組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 v 51 no. 1 : 4-15(2017) 4...

12
組織科学 Vol.51 No. 1 : 4- 15 20174 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践 ―障害大学生支援を対象としたアクション・リサーチを振り返って― 吉永 崇史(横浜市立大学 学術院国際総合科学群 准教授) 斎藤 清二(立命館大学 総合心理学部 教授) キーワード ナラティブ・アプローチ,アクション・リサーチ,創発的循環プロセス,ウィットネス .はじめに 本稿の目的は,ナラティブ・アプローチの実践 現場で実際に行われていること,および,その実 践現場において組織論研究者が果たすことができ る役割について明らかにすることである.そのた めに,富山大学での障害学生支援の現場において 実際に行われたアクション・リサーチ(吉永・斎 藤,2010;吉永・斎藤・西村,2012)を通じて得 られた,“われわれ”すなわち本稿の共同執筆者 である吉永と斎藤の経験を振り返ることとした い.本稿での振り返りの対象は,われわれが 2008 年 4 月から 2013 年 3 月までの 5 年間にわた り協働して当該活動にあたっていた経験である. その背景となる富山大学での障害学生支援の概要 は以下の通りである. 文部科学省が公募した平成 19 年度新たな社会 的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支 援 GP)に,富山大学が応募した「「オフ」 と 「オ ン」 の調和による学生支援―高機能発達障害傾向 を持つ学生への支援システムを中核として―」が 選定された.そのことを契機として,富山大学 は,2007 年 11 月に,全学組織である学生支援セ ンターの下部組織としてトータルコミュニケーシ ョン支援室を発足させた.トータルコミュニケー ション支援室は,「発達障害のある学生のみなら ず,すべての学生の『社会的コミュニケーション の問題や困難さ』に焦点をあてた支援を,学内外 の必要な援助リソースを総動員して包括的に行 う」(吉永・斎藤,2010,p. 82)というミッショ ンを掲げて活動を開始し,発達障害大学生支援を 専門とする組織として,数十名の学生を同時に支 援できる体制を確立した.2009 年には,富山大 学内で上記とは別の流れで実施されていた身体障 害大学生支援事業の統合によりアクセシビリテ ィ・コミュニケーション支援室として改組され, 現在に至っている. 上記の目的に沿った議論に先立ち,本稿では, 富山大学での障害学生支援において実際に行われ 本稿の目的は,ナラティブ・アプローチの実践現場で実際に 行われていること,および,その実践現場における組織論研究 者の役割について明らかにすることである.富山大学での障害 学生支援の現場での実践についての振り返りを通じて,ナラテ ィブ・アプローチの実践を,新たなナラティブを共同構成して より良い現実を招く変化を生み出し,そのプロセスを実践のコ ツとして組織内外で物語る,創発的循環プロセスとして提示し た.加えて,その実践現場に関わる組織論研究者の役割とし て,多様なナラティブを引き出す装置,実践のウィットネス, 実践プロセスの管理者の 3 つを提示した.

Upload: others

Post on 07-Mar-2020

5 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織科学 V ol.51 No. 1 : 4-15 (2017)

4

  特集/現場の実践に関わることの意味

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践―障害大学生支援を対象としたアクション・リサーチを振り返って―

  吉永 崇史(横浜市立大学 学術院国際総合科学群 准教授)     斎藤 清二(立命館大学 総合心理学部 教授)

  キーワード

ナラティブ・アプローチ,アクション・リサーチ,創発的循環プロセス,ウィットネス

Ⅰ.はじめに

本稿の目的は,ナラティブ・アプローチの実践現場で実際に行われていること,および,その実践現場において組織論研究者が果たすことができる役割について明らかにすることである.そのために,富山大学での障害学生支援の現場において実際に行われたアクション・リサーチ(吉永・斎藤,2010;吉永・斎藤・西村,2012)を通じて得られた,“われわれ”すなわち本稿の共同執筆者である吉永と斎藤の経験を振り返ることとしたい.本稿での振り返りの対象は,われわれが2008 年 4 月から 2013 年 3 月までの 5 年間にわたり協働して当該活動にあたっていた経験である.その背景となる富山大学での障害学生支援の概要は以下の通りである.

文部科学省が公募した平成 19 年度新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援 GP)に,富山大学が応募した「「オフ」 と 「オ

ン」 の調和による学生支援―高機能発達障害傾向を持つ学生への支援システムを中核として―」が選定された.そのことを契機として,富山大学は,2007 年 11 月に,全学組織である学生支援センターの下部組織としてトータルコミュニケーション支援室を発足させた.トータルコミュニケーション支援室は,「発達障害のある学生のみならず,すべての学生の『社会的コミュニケーションの問題や困難さ』に焦点をあてた支援を,学内外の必要な援助リソースを総動員して包括的に行う」(吉永・斎藤,2010,p.82)というミッションを掲げて活動を開始し,発達障害大学生支援を専門とする組織として,数十名の学生を同時に支援できる体制を確立した.2009 年には,富山大学内で上記とは別の流れで実施されていた身体障害大学生支援事業の統合によりアクセシビリティ・コミュニケーション支援室として改組され,現在に至っている.

上記の目的に沿った議論に先立ち,本稿では,富山大学での障害学生支援において実際に行われ

本稿の目的は,ナラティブ・アプローチの実践現場で実際に行われていること,および,その実践現場における組織論研究者の役割について明らかにすることである.富山大学での障害学生支援の現場での実践についての振り返りを通じて,ナラティブ・アプローチの実践を,新たなナラティブを共同構成してより良い現実を招く変化を生み出し,そのプロセスを実践のコツとして組織内外で物語る,創発的循環プロセスとして提示した.加えて,その実践現場に関わる組織論研究者の役割として,多様なナラティブを引き出す装置,実践のウィットネス,実践プロセスの管理者の 3つを提示した.

