969) - 175...

11
大阪市立大学家政学部紀袈・第17 i$(1 969) -175 ニイルの教育論における自由の概 念 良匹 TheCon ptionof FreedominA.S.Neill's Theoryof Ed u on By SHINICH lR OHORI 1." f 乙乙 IC はニイルっていうすてきなやつがいます。ぼ くはかれがすきです。J 1> 6 才になる男の子が自分の学 校の校長のζ とを乙のように両親に書き送っている。乙 の風変わりな学校の経営者であるニイル (Alexander SutberlandNeill 1 ι)は, 精神分t1Tに建設的基礎 を求めた徹底的な自由教育の主張者として知られ,彼の サマーヒ J レ・スク ール (SummerbillSc h 1) は.いわ ゆる「革新学校J あるいは「進歩主義私立学校jの中の 最も急進的なものとして有名である。サマーヒルは創設 以来すでに半|佐紀に近い歴史をもっているが,その悶, 教育の呂傑と方法として変わるととなく寅かれてきたの f 自由」の原理である。そこでは,生徒{まI1!t. 大限の行 動の自由を封、められ,教師の権威は簸小限IC 制限されて いる。子どもたちは 「ニイル」と校長に話 しかけ,教師 と悶等の縦限をもって校則を決定し,学習を強襲される ζ ともなく,ロヒ貸される乙ともない。およそ学絞らしか らぬ乙の学校は,ポストン大学のナッシュ (P.Nash) が「……生徒に許される自由の極織さによって,伝統的 教育鋭l ζ衝撃を与え続けてきた A.S. ニイルJ :>と言っ ているように, 生徒に 自由を認、める乙とに おいて,おそ らく歴史上最も徹底したものであるう。 ニイJ i ま,良さ強i 解者,諸国静志教授の労によって, わが聞に少なからぬ支持者・共鳴者を得てきた。そして 『問題の子ども』等の初釈の出た昭和初期, r ニイ J レ書聖 書』金 81 冊の出た2 併手代半ばに緩いて, r ニイ ル著作集』 であると思われる。ニイルの思想はそれぞれの時代に, 伝統的な教育不様な人々に刺激と勇気を与えたが,し かし,霜田教授のしばしば指泌されるように,本絡的な 研究も少江いまま忘れ去られるのもまた早かった。それ は,ニイルの教育論が既存の体制とは容易IC 調和し得な いという綬本的な原因にもよるであろう。だが,それと 1<:: ,ニイ ルl ζ共昭島する人たちの中IC ,彼を真に理解す る人の少なかった ζ とにもよると考えられる。 (幻 ) ニイルが『自由の子どもJ(1 9 臼)で径っていると乙 ろによれば,彼の教育論が最も良 く知られているのはス カンジナヴィア諸国と日本においてである。お(もっと も,196 併科ζ 『人間育成の基礎一一サマ ーヒルの教育』 がアメリカで出版されて以来,ア メリカでfl もよく理解 されているようであり,筆者あての弘信よれば,現在 サマーヒ ルの会児童名のうち40 名はアメリカから来て いる。) ニイ J レは日本IC 多くの読者を見出したけれども.彼IC 対する批判もまた強かった。 ある者は「彼の文章が漫文 である線』ζ, 彼の思想、は漫想、,彼の学校は漫学校であ る。J 引 と吻笑し, また, 抑圧からの解放を鋭 〈ニイル を,しつけ否定の形式論者であるときめつける心理学者 もある。また ,r ニールはあらゆる権威 ・抑圧 ・拘束か ら子どもを解放するを念ずるのあまり,子ども自身が建 設すべき自由の重大佐を忘れたJ 51 という批判もある。 乙れらの批判に限らず,およそニイルの教育論l ζ異議 を唱える者は, ニイ ノレの主張する自由には.ある行動へ と自己限定するという積極性がないという点で一致して いる。すなわち,サマーヒ J レ・スクールにおけるfI自は 消極的な解放としての r ...... からの自由J であって,積極 的な r ...... へ の自由jを欠いているというのである。 果 してそう であろうか。私はこうした批判IC ,単純に して一面的なものを感ずるが放に,乙 の小諭において, ニイルの教育聖豊富舎の中心紙念である f 自由jの質を明磁 ζし,それのもつ現代的意義を明らかにしたい。その手 掛りを,まず,彼の思想の発展の跡を業錯する乙と に求 めるのが適当であろう。 2. ニイル教育思想の発展 前述のように, ニイ ルの著作の中心頓念は自由であり 顧して次のように言っている。「サマーヒ ルは今や 41 になった。……40 年といえば長い年月である。私はしば しば,出発の時以来見解を変えた とζ ろがあるか,と尋 ねられる。根本的には変えていない。自治について,学

