浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - toyota central r&d labs., inc. · 2013. 2. 25. · 27...

10
27 R&D ュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 一,梶 Chemical Polishing Process of Carburized Steel Ken-ichi Suzuki, Masaki Kajino, Fumio Shimizu 研究報告 キーワード いられる に多 するため,それを きれ るこ きる。ただしこ ある。こ たす して, わずに える し, をめざした った。 から して れたHF-H 2 O 2 をまず し, あるH 2 O 2 きる した。そ れた し, にした。 あり,こ ため センサーを 案した。これにより おいて, られるこ を確 した。 さらに において,H 2 O 2 きる たに し,スラッジ をめざしたHF しを た。 して 待される。 Abstract Carburized steel, which is widely used for transmission gears, has an abnormal layer in its surface portion. Therefore, mechanical properties of the steel are improved by removing its surface layer. Since this type of products require dimensional accuracy, it is important to develop a chemical polishing process which uniformly polishes such products regardless of their shape. An HF-H 2 O 2 system was selected as basic bath composition. Although this system has been found to be a good agent by a preliminary experiment, spontaneous decomposition of H 2 O 2 is a major problem. To overcome this problem, additives for stabilizing the bath composition have been explored and a supe- rior stabilizer which extends the service life of the bath was found. A polishing rate sensor was also developed to control the bath composition, and a high dimensional accu- racy of the workpiece is obtained with this sensor. A recovery of HF is important for reducing the sludge amount from the bath waste, and the decomposition of H 2 O 2 is required in advance because it hampers the HF recovery process. A new catalyst which effec- tively decomposes H 2 O 2 was found. This polishing method is expected to be applied to the manufacturing of hardened steel parts of compli- cated shapes in the future.

Upload: others

Post on 19-Aug-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

27

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

鈴木憲一,梶野正樹,清水富美男

Chemical Polishing Process of Carburized Steel

Ken-ichi Suzuki, Masaki Kajino, Fumio Shimizu

研究報告

キーワード 焼入れ鋼,化学研磨処理,過酸化水素,分解抑制剤,分解促進剤,研磨速度管理,廃液処理

要  旨

変速機歯車等に用いられる浸炭焼入れ鋼では,表面部に多少とも異常層が存在するため,それを研磨

除去できれば機械的特性の改善を図ることができる。ただしこの種の製品では研磨後の寸法精度も必要

である。この要求を満たす研磨加工法として,原理上は形状を問わずに均一研磨が行える化学研磨処理

に着目し,実用化をめざした検討を行った。

酸と酸化剤からなる基本浴組成として研磨作用に優れたHF-H2O2系をまず選択し,欠点であるH2O2の

自然分解を抑制できる添加剤を探索した。その結果,優れた分解抑制剤を見い出し,生産工程上支障の

ない長時間の浴安定化を可能にした。

研磨速度の制御には,浴管理が必要であり,このためのセンサーを考案した。これにより研磨製品に

おいて,十分な寸法精度が得られることを確認した。

さらに廃液の処理において,H2O2を迅速に接触分解できる触媒物質を新たに見い出し,スラッジ量低

減をめざしたHFの回収に見通しを得た。

今後,形状が複雑な焼入れ鋼部品の仕上げ加工法として生産工程への導入が期待される。

Abstract

Carburized steel, which is widely used for transmission gears, has an abnormal layer in its surface portion.

Therefore, mechanical properties of the steel are improved by removing its surface layer. Since this type of

products require dimensional accuracy, it is important to develop a chemical polishing process which

uniformly polishes such products regardless of their shape.

An HF-H2O2 system was selected as basic bath composition. Although this system has been found to be a

good agent by a preliminary experiment, spontaneous decomposition of H2O2 is a major problem.

To overcome this problem, additives for stabilizing the bath composition have been explored and a supe-

rior stabilizer which extends the service life of the bath was found.

A polishing rate sensor was also developed to control the bath composition, and a high dimensional accu-

racy of the workpiece is obtained with this sensor.

A recovery of HF is important for reducing the sludge amount from the bath waste, and the decomposition

of H2O2 is required in advance because it hampers the HF recovery process. A new catalyst which effec-

tively decomposes H2O2 was found.

This polishing method is expected to be applied to the manufacturing of hardened steel parts of compli-

cated shapes in the future.