Page 2: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  5

た,ナラティブ・アプローチの実践の特徴について提示する.われわれは,ナラティブを「『あるできごとの経験についての複数の言語記述がなんらかの意味のある連関によってつなぎ合わされたもの』あるいは『言葉をつなぎ合わせることによって経験を意味づける行為』」(斎藤,2010,p.37;斎藤・岸本,2003)として捉えていた.その上で,ナラティブ・アプローチを,関係者間の語りをすり合わせる中から,新しい物語を共同構成していくための思考や実践の在り方(斎藤,2010)として認識し,実践していた.さらに,われわれは,ナラティブ・アプローチを,組織的知識創造プロセス(Nonaka&Takeuchi,1995)に基づく知識創造動態モデル(Nonaka&Toya-ma,2005)と組み合わせて現場への導入(吉永・斎藤,2010)を図ることで,その実践を組織的な行為へと拡張する試みを行っていた.

ナラティブ・アプローチにもとづく研究の方向性には,1)ナラティブを媒介にして,組織の現実である組織内外の出来事,知識,技術などを関係づけるフレームとしての論理階型がどのように流転していくのかを分析する研究,2)語る行為を通じた変革の実践の研究,の 2 つがあるとされる(宇田川,2015).後者の研究では,関係性を変容させる媒介物を介入から作り出し,それを媒介にして現実を変革しようとする実践の開発が行われているとされる(宇田川,2015).富山大学での障害学生支援におけるナラティブ・アプローチの実践は,2 つ目の方向性を志向してきたと思われる.すなわち,当該実践は以下のように意味づけることができる.まず,被支援者である障害大学生を中心として,彼女/彼らと支援者である教職員との“関係性”,支援者同士の“関係性”,富山大学と学外の支援機関との組織的な“関係性”に対して,支援組織づくりやそのマネジメントの行為を通じて“介入”を行っていた.さらに,その“介入”から上記の“関係性”のより良い変容を促す“媒介”としてのナラティブを作り出すことで,障害大学生の修学が当該学生も含めた多くの人の過度の負担によって行われるという

“現実”を,障害のある大学生の修学という行為

に対する支援を通じて本人の人生,大学および社会がより豊かになる“現実”へと変えていこうとするものであった.

われわれは,当該実践の最中にあった 2010 年の時点において,「ナラティブを最大限に有効活用するようなアプローチは,ナレッジ・マネジメント理論における形式知と暗黙知の両者をつなぐメディアあるいはツールとして有効で」(吉永・斎藤,2010,p.75)あると考察している.前述した宇田川(2015)によるナラティブ・アプローチに基づく研究の 2 つ目の方向性に対応させるならば,われわれは,その実践の最中においては,暗黙知と形式知の転換による組織的知識創造プロセス(Nonaka&Takeuchi,1995)を,現実を変革するプロセス理論として依拠しつつ,そのプロセスが有効に機能するための“媒介”として,ナラティブを活用していた,という認識をしていた.さらに言えば,われわれは,介入と媒介との関係を線形プロセスとして捉えるのではなく,創発的循環プロセスとして捉えていた.すなわち,介入から媒介物を作り出すとともに,作り出された媒介物を基に新たな介入を行うことを意識して実践していた.

ここまで,富山大学での障害学生支援におけるナラティブ・アプローチの実践の特徴について述べてきた.本稿では以下の 2 つのリサーチ・クエスチョンを設定し,当該実践に従事した実体験を振り返ることで,それらに対する答えを明らかにしたい.

1)ナラティブ・アプローチに基づく現場での実践では実際に何が行われていたのか.

2)ナラティブ・アプローチの実践現場において組織論研究者が果たすことができる役割とは何か.

Ⅱ.ナラティブ・アプローチの実践現場で行われていたこと

富山大学での障害学生支援の現場では,ナラティブ・アプローチの実践の観点から,実際には何が行われていたと考えることができるのだろう

Page 3: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

6  組織科学 Vol.51No.1

か.この問いに対する答えを明らかにするために,本稿では,以下の 4 つの段階から構成される新たなナラティブの共同構成プロセスを提示する.1)ナラティブを引き出す,2)提示されたナラティブをながめて,すり合わせて,現実のより良い変化をもたらすナラティブを共同構成する,3)共同構成された新たなナラティブにもとづいて変化を生み出す,4)生み出した変化とそのプロセスを実践のコツとして組織内外で物語る.これらの 4 つの段階から構成されるプロセスは,実践に先立って設計されたものではなく,実際の実践を通じた試行錯誤を通じて浮かび上がってきたプロセスであり,それ自体が創発的なものである.

1.ナラティブを引き出すわれわれの経験にもとづけば,ナラティブを引

き出すために必要なこととして,1)ナラティブ・アプローチを実践するためのメタナラティブ,2)関係者間の相互信頼の構築,3)適切な場の設定,4)無知の姿勢と傾聴を組み合わせた丁寧な応答,の 4 つがある.

ナラティブ・アプローチでは,実践の中で生まれるナラティブそのものが現実を変革する“媒介”として機能する(宇田川,2015)が,実践の中でナラティブを引き出すためには,ナラティブ・アプローチを実践するためのメタナラティブが必要となる.つまり,“媒介”のための“媒介”を,実践を通じて作り出さなければならない.そうして作り出されたものの 1 つが目標(objec-tives)ないし原則(principles)としてのナラティブであり,富山大学での障害学生支援における実践では,“駆動目標”(吉永・斎藤,2010)として言語化された.

駆動目標とは,実践者が具体的かつ感覚的に理解しやすいビジョンへの方向性を示すもの(吉永・斎藤,2010)であり,富山大学での障害学生支援における実践では,以下の 3 つのナラティブが提示され,関係者間に共有されていた.1)支援機会の損失を最小にする:学生・教職員の「いま,ここで」浮かび上がった支援ニーズを逃さな

い(吉永・斎藤,2010,p.86),2)二項対立を超える:相矛盾する複数の支援モードを両立させ,調和させ,相乗効果が生まれるような新たな形を考える(吉永・斎藤,2010,p.88),3)燃え尽きを防止する:効果的・効率的なマネジメントを行うと同時に,支援者同士が自然にお互いを支え合うような仕組みを作る(吉永・斎藤,2010,p.89).これらの駆動目標としてのナラティブは,当該実践の比較的初期の段階において,具体的には 2008 年の前半に,関係者間での対話を通じて言語化されたものである.

