本書誌について~

文学部教授 森田 雅也

摂津名所図会

〔写真左〕3)摂津名所図会 八軒家(大坂部四上)〔写真右〕4)摂津名所図会 中之島(大坂部四上)

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海運技術は飛躍的に発達し、瀬戸内海の海運がますま

すの隆盛を迎えたのは周知のことである2)。

近世となり、米中心の租税制度を基盤とした江戸幕

府のもとでは、米の大量輸送、米の売りさばきが必要

となってくる。すでに豊臣秀吉政権の頃より、その集

積地は大坂となっており、政治機構が江戸に移されて

も、経済拠点は変わらなかった。やがて、経済拠点も

江戸へと移行していくが、江戸の明暦の大火(1657年)

などの影響もあり、少なくとも17世紀までは日本の海

川交通、経済の拠点は大坂、そして、その周辺の上方

と呼ばれるところにあった3)~5)。

交通、経済の発展は、ヒト、モノの交流を活性化す

る。それは何よりもカネを生み、文化を育むこととな

った。ここに上方文化が誕生したといえる。

5

No.77

2)東廻り航路・西廻り航路および九州航路

〔写真左〕5)摂津名所図会 安治川(大坂部四下)〔写真右〕6)河内名所図会 高安の里の木綿買

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【Ⅱ】上方文化の基盤形成~川運せんうん

農耕を産業の中心にした時代において、関西におけ

る最大にして最高に肥沃な平野、河内平野は、多くの

実りと繁栄をもたらした。さらに現在の東大阪付近の

湿地が干拓され、田畑として利用される近世には、商

都大坂を支える農業生産基盤となっていった。

ところで、天下人の野望の権化、豊臣秀吉の文禄・

慶長の朝鮮への侵略(1592・1597年)は、さまざまの

悲劇を生んだことは言うまでもない。日本人はその軍

事的な侵略に及んで初めて、我々より進んだ朝鮮文化

の数々を目の当たりにする。出版技術、陶芸技術など

は最たるものであるが、衣服の繊維技術において優れ

た木綿種にめぐりあったことは大きかった。

河内は、元来木綿栽培地であったが、侵略後この朝

鮮種の木綿が栽培されるようになった。朝鮮種の木綿

は在来種より綿糸としての質がよく、やがて河内平野

ではことごとく朝鮮種木綿が作付けられ、その綿布は

質の面で全国の在来種のそれをはるかに凌駕し、河内

木綿は全国に名を轟かすこととなる6)。

当時、木綿の肥料に最適とされたのは、干鰯ほ し か

であっ

た。近世初頭、和歌山沿岸の漁民たちは新しい、底引

き網等の漁法を工夫し、鰯の漁穫量を格段にふやして

いった。その技術は、瞬く間に大坂湾、西宮浜など関

西にも広がり、やがて、遠く千葉の九十九里浜、対馬、

壱岐など全国にまで伝播することになる。

したがって、この関西における干鰯の大量生産は、

河内木綿の大量生産につながった。干鰯は海に面して

いない河内木綿作付け地の隅々までも、川を利用して

配送されることとなったのである7)。

川の中心は大和川であった。この川を利用すれば、

下流河口では大坂湾に通じていた。そこからは日本全

国につながる海の航路につながっていたのである。

河内で生産された河内木綿の名は良質な綿布として、

1650年頃には、日本全国に知れ渡るようになった。正

確な数字は提示できないが、生産量もおそらく全国一

であったと考えられる。

河内平野の隅々から小舟で集められた木綿、あるい

は綿布は、大坂で集積され、五百石クラスの船で全国

へと出荷されていった。

そして、逆のルートでは大坂から河内の隅々まで干

鰯が届けられた。

このルートが大和川の川運として、ヒト、モノを交

流させ、それに連なる人々を富裕にさせたことはいう

までもない。

こうした大和川周辺の裕福な人々は実業家として、

資本をふやしていくが、また文化人として文学にもか

かわっていった人々も多かった。

その典型的な例としてあげられるのが、大和川川運

ルートのリーダーであり、河内俳壇のリーダーでもあ

った三さん

田だ

浄久じょうきゅう

である。

今田洋三氏は、三田浄久の大和川水系を中心とした

河内俳壇の形成を指摘され、さらには俳諧文化圏を支

えた教養源として、貸本屋ルートを大和川に求めて論

を展開されている8)~11)。首肯できる手堅い研究として、

高く評価すべきだと考えている12)。

元来、河内は近世以前から文学の発展した地域であ

った。旧領主三好長慶・実休(義賢)・冬康の三兄弟

は「いづれも連歌の好士、器用人」(『天正慶長当代記』)

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No.77

7)摂津名所図会 永代浜干鰯市(大坂部四下)

12)三田浄久の俳友の分布図

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と記されているが、領主にならい、連歌は庶民の間で

も広がりを見せていた。長慶の家臣で権勢家松永久秀

もその中にあった。子は永種、孫こそは松永貞徳であ

る。この松永貞徳は近世俳諧の最初の門流、貞門派の

宗匠であるが、貞徳は三田浄久の師。河内出身者と貞

門派のつながりはここから始まっているといえよう。

貞門派と拮抗した談林派の雄に西鶴がいるが、その

遺著『西鶴名残の友』巻二の二「神代の秤の家」で、

三田浄久を主人公としている。

内容は、貞門派の後継者貞室が柏原の三田家に遊ん

だ際のエピソード。貞室が京より持参した楽器、琵琶

は、大きなケースに納まっていたが、家業に励む河内

の者たちには、その風雅がわからず、その形状から商

用の天秤ケースの大きいものと理解し、「神代の秤」と

言ったという話である。

このエピソードは三田浄久を中心とした河内俳壇が

貞門派の宗匠貞室を迎えるほど隆盛であり、本格的な

活動を見せていたことを知るとともに、実業者俳壇の

無風流を揶揄しているとも考えられる。

しかし、いずれにしても大和川にはその川運拠点に

俳人がおり、河内の産業を支えるとともに河内俳壇を

支えていたことがわかるのである。

7

No.77

8)正本屋と絵双紙売り 9)西村重長筆 三条勘太郎・書物いろいろ(リッカー美術館所蔵)

10)奥村政信筆 うす物売り(リッカー美術館所蔵)

11)本朝櫻陰比事 巻一の四「太鼓の中はしらぬが因果」

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【Ⅲ】西鶴の出現~大坂を中心とした読者の誕生~

西鶴13)は若くして、俳諧の道に入っている。江戸時

代の俳諧と言えば、何と言っても松尾芭蕉[正保元

(1644)年~元禄七(1694)年]であるが、まったく同

時代に生きた芭蕉が江戸で本格的に蕉風俳諧を確立し

ていくのは三十歳代からである。ところがその頃西鶴

はすでに、全国的に隆盛であった談林俳諧の西山宗因

のもとで、誰もが知っている俳諧の大師匠として活躍

していた。

でもなぜか、西鶴は俳諧人生絶頂期のまま、初の浮

世草子『好色一代男』を板行する。四十一歳のときで

あった。四十三歳のときに、大坂住吉神社で矢数俳諧

を興行し、一日一昼夜二万三千五百句の独吟をすると

いう大記録を作るが、これを機に西鶴は俳諧活動より

浮世草子作家として活躍する。五十二歳で病没するの

で浮世草子作家としては実働約十年にすぎないが、没

後の作品も含めれば、二十数作品もの優れた浮世草子

作品を残している。作品はいずれも短編集。代表的な

作品は好色物として分類される『好色一代男』『好色二

代男』『好色五人女』『好色一代女』『男色大鑑』、武家

物『武家義理物語』『武道伝来記』、町人物『日本永代

蔵』『世間胸算用』、奇談物『西鶴諸国はなし』『懐硯』、

裁判物『本朝櫻陰比事』、没後『西鶴置土産』刊。巻頭

に辞世句、肖像をのせる。また『西鶴織留』『西鶴俗つ

れづれ』『萬の文反古』『西鶴名残の友』など、第一遺

稿集から第五遺稿集まで刊行されている。この驚異的

な生産ペースは、あの夏目漱石とほぼ同じである。

それらの作品の文芸性の高さは、江戸時代の昔から

有名な文豪たちや研究者たちを驚かせてきた。その面

の研究はすすんでおり、今さら言うまでもない。

西鶴に対する驚きは、このような数の多さだけでは

なく、登場人物が、当時実際に実在した有名な武士、

町人、遊女、歌舞伎役者から無名な市井(しせい)の

人々まで及ぶ視野の広さにある。加えて、その人々が

日本全国津々浦々にすむ諸国話となっていることも注

目できる。北は松前(北海道)や酒田から、南は鹿児

島、長崎、南洋の島、異界と多岐にわたる国々が舞台

であるから、空間的広がりは限りなく、奇想天外と言

わざるを得ない。

【Ⅳ】西鶴本の売価

西鶴本の売価14)は、当時の庶民の生活水準からは高

い買い物だったことがわかる。例えば、『好色一代男』

八巻八冊が銀五匁といえば、現在の物価水準で約1万円

である。よほど酔狂な金持ちでないと、『世間胸算用』

に登場するような日々の糧を得るに追われる人々では

手が出ない代物であった。では、読者がつかなかった

かというとそうではない。貸本屋については先に述べ

たが、貸本を利用すれば安価で読むことができた。逆

に原本の高さを貸本制度が支えて読者を広範囲に獲得

したと言えるのである。

8

No.77

好色一代男

諸艶大鑑(好色二代男)

好色五人女

好色一代女

男色大鑑

武道伝来記

日本永代蔵(美濃版)

日本永代蔵(半紙本)

武家義理物語

本朝櫻陰比事

西鶴置土産

萬の文反古

八巻八冊

八巻八冊

五巻五冊

六巻六冊

八巻八冊

八巻八冊

六巻六冊

六巻六冊

六巻六冊

五巻五冊

五巻五冊

五巻五冊

天和二年

貞享元年

貞享三年

貞享三年

貞享四年

貞享四年

元禄元年

元禄元年

元禄元年

元禄二年

元禄六年

元禄九年

銀 五 匁

四匁五分

二匁八分

三匁五分

八  匁

五  匁

三  匁

二匁三分

四匁五分

三匁五分

二匁六分

二匁五分

14)西鶴本の売価(『増益書籍目録大全』元禄九年刊より)

13)西鶴肖像(『西鶴置土産』所収)

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①『好色一代男』

天和二(1682)年十月、荒砥屋孫兵衛可心を版元と

して刊行された。西鶴の処女作である本作は、おそら

く俳諧師西鶴の片手間仕事の「転合書」であったかも

しれないにもかかわらず、たちまちにして評判となっ

た。その様相は、荒砥屋版の増刷、より広い読者に応

えるべく同一の版木を用いた秋田屋市兵衛版の再版本、

三版本(大野木市兵衛版、ただし大野木は秋田屋と同

一書肆)の刊行によって簡単に裏付けられる。また、

貞享元(1684)年三月のいわゆる江戸版の初版(新た

に江戸で板木を作成、挿絵には菱川師宣を起用した、

川崎七郎兵衛版行のもの)、貞享四(1687)年九月の第

二版(大津屋四郎兵衛版、板木は川崎版に同じ)、刊年

不明の第三版(万屋清兵衛版)によって、上方のみな

らず江戸でも大好評を博した。このような『好色一代

男』の好評は、俳諧師西鶴から浮世草子作者西鶴への

転身をうながす結果となったのである。『好色一代男』

は八巻八冊本から成るが、関西学院本は初版本と考えら

れるものの巻1から巻4まで所蔵している15)~17)。

9

No.77

15)好色一代男

16)好色一代男(巻一) 17)好色一代男(巻一)

【Ⅴ】関西学院大学の西鶴本

現在、関西学院大学図書館には次の五種の西鶴本原本を有している。

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②『本朝櫻陰比事』

元禄二(1689)年、萬屋清兵衛(江戸)、鳫金屋庄左

衛門(大坂)刊。京を舞台とした裁判物の短編集であ

る。五巻五冊からなり、題簽の巻数表示はそれぞれ

「ちゑ 小判一両」「ふんへつ 小判二両」「しあん 小

判三両」「しひ 小判四両」「かんにん 小判五両」と

趣向が凝らされている。

巻一の一で述べられる通り、本作は中国宋代の裁判

物「棠陰比事」を意識しており、さらに「京都を舞台

とした裁判物」という点からは『板倉政要』との関係

が指摘できるだろう。「比事」という素材は先の『西鶴

諸国はなし』にすでに見出すことができ、西鶴の話の

種収集のテーマの一つであったといえる。この裁判と

いう話題が当時の読者の耳目を引いたことは、二種の

再版本や多くの追随作が示す通りである。

また、百余歳の翁が語り手となる『翁物語』として

の方法や、作中の人間認識の問題など、晩年の西鶴文

芸の展開上、注目すべき作品である。

関西学院大学本は「鳫金屋」の部分が「柏原清右衛

門」(大坂)に埋木改刻されている再版本18)~20)であるが、

巻二最終話の挿絵がないこと以外は初版本と同じ板木

を用いている。なお、本作品の版下文字は西鶴自筆と

認められている。

10

No.77

19)本朝櫻陰比事(巻一) 20)本朝櫻陰比事(巻三)