Upload: others

Post on 31-Jan-2021

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 大阪市立大学家政学部紀袈 ・第17i$(1969) -175ー

    ニイルの教育論における自由の概念

    堀 真 良匹

    The Con偲 ptionof Freedom in A. S. Neill's Theory of Edu叩“onBy SHINICHlRO HORI

    1. " f乙乙ICはニイ ルっていうすてきなやつがいます。ぼ

    くはかれがすきです。J1> 6才になる男の子が自分の学

    校の校長のζ とを乙のように両親に書き送っている。乙

    の風変わりな学校の経営者であるニイル (Alexander

    Sutberland Neill, 1槌 ι )は,精神分t1Tに建設的基礎

    を求めた徹底的な自由教育の主張者として知られ,彼の

    サマーヒJレ・スクール (SummerbillSch∞1)は.いわ

    ゆる「革新学校Jあるいは「進歩主義私立学校jの中の

    最も急進的なものとして有名である。サマーヒルは創設

    以来すでに半|佐紀に近い歴史をもっているが,その悶,

    教育の呂傑と方法として変わるととなく寅かれてきたの

    が f自由」の原理である。そこでは,生徒{まI1!t.大限の行

    動の自由を封、められ,教師の権威は簸小限IC制限されて

    いる。子どもたちは 「ニイル」と校長に話しかけ,教師

    と悶等の縦限をもって校則を決定し,学習を強襲される

    ζ ともなく,ロヒ貸される乙ともない。およそ学絞らしか

    らぬ乙の学校は,ポストン大学のナッシュ (P.Nash)

    が「……生徒に許される自由の極織さによって,伝統的

    教育鋭lζ衝撃を与え続けてきたA.S.ニイルJ:>と言っ

    ているように, 生徒に自由を認、める乙とにおいて,おそ

    らく歴史上最も徹底したものであるう。

    ニイJレiま,良さ強i解者,諸国静志教授の労によって,

    わが聞に少なからぬ支持者 ・共鳴者を得てきた。そして

    『問題の子ども』等の初釈の出た昭和初期, rニイ Jレ書聖書』金81冊の出た2併手代半ばに緩いて,rニイ ル著作集』金9~の完結した今日は,ニイ ルの読者の厳も多い時期