駆動目標は実際の実践の準拠枠として機能し,障害大学生への支援実践の重要な局面において,どのナラティブを採用するか(斎藤,2010)についての意思決定の拠り所となっていった.以下,富山大学での障害学生支援における目標ないし原則としてのナラティブが機能した具体例を挙げる.医療,心理,教育の観点から複数の支援者によって支援されていた,とある発達障害大学生が他の大学生との対人トラブルを起こした.そのことで,当該大学生と指導担当教員からほぼ同時に支援の要請が入った.この事例では,“二項対立を超える”というメタナラティブにもとづいて,これまでの支援実践を通じて得ていたナラティブも含めて,視点の異なるナラティブを混乱なく整理することができた.また,“支援機会の損失を最小にする”というメタナラティブによって応答の迅速性が生まれたために,支援ニーズを逃すことなく,当該大学生に対して同時並行的に関わっている専門性の異なる支援者の間の新たな役割分担を再構成し,当該学生,支援者ともに過度な負担が強いられることのないアクションを実行することに努めることで,支援者の“燃え尽きを防止する”ことができていた.

目標ないし原則としてのナラティブは,ナラティブ・アプローチの実践が現場にもたらす危機への対応の媒介としても機能していた.富山大学での障害学生支援においてわれわれが実際に経験したことの具体例を以下に述べる.ある大学生と保護者との関係性の不和が高じて,当該学生やその友人である大学生,保護者の各々が学内外の様々

Page 4: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  7

な支援者とのつながりを保とうとした結果,膨大な量のナラティブが短期間に生成され,それらの整理や支援者間の共有が追い付かず,結果として支援現場が混乱したことがあった.そのような状況下において,その都度の支援ニーズにこまめに対応しつつ,可能な限りのナラティブを集めた.その結果,主に,医療,心理,教育の複数の観点からの支援にコンフリクトが生じていることが明らかになった.そして,それを調整するために必要なアクションを 1 つひとつ起こしていく必要があった.そこでは,混乱を防止するためにナラティブを統制するのではなく,起きている混乱がさらに別の混乱を引き起こさないよう,また混乱が長続きしないよう,支援者同士が疑心暗鬼にならないよう注意を払い,対話が重ねられた.そのことで,トラブルが収束するまでの間において効果的な支援が継続的に行われ,かつ支援者がこの対応で燃え尽きることもなかった.

ナラティブ・アプローチを実践するためのもう1 つのメタナラティブとして,プロセス(pro-cess)としてのナラティブがある.富山大学での障害学生支援における実践では,合理的配慮の探究(吉永・西村,2010)として言語化された.それは,ナラティブ・アセスメント(西村,2010)からコーディネーション,合理的配慮の実行とその評価に至る,創発的循環プロセスについてのナラティブであり,とりあえずの支援方策を立て,支援目標を漸進的に改善する(吉永・西村,2010)という実践を通じて生み出されるナラティブをも内包していた.

実践を通じてナラティブを引き出すためには,実践に関わる関係者間の相互信頼が必要であることは論を待たない.近年において,「『関係の中』で『未来』へと関わり合いながら効果的に動いていける人々の能力」(Hersted&Gergen,2013,訳書 p.41)という意味を内包した relational lead-ing(Hersted&Gergen,2013)というリーダーシップについての概念が提案されている.この概念の背景には,社会構成主義的世界観がある.

「世界は,私たちの『関係』によって,今ある形になっている」(Hersted&Gergen,2013, 訳書

p.41),すなわち,問題の所在や介入の対象を関係性に置く態度である.大学生支援の実践で言えば,支援対象となる大学生が問題なのではなく,問題(この場合は関係)が問題なのである,という態度である.ナラティブ・アプローチの実践者は,その態度を維持しつつ,当該実践が現状よりも良い変化を招くことができる(Launer,2002)という信念にもとづいて行動している.

現実を変革するための媒介としてのナラティブは,適切に“場”を設定することによって引き出される.“場”とは,「共有された動的文脈」(野中・遠山・平田,2010,p.60)のことであり,ナラティブが文脈によって意味づけられ,また,その文脈自体が変化することによって新たなナラティブが共同構成される場所のことである(吉永・斎藤,2010).富山大学での障害学生支援における実践では,学生との面談やメール,SNS等でのやり取り,支援者間でのミーティング,事例検討会がそれに相当した.場の設定時には,どの範囲で関係者を招待するかだけではなく,そのタイミングや場所の選定にも注意が払われる.関係者が今,ここで思っていることを率直に語ることのできる場を設定する必要があるが,富山大学での障害学生支援における実践では,多くの実践者との間で非同時的にコミュニケーションが可能な SNS 上の場が積極的に活用された(吉永・斎藤,2010).さらに,場の設定者は,実践者の一人として設定者自らが持つ立場や支援の役割を併せ持つため,中立的な立場ではいられないことを意識し,場の設定そのものの行為に,ある現実を変革したいという意図があること,それを包み隠さずその場に招待した人に伝えることが求められた.

適切に設定された場でナラティブを引き出すために,実践者は,相互信頼関係を構築しようとするだけではなく,無知の姿勢と傾聴を組み合わせた丁寧な応答が求められる.無知の姿勢とは,相手に好奇心(curiosity)を持って質問し(Launer,2002),その質問に対する反応に耳を傾けようとする態度のことである.ここでの好奇心とは,新しいナラティブを引き出すためにある一点にのめ

Page 5: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

8  組織科学 Vol.51No.1

り こ む よ う な 関 心 の こ と を 意 味 し(Launer,2002),その対象は,現実についての解明や,現実をより良い方向に変えるためのヒントを得ることに向けられている.傾聴では,相手の主観的世界の中で語りを肯定的に受けとめる共感的態度,ささいなことを逃さない細部への関心や注意深さが求められる.特に,一貫して語られていることとは何か,以前に語られたことと今の時点で語られたことの食い違いに注意を向ける必要がある.

