christmas - coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2)...

栄    光 2015 年 12 月号 説 教 姿31 12 24 15 35 36 11 25 14 15 35 49 No.733 説教……………1 特集・私の好きな クリスマスの場面…2 召天者記念礼拝 報告………… 4 幼児祝福式報告5 追悼・ 鎌田紘子姉……5 語り継ぐ80年の歩み 「有隣病院と経堂 北教会」……… 伝道師のメモ帳…7 牧師の書斎から…7 長老のファイル…8 (1)

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Page 1: Christmas - Coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2) 私の好きな Christmasの場面 「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

栄    光 2015 年 12 月号

説 教

 パウロはこの世界を見渡します。

全ての自然の命の体は、それぞれ

肉を身にまといます。この世界の

あらゆる生き物は、それぞれに自

然の命を与えられ、個性ある姿を

しています。生き物のことだけで

はありません。太陽は太陽らしく、

月は月らしく、満天の夜空に広が

る星はそれぞれの星らしく輝きま

す。主なる神の御手の業による天

地創造の神秘です。それらは「す

べて良し」です(創世記1・31)。

 

パウロは麦の種を引き合いに出

します。一粒の麦の種が地に蒔か

れます。そのことをパウロは「死

ぬ」と表現します。キリストが、「一

粒の麦は、地に落ちて死ななければ、

一粒のままである。だが、死ねば、

多くの実を結ぶ」(ヨハネ12・24)

と語ってくださったことを思い出

したのでしょうか。死んだ一粒の

麦、つまり地に蒔かれた麦はやが

て芽を出し、成長し、花を咲かせ、

実を結びます。一粒の麦にさえ、

主なる神は御心のままに肉の体を

与えるとパウロは理解しました。

 

私たちの愛する家族は、この主

の恵みのもと、天に召されました。

 

葬儀のたびに申し上げることは

一つです。「私の生涯こそ、私の

メッセージ」です。自分がどれほ

どのことを成し遂げ、何者かと

なって、どれだけこの地上に名を

なしたかということではありませ

ん。その反対に情けない生涯だっ

たというメッセージでもありませ

ん。自分のような者にも、主の豊

かな恵みが注がれ、生かされ、導

かれ、主の御手によって、天に召

されるのです。

 

天に召された方のことを思い、

「なぜ」という問いは、なおあるこ

とでしょう。また死んだ後はどう

なるのかという疑問もあるでしょ

う。パウロも問いかけられました

(1コリント15・35)。そして、一蹴

しました。「愚かな人だ」(同36節)。

 

この自然の命の体は、地に属す

る肉の体にもなります。その反対

に天に属する霊の体にもなりま

す。このことは、死や死後の問題

なのではありません。今を生きる

ことの課題だからです。明日のこ

とや死後のことを思い煩うのでは

なく、今日を精一杯喜んで、祈り、

感謝して生きるためです。

「わたしはよみがえりであり、命

である。わたしを信じる者はた

とい死んでも生きる」(ヨハネ

11・

25)とキリストが語ってく

ださいました。この言葉に、自然

の命の体を与えられた私たちが、

霊の体として生きる道がありま

す。「わたしは道であり、真理で

あり、命である」(同14・

6)と

語ってくださったキリストに従う

道、私たちの信仰の先達が生涯を

歩み抜かれ、天にまで至った道を

歩みとおすのです。このことこそ

霊の体の生きる道です。

 

死は、ある日突然やってきます。

同じように永遠の命も、向こう側

からやってきます。しかし、中身

は全く正反対だとある方が記して

いました。愛する家族、先達の死

を通して、当たり前のように1日

1日を生きていることが、本当は

自明のことではないことに、私た

ちは気づかされるのです。この

命が神が与えてくださった命であ

り、多くの方の命によって支えら

れる命だと、死を通して改めて気

づかされるのです。

 

死に脅かされるのではなく、神

が与えてくださった命のありがた

さに気づくとき、私たちは新しい

人としてきっと生き始めることで

しょう。霊的な命の体として、一

日一日を喜んで、祈り、感謝して

生きることができるでしょう。御

言葉がこの命を養い、生かしてく

ださいます。聖霊の火が私たちの

まことの命を燃やし続けてくれま

す。私たちの愛する家族の生涯を

導いてくださった神御自身が、同

じように私たちの生涯を導いてく

ださいます。

(召天者記念礼拝)

