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    翻案小說「奔跑吧美樂司」中的「信與真實」

    賴雲莊

    中國文化大學日本語文學系助理教授

    摘要

    太宰治作的「奔跑吧美樂司」(「走れメロス」)是一篇在

    文末標記了原典(原作)的翻案小說。我們認為一般翻案小說

    在文中表明了特定的原典,作家多少有希望讀者將自己的作品

    以及原作做比較並找出其異同點的用意。因此,透過與原典的

    比較應可以得知太宰治「奔跑吧美樂司」的箇中含意。

    在本論文中透過與原典的比較,清楚地得知作品中人物設

    定的改變。再者,我們也得知文中有關於「信與真實」這個語

    詞的問題點。

    作者將一個實體不明的「信與真實」的概念表現在文中,

    創造一個錯覺,讓這個「信與真實」宛如實際存在一般地表現

    出來。並且在文末,對於「信與真實」這個概念是以一種肯定

    的態度來看待並以此做結尾。但是,事實上,當我們仔細隨著

    作品的內容前進,我們發現很多地方往往「信與真實」都只是

    一種「空虛的幻想」。因此我們可以說,太宰治的「奔跑吧美

    樂司」透過原典的翻案,描繪出「信與真實」這個概念的多義

    性以及多面性。

    關 鍵 字 : 奔 跑 吧 美 樂 司 、 翻 案 、 原 典 、 信 與 真 實 、 多 義 性

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    The ‘Turst and truth’ of an Adapted writ ing:“Hasiremerosu”

    Lai Yun-Chuang Ass i s t an t Professor, Chinese Cul ture Univers i ty

    Abstract

    “Hasiremerosu”(「走れメロス」) wr i t ten by Dazai Osamu i s

    an adap ted wr i t ing poin t ou t i t s o r ig ina l t ex t in the end . Genera l ly, we cons ider adapted wr i t ings ind ica te spec i f i c meanings o f o r ig ina l t ex t because au thors a lways hope readers could compare the i r works wi th or ig ina l t ex t s and f ind out the d i ffe rences . There fore , th rough compar ing wi th o r ig ina l t ex t we can rea l i ze what Daza i Osamu want to say in “Hasiremerosu” .

    Also , in th i s thes i s , th rough compar ing wi th o r ig ina l t ex t we can c lea r ly ca tch changes o f personae be tween works . Fur the rmore , we can comprehend the meaning of “ t rus t and t ru th” .

    In “Hasi remerosu” , the au thor showed an ambiguous concep t—“t rus t and t ru th” and c rea ted an i l lus ion tha t makes “ t rus t and t ru th” ex i s t l ike a rea l i ty. Bes ides , in the end o f wr i t ing a l so descr ib ing an a t t i tude o f a ff i rmat ion to the concep t o f “ t rus t and t ru th” . Actua l ly, when we move wi th the conten t s o f wr i t ing we can d i scover “ t rus t and t ru th” i s jus t a fan tas t i c image . Accord ingly, we can say, th rough adapta t ion of the o r ig ina l t ex t , “Hasiremerosu” wr i t t en by Daza i Osamu d i sp layed a mul t i -d imens iona l and many k inds o f s ign i f i cances o f “ t rus t and t ru th” . Key words : “Hasiremerosu” , adapta t ion , the or ig ina l t ex t ,

    t rus t and t ru th , ambiguousness

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    翻案小説「走れメロス」における「信実」

    賴雲荘

    中国文化大学日本語文学系助理教授

    要旨

    太宰治の「走れメロス」は出典となるものを文末に明記し

    ている翻案小説である。翻案小説の場合、作者がこのように

    特定の〈原典〉を明示したことには、少なくとも読者に新し

    く作った作品とこの特定の〈原典〉とを読み比べ、異同点を

    発見してほしいという意図が含まれていると考えられる。し

    たがって、〈原典〉と比較することで、太宰治の「走れメロ

    ス」の持つ意味は明らかになるはずである。 本論では、「走れメロス」と〈原典〉の「人質」を比較・

    分析することによって、翻案小説「走れメロス」の人物像の

    改変を明らかにする。さらに、〈原典〉と比較することによ

    って、「信実」についての問題点も明白になる。 作者は実体のはっきりしない「信実」をここで表現し、あ

    たかも「信実」が存在したもののように、錯覚を作り、しか

    も最後の場面では、「信実」の存在を肯定的な態度で捉えよ

    うとしている。だが、実際に作品を辿っていくと、「信実」

    は「空虚な妄想」であることと言わざるを得ない部分もある。

    〈原典〉を翻案することを通して、個人の置かれた場におけ

    る「信実」の多面性、多義性が「走れメロス」で、描き出さ

    れているのである。

    キーワード:走れメロス 翻案 原典 信実 多義性

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    翻案小説「走れメロス」における「信実」

    賴雲荘

    中国文化大学日本語文学系助理教授

    1.はじめに

    太宰治の「走れメロス」は『新潮』第 37 年第 5 号創作欄( 1940 年 5 月)に発表された作品である。「走れメロス」の文末には次のような一行が書かれている。「(古伝説と、シル

    レルの詩から。)」。ここで作者はこの作品の出典となるもの

    を文末に明記している。すなわち「走れメロス」は翻案小説

    であるという性質がここで明示されている。 翻案作品の場合、作者がこのように特定の〈原典〉を明示

    したことには、少なくとも読者に新しく作った作品とこの特

    定の〈原典〉とを読み比べ、異同点を発見してほしいという

    意図が含まれていると考えられる。したがって、〈原典〉と

    比較することで、太宰治の「走れメロス」の持つ意味は明ら

    かになるはずである。本論では、紙幅の関係で、「走れメロ

    ス」のもっとも主要な〈原典〉とされる「人質」 1という譚詩

    (つまり文末に示された「シルレルの詩」)だけを比較検討

    の対象とする。随所、〈原典〉を引用し、比較しながら、「走

    れメロス」の構造を分析して、作中における「信実」にかか

    わる問題について考察をしていきたい。

    1 例 え ば 、角 田 旅 人「『 走 れ メ ロ ス 』材 源 考 」(『 香 川 大 学 一 般 教 育 研 究 』1983 年 10 月 山 内 祥 史 編 『 近 代 文 学 作 品 論 集 成 ⑧ 太 宰 治 『 走 れ メ ロス 』 作 品 論 集 』 所 収 2 0 01 年 4 月 ク レ ス 出 版 p .136) で は 、「 小 栗訳 『 人 質 』 を 『 走 れ メ ロ ス 』 の 粉 本 と 判 断 し て よ い と す で に 指 摘 し て