2.提示されたナラティブをながめて,すり合わせて,現実のより良い変化をもたらすナラティブを共同構成する

ナラティブの共有や相互了解,共同構成は,対話(dialogue)によって達成される.対話とは,

「あらゆる種類の会話―言葉によるものもそうでないものも含めて」のこと(Hersted&Gergen,2013,訳書 p.47)であり,対話する目的の例としては,「相互理解」「新しいアイデアの創造」

「先入観からの解放」(Hersted&Gergen,2013,訳書 p.47)がある.つまり,対話の場には 2 人以上の人間がいて,ある特定の話題の中で,語ること,聞くこと,応答すること,それらの行為が全て含まれている.対話によって提示されたナラティブを“ながめる”ことは,自身および他者が提示しているナラティブと,その背景にある思考や感情とを結びつけて捉えようとすることを意味する.対話の目的の 1 つに,「あなたの意見を目の前に掲げて,それを見ること」(Bohm,1996,訳書 p.79)がある.自身の意見を他者の前に掲げて対象化することではじめて,自らが無意識に抱 い て い た 考 え 方 や 価 値 観 で あ る 前 提 認 識

(Schein,2010)に気づくことができるようになるのである(Bohm,1996).同時に,他者から提示されたナラティブを同様にながめることによって,自己のナラティブと他者のそれとの“すり合わせ”,つまり,両者を関連づけようとする行為が触発される.その行為を通じて,各々の前提認識の相対的な理解へとつながっていくのである.新たなナラティブが共同構成されることの背景にあるのは,文脈の変化をもたらす関係者間の前提

認識の変化であり,その変化のためには,お互いがどのような前提認識を持っているかについての相互了解が求められる.提示された複数のナラティブをながめて,すり合わせることの意義は,その相互了解を促進することにある.

対話を通じた新たなナラティブの共同構成の例として,富山大学で実践された,発達障害のある大学生 A さんの支援における対面(facetoface)での面談の場面(吉永,2011a,p.191)を提示する.

大学生 A:選択必修科目の【講義 X】の予習をしようとすると,鉛筆で人を刺してしまうのではないかという観念がでてきて,字が書けなくなるのです.授業も聞くことができません.それに不潔強迫が最近強くなって,本当にくたくたで何もできません.いつまでたっても疲れが取れず,薬を飲んでも眠れません.他の講義でも課題がたくさん出ているんですが,まったく進みません.自分には負担が大きすぎたのかもしれません.とにかく,【講義 X】はやることが多すぎるんですが,予習ができなかったところを授業で触れられるのが嫌なのです.支援者:この講義にどの程度の予習が求められているかは,わかっていますか?

上記において,支援者は,A さんから提示された困りごととしてのナラティブをながめて,できるだけそのままの形で受け入れようとしている.しかし,その一方で,支援者は A さんのナラティブに違和感を抱いている.具体的には,Aさんは授業担当教員から要求された以上の予習をしてしまっていっているのではないか,という疑問であり,それを確かめるために上記の質問をしている.以下は,上記の続きとなる対話である

(吉永,2011a,p.191).

大学生 A:はい.与えられた範囲で予習するのが基本です.でも,調べなくてはならないことがたくさんあると,強迫観念で全く進まなくなるんです.鉛筆をもてないんです.

Page 6: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  9

支援者:もし,予習を完璧にせずに授業に出るとどうなるのですか?大学生 A:わからない単語が出てきたときに,焦りが出てきて,なにも進まなくなって授業中に声を出して独り言で愚痴を言ってしまうと思います.

上記の対話から,何を過不足なく予習すべきかどうかについて A さんはわかっていることが,支援者には理解することができたことがわかる.ここで支援者は,以下のように,A さんのナラティブと A さんの“現実”に対する接点を求めて語る行為(宇田川,2015)を行う.それを聞いた A さんは,自身が置かれた現実に対して新たなナラティブを提示する.以下は,上記の続きとなる対話である(吉永,2011a,pp.191-192).

支援者:授業中に困らないように予習を完璧にしようとするが,強迫観念が出てくる.だからといって,予習を適当にすればいいかというと,今度は授業中に焦って話を聞けなくなったり,愚痴を言ってしまったりするのですね.大学生 A:はい,そうです.アンビバレントなんです.

“アンビバレント(ambivalent)”という新たに提示されたナラティブを相互了解した後に,支援者は,このナラティブがこの状況に限定されたものか,それともこれまでも繰り返されたナラティブであるかどうかを確かめようとする.以下は,上記の続きとなる対話である(吉永,2011a,p.192).

支援者:こういったことは,以前にほかの講義でもありましたか?大学生 A:前の期の(似たような)講義ではまだ何とかなったんですが,今回はもう履修を放棄したい気持ちになるんです.でも,履修を放棄すると,(来年度)4 年になってからもう一度履修することになり,卒業研究でますます時間がないので,今より大変になるんじゃない

かと思うんです.そうすると来年度で卒業できないことになってしまう.

ここで A さんは,ある特定の授業の履修につまずきそうになっているというナラティブから,卒業につまずきそうになっているという,より大きな文脈でのナラティブを支援者に提示する.事の重大さに支援者はついひるみそうになるが,気を取り直して,卒業につまずくことそのものに対する A さんのナラティブを引き出そうとして,以下のように質問する.以下は,上記の続きとなる対話である(吉永,2011a,p.192).

支援者:卒業が遅れることはあなたにとってどんな問題があるのですか?大学生 A:学費が余計にかかります.それに無駄に時間を過ごすことになるのではと思うんです.

ここで支援者は,この問題に対する暫定的な解決策としてのナラティブを提示する.ここでは,これまでの対話を踏まえて,これまでに引き出したナラティブを現実的かつ論理的に整理した上での提案を行おうとしている.以下は,上記の対話の続きである(吉永,2011a,p.192).

