第74号 - 黄檗宗 霊亀山 九島院龍 灯 第74号 平成26年 2月 1日...

4
墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。 第 74 号 発行所 発行者 大阪市史跡 龍渓禅師墓所 霊亀山 〒550-0022 大阪市西区本田3丁目4番18号 ℡ 06(6583)2725 FAX 06(6583)0908 第廿五代住職 奥田啓知 (智證) ( ) 使 退 西

Upload: others

Post on 12-Jul-2020

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 第74号 - 黄檗宗 霊亀山 九島院龍 灯 第74号 平成26年 2月 1日 墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。『

龍 灯 第 74 号 平成26年 2月 1日

墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。

『お・も・て・な・し』

〜おもてなし過ぎれば只のお節介〜

第 74 号

発行所

発行者

大阪市史跡龍渓禅師墓所 霊亀山

〒550-0022 大阪市西区本田3丁目4番18号

℡ 06(6583)2725 FAX 06(6583)0908

第廿五代住職 奥 田 啓 知 (智證)

昨年末の「ユーキャン新語・流

行語大賞」の年間大賞4語の一つ

が、「お・も・て・な・し!」で

した。

20年東京オリンピック開催招

致の決め手となった滝川クリステ

ルさんがPRした「おもてなし」

という言葉が話題となり大賞に輝

いたのです。

プレゼンでは、流暢なフランス

語で、訪れる人を慈しみ見返りを

求めない深い意味があり、祖先が

ずっと受け継いできたこの心で皆

さまを温かく迎えたいと、日本の

伝統的な「おもてなし」精神を紹

介しました。

四国遍路では、巡礼者に対して

金品を無償で提供する「お接待」

たい

が現在でも広く行われています。

遍路は弘法大師そのものであり、

遍路への接待は、大師に対するも

のとなるので、すたれることなく

行われています。

接待とは、禅語の「摂待」から

きています。行脚僧に布施をする

方法の一つで、門前などに水や茶

をおいてふるまう門茶(

かどちゃ)

とも呼ばれています。転じて、寺で

食べ物などを貧者にふるまうことを

さし、今では単に客をもてなす意味

で使われています。

鎌倉時代、北条時頼が執権職を退

いたあと、身をやつして最明寺入道

と名乗り、諸国行脚の帰途、上野国

(群馬県)の佐野で雪道に困ったと

き、佐野源左衛門尉常世が一族の者

に所領を奪われて貧しいなか泊めて

やり、寒い外から来た僧のために、

大切に育てていた梅、松、桜の盆栽

を切って火にくべて、粟のお粥でも

てなした話が「もてなしの鑑(かが

み)」として能の「鉢木(はちのき)」

に伝わっています。

「おもてなし」は西洋でも、ホス

ピタリチィといい、イスラム世界で

はディヤーファといって、ともに大

切な人倫の一つとされています。

見知らぬ者や旅行者を「客」とし

て迎え、敬意をもってもてなすこと

が、神聖な宗教的義務とされていま

す。しかも、イスラム世界では「も

てなし」を受けた者は、喜んでこれ

に応じなければならない、「もてな

し」を拒んだり、少ししか食べなかっ

たりするのは、相手を侮辱したこと

になるというのです。

他人を親切にもてなす。それはい

いことですが、私たちはそれを他人

はどう思っているか常に考えねばな

りません。こちらが好意でやったこ

とでも、相手はそれを負担に感じる

ようでは小さな親切、大きなお世話

になってしまいます。

京都人は「京のぶぶ漬け」といっ

て、なかなか帰らない訪問者が辞去

しようとすると、「まあお茶漬けで

も」と引き止めます。これは外交辞

令で、真に受けてはなりません。

産経新聞のテーマ川柳に「おもて

なし」という課題で、次のような川

柳が入選していました。

『おもてなし過ぎれば只のお節介』

お互いに注意したいものですネ!