    い る 。

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    2.先行研究

    「走れメロス」における「信実」については、多く言及さ

    れてきた。たとえば長谷川泉はメロスは「絶対的な信実その

    もののために走」り、「信実という倫理の化身と化している」

    2と論じた。一方、寺山修司は「作中にナルシストの一人の道

    化を登場させ、その彼の大げさな身ぶりを借りて、太宰自身

    が何かを物語ろうとするのではなく、むしろ逆に読者を異化

    し、友情も信頼も「身ぶり」化してしまう」と「走れメロス」

    を批判的な立場から論じ 3、東郷克美と渡部芳紀はともに作者

    太宰治の認識した両義的な「信実」の意味を「走れメロス」

    を通して、語ったと論述した 4。このように「走れメロス」に

    おける「信実」は、大きく三つの論考の流れに分けられてい

    る。それぞれの論では、論者の「信実」という言葉に対する

    2長 谷 川 泉「『 走 れ メ ロ ス 』鑑 賞 」(『 国 語 通 信 』 1959 年 5 月 『 近 代 文学 作 品 論 集 成 ⑧ 太 宰 治 『 走 れ メ ロ ス 』 作 品 論 集 』 所 収 前 掲 書 p .1 6) 3寺 山 修 司 「 歩 け 、 メ ロ ス ー 太 宰 治 の た め の 俳 優 術 入 門 」(『 ユ リ イ カ 』

    1975 年 3 月 p . 1 39) 4東 郷 克 美 は 、「『 走 れ メ ロ ス 』も 、一 方 で『 人 の 心 は 、あ て に な ら な い 』

    『 正 義 だ の 、 信 実 だ の 、 愛 だ の 、 考 へ て み れ ば 、 く だ ら な い 』 と い う

    よ う な 認 識 上 の リ ア リ ズ ム も 持 ち な が ら 、 そ れ で も な お 、『 信 実 と は 、

    決 し て 空 虚 な 妄 想 で は な 』 い こ と を 信 じ た い 作 者 の 祈 り が 生 ん だ 作 品

    だ と 考 え る こ と が で き る 」(「『 走 れ メ ロ ス 』 の 文 体 」『 月 刊 国 語 教 育 』

    1981 年 11 月『 近 代 文 学 作 品 論 集 成 ⑧ 太 宰 治『 走 れ メ ロ ス 』作 品 論 集 』所 収 前 掲 書 p .85) と 論 じ 、 渡 部 芳 紀 は 「 こ の よ う に 、 人 の 信 実 を 描く に あ た っ て も た だ 表 面 的 、 一 方 的 に 主 張 す る の で な く 、 そ の 背 後 の

    弱 さ 、 相 反 す る 心 の 世 界 も 摘 出 し 、 立 体 的 な 姿 で 浮 か び 上 が ら せ て い

    る の で あ る 。 弁 証 法 を 学 び 、 ま た 、 前 期 、 理 想 を 追 い な が ら も 相 反 す

    る 方 向 へ と 走 っ て し ま っ た 体 験 、 ま た 前 期 の 終 わ り に 友 や 先 輩 や 妻 に

    裏 切 ら れ た 体 験 を 踏 ま え て 、 人 の 世 の 信 実 と い う も の へ の 夢 、 祈 り を

    こ の 作 品 を 通 し て 語 っ た の で あ る 」(「『 走 れ メ ロ ス 』 の 魅 力 」『 月 刊 国

    語 教 育 』 1996 年 5 月『 近 代 文 学 作 品 論 集 成 ⑧ 太 宰 治『 走 れ メ ロ ス 』作品 論 集 』 所 収 前 掲 書 p .276) と 指 摘 し た 。 両 方 と も 作 者 太 宰 治 自 身の 「 信 実 」 に つ い て の 認 識 が 作 中 に 投 影 し て い た こ と を 中 心 と し た 論

    考 で あ る 。

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    解釈によって、評価のゆれが見られる。本論では、〈原典〉

    の「人質」と小説本文とを比較しながら、その〈原典〉から

    の改変を明確にさせ、「走れメロス」における「信実」の意

    味を再確認したいと思う。

    3.王の人物像 最初の問題は、王の人物像である。「人質」では、冒頭の

    一句で「暴君ディオニスのところに」と書いてある。ここで

    は王に関する説明は、「暴君」の一言だけである。それに対

    して、太宰治「走れメロス」の王は、以前はそうではなかっ

    たかもしれないが、「このごろ」「人を、信ずる事が出来」な

    くなり、人をたくさん殺すようになった。王の近頃の変貌が

    描かれている。さらに、「走れメロス」においては、「人質」

    にない王の孤独な心境が書かれてある。 「仕方の無いやつぢや。おまへには、わしの孤独がわか

    らぬ。」/「疑ふのが、正常の心構へなのだと、わしに教

    へてくれたのは、おまへたちだ。人の心は、あてになら

    ない。人間は、もともと私欲のかたまりさ。信じては、

    ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほつと溜息をついた。「わ

    しだつて、平和を望んでゐるのだが。」( p.291)

