甲山の麓よりthekadono.cocolog-nifty.com/blog/files/camino_no.4 word... · web view32....
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27. Garicia (ガリシア)を歩く
6月8日 6時半起床。夜中に耳の周りを虫に刺される。昨日、洗いざらしの綺麗なシーツと枕カバーに替えて
くれたばかりなのに。やはり、枕の中に虫がいる様だし、夜中にダニ避け薬を枕の周りに置いていなかったため
です。虫に刺された時のための塗り薬は日本から持ってきたとはいえ、気分の良いものではありません。Cami
noを歩くには、効果的な、ダニ避け、殺虫剤を持参するべきです。前回は、Albergueの毛布の中にいた
虫に噛まれたが、今回は、全て、洗いざらしのシーツやまくらカバーを付けた、個室のベッドで刺されたり、噛ま
れたりしています。
私のリュックを、Albergueのおばさんが言っていた様に、部屋に残して、7:20 Areixeを、私は妻のリュックを担ぎ、妻はリュックを背負わずに出発。途中、小雨になって雨具を付けたがすぐに止みました。今
日は、曇りで、気温が低く歩き易い。Palas de Rey(パラス・デ・レイ)のホテルのバールで、カス
テラの原型のようなケーキとコフィ―を取って朝食とし、休憩。この辺りで、足を痛めてびっこを引きながらゆっ
くりと歩く老人の巡礼者と会いました。どうみても、もう歩くことは難しいと思われる程の歩き方でしたが、その
後どうされたのだろうか。
Galicia (ガリシア)に入ると、様相は一変します。森が多く、木々に囲まれた道が多くなり、畑も麦
畑よりもとうもろこし畑が多くなる。牧畜が盛んで、牛や羊の飼料のとうもろこしを作っているのでしょう。既
に書きましたが、家々が石造りとなります。ここらあたりの岩は薄く剥がせるような岩が多く、薄くした岩を積層
して、家や納屋の壁を作っています。また多くの家の庭には、ガリシア地方独特の高床式の収穫保存庫(オレオと
呼ばれています)が建てられています。それぞれの家毎に、ユニークなデザインになっていますが、多いのは煉
瓦で長方形の建物を作り、何本かの柱で支えられた平面の石の上に置かれているものです。正倉院と同じく、柱を
登ってきたネズミは、平面の板(石)の底部を、逆さまに歩くことが出来ず、倉庫の中には入れません。お墓もユ
ニーク。ガリシアでは、ガリシア州政府が道標をたくさん建ててくれています。ガリシア州での、巡礼のマスコ
ット Xacobeo (シャコベオ)が、巡礼者を迎え、導いてくれます。
ガリシアの村の家:石造り オレオ(穀物倉庫)
石の道標はガリシアに入ると、Santiagoまでの距離数が刻まれています。が、この数字は、昔のCam
inoを基に計算されており、色々変わらざるを得なくなった現在のCaminoでは、Santiagoまでの1
距離は、道標に刻まれている距離よりも数キロメートル長いのです。なお、このガリシア州の巡礼マスコット、X
acobeoですが、可愛くて、愛嬌があるのですが、どうみても、自転車に乗っているようにしか、私には見え
ません。私だけの偏見でしょうか。
Santiagoまで100Kmの道標 ガリシアでの巡礼マスコッ
ト:Xacobea(シャコベア)
ガリシアは、スペインでも北西部に位置し、ポルトガルにも近く、マドリッドを中心とするスペイン中心部と
は、相当異なっています。雨も多く、緑に囲まれており、建物やお墓のスタイルも異なり、言葉もかなり違います。
ガリシアの言葉は、Gallego (ガジェゴ)と言い、Castellano (カステジャーノ スペイン
語)とかなり違っており、ガリシアのおばあさん達が、ガジェゴでしゃべっているのを聞いても良くわかりませ
ん。ポルトガル語に近い言葉なのでしょう。ガジェゴの単語には、Xの文字がたくさん現れます。バスクやカタ
ール―ニアは、経済力がありますから分離・独立を目指すのでしょうが、ガリシアは経済力が乏しく、なかなか分
離・独立を求めることはできないのではと、私は観察しておりました。
珍しいグループと二日間、頻繁に会うようになりました。米国からやってきたツアー・グループで、彼らにはバ
スが並走して来ています。私達が行く所、行く所に、並走しているバスが待っていました。彼らは誰も大きなリュ
ックを背負っていません。四国遍路ではポピュラーなバスの支援を受けた歩き巡礼と同じだろうと思います。大き
なホテルに泊まり、バスでホテルからCaminoまで運んでもらう。荷物をバスに預けて歩く。万一歩くことが
困難になれば、バスに乗ることも可能。昼食場所や宿舎までバスで運んでもらう、といった巡礼の歩き方だと思い
ます。Caminoでお会いした日本人のバス・ツアーは、この米国人バス・ツアーとは異なります。日本人の方
のバス・ツアーは、あくまでバスで移動することがメインで、数回、ほんの少しだけ歩いておられましたが、こ
の米国人のツアーは歩くのが目的で、バスは主として宿舎との往復に使われているのでしょう。
Mélide(メリデ)まで20 km以上の距離もあり、荷物が少ないとはいえ、出発時間が遅かったため、予定した
1時前には着かなかった。前日Albergueでもらったチラシと、途中で2回ほど見た広告の看板を頼りに、
予約した Pensión GROBAを探して歩いた。Mélideの町中に入らず、倉庫街といった場所の中を通るので不
安にかられながら歩いて、ようやくGROBAに到着。アパート(日本で言うマンション)の建物の一部分を
Pensiónにしています。1:10。 22.7 km。ところが、この Pensiónは鍵が閉まっていて、誰もいない。同2
じ名前のバールは閉鎖されている。しかも、アパートには Se Alquila (空き室有。賃貸し募集中)
の看板がかかっていて、大変な宿を予約したと大いに慌てました。
泊まる所は、大きな都市 Mélideだから、どこにでもあるので困らないのですが、リュックを預けて、運んでも
らっている。リュックがなければ、これからCaminoを続けられない。周りには、アパートの建物がたくさ
んあるのですが、誰も住んでいないかのように静かで途方に暮れていたら、近所のアパートから男性が一人出てき
ました。彼が言うには、バールは閉鎖したが、Pensiónの方はどうなっているか判らない。向こうにバールがあ
るから聞いてみたらとの答え。早速、そのバールを探していき、店の女性に事情を話すと、彼女はアルバイトの様
で何も判らない。そこに、店の主人が出てきて、よっしゃ、電話してやろうと、Pensiónのオーナーに電話してく
れました。互いに友人だったのでしょう。すぐに来るよ!とのことで、そのバールで待つことにした。ところが
待てど暮らせど、一向に Pensiónの人間は現れない。
バールで飲んでいる人たちを見習って、Garciaのワインの飲み方で、ワインを注文しました。真っ白い陶
器の器(日本の盃を大きくした、あるいは、小さめのどんぶりのようなもの)に、まだ若い赤ワインを入れて飲む
のです。たっぷり入って、1€。電話代込みで2€支払う。そうこうしているうちに、店のお客さんたちが同情し
だして、高価な Jamón Serano (ハモン・セラーノ スペインの高級ハム)やどんぶりに入った赤ワイン
をおごってくれました。彼らの親切には頭が下がる思いでしたが、Pensiónの人間が現れたのは、電話してくれ
た後、30分以上もしてからでした。その間、冷や汗をかき続けていました。
Pensiónのオーナーのおじさんと一緒に Pensiónまで行くと、リュックを運んできた車が Pensiónの前に停ま
っていました。おそらく、車は早く着いたのだが、閉まっていたので、リュックを持ち帰ったのでしょう。
Pensiónのおじさんは、バールのオーナーから電話を受けたが、リュックが到着しなければ、我々を迎えに来れな
かったのだろうと思いました。運送会社の車に再度配達させるのに時間がかかったのではと思われました。
Pensiónの部屋はエレベーターで上がった4階。綺麗で大きくて、問題は全くなかった。ただ、部屋代は30 €と
いう。昨日は25€だったので同じ料金と思っていたのですが、山の中と大都会とは異なるし、又、ここには整っ
たトイレやバス・タブが個室に備わっているので、了解して30€を支払いました。
シャワー、洗濯した後、Pensiónのオーナーに教えてもらった有名な蛸屋さん Pulperia Ezequielに向
かう。Gariciaに入ると、魚貝類が豊富になるのですが、特に、Mélideでは、蛸が有名な名物料理です。
Pensiónの位置は、相当町外れかと思っていましたが、実際、町の中心まで300メートル位のところでした。E
zeqielで蛸を食べだします。もう3時を過ぎていましたが、たくさんのお客さんで一杯でした。蛸の皿は、
