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岡崎ゼミナール A パート 2 2006年 公共選択学会の集い 千葉商科大学 商経学部 経済学科2年 岡崎ゼミナール Aパート 寉岡 佑樹 佐古 祐一 色摩 優樹 藤井 進太郎

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岡崎ゼミナール Aパート 2年

義義務務教教育育はは必必要要かか

2006年 公共選択学会の集い

千葉商科大学 商経学部 経済学科2年

岡崎ゼミナール Aパート

寉岡 佑樹

佐古 祐一

色摩 優樹

藤井 進太郎

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目次

第1章 はじめに 1. はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・2p

第2章 義務教育の現状分析 1. ゆとり教育の影響・・・・・・・・・3p~13p 2. 財政格差・・・・・・・・・・・・13p~14p

第3章 義務教育の必要性 1. 公共財と格差から見た必要性・・・15p~17p

第4章 提言 1. 国庫負担金の維持・・・・・・・・17p~19p 2. ゆとり教育の見直し・・・・・・・19p~24p 3. 食育・・・・・・・・・・・・・・24p~27p

参考文献 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27p

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第一章 はじめに

義務教育は 1886年に始まり当初は 4年制だったが、1907年に 6年制となり、戦後に今の 9 年生となった。教育内容も日々発展、充実し、よりよい教育環境が形成される、はずだった。 しかし、今日の教育内容は、とても満足できるようなものではなくなってきている。ゆ

とり教育の問題から始まり、そこからくる学力格差、またその影響から起こりうる所得格

差など、数えればキリがない。さらに三位一体改革によって地方の財源を削減され、その

影響から教育予算まで下げられてしまっては八方塞となってしまう。だが、もしその義務

教育自体を改善しながら存続すれば、問題解決につながるのではないか。 本編ではまずゆとり教育の現状を述べる。ゆとり教育は評価方法が変わり、できる者、

できない者の成績差がなくなって、生徒が自分の学力を測り違えている傾向が出てきた。

そして週5日制になり、総合的な学習を導入した結果、全体的な授業時間数が減ってし

まった。ここから何故ゆとり教育が始まったのか、以前の教育と比べてどうなっているの

かを分析する。そしてまた、そのゆとり教育の問題に並行して問題になるであろう財政格

差についても述べる。冒頭でも述べたように三位一体改革は地方間の財政に大きな影響を

およぼすことが懸念されている。それをふまえて、削減された資金を今どのように使おう

としているのかを述べたうえで、改革の影響が出るであろう地方間以外での格差について

の懸念も述べる。 そこで、我々は、教育の公共財的性質や、ゆとり教育からくる学力格差、地方間格差、

家庭間格差の是正の必要性を述べ、加えて義務教育が義務でなくなってしまったらどうな

るかという問題を提起し、そのうえで義務教育が必要であると述べる。 これらの点を念頭においたうえで、我々の提言に移る。皆さんも読んでわかるように、

三位一体改革を一部見直し(国庫補助負担金の維持)、ゆとり教育の全般的な見直しを述

べる。そこで、我々のオリジナルな考えとして朝ごはんとの関連性を述べている。ある聞

いた話では、家庭で朝ごはんを食べず学校に来た生徒が真面目に授業を受けられないとい

うことが問題となり、学校が給食として朝ごはんを提供しているという。そこで我々は、

朝ごはんと教育の関連性を述べたうえで義務教育のカリキュラムに入れてはどうかという

提言を述べる。 我々は以下の各章で、義務教育の必要性、現状、我々の提言を十分に説明したうえで、

義務教育は必要であるということを述べたいと思う。

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第二章 義務教育の現状

ゆとり教育で何が変わったのか

1998年(平成10)に、この国の教育のあり方についての決まり事が書いてある

「学習指導要領」が改訂され、2002年度から新しい教育が始まった。これを一般的に

「ゆとり教育」と呼んでいる。

文部科学省によるゆとり教育の狙いは「教育内容を厳選し、習熟度別指導など一人一人

の子供に応じた『分かる授業』を行うことにより、基礎・基本を確実に習得させる」と

なっている。

「ゆとり教育」の導入によって何がどのように変わったのだろうか。

授業時間数の削減

「新学習指導要領」が改訂され、大きく変わったものの一つが授業時間数である。まず

小学校の6年間では授業時間数が合計で653時間削減され、細かく見ると国語が459

時間、算数が142時間、理科が70時間、社会が75時間削減された。逆にその他(体

育、音楽、生活科、図工、家庭、道徳、特別活動など)は93時間増えている。(図1)

次に、中学校の3年間では、授業時間数が合計で190時間削減され、細かく見ると国

語が105時間、数学が70時間、理科が60時間、90時間、105時間削減された。

逆にその他(音楽、美術、保健体育、技術・家庭、道徳、特別活動、選択教科など)は2

40時間増えた。(図2)

図1 公立小学校の授業時間数の変化

0

500

1000

1500

2000

2500

国語 数学 理科 社会 その他

旧課程

新課程

1601

1142 1011

869

420350 420 345

23332426

(時間)

(教科)

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図2 公立中学校の授業時間数の変化

土曜日が休みになった

「学校週5日制」になって、公立の小中高は土曜日が毎週休みになった。このため、

『ゆとり』が出来たように思われているが、実際にはそうではなく様々な問題が起きてい

る。

まず、土曜日が休みになったことによって、6時間授業の日が増えた。高校では7時間

目まで授業がある学校や、土曜日を休みにせず今まで通りに授業を行っている学校もある

という。理由は、授業時間が圧倒的に足りないからである。

勉強する内容が3割削減されたといわれているのは、実は小中学校のことで、高校では

これまで中学校で教えていたことまで教えなければいけなくなった。よって、とてもゆと

りどころではなくなってしまったのである。そのため、上で述べたように色々な苦労をし

ている高校が増えているのである。

授業だけでなく、運動会などの学校行事にも問題が起きている。運動会は日曜に行われ

ることが多いが、これまでなら、土曜日に予行練習と準備をして、テントなどをそのまま

用意して置いておくことが出来た。しかし、土曜日が休みになったことによって、前日に

予行練習も準備も出来なくなってしまった。仕方がなく運動会の当日の朝5時ごろに学校

に行き、準備をしている学校もあるほどである。

連休が増えたことによる新たな問題も起きている。土曜、日曜、そして祝日で月曜まで

休みになってしまった場合、時間割によっては4日間も5日間も授業がない教科が出てき

てしまった。これでは、せっかく授業で覚えたことをどんどん忘れてしまう。休みが多く

0

200

400

600

800

1000

1200

1400

国語 数学 理科 社会 英語 その他

旧課程

新課程455350

385315 290

385

295

420

315

1135

1375

350

(時間)