    「走れメロス」の作品内容によると、「二年前」メロスが

    市に来たときは、王はまだ「邪智暴虐」に変貌していなかっ

    たことが推測できる。しかし、二年後の現在、王が暴君にな

    り、その人間不信が深刻になった契機は「走れメロス」にお

    いては、明らかにされていない。もちろん、このような王の

    変貌は原典の「人質」になかった設定である。 さらに、「走れメロス」で、王の「邪智暴虐」さについて

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    の叙述は、次のような箇所で明確に描かれている。 それを聞いて王は、残虐な気持で、そつと北叟笑んだ。

    生意気なことを言ふわい。どうせ帰つて来ないにきまつ

    てゐる。この嘘つきに騙された振りして、放してやるの

    も面白い。さうして身代りの男を、三日目に殺してやる

    のも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わし

    は悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるの

    だ。世の中の、正直者とかいふ奴輩にうんと見せつけて

    やりたいものさ。( p.292) 〈原典〉での王についての描写は次の通りである。以下は

    「人質」からの引用である。

    「それを聞きながら王は残虐な気持で北叟笑んだ。/そ

    して少しのあひだ考へてから言つた/「よし、三日間の

    日限をおまへにやらう/しかし猶予はきつちりそれ限り

    だぞ/おまへがわしのところに取り戻しに来ても/彼は

    身代りとなつて死なねばならぬ/その代り、おまへの罰

    はゆるしてやらう」 (p .264)

    「人質」では、王は猶予のない期限と条件をメロスに与え

    ただけだが、「走れメロス」では、王の必ず人は裏切られる

    と い う 思 考 を 前 提 と し た 性 格 と そ の 人 間 不 信 も 同 時 に 描 き

    出されている。しかし、ここで指摘しておきたいのは、「走

    れメロス」の王は人間不信だけではなく、意地悪さと計算高

    いところもあるということである。「人質」では単純にメロ

    スが帰ってこなかったら、友が身代りになって処刑されるこ

    とが王から伝えられたが、「走れメロス」の王はメロスに「お

    くれたら、その身代りを、きつと殺すぞ。ちよつとおくれて

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    来るがいい。おまへの罪は、永遠にゆるしてやらうぞ。」ま

    た、「はは。いのちが大事だつたら、おくれて来い。おまへ

    の心は、わかつてゐるぞ。」とメロスに言った。ここでは、

    王 の 意 地 悪 さ と そ の 人 間 不 信 を 前 提 と し た 価 値 観 が 見 ら れ

    る。 また「人質」では、メロスが途中で出遭った強盗の出現原

    因については説明されていない。話の流れから解釈しようと

    思えば、それは偶然の出来事として解釈することができる。

    一方、「走れメロス」では、その山賊たちとの遭遇はただの

    偶然の出来事ではない。そこでの待ち伏せは「王の命令」に

    よることと山賊たちが述べている。ここから見ると、「走れ

    メロス」の王は本当の人間不信ではなく、人間不信の口実を

    もって、あくまでも被害者のような姿で、暴政を行っている

    と言えよう。なぜなら、メロスがもし約束通りに戻って来た

    ら、王の国民に見せている人間不信の根拠がなくなることに

    なり、王は暴政の根拠を失ってしまう。王は、それを恐れて

    いるのである。つまり、ひとたび「人間不信」という口実の

    虚偽が明らかになると、王の威信にかかわることになる。そ

    れゆえに、王は山賊に命令し、メロスの行く手を阻もうとし

    たのである。さらに言えば、王は、メロスが約束を守り、帰

    ってくることが分かっていたから、このような行動をとった

    といえよう。よって、王がこうした行動をとったのは単なる

    人間不信に由来するものでないことが明らかになる。 さらに、二作における最後の場面で王の位置、または状況

    の描写にも注目したい。「人質」では、刑場でメロスと友が

    感動の再会を果した後、「すぐに王の耳にこの美談は伝へら

    れ た / 王 は 人 間 ら し い 感 動 を 覚 え て / 早 速 に 二 人 を 玉 座 の

    前に呼びよせた」。王が二人に話しかけた場面は、処刑場で

    はなく、後日談の、王の玉座の前であった。そこで、王は「お

    ま へ ら の 望 み は 叶 つ た ぞ / お ま へ ら は わ し の 心 に 勝 つ た の

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    だ / 信 実 と は 決 し て 空 虚 な 妄 想 で は な か つ た / ど う か わ し

    を も 仲 間 に 入 れ て く れ ま い か / ど う か わ し の 願 ひ を 聞 き 入

    れて/おまへらの仲間の一人にしてほしい」と言った。王の

    ここでの発言は、心底から発した真摯な感動と見られるが、

    それに対して、「走れメロス」では、この場面と時間設定に

    は改変が見られる。 群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君デイオニス

    は、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめてゐ

    たが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、か

    う言つた。 「おまへらの望みは叶うたぞ。おまへらは、わしの心に

    勝つたのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかつた。

    どうか、わしを仲間に入れてくれまいか。どうか、わし

    の願ひを聞き入れて、おまへらの仲間の一人にしてほし

    い。」 どつと群衆の間に、歓声が起つた。 「万歳、王様万歳。」 (p .302~p.303)

    ここは大勢の群衆のいる刑場である。「走れメロス」の王

    は処刑現場にいて、メロスと友との再会の一部始終を目撃し

    ており、明らかに「人質」の王の所在位置と違う。しかも、

    「群衆の背後」に立ち、君臨していた場面設定はとても興味

    深いことと思われる。それまで人間不信で被害者の姿を演出

    してきた王だが、王は、帰ってこないはずのメロスの帰還を

    目の前にすることになった。そして、王は、メロスと友との

    行動と会話のために大勢の群衆が同情の涙を流している、す

    べての行動と反応を眼中にできる、群衆の背後という位置に

    立っている。この大勢の群衆の反応、つまり民意をどのよう

    に 受 取 る か は 王 の こ れ か ら の 名 声 に か か わ る も の に 違 い な

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    い。メロスが帰還したことで、王は、メロスらを処刑して民

