立川段丘面群と野川の流路repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/37882/rcr054...――61...

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59 * 駒澤大学文学部地理学教室 はじめに 多摩川は,関東山地のほぼ中央に聳える雲取山 (標高 2,017 mから,西方に連なる稜線上の秀峰の一 つである,笠取山 (標高 1,941 mの南側斜面に源を発する。全体として南東方向へ流下して東京湾に注 ぐ,流域面積約 1,240 km 2 ,幹線流路延長約 138 km の規模である。わが国の河川の中では,流域面積で は第 50 位,幹線流路延長では第 23 位の大河川である。源流から約 76 km 下流で,谷口集落として繁栄 した(旧) おう 宿 しゅく に達するが,一方,(旧) 青梅宿は武蔵野台地の西端に位置する。武蔵野台地の大部分 は,多摩川上流と支流の秋川や浅川などが土砂を運搬し,堆積させた広大な扇状地性の平野で,堆積後 の河川の下刻作用によって,数段の段丘になった土地である (角田 1983)。 武蔵野台地は全体として歪な菱形をした洪積台地で,東西約 47 km,南北約 30 km の広大な台地であ る。福田・羽鳥 1952や関東ローム研究グループ 195619581960),あるいは寿円 1965a1965bなどが,関東ローム層と段丘地形の関係を明らかにしてから以降,関東ローム層の層序や地形との関係 についての研究が進み,わが国では地形編年の模式地となっている。 多摩川に沿う武蔵野台地西南部の,関東ローム層に覆われた段丘地形は,国分寺崖線によって武蔵野 駒澤地理 No.54 pp.5972, 2018 Komazawa Journal of Geography 立川段丘面群と野川の流路 角田清美* Tachikawa River Terraces and the Nogawa-stream SUMIDA Kiyomi 武蔵野面群と立川面群を分ける,国 こくぶん 分寺 がいせん 線の下位に分布する立川面群を,関東ローム層の層厚と段丘 崖を手掛かりに立川 1 Tc 1 面),立川 2 Tc 2 面),青柳段丘面 Tc 3 面) に細区分した。Tc 1 面は武蔵 台より南東側に分布し,約 3.5 m 以上の関東ローム層に覆われている。立川面の大部分は,層厚 1 3 m 立川ローム層に覆われたTc 2 面で,形成された当時は,(旧) 青梅宿を扇頂とする巨大な扇状地であった。 武蔵台の南方では,Tc 2 面はTc 1 面を覆っている。その後,侵食基準面の低下により,府中崖線の下位に Tc 3 面が形成された。 武蔵野面内に源を発する野川の源流付近は,Tc 1 面が形成される以前に形成された地形で,多摩川の名 残川ではない。その後,Tc 1 面の形成によって,国分寺崖線より下流部は侵食されてしまった。国分寺崖 線の下位に立川面群が形成され始めると,崖線下からの湧水を集め,野川の流路が崖線に沿って形成され た。流路に沿って形成された氾濫低地の南側には関東ロームが堆積し,氾濫低地より一段高い,Tc 1 面が 形成された。 キーワード:多摩川,野川,立川段丘面群,国分寺崖線,青柳崖線,立川ローム層の層厚 Keywords: Tamagawa, Nogawa, Tachikawa-terraces, Kokubunji cliff line, Aoyagi cliff line, thickness of Tachikawa volcanic ash layer

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59― ―

*駒澤大学文学部地理学教室

はじめに

多摩川は,関東山地のほぼ中央に聳える雲取山 (標高2,017m) から,西方に連なる稜線上の秀峰の一

つである,笠取山 (標高1,941m) の南側斜面に源を発する。全体として南東方向へ流下して東京湾に注

ぐ,流域面積約1,240 km2,幹線流路延長約138 kmの規模である。わが国の河川の中では,流域面積で

は第50位,幹線流路延長では第23位の大河川である。源流から約76 km下流で,谷口集落として繁栄

した(旧) 青おう

梅め

宿しゅく

に達するが,一方,(旧) 青梅宿は武蔵野台地の西端に位置する。武蔵野台地の大部分

は,多摩川上流と支流の秋川や浅川などが土砂を運搬し,堆積させた広大な扇状地性の平野で,堆積後

の河川の下刻作用によって,数段の段丘になった土地である (角田 1983)。

武蔵野台地は全体として歪な菱形をした洪積台地で,東西約47 km,南北約30 kmの広大な台地であ

る。福田・羽鳥 (1952) や関東ローム研究グループ (1956・1958・1960),あるいは寿円 (1965a・1965b)