18)本朝櫻陰比事

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③『世間胸算用』

元禄五(1692)年正月、京都上村平左衛門・江戸万

屋清兵衛・大坂伊丹屋太郎右衛門刊。西鶴の作かどう

か分からない存疑作『浮世栄花一代男』を別とすれば、

西鶴生前に刊行された最後の作品である。

本書の序文に「一日千金の大晦日を知るべし」とあ

り、外題副題や目録題に「大晦日ハ一日千金」とある

ように、多くの章が、一年最後の最大の収支決算日で

ある大晦日の出来事という時間設定で書かれている。

上層から下層までの様々な商人の大晦日の過ごし方、

掛け乞いとのやりとりが描かれている。

西鶴町人物の最優秀作品との定評もあり、その最後

の到達点を示す作品である。大晦日という時間設定と

それを生かした卓抜な話の構成、時代の底辺を生きる

人間たちの「哀れにも又おかし」き生への幅広い認識、

浮世の実相の具体化等々、世の人心に終生関心を持ち

続けて創作してきた西鶴の面目が十分に発揮されている。

関西学院大学本は二本ある。一本は元禄十二(1699)

年の第五版本で巻三と巻五のみ存する21)22)。一本は元禄

五(1692)年本の五巻五冊の初版本23)~26)と見られるが、

現段階の研究では、初版本は未発見とされている。

関西学院大学本は、再版本、第三版本と同じ書肆の刊

記を持ち、第四版本ではない。しかし、再版本、第三

版本とも特徴が微妙に一致しないところから、初版本

である可能性が少なくない。現在も精査研究中で、成

果が待たれる貴重本である。

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No.77

21)世間胸算用(2冊本) 22)世間胸算用(2冊本の内巻五)

23)世間胸算用(5冊本) 24)世間胸算用(5冊本の内巻一)

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④『西鶴織留』

元禄七(1694)年三月、万屋清兵衛(江戸)・雁金

屋庄兵衛(大坂)・上村平左衛門(京)刊。六巻六冊、

全二十三章からなる短編小説集。成立時期は『日本永

代蔵』と『世間胸算用』の間とされる。その版本は元

禄版原刻本と元禄版通行本の二系統に大別される。元

禄版通行本には団水の序文が付載されている。団水の

序文によると、元来『本朝町人鑑』『世の人心』の書名

のもと、『永代蔵』の続編・三部作とする予定であった

が、未完のため合わせて一作としたものである。『永代

蔵』巻末に予告された『甚忍記』の計画を変更したの

が『本朝町人鑑』『世の人心』となり、未完のまま『織

留』に編入されたとされる。

『本朝町人鑑』は始末・堪忍を旨とする到富・町人

道を描き、『永代蔵』の続編としての性格を持ち、『世

の人心』はより広範な人々の「心」の変容を写してお

り、生涯探究の主題をその一言に代弁させている。本

作は『永代蔵』から『胸算用』への過渡相を示すと考

えられる。

関西学院大学本は巻三27)~29)のみ現存のため、初版か

否かの確認ができていない。

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No.77

27)西鶴織留 28)西鶴織留(巻三)

25)世間胸算用(5冊本の内巻一) 26)世間胸算用(5冊本の内巻五)

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No.77

森田 雅也(もりた まさや) 関西学院大学文学部教授 兵庫県出身。1958年生まれ。関西学院大学文学部卒業、同大学院修了。博士(文学)。 近世日本文学、就中、西鶴文芸の大系化、近世前期上方文化における文芸世界の展開、近世後期荷田在満等国学者サロンの形成を研究課題とする。 著書に『西鶴浮世草子の展開』和泉書院、2006年、編著に『西鶴諸国はなし』和泉書院、1996 年、『近世文学の展開』関西学院大学出版会、2000年、共著に『新編西鶴全集』勉誠出版、2000年、『西鶴が語る江戸のミステリー』ぺりかん社、2004年他。

《参考文献》

・柚木学編『日本水上交通史論集』第1~6巻、文献出版、1986-

1996年

・小林茂・脇田修著『大阪の生産と交通』毎日放送文化双書4、

毎日放送、1973年

・今田洋三著『江戸の本屋さん』NHKブックス、日本放送出版協

会、1978年

・柏原町編『柏原町史』柏原町史刊行会、1955年

・日本古典文学大辞典編集委員会編『日本古典文学大辞典』岩波

書店、1983-1985年

※一部、2004年12月9日 第8回MKCR(武庫川女子大学関西文化

研究センター)セミナーで森田が行った報告に基づいている。

※西鶴本書誌の基本解説については、森田ゼミの院生にお願いし

た。石田賢司・高瀬麻規人・西浦和稔・寺敬子・高橋隆平・長

戸麻美・池田駿之・村田俊人である。協力に記して感謝する。

関学本の特徴に関しては森田が責任担当した。

注:写真引用文献

1)谷脇理史編『新潮古典文学アルバム 17 井原西鶴』新潮社、

1991年、芳賀一晶画「浪華西鶴翁像」

2)豊田武、児玉幸多編『交通史:体系日本史叢書24』山川出版

社、1970年、「東廻り航路・西廻り航路および九州航路」

3)『摂津名所図会』大坂、河内屋喜兵衛、寛政10(1798)年、

大坂部四上、「八軒家」

4)『摂津名所図会』大坂、河内屋喜兵衛、寛政10(1798)年、

大坂部四上、「中之島」

5)『摂津名所図会』大坂、河内屋喜兵衛、寛政10(1798)年、

大坂部四下、「安治川」

6)秋里籬島著『河内名所図会』臨川書店、1995年、「高安の里

の木綿買」

7)『摂津名所図会』大坂、河内屋喜兵衛、寛政10(1798)年、

大坂部四下、「永代浜干鰯市」

8)長友千代治著『近世貸本屋の研究』東京、東京堂出版、1982

年、『用捨箱』所載、延宝、天和頃の正本屋と絵双紙売り

9)長友千代治著『近世貸本屋の研究』東京、東京堂出版、1982

年、西村重長筆、三条勘太郎・書物いろいろ(リッカー美術

館所蔵)

10)長友千代治著『近世貸本屋の研究』東京、東京堂出版、

1982年、奥村政信筆、うす物売り(リッカー美術館所蔵)

11)『本朝櫻陰比事』大坂、柏原清右衛門、元禄2(1689)年、

巻一の四「太鼓の中はしらぬが因果」

12)今田洋三著『江戸の本屋さん:近世文化史の側面』NHKブ

ックス299、日本放送出版協会、1977年、「三田浄久の俳友の

分布図」

13)近世文学書誌研究会編『西鶴置土産』近世文学資料類従西

鶴編15、勉誠社、1975年

14)『増益書籍目録大全』元禄9年刊より、「西鶴本の売価」

15)~17)『好色一代男』出版地、出版者不明、天和2(1689)年?

18)~20)『本朝櫻陰比事』大坂、柏原清右衛門、元禄2(1689)

21)・22)『世間胸算用』大坂、萬屋彦太郎、元禄12(1699)年

23)~26)『世間胸算用:大晦日ハ一日千金:絵入』大坂、伊丹

屋太郎右衛門、元禄5(1692)年

27)~29)『西鶴織留:世農人心』出版地、出版者、出版年不明

29)西鶴織留(巻三)

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発見

新約聖書のマタイによる福音書の18章に、羊飼いが

99匹の羊をおいて、迷い出た1匹の羊を探しに出るたと

え話がある。「20世紀最大の考古学的発見」にまつわる

物語は幾つかあるが、最もよく知られている物語は、

まさにマタイによる福音書のたとえ話のような仕方で

の発見を伝えている。1947年の春、死海の北西岸のキ

ルベト・クムランと呼ばれていた廃墟付近で、群れか

ら迷い出た1匹の山羊を追って崖を登っていたベドウィ

ンの少年ムハマッドが、丘の頂上近くの岩陰で一休み

した。すぐ目の前には見慣れない洞穴があり、彼がそ

の中に石を投げ込んだところ、何かが壊れる音がした。

気味悪く感じたムハマッドはその日は逃げ帰ったが、

後日仲間と洞窟の中に入ったところ、そこには彼の投

石で割れた土器の壺と、蓋のついた完全な形のままの

壺が幾つかあり、それらの中には亜麻布に包まれた古

い巻き物が収められていた。後に「死海写本」あるい

は「死海文書」(The Dead Sea Scrolls)と名付けられ

る巻き物の発見である。

彼らは、後に「クムランの第1洞窟(1Q)」と名付け

られるこの洞窟から、7本の巻き物を取り出してベツレ

ヘムに持って行き、シリア正教会の信者であり、靴商、

古物商であった通称カンドー(本名ハリル・イスカン

ダル・シャヒン)に売った。この後、4巻がエルサレム

の聖マルコ修道院のサムエル大主教のもとに、他は別

人の手を経てヒブル大学の考古学者であるエリエゼ

ル・L・スーケニク教授のもとにもたらされる。

羊皮紙で作られたこれらの巻き物にはヒブル(ヘブ

ライ)文字が記されており、聖マルコ修道院に持ち込

まれた4本の内の最も大きなものについて、オランダ人

修道士のJ.ヴァン・デル・ブレークは、旧約聖書の

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No.77

神学部教授 向井 考史

死海写本-20世紀最大の考古学的発見-

死海とクムラン洞穴

出土した死海写本のレプリカ

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「イザヤ書」の写本という見解を示した。しかし、当初

は受け入れられることはなく、また考古学者たちもこ

れらの巻き物の価値については懐疑的であった。

巻き物の価値が認識されたのは、エルサレムの旧市

街にあったアメリカ・オリエント学研究所のトレヴァ

ーによって撮影され、送付された写真を鑑定したジョ

ンズ・ホプキンズ大学のW.F.オルブライト(パレステ

ィナ考古学、古代書体学)が、巻き物に書かれている

ヒブル語の書体を紀元前100年頃のものと同定したこと

による。後に、放射性炭素年代測定法によっても巻き

物とそれらが収納されていた容器の年代も紀元前2~1

世紀と同定されたことから、20世紀最大の考古学的発

見として一躍脚光を浴びることになる。

ベドウィンの少年によって最初に発見された洞窟内

の探索が、1949年にフランスのエコール・ビブリクの

ローラン・ドゥ・ヴォー神父の指揮によって行われ、

1951年の終わりからはキルベト・クムランの本格的調

査が始まって、11の洞窟から850余りの巻き物とかなり

大きな断片、数万にのぼると言われる小さな断片およ

び土器類が発見された。巻き物には羊皮紙のもの、パ

ピルスのもの、そして第3洞窟で発見された銅のものが

ある。これらの洞窟には発見順に1Qから11Qまで記号

が付けられている。Qは、地名Qumranの頭文字である。

1958年まで続けられた発掘作業は、キルベト・クム

ラン以外でも、ワディ・ムラバアトやアイン・フェシ

ェカなどで行われ、アイン・フェシェカではクムラン

の写本群とは起源の異なる写本群が発見されている。

こうした死海近辺の廃墟で発掘された写本群を総称し

て「死海写本」と呼んでいる。

クムランの11の洞窟のうち数多くの巻き物が発見さ

れたのは第1、第4、第11の3つの洞窟であり、もっとも

多くの巻き物が見つかったのは第4洞窟である。

旧約聖書の写本では「エステル記」を除いて、「創世

記」から「マラキ書」までのすべての文書が見つかっ

ており、旧約聖書に関わるものとして、「創世記」や

「詩篇」、「ハバクク書」など、「エステル記」を除く各

書の註解書が見つかっている。また、中間時代(旧約

聖書と新約聖書の中間の時代、紀元前3~1世紀頃)に

書かれたとされ、一般に「旧約聖書外典」あるいは

「第二正典」(Apocrypha)と呼ばれている書物のうち

「トビト書」、「シラク書」など、さらに、同じく中間時

代に書かれたと思われ、通常「旧約聖書偽典」

(Pseudepigrapha)と呼ばれており、黙示文学的性格を

色濃く持つ書物のうち、「ヨベル書」や「エノク書」と、

「エノク書」、「レビの遺訓」のアラム語写本も発見され

ている。

さらに、発見された写本の中には、それまで存在が

知られていなかった「外典創世記」、「ヨシュアの詩編」、

「ナボニドスの祈り」、「賛美歌集」もある。

旧約聖書とはほとんど関わりのない発見物としては、

これらの写本を作成した共同体の「規則」(宗規要覧)、

「光の子と闇の子の戦い」などがあり、第3洞窟で見つ

けられた銅の巻物は、埋蔵された宝物の一覧である。

旧約聖書の写本のうち最も完全な巻き物は、第1洞窟

で発見されたイザヤ書のA写本(1Q Isa)であり(第1

洞窟からはイザヤ書の破損した巻き物も見つかってお

り、完全なものと区別するためイザヤ書B写本(1Q Isb)