    意に逆らったら、今までの暴虐への民衆の不満に加えて、さ

    らなる不満を招くような状況に置かれてしまったと言える。

    その状况下で、王は言葉と行動で「信実」を肯定的に捉える

    よ う に 見 せ か け ざ る を え な く な っ た と 見 る の が 妥 当 で は な

    いか。 こう見てくると、王のこの劇的な改心は、必ずしも「信じ

    る」ことの力によるものとは言えない。それを促したのは、

    むしろ「群衆」の力と言えよう。王が「顔をあからめ」たこ

    とは、おそらく「人間不信」という仮面を被り、山賊に命令

    した悪行などがメロスに見破られたからだと思われる。処刑

    時刻のほんの少し前に、山賊に待ち伏せを命令した王が、こ

    のシーンで瞬間的に劇的に改心することは難しいであろう。

    よって、「人質」と「走れメロス」の王は、このシーンで殆

    ど同じ台詞をしゃべっているにもかかわらず、その場面設定

    とすでにあった事件の経過の相違によって、二人の王のいう

    「信実とは、決して空虚な妄想ではなかつた」の内実は全く

    違ったものであると言わざるをえない。しかも、この王の改

    心は実質的な政治的な効果を得ていた。王は、人間不信を克

    服したかのように見せることで「万歳、王様万歳。」という

    民衆からの讃美の歓声を獲得し、再び民衆から信服されるこ

    とになった。 このように「走れメロス」で太宰の描いた王は、実は、打

    算的で、計算高い権力者だと見るのが自然だろう。

    4.メロスと友 次に、メロスと友の関係をたどってみよう。「走れメロス」

    では、人質になったメロスの「友達」はセリヌンテイウスと

    いう名前が与えられた。この人はメロスの「竹馬の友」であ

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    り「無二の親友」である。 市 を 後 に し た メ ロ ス は 妹 を 結 婚 さ せ る た め に 故 郷 に 向 か

    って出発する。「人質」では、故郷からの帰路についたメロ

    スについて、簡潔に「急いで妹を夫といつしょにした彼は/

    気もそぞろに帰路をいそいだ/日限のきれるのを恐れて」と

    書いてある。この部分に、「走れメロス」では、大幅に内容

    が書き加えられている。そこには妹の結婚祝宴の席の様子や

    故郷・妹夫婦に対するメロスの未練などが書かれてある。出

    発する前に疲れたメロスは一睡し、寝過ぎたかと思い、跳ね

    起きると、「まだまだ大丈夫、これからすぐ出発すれば、約

    束の刻限までには十分間に合ふ」と確認し、「悠々と身仕度

    をはじめた」。そして少し歩き出すと、「まつすぐに王城に行

    き着けば、それでよいのだ。そんな急ぐ必要も無い。ゆつく

    り歩かう、と持ちまへの呑気さを取り返し、好きな小歌をい

    い声で歌ひ出した」。「呑気」なメロスには、ここでは、多少、

    自 分 の 身 代 り に な っ た た め 待 っ て い る 友 達 に 対 す る 気 配 り

    が欠けているように思われる 5。その後のいくつかの困難に遭

    遇するに至るまで、メロスの友に対する気持には、勝手な一

    面と都合のよさといった特徴が見られる。次に、メロスと友

    達との友情関係を確認した上で、メロスは何のために走るの

    かについて考えたい。 「人質」では、メロスが途中で困難に直面した時、身代り

    になってくれた友への気持の表現は次のようなものである。

    メロスは氾濫した川に向かって、「ああ、鎮めたまへ、荒れ

    くるふ流れを!/時は刻々に過ぎてゆきます、太陽もすでに

    /真昼時です、あれが沈んでしまつたら/町に帰ることが出

    来なかつたら/友達は私のために死ぬのです(下線論者)」

    5 寺 山 修 司(「 歩 け 、メ ロ ス ー 太 宰 治 の た め の 俳 優 術 入 門 」(『 ユ リ イ カ 』1975 年 3 月 p . 1 38)「 こ の エ ゴ チ ス ト の 道 化 の 頭 を 去 来 し て い る の は 、

    ひ た す ら 、自 分 の こ と ば か り で あ る 」と 寺 山 は メ ロ ス を 批 判 し て い る 。

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    といい、「彼は焦燥にかられた、ついに憤然と勇気をふるひ

