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20世紀の歴史は発問を一つ工夫するだけでも生徒に考えさせ、自分の生きている時代の足場を確認することのできる題材にあふれている。この作業を避けて教科書の内容を詰め込む授業を展開してしまったら、われわれ世界史教師の職務放棄といえる。そこで、資料を工夫し、有効な発問で授業を構成することによって20世紀の世界史学習を

「覚える作業」から充実した「考える訓練」へと変えていきたいのである。歴史を学ぶうえで歴史的事象の「知識・理解」は必要となる。しかし、一足飛びに知識を得ようとする学習では将来まで定着する知識にはならない。疑問と向き合い、追究する思考のなかで得られた知識こそ、生徒たちが社会で活躍するなかで考え行動するための糧となりうる。 とはいえ、偉そうに述べたところで筆者自身も現場でもがいている未熟な一世界史教師にすぎない。今回与えられた貴重な紙面をお借りして、読者である世界史担当の先生方と課題を共有できればと考えている。今回テーマとして扱う20世紀の文化は、20世紀という時代をあらゆる角度から、あらゆる手法によって映し出す。映像作品も含めて多岐にわたる20世紀の芸術表現は、世界史の授業で政治・経済・社会を学ぶうえでさまざまな視座を与えてくれる。また、芸術家のメッセージは時として政治性を色濃く反映し、戦争への協力も要求された。その一例がプロパガンダである。芸術家が動員され、その技術を生かしたメッセージ性の強い作品が国民に向けて発信されるようになった。 プロパガンダは映画、絵画、音楽といったさまざまな形で、人々の精神面に浸透した20世紀の文化といえる。プロパガンダがどのような背景で、いかに国民に提示されたのかを考えることによって、生徒が疑問を抱き、追究することのできる20

エスカリエ授業実践例

プロパガンダで学ぶ20世紀の世界史学習

山梨県立甲府東高等学校 川﨑大輔

はじめに ―ある一枚の絵画作品から―

 この作品は、ロンドンの帝国戦争博物館に展示されているGassedという作品で、作成年は1918年である*1。例えば、この作品を授業のなかで使い発問するとしたら…。どのような発問が効果的だろうか。また、その先にどのような授業展開がありえるだろうか。資料活用の方法一つで、世界史の授業は変わる。貴重な時間を使って世界史を学ぶのだから、生徒たちには授業のなかでじっくり考え、生きた知識として自分のなかに残してほしい。2013年現在、わが国を含め、どこを見てもそれとわかる形で世界情勢は混迷を深めている。このような時代だからこそ、世界史学習が人類共存のあり方を考え、私たちの時代を新たに創造していくための知恵を得る機会であってほしい。とくに20世紀の学習は現在に直結する題材を多く含んでいるだけでなく、生徒にとっての歴史学習を

「覚える作業」から「考える訓練」へと転換するためのチャンスの宝庫である。本稿では、20世紀の歴史学習に文化の視点を加えることによって、生徒に考えさせる授業を模索したい。

20世紀史で「考える授業」を

 ところで、高等学校の学習現場で20世紀の世界史はいかに扱われているだろうか。世界史を前近代から学習し、受験生も抱えているような学校では、気がつくと駆け足で羅列的な授業になってしまいがちである。断固として、それは避けたい。

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世紀の世界史学習が可能になる。

プロパガンダを授業に取り入れた実践①

 プロパガンダの役割や影響力を最も生徒にわかりやすく伝えることができるのは、ナチスの時代である。筆者はナチスの台頭を授業で扱う際、必ず2枚のポスターを使用する。導入として掲示するのが平成24年度用『明解世界史図説 エスカリエ 四訂版』(以下、『エスカリエ』)p.176にも掲載されている≪ポスターA≫であり、授業のまとめで使用するのが≪ポスターB≫である。授業のはじめに、≪ポスターA≫を黒板に掲示する。生徒に感想を求めると、「怖い」「暗い」「ゾンビ?」などの返答が返ってくる。ヒトラーという文字は生徒もすぐに確認できるのだが、上部のドイツ語とつなげて読むと「われらの最後の望み、ヒトラー」となることを解説する。すると、ナチスの政治的な選挙ポスターであることが見えてくる。そして、「なぜドイツ国民はヒトラーに未来を託し