と呼ばれている)。また、すべての巻き物の中で最も長

大なものは第11洞窟からの「神殿の巻き物」であるが、

それは「出エジプト記」、「レビ記」そして「申命記」

の改訂増補版であり、空想上のエルサレム神殿建設を

含んでいる。

写本の制作者

死海写本が発見される以前、1896年にカイロのユダ

ヤ教会堂跡の倉庫(ゲニザ)から「ダマスコ文書」と

呼ばれる写本が発見された。9世紀頃のものと推定され

るが、この文書の内容と一致する断片が死海写本の中

に見つかっている。ダマスコ文書の中には、「義の教師」

と呼ばれる指導者によって共同体が形成され、義の教

師は共同体の構成員達と共に、「偽りの人」と呼ばれる

指導者によって導かれる「裏切り者の群れ」と戦って

来たことが記されている。死海写本の中に見つかった

「ハバクク書註解」の中にも「義の教師」、「偽りの人」、

「裏切り者の群れ」が言及されており、死海写本の制作

者達が特定の指導者によって導かれた共同体の人々で

あったことが推察されるが、「義の教師」も「偽りの人」

も名前は言及されておらず、それが誰であったのかは

不明である。

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No.77

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「光の子と闇の子の戦い」は、終末の時の戦いのた

めの規則と思われるが、共同体の「生活規則」も「光

の子」と「闇の子」に言及しており、この共同体に入

会するためには、「神によって定められた法に従って光

の子らを愛し、闇の子らを憎む」誓約をすることが求

められた。

ユダヤ教会堂跡から見つかったダマスコ文書と死海

写本との関係から、このクムランの共同体がユダヤ教

の一つのセクトであったと推測されているが、この共

同体がどのようなものであったのかは「共同体の規則」

から知ることが可能である。「共同体の規則」には入会

するための規則が記されており、それによると、入会

志願者は共同体の監督に申し出をして予備的な試問を

受け、監督が共同体に入会する資格があると判断する

と、真理を追い求め悪から遠去かるという誓約をする

ことになる。これはまだ入会の前段階である。誓約の

後、期間は明らかではないが、誓約が忠実に履行され

るかどうかの審査期間を経て、志願者は「多くの人々

の会議」と呼ばれる場所で試問を受ける。この試問に

合格すると、さらに1年間の審査期間を送らなければな

らない。この間、彼は共同体の一員と認められるが、

共同体の食事に与ることはまだ許されない。この1年間

の審査期間が過ぎて、「多くの人々の会議」が彼を共同

体員としてふさわしいと判断すれば、彼は自分の財産

を共同体の財産管理者に対して差し出すことになる。

ただし、彼の差し出した財産は、すぐには共同体の財

産として管理はされず、別扱いとなる。なぜなら、彼

はさらに2年間の審査期間を過ごさねばならず、その間

に会員としてふさわしくないと判断されると、その財

産の返還を受けて共同体を去らねばならないからであ

る。その2年間の審査期間を無事に過ごすことができれ

ば、彼は正式に共同体員として認定され、すべての儀

式に参加し、権利を履行することができるようになり、

彼の差し出した財産は共同体の財産として管理される

のである。

この共同体での生活の特徴は、水による浄めや、共

同の食事、財産の共有、清貧、聖典の研究などにある

が、水による浄めはキリスト教会の一回的な洗礼(バ

プテスマ)とは異なって、日常的に行われたようである。

新約聖書は当時のユダヤ教について、パリサイ派、

サドカイ派、熱心党の三つに言及しているが、ヨセフ

スは「ユダヤ戦記」の中で、もう一つの派である「エ

ッセネ」についても紹介している。その紹介によれば、

エッセネ派の特徴は上記の共同体の特徴とほぼ並行し

ており、そのことから死海写本の制作者がエッセネ派

の人々であるとの見方が、写本が解読され始めた直後

から現在に至るまで、最も有力な説となっている。

エッセネ派説に対する異論がない訳ではない。ヨセ

フスの記述によればエッセネ派は結婚を禁じていたが、

クムランの墓地からは、僅かにせよ、女性と子供の遺

骨が発見されていること、また、エッセネ派が平和主

義を唱えていたにもかかわらず、クムランの共同体で

は終末の光の子と闇の子の戦いにおける武器や戦術を

記した写本を持っていることなど、伝えられているエ

ッセネ派の特徴との相違が指摘され、エッセネ派以外

の人々による写本制作の可能性も議論されている。パ

リサイ派説、サドカイ派説、熱心党説などがあり、現

在もなお議論が続いている。

死海写本と聖書

死海写本が発見され、その年代決定がなされた当初、

キリスト教の始まりの時期と近いこともあって、ナザ

レ人イエスの活動やキリスト教の誕生にまつわる直接

資料が発見されるのではないかという期待が渦巻いた。

死海写本の公開や翻訳刊行が遅れていた時には、キリ

スト教にとって不利な証拠が見つかったために写本が

秘匿されているのではないか、という憶測さえ起こっ

た。現在もなお、死海写本とキリスト教との関わりを

見いだそうとする試みが一部でなされているが、死海

写本の年代がナザレ人イエスの宣教活動以前であり、

写本群の中にはキリスト教に関する言及が一切見られ

ないことから、専門家の大多数は両者の関係を否定し

ている。

死海写本の真の価値は、ユダヤ教とキリスト教が伝

統的に受け継いで来た旧約聖書との関係で明らかにな

った。すなわち、死海写本との比較によって、現在用

いられている旧約聖書のヒブル語本文が、筆写の過程

でほとんど誤りなく伝えられており、そのため失われ

てしまったオリジナルな本文からもほとんど改変され

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No.77

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てはいないであろうと推測することが可能になったこ

とである。

現在我々の手元にある最も古い旧約聖書本文の完全

な写本は、紀元後1008年に作成されたものであり、「マ

ソラ本文」(伝承本文)と呼ばれ、ソ連時代のレニング

ラード国立国会図書館(現ペテルブルグ)に所蔵され

ているため「レニングラード写本(L写本)」(Codex

Leningradensia)と名付けられている。これ以前のも

のとしては、数多くのマソラ断片の他、旧約聖書のギ

リシャ語訳である「70人訳」やラテン語訳の「ウルガ

タ」、シリヤ語訳の「ペシッタ」、が知られている。け

れども、これらは、L写本がどの程度正確に筆写の過程

をたどってきたのかを明らかにするには不十分であっ

た。死海写本の発見は一挙に1000年以上遡って、L写本

の正確さを立証することになったのである。

しかしながら、L写本の正確さが認められる一方で、

L写本のサムエル記に一部欠けている部分のあることが

第4洞窟から発見されたサムエル記写本によって明らか

になった。また、L写本のエレミヤ書と70人訳のエレミ

ヤ書では内容がずいぶん異なっているが、死海写本に

は2種類のエレミヤ書の写本があって、70人訳はこの内

の一つから翻訳されたことが判明して、L写本とは異な

る写本があったことも明らかになってきている。さら

に、死海写本の研究を通して、旧約聖書本文には、パ

レスティナ系、エジプト系、バビロニア系の3系統があ

ったのではないかという推測もなされている。

L写本に所載されている創世記からマラキ書に至る39

の書物は、紀元100年のユダヤ教のヤムニヤ会議におい

て、神の言葉を誤りなく伝える「正典」(カノン=規範)

として制定されたものであるが、これらの39の書物以

外にも、先に述べた如く外典や偽典と呼ばれる文書を

含めて、クムラン洞窟から多数の文書が発見されてお

り、従って、旧約聖書の正典化の過程を知る上でも死

海写本は非常に重要である。

死海写本は、こうした旧約聖書ヒブル語本文自体の

研究(テキスト クリティシズム)や正典化の歴史、

紀元前2-1世紀頃のユダヤ教についての研究を促進す

ると共に、旧約聖書の歴史的批判的研究という分野に

も光を投じている。

イザヤ書に関して、すでに1700年代に、デダーライ

ンが大きく二つの部分から構成されていると主張し、

その後アイヒホルンによってそれが支持され、1900年

代初頭にはドゥームが3部構成説を唱えた。批評学者達

の間で定説となったこの説には現在でも保守的な学者

達からの批判があるが、死海写本のイザヤ書A写本は少

なくとも2部構成説を支持しているようである。この写

本では33章は第27欄に記されているが、この欄は33章

の最後の節である24節で終わっており、その下、本来

34章1節が書き始められるべき3行分、は空白になって

いる。そして34章は第28欄から始まり、66章の終わり

に至るまで、第26欄までと同じ書式が続くのである。

このことは、かつて異なった二つの預言集があり、こ

の写本以前にすでに合本となっていたことを示唆して

いるとJ. T. ミリクは述べている。もっとも、これは希

有な例ではある。

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No.77

イザヤ書A写本のレプリカ(33章24節の後の空白3行)

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レビ記断片

関西学院大学図書館が所蔵するレビ記の断片は

「11QPaleo-Leviticus, Fragment L」と名づけられてい

るが、これは「クムランの第11洞窟の古ヒブル文字に

よるレビ記のL断片」という意味である。第11洞窟から

は、古ヒブル文字によるレビ記のかなり大きな断片と、

それとは別の古ヒブル文字によるレビ記の写本からの

ものと思われる小断片群、さらに、申命記の一部と断

片、エゼキエル書の一部、詩篇の一部、アラム語訳ヨ

ブ記など数多くの遺物が見つかっている。この

11QPaleo-Leviticus Fragment L は羊皮紙に文字が記さ

れており、劣化しているため肉眼では見えないものの、

透過撮影では文字を確認することができる。文字は破

損部分にかかっている上、古書体であるためアルファ

ベットのどの文字であるのかを確定することは難しい

が、 (ラーメド)は読める。ただ、余りにも小さな

破片であるため、これ自体を単独で研究対象とすると

いうことは困難であろう。

現在、イザヤ書などの主要な巻き物はエルサレムの

イスラエル国立博物館の中の写本館に展示されており、

訪れさえすればガラス越しに見ることができる。その

他の多くのものはエルサレムのロックフェラー博物館

に保管されており、国際研究チームの学者たちがジグ

ソーパズルのように断片を組み合わせ、研究する作業

を続けているが、公開はされていない。これらの機関

以外にも写本断片を有している所はあると思われるし、

盗掘などによりかなりの量の断片が持ち出されている

とも思われる。にもかかわらず、東京や神戸で開催さ

れた聖書展のような機会を除いて、日本では細片です

ら実物を見る機会は皆無であると言って良い。

11QPaleo-Leviticus, Fragment Lは、小さな断片とは

言え、聖書の中間時代や旧約聖書の伝承過程を知るロ

マンをかき立ててくれるのである。

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No.77

向井 考史(むかい たかふみ) 関西学院大学神学部教授 1946年 大阪府生まれ 1969年 関西学院大学神学部卒業(神学士) 1971年 関西学院大学大学院神学研究科修士課程修了(神学

修士) 1973年 米国テキサス州南メソディスト大学大学院パーキン

ス神学院留学(STM) 現在  関西学院大学神学部教授(旧約聖書学) 1987年 南メソディスト大学交換教授 2005年 ニュージーランド セント・ジョンズ神学院客員研

究員

~76年 ~88年 ~06年

主要参考文献

・J.M.アレグロ著、北沢義弘訳『死海の書』みすず書房、1957年

・M.バロウズ著、新見宏、加納政弘訳『死海写本』山本書店、

1961年

・E.M.ラペルーザ著、野沢協訳『死海写本』白水社、1962年

・日本聖書学研究所編『死海文書 : テキストの翻訳と解説』山本

書店、1963年

・M.ブラック著、新見宏訳『死海写本とキリスト教の起源』山本

書店、1966年

・E.ウィルスン著、桂田重利訳『死海写本 : 発見と論争1947-1969』

みすず書房、1979年

・H.T. フランク著、森村信子訳『聖書の考古学』(下)、エンデル

レ書店、1985年

・E.M.クック著、太田修司、湯川郁子共訳、土岐健治監訳『死海

写本の謎を解く』教文館、1995年

・J.H.チャールズウァース編著、山岡健訳『イエスと死海文書』

三交社、1996年

・K.ベルガー著、戸田聡、五十川恵訳、土岐健治監訳『死海写本

とイエス』教文館、2000年

・P.R.デイヴィス、G.J.ブルック、P.R.キャラウェイ著、池田裕訳

『死海文書大百科 : ビジュアル版』東洋書林、2003年

・J.M. Allegro, “The people of the Dead Sea scrolls in text and

pictures”, Doubleday, 1958

・J.T. Milik, tr. by J. Strugnell, “Ten years of discovery in the

wilderness of Judea”, SCM Press, 1959

・C.F. Pfeiffer, “The Dead Sea scrolls and the Bible”, Baker

Book House, 1969

・F.M. Cross & S. Talmon ed., “Qumran and the history of the

Biblical text”, Harvard University Press, 1975

・M. Abegg Jr., P. Flint & E. Ulrich, “The Dead Sea scrolls

Bible : the oldest known Bible”, HarperCollins, 1999

・和田幹男「死海文書入門講座I-V」( http://mikio.wada.catholic.

