第10 回 クラウド・ソーシャルと情報通信産業 ·...

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情報産業論 情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達 69 第 10 回 クラウド・ソーシャルと情報通信産業 1、 Web2.0 からクラウドコンピューティングへ (1)Web2.0 による集合知の形成 1990 年代に入ってインターネットの普及は電子商取引の市場を拡大した。こ れは情報通信産業(IT 供給産業)とともに既存の企業(IT 利用産業)の市場を 拡大するものであった。ところが、2000 年代に入っての IT バブルとその崩壊 は、情報通信産業に大きな打撃を与えた(「情報化社会と経済」参照)。 一方、 2000 年代になると、インターネットの特性 に改めて注目し、その潜在的能力を有効に活用し、 従来(Web1.0)とは異なる新しいウェブの世界を構 築する概念、Web2.0 が脚光を集め始めた。Web2.0 とは、特定の技術やサービス、製品ではなく従来の Web Web1.0)とは異なる新しいウェブの特徴、環 境変化、トレンドを総称したものである。テクノロジー関連のマニュアルや書 籍の出版社である米国の O'reilly Media CEOTim O'Reilly1954- )によ って提唱された。「2.0」という表現には、1990 年代半ば頃から普及・発展して きた従来型の Web の延長ではない、質的な変化が起きているという認識が込め られている。 従来の Web は製作者が作った状態で完結 しており、利用者は単にそれを利用するだけ の関係であったが、 Web2.0 ではブログ、 SNSそして Wikipedia に代表されるように、多く のユーザが参加して双方向で情報を出し合う ことで、その蓄積が全体として巨大な「集合 知」を形成すると点が象徴的である。 アメリカのジャーナリストの James Surowiecki1967- )は多様な集団 が到達する結論は、一人の専門家の 意見よりもつねに優る、というこれ までの常識とは正反対の説を提示し ている 1 1 ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫、 2009)参照。

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情報産業論

情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

69

第 10回 クラウド・ソーシャルと情報通信産業

1、 Web2.0からクラウドコンピューティングへ

(1)Web2.0による集合知の形成

1990年代に入ってインターネットの普及は電子商取引の市場を拡大した。こ

れは情報通信産業(IT供給産業)とともに既存の企業(IT利用産業)の市場を

拡大するものであった。ところが、2000 年代に入っての ITバブルとその崩壊

は、情報通信産業に大きな打撃を与えた(「情報化社会と経済」参照)。

一方、2000年代になると、インターネットの特性

に改めて注目し、その潜在的能力を有効に活用し、

従来(Web1.0)とは異なる新しいウェブの世界を構

築する概念、Web2.0が脚光を集め始めた。Web2.0

とは、特定の技術やサービス、製品ではなく従来の

Web(Web1.0)とは異なる新しいウェブの特徴、環

境変化、トレンドを総称したものである。テクノロジー関連のマニュアルや書

籍の出版社である米国の O'reilly Media の CEO、Tim O'Reilly(1954- )によ

って提唱された。「2.0」という表現には、1990年代半ば頃から普及・発展して

きた従来型のWebの延長ではない、質的な変化が起きているという認識が込め

られている。

従来のWebは製作者が作った状態で完結

しており、利用者は単にそれを利用するだけ

の関係であったが、Web2.0ではブログ、SNS、

そしてWikipedia に代表されるように、多く

のユーザが参加して双方向で情報を出し合う

ことで、その蓄積が全体として巨大な「集合

知」を形成すると点が象徴的である。

アメリカのジャーナリストの James

Surowiecki(1967- )は多様な集団

が到達する結論は、一人の専門家の

意見よりもつねに優る、というこれ

までの常識とは正反対の説を提示し

ている1。

1 ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫、2009)参照。

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情報産業論

情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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(2)Web2.0と Google

スタンフォード大学の博士課程に在籍してい

た 2人の学生、Lawrence Edward "Larry" Page

(1973-)と Sergey Mikhailovich Brin(1973-)

は、インターネット上に存在する膨大な情報を検

索する際に、重要度の高いページからランクづけ

する方法を数学的に解決し、1997 年にこの構想

をもとにした検索エンジンを開発2、翌年(1998 年)にグーグル(Google)を

創業した3。インターネット上にある膨大な情報を集積し、検索連動型広告サー

ビスを提供することによって巨額な広告収入を得るシステムをつくりあげてい

る4。また、「グーグルアース」や「Android」など斬新なサービスや技術を次々

と輩出し、M&A(YouTubeの買収など)によってモバイル産業やコンテンツ産

業にもその範囲を拡大していった。

広告なら狙い撃ちではなく乱れ撃ちに

なる。検索結果や任意のWebページに表示

される Googleの広告がそうである。従来

の広告は媒体の性質や客層を考えて狙い

を絞っていた。だが Googleでは検索語や

Webページの本文から毎回違う広告を表

示できるので広告としての効率がよくな

る。少数をターゲットにした広告も扱える。

実際 Googleも Amazonのように少数向け

の広告の売上割合が多い。

このようにインターネット(Web1.0)からWeb2.0へのネットワークの進化

によって情報通信産業のビジネスの中心はハードウェアやソフトウェア、そし

てネットワークそのものではなく、これらを活用してどのようなサービス(広

告や販売)を消費者に提供するのかに比重が移っている。

2 インターネット上の膨大な情報をイメージして 10の 100乗個を表す「Googolplex」から

「Google」と名づけられた。 3 Sun Microsystemsの創業者である Andreas von Bechtolscheim(1956-)から 10万ドル