大・中・小あり、小を二つ注文しました。皿一杯盛られていて、これで十分すぎるほど。6.5 €/皿。パンと白
ワイン等で、計19€。途中で、マレーシア人夫妻が入ってきたので、一緒に食べて、5時過ぎまでここで騒いで
いました。お腹いっぱい。美味しかったし、大満足。
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有名蛸レストラン 湯掻いたタコを肴にガリシ
ア式に陶器でワインを飲む
昼食後、薬局に行って、虫刺され・痒み止めの薬を買う。日本の薬でなく、ここの虫に合う、ここの薬を求めて
前回もこの薬局で、同じ目的の薬を買ったと女の子に話していると、奥から主人が出てきて、あれやこれや薬を出
してくれて、これが一番だろうとクリームの薬を勧めてくれた。4€。大きな容器で、さすが、効き目も十分で、
安いなあと思った。
Pensiónでシエスタの後、Mélideの町の出口を確認して(前回、Mélideの町の中で迷ったので)もう一度、蛸
を食べに出かけました。車道の横断歩道のところやラウンド・アバウトの所に、以前にはなかった道標が立てられ
ていたので、もう迷うことはなさそうです。前回、歩いた時は、Mélideを通り過ぎただけでした。その時、前を
通った蛸屋さん(Pulperia)で値段を見ると高そうだったので食べなかった。今回は、リベンジで、そこでも食べ
てやろうと探しに行きました。Puplp eria A Garnachaでした。蛸一皿(7€)、焼いたPimi
entos (ししとう)一皿(3€)、パンと白ワインで15€。ここの蛸も美味しかった。店の前で写真を撮
ろうとすると、大きな茹で釜から、巨大な蛸を鉄の棒で引っ掛けて渡してくれた。それを持った妻の写真を撮るよ
うにとの事で。大変良い記念になりました。スーパーで買い物をして、Pensiónに帰って就寝。今日は、蛸尽くし
の日でした。二人とも大満足。
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茹でタコを渡されて タコと、ししとうと、白ワイン
28.馬と自転車の巡礼
6月9日 5:45 起床、果物一杯の朝食の後、6:40 Mélideを出発。今日は、曇り空で今にも雨が降りそうな天
候。少し寒い。原生林のような森の急峻なアップダウンの道をふうふう言いながら歩く。今日もトウモロコシ畑が
多く目につく。やはり、ガリシアでは、小さなアップダウンの森が多く、牧畜をしている雰囲気が続きます。ユー
カリの森も多くなってきました。
昨日からCaminoには、まだ暖かい馬の糞がところどころ落ちていたので、馬での巡礼者が前を歩いている
なと思っていましたが、突然、後ろの方から大声が聞こえてきて、7~8頭の立派な馬が我々を走り抜いて行きま
した。巡礼者達でホタテ貝を身に着けていました。格好良いですね。でも、大きな立派な馬が、駆け抜けていくの
で十分気をつけねばなりません。そのため、先頭の馬に乗っている人は大声で注意を喚起しながら他の馬を引っ張
って行っているのです。田舎の道に糞が落ちているのは、一向に気になりませんが、街中に入って、近代的なコン
クリートやタイルで張られた地面の上に馬の糞が巻き散らかされるのは歓迎できることではありません。徒歩、自
転車、以外にも、馬での巡礼は認められていますが、それほど多くの馬での巡礼者はおらず、馬の糞が社会的な問
題になるほどではないのでしょう。私は、前回、ロバを連れて歩いていた巡礼者に会いましたが、馬に乗った巡礼
者に会ったのは初めてです。
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馬での巡礼者
馬の巡礼者も、徒歩と同じく、100 km 以上の距離を巡礼することが、巡礼証明書 (Compostel
a)を発行してもらう条件です。自転車の場合は、200 km以上の巡礼をすることが、巡礼証明のために求めら
れます。Caminoには、徒歩巡礼が一番多いのですが、多くの巡礼者が自転車でも走っています。もちろん、
実用車ではなく、競技用やマウンテンバイク的な自転車で。荷台に、振り分けのようにして荷物を乗せて走ってい
ます。Monte do Gozo(モンテド・ゴソ)で会った北欧の男性は、自転車に小さなサイドカーを付け、
それに荷物を乗せて走っていました。既に述べましたが、自転車の前に荷台を付け、そこにワンちゃんを乗せて走
っている方もいました。二人乗りの自転車にご夫婦で乗っておられる巡礼者もおられました。自転車の巡礼者は、
単独で走るよりも、数人でグループを作って走っている方が多かったように見受けました。
徒歩のCaminoと同じ道を走るのですが、所により徒歩は可能だが自転車は無理といったところがあります
そういう所では、自転車用のCaminoを走るのです。私の友人は、2011年秋に、自転車でCaminoを
完走しました。彼は、フランスのSomportから Camino Aragones (アラゴンの道)を通
り、フランス人の道と合流し、Santiago de Compostelaまで完走したのです。私からの情
報だけでなく、友の会から自転車用の道の情報を多く入手して、それを参考にして走ったとのことです。私が、鉄
の十字架のところで会った、日本からの高齢者の自転車巡礼グループの人達からも、多くの有益な情報・アドバイ
スを得られたとのこと。
さすが、徒歩と比べて自転車は速いですから、一日に移動できる距離は、圧倒的に長いのです。でも、だから自
転車は、徒歩に比べて楽だとは言い切れません。急な登り道、石や岩でゴロゴロの道を自転車で走るのは大変難儀
で、徒歩の巡礼者が同情を禁じ得ない時もあります。それでも、非常に多くの巡礼者が自転車で走っていますし、
下り道を、かなりのスピードで走り下りて来た時は、ぶつからないように、十分な注意をせねばなりません。彼等
とも、Buen Camino (ブエン・カミーノ)の挨拶を交わします。なお、多くのAlbergueでは、
徒歩巡礼者に優先権を与えていると言われております。午後遅くになって、まだベッドに余裕があるときのみに自
転車の巡礼者がベッドを確保できるといったようしているのでしょう。自転車の場合、ベッドの空きがなくとも、
次の村や前の村に行くことは、それほど困難でないからです。
29.ユーカリの森
Arzúa(アルツーア)の町に入ると、前回泊まった、車道沿いのAlbergue (数階建ての近代的建物。
新しくてきれいだった。)を通り過ぎて、町の奥の私営Albergue Via Lacteaを目指す。この6
Arzúaの町も、町を縦貫する車道沿いにあり、長く伸びているのでで、少しでも先に進んでおこうと思った。
10:40 着。14km。10€。ガリシアに入ると巡礼者も多くなり、それに伴って、Albergueの数も多く
なるとともに、Albergue間の競争も厳しく、多くの宣伝・広報の看板やチラシ配りが増えてきます。でも、
Albergueの宿泊料金は高くなってくるのには少し理解に苦しみます。ガリシア政府が運営している宿泊料
が安い公営Albergueもたくさんあるのですが、それらは、若い人たちに利用してもらうべきだと考え、私
達はできるだけ私営のAlbergueや Pensiónを利用するようにしました。まだ午前中に到着したので、好
きな場所のベッドが選べました。スペースが十分な奥の部屋の、一番奥のベッドの上下。この部屋には入り口の所
のベッドに、ひとりの青年が寝ていましたが、具合が悪くて休んでいるのだろうと、静かに荷物を広げました。洗
濯をして、シャワーを浴びて、町の中へ。
昼食のレストランを探し歩き、車道沿いのHotelのレストランが本格的で良さそうだと考え、そこに入りま
した。メニュー12€。前菜は二人ともChipirones (小さなイカ)、主菜はLengua (牛の
舌)とCordero(ラム)。ワインは開封していない白ワインのボトル 1本。コフィ―は無料でしたが、もともとメニューに入っていたのかどうか分かりませんでした。十分満足できた味でした。
シエスタ後、Internetを使ったりして、その後、街中のチーズ屋さんへ。またまた、マレーシア人夫妻
と会う。この Arzúaはチーズで大変有名な町。その中でも、一番有名なチーズ屋さん Quexeira de
Arzúa (直訳すれば、Arzúaのチーズ屋さんという何でもない名前)に出かける。店頭で沢山のチーズを売って
いるだけでなく、店の中にはチーズやハムなど食べたり、飲んだりできる場所があります。自家製の Queso
de Arzúa (Arzúaのチーズ)、Jamón de Pais (直訳すれば、この国のハム。スペイン産のハム
ですかと聞けば、ガリシア産のハムとの事。ガリシアは、バスク、カタルーニャ同様、独立した国を思っている風
土があるからでしょうか。)を注文し、パンと一緒に食べました。白ワインを2杯ずつお代わりして、全部で14.