(教科)

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なると、それだけ勉強したことが定着しづらくなるのである。

総合的な学習の導入

ゆとり教育の始まりに伴って『総合的な学習』が導入された。総合的な学習の時間とは、

国際理解、情報教育、福祉・健康教育のように自然体験やボランティア活動などの社会体

験、観察や実験、発表や討論、ものづくりや生産活動など、各学校が創意工夫して、各学

校ことに教える内容を決めて行う授業のことである。文部科学省は総合的な学習の時間の

ポイントとして『子供が自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考える力の育成』『情報を集

め、調べ、まとめる力を身に付けること』としている。

ところが、総合的な学習の時間が単なるお遊びの時間で終わってしまい、授業になって

いないと批判されているのが現状である。もちろん、国際理解、情報、環境、福祉・健康

など、従来の教科(英語や社会科)をまたがるような課題について、体験的な学習や問題

解決的な学習を取り入れた授業はとても大切なことである。しかし、その一方で、読んだ

り書いたり計算したりする、いわゆる学力も必要なのである。

評価の方法

ゆとり教育のことを「たるみ教育」だと揶揄する声もあるが、学校教育がこのようなた

るみ教育になるまでには様々な経緯があった。

1989年(平成元)に学習指導要領が改訂され、教師は「教える立場」から「支える

立場」になった。それによって、教師が子供に一方的に教えるのは良くないということで、

学校で読み書き計算のような反復練習をすることが少なくなってしまった。

この結果、教科書がまともに読めない、漢字が書けない、簡単な計算が出来ないなどの

子供が増えていった。にも関わらず、学校の通知表に1がつくことが少なくなった。

普通、小学校では1~3までの3段階で通知表がつく。「相対評価」で成績をつけてい

たこれまでは、

3(よい)・・・・・・・3割

2(ふつう)・・・・・・6割

1(よくない)・・・・・1割

となっていた。驚くことに9割の生徒に2か3がついていたのである。2002年度から

若干変わったものの、ほとんど変わっていない。つまり、勉強が出来ようが出来まいが、

学校の通知表ではほとんどの生徒が「ふつう」か「よい」という評価をもらうというよう

になっていた。

これらの背景は、1989年の学習指導要領の改訂の時に、文部科学省が示した「新し

い学力観」(=テストの点数だけが学力ではない、生徒の関心や意欲も重視)という考え

方である。

この「新しい学力観」のもと、教科書がまともに読めなくても、漢字が書けなくても、

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簡単な計算が出来なくても通知表で1がつくことが少なくなった。

また、1がつかないのは小学校だけではない。実は中学校でも通知表に1がつくことが

少なくなっている。中学校では1~5の5段階で通知表がつく。これまでは、

良い 5・・・・・・7%

4・・・・・24%

普通 3・・・・・38%

2・・・・・24%

悪い 1・・・・・・7%

となっていた。

しかし、2002年度からこうした割り振りはなくなった。理由は、「絶対評価」に

なったからである。絶対評価とは、簡単に言ってしまえば学校や教師が成績を自由に決め

ることができる評価方法である。

つまり、何人の生徒に5をつけて、何人の生徒に1をつけるといったことを、学校や教

師が独自決められるのである。そのため、オール5が何十人も出る学校もあれば、5がつ

いている生徒が誰もいない教科がある学校もある。こうして、中学校でも1がつくことが

少なくなってきている。

これらのように、学校によって通知表の成績のつけ方にばらつきがあり、「通知表がお

かしくなってしまった」ことが問題となっている。

詰め込み教育はやめろ!の声

1970年頃、勉強についていけない落ちこぼれや問題行動を起こす非行がとても問題

になった。そして、こうした問題はたくさんの勉強を子供にやらせる『詰め込み教育』が

原因だと批判された。

確かに、当時の教育は高校で教えるような内容まで中学校で教えていた。しかも、親や

教師から一方的に押しつけられるような形であった。「こうした大人からの押しつけに対

する子供たちの反発が荒れや非行を生んだ」等と主張する専門家はかなりいる。結局、詰

め込み教育は良くないということで、勉強の内容を減らそうということになった。

こうして、1977年(昭和52)に学習指導要領を改訂して、1980年度から『ゆ

とり』、『豊かな人間性』、『基礎基本』などを重視する教育が始まった。

ゆとり教育は2002年から始まったと思われているが、上に『ゆとり』とあるように、

実は1980年度からゆとり教育路線として、すでにゆとり教育が始まっていたのである。

こうして、1980年頃は勉強する内容を減らすゆとりが必要だったわけだが、しかし、

2002年度から始まったゆとり教育は、勉強する内容を減らしすぎたため、『ゆとり』

が『たるみ』になってしまったのである。1999年頃から「分数の計算が出来ない大学

生」がいるということで大学生の学力低下が問題になっているし、さらに、2004年1

2月に行われた国際調査で日本の小学生と中学生も学力が落ちていることが明らかになっ

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た。この実態についてはあとで述べる。

詰め込み教育 VS ゆとり教育

上で述べてきたように、1970年頃に落ちこぼれや非行が問題になり、その原因は詰

め込み教育にあるということでゆとり教育路線に変更した。ところが2002年にいわゆ

るゆとり教育になった途端に今度は学力低下が問題になり始めた。「詰め込み教育は良く

ないからゆとり教育にするべきだ」という意見と、「ゆとり教育は学力低下につながるの

で詰め込み教育に戻すべきだ」という意見の対立が、実は何十年も前に1度問題になって

いたのである。これは学習指導要領の移り変わりを見てみるとよく分かる。(図3)