の資金援助を受け、カリフォルニアのアパートで創業した。 4 その中心は Googleアドセンス(クリック回数に応じて参加者に Googleの売上げの一部

が報酬として支払われる)とGoogle アドワーズ広告(Googleの検索結果やGoogle AdSense

を取り入れているサイト、また提携している複数のポータルサイトなどに、サイトの内容

に適した広告を自動的に配信し表示する)であり、Googleの収入の大部分はこの広告収入

から成っている。

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情報産業論

情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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(3)クラウドコンピューティングとクラウド型ビジネスの台頭

1990年代から ASP(アプリケーションサービスプロバイダ) に代表される

ソフトウェアをインターネットなどを通じて利用者に遠隔から利用させるビジ

ネスは存在した。2000年代に入って通信速度の高速化・大容量化、サーバ(ホ

ストコンピュータ)の低価格化、そしてWeb2.0 に代表される双方向化の進展に

よって、ソフトウェアはもちろん、企業や個人が有する様々なデータをサーバ

=クラウドに集約して必要な時に必要なサービスを提供するクラウド型のビジ

ネスが急速に進展するようになる。

クラウドコンピューティング(Cloud Computing)

という言葉は、2006年、Googleの CEO、エリッ

ク・シュミット(Eric Emerson Schmidt, 1955-)

が命名した言葉だと言われている5。従来は手元の

コンピュータで管理・利用していたようなソフトウ

ェアやデータなどを、インターネットなどのネット

ワークを通じてサービスの形で必要に応じて利用

する方式で、IT業界ではシステム構成図でネットワークの向こう側を雲

(cloud:クラウド)のマークで表す慣習があることから、このように呼ばれる。

もともとインターネットを図示する際に雲の絵が描かれていたが、シュミット

は、インターネット上に浮かぶ巨大なコンピュータ群をクラウド=雲と定義し

た。

5 英エコノミスト誌の特別号「The World In 2007」(2006年 11月発行)に「Don’t bet

against the Internet.」という一文を寄せ、Today we live in the clouds. We're moving into

the era of "cloud" computing, with information and applications hosted in the diffuse

atmosphere of cyberspace rather than on specific processors and silicon racks. The

network will truly be the computer. と述べている。

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情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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このクラウドを活用したビジネスは Google6を先頭に、Amazon7、さらに

Saleseforce.com8など 2000年代に入って新しい IT企業の台頭をもたらすこと

になる。これらのクラウド型企業は、Saleseforce.comに代表されるように顧客

(利用者)のデータを収集・管理するだけでなく、データの分析を基に利用者

に対して顧客管理から販売・営業支援までのノウハウ・サービスを提供するこ

とになり、これをビジネスの源泉としている。

このようにクラウドによってこれを提供する IT企業に莫大な「情報」が集ま

ることによって 2011年頃からビッグデータという言葉も登場した。ビッグデー

タは、その名の通り巨大なデータベースを意味しており、これらのデータを利

用したビジネスまで含めて、マーケティング用語として使われるケースが多い

が、今後は IoT(モノのインターネット、第 10回参照)によって人間では処理

できない膨大なデータが収集され、これを分析・活用するための AI(人工知能、

第 11 回参照)が情報通信産業において大きな役割を果たすことが予想される。

6 Gmailや Picasaはクラウドサービスの代表例である。 7 AWS(Amazon Web Services)では EC2や S3などのサービスでユーザの電子商取引環

境をクラウドで提供している。 8 2000年に設立された米国の企業。利用者の顧客管理から販売支援までをクラウドで提供

する代表的なクラウド型 IT企業である。2016年第一四半期の裏下高は前年比 23%増の 15

億 1,000万ドルとなっている。

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情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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2、クラウドコンピューティングとソーシャルネットワーク

(1)ソーシャルメディアの台頭

2000年代からの Web2.0における双方向性、「集合知」、そしてロングテールの

活用、2000 年代後半から 2010 年代にかけてのクラウドコンピューティングや

ビッグデータの集積によって、従来のメディアとは異なるユーザ発信し交流す

るメディア=ソーシャルメディアを構築している。従来のテレビや新聞に代表

されるマスメディアからの一方的な情報発信とは異なり、YouTube や Twitter、

Facebookなどのプラットフォームによって、個

人からの情報発信(コンテンツの生成)がより

容易になり、多数の人々や組織が参加する双方

向的なコミュニティも形成される。また社会や

政治を動かす世論も形成されることもある。

さらに、Linuxに代表されるオープンソースソフトウェアの開発も、「集合知」

を活用した技術開発であり、上記のプラットフォームにもオープンソースソフ

トウェアが用いられている9(第 5回参照)。

一方、ソーシャルメディアをビジネスに活用し、インターネット上のユーザ

(顧客)の膨大な情報を集積・分析すると同時に、これをまたユーザ(顧客)