『死生観』

創世記2章4節後半~8節

コリントの信徒への手紙一15章35節~49節

岸 

俊彦

No.733

説教……………1

特集・私の好きなクリスマスの場面…2

召天者記念礼拝報告………… 4

幼児祝福式報告…5

追悼・鎌田紘子姉……5

語り継ぐ80年の歩み「有隣病院と経堂北教会」………6

伝道師のメモ帳…7

牧師の書斎から…7

長老のファイル…8

(1)

Page 2: Christmas - Coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2) 私の好きな Christmasの場面 「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

栄    光2015 年 12 月号 (2)

私の好きなChristmasの場面

「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

大人の私たちも、わくわくとした気持ちになるのではないでしょうか。小さい頃から慣れ親しんだ「クリスマスものがたり」。

皆さんはどの場面が一番好きですか? 好きな聖書の箇所はありますか?教会学校ミュージカルのあの場面でしょうか。

 

ヨーロッパ音楽の中でクリスマ

スの音楽ほど美しいものはありま

せん。それは、人々の希望と感謝

の心の表れだからでしょう。アダ

ンの『オー・ホーリーナイト』も

トーマスの『クリスマスの星』も

素晴らしい曲です。讃美歌集の中

にもきらめく美しさの曲がたくさ

んあります。

 

高校生になって礼拝の授業を受

けるようになり、キリスト教に出

会った私は、讃美歌の美しさに心

惹かれました。礼拝の一番の楽し

みは、混声四部で歌う讃美歌でし

た。その中で最も美しい音楽はク

リスマスの音楽だということを知

りました。

 

45年前の12月。初めて経験する

クリスマス礼拝に衝撃を受けまし

た。立派なホールを持たない私の

母校は、体育館を会場として、一

度に二千人の児童・生徒・学生が

集い、クリスマス礼拝を守ります。

二千人のキャロル

圓山 芳則

残響の長い体育館に響き渡る混声

四部合唱の讃美歌は、耳だけでは

なく、皮膚を伝って心に響きます。

そして、キャンドルサービス。今

ではとてもできない、ローソクを

使ったサービス。微妙に炎が揺ら

めき、音楽と光のクリスマス礼拝

は、心にしみました。

 

それから6年後の大学生になっ

た頃。ロックオペラ『ジーザス・

クライスト・スーパースター』が

話題を呼びました。クリスマス

礼拝にロックオペラが取り入れられ、

静かで心にしみるクリスマスのイ

メージを持っていた私は、反発し、

礼拝を欠席しました。礼拝が必修

だった母校では、欠席はありえま

せん。尊敬する恩師から欠席の理

由文四千字の課題が出され、「ク

リスマスはお祭り騒ぎではなく、

心静かに主の御降誕をお祝いする

もので、ロック音楽はふさわしく

ない」という偏見に満ちた文を書

きました。基本的には、今でも静

かなクリスマスを守りたいと思い

ますが、今はもう少し心が広くな

り、ロックオペラも聴いています。

 

クリスマスといえば、母校のク

リスマス礼拝が思い起こされます。

Page 3: Christmas - Coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2) 私の好きな Christmasの場面 「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

栄    光 2015 年 12 月号(3)

 

幼い頃のクリスマスと言えば、

母が通っていたICU教会の愛餐

会でひたすら踊り、その姿を見た

方々から両親が声をかけられてい

たこと、家のクリスマスツリーに

飾りつけをするのが楽しかったこ

とが浮かんできます。

 

小学生時代に住んでいたイギリ

スでは、家々の趣向を凝らしたイ

ルミネーションと、延々とラジオ

から流れるクリスマスキャロルが

クリスマスのお供でした。クリス

マスキャロルをピアノで弾いてみ

るようになったのもこの頃です。

また、小6の時、クリスマス当日

にアメリカの知人の家を訪ねまし

たが、イギリスとは違ったスケー

ルの大きな各家庭のイルミネー

ションと、クリスマス商戦に沸く

ショッピングモールが印象に残っ

ています。

 

社会人になってからは、11月に

 

ベランダのシャコバサボテンが

イエス様の御降誕を待ちかねたよ

うに咲き始めています。別名クリ

スマス・カクタスとも言い、丁度

クリスマスの頃に咲く愛らしい花

です。秋になって小さなつぼみが

見え始めると日に日に大きくな

り、やがて華やかな満開となって

ベランダを彩ります。

 