図3

これまで、詰め込み教育と呼ばれていた教育は、読み書き計算を基礎基本とした知識や

技能を子供に教える教育のことで、『系統主義教育』と呼ばれている。一方で、ゆとり教

育と呼ばれている教育は、見る聞く話すを基礎基本とした子供が自分で進んで勉強する考

え方のことで、『経験主義教育』と呼ばれている。

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こうしてみると、1950年頃の教育は経験主義に傾いており、ゆとり教育のような教

育だったことがわかる。しかし、1958年には経験主義から系統主義へと方向転換し始

め、1971年度から詰め込み教育になった。ところが、その後1980年度から今のゆ

とり教育に逆戻りしているのがよく分かる。このように、日本の教育は、詰め込み教育と

ゆとり教育のどちらが良いのかということで、揺れ動いてきた。

学力低下の調査結果

上で述べてきたように、ゆとり教育の導入前から分数が出来ない大学生がいると問題に

なったということは、義務教育段階でも学力が低下しているのではないだろうか。

2004年の12月にOECD(経済協力開発機構)という組織がPISA(学習到達

度調査)という読解力と数学的リテラシー(=理解し活用する能力)と科学的リテラシー

についての国際調査の結果を発表した。この調査は2000年と2003年に実施され、

義務教育を終えた15歳(高校1年生)を対象とし、2000年の調査では32ヵ国(O

ECD加盟国28ヵ国、非加盟国4ヵ国)の約26万5千人が参加、2003年の調査で

は41ヵ国・地域(加盟国30ヵ国、非加盟国・地域11ヵ国)の約27万6千人が参加

した。この調査では加盟国の生徒の平均点が500点、約3分の2の生徒が400から6

00点の間に入るように換算している。

まず読解力の定義は、『自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的

に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力』となって

いる。この調査での日本の読解力は、2000年は8位だったのに対して2003年は1

4位に落ちている。

読解力

2000 2003

順位 国名 得点 国名 得点

1 フィンランド 546 フィンランド 543

2 カナダ 534 韓国 534

3 ニュージーランド 529 カナダ 528

4 オーストラリア 528 オーストラリア 525

5 アイルランド 527 リヒテンシュタイン 525

6 韓国 525 ニュージーランド 522

7 イギリス 523 アイルランド 515

8 日本 522 スウェーデン 514

9 スウエーデン 516 オランダ 513

10 オーストリア 507 香港 510

11 ベルギー 507 ベルギー 507

12 アイスランド 507 ノルウェー 500

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13 ノルウェー 505 スイス 499

14 フランス 505 日本 498

15 アメリカ 504 マカオ 498

16 デンマーク 497 ポーランド 497

17 スイス 494 フランス 496

18 スペイン 493 アメリカ 495

19 チェコ 492 デンマーク 492

20 イタリア 487 アイスランド 492

21 ドイツ 484 ドイツ 491

22 リヒテンシュタイン 483 オーストリア 491

23 ハンガリー 480 ラトビア 491

24 ポーランド 479 チェコ 489

25 ギリシャ 474 ハンガリー 482

26 ポルトガル 470 スペイン 481

27 ロシア 462 ルクセンブルグ 479

28 ラトビア 458 ポルトガル 478

29 ルクセンブルグ 441 イタリア 476

30 メキシコ 422 ギリシャ 472

31 ブラジル 396 スロバキア 469

32 ロシア 442

33 トルコ 441

34 ウルグアイ 434

35 タイ 420

36 セルビア・モンテネグロ 412

37 ブラジル 403

38 メキシコ 400

39 インドネシア 382

40 チュニジア 375

次に数学的リテラシーであるが、その定義は『数学が世界で果たす役割見つけ、理解し、

現在及び将来の個人の生活、職業生活、友人や家族や親族との社会生活、建設的で関心を

持った思慮深い市民としての生活において確実な数学的根拠に基づき判断を行い、数学に

携わる能力』となっている。この調査での日本の数学的リテラシーは、2000年は1位

だったのに対して、2003年は6位に落ちている。

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数学的リテラシー

2000 2003

順位 国名 得点 国名 得点

1 日本 557 香港 550

2 韓国 547 フィンランド 544

3 ニュージーランド 537 韓国 542

4 フィンランド 536 オランダ 538

5 オーストラリア 533 リヒテンシュタイン 536

6 カナダ 533 日本 534

7 スイス 529 カナダ 532

8 イギリス 529 ベルギー 529

9 ベルギー 520 マカオ 527

10 フランス 517 スイス 527

11 オーストリア 515 オーストラリア 524

12 デンマーク 514 ニュージーランド 523

13 アイスランド 514 チェコ 516

14 リヒテンシュタイン 514 アイスランド 515

15 スウェーデン 510 デンマーク 514

16 アイルランド 503 フランス 511

17 ノルウェー 499 スウェーデン 509

18 チェコ 498 オーストリア 506

19 アメリカ 493 ドイツ 503

20 ドイツ 490 アイルランド 503

21 ハンガリー 488 スロバキア 498

22 ロシア 478 ノルウェー 495

23 スペイン 476 ルクセンブルグ 493

24 ポーランド 470 ポーランド 490

25 ラトビア 463 ハンガリー 490

26 イタリア 457 スペイン 485

27 ポルトガル 454 ラトビア 483

28 ギリシャ 447 アメリカ 483

29 ルクセンブルグ 446 ロシア 468

30 メキシコ 387 ポルトガル 466

31 ブラジル 334 イタリア 466

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32 ギリシャ 445

33 セルビア・モンテネグロ 437

34 トルコ 423

35 ウルグアイ 422

36 タイ 417

37 メキシコ 385

38 インドネシア 360

39 チュニジア 359

40 ブラジル 356

もうひとつの科学リテラシーの定義は、『自然界及び人間の活動によって起こる自然界

の変化について理解し、意思決定するために科学的知識を利用し、課題を明確にし、証拠

に基づく結論を導き出す能力』となっている。この調査での日本の科学的リテラシーは、

2000年の2位に対して、2003年も2位なので順位に変動はない。

科学的リテラシー

2000 2003

順位 国名 得点 国名 得点

1 韓国 552 フィンランド 548

2 日本 550 日本 548

3 フィンランド 538 香港 539

4 イギリス 532 韓国 538

5 カナダ 529 リヒテンシュタイン 525

6 ニュージーランド 528 オーストラリア 525

7 オーストラリア 528 マカオ 525

8 オーストリア 519 オランダ 524

9 アイルランド 513 チェコ 523

10 スウェーデン 512 ニュージーランド 521

11 チェコ 511 カナダ 519

12 フランス 500 スイス 513

13 ノルウェー 500 フランス 511

14 アメリカ 499 ベルギー 509

15 ハンガリー 496 スウェーデン 506

16 アイスランド 496 アイルランド 505

17 ベルギー 496 ハンガリー 503

18 スイス 496 ドイツ 502

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19 スペイン 491 ポーランド 498

20 ドイツ 487 スロバキア 495

21 ポーランド 483 アイスランド 495

22 デンマーク 481 アメリカ 491

23 イタリア 478 オーストリア 491

24 リヒテンシュタイン 476 ロシア 489

25 ギリシャ 461 ラトビア 489

26 ロシア 460 スペイン 487

27 ラトビア 460 イタリア 486

28 ポルトガル 459 ノルウェー 484

29 ルクセンブルグ 443 ルクセンブルグ 483

30 メキシコ 422 ギリシャ 481

31 ブラジル 375 デンマーク 475

32 ポルトガル 468

33 ウルグアイ 438

34 セルビア・モンテネグロ 436

35 トルコ 434

36 タイ 429

37 メキシコ 405

38 インドネシア 395

39 ブラジル 390

40 チュニジア 385

これらの調査結果から、日本の子供達の学力が国際的にも低下していることが認められ

た。1

また、OECDの結果が出た直後にIEA(国際教育到達度評価学会)という機関が実

施した調査によると、国際的に見て1日に日本の生徒の宿題をする時間が減っていて、同

時にテレビを見る時間は増えているという結果が出た。

1 文部科学省 PISA(OECD 生徒の学習到達度調査)

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04120101.htm

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13

宿題をする時間の国際比較

0

0.2

0.4

0.6

0.8

1

1.2

1.4

1.6

1.8

小学4年 中学2年

日本

国際平均

1 日にテレビを見る時間の国際比較

0

0.5

1

1.5

2

2.5

3

小学4年 中学2年

日本

国際平均

上で述べてきたこれらのことは、ゆとり教育導入前の現状なのでゆとり教育によって

学力が低下していると主張することは難しい。しかし、ゆとり教育を導入する以前から学

力も勉強に対する意欲も低下していたこの状況下で、さらに教える内容を削減したりする

とさらに学力が低下していくのは容易に想像できる。

財政の現状 現在、三位一体改革により国庫補助負担金や地方交付税を見直す案が出されている。こ

れにより財政を中央集権型から地方分権型にしようとしている。 そもそも、この三位一体改革により何を行おうとしているのだろうか。三位一体改革と

は地方が自ら工夫をして責任をもって政策を決め、自由に使用できる財源を増やし、自立

出来るようにするために行うものである。しかし、地域などにより税収入に差があるため

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これを行うと教育の平等が失われてしまう。そうなると地域ごとに教育の格差ができるた