支援者:そうですか.今の A さんの状況に対する対応策として,私には思いつくことが 2 つあります.1 つは,来年度に【講義 X】の代替となる予習の少ない講義を履修することです.これについてはどう思いますか?大学生 A:来年のシラバスがどうなるかわからないので,そのような講義があるか確認できません.支援者:確かにその通りですね.2 つ目は,【講義 X】担当の先生に A さんの現状を説明し,予習の負担を減らす方法がないかについて私が相談しに行くことです.これについてはどう思いますか?大学生 A:(間髪いれず)はい,そうしてください.

Page 7: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

10  組織科学 Vol.51No.1

支援者:では,A さんとしてこれを予習しなくてよければ楽になる,というものがあれば教えてください.大学生 A:私はどれも必要なことしかしてい

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

な4

いんです4 4 4 4

.でも 4 4

,一つひとつの作業に時間が 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

かかるんです4 4 4 4 4 4

このやりとりでは,“来年度に代替となる予習の少ない講義を履修する”という問題解決策としてのナラティブは意味がないことが A さんと支援者の間で相互了解され,より積極的な支援実践を伴う“A さんの同意の下で,支援者が担当教員に相談に行く”という問題解決の糸口を見つけるための新たなナラティブを共同構成することができている.しかし,すぐその後のやりとりで,支援者が担当教員に相談に行くために必要としたナラティブである“A さんが楽になる予習の仕方”について引き出すことには失敗してしまっている.しかし,まさにその瞬間において,支援者は,A さんによる上記の傍点のナラティブによって,支援者自身が無意識に抱いていた前提認識である“障害大学生支援者の主な役割は,大学生がその障害のゆえに本来は必要のない努力をしていることを発見し,その努力を極力減らすための手助けをすることである”に気づくことができたのである.

上記の行為を通じて新たなナラティブを共同構成するためには,行為者の創造性が十分に活用される必要があるのは言うまでもないが,ここでいう創造性は,多様な視点からのナラティブについての,美的感覚にもとづいた総合的了解(Good,1994)によってもたらされると考えられる.美的感覚とは,具体的には一貫性や秩序についての感覚のことを意味するが,その感覚に論理的な整合性が伴えばそれで十分であるというわけではない.例えば,大学生と支援者との間で何かしらの理由で意思疎通が図れなくなって切れそうになったり複雑に絡み合ったりした関係性を修復する新たなつながりが,ある瞬間に突然ぱっと見出されたときに生じるような,情動や感情を内包するナラティブである.以下は,上記の続きとなる対話

である(吉永,2011a,p.192).

支援者:分かりました.それでは,私から提案なのですが,今調子が悪くて予習に時間

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

がかか4 4 4

るのでしたら4 4 4 4 4 4

,授業を計画的に休むと 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

いうのは4 4 4 4

どうでしょう4 4 4 4 4 4

?つまり予習そのもの 4 4 4 4 4 4 4 4 4

に取組む回4 4 4 4 4

数を減らすのです4 4 4 4 4 4 4 4

「優」は取れないかもしれませんが,単位は取れるのではないかと思います.今後何回まで休んでも単位取得に影響がないか,休んだ授業の次の回の予習課題を教えてもらえるかを【講義 X】担当の先生に確認できます.このことについてはどう思いますか?大学生 A:あー(驚いた表情で)それは考えていませんでした.私にとっては【講義 X】で良い成績を取ることよりも,今期で単位を取ることの方が重要ですので,お願いします.

ここで支援者は A さんと共同構成した新たなナラティブを提示しているが,この段階では,支援者は上記の前提認識から解放されており,Aさんもそれに対して肯定的に応答している.支援者が提示した新たなナラティブは,A さんにとっても,その驚いた表情から,美的感覚にもとづく総合的な了解をすることができたのではないかと思われる.従って,支援者と A さんが共同構成した新たなナラティブは,A さんと講義担当教員との間の関係性に対する介入への媒介として機能したと考えることができる.

3.共同構成された新たなナラティブにもとづいて変化を生み出す

われわれの経験にもとづくと,新たなナラティブが有効に機能する期間は,多くの場合非常に短い.なぜならば,そのナラティブは,「今,ここ」の関係性の中で生まれたものであり,かつ,当事者を取り巻く現実は刻一刻と変わっているからである.新たなナラティブは,目標ないし原則としてのナラティブである駆動目標と,プロセスとしてのナラティブである合理的配慮の探究の,2 つのナラティブ・アプローチの実践のためのナラティブと突き合わされ,変化を起こすための実行の

Page 8: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  11

直接的な媒介となって機能する.実際に変化を生み出すためには,新たなナラティブの共同構成に携わっていない関係者にそのナラティブを共有し,実践のためのプランを立てて,そのプランに沿って 1 つひとつ実施していく必要がある.そのためには,迅速性を重視し,デザイン思考にもとづく試行錯誤型の実践が求められる.具体例として,前述した富山大学の発達障害のある大学生A さんの支援における面談後の実践(吉永,2011a,p.192)を提示する.

上記の一連の対話の後で,支援者は【講義 X】担当の教員とコンタクトをとり,A さんが,単位取得の可能な範囲で講義を計画的に休むことができる方策を協議した.その結果,今後,体調が悪い場合には,事前の申し出があれば欠席してもよいこと,欠席することで 2 週間かけて計画的に課題に取り組むことができるように,教員から A さんを含む受講生全員に対して 2 回分の予習範囲を伝えること,の 2 点が合理的配慮として認められ,実施された.

4.生み出した変化とそのプロセスを実践のコツとして組織内外で物語る

ナラティブ・アプローチの実践が,組織的かつ継続的に行われるためには,新たに共同構成されたナラティブによって生み出された変化とそのプロセスを実践の“コツ(know-how)”として物語り,実践現場だけではなく,その現場に関心を持つ外部の関係者に共有する必要がある.この実践の“コツ”自身はナラティブの形式をとり,同時に知識資産としての役割を果たす.その共有を通じて形式知のみならず暗黙知である実践知が伝達される.さらに,この行為は,戦略をビジョンの実現に向かうための道筋ないし変化のプロセスとして捉えたときに,その戦略に関係する人々の行為とその相互作用を描き出そうとする,“実践のための戦略(strategyaspractice)”(Johnson,Langley,Melin,&Whittington,2007)の研究パースペクティブにもとづいているとも言えよう.ナラティブ・アプローチの実践を伴う変化のプロ

セスは,戦略としての意味合いを合わせ持つが,それが実践のコツとして提示されることで,組織内外により明確に理解され,新たな実践を誘発する.さらに,この行為によって当該実践の社会的意義が認知され,関心を持たれ続けることにつながり,その結果として,当該実践それ自体の継続性や発展性に不可欠なネットワーキングの維持とその強化につながることが期待できる.