クリスマス近くになると、形を

整えた作り物のモミの枝に、レー

ス編みの雪の結晶や関連のオーナ

メントを吊り下げて、玄関の下駄

箱の上に飾ります。キャスリン・

バトルやパット・ブーンのクリス

マスソングを聴きながらの心躍る

ひとときです。

 

クリスマスと言うと少女時代の

愛読書の一つL.M.オルコット

作の『若草物語』がすぐ思い出さ

れます。南北戦争時代のアメリカ

東部、裕福ではないけれど温かい

クリスマスと私

クリスマスの季節

原 知子

弦巻洋子

入ってイルミネーションを見ると

クリスマスを感じるようになりま

した。空気が冷え込んで寒いと思

いつつも、東京都心の商業ビルの

クリスマスツリーやイルミネー

ションを眺め、どこからともなく

耳慣れた音楽が聴こえてくると温

かい気持ちになるものです。

 

それ以外のクリスマスの記憶

は、勿論CSのミュージカルです。

台詞を覚え、歌を覚え、レコーディ

ングをし、踊りを覚えて練習する

のは楽しかったものです。主役に

なった年は、やはりどことなく嬉

しかったのを覚えています。今で

も歴代の名曲は、冬になるとつ

いつい口ずさんでしまいます。ハ

プニングだらけのリハーサルを経

て、何事もなかったかのように完

璧な本番を迎える、というのがC

Sクリスマスの定番です。ここ数

年は仕事が忙しくて、ほぼ本番一

発勝負の裏方専従ですが、子ども

たちが教会につながっているきっ

かけになればと祈りつつ、これか

らも細々と携わっていたいなと

思っています。

牧師の家庭、マーチ家の四人姉妹

の成長物語です。何人かの監督が

映画化していますが、私が好き

なのは、マーヴィン・ルロイ監督

の1949年作品で主役とも言え

る次女ジョー(ジョセフィン)は

ジューン・アリソンが演じ、「贈

り物の無いクリスマスなんてクリ

スマスではないわ」という彼女の

セリフで始まります。

 

クリスマス映画と言うと、マイ

ケル・カーティス監督、ビング・ク

ロスビーとダニー・ケイの「ホワイ

ト・クリスマス」(1954年)も

有名で同名の主題歌は永遠の名

曲となりました。ジョージ・シー

トン監督でモーリン・オハラ、ナタ

リー・ウッドの「34丁目の奇蹟」な

ども好きで、シーズンには録画を見

たりして、その気分にひたります。

 

音楽も欠かせません。聖歌隊で

は秋からクリスマス曲の練習が始

まります。すると、ギャラリーが

クリスマス色になるような気がし

ます。

 

12月12日にはバッハの「クリス

マス 

オラトリオ」を聴きに行く

予定で、楽しみにしているところ

です。メリー 

クリスマス!

Page 4: Christmas - Coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2) 私の好きな Christmasの場面 「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

栄    光2015 年 12 月号 (4)

 

今年の召天者記念礼拝も、礼拝

堂の壁にいっぱいの写真に囲まれ

て、守ることが出来ました。私は

お一人お一人に「またお目にかか

れましたね」とか「楽しいこと、

笑い合ったりもしましたね」とか

「いろいろ助けて頂いてありがと

うございました」と御挨拶しなが

ら廻りました。

 

村田先生の初期の頃の方々は存

じ上げないのですが、大半は礼拝

の席が近くだったり、後のルデヤ

会で一緒の学びや奉仕をさせて頂

いたり、修養会でグループを共に

した、懐かしい方々ばかりです。

 

礼拝後の愛餐会の折りに、教会

とのつながりが太く長い方々のお

話を伺い、経堂北教会が今日迄、

神様による一致を以つて、信仰と

伝道に歩み続けた証しを聴かせて

頂いたと思いました。

 

私は思いがけず、今年の召天者

記念礼拝と愛餐会に、家族と共に

出席させて頂きました。主人平山

務は20代で上京し、経堂北教会の

 

私は、北教会に学生時代の19

54(昭和29)年春から1年間、

お世話になっており、今年は教会

を離れて60年、節目の年である。

 

召天者名簿には私の祖父に当る

「範太郎」の名もあったが、養子

の私には生前の面識はない。だが

私なりのイメージは持っていた。

アララギ派の歌人でもあり、召天

の一週間前に次の歌を詠んだ。

 