    / 咆 え 狂 ふ 波 間 に 身 を 躍 ら せ / 満 身 の 力 を 腕 に か け て 流 れ

    を掻きわけた(下線論者)」。ここで見られるのは、友に対す

    る 責 任 感 と そ の 実 際 の 行 動 に よ っ て 自 分 の 決 心 を 表 し て い

    るメロスの姿である。 強盗にあった場面では、「いきなり彼は近くの人間から棍

    棒を奪ひ/『不憫だが、友達のためだ!』/と猛然一撃のう

    ちに三人の者を/彼は仆した、後の者は逃げ去つた(下線論

    者)」。そして、疲れきった時には「今、ここまできて、疲れ

    き つ て 動 け な く な る と は / 愛 す る 友 は 私 の た め に 死 な ね ば

    ならぬのか?(下線論者)」とあった。「人質」では、それぞ

    れの場面で、いずれも身代りになってくれた友の生死を常に

    念じており、最重視とするメロス像が描かれる。 最後の友の忠僕との会話では、「どうしても間に合はず、

    彼 の た め に / 救 ひ 手 と な る こ と が 出 来 な か つ た ら / 私 も 彼

    と 一 緒 に 死 の う / い く ら 粗 暴 な タ イ ラ ン ト で も / 友 が 友 に

    対する義務を破つたことを、まさか褒めまい/彼は犠牲者を

    二つ、屠ればよいのだ/愛と誠の力を知るがよいのだ!(下

    線論者)」ここでは、メロスは約束の時間に間に合わない可

    能性が高くなり、それによって友が殺されるという現状を意

    識した。ここでは、もし友が殺されるのであれば、自分も死

    ぬという意思表明をした。それは、たとえ殺されることにな

    っても、暴君には「愛と誠の力を知」らせようという絶対的

    な権力に対する抵抗とその無力さの表現と考えられる。以上

    のように、「人質」においては、メロスは諸々の困難に直面

    した時、身代りになってくれた友達に責任を感じ、王と約束

    した時限に間に合わせるために肉体の限界を極めていた。王

    と の 約 束 を 果 す こ と は 自 分 自 身 の 義 務 だ と 認 識 し て い る と

    考えられる。 一方、「走れメロス」では、メロスについての心境描写は

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    た だ 約 束 を 果 す た め の 肉 体 の 自 己 挑 戦 と い う 問 題 だ け で は

    ない。それぞれの困難に直面するときに、メロスの心境変化

    が書かれてある。まず、「呑気」な出発をしたあと、第一の

    難関、行く道を切断した濁流に遭ったとき、「ああ、鎮めた

    まへ、荒れ狂ふ流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽

    も既に真昼時です。あれが沈んでしまはぬうちに、王城に行

    き着くことが出来なかつたら、あの佳い友達が、私のために

    死ぬのです(下線論者)」と、メロスは「ゼウスに手を挙げ

    て哀願した」。そして、濁流に飛び込んだ場面で、「ああ、神々

    も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこ

    そ発揮して見せる(下線論者)」と言った。ここでは「人質」

    と同じく「愛と誠の力」という言葉を使っている。しかし「人

    質」の見せる対象は王であることに対して、ここでの対象は

    抽象な存在の「神々」である。 次に、「王の命令」で待ち伏せていた山賊たちに反撃する

    とき、「人質」での「不憫だが、友達のためだ!」という一

    言と対照的に、「走れメロス」では「気の毒だが正義のため

    だ!」とメロスは山賊たちに語る。ここでは、なぜ「正義の

    ため」かが、はっきり示されていないが、おそらくその「正

    義」とは、王のこのような卑劣な手段への抗議ではないか。

    もう一度整理してみれば、濁流で「愛と誠の偉大な力を」「発

    揮」して来たメロスは、今度は「正義のために」山賊たちを

    倒した。まったく、一貫性のないメロスの発言と思考だと思

    われる。さらに、とうとうメロスが疲れ切って動けなくなる

    と、メロスの心中では、「信」をめぐる一連の言葉が繰り返

    される。たとえば、次のような箇所には、「信」をめぐるメ

    ロスの心の動きが見られる(下線論者)。 ①愛する友は、おまへを信じたばかりに、やがて殺され

    なければならぬ。おまへは、稀代の不信の人間、まさし

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    く王の思ふ壺だぞ、と自分を叱つてみるのだが、全身萎

    えて、もはや芋虫ほどにも前進かなはぬ。 (p .297) ②私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を

    截ち割つて、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の

    血 液 だ け で 動 い て ゐ る こ の 心 臓 を 見 せ て や り た い 。

    (p .298)

    ③友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なの

    だからな。セリヌンテイウス、私は走つたのだ。君を欺

    くつもりは、みぢんも無かつた。信じてくれ! (p .298)

    ④正義だの、信実だの、愛だの、考へてみれば、くだら

    ない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法

    ではなかつたか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、

    醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬ

    る哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでし

    まつた。 (p .299)

    上の引用部分は、疲れきって走れなくなった時に、メロス

    の心中でおこった、「信」をめぐる一連の心の動きの描写で

    ある。「不信の人間」という声の後で、「私は不信の徒では無

    い」と自己アピールしてから、また「信じてくれ!」と友に

    信頼を求めようとした。暫くしたら、「私は、醜い裏切り者

    だ」と宣言した。結局、ここでは、「信」か「不信」かに結

    論のつかないことを通して、メロスの心中の逡巡が描き出さ

    れているが、ここでいう「信実」というものの実体とは何か

    については、まったく具体的な結論のつかないままである。

    しかし、実体の伴わないものにも拘わらず、このように繰り

    返し同じ言葉を使用することで、作中人物のメロスはこれら

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    の言葉が意味するものを大事にしているように見える。さら

    にいうと、「信」や「不信」との問題は、この時点のメロス

    にとっては行動で実践するものではなく、ただの念頭の変化

    に留まるものになる。 そして、メロスの肉体の疲労回復後に、今度は「信じられ

    る」ゆえに再び走り始めることになる(下線論者)。

    私を、待つてゐる人があるのだ。少しも疑はず、静か

    に期待してくれてゐる人があるのだ。私は、信じられて

    ゐる。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、な

    どと気のいい事は言つて居られぬ。私は、信頼に報いな

    ければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

    (p .299) このようなメロスの「信」に対する態度について、花田俊

    典は次のような観点から指摘した。 ふてくされた根性まるだしのメロスが立ち上がるのはし

    かし、いわゆる近代小説の主人公にふさわしい実存的な

    克己心からではない。彼は「信じられてゐる」から―け

    っして信じているからでなく―走るのだ 6。

    さらに花田はメロスが「対他的な他者地獄」の中に置かれ

    ていると指摘した。走ることは、他人のなんらかの期待・目

    線に応えるために行なわれていたと、花田は言うのである。

    さて、メロスにとっての他人の期待・目線はどういうものな

    のかを見てみよう。

    6花 田 俊 典 「 太 宰 治 の 弁 証 法 」( 山 内 祥 史 笠 井 秋 生 木 村 一 信 浅 野

    洋 編 『 二 十 世 紀 旗 手・太 宰 治 ― そ の 恍 惚 と 不 安 と ― 』和 泉 書 院 2 0 0 5年 3 月 31 日 p .157)

