福祉国家縮減期における福祉政治とその - chiba...

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283 【研究ノート】 福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角 早稲田大学大学院政治学研究科   西岡 晋 はじめに 本稿は、ポール・ピアソン(Paul Pierson)による「新しい福祉政治」論 内容と縮減期の福祉国家を対象とした政治分析の諸論考を検討し、近年におけ る福祉政治研究の展開を概観するとともに、その理論的課題を探ろうとするも のである。 ピアソンは、新自由主義的改革による福祉削減が目指された 1980 年代にお ける、英米の福祉政治過程を実証的に解明し、それまでの一般論とは異なり、 現実には福祉削減政策はそれほど成功せず、総じていえば福祉国家は後退して いないと論じた。加えて、80 年代以降の福祉縮減期の政治は、拡大期のそれ とは異なる特質があり、権力資源論をはじめとする旧来の福祉国家論に異議を 唱え、「新しい福祉政治」論を展開した。 その後、ピアソンの主張について、賛否両論が提起され議論が発展していく なかで、福祉国家研究、とくにその政治的要素に着目する福祉政治研究は新た な地平へと射程を広げ、理論的深化を遂げている。しかしながら、ピアソンの「新 しい福祉政治」論とそれをふまえた先行研究について、概括しつつ理論的考察 を加えたものは依然として少ないように思われる 2 「新しい福祉政治」という言葉を用いる理由は、注記 3 を参照されたい。 「新しい福祉政治」論とそれ以後の福祉政治研究にかんするレビューとしては、た とえば、Green-Pedersen 2002: ch.1 ; Green-Pedersen and Haverland 2002; 新川 2004、がある。

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【研究ノート】

福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角

早稲田大学大学院政治学研究科  

西岡 晋

はじめに

 本稿は、ポール・ピアソン(Paul Pierson)による「新しい福祉政治」論1の

内容と縮減期の福祉国家を対象とした政治分析の諸論考を検討し、近年におけ

る福祉政治研究の展開を概観するとともに、その理論的課題を探ろうとするも

のである。

 ピアソンは、新自由主義的改革による福祉削減が目指された 1980年代にお

ける、英米の福祉政治過程を実証的に解明し、それまでの一般論とは異なり、

現実には福祉削減政策はそれほど成功せず、総じていえば福祉国家は後退して

いないと論じた。加えて、80年代以降の福祉縮減期の政治は、拡大期のそれ

とは異なる特質があり、権力資源論をはじめとする旧来の福祉国家論に異議を

唱え、「新しい福祉政治」論を展開した。

 その後、ピアソンの主張について、賛否両論が提起され議論が発展していく

なかで、福祉国家研究、とくにその政治的要素に着目する福祉政治研究は新た

な地平へと射程を広げ、理論的深化を遂げている。しかしながら、ピアソンの「新

しい福祉政治」論とそれをふまえた先行研究について、概括しつつ理論的考察

を加えたものは依然として少ないように思われる2。1 「新しい福祉政治」という言葉を用いる理由は、注記 3を参照されたい。2 「新しい福祉政治」論とそれ以後の福祉政治研究にかんするレビューとしては、たとえば、Green-Pedersen 2002: ch.1 ; Green-Pedersen and Haverland 2002; 新川2004、がある。

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福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角

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 そこで本稿では、まず、ピアソンが提出した「新しい福祉政治」論を通覧

してその内容を把握する。つぎに、ピアソンによる問題提起をうけて、その後、

支持と反対の両側からさまざまな研究成果が明らかにされているので、それら

について概説、整理する。以上をふまえて「新しい福祉政治」論に内包される

諸課題を抽出し、今後の研究の方向性を示唆することが本稿の目的である。

1.福祉国家縮減期の「新しい政治」

1.1  「危機」下における福祉国家の弾力性

 国際経済環境の変化、高度経済成長の終焉、家族構造の変化などを背景に、

1970年代を転機として、福祉国家は危機の時代を迎えたといわれる。第二次

世界大戦後から 70年代初期までが「栄光の 30年」であったのに対して、そ

れ以降、現在までの時期は、福祉国家にとっての「危機の 30年」と呼ぶこと

ができるだろう(新川 2004:13f.)。「危機の 30年」においては、福祉縮減が

福祉国家政治の主題となり、福祉国家の形成・拡大期とは異なる様相が観察さ

れる。

 こうした、80年代以後の福祉国家を特徴づける、縮減期の福祉政治につい

ての本格的な研究を発展させる端緒となったのは、アメリカの政治学者ポー

ル・ピアソンによる一連の論考であった。ピアソンは 1994年に『福祉国家の

解体?(Dismantling the Welfare State?)』を刊行(Pierson 1994)、2年後

の 96年には『ワールド・ポリティクス(World Politics)』誌上に「福祉国家

の新しい政治(The New Politics of the Welfare State)」と題する論文を発表

して(Pierson 1996)、その後の福祉政治研究の方向性を決定づけた。

 ピアソンの主張は複数の点にわたっており、ときにそれらは散逸しあるいは

相互に矛盾するような部分も見受けられるが、大きくは二つの部分がその核を

なしている。一つは、福祉国家の大きな後退は基本的には起きていないという

こと、もう一つは、縮減期の福祉国家における福祉政治は拡大期に見られたそ

れとは異なるということである。

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 1970年代、左右両派から福祉国家危機論が提出され、福祉国家は早晩ゆき