たのか」という今回の授業のテーマを引き出し、「考える授業」のスタートである。 まず、ポスターに描かれた人々の表情の意味を考える。既習の賠償問題に起因する経済混乱によってドイツ国民が置かれた苦しい状況と、そこに世界恐慌が襲いかかったことを確認する。これをふまえて、ナチスの議席獲得の経過のグラフを見て考える。平成25年度用『明解 世界史A』p.171

「どうすれば、このように国民の支持を得られるのか?」という疑問を抱かせたうえで、ヒトラーの演説を見せる*2。ドイツ国民の誇りに訴えかけるヒトラーの演説の巧みさと迫力と、この映像そのものがプロパガンダであることを確認する。

次に、政権獲得後も国民に支持され続けた理由を考える。ドイツの失業率の変動についてグラフを参照し、1929年を境に失業率はどうなり、1933年を境に失業率がどうなったかを読み取る(『エスカリエ』p.176)。この作業を通して、ヒトラーの政策が実際に失業者を救うという点で実績をあげていることに注目させる。そのうえで、生徒の思考に深みをもたせるために用意するのが、この時代を生きた人々の証言である。

 生徒たちは、史料1を読んでヒトラーの時代が「いちばんよかった」という回想に意外さを感じながらも、史料2を読むことでファシズムの恐ろ

《ポスターA》『最新世界史図説 タペストリー十訂版』p.239

史料1 ナチ時代の回想①

次の文章は、1933年から1939年にかけてのナチス時代を回想した家具職人の言葉です。 当時の生活がいちばんよかった。第一次世界大戦

がおわってからは、ドイツでは、一家族で二人しか

子供がもてなかった。これはよくないことでした。

家族にとって、結婚にとって、国家にとってよくな

いことでした。こんな状態では、ドイツは亡びてし

まったでしょう。私たちは、ヒトラーの語っている

ことは、一種の力強さについてだと確信しました。

彼は強さについて語っていた。1933年以降、子供

たちを大勢もてるようになり、未来が開けました。

貧富の差が縮まりました。どこでもそれがわかりま

した。チャンスが与えられたのです。1935年、お

やじの店をひきついだ私に、政府から二千ドルが融

資されました。前代未聞のことでした!(M・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』1983年、未来社)

史料2 ナチ時代の回想②

 1936年ごろが転換点だった。一般兵役義務が導

入され、軍需がフル回転した。失業者が街頭から職

場にもどり、炭鉱ではまた残業方がおこなわれるよ

うになった。みんな仕事とパンをふたたび手にいれ

て喜んだ。恐慌時代の耐久生活はおわりを告げた。

人びとは軍備拡大のために仕事をしているのを十分

承知していた。…しかしみんなは、ふたたび仕事を

できるようになっただけでうれしかった。四年、五

年、六年にわたる失業を味わってきたから。たとえ

悪魔のもとでも、個人的に働き始めたであろう。し

かし、多くの人びとは気がついていた。ナチスが戦

争に向かってまっしぐらに進んでいることを。(山本秀行『ナチズムの記憶』1995年、山川出版社)

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しさに気づくことができる。失業し、未来を閉ざされた人々にとって、ヒトラーの語る新しいドイツは確かに希望に満ちていた。そして、授業のまとめで黒板に登場するのが≪ポスターB≫である。このフォルクスワーゲンの広告には、明るい時代を象徴するかのように、車を手に入れ期待をふくらませる男女のようすが描かれている。≪ポスターA≫とのコントラストが「なぜドイツ国民はヒトラーに未来を託したのか」という疑問への答えを語っている。 このように、実際の生きた史資料を活用することによって、ナチスがドイツ国民の夢や希望を養分として巨大に成長したことを理解することができる。生徒は疑問と向き合い、思考することによって知識を獲得することになる。「全権委任法」

