―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクル...

18
77 ゴジラはいかにして倒されたか ―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語― How was Godzilla Destroyed?: Spectacle and Narrative in Godzilla (1954) Hiroshi MORISHITA 1. はじめに 海底でひっそり暮らしていた中生代の生物が、太平洋で行われた水爆実験のため棲 み処 を追われて 東京に上陸し、破壊を繰り広げる。これが、映画『ゴジラ』 (1954年)の筋立てである。未知のものを 視覚化するためのテクニックである特殊技術撮影を中心に据えた映画としては、同作は日本でほと んどはじめての作品と位置づけられる。『ゴジラ』には現代においても多大な関心が寄せられており、 映画作品ないしそこに登場する怪獣ゴジラを論じた評論・研究は枚挙に暇がない。 だが、これらの評論・研究が『ゴジラ』を映画として論じたものだったのかというと、必ずしもそ うとはいえないのが現状である。『ゴジラ』を取り上げた論考の多くは、それがある時期の日本人・ 日本社会の集合的な「思い」を象徴しているという発想のもと、怪獣ゴジラという形象に焦点をあて ている。怪獣ゴジラはたとえば、アジア・太平洋戦争における戦死者の亡霊として、日本を覆うアメ リカ合衆国そのものの形象化として、東京に来迎する「黙示録時代の聖獣」として、論じられている こうした研究では、怪獣ゴジラという形象に対する論者の解釈が前面化している。 これらの、ゴジラ解釈学ともいうべき評論・研究が一定の成果をあげていることも事実であり、そ れが一概に「悪い」というつもりは筆者にはない 。とはいえ、そのような方向性の研究だけでもっ て映画を論じ尽くすことができないことも事実だろう。 『ゴジラ』の公開から60年が経った今日、SFXやCGIなど、未知のものを視覚化する技術は隆盛を 極めており、映画のみならずテレビ番組やコマーシャル、インターネット動画などでもそうした技術 が当たり前のように用いられている。物語上の必要性を超えた、あるいは物語とそもそも無縁なもの としてあるスペクタクル映像が、現在ほど広く消費された時代はかつてなかったといってよい。そう であればこそ、今、特殊技術撮影を大規模に取り入れた最初期の日本映画である『ゴジラ』がはたし Hiroshi MORISHITA 日本伝統文化学科(Department of Japanese Traditional Culture)

Upload: others

Post on 09-Jul-2020

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 77

    ゴジラはいかにして倒されたか

    ―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    森 下   達*

    How was Godzilla Destroyed?: Spectacle and Narrative in Godzilla (1954)

    Hiroshi MORISHITA

    1. はじめに

     海底でひっそり暮らしていた中生代の生物が、太平洋で行われた水爆実験のため棲す

    み処か

    を追われて

    東京に上陸し、破壊を繰り広げる。これが、映画『ゴジラ』(1954年)の筋立てである。未知のものを

    視覚化するためのテクニックである特殊技術撮影を中心に据えた映画としては、同作は日本でほと

    んどはじめての作品と位置づけられる。『ゴジラ』には現代においても多大な関心が寄せられており、

    映画作品ないしそこに登場する怪獣ゴジラを論じた評論・研究は枚挙に暇がない。

     だが、これらの評論・研究が『ゴジラ』を映画として論じたものだったのかというと、必ずしもそ

    うとはいえないのが現状である。『ゴジラ』を取り上げた論考の多くは、それがある時期の日本人・

    日本社会の集合的な「思い」を象徴しているという発想のもと、怪獣ゴジラという形象に焦点をあて

    ている。怪獣ゴジラはたとえば、アジア・太平洋戦争における戦死者の亡霊として、日本を覆うアメ

    リカ合衆国そのものの形象化として、東京に来迎する「黙示録時代の聖獣」として、論じられている1。

    こうした研究では、怪獣ゴジラという形象に対する論者の解釈が前面化している。

     これらの、ゴジラ解釈学ともいうべき評論・研究が一定の成果をあげていることも事実であり、そ

    れが一概に「悪い」というつもりは筆者にはない2。とはいえ、そのような方向性の研究だけでもっ

    て映画を論じ尽くすことができないことも事実だろう。

     『ゴジラ』の公開から60年が経った今日、SFXやCGIなど、未知のものを視覚化する技術は隆盛を

    極めており、映画のみならずテレビ番組やコマーシャル、インターネット動画などでもそうした技術

    が当たり前のように用いられている。物語上の必要性を超えた、あるいは物語とそもそも無縁なもの

    としてあるスペクタクル映像が、現在ほど広く消費された時代はかつてなかったといってよい。そう

    であればこそ、今、特殊技術撮影を大規模に取り入れた最初期の日本映画である『ゴジラ』がはたし

    �*�Hiroshi�MORISHITA 日本伝統文化学科(Department�of�Japanese�Traditional�Culture)