づまり解体の危機に瀕するというのがイデオロギーの違いを超えた共通の認識

であった(ピアソン 1996、Moran 1988)。とくに、「強い国家」と「自由な経

済」の回復を求め、社会保障制度の縮減、規制緩和、民営化などを柱とする「小

さな政府」論を展開したニュー・ライトの主張は、イギリスやアメリカを中心

に広く受容された。イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領は

ニュー・ライトの思想を政策の論拠として、そのアイディアを具体化するため

に福祉削減策を計画し実行しようとした。果たして、それらの福祉削減策は実

行に移され、福祉国家は大きく後退したのであろうか。

 この設問に対してピアソンは、実際には福祉削減はそれほど進まなかったこ

とを実証研究によって明らかにした。1994年の著作では、80年代の英米両国

における複数の社会保障政策領域の展開について事例研究を行った(Pierson

1994)。分析の対象となったのは主として年金、住宅、所得保障の三つの政策

領域であるが、医療、障害・疾病給付の各政策についても若干の分析を施し

ている。アメリカではこのうち、低所得者層向け住宅にかんする政策において、

補助金削減、バウチャー制度の導入などにより大幅な縮減が見られたものの、

他の政策領域ではそのような事態にはいたらなかった。他方、サッチャー政権

下のイギリスに目を転じると、公的年金の縮小化が成功した年金政策と公営住

宅の売却が進められた住宅政策では新自由主義的な改革がある程度成功したも

のの、やはり医療や所得保障などその他の政策分野においては縮減はそれほど

行われていない。一般的には、レーガン、サッチャー両首脳のもとで、80年

代の英米では福祉国家の縮減が進められたと考えられていたのに対して、ピア

ソンはそうした認識は誤りであり、福祉反動のなかにあっても福祉国家が意外

なほどの弾力性を示したことを実証的に明らかにしたのである。

 ピアソンは 94年の著作では英米両国を研究対象としていたが、96年に発表

された論文では、その両国にスウェーデンとドイツを加えて、定量的および

定性的に、また 80年代から 90年代初頭にまで時期を拡大して分析している

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(Pierson 1996)。イギリス、アメリカ、ドイツ、スウェーデン各国の統計デー

タ、具体的には GDPに占める社会支出・政府支出の割合、全雇用者に占める

公務員の比率、さらには年金や家族手当、疾病給付など各社会保障制度におけ

る支出増減の傾向、これら各種のデータは、いずれの国においても福祉の後退

はほとんど起きておらず、逆にその「継続性と安定性は驚くほど高い」ことを

示している(Pierson 1996: 159)。

 こうした統計データによる検証に加えて、各国の福祉政策過程の定性的な事

例研究も行っている。イギリスやアメリカと同様にドイツとスウェーデンにお

いても、福祉国家の後退は見られなかった。ドイツでは人口の高齢化や財政危

機を背景として、年金や医療など社会保障制度の改革が発案され、給付削減策

などが模索されたものの、政策過程におけるコーポラティズムの伝統と連邦制

を基盤とする分権的政治体制が一因となって、抜本的な改革は実現にはいたら

なかった(Pierson 1996: 166-170)。

 福祉国家あるいは社会民主主義モデル最大の成功例として知られるスウェー

デンにおいても、90年代に入り経済の停滞と失業の増大に悩まされるように

なり、社会保障制度の縮減が論じられるようになったが、やはりここでも福

祉国家の構造的変化の徴候は見られない。年金制度改革の例に見られるよう

に、今もなお国民から高い支持をうけている普遍主義的な社会保障制度をなる

べく維持する形で、危機に対処しようとしている。すなわち、福祉政策の面で

はスウェーデン・モデルを掘り崩すような大きな変化は起きていないとされる

(Pierson 1996: 170-173)。

1.2 「新しい福祉政治」の特質

 前節で見たように、確かに定量的にも定性的にも福祉国家の「強さ」が析出

されたわけだが、それでは、なぜ福祉国家は当初予測されていたほどには後退

せず、弾力性を保ったのだろうか。ピアソンは、第一世代の福祉国家研究に見

られた経済的あるいは社会的な要因論はもとより、その後広く流通するにい

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たった政治的要因論、それらのなかでもとりわけ通説的な位置を占めている権