などが,関東ローム層と段丘地形の関係を明らかにしてから以降,関東ローム層の層序や地形との関係

についての研究が進み,わが国では地形編年の模式地となっている。

多摩川に沿う武蔵野台地西南部の,関東ローム層に覆われた段丘地形は,国分寺崖線によって武蔵野

駒澤地理 No.54 pp.59~72, 2018Komazawa Journal of Geography

立川段丘面群と野川の流路

角田清美*

Tachikawa River Terraces and the Nogawa-stream

SUMIDA Kiyomi

武蔵野面群と立川面群を分ける,国こくぶん

分寺じ

崖がいせん

線の下位に分布する立川面群を,関東ローム層の層厚と段丘

崖を手掛かりに立川 1面 (Tc 1面),立川 2面 (Tc 2面),青柳段丘面 (Tc 3面) に細区分した。Tc 1面は武蔵

台より南東側に分布し,約3.5m以上の関東ローム層に覆われている。立川面の大部分は,層厚 1~3mの

立川ローム層に覆われたTc 2面で,形成された当時は,(旧) 青梅宿を扇頂とする巨大な扇状地であった。

武蔵台の南方では,Tc 2面はTc 1面を覆っている。その後,侵食基準面の低下により,府中崖線の下位に

Tc 3面が形成された。

武蔵野面内に源を発する野川の源流付近は,Tc 1面が形成される以前に形成された地形で,多摩川の名

残川ではない。その後,Tc 1面の形成によって,国分寺崖線より下流部は侵食されてしまった。国分寺崖

線の下位に立川面群が形成され始めると,崖線下からの湧水を集め,野川の流路が崖線に沿って形成され

た。流路に沿って形成された氾濫低地の南側には関東ロームが堆積し,氾濫低地より一段高い,Tc 1面が

形成された。

キーワード:多摩川,野川,立川段丘面群,国分寺崖線,青柳崖線,立川ローム層の層厚

Keywords: Tamagawa, Nogawa, Tachikawa-terraces, Kokubunji cliff line, Aoyagi cliff line,

thickness of Tachikawa volcanic ash layer

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図1 多摩川中流部・左岸付近の段丘地形

1.丘陵地 

2.金子台面・武蔵野面 

3.立川

1面・立川

2面 

4.立川

3面

(青柳面) 

5.立川

3面より下位の段丘面群 

6.氾濫低地 

7.現河床 

8.段丘崖 

9.立川断層

10

.著名な遺跡(

1.天神町遺跡 

2.野川遺跡 

3.明治大学校地内遺跡)(

A) (

B) は図

2の地形断面図の位置 

pは写真-

1の位置 図内の細線は等高線で,主曲線は

10m

間隔

(数字の単位は

m)。

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面群と立川面群に,立川面群は府中崖線によって立川面と青あおやぎ