Page 2: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

1.はじめに

歯車で代表される自動車駆動系部品では,耐疲労性

の確保が重要な要求性能であり,その多くが浸炭焼入

れ鋼で作られている。しかし近年の小型軽量化の要求

に対し,疲労強度のより一層の向上が必要になってい

る。その方策のひとつは,浸炭焼入れ鋼の表層に通常

数十µmにわたって存在し,疲労破壊の起点になりや

すい浸炭異常層を研磨除去することであり,従来から

電解研磨の効用1,2)が指摘されてきた。

確かに電解研磨法は材料の硬さとは無関係に研磨加

工が行え,さらに砥石研磨では得難い光沢仕上がり,

すなわち微視的な凹凸のない平滑面が得られるため,

上記の目的には好ましい研磨法である。しかし電解研

磨法では,研磨液中で陰極から供給される電流によっ

て被研磨部を陽極溶解させるのが原理であり,研磨深

さは形状効果を受けやすい欠点がある。このため,歯

車のような形状が複雑で,かつµmオーダーの仕上が

り寸法精度が要求される部品では実用になりにくいの

が実情である。

そこで,原理上は形状に関係なく研磨が進行する化

学研磨法に着目して,実用化を前提とした検討を行い,

焼入れ鋼製品に対して優れた研磨作用を発揮する化学

研磨処理技術を確立した。ここでは,上記検討過程で

新たに開発された技術を中心に本処理法の概要につい

て述べる。

2.化学研磨浴種の選択

化学研磨処理は電解研磨処理と同様の湿式研磨法で

あるが,基本的に異なるのは,研磨を外部電流の助け

を借りずに,処理液中での自然溶解により進行させる

点である。この時の駆動力は金属 ( 焼入れ鋼 ) の表面

に自然形成される局部電池の起電力である。そして溶

液側因子との組み合せにより適切な局部電池が形成さ

れた場合に,表面平滑化を伴った化学溶解すなわち化

学研磨になると考えられている。

一般には溶液組成が酸+酸化剤の場合に溶解の形態

がエッチングから研磨に移行しやすいことが知られて

いるが,鉄鋼材料において研磨作用が確認されている

浴組成は,HF-HNO3系,HF-H2O2系,シュウ酸-H2O2

系など,さほど多くない状況3,4)にある。しかしマル

テンサイト組織等の焼入れ組織を有する鋼では,焼鈍

組織材に比べて化学研磨しやすいことも一般に知られ

ている5)。そこで,上記公知例を含む各種の酸と酸化

剤を組み合せた研磨浴組成について,以下の視点から

予備検討を行った。

①表面平滑性 ( 光沢の有無 )

②研磨速度

③浴安定性

④浴管理の難易性

⑤廃液処理の難易性

その結果,上記①および②において,HF-H2O2系研

磨浴が圧倒的な可能性を有することがわかった。しか

し③④⑤については未知の部分が多く,しかもその障

害を取り除かない限り実用の処理法とはなり得ない。

そこで,この研究はその解決を主体に検討を進めた。

3.実用処理技術開発

3.1 基本浴組成

3.1.1 研磨特性

HF-H2O2混合水溶液が鉄系材料で化学研磨作用を示

す6)ことは知られているが,焼入れ鋼に対する適正な

混合割合はほとんど不明である。そこでまず,良好な

研磨光沢および研磨速度を与える浴組成について検討

した。

研磨試料はJIS SCr420鋼の丸棒材から短冊状 ( 大き

さ9×13×50mm ) に切削加工後,浸炭焼入れにより

0.7mmの有効硬化層深さとしたものを用いた。研磨浴

は,試薬のHF溶液 ( 47重量% ) およびH2O2溶液 ( 30重

量% ) を用い,所定のモル濃度となるようにイオン交

換水で希釈し調製した。研磨処理は,容積1Lのポリ

エチレン製ビーカー中で行い,加熱冷却装置により浴

温変化を±0.5℃の範囲内に制御した。

Fig. 1に浴温40℃における研磨速度と浴組成の関係

を示す。研磨速度はHF濃度の増加に対して指数関数

的に上昇する。一方,酸化剤であるH2O2の濃度は研

磨速度にほとんど影響を与えないが,低濃度の場合は

研磨光沢のない,普通の酸エッチング状態に移行しや

すい。従って良好な研磨状態の維持にはHF濃度に対す

るH2O2濃度の比率が重要であることがわかる。

ここでHF濃度を2mol/L以上に設定すれば,研磨速

度100µm/mim以上の超高速化学研磨も可能であるが,

逆に短い処理時間しかとれないことになり,処理工程

の自動化の観点から実現は難しい。焼入れ鋼での研磨

28

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Page 3: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