    であると思われる。ニイルの思想はそれぞれの時代に,

    伝統的な教育iζ不様な人々に刺激と勇気を与えたが,し

    かし,霜田教授のしばしば指泌されるように,本絡的な

    研究も少江いまま忘れ去られるのもまた早かった。それ

    は,ニイルの教育論が既存の体制とは容易IC調和し得な

    いという綬本的な原因にもよるであろう。だが,それと

    共1

  • -176ー 児

    習の強制からの自由について,大人の暗示や援助なしに

    子ども時代を遊び銭く自由について,事/.1ま一度だって疑

    ってみた乙とはない。J61

    教育にお砂る自由の意義についてのニイルの信念は少

    しも揺がなかった。しかし,後の70年に及ぶ教育生活を

    緩観してみる時,彼の主張する自由の意味と会話3および

    強調J煮の置き所には,三つの設潜が認められる。第ーは

    彼が16才で初めて教師となった1悶併手から1918年のホ-

    7 ー・レーン (HomecTyreU Lane 1876-1鐙5)との

    出会いまで,第二は.1937年の『恐るべき学釦の出飯

    の頃まで,第三はそれから現在までである。

    父ゾョ-~ ・ ニイル/)f校長を勤めるスコ γ トランドの

    小学校での見習い教師としての4年間の後, ニイルが正

    規の(しかし金下級の〉教員資格を取ったのは.190胤

    彼が19才の時であった。彼は2.3の学校iζ勤めたけれ

    ども,小規模だが家族的な父の学校では考えられない位

    の厳格な訓練主義の教育方針11:従えず. r悪夢のような数年」の後ICエジンパラ大学に入学した。MAの学位を

    もって卒業したニイルはロンドンの出版社に識を得た。

    レかし第一次世界大戦の勃発時における大衆の反戦運動

    の熊カを自修して教育の霊要性を痛感し, 故郷の村の学

    校で再び教師の生活を始めたのである。わ

    ζの時期の著作には処女作 『教師の手記J 0915年)

