急性骨髄性白血病の 1 両側舌咽迷走神経麻痺による …...短 報...

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両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症した 急性骨髄性白血病の 1 向井 泰司 1* 作田 健一 1平野  慧 2鈴木 一史 2西脇 嘉一 2谷口  洋 1要旨:悪性腫瘍の斜台浸潤による生じた脳神経麻痺は,頭蓋内放射線照射で症状の軽減が期待でき,しっかり 鑑別をすべき病態である.急性骨髄性白血病の斜台浸潤で両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症し,頭蓋 内放射線照射で症状を軽減しえた 83 歳男性例を報告した.非常に稀ではあるが,白血病の症例において,斜台に おける腫瘤形成が要因となった脳神経麻痺が初期から出現することがある.白血病など癌の既往がある症例で, 脳神経障害を疑った場合,鑑別として斜台浸潤の可能性に留意する必要がある. (臨床神経 2020;60:504-507Key words:急性骨髄性白血病,斜台浸潤,迷走神経麻痺 はじめに 斜台における腫瘍浸潤は脳神経麻痺の原因となるが,その 際には T 1 強調像における斜台の低信号化が診断の鍵となる. 同所見は見落としやすい所見として神経放射線科の成書にも 記載されている 1.斜台浸潤の原疾患として,乳癌や肺癌, 前立腺癌が多く,白血病としては急性リンパ性白血病の 1 が報告されているのみである 2.今回,斜台浸潤による両側 舌咽迷走神経麻痺で発症した急性骨髄性白血病( acute myelogenous leukemia; AML)症例を経験したので報告する. 症例:83 歳 男性 主訴:魚などパサついた固形物が飲み込みにくい 既往歴:2013 年,肺結核と診断され,抗結核薬で完治した. 家族歴:兄が AML現病歴:2018 7 月上旬,魚などパサついた固形物の飲み 込みにくさが出現した.水分の嚥下は問題なかった.他院で 実施された血液検査で芽球を含む白血球数上昇,貧血および 血小板数低下を認め,当院腫瘍・血液内科を紹介受診した. 骨髄検査で,偽性ペルゲル核異常,脱顆粒好中球, MPO 染色 陽性の芽球を 40%認めた. FLT3/ITD 遺伝子変異は認めなかっ た.AML と診断され,同科に入院した.アザシチジン皮下注 射を開始した.治療開始後,血液データは改善傾向となった が,固形物の摂取困難感は増悪し,水分と一緒に飲み込ま ないと固形物を摂取できなくなった.そのため当科を紹介さ れた. 入院時現症:身長 162 cm,体重 58 kg,体温 36.8°C,心拍 78 /分,血圧 116/63 mmhg で一般理学所見に異常を認め なかった.ECOG Performance Status 2 だった. 神経学的所見:構音,眼球運動,顔面に異常なく,カーテ ン徴候や嗄声を認めず,総じて脳神経系に他覚的な異常を認 めなかった.挺舌について,明らかな側方への偏倚は認めな かった.運動系,感覚系,小脳系いずれも明らかな異常所見 を認めなかった.易疲労性はなかった. 検査所見:血液検査で,白血球数 13,100/μl (芽球 33%), Hb 7.8 g/dl,血小板数 5.1 × 10 4 /μl だった.肝機能や腎機能, 耐糖能,脂質代謝に異常は認めなかった.抗 AChR 抗体,抗 MuSK 抗体は陰性だった.嚥下内視鏡検査で発声時に咽頭壁 の右方偏倚を認めた.声帯麻痺は認めなかった.嚥下造影検 査で喉頭蓋反転不全,咽頭収縮不全,食道入口部開大不全を 認めた.これらの結果から左優位の両側舌咽迷走神経麻痺と 診断した.頭部 MRI は異常なしと診断されていたが再評価を 行った.本例は 2015 年にめまいで当院を受診した際に頭部 MRI を撮像しており,その時の T 1 強調像と比較すると,斜 台は右側優位に低信号化していた(Fig. 1A, B).斜台以外で, 頭蓋冠などの信号変化は認めなかった(Fig. 1C).拡散強調 像では明らかな異常所見を認めなかった(Fig. 1D).ガドリ ニウム造影 T 1 強調像で斜台は高信号を呈し造影効果を認め *Corresponding author: 東京慈恵医科大学附属柏病院神経内科〔〒 277-8567 千葉県柏市柏下 163-11) 東京慈恵会医科大学附属柏病院脳神経内科 2) 東京慈恵会医科大学附属柏病院腫瘍・血液内科 Received February 3, 2020; Accepted March 9, 2020; Published online in J-STAGE on June 13, 2020doi: 10.5692/clinicalneurol.cn-001424 60:504