雨しとしと 

この静けさは 

のものならず 

つかさどり給う神 

いずくに 

いますや

 

これは当時のラジオ番組に採り

あげられ、放送されたという。

 

ところで、北教会での最大の思

い出は、夏(7月)、久里浜での

二泊三日の青年会修養会である。

 

初日夜の会合で、特別参加の山

中朋二郎長老が熱弁を振るった。

翌日の午後、親睦会として海水浴

等をしていた時、山中長老が丘の

上で帽子を振って「帰るぞ」の意

思表示をした場面があった。この

姿を見てこれに応える時、平山務

兄が「さすが提督だな」といった

言葉が、私も同感の思いだったの

いつも一緒に

平山みつし

召天者記念礼拝に参列して

山中 稔

会員となりました。主人が米国へ

フルブライトの留学生として参り

ます時、婦人会(現在のナオミ

会)が、アメリカへ行くなら何か

日本の物とのお考えからか、ゆか

たを仕立て、送別にしてください

ました。主人は大変感謝して、何

度も何度も婦人会の方々にお世話

になったと申しておりました。

 

私が阿佐ヶ谷教会から転会して

から、何かにつけて「平山さんの

奥さん、平山さんの奥さん」と声

をかけられ、いつの間にか馴染ん

でいきました。飾られたお写真か

ら、そのお声が聞こえて来るよう

です。

 

主人の生活は会社人間的にな

り、海外出張も多く、教会生活は

ままならない年月がありました。

定年後はカナダミッションの学校

とキリスト教主義の学校で、事務

局長を務めさせて頂き、70才で引

かせて頂いた後、キリスト者とし

て教会の一員として、残りの日々

を真剣に必死に過ごしていたよう

に思います。こうして一年に一度

礼拝堂に掲げられ、写真に安住の

場が与えられたようです。感謝で

ございます。

で強く印象に残った。

 

後年(5年後)、予想もしなかっ

た私に山中家入りの養子話があ

り、新潟の片田舎まで足を運んで

の話合いで決まったのだが……。

 

私にとっては、この海辺での平

山兄の一言が、養子入りに対する

私の気持を後押ししてくれたよう

な気がしているのである。

 

四半世紀以上にわたる「朋二郎・

キク夫妻」との一つ屋根の下での

生活は、算えあげれば「功罪」い

ろいろあろうが、顧みて、恵み豊

かなものであったといえる。

 この度、記念礼拝に参列して、「召

天者の霊よ、安かれ」と祈るとと

もに、これは縁者、知人に対する

私の近況報告の場でもあった。

召天者記念礼拝報告

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栄    光 2015 年 12 月号(5)

数々のつながりに感謝して

故・鎌田紘子姉

追 悼

 

鎌田紘子姉の記念礼拝には、教

会員や恵泉関係者の他、多くの方

が出席されました。私のお隣は小

塩トシ子先生でした。紘子先生と

はロンドン時代からのお仲間で、

紘子先生は小塩先生を憧れの方と

言っておられました。

 

私は13年前に、小塩先生の『こ

とばの花束』という祈りの本で写

真を担当させていただきました。

紘子先生はそのことをとても喜ん

でくださり、出版記念写真展では

両先生をお招きしました。その後

も、数回3人で会食を楽しみまし

た。この3月、教文館での写真

展に紘子先生が来てくださいまし

た。いつもと変わらずハイヒール

で、ふわふわの毛のついたコート

でいらっしゃり、術後初めての再

会にハグして喜び合いました。少

し前に小塩先生が来られ、紘子先

生を心配しておられたのですが、

そのタイミングで紘子先生が現れ

るという奇跡。神さまのお計らい

だと感謝し、3人で写真を撮りま

した。これが最後の記念写真にな

りました。

 

先生は人を心から思い、実際に

行動された方です。礼拝では、病

床にあった干場三英子さんの「恵

泉チャペルコンサート」が紘子先

生の働きかけによるものだったと

語られました。私は7年前から恵

泉の公開講座で植物の写真クラス

を担当しています。講座企画担当

のSさんは、私の写真を見かけ、

ご記憶にあった私の名前を受講生

名簿から探されたそうです。私は

先生に頼まれて英語の講座に出た

ことがあったのです。先生が出会

いをくださったような気がしてい

ます。恩師の吉川俊子先生の話に

も感銘を受けました。先生のキリ

スト者、教育者としての姿勢は多

くの方の目に心に焼き付いて、こ

れからも生き続けるのでしょう。

天での再会を信じ、希望を胸に今

を大切に歩みたいと思います。紘

子先生のように。  (灇真智子)