4€。ここのハムは目茶目茶美味しかった。チーズも美味しかったのですが、味も臭いも強くなく、どちらかと言
えば特徴のないチーズ。牛乳をベースに、表面が少し硬く、中が柔らかいチーズです。
チーズ屋さん 名物のチーズと生ハム、それに、パンと白ワイン
Albergueの隣の部屋は、韓国人の女性3、4人と、ヨーロッパの色々な国からの青年たち、全部で10
人位が占有しました。青年達が沢山の買い物をしてきて、韓国の女性達が料理を作っていました。夜は、彼らの大
宴会。そして、夜中までベッドで話し込んでいました。たまたま、今日集まったが、明日からは、それぞれ別々に
歩くとのこと。青年の一人が、街中の床屋さんに座っているのを見かけましたが、翌日、彼の頭は、上手く刈られ7
ていて、後頭部に、横一文字で矢印が出来ていました。Caminoの黄色の矢印を、後頭部に黒い髪の毛で作っ
ていたのです。夜中、眠れなくて、AlbergueのHospitaleroの青年に教えてもらって、向かい
の Pulperia (蛸屋さん)のBarへ行って、白ワインを飲みながら、テレビでヨーロッパ・カップのサッカー
の試合の中継を見る。
6月10日 夜中から雨が降り続いていた。日光と空気を取り入れる天井の窓を打つ雨音が強かったので、5
時前に目が覚めました。今日は、ゆっくり、そして短距離歩くだけにしておこうと、ベッドの上でゴロゴロして
いたら、妻が 6:30頃起きだしてきました。その時になると雨も小降りになってきたので、あわてて出発の準備を
し始める。果物で朝食をすませ、雨具を着て、7:10 出発。途中、Calle(カジェ)のバールでTorchilla(トルチージャ スペインのオムレツ。大変ポピュ
ラー)を食べましたが、久し振りに伝統的な塩辛いトルチージャだったので食べ残してしまいました。最近のスペ
イン料理は塩味も薄く、食べやすくなっているのですが、やはり山の中で、おじさんが一人で作っている料理は昔
ながらの味をキープしているのですね。 口直しに、しばらく歩いて別のバールで生ビール(Caña)やコフィ―を飲む。
今日は小雨の中だし、山の中の道で泥んこの所もあり、妻は軽登山靴に履き替えて歩きました。こういう道では
トレッキング・シューズは、滑りやすいし、靴の中にまで水が入ってきそう。先日来、ユーカリの林が出てきてい
ましたが、この辺りは、ユーカリの原生林といった雰囲気で、ユーカリの巨木の鬱蒼とした森の中の道を歩きます。
明らかに植林されていました。成長の速いことで知られているユーカリの木ですが、これだけの巨木が沢山育って
いることからして、相当以前から植えられていたと思われます。ユーカリと聞けば、オーストラリア、そして、
コアラの食事と連想するのですが、オーストラリア原産のユーカリの木は、大航海時代にポルトガルやスペインに
移植され始められたようです。おそらく紙の材料として、あるいは燃料、香料等の材料としてでしょう。紙と言え
ば、ユーカリの木の表面は、薄い皮となってはがれるようになっていて、蛇が脱皮しているかのような風情です
緑のトンネルの中の道は清々しい気持ちになります。特に、途中で雨も止んだので・・・・。
ユーカリの森
Santo Irena(サント・イレーナ)で、二つの黄色の矢印が出てきます。左に曲がって、車道の下を
くぐり、村の中のAlbergueの方向に行くことも出来ますし、曲がらずにまっすぐに進むことも出来ます。
しばらくして、両方の道はぶつかります。
道標の表示では、どちらの道を取るべきか悩ましくなりますが、どちらでも好きな方を取られれば良いでしょ8
う。すぐに合流しますので。Pedrouzo(ペドロウソ)の町の手前でも、幹線道路を横切って、山の中に入
っていくのが昔からのCaminoですが、Pedrouzoに泊まりますので、幹線道路に沿って、街中に入る
ようにしました。Pedrouzoでは、前回泊り、大変気に入った幹線道路沿いのAlbergue Port
a de Santiagoでなく、その手前で、バールの上にある Pensiónが良さそうに思えたので、宿泊料を
聞くと35€との事。ここを選びました。Albergueでも一人10€はするので、個室で35€ならば良い
だろうと考えたのですが、この判断は良くなかったようです。Pensiónの世話は、バールの給仕の女の子がして
いるのですが、バールの客で忙しくて、Pensiónまで全く手が回らない。Porta de Santiagoの
Albergueの前を通るたびに、この素晴らしく近代的で清潔で、親切な人たちのAlbergueを妻に経
験させてやりたかったと後悔してしまいました。12:30 到着。19.2km。共用だが、誰も使っていないバスタ
ブでシャワーを浴びたり、洗濯して町中へ出かけました。ここ Pensiónでは、ボディソープやシャンプーは珍し
く各部屋に備え付けられていました。
昼食は近所のレストランでメニュー10€。前菜はEnsalada mixta(ミックスサラダ)と Melón con Jamón (ハム付メロン。メロンは甘かったがハムの量の少なさに驚く。スペインでは珍しい。)。主菜
は魚(スズキみたいな魚とイカの炭焼き)とFillete de ternera (ビフテキ)。デザートは
Tarata de Santiago (Santiago de Compostelaの有名な菓子)とT
arata de Queso (チーズケーキ)。どこでも同じように、パンとワイン付き。それほどの味でも
サービスでもなく、どうも前回Pedrouzoで受けた良い印象を覆すようになってしまって残念。
明日、町を出る道を確認しておきました。この町に入ること自身が、Caminoから少し外れるので、Cam
inoへ戻る道を調べておかねばなりません。残念ながら、巡礼者の恩恵を大いに受けている町なのに、町の中に
は、Caminoへ戻る道標がありません。前回の記憶と通りがかったおばあさんと話をして、幹線道路沿いにあ
る市役所のところで右に曲がり、まっすぐ行くとCaminoにぶつかることを確認しました。今日は日曜日で、
午後にはスーパーや食料品店が閉まってしまったので、夕食に出かけることにし、明日の朝食は途中のバールで食
べることにしました。休憩の後、軽い夕食にと、Pulperia (蛸屋さん)へ。大変混み合っていたので、相当待っ
て、ようやく小さなテーブルが空き座ることが出来ました。Pulpo con Gambas Ajillo (ニンニクで炒めたエビと、ゆでたタコ)、Pimientos (焼いたししとう)、パンとワイン一本。21€。テーブルを一緒に
したMadridからの青年は、休暇中、車でガリシア地方を回っているとのこと。
6月11日 6:30起床。7:10に雨具を着てPedrouzoを出発。7:55頃、Camino沿いに会ったHotelのバールで朝食。ジュース、クロワッサン、ハムをはさんだボカリジョ、コフィ―等、9.50€。
今日もユーカリの森の中の道を歩く。次から次にユーカリの森に入るのです。ガリシアに入ると、Camino
沿いに沢山のごみ箱が設置されていて、ガリシア政府の巡礼への心遣いに感心します。ごみ箱が無いところでも、
Camino沿いにごみが散乱しているようなところはありませんでしたが、ごみ箱が整備されているのは気持
ちの良いものです。四国遍路でも、よく言われているような巡礼者が投げ捨てたごみが散乱しているような場所は
ありませんでしたが、四国では、いたるところに”ごみを捨てるな!”の看板が溢れていて、これらの看板が、あと
数年もすれば、大量のごみなるなあと心配したものです。Caminoでは、そんな無粋な看板すらありません。
途中で、リュックサックに車輪を付けて、腰ひもで引っ張って歩いている巡礼者に会う。アイデアは良さそうだ
が、実際は効率悪く、肩と背中に担いだ方が、はるかに楽だと思われました。肩か背中に問題を抱えておられて、
引っ張るより仕方がないのかもしれません。長いスティックを器用に使って、急な登りを登って行っておられた。
9
カバンを引っ張って歩く巡礼者 Caminoの道
標
今日は雨が降ったり止んだりの天候で、時に霰が降ったりで、結構寒い。でも、雨が止んだ時は虹が綺麗に空い
っぱいに広がっていました。飛行場が出来たため、この辺りの Caminoは、昔に比べると相当変化したのでしょ
う。前回は、真っ暗な中、一緒に歩いたフランス人のグループと道標を探して歩きましたが、今回は日中であり、
道標も増えていたので間違えずに歩けました。途中でお会いした、浜松からお越しの、Roncesvallesから歩き始められた日本人ご夫妻は、Burgosでは何とかベッドを確保できたが、LeónではAlbergueが一杯だったと話しておられた。やはり6月に入ると、Caminoのシーズンとなり、午前中に到着するように計画を立