    と 『免職された教師J(1917年)がある。 rl!11¥練の必要を私もまた認めないではない。しかし私の認めるのは自律

    的訓練である。・…・・私は厳格な訓練を好まない。私は子

    どもICはできるだけ自由を与うべきものと信じている。J

    81 r忍の隻みは何よりも先ず子どもを幸福ならしむるζとにある。如何なる人といえども子どもの世界の明かる

    い空を曇らせる継利はない。それとそ本当に霊震をけが

    す罪である。j軒乙のような叙述の中K. Rlc.児童の

    自然性を尊重し,その十分な発展をもって理忽とする教

    育観が見られる。 ζ れらのこ容は相当の反響を呼んだと

    いう ζ とであるが,しかし, ニイル白身の認めているよ

    うに.伝統的教育に対する暗中模索的な反抗の審物であ

    って,明確なE聖書歯的基礎を欠いていた。解放されるべき

    児童の心理の理解も,鋭いけれども素人の観案以上のも

    のではなかったのである。

    ニイルの児童理解の肢を開き,全く新しい世界へと導

    いたのはホーマー・ レーンであった。レーンは1913年tζ

    アメリカより招かれて「リトル・コモンウニルスJ(The

    Little Commonw副 th) という非行5同司、女の更生施

    設の管理を委託されていた。後は 「子どもの味方になっ

    てJ(on the side of children)をモットーに,非行少

    盆 学

    年たち1C:ft大限の自由を許して見事な自治共同体を組織

    していた。 1918年,後の夫人の紹介で乙乙を訪れたニイ

    ルは,自分の主張してきた自由が問題児の閉でさえ有効

    Iとめいているのを見て,白血の教育iζ対する信念を一層

    強めたのである。しかもレーンは精衿分析という新しい

    心理学に護E量的基礎をもっていた。乙の時のニイルの感

    動{ま余程大きなものであったらしく.後Iま次の手記 r教師の疑いJ(191鮮討をレーンに畝げた。また, レーン

    との出会いが自分の教育者生活tζおける画期的な出来事

    であったとしばしば遊べ.40年後Iζ次のように迩後して

    いる。「あの週末は弘の生涯を酉する最も重要な日であ

    った。レーンは自分のいろいろな事例を,明け方近くま

    で伎を徴して語り続けた。当時の私は,ある程度の教育

    宮学は手探りで濯みかけていたのであるが,しかし,心

    理学については全く知らなかった。レーンは私をフロイ

    トへと導いてくれた。j10)ニイルは,しかしながら,レ

    ーンによって精神分析を知っただけではなく.後IC触れ

    るように,児m観,人間観においても相当の影響を受けているのである。

    応召と除l欽, ロンドンの 「革新#校」のひとつキング

    ・アルフ レッド校への泰験, そしてエンソア (Beatrice

    Ensore)を中心とする照際新教育協会 (NewEducation

    Fellowship)の設立のあとに, ニイ Jレはドイツに渡り,

    大戦後の ドイ ツ・マルクの暴落』ζ粂じて ドレスデンに国

    際学校を創設した。不幸にしてその学校はドイツでも移

    転先のオーストリ ーでも失敗したため,t四4年ICニイ Jレ

    は帰国して,そ乙で大担に自己の教育理想の実現を2式み

    た。彼lまかつて,当時としては最も進歩的であったキン

    グ・アルフレッド校でも,余りに過激であるとして受け

    入れられず,また会長エンソアと共IC設立の中心となっ

    た国際新数育也会からも f無政府主義的自由主袋者Jと呼ばれて斥けられたのであるが れ九今やわずか5人の

    生徒からなる学校で,自己の信念にもとずく署員育を始め

    たのである。

    サマーヒルはそれ以来袋多の鼠廷に訴えて今日 まで存

    続しているが, 当初の1昨位i孟. r問題児時代Jとニイルの呼んでいるように,生徒の大部分Iま何らかの問題を

    もつものであった。つまり,他の諸学校から放校になっ

    た問題児の最後の吹きだまりの観があったのである。乙

    の頃の著作には 『問題の子どもJ_(19話年)や f問題の

    銭J(1932年) などがある。 そして当然の乙とながら,

    閑錨児の治僚に関する叙述が多い。

    ζの時期におけるニイルの訟述の強調点は,児童とく

    に問題児の感情的解放におかれている。「困った子ども

    ( 28 )、

  • 掲:ニイルの幸il著論における自由の厳念 -177-

    というのは実は不幸な子どもである。彼は内心に戦って

    いる。その結果として外界Ir.向って戦うのである。J12'

    と後lir問題の子ども』の序で言う。「問題の子ども」(a problem child)の問題行動は決して遇然IC現われた

    ものではなく.また, もって生まれた素質から生じたの

    でもなく, 内心の葛藤 (∞nflict)やコンプレ7 クスが

    その原因となっているのである。 そしてとの内心の湾害

    は.児蛍の本来li1普なる自然伎を,外的な道徳数育とそ

    れが内面化された超自我が抑圧すると乙ろから生ずるの

    であるから,問題の子どもといえども, 乙の外的権威と

    超自我による抑圧から解放してやれば愛すべき善良な子

    どもになるであろう, というのがニイルの仮説であった。

    それ放彼は宣言する。「弘の学校のJ'!.念i主解放である。J

    131 r私の仕事は, むちゃ神を恐れるζ とによって聖与を教え込まれた子どもを相手にする。それは…・そういう

    教育を受けた者からその教育を取り去って自然の状態lζ

    渓す仕事 (thework of uneducating the educated)

    である。J1劇

    ニイ Jレは,問題児の無意識のう ちに抑圧され [カン拾

    にされている」自然的な欲求の健全な表出を図ることが

    問題児教.背の第一の仕事であると考えた。乙の「抑圧一

    一解放j理鎗は,ホー7 ー・レーンを過してフ ロイ卜を

    知ったζとから生まれた。しかし,ニイルは抑圧からの

    解放に関してフロ イトとは見解を全く異lとする。フロイ

    ト11第一次世界大戦の後lζ,人間の二大本能として 「生

    の本能jと 「死の本能j を認めた。「君主有がその存在を

    信じております諸本能は二君事Ir.分れ, 主主きている実質を

    より多く集めてより大きい単位にしようとするエロス的

    諮本能と,乙の傾向に反して.生命あるものを祭機的状

    態へ還元する死の諮本飽とになります。商本能の協力作

    用と反対作用とから生命現象は生ずるのであります。j

    IS1とフロイトlま言う。「死の本能Jの存在を仮定すれば

    人間の自然性の抑圧が神経症の原因であるにも拘わらず

    とれを何らかの仕方で抑制する必要がある。フロイトは

    また.r人間は人間にとって狼である。人生と歴史の経験Ir.照らして,乙の命題Ir..!命を唱える勇気のある者が

    あろうか。J1・3とも響いている。フロイトによれば,人間11死と滋域への生得的傾向を具えているが故ι 人胞の自然的傾向はζれを適度に抑制し. r昇華してJ文化的K伝値ある力へと高めねばならない。鈎鈎が昇重要の限

    界を越えると神経獲が生ずるが,一般的には衝動の抑制

    と文化の発達は比例し,街動の直接の発動と文化の発達

    とは反比例する。 従って教育li児1訟の自然的欲求の制御

    を.Ill初の仕事とする,という ζ とになる。

    (鈎 )

