高架貨物鉄道を遊歩道として再生させた ニューヨーク・ハイ...

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研究員の視点 ハイラインとは ハイラインは、ニューヨーク・マンハッタ ンの 10 丁目付近から 34 丁目付近までを貫 く全長2km ほどの遊歩道(公園)である。 1980 年まで一級鉄道である CSX が営業 していた高架貨物鉄道を再生させ、2009 年 6 月に第 1 期区間が誕生し、当時、日本で も大きな話題となった。 しかし、その運営形態や経済効果について 紹介される機会は限られることから、本稿で は、その概要を整理しつつ、ハイラインが ニューヨーク市民に受け入れられた要因につ いて考えてみたい。 建設は市主導、運営は NPO が担当 ハイラインは、ニューヨーク市が所有し、 遊歩道化に伴う建設費用も負担した一方、維 持・運営とそれに必要な費用の負担は NPO であるフレンズ・オブ・ハイライン(FHL) が行っている。 ニューヨーク経済開発公社(NYCEDC)まとめによれば、現在までの開業区間(第 3 期区間の一部まで)の総工費は、約 1 億 8730 万ドルで、このうち 7 割弱を市、2 割を市 民やディベロッパーなどの民間企業、1 割を 連邦政府などが拠出した。 一方、運営主体である FHL は、現在 100 〔研究員の視点〕 高架貨物鉄道を遊歩道として再生させた ニューヨーク・ハイラインの今 運輸調査局主任研究員 渡邉 亮 ※本記事は、『交通新聞』に執筆したものを転載いたしました 開園から8年経っても賑わうハイライン

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Page 1: 高架貨物鉄道を遊歩道として再生させた ニューヨーク・ハイ ...2558室の住居、1000室のホテル、13万 平方メートルのオフィスなどからなる29の

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研究員の視点

ハイラインとは ハイラインは、ニューヨーク・マンハッタンの 10丁目付近から 34丁目付近までを貫く全長2kmほどの遊歩道(公園)である。 1980 年まで一級鉄道であるCSXが営業していた高架貨物鉄道を再生させ、2009年6 月に第 1期区間が誕生し、当時、日本でも大きな話題となった。 しかし、その運営形態や経済効果について紹介される機会は限られることから、本稿では、その概要を整理しつつ、ハイラインがニューヨーク市民に受け入れられた要因について考えてみたい。

建設は市主導、運営はNPOが担当 ハイラインは、ニューヨーク市が所有し、遊歩道化に伴う建設費用も負担した一方、維持・運営とそれに必要な費用の負担はNPOであるフレンズ・オブ・ハイライン(FHL)

が行っている。 ニューヨーク経済開発公社(NYCEDC)のまとめによれば、現在までの開業区間(第3期区間の一部まで)の総工費は、約1億 8730万ドルで、このうち 7割弱を市、2割を市民やディベロッパーなどの民間企業、1割を連邦政府などが拠出した。 一方、運営主体である FHLは、現在 100

〔研究員の視点〕

高架貨物鉄道を遊歩道として再生させたニューヨーク・ハイラインの今

運輸調査局主任研究員 渡邉 亮※本記事は、『交通新聞』に執筆したものを転載いたしました

開園から8年経っても賑わうハイライン

Page 2: 高架貨物鉄道を遊歩道として再生させた ニューヨーク・ハイ ...2558室の住居、1000室のホテル、13万 平方メートルのオフィスなどからなる29の

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研究員の視点

名近いスタッフを抱え、ボランティアも多く活動に参加している。 全米のNPO等の独立系評価機関であるチャリティ・ナビゲーターによると、FHLの 2014 年度の総収入約 1896 万ドルのうち、7割弱を民間などからの寄付で賄う一方、政府からの補助金は 6万 2800 ドルに過ぎない。

ハイラインの経済効果 ハイラインから周囲を見渡すと、貨物鉄道の沿線らしく歴史を感じさせる土色やレンガ色の工場やオフィスが数多く目に入る。ただ、そんな中にも、白や黒を基調とした目新しくおしゃれなレストランや商店、マンションなどが建ち並び、ハイラインの整備が街の景色を変えたことが実感できる。 ハイラインの整備にあたっては、土地の用途転換や空中権の売却を認めたことで、周辺の開発が大きく促進された。 2011 年にニューヨーク市が実施した調査によれば、開園からの 5年間に限っても、2558 室の住居、1000 室のホテル、13万平方メートルのオフィスなどからなる29のプロジェクトが実施・計画され、20億ドルの民間投資と 1万 2000 人の雇用が新たに創出された。 また、地価上昇に伴い、固定資産税が2010 年だけで 1億ドル増加したという試算もあり、費用対効果に対する評価は概ね高い。