ne.jp/Vox_DDS01.html )

・勝村弘也「死海文書とは何か」神戸松蔭女子学院大学キリスト

教文化研究所 公開講座(PDF)、2006年

死海写本 レビ記断片(右は実際の断片を透過撮影したもの)

Page 21: 関西学院大学図書館報 『時計台』 · れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている ... 今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

2006年9月7日(木)、8日(金)の両日、西宮上ケ原キャ

ンパスB号館101号教室を会場として、第67回私立大学

図書館協会総会・研究大会を開催し、全国の加盟図書

館486館(2006年3月末現在)のうち222大学から375名の

図書館長、図書館職員の参加があった。メインテーマ

に「今、新たな大学図書館のミッションを考える」を

掲げ、会場校として平松一夫学長の挨拶に始まり、総

会、記念講演、研修報告、講演、パネルディスカッシ

ョン、図書館見学、展示などの多彩なプログラムが行

われた。

大会初日の総会に引き続き、竹本洋経済学部教授に

よる「メートル法直前の度量衡統一構想」と題する記

念講演が行われた。講演は、関西学院大学図書館特別

コレクションとの関係の紹介とともに、メインテーマ

との関連で専門領域からみた日本の図書館の収集の役

割や蔵書目録上の書誌記述の問題点などにも言及され

大変示唆に富んだ内容であった。8日に開催された研究

大会では、2005年10月にイリノイ大学図書館を中心に

行った海外集合研修の報告が本学魚住英子氏他3名の方

から、また、同年9月から11月にかけて8週間の予定で

実施した海外派遣研修の報告が明治学院大学図書館峰

環氏から発表された。いずれの報告も日本の図書館の

今後の発展にとって重要な問題点の指摘があり、大変

興味深い内容であった。次いで今研究大会のメイン企

画として、永田治樹筑波大学大学院教授による「大学

のミッションと図書館-これからのサービスモデル」、

中元誠早稲田大学図書館総務課長による「大学図書館

運営にかかる現況と諸課題:図書館要員政策をめぐっ

て」および片山淳京都大学附属図書館情報サービス課

長による「利用教育、大学図書館の生命線」と題する3

つの講演が行われた。これら講演の後に、井上 智館

長をコーディネーター、3名の講演者をパネリストとし

たパネルディスカッションを行った。講演とパネルデ

ィスカッションを通じて大学図書館が直面している

様々な課題と目指すべき方向性、果たすべき役割など

について多くの示唆をいただいた。参加者からも積極

的な意見や質問が出され、盛会のうちに研究大会を終

了することができた。

本学の図書館が私立大学図書館協会の総会・研究大

会の会場校を務めるのは1960(昭和35)年以来実に46年

ぶりのことである。このような全国規模の大会を開催

することができ、全国の大学図書館の協力活動のため

に本学が一定の役割を果たせたことは様々な意味にお

いて喜ばしいことであった。また、準備の段階から実

行に至るまで図書館職員全員が一丸となって協力し、

やり遂げることができたことは、図書館職員の視野を

広めるためにも大変意義があったと考える。最後に

様々な面でご協力とご指導をいただいた多くの方々に

お礼を申し上げて報告としたい。

19

No.77

第67回私立大学図書館協会総会・研究大会の開催について

第67回私立大学図書館協会総会・研究大会開会式

Page 22: 関西学院大学図書館報 『時計台』 · れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている ... 今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

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No.77

はじめに

大学図書館の年史を編纂する過程で、1954(昭和29)

年9月11日発行の『関西学院図書館略史』を見つけた。

東晋太郎第六代館長の命を受けてこの冊子を作稿した

のが、図書館第二代司書の中島なかじま

猶ゆう

治じ

郎ろう

である。中島は

第二次世界大戦前における図書館員養成や図書館経営

の先駆者であり、戦前では珍しくアメリカで図書館学

を学ぶために留学した。海外の図書館での実務を経験

した彼は、帰国後、本学図書館のみならず、日本国内

および満州における図書館界に大きな影響を与えるこ

とになる。

中島は1887(明治20)年に滋賀県栗太郡(現在の栗

東市)に生まれた。1912(明治45)年に同志社普通学

校を卒業し、その後、同志社英文科に在籍しながら1)、

関西学院神学部生となり、午後の4時間を関西学院図書

館で勤務していた。1914(大正3)年からは、初代司書

である磯部泰造の後任として二代目の司書となった。

1919(大正8)年に一時退職し、禁酒運動(神戸廃酒期

成会主事)などに従事した。中島は『関西学院新聞』

第261号(1953(昭和28)年10月15日)に掲載された座

談会で当時のことを次のように回顧している。「私は大

正元年から居ますが、古いながらしばしばムホンを企

てましてね。(笑声)仲々アメリカに洋行させないので

図書館を飛び出し、株屋の番頭をやったり、禁酒運動

に従事したりしました。」これをみると、中島はかなり

自由闊達な人物であったと想像することができる。W.

K.マシュース第四代館長は図書館経営に大変熱心であ

り、復職した中島を1922(大正11)年6月から1924(大

正13)年9月までの約2年間、ニューヨーク図書館学校

及びピーボディ師範大学図書館学科に公費留学させる

よう理事会に推薦した。中島はニューヨークにおいて

図書館学および図書館の管理運営などの最新知識を学

んで帰国した後2)、アメリカで学んだ新しい図書館制度

を次々と取り入れ、当時の図書館界では斬新であった

新入生に対する利用指導の実施(現在の図書館オリエ

ンテーションの原型)や辞書体目録の作成など、先進

的な多くの取り組みを行っている。この意味で中島は

関西学院図書館の基礎を作りあげた人物であるといえ

よう。

『目録編成法』の発行

1925(大正14)年に全国専門高等学校図書館協議会

は中島猶治郎と鞠谷きくたに

安やす

太た

郎ろう

に執筆を委嘱し、『目録編成

法』(写真1)を大阪の間宮商店から刊行している3)。鞠

谷は、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)図書館所

属であり、その校舎は当時、原田の森にあった関西学

大学図書館運営課主幹 今村 太朗

人物から見た図書館史―中島猶治郎―

写真1 「目録編成法」大正15年11月10日再版

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No.77

院に近い神戸市葺合町筒井村(現在の神戸市立葺合高

校)にあった。近隣で働く図書館員として二人は以前

から親交があったと想像できる。鞠谷は他に全国専門

高等学校図書館協議会から図書館研究叢書第1篇として

『図書館事務の執り方』(1926(昭和元)年)を編纂し

ている。なお、『目録編成法』の表紙と奥付においては、

中島猶治郎の名前が猶次郎となっているが、例言では

猶治郎となっているので、出版時の誤植と考えられる。

全国高等諸学校図書館協議会会報第4号(1928(昭和3)

年発行)には、『目録編成法』の補遺(1927(昭和2)

年)と中島が編集した『図書分類表』が掲載されてい

る。また、1932(昭和7)年10月6日に全国高等諸学校

図書館協議会第九回大会が関西学院で開催(写真2)さ

れ、中島が大会の司会を担当した4)。

1927(昭和2)年、大阪で青年図書館員聯盟が結成さ

れ、中島もその一員となった。聯盟創立当時のメンバ

ーとして、森清もりきよし

、南みなみ

諭ゆ

造ぞう

、天あま

野の

敬けい

太た

郎ろう

らがいる。森清

は1906(明治39)年、大阪に生まれ、1922(大正11)

年、16歳で間宮商店に就職し、1929(昭和4)年、23歳

の時に『日本十進分類法(NDC)』の初版を刊行した。

以後、鳥取図書館、神戸市立図書館、上海日本近代科

学図書館、市川市立図書館、国会図書館などに勤務し

た。日本における標準分類法の生みの親である。南諭

造は1907(明治40)年、神戸に生まれ、神戸商業大学

(現在の神戸大学)図書館司書、大阪府立図書館天王寺

分館長等を歴任した後、1963(昭和38)年から1973

(昭和48)年まで、関西学院調査室長、大学図書館次長

として活躍した。日本図書館協会顧問。天野敬太郎は

1901(明治34)年、京都に生まれ、京都大学図書館司

書として法経図書室に長年勤務、関西大学図書館長、

東洋大学社会学部教授等を歴任した。目録法、書誌学

に造詣が深く多くの業績を残した。また、図書館用品

の販売を通して図書館事業を発展させた間宮商店の間ま

宮みや

不ふ

二じ

雄お

は青年図書館員聯盟の支持者であった。

中島は青年図書館員聯盟に参加した1927(昭和2)年

から1933(昭和8)年にかけて、精力的に分類法、件名

法、目録法、読書法に関する7つの論文を『図書館雑誌』

に発表している5)。それらの論文の中には、東北帝国大

学の田中敬司書官によって書かれた「鞠谷、中島両氏

共編『目録編成法』を批評す」6)という批評に真っ向か

ら反論した『田中敬氏に答ふ』があり、その中で中島

はこう書いている。「然るに田中氏は『聊か功を急がれ

た嫌のあるは遺憾に堪えない次第である』とは何と云

う詞であらう、此れは聊か田中氏の過言ではあるまい

写真2 大会写真 最前列左端のコートを着た人物が中島である。最前列にはベーツ院長、マシュース館長が写っている。

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No.77

かと思うと共に餘り惨酷な云い振りである。今少し慎

重に調査を綿密にして萬遺漏なきを期さる可きである。

最初は印刷の誤植かとも思った」中島は、『目録編成法』

を作成した経緯や事情をよく調べないで批評するのは

図書館学の大家である田中敬とはいえ、言い過ぎであ

ると反論したのである。

満州国立中央図書館籌備処と中島猶治郎

1938(昭和13)年4月に図書館の改革を共に推進して

きたマシュース館長が定年のため、その職を退くと、

同年12月16日、中島は満州における国立中央図書館創

設および国立建国大学を企図する満州国国務院(写真3)

の招聘に応じ、関西学院を退職し渡満した。マシュー

ス館長と中島の退職は、関西学院図書館の歩みの中で

一つの時代の区切りであったといえる。1938(昭和13)