    精神分析を知った当初のニイJレ!C1ま. ζの死の木骨量鋭

    を支持するような叙述が見1.1¥されるが, しかし.r問題の子ども』以後はζの鋭を完全に鍛回して,死の本能{立

    生の本能の歪められ転倒した二次的傾向であるとしてい

    る。 「われわれが一人の幼児を見たとき,後に悪意iま全

    くない。それはキャベツやトラの子どもが悪意をもたな

    いのと同じ乙とである。子どもはただ生命力(IifefOTCe)

    をもっている。J17'それ故その生命力を十分I.r:発揮させ

    れば,問題児{ζおける問題はやがて解決されるであろう

    と彼は大胆に仮定したのである。 ζの解放の遂をニイル

    {ま自治と自己決定の生活{三求めた。「全主主集会(全後。

    治会)J(General Meeting)によって決定される規則iζ

    抵触しない限りは,全く児童の好きなようにさせた訳で

    ある。殊に学習を強主要しないという乙とは,サマーヒル

    を他の進歩的緒学校から最も明確に特色づける点であ

    る。

    同時にまたニイJレ[ま問題児の心理的解放を促進するた

    めに,心強的取J泣いを採用した。乙れが「プライヴェー

    ト・レッスン」で,精神分析をニイル独自の技法で児童

    Ir.応用したものである。それは.r非定形の炉辺の対話」によって問題児の無意識に泌む原因に迫り,それから児

    訟を解放することを目的とする ものであった。フロイト

    の方法をいち早〈 問題児Iζ応用した人にアイ ヒホルン

    (August Aichhom)があり,精神分析と教育の関連を

    省じた人にスーザン ・アイザークス (Su羽 nIsaacs)な

    どがあったけれども,乙れを雪量遜の学校4ζ笑際K応用し

    たのは.おそら く当時ニイルの他にグ1を見なかったであ

    るう。 キール大学のスチュアート (w.A. C. Stewart)

    が,ニイルを「教育における進夢的フロイト吉正の辰初の

    人J181と評じているのもそのためである。籍回教綬に

    よれば,ニイルの分析と治療の方法は専門家のクライン

    (Melanie Klein)やアンナ ・フロイトのそれと比絞し

    て少しも遜色のない天才的なものである。

    以上から明らかなように,ニイルの思想発展の第二郎i

    においては. r抑圧からの解放Jが彼の著作と実践の示通事動機として貫かれていると考えてよいであろう。

    キャッスル (E.B. Castle)はユイルを n註よりも気の確かな狂人J1~1 と呼び,また. rニイルの方法と前後について我々 には賛同しかねる点がどんなにあるとして

    も少年少女との共同生活における彼の英雄的な忍耐と

    信念とに患いをいたすならば. 喜~ff上の解主主者の道ほど

    凶ままなものはないと認めざるを得ない。J20'と言ってい

    る。子どもたちの磁場行ゐに悩まされ,緩の主主理解IC煩

    わされ.r理事るべき学校H気まま学校Jと酷苦手され.経

  • -178ー 児

    済的因廷に苦しみつつも,ニイルはキャ .~ スルの指舗の

    ように忍耐強〈信念を押し通した。そしてその仕事は次

    第に報われ始めた。抑圧された感情を解放され,一人の

    共用体布陣成員として認められる環境の中で,大多数の

    「手におえない子どもjが愛すべき社会性ある子どもに

    変わってきたのである。 『払曜の子ども』出版以来10年

    にしてニイルは次のようK断言している。「主主有がサマ

    ーヒルでなし得た最大の発見lま,子どもは誠実さをもっ

    て生まれてくるという ζ とである。J%1) rサマーヒル学園li一つの実験学校として始められたものである。しか

    し今日においてはもはや実験学校ではない。デモンスト

    レーションの学校である。虫歯が行われており,しかも

    それが成功しているζとをデモンストレー トしていると

    ζろの学校である.J:2'