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Page 1: 急性骨髄性白血病の 1 両側舌咽迷走神経麻痺による …...短 報 両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症した 急性骨髄性白血病の1例

短 報

両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症した急性骨髄性白血病の 1例

向井 泰司1)*  作田 健一1)  平野  慧2) 鈴木 一史2)  西脇 嘉一2)  谷口  洋1) 

 要旨:悪性腫瘍の斜台浸潤による生じた脳神経麻痺は,頭蓋内放射線照射で症状の軽減が期待でき,しっかり鑑別をすべき病態である.急性骨髄性白血病の斜台浸潤で両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症し,頭蓋内放射線照射で症状を軽減しえた 83 歳男性例を報告した.非常に稀ではあるが,白血病の症例において,斜台における腫瘤形成が要因となった脳神経麻痺が初期から出現することがある.白血病など癌の既往がある症例で,脳神経障害を疑った場合,鑑別として斜台浸潤の可能性に留意する必要がある.(臨床神経 2020;60:504-507)Key words:急性骨髄性白血病,斜台浸潤,迷走神経麻痺

はじめに

斜台における腫瘍浸潤は脳神経麻痺の原因となるが,その際には T1強調像における斜台の低信号化が診断の鍵となる.同所見は見落としやすい所見として神経放射線科の成書にも記載されている 1).斜台浸潤の原疾患として,乳癌や肺癌,前立腺癌が多く,白血病としては急性リンパ性白血病の 1例が報告されているのみである 2).今回,斜台浸潤による両側舌咽迷走神経麻痺で発症した急性骨髄性白血病(acute

myelogenous leukemia; AML)症例を経験したので報告する.

症 例

症例:83歳 男性主訴:魚などパサついた固形物が飲み込みにくい既往歴:2013年,肺結核と診断され,抗結核薬で完治した.家族歴:兄が AML.現病歴:2018年 7月上旬,魚などパサついた固形物の飲み込みにくさが出現した.水分の嚥下は問題なかった.他院で実施された血液検査で芽球を含む白血球数上昇,貧血および血小板数低下を認め,当院腫瘍・血液内科を紹介受診した.骨髄検査で,偽性ペルゲル核異常,脱顆粒好中球,MPO染色陽性の芽球を 40%認めた.FLT3/ITD遺伝子変異は認めなかった.AMLと診断され,同科に入院した.アザシチジン皮下注射を開始した.治療開始後,血液データは改善傾向となった

が,固形物の摂取困難感は増悪し,水分と一緒に飲み込まないと固形物を摂取できなくなった.そのため当科を紹介された.入院時現症:身長 162 cm,体重 58 kg,体温 36.8°C,心拍数 78回/分,血圧 116/63 mmhgで一般理学所見に異常を認めなかった.ECOGの Performance Statusは 2だった.神経学的所見:構音,眼球運動,顔面に異常なく,カーテン徴候や嗄声を認めず,総じて脳神経系に他覚的な異常を認めなかった.挺舌について,明らかな側方への偏倚は認めなかった.運動系,感覚系,小脳系いずれも明らかな異常所見を認めなかった.易疲労性はなかった.検査所見:血液検査で,白血球数 13,100/μl(芽球 33%),