深さはその目的により異なるが,通常であれば30µm

前後と予測される。これを2~3分の接触時間で研磨完

了できれば生産性の面からも問題は無いと思われる。

そこで10µm/mim前後の研磨速度をねらいに,これ

に対応するHF濃度1mol/Lの場合について,H2O2の必

要濃度を検討した。Fig. 2に結果を示す。同図より,

H2O2濃度が1.5mol/L以上において光沢研磨領域となる

ことがわかった。

3.1.2 研磨機構

ここで,上記意味するところについて少し考察して

みる。化学研磨は既に述べたように金属表面に生起さ

れる局部電池反応により進行する。銅系材料での反応

式7)を参考にすると,本研磨過程では局部アノードお

よび局部カソードにおいて以下の反応が起きていると

推定される。

アノード反応 : Fe+ 3HF → FeF3 + 3H+ + 3e

カソード反応 : 2H2O2→ 2H2O+O2

O2 + 4H+ + 4e → 2H2O

全反応 : Fe+ 3HF+ 1.5H2O2→FeF3+3H2O

式(4)はFe表面において,HFには可溶のフッ化物皮

膜を形成しながら溶解が進行することを表現したもの

であり,そのような溶解形態が維持できた場合に下地

の電気化学的性質の不均一に依存しない溶解すなわち

化学研磨が達成されると考えられる。

このことを確かめるため,前記焼入れ試料を用い,

研磨浴中での溶解電位を測定した。なお参照電極は,

Ag/AgCl電極とし,浴中での変質防止のためダブルジ

ャンクション型を使用した。Fig. 3に測定結果を示す。

図において,H2O2濃度を高めていくと,焼入れ鋼の

溶解電位は急激に貴に移行するが,やがて1.5mol/L以

29

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 2 Effect of H2O2 concentration on brightpolishing and polishing rate.

Fig. 1 Relations between chemical polishing rateof carburized steel(SCr420) and HFconcentration in polishing solution at 40℃.

Fig. 3 Electrode potential dependence of hardenedsteel(SCr420) on H2O2 concentration inpolishing solution at 40℃.

‥‥‥‥‥‥‥‥‥(4)

‥‥‥‥‥(3)

‥‥‥‥‥(2)

‥‥(1)

Page 4: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

上では飽和傾向となる。すなわちこの時点でフッ化物

皮膜を介した定常溶解が達成されると解釈される。さ

らにこの皮膜の存在は,研磨終了後直ちに水洗,乾燥

した試料において,わずかに着色皮膜が残留すること

からも支持された。

以上の検討から本研磨法における浴組成はHF濃度

が1mol/L,H2O2は多少の余裕を持たせた2mol/Lを基

本として,以後の実用処理検討を進めることにした。

3.2 前処理法

化学研磨における前処理は,電解研磨等で通常行わ

れる方法すなわち表面の油やゴミ等の汚れを除去する

脱脂処理だけで普通は十分である。しかし焼入れ鋼表

面では,局所的にせよ焼入れオイルが炭化固着してい

る場合がほとんどである。これらは機械力を伴わない

通常の脱脂処理で除去するのは難しく,そのまま化学

研磨処理を行うと,マスキング効果によりその部分で

の研磨が遅れる。Fig. 4にこの時の様子を示す。特に

本法では研磨速度を10µm/mim程度と比較的大きく設

定しているため,付着物がやがて自然脱落するまでの

間に大きな研磨段差を生じることになる。

従って,前処理には何らかの機械的な表面清浄化が

欠かせない。具体的にはブラッシング,サンドブラス

ト,ショットピーニング等の中から選択すれば良いが,

特にショットピーニングでは固着物の除去が完全に行

われると同時に圧縮の残留応力が付与されて機械的特

性が改善される8,9)メリットがあり,一石二鳥の前処

理法と考えられる。

3.3 浴安定化法

浸炭焼入れ鋼製の実用歯車 ( 表面積約2dm2 ) に上記前

処理を施した後,1Lの基本浴 ( HF1mol/L,H2O22mol/L )

