図解 多彩な特性を発揮する鉄 - nippon steel · 2013. 11. 7. ·...

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18 Vol.4 季刊 新日鉄住金 無限に広がる素材としての可能性 多彩な特性を発揮する 鉄は機械による効率化と電気文明の発展という産業革命の二大要素を支え、社会に劇的な変化を もたらしました。それは鉄づくりにかかわる技術者・研究者が鉄の特性を深く理解し、知恵と工 夫を凝らして、多彩な性質を引き出し実用化してきた歴史に他なりません。古代文明以来、人類 が利用し続けてきた鉄の素材としての素晴らしさ、今後の可能性を「鉄鋼組織」というミクロン・ ナノの世界から見てみましょう。 図解 ◉ 監修:京都大学名誉教授 牧 正志(新日鉄住金(株)顧問)

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18Vol.4 季刊 新日鉄住金19 季刊 新日鉄住金 Vol.4

無限に広がる素材としての可能性

多彩な特性を発揮する鉄鉄は機械による効率化と電気文明の発展という産業革命の二大要素を支え、社会に劇的な変化をもたらしました。それは鉄づくりにかかわる技術者・研究者が鉄の特性を深く理解し、知恵と工夫を凝らして、多彩な性質を引き出し実用化してきた歴史に他なりません。古代文明以来、人類が利用し続けてきた鉄の素材としての素晴らしさ、今後の可能性を「鉄鋼組織」というミクロン・ナノの世界から見てみましょう。

図解

◉ 監修:京都大学名誉教授   牧 正志氏     (新日鉄住金(株)顧問)

18Vol.4 季刊 新日鉄住金19 季刊 新日鉄住金 Vol.4

※ 1 ギガパスカル(GPa):引張強さや圧力の単位。1GPa = 1,000MPa。1MPa(1N/㎟)は 1㎟あたり約 0.1kg の力が作用。※ 2 侵入型元素:鉄の結晶のすき間(格子間位置)に存在する合金元素。鉄に比べて原子半径が小さい炭素、水素、窒素、酸素の 4 つ。

強さと靭ねば

さ、加工性を併せ持つ

鋼の魅力

社会で使われている金属の約95%を占め、生活

になくてはならない鋼は

がね。社会で鋼材が大量に使わ

れてきたのは、「鉄の惑星―地球」に存在する豊富

な資源量、つまり供給規模と経済性、そして工学

的な信頼性すべてにおいて、他の素材にはない実

用性を持つことによる。

鋼は強さ(強度)に加えて靭さ(靭性)があり、そ

のバランスに優れ、併せて加工性にも優れている

ため、流麗なデザインが求められる自動車のボディ

や家電製品からレール、強靭な構造物、長大吊り

橋まで多様な用途に対応できる。加工性を維持し

ながら幅広い強度の範囲(200メガパスカル~5

ギガパスカル(※1))をカバーできるのは、他の材料

には見られない鋼(鉄―炭素合金)の素晴らしさで

あり魅力だ。

日本刀の鍛冶風景と製作工程

幅広い強度と優れた加工性を持つ鉄鋼製品の用途例

先人の知恵が生んだ材質の

つくり込み|日本刀の世界

幅広い強度など、鋼材の基本的な特性のカギを

握るのは、炭素の含有量と温度だ。侵入型元素(※2)