今も賑わいを保つハイライン 開園から 8年が経ったハイラインであるが、未だ市民の間で人気は高い。遊歩道はメンテナンスが行き届き、緑があふれ、朝から

晩まで多くの利用者で賑わっている。 地上からの入口には、週替わりでイベントを告知するポスターが掲示され、頻繁に開催されるイベントは、賑わいを生むだけでなく、参加者、企画者、そして住民のハイラインに対する強い意識づけにもなっている。 それでは、なぜハイラインはニューヨーク市民にこれほどまでに受け入れられたのだろうか。

歴史を生かしつつ現代のニーズに応えたハイライン ハイラインを実際に歩いてみると、所々に鉄道の歴史を紹介する案内板が設置され、かつての鉄道の存在や街に果たした役割を今に伝えると同時に、レールやそれを生かしたベンチが設置され、新たな街並みの一つとし

今週のイベントを告知するポスター

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研究員の視点

て、周囲に違和感なく溶け込んでいる。 一方、日本ではどうだろうか。日本にも廃線敷などを活用し、遊歩道や自転車道を整備した事例は少なくない。しかし、多くは単に鉄道があったことを示す看板を設置しただけの居心地がよくない空間か、居心地が良くても鉄道があったことを意識できない空間であり、歴史を生かしつつ、現代のニーズに応える手立てを具体的に講じた事例はまれであろう。

作るのは道ではなく賑わい また、日本の場合、遊歩道などの多くは整備すること自体が目的となり、それを継続的に活用しようという視点は欠けていることが多いように感じる。 回遊性を高める目的で整備された自由通路なども公共性が重視されるあまり、賑わいを生む空間として活用しようという機運は乏しい。 しかし、ハイラインの場合、設計段階から多くの人が集い、様々な活動をできるようにすることが重視され、そのためのスペースが確保された。 そして実際に、様々な人が積極的かつ能動的に関与したことで、街や地域の活性化を実現した。

生かすべきは地域のレガシー どの街にも、その街の歴史があり、(小さなものかもしれないが)それを体現するレガシーがある。そこで暮らす人々は、そのレガシー

が持つ価値が認められれば、自信となり、地域への愛着も増すだろう。 そうなれば、さらにそのレガシーの価値を磨き上げ、未来へ引き継ごうという意識が高まるはずであり、それが地域の持続的な発展に繋がるのではないだろうか。 それは決して大げさなことではない。ハイラインも始まりは「高架鉄道の撤去は忍びない」と考えた沿線住民 2人が活動を始めたことがきっかけであった。 それが、徐々に市民の賛同を獲得し、企業からの多額の寄付の申し出など、大きなうねりとなり、開園に繋がったのである。きっかけは本当に些細なことなのである。

High の次は Low ニューヨークでは、ハイラインの成功をきっかけに次の展開を目指す動きがある。 それが、ロウラインである。これは、マンハッタンのウイリアムスバーグ・トローリー・ターミナル(路面電車の終端駅)跡地を活用し、地下空間にハイラインと同じような賑わいを作ろうという取り組みで、2020年の開業を目指している。 ロウラインの建設予定地は、ニューヨーク市交通局(MTA)の保有であり、現時点でMTAはこの計画を承認していない。しかし、住民などの取り組みが先行しており、クラウドファンディングでは既に40万ドル近い寄付を獲得し、現地ではパビリオンが建設された。地域に埋もれたレガシーの新たな発掘が始まっている。

Page 3: 高架貨物鉄道を遊歩道として再生させた ニューヨーク・ハイ ...2558室の住居、1000室のホテル、13万 平方メートルのオフィスなどからなる29の

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研究員の視点

名近いスタッフを抱え、ボランティアも多く活動に参加している。 全米のNPO等の独立系評価機関であるチャリティ・ナビゲーターによると、FHLの 2014 年度の総収入約 1896 万ドルのうち、7割弱を民間などからの寄付で賄う一方、政府からの補助金は 6万 2800 ドルに過ぎない。