力資源論においても同様に、それらが福祉国家の形成および発展を説明するた

めの分析枠組みであり、反対に福祉の縮減が主題となった 80年代以後の福祉

政治については、的確にとらえることはできないと言明する。縮減期の福祉政

治には、「福祉国家の新しい政治(the new politics of the welfare state)」3と

でもいうべき、新たな論理と構造が見られるのだという。すなわち、「第一に

政策形成者の政治的目標0 0

が異なる。第二には政治的コンテクスト0 0 0 0 0 0

に劇的な変

化が見られる」という点で(Pierson 1996: 144〔傍点部は原文イタリック〕)、

福祉縮減期の政治は福祉拡大期の政治とは異なるというのが、ピアソンの提起

した二つめの論点である。

 とくにピアソンが反論の対象としたのは権力資源論であった。権力資源論

の基本仮説は端的にいえば、「組織労働が強く、社会民主主義的政党が政権に

あるところでは、普遍主義的な福祉国家が発展する」というものである(新川

2004:25;cf. Korpi 1980, 1983; 渡辺 1996a、1996b)。すなわち、労組と社

民政党からなる左派勢力の強弱が、福祉国家の動向を探るのにもっとも重要な

要素とされる。しかし 1980年代、労働組合の組織率は低下し社民政党も政権

から離脱するケースが目立った。権力資源論の視角からは、福祉国家を支える

左派勢力の基盤が掘り崩されれば当然ながら福祉政策の縮小がひきおこされる

ことが予想される。ところが実際には、ピアソンが明らかにしたように福祉国

3 ピアソンの表現「the new politics of the welfare state」をそのまま訳せば「福祉国家の新しい政治」になるが、日本語にすると冗長な感じを与えてしまう。そこで本稿では、これを「新しい福祉政治」といいかえている。「国家」の二文字が抜け落ちているが、単純に日本語としての語感を優先させた結果であり、それ以外の含意はこめられていない。宮本太郎はこれと同じ「新しい福祉政治」という言葉を、福祉供給体制における公私混合形態、福祉多元主義の台頭や、EUレベルでの社会政策の形成などに見られる福祉政策のトランス・ナショナル次元への拡張をも含めて用いている(宮本 1999:47注記 8)。これらの議論の重要性を軽視するものではないが、本稿ではもっぱら、ピアソンの福祉政治論をめぐる諸論を検討し、それらの理論的課題を検討することに焦点を絞っているので、宮本のいう「政治空間の拡大」については論じていない。

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家の構造的変化は生じなかった(Pierson 1996: 150)。権力資源論ではその「謎」

を説明できないのである。

 ピアソンは謎を解く鍵を「政策フィードバック」に求めている(Pierson

1992,1993,1994,1996)。エスピン・アンデルセンが福祉国家制度を、あるい

はまた歴史的新制度論が諸制度を、独立変数としてとらえ直すことで新たな知

見をえたのと同じように、ピアソンは公共政策を独立変数に見立てて考察する

ことの重要性を示唆する。「公共政策は政治過程の単なる帰結というだけでは

なく、しばしば社会的、経済的、政治的諸条件を劇的なしかたで作り変えるこ

とで、政治過程の重要な要因にもなっている」という認識をもつことが、縮減

期の福祉政治を理解する第一歩となる(Pierson 1994: 39-40)。

 福祉削減が予想よりも進展しなかった理由を考えてみると、権力資源論の

視角では左派勢力の抵抗に主要な要因があるととらえられる。しかし実際には、

労働組合を中心に左派勢力が弱体化している現状を考慮すれば、むしろ鍵を握

るのは社会保障制度が発展してきたことによって生み出されてきた受益者の集

団、ネットワークである。彼らは福祉削減に反対するので、堅固な政策ネット

ワークの存在が既存制度の変更を困難にさせる。

 アメリカの全米退職者協会のように明確な形で利益集団化されている場合も

あるが、社会保障制度が国民の多数をその受給対象者として網羅している現代

福祉国家においては、その動向は関連の利益集団だけでなく一般有権者も関心

をもつアジェンダである。福祉国家発展期においては、福祉政策の拡大は有権

者から支持されるがゆえに、政治家にとっては「手柄争い」の様相を帯びる。

これとは反対に、福祉削減は有権者からの批判が容易に予想されるために、む

しろ政治家が自らの責任をいかに回避するか、すなわち「非難回避の政治」が

縮減期の福祉政治を特徴づける(Pierson 1994: 17-18, 1996: 144-147)。政治

的目標が従来とは異なるのである。

 ただし責任の曖昧化、政策に反対する諸集団の分断、代替的施策の実施によ

る補償、といった非難回避戦略が成功する場合もあるが、いずれも限界がある。

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政治家にとって選挙が何よりも大きな関心事であり、その第一義的な行動基準

が当選可能性の如何に求められるとするならば、落選の危険性が大きいために

福祉削減策を提案し実行するのは非常に難しい(Pierson 1994: 17-26, 1996:

144-147)。

 また他面において、公共政策は国民一般のみならず、政策担当者、官僚の思

考や行動にも影響を及ぼし、政策代替案の形成・選択を左右する大きな要因と

もなる。すなわち「従前の政策選択はまた、政府の新しい政策案の実現可能性

に影響を与えることで、利用可能な代替案の幅を狭めたり広げたりもする」と

いう側面があることにも、私たちは注意する必要がある(Pierson 1992: 364)。

既存制度の改革には大きなコストが発生するために、政策変化は漸変的なもの

にとどまる傾向が見られる。年金制度改革において、既存の賦課方式から積立

方式への移行が政策アイディアとしては流布しているにもかかわらず実現例が

少ないのは、その一例である(Myles and Pierson 2001)。

 このように、すでに存在する政策自体がもつ制約と、政策の結果形成された

受益者層からの抵抗が主要な障害となって、政策変化は相当程度まで抑制され

る。このことを、ピアソンは政策構造がもつ「ロック・イン効果」と呼んでい

る(Pierson 1992: 365-366, 1994: 42f.)。公共政策もまた、独立変数として社

会的効果を発揮しているわけである。

 政策は変化するよりも維持される傾向が強く見られ、それゆえにこそ、まれ

に起こる政策変化に研究者の関心は集中し、その過程と要因を探求することが

政策過程研究における主要な研究課題ともなった。しかし他方で、逆に、なぜ

政策は維持されやすいのか、その不変性について説明する理論の開発、展開の

ための作業は手薄になっていた印象は否めない。その点で、政策の不変的ある

いは漸変的性質を理論的に説明するピアソンの「政策フィードバック」という

論理はきわめて重要な知見であったといえるだろう。

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2.福祉国家の持続説と後退説

2.1 福祉国家持続説

 ピアソンが「新しい福祉政治」論を提起すると、それにかんするさまざまな

議論が巻き起こった。その主要な論点は二つあり、一つは福祉国家の後退は起

きているかどうか、もう一つは「古い政治」論は無効かどうか、という点であ

る(cf. 新川 2004)。

 ピアソンの「新しい福祉政治」論における第一の主張は、福祉国家の後退

は少なくとも当初予測されたほどには起きていないということである。それに

同意するスティーブンスらは、GDPに占める社会支出の割合、年金や医療関

連支出の対 GDP比率といった定量的データに加え、社会民主主義、自由主義、

保守主義の各レジームを代表する諸国の定性的事例研究を行った上で、1980

年代以後も総じていえば福祉国家の後退が起きているとはいえないと結論づけ

ている。また政権党派性による差異も 70年代に入るとすでに薄れはじめ、80

年代以降ではほとんど消えつつあるという(Stephens, Huber, and Ray 1999;

Huber and Stephens 2001)。

 代表的な福祉国家研究者の一人として知られるキャッスルズも、福祉国家持

続説を支持する。その研究はOECD加盟の 21カ国を網羅しつつ、とくにグロー

バル化の影響が顕著となり「底辺への競争(a race to the bottom)」が懸念さ

れる 1990年代後半までも分析の対象としており、緻密で用意周到である。主

として社会支出関連の各種統計データの解析結果から、70年代までの福祉発

展期に比べてそれ以後は支出増加率が低下しているものの、やはり「福祉の縮

減や福祉水準の低下へと向かっているという一貫した傾向を示す徴候は見られ

ない」と明言している(Castles 2004: 15)。すなわち、グローバル化と高齢

化の進行によって福祉国家の「危機」が喧伝されるなかにあっても、それら経

済的・社会的な環境変化の福祉国家への影響は、経験的実証研究によれば各国

制度の特性により異なる。したがって、福祉国家の危機が必然的に福祉削減に

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結びつき、福祉国家の解体を招くというのは、事実ではなく「神話」にすぎな

いのである(Castles 2004)。

 また、キャッスルズも言及しているとおり、とりわけ 90年代以後、経済の

グローバル化がいっそう進み、それにともなう新自由主義的改革の結果、国家

の役割は限定化されるとともに、「底辺への競争」が起きているという指摘が

ある。底辺への競争とは、「資本の可動性が高まることに対して、各国が国内

市場を資本にとって魅力あるものとするため、競い合って社会保護を最低限の

ものへと縮減する様」を指す(新川 2002:77)。70年代以来、国際経済環境

が資本の自由化、流動化の方向へ大きく変わり、一国内主義的な経済管理体制

が機能しにくくなってきた。グローバル化仮説によれば、グローバル化は、完

全雇用と経済成長の両立を目指してきた戦後福祉国家のありかたを左右する制

約要因となり、政府の政策選択の幅を狭める一方で、国内市場経済の再活性化

を目的とする新自由主義改革の構想と実行を優先させ、社会権にもとづく社会

政策の自律性を侵食しそれを経済政策へ従属化させることに結びつく可能性が

高い(cf. Jessop 2002)。

 しかしながら、グローバル化が「底辺への競争」を帰結させるという主張は、

どこまで実際にあてはまるのだろうか。ここでは、グローバル化が福祉国家へ

もたらす影響について本格的な検討をする余裕はないが、新川敏光の論稿を引

照しつつ、国家活動の基本となる租税制度の動向を概観することで、グローバ

ル化仮説の妥当性を検証しておこう(新川 2002、2003)。

 新川によれば、近年、複数の国で個人所得税や法人税の最高税率が大幅に

引き下げられてきたとはいえ、GDPに対する総税収の占める比率というデー

タから判断すると、グローバル化が小さな政府を招来するという仮説は単純

には支持されない。政府の財政規模が大きいスウェーデン、デンマーク、逆に

財政規模が小さいアメリカ、日本、両者の中間に位置するドイツ、フランスの

以上 6カ国についていえば、いずれの国においても、多少の変動はあるもの

の、総税収の対 GDP比率は 1975年と 99年の時点とを比較して減少してお

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福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角