である炭素などを中心とした「成分調整」と「熱処理」

により、組織の状態を変えて、他の金属にはない

さまざまな材質を持たせることができる。

例えば、砂鉄を木炭で還元するたたら製鉄で

つくられた鉄を材料とする日本刀は、高温の鋼を

何度も折り返し叩いて不純物を取り除き、炭素量

を均一化して(鍛錬)、最後に刃側に薄く、棟側に

厚く土を塗って水で冷やす。土が薄く熱が伝わり

やすい刃側は急冷されて硬く(焼き入れ)、厚く塗っ

た棟側はゆっくり冷えて軟らかい粘りのある鋼に

なり(焼きなまし)、刀全体として硬いが折れにく

い強靭な性質を持たせることができる。先人は試

行錯誤の中からこうした自然の摂理(現象)を体得

し、ものづくりの技に磨きをかけてきた。

©東日本旅客鉄道株式会社

20Vol.4 季刊 新日鉄住金21 季刊 新日鉄住金 Vol.4

多彩な組織を組み合わせ複合化することで、さまざまな特徴を持つ鋼材をつくり出す

フェライト マルテンサイト

構造が安定した硬いマルテンサイトの結晶と軟らかく変形しやすいフェライトの結晶を共存させて、強くて加工・成形性の良い鋼材を開発。

例:DP鋼の複合組織

オーステナイト マルテンサイト

例:オーステナイトを利用したTRIP鋼

常温で鋼材内部にオーステナイトが残るように熱制御した鋼材に力が加わると硬いマルテンサイトに変化する。この原理を活用し、延びを大きくしたりプレスにより硬くなる特性を持たせた。

力が加わると一瞬変形してすぐに硬くなる

フェライト : α

パーライト : P(α + θ)

ベイナイト : αB(α + θ)

マルテンサイト : α’

炭素濃度(mass%)0 0.4 0.8

冷却速度

フェライト(初析)パーライト

(初析)セメンタイト(θ)

α P

マルテンサイトベイナイト

オーステナイト(熱処理の出発組織)

フェライト

パーライト

ベイナイト

マルテンサイト

0 3,000 6,000

引張強さ(MPa)

300~800

800~1,200 5,700

(強伸線加工:ピアノ線、スチールコード)

600 4,400

鉄鋼の高強度はマルテンサイトによって得られる(焼き入れの重要性)

500 ~ 1,600

※ 3 DP:Dual Phase(二相の意)。※ 4 TRIP:Transformation Induced Plasticity(変態誘起塑性)。

炭素の量と熱処理で組織を変化させる

727℃(A1

変態点)以上の高温に加熱した鋼が多彩

な材料特性への出発点。このときの鋼組織を「オーステ

ナイト」という。そこからの冷却速度や含まれる炭素量

を変えることで、鋼は強度レベルが異なるさまざまな

組織「マルテンサイト」「べイナイト」「パーライト」「フェ

ライト」に変化する(変態)。

例えば、高温の鋼(オーステナイト)を急冷すると、

鉄原子より小さい炭素原子は、収縮する鉄原子の間か

ら逃げて拡散する暇もなく鉄結晶の隙間(格子)に閉じ

込められ、硬いマルテンサイトになる。これが焼き入

れだ。一方、徐冷された鋼は室温でフェライトとパー

ライトの組織となり、炭素量が増すにつれてパーライ

トの量が増える。こうして熱処理で変態組織を変える

ことにより、幅広い強度を持たせている。

また、各変態組織がそれぞれ持つ特徴を活かして、

二つの異なる変態組織を組み合わせることで互いの長所

を活かし欠点を補い合うこともできる。軟らかいフェラ

イトの中に硬いマルテンサイトを分散させた「DP(※3)

鋼」は、1970年代から研究が行われ、80年代には

自動車用鋼板として実用化され、その後の複合組織

化による新たな自動車用高強度鋼の開発を加速化さ

せた。また軟かいオーステナイトを加工することで

生成するマルテンサイトを活用した「TRIP(※4)鋼」

なども開発された。

各種変態組織と炭素量・冷却速度の関係、強度レベル

図 解 変幻自在の鉄 1……… 炭素量と熱処理で特性が変わる

20Vol.4 季刊 新日鉄住金21 季刊 新日鉄住金 Vol.4

※ 5 ppm:主に濃度を表す単位で、100 万分の 1 の意。※ 6 TMCP(Thermo-Mechanical Control Process):従来の熱間圧延にはない、圧延と圧延後の冷却の制御による新たな組織制御技術。※ 7 理論(理想)強度:転位などの格子欠陥を含まない完全結晶において、原子の結合を引き離す(引きちぎる)のに必要な応力。