年12月20日の『関西学院新聞』第149号の記事「建国大

学へ栄転:司書中島猶次郎氏(猶治郎の誤植)」は「16

日正午鴨緑丸で任地に赴いた」と伝えている。中島が

乗船した大阪商船の貨客船であった鴨緑丸は、その最

初の航海において愛親あいしん

覚かく

羅ら

溥ふ

傑けつ

の婦人、嵯さ

峨が

浩ひろ

が乗船

したことで有名である。当時、鴨緑丸は「うらる丸」、

「熱河丸」、「吉林丸」などとともに月間25航海の大連航

路に就航していた。大阪商船の運航案内を見ると神戸=

門司=大連を約70時間で結んでいた。中島は神戸を12月

16日正午に出発し、船中で3泊して19日の午前9時に大

連に上陸した。大連と新京(現在の長春)を8時間半で

結ぶ満鉄の特急「あじあ」号の発車時刻が午前10時で

ある。当時の記録は残されていないが、中島はおそら

くこの列車に乗り、新京に赴いたのではないかと考え

られる。中島はその後、1942(康徳9)年9月9日まで、

新京順天大街(現在の長春市新民大街)にあった国立

中央図書館籌備処の主要なメンバーである司書官とし

て勤務した7)。

1938(昭和13)年は満州における康徳5年にあたる。

翌1939(康徳6)年6月26日から7月7日まで国立中央図

書館籌備処と新京民生部の後援で、「資料取扱事務講習

会」が参加者約100名を集めて新京金融合作社講堂で行

われた。ここで中島は「目録法」と「整理用品説明」

の講習を行った。同年7月21日に奉天図書館聯合研究会

の結成式が奉天省公署礼堂(奉天は現在の瀋陽)で行

われた。中島はこの時、国立中央図書館籌備処の民生

部代表として出席し訓示を行っている。翌7月22日、奉

天市公立八幡町図書館において、聯合研究会の第1部

(日系)委員会が満州各地の図書館長12名の参加により

開催された。中島は衛え

藤とう

利とし

夫お

満鉄奉天図書館長等とと

もに出席している。ここで図書館員の資質向上を計る

ため、委員会主催の短期講習会を9月中に開催すること

が決定され、講師として、衛藤、中島の名前があがっ

ている。中島は当日に「米国の図書館事情」と題して

J.C.デーナの図書館経営論について講演を行っている。

また、9月28日から30日にかけて、「図書館の業務改善

並館員の研究修養を計る為斯界の大家を招聘

し省下各市県日系図書館員の講習会」として

奉天省図書館員講習会が奉天省公署礼堂で開

催され、中島は「目録法」を9月29日と30日に

講演している。1940(慶徳7)年5月9日に籌備

処官制の改正が行われ人事面、予算面で体制

が整えられ、中島は司書科の司書官となった。

同年6月24日から29日まで、満系図書館員講習

会が新京民生部講堂(写真4)で開催された。

この時、中島は「一般管理法」と「目録法」

の講師を担当した8)。

写真3 偽満州国国務院 (現在は吉林大学基礎医学院)長春市新民大街2号

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No.77

満州図書館協会の設立と中島猶治郎

1939(康徳6)年11月15日、満州図書館協会設立趣意

書が満州国及び関東州内図書館関係者、読書人に配布

された。設立事務所は新京民生部社会科内に置かれた。

同年12月20日、満州図書館協会創立総会が新京民生部

講堂において、満州の図書館82館と民衆教育機関110館

が参加して開催され、「満州図書館協会会則」が決定さ

れた。その時、中島は満州図書館協会理事及び評議員

であった。1941(康徳8)年4月8日、第1回理事評議員

合同会議が中央銀行倶楽部で開催された。康徳7年の決

算報告、康徳8年の予算案審議、図書館大会の開催、図

書館員講習会等の開催、功労者表彰の件などが議題と

なった。同年4月19日、満州図書館大会開催打合せ会が

満鉄奉天図書館で開催された。内容は図書館大会当日

の「東洋兵書展覧会」に奉天図書館から借用出品する

資料の打ち合わせであった。6月3日に中島が展示資料

を借用するため満鉄奉天図書館に来館し、展示資料9部

34冊を借用した記録がある。6月5日から6日まで、満州

図書館協会第1回総会・大会が奉天省公署礼堂で会員100

名他の参加を得て盛況に開催された。この総会・大会は

「まさに東亜図書館大会の観をなした」といわれ、中島

はこの大会の司会を担当した。1942(康徳9)年4月24

日、満州図書館協会役員会が新京記念公会堂で開催さ

れた8)。なお、満州図書館協会の詳細については、中島

が1943(康徳10)年1月15日に書いた『満州

図書館協会ニ就イテ』という論文がある9)。

その後、中島は1942(康徳9)年9月10日付

で満州国立建国大学の助教授として図書科に

勤務することとなり10)、新京特別市慈光胡同

に住居を定めた。中島がソ連の侵攻による建

国大学の崩壊を目の当たりにしたかどうかに

ついては記録が皆無であり、中国から引き揚

げた経路とともに不明である。中島は1946

(昭和21)年10月に嘱託職員として関西学院

に復職、館員の指導にあたり、1956(昭和31)

年3月に退職した。1965(昭和40)年頃には、

関西学院大学文学部、甲南大学、神戸女学院大学の講

師として教鞭を執った11)。中島は1966(昭和41)年12月

17日に没している。中島に関する何かの情報をおもち

の方があればご教示をお願いしたい。

最後に、本稿のために中島猶治郎に関する史料を調

査・提供いただいた同志社大学総合情報センター情報

サービス課の上田裕保氏と安藤誕氏に厚く御礼申しあ

げる。

1)同志社英文科「学籍簿」1913年。

2)『関西学院大学図書館小史』関西学院大学図書館、1990年12月。

3)『目録編成法』(図書館研究叢書第四編)間宮商店、1926年

10月。

4)全国高等諸学校図書館協議会『会報』第9号、1933年3月。

5)中島が1927(昭和2)年から1933(昭和8)年にかけて、『図

書館雑誌』に発表した論文は次のとおりである。

①「Cutter's Alfabetical Order Table と管理法に対する一考

察」第21年第4号、1927年4月。

②「分類法と件名事項の関係と辞書体目録に就いて」第21年

第5号、1927年5月。

③「田中敬氏に答ふ」第21年第6号、1927年6月。

④「翻訳書のカード記入法私案」第24年第3号、1930年3月。

⑤「分類細目と件名の関係に就いて」第24年第8号、1930年8

月。

⑥「読書法に就いて」第24年第12号、1930年12月。

⑦「誤用される分類統一論」第27年第1号、1933年1月。

6)『図書館雑誌』第21年第4号、1927年4月。

7)『満華職員録』満蒙資料協会編 1942(康徳9)年。

8)岡村敬二著『「満州国」資料集積機関概観』不二出版 2004

年6月。なお、本稿における中島の満州国での事績は、本書

に拠るものである。

9)『図書館雑誌』第37年第3号、1943年3月。

10)湯治万蔵編『建国大学年表』、1981年11月。

11)前田哲人編『間宮不二雄の印象』、1964年6月。

写真4 偽満州国民生部 (現在は吉林省化工設計研究院)長春市人民大街77号

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第7回 J.C.C. Newton賞 第7回 J.C.C. Newton賞

J.C.C.Newton賞の概要大学図書館では「知的交流・創造の場としての大学

図書館」の理念に基づき、2000年度にJ.C.C.Newton賞を創設した。賞の名称は初代図書館長J.C.C.Newton博士にちなんで命名されたものである。第7回目の2006年度は本学図書館カードを有する者

で、大学・大学院、高等部、中学部の学生・生徒、卒業生及び一般公開利用者を対象として「楽」をテーマに論文、エッセイ、創作などさまざまな形式の作品を募集した。応募作品は、学部学生18点、大学院生5点、高等部生

3点、中学部生4点、大学院研究員1点、科目等履修生2点、一般利用者1点の計34点で、論文・提言1点、エッセイ15点、ノンジャンル(創作)18点と多彩な内容であった。図書館内での第1次、第2次審査を経て、12月15日、

平松一夫学長、福岡忠雄文学部教授、成田靜香文学部教授、奥野卓司社会学部教授、古森勲広報室長、井上智大学図書館長による最終審査が行われた。結果は、残念ながら今年度は最優秀賞の該当者は無

しであったが、優秀賞に3点が選ばれた。表彰式は1月29日関西学院会館「輝の間」にて行われ、賞状と副賞が贈られた。受賞作品は大学図書館ホームページ(http://library.kwansei.ac.jp)に全文を掲載している。

審査委員(職名は2006年度のもの)平松一夫(ひらまつ・かずお) 学長、商学部教授

福岡忠雄(ふくおか・ただお) 文学部教授

成田靜香(なりた・しずか) 文学部教授

奥野卓司(おくの・たくじ) 社会学部教授

古森 勲(ふるもり・いさお) 広報室長

井上 智(いのうえ・たくとし)大学図書館長、経済学部教授

24

No.77

2006年度募集要領 ■テーマ  「楽(らく)(がく)」  「楽器」「気楽」「快楽」「力を抜く」「楽市楽座」など「楽」から連想される題材を自由に選び、本格的な学術論文、新鮮な感覚にあふれるエッセイ、既成概念にとらわれないノンジャンル作品などを募集します。 ■応募規定  ①様 式 論文、エッセイなど形式は自由  ②文字数 日本語5,000~6,000字  ③1人1作品  ④提出物 A4サイズ40字×40行に印刷したもの ⑤図書館カードあるいは関学カードに記載の氏名で応募すること

■応募資格 次のいずれかに該当する者。ただし、本学教職員および本学関連団体職員は除く。 ①本学図書館カードを有する者(卒業生、一般公開利用者等を含む) ②同窓会発行の「関学カード」会員。なお、家族カード(配偶者)会員は同窓生の場合に限る。

■募集期間  2006年9月25日(月)~11月9日(木) ■表 彰  最優秀賞 1名 賞状ならびに副賞(20万円)  優秀賞  2名 賞状ならびに副賞(5万円)  最優秀賞作品は大学図書館報「時計台」及びホームぺージに、優秀賞作品はホームページに掲載します。

後列左から 御厨正博 大学図書館副館長・理工学部教授、奥野卓司 社会学部教授、福岡忠雄 文学部教授、平松一夫 学長・商学部教授、井上 智 大学図書館長・経済学部教授、成田靜香 文学部教授、柳屋孝安 大学図書館副館長・法学部教授

前列左から 平 英司 言語コミュニケーション文化研究科博士課程前期課程2年、稲津 秀樹 社会学研究科博士課程前期課程1年、川村里奈 啓明学院中学校3年

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 今回の受賞、誠に嬉しく思います。私は、この「マダン」という在日コリアンを中心としたまつりに、学部時代からボランティアとして関わってきました。このまつりの歴史やそれを巡る社会状況を研究しているのですが、本論執筆を通じ、修論へ向けたいいステップを踏むことができました。このような機会を下さった関係者の皆様に、厚く御礼申し上げます。みなさま、ぜひお近くで開催されている「マダン」にお足を運んでみてください!

 稲津 秀樹  まさか賞を頂けるとは思わなかったので、強い喜びと一緒に驚きも混じった気持ちです。  作品には中学校やバレエなど、自分に関わることを主人公にも関係させたので書きやすかったです。最近特に深刻ないじめの問題について、これを機にもう一度考えたいと思いました。  今回の受賞は、私にとって重要なものになると思います。この賞を励みに、より文章を書く能力を高めたいと思います。また、このような応募の機会があれば、これからもチャレンジしていきたいと思います。

啓明学院中学校3年 川村 里奈  このたびはこのような賞をいただき、大変うれしく思っております。以前から、デフジョークに興味をもち、収集したり自分なりにそれらについて考えたりしてきましたが、ジョークというジャンルを論文にする術も持っていなければ、どこでどう発表すればよいものか全く検討もつかず、半ば自己満足の世界にとどめようとしていました。しかし、たまたま受けた授業で森本達夫先生がデフジョークについて評価してくださり、自分が考えてきた事の証を残しておきたいと考えていた矢先、今回の募集を目にした次第です。

 平  英司

在日韓国・朝鮮人運動の   カルチュラル・ターン

スワニルダの笑顔 ろうのすずめは   聴者に何を語るか?

優秀賞

受賞者の声 (学部・学年等は2006年度のもの)

優秀賞 優秀賞

言語コミュニケーション文化研究科 博士課程前期課程2年

社会学研究科 博士課程前期課程1年

本賞も2006年度で第7回を迎えた。今回の受賞作は、昨年の12月15日に行われた最終審査において優秀賞3作品に決定した。今回の応募作品数は34作品と、前回(36作品)並みとなり、本賞が恒例行事として受け入れられつつあるとの感もあり安堵している。応募作すべての講評は紙面の関係でお許し願いたいが、全体としてみるとエッセイや論文よりもフィクション等のノンジャンルの作品が多かった。「楽(らく)(がく)」という今回のテーマが感性に絡む抽象性の高いテーマであったことによるとも思われる。また、「楽」そのものよりその対極にある「苦」や「苦悩」を取り上げ、作者自身の心情を吐露するタイプの作品が目立った。審査は、例年どおり、図書館職員、副館長による1次と2次の審査をクリアーした作品を、最終審査に推薦する手順で行われた。1次と2次の審査では、各作品の作者を匿名化したうえで、1作品について、世代や出身学部等にバラエティーのある男女14、5名が丹念に目を通し、9作品を最終審査に推薦した。審査においては、テーマ設定、テーマと内容との整合性、表現力、内容の深まりあたりで、各作品に対する総合評価に差が生じることとなった。最終審査では、審査員の間で評価が割れた作品もあったが、最終的には次の3作品を優秀賞とすることに落ち着いた。また、最優秀賞の受賞は第4回(2003年度)の1作品以来途絶えていて、その可能性も前向きに検討された

が残念ながら今回も見送られた。まず、平英司さんの「ろうのすずめは聴者に何を語るか?」は、ろう者の間で楽しまれてきた「デフジョーク」のひとつとされる「すずめジョーク」について、そのバリエーションの変化を分析し、ろう者の置かれた社会状況とそれを映すろう者の価値観の変化を説き示そうとした作品である。題材がユニークなうえ文章が巧みで受賞作に選ばれた。稲津秀樹さんの「在日韓国・朝鮮人運動のカルチュラル・ターン」は、在日韓国・朝鮮人によって日本各地で催されている「民族祭り」の先駆けとなった「生野民族文化祭」を取り上げた作品。「生野民族文化祭」が、その持つ「楽しさ」を通じて、分断された民族を組織レベルではなく民衆レベルで結びつける紐帯となり、また日本社会から受ける差別への対抗運動としての役割を担ってきたことを、写真や地図等を交えつつ明らかにしようとしている。重いテーマに「楽」を結びつけた着想力と展開力が評価された。川村里奈さんの「スワニルダの笑顔」は、クラシックバレエ歴が長いというほかは平凡な中3の女生徒がクラスでいじめを受けて不登校となるが、バレエ教室で出会った同級の転校生の友情に触れて、力強く学校に復帰するまでの女生徒の心の成長を綴った作品。文章が素直で女生徒の心情が無理なく伝わってくることが評価された。2007年度・第8回のテーマは「極」に決まっている。今回同様に力作を期待している。また、再挑戦も大いに歓迎したい。