め学力格差にまで広がる恐れがある。財政格差から地域間格差、学力格差へと繋がる可能

性がある。一つの格差から広がるものは大きい。例えば、税収入の多い東京から地方へ転

校して教育に大きな違いがあったら問題である。 税の使用状況 まず、国の歳出が大きく歳入を上回った状態でも人間を育てる基本である教育から資金

を削っていこうという案はよく考えてから行うべきではないだろうか。第一にやることと

しては、極限まで無駄な部分をはぶいてそれで足りないようであれば増税に対して国民も

納得するだろう。しかし、国がやっているのは自分たちの利益はそのままで国民だけが苦

しめばいいというやり方である。社会保険庁の不祥事などからわかるように、国民の血税

は役人のおかげで湯水のごとく使われていく。無駄な部分は他にもある。ニート対策に国

税を何億も使うようだが、これもよく考えてもらいたい。働いて税金も納めていない者に

税金を使うだけでマイナスになるというのにわざわざ国が支援する必要はあるのか。税金

を投入して確実に社会人になるのであれば話は別だが、はっきりしない分リスクは大きい

のではないだろうか。ある程度の生活を保障する国の心構えは素晴らしいが、これはあく

まで病気などで本当に働けない人にたいして行うものであって、働く意欲の無い者を助け

る保障ではない。 家庭間の格差 資金面からみると各家庭においても格差は発生する恐れはある。例えば公立と私立の学

校を比べてみても、公立はゆとり教育により週休二日になり授業時間も削減されている。

一方、私立は週休一日で授業時間もしっかり確保している。所得の低く生活の苦しい家庭

の子供は必要以上の教育は受けられないことになってしまう。下手をすると必要最低限の

学力も得られないかもしれない。この子供が将来社会に出て「計算ができない、読み書き

もろくにできない」といった状況になってしまっては仕事もできず所得が低くなる。そう

なると大変なことである。さらに言えば十分な教育を受けなかった子供が結婚し子供をつ

くると悪循環のようになってしまう。所得の低い家庭から教育を受けられない状況になり、

その子供が大人になって所得の低い仕事に就き、家庭を持って子供ができる。このように

悪循環、つまり負の連鎖がおこることになる。 これらを起こさないためにも財政面での格差は起こすべきではない。そのために三位一

体改革についても慎重な見方をしなければならない。

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第三章 義務教育の必要性

教育の持つ公共性

教育には、公共性が備わっている。「公共性」を辞書で引くと、「広く一般に利害・影

響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること」と書いて

ある。では、教育に公共性があるというのはどういうことなのだろうか。

その理由として、個々人が教育や学習によって獲得し形成する知識や技術・技能を含む

能力は、該当する社会で価値があるとされている知識・能力であるからである。それらの

獲得された知識や能力は、該当する社会の人々によって共有され、仕事や普段の生活を含

めた場で必要なもの・有用なもの・大切なものとされているから価値があるのである。そ

ういう意味において、知識・能力も、それらを伝達し構築する学校教育も公共的なもので

ある。

もう一つの理由は、獲得した知識・能力が同じだったとしても、どのような職業に就く

か、住んでいる地域はどこか、などによって知識や能力を発揮する機会が異なるというこ

とである。個々人が獲得した知識・能力間に個人差があるのは誰もが認めているところだ

と思うが、発揮する場も該当する社会の中で差別的に配分されている。

さらに、近代以降の社会では資格制度が発達してきた。これによって、資格を持ってい

る・持っていないで就ける職業や待遇が変わってくるため、個々人の知識や能力の獲得の

機会を左右し、同時にそれらの成果を制度的に差別化する機能を果たしている。

以上に述べてきたことから、個々人の知識や能力の獲得もその成果を発揮する機会も、

さらにそれらの価値も、該当する社会の中に組み込まれているし、また公的な教育制度や

資格制度に依存していることから教育は公共的なものであるといえる。

公共財的性格を持つ義務教育

では、上のことを踏まえて義務教育が必要であると述べていきたい。

義務教育が必要な理由として、義務教育が公共財的な性格を持っているからだというこ

とができる。(純粋)公共財とは、同時に多くの人が消費することができる「非競合性」

の性質と、ある特定の人が受益に見合った負担をしていないとしても、その人をその消費

から排除できないという「排除不可能性」の性質の2つの側面を持っているものである。

前者の性質を満たす主なものは公園や道路などで、後者の性質を満たす主なものは警察や

消防などである。

では、義務教育というのはこの2つの性質を満たすものなのであろうか。教育の現場の

1つである学校では、1人の教師の授業を多くの学生が聴くという形を取っているので、