「総統」「再軍備宣言」「ラインラント進駐」といった基礎用語も、考える流れに沿って学習することで意味のある知識となって定着することになる。

プロパガンダを授業に取り入れた実践②

 次に、アメリカ合衆国と並ぶ超大国として20世紀に君臨したソ連について、プロパガンダを活用した授業づくりの可能性を検討してみたい。そもそも、冷戦終結後に生まれた現在の高校生にとって、ソ連という国は過去の存在である。そこで、ソ連の存在感を生徒に理解してもらうために授業を工夫する必要がある。印象的な題材の一つが宇宙開発技術であろう。宇宙開発においてソ連がアメリカ合衆国をリードしていた事実は、アメリカ合衆国が世界の最先端という時代に育ってきた生徒たちにとって意外な展開のようである。『エスカリエ』p.204には、ソ連発展の象徴としてガガーリン少佐が英雄へとつくりあげられていくようすが掲載されており、ソ連のプロパガンダによる国威発揚の手法がいきいきと伝わってくる。 そこで、冷戦期のソ連の授業を展開するにあたって『エスカリエ』p.204を導入とする授業展開

を提案したい。まず、人類で最初に宇宙に到達し、「地球は青かった」という言葉で有名な人物がどこの国の誰かという問いから授業を始める。ガガーリンの名を知っている生徒がいることもある。

『エスカリエ』p.204の記念切手を参照しながら、ソ連が宇宙開発においてアメリカ合衆国をリードしていた事実が生徒に伝わり、学習への動機づけができる。 そのうえで、『エスカリエ』p.204に掲載されているフルシチョフがアメリカを訪問した際の挑発的な発言について考察させる。この発言には「アメリカ合衆国に追いつき、追い越す」というフルシチョフが掲げた目標がよく滲み出ており、生徒に「なぜ宇宙開発の成功をここまで誇大にアピールする必要があったのだろう」という疑問を抱かせることができる。この疑問を切り口に、ソ連という社会主義国家がアメリカとの冷戦をいかに戦おうとしていたのかを考える授業へと展開することができる。 共産党がすべての権限を掌握し、思想も経済も統制下においているソ連にはマスコミも存在しない。国民には社会主義こそが正しく、発展が約束されていることが強調された。フルシチョフ指導下のソ連は、「スターリン批判」によって粛清の恐怖政治に終止符を打った一方で、政府が社会主義政策によって成果を出さねば国民の信頼をつなぎとめることができなくなった時代であった。それは、プロパガンダによる体制の讃美と正当化につながっていく。ガガーリンの一連の資料がそのことを示している。また、宇宙開発の実績を誇張する一方で、フルシチョフが国民の生活水準においても「アメリカ合衆国に追いつき、追い越す」という目標のために各種のキャンペーンを行ったことに目を向けるとソ連への理解が深まる。処女地開拓キャンペーンやトウモロコシキャンペーンがソ連に混乱を招き、フルシチョフ失脚の要因の一つになった*3。 そこで鍵を握るのは、やはり資本主義と社会主義の相違である。多少の強引さを感じるが、次のような実践もおもしろいと考える。筆者は、自由貿易と経済のグローバル化によって生じる経済格差を生徒に実感してもらうために「貿易ゲーム」*4