てた方が良さそうです。でも、若い人たちは、そんなことお構いなしに平気で夕方にAlbergueに到着して
いました。彼らは、たとえ、Completo (満杯)でベッドがなくとも、平気で、次の村に向かったり、あ
るいは前の村まで帰って行っていました。
30.Monte do Gozo (モンテ・ド・ゴソ)
11:15 Monte do Gozoの大きな公営 Albergueに到着。11.6 Km。Santiago de Compo
stelaまであと5 kmほどなので、今日中に十分到着できますが、明日の夜SantiagoのParado
rに宿泊するように予約してあり、どちらにしても今日はどこかで一泊せねばならない。Santiagoでは宿
泊料金は高いし、Monte do GozoのAlbergueは、巡礼者にとって、非常に有名な、大規模な
Albergueなので、経験しておこうと思って、ここで一泊する予定にしていました。Monte do G
ozoとは歓喜の丘という意味で、長い巡礼の旅の末、初めてSantiago de Compostelaの
カテドラルの尖塔を眼にして、歓喜した丘という意味です。実際、この丘からからSantiagoが見えます。
この丘には、1993年に当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の訪問を記念して、巨大なモニュメントが建て
られています。多くの巡礼者が、このモニュメントをバックに、写真を撮っています。
10
ヨハネ・パウロ2世が建てたモニュメント Monde do
GozoのAlbergue
丘からCaminoの方向に戻らず、モニュメントの下から直接丘を下っていくと、Albergueの施設に
到着します。丘の坂に沿って、上から下の方まで、たくさんの建物が並んで建っています。ちょっと見れば、軍隊
の兵舎といった様子です。一番上の建物に受付があります。そこにおられた掃除のおばさんから、“12時から開
きますよ、それまで待って下さい”と言われたので、ずっと丘を下って行ったところにある、施設内のバールに行
き、生ビール(Caña)やコフィ―を飲んで休んでいました。丘の坂に沿って下って行くとき、建物の数を数えて
みました。10棟ほど並んで建っており、全部で500人のベッドが用意できるとのこと。聖なる年で巡礼者が多
い年には、800人まで収容力を拡大できるとのことでした。ただ、最近は、わざわざMonte do Goz
oに泊まって、翌朝、Santiagoの夜明けの姿に感動して、朝早くSantiagoに入っていく巡礼者は
少なく、ほとんどの巡礼者はここのAlbergueを素通りしてSantiagoに入ってしまいます。
そんな巡礼者達もMonte do Gozoの丘に登って、そこからSantiagoを眺めてから、San
tiagoに入っていきます。この日も、建物の一つをオープンするだけで、このMonte do Gozoで
宿泊する巡礼者全員を収容できました。受付が行われる、一番上の建物に帰って来て、オープンを待つ。12時過
ぎに受付開始。Hospitaleroの男性は、片言の日本語も話せるマルチ・リンギスタ。一人で何でもてき
ぱきとこなされ、又、大変親切な方。彼より、ベッドの番号を書いたメモと、紙で出来た使い捨てのシーツと枕カ
バーをもらって、自分のベッドへ行きます。5€。ベッドもシャワーもトイレも清潔。ただ、シャワーには、着替
える場所がないので、持っていったS字フックに袋をかけて、袋の中に脱いだものや着替えを入れておいた。シ
ャワーやトイレの部屋は男女別々ですが、北欧の女性達はバスタオル一枚で廊下を行き来するので、眼のやり場に
困りました。
同じ部屋に泊まった、ポルトガル人のPedroさんは、ボランティアで4週間、このAlbergueでHo
spitaleroの手伝いをしているとのこと。彼も語学の天才みたいな人で、何語でもしゃべれる。日本人の
ガールフレンドもいたとのことで、片言の日本語でも会話をしてこられた。日本語では、これはどう言うのだと、
いろんな質問してきては、それをオウム返しに言って繰り返し、そして、次から次に覚えていく。さすが、語学の
天才だと感心していました。
11
Monte do GozoのAlbergue (兵舎のようなたたずま
い)
このAlbergueの受付で待っている時に中年の日本人男性が一人来られて、我々と一緒に待ちました。S
さんで、Saint-Jean-Pied-de-Portを出発して、今日で29日目とのこと。今日ようやく500
€を消費したと、安上がりの旅に、本人自身も非常に驚いておられた。彼は、いつもスーパーでパンやハムを買い、
それでサンドイッチを作って食べるような毎日だったようです。経済的な理由ではなく、言葉の問題や知識不足の
ため、レストランに入っていくことが出来ず、折角のスペイン料理もほとんど味わっておられない。日本人の巡礼
者の多くが、Sさんと同じようなスタイルの巡礼をしておられ、もったいないなあと思ったものです。折角、高
い航空機運賃を払ってスペインまでやって来て、折角何十日も歩くのだから、歩くことや風景や建築物を楽しまれ
るだけでなく、食事や飲み物も楽しまれてはと思ったものです。それが、この本を書く大きな理由でもあるわけ
です。
昼食の場所をPedroさんに聞くと、絶好のレストランがあるとのこと。少し離れている所にあるSusos
というレストランで、そこまで歩いて行きました。我々同様、そのレストランを目指す巡礼者が二組ほど前を歩い
ておられた。しかし、そのレストランは月曜日で閉まっていました。その隣のレストランも月曜日で閉店。再び、
かなり歩いて帰ってきました。途中バールがあり、食料品店も併設していたので、食料品、ワインのボトル等を購
入。ここでも食事が出来ましたが、このAlbergueの施設内にあるレストランの方が良いと思って、相当の
距離を歩いて帰ってきました。ところが、施設内のレストランは巡礼者が少ないためか閉店。しかたなく、施設内
のバールで昼食をとることにしました。メニュー9€。ワインなし、水のみで!!しかも料理は、プロの料理と言
うものではなかった。前菜はパスタとサラダ。主菜は魚とパスタ。白ワインを9€で注文し、水は持って帰った。
ただ、注文したワインはガリシアの白ワイン、Ribeiroで結構な味だった。でも、残念な昼食。今度来る時
は、月曜日を避けよう。
夜、Sさんの誕生日だったので、口直しも兼ねて、今日買い物した、施設の外のバールに、Sさんと一緒に飲み
に行く。生ビールやワインを何杯も飲みました。丁度、アメリカ人とスペイン人の若者が来ていて、一緒にワイワ
イと話しが弾みました。彼らは、スエーデンの大学で一緒に学んでいる学生。数日前に、突然、Caminoを歩
こうと言い出して、ほとんど準備もせず、Leónまで飛行機で飛んできて、Leónから歩き始めて、Santiag
oの直前までやってきた。いくら若いとはいえ、歩きなれていないし、歩く練習もしてきていないので、相当足
を痛めて苦労もしたみたいです。でも、明るく前向きで、久し振りにすがすがしい気持ちになりました。Sさん
も、誕生日をこういう形で過ごせて喜んでおられました。
我々の部屋には、2段ベッドが4つあるのですが、Pedroさん(下段)、Sさん(下段)、我々(上下段)12
と、もう一人チェコからの老人が一人(下段)で、ゆったりとしていましたが、チェコの男性の体臭が強いのが少
し気になりました。Alberueでの宿泊では、いびきと体臭が気になる時があると、話には聞いておりました
が、体臭が感じられたのは、これが初めてで、こういうこともあるのだなあと思いました。別に不愉快に思うほ
どの事ではありませんでしたが。
31.日本カミノ・デ・サンティアゴ友の会
Caminoを歩かれる方は、日本カミノ・デ・サンティアゴ友の会から、知識や情報を得られ、あるいは、ア
ドバイスを受けられることを、私は強く推奨いたします。友の会が発刊されたガイドブック”聖地サンティアゴ巡
礼”も大変素晴らしく、役に立つ情報が満載されております。外国語が苦手な方には、このガイドブックはCam
inoを歩くための必携の物と言っても過言ではないでしょう。ただ、このガイドブックだけでは十分ではない
と私は思いますので、友の会のHPから、更に多くの情報を得られることをお勧めいたします。Albergue
やバールやバスの情報等々、安全で楽しくCaminoを歩くために重要なものが、友の会のHPから入手できま