非競合性は満たされている。しかし、授業料を払わないで授業を聴いていたりすればいつ

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かは追い出されるだろう。したがって、排除不可能性は満たされない。

これらのように、義務教育には、非競合性は大体認められるが、排除不可能性はあまり

認められない。しかし、純粋な私的財とは異なるため、価格でそれらの価値を評価するこ

とは難しいだろう。例え自分にとって意義のある講義を聞きたいと思っても、その講義に

対していくらまでなら払ってもよいかと問われると、明確な基準が無いために低く抑えて

金額を払おうとするかもしれない。こうなると、教育が及ぼす正の効果から見て供給が過

少になる可能性がある。教育に公共財的な性質が存在する以上、政府による公的な支援策

によって過少供給を回避する仕組みが必要である。

教育の持つ外部経済効果

そして、教育の結果というのは個人だけでなく、社会全体に及ぶ。これらのことを外部

経済効果という。 個人の能力が高ければ高いほど就ける会社・業種の選択肢が増え、所属先の生産性が上

がり利益が増加し、それによって社会全体の生産性も上がり、法人税や所得税等政府の税

収も増え、それが国民に還元され、その結果国全体が豊かになっていくことができる。 では、仮にどのような教育を受けるかを義務ではなく個人の判断に任せた場合どうなる

だろうか。自分(の子供)にどの程度のものが必要なのかというのは分からないし、親が

教えようとしてもそれぞれの親の知識や能力にも差がある。加えて、多くの人にとって勉

強なんて面倒くさいものであるから、義務である場合より低い教育水準で落ち着いてしま

うだろう。そうなってしまうと生産性を上げるのに必要な水準に届かないため、社会全体

の生産性はマイナスになってしまう可能性がある。つまり、個人にとっても社会全体に

とっても教育が義務であれば得られただろう教育の外部経済効果を失うことになるのであ

る。 機会の平等を確保する手段

これらのことに加えて、教育は機会の平等を実現するための手段でもあるということが

言える。教育が義務でなかったら、本人がここの高校・大学に行きたい、こういう職業に

就きたい、と思っていても、本人の意思に関係なく家庭の経済状況によって進路がある程

度決まってしまう恐れがある。また、住んでいる場所の環境によっても差が出る。都会で

は最寄り駅までの距離がそんなに離れていないし、なおかつそれらの駅は栄えている割合

が高いから学習塾等も1ヵ所ではないだろう。むしろ選択すら出来るかもしれない。しか

し、地方では1時間に1本しか電車が来ないような駅が最寄り駅の場合もある。そんな駅

の周辺に学習塾などあるわけないので地方に住む生徒には学校もしくはインターネットし

かない。 これらのことに加えて、都会と地方では財政的な格差が存在する。地方自治体は、義務

教育国庫補助負担金という形で国が公立学校の教職員の給与を半分負担しているから教職

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員の数や質を維持することが出来ている。これが削減された場合、1部を除いて多くの地

方自治体は今現在教育にかけている費用を教育ではなく他のサービスに回す可能性が否定

できない。そうなると、教員の数や教育の質を維持するのは困難になる。つまり、地方は

様々な意味で国が運営している公教育というものに依存している。 結局、裕福な家庭や都会に生まれた子供は塾や予備校に通うことが出来るが、貧しい家

庭や地方に生まれた子供はそれらのことが出来ないので学校に頼るしかないのである。向

いていた可能性もあるのにそこへチャレンジ出来ない状況になると、その方向に進んでい

たら得られたであろう生産性の上昇分を失うことになるし、都会と地方の子供、裕福な家

庭と貧しい家庭の子供の学力格差が広がっていく可能性が高い。よって義務教育は必要で

あるといえる。 1970年頃に起きた落ちこぼれや非行の問題は、詰め込み教育だけが原因ではなかった

のだろう。『親や先生 VS 子供』の対立という図式が出来上がっていたわけだから、丸刈

りなどを強制するような校則を始めとした管理教育も原因の一つだと考えられる。

いずれにせよ、知識を重視した教育そのものが、日本の教育に必要であることは間違い

ないのである。ただ、過去の詰め込み教育で問題点があるとすれば、詰め込む量と詰め込

み方に問題があったと言えるだろう。教えすぎも問題だが、教えなさすぎも問題である

第四章 提言 国庫補助負担金の現状維持 我々は先に述べてきたことを踏まえて提言をいくつか述べたい。まずは国庫負担金の削

減、廃止を行ってしまうと、格差を引き起こしてしまう。そこから負の連鎖や各家庭での

格差など問題も発生する恐れがある。また、『義務教育費国庫負担金制度を正しく理解す

るために(http://gikyouhou.hp.infoseek.co.jp/)』には「国庫負担金は教育水準の維持向上のためには質の高い教職員を、全国どこの学校でも、必要な数、長期的に安定して確保す