Hb 7.8 g/dl,血小板数 5.1 × 104/μlだった.肝機能や腎機能,耐糖能,脂質代謝に異常は認めなかった.抗 AChR抗体,抗MuSK抗体は陰性だった.嚥下内視鏡検査で発声時に咽頭壁の右方偏倚を認めた.声帯麻痺は認めなかった.嚥下造影検査で喉頭蓋反転不全,咽頭収縮不全,食道入口部開大不全を認めた.これらの結果から左優位の両側舌咽迷走神経麻痺と診断した.頭部MRIは異常なしと診断されていたが再評価を行った.本例は 2015年にめまいで当院を受診した際に頭部MRIを撮像しており,その時の T1強調像と比較すると,斜台は右側優位に低信号化していた(Fig. 1A, B).斜台以外で,頭蓋冠などの信号変化は認めなかった(Fig. 1C).拡散強調像では明らかな異常所見を認めなかった(Fig. 1D).ガドリニウム造影 T1強調像で斜台は高信号を呈し造影効果を認め

*Corresponding author: 東京慈恵医科大学附属柏病院神経内科〔〒 277-8567 千葉県柏市柏下 163-1〕1) 東京慈恵会医科大学附属柏病院脳神経内科2) 東京慈恵会医科大学附属柏病院腫瘍・血液内科(Received February 3, 2020; Accepted March 9, 2020; Published online in J-STAGE on June 13, 2020)doi: 10.5692/clinicalneurol.cn-001424

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(Fig. 1E),AMLの斜台 blastomaと診断し,脳神経障害もこれに起因する可能性があると考えた.他部位の blastoma を検索する目的で全身 CTを実施し,明らかな異常所見を認めなかった.他の頭蓋骨には信号の変化が見られなかった点から,頭蓋底の輝度変化は白血病に伴うびまん性の骨輝度異常ではなく,頭蓋底に形成された斜台 blastoma によるものと考えた.

入院後経過:当科介入後,頭蓋内放射線照射(2 Gy × 5/

week)を追加した.画像上,斜台における T1強調像の低信号域は改善しなかったが(Fig. 1F),嚥下障害は軽減した(Fig. 2).2回目の嚥下造影検査では喉頭蓋反転不全や咽頭収縮は改善がなかったが,食道入口部開大は前回よりやや改善し梨状窩への残留が特に減少し,喉頭蓋谷の残留も減少した

Fig. 1 Brain MRI findings.

A; Axial T1 weighted imaging (T1WI) four years prior to admission. The brain MRI T1WI showed no abnormalities. B, C; Axial T1WI on

admission. The intensity of clivus changed heterogeneous appearance. D; Axial DWI on admission. The clivus appeared to be iso intensity. E;

Gadolinium-enhanced T1WI on admission. The clivus showed contrast effect. F; Axial T1WI on 62th hospital day. Low intensity lesions of clivus

showed no improvement after radiation therapy.

Fig. 2 Clinical course of patient.

We diagnosed as bilateral clivus metastasis of AML by MRI, VE and VF. After initiation of the treatment including radiation therapy, dysphagia

shows mild improvement. AML; acute myelogenous leukemia, AZA; azacitidine, VE; videoendoscopy, VF; videofluorography.

両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症した急性骨髄性白血病の 1例 60:505

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(Fig. 2).その後神経所見については大きな変化はなく推移したが,徐々に AMLの病勢が悪化し,第 201病日に本症例は死亡した.病理解剖の承諾は得られなかった.

考 察

本症例の最大の特徴は嚥下障害で発症した AMLという点である.嚥下困難感の訴えに対し,ベッドサイドの診察では異常を指摘できなかったが,嚥下内視鏡検査,嚥下造影検査で両側舌咽迷走神経麻痺が診断できた.また,挺舌の左右差がない症例では両側舌下神経不全麻痺を証明するのは困難で,今回両側舌下神経麻痺を示唆する有意な所見は得られなかったが,両側舌下神経の不全麻痺が存在した可能性も否定できないと考えた.成人発症 AMLで,診断時に脳神経麻痺を伴うのは全体の

0.6%程度と報告されている 3).白血病細胞の脳神経麻痺の機序としては,髄膜への浸潤,脳実質内への浸潤,芽球よりなる腫瘤形成,出血傾向や局所の血管破綻による出血,免疫機能低下による感染などが挙げられる 4)5).本例は髄膜刺激症状が乏しく,画像所見から髄膜や脳実質への浸潤は否定的で,骨髄性細胞よりなる腫瘤形成が機序であると考えた.斜台における腫瘤形成の報告は片側に舌下神経麻痺で発症した急性リンパ性白血病が 1例あるのみだった 6).この様に,非常に稀ではあるものの,白血病の症例において,斜台における腫瘤形成が要因となった脳神経麻痺が初期から出現することがある.白血病など癌の既往がある症例で,脳神経障害を疑った場合,鑑別として斜台浸潤の可能性に留意する必要がある.眼球運動障害や顔面神経麻痺の場合,片側もしくは両側に