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    78

    てどのような作品としてあったのかを振り返っておくことは、無駄なことではあるまい。このような

    問題関心のもと、本論文ではあらためて『ゴジラ』に検討を加えていく。議論の鍵となるのは、「特

    撮」(「特殊技術撮影」を省略したもの。主として怪獣の登場する部分を指す)と「本篇」(要するに人間が出てくる

    ドラマ部分)との関わり方である。ストーリー展開も踏まえながら『ゴジラ』の映像を分析することで、

    映像的なスペクタクルを打ち出すにあたって『ゴジラ』がどのような戦略をとったのかを問い直して

    いきたい3。

    2. 映像文化におけるスペクタクル

     スペクタクル映像、およびそれをもたらす映像技術は、映画研究においてはこれまでどのように論

    じられてきたのだろうか。本論に入る前に、やや遠回りになるが、近年の動向に触れておこう。

     初期映画研究の第一人者である長谷正人は、ブロックバスター映画やテレビ、インターネット動画

    などにおけるスペクタクル映像の氾濫に警鐘を鳴らしている。それらの映像作品は、「自然と身体の

    イメージを完全に技術力でコントロールしようとするSFX技術」4を前面化させ、まさにわれわれが

    視覚的欲望の対象とするところのスペクタクル映像を現出させてしまうものだからである。現代の映

    像文化に対するオルタナティヴとして、長谷は、ハリウッドのスタジオにおいて1910~60年代に製作

    された、いわゆる「古典的ハリウッド映画」を称揚してみせる。

     「古典的ハリウッド映画」では、マスター・ショットの提示と視線によるショットの繋ぎ、さらに、

    イマジナリー・ラインは越えないなどのルールによって、何よりも効率的な物語叙述が意図されてい

    るという特徴があった5。それぞれのショットは、あくまで説話論的な要素として禁欲的に扱われる。

    それゆえに、そこでは多くの場合、スペクタクル映像がそのままスクリーン上に氾濫することはない。

    典型的なのが、これらの物語映画のクライマックスを形成する「最後の瞬間の救出(ラスト・ミニッツ・

    レスキュー)」と呼ばれる演出形式だろう。ヒロインが悪漢の毒牙にかかるような不幸な結末は、カッ

    ト・バックによって延々遅延され、そうこうするうちにヒーローが駆けつけて、悪漢は倒されヒロイ

    ンは救われる。長谷曰く、これは、「私たちの視覚的欲望の対象である衝撃的な映像が到来することを、

    どこまでも時間的に引き延ばして、遂にはそのまま到来させないような戦略」6として理解すること

    ができる。現実世界で生じている悲惨な出来事の多くが、ほとんどの場合「取り返しがつかない」も

    のである以上、「取り返しがつく」ことを力強く謳いあげるこうした映画群は、「通常思われているほ

    ど保守的な映画ではないのではないか」7、と長谷はいう。「厳しい状況のなかでも希望を持って生

    きる登場人物たちの姿は、既に起きてしまった出来事の手前に時間を宙吊り化し、もしかしたらそれ

    が起きなくても済んだような、あり得たかもしれない他の可能性を私たちに想像させてくれる」8か

    らである。

     物語映画の成立にまで遡って、それらの映画が内包する倫理性を強調する長谷の議論は、たいへん

    興味深いものである。とはいえ、物語とスペクタクルとを対立させるその手つきは、いささかナイー

    ヴに過ぎる。現代のブロックバスター映画でも、古典的ハリウッド映画における撮影・編集上のルー

    ルはしっかりと堅持されている。メロドラマ的な物語構造についてもまた然りであり、古典的ハリウッ

    ド映画という概念の主唱者たるボードウェルとトンプソンにしてからが、近年において映画体験のス

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    79

    ペクタクル化が進行しているとしても、それを論じるにあたって新たな枠組みを取り入れる必要はな

    い、との主張を行っている9。

     近年の映画が、古典的ハリウッド映画を範として見たとき、ある種の視覚的過剰さに溢れていると

    見なせることは間違いない。だが、そのことは直ちに批判に値するものではない。映画研究者の藤井

    仁子が主張するように、フィルム・テキストそのもののダイナミックな運動は、「スペクタクル」と「物

    語」という二項のどちらかに属するものではなく、両者が相俟ってこそ繰り広げられるものと受け取

    られるべきだからである10。「映画の物語と画面は、安定した調和や均衡の状態に置かれているばか

    りではなく、摩擦や葛藤、ときには矛盾や対立さえ生きることがある」11のであり、そうした瞬間の

    緊張こそが、本来は問題にされるべきものだろう。こうした考えのもと、藤井編『入門・現代ハリウッ

    ド映画講義』(2008年)では、2000年以降にヒットしたアメリカ映画が積極的に取り上げられ、テキス

    トそのもののダイナミックな運動が問題にされるとともに、現代の映画の可能性が明らかにされてい

    る。

     ひるがえって『ゴジラ』だが、この映画では97分の上映時間のうち、ゴジラによる東京破壊が延々

    15分に及ぶ。そのあいだ、登場人物たちのドラマはほとんど停止しており、この映画は明らかに、ショッ

    トの連鎖によって物語を効率的に語ることよりも、映像そのもののスペクタクル性を前面に出すこと

    に注力している。古典的ハリウッド映画と比較して見たとき、明らかに視覚的に過剰な映画であると

    いうことができる。

     スペクタクルの氾濫は、何も現代のアメリカ映画にのみ見られる特徴ではない。スペクタクルと物

    語との対立を強調するだけでなく、両者の絡まり合いをこそ問題にする、という現在の映画研究の達

    成は、過去のスペクタクル映画を分析する際にも応用できるもののはずである。日本における最初期

    のスペクタクル映画である『ゴジラ』の再検討を通じて、これまであまり語られてこなかったスペク

    タクル映画の可能性を引き出すことができれば、と思う。

    3. 『ゴジラ』におけるスペクタクル・シークェンス構成

     『ゴジラ』は、ミニチュアや着ぐるみを用いてつくりあげられたスペクタクル映像を多く内包した

    映画である。そうした特撮映像は、当たり前だが、被写体のサイズはもちろん、その質感や量感も、

    陰影の加減も本篇映像と整合しない。いわば、ショットの持つ空気感が異なっているのである。これ

    ら、古典的ハリウッド映画の撮影・編集の枠には収まらないであろう、視覚的に過剰なスペクタクル

    映像を映画内に取りこむにあたって、『ゴジラ』は独特のシークェンス構成を採用していた。

     映画評論家の樋口尚文は、『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』(1992年)

    において、ゴジラが銀座松坂屋を炎上させ、デパートの裏手にいた母子が巻きこまれてしまう有名な

    場面を取り上げて、以下のように論じている(図版1)。ここでは、無人の銀座の様子が数ショット続

    いたあと(樋口曰く「カット1」)、デパート裏にいる母子の姿を捉えたショットがなんの説明もなく挟

    まり(同、カット2)、ついで、デパート屋上の鳥小屋の前をゴジラが通り過ぎていくショットに切り

    替わる(同、カット3)。樋口はいう。「ここでは、カット1の後、ほんの短いカット2をインサートし

    て観る者に割りきれなさを感じさせ、次のカット3ではその気分を助長するように唐突な鳥小屋ごし

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    80

    の映像になる。このカット1からカット3までのつなぎは破格で、観客はカット2の親子は何なのか、

    そしてゴジラはどこで何をしているのかという疑問を抱えることになる」12。

     ここではゴジラが母子を脅かしているという関係も提示されないので、観客はストーリー上の

    設定にサスペンスを感じるのではなくて、映画が何を語ろうとしているのか見えてこないもやも

    やに付き合わされるのだ。そして、このもやもやこそが本多=円谷(引用者註:『ゴジラ』の監督の

    本多猪四郎と、特殊技術撮影の担当者・円谷英二のこと)演出の狙う「場」のムードであるはずだ。映画

    はカット2への答えをなかなか出さぬまま、カット7までこのムードを引っ張り続け、カット8

    でようやくこの母親が燃えるデパートの下にいて、亡夫を追って死のうとしている一切の情況が

    明かされる(引用者註:「カット4」から「カット6」まではゴジラの破壊描写が続く。「カット7」で炎上す

    るデパートが示されたあと、「カット8」で、火の粉が降る中うずくまって動かない母子の姿がようやく画面に映り、

    「カット2」の伏線が回収される)。こうした風変わりな編集の発想は、より本質的な映画話法の宙吊

    り状態を導くものではないけれども、このシーンを独特な臨場感のあるものにしている。13

     ここでは、観客は、「何かが起こっている」という不吉なムードこそ感じさせられるものの、「では

    何が起こっているのか」については完全には理解できないまま、宙吊りにされ続ける。「カット8」

    に至るまでのあいだずっと、画面内で起こっている「事件」の方が、観客を追い越してしまっている。

    「情況を単に特撮で処理して絵解きするのではなく、シークエンス全体をひとつの割り切れない『場』

    のムードでまとめようとしている」14この種の編集がなされた場面は、『ゴジラ』の中にいくつか見

    出すことができる。

     樋口は、この「場」のムードを技術論的に捉え、「日本映画史上かつてないほどの量を誇る特撮映像

    をいかにして本篇映像と滑らかに接続するか」という問題に対する回答であると論じている。怪獣ゴ

    ジラは、ほとんど特撮映像そのものといってよく、「ドラマでは御せない『叙事的』な存在である」15。

    こうした存在に対して、監督の本多は「ゴジラの行く手にドラマはあり得ない」と潔癖に割り切って

    おり、「特撮映像はいちばん自分にふさわしい形で純粋に野放しにされる」16。結果、怪獣ゴジラ=

    特撮映像は、特定の情緒や方向づけがそこに持ちこまれることなく、「場」のムードにくるまれるこ

    とで本篇映像に接合され、観客に差し出されることになる。これらの点を踏まえて、樋口は、「技術

    (図版1:『ゴジラ』劇中場面。市販のDVDの当該場面を参考に、筆者が描いたもの(以降の図版も同

    様)。左から、銀座の様子(樋口のいう「カット1」)、デパート裏の母子(同、「カット2」)鳥小屋越

    しのゴジラ(同、「カット3」))