富山大学での障害学生支援における実践では,大学内はもちろんのこと,他の大学で支援に携わっている教職員や,大学進学を意識した支援を行っている初等・中等教育の関係者,就職支援や企業内支援者に対しても,ナラティブ・アプローチによって実践者が生み出した変化とそのプロセスを実践のコツとして発信していた.受信者がそのコツを自身の支援実践に導入してみたいと考えたときに,その現場に即してその意義が解釈され,その活用可能性が検討される.その検討を通じて,新たなナラティブが共同構成されることが誘発されるのである.富山大学では,他大学の障害学生支援担当者からの視察受け入れを積極的に行ったが,われわれは,その中で他大学の支援担当者との対話を幾度も経験した.その場では,富山大学の障害学生支援の実践で得られた支援のコツが提示されたが,付随して,そのコツが視察者の現実に具体的にどのように役立てることができるか,また,その活用可能性から富山大学の支援者は何を学ぶことができるか,についての対話を行うことができた.このような対話が,当該実践の中でナラティブを引き出す行為へとつながるという意味において,これまで述べてきた共同構成プロセスは創発的循環プロセスとして捉えることができよう.

Ⅲ.ナラティブ・アプローチの実践現場において組織論研究者が果たす役割

これまでわれわれは,われわれが経験したナラティブ・アプローチの実践現場で何が行われていたか,についての論考を重ねてきた.本節では,これらの論考を土台として,その実践現場に関わ

Page 9: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

12  組織科学 Vol.51No.1

る組織論研究者の役割について,以下の 3 つの可能性を提示する.1)多様なナラティブを引き出す装置になること,2)ナラティブ・アプローチ実践のウィットネスになること,3)ナラティブ・アプローチの実践プロセスを管理し,良い実践をすること.組織論研究者がこれらの役割を全て兼ね備える必要があるというわけではない.実践現場の関わり方や,どの程度まで深く関わり,実践で得られる成果に責任を持つかによって,どの役割が求められるかは変わってくるからである.

1.多様なナラティブを引き出す装置になること

前述の通り,組織的な行為を通じて現実のより良い変化をもたらすナラティブを関係者間で共同構成するためには,それに先立って多様なナラティブを引き出す必要があるが,組織論研究者はその装置としての役割を担うことができるであろう.具体的には,観察者としての立場としてフィールドノーツ(Emerson,Fretz,&Shaw,1995)をつけることで,日々の実践の中で引き出され,共有されたナラティブを効率的に記録することができる.また,必要に応じて関係者にまとまったインタビュー調査を実施し,その時点でのナラティブを収集することもできる.その際には,相互行為の一環としてインタビュー調査を捉える態度

(やまだ,2007)や,実践者と共同でより良い未来を生み出そうとする態度(吉永,2011b),調査 の 場 で の「 違 い と つ な が り を 探 求 す る 」

(Launer,2002,訳書 p.39)こと等のナラティブを共同構成するための技法(Launer,2002)が不可欠である.

このような組織論研究者の,多様なナラティブを引き出す装置としての役割は,実践現場への関わり方によっては,実践者としてではなく,実践者との合意にもとづいて観察者に特化することで果たすこともできるであろう.その場合には,研究者は,この役割の意義を現場に関わる実践者全員に十分に説明し,理解を得ることに努めることが必要である.

2.ナラティブ・アプローチ実践のウィットネスになること

ウィットネス(witness:立会人)とは,ナラティブ・アプローチの実践現場において,今,ここで起こっているこのプロセス全体と,そのプロセスに関わっている人全員に満遍なく注意を払っている存在である.ウィットネスは,ナラティブ・アプローチの実践プロセスに対して常に肯定的に関心を寄せており,そのプロセスに関わる人全員に対して,承認や肯定的な意味づけへの援助

(helping)を通じて元気づけている.ウィットネスは本質的には観照者であるとともに応答者であり,能動的な介入者とは違った役割を担う.

前述した多様なナラティブを引き出す装置としての役割との比較で言えば,この役割は組織論研究者が実践者と観察者の立場を同時に持つことでよりその意義が増すように思われるが,必ずしも実践者の立場でなければその役割を果たすことはできないというわけではない.具体的には,コンサルタントや,スーパーバイザーの立場としての関わりが想定される.この役割の導入によって,組織論研究者が組織開発の研究を実践者との協働によって遂行しようとするときに,介入ありきではなく,実践者にとって受容可能で,かつ研究者にとってもより自然な形で現場に関わるという方法論上の選択肢が生まれるのではないだろうか.

3.ナラティブ・アプローチの実践プロセスを管理し,良い実践をすること

最後に提示する役割は,前述した 2 つの役割とは違い,組織論研究者が観察者としての立場を内包した実践者であることを前提にしている.ナラティブ・アプローチの実践についての深い理解を持つ組織論研究者は,今,ここで何をやるべきで,何をやるべきではないかについて,他の実践者と一緒に試行錯誤しながら実践することができるであろう.われわれの経験にもとづけば,組織論研究者の持つ理論的基盤に裏打ちされた実践的知識の活用によって,1)ナラティブを引き出すための適切な場を設定すること,2)新たに共同構成されたナラティブを実践に組み込んで変化を

Page 10: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  13

生み出すこと,の 2 つの行為がスムーズに行われるためのマネジメントに貢献することができる.組織的なナラティブ・アプローチの実践のマネジメントを行うために,組織論研究者の持つ理論的基盤として有効なものとして,効果的なチームワーク(West,2012)や組織デザインにおける垂直構造と水平構造との効果的なバランスのとり方