25

No.77

審査委員講評

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1.神戸三田キャンパス図書室の誕生

1995年4月、関西学院大学では8番目の学部となる総

合政策学部が、「自然と人間の共生、人間と人間の共生」

を教育理念に掲げ、神戸三田キャンパスに誕生した。

同時に、Ⅱ号館に教育・研究をサポートすることを

目的とした、約1,300㎡の神戸三田キャンパス図書室が

開設された。

この図書室の大きな特徴として次の2点が挙げられる。

第1に、これまでの関西学院大学の図書館にはなかっ

たメディアフォーラムが併設されたことである。メデ

ィアフォーラムには、当時最新の視聴覚機器のほかに

パソコンなどの情報機器を配備し、自分自身でマルチ

メディアを利用してレポートを作成できるスペースが

設けられた。

第2に、総合政策学部には学部図書室は設置せず、神

戸三田キャンパス図書室がその機能を担うこととなっ

たことである。総合政策学部開設当初より教職員との

連携のもと図書室の蔵書充実を図ってきた。また、英

語授業において学生の英語プレゼンテーションを撮影

したビデオを教材として図書室に設置し、学生に利用

させる方法も取り入れられた。学生は英語プレゼンテ

ーションをするために、図書室で所蔵する図書をはじ

め、雑誌、白書、年鑑、辞典、新聞などを駆使し発表

内容を練り、終了後の自分たちのプレゼンテーション

ビデオをメディアフォーラムで確認し、パソコンでレ

ポートを作成するといった、新たな学習のスタイルも

構築されていった。

そして開設当初より、多くの学生がメディアフォー

ラムに集まり、連日閉館間際まで各自のスタイルで学

習する光景が繰り広げられてきた。

2.図書室から図書メディア館へ

2001年10月、理学部が神戸三田キャンパスに移転し2

学部体制となった。

2002年4月からは理学部に従来の物理学科、化学科に

加え、生命科学科、情報科学科が開設され名称が理工

学部に変更された。同時に、総合政策学部も総合政策

学科に加え、新たにメディア情報学科が開設されるこ

ととなった。

以前神戸三田キャンパス図書室のあったⅡ号館(総

合政策学部棟)と、新たに建設されたⅣ号館(現理工

学部棟)の中間にⅢ号館が建設され、1階全面および2

階の約半分に当たる部分に、約3,000㎡の神戸三田キャ

ンパス図書メディア館が誕生した。総合政策学部同様、

それまでの理学部図書室の機能も図書メディア館に集

約し、その役割を担うこととなった。

新しい図書メディア館は面積が拡張されたことだけ

でなく、学習・研究の場として効率的に利用できるよ

う、またより学術資料との接近が図れるよう、従来に

比べ大学図書館分室部分とメディアフォーラム部分を

機能的に融合した形で構成されている。

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No.77

神戸三田キャンパス図書メディア館 中谷 良規

神戸三田キャンパス図書メディア館~メディアフォーラムの活用~

開設当初のメディアフォーラムの風景

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当時総合政策学部長の故安保則夫教授は、神戸三田

キャンパスにおける図書メディア館について、「私が目

指している図書館は、あえて逆説的にいえば、にぎや

かに情報交換しあってブリーフィングできるような図

書館です。(~中略~)開架式図書館で本を探し出し、

インターネットで検索して資料をテーブルに集め、み

んなで寄り集まってわいわい議論して、それぞれ資料

を持ち帰って勉強するときはEメールで意見を交換しあ

い、また翌日集まるというようなものです。(~中略~)

教室と図書館と家庭とフィールドワークが全部結びつ

いてくるようなクロスボーダーな世界です。(KG

TODAY No.217より抜粋)」と語り、先生の目指されて

いたそのクロスボーダーな世界を構築すべく、図書メ

ディア館では新たな試みに取り組んできた。

現在では理工学部と総合政策学部の学生それぞれが

クロスボーダーで学習し、当時の思いはこの図書メデ

ィア館で実現されている。

また、近年急速に普及しているオンラインデータベ

ースや電子ジャーナルは学生の学習・研究活動に大き

く貢献しており、速報性・利便性の観点からもその重

要性は高まっている。

これらの検索機能の充実に伴い、学生の学術資料収

集の方法や学習スタイルに大きな変化が見られる。レ

ファレンスカウンターの前に広がるメディアフォーラ

ムでは、学生たちがパソコンでインターネットやオン

ラインデータベースなどを使って情報検索しながら、

意見を交わしている姿をよく見かける。そこでうまく

データ検索ができなければ、レファレンス

カウンターへと相談にやってくる。このよ

うに学生の学習に取り組む姿が見えるのも

このメディアフォーラムの良いところであ

る。

新しいメディアフォーラムにはコンピュ

ータ利用相談カウンターが設置され、開館

中は専門のスタッフが常駐し、メディアフ

ォーラムに設置しているパソコンの利用相

談や周辺機器の貸出などに応じている。例

えば、フィールドワークで収集した映像や

音声をパソコンに取り込むためのマルチメディアカー

ドリーダーの貸出を行っている。さらにプレゼンテー

ションの準備で、資料等に基づくデータに加えて、そ

の取り込んだ映像・音声をPower Pointに貼り付けたい

が方法が分からないといった時には、的確なアドバイ

スをしてもらえるなど、学生にとって気軽に相談でき

る心強い味方となっている。

図書メディア館では館内全ての閲覧座席に情報コン

セントが設置されており、利用申請手続きをすれば、

使い慣れた自分のパソコンを持参し、学内LANに接続

することが可能である。利用申請をする学生は増加し

ており、自分のスタイルに応じた方法で図書メディア

館を利用している。

今後も、メディアフォーラムが学生にとって効率

的・効果的に学習できる場になるよう、利便性の向上

を図り快適な環境を提供できるよう工夫を凝らしてい

きたい。

27

No.77

現在のメディアフォーラムの風景

【図書室→図書メディア館 情報機器設置状況】

パソコン

OPAC専用端末

メディアサーバー用パソコン

VTR

LD・CD

DVD

MD

LL

36席

(8席)

10席

10席

なし

なし

5席

神戸三田キャンパス図書室 (1995年4月)

神戸三田キャンパス図書メディア館 (2006年10月)

110席

6席

3席

10席

10席

10席

3席

5席

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はじめに

大学図書館は、構成員である大学の学生・教員の学

習・研究活動への支援を行うことを役割としている。

その役割を果たすために、これまで大学図書館では収

集、整理、利用サービスの様々な角度から利用者の利

便性を向上させるための多様な取り組みがなされてき

た。本稿では、その取り組みのうち、利用者の図書館

利用にとって極めて重要な役割を果たす図書目録の品

質向上に向けての歩みを、本学が図書業務のシステム

化を開始した時点から現在に至るまでの期間について

概観するとともに、今後の課題や目録業務の進むべき

方向性についても整理してみたい。

Ⅰ.カード目録からOPACへ

本学図書館が図書業務をシステム化して18年目に入

った。図書業務のシステム化に伴い、利用者に提供す

る蔵書目録もカード目録からコンピュータで検索、利

用できるオンライン目録(以下「OPAC」と記す)へ

と変わってきた。図書業務システムの稼動と図書目録

を巡る動きは次のとおりである。

1988年 BIBLION(日立)で図書システム一部稼動(遡及データを作成し運用開始)学習用和図書の一部外注整理開始

1989年 図書システムの本番稼動1993年 OPACのテスト稼動1994年 OPACの本番稼動1995年 利用者用カード目録の凍結

(新規受入分カード目録の作成中止)1997年 現大学図書館グランドオープン

書店連携受発注システムの運用開始大学図書館ホームページ公開

1999年 BIBLION21(日立)に図書システムを変更2000年 事務用カード目録の凍結(部局分置分を除く)2002年 iLiswave(富士通)にシステムを変更

事務用カード目録の全面凍結2006年 利用者用カード目録の廃止(部局分置分を除く)

大学図書館では1994年度まで蔵書の検索手段として

カード目録(書名、著者名、分類の3種類)を提供して

いた。カード目録は、図書館員による手書き作成、LC

(米国議会図書館)等の印刷カードの活用、1989年の図

書システム本番稼動以降の目録データからカード目録

を出力する方法など、それぞれの時代に合わせた作成

方法の変遷がある。それが1994年のOPACの本番稼動

により、目録の様相が一変することになった。カード

目録からOPACに変わったことにより、利用者サイド

から見れば、図書館の蔵書を調べるために、従来は図

書館に来館しカード目録を繰って確認する必要があっ

たが、いつでも、どこからでも検索が可能となった。

また書名、著者名、分類という特定の項目からしか調

べることができなかった蔵書が、もっと多様なアクセ

スポイントから検索できるようになるなど利便性が大

幅に向上することになった。業務サイドから見れば、

カード目録の配列、メンテナンス作業などの時間と手

間が軽減され業務効率の向上にも大いに役立っている。

なお、一部のコレクションについては研究者の利用を

想定して、冊子体目録の作成を続けており、その数は

この10年間で6冊(注1)になっている。これらの冊子体目

録も図書業務のシステム化後は作成された目録データ

の抽出が可能となっており原稿作成が容易になっている。

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No.77

大学図書館運営課主任 渡部 信吾

関西学院大学図書館の図書目録品質向上への歩み~システム化開始から現在に至るまで~

大学図書館内 旧カード目録コーナー

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Ⅱ.目録データの作成状況について

OPACの導入により、様々な点で利便性が高まって

きているが、本学所蔵の図書目録データが全て整備さ

れているわけではない。ここでは、本学図書館の目録

データの作成状況について報告をしておきたい。

1. 1988年以前(図書システム導入前)に登録した

図書

図書館の創立当初から1988年までに図書館で受け入

れた図書は、約75万冊あり、このうち、約55万冊の目

録データを図書システム導入にあわせて作成した。こ

れらは一般に遡及データと呼ばれているが、既に作成

していたカード目録をもとに、外注でデータを入力し

た。ただし、本学の遡及データは、書誌のデータ項目

が本書名、著者名(複数の場合は最初の著者名)、出版

者名、出版年等限られた項目だけであり、図書館の窓

口での貸出に必要な最小限のデータを作成したにすぎ

ない。約55万冊の遡及データ作成の詳細は次のとおり

である。

①図書館配架分:貸出業務のシステム化のため、すべ

ての図書の目録データを作成した。データ項目を制

限したのは、時間、費用の面からの制約によるもの

であったが、システム導入時にはカード目録が主流

であり、OPACの導入をまだ意識していなかったこ

とも原因のひとつである。

②部局分置分:1984年~1988年に受け入れた図書につ

いては目録データを作成した。部局分置分について

は、図書館での貸出をしないため、特にデータ化す

る必要はなかったが、図書購入時の重複調査(同じ

図書を既に受け入れているかどうかの調査)をシス

テムで行うためにシステム導入5年前までの受入れ分

について目録データを作成したものである。1983年

以前の受入れ分については目録データを作成してお

らず、現在もカード目録で対応している。

2. 1989年以降に登録した図書

システム導入以降は図書館に登録したすべての図書

(部局分置分を含む)について目録の記述の精粗第2水

準レベル(標準的な書誌的事項)でのデータ作成を行

っている。

1989年以降の登録図書の冊数は2006年3月時点で約84

万冊となり、遡及データの数を大きく超えている。

Ⅲ.目録データの問題点

図書システム導入以降の目録データ作成の方法は、

図書館職員による作成と外部委託業者によるものの二

つに分けることができる。

前者は、洋図書を中心に年間約25,000冊を対象として

おり、国立情報学研究所(以下、NIIと記す)の総合目

録データベース(注2)への登録による作成と、それによら

ない自館独自の作成方式を併用している。一方後者は、

1988年に学習用図書の整理の効率化のために約4,500冊

からスタートしたが、現在では費用対効果や業者の整

理力量を勘案しながら新刊和書を中心に約25,000冊を委

託するようになっている(表1)。この外部委託によっ

て作成された目録データのうち、2001年度までの作成

分については、NIIの目録規則とは異なるTRCマークな

どの外部マーク(注3)を利用して作成されたものであり、

先の総合目録データベースへの登録を行っていない。

このように2種類の目録データ作成方式の混在によって

総体としての目録データに次に述べるような様々な問

題点を抱えることになった。

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No.77

冊子体目録 各種カード目録

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1. 遡及データの情報量と精度

図書システムの導入にあわせて作成した遡及データ

は、さきにも述べたようにデータ項目が少なく、その

精度も低いものであった。また、カード目録をもとに

作成したこともあり、次の 2. にあげた書誌レコード作

成単位の違いによる問題点も合わせ持つデータであっ

た。このため、OPACでの検索に支障をきたし、情報

量が少ないため利用者に不便をかけている。

2. 書誌レコード作成単位の違い

NIIの規則に基づくデータと外部マークによるデータ

では書誌レコードの作成単位が異なる。これらのデー

タを混在させたことや、当時の本学図書システム上の

制約もあり、大きく次の点が問題となっている。

①出版物理単位ごとの書誌データ作成

NIIでは、多巻物(上・中・下巻等)の場合、書誌

は1件で、巻冊次というデータ項目にそれぞれの物理

単位があらわされる。一方、外部マークでは出版物

理単位ごとに書誌データが作成されている。このた

め、全30巻の事典があった場合OPACで書名検索す

ると、遡及データや外部委託で作成したデータでは

同じタイトルの書誌データが30件表示される。また、

同一書誌の単行本を複数購入した場合も、購入数だ

け書誌データが表示されることになる。

②書誌単位の相違

NIIでは単行資料の固有のタイトルをタイトルとし

て扱うが、外部マークではシリーズ名をタイトルと

しているものがある。たとえば、夏目漱石全集の第1

巻として「こころ」が出版されたとき、タイトルが

「夏目漱石全集」となっている書誌データとタイトル

が「こころ」になっている書誌データが混在している。

3. 典拠コントロール(注4)