柳面に区分される。武蔵野面群は比高数m

の崖線によって三段に細区分されるが,武蔵野台地中央部の小平市と周辺地区における段丘面の比高

は,主として関東ローム層の層厚に基づいている (角田 2017)。

国分寺崖線下の立川面について,貝塚 (1976) は立川礫層の上に,立川ローム層全層をのせる立川 1

面 (Tc 1面),立川ローム層の上半を乗せる立川 2面 (Tc 2面),そして青柳面 (Tc 3面) に細区分したが,

具体的な細区分や分布については示していない。青柳面 (Tc 3面) については,福田・羽鳥 (1952) や寿

円 (1965) などを始めとする,多くの研究者の意見は合意されているが,立川 1面 (Tc 1面) と立川 2面

(Tc 2面) の範囲については,意見の一致をまだ見ていない (松田 1988,松田・大倉 1988,久保 2006・

2007,久保・小山 2010)。

本報文では,多摩川左岸に沿って,武蔵野台地の西端である (旧) 青梅宿から下流の狛こま

江え

付近まで,

立川面群の地形的特徴と関東ローム層の層厚を明らかにし,Tc 1面とTc 2面の範囲について言及する。

国分寺崖線に沿って,国分寺駅西方にある日立中央研究所内から南東向へ,崖下の湧水を集めて野川

が流れている。これまでの研究によると,東木 (1928) 以降,野川は旧多摩川の名残川とされている

が,このことの妥当性についても検討する。

1.立川段丘面群の地形

武蔵野台地の西端は,(旧) 青梅宿である。北側の霞川と南側の段丘崖に挟まれた立川面西端の標高

は約200mで,そこから東方に向かって緩やかに傾斜し,地表面の地形は扇状形になっている (図 1)。

扇頂である標高160~190m付近の平均勾配は約6.8‰で,付近から標高100m付近まではほぼ同じよう

な勾配であるが,そこから南東方へは平均勾配が次第に緩やかになり,府中市浅せんげんやま

間山付近では約3.2‰

の平均勾配である (図 2)。(旧) 青梅宿から野川が多摩川に合流する狛江まで,等高線の配列 (地表面

図2 多摩川に沿う武蔵野台地南部の地形縦断面図

断面形は関東ローム層に覆われた地表面の状態である。立川 2面にある斜線は、関東ローム層の平均的な厚さを示す。武蔵台付近から下流側へ約 5kmにわたり,関東ローム層が厚い区間がある。この場所が立川 1面である。断面の位置は図 1を参照。

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の形態) から,Tc 1面とTc 2面の細区分は出来ないが,後述するように,武蔵台の南方付近から東側で

は,府中崖線から北方へ約 1km離れた位置に,緩やかな遷緩線 (斜面) が,崖線に並行して延びている。

立川面を構成している地層は,上総層群の上位に堆積する青梅礫層と立川礫層で,関東ローム層に覆

われている。資料が多い青梅市内や羽村市内では,上総層群を下刻して埋没谷が形成され,埋没谷の中

には青梅礫層 1)が堆積している (角田 1999・2011)。埋没谷は,多摩川左岸の青梅市河か べ

辺市民球技場か

ら JR青梅線・小作駅へ向かい,そこからは JR青梅線に沿って北側を立川駅の方向へ向かい,矢川緑地

公園に達している。青梅礫層を覆って層厚 5~6m以下の立川礫層が堆積して立川面を形成し,層厚 1

~3mの関東ローム層に覆われている。

青梅市健康センター南側の大露頭 (写真-1)では,関東ローム層 (層厚約 1m) の下位は層厚15m以

上の段丘礫層で,基盤の上総層群は確認できない。段丘礫層は堆積頂面から 2~2.5m付近で二分され

る。上部は全体として明褐灰色で,巨礫や大礫の間は小礫や粗砂によって充填されているのに対し,下

部は充填物として小礫や粗砂に加え,泥を混えている。このため,上部に比べて全体として暗く,露頭

が湿っている場合はより顕著である。このことから,段丘礫層の上部 (層厚 2~2.5m) は立川礫層,そ

れより下部は青梅礫層と判断される。青梅市河辺市民球技場では,青梅礫層の中には長径が50 cm以上

の巨礫も含まれ,粒径は全体として立川礫層より大きい。

狭山丘陵の西端に位置する箱根ヶ崎の西方と北方には,周辺より約 2m高く,東西方向に長軸を持っ

た狭長な段丘面が分布している (図 1)。鈴木 (1972) や植木・酒井 (2007) は,周囲より一段高い段丘

面であることから,武蔵野面と推定している。

立川面の南縁に沿って,立川面と青柳面 (Tc 3面)を区分する府中崖線が延びている。(旧)青梅宿内

では,青梅駅前付近はTc 3面,西分から東青梅駅付近にかけては立川面(Tc 1面とTc 2面は識別できな

い)で,両段丘面を分ける府中崖線は,比高 1~2mの緩傾斜面である。崖線の比高は河辺駅南方の青

写真-1 青梅市健康センター南側の露頭

A-Bを結ぶ線を境として,上部は立川礫層、下部は青梅礫層

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梅総合病院付近で 2~3m,羽村駅北方付近で 3~4m,拝島付近で約 5m,青柳付近でも約 5mである