ることが不可欠」と書かれている。ここからも理解できるように、これを廃止することは

国の更なる衰退を招きかねない。 (図1)

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図1

義務教育費国庫負担制度を正しく理解するために

<http://gikyouhou.hp.infoseek.co.jp/>より このように税収入に差が生じてしまって資金不足に陥った場合、学校にかけられる資金は

減少し、教師の給与所得の低下による、やる気減少も否めないのではないか。学力の差や

教師の能力低下など修正するのは事が起こってからでは遅いのである。 さらに言うと、国庫負担金による教育水準の維持もデータとしてでている。(図2) 下記の図にあるように昭和30年代では地域によって学力格差がある。それを国庫負担金

により解消した。この学力格差や教師へ格差を繰り返さないためにも現状を維持すること

は重要なことなのである。

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図2

義務教育費国庫負担制度を正しく理解するために

<http://gikyouhou.hp.infoseek.co.jp/>より 文部科学省の失敗

義務教育の現状のところでも書いたように、文部科学省によるゆとり教育の狙いは、

「教育内容を厳選し、習熟度別指導など一人一人の子供に応じた『分かる授業』を行うこ

とにより、基礎・基本を確実に習得させる」となっている。またそれ以前には、現状の通

知表のところでも述べたとおり「新しい学力観」というものを打ち出している。それに

よって「読み書き計算」にかわり「見る聞く話す」が新たな基礎基本として重視されるよ

うになった。

しかし、これらの方針に従って総合的な学習の時間を導入し、いわゆる目に見える学力

(読み書き計算)を重視した詰め込み教育ではなく、目に見えない学力(見る聞く話す、

やる気など)を重視したゆとり教育に路線を変更したにも関わらず、これらのねらいとは

逆に学力低下が起こってしまっている。これは文部科学省の行った政策は失敗したと言う

べきではないだろうか。

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ゆとり教育は学力格差を拡大するエリート教育だった

ゆとり教育を推進するにあたって中心となったのが学校のあり方を決める文部科学省直

轄の教育課程審議会であるが、その教育課程審議会の元会長である三浦朱門氏が語った言

葉が次のものである。

「学力低下は予測し得る不安というか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆

に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、

できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかり注いでき

た労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが

国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っ

ておいてもらえばいいんです。(省略)

今まで中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら“どうせ俺なんか”で済むところが、な

まじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。

平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結

果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダー

も出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。それが“ゆとり教

育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」1

このように、ゆとり教育を推進していた中心的人物が学力低下になることが分かってい

てゆとり教育を始めたと断言している。

つまり、出来ない子は出来ないままでいい。しかし、出来る子には学校以外の塾などで

もどんどん勉強してもらい、将来の日本を背負って立つ人間になってほしい。ゆとり教育

の本当のねらいは、こういった少数のエリートを養成し、その少数のエリートが富を独占

しその他大多数の人間が残り少ない富を分け合うという、階層社会をつくりだすことだっ

たのである。

エリート層の人間は足りるのか

しかし、本当にエリート教育のままでいいのだろうか。

ゆとり教育によって多くの出来ない子は出来ないままで放っておくことになると、当た

り前のように多くの出来ない子と少数の出来る子の学力格差は拡大する。そうなるとごく

少数しかいないわけだから、エリートの代わりはいないことになる。エリートが自分達の

役割を放棄した時どうするのか。また、ゆとり教育によって生み出されるエリートの人数

が日本を背負って立つだけの水準に足りる保障はどこにあるのか。大多数の人間を支える

だけの水準に達する保障はどこにあるのか。ただでさえ少子化が問題になっている現状で

は甚だ疑問である。

教育というのは本来、上の必要性のところで述べたように格差を是正する手段として必

要性がある。都会と地方、裕福な家庭と貧しい家庭など周りの環境に関係なく平等に教育

1 斎藤(2000)より

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を受けることが出来れば全体的な子供の学力平均を上げることができる。そうすれば10