    サマーとJレli次第Iζ知られ,認められるようになり,

    生徒数も淘えていった。とζ ろが,彼の学校が安定しそ

    の成果を誇り得るようになるにつれて,ニイルの教育思

    想iとひとつの変化が現われてきた。その変化は,質的な

    ものと見る乙ともできるし,また思想全体における強調

    点の変化であると考える乙ともできょうが,いずれにし

    ても明憾な変化なのである。

    それをまず「プライグェート ・レッスンJすなわち児滋の心瑳療法についてのニイルの評価の変化から見てみ

    よう。既に述べたように,彼は間遅児の感情の解放のた

    めに,独自の技法で分析と治療を行なっていた。 『問題

    の子どちJr問題の忽』 には乙れについての多くの事例が報告されている。 1937年の『恐るべき学校』にも少な

    くない。とζろが, ζの 『恐るべき学校』を境にして,

    ニイ ルは問題児の心理的取扱いを重要なものとは考えな

    くなってくる。後は 「いっそのζ と思い切ってプライグ

    ェート ・レッスンlま清算してしまって,子どもらといっ

    しょに工作や創やダンスをするζ とK多くの時間をささ

    げたいと患っている。J霊前とさえ言っているのである。

    その理由の一つは,サマーヒルがt置に知られるように

    なった結果,ニイルに知島する進歩的な書更が普通の子ど

    むを送ってくるようになったため,プライヴェート・レ

    ッスンの必要が少なくなった,という乙とである。さら

    に,教育者が心理学者を兼ねるζとは教育上いろいろな

    隊客となるという理由もある。しかし,最も軍要な理由

    は,サマーヒルの自由な生活の中で, ニイWの分街を拒

    否した問題児も伺じように社会性のある善良な子どもへ

    と成長するのを磁怨した乙とにある。 ニイルは考える,

    自分は幾人もの子どもを分析し,そして治績の結果を得

    た。しかし分析に来るのを拒んだ子どもにおいても, 2,

    ( 30 )

    3年のうちには同織の結果が得られた。乙れは何故か.

    またあるノイ ローゼ患者がフロイトの技法によっても,

    またアドラーのカの理E舎によっても,おそらくは治鐙され得るだろうが,乙れはどういう釈か。一体分析とは何

    であるか。乙うしてニイルは分析の価値を疑い,結省を

    下す。 f分析がなおすのでないと私は断言せざるを得な

    い。なおすのは何かほかのものである。それならそれは

    何か。サマーヒル学置での経験から言えば,なおすもの

    は愛であり.示怨であり,自分自身iζE忠実な生活をさせ

    る自由である。j宜的つまり f自由の方がいっそう良き治

    療者である。J151

    しかもとの級会注意しなければならないのは, ニイJν

    の主張する自由が.問題児の抑圧された感情を解放し,

    歪められた自然性をもとに戻す手段として,つまり単な

    る治療法として考えられるだ砂ではなくなったという乙

    とである。子どもたちが内心の葛藤から解放され,通常

    の子どもの精えるにつれて,従来ともすれば停滞ぎみで

    あった自治も順調に行なわれ,子どもたちの自主的な生

    活も軌道lζ乗り始めた。乙乙においてサマーヒルにおけ

    る自由は,問題児の解主主という側面よりも普通児の自治

    と独立の生活という側面を強く前面I(出し始める。自由

    の~念の乙の積極的な意味は, 以前の 『問題の子ども』

    その他ICも打ち出されてはいるけれども,サマーヒルの

    生活に実際に明確に現われ,またニイルが強く主張し始

    めるのは大体 『恐るべき学校』の頃からである。

    ニイルの数脊~および実践において,自由iま,解放さ

    れた児童Eの自治による尖同生活と自主的な句人生活を意号まするようになった。乙れは,第二期の自由が f解主主j

    としての自由という面が強かったのに対し,第三期では

    積極的な怠味の自由がそれと共に強調されるようになっ

    たと曾ってもよいであろう。

    乙乙で.乙の自由の痕念の発展を促した契機として見

    逃してならないのは,心理学者ライヒ(WilhelmReich,

    1897-195'η との交際である。ライ ヒlまフロイト門下の

    俊英として性格分事?という新分野を開拓し.また共産主

    義IC:も関心を示したが,育児訟に関しては,生理学的立

    場に立って心理的障害と身体的障害が密接に関連してい

    ると仮定し, r自律J(self-reguJation)による育児を主設した。自律はもともとライヒの例の「オーゴン ・セオ

    リーjの用絡であるが,ニイルは乙れを自己の教育論に

    おける重要な用径として導入し,多くの場合,自由と同

    豊島に用いている。彼は乳幼児のうちに自律能力,すなわ

    ち, 自己 (self)を規制する (toregulate)カを認め,

    時間割授乳その他あらゆる人工的資児法iζ反対 してい

  • 掘:ニイルの教育論における自由の概念 -179-

    る。彼li再婦によって得た自分の娘ゾーイ(ZoeNeill.