を用いて,研磨深さ25µmをねらいに,浴温40℃で3分

間の処理を試みた。その結果,ほぼ上記に近い研磨深

さが得られ,また歯先部と歯底部での研磨深さのバラ

ツキは1µm以内に収め得ることがわかった。しかし研

磨終了後,浴を加温状態で放置したところ,数時間で

H2O2が分解し,研磨作用が失われた。原因は既に指摘10)

されているように,浴中に蓄積したFe3+,Cr3+,Mn2+等

の重金属イオンが触媒となり,3. 1. 2項で記した式(2)

の反応すなわちH2O2の接触分解反応が研磨面以外の浴

中全体で生じたことによる。これはH2O2を酸化剤とす

る浴に共通する重大な欠点である。

従来この解決のため,各種の分解抑制剤 ( 安定剤 )

が主に特許の形で提案されてきた。たとえば尿酸,オ

ルトアミノ安息香酸等である。しかしこれら既知抑制

剤の本浴におけるH2O2分解抑止効果はすべて不満足

なものであった。たとえば尿酸は酸溶液中での溶解度

が極めて小さく,重金属イオンの蓄積量に応じて添加

量を増加できない。また添加初期には比較的効果が大

きいオルトアミノ安息香酸はやがてサリチル酸に変化

し,むしろ分解加速効果を示した。

そこで本研磨浴中で高い抑制効果を示す新たな物質

について探索を実施した。探索の条件を①尿酸に化学

構造が近い,②処理浴への溶解度が大きい,③毒性が

低い,④安価である,ことに置いた。

この条件を満足する物質として,自然植物界に広く

存在するプリンアルカロイド化合物に着目した。その

代表はカフェインであり,これについてH2O2の分解

抑制能力を調べた。評価浴は長時間使用された老化浴

を想定して,処理浴1LにSCr420鋼を40g溶解させた模

擬老化浴とした。これを40℃の加温状態に保持し,化

30

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 4 SEM photographs of polished surface ofcarburized steel remaining carboncontamination.