す。(英語で書かれたガイドブックが、コンパクトで、更に、これらの必要な情報が全てまとめられていますの
で、私は、この英文ガイドブックを主として使い、友の会発行の日本語版ガイドブックと併用しました。)それに、
関東だけでなく、関西地区でも、友の会は相談会を催してくださり、私の妻も、相談会でたくさんの有意義なアド
バイスを頂きました。相談に乗ってくださった友の会の皆様はとても親切で、感激しておりました。
友の会の会員になりますと、定期的に資料や情報も送られてきます。Caminoを歩こうとされる方には、興
味がある内容であるばかりでなく、実際、有益なものが多くあります。
すでに述べましたが、大変美しいCredencial(巡礼手帳)も、友の会で用意してくださいます。Ca
mino沿いにある友の会やAlbergueでも、日本の友の会の存在は良く知られていますので、泊まられる
Albergueで、日本の友の会が発行された美しいCredencialを示されてはいかがでしょうか。
32. Santiago de Compostela (サンティアゴ・デ・コンポステラ)
6月12日 Sさんは6時に出発しました。我々は、6:15に起床し、果物で朝食を摂り、07:00 Monte
do Gozoを出発。
8:10にSantiago de Compostelaの巡礼事務所に到着。5.1 km。この巡礼事務所はカテド
ラルの近所だけれど、前回は、見つけにくかった。今回は持っていった日本の友の会発行のCredencial
に、巡礼事務所の地図が載っているので、それを参考にして、迷わず到着しました。もうSさんはじめ6~7人が、
入り口にリュックを置いて待っていました。皆と一緒に、事務所前のバールでコフィ―を飲みながら、事務所が開
くのを待つ。9時過ぎに受け付けが始まり、2階に登って行って、書類に記入して、窓口にCredencail
と一緒に提出。Compostela (巡礼証明書)を発行してもらいました。
基本的に無料ですが、寄付箱に二人で3€入れ、巡礼証明書を入れる筒を一つ1€で購入。私は2回目の巡礼証
明書だが、妻は初めて手に入れて、大感激。良く覚えておりませんが、書き込む書類には、目的として、宗教的、
あるいは精神的(Spritual)なものでなければ、即ち、観光のみだったら、巡礼証明書は発行されなかっ
たと思います。もちろん、徒歩では、100Km以上歩いて来たことが必須条件となります。
13
Compostela (巡礼証明書) Composte
laをもらって、にっこり
ここまで歩いて来て、その成果が、巡礼証明書という形で現れるのは、大変良いシステムです。この巡礼証明書
を獲得するという目的があるから、メリハリが効くし、多くの人達が苦労にもかかわらず、必死に歩いてくるので
すね。マーケッティングの観点から言えば、すごく有効なビジネス戦略です。巡礼証明書をもらって、意気揚々と
Paradorに向かう。朝 9:30頃でしたが、部屋に入れました。ここのルームチャージは二人分の朝食込みで
196€。3つのParadorの中でも一番高かったのですが、ここでも朝早くから部屋を利用でき、十分経済
的です。ボーイさんが荷物を部屋まで運んでくれました。大きなホテル等で、そのようなサービスに出会うと、不
要ではないかと、いつも思うのですが、ここは、建物が巨大で、部屋の位置が分かりにくいため、このサービスが
必要だなあと感じました。
S a n t i a g o d e C o m p o s t e l a の P a r a d o r 正 面 玄 関
ベッドルーム
14
とにかく中庭を二つ抜けて行ったところにある部屋ですから。この部屋も、王子様、王女様のベッドのようで、
おとぎ話の主人公になった気分になれます。五つ星のホテルですが、あまりにも多くの客で忙殺されていること
もあり、Santo Domingo de la Calzadaの小さなParadorのように、パーソナ
ルなおもてなしといった雰囲気とはなりません。やはり、世界中から多数のゲストを迎えて、ビジネス・ライク
です。ここでも、Leónから歩いてこられた日本人女性のグループの皆さんと会いました。日本の女性はすごいで
すね。体力も気力も元気一杯で、しかも、経済力も十分おありで。
前回一人で歩いた時は、Santiagoでは私営のAlbergueに泊まりました。Albergueの選
択を誤ったのか、宿泊料のみ高くて、それほど清潔でなく最後の夜を快く過ごすことが出来ませんでした。San
tiagoには、当然、たくさんのAlbergue、 Hotel、Hostel、Pensiónがあるので、素晴らしい宿舎に巡り合うこともあるでしょう。今回は、私達は五つ星のParadorで大満足でした。
Paradorの中庭
他の村や町のAlbergueでは連泊が、原則、出来ないと言ってきましたが、このSantiagoのA
lbergueでは、連泊が可能です。2泊目から宿泊料金が異なるところもありますが。
Paradorで洗濯した後、明日のMadrid行のバスの切符を買いに、バスターミナルへ行きました。こ
このバスターミナルも市の北側のはずれにあり、相当歩かねばなりません。前回は、探し回ったのですが、今回は
どこにあるか分かっていたので間違えずに到着しました。スペイン最大のバス会社ALSA社のカウンターに行き、
Madrid行き、明日の夜行バスの切符を買いました。親切で愛想の良いおばさんが切符を売ってくれましたが、
おしゃべりに夢中で、ふと切符を見ると、翌々日の日付になっていました。それを指摘すると、慌てて翌日の切符15
に変更しました。スペインの人達の多くは、ものすごく親切だけれども、間違いをし易いということも肝に銘じ
られて、念には念を入れられた方が良いでしょう。バス代44.13€。巡礼者には、Santiagoからの交
通便の料金が割引になると、いろんな本に書いてあったのですが、前回(寝台列車)も今回(夜行バス)も、その
ような割引を受けられませんでした。割引切符のための特別な場所があるのかもしれません。
Madridに行くには日中のバスの便もありますし、飛行機便も何便かあり、RENFEの夜行列車便もあり
ます。日本に帰る便は決まっており、日程的に余裕がありましたが、夜行便にしようと考えていました。前回は、
夜行列車の4人部屋(2段ベッドが二つ。70€位したと記憶しています。)だったのですが、超巨人の黒人の男
性が、たくさんの荷物を持って、同じ部屋に乗ってこられたので、あまり快適でなかった。今度は別なことを試み
ようとして夜行バスにしました。ついでに明日行こうと考えているFinisterreまでのバスの切符を買お
うと、バス・ターミナルの建物の中央にある、地元のバス会社の窓口に行ったのですが、このバス会社は当日券し
か売らないとのことで、明日、早めに来るようにしました。
Santiago de Compostelaのカテドラル Paradorを背景
に、Obradoiro(オブラドイロ)広場
12時前にはカテドラルに入りましたが、もうミサは始まっていました。今日到着した巡礼者の出身国や地方、
人数等も報告されましたが、残念ながら、この日は、ボタフメイロ(大香炉)は炊かれませんでした。前回は、数
人の屈強な聖職者が、太いロープを引っ張ったり、伸ばしたりして、大きな香炉を大きく振ってくれたのですが。
午後4時からのミサの時に、ボタフメイロが炊かれるのではとの巡礼者仲間の噂で、その時間帯にも行ったのです
が、ダメでした。今日は、特別の日でもなく、多額の寄進がされた日でもなかったようです。ミサの後、カテドラ
ルの中を見て回り、地下の聖蹟にも訪ねました。さすが、世界中からの信者を集めるカテドラルです。20数年前
にも訪ねましたし、2年前にも訪れたのですが、いつ来ても、巨大さに驚き、荘厳さには心打たれます。
さて昼食です。今回は、日本友の会の本で紹介されていた巡礼者ご用達のレストラン、Casa Manolo
へ。大きなレストランですが、とにかく、ものすごい混みようで、昔の日本のデパートの週末の大食堂といった感
じ。ウエイターたちは、日本人顔負けの忙しさで走り回っていました。前菜、Fideos con Almej
as (アサリ入りのパスタ)、Caldeirada de Calamari (イカの入ったシチュウ)、
主菜はChipirones a la Plancha(炭火焼のイカ)とChurasso Asado
(焼いた肉)、それにデザートは、Tarta de Santiago(ここでは、これに決まり!)。ワイン
なしで9€。ワインは、少し贅沢して Albarino (ガリシアで有名なワイン)を一本取って、11€。