    1斜6......)IC.授乳,食事,排便などにできるだけ自体の

    原理を応用している。

    ライヒとニイルJr共鳴しているリッター夫妻 (P.&1.

    Ritter)は.1937年の二人の出会いは,サマーヒルのそ

    れまでの教育方針lζ何か新しいものを加えたというよう

    なものではなくて,むしろ「ライヒは自分の鋭を裏書き

    する事実を見出して喜び.ニイルは人から冷笑されてき

    た自分の実践を説明してくれる双拾を聞かされて興奮し

    たのだ。J28'と言っている。ニイル自身もそのように言

    っているZ71。しかし,彼は折りある毎に.r私iまホー7- .レーンとライヒから象も彫響を受けたJと言う。ニ

    イルlまライヒの理論から自律という概念を取り入れ,乙

    れを自己の教育理論および実践の原理として発展させた

    のであって,ライヒの影響はやはり小さくないのである。

    以上から,ニイJレの教育思想の発展の三段階における

    「自由」の中心的な意味を要約して特色づけると,第一

    期は伝統的教育への反抗としての自由,第二期は仰EEさ

    れた感情の解放としての自由,第三期は自治と自律とし

    ての自由,と見てよいであろう。

    3. .=イルにおける自由 (1)-感情の解敏

    ニイル'Cおける自由は,前述のように.1930年代の半

    ばに,どちらかと言えば消極的なものから積極的なもの

    へ性絡を変えて行った。乙の乙とは,心理治療に対する

    ニイJレの評価の変化'C最も明瞭に現われている。次IL.

    乙れらの自由を今少し詳細に検討してみよう。

    第一IC.自由というととばをニイルは,外からの拘束

    の排除という意味lζ用いている。乙れは普通IL使われる

    場合のもので,ニイ Jレも特別に彼独自の内容をもってい

    る訳ではない。強制 ・命令 ・暴力によって意1(反して行

    動させられない, という意味である(なお,彼li"Iib-

    erty"は限られた狭い意味しかもたないとして,ほとん

    どの場合“freedom"を用いている。)

    第二は.r内面的自由j とニイ ルの呼ぶもので, 先の第二期を特色づける感情の解放の意味である。「感情j

    (emotion) とは,ニイルにおいては,無意織のダイナ

    ミックスとして理解され,人間の行動を最も強く左右す

    るものとして捉えられていて,いわゆる問題児の問題行

    動は乙の感情の隊客の産物であると考えられている。そ

    してさらに,憎悪,犯罪,はては戦争IL至るまであらゆ

    る悪は感情の隊容から生ずるのであり,感情を抑圧する

    教育の結果生まれるものと断定される。

    ホー7 ・レーンによって精神分街の理論を紹介された

    ニイルli.児童の心理を意識と無意識に分けて斑解する。

    ( 31 )