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    81

    が表現を、スペクタクルが活劇を、映像が映画を追い越している異形の試み」17として『ゴジラ』を

    位置づけ、「日本映画にとっては大いなる頽廃の原点なのかもしれないけれども、その頽廃が抗い難

    い魅力を持っていることも確か」18だと述べている。

     樋口の主張は、『ゴジラ』の映像的な特徴に対する歴史的な評価としては、首肯できるものである。

    しかし、長谷と同様、これもやはり、スペクタクルと物語を対立させる、ナイーヴに過ぎる見方に陥っ

    ているのではないか。樋口の論旨はきわめて明快だが、その明快さゆえにかえって『ゴジラ』の映画

    としての側面を見えなくさせてしまっている。問題にすべきは、スペクタクルと物語との葛藤の中で

    どのように映画が現出しているか、であろう。「場」のムードについても、そうした観点から捉え直

    す必要がある。

     そのためには、樋口が無視していたストーリー的側面を議論の俎上に載せることも、おそらくは欠

    かせないはずである。もちろん、映画のストーリーだけを抜き出して、映画作品そのものとイコール

    であるとして論じることが妥当ではないことはいうまでもないが、ストーリーが映画の重要な構成要

    素であることも間違いない。次節では、さしあたって、『ゴジラ』の基本的なストーリー・ライン 

     水爆実験によって地上に現れたゴジラが、東京を破壊した末に倒される  にこだわりながら、樋

    口の主張に別の側面から光をあててみよう。その上で、第5節では、第4節の検討をもとにして『ゴジ

    ラ』の演出を論じることで、その映画としての達成を論じたい。

    4. 映画の主導権をめぐる争い

     樋口がいうところによれば、怪獣ゴジラは、表現を、活劇を、時間を追い越している存在だった。

    ならば、ゴジラを倒すことができるのは、見世物としてゴジラよりも優秀な、なんらかのスペクタク

    ル以外にないだろう。「スペクタクルそのもの」として立ち現れたゴジラは、物語に追いつかれるこ

    とのないまま、スペクタクル的にその生命を落としたのだろうか。

     そうではない、ということを、以下の本稿では明らかにしていこう。ゴジラは最終的に、水中の酸

    素を破壊することのできる発明品「オキシジェン・デストロイヤー」(以下、ODと略記)によって葬り

    去られる。ODの発明者である芹沢大助博士も関わる三角関係のドラマが、『ゴジラ』終盤の盛り上が

    りどころを形成することになる。

     芹沢は、古生物学博士・山根恭平の娘の恵美子と許嫁の関係にあった。ところが、彼は戦争で片目

    を失って人間不信に陥っており、今では恵美子までをも遠ざけている。それでも、まだ彼女に未練が

    あるらしいことも、映画の中ではほのめかされる。一方で恵美子は、現在、芹沢の友人であり、サル

    ベージ会社の所長をしている尾形秀人と恋愛関係にある。芹沢は、ふたりの関係には気づいていない。

     芹沢にODの使用を決意させたのも、このふたりだった。芹沢は、ゴジラが東京を襲う以前、口外

    しない約束で、恵美子の前でODの使用実験を行っていた。しかし、ゴジラの暴威を目の当たりにし

    た恵美子は約束を破る決意を固める。尾形を伴って芹沢邸を訪れた彼女は、ODをゴジラ退治に用い

    るよう要請するが、芹沢はこれを拒絶する。芹沢はODを破壊しようとし、尾形が割って入る。恵美

    子が傷ついた尾形の手当てをするのを目の当たりにして、芹沢はようやく、ふたりの関係に思い至る。

     それでもなお、存在を知られたODが悪用される危険性を主張し、彼は使用を拒絶する。

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    82

    もしもいったんこのオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って

    見ているはずがないんだ。必ず、これを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆

    対水爆、その上さらに、この新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや、

    一個の人間として許すわけにはいかない。

     「たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しないかぎり、破壊兵器と

    して使用される恐れはないじゃありませんか」  尾形から反論を受けた芹沢は、さらに言葉を続け

    る。

    人間というものは弱いもんだよ。一切の書類を焼いたとしても、おれの頭の中には残っている。

    おれが死なないかぎり、どんなことでふたたび使用する立場に追いこまれないと、だれが断言で

    きる?