このレストランでは、大量の料理を、猛スピードで調理し、サーブするのですから、最高級の料理とはいかないま16
でも、ボリュームはものすごい量で、巡礼を終えたとの感激は味わえるでしょう。
レストラン Casa Manoloの食事
カテドラルの前、そして、Paradorの前のObradoiro(オブラドイロ)広場に戻ってくると、大
勢の巡礼者が、長い巡礼の旅を終えて、感激の雄叫びを上げている人や、抱擁をしている人を沢山見られます。犬
連れの巡礼者は犬と一緒にジャンプしていたのが印象的でした。到着の感激を味わうには、人でにぎわう、この広
場に日中に到着するのが良さそうです。我々のように、早朝、ひっそりと、巡礼事務所に着くようでは感激するよ
うな気分になれません。というのが私の妻の感想でした。広場で、以前から何度もお会いしている浜松からお越し
のご夫妻と再会し、Paradorの中や、部屋の中を案内しました。Santiagoの街中では、これまでの
道中出会った多くの巡礼者と再会するようになります。Sevillaから銀の道を歩いてやってきたスペイン人
男性二人は着飾って、迎えに来た奥さんかガールフレンドと手をつないで歩いていたし、別のスペイン人男性二人
は、最後はここのParadorで過ごすのだと、我々と同じParadorに泊まっていたし、Sarriaで会ったドイツ人若い女性とも再会を喜び合いました。途中で足を痛めていた日本人女性は、我々がバスを利用したところ
も、ずっと歩いてSantiagoまでやってきて、我々と同じ日に到着していました。彼女の頑張りには驚嘆し
ました。
Paradorの中を見学して回ったのち、土産の買い物に取り掛かりました。歩いている時は、1グラムでも
荷物を軽くせねばならず、土産などは一切買うことが出来ません。途中で買った絵葉書すら重く感じられ、出来る
だけたくさん郵送したくなる位ですから・・・・。先ず、Tarta de Santiagoです。正直言って、
それほど美味しいとは思いませんが、でも、ここに来たらこれを買って帰らねばなりません。でも、今回は修道
院の手造りのTartaを買いました。San Pelayo修道院に行き、大変な美人で、上品な高齢の修道女
の方より、Tarta de Santiagoを数個買いました。普通のお店で売っている大量生産の物とは違
うものです。彼女から、スペイン語がお上手ですねと、お世辞を言われた時は、飛び上らんばかりうれしく思いま
した。土産物屋さんは山ほどありますので、買い物には困りません。
夕食に、メインロードに出かけました。Rua de Franco (フランコ通り)であったと思います。
Obraroido広場からほどなくあるバールの表に、たくさんの Ración (一回分の食糧というのが本来の
意味でしょうが、結果的にTapasと同じような意味か。おつまみ)が張り出されていたので、そこに入りまし17
た。イワシの酢漬けや貝の酢漬けを肴に Cañaやワイン3杯飲んで 17.30€。客の近所の男性二人は、ここ
のRaciónは最高だよと、我々に教えてくれましたが、特別な料理を頼まなかったので、それほどとは思えません
でした。
店を出て、もう少し歩くと、アンコウのような魚や大きなエビ、それに、タコをたくさん、表のショーウイン
ドーに並べているレストランに (A Barrolaという名前だったと思う)来ました。魚介類のショーケー
スを眺めていると、店から、たばこを吸いに出てきたお客さんの地元の女性3人が、それぞれの魚の値段を言いな
がら、ここの魚はSantiago一だよと、盛んにすすめる。明日、Finisterreに行って魚を食べる
予定だというと、そちらの方が値段は安いが、ここの品物は最高だよとのこと。
もうしばらく歩くと、別のレストランからたばこを吸いに、男性が出てきました。寿司屋のカウンターのよう
に、ガラスの陳列ケースにたくさんのTapasを並べている店の中を覗いていたら、彼は、ここはSantia
go一だから、是非食べていくべきだと言い出しました。オランダ人で、自転車で3回目のCaminoを終えた
ばかりだとのこと。毎回、ここで魚介類を中心にTapasを食べるのが楽しみにCaminoを歩いているとの
こと。A Taberna do BISPOという店名でした。オランダ人の彼は、店から出てきた店員に二人
分のスペースがあるかと聞くと、何とかするよとの返事。とにかく満席状態だったのですが、運好くカウンターに
二人の席が空いたので、そこに座ることが出来ました。早速、アサリ、エビ、白身の魚を、カウンターのガラスケ
ースに入っているものから指差して注文する。おいしかった。生ビール(Caña)一杯、白ワイン2杯を飲んで、
計20.55€。もうお腹いっぱいになる。もっと歩けば、もっとお店はありますが、今回は、これで満足してP
aradorに帰りました。
Santiago de Compostelaに、こんなにたくさんの魚料理のバールやレストランの通りが
あることを知りませんでした。前回は、途中で一緒になったスペイン人の巡礼者と一緒に食事をしようと、待ち合
わせの時間と場所を決めていたのに、彼らが現れなかったので、一人で、簡単な食事ですませたからです。
Logroñoのバール街もすごかったが、Santiago de Compsotelaのバール通りでの食事、特
に魚貝類の食事、飲み歩きは、大変楽しいことです。
33.Finisterre (フィニステレ)
6月13日 今日は、バスでFinisterreまで日帰り旅行をします。ガリシア語では、Fistera
(フィステラ)と呼ぶところです。日本語に翻訳すると、地の果てという意味でしょう。巡礼者の中には、地の果
て、Finisterreまで歩く人たちもいます。ドイツからの若い女性も、Finisterreまで歩くと
言っていました。昔は、Finisterreまで歩いて行って、そこで着ているものを焼き捨て、新しい衣服で、
新しい人間になって帰ってくることを目指していたようです。FinisterreまでのCaminoは、主と
して、山や畑の中を通る道なのですが、バスは海岸沿いを走るので、巡礼者を見かけるのは、最後の海岸沿いの道
の時だけです。それでも、多くの歩く巡礼者をバスの中から見ることになります。Finisterreではそれ
こそ地の果ての灯台のある岬まで歩いて行く人もいますが、我々は、魚料理を食べることが主たる目的です。
Paradorで朝食を満喫し、チェックアウトの後、荷物をParadorに預けて出発。Paradorに
泊まられた5人組の日本人女性は、今晩、RENFEの夜行電車でMadridまで行かれるとのこと。Leónからの山岳地帯を歩かれたのですからご立派です。50€位で電車賃が安かったとおっしゃっておられたので切符を
見ると、ベッドではなく椅子席。寝台だったと思っておられたので、駅で空いていればベッドへの変更されるよ
うに話していました。
遠いバス・ターミナルまで来て、Finisterreまでの往復のバス切符を購入。一人22.5€。往きは
予約できますが、帰りは予約できず、単に向こうで切符を買わなくて済むだけです。バスの便は少なく、一方、乗
客は多く、帰りに予定した便に乗れないこともあるので十分注意が必要です。特に、我々は今晩Madrid行の18
バスに乗るので、乗り遅れることは絶対に避けたい。小学校でリアス式海岸というのを習いましたが、その語源の
リアと云うのは、この海岸沿いにたくさんある小さな湾のことです。その海岸沿いに、何十回も曲がりながらバス
は進むのですから、直線距離の2~3倍の長さの距離を走ることになります。
そのため、バス料金も結構高く、しかも、片道2時間以上もかかります。バスからの景色は素晴らしく、リアス
式海岸の眺め、透明の海、緑の山々、茶色の屋根に統一された家々、等、このバス旅行はお勧めです。帰りのバス
の便以外に、問題は、このバスにはトイレがないことです。乗車前に必ず、トイレに行っておくことです。途中、
バス・ターミナルに一ヵ所停まりますので、運転手さんに断ってトイレに走っていくことが出来るかもしれませ
ん。我々は、途中の漁港で、運転手さんが交代した時、トイレがありますかと聞いたところ、魚を水揚げする建物
の中にあるとのことでそこに走って行きました。トイレは鍵がかかっていたのですが、親切な漁協(日本で言う
漁協だと思います)の人がカギを開けてくれました。結局、バスは、大分、我々を待ってくれることになってしま
いました。
リアス式海岸
Finisterreのバス停の周りに何軒かレストランがあります。他とは違って、魚の料理が豪華に一式出
てくるのか、かなり高い値段でしたので、海岸沿いのレストランに行きました。最後の日ですから、少々高くても、