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らず、むしろ増加している。加えて、グローバル化仮説に従えば、租税制度に

おいて、所得再分配効果が高い累進課税の直接税収入の割合を小さくする一方、

広く浅く課税し高所得者層への税負担が相対的に緩和されると想定される間接

税を拡大させることによって、強い経済の回復が図られるはずであるが、この

点でも各国がそのような方向に収斂するという単線的な傾向は見られない(新

川 2003:15-17)。

 福祉国家の持続性を明らかにしたこれらの研究結果は、ピアソンの主張を裏

づけるものだが、それとは反対に福祉国家の後退を指摘する研究もある。つぎ

に、それら福祉国家後退説をとる諸研究を概観する。

2.2 福祉国家後退説

 福祉国家持続説に対してクレイトンとポンツソンは、近年の福祉国家におい

ては縮減が起きていると反論する(Clayton and Pontusson 1998)。彼らによ

れば、ピアソンが研究対象とした政策領域は年金や所得保障などに限定されて

おり、福祉国家の全体的な動向を把握しきれていないために、誤った結論が導

き出されているという。とくに賃金格差の拡大、貧困層の増加、失業率の増大

は見逃せない問題であり、これは福祉国家後退の証左であろう。また社会保

障制度についても、障害者支援や医療保障制度などの社会サービス領域におい

て縮減傾向が見られるにもかかわらず、それらが十分に分析されずにきた。彼

らは、社会サービスの縮減といった場合、支出ベースでの削減ということと同

様に、あるいはそれ以上に、その提供主体である公共部門の削減という問題に

着目している。とくに 90年代以後、先進諸国ではその程度の差こそあれ、い

ずれにおいても、民営化、コスト削減、マネジェリアリズムの導入などを通

じた公共部門の NPM(New Public Management: 新公共管理)改革が進行中

である。政府部門の雇用者数は、ピーク時と比較してイギリスでは3割近く減

り、スウェーデンでも約 1割減少している(Clayton and Pontusson 1998: 83

Table7)。

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 また公共部門改革には、従来は集団交渉を通じた連帯主義的・平等主義的

賃金が通例であった賃金設定メカニズムを分権化させるという側面も含まれ

る。このことが公務員間の賃金格差を拡大させ、それを反映するかのように民

間部門の賃金格差も増大している。実際にイギリスにおける雇用者間の賃金格

差は 80年代以降、拡大傾向にある(Clayton and Pontusson 1998: 93-94, 95

Table10)。

 それらに加えて、ピアソンの論文と同様、イギリス、アメリカ、スウェーデ

ン、ドイツの計 4カ国の福祉政策についての事例分析も行われているが、そ

の結果から、ピアソンが縮減は起きていないとする政策領域においても、実際

にはその主張とは異なる動きが見られるという。イギリスの NHS(National

Health Service: 国民保健サービス)改革やスウェーデンでの傷病手当制度改

革などが、福祉縮減の事例としてあげられている(Clayton and Pontusson

1998: 86-88)。

 クレイトンとポンツソンの研究は、福祉国家持続説が見落としていた経済的

格差の拡大、公共部門改革を通じた社会サービス縮減という二つの局面を明ら

かにすることによって、福祉国家が後退している可能性があることを示唆した。

とくに所得不平等の拡大は多くの先進諸国で進みつつあり、資本主義下での市

場メカニズムの抑制を通じて、一定程度の経済的平等の達成を理念の一つとす

る福祉国家にとって、それは非常に大きな課題である。ピアソンらの研究は不

平等問題にはほとんど言及しておらず、その点でクレイトンとポンツソンの知

見は重要であろう(新川 2004:28-29)。しかしながら、ピアソンらが分析対

象とした社会保障制度の動向については、詳細な分析が行われているとはいい

がたい。そこでつぎに、それら社会保障制度においてもやはり後退が起きてい

るとする研究を見ておこう。

 権力資源論の主唱者であるコルピはパルメとともに、スウェーデンのストッ

クホルム大学において進められている「社会的市民権指標プログラム(SCIP:

Social Citizenship Indicator Program)」で収集されたデータを用いながら、

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福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角

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1930年から 95年までの長期にわたる、18カ国の福祉国家の動向を検証して