システム稼動時の事情や委託整理で外部マークを利

用していたことなどから、2002年までは典拠データの

取り込みをしていなかった。このため、リンク関係を

もたない書誌データであったが、システムの変更や、

外部委託でもNIIに登録することを原則とするようにな

ったことで、やっと典拠コントロールを始めた状態で

ある。

4. データ未作成の部局図書室分置分

1984年以前に図書館登録された部局分置図書につい

ては、遡及データの作成をしておらず、現在でもカー

ド目録で検索を行う必要がある。利用者からすれば

OPACとカード目録の双方を調べる必要があり非常に

不便な状況にある。

Ⅳ.目録データ品質向上への取り組み

これまで述べてきたように、カード目録の時代から

OPACへの移行により利用者の蔵書検索の利便性は相

当程度向上してきたと言えるが、予算、時間、システ

ムなど様々な制約から目録データの品質に不十分な点

がまだ多く残されている。図書館としては利用者にと

ってのより一層の利便性向上のために、次のような目

録データの品質向上への取り組みを継続して行っている。

1. 目録データ作成方式の変更

2種類の規則による目録データ作成の問題を解消する

ために、2002年の図書システムの更新に合わせて、外

部委託分も含めて全てNIIの目録規則によって書誌デー

タを作成するように統一するとともに、できる限り総

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No.77

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合目録データベースに登録する方式に切り替えた。

2. 遡及データの精度向上への取り組み(フルマーク化)

遡及データ約55万件の精度の低さを解消するために、

1994年から遡及データ全件を対象として目録記述の精

粗第2水準レベルへの作り変え(フルマーク化)事業を

開始した。当初は、この事業に対する意義が認められ

一定額の継続的予算措置がとられたため外部委託方式

でフルマーク化を実施した。2000年からは、図書館内

にフルマーク化にあたる専従チームを発足させ、外部

委託方式と併用で年次計画を立てて完成を急いでいる

ところである。また、2004年からは、NIIの遡及入力事

業にも応募し、外部資金の活用による目録データの再

作成にも取り組んでいる。この事業は、各大学が保有

する優れたコレクションを対象としており、これまで

特別文庫である粟野文庫、柴田文庫、梅田文庫と海道

進教授旧蔵書が採択されている。

何分膨大な目録データの再作成であり、日常の仕事

をこなしながら限られた予算と人員での作業のため完

成までに多くの時間を要するが、漸く2012年には全て

のフルマーク化が完了する見込みとなっている。

3. 書誌レコード統合計画の実施

従来の二つの目録規則併用の弊害として書誌レコー

ド作成単位の違いが問題となっているが、これを解消

するために2005年に書誌レコード統合計画を立案し実

作業を開始している。この作業の進展により、利用者

にとって見やすく、利用しやすい書誌データとなるこ

とを願っている。これまでおよそ全体の20%の処理を

終え、あと6年で統合計画が終了する予定である。

Ⅴ.おわりに

図書システム導入後から現在に至るまでの本学図書

館の目録データの状況とさらなる利便性向上のための

品質向上に向けての取り組みについて述べてきた。本

稿を終えるにあたって本学図書館の目録を中心とした

整理業務の今後のあり方について述べてみたい。

最近は、大学や公共機関にも一般企業の経営の考え

方が持ち込まれ、費用や効率の面から様々な議論や業

務の変革が行われている。図書館界でも例外ではなく、

大学図書館では外部委託やアウトソーシング、公共図

書館では指定管理者制度などの導入が盛んである。厳

しい財政状況の中で、資源の再配分をどう行うかとい

うことが重要な課題となっており、それぞれの機関の

ポリシーがあって然るべきである。このような動きの

中で、図書館の整理業務は基幹業務でないとする考え

方もあるがそれに対しては異議を唱えたい。収書、整

理、レファレンス業務は図書館の仕事の中で中核をな

すものであることは昔も今も変わらない。それぞれの

業務の知識を土台とし、有機的に繋がることによって

よりよい利用者へのサービスが可能となると思うので

ある。ある日突然に素晴らしい図書館サービスが構築

されるのではなく、よく言われるように自館の蔵書と

利用者を知るという地道な努力のないところに優れた

図書館サービスはありえないと考える。これら根幹の

業務については、それぞれの図書館で知識の継承をし

ていくことが重要である。本学図書館の整理業務では、

図書館職員による業務を基本としながら、外部委託を

バランスよく導入することが必要であると考えている。

豊かな経験と知識のある職員が、新配属職員やアルバ

イト職員を教育することにより、整理技術の維持・向

上が図られ、また知識の継承が行われている。委託業

者に対する指示・指導も十分に行われており、現時点

ではバランスのとれた業務体制がとられている。また、

2003年度からはNII主催の地域目録システム講習会を本

学で開催し、講師を担当するなど、全国レベルでの目

録データの品質向上のために、近隣図書館の職員研修

にも一役買っている。今後も現在の体制を維持するこ

とを考えているが、図書館全体から言えば、整理業務

を経験した職員が順次利用サービス業務や収書業務を

行うなど、図書館内で中核となる業務を担当すること

で個々の職員の力量を高め、学生・教員等の利用者に

信頼される図書館を築いていくことができればと考え

ている。

31

No.77

(注1)「トマス・ホッブズ著作文庫」(1997年10月刊行)

「イギリス社会政策コレクション」(1997年10月刊行)

「イギリス社会科学古典資料コレクション」(1997年10月刊行)

「スコットランド啓蒙コレクション目録」(2001年3月刊行)

「下村寅太郎蔵書目録」(2002年3月刊行)

「宗教改革・教会法コレクション目録」(2002年3月刊行)

(注2)国立情報学研究所が提供する目録システム。主に国内の

国公私立大学が参加し、各参加館作成の目録情報を一元

管理すると共に、共同で利用できる国内最大の図書目録

データベースである。

(注3)マーク(MARC)とは、Machine Readable Cataloging

(機械可読目録)のことで、米国議会図書館の作成した

LC MARCや国立国会図書館が作成したJapan MARC、

TRC(図書館流通センター)が作成したTRC MARCな

ど外部で作成されたマークのことを外部マークとよぶ。

(注4)『ALA図書館情報学辞典』(丸善, 1988)によると典拠コ

ントロールとは、書誌レコードのファイル中の標目とし

て用いられる名称、主題、統一タイトルなどの典拠形が

一貫して用いられ、維持されるようにするための方法で

ある。

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1.はじめに

図書館情報学が学問として確立されて、大学図書館

のライブラリアンが教員待遇の専門職として位置付け

られているアメリカでは、図書館業務に関する研究が

活発に展開されている。また、インターネット発祥の

地だけあって、最新のIT技術を業務やサービスに導入

することに熱心で、それらの事例も次々と報告されて

いる。そのため、日本の大学図書館関係者が何か先進

的な事例を探す際に、アメリカでの取り組みを参考に

することが多い。とりわけ、筆者はハワイ大学大学院

で図書館情報学を修めたこともあり、日頃からアメリ

カの大学図書館をめぐる動向に関心が高い。

筆者は、私立大学図書館協会国際図書館協力委員会

が2005年度に派遣した海外集合研修のメンバーとして、

イリノイ大学の図書館等で研修を受ける機会を得た。

実質4日半という短い期間ではあったが、事前にこちら

からの質問事項などの要望を積極的に呈示したおかげ

で、非常に有意義な研修となった。筆者を含む研修参

加者5名による研修報告書は、私立大学図書館協会ウェ

ブサイト内、国際図書館協力委員会のページに全文が

掲載されている1)。また、2006年9月7~8日に本学で開

催された「2006年度私立大学図書館協会総会・研究大

会」において研修成果を口頭で報告し2)、さらに、職員

研修に着目して論じた原稿が『大学図書館研究』78号

に掲載された3)。

ここでは、筆者が訪問した規模や目的が異なる下記

の3館を紹介する。● イリノイ大学図書館(University of Illinois

Library, University of Illinois at Urbana-

Champaign)● イリノイ大学グレインジャー工学図書館(Grainger

Engineering Library Information Center,

University of Illinois at Urbana-Champaign)● イリノイ・ウェズリアン大学エイムズ図書館

(Ames Library, Illinois Wesleyan University)

大学図書館であることは共通しているが、それぞれ規

模や目的に応じて独自の取り組みをしている。それら

の独自性に着目したい。

2.イリノイ大学図書館

アメリカ合衆国中西部に位置するイリノイ州にある

州立イリノイ大学は、医学部のあるシカゴ校と州都ス

プリングフィールド校、そして州中央部のアーバナと

シャンペーンの両市にまたがるアーバナ・シャンペー

ン校(UIUC)があり、UIUCが本校となっている。多

岐にわたる学問分野の学部・大学院・専門職大学院が

あり、学部生約3万人、院生約1万1千人、教員・研究

者・専門職員・補助スタッフなど約1万人が在籍してい

る。UIUCは州立大のトップクラスにあり、特に自然科

学、工学の分野で名高く、ノーベル賞受賞者も輩出し

ている。このような大規模かつレベルの高い大学コミ

ュニティの教育・研究をサポートする役割をイリノイ

大学図書館が担っている。

2.1 図書館概要

イリノイ大学図書館の蔵書数は1千万点超で、全米で

はハーバード大、イェール大に次ぐ第3位の大規模大学

図書館である。イリノイ大学図書館という名の下に、9

つのディビジョンがあり、それぞれに3~7の部門別図

書館が含まれているため、厳密に言えば図書館の中枢

機能とUIUCキャンパス内に点在する約40の部門別図書

32

No.77

大学図書館利用サービス課主任 魚住 英子

アメリカ大学図書館の最新事情―イリノイ大学図書館などの事例報告―

イリノイ大学図書館外観

Page 35: 関西学院大学図書館報 『時計台』 · れてきました。時計台が、中央芝生に面した上ケ原キャンパスの中心に配置されている ... 今年は、西宮上ケ原キャンパスの新大学図書館が建設されて10周年の年にあたります。

館を包括した巨大な組織なのである。

図書館全体で、館長と3人の副館長を含むライブラリ

アン(教員待遇の専門職)が約130名、その下で定型業

務を担当する学部卒レベルの補助スタッフ約250名、ク

ラーク約20名が勤務している。以上が常勤のスタッフ

で、それ以外に図書館情報学専攻の大学院生など約100

名を院生アシスタントとして活用し、図書資料の戻し

配架などを担当する学部生アルバイト約500名を雇用し

ている。

なお、日本の大学図書館界では、経費削減のために

業務のアウトソーシングや人材派遣を導入する傾向に

あるが、イリノイ大学図書館では、雑誌の製本やマイ

クロフィルムの作成を除いて一切外注していない。流

用目録データ作成や貸出・返却などの定型業務であっ

ても、すべて自前のスタッフおよび大学院生アシスタ

ントを活用して処理している。

2.2 オンライン・レファレンスなどの非来館型サ

ービスの充実

イリノイ大学図書館では、非来館型サービスの導入

に積極的に取り組んでいる。契約している数々の電子

ジャーナルやデータベースなどへのアクセスは、すべ

て大学のLANを通じて学内全体に提供されている。ま

た、貸出期限の更新や予約、購入希望の提出、相互利

用の申込、図書館主催の講習会やワークショップへの

参加申込などの個人を対象とした各種サービスもウェ

ブサイト“Library Gateway”4)を通して受けることが

できる。

その“Library Gateway”のトップページはもちろん、

ウェブサイト内のいろいろなページやOPACの画面に

も、“Ask a Librarian”というリンクが表示されている。

そこでは、レファレンス・ライブラリーが提供してい

る下記のレファレンスの手段の説明と利用方法が紹介

されていて、利用者は好む手段で問い合わせをするこ

とができる5)。

①インスタント・メッセージ(中央図書館か学部図

書館)

②チャット

③E-mail

④電話(中央図書館か学部図書館)

⑤来館(中央図書館インフォメーションデスクか学

部図書館レファレンスデスク)

この内、②はオンラインでの“real-time reference”