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    小説の展開された時間に沿ってみれば、最初に「そんなに

    私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンテイ

    ウスといふ石工がゐます。私の無二の友人だ。あれを、人質

    としてここに置いて行かう。私が逃げてしまつて、三日目の

    日暮まで、ここに帰つて来なかつたら、あの友人を絞め殺し

    て下さい。たのむ。さうしてください。」とメロスは王へ提

    案し、約束する。ここでは、メロスの「信実」の義務を果す

    べき相手は、暴君のはずである。最初は「けふは、是非とも

    あの王に、人の信実の存するところをみせてやろう」という

    出発点だったが、いつの間にか引用①②③④のように、その

    「信実」の果す対象は、友人になった。つまり、諸困難に遭

    遇したあと、メロスが走ったのは、暴君との約束を守るため

    というより、友人との間の信頼関係を維持するためである。

    「走れメロス」の途中から、メロスの約束の履行対象は、暴

    君ではなくなり、友達のセリヌンテイウスとなった。つまり、

    ここでの走る意味は、友の信頼に報いることにある。このよ

    うに、「走れメロス」の小説内部においては、「信実」の義務

    を果す対象に大きな転換の操作が仕掛けられており、「人質」

    で は 王 と の 約 束 を 果 す た め に 最 後 ま で 走 っ た こ と と 大 き な

    相違がある。 そして、最後のクライマックスでは、約束の時間に間に合

    ったメロスと友人がお互いに「悪い夢を見た」ことと「生れ

    て、はじめて君を疑つた」ことを理由に、どちらも自分を殴

    ってほしいという。その後の二人について、次のように描か

    れている。 「ありがたう、友よ。」二人同時に言ひ、ひしと抱き合ひ、

    それから嬉し泣きにおいおい声を放つて泣いた。 (p .302)

    ここでの「嬉し泣き」は、二人の友情(愛や、誠や、信実

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    などの要素が含まれるもの)を、この事件によって、再確認

    することが出来た事から来ていると言えるであろう。それに

    よって、「群衆の中からも、歔欷の声が聞えた」。しかしなが

    ら、振りかえってみると、メロスのいう「愛と誠」「信実」

    などは、「呑気」に出発した当初に強く持っていた信念では

    ない。メロスのせりふと語り手の繰り返した語りによって、

    あたかもそれが、いつしかメロスの元々持っていた清らかな

    節操のようなものになったのである。さらに、メロスと友人

    が互いに殴打を求めた場面では、それらのものがあたかも最

    初から堅実に実在したかのように、逆方向からそのもともと

    の存在を証明しようとする。走ったことによって、メロスが

    果した「信実」は暴君との約束に直接に応えたものではない

    し、暴君の「信実とは、決して空虚な妄想ではなかつた」と

    いう発言に直接対応するはずのものでもない。なぜかという

    と、暴君の言った「信実」は、計算高い政治手腕による発言

    でしかないと考えられるからである。 メロスと王との二つの「信実」の意味は今まで論じてきた

    ように、全く違う経過で、それぞれの内実を持ちながら、結

    末で、いわば“初めて生まれた”ものであるにも関わらず、

    あ た か も そ れ ぞ れ の 人 物 に 最 初 か ら 内 在 す る 同 質 の も の で

    あるかのように、「走れメロス」の文末に配置されているの

    である。

    5.結論

    〈原典〉の「人質」とほぼ同じプロットで展開された「走

    れメロス」だが、人物設定または人物間の微妙な関係設定の

    変更によって、新しい物語になった。「人質」と比較する事

    によって、「走れメロス」では意図的に「信実」をめぐる一

    連の信念を強調しようとしていることは明らかである。「走

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    れメロス」の作中では、「信実」とはなにかが、はっきりと

    明かされないままに、「信実」がこの小説の主題となったよ

    うに見える。メロスと友達との間の信頼関係は語り手の語り

    とメロスの「信」をめぐる一連の台詞の繰り返しによって、

    一方的に強くなるようになった。最後に友達に殴ってほしい

    と求めた事で、彼らの信頼関係はさらに堅固なものになった。

    一方、王は人間不信という被害者の姿で登場したが、メロス

    が約束通りに戻ってくるのを予想し、メロスの帰りを邪魔す

    る山賊の待ち伏せを命令した。王の抱えている問題は、単な

    る人間不信だけではないと断言できる。刑場で、メロスは約

    束通り戻り友達を救った時、王は赤面して「信実とは、決し

    て空虚な妄想ではなかつた」と言った。その言葉は、王が「信」

    じていたから語ったものではなく、王に語られたことによっ

    て、はじめて「信実」が「空虚な妄想」でなくなったのであ

    る。つまり、この言葉の意味は、すでに論じてきたとおり、

    王の真意ではなく、計算高い政治的手腕から発した言葉だけ

    なのである。 また、メロスの友達に対する「信」の意識は、最初から一

    貫していなかったことも明らかである。一見すると、この小

    説は、エゴイスティックなメロスが邪智暴虐の王との約束を

    果した物語に見え、「信実」についての言葉の繰り返しによ

    って、信実と友情の美しさを語る物語かのようになっている。

    しかし、メロスにとっての「信実」の意味は全文を通してみ

    れば、一貫したものではなく、最後のセリヌンテイウスとの

    やり取りで、“初めて生まれた”ように見える。しかも、王

    における「信実」には単に約束を果すかどうかだけのもので

    はなく、一層複雑な政治的要素が入っている。実は、この身

    分の違った二人にとっての「信実」はまったく内実の異なっ

    たものなのである。このようにそれぞれ異なった「信実」は、

    重層的な作品構造を経て、最後に王の「信実とは、決して空

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    虚な妄想ではなかつた」の発言で、肯定的にその存在が認め