いる(Korpi and Palme 2003)。マーシャルは福祉国家の基本理念として社

会的市民権の確立とその制度的保障をあげていた(マーシャル/ボットモア

1993)。コルピとパルメは、マーシャルの議論を参照しつつ、疾病、労災、失

業という三つの主要な社会保険制度に焦点をあて、福祉国家のよりどころであ

る社会的市民権の制度的状況を分析している。

 社会的市民権の程度は上記三つの社会保険プログラムの現金給付における、

労働者の平均賃金水準に対する (課税および社会保険料負担後の)純置換率か

ら測定される。その分析結果によると、平均的に見れば疾病、労災、失業の

いずれの制度においても、その賃金置換率は 70年代まで上昇傾向にあったが、

75年から 80年代初めあたりを境にして低下傾向にある。ただし縮減の程度は

国ごとに差異が見られ、とくにイギリスやニュージーランドなどでピーク時と

比べた低下率が著しく大きい一方、ドイツなどではあまり縮減は進んでいない

(Korpi and Palme 2003: 434-435)。しかし全体的に見れば、やはり 80年代

以後、福祉国家は徐々に後退しつつあるように思われる。社会保障プログラム

における所得置換率の低下については、別の研究によっても指摘されている。

 アランとスクラグスは、エスピン・アンデルセンのいう福祉国家の寛容度と

脱商品化度を測定する目的で、OECD諸国の失業ならびに疾病給付の所得置

換率という指標を選択し、それを 1975年、85年、99年の三つの時点で比較

している(Allan and Scruggs 2004)。  

 彼らはその結果として、失業と疾病の両プログラムとも所得置換率は、ごく

一部の国を除いて、およそ 80年代を境にしてそれ以降は減少傾向が見られる

ことを明らかにした。とりわけ、ピアソンが福祉国家持続の根拠としたイギリ

スは、1975年時における失業給付の所得置換率は 62.5%であったが、それが

99年には 32%にまで下がっている(Allan and Scruggs 2004: 500 Table 1)。

疾病給付においても同様の傾向を示しており、福祉縮減が相当程度進んだと

いわざるをえない。それに加えて重要な指摘は、とくに失業保険プログラムで、

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75年時点と比較して 99年時点のほうが各国間の分散の幅が狭まっており、下

方的に収斂傾向が観察されるという点である。このような分析から、「1980年

代以前は〔社会保障制度の〕寛容度の拡大が見られる一方、その時期をすぎる

と後退が見受けられる」と結論づけられる(Allan and Scruggs 2004: 501)。

 「福祉国家の危機」といわれながらも実際には福祉国家の縮減は進んでおら

ず、依然として持続性を保っているという知見は、ピアソンの大きな貢献であっ

た。しかし、それを支持する論者も多いとはいえ、最近では、福祉国家の後退

を指摘する研究も増えてきている。そのどちらが妥当なのかはあらたな実証研

究を要する課題であり、ここで断定的な結論を下すことはできないが、両者の

研究戦略の特性を見ると、福祉国家持続説では、主に社会支出の GDP比など

のマクロな統計データと政策過程の事例を論証の材料とする傾向がある。そ

れに対して後退説は、疾病給付なり失業補償なり特定の社会保障制度を選択し

てデータを収集し、それを脱商品化や社会的市民権など一定の基準に照らし合

わせて解析する研究が多い。福祉国家を分析しその動向を的確にとらえるには、

脱商品化など、福祉国家の存在理由にかかわる理論的な視角からの探索が必要

である(Esping-Andersen 1990; cf. Green-Pedersen 2004)。この点では、福

祉国家後退を指摘するコルピらの研究のほうが、分析対象は狭いとはいえ、概

して、福祉国家の達成すべき目標、その理論的枠組みをふまえたうえで実証分

析を行っており、評価できる。ただし、ある制度において縮減が見られたとし

ても、福祉国家全体として見た場合にはそれは例外部分であり、「総じていえば」

後退は起きていないと主張することは可能である。したがって、持続論と後退

説の関係は対立的なのか、それとも補完しうるものなのか、さらに慎重な吟味

が必要であろう(cf. 西岡 2004)。

3.「古い政治」の有効性

3.1 政党政治

 ピアソンの二つめの主張は、縮減期の福祉国家においては、拡大期のそれと

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は異なる政治が現出するという点であった。その「新しい福祉政治」論ははた