 

今年も無事、次女・花菜子の幼

児祝福式を迎えられたことを感謝

します。上の子が双子だったため、

幼児祝福式といえば朝から着替え

でバタバタ、礼拝ではどちらかが

泣き出さないかハラハラ、記憶が

あるのかないのかわからないうち

に終わっていました。今年は花菜

子一人なので、初めてゆっくり過

ごせるかと思いきや、岸牧師の手

を払いのけるという暴挙に出たた

め、これまでとはまた違った心配

が増えてしまいました。

 

以前、子供の「存在」と「行為」

は区別すべきという話を聞いたこ

とがあります。生まれたときは「存

在」するだけで愛おしいと思って

いても、大きくなって、すべきこ

とをしなかったりすると、その「行

為」に目がいってしまいます。そ

れでも「行為」と「存在」を区別

し、いつまでもその「存在」を愛

すべきだと。確かに、生まれる前

は「健康に生まれてくれればそれ

だけでいい」と思っていたのが、

月日が経つと色々と欲が出てきて

しまい、また、慌ただしい日常生

活の中でその「存在」を感謝する

時間すら持てないことが多いです

が、これからも幼児祝福式の日は

純粋に子供たちの「存在」を感謝

し、愛おしむ日にしていきたいと

思います。    (角田麻里子)

幼児祝福式報告

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栄    光2015 年 12 月号 (6)

 

46年(昭21)、石井(十時)久

枝姉は、恵泉女学園中学部に入学

した。1年上に植野敦子姉がい

た。キリスト教主義を掲げる学園

だが、終戦翌年のことだから、ま

だクリスチャンなど殆どいない。

河井道校長は、全体集会の度に、

「教会の礼拝にぜひ出席を」と勧

めていた。ある時、「私は村田教

会に行ってるの」と隣席から囁い

て来たのが、宮城千枝子姉(母和

子姉は、婦人会長・長老を長く務

めた)だった。石井一家、薫姉・

敬成兄・久枝姉の3人で、最初に

教会の礼拝に出席したのは、46年

の敬成兄で、久枝姉は2年後、そ

の村田教会、経堂北教会の礼拝に

初めて出席した。一家で最初の受

洗者も47年の敬成兄で、その2年

後のクリスマスに、義母、薫姉と

久枝姉が一緒に村田正亮牧師から

受洗した。

 

石井薫姉の夫君、敬一郎氏は、

40年(昭15)、千葉・松戸から世

田谷・船橋に移り、撮影所跡地を

購入して、有隣病院を設立した。

戦後、結核が蔓延する中での結核

病院としてのスタートである。47

年、夫君敬一郎氏を失い、以後、

薫姉は、有隣病院理事長を務め

ていた。ところが、50年(昭25)、

病院は、漏電のため出火し、2、

3の小さな建物を除いて、ほぼ全

焼してしまった。「この焼け跡の

片付け・整理に、青年会が本当に

熱心に取り組んでくれた」と久枝

姉は述懐する。

 

当時、青年会は、大学生が大半

で、教会記録によると、50年度の

青年会員50人(男22、女28人)で、

男子大学生が多かったことを物

語っている。この年の現住陪餐会

員は117人で、青年会が、ほぼ半分

を占める教会内最大グループだっ

た。7月の有隣病院大火後、青年

会は、松沢教会青年会と合同して、

焼け跡の片付けに取り組んだ。夏

休みをすべて投入し、社会人は、

勤務後に焼け跡に集まって作業に

取り組み、8月いっぱいで片付け

を終えた。

 

この火災が切っ掛けとなって、

教会と有隣病院、青年会、婦人会

の今に続く繋がりが始まった。「火

事の翌年から、教会のキャロリン

グの終点が有隣病院となり、病院

のバザー、おむつ畳みなどの作業

に婦人会が積極的に奉仕してくれ

るようになった」(久枝姉)。火災

翌年、村田正亮牧師が、地域の聖

書研究集会を赤堤、経堂、世田谷、

有隣病院の4箇所で始め、火災3

年後に就任した十時英二伝道師

は、病院での聖書研究会を開始し

た。十時伝道師は、55年(昭30)末、

開拓伝道のため辞任。翌年、千歳

丘伝道所(現千歳丘教会)を開設

した。十時伝道師2年8カ月の間

に、軽井沢・野比・五日市の3カ

所で青年会修養会を持ったことか

らも、いかに当時の青年会に活力

があったかが分かる。

 