が,野川が多摩川に合流する狛江では,2mに満たない。

2.立川面を覆う関東ローム層の層厚

Tc 1面とTc 2面を合わせた広義の立川面とTc 3面は,明瞭な段丘崖で区分されるが,Tc 1面とTc 2面の境

界には明瞭な段丘崖がない (図 1)。そこで,Tc 1面とTc 2面の境界を,関東ローム層の層厚を手掛かり

として明らかにするため,多くの地質柱状図 2)を資料として,50 cm単位に区分して層厚分布を示した

(図 3)。

層厚50 cm単位に区分した,関東ローム層の層厚分布についてみると,2.5m以下の場所は257地点

(全体の約47%),2.5m~3mの場所は141地点 (全体の約25%),3~3.5mの場所は63地点(全体の約

11%),3.5m~4mの場所は51地点(全体の約 9%),4m~4.5mの場所は25地点 (全体の約 4%),

4.5m以上の場所は24地点 (全体の約 4%)で,2.5m以下の場所が全体の約半分を占めている。しかし

ながら,立川面は関東ローム層の層厚が約3.5mを境として,約3.5m以下の地区と約3.5m以上の地区

に大別される。

図 3によると,約3.5m以上の地区は武蔵台より西側や南側には分布せず,主として武蔵台~浅間山

南側~飛行場南側~狛江を結ぶ線より北側に分布している。上記の線より南側で,多摩川に近い地区で

は層厚約3.5m以下で,青柳面では2.5mに満たない。これらのことから,武蔵台~浅間山南側~飛行南

側辺~狛江を結ぶ線より北側は,古多摩川が氾濫した場合も,南側に比べて早い時期に濁流が及ばなく

なり,関東ローム層が堆積する場所であったと考えられる。

関東ローム層の層厚が約3.5m以下の地区と約3.5m以上の地区とでは,地表面の状態 (等高線の配列

状態) では明瞭な境界がないにもかかわらず,関東ローム層の層厚が異なっている。関東ローム層の層

厚の違いと立川礫層の表面との関係を明らかにするため,武蔵台付近から明治大学校地内遺跡にかけ

て,礫層表面の等高線図を作成した (図 4)3)。

図によると,礫層表面は北西から南東方へ向かって緩やかに傾斜し,全体の平均勾配は約3.6‰であ

るが,標高53m付近を境にして,西側は約4.1‰,東側は約3.1‰となっている。

礫層表面の等高線図では,大局的には東方へ張り出した扇状になっているが,真姿の池の西側から南

方へ,標高60m付近に比高 1~2mの遷移線が南北方向に延び,遷移線を境として関東ローム層の厚さ

が大きく異なっている。その東側には,北西から南東方向へ延びる二列の浅い谷を境として,比高 1m

に達しない三列の小さな尾根が延び,全体として,関東ローム層は浅い谷の場所で厚い傾向にある。

地表面では,浅間山の東麓から東方に向かって野川近くまで,ほぼ東西方向に比高 1~2mの緩斜面

が延びている。段丘面を区分する小さい段丘崖のようにも見えるが,北西から南東方向へ傾斜する地表

面を斜めに横切っていること,あるいは飛行場に近い場所では,関東ローム層が西側に比べて薄いこと

などから,人為的に形成された可能性が強い。

浅間山の中央南側に源を発し,そこから南東方に向かって,延長約500mの浅皿状の凹地が延びてい

る。同じような凹地が,東京農工大学の圃場から浅間山の西側を通って,曲流しながら約1.8kmの延長

で南東方向へ延び,最も深い場所では約2.3mである。二つの浅皿状凹地は,周辺の最大傾斜に必従的

に延び,上流より幅広い緩傾斜地て消失していることから,降水量が多いときに形成された水みず

道みち

4)であ

ろう。これらの水みず

道みち

は,礫層表面の等高線図に影響を全く与えていない (図 4)ことから,関東ローム

層が堆積した後に形成されたことを示している。

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図3 立川面上における関東ローム層の層厚

1.丘陵地 

2.武蔵野面 

3.立川面 

4.段丘崖 

5.氾濫低地 

6.現河床 

7.著名な遺跡(

1.天神町遺跡 

2.野川遺跡 

3.明治大学校地内遺跡)図内の細線は等高線で,

主曲線は

2m間隔

(数字の単位は

m)