    ああ! こんなものさえつくらなきゃ……。

     最終的に、芹沢はこのディレンマを見事に解決してみせる。彼は、ODの設計図を焼き捨てるとと

    もに、自らもゴジラと運命をともにすることで、ODがふたたび使用される危険を断ったのである。

     ここで注目したいのは、ODという芹沢の発明は、映画中盤でも伏線が張られてはいるものの、ゴ

    ジラとはなんの関係もないものに過ぎないということである。そればかりか、この映画ではそもそも、

    芹沢の登場場面が極端に少ない。映画の終盤、恵美子が芹沢とのあいだの出来事を尾形に語り、ふた

    りがODの使用を求めに訪れて、そこからゴジラを打倒するまでの20分強のあいだこそ芹沢は画面に

    出ずっぱりではあるのだが、それ以前に彼が継続的に画面に映っている箇所は、大きくわけてひとつ

    しかないのである。

     芹沢の登場場面を順に確認しておこう。最初の登場は、大戸島がゴジラの被害を受けたあと、恵美

    子と尾形を含む調査団員を乗せた船が出港する場面となる(17:05。カッコ内には映画開始からどれほどの時

    間が経ったのかを表記している。以下も同様)。見送りの群集の中に芹沢が混じっており、2ショット8秒

    ほど姿が映る。その後、船上で恵美子と尾形が芹沢のことを話題にする。そこでは、彼らが旧知の間

    柄であることと、芹沢が滅多に研究室から出ない人間であることが語られる。

     調査団が帰ってきたあと、新聞記者・萩原と、彼に芹沢の研究の取材を命じる上司との会話(34:31

    ~34:46)、ついで、自分たちの交際を山根博士に告げようと決意する恵美子と尾形の会話(34:47~

    35:29)から、芹沢が、山根博士の養子になって恵美子と結ばれる予定だったが、戦争で片目を失って

    すべてを諦めた人物らしいことがわかる。ここで、ようやく芹沢の基本設定が出揃う。

     萩原が恵美子を伴って芹沢邸を訪れる場面で、芹沢は二度目の登場を果たす。彼は萩原を追い返

    し、恵美子のみを伴ってODの使用実験を行う(37:21~42:11。水槽の中の魚を溶かしてみせるのだが、観客に

    は何が起きたのかぼかされる)。これが、映画終盤以前で彼が継続的に画面に映っている唯一の場面とな

    る。この場面は、ODでゴジラを打倒することの設定的な伏線として機能している。またそればかりか、

    芹沢の態度から、彼がまだ恵美子に恋情を抱いていることが明らかになり、ドラマ的な伏線も形成し

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    83

    ている。

     とはいうものの、いい方を変えればそれだけの場面である。芹沢は、ゴジラのことには触れようと

    もしない。そして、ゴジラの東京襲撃が執拗に描かれる中、芹沢の研究室内での様子が映されたたっ

    た2ショットの短いシークェンス(1:05:54~1:06:02)を経て、このつぎに芹沢が継続してスクリーンに

    映るのは、もうすでに、恵美子がODの使用実験を回想し(1:11:36~)、尾形とふたりで屋敷にやって

    来る場面(1:15:25~)となる。

     『ゴジラ』劇中で、恵美子の父・山根恭平博士は、古生物学者ゆえにゴジラに愛着を寄せ、その存

    在を惜しむような言動を随所で見せる。これに較べて芹沢は、ストーリーやセリフで明示されている

    かぎりでは、ほとんどゴジラに関心を持たない存在である19。映画『ゴジラ』は終盤、先に見たように、

    芹沢を軸としてODの使用をめぐる葛藤に焦点を合わせていくのだが、それまで5分ほどしか登場して

    いなかった  直前の恵美子の回想を入れても10分弱  人物が大きな役割を担う展開は、はたして

    正当化しうるものなのか。率直にいって、ずっとゴジラの話で引っ張りながら、映画の残り時間が20

    分強になって三角関係の話が浮上するこの事態は、ストーリーの要約レヴェルではきわめて唐突なも

    ののように思える。

     とてつもない破壊力を秘めた発明であり、為政者によって悪用される危険性があるODは、明らか

    に原水爆を意識したSF的ガジェットである。この点に着目して、原水爆によって眠りを覚まされた

    ゴジラがODによって倒されるという結末にはある種の首尾一貫性がある、と主張することもできよ

    う。事実、現代の多くの『ゴジラ』評では、ODの使用を巡るドラマはきわめて高い評価を受けてき

    た20。このことに異を唱えるつもりは筆者にもないが、しかし、ゴジラとODとの繋がりが、あくま

    で主題や設定のレヴェルで対応しているものでしかないこともまた事実であろう。それは、ゴジラが

    ODによって倒されねばならないことをストーリーや演出のレヴェルで正当化してくれるものではな

    い。

     芹沢によってゴジラが倒される結末は、出来の悪いご都合主義と見なすべきものなのだろうか。こ

    の問いに対して、芹沢こそがゴジラを倒し得る存在だったのだということを力強く主張してみせた論

    考が、編集者の金原千佳による「芹沢博士は何回ゴジラの名を呼んだか 一九五四年、記憶=想起を

    めぐる闘争」(1998年)である。議論を進めるにあたって、金原は、ゴジラに遭遇した人びとが見せる

    反応に注意を向け、『ゴジラ』が描き出す「恐怖」の源について考察を深めていく。

     先に紹介した松坂屋デパート裏の母親は、ゴジラの襲撃によって戦時中を想い起こし、「お父ちゃ

    まのそばに行くのよ」と叫んでいた。『ゴジラ』では、このように、ゴジラの活動を受け止めた結果、

    自分の記憶の内にある何、

    か、

    に思いを巡らす人びとが多く登場する。たとえば、いまだゴジラが姿を現

    す以前、大戸島の老人は漁獲量が減ったことを受け、「こりゃあ、呉ゴ

    爾ジ

    羅ラ

    かもしれねぇなぁ……」と、

    島の伝説にある神の名を口にする(怪獣ゴジラの名は、作中ではこの大戸島の伝説からとられたことになってい

    る)。

     さらに、ゴジラ襲来の報を受け、電車の中の若い男女は、

    女「嫌ねぇ。原子マグロだ放射能雨だ、その上今度はゴジラときたわ。もし東京湾にでもあがり

    こんできたらいったいどうなるの」

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    84

    男A「まず真っ先に、きみなんか狙われるクチだね」

    女「ゥン……! やなこった。せっかく長崎の原爆から生命拾いしてきた、大切な身体なんだも

    の……」

    男B「そろそろ疎開先でも探すとするかな」

    女「あたしにもどっか探しといてよ」

    男A「あーあ。また疎開か。まったく嫌だなぁ」

    と言葉を交わす。ゴジラと関わった登場人物たちは、つぎつぎと、「想い出したくない過去の記憶」

    を呼び覚まされていく。

     「忘れてしまいたい過去の記憶を呼び起こし、それをみずから語らせることによって、人びとを恐

    怖に陥れる」21。怪獣ゴジラが結果的にもたらすこうしたサイクルを、金原は「戦略・装置としての

    記憶=想起」と呼ぶ。これこそが、その巨体や口から発する白熱光にも増して、ゴジラの強力な武器

    なのである。

     金原の議論は、怪獣ゴジラを何らかの象徴と論じるのではなく、むしろそのような「象徴させたい」

    という欲望を駆動するシステムと捉える点で画期的なものである。そして、この指摘は、前節で検討

    した樋口の議論とも接続することができる。まずは、「戦略・装置としての記憶=想起」の罠に嵌まっ

    た登場人物たち  松坂屋裏の母親と車内の女性が、戦争との関係を踏まえて、1954年に生きる自分

    たちの存在を強調していることに注目しておきたい。引用した劇中のセリフからわかるのは、彼女た

    ちが、夫を失い、娘を抱えて戦中・戦後の困難を生き抜いてきたこと、あるいは、長崎の原爆から生

    命拾いしてきたこと、である。『ゴジラ』が戦争をテーマにしているといわれる所以だが22、筆者が

    重視したいのは、そうした強調がまさに映画的な物語性を呼び起こすものだという点である。

     『ゴジラ』と同年に公開された松竹映画『二十四の瞳』(1954年)が、若い女性教師が生徒たちと触

    れ合うさまと、彼らが時局に呑みこまれていく姿を描いて大きな反響を呼んだように、戦中あるいは

    戦後の混乱を背景に苦難の日々を生きる一般庶民を取り上げる作劇は、戦後の日本映画において比較

    的よく見られるものだった23。原爆被害に「遭わなかった」者の姿も、『原爆の子』(1952年)などの「原

    爆映画」では描かれている。松坂屋裏の母子や車内の若い女は、同時代の映画の主役になっていても

    おかしくない存在であり、彼女たちのドラマは、一本の映画を形成したかもしれないものなのである。

     これに対して、樋口曰く、「もっともらしい背景を何も担わず、ただ技術論的に暴れまわっていた」24

    のがゴジラであった。人びとがゴジラを前にして過去の記憶を想起し、はなはだしい場合は自身のド

    ラマを語りはじめるのは、そうやって映画的な物語性を呼び起こすことで、スペクタクルとしての怪