年に1度の天才は生まれないかもしれないが、学力レベルがそこそこある人間を多く生み

出すことができる。上で三浦氏が述べているように日本はそうやって欧米に追いつけ追い

越せと尻を叩いてきて今まできた。我々は日本が歩んできたその過程が間違っているとは

思わない。なぜなら、そうやって日本は今や世界第2位の経済大国になったのである。

詰め込み教育が必要だった理由

上で述べたように1958年に詰め込み教育へと学習指導要領が変わったころ(上図参

照)の日本は、高度経済成長が始まったころであった。テレビ、冷蔵庫、洗濯機から、3

C(カラーテレビ、自動車、クーラー)まで、とにかくたくさんの機械や家電製品を生産

して、その結果豊かで経済的に裕福な国になった。

こうした時代背景から、ますます知識を重視した教育(=詰め込み教育)が必要だとい

うことで、1968年にはさらに教える内容が増えたのである。こうして見ると、知識を

重視した教育が必要であるという考え方自体は間違っていなかったことがわかる。

日本のように、石油や鉄などの資源に乏しく、また食料も輸入に依存している国では、

自動車や電化製品などを生産して輸出することしか経済発展する方法がなかった。そして、

自動車や電化製品をつくるには、科学の知識や技術が必要である。これらの科学の知識や

技術を支えているのが、上で述べたように理科や数学などの理数系科目の詰め込み教育

だったのである。

1970年頃に起きた落ちこぼれや非行の問題は、詰め込み教育だけが原因ではなかっ

たのだろう。『親や先生 VS 子供』の対立という図式が出来上がっていたわけだから、丸

刈りなどを強制するような校則を始めとした管理教育も原因の一つだと考えられる。

いずれにせよ、知識を重視した教育そのものが、日本の教育に必要であることは間違い

ないのである。ただ、過去の詰め込み教育で問題点があるとすれば、詰め込む量と詰め込

み方に問題があったと言えるだろう。教えすぎも問題だが、教えなさすぎも問題である。

理数系の授業は減らしてはいけない

世界第2位の経済大国になった日本を支えてきたのが製造業、つまり技術である。今も

世界に誇れる技術を持っている企業は数多くある。その一例を挙げてみる。

東京都北区にある清田製作所は従業員19人の小さな町工場である。しかし、この工場

に世界の名だたる半導体メーカーの技術者達が頻繁に訪れ、社長の清田氏に相談を持ちか

けている。この会社が作っているのはコンタクトプローブ(接触型深針)という製品で、

半導体集積回路の製品が正しく作られているかどうかを検査する時に無くてはならない重

要な測定器具である。

このプローブの先端は1マイクロメートル(1ミリの100分の1)以下という細いも

ので、肉眼で確認することは出来ない。世界中で清田氏以外にこの製品を作れるのはイギ

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リスに1人しかいないという。半導体メーカーは、新しい集積回路を作る時にコンタクト

プローブが作れるかどうかを清田氏に相談に来る。それは集積度が上がるほど端子間の間

隔が細くなるので、従来よりも細い針が作れるかどうかが製品開発の鍵を握っているから

である。

このように、日本を支えてきた技術の下地になったのは理数系の科目の知識である。こ

こでは省略するが清田製作所以外にも世界に誇れる技術を持っている企業はある。もし理

数系の科目の授業を減らしたら、これらの技術を維持することは困難になるだろう。そう

なれば、複雑な作業が国内では出来なくなる。将来的に先進国、発展途上国問わず教育に

力をいれ理数系の科目を充実させた国々の下請けになってしまう可能性も否定できない。

さらに、これら理数系の科目の基礎になっているのが「読み書き計算」である。漢字が

読めない、文章が書けない、九九が出来ないではいくら理数系の授業を充実させても本末

転倒である。

詰め込み教育だけでもダメ

しかし、読み書き計算だけでいいのかと問われればそうではない。文部科学省は新しい

学力(=見えない学力、見る聞く話すややる気、考える力)を読み書き計算に代わって基

礎とする方針でゆとり教育を推進してきた。我々はこの考えを否定しているわけではなく、

順番が逆だと主張したいのである。知識だけで学力低下が改善されるとは思っていない。

言いたいのは、見る聞く話すや考える力、やる気などは「読み書き計算」の上に成り立っ

ているものであるということである。下地となるこれらの知識が無ければ、いくら見て聞

いて体験してもその内容を理解できないし、話す時も知っている単語の数が少なければ会

話を成立させるのは難しいだろう。「どの漢字を使えば適切か」、「どの式を使えば解け

るのか」のが分からないわけだから考える力など育つはずがない。逆に読み書き計算が出

来ていれば見て聞いて話すなどの色々な体験がより意義のあるものになるだろう。その段

階を踏むことによって初めて考える力が育つのである。

ゆとり教育は見直すべき

今まで述べてきた見える学力と見えない学力の両立や理数系の科目の削減を避けるなど

を実践するには、ゆとり教育を全面的に見直すしか方法がないだろう。まず、土曜日の授

業を復活させることである。そうすれば午前中復活させるだけでも1週間の授業時間数を

4時間増やすことが出来る。そして、年間を通じて休日になる割合が高い月曜日に国語・

算数・理科・社会の基礎となる4科目を配置する。国語と算数は週5とする。

次に、総合的な学習の時間は担任(担当)の教師の質に依存していて有効活用されてな

いので廃止する。その代わり、これからの時代必要とされるパソコンの授業を4年生に

なったら週1で導入する。

自然環境に関することもこれからは重要になるだろう。「環境」の科目も理科とは別に

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配置する。

本来なら5年生から導入される家庭科の授業も4年生から導入する。「男子厨房に入ら

ず」という言葉があるが、これからは男性も自分の出来る限りの範囲で家事をして女性を

助けるべきでるし、この次で詳しく述べる朝ごはんは生活リズムやテストの点数などに影

響があるとデータが示しているので、これらのことを教えるためには家庭科の授業が最適

だろう。

以上のことを踏まえた上で、我々の考える小学4年の時間割表を作ってみた。(図3)

図3

月 火 水 木 金 土

1 算数 国語 算数 環境 理科 算数

2 理科 算数 理科 体育 国語 社会

3 国語 体育 国語 社会 体育 家庭科

4 音楽 理科 道徳 パソコン 算数 家庭科

5 社会 図工 国語 社会

6 図工 音楽

これらのことを教えて効果を高めるためには教師の質も高める必要がある。文部科学省

の調査では指導力不足と認定された教師は、平成12年は65人だったのが平成16年に

は566人に上っている。(図4)いくら教える内容の質を高めても、それを生徒に教え

る側の教師の質が低ければ授業の内容を改善した効果が薄れてしまう。

指導力不足と認定された教員数の増加に伴って、教師の質を高めるために現在様々な議

論がされているが、我々はその中でも教員免許の更新制を導入するべきだと考える。更新

するのは、期間が空きすぎずかつ狭すぎずとなるように、5年に1度がちょうどいいだろ

う。文部科学省は10年に1度だと考えているようだが、それでは長すぎる。確かに間隔

を長くすればコストは削減できるかもしれないが、その分指導力不足の教師の犠牲になる

生徒も多くなる。1人でも多くの生徒が理解できるようになるならば、それだけのコスト

をかける価値はあるし、かけるべきである。しかし、現役の教員以外にも免許を保持して

いるが教員の職には就いていない人間も多数いる。これらも対象にしてしまうとそれこそ

コストが膨大になってしまうので、対象は免許を保持している現役の教員に限定するのが

いいだろう。

そのほかの、盲、聾、養護学校の教員に対しては、上で述べた一般教員と同じ内容では

なく、養護教諭の専門性を加味したものでなければならない。カウンセリングや救急措置、

健康情報などに関するものを含め、その時々の状況にどう対応するかという養護教諭独自

のものにしなければならない。

内容に関しては、ただ単に優秀な教員の講義を聞くだけではダメである。「百聞は一見

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にしかず」ではないが、やはり教育実習のように実際に生徒に接してみなければならない。