ハイラインの経済効果 ハイラインから周囲を見渡すと、貨物鉄道の沿線らしく歴史を感じさせる土色やレンガ色の工場やオフィスが数多く目に入る。ただ、そんな中にも、白や黒を基調とした目新しくおしゃれなレストランや商店、マンションなどが建ち並び、ハイラインの整備が街の景色を変えたことが実感できる。 ハイラインの整備にあたっては、土地の用途転換や空中権の売却を認めたことで、周辺の開発が大きく促進された。 2011 年にニューヨーク市が実施した調査によれば、開園からの 5年間に限っても、2558 室の住居、1000 室のホテル、13万平方メートルのオフィスなどからなる29のプロジェクトが実施・計画され、20億ドルの民間投資と 1万 2000 人の雇用が新たに創出された。 また、地価上昇に伴い、固定資産税が2010 年だけで 1億ドル増加したという試算もあり、費用対効果に対する評価は概ね高い。

今も賑わいを保つハイライン 開園から 8年が経ったハイラインであるが、未だ市民の間で人気は高い。遊歩道はメンテナンスが行き届き、緑があふれ、朝から

晩まで多くの利用者で賑わっている。 地上からの入口には、週替わりでイベントを告知するポスターが掲示され、頻繁に開催されるイベントは、賑わいを生むだけでなく、参加者、企画者、そして住民のハイラインに対する強い意識づけにもなっている。 それでは、なぜハイラインはニューヨーク市民にこれほどまでに受け入れられたのだろうか。

歴史を生かしつつ現代のニーズに応えたハイライン ハイラインを実際に歩いてみると、所々に鉄道の歴史を紹介する案内板が設置され、かつての鉄道の存在や街に果たした役割を今に伝えると同時に、レールやそれを生かしたベンチが設置され、新たな街並みの一つとし

今週のイベントを告知するポスター

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研究員の視点

て、周囲に違和感なく溶け込んでいる。 一方、日本ではどうだろうか。日本にも廃線敷などを活用し、遊歩道や自転車道を整備した事例は少なくない。しかし、多くは単に鉄道があったことを示す看板を設置しただけの居心地がよくない空間か、居心地が良くても鉄道があったことを意識できない空間であり、歴史を生かしつつ、現代のニーズに応える手立てを具体的に講じた事例はまれであろう。

作るのは道ではなく賑わい また、日本の場合、遊歩道などの多くは整備すること自体が目的となり、それを継続的に活用しようという視点は欠けていることが多いように感じる。 回遊性を高める目的で整備された自由通路なども公共性が重視されるあまり、賑わいを生む空間として活用しようという機運は乏しい。 しかし、ハイラインの場合、設計段階から多くの人が集い、様々な活動をできるようにすることが重視され、そのためのスペースが確保された。 そして実際に、様々な人が積極的かつ能動的に関与したことで、街や地域の活性化を実現した。

生かすべきは地域のレガシー どの街にも、その街の歴史があり、(小さなものかもしれないが)それを体現するレガシーがある。そこで暮らす人々は、そのレガシー

が持つ価値が認められれば、自信となり、地域への愛着も増すだろう。 そうなれば、さらにそのレガシーの価値を磨き上げ、未来へ引き継ごうという意識が高まるはずであり、それが地域の持続的な発展に繋がるのではないだろうか。 それは決して大げさなことではない。ハイラインも始まりは「高架鉄道の撤去は忍びない」と考えた沿線住民 2人が活動を始めたことがきっかけであった。 それが、徐々に市民の賛同を獲得し、企業からの多額の寄付の申し出など、大きなうねりとなり、開園に繋がったのである。きっかけは本当に些細なことなのである。

High の次は Low ニューヨークでは、ハイラインの成功をきっかけに次の展開を目指す動きがある。 それが、ロウラインである。これは、マンハッタンのウイリアムスバーグ・トローリー・ターミナル(路面電車の終端駅)跡地を活用し、地下空間にハイラインと同じような賑わいを作ろうという取り組みで、2020年の開業を目指している。 ロウラインの建設予定地は、ニューヨーク市交通局(MTA)の保有であり、現時点でMTAはこの計画を承認していない。しかし、住民などの取り組みが先行しており、クラウドファンディングでは既に40万ドル近い寄付を獲得し、現地ではパビリオンが建設された。地域に埋もれたレガシーの新たな発掘が始まっている。