    獣ゴジラになんとか対抗せんとするがゆえのことである。映画内の各所で引き起こされるゴジラと人

    びととのぶつかり合いには、映画『ゴジラ』の映像的な基調をなす特撮と本篇の  比喩的にいうな

    らスペクタクルと物語の  対立が重ねられている。

     とはいえ、ゴジラはもちろん、目の前の人間が物語映画の主人公になることを許しはしない。松坂

    屋裏の母子を映したショットは、ゴジラの都市破壊シークェンスの中にほとんど暴力的に挿入される

    のだが、それだけである。それは、樋口が指摘するように「場」のムードを醸成して特撮と本篇との

    滑らかな繋がりを実現するものの、映画全体を貫く物語を形成することはない。

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    85

    映画の流れは、怪獣ゴジラによる都市破壊スペクタクルが完全に支配している。それは物語性から切

    れたところで展開されているものの、ある種の映像的な一貫性を実現することに成功している。この

    ことは、怪異蒐集家の木原浩勝によってすでに指摘されている。

     木原によれば、ゴジラの向きがわかる全112ショットのうちの72ショットまでにおいて、ゴジラは

    その身体の左側を観客に向け、下手へ向かって進んでいる25。たとえば、ゴジラの東京襲撃シークェ

    ンスでは、ゴジラの脚が下手を向いて工場を踏み潰すショットのあとに、商店街を歩く人びとが下手

    上方へと逃げていくショットが続く。ここでは、合成によって、上手手前にゴジラの足の一部が見え

    ている。このあとに、路地に逃げこんだ人びとを捉えたショットが示される。路地の向こうの道路を

    下手へと横切っていくゴジラの足と尻尾が合成され、緊張感が高められている。ショットの視点は人

    間寄りのものからゴジラ寄りのものまでさまざまだが、それに関わらず、ゴジラの進行は常に一貫性

    を保っている。

     この事実について、木原は、こうしたショットの多くは「山側に逃げた人たちが東京を見る」26視

    点であり、ゴジラの襲撃が東京大空襲の再現として撮られていることの証拠である、としている。もっ

    とも、この主張の当否は、本稿の問題関心からすればさして重要なことではない。重要なのは、フィ

    ルムの上では上手から下手への運動として怪獣ゴジラが演出されていること、それ自体である。

     それが、設定やストーリーを云々する以前にひとつの運、 、

    動として映画全体を支配しているからこそ、

    ゴジラは純粋なスペクタクルとしてふるまい、「戦略・装置としての記憶=想起」として君臨するこ

    とができる。叙事的な存在であるゴジラは、自身がドラマの主体になることは決してない。従って、

    物語性を呼び起こすことでゴジラに対抗しようとした人間たちの努力は、ほとんど必然的に空振りに

    終わり、あえなく敗れ去っていく。

     だとすれば、である。ここで、先ほどの問いがあらためて発せられなければならないだろう。芹沢

    博士はなぜ、ゴジラに勝つことができたのか。終盤までほとんど出番のない彼は、ゴジラを抑えて映

    画全体の主導権を握るほどの豊穣な物語性に支えられているわけではないように思える。ODによる

    ゴジラ打倒は、映画としてどのように正当化されているのか。

     ふたたび、金原の論考を見てみよう。金原にいわせれば、これは話が逆なのである。出番がなく、

    ゴジラに対する関心を表に見せないからこそ、芹沢はゴジラを倒すことができた。「『ゴジラ』という

    名が語られるとき、そこに『戦略・装置としての記憶=想起』が作動し始める」27。ゴジラに対峙す

    る地位を獲得するためには、「『想起せよ、語れ、そして新たに記憶せよ』という怪獣のそそのかしに

    全身全霊で耐え、記憶を封印し何も語らないことで、怪獣と闘」28うしかない。つまり、ゴジラの名

    を呼んではならないのである。

     『ゴジラ』の中で、山根博士が15回、尾形が4回「ゴジラ」と口にするのに対して、芹沢は一度も「ゴ

    ジラ」と口にしない。これこそが重要なことなのだと、金原はいう。「彼だけがゴジラと対抗できたのは、

    彼がオキシジェンデストロイヤーという破壊兵器の発明者だからとするのは、少なくとも正確ではな

    いし、それに映画的でもない。むしろ、オキシジェンデストロイヤーを発明したという過、 、

    去を、

    ひ、 、

    た隠、

    し、

    に、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

    隠そうとした人物だから、と言うべきなのだ」29。

     ODの使用実験を行ったのち、芹沢は、「記憶を想起し、過去を語れとそそのかすゴジラとは対照的

    に」30、今日のことは他言無用と恵美子に迫る。先に述べたとおり、恵美子が尾形にODの存在を打ち

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    86

    明けることで約束は破られるのだが、これを「三角関係の果てにかつての婚約者を奪われた男の悲哀、

    などといったありがちな話に還元してはならない」31。恵美子に語、 、 、 、 、

    らせまいとする芹沢の戦略はゴジ

    ラに対抗するものなのであり、「芹沢が闘って敗れた真の相手は尾形ではない。ゴジラなのだ。ここ

    を見誤ってはならない」32。そして、自身が勝者足りえないことを悟った芹沢は、ゴジラと心中する

    ことで引き分けに持ちこむのだった。

     「『ゴジラ』という名を口にすることをみずからに厳しく禁じているように見える芹沢大助博士こそ、

    ゴジラと対峙する位置を獲得していると言える」33。これが、金原の結論だった。この主張はおそら

    くは正しい。だが、一点だけ、疑問がある。芹沢がゴ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

    ジラのことを強く意識しながらも、その名を呼

    ぶことをあ、 、 、

    えて「みずからに厳しく禁じてい」たのでないと、金原の論理は成立しない。しかし、再

    三述べているように、そもそも彼にはほとんど出番がない。にもかかわらず、ゴジラに魅入られない

    よう芹沢が心を砕いていたと、なぜ断言することできるのか。芹沢は、本当に徹頭徹尾ゴジラに興味

    がなかったのであり、ただ単に恋に敗れて死んだだけなのではないか。そう考えてはいけない理由は、

    どこにあるのか。

     芹沢が最終的にゴジラを倒す重要キャラクターである以上、ゴジラに関心を持っていて当然だ、と

    いう答えは、堂々巡りである上にまったく映画的ではない。この点について答えを出すには、演出の

    領分に踏みこむ必要がありそうである。すでにわれわれは、金原の主張を樋口の主張に沿わせて解釈

    することで、その準備を終えている。次節では、ここまでの議論を踏まえた上で、あらためて『ゴジ

    ラ』のフィルムに立ち戻ることとしたい。

    5. スペクタクルとしてのゴジラ/観客としての芹沢

     芹沢とゴジラの関係を考える上で着目すべき、ひとつの短いシークェンスがある。前節で、芹沢の

    登場場面を検討した際に簡単に触れた、研究室内の彼の様子を映したふたつのショットからなる合計

    8秒ほどのシークェンスが、それである。このシークェンスは、ゴジラの東京襲撃が15分にも及んで

    執拗に描かれる(53:48~1:09:02)中に、ぽつんと挿入されている。

     ここで芹沢は、炎上する東京の光景を、テレビを通じてただじっと見ている。セリフは一切与えら

    れていない。ストーリー上の必要性はきわめて見えにくい場面であり、事実、シナリオ時点では存在

    していなかった34。逆にいえば、ストーリーとは異なる次元で、監督以下スタッフが挿入する必要性

    を感じた場面である、ということになる。

     芹沢のひととなりを紹介してから、芹沢と恵美子、尾形の三角関係のドラマが本格的に発動するま

    でのあいだに、映画『ゴジラ』が今一度、芹沢をスクリーン上に描いたのはなぜなのか。そしてそれ

    は、よりによってなぜ『ゴジラ』の中核をなす怪獣ゴジラの東京襲撃の場面  日本映画史上画期的

    なスペクタクル  の中に埋めこまれねばならなかったのか。

     これらの疑問に答えるには、ゴジラの東京襲撃場面を見た上で、それがどのように芹沢のシークェ

    ンスに移行するのかを確認する必要がある。樋口尚文は、東京襲撃シークェンスに関して、「事件の

    情況を明らかにしないことで『場』のムードを作った場合とは違って、このスペクタキュラーなシー

    ンではむしろ逆に、カメラの主体は刻々と変わり、あれこれを全て見せまくる方針に転じている」35

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    87

    と述べている。この主張は間違いではないのだが、しかし、これらの視点の切り替えは、本当に、ス

    ペクタクルを効率よく見せるためだけのものなのだろうか。それが第一の理由だったとしても、その

    ことが、なんらかの演出的な意図を形成している可能性はないだろうか。