再結晶 延伸 変   態粒成長抑制

強冷却:マルテンサイト

緩冷却:フェライト・パーライト

中間冷却:ベイナイト

加熱炉 粗圧延機 仕上圧延機 ホットレベラー オンライン水冷プロセス

鋳造条件制御 加熱温度制御 多パス圧延制御 ホットレベラーによる平坦化 オンライン水冷による組織制御

加熱 粗圧延 仕上圧延 冷 却

プロセス

温度変化

圧延と冷却の組み合わせで一層強靱化

金属組織の変化

800MPa超 600~800MPaクラス

500~600MPaクラス

厚板

連続鋳造プロセス

TMCP のキーテクノロジー圧延と圧延後の温度コントロールにより結晶粒を微細化したり、変態組織を変えることで、必要な特性を鋼に与えることができる。

鉄と鋼 アルミニウムとその合金 銅とその合金 コンクリート(圧縮強さ) エンジニアリングプラスチック FRP(炭素繊維)

0 1,000 2,000 3,000 4,000 5,000

引張強さ(MPa)

実用材料は理論強度のまだ20%。

未踏領域に挑む

鋼は鉄に炭素を含む合金で、炭素が多くなるほど強

く(硬く)なるが、炭素量が多い高強度鋼でもその含有

量は0・8%程度。これだけ少量の元素調整で特性が劇

的に変わるのが鉄の魅力だ。また、原料の鉄鉱石には

天然の不純物(リン、硫黄)や介在物が含まれているが、

現在は精錬技術(酸素を吹き込み不純物を除去する技術)

の進歩でそうした物質も数ppm(※5)まで低減されて

いる。

自動車用鋼板ではまず1970年代、加工性の向上

(軟らかい鉄)を狙って高純化と低炭素化を追求してきた。

その後現在まで、車体の軽量化・高強度化ニーズに応え、

炭化物の代わりにチタンやマンガンなど多彩な金属元

素との化合物を使って、加工しやすさを維持しながら

高い強度を持つ鋼材(ハイテン)を開発している。

また、一般的に鋼は強くすると脆くなるが、結晶粒

を微細化すると強くなると同時に靭ね

さも増す。そこで

鋼構造物に使われる厚鋼板では、TMCP(※6)という

組織制御技術を駆使して、製造ラインでの加工と熱処

理で結晶粒の大きさや組織をコントロールし、高強度・

高靭性などの特性を出している。

実用鋼の最高強度は現在、約2・5ギガパスカル(極細

線材では約5ギガパスカル)。加工性や疲労強度などと

のバランスを考慮しているが、理論(理想)強度(※7)の

20%程度までしか発揮しておらず、今後もさまざまな

新材料開発の可能性がある。

金属組織を製造ラインで連続的に制御する例「TMCP」

各種工業材料の強度レベル

加工性や靭性を維持しながら幅広い強度をカバーできる材料は鋼だけだ。それでもまだ理論(理想)強度の 20%程度しか発揮していない。

22Vol.4 季刊 新日鉄住金23 季刊 新日鉄住金 Vol.4

結晶粒界は転位の動きの障害となる

結晶粒

結晶粒界

格子の位置に原子が並んでいる。

結晶粒の微細化

緻密なつくり込みで、

さらなる強度・靭性を追求

鉄の強度や靭性、加工のしやすさは、原子の「配列

の乱れ(転位)」の動きやすさによって決まる。鉄を変形

させるために力を加えると、転位が押されて、原子の

つなぎ替えが起こる。この転位が動きやすいほど加工

しやすい強度の低い鋼材となり、転位が動きにくくな

ると、加工しにくい高強度の鋼材になる。強化の手法

には「固溶強化」「粒子分散強化(析出強化)」「粒界強化(結

晶粒微細化)」「転位強化(加工硬化)」の四つがある。

鉄と炭素の合金である鋼の特性をブレイクスルーす

るためには二つの方向性がある。一つは鉄の組織を制

御することによる高強度化。四つの強化機構のうち、

現在十分に使いこなされているのが、固溶強化と粒子

分散強化だ。転位強化や粒界強化による組織制御には

まだまだ研究の余地があり、ブレイクスルーの大きな

可能性を秘めている。特に「粒界強化」では、結晶粒が

1ミクロン以下になると飛躍的に強度が高まるため(現

在は10ミクロンオーダー)、新たな微細化手法が考案さ

れれば、計算上では8ギガパスカルまでの高強度化が

可能になる。

もう一つの方向は、変態組織のさらなる活用。今後

は二相の組み合わせに限らず、三相以上の組み合わせ

や組織のサイズ・分布などの多彩な制御技術の確立が

期待されている。

図 解 変幻自在の鉄 2…………… 組織制御で強さが変わる

転位 鉄原子

外力 外力

鉄の結晶格子 転位を介して変形が進む

変形のメカニズム(転位の移動)