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3.関東ローム層の層厚と立川礫層の表面の関係

立川礫層表面の起伏と,関東ローム層の層厚関係をより明らかにするため,地表面の最大傾斜とほぼ

直角に交わるような状態で,1kmに満たない間隔で,地形・地質断面図を作成した (図 5)5)。

図によると,断面図のG-H線を境として,礫層表面の起伏が,西側(上流側)と東側(下流側)で

は,いくぶん異なっている。東側では,礫層表面は多少の起伏はあるが,多摩川(府中崖線)に向かっ

て全体として低下し,関東ローム層の層厚も多摩川に向かって次第に薄くなっている。あるいは,礫層

表面とほぼ平行になっている。これらのことは,南側に比べて北側は早い時期に,南側を流れていた多

摩川の濁流が及ばなくなり,関東ローム層が堆積したことを示している。礫層表面はほぼ平坦である

が,地表面が浅皿状になっている場所は,関東ローム層堆積後,野の

水みず

によって侵食されたのであろう。

これに対し,G-Hの断面図より西側では,国分寺崖線から南方へ約500~800m離れた場所を中心

とする浅い谷があり,その位置では関東ローム層が厚い。付近の縦断平均勾配は,地表面と浅い谷底は

いずれも約4.1‰である。すでに述べたように,浅い谷の西側には高さ約 2mの礫層の急斜面が,南北

方向に延びていることから,東西に延びていた浅い谷の上流側は,西方から運搬されてきた礫層によっ

て埋積されたことを示している。

図4 立川礫層の表面地形と立川ローム層の層厚

1 .丘陵地 2 .武蔵野面 3 .立川面 4 .氾濫低地 5 .段丘面上の小崖 6 .段丘面上の水みずみち

道 7 .著名な遺跡(1 .天神町遺跡 2 .野川遺跡 3 .明治大学校地内遺跡) 8 .主な湧水地 9 .Tc 1面とTc 2面の境界 A Bなどは,図 5の地形・地質断面図の位置 図内の細線は立川礫層表面の等高線で,主曲線は 2m間隔 (数字の単位はm)。