(Daft,2016)がある.チームワークは,「チーム全体の目標達成に必

要な協働作業を支え,促進するためにメンバー間で交わされる対人的相互作用」(山口,2008,p.29)のことであり,かつ,その対人的相互作用の背景にある集団凝集性,モラール,規範,共有メンタル・モデル,集団同一視,コミットメント等も含む概念(山口,2008)である.組織論研究者は,チームワークについての概念やその構成要素としての諸概念およびそれらの関係性についての知識を持ち合わせており,それらの知識の活用が,組織的なナラティブ・アプローチの実践プロセスのマネジメントに資する可能性が高い.また,効果的なチームワークについての理解にもとづき,実践現場において効果的にリーダーシップが発揮されているかどうか,モニタリングとフィードバックが適切に行われているかどうか,それぞれの役割に対する共通理解を促進しているか,効率良く徹底的なコミュニケーションをとっているか,全てのメンバーが支援的であるか(West,2012),といった観点からのマネジメントがスムーズに行えるようになる.

加えて,組織論研究者は,自らの知識を活かして,組織的なナラティブ・アプローチの実践におけるリーダーとフォロワーとの関係性や,“ホウレンソウ”といった組織コミュニケーションの経路,情報通信技術(ICT)を活用したナラティブ共有の仕組みを適切にデザインするとともに,その実践に伴って生じるコンフリクトを早期に発見し,取り除くことができる.その上で,ナラティブ・アプローチの実践現場に固有であって,かつ既存の組織論では説明できない現象を発見し,その解明とマネジメント手法の発見に全力を注ぐことができるだろう.

その一方で,組織論研究者は,既存の理論や枠組みを安易に実践現場に当てはめてしまう危険性についても十分に考慮する必要がある.現場での不確実性と,理論や科学がもたらす“完璧なものへの志向性”との衝突をどのようにマネジメントしていくかの視点が重要である.われわれの実践でも意識していた「二項対立を超える」(吉永・斎藤,2010,p.88)こと,すなわち,理論同士の対立,理論と実践の対立,実践と実践の対立をどのように乗り越えるかについて,実践者としての組織論研究者は常に問い続けなければならない.理論を応用することには創造性が求められる

(Hatch&Cunliffe,2013)が,実践それ自体に向き合おうとする組織論研究者には,理論を応用しようとすることへの創造性の発揮が真摯に求められるのではないだろうか.ナラティブ・アプローチの実践の観点で言えば,組織論研究者は,理論を実践現場の中で語り直すことで,研究者自身がその理論の前提に気づき,その前提を変えることで理論を発展させようとする取り組みを意識する必要があると思われる.そのためには,語り直し合える関係性を実践の場に組み込むという点において,複数の組織論研究者がチームとして実践現場に関わることに対して新たな意味を見出すことができるかもしれない.

Ⅳ.結論と今後に向けた研究の課題

本稿では,1)ナラティブ・アプローチの実践現場では実際に何が行われていたのか,2)ナラティブ・アプローチの実践現場において組織論研究者が果たすことができる役割とは何か,の 2 つのリサーチ・クエスチョンにもとづいて,富山大学での障害学生支援の現場でのナラティブ・アプローチの実践について振り返りを行った.その結果,ナラティブ・アプローチの実践現場では,1)ナラティブを引き出す,2)提示されたナラティブをながめて,すり合わせて,現実のより良い変化をもたらすナラティブを共同構成する,3)共同構成された新たなナラティブにもとづいて変化を生み出す,4)生み出した変化とそのプロセス

Page 11: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

14  組織科学 Vol.51No.1

を実践のコツとして組織内外で物語る,の 4 つの段階から構成される創発的循環プロセスがあることを明らかにした.加えて,その実践現場における組織論研究者の役割として,1)多様なナラティブを引き出す装置になること,2)ナラティブ・アプローチの実践のウィットネスになること,3)ナラティブ・アプローチの実践プロセスを管理し,良い実践をすること,の 3 つがあることを提示した.

今後のナラティブ・アプローチの実践についての組織論研究の課題として,以下の 2 つが挙げられる.まず,ナラティブ・アプローチの実践に伴う諸問題について,組織論の観点からの整理とその検討が必要である.例えば,実践者のバーンアウト(燃え尽き)防止のためのマネジメントは実際にはどのように行われるのであろうか.実践者が認知して関わるナラティブの数に歯止めがきかなくなってしまうことや,努力が報われないナラティブが積みあがっていくことに対してどのように防止すればよいのだろうか.2 つ目として,ナラティブ・アプローチの実践を研究対象とすることは,今後の組織論研究の発展にとってどのような意義を持つのだろうか.近年において,不確実性の中からイノベーションを実現することに最適化された組織デザインとして,Holacracy(Rob-ertson,2015)のように垂直構造を持たない組織形態が考案され,実践されつつある.われわれは,富山大学での障害学生支援の実践において,イノベーション志向にもとづき垂直構造を極力排した組織デザインを試みたが(吉永・斎藤,2010),イノベーションを実現するために垂直構造を取り除こうとすることと,ナラティブ・アプローチを実践することとの関連性については,十分に解明されているとは言えない.組織論研究者は,ナラティブ・アプローチの実践に適しており,かつ従来にない新たな組織デザインを提案することができるのだろうか.また,その実践についての研究を通じて,リーダーシップやフォロワーシップについての新たな知見を生み出すことができるのだろうか.さらに言えば,ダイバーシティ・マネジメントに対して,近年の研究動向(谷

口,2016)を踏まえてどのような貢献可能性があるのだろうか.今後の研究を通じて,これらの問いに対する答えを明らかにしていくことが求められる.

謝辞本稿の執筆にあたり,高尾義明先生,宇田川元一先生,

間嶋崇先生,西村優紀美先生にご助言いただきました.この場を借りて感謝いたします.

参考文献Bohm,D.(Nichol,L.Ed.) (1996).Ondialogue.NewYork,USA:

Routledge(金井真弓訳『ダイアローグ:対立から共生へ,議論から対話へ』東京:英治出版,2007).