向けのマーケティングに活用しているのは巨大 IT企業であり、上記のプラット

フォームを運用する企業に莫大な利益をもたらしているのも事実である。

9 オープンソースを組み合わせたWebサイトの構築技術は一般に LAMP(サーバ OSの

Linux、Webサーバの Apache、データベースのMySQL、スクリプト言語の Perl、Pyhon、

PHP)と呼ばれていった。最近では迅速で双方向的な開発手法(Agile)とクラウド・コン

ピューティング(Cloud)と Ruby on Railsを組み合わせて ARCが注目されている。

ウィキペディア

http://ja.wikipedia.org/

ユーチューブ

http://www.youtube.com/

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情報産業論

情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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特にインターネット上の交流サイトである SNS(Social Networking Service)

はコミュニケーションを促進する手段や、新し

い人間関係を構築する手段として米国で 2000

年代半ばから注目され、そのユーザを伸ばし続

け、SNS サイトの提供によって広告や課金を行

いなどして新たなビジネスモデルになっている。

また、SNS を利用するユーザも SNS サイトを

広告・マーケティングや新たなビジネス上のつ

ながりを構築する手段として活用している。米

国での本格的な SNS は Friendster(2002 年)と考えられ、その後 MySpace

と LinkedInが相次いでサービスをスタートさせた(2003年)。そして 2004年

にはハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバー

グ(Mark Elliot Zuckerberg、1984 - )が学生の交流サ

イトとして立ち上げた Fecebookが 2006年には一般にも

開放され、2016 年現在、世界で 17 億人を超えるユーザ

が利用している。

日本でも 2004年に GREE、mixiがサービスを開始し、

そのユーザを拡大している。また 2008年には Facebookが

日本でのサービスを開始した。また、日本に特徴的な携帯

電話(スマートフォン)によるインターネット接続の習慣

を背景にした LINEの利用者数の増加が際立っている。ま

た若年層を中心に Instagram の利用者数も増加している。

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情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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ICT

マーケティング・コンサルティング 2016 年度 SNS利用動向に関する調査 より

Marketing Research Camp月次定点調査 より

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情報産業論

情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達

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(2)ソーシャルネットワークのビジネスモデル

これらの SNSは立ち上げには莫大な初期投資が必要になり(またサービス開

始初期には回収が難しいが)、IT産業特有の収穫逓増(=限界費用減少)の法則

が働くことによって規模の拡大に追加コストがあまりかからないことと同時に、

ネットワーク効果(消費者が同種の財の消費者に与える外部経済)は著しく大

きくなる。新規加入者にとって便益は既存加入者の数に依存するために、加入

者数の少ない間はなかなか普及しないが、加入者数がある閾值を超えると一気

に普及する。特定のネットワーク=特定の IT企業のサービスが拡大し、独占的

利益を獲得することが可能になるビジネスモデルが成立することになる。

SNSは規模の経済とネットワーク効果が特に発揮される分野である。

ネットワークの価値に関しては 1995年にEthernetの開発者のBob Metcalfe

が、ネットワークの価値がユーザの数に比例して増加することを主張している。

このMetcalfeの法則によるとネットワークの価値は、そのネットワークに接続

されたすべでのコンピュータの数のほぼ 2乗比例して増加するとなっている。

相互接続ネットに n台のコンピュータがつながっている場合、「n(n-1)/2」の相

互アクセスが可能となる。接続した場合の有用性はそれぞれのアクセスで同一

であると仮定すれば、ネットワーク全体の価値は n(n-1)に比例し、nが十分に

大きければ、nの 2乗に近似する。

インターネットが出現する前に、企業間ネットワークの応用としては、電子メ

ールによる情報の交換やサプライチェーン・マネジメントなどであったが、90

年代後半から普及してきたインターネットによってこれらのアプリケーション

における特定企業間のネットワークだけではなく、より開放的なネットワーク

環境が出現した。すなわち、ネットワークの外部性

(消費者が同種の財の消費者に与える外部経済)は

著しく大きくなっていることを示唆した。他方、ネ

ットワーク外部性が存在する場合、新規加入者にと

って便益は既存加入者の数に依存するために、加入

者数の少ない間はなかなか普及しないが、加入者数

がある閾值を超えると一気に普及する。特定のネッ

トワーク=特定の IT企業のサービスが拡大し、独

占的利益を獲得することが可能になる。SNSはこ

のネットワーク効果によって初期に投資・サービス

を開始した IT企業に対して独占的な利益をもたらす典型的な例である。

(補論 クラウドと IT投資の経済学 参照)