Page 5: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

学分析によりH2O2濃度の時間変化を測定した。結果

をFig. 5に示す。カフェイン添加量とともにH2O2の分

解抑制効果は高まり,10g/Lの添加では50時間以上も

浴は安定状態を維持した。一方,時間とともにカフェ

イン自体の劣化も少しずつ進行するが,劣化生成物が

逆の効果を持たないことも確認した。

さらにH2O2分解の速度は温度依存性が大きいため,

作業終了と同時に浴を室温状態に戻せば安定化時間は

大幅に延長される。従って研磨処理量に見合った適量

のカフェインを使用することにより,生産現場におけ

る浴分解のトラブルは完全に防止できると思われる。

3.4 浴管理法

3.4.1 研磨速度センサー

以上の浴安定化技術により,浴の長時間使用に伴う

化学研磨状態からエッチング状態への逸脱は防止でき

た。しかし研磨の進行とともにHFおよびH2O2は消費

されていく。Fig. 1からも分かるとおり,それらの濃

度特にHFの濃度が低下すれば研磨速度も低下する。

このため研磨速度を初期の設定値に維持するにはHF

およびH2O2を補充しなければならない。

この方法として通常考えられるのは,遊離のHFお

よびH2O2濃度をモニタリングし,不足分を補充する

管理法である。そこで各種の濃度分析法について適用

性を検討した。その結果,滴定分析法に多少の工夫を

凝らせば上記管理分析に適用できることがわかった。

しかしこの分析法を用いて,浴中の遊離のHFおよび

H2O2濃度が初期値と同一になるように液を補充して

も研磨速度を一定に保つことは実際上困難であった。

この理由として,浴の使用に伴ってFig. 1の関係に多

少のズレが生じること,および浴温の多少の変動によ

る影響が無視できないことが挙げられる。従ってやは

り研磨速度自体をモニタリングする以外に道は無いよ

うに思われる。そこで次にその可能性の検討を行った。

着目したのは腐食・防食の研究分野で腐食速度の実

時間計測に利用されている分極抵抗法11)である。原

理を簡単に説明する。Fig. 6に示すように,腐食液中

に腐食極 ( 作用極 ),対極,および基準極を配置し,

対極から腐食極に微小な電流を供給する。その結果,

腐食極では外部電流∆Iに応答して∆Eの電位変化が生

じ,それを基準極を使って検出する。この時,腐食速

度∝ 1/R,R = ∆E/∆I ; 分極抵抗の関係が成立し,相対

腐食速度が検出される。

この方式が適用できれば化学研磨速度,言い換えれ

ば腐食速度の変化を常時モニタリングすることが可能

となる。しかし焼入れ鋼自身を上記腐食極とする計測

を試みた結果,分極抵抗の検出は事実上不可能であっ

た。理由は研磨速度10µm/minという値が通常の腐食

速度に比べて数桁以上も大きく,それに対応して分極

抵抗値が電極間の液抵抗値をも下回る程小さな値をと

るためである。

31

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 5 Effect of caffeine on stabilizing of H2O2

in rich metal ion bath at 40℃.Fig. 6 Schematic of measuring circuit for

polarization resistance.

Page 6: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

そこで,焼入れ鋼に比較して同一浴中での研磨速度

が桁違いに小さいステンレス鋼を腐食極に当てること

を考えた。Fig. 7に代表的なステンレス鋼の分極抵抗

値と同一浴中でのSCr420鋼の研磨速度の関係を示す。

いずれのステンレス鋼電極ともセンサーとして十分な

感度 ( 曲線の傾き ) を備えている。この中から特性変

動が小さく,また応答性が良い電極としてSUS304を選

択し,実際の処理浴での使用を考えた電極系を試作し

た。これを以後研磨速度センサーと呼ぶことにし,ま

たその外観をFig. 8に示す。堅牢性と低廉化に配慮し,対

極および基準極にも腐食極と同一の材料 ( SUS304 ) を

用いている。

本センサーの浴中での溶解消耗はわずかであり,少

なくとも30日間以上の連続使用が可能であった。分極

抵抗の計測には北斗電工(株)製HK-103型腐食計を使

用した。この時のセンサー出力は分極抵抗値そのもの

ではなく,それに比例した出力であるが,SCr420鋼の

研磨速度の低下に対応してFig. 9のように値が増加す

る。従ってセンサー出力が常に初期値 ( 設定値 ) を示

すように浴成分の補充を行えば研磨速度は精度良く一

定保持できると考えられる。

3.4.2 補充液

上記の研磨速度センサーによる浴管理であれば,

HFおよびH2O2の補充を別々に行う必要は無く,混合

液による一括補充が可能と考えられる。そこで適正な

補充液組成について検討した。

前記式(4)に従えば,Feが1モル ( 55.8g ) 溶解すると,

HFが3モル ( 60.0g ) とH2O2が1.5モル ( 51.0g ) 消費さ

れることになる。しかし化学分析による実測では,

Fe1モルに対してHFが約3モル,H2O2も約3モルの割

合で消費されていた。すなわちHFとH2O2の実測の消

費割合はモル比で1:1であり,式(4)の割合 ( 1:0.5 ) の

32

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 8 Polishing rate sensor.

Fig. 9 Change in sensor output during chemicalpolishing treatment.

Fig. 7 Relations between polarization resistance ofstainless steel electrodes and polishing rate ofcarburized steel at 40℃.