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図5 立川面の地形・地質横断面図

断面の位置は,図

4を参照 地表面の・は柱状図の位置

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4.立川ローム層の層序と立川面上の関東ローム層

立川面群の上位には,層厚 1~5mの立川ローム層が,立川礫層を覆って堆積している。小林・ほか

(1971),山崎 (1978),羽鳥・ほか (1983),藤田 (2006),小田 (2009),あるいは橋本 (2011) などによ

ると,表面にある黒色腐食層の下位の褐色ローム層内には,上位からK-Ah層 (喜界アカホヤ層)・UG

(立川ローム上部ガラス質火山灰)・BBⅠ (第一暗色帯)・S1S (相模野上位スコリア層)・AT(姶良Tn

火山灰層)・BBⅡ (第二暗色帯)・S2S (相模野上位スコリア層) などの鍵層が挟まれている。武蔵野

ローム層と立川ローム層の境界について,町田 (1971) は相模原台地では,相模野上位 (第 1) スコリ

ア・S1Sから約 1m下位にある攪乱帯とし,町田・ほか (1971) では相模野下位 (第 2) スコリア・S2Sの

下位にあるクラック帯としている。S1Sの直下にATが堆積していることから,町田 (1971) の説に従え

ば,Tc 1面は立川ローム層の全層を堆積していることになり,町田・ほか (1971) に従えばTcⅠ面は立川

ローム層の下部の一部を欠いていることになる。

調査地内では,天神町遺跡・野川遺跡・明治大学校地内遺跡の三か所 (図 4) で,立川ローム層と立

川礫層の関係が,直接,観察されている。

天神町遺跡では,ATの下位にあるBBⅡ相当層を挟んで立川礫層となっている(松田 1988,松田・

大倉 1988)。野川遺跡では,ATの下位にBBⅡ(層厚約80cm)があり,さらに下位にある黄白褐色

ローム層 (層厚約80 cm) などを挟んで立川礫層となっている (小田 2009)。明治大学校地内遺跡では,

ATの直下にBBⅡ (層厚約20 cm) があり,その下位は氾濫堆積物となっている (明治大学校地内遺跡調

査団 2006)。これらのことから,立川礫層の上位に堆積している立川ローム層はBBⅡより上位で,Tc 1

面上に堆積している立川ローム層全体の層厚は約 5mと推定される。さらに,BBⅠ (第一暗色帯) の上

面より上位を立川ローム層上部層とし,Tc 2面上には立川ローム層上部層が堆積していると考えた。立

川ローム層上部層は約 3mの層厚である。この推定に基づけば,明瞭な境界線 (段丘崖) はないもの

の,Tc 1面とTc 2面の境界は,図 4に示した位置付近と考えられる。

箱根ヶ崎の西方と北方には,周辺より約 2m高く,東西方向に長軸を持った段丘面が分布している。

付近における関東ローム層の層厚が約 2mであるのに対し,箱根ヶ崎の西方にある宗そうあんつか

安塚信号の南側で

約3.5m,瑞穂松原信号の東側で約 4mの層厚であることから,低い面はTc 2面,一段高い段丘面はTc 1

面であろう。北方の瑞穂町立第三小学校南に分布する,一段高い段丘面についての資料はないが,形態

や周辺からの比高から,一段高い面はTc 1面,低い面はTc 2面と推定される。

5.国分寺崖線下の湧水と野川の流路

野川の源流は,国分寺崖線を北方へ約500m掘り込んだ場所にある日立中央研究所周辺で,付近の上

総層群の表面は,沖積低地より約 3m高いため,地下水が各所で湧出している (図 4)。 源流から約

800m流れ下って,元町用水と合流する。合流点からは国分寺崖線下に沿って流れ,貫井神社や滄浪泉

園の湧水を始めとする多くの湧水を集めている。途中,深大寺から下流では,国分寺崖線を離れて立川

面上を約 2m下刻し,源流から約17.3km 6)流れ下って多摩川に合流する (図 3)。

深大寺より上流側における流路両側の地形・地質は,非対称である。左岸側は比高13~15mの国分

寺崖線で,上総層群を基盤とし,その上位に武蔵野礫層と関東ローム層が堆積している武蔵野面であ

る。一方の右岸側は,立川礫層を覆って立川ローム層が堆積している。その間は,流路に沿って狭長な

氾濫低地が分布し,立川面との境には比高 1~3mの段丘崖が延びている。

地形・地質断面図 (図 5) によると,断面図のG-H線付近より下流側では,野川の河床は立川礫層

の頂面とほぼ同じ位置で,氾濫低地堆積物 (層厚 2~3m)の基底も,立川礫層の頂面とほぼ同じ位置

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である。滄浪泉園から市立小金井第二中学校にかけては,国分寺崖線と野川に挟まれてTc 1面が分布