関わらず神経学的異常所見と診断しやすい.しかし,舌咽迷走神経麻痺が両側性に生じると,軟口蓋挙上の左右鎖やカーテン徴候が指摘できず,診断に難渋することがある.本症例

は身体診察のみでは明らかな異常所見を捉えられず,嚥下内視鏡検査と嚥下造影検査による精査で障害を明らかにできた.ベッドサイドの診察で明らかな脳神経麻痺を指摘できないような嚥下障害の鑑別として,嚥下内視鏡検査や嚥下造影検査は時として有用と思われた.白血病を含む悪性疾患の斜台浸潤は,時として両側性の脳神経麻痺を呈し,嚥下造影検査も時として考慮する必要がある.原因と病態の診断それぞれに難渋するが,見逃さぬよう注意深い診察と画像所見の判読が必要となる.※本論文に関連し,開示すべき COI状態にある企業・組織や団体○開示すべき COI状態がある者鈴木一史:講演料:ヤンセンファーマ,武田薬品工業,ブリストル・マイヤーズ・スクイブ○開示すべき COI状態がない者向井泰司,作田健一,平野慧,西脇嘉一,谷口洋本論文に関連し,開示すべき COI状態にある企業,組織,団体はいずれも有りません.

文 献

1)脳画像の注意すべき読影部位とピットフォール.柳下章.神経内科の画像診断.第 1版.東京:秀潤社;2011. p. 38-39.

2)上井康寛,橋本昌也,鈴木正彦ら.舌下神経単独麻痺を呈した急性リンパ性白血病の 47 歳女性例.臨床神経 2013;53:

243-246.

3)Alakel N, Stölzel F, Mohr B, et al. Symptomatic central nervous

system involvement in adult patients with acute myeloid

leukemia. Cancer manag Res 2017;29:97-102.

4)水谷智彦.白血病と神経障害.Clin Neurosci 1997;15:876-878.

5)Nishioka K, Masuda Y, Tomotsu T, et al. Tumor-forming acute

myeloid leukemia with facial paralysis. Laryngoscope 1984;94:

829-832.

60:506 臨床神経学 60巻 7号(2020:7)

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Abstract

Acute myeloid leukemia diagnosed by dysphagia due to bilateral vagus nerve palsy: a case report

Taiji Mukai, M.D.1), Kenichi Sakuta, M.D., Ph.D.1), Kei Hirano, M.D.2),Kazuhito Suzuki, M.D., Ph.D.2), Kaichi Nishiwaki, M.D., Ph.D.2) and Hiroshi Yaguchi, M.D., Ph.D.1)

1) Department of Neurology, The Jikei University Kashiwa Hospital2) Division of Clinical Oncology/Hematology, The Jikei University Kashiwa Hospital

This is the rare case report that bilateral vagus nerve paralysis was emerged as the initial symptom of acutemyelogenous leukemia (AML). An 83-year-old man admitted to our hospital because of dysphagia. His dysphagiaprogressed two months prior to admission. Although physical examination revealed no abnormality, videoendoscopy andvideofluorography examination clearly revealed bilateral vagus nerve palsy. Brain MRI showed hypointense signals atthe bilateral clivus on T1 weighted images, suggesting tumor infiltration to bilateral petroclivus. He was diagnosed asAML by blood samples and bone marrow biopsy. After initiation of the treatment including radiation therapy, dysphagiashows mild improvement. Although bilateral cranial nerve palsy due to malignant tumor involving at the clivus is veryuncommon, we should pay attention to the symptom.

(Rinsho Shinkeigaku (Clin Neurol) 2020;60:504-507)Key words: acute myeloid leukemia, clivus metastasis, bilateral vagus nerve palsy

両側舌咽迷走神経麻痺による嚥下障害で発症した急性骨髄性白血病の 1例 60:507