Daft,R.L.(2016).Organizationtheory&design(12thed.).Bos-ton,USA:CengageLearning.

Emerson,R.M.,Fretz,R.I.,&Shaw,L.L.(1995).Writingeth-nographic fieldnotes.Chicago,USA:UniversityofChicagoPress(佐藤郁哉・好井裕明・山田富秋訳『方法としてのフィールドノート:現地取材から物語作成まで』東京:新曜社,1998).

Good,B.J.(1994).Medicine,rationality,andexperience:Anan-thropologicalperspective.NewYork,USA:CambridgeUni-versityPress(江口重幸・五木田紳・下地明友・大月康義・三脇康生訳『医療・合理性・経験:バイロン・グッドの医療人類学講義』東京:誠信書房,2001).

Hatch,M.J.,&Cunliffe,A.L.(2013).Organizationtheory:mod-ern, symbolicandpostmodernperspectives (3rded.).Ox-ford,UK:OxfordUniversityPress(大月博司・日野健太・山口善昭訳『Hatch 組織論:3 つのパースペクティブ』東京:同文舘出版,2017).

Hersted,L.,&Gergen,K.J.(2013).Relationalleading:Practicesfordialogicallybasedcollaboration.ChagrinFalls,USA:TaosInstitutePublications(伊藤守監訳,二宮美樹訳『ダイアローグ・マネジメント:対話が生み出す強い組織』東京:ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015).

Johnson,G.,Langley,A.,Melin,L.,&Whittington,R. (2007).Strategy as practice:Researchdirections and resources.Cambridge,UK:CambridgeUniversityPress(高橋正泰監訳,宇田川元一・高井俊次・間嶋崇・歌代豊訳『実践としての戦略:新たなパースペクティブの展開』東京:文眞堂,2012).

Launer, J. (2002).Narrative-basedprimary care:Apracticalguide.Oxon,UK:RadcliffeMedicalPress(山本和利監訳,大中俊宏・大西幸代・岡本拓也・川端秀伸・川本龍一・高原完祐・濱口杉大・宮田靖志・村上晃司・森崎龍郎・八木田一雄訳『ナラティブ・ベイスト・プライマリケア:実践ガイド』東京:診断と治療社,2005).

西村優紀美(2010).「ナラティブ・アセスメント」斎藤清二・西村優紀美・吉永崇史『発達障害大学生支援への挑戦:ナラティブ・アプローチとナレッジ・マネジメント』(pp.44-67).東京:金剛出版.

Page 12: 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践組織学 V 51 No. 1 : 4-15(2017) 4 特集/現場の実践に関わることの意味 組織の中でのナラティブ・アプローチの実践

組織の中でのナラティブ・アプローチの実践  15

Nonaka,I.,&Takeuchi,H.(1995).Theknowledgecreatingcom-pany:HowJapanesecompaniescreatethedynamicsofin-novation.NewYork,USA:OxfordUniversityPress(梅本勝博訳『知識創造企業』東京:東洋経済新報社,1996).

Nonaka,I.,&Toyama,R.(2005).Thetheoryoftheknowledge-creating firm:Subjectivity,objectivityandsynthesis. In-dustrialandCorporateChange,14(3),419-436.

野中郁次郎・遠山亮子・平田透(2010).『流れを経営する:持続的イノベーション企業の動態理論』東京:東洋経済新報社.

Robertson,B.J.(2015).Holacracy:Thenewmanagementsystemforarapidlychangingworld.NewYork,USA:HenryHoltandCompany(瀧下哉代訳『HOLACRACY:役職をなくし生産性を上げるまったく新しい組織マネジメント』東京:PHP 研究所,2016).

斎藤清二(2010).「コミュニケーション支援とナラティブ・アプローチ」斎藤清二・西村優紀美・吉永崇史『発達障害大学生支援への挑戦:ナラティブ・アプローチとナレッジ・マネジメント』(pp.17-43).東京:金剛出版.

斎藤清二・岸本寛史(2003).『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』東京:金剛出版.

Schein,E.H.(2010).Organizationalcultureandleadership(4thed.).SanFrancisco,USA:JohnWiley&Sons(梅津祐良・横山哲夫訳『組織文化とリーダーシップ』東京:白桃書房,2012).

谷口真美(2016).「多様性とリーダーシップ:曖昧で複雑な現象の捉え方」『組織科学』50(1),4-24.

宇田川元一(2015).「生成する組織の研究:流転・連鎖・媒介

する組織パースペクティヴの可能性」『組織科学』49(2),15-28.

West,M.A. (2012).Effectiveteamwork:Practical lessonsfromorganizational research (3rded.).WestSussex,UK:JohnWiley&Sons(下山晴彦監修,高橋美保訳『チームワークの心理学:エビデンスに基づいた実践へのヒント』東京:東京大学出版会,2014).

やまだようこ(2007).「ナラティブ研究」やまだようこ(編著)『質的心理学の方法:語りをきく』(pp.54-71).東京:新曜社.

山口裕幸(2008).『チームワークの心理学:よりよい集団づくりをめざして(セレクション社会心理学―24)』東京:サイエンス社.

吉永崇史(2011a).「富山大学における自閉症スペクトラム障害学生支援」『精神療法』37(2),188-193.

吉永崇史(2011b).「経営組織論における質的研究とその意義」『質的心理学フォーラム』3,73-83.

吉永崇史・西村優紀美(2010).「チーム支援を通じた合理的配慮の探究」斎藤清二・西村優紀美・吉永崇史『発達障害大学生支援への挑戦:ナラティブ・アプローチとナレッジ・マネジメント』(pp.109-139).東京:金剛出版.

吉永崇史・斎藤清二(2010).「システム構築と運営のためのナレッジ・マネジメント」斎藤清二・西村優紀美・吉永崇史

『発達障害大学生支援への挑戦:ナラティブ・アプローチとナレッジ・マネジメント』(pp.68-108).東京:金剛出版.

吉永崇史・斎藤清二・西村優紀美(2012).「発達障害学生を支援する組織のマネジメント:富山大学におけるアクション・リサーチ」『CAMPUSHEALTH』49(3),27-32.