    そして,フロイト,アドラー.ユングの見解を折衷した

    ような把鍾をする。すなわち,ニイルによれば,無意訟

    にはJ個人的無意識J(the personal un∞nscious)およ

    び「非個人的あるいは民族的無意識J(the impersonal

    or collective un∞nscious)の二種類があって,後者に

    は二大本能として自己保存本能(自我本能)と援族保存

    本飽(性本能〕が含まれる。非個人的無意識をニイルは

    フロイトのイド(エス)と同じものと見るが,フロイト

    と途って, 乙れを既IC指縞したように「神から来たも

    のJ.蕃なるものと仮定する。自我本能と性本能に関し

    ては,アドラーの 「カへの意志j詮の影響を受けて,自

    我本能をより重視している。 ζ のようなニイルの「心的

    装蹴Jはホーマー ・レーンのそれと全く同じである。

    乙うした心現把握の仕方が,今日の心狸学者の問でど

    れだけ2君、められ得るのかの検討は次の機会lζ諮って,ニ

    イルの問題児観を素描しよう。ニイルlζよれば,子ども

    とは無意識的存在であり.人間の成長は意識獲得の過程

    でもある。そして(既IC引用したように)r図った子どもというのは実は不幸な子どもである。彼は内心IL鞍っ

    ている。その結果として外界に肉って戦うのである。J

    内心に戦っているというのは,無意識の世界iζ問題を起

    しているというととであり, ζの戦いは,二つの無意識

    の戦い, すなわち,個人的無意識(フロイトの「超自

    我J)と非個人的無意織(フロイトのイド)の葛藤{∞n-

    f1ict)である。とうしたlf;藤や, 葛藤の結果超自我によ

    ってイドが抑圧されたために生じたコンプレγクスが問

    題児の行動の原因である。問題児における「問題Jは乙

    のように,素質的欠陥ではなく心理的抱告書として捉えら

    れる。

    乙のような問題児級そのものは必ずしもニイルの独創

    によるものではないかも知れない。しかし,問題児の治

    療法は全くニイル独自のものである。つまりニイルは問

    題児のコンプレックス解消の方法として.超自我の破壊

    という方法をとったのである。しつげやお鋭敏によって

    形成された超白我が子どもの自然性との悶に葛藤をひき

    起し,子どもに罪隊感を与え,安定感を怒っているので

    あるから,そういう道徳教育乙そは呪いである,とニイ

    ルは断言してはばからない。:ニイルが. r自己自身である自由J(freedom to be oneself)と言う時の自由は,

    コンプレッタスや界隊感をもたず,非個人的無意識を妨

    げられることなく表現するととを意味する。それは,葛

    藤や抑圧の欠除,安定感を得ている乙と,神経症的でな

    い乙とを窓味する。一言で言えば I感情の自由J(frl健 一

    dom of emotion)である。

  • 1卸ー 児

    ニイ Jレtこよれば,感情の不自由は単に問題児の原因で

    あるばかりでなく,あらゆる反社会的行動の原因でもあ

    る。 満たされぬ欲求が感情的障害を生み出し,健全に表

    現されれば愛と創造へ向るべき自然性が憎しみと所有欲

    へと倒錯するのだ, という性善説が展関される釈であ

    る。「すべて反社会的な行為というものは内心の蕊藤よ

    り生ずるJ28>,のであるから, 犯鋒者も本来は刑務所よ

    りも医者のもとへ送られるべき病人である。ニイルiま無

    意識の生命力の十分な表出lζ子どもの幸福があるとし,

    子どもが著書福であれば社会性を発達させ,積極的Iζ人生

    に粂り出して行くであろうと仮定した。 「宗教は言いま

    す。普・2主であれ,そうすれば汝は幸福となろう, と。 し

    かし乙れをひっ くり返して,主幹福であれ,そうすれば汝

    は普ー良となろう,と言う方が真理です。J29>乙の仮説を

    もってスタートした実験学校の成泉は前節lζ指摘した通

    りである。

    子どもの感情の自由を妨げるものは親や教師による外

    からの道徳教育(しつけ ・訓練・なかんづくお説教)で

    あるが,もうひとつ見落してならないのは知育である。

    知育とはニイルにおいては知識の教授とほぼ同義のもの

    と見られていて(そ乙に問題があるのだが), I日来の学

    校の審物中心の教背lまf首から上の部分!とのみ関心をも

    つものJとして批判されるのである。子どもの心のごく

    狭い都分である意識にのみ働きかけて道徳を教え込み,

    知滋を注入する結果,無意識的な生命力の創造性を枯死

    させ,感情的障害を生み出す, そして感情的障,客は多く

    の偏狭で不幸な病める人間を生み出すのである。

    「世界中で何千万という子どもたちが,教育されてい

    ます。彼らは試験に合格して,ある者l立大学まで行きま

    すが,多くは感情を損ってしまいます。…..だから文学

    博士の学位をもつほどでありながら,黒人やユダヤ人を

    訳もなく憎むような人が多いのです。自由の子