し,小金井第二中学校 (断面図のM-N線) でも,立川礫層の頂面はほぼ水平である。これらのことか

ら,立川礫層の深さまで野川が下刻したのではなく,野川の河床の高さはほとんど変化せず,流水が及

ばない場所には立川ローム層が堆積し,流路の近くでは野川が運搬して来た土砂が堆積して,氾濫低地

を形成したと推定される。

支流の元町用水は約850mの流路延長で,源流は国分寺本堂周辺であるが,本堂から西方へ約200m

付近までの崖下には,南側より 1m以下の深さで,浅皿状の凹地が続いている。菊地 (2005) は武蔵台

の南側から北西方に向かって,沖積面が分布する図を示しているが,図 4に示されているように,武蔵

台の北西方には沖積面は分布していない。

地形・地質断面図(A-B)によると,元町用水は北側の上総層群と南側に堆積している立川ローム

層の間に位置し,用水から見た南側の段丘崖は全体が立川ローム層である。図 4によると,断面の位置

から約100m西側には,表面が扇状形になった段丘礫層が,厚い立川ローム層に迫るような状態で堆積

している。遺跡発掘調査結果によると,立川ローム層の上位には,層厚は 1mに満たないが,軟弱な泥

層が狭長に分布している7)。これらのことから,野川の支流である元町用水の上流は,立川ローム層が

約 2m堆積した後,崖下付近の野の

水みず

を集めて流れる水みずみち

道で,国分寺本堂付近から下流側は,崖下の各所

からの湧出を集めて流れ,野川に合流している。元町用水や野川は流路幅が狭く,かつての多摩川の流

路跡 (名残川) ではないことを示している8)。

一方,A-B断面図では,元町用水から南方へ920~940mの幅で礫層の表面が凹地になっており,か

つての多摩川の旧河床であったようにも見える。しかしながら,この断面の位置から約150m西方には

比高 2mの遷移線があることから,多摩川の旧河床 (名残川) ではない。

これらのことから,元町用水が出現する前,日立中央研究所周辺を水源とする野川が狛江に向かって

流れ,その後,立川ローム層が層厚を増していく過程で,武蔵台より東側の国分寺崖線下を水源とする

元町用水が,南側の立川ローム層が形成する段丘と,国分寺崖線の間を流れるようになったと考えられ

る。

細野 (1978) や土屋 (1997) によると,立川面の不圧地下水面図は,野川の流路より南側では常時,野

川から立川面を経て南東方へ傾斜している。このことは,野川を流れている水は,両側からの湧水に

よって涵養されているのではなく,国分寺崖線下の湧水と降水によって涵養されていることを示してい

る。

聞くところによると,崖下からの湧水が少ない場合,野川は涸れ川になることも珍しくなかったと云

う。このことは,野川の河床は立川礫層で,漏水が多いことを示しているのであろう。

まとめに代えて

武蔵村山市十じゅう

二に

社そう

から南東方へ延びる,国分寺崖線より西側の武蔵野台地は,段丘化した扇状地で,

(旧) 青梅宿を扇頂とする立川 2面 (Tc 2面) である。国分寺崖線が北西から北東方へ向きを大きく変え

る,武蔵台の麓より西側や南側の立川 2面 (Tc 2面) では,立川礫層上に堆積する関東ローム層の層厚

は 3mに満たない。一方,武蔵台の南東側では,立川礫層の表面は周囲より約 2m深い,浅皿状の谷が

東方へ向かって延び,浅皿状の谷には3.5m以上の関東ローム層が堆積している。このことから,関東

ローム層の層厚が 3~3.5mより厚い場所はTc 1面,3mに満たない場所はTc 2面と推定される。

平面的に見ると,国分寺崖線は武蔵台から北東方へ向かって大きく湾曲するため,関東ローム層の層

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厚から推定されるTc 1面が分布している位置は,扇頂にあたる (旧) 青梅宿から見ると,陰影部に当た