有隣病院は、70年(昭45)、有

隣ホームを建設し、世田谷区初

の「特養」、特別養護老人ホーム

となったが、76年に就任した大沢

秀夫伝道師は、特養ホームでの集

会を開始した。85年、第2有隣

ホームが建設され、2003年、

先のホームが建て替えられて、有

隣病院は合計180床、世田谷区最大

の特養施設を持つ病院となった。

2011年、薫姉の死去後、十時

英二氏が有隣病院理事長に就任。

ホーム集会は、大沢伝道師から岸

俊彦牧師に引き継がれ、毎月、ホー

ム、第2ホーム別々のホーム集会

が、今に続いている。

(2)

「有隣病院と経堂北教会」

十時久枝

1949年 12 月18日経堂北教会で受洗。石井薫姉の長女。十時英二牧師夫人。有隣ホーム施設長。

創立 15周年記念にて 中央が久枝姉

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栄    光 2015 年 12 月号(7)

 

今年は、少し寒くなるのが遅

かったように思います。温暖化の

影響でしょうか。先日、外に出て

深呼吸をすると、冬のにおいを感

じました。そして、この感覚が、

クリスマスを思い起こさせます。

毎年のことですが、「この時期に

なった」と空気を通して思わされ

るのです。それは、ある意味で毎

年の「習慣」的体験と言えるかも

しれません。体に染み込んだもの

 

11月19日、日本キリスト教協議

会議長の小橋孝一先生に声をかけ

られ、「宗教者九条の和」が呼び

かけた「戦争法制の廃止を求める

宗教者祈念集会」に出席しました。

その日は、いわゆる安保法案が可

決してから2ヶ月目の日というこ

とでした。参議院議員会館の会議

室に50名ほどが集まりました。正

面の世話役代表者の席には、小橋

先生のほか、宮城泰年氏(聖護院

が、あるサインによって勝手に体

の中で動き出すようなものです。

神学校時代、お世話になった他

大学の先生は、この「習慣」と道

徳についての研究をなさっていま

した。それまでの道徳教育とは

違った刺激を与えられたことを覚

えています。この「習慣」は、教

会生活、教会だけではなく、キリ

スト者として日常生活においても

大切なことです。私の場合、保育

園がキリスト教主義だったことも

あって、食前の祈りは物心がつく

前から呪文のように唱えており、

門跡門主)、勝谷太治氏(日本カ

トリック正義と平和協議会会長)、

山崎龍明氏(浄土真宗本願寺派僧

侶)が並んでいました。日本山妙

法寺大僧伽の若い僧侶が受付をし

たり、マイクを回したりと活躍し

ていました。野党議員4名も出席

していました。司会は鈴木伶子氏

(代々木上原教会)でした。

 

平和をつくり出すためにはどの

ようにすればよいのか、考えはそ

れぞれでしょう。平和について話

し合えば話し合うほど、かえって

溝が広がり深まるのが現実です。

食事の前には勝手に体が唱え出し

ます。今でもそれが自然であるた

めに、食前の祈りを忘れる時は、

心か身体、あるいは信仰の危険信

号として気づかされることが時折

あります。ここに「習慣」に助け

られている自分がいます。

 

良い習慣が、クリスチャンを育

て、信仰の糧となることがあるか

もしれません。クリスマスが一般

大衆文化に埋もれていく日本に

あって、毎年のクリスマスもそれ

ぞれの祝い方があるとは思います。

しかしその中でも、やはり何より

 

パリのテロ直後で、そのことに

対して、日本イスラム文化セン

ター事務局長で大塚マスジドのイ

マーム(モスクの指導者)である

ハルーン氏の話を聞くことができ

ました。

 

一言で言えば「ムスリム(イスラ

ム教徒)は憤っている」ということ

でした。信仰の拠り所であるコー

ランとハディース(預言者ムハンマド

の言行録)は、「一人を殺すことは

全人類を殺すこと。一人を助ける

ことは全人類を助けること」と教

えているとのことです。「地球上

も礼拝によって祝うクリスマスこ

そ、本来のクリスマスの意味があ

るのです。昔、ある牧師から、毎

年なじんだクリスマスの箇所では

あるけれども、その年の御言葉を

聴き、そして語る恵みについて聞

かされました。それは、クリスマ

スの「習慣」にあっても気づかさ

れる、御言葉の新しさと言えます。

 