して有効なのか、逆にいえば、政党政治や階級政治といった「古い政治」はピ

アソンのいうとおり、福祉縮減期においては重要ではないのだろうか。

 歴史的新制度論に依拠したピアソンの「新しい福祉政治」論は「制度」のも

つ働きを重視するあまり、政治家、政党、官僚といった「アクター」が福祉縮

減政治において果たしている役割の重要性を比較的軽視する傾向がある。新し

い福祉政治論は「政策制度化が重要であり、その結果非常に堅固な福祉プログ

ラムが削減方針に対して弾力性を示すという点にかんしては説得力ある主張を

行う一方、あまりに制度化された福祉国家像というものを提示し、政治的リー

ダーシップが改革過程において果たしうる役割を軽視してきた」と批判するロ

スは、「古い政治」も依然として重要であると主張する(Ross 2000a: 12)4。

 福祉削減政策は、それによってもたらされる便益は目に見えにくい一方で、

その損失は福祉受益者層にとって明らかであることから、有権者と政治家の双

方にとって不人気政策として認識されるというのが、新しい福祉政治の鍵とな

る「非難回避政治」の前提となっている。しかしながら、そうした政策が必ず

しも有権者から支持を得にくい不人気政策であるとは限らない。たとえばイギ

リスのサッチャー政権の試みでいえば、確かに失業給付や障害者手当の削減な

どには国民から反対の声が強かったものの、私的年金への加入促進と公的年金

部分の縮小を目的とした年金制度改革は、少なからぬ数の有権者がそれを支持

していた(Ross 2000b: 158)。すなわち縮減期の福祉国家において立案、形成

される政策のなかには、福祉の「削減」ということ以上にその「再建」に力点

が置かれるものもある。有権者から一定程度の支持を受ける余地があるとすれ

ば、その際には政治家もリーダーシップを発揮して、当該政策の実現に尽力し

たとしても不思議ではない。

 ただしロスは政党政治の重要性を指摘する一方で、左右の党派性と福祉改革

4 なおロスは他方において、制度が政治アクターの行動を一定程度方向づける点も重視しており、制度とアクターの相互関係に注意を払っている。

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との関係については、より慎重な見方を提示している。従来の権力資源論にお

いては、左派政党は福祉国家拡大志向であり、右派政党は福祉国家縮小志向で

あるという前提をもとにして議論が組み立てられていた。しかしその前提条件

が常に妥当するかどうかは、経験分析によって検証されるべきであり、ア・プ

リオリに所与とすることはできない。「危機の 30年」下にある現代福祉国家

においては、社会民主主義政党といえども、政府の恒常的財政難を考慮しつつ

既存の寛大な社会保障制度をある程度見直さざるを得ない「苦境」にあり、国

民の支持を調達した上での福祉改革戦略が求められている(Levy 1999)。事実、

権力資源論の前提とは裏腹に、ニュージーランドやオーストラリアでは左派政

党が福祉削減策に加え、市場志向的な政策を導入、実施した実績がある。最近

では、その評価は分かれるものの、イギリスのニュー・レイバーが新自由主義

的な政策を打ち出していることは広く知られる(Ross 2000b: 158-159)。

 政治的リーダーシップが最も発揮され、評価されるのは、こうした、予想

ではありえないことを成し遂げたときである。反福祉国家の右派政党ではなく、

本来は親福祉国家であるはずの左派政党が福祉縮減の必要性を唱えるがゆえに、

それが国民から支持を受けて非難回避に成功した上記の例は、「ニクソン訪中

仮説」という観点から説明される。ニクソン大統領がリベラルな民主党ではな

く共和党の反共主義者であったために、かえって国内の反共勢力からの批判を

抑えることに成功し中国訪問と米中関係の改善を果たせた、というところに由

来する(Ross 2000b: 162)。

 福祉縮減期における社会民主主義政党の福祉戦略の変容とその成功を理論的

に説明する上で、「ニクソン訪中仮説」は説得力に富む。しかし英米のような

二党制をもつ諸国では妥当性が高いものの、大陸欧州諸国で一般的に見られる

多党制においては単純にはあてはまらない。左派政党間での競合もありうる上

に、とくにキリスト教民主主義政党が中道政党として勢力を保っている場合、

彼らが連立政権のキャスティング・ボードを握る可能性が高く、左派政党が

単独で非難回避可能な福祉改革を実施することは難しくなるからである。した

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がって、むしろ重要なのは政権政党の連立構造、政党システムのあり方であろ

う(Green-Pedersen 2002: 29, 35-39)。グリーン・ピーダーセンは以上の観

点から、デンマークとオランダの 80年代から 90年代にかけての福祉改革を

比較分析し、オランダのように中道右派政党が要の役割を果たし左右両派間の

合意形成を可能とする政党システムにおいて、相対的に福祉削減が行われやす

いことを明らかにしている(Green-Pedersen 2001, 2002)。

 このように、一見すると左右政党間の政策上の対立は緩和され、両者の差

異は表面的にはなくなりつつあるように感じられる。欧州諸国における「第三

の道」の台頭もそのことを裏づける。しかし、左右の違いが完全に消滅してし

まったのか、といえばそうではないだろう。そもそも「ニクソン訪中」にしても、

左派政党は親福祉国家であるという既存イメージが定着しているからこそ効果

を発揮できるのであって、右派政党の政策との相違がなくなってしまえば、有

権者にとっても左派政党を積極的に支持する理由は希薄化せざるをえない。そ

の点で、かつて、政治の本質を「友と敵」の関係に内在する対立的な契機に見

出したカール・シュミットの洞察が正しいとするならば、左右のあいだにある

区別を明確化しておくことは重要である(シュミット 1970)。

 イタリアの思想家ノルベルト・ボッビオは、現代ではあたかも消滅してし

まったかのように思われている左右イデオロギー間の違いが、今もなお存在す

ると語る。すなわち、両者の袂を分かつ基準は平等に対する志向性にあり、端

的にいえば、左翼はより平等主義的であり、右翼はより非平等主義的なのであ

る(ボッビオ 1998:95、cf. 新川 2001)。そうであれば、権力資源論において

重視されていた労働組合や社会民主主義政党が果たす役割は、福祉縮減期にお

いても重要なのではないかとの仮説が立てられる。そこで次節では、それら社

会民主主義政治が今なお機能しているとする先行研究を検討する。

3.2 社会民主主義政治

 スカーバラは「新しい福祉政治」論で軽視されている、労組や左派政党な

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どの「古い政治」がもつ意味は依然として大きいと主張する。ピアソンが指摘