そこの魚料理を食べるべきでなかったかと、今でも少し後悔していますが。前回もバスで来て、一人で町中を歩い
ていたところ、庭に出ていたおばさんと目があい、レストランを紹介してもらいました。そこに、今回も行くこ
とにしました。海岸に数軒、レストランが並んでいて、どこも、外のテーブルで食べるようになっています。レ
ストランの中はおいしく食事を食べられるような雰囲気ではありませんが、外での食事は楽しそう。どこも同じ
ようにメニューを掲げています。
一番奥のレストランが、普通のメニューと特別メニューがあったので、折角、バスで食べに来たのだから、少し
は良いものをと、前回同様、このレストランで食事をすることにしました。Taberna ALORA。私は普
通のメニューで、Mejillones (アサリ)と、Sarga de la Ría (リアの赤い魚)にワ
イン込みで12€。妻は、前菜はNarajas (長い貝)とLubina (すずきの塩焼き)、ワインなし
で20€。妻のワインを追加して、合計37€。この長い貝は、魚屋さんでも安く売っているのですが、砂出しが
難しい。前回、私が食べた時も、砂が入っていて、じゃりじゃりして気持ちが悪かったのですが、今回は、Spe
cial Menúのためか、綺麗に砂出しをしていたとのこと。流石、地の果ての海岸での魚料理、新鮮でおいしかった。塩も岩塩で、塩加減も良く。また、浜松からのご夫妻にもお会いしたので、我々の昼食の経験をお伝えす
る。
19
F i n i s t e r r e の 海 岸 沿 い の レ ス ト ラ ン
Narajas(長い貝)
13:00発のバスに乗るため、大分前にバス停に着いたのですが、もう多くの人が待っていました。並んでいる
順番通りに乗車しないので少し慌てましたが、何とか全員乗れました。ところが、すぐ次のバス停でもう満席以上
になり、一人の英語をしゃべる女性は床に座る形で乗せてもらっていました。それから後は降車する人があるとこ
ろだけに停まって、後はノンストップ。おそらく、バス会社は臨時のバスを、すぐ後に出したのでしょう。
15:10、Santiagoに帰ってくる。夜行バスまで時間があるので、Santiagoの町中まで帰って、時
間をつぶす。観光電車(電車型した自動車)に乗って、町の周囲を一回り。一人12€。バールに入って、Cañaを飲みながら時間をつぶしました。Pardorでリュックをピックアップして、バス・ターミナルへ。朝食はP
aradorで、昼食はレストランで、お腹一杯食べたので、夕食にレストランやバールに入る気がせず、途中の
八百屋さんで果物を買って、バス・ターミナルのベンチで食べました。
20
Finisterreの風景
34.Caminoの歴史
イベリア半島でキリスト教の布教活動をしていたイエスの弟子、サンティアゴ (聖ヤコブ)はイスラエルに帰
国後、ユダヤの王によって斬首刑にされた。彼の遺骸は船に乗せられて流されたのですが、スペインのGaric
iaの地に流れ着き、その地に埋葬されたと言われております。9世紀に入って、星に導かれた羊飼いによって、
サンティアゴの遺骸は、Santiago de Compostelaの洞窟で発見されました。そのためこの
地に教会が建てられ、聖地となり、多くのキリスト教徒が訪れるようになり、Caminoの巡礼が始まったので
す。私が興味を持ちますのは、このCamino巡礼の歴史がイスラム教との関連で興隆していったことです。
8世紀の初めに、イスラム教徒がジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に移り住むようになり、非常に早いス
ピードで、イスラム教国が確立されて行きました。イスラム教徒とキリスト教徒は、長い間平和的に共存していた
のも事実ですが、並行して、キリスト教徒による、国土を取戻す運動も活発化していき、それが15世紀まで続く、
Reconquista (レコンキスタ 国土回復運動)です。そのイスラム教徒との戦いに中で、9世紀に入
ると、サンティアゴ(聖ヤコブ)が、戦いのヒーロー(Matamoros モーロ人=イスラム教徒への殺戮
者)としてあがめられ、イスラム教徒との戦いでのシンボルになり、Santiago de Composte
laは、より重要な聖地となりました。
11世紀になると、キリスト教徒の聖地、エルサレムがイスラム教徒に占拠され、エルサレムへの巡礼が困難と
なり、Santiago de Compostelaへの巡礼が一躍脚光を浴びてきました。そのためCami
noは11世紀から13世紀初頭まで、その全盛期を迎えるわけですが、多い日には1000人もの巡礼者がSa
ntiagoを訪れたと言われています。ある本では、年間50万人もの巡礼者の訪問もあったと記されています。
ところが、15世紀に、レコンキスタが成功裏に終わり、イスラム教国がイベリア半島から駆逐されたあと、急速
に、Camino巡礼の運動は衰退していき、18世紀に入るとCamino巡礼自身も禁止されてしまったので
す。
Caminoの衰退は、宗教的な巡礼が、宗教戦争の対象を失ったことが主因ではないかと、私は思うのですが
実際は、キリスト教社会内部での変化・分裂、巡礼に対する異端視化、戦乱、ペストの流行等の複数の要因があっ
たようです。更には、サンティアゴ(聖ヤコブ)の遺骸の喪失やコロンブスによる新大陸発見 (Finiste
rreが、もう地の果てではなくなり神聖感の喪失)等もネガティブに影響したと言われております。
Caminoの歴史で、私が興味を持つ、もう一つのポイントは、Caminoの復興が、つい最近行われたと
いうことです。記録によると、聖なる年、1867年の記念のミサに40人の巡礼者が参列したとあるそうです。21
1879年にサンティアゴ(聖ヤコブ)の遺骸が再発見され、以降Camino巡礼も息を吹き返してきました。
しかし、20世紀に入ると、スペインでは市民戦争やフランコ独裁時代が続き、戦いの相手国からの巡礼者を迎え
入れるような状況ではなかったと思います。実際、Caminoが、世界中の人達に再認知されたのは、1975
年のフランコの死の後だと言われています。Camino沿いに見る、何万という黄色の矢の道標は、1980年
代から始められたものなのです。それ以来、Albergueも、少しずつ整備されてきました。ということは、
現在年間20万人もの巡礼者を惹きつけるCaminoは、ほんの20数年前にスタートしたものなのです。そん
な短期間で、よくぞ、ここまで巡礼の為のインフラが整備されたものだと感心します。
35.Madridへ、そして、日本へ
21:30バスは、Santiago de Compostelaを出発。普通の2席が並んだバス。リクライ
ンは少しだけ。トイレは車内にあり。途中、何度も高速道路を下り、かなりの距離の地道を走り、バス・ターミナ
ルに行き、乗客を乗せたり、下したりするので、どうしても目覚めてしまいます。日本の高速バスは、通常、高速
道路のサービス・ステーションのようなところに停まるだけで、地道にまで下りて行きませんので、かなり様相
は異なります。一ヵ所では、休憩時間もありました。
6月14日 6:30 Madridの大きなバス・ターミナル Sur (南)に到着。私達は、昔勤めていた
会社での歓迎会に出席したり、友人の招待を受けたり、更に買い物の予定があったので、Madridで 2 泊しま
した。でも、このバス・ステーションはメトロ駅と繫がっており、メトロと郊外電車を利用して、Barajas
空港まで簡単に行け、同じ日に離陸する飛行機で日本に向かって発つことが出来ます。Santiago de
Compostelaからのバスは便によっては、Barajas空港行、あるいは、Barajas空港経由も
あるので、それらの便に乗れば、問題なく、当日に日本に向けて出発できます。
RENFEの夜行列車に乗られた場合も、早朝にMadridに到着しますので、その日に、Madridを発
って、日本に向かうことも出来ます。
日本への帰国のルートは、色々あります。例えば、私達のようにMadrid経由で日本に帰るのも一つ。前回
私は、Madridで数日間過ごして、それから夜行列車でParisまで行き、Parisから日本に帰りまし
た。その時の私のように、Parisから列車でSaint-Jean-Pied-de-Portに来て、そこ
からCaminoをスタートしたため、Parisに戻られねばならない方は、Santiagoから飛行機でP
arisに飛ばれて、Parisから日本へ帰る方法も、勿論あります。Santiagoからポルトガルの方に