     すでに見たように、映画『ゴジラ』は、上手から下手への運動として怪獣ゴジラを描き出すことで、

    その存在を映画的に正当化していた。このような描写は、観客を強くゴジラに惹きつけるものでもあっ

    たのではないか。

     ゴジラの襲撃に際して、それに対抗するはずの人や消防車も、その下手方向への進行に完全に呑み

    こまれてしまい、人は下手へと逃げ出し、上手への運動を続けようとした消防車は横転する。それら

    は一時的にショットの視点の主体になることはあっても、観客を惹きつける存在となることはない。

    一貫した動きを見せるのがゴジラのみであり、映画内で行われるあらゆる破壊の中心にはゴジラがい

    る。そうであるから、観客もまた、画面の中心にいる運動としてのゴジラに、物語性とは異なる地平

    から没入するに至る。

     よって、第三者視点から破壊を見せるフラットな映像であっても、結局はゴジラへと回収されてい

    く。これらのシークェンスが、スペクタクルを効率よく見せる道を選択しているのはたしかだが、そ

    れは同時に、観客をより強くゴジラに惹きつける選択でもあったはずである。観客は、さまざまな視

    点を回収しスペクタクルそのものとして立ち現れるゴジラに身を添わせることで、すべてを一方的に

    見、 、

    ることのできる立場から、破壊を享受する。

     都市破壊スペクタクルのトリを飾るのが、テレビ塔を舞台に、ゴジラがカメラを構えた報道陣と対

    決する場面である36。この場面では、樋口も分析しているが、視点を刻一刻と変えながらサスペンス

    を盛り上げている。ショットを順に記すと、こうなる。

      1 (本篇)塔の上で中継しているアナウンサーとスタッフFS(フル・ショット)。

      2 (特撮)1の切り返しで、炎の街をバックにして吠えるゴジラBS(バスト・ショット)。

      3 (特撮)ゴジラの主観。フラッシュが明滅する。

           � テレビ塔のLS(ロング・ショット)。

      4 (特撮)テレビ塔の上。アナウンサーたちの後姿FS。

           �その前のスクリーン・プロセスにゴジラ立ちはだかる。

      5 (本篇)中継を続けるアナウンサーBS

      6 (特撮)塔にかみつくゴジラBS。

      7 (本篇)5に同じ。

      8 (特撮)6に同じ。

      9 (特撮)ぐらっと倒れて行く塔。

      10 (特撮)スクリーン・プロセスで塔とともに落下するアナウンサーたちFS。

      11 (特撮)さらに倒れて行く塔。

      12 (特撮)まっさかさまに落ちて行く人の主観。

      13 (特撮)大地に叩きつけられる塔。37

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    88

     カメラクルーの視点であるショット2や、彼らの後方にカメラが置かれているショット4では、人

    間側の視点が観客に提供されている。しかし、上手からゴジラが塔を襲うショット6やショット8を

    通じて、アナウンサーも(ショット7)テレビ塔も(ショット9)じりじりと下手に押されていく。落下

    する人間の主観映像も挟まれているが(ショット12)、下手側へと倒れるテレビ塔のショットがこれに

    続いている(ショット13)。そのため、都市破壊場面同様、ショットの視点がだれのものかということ

    を超えて、観客は一連の運動を支配するゴジラに己を重ね、安全な立場から倒れていく塔を感覚し、

    アナウンサーたちが落下する瞬間を目撃する。これまでの破壊場面では、明確な個々人の死は巧妙に

    回避されており、基本的にはミニチュアが破壊されるだけだったが、ここではついに、われわれは人

    の死そのものをゴ、 、 、 、 、 、

    ジラとして見下ろすことになる。

     芹沢がテレビを見つめているシークェンスは、実はこの、具体的な「人の死」を見せるというスペ

    クタクルのあとに置かれている。テレビ塔が倒壊したつぎのショットでは、いきなりテレビの画面が

    映し出され、スクリーンの中にもうひとつの枠ができる。画面内には、隅田川のあたりから見た、炎

    上する東京市街の姿が映し出されている。テレビ中継の音声でもって連続性を担保しながら、テレビ

    画面を映したショットは、それを見ている芹沢を捉えたショットへと切り替わる(図版2)。

     これらのショットの繋ぎは、観客にいささか奇妙な感覚を与えるものである。ひとつ目のショット

    の転換では、これまで何度かスクリーンに映されたものとよく似た、炎上する都市の姿が、そのまま

    劇中のテレビ映像に移行する。その上で、ふたつ目のショット転換では、そのテレビの映像を、たっ

    たひとりで「見て」いる男の姿が提示される。スクリーンの上手に位置を占め、やや下手へと視線を

    やっている男は、下手への運動であるゴジラに雄々しく立ち向かうのではなく、むしろそれを追いか

    ける  場合によっては、同調する  立場にいる。

     これらのショットが示唆しているのは、芹沢がわたしたちと同様、ゴジラによるスペクタクル的破

    壊場面の観客だった、ということである。本稿では芹沢の登場場面の少なさを何度も指摘したが、実

    は、ゴジラが東京を破壊しているあいだも、芹沢は映画の中に存在していた。ただし、スクリーンの

    内側にではなく、こ、 、 、 、

    ちら側にいたのだった。

     もちろん、ここまでスクリーンで展開されてきたゴジラの都市破壊シークェンスが、そのままテ

    レビで放映されていたことは絶対にない。テレビ塔の場面で検討したような複雑なショット繋ぎが

    (図版2:左 テレビに映し出された東京破壊の様子。右 それを見つめる芹沢)

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    89

    ニュースでできるはずがない上に、そもそもカメラが捉えられないだろう映像も混じっている。それ

    でも、映画のスクリーンとテレビの画面がほぼ重なることで、そのふたつは等号で結ばれてしまう。

    芹沢は、われわれ映画観客の似姿となる。彼はゴジラに没入し、特権的な眼差しを獲得して東京破壊

    を「見て」いた。このショットは、芹沢がすでにゴジラに魅入られてしまったことを観客に教えてく

    れる。

     考えてみれば、ゴジラが徹底的に東京を破壊している以上、テレビ放送が生きているのはやや奇妙

    なことである。リアリティーを優先するならば、芹沢は自室でラジオを聞いているべきだった。災害

    時に役立つメディアは、テレビよりもラジオだからである。にもかかわらず、ここでテレビが用いら

    れたのは、それが「見る」ことに直接関わるメディアだからだろう。スクリーンに映されるのが、芹

    沢がゴジラによる破壊状況を「聞いている」場面であったならば、『ゴジラ』という映画そのものが

    成立しなくなったのではないか。

     以上が、研究室内の芹沢を描く合計8秒ほどのシークェンスの持つ意味である。そして、恵美子と

    尾形が芹沢を説得する場面には、これに精確に呼応するシークェンスが存在している。

     芹沢はODの使用を拒絶し、尾形と揉み合いになって彼を傷つける。傷の手当てをする恵美子の姿

    を見て、芹沢がふたりの関係に気づくことは先に述べたとおりである。映画監督の塩田明彦が指摘し

    ているように、ここでは、彼が思い至ると同時に、芹沢とふたりとの切り返しにおいてカメラがイマ

    ジナリー・ラインを踏み越え、両者の視線が交わらなくなるという演出が施されている38。

     さらに、芹沢がやや俯きがちになりながら上目づかいに恵美子と尾形を見やるショット(図版3)が、

    アップの程度こそちがえ、テレビ画面を見る芹沢と同じような角度から撮られていることを見逃すべ

    きではない。どちらのショットにおいても、芹沢は、見たくないと思っているにもかかわらず対象に

    惹きつけられ、のめりこんでしまっている。ここ

    で彼は、テレビ画面を通じてゴジラというスペク

    タクルに没入し、全知の視点に溺れてしまったこ

    とのしっぺ返しを受けているのであり、これまで

    「見る」ことを避けてきた恵美子と尾形の関係にも

    直面せざるを得なくなってしまう。

     ODの使用を求める尾形の正論は、ジャンプ・ショットによって強調され、尾形の顔、尾形の眼差

    しとして芹沢に迫る。それでも芹沢は、「人間というのは弱いものだ」と要求をはねのける。東京破

    壊の中に置かれた研究室のシークェンスを通じて、芹沢が、安全な立場からゴジラ=スペクタクルに

    没入してしまったことが示されているからこそ、この言葉は説得力を持ち得ている。その機会が与え

    られたなら、人間は、人の死そのものまでスペクタクルとして享受してしまうかもしれないのである。

     最終的に、ODの使用を芹沢に決意させたのは、恵美子や尾形の言葉ではなかった。両者の議論が

    膠着したまさにそのとき、テレビから、平和を祈る少女たちの歌声が流れ出す。ジャンプ・ショット

    (図版3:恵美子と尾形の関係に気づいてしまった

    芹沢)