    られた。 作 者 は 翻 案 と い う 方 法 を 通 し て 、 実 体 の は っ き り し な い

    「信実」をここで表現し、あたかも「信実」が存在したもの

    のように、錯覚を作り、しかも最後に「信実」の存在を肯定

    的な態度で捉えようとしている。だが、実際に作品を辿って

    いくと、いわば結果として“初めて生まれた”「信実」は「空

    虚な妄想」であると言わざるを得ない部分もある。〈原典〉

    を翻案することによって、このように作品では「信実」とは

    何かという問題が浮き彫りにされていると言える。太宰が描

    いた「信実」とは、一般に信じられているように個人の内面

    に確固として内在するものではなく、むしろ個人の置かれた

    場において、他者との関係性の中にあって発揮され生まれて

    くるものであると同時に、他者からの注視を必要とするきわ

    めて劇場的な性格を持った場的な存在である。「走れメロス」

    には、「信実」の多面性、多義性が、こうしてきわめて逆説

    的にドラマティックに描き出されているのである。

    テキスト 1 .「走れメロス」(『太宰治全集4』筑摩書房 1998 年 7 月)ただし、漢字は新字体に改めてある。 2 .「人質」譚詩(第二編ステラクリポの指輪『新編シラー詩抄』小栗孝則訳 1937 年 7 月 改造文庫 改造社 p.263~273)以下は、原文全文。本文中の/は改行を、//は改連を意味する。なお、漢字は新字体に改めてある。 暴 君 デ ィ オ ニ ス の と こ ろ に / メ ロ ス は 短 剣 を ふ と こ ろ に し

    て忍びよつた/警吏は彼を捕縛した/「この短剣でなにをす

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    るつもりか? 言へ!」/険悪な顔をして暴君は問ひつめた

    /「町を暴君の手から救ふのだ !」/「磔になつてから後悔するな」――//「私は」と彼は言つた「死ぬ覚悟でゐる/命

    乞 ひ な ぞ は 決 し て し な い / た だ 情 け を か け た い つ も り な ら

    / 三 日 間 の 日 限 を あ た へ て ほ し い / 妹 に 夫 を も た せ て や る

    そ の あ ひ だ だ け / そ の 代 り 友 達 を 人 質 と し て 置 い て を こ う

    /私が逃げたら、彼を絞め殺してくれ」//それを聞きなが

    ら 王 は 残 虐 な 気 持 で 北 叟 笑 ん だ / そ し て 少 し の あ ひ だ 考 へ

    てから言つた/「よし、三日間の日限をおまへにやらう/し

    か し 猶 予 は き つ ち り そ れ 限 り だ ぞ / お ま へ が わ し の と こ ろ

    に 取 り 戻 し に 来 て も / 彼 は 身 代 り と な つ て 死 な ね ば な ら ぬ

    /その代り、おまへの罰はゆるしてやらう」//さつそくに

    彼は友達を訪ねた。「じつは王が/私の所業を憎んで/磔の

    刑 に 処 す と い ふ の だ / し か し 私 に 三 日 間 の 日 限 を く れ た /

    妹 に 夫 を も た せ て や る そ の あ ひ だ だ け / 君 は 王 の と こ ろ に

    人質となつてゐてくれ/私が縄をほどきに帰つてくるまで」

    / / 無 言 の ま ま で 友 と 親 友 は 抱 き し め た / そ し て 暴 君 の 手

    か ら 引 き 取 つ た / そ の 場 か ら 彼 は す ぐ に 出 発 し た / そ し て

    三日目の朝、夜もまだ明けきらぬうちに/急いで妹を夫とい

    つ し よ に し た 彼 は / 気 も そ ぞ ろ に 帰 路 を い そ い だ / 日 限 の

    きれるのを怖れて//途中で雨になつた、いつやむともない

    豪 雨 に / 山 の 水 源 地 は 氾 濫 し / 小 川 も 河 も 水 か さ を 増 し /

    や う や く 河 岸 に た ど り つ い た と き は / 急 流 に 橋 は 浚 は れ /

    轟 々 と ひ び き を あ げ る 激 浪 が / メ リ メ リ と 橋 桁 を 跳 ね と ば

    してゐた//彼は茫然と、立ちすくんだ/あちこちと眺めま

    は し / ま た 声 を か ぎ り に 呼 び た て て み た が / 繋 舟 は 残 ら ず

    浚 は れ て 影 な く / 目 ざ す 対 岸 に 運 ん で く れ る / 渡 守 り の 姿

    も ど こ に も な い / 流 れ は 荒 々 し く 海 の や う に な つ た / / 彼

    は河岸にうづくまり、泣きながら/ゼウスに手をあげて哀願

    した/「ああ、鎮めたまへ/荒れくるふ流れを !/時は刻々に

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    過ぎてゆきます、太陽もすでに/真昼時です、あれが沈んで