で、画期的な試みである。その導入を検討するにあた

り、レファレンス・ライブラリアンたちは2001年春に

12週間のパイロットスタディを実施して、利用の傾向

や利用者の反応を見た。その結果、利用者はチャット

の操作性や得られた回答に概ね満足し、このようなヴ

ァーチャルなレファレンスサービスを強く歓迎する傾

向を示した6)。その後、①の機能も追加されて、今やイ

リノイ大学図書館で受けるレファレンスは、来館より

もオンライン経由が多くなり、中央図書館のレファレ

ンスデスクは閉鎖されて、インフォメーションデスク

に統合されている7)。このように、レファレンスサービ

スも伝統的な来館型からオンライン経由の非来館型に

移行している。なお、この傾向は研究支援の大学図書

館でよく見られる8)。

2.3 イリノイ大学図書館が直面する課題

研修中に図書館長をはじめ、2人の副館長など何人か

のライブラリアンから説明を聞き、質問をする機会に

恵まれて、イリノイ大学図書館が直面する課題も知っ

た。それらの課題は、洋の東西や規模の大小を問わず、

どこの大学図書館も共通していて、実際、関西学院大

学図書館の抱える課題と同じものがあった。

まず、予算が増加しない現状において、資料費とり

わけ雑誌購読料の高騰、電子資料費の増大などへの対

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No.77

イリノイ大学図書館インフォメーションデスク

ここにレファレンス担当の院生アシスタントが開館時間に勤務して、来館利用者からの問い合わせだけでなく、電話、インスタントメッセージなどを経由した質問にも対応している。

イリノイ大学アジア図書館における書架狭隘化の現状

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処が挙げられていた。財源は非常に厳しく、州からの

予算はむしろ削減されているため、イリノイ大学図書

館独自で外部資金の獲得を図ったり、寄付金を集めた

りという努力が積極的に行われているようである。

次に、書架狭隘化問題がある。州立大の図書館とい

うことで、その蔵書はすべて登録され、州の資産とし

て管理される。よって、除籍は一切できず、年々資料

は増え続ける一方で、書架に入りきらない図書・資料

が床に平積みされている様子を見学した。イリノイ大

学図書館では、数年前に自動化された保存書庫を建設

し、現在も資料移動のプロジェクトが進行中である。

今後の大学図書館のサービスは、ハード面よりも情

報へのアクセスを保障し、サポートすることがより重

視されるとのイリノイ大学図書館の先行事例を見て感

じた。

3.イリノイ大学グレインジャー工学図書館

イリノイ大学図書館という大きな組織の中に、専門

分野に特化した部門図書館があると既に書いたが、グ

レインジャー工学図書館はその代表的なものである。

単に学部の図書館に過ぎないのだが、実物は関西学院

大学図書館よりも巨大な建物で、1994年にグレインジ

ャー財団からの寄付金1870万ドルを元に、周辺の工学

部関係の敷地(Engineering Quad)整備等のためにイ

リノイ州から750万ドルを提供されるなど、全体として

約2700万ドルを超える壮大なプロジェクトで建設され

た。サービス対象となるイリノイ大学工学部には、学

生(学部・院)約1万人、教員・研究者約600名が在籍

している。

この図書館の特徴としては、電子媒体資料へのアク

セス整備とラーニング・コモン機能の重視が挙げられる。

3.1 電子媒体資料へのアクセス整備

工学という

学問分野にお

いては、日々

刻々と最新研

究が専門ジャ

ーナルに掲載

されるため、

図書よりも雑

誌が重視され

る。しかも、

昨今は冊子よ

りも電子ジャ

ーナルへのニ

ーズが高まっ

ている。グレ

インジャー工

学図書館では、予算の80%以上が雑誌購読に充てられ、

しかも雑誌費高騰のあおりで冊子購読は中止して、電

子版のみにシフトしている。

そこで、索引などの二次情報を検索して、フルテキ

ストなどの一次情報がスムーズに得られるように、ま

たキーワードで複数のデータベースやジャーナルファ

インダーを横断検索できるように、さまざまなシステ

ム上の工夫がされている9)。これらのシステムの開発に

あたっては、外部からの補助金や寄付金を獲得し、館

内のラボで専属の研究員たちが日々研究を重ねている。

3.2 ラーニング・コモン機能を提供する図書館

工学分野での文献がほとんど電子ジャーナルで得ら

れるのなら、物理的な図書館の需要は低くなる。しか

し、筆者たちが見学した時には、グレインジャー工学

図書館は多くの学生たちで賑わっていた。それは、こ

の図書館が資料の閲覧や貸出だけでなく、学習の場と

しての「ラーニング・コモン(Learning Commons)」

機能を重視していることにある。

広い館内には、実に多くのグループ閲覧室、研究個

室、セミナールーム、コンピュータラボがあり、閲覧

座席もキャレルタイプやソファーなど多様なタイプが

設置されていて、利用者に開放されている。学部レベ

ルの工学の授業では、グループプロジェクトが多いら

しく、図書館の施設と、提供されている資料、ソフト

ウェア、情報がよく利用されている。また、館内はす

べて無線LAN対応なので、あちこちで個人のラップト

ップパソコンを開いている学生の姿が見られた。

通常の授業時の平日は午前3時まで、試験期は24時間

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No.77

グレインジャー工学図書館の閲覧席

持ち込みパソコンの利用と、フタ付き容器に入った飲み物の持ち込みは許可されている。

グレインジャー工学図書館外観

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開館しているグレインジャー工学図書館は、ほとんど

が学生寮か近隣のアパートに住む学部生や院生の勉学

の場として機能しているのである。

4.イリノイ・ウェズリアン大学エイムズ図書館

イリノイ・ウェズリアン大学は、メソヂスト教会指

導者たちが1850年に創設した私立大学で、リベラル・

アーツ、芸術、看護の3学部だけの学部生のみ約2100名

が在籍する小規模校である10)。学内で唯一の図書館であ

るエイムズ図書館は、2002年1月に開館した新しい図書

館で、現在約40万冊の蔵書がある。

このエイムズ図書館は、大規模研究図書館であるイ

リノイ大学図書館とは対照的で、大学における研究や

教育のサポートという目的は同じであっても、コンセ

プトやサービスにおいて随分異なる印象を受けた。そ

のユニークなサービスをいくつか紹介したい。

4.1 利用者に心地よい居住空間

エイムズ図書館の第一印象は「図書館らしくない」

だった。もちろん書架やカウンター、コンピュータ端

末など図書館必需の設備が配置されているのだが、実

に贅沢に空間を利用したレイアウトで、まるでホテル

のロビーのようだった。館内の各所にある閲覧席には

ソファーやロッキングチェアが備え付けられていて、

最上階にあるBates & Mervin Reading Roomというセ

クションは個人の書斎のようなゴージャスな空間とな

っていた。

また、グループでの学習に適したグループ閲覧室が

大小16室、パソコンやプロジェクターも備えた部屋が3

室あり、ノートパソコン(無線LAN対応)を持ち込ん

で共同作業している様子をガラス越しに見学した。

このように長時間滞在して(授業期間中の月~金、

日曜日は深夜1時半まで開館)勉学に勤しめるような心

地よい空間を提供するだけでなく、驚くことにこのエ

イムズ図書館ではスナック程度なら飲食が可能で、館

内にはドリンクやスナック菓子の自動販売機まで備え

られていた。

4.2 学生に密着した図書館サービス

エイムズ図書館では、学生の図書館利用を推進する

ために、とりわけ授業と密接に関連した図書館サービ

スの提供を目指している。学部生しか在籍していない

ため、図書館の目的は研究支援よりも教育支援を重視

していることと関連が深い。

まずは、特定の講義内容に関わる講習会を館内で開

催していることが挙げられる。26台のコンピュータを

備えたInstruction Labでライブラリアンが講義内容に

密着したデータベースの利用方法などを指導していて、

教員に重要性が認められている。

次に、コース・リザーブ(講義に関連する文献等を

担当教員が指定する制度)へのきめ細かい対応がある。

リザーブには、Electronic Reserve Collectionと

Traditional Reserve Collectionの2種類がある。前者は、

教員が指定した文献などをデジタル化し、インターネ

ット上で学生が自由にアクセスしてダウンロードでき

るもので、後者は、物理的に本や論文のコピー、視聴

覚資料を貸出カウンターに取り置きして、2時間という

時間貸し(資料によっては1夜貸し)で対応している。

各セメスターでかなり多くの文献がリザーブされると

のことである。

さらに、レファレンス・カウンターにライブラリア

ンが常駐して、課題に取り組む学生からの個別質問に

対応している。ここではイリノイ大学図書館のように

バーチャル・レファレンスは実施していない。その理

由としては、それに対応できるだけの図書館側の人的

余裕がないことと、小規模大学ゆえにサービス対象の

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No.77

エイムズ図書館外観

エイムズ図書館閲覧室

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学生の数が限られているために面と向かっての対応を

重視していることを挙げられた。伝統的な来館型レフ

ァレンスこそ、イリノイ・ウェズリアン大学では学生

に密着した図書館サービスと位置付けている。

4.3 ユニークな資料の配架方法

エイムズ図書館では、資料の配架においてもユニー

クな試みが見られた。

大学図書館には、図書だけでなく、雑誌や視聴覚資

料、マイクロ資料もあり、関西学院大学図書館をはじ

めほとんどの図書館では、資料種別ごとに配架場所や

配架ルールを分けて対応している。ところが、エイム

ズ図書館では、資料種別を問わず主題に応じた分類記

号を付与して、その順で配架していた。つまり、同じ

主題であれば、図書の隣に製本雑誌があり、さらにビ

デオテープとマイクロフィルムが並んでいることが珍

しくないのである。

また、入口近くに新着図書コーナーがあり、そこで

はカバーがついたまま、表紙がよく見えるように斜め

置きで図書が展示されていた。まるで書店の新刊ディ

スプレーのようで、非常に人目を引くように工夫され

ていた。案内してくださった副館長によると、カバー

はデザインが凝っていて学生たちの関心を喚起する効

果があり、このような新着展示によって利用を促進し

ているとのことである。

小規模大学の図書館として、限られた数のスタッフ

が、居心地の良い図書館空間を構築して、学生へのき

め細かいサービスを提供している様子が伺えた。これ

も米国大学図書館のひとつの事例であると言えよう。

5.おわりに

「アメリカの大学図書館の現状を知る」という目的

でのわずか4日半の研修ではあったが、大規模大学図書

館と小規模図書館、中央図書館と専門分野図書館とい

う対照的な3館を見学し、説明を聞き、担当者とディス

カッションしたことは貴重な経験だった。その経験を

文章や口頭で発表する機会が多数あったことも、研修

の大きな成果だったと評価している。3館だけでは「現

状を知る」にはほど遠いかもしれない。さらに、この3

館が先行事例であるとは限らない。しかし、各館にお

ける図書館サービスへの取り組みの姿勢―自館の利用

者にとって最適なサービスとは何かを常に考えている

―ことに大変刺激を受けた。

最後になったが、業務多忙な時期に筆者を1週間送り

出してくださった関西学院大学図書館関係者に御礼申

し上げたい。

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No.77

館内にあるスナック類などの自動販売機

1)“私立大学図書館協会国際図書館協力委員会 2005年度海外集合研修報告書”.(オンライン),入手先〈http://www.jaspul.org/kokusai-cilc/shugo_report2005.pdf〉,(参照2006-12-18).

2)魚住英子ほか「2005年度海外集合研修報告」『私立大学図書館協会会報』24, 2007年, p.124-131.

3)魚住英子、小島勢子「2005年度私立大学図書館協会海外集合研修報告―イリノイ大学図書館における職員研修を中心に―」『大学図書館研究』78, 2006年, p.53-64.

4)University of Illinois at Urbana-Champaign. “LibraryGateway”(online), available from〈http://www.library.uiuc.edu/〉, (accessed 2006-12-18).

5)University Library. “Ask A Librarian”(online), availablefrom 〈http://www.library.uiuc.edu/askus/〉, (accessed2006-12-18).

6)Kibbee, Jo, David Ward, and Wei Ma. “Virtual service,real data: results of a pilot study.” Reference ServicesReview. 30(1), 2002, p.25-36.

7)魚住英子「レファレンスデスクからバーチャルレファレンスへ―イリノイ大学図書館におけるレファレンスサービス―」『同志社大学図書館学年報』32, 2006年, p20-34.にてレファレンスデスク閉鎖のいきさつなどを詳しく報告している。

8)Francoeur, Stephen.“An analytical survey of chatreference services.” Reference Services Review, 29(3),2001, p.189-203.

9)“Grainger Engineering Library”. (online), available from〈http://search.grainger.uiuc.edu/top/〉, (accessed 2006-12-18) のトップページで、さまざまな検索オプションが提供されている。

10)“Illinois Wesleyan University”. (online) available from〈http://www2.iwu.edu/home.shtml〉,(accessed 2006-12-18) ユニークな新刊図書展示

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関西学院大学図書館報『時計台』No. 77

2007年4月1日発行

編集・発行 関西学院大学図書館

〒662-8501 兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155 TEL(0798)54-6121

http://library.kwansei.ac.jp/ (ホームページ掲載)

デザイン・印刷 兵田印刷工芸株式会社

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表紙解説表表紙:井原西鶴著『世間胸算用』

巻一より。

裏表紙:井原西鶴著『世間胸算用』

巻一・巻ニより。

関西学院大学図書館報『時計台』