Page 7: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

約2倍である。これは式(2)で生成するO2の利用効率が

約50%であることを示している。この効率は新浴時に

はやや高く,老化浴でやや低下する傾向が認められた。

従って補充液の組成はH2O2量に余裕を持たせ,HF

とH2O2のモル比で1:1.2が適当と判断した。これを一

般流通の試薬から調製すると,HF濃度5.6mol/L,H2O2

濃度6.7mol/Lの濃厚液が得られる。なお,この補充液

にも前記のH2O2分解抑制剤を添加しておけば完全な一

液補充が可能となる。

次に上記補充液を用い,Fig. 10に示す浴組成管理シ

ステムによる検証を行った。その結果,研磨速度

10µm/mimをねらう場合,±10%のバラツキで管理が行

える見通しを得た。

3.5 廃液処理法

前記浴管理の下に化学研磨処理を実施すると,Fe3+

イオン等が高濃度に蓄積するまで良好な研磨状態が維

持される。しかしそれらの蓄積が40~60g/Lに達する

と,やや光沢の低下した研磨面となり,使用目的によ

っては浴の更新が必要となる。

この時の廃液の処理は現時点では一般のHF含有液

に施される方法すなわち石灰 ( Ca(OH)2 ) による中和

処理が最も簡便である。これにより廃液中のHFは

CaF2として,また重金属イオンもFe(OH)3等の水酸化

物としてスラッジ化される。

しかしSCr鋼等のCr含有鋼を研磨した廃液ではCr3+

イオンも存在し,中和の過程で未分解H2O2と反応し

て一部有害なCr6+に転化する場合があった。また廃液

をイオン交換膜で透析してHFを回収し,スラッジ量

を低減することが今後の最重要課題であるが,その際

にもH2O2は膜の劣化を引き起こすため,廃液中に通

常2mol/L存在するH2O2を事前に分解しておくことが

必要である。これには迅速かつ簡便な手法が望まれる

が,分解抑制剤によって安定化されたH2O2を逆に迅

速分解することは通常容易ではない。

ところで,H2O2の高効率分解剤としては酵素カタ

ラーゼが有名であり,実際廃液処理の分野でもその適

用が図られている12)。しかし本廃液のようにF –イオ

ンが存在する場合にはカタラーゼの酵素作用は強く阻

害されるため,H2O2の分解促進は全く期待できない。

実験でもそのことを確認した。

そこでカタラーゼと類似の化学構造をとるフタロシ

アニン系錯化合物に着目して,H2O2に対する接触分解

能力を調べた。能力評価用廃液にはFig. 5で示したカ

フェインで安定化された模擬劣化浴を使用した。この

浴に上記化合物を0.3g/L添加後室温で放置し,H2O2濃

度の時間変化を測定した。結果をFig. 11に示す。フタ

ロシアニン系錯化合物の中では鉄塩が著しい活性を示

し,F–イオンが共存する2mol/LのH2O2を15分以内に完

33

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 10 Bath solution supplying system.Fig. 11 Catalytic decomposition of H2O2 in waste

solution by phthalocyanine complexes.

Page 8: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

全に水とO2ガスに分解した。この分解能力はF イオン

を含有しない単純な2mol/LのH2O2溶液において,カタ

ラーゼが示す能力と同等もしくはそれ以上である。

フタロシアニン鉄は一般に廃液に溶けない粉末のた

め,基板等に樹脂バインダーで固定しておけば繰り返

し使用が可能であり,扱いやすく,かつ低コストの分

解促進剤として実用性は極めて高いと考えられる。

次に上記分解処理を完了した廃液を用い,電気透析

によるHFの回収を試みた。透析膜には東ソー(株)製

のアニオン交換膜を使用した。結果の一例をFig. 12

に示す。廃液中の遊離HF濃度 ( 1mol/L ) よりも高い濃

度のHFが回収できることがわかる。今後適正条件の

検討のもとに実用化が図られるものと考えられる。

4.研磨性能と適用例

以上,化学研磨処理を実用の研磨加工法とするため

に必要な技術,とりわけそのキーとなる技術を中心に

述べてきた。最後に,それらの組み合せにより標準的

に得られる研磨性能と適用例を紹介する。

まずTable 1に歯車等の浸炭焼入れ鋼部品に対して

適用される標準的研磨工程を示す。各工程の中では,

(1)ショットピーニングおよび(5)低濃度化学研磨が特

徴である。工程(1)は既に述べたとおり化学研磨の立場

からは表面固着皮膜の除去が目的である。また工程(5)

は研磨浴から取り出したあとの表面付着液による異常

研磨防止が目的であり,基本浴を数倍に希釈した浴に

室温で浸漬する。

Fig. 13は変速機歯車の右側半分を研磨深さ25µmで

処理した例である。電解研磨同様の光沢仕上がりが得

られている。

Fig. 14にSCr420浸炭処理材の未研磨部と研磨部の

断面観察結果を示す。未研磨部表層に存在する浸炭異

常層が25µmの研磨処理によって完全に除去されてい

るのがわかる。

Fig. 15は浸炭後研削仕上げを行った部品に同様の

25µm研磨を施した例である。この処理により研削時

の筋目は完全に消失し,平滑表面となっている。なお

化学研磨では電解研磨と同様に表面うねりの大幅改善

は難しいため,表面粗さ ( µmRz ) で表示すると平滑

34

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 13 Transmission gear sample.