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    90

    によってカメラはテレビ画面に近づき、しばらくしてショットが変わり、映画のスクリーンは昨晩と

    同様、テレビの画面と完全に重なってしまう(図版4)。

     破壊された東京や野戦病院の様子、ゴジラの被害を受けたのだろう、伏し拝むようにラジオを聞い

    ているおおぜいの人びとを映したショットなどが続き、やがて、歌い手の乙女たちがスクリーン上に

    姿を現す。彼女たちをひとしきり映したあと、ショットが変わり、芹沢の姿が映し出される。吸いつ

    けられるようにテレビ画面を凝視したあと、芹沢は目を背けてしまう。

     芹沢が、昨晩、ゴジラ=スペクタクルに己を重ねただろうことを考え合わせるなら、芹沢にとって

    この人びとは、結果的にではあれ彼自身が踏みにじった人びとでもある。そして今、テレビの画面を

    通じて、芹沢は、自分が何をしたのかを、例によって見たくないのに「見て」しまった。その結果、

    芹沢はODの使用を決断する。『ゴジラ』のストーリーが紹介される際、「少女たちの歌声」が芹沢を

    動かしたのだと一般的には語られるが、それよりも、少女たちに代表される他者の存在を視覚的に認

    識したことの方が、理由としては重要だろう。

     なお、芹沢は衝撃を受けた直後、すぐにテレビを消してしまうため、彼が何を見たのかは実のとこ

    ろよくわからない。少女の歌声にテレビ番組が(映画『ゴジラ』が、ではなく劇中のニュースが)どのよう

    な映像を組み合わせていたのかは、実のところ不明である。ゴジラの都市破壊シークェンスがその

    ままテレビのニュース映像ではありえないのと同様、ここでスクリーン上に展開されたいくつもの

    (図版4:上左 テレビに目を向ける芹沢たち。上右 廃墟と化した東京を映すテレビ。

        下左 テレビ画面へのジャンプ・ショット。下右 テレビの枠が消える)