行かれて、Lisbonから帰国される方もたくさんおられました。
36.費用
リュックや雨具、服装等の準備にかかった費用、購入した土産代、余分に泊まったMadridでの経費等を除
いて、今回、自宅を出て、自宅に帰ってくるまでに要した費用は、以下の通りです。全て二人分の金額です。
2012年5月19日、自宅を発ち、6月15日自宅帰着として(実際は、Madridで余分に2泊して17
日に帰着)、全日程28日間、現地宿泊25泊(但し1泊は夜行バス内泊)、現地26日、機中泊2泊として。
往復航空券 ¥180,200
日本国内旅費 ¥6,800
海外旅行保険 ¥11,670
スペイン内バス代 € 260
宿泊料 Albergue 11泊 €160
Pensión等 10泊 €35622
Parador 3泊 €466
計 €982
レストラン 26回 € 640
その他(食材、バール、薬、通信費、等) 約€500
総計 ¥198,670 + €2,382 = 約 ¥440,000 (二人、28日間。1ユーロ=
¥100)
今回、Parador3泊、毎日一回はレストランで食事、バスで移動等、かなり贅沢な巡礼の旅となりました
ので、スペイン内での費用は、1人・1日当たり、約 46€ となりました。 (2,382€ /2人/26日 = 約
46€ ) 前回、1人で、全行程800Kmを歩き、全てAlbergueで泊まった時は、毎日贅沢な食事をし、一緒に
歩いた巡礼者と良く飲んでいましたが、それでも、一日当たり平均で 30€以下の出費でした。今回、途中で知り合
った日本人男性は、毎日、Albergue宿泊、自炊・買い出しの食料を食べておられて、一日当たり 17.25€の出費でした。若い学生諸君で、一日当たり 15€位の出費で歩いている人も多く見受けられます。一方、Cami
noの経験談を本に書いておられる日本人女性の方で、とてつもなく贅沢なCamino歩きをされた方もおられ
ます。当然ながら、人により、千差万別ですが、Caminoは、一般的な海外旅行と比較してかなり低額な費用
で、肉体的、精神的ともに健康的な海外旅行を、長期間楽しめることが出来ると言えます。
既に述べていますが、全費用に対して、往復の航空機代がかなりの割合を占めます。安価な航空便を見つけるこ
とが、全体の経費を抑えるキーポイントだと言えます。なお、上述の総費用は二人分の金額で、一人ならその二分
の一だとは言えません。スペインのParadorやHostelでは、宿泊するのが一人でも二人でも、一部屋
としてのルームチャージが決まっているところがあるからです。
37.出発前のトレーニング
私達は、Caminoに出かける前に、Caminoで使う軽登山靴を履いて(私の妻の場合は新しい靴)、そ
して、Caminoで担ぐリュックサックを背負って、9回にわたって、近隣の山野を歩き(急勾配の道も多いと
ころ)、体力を付け、足を慣らすようにしました。リュックサックの重量は妻の場合は6 kgから始まり8 kgまで、私の場合は10 kgから11.6 kgまで、少しずつ重くしていきました。歩く時間は、一回当たり3時間から
4時間半でした。このように、準備をして行ったつもりですが、二人ともに、足にマメが出来ました。幸い、身体
や足腰を慣らしていっていたのと、妻はマメが出来た時に、より履きなれたトレッキング・シューズに履き替え
たりしたりして、大事には至りませんでした。
今回も、途中で、何人かの足腰に問題をもたれた方と会いましたが、やはり、靴を十分慣らして来ておられない
とか、体力を十分つけて来ておられないとか、といった不十分さがあったように見受けられました。10 kg前後のリュックサックを背負って、毎日20~30Kmの距離を、数十日間にわたって歩くとなると、相当な負担が足
腰や肩にかかります。出発前に、十分に靴やリュックサックに慣れておくだけでなく、体力をつけておくべきで
す。更に、四国遍路でもCaminoでも同じですが、足にマメを作らないように、万全の準備と対応しておかね
ばなりません。マメから派生してくるいろいろな問題は、気力だけでは、乗り越えることが難しいからです。既
に述べましたが靴の形を足の形に合わせておく、事前に靴を十分履きこなしておく、リュックを担いで歩くトレー
ニングを積んでおく、等々をしてからCaminoに出発してください。出発の時には、マメができにくくするよ
うな潤滑剤やテープを持っていくとともに、出来た時に処方が出来るように針や糸・薬を持っていかれることをお
勧めします。23
38.Caminoを歩く季節
秋と春の2回Cminoを歩いた経験からと3年間スペインに住んだ経験から言えば、多くのCaminoに関
する本で推奨されておられるように、春から初夏にかけての季節か、晩夏から秋にかけての季節が、多くの人にと
って、Caminoを歩くに好ましい季節でしょう。冬は寒いだけでなく、Albergueは閉まっているとこ
ろもあります。ピレネー等の山岳地帯は雪で覆われて通行が出来ない時もあります。7月、8月上旬のスペインは、
いくら北部スペインとはいえ相当暑いですが、巡礼者の数がピークを迎える時季で、Caminoが一番活気を帯
びているでしょう。そういう意味で、Caminoを歩くには好ましいタイミングでしょうが、暑さとAlber
gueが混み合うことは覚悟せねばなりません。秋の時季は、雨が少なく、爽やかな日も多く、果物の収穫時期で
もあり、Caminoを歩くには大変好ましい季節でしょう。ただ、春や夏のころと比較しますと、日照時間が短
いといった、少し残念なところもあります。春から夏にかけては、日照時間も長く、寒さや暑さも厳しくなく、大
変好ましいCaminoのシーズンです。秋には茶色のMeseta(大平原)も春には緑で覆われ、しかも、C
aminoの周りはいろいろな色の花で一杯になります。そういう意味でも、春のCaminoはおすすめです。
しかし、一般的に言えば、秋に比べると雨量も少し多く、巡礼者の数も多いという面もあります。
ただ、タイミングを検討する時に一番重要なことは、皆さん自身の都合でしょう。皆さんの都合がよい時のCa
minoの状況に、それぞれ対応していくことでしょう。
なお、Caminoを歩くタイミングを検討されるときは、途中の町や村でのお祭りの日程も調べておかれたら
良いかもしれません。前回歩いた時は、Logroñoでのワイン祭り、Astorgaでの中世祭りに日で、それら
の祭りを、私も大いに楽しみました。
終わりに
書き終わって、Caminoの途中で訪問したカテドラル、教会、修道院、博物館等、即ち、観光的な経験は、
あまり語ることが出来なかったことを残念に思っております。あまりにも、宿や食事について語りすぎたかとも
思っております。ただ、Caminoを2回歩いてみて、そして、そこでお会いした日本人の方々と話してみて、
どうも、宿や食事に関して、もっと知っておられたら、Caminoが何倍にも快適に、そして、何倍にも楽しい24
ものになったのにと思い続けてきました。そのため、どうしても、そちらの方面の話題に集中するようになって
しまいました。
この本を読まれて、Caminoの魅力や経済性を発見され、Caminoを目指される方が増えますことを願
っております。また、Cminoに行かれる方が、この本を読まれて、より安全で、より楽しい、Caminoを
実現されますことを期待しております。
最後に、日本に帰って来て、体重・体脂肪がどのように変化したのかを報告いたします。
出発前 帰国後
私 体重 54.6Kg 54.8Kg
体脂肪 16.6 17.9
内臓脂肪 6 6
眞智子 体重 52.8Kg 55.0Kg
体脂肪 32.2 21.2
内臓脂肪 7 6
前回Caminoを歩いた時や、四国遍路を歩いた時は、私の体重は激減し、脂肪率も大減少したのですが、今
回のCaminoは、毎日、おいしものを食べたり、飲んだりしたものですから、体重が減るようなことにはなり
ませんでした。でも、ふたりとも、体つきは、見た目には相当痩せたように見え、筋肉質的になったと、互いの身
体を眺めては言い合っております。それよりも、満足感に浸っており、精神的には、大変健康的な巡礼の旅であっ
たことを報告いたします。
四国遍路では“お四国病”と呼ばれていますが、一度、四国八十八カ所の歩き遍路をすると、病み付きになる人が
沢山おられます。Caminoも同様に何回も歩かれるリピーターが多くおられます。私も2回歩きましたが、近
いうちに、もう一度Caminoを歩きたいと願っております。
以上 (出稿 2012年 9月)
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