Table 1 Typical polishing cycle.

(1) Shot peenig

(2) Alkalline cleaning

(3) Water rinse

(4) Chemical polishing

(5) Chemical polishing(dilute solution)

(6) Water rinse

(7) Pickling

(8) Alkalline neutralization

(9) Water rinse

(10) Drying

Fig. 12 HF recovery from waste solution byelectro-dialysis.

Page 9: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

化がわかりにくい。しかし粗さ曲線からは微小凹凸が

完全に消失していることが見て取れよう。

5.まとめ

焼入れ鋼を対象とした化学研磨処理について,実用

化をめざした技術開発を行い,加工速度10µm/min以

上で安定的に研磨作業が行える化学研磨浴組成を完成

した。次に分極抵抗法を応用した浴組成管理技術の確

立により,研磨速度の一定保持が可能となり,歯車等

の精密部品で求められる研磨深さの高精度管理が実現

できた。さらに廃液処理の際に障害となるH2O2の迅

速分解法を見いだし,中和処理の問題を解消すると共

に廃棄物低減をめざした透析法による酸回収の見通し

を得た。

本処理法は現在,小規模テストプラントによる実証

試験が行われている。

なお本研究を進めるにあたり,ご協力を頂いたトヨ

タ自動車(株)の関係者各位に深謝いたします。また当

所材料2部,材料1部並びに分析部の方々には貴重な

ご助言,ご協力を頂きました。

35

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

Fig. 15 Smoothing of ground surface with chemical polishing.

Fig. 14 Cross-sectional views of carburized steel.

Page 10: 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理 - Toyota Central R&D Labs., Inc. · 2013. 2. 25. · 27 豊田中央研究所R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 ) 浸炭焼入れ鋼の化学研磨処理

参 考 文 献

1) 高橋達, 糀谷幸 : "浸炭または浸炭浸窒焼入れ鋼の回転曲げ疲労強度", トヨタ技術, 18-1(1966), 19

2) 小峰厚友, ほか : "加工処理による浸炭材の疲労強度の向上", 日本機械学会論文集(A編), 53-488(1987), 702

3) [a]佐治孝 : "最近の研究の進歩-化学研磨", 表面技術,

36-13(1985), 130

[b]松本誠臣 : "最近の研究の進歩-電解表面仕上げ", 表面技術, 41-12(1990), 1319

4) Barnes, C. and Crichton, T. J. : "Chemical Polishing of

Steel Mouls and Dies", Trans. Inst. Met. Fin., 66(1988), 18

5) 田島榮 : 表面処理ハンドブック, (1962), 319, 産業図書6) Lacal, R. : "Method of Chemically Polishing Iron Zinc and

Alloys Thereof", USP3369914(1968)

7) Hart, A. C. : "Bright Dipping and Etching of Copper Based

Materials in Solutions of Sulphuric Acid and Hydrogen

Peroxide", Trans. Inst. Met. Fin., 61(1983), 46

8) 小川一義, 浅野高司, 鈴木憲一, 相原秀雄, 下田健二 : "ショットピーニングと化学研磨による浸炭焼入れ鋼の疲労強度向上", 日本機械学会第1回機械材料・材料加工技術講演会論文集, (1993), 353

9) 柳晟基, 井上克巳, 加藤正名, 大西昌澄, 下田健二 : "浸炭歯車の曲げ疲労強度及ぼす表面処理の影響", 日本機械学会論文集(C編), 60-572(1994), 1391

10) Fischer, G. and City, E. : "Chemical Brightening of Iron-

containing Surfaces of Workpieces", USP3537926(1970)

11) 朝倉祝治, 石橋喜孝 : "電気化学的方法による腐食状態の実時間計測技術", 表面技術, 32-6(1981), 280

12) 三菱ガス化学 : 商品パンフレット

著 者 紹 介

36

豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 1 ( 1995. 3 )

清水富美男  Fumio Shimizu生年:1959年。所属:電気化学研究室。分野:表面処理技術開発。

鈴木憲一  Ken-ichi Suzuki生年:1946年。所属:材料2部。分野:電気化学,湿式表面処理技術開発。学会等:電気化学協会,表面技術協会会

員。

梶野正樹  Masaki Kajino生年:1952年。所属:電気化学研究室。分野:表面処理技術開発。