  にも歴史あり

アウトバーンと国民車ヒトラーは公共事業として

高速道路(アウトバーン)を計

画した。これはヒトラーの宣

伝の一つであった。現在でも

貨物車を除いて無料である。

またフォルクスワーゲン(“国

民車”の意)は,国民の誰だれ

もが

買える安い小型車として,ヒ

トラーの命令で製造された。

⑥ 車のポスター

《ポスターB》平成25年度用『明解 世界史A』p.171

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というグループ学習を授業に導入しているが、これを社会主義バージョンで企画すると両者の違いを実感できるよい機会になるかもしれない。この貿易ゲームの概要は、クラスを5〜6名のグループに分け、大きさを指定した○、△、□といった

「製品」を、与えられた道具と紙を使ってつくる。市場(教員またはその役割の生徒)がこれを回収し、代価としてペーパークリップを渡す。これがゲームの基本ルールである。資本主義バージョンでは各グループに初期設定があり、はじめに受け取る道具に格差がある。紙(資源)が多いグループ、用具(技術)が多いグループ、紙(資源)も用具(技術)もろくにそろっていないグループ…というように格差を抱えた状況でスタートする。いちばん多くクリップ(金)を獲得したチームが勝利である。そうすると、生徒たちは無意識のうちに競争原理によって動く。格差に気づき、足りないものを得て有利に立ち回ろうとする。より効率よく、より正確な生産方法でクリップ(金)を大量に獲得できるよう工夫をする。そして、技術や資源の多寡によって格差が生じ、つまらない思いをするグループもでてくる。これが資本主義の光と影である。一方、社会主義バージョンでは生産量や報酬をすべてこちらで指示し、すべてのグループが同じ量のクリップを受け取ることになる。競争の犠牲になるグループもなくなるが、工夫と意欲もなくなる。社会主義バージョンは現在まだ実施していないが、来年度からはじまる新課程での世界史Aの授業に向けて準備中である。 20世紀に巨大化し消滅したソ連という国の歴史は、労働者や農村の実態から離れて理想で物事を進めようとする社会主義国家の欠陥が如実に表れた歴史であった。ソ連という社会主義国家は、最初から最後まで理想と現実の間で揺れ、悲惨な現実を輝かしい理想で覆い隠すことによって歩み続けたといえる。それを生徒に伝えるには、プロパガンダに関する資料を例示し、実際の生活状況を実感させることが有効である。

文化史からアプローチする20世紀史をめざして

 20世紀の文化は、映画や楽曲をはじめ題材が豊富かつ多岐にわたっているため、資料として活用

することで「考える世界史」の実践がしやすい。20世紀最大のテーマである戦争についても、芸術作品からアプローチすることで理解に深みをもたせることができよう。本稿の冒頭で紹介した作品もその一つである。また、パブロ=ピカソの「ゲルニカ」(『エスカリエ』p.202)はスペイン内戦の授業で資料として提示する先生方が多いのではないだろうか。「ゲルニカ」はキュビズムの芸術的な価値だけでなく、政治的なメッセージとしてピカソの想いを思考することにつながる。戦争をする指導者たちの主張と、その犠牲となる市民の立場を双方向から考えるうえで効果的な材料となる。21世紀を担っていく生徒たちが身につけるべき力の一つは、「相手の立場に立って考える想像力」である。

注* 1 Gassed John S. Sargent Aug 1918 Imperial War Museum, London 作

者のサージェントは、第一次世界大戦のメモリアルホールに展示するためにアメリカとの協力をテーマとした作品を描くよう依頼されていた。しかし適当な題材を見つけることができず、西部戦線で目にしたガス攻撃による負傷兵という題材を選んだ。この作品からもわかるように、画家たちにとっても20世紀は

「戦争の世紀」であった。* 2 ヒトラーの演説映像はNHKスペシャル「映像の世紀 第4集ヒトラーの野

望」を使用すると編集が10分程度で解説もわかりやすく、使いやすい。*3 松戸清裕『歴史のなかのソ連』山川出版社、2005年 * 4 貿易ゲームは開発教育協会がワークショップの教材として紹介している実

践である。

『明解世界史図説 エスカリエ 四訂版』p.204


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