る場所になる。また,Tc 2面の礫層表面は全体として扇状形になっているが,Tc 2面がTc 1面と接する場

所では,Tc 1面の上流側を覆うような状態で,比高 1~2mの遷移線が延びている。これらのことか

ら,Tc 1面を形成する礫層が堆積した当時,多摩川は (旧) 青梅宿から武蔵野台地上を流れて,大きな

扇状地を形成した。本流は,曲流しながら現在の浅川が多摩川に合流する付近に達し,そこからは北東

方向の武蔵台の麓へ向かい,浅間山の北側を通って飛行場へ向かっていたと推定される。その後,多摩

川は (旧) 青梅宿から十二社付近へ向かい,そこからは南東方の国分寺崖線に沿って武蔵台へ向かっ

た。武蔵台の南方では,Tc 1面の上流側を覆うような状態で,Tc 2面を形成する礫層が堆積し,そこか

らは浅間山の南側を通って狛江に向かうようになったと推定される。

Tc 1面の上位には層厚3.5m以上の関東ローム層が堆積するが,Tc 2面では層厚 3mに満たない。三か

所の遺跡における観察では,Tc 1面の関東ローム層は最も厚い場所で約 5m,最下部はATの下位にある

BBⅡより30~50 cm下位と考えられ,これより上位の関東ローム層が立川ローム層である。さらに,立

川ローム層上部層は,BBⅠ (第一暗色帯) の上面より上位で,Tc 2面上には層厚約 3mの立川ローム層

上部層が堆積していると考えられる。

武蔵台から南方へ延びる礫層の遷移線,すなわちはTc 1面とTc 2面のそれぞれを形成する礫層の比高

は 1~2 mであるが,それより南東方では遷移線は確認できず,立川ローム層の層厚の境界も不明瞭で

ある。一方,上流側である狭山丘陵の西側付近では,Tc 1面はTc 2面の中洲のような状態で狭長に分布

していることから,当時の河床高度はほぼ同じであったと考えられる。

野川の源流は武蔵野面内に,直線距離で500m以上入り込み,上総層群の表面を約 3m掘り込んでい

る。野川の源流は,Tc 1面が形成される以前に形成された谷地形で,Tc 1面の形成によって国分寺崖線

より下流部が侵食され,国分寺崖線の下位にTc 1面が形成され始めると,崖線下からの湧水を集め,崖

線に沿って流路が形成された。流路は上総層群と礫層の境界に位置し,流路に沿う狭長な氾濫低地の南

側には関東ロームが堆積し,氾濫低地より一段高いTc 1面が形成された。野川の支流である元町用水

は,黒鐘公園より東側に形成された水みずみち

道を基本とし,途中から国分寺崖線下の湧水を集めている。野川

を古多摩川の名残川だとする説もあるが,元町用水は立川ローム層の表面を流れ,立川礫層の表面は旧

河床を示す凹地状にはなっていない。

注 記

1) 武蔵村山市十二社から立川市砂川九番付近までの国分寺崖線に沿っては,武蔵野礫層を侵食して立川礫層が

堆積している (角田 2017) ことから,ここで述べる青梅礫層は武蔵野礫層に対比されると考えられる。

2) 使用した柱状図は,東京都土木技術支援センターがインターネット (http://doboku.metro.tokyo.jp/stat/03-

jyouhou/geo.)で公開している資料のほか,細野義純博士から貸与されている柱状図,各市役所の担当係に

保存されている柱状図,東京電力が作成した柱状図集などである。

3) 岡崎 (1967) は,JR青梅線の小作駅北方を中心とする調査地で,関東ローム層に覆われた立川礫層の表面状

態を明らかにした。それによると,地表面の起伏は小さいが,かつての多摩川の河川敷であった立川礫層の

表面は,地表面の最大傾斜に沿って,1~2mの起伏が帯状に延び,関東ローム層は凹地にあたる場所で厚

く,凸地では薄い傾向であった。岡崎の調査地は,かつての多摩川が作る扇状地の扇頂付近に位置し,地表

面の平均勾配は約6.8‰であるため,洪水時には乱流状態で流れが速く,洪水後の河原には網状の流路と紡

錘状の中州が形成され,中洲の間を水が流れているような状態であったと推定される。一方,今回の調査範

囲は扇頂から21~36 km離れ,関東ローム層に覆われた地表面の平均勾配は,浅間山南側一帯では約3.2‰で

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あることから,立川礫層の表面の起伏は,岡崎 (1967) の調査地より小さく,大雨の時は布状洪水として濁

流が川幅一杯に流れ,平常時には河原の一部の凹地を水が流れているような状況で,河原の起伏も 1m前後

以下であったと推定される。

4) 武蔵野台地の野の

水みず

と水みず

道みち

については,角田 (2015) で述べた。

5) ボーリング地点の標高や地形断面図を作成するために用いた地形図は,東京都都市計画協議会 (発行)・八

州 (印刷) の,「東京都地形図」 (2,500分の 1) を使用した。標高の読取り誤差は20 cm以下であろう。

6) 流路は河川改修によって各所でショートカットされ,下流では入間川に瀬替えされている。ここで記載した

流路延長は,地形分類図によって復元された,旧流路の数値である。

7) JR武蔵野線の西側にある黒鐘公園には,かつて湿地があったと伝えられることから,降水量が著しく多い時

は黒鐘公園内に湧水が出現し,公園から国分寺本堂まで,水みず

道みち

が出現していたのであろう。

8) 多摩川の河床両岸の氾濫原は,連続堤防の建設が始まった大正時代まで,500~1,000mの幅であった。これ

に対し,野川に沿って分布する氾濫低地は,広い場所でも200mに満たない。

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Tachikawa River Terraces and the Nogawa-stream

SUMIDA Kiyomi*

This paper describes the topography and geology of the area along the Tama River in the south-west of Tokyo. The topography of the surveyed area is divided into Musashino terraces and Tachikawa terraces

by the Kokubunji cliff line and covered with Tachikawa volcanic ash layer. Tachikawa Terraces group is divided Tachikawa 1 terrace, Tachikawa 2 terrace and Tachikawa 3 terrace based on Tachikawa Loam Formation. The thickness of the layer of Tachikawa 1 terrace is 3 ~ 5 m, 2 terrace is 2 - 3 m, 3 terrace is less than 1 m.

Nogawa is a stream of about 17.5 km in length that flows along the Kokubunji cliff line. The area of the source was formed in the age older than 50,000 years ago from now but it was discovered from the thickness of Tachikawa volcanic ash layer that the downstream was formed within 30,000 years with the formation of Tachikawa 1 terrace.

* Part-time Lecturer, Department of Geography, Komazawa University