主イエスの御降誕と再臨を待ち

望むこの時、「習慣」としてのク

リスマスの中で、今この時と定め

られた主の御言葉が与えられるこ

とを日々祈りつつ。 (上野峻一)

の全ての生きるものに慈悲を与え

る者には、天にある者は慈悲を与

える」のであって、同害報復の考

えは間違っていると断言しました。

 

彼のマスジドでは信仰に基づい

て、現地でアフガン難民支援を行

い、大塚ではホームレスを支援し

ているとのことでした。

 

平和の実現を祈りつつ、身近な

ところから、自分の出来ることに

まず取り組むことは、私たちに

とっても大切なことです。

先約があり、その後の祈念集会

は失礼しました。  (岸 

俊彦)

Page 8: Christmas - Coocankyodokita.life.coocan.jp/eiko1512.pdf215年12月号 栄 光 (2) 私の好きな Christmasの場面 「クリスマス」は喜びに満ちた季節です。アドベントに入り、1本目のろうそくに火が灯ると

栄    光2015 年 12 月号

○クリスマス礼拝 12 月 20 日(日)午前 10:15 「神の子イエス・キリストの福音の初め」  イザヤ40:1-11、マルコ1:1-8 岸俊彦牧師 礼拝後~ クリスマス愛餐会・祝会

○クリスマス・イブ礼拝 12 月 24 日(木) 午後 7:00 「小さな星の向こうに」  マタイ2:7-12 上野峻一伝道師 礼拝後~ お茶の会・キャロリング

○クリスマス祈祷会 12 月 25 日(金)午後 1:00

▽アドベントに入りました。ポスターやチラシなどを活用して、1人でも多くの方をクリスマスの諸集会に誘い合いましょう。(沢田)

 

教会バザー、召天者記念礼拝・

愛餐会、幼児祝福式、創立記念日

礼拝と、10月に入ってから毎週の

ように行事がありました。教会学

校では11月22日に収穫感謝日をお

祝いしました。毎年行っているこ

れらの行事ですが、礼拝堂から地

下までを行き来しながらの準備か

ら後片付けまで、事故もなく終え

られたことに感謝です。

 

先月長老会のあった日曜日は、

珍しく風邪でダウンしてしまいま

した。その日に主人に持って帰っ

てもらった週報を見て、鎌田紘子

姉が天に召されたことを知りまし

た。7月の初夏の集いにはお会い

しましたのに。あまりにも急な悲

しい出来事でした。

 

長老になった最初の年、鎌田さ

んから伝道委員長を引き継ぎまし

た。でもお付き合いが始まったの

は教会からではありません。恵泉

短大時代の「英文ラボ」のクラス

では、先生と生徒の関係でした。

シアトルでのホームステイを紹介

され夏休みに行って来ました。新

学期、ピアスにした私を見て「い

いわね、私もあけようかしら」と

言われ、しばらくしたら耳元には

可愛らしいピアスが揺れていまし

た。代々木上原で私が歯科医助手

のアルバイトをしていた頃は、患

者として来られました。話し方、

笑い方と共に数々の思い出が蘇り

ます。これからも天国から私たち

のことを見守っていてください。

 

長老一人ひとりが「将来に向け

てのビジョン」を語る2回目の担

当は尾藤長老でした。財政面から

の報告は、今までの状況やこれか

らの見込みなどが詳しく数字で示

されていました。こうした数字が

全てではありませんが、毎月会計

報告がきちんと出されるのも、毎

週献金が捧げられているからだと

改めて感じ、感謝しました。

 

必要なものは必ず神様が与えて

くださる。経堂北教会はスタート

時からずっとそう祈ってきました。

80周年に向けて、さらにその先も、

私たち一人ひとりが出来ることを

考えながらアドベントの季節を過

ごしたいと思います。(沢田寛子)

「栄 光」2015 年 12 月号日本基督教団 経堂北教会〒 156―0051 東京都世田谷区宮坂 3―21―11電 話 :03―3428―5029 / FAX:03―3428―5038牧 師 :岸 俊彦  伝道師:上野峻一編 集 :栄光編集委員会Email :[email protected] :http://homepage2.nifty.com Kyo-doKitaChurch

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