陸上競技のサポート - 日本スポーツ振興センター...4 シンポジウム①...

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4 松林 武生 国立スポーツ科学センタースポーツ科学部 陸上競技選手を対象とした科学調査・サポート活動は、国立スポーツ科学センター設立の2001年より以前か ら、日本陸上競技連盟の科学委員会を中心として実施されてきた。1991年に東京にて開催された陸上競技世界選 手権大会では、世界一流競技者のデータが多く収集され、その分析結果は冊子にされ広く公表されている。短距 離種目に関して例をあげると、同大会の男子100m にて当時の世界記録986を樹立し優勝したカール・ルイス 選手の疾走動作に関するデータが報告され、日本陸上界の走動作に関する考え方に大きな影響を与えた。国立ス ポーツ科学センターは現在この科学委員会と協力して、陸上競技選手のサポートを実施している。連盟自体に科 学思考が根付いており、選手強化へのデータ利用が浸透していることで、活動は非常に円滑に行われている。科 学者側からの一方的な情報提示ではなく、コーチの考えや課題意識、分析内容の提案など、我々も情報を受ける 側となり、相互に議論できる関係性となっている。本シンポジウムでは、この協力体制にて実施している活動例 として、リレーチームを対象としたサポート内容を紹介する。 陸上競技4×100m リレーは、4人の選手が100m ずつを走り、合計400m(トラック1周)のタイムを争う競技で ある。当然のことながら、選手の走能力が高ければ優れたタイムが期待できる。2016年シーズン、世界には100m 9秒台で走る選手が25名存在し、このような選手が複数名存在する国(ジャマイカ、アメリカ、カナダ、トリニ ダード・トバゴ)は、リレーでも強豪国となる。日本人選手には9秒台の公認記録を出した選手は未だ存在しな い。しかしながら日本男子リレーチームは、バトンパス技術を磨くことで強豪国との走能力の差を克服できると 考え、長年この技術を高めるための工夫、強化を続けてきた。リレーチームへの科学サポートとしては、主にバ トンパス技術を正確に評価することを目的とし、テークオーバーゾーン前後での選手の走速度、タイムを正確に 計測することに注力した。分析は競技会のみでなく、合宿の練習においても頻繁に実施し、試行錯誤と技術確認 の機会を増やした。データが蓄積されることで、理想とするバトンパスの姿も次第に洗練されていき、またバト ンパスタイムの目標値、パス位置の目安を設定することにも役に立った。世界大会における成績は、2000年頃か ら決勝には進出するもののメダルには届かない時期が続いたが、2008年北京五輪では3位銅メダル、そして2016リオ五輪では2位銀メダルを獲得するまでに至った。北京五輪の決勝レースでは、アメリカなど幾つかの強豪国 チームが予選失格で不在であったため、幸運の中でのメダル獲得という側面もあった。しかしながらリオ五輪で の銀メダルは、強豪国(アメリカ、カナダ、トリニダード・トバゴ)に先着しての獲得であり、実力にて強豪国 を破ったレースであった。 日本男子リレーチームが次に期待されるのは、金メダルとなるであろう。バトンパス技術にはまだ向上の余地 が残されているのか、向上のために必要なことは何か、我々は科学の視点から、これらの課題に対する情報提供 をしていく必要がある。日本陸上競技連盟との協力体制のもと、これからも活動を続けていく。 【プロフィール】 国立スポーツ科学センタースポーツ科学部 研究員 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了 博士(学術) 2008年より現職、主に陸上競技のサポートに従事している。 専門は、走動作のバイオメカニクス、センサや映像を用いた パフォーマンス評価、低酸素環境を用いたトレーニングなど。 ■ シンポジウム① 陸上競技のサポート

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Page 1: 陸上競技のサポート - 日本スポーツ振興センター...4 シンポジウム① 陸上競技のサポート 松林 武生 国立スポーツ科学センタースポーツ科学部

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シンポジウム① 陸上競技のサポート

松林 武生国立スポーツ科学センタースポーツ科学部

陸上競技選手を対象とした科学調査・サポート活動は、国立スポーツ科学センター設立の2001年より以前から、日本陸上競技連盟の科学委員会を中心として実施されてきた。1991年に東京にて開催された陸上競技世界選手権大会では、世界一流競技者のデータが多く収集され、その分析結果は冊子にされ広く公表されている。短距

離種目に関して例をあげると、同大会の男子100mにて当時の世界記録9秒86を樹立し優勝したカール・ルイス選手の疾走動作に関するデータが報告され、日本陸上界の走動作に関する考え方に大きな影響を与えた。国立ス

ポーツ科学センターは現在この科学委員会と協力して、陸上競技選手のサポートを実施している。連盟自体に科

学思考が根付いており、選手強化へのデータ利用が浸透していることで、活動は非常に円滑に行われている。科

学者側からの一方的な情報提示ではなく、コーチの考えや課題意識、分析内容の提案など、我々も情報を受ける

側となり、相互に議論できる関係性となっている。本シンポジウムでは、この協力体制にて実施している活動例

として、リレーチームを対象としたサポート内容を紹介する。

陸上競技4×100mリレーは、4人の選手が100mずつを走り、合計400m(トラック1周)のタイムを争う競技である。当然のことながら、選手の走能力が高ければ優れたタイムが期待できる。2016年シーズン、世界には100mを9秒台で走る選手が25名存在し、このような選手が複数名存在する国(ジャマイカ、アメリカ、カナダ、トリニダード・トバゴ)は、リレーでも強豪国となる。日本人選手には9秒台の公認記録を出した選手は未だ存在しない。しかしながら日本男子リレーチームは、バトンパス技術を磨くことで強豪国との走能力の差を克服できると

考え、長年この技術を高めるための工夫、強化を続けてきた。リレーチームへの科学サポートとしては、主にバ

トンパス技術を正確に評価することを目的とし、テークオーバーゾーン前後での選手の走速度、タイムを正確に

計測することに注力した。分析は競技会のみでなく、合宿の練習においても頻繁に実施し、試行錯誤と技術確認

の機会を増やした。データが蓄積されることで、理想とするバトンパスの姿も次第に洗練されていき、またバト

ンパスタイムの目標値、パス位置の目安を設定することにも役に立った。世界大会における成績は、2000年頃から決勝には進出するもののメダルには届かない時期が続いたが、2008年北京五輪では3位銅メダル、そして2016年リオ五輪では2位銀メダルを獲得するまでに至った。北京五輪の決勝レースでは、アメリカなど幾つかの強豪国チームが予選失格で不在であったため、幸運の中でのメダル獲得という側面もあった。しかしながらリオ五輪で

の銀メダルは、強豪国(アメリカ、カナダ、トリニダード・トバゴ)に先着しての獲得であり、実力にて強豪国

を破ったレースであった。

日本男子リレーチームが次に期待されるのは、金メダルとなるであろう。バトンパス技術にはまだ向上の余地

が残されているのか、向上のために必要なことは何か、我々は科学の視点から、これらの課題に対する情報提供

をしていく必要がある。日本陸上競技連盟との協力体制のもと、これからも活動を続けていく。

【プロフィール】国立スポーツ科学センタースポーツ科学部 研究員東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了

博士(学術)2008年より現職、主に陸上競技のサポートに従事している。専門は、走動作のバイオメカニクス、センサや映像を用いた

パフォーマンス評価、低酸素環境を用いたトレーニングなど。

■ シンポジウム①

陸上競技のサポート