したような、福祉制度の発展とともに形成された受益者ネットワークが福祉

削減への抵抗力となるという事例はむしろ例外的であり、欧州の福祉諸国家に

おいては、組織労働の勢力は衰えておらず彼らが福祉削減を抑えているのであ

る。加えて、その後政権交代もあったが、90年代に入っての複数の欧州諸国

での左派政権の復活は、それが大きな政府志向の旧来型左翼とは異なり「ニク

ソン訪中」の例も見られるとはいえ、一定程度の抑止力にはなっているだろう

(Scarbrough 2000)。

 先にも言及したとおり、アランとスクラグスは失業給付と疾病給付の所得置

換率が 80年代以後低下しつつあることを指摘したが、他方で国によって変化

の度合いは異なっており、その要因を論究している。二人は政権の党派性を福

祉国家のあり方を左右する大きな要因の一つとしてとらえており、上記の二つ

の所得置換率の動向を従属変数に、政権党派性や GDP、政府の財政状態、制

度的拒否点などの指標を独立変数にとってそれらの相関を計量分析した。そ

の結果、他の諸変数を統制してもなお、政権党派性は両プログラムの所得置

換率と有意に相関しており、80年代以後の福祉縮減期では、右派政権の場合

は非右派政権に比べて削減度が高くなることを明らかにしている(Allan and

Scruggs 2004)。

 他方、コルピとパルメは既述した研究のなかで、OECD18カ国の疾病、労災、

失業の各社会保険プログラムにおける賃金置換率の減少を福祉削減としてとら

え、それとグローバル化や脱工業化などの経済的要素、政権党派性や拒否点な

どの政治的要素との相関関係を解明した。彼らの分析結果によると、依然とし

て、政党政治や階級政治といった「古い政治」は福祉国家のありようを左右す

る重要な要素の一つであるという。具体的にいえば、上記の社会保障制度が削

減される可能性は、内閣が左派政党によって構成されている場合には低く、キ

リスト教民主主義政党も左派政党と同様の機能を果たす。一方、非宗教系保守・

中道政党が政権の座にあるときには、削減可能性は相対的に高くなるという関

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福祉国家縮減期における福祉政治とその分析視角

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係が見出される(Korpi and Palme 2003: 441)。

 ピアソンの主張とは逆に「古い政治」は依然として重要であるというのが、

上記の研究から導出される知見である。とくに欧州諸国では労組や社民政党の

影響力が今もなお強く、それらピアソンが軽視した要素が福祉縮減に対する抵

抗力の源泉となっている点が諸研究によって指摘されている。確かに、福祉国

家制度のロック・イン効果が福祉縮減に対する抵抗力となっているというピア

ソンの指摘は、従来の増分主議モデルとも符合するものであり、説得的ではあ

る。しかしながら、既述の先行研究から明らかなように、政党政治や階級政治

は説明変数としてはすでに無効であると断言することはできない。少なくとも、

「新しい政治」が「古い政治」に完全に取って代わってしまったわけではない

ことは、確かであろう。とはいえ、「第三の道」に象徴されるように左派の政

治戦略自体も変容しつつある今日、二つの福祉政治論に決着をつけるには、さ

らに詳しい検討が必要である。

4.結び

 本稿では、ポール・ピアソンの「新しい福祉政治」論とその後の諸研究を検

討した。ピアソンの理論は、福祉国家拡大期ではなく、80年代以後の縮減期

を対象とした福祉政治研究としては先駆的なものであり、重要な知見をもたら

した。第一に福祉国家は「危機」下にあっても持続性を保ち後退や抜本的な変

化は見られないこと、第二にその持続を可能にしている「新しい福祉政治」が

存在していること、の二つの点である。

 第一の論点については、持続説を支持する研究と後退が起きているとする研

究がある。しかし、両者は異なるデータから異なる結論を導き出しており、双

方の結果が必ずしも対立的ではない可能性もあること、福祉国家の動向を分析・

判断するには理論的な枠組みが重要であることを本稿では示唆した。

 第二の論点にかんしては、ピアソンの主張とは反対に「古い政治」も依然

として有効であることを先行研究の検討を通じて明らかにした。加えて、第一

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の論点ともかかわってくるが、実際には福祉国家に変化が生じているとすれば、

制度の不変性を強調する「新しい福祉政治」論は修正を余儀なくされるであろ

う。この点については、ピアソンが批判した権力資源論の可能性も再考しつ

つ、福祉国家の可変的側面を解明することが、これからの課題として指摘でき

る。しかし、それらをふまえた詳しい分析は今後に委ねたい。

(付記)本稿は平成 16年度文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)の交付を受けた研究成果の一部である。

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(にしおか・すすむ)(2005年 8月 20日受理)