当院は、阪神なんば線で、なんばから7分です。

(1)

Page 2: 第74号 - 黄檗宗 霊亀山 九島院龍 灯 第74号 平成26年 2月 1日 墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。『

龍 灯 第 74 号 平成26年 2月 1日

墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。

波濤の夢

龍渓示寂の悲報が黄檗山に伝わ

ると隠元禅師はいたく嘆かれ、

『隠元禅師年譜』によれば、禅師

は龍渓の遺偈に和して、

と詠み、大衆(まわりの者)に

「這の漢、白浪滔天の処に向いて

一喝して便ち行く。謂っつ可し、

たちま

法の自在を得たり(龍渓は完全に

正法を体得している。融通無礙の

境地に達していると言うべきだろ

う)」と言った。

龍渓のご遺体はその日のうちに、

摂津富田にある、九島院の本寺で

ある祥雲山慶瑞寺に移され荼毘に

付された。

後水尾法皇も師の龍

渓の亡くなられたことを聞かれ嘆

き悲しまれ、内殿に祭壇を設けて

龍渓の御霊を祀られた。

だるまさん、集めてます。ご不要なだるまさん(置物など)お寺へ譲ってください。

(龍渓禅師一代記)その十四

高泉性潡が撰した『特賜正統禅

師龍谿潜公大和尚御葬塔銘』には、

法皇これを聞いて「嗟惜し、御膳

を減ずるもの数日、特に祭を内殿

に賜ふ…法皇追思已まず。嘗て内

府の金を出し…窣堵(卒塔婆・塔)

を三か所造る。一は黄檗山萬松院

の開山塔に真骨(遺骨)を埋め、

一は正明寺に肖像を、一は慶瑞寺

に衣鉢を納め、堂宇を建てた…且

つ勅して毎歳諱日に必ず正明に就

きて法事を修す」とある。

余談になるが、九島院は、昭和

四十五年四月八日に『大阪市史跡』

に指定され、山門前には「龍溪禅

師墓所」と刻んだ顕彰碑が大阪市

により建立されている。正確には

「龍溪禅師示寂地」とするべきで、

墓地は萬松院の開山塔『天光塔』

である。萬松院で真骨を埋められ

るに当たっては、隠元自ら柱杖を

もって地を画され、「茲に四衆

咸く瞻仰す、万古の功勲豈忘るべ

ことごと

けんや」との送塔の偈を作られた。

平成十二年六月十一日には、九

島院では「開山龍溪禅師水定参百

参拾忌」を記念して、京都大仏師

松本明慶師に依頼、正明寺の開山

像を模刻し、本堂に奉安している。

現在龍渓の開山祥忌は、江州巻

(滋賀県内の萬松派)が春彼岸に正

明寺で、摂津巻(大阪府内の萬松派)