鉄の結晶には並び方が乱れた「転位」がある。鉄の加工・成形は、この転位現象を利用して、絨毯をずらすように移動していくことによって行われている。逆に結晶構造を安定化させ、転位が動きにくくなれば鉄は硬くなり強化される。

転位は原子が並んだ特定のすべり面に沿って動くので、結晶粒界では転位の動きやすい面が変化する。結晶粒が微細なほど粒界が数多く存在するので転位が動きにくくなり、強度が高まる。

「粒界強化」の考え方(結晶粒の微細化と高強度化)

22Vol.4 季刊 新日鉄住金23 季刊 新日鉄住金 Vol.4

km

明石海峡大橋

ケーブル断面模式図

ワイヤSEM像

ワイヤTEM像

FIM像

m

mm

μm

nm

(103m)

(10-3m)

(1m)

(10-6m)

(10-9m)20nm

100nm

1μmSEM:走査電子顕微鏡

TEM:透過電子顕微鏡

FIM:フィールドイオン顕微鏡

290ストランド/ケーブル1,122mm

5.23mm

59.58mm

67.99mm

127本/ストランド

天の配剤と英知で、ミクロン・ナノから

キロメートル・トンをつくり込む

鋼材が社会で大量に使用されているのは「天の配剤」

といえる。原料の資源量が豊富なことに加えて、製造

工程の最初にある高炉では、石炭を蒸し焼きにしてで

きるコークスが鉄鉱石(酸化鉄)から酸素を取り除く還

元剤として投入され、自然に鉄―炭素合金が生まれる。

また、高温とはいえ人間が使いこなせる温度領域

(1200~800℃程度)で加工や熱処理ができ、特に

約800℃以下の制御しやすい温度域で種々の変態が

起こり、さまざまな材質をつくり込むことができる。

そして、多彩な特性を生み出す仕かけづくりを支

えているのが材料の本質を探る解析技術だ。学術的な

「原理原則」の追求とあわせて、実際の原子挙動など

を最先端の電子顕微鏡などの解析装置で観察する。そ

のときに組織観察で得られた膨大な組織写真(解析デー

タ)から全体像を把握し、目的とする部分の現象を正し

く理解する、いわば「鉄の気持ちになって考える」研究者

の能力とセンスが重要であり、こうしたノウハウの蓄積

は鉄鋼業が「ミクロン・ナノの材料開発の先駆者」といわ

れる所以でもある。

鉄鋼業はミクロン・ナノの世界で鋼の材料特性を引

き出し、数キロメートル、トン単位の大規模な製鉄プロ

セスで特性(品質)を均一につくり込んでいる。新日鉄住

金では、まだまだ発展途上にある鋼材開発において、研究・

技術開発に挑戦し続けていく。

明石海峡大橋のケーブル例:全長 4km もの明石海峡大橋の吊橋構造は、ミクロン・ナノのレベルの解析技術を用いて開発した高強度鋼線によって実現した。

解析技術の進歩による材料設計技術の発展

フェライト中に析出したチタン炭化物(TiC)の透過電子顕微鏡での撮影写真。合金炭化物はフェライトの強度を高めるなど高強度鋼材において重要な役割を果たす。新日鉄住金では、高性能な電子顕微鏡の利用・観察技術を持ち、材料組織を原子レベルで解析することにより、鋼材特性の調査・改善を行っている。

ナノ~キロ・トンレベルの制御、つくり込み

本写真にはフェライトのFe原子列とTiCのTi原子列が写っている(C原子列は写っていない)。

TiC

フェライト

2nm