「読み書き計算」の上に「見る聞く話す」や考える力が成り立つのは教師も同じである。

現在、教育実習は主に5月に2週間の期間で行われているが、5月では元々いた教員で

さえやっと新しいクラスに慣れてきたところなのに、そこへ何も知らない新人や指導力不

足と認定された教員が来るのはその学校にとってもかなりの負担になるだろう。これらの

ことを考えると、指導力不足の教員向けの講義は夏休みを利用し、これらの教員を含めた

教育実習の実施は学期が変わった9月が妥当ではないだろうか。

ゆとり教育の現状から良い方向へ持っていくには、どれか1つだけを変えればいいもの

ではない。学習する内容しかり教え方しかり、これらは別々ではなく繋がっているもので

あるから全体的に変えていくことが必要である。

図4 指導力不足教員の認定者数の推移

481

566

289

149

65

0

100

200

300

400

500

600

12年度 13年度 14年度 15年度 16年度

人数

食育 普通、学校は勉強を行う場として考えられる。しかし我々は生活面(食育)での教育も

行うべきだと考える。生活面での違いがどのような形でデータとしてでるのか。特に朝食

のデータは非常に興味深いものがある。(図5、図6)

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図5

図6

朝ごはん時実行委員会<http://www.asagohan.org/04/02.html>より

上記の図から理解できるように朝食を取らないことによる弊害はある。さらに言うと、子

供たちの親側が朝食を作らない、取らないなど根本的な問題もある。その家庭で子供が朝

食を取りたい場合、朝から子供自身が朝食を作らなければならない状態にある。しかし、

子供が朝に自ら食事を作るのはかなり大変である(特に低年齢の子供)。そこで、これら

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を改善する上で義務教育に食育を取り入れることができればさらに良い教育が望めるので

はないか。 ここに面白いデータがある。家庭環境の影響に焦点をあてて、こうした変化を見るため

に、ここでは 1989 年と 2001 年に中学 2 年生を対象に、数学のテストの結果の要因をそれぞれ回帰分析を行い比較したものだ。従属変数は、数学の正答率が下位 4 分の 1 のグループになるかどうかである。独立変数としては、男子ダミー(男子なら1、女子なら

0)、家での勉強時間(平均、分)、それ以外をダミー変数(やっていれば1、そうでな

ければ0)として投入した。(図7) この結果を見てみると、いずれの年度でも「朝食をとる」の影響が統計的に有意である

ことがわかる。通塾の影響は言うまでもないが、それに匹敵するほど朝食は重要である。 図7

1989年 B 標準誤差 wald 有意確率 Exp(B〕

男子ダミー 0.155 0.149 1.094 0.296 1.168

通塾 -1.031 0.151 46.813 0 0.357

家での学習時間 -0.015 0.002 38.795 0 0.985

朝自分で起きる -0.048 0.143 0.113 0.737 0.953

朝食をとる -0.663 0.178 13.912 0 0.515

あいさつをする -0.401 0.158 6.417 0.011 0.67

学校に用意をする -0.128 0.15 0.725 0.394 0.88

決まった時間に寝る 0.186 0.182 1.044 0.307 1.204

定数 -0.272 0.23 1.391 0.238 0.762

2001 年 B 標準誤差 wald 有意確率 Exp(B〕

男子ダミー 0.185 0.162 1.307 0.253 1.204

通塾 -1.581 0.185 72.688 0 0.206

家での学習時間 -0.001 0.002 0.35 0.554 0.999

朝自分で起きる -0.051 0.162 0.099 0.754 0.95

朝食をとる -0.814 0.185 19.465 0 0.443

あいさつをする -0.302 0.181 2.801 0.094 0.739

学校に用意をする -0.62 0.185 11.282 0.001 0.538

決まった時間に寝る 0.159 0.235 0.456 0.499 1.172

定数 0.131 0.228 0.331 0.565 1.14

参考文献:「日本の所得格差と社会階層」 著者 樋口美雄 現在、義務教育の学力不足が懸念されている。これを改善しようとしているのもまた事

実である。学力に関して言えば授業内容の充実も大切なはずであるが、それよりも教育を

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受ける環境を整えるという根本的なことから変えてゆくことはさらに必要ではないか。先

にも述べたよう食事をしっかりと取ることによるメリットは大きい。さらに、親の生活に

対する考え方も大切であろう。親が子供を育てる気がなければ話にならない。これらを踏

まえた上で義務教育によって普段の生活や食事などサポートすることが出来れば子供たち

が人間として大きくなってゆけるのではないだろうか。

参考文献

文部科学省ホームページ http://www.mext.go.jp

文部科学省ホームページ内の

OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)《2000年調査国際結果の要約》

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/index28.htm

PISA(OECD 生徒の学習到達度調査)2003年調査

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04120101.htm

義務教育費国庫負担制度を正しく理解するために http://gikyouhou.hp.infoseek.co.jp/

朝ごはん実行委員会 http://www.asagohan.org/04/02.html

KICCERShttp://www.kiccproject.jp/kiccers/index.html

「機会不平等」 斎藤貴男 文藝春秋 2000年

「教育の経済分析」小塩隆士著 日本評論社 2002年

「教育を経済学で考える」小塩隆士著 日本評論社 2003年

「日本の所得格差と社会階層」樋口美雄著 日本評論社 2003年 「義務教育を問いなおす」藤田英典著 筑摩書房 2005年

Page 29: 義務教育は必要か - omura.gr.jp · 教育自体を改善しながら存続すれば、問題解決につながるのではないか。 本編ではまずゆとり教育の現状を述べる。ゆとり教育は評価方法が変わり、できる者、

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「誰も教えてくれない教育のホントがよくわかる本」伊藤敏雄著 文芸社 2006年