が秋彼岸に慶瑞寺で、五月二十三日

には、両方の萬松派の和尚が塔頭萬

松院に集まり毎年厳修している。

黄檗僧もまた、龍渓の遷化を悲嘆・

哀惜し、前述の隠元の偈をはじめ、

遺偈の次韻、輓詩・輓文が数多く寄

せられ慶瑞寺に納められている。

高泉は先の『塔銘』のなかで、

「禅師はすでに遷化されたので、そ

れを今更悲しみ痛むのではない。悲

しむのは当然であるが、禅師はすで

に生死を解脱し、仏法を覚っておら

れる。では何故悲嘆するのかといえ

ば、禅師が亡くなられたので法門が

振るわなくなるであろうからである。

禅師がおられることは,網が綱から

なっており衣に領があるようなもの

だ。今綱と領が失われたとすれば網

や衣はその用をなさなくなる。これ

を悲痛せずにおられるであろうか」

と龍渓の遷化を惜しんだ。

寛文庚戌十(一六七○)年八月二

十三日に遷化した龍渓は、春秋を歴

ること六十九、法臘五十三年であっ

た。同日難波の地を襲った大津波の

波濤の先に龍渓は何を見たのか、…

顧みると、龍渓の一生は波瀾万丈

であった。東寺を出発点とするも、

禅門に転じ臨済宗の僧となる。参禅

辨道・晝三夜三己躬下の事を究明

ちゅう

きゅう

し、妙心寺住持という禅界の最高の

地位まで登られた。

一方、紫衣事件では師匠伯蒲和

尚を補佐して江戸に下り幕府との

斡旋、師匠遷化で妙心寺では孤立

奮闘。また隠元の妙心寺招請を通

しての臨済宗、ひいては仏法の興

隆をめざすも頓挫。

隠元招請運動の同志たちとは離

別。妙心寺から僧籍を剥奪され一

行脚の僧となっても、高齢に鞭打

ち江戸往復すること二十八回、艱

難辛苦の末に京都宇治に黄檗山萬

福寺を幕府により開創させた。

大慧禅師發願文に「某甲臨命

それがし

終の時小病小悩、七日已前に豫め

あらかじ

死の至らんことを知って、安住正

念、末期自在に此身を捨て了って、

速かに佛土に生じ面の当たり諸佛

すみや

に見え、正覺の機を受け、法界に

しょうがく

分身して遍く衆生を度せんことを

あまね

…」とあるが、まさに龍渓は死に

臨み迫りくる波濤の先に、發願文

にあるような、生死を超越した融

通無礙の世界を見ていた。

(おわり)

(2)

龍渓と隠元禅師⑪

龍渓禅師 水定図

忽見墨痕疑尽消

(忽ち墨痕を見て疑い尽く消す)

たちま

不孤生鉄鋳藤条

(生鉄の藤条を鋳るに孤かず)

臨行一喝全賓主

(行に臨んで一喝し賓主を全す)

まっとう

涌起滔々四海潮

(涌き起こる滔々たる四海の潮)

うしお

Page 3: 第74号 - 黄檗宗 霊亀山 九島院龍 灯 第74号 平成26年 2月 1日 墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。『

12/1

お寺de消しゴムはんこ

…参加者

八名

はじめての開催。年賀状向けの

消しゴムはんこ教室です。参加

下さった皆様、時を忘れ消しゴ

ムはんこに没頭されていました。

12/31

坐禅と除夜の鐘…参加者五十名

地域の恒例行事となり、年々参

加者が増えて賑やかに新年を迎

えることができました。

2/11

写経と精進料理の夕べ

主催:

大阪市仏教青年会

四天王寺客殿を利用しての写経

会です。参加費三千円。

3/23…山門会(春のお彼岸法要)

(別紙参照)

3/29…写経会

15時〜

参加費

千円

(別紙参照)

4/8

花まつり甘茶接待(

西区仏教会)

九条駅前での甘茶の接待です。

6/28

はじめての坐禅

昨年に続き3回目の開催です。

5/17…お寺deヨガ

14時〜

(別紙参照)

5/17…お寺deチャリティバザー

13時〜

(別紙参照)

お寺deヨガと同日に、チャリ

ティーバザーを行います。

そこで、ご協力のお願いです。

龍 灯 第 74 号 平成26年 2月 1日

墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。

九条から阪神三宮駅・近鉄奈良駅まで一直線!

『黄檗宗第十二教区宗務支院』.

退

檀信徒の皆さまへ

(3)

大阪市仏教青年会

花まつり子ども大会日時:4月2日(水)

13時~16時

場所:クレオ大阪中央(天王寺区上汐1-1-1)

参 加 無 料おみやげプレゼント

当院副住職が会長を務める大阪市仏教青年会。

そこでの昔からの行事です。劇団カッパ座さん

による『たっくんの金メダル』という劇も鑑賞

できます。入場無料。

春休み中のお子様に

はもってこいのイベ

ントです。先着200名

様には写真入りキー

ホルダーをプレゼン

ト。ぜひ、この機会

をお見逃しなく!

(別紙参照)

永代供養墓

大亀地蔵尊

自宅に眠ってる不要なモノ

を当院までお預け下さい

☆申込受付中☆

年 忌 早 見 表

年忌 寂年 年忌 寂年

1周忌 平成25年 17回忌 平成10年

3回忌 平成24年 25回忌 平成2年

7回忌 平成20年 33回忌 昭和57年

13回忌 平成14年 50回忌 昭和40年

平成26年 年忌早見表

四年間務めた黄檗宗第十二教区宗務支院の支院長を平成二十六年

三月三十一日付で退任する運びとなりました。

この四年間で、様々な行事、法要などを取仕切って参りました。

この第十二教区支院とは、北大阪地区と大阪市内にある二十三もの

寺院で構成されております。浅学菲才な小生ではありましたが、皆

様のおかげで何とか任期を全うすることができました。次期支院長

は、淀川区西三国にある自敬寺住職

服部隆志和尚が着任されます。

(住職

合掌)

Page 4: 第74号 - 黄檗宗 霊亀山 九島院龍 灯 第74号 平成26年 2月 1日 墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。『

