Transcript
Page 1: 丹内山神社と文化財について

たんないさん

丹内山じんじゃ

神社とぶんか

文化ざい

財について

                       東和ふるさと歴史資料館

1 神社の歴史(概要)

丹内山神社は花巻市東和町の東南部、谷内地区にあるどうやま

堂山(海抜約 280m)

の中腹にあります。

創建の年代ははっきりしませんが、後に平安時代初めのえんりゃく

延暦年間(782~

806)にえ み し

蝦夷せいばつ

征伐をとげたさかのうえのたむらまろ

坂上田村麻呂により社堂を改築・祭事を定められ、

また後のじょうわ

承和年間(834~848)にこうぼうだいし

弘法大師ので し

弟子・しゃく

釈にっ

日こう

弘がふどうみょうおうぞう

不動明王像を

安置して「だいしょうじ

大聖寺ふ ど う

不動たんない

丹内ごんげん

権現」と呼ばれたといいます。

 その後の平安時代後半、こう

康へい

平5(1062)年にみなもとのよりよし

源 頼 義・よしいえ

義家父子により八

幡・加茂社が勧請されます。また、ふじわら

藤原きよひら

清衡(1056~1128)が深く信仰し

108の堂や神領(耕地 24町歩(ヘクタール

h a ))や仏像・仁王像を寄進したと伝わ

ります。

 さらに、南北朝~室町~戦国時代にかけては和賀氏の重臣・小原氏が歴代に

わたり深く信仰し、えい

永とく

徳4(1384)年からげ ん き

元亀2(1571)年にかけて、およ

そ 10~40年おきに社堂を修復しています。

 江戸時代をむかえ南部家の所領となり、文化 7(1810)年に別当・お は ら

小原さね

実よし

吉の勧請で現在の本殿に再建されました。さらに翌年には盛岡藩主・な ん ぶ

南部とし

利たか

公の厚い信仰により藩主の祈願所とされ、「たんないさん

丹内山だいごんげん

大権現」と呼ばれること

になりました。

 その後、明治元(1868)年の神仏分離令により、翌年に仏像や宝物をりょう

凌う ん じ

雲寺へ移して、社名を「たんないさん

丹内山じんじゃ

神社」と改めて現在にいたります。

 現在の境内には、多くの社殿や 10件をこえる県や市指定を受けた文化財・

Page 2: 丹内山神社と文化財について

民俗芸能、そして「境内の七不思議」の伝承や自然環境が残されており、受け

継がれています。

2 神社関係の文化財

○平安時代~鎌倉時代にかけての遺跡と出土遺物

・きょうづか

経 塚2 基とその出土品( は く じ し

白磁四じ

耳こ

壺、こしゅう

湖州きょう

鏡、ちゅうごく

中国せん

銭ほか)

(県指定の史跡)

平安時代末~鎌倉時代初め頃・・・

○平安時代~鎌倉時代~室町時代にかけての仏像

・ふどうみょうおう

不動明王りゅうぞう

立像   (市指定の文化財)

平安時代中頃~鎌倉時代の作・・・

・や く し

薬師にょらい

如来りゅうぞう

立像   (市指定の文化財)※凌雲寺蔵

平安時代末~鎌倉時代初めの作・・・

・じゅういちめん

十 一 面かんのん

観音ぼ さ つ

菩薩りゅうぞう

立像  3 体    (県指定の文化財)※2 体は凌雲寺

平安時代後半~鎌倉時代の作・・・

・におうぞう

仁王像  2 体    (県指定の文化財)※凌雲寺蔵

室町時代初めの作・・・

○江戸時代後半の建物や工芸品

・ほん

本でん

殿とず し

厨子      (県指定の文化財)

    文化・・・ 7(1810)年の建築で、社殿の外側は地元の名工・ち ば や

千葉八じゅうろう

重郎の作による見事な彫刻で飾られる。中の厨子は江戸時代初期

頃のもの。

  ・いち

一の

ノと り い

鳥居      (市指定の文化財)

Page 3: 丹内山神社と文化財について

   ・・・か

嘉えいがん

永元(1848)ねん

年の建立で、つくられた当時は南部藩随一の杉の鳥

居といわれた。高さ 6.06m・幅 4.45~8.76mの杉製。

  ・ぎ ぼ し

擬宝珠7 こ

個とむな

棟ふだ

札      (市指定の文化財)

    擬宝珠は石橋の・・・らんかん

欄干につけられたもの。文政 10(1827)年に神社

の別当・小原氏が納めた。もとは 10 個あったがうち 3 個が紛失した

ために、後でおぎな

補われている。

    棟札は建物の新築や改築のときに工事のようすを記録した木製の板。

永正 5(1508)年のものとげ ん き

元亀2(1571)年のものが残っている。

○神社の施設と自然環境

  ・ほかのたてもの

建物とけいだい

境内      (市指定の史跡)

    本殿裏の・・・たいない

胎内いし

石(幅 11.6m・奥行き 9.3m・高さ 4.55mの巨石)

や八幡・加茂神の合祀社、本殿前の池や石垣など神社周辺のもの。

  ・じいすぎ

杉のね

根      (市指定の植物)

    もとは高さ約・・・ 60m・根元の太さ 12.12mの樹齢 2000年をこえる巨

木だったが、大正 2(1913)年に飛び火により焼けてしまい、いま

は根だけを残している。

○江戸時代以降に伝わった民俗芸能

  ・みや

社ぶ り

風流か ぐ ら

神楽      (市指定の民俗芸能)

  ・が が く

雅楽      (市指定の民俗芸能)

  ・かなつりゅう

金津流たんないししおどり

丹内獅子躍      (市指定の民俗芸能)

Page 4: 丹内山神社と文化財について

 ○不思議な言い伝え-境内の七不思議

  1 境内の建物に“つらら”が下がることがない。

  2 境内に“竹”が生えない。

  3 “はだ

肌いし

石”に雪が積もることがない。

  4 ひ で

日照り続きでも“ちょうず

手水ばち

鉢”の水がかわ

乾かない。

  5 “わき

脇しょうじ

障子のか ら じ し

唐獅子”をなめると居眠りしない。

  6 “いちょう

銀杏のは

葉”はどんな強風でも境外に散らない。

  7 “そ ふ

祖父すぎ

杉のみき

幹”にきり

桐の木が生えていた。

(主な参考文献)

・丹内山神社・丹内観音堂 参拝のしおり(丹内山神社編)・東和町ガイドブック とうわ町散歩道 1神社仏閣編

(2002、空・山・川総合研究所編)・丹内ふるさと山宝道(谷内、鷹巣堂)(2001、古里丹内委員会編)・とうわを歩こう-東和町の文化財(国・県指定文化財編、町指定文化財編、市指定・

H17 新指定文化財編)(2003・2005・2006、東和ふるさと歴史資料館編)

・丹内山神社と経塚(東和ふるさと歴史資料館館長の資料)

○丹内山神社周辺見学のおおまかな順路

 一ノ鳥居――――→二の鳥居(石製)―――――→じい杉の根

     車で移動        車で移動(駐車場)

――→相殿(十一面観音像)―→八幡・加茂社――→本殿前池と擬宝珠、石垣

            右側上手     石段登る

―――→本殿(厨子)―→胎内石・・・・・→左側堂山山頂の経塚

石段登る     裏側上手   山道


Top Related