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    91

    ショットについても、テレビを通じて芹沢が見た映像とイコールだという保証はどこにもない。

     とはいえ、これらのショットはバックで流れている歌声によって連続性が保たれているため、芹沢

    がテレビを通じて無数の他者の存在を受け止めたことは、映画的な事実として成立する。ゴジラの東

    京襲撃を「見る」芹沢と、少女たちが歌う姿を「見る」芹沢というふたつのシークェンスを経て、芹

    沢がゴジラの名を口にしていないという事実もまた、彼がゴジラに負けないよう懸命に心を砕いてい

    たことを示すものとして、遡及的に機能するようになり、ひとつのドラマを形作る。

     このふたつのシークェンスの対応は、「場」のムードを発展させたものと見なすことができるだろう。

    樋口の指摘する「場」のムードとは、なんらかのドラマを内包していそうなショットを、なんの説明

    もなく挿入しながらそれを無視し、平然とスペクタクル・シークェンスを展開することで醸成される

    ものだった。あとになって、そのショットの意味が明らかにされるまで、観客は映画がどこに進もう

    としているのかわからないもやもやに付き合わされる仕掛けである。

     ゴジラの東京襲撃の中に唐突に埋めこまれた芹沢の姿は、無人の銀座の様子が数ショット続いたあ

    と、唐突に挿入されたデパート裏の母子のショットに等しい。すなわち、なんらかのもやもやを惹起

    しながらも、それだけでは物語的意味を持たない映像である。それが、映画の上映時間にして10分弱

    ほど後、恵美子と尾形が芹沢を説得する段になって効いてくることになる。

     そして重要なのは、ほかの「場」のムードの場面が、特撮と本篇の繋がりを滑らかにし、ひとかた

    まりのスペクタクルのイメージを創出することに奉仕しているのに対して、この芹沢の場面は、そう

    して創られたスペクタクル的イメージのすべてを受け止めて、芹沢というキャラクターのドラマに回

    収する機能を担っていることである。スペクタクルに没入した芹沢の回心は、そのまま、この映画全

    体を貫くひとつの映画的な物語となる。この物語の力によって、怪獣ゴジラはついに倒される。「場」

    のムードとは、樋口の指摘とは反対に、スペクタクルに対峙し、それを解体する役目すら担うことの

    できるものだ、といえるだろう。

    6. おわりに

     本稿の検討によって、『ゴジラ』がどのような映画としてあったのか、その戦略が明らかになった。『ゴ

    ジラ』は、特殊技術撮影を最大のウリにするという意図でもって企画されたがために、スペクタクル

    としての怪獣ゴジラを前面に押し出した映画として成立した。純粋なスペクタクルである怪獣ゴジラ

    の前では物語は成立せず、人びとは無残にも敗れ去っていく。だとすれば、ゴジラの打倒は、普通に

    考えるならばゴジラを上回るスペクタクルによってでしか実現することができない。しかし、『ゴジラ』

    はそのような結末を選択することはなく、ゴジラをいかに倒すかにも徹底してこだわってみせた39。

     ゴジラは、芹沢大助博士が発明したODによって倒される。わたしたち観客がスペクタクルを欲望

    してしまうように、芹沢もまた、ゴジラに没入してしまった人物だった。ゴジラの東京襲撃シークェ

    ンス、および、芹沢がテレビを通じて見た、歌う少女たちをはじめとするさまざまな光景は、いうま

    でもなく、説話論的な要素として物語的意味を担うことよりも視覚的効果のための装飾的側面足るこ

    とが優先された、スペクタクル化されたショットである。にもかかわらず、スペクタクルを「見て」

    しまう芹沢という人物を用意し、彼がその責を負ってゴジラを倒す展開を用意することで、本作は、

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    92

    スペクタクルの前で物語は成立するかという問い自体を、ひとつの物語に仕立てることに成功してい

    る。このようなアクロバティックともいうべき戦略が、本作では貫かれている。

     このことをいい換えると、次のようになるだろう。  『ゴジラ』では、長谷正人いうところの「私

    たちの視覚的欲望の対象である衝撃的な映像」が、怪獣ゴジラの都市破壊という形で、ドラマを置き

    去りにして延々と展開される。しかしそれは、単なるスペクタクルの台頭ではなかった。『ゴジラ』

    において、芹沢は、本来はゴジラの破壊とまったく無関係であるにもかかわらず、スペクタクルを欲

    望したことの責任をとって、ゴジラを倒して死んでいく。芹沢の死は、スペクタクルを断念すること

    の正しさをメタ的に提示するものなのである。『ゴジラ』は、「私たちの視覚的欲望の対象である衝撃

    的な映像」が到、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

    来してしまっていることを前提にして、なお、わたしたちが採りうる倫理的な選択肢

    はいかなるものかを問うていくような映画として成立している。

     むろん、このような映画は『ゴジラ』だけではないだろう。筆者が強調したいのは、視覚的スペク

    タクルをウリとしている映画にも、スペクタクルを批判する視点が内包されている場合があるのでは

    ないか、ということである。戦後日本の特撮映画では、怪獣という形象を通じて、スペクタクルと物

    語の問題が継続的に扱われていった。特撮映画のみならず、ちゃんばら時代劇映画などにも同様の問

    題意識を読み取ることは可能かもしれない。これらの作品群には、古典的ハリウッド映画とはまた別

    の、検討されるべき豊饒さが眠っているのではないだろうか。この点を強調して、本稿を終わりたい

    と思う。

    1 順に、川本三郎「ゴジラはなぜ「暗い」のか」(『今ひとたびの戦後日本映画』岩波現代文庫、

    2007年、pp.73-88)、友成純一「大怪獣アメリカ!?  私の怪獣体験」(『幻想文学39』幻想文学出

    版局、1993年9月、pp.8-11)、中沢新一「ゴジラの来迎  もう一つの科学史」(『中央公論』98-

    14、中央公論社、1983年12月、pp.78-93)。

    2 とはいえ、こうした議論が、社会問題をキャラクター消費の素材に堕してしまいかねない危険を

    伴っていることは弁えておくべきであろう。ポピュラー・カルチャー領域におけるキャラクター

    消費の問題を取り上げたものとして、拙著『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー 特撮映

    画・SFジャンル形成史』(青弓社、2016年)を参照。なお拙著では、映画評や評論に着目して「特

    撮映画」ジャンルの形成を論じたが、作品そのものを詳細に分析することはなかった。この点で、

    本稿は拙著の不足を補うものでもある。

    3 なお、テキストとしては、東宝株式会社より2001年に発売されたDVDを使用した。引用するセ

    リフなども、すべてこのDVDを用いて筆者が聞き取ったもの。

    4 長谷正人『映画というテクノロジー経験』(青弓社、2010年)p.115。

    5  古 典 的 ハ リ ウ ッ ド 映 画 に つ い て は、David�Bordwell,�Janet�Staiger,�and�Kristin�Thompson,�The�

    Classical�Hollywood�Cinema�:�Film�Style�and�Mode�of�Production�to�1960�(Routledge�and�Kegan�Paul,�

    1985)、蓮實重彦『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』(筑摩書房、1993年)、加藤幹郎『映

    画 視線のポリティクス 古典的ハリウッド映画の戦い』(筑摩書房、1996年)、『映画ジャンル

  • ゴジラはいかにして倒されたか―映画『ゴジラ』(1954年)におけるスペクタクルと物語―

    93

    論 ハリウッド的快楽のスタイル』(平凡社、1996年)などを、初期映画から物語映画の移行に

    ついては、長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタクル  沸騰する映像文化の考古学』(東

    京大学出版会、2003年)などを参照。

    6 長谷正人「20世紀の映像文化とメロドラマ的想像力」(伊藤守・小林宏一・正村俊之編『電子メディ

    ア文化の深層』早稲田大学出版部、2003年)p.37。

    7 同上、p.42。

    8 同上、p.43。

    9 Kristin�Thompson,�Storytelling� in� the�New�Hollywood:�Understanding�Classical�Narrative�Technique�

    (Harvard�University�Press,�1999),�David�Bordwell,�The�Way�Hollywood�Tells� It:�Story�and�Style� in�

    Modern�Movie �(University�of�California�Press,�2006)。両者の議論の要点のまとめを含みつつ、現代

    のハリウッド映画をめぐる議論を概観したものとして、藤井仁子編『入門・現代ハリウッド映画

    講義』(人文書院、2008年)所収の山本直樹「第二章 映画への回帰  『マイノリティ・リポー

    ト』再考」pp.41-44、藤井「第三章 デジタル時代の柔らかい肌  『スパイダーマン』シリー

    ズに見るCGと身体」pp.72-75も参照。

    10 藤井前掲「デジタル時代の柔らかい肌  『スパイダーマン』シリーズに見るCGと身体」p.74。

    11 同上、p.75。

    12 樋口尚文『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』(筑摩書房、1992年)p.190。

    13 同上、p.190、192。

    14 同上、p.183。

    15 同上、p.196。

    16 同上、pp.196-197。

    17 同上、p.197。

    18 同上、p.193。

    19 芹沢を演じた俳優・平田昭彦も、芹沢が「すべて喋って、すべて謎解き」する立場にないことを

    『ゴジラ』のおもしろさとして挙げている。「平田昭彦インタビュー」(『東宝SF特撮映画シリー

    ズVOL.3 ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン』東宝株式会社事業部出版商品販促室、1985年)

    p.105。

    20 一例を挙げると、映画史家の四方田犬彦は、「本来的にはエコロジカルな視点に立った反核映画

    である」と『ゴジラ』を評している。四方田『日本映画史100年』(集英社新書、2000年)pp.147-

    148。

    21 金原千佳「芹沢博士は何回ゴジラの名を呼んだか 一九五四年、記憶=想起をめぐる闘争」(『Pop�

    Culture�Critique�3 日米ゴジラ大戦』青弓社、1998年7月)p.86。

    22 いわゆる特撮映画ファンたちが、1980年代からそうした議論を展開しているほか、90年代に入る

    と新聞紙面などの公的な場所でも同様のことが語られるようになる。たとえば、「窓  論説委

    員から  」(『朝日新聞』1992年1月21日付け夕刊)では、ゴジラの東京来襲には空襲の記憶が

    重ねられている、と述べられている。

    23 木下惠介の手になる、庶民の(特に女性の)苦難を描いた作品群が熱狂的に受容された背景に、

  • 東京成徳大学研究紀要� ―人文学部・応用心理学部― 第24号(2017)

    94

    「女たちの受苦」を前面化させることで、敗戦によって去勢された男性主体というイメージを否

    認する  あるいは傷ついた男性性の回復を図る  欲望が存在していたことを指摘したものと

    して、斉藤綾子「失われたファルスを求めて 木下惠介の“涙の三部作”再考」(長谷正人、中

    村秀之編著『映画の政治学』青弓社、2003年)pp.61-120を参照。戦時中、広島で幼稚園の教師を

    していた女性が、戦後ふたたび広島に帰ってきて教え子を訪ねる映画『原爆の子』に国民国家の

    再統合の欲望を見出した、深津謙一郎「喪の失敗」(関礼子、原仁司編『表象の現代�文学・思想・

    映像の20世紀』翰林書房、2008年)pp.249-268にも、斉藤論文に通じるところがある。

    24 樋口前掲『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』p.198。

    25 木原浩勝「ゴジラ映画はいかに演出されたか」(『KAWADE夢ムック 総特集円谷英二 生誕100

    年記念』河出書房新社、2001年)pp.41-42。

    26 同上、p.43。

    27 金原前掲「芹沢博士は何回ゴジラの名を呼んだか 一九五四年、記憶=想起をめぐる闘争」p.86。

    28 同上、p.88。

    29 同上。

    30 同上、p.89。

    31 同上、p.90。

    32 同上。

    33 同上、p.92。

    34 『ゴジラ』のシナリオ決定稿については、前掲『東宝SF特撮映画シリーズVOL.3 ゴジラ/ゴジ

    ラの逆襲/大怪獣バラン』pp.75-93所収のものを参照した。

    35 樋口前掲『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』p.188。

    36 ただしこのあと、海上へと去ったゴジラが勝鬨橋を横転させた上、戦闘機と交戦する場面はある。

    37 樋口前掲『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』pp.187-188。

    38 塩田明彦「フィクションの力 『ゴジラ』をめぐって」(黒沢清ほか『映画の授業 映画美学校の

    教室から』青土社、2004年)p.173。

    39 2016年7月に公開されたシリーズ最新作『シン・ゴジラ』は、一作目のリメイクとしての側面を

    色濃く湛えており、物語では御せない叙事的存在としてゴジラを描き出すことに関してはかなり

    の達成を見せていた。とはいえ、そのようなゴジラをいかに倒し、物語に回収するのかという問

    題意識は、いささか弱いものだったといわざるを得ない。