▼「一年の計は元旦にあり」といいます。小

生の元旦に作った漢詩です。

(

歳が改まり大地にめでたい気

が生じている)

(平成甲午の新年をお祝いする)

(元旦に筆を揮う一年計)

(無病息災天下太平を祈る)

▼年末年始の忙しさが一段落した5日愚妻が

目まいで寝込みました。幸い7日にはなんと

か平常に戻りましたが、3匹のお犬さまの3

度の散歩や一人食べる晩飯の侘しさ。家族一

同の健康の有り難さを痛感しました。

▼自分の身体は自分だけのものではありませ

ん。家族のなかに一人でも一匹でも病気のも

のがいれば、皆が気に病み家庭が暗くなって

しまいます。

▼弊師弘忠和尚は、「浜までは海女も蓑着る

時雨かな」と頂いた生命の大切さと自愛を説

いていました。

▼桃山学院高校の二年先輩のやしきたかじん

さんも正月3日逝去されました。身体の不調

を記した年賀状も多々受けられ、自分自身の

置かれている立場を再認識する正月でした。

▼皆さま方も、どうぞこの一年、御身大切に

ご自愛下さい。自分の身体は自分だけのもの

ではないのですから。

(

住職記す)

▽大阪市仏教青年会の会長になって半年。様々な会合に

出席。人前での挨拶にも多少慣れてきました。

▽本年も様々な行事を開催しようと考えています。賑や

かで楽しく、アットホームなお寺を目指します。

▽1月26日、大阪ハーフマラソン出場し、大阪市内の

道路を駆け抜けます。

(

副住職記す)

龍 灯 第 74 号 平成26年 2月 1日

墓地管理費のご納付をお願いします。墓参りの折、郵便振込みでも結構です。

九島院のフェイスブックページを作りました!検索してみてね!

●永遠のゼロ●正月3日、評判の映画『永遠の0』を観てきました。今を時めく百田尚樹氏の小説を映画化したものです。今年のNHK大河ドラマ『軍師黒田勘兵衛』を演じる岡田准一が主演をつとめています。映画は、祖父「宮部久蔵」の事歴を調べるなかで「必ず家族のもとへ還ってくる」との妻との約束を守るため、卑怯者・臆病者といわれても生還にこだわった零戦パイロットが、なぜ特攻隊に志願して戦死したのか?三浦春馬が演じる孫が、祖父の足跡をを辿る物語です。弊師弘忠和尚は、大谷大学文学部仏教学科を卒業後、昭和17年陸軍2等兵として応召されました。部隊は南方ラバウル方面に派遣されました。ご多分に漏れず和尚もこっぴどく殴られたそうです。たまたま小隊の古参兵が、大阪市立扇町商業卒で、和尚が市岡中学を出ていたことにコンプレックスをもち尽く苛められ、左耳の鼓膜が破れ聞こえなくなるほど殴られました。捨てる神あれば拾う神あり、幸い軍医が市岡中学卒で、診断書を書いてくれ庇ってくれたそうです。部隊はガダルカナル島への転戦しましたが、元大工と坊主の自分が位牌つくりと英霊の戒名書きで残留し、九死に一生をえました。また復員船では、今まで散々苛められた兵卒が上官たちに詰め寄り、土下座をさせて謝らせたそうです。戦後、これらのことは和尚は心に秘めて決して語りませんでした。和尚は戦争を憎んでいました。軍人恩給も申請していませんでした。某市会議員さんの勧めでようやく恩給を貰うようになり、忘れていた兵隊時代を夢に見て、無意識のうちに布団を叩き続けていたと和尚から聞いたことがありました。戦後69年、太平洋戦争を体験された方々の殆どが鬼籍入られようかとする今日、戦争体験を伝えることが、平和憲法の是非が問われようかとする今日とても大事なことだと思います。お国のための戦いと言いますが結局のところ、妻や子や身近な人達のためにこそ戦ったのです。「わしには青春はなかった」とは和尚の口癖でした。

編集後記

(4)

山門会(春彼岸法要)

さ ん も ん え

3月23日(日)

午後1時半 より※ご先祖供養です。宗旨に関係ありません※

ご回向お申込み下さい。

清興:和奏ユニット『蓮風RENPU』演奏

改歳乾坤瑞気生

平成甲午賀新正

今朝揮筆一年計

無病息災祷太平