    し ま つ た ら / 町 に 帰 る こ と が 出 来 な か つ た ら / 友 達 は 私 の

    ために死ぬのです」//急流はますます激しさを増すばかり

    /波は波を捲き、煽りたて/時は刻一刻と消えていつた/彼

    は焦燥にかられた、つひに憤然と勇気をふるひ/咆え狂ふ波

    間 に 身 を 躍 ら せ / 満 身 の 力 を 腕 に か け て 流 れ を 掻 き わ け た

    /神もつひに憐愍を垂れた//やがて岸に這ひあがるや、す

    ぐ に ま た 先 き を 急 い だ / 助 け を か し た 神 に 感 謝 し な が ら ―

    ―しばらく行くと突然、森の暗がりから/一体の強盗が躍り

    出た/行手に立ちふさがり、一撃のもとに打ち殺そうといど

    み か か つ た / 飛 鳥 の や う に 彼 は 飛 び の き / 打 ち か か る 弓 な

    りの棍棒を避けた//「何をするのだ?」驚いた彼は蒼くな

    つて叫んだ/「私は命いのち

    の外にはなにも無い/それも王にくれ

    てやるものだ !」/いきなり彼は近くの人間から棍棒を奪ひ/「不憫だが、友達のためだ !」/と猛然一撃のうちに三人の者を/彼は仆した、後

    あ と

    の者は逃げ去つた//やがて太陽が灼熱

    の 光 り を 投 げ か け た / つ ひ に 激 し い 疲 労 か ら / 彼 は ぐ つ た

    りと膝を折つた/「おお、慈悲深く私を強盗の手から/さき

    には急流から神聖な地上に救はれたものよ/今、ここまでき

    て、疲れきつて動けなくなるとは/愛する友は私のために死

    なねばならぬのか?」//ふと耳に、潺々と銀の音色のなが

    れるのが聞こえた/すぐ近くに、さらさらと水音がしてゐる

    /じつと声を呑んで、耳をすました/近くの岩の裂け目から

    滾 々 と さ さ や く や う に / 冷 々 と し た 清 水 が 湧 き で て ゐ る /

    飛 び つ く や う に 彼 は 身 を か が め た / そ し て 焼 け つ く か ら だ

    に 元 気 を 取 り も ど し た / / 太 陽 は 緑 の 枝 を す か し て / か が

    や き 映 え る 草 原 の 上 に / 巨 人 の や う な 木 影 を ゑ が い て ゐ る

    / 二 人 の 人 が 道 を ゆ く の を 彼 は 見 た / 急 ぎ 足 に 追 ひ ぬ こ う

    としたとき/二人の会話が耳にはいつた/「いまごろは彼が

    磔にかかつてゐるよ」//胸締めつけられる想ひに、宙を飛

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    ん で 彼 は 急 い だ / 彼 を 息 苦 し い 焦 燥 が せ き た て た / す で に

    夕 映 の 光 り は / 遠 い シ ラ ク ス の 塔 楼 の あ た り を つ つ ん で ゐ

    る / す る と 向 ふ か ら フ ィ ロ ス ト ラ ト ス が や つ て き た / 家 の

    留守をしてゐた忠僕は/主人をみとめて愕然とした//「お

    戻 り く だ さ い ! も う お 友 達 を お 助 け に な る こ と は 出 来 ま せん/いまはご自分のお命が大切です !/ちようど今、あの方が死 刑 に な る と こ ろ で す / 時 間 い つ ぱ い ま で お 帰 り な る の を

    / 今 か 今 か と お 待 ち に な つ て ゐ ま し た / 暴 君 の 嘲 笑 も / あ

    の方の強い信念を変へることは出来ませんでした」――//

    「どうしても間に合はず、彼のために/救ひ手となることが

    出 来 な か つ た ら / 私 も 彼 と 一 緒 に 死 の う / い く ら 粗 暴 な タ

    イラントでも/友が友に対する義務を破つたことを、まさか

    褒めまい/彼は犠牲者を二つ、屠ればよいのだ/愛と誠の力

    を知るがよいのだ !」//まさに太陽が沈もうとしたとき、彼は 門 に た ど り 着 い た / す で に 磔 の 柱 が 高 々 と 立 つ の を 彼 は

    見 た / 周 囲 に 群 衆 が 憮 然 と し て 立 つ て ゐ た / 縄 に か け ら れ

    て友達は釣りあげられてゆく/猛然と、彼は密集する人ごみ

    を掻きわけた/「私だ、刑吏 !」と彼は叫んだ「殺されるのは !/彼を人質とした私はここだ !」//がやがやと群衆は動揺した / 二 人 の 者 は か た く 抱 き 合 つ て / 悲 喜 こ も ご も 気 持 で 泣

    いた/それを見て、ともに泣かぬ人はなかつた/すぐに王の

    耳 に こ の 美 談 は 伝 へ ら れ た / 王 は 人 間 ら し い 感 動 を 覚 え て

    / 早 速 に 二 人 を 玉 座 の 間 に 呼 び よ せ た / / し ば ら く は ま ぢ

    まぢと二人の者を見つめてゐたが/やがて王は口を開いた。

    「 お ま へ ら の 望 み は 叶 つ た ぞ / お ま へ ら は わ し の 心 に 勝 つ

    た の だ / 信 実 と は 決 し て 空 虚 な 妄 想 で は な か つ た / ど う か

    わ し を も 仲 間 に 入 れ て く れ ま い か / ど う か わ し の 願 ひ を 聞

    き入れて/おまへらの仲間の一人にしてほしい」

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    参考文献 1. 角田旅人「『走れメロス』材源考」(『香川大学一般教育研

    究』1983 年 10 月 山内祥史編『近代文学作品論集成⑧太

    宰治『走れメロス』作品論集』所収 2001 年 4 月 クレ

    ス出版)

    2. 寺山修司「歩け、メロスー太宰治のための俳優術入門」(『ユリイカ』 1975 年 3 月)

    3. 東郷克美「『走れメロス』の文体」(『月刊国語教育』 1981年 11 月『近代文学作品論集成⑧太宰治『走れメロス』作

    品論集』所収 前掲書)

    4. 長谷川泉「『走れメロス』鑑賞」(『国語通信』1959 年 5 月 『近代文学作品論集成⑧太宰治『走れメロス』作品論集』

    所収 前掲書)

    5. 花田俊典「太宰治の弁証法」(山内祥史 笠井秋生 木村一信 浅野洋編 『二十世紀旗手・太宰治―その恍惚と不

    安と―』和泉書院 2005 年 3 月 31 日)

    6. 渡部芳紀(「『走れメロス』の魅力」『月刊国語教育』 1996年 5 月『近代文学作品論集成⑧太宰治『走れメロス』作品

    論集』所収 前掲書)

    附記 本稿は、「 2006 年中國文化大學中日的社会與文化學術

    研討會」( 5 月 13 日 於中国文化大学)での口頭発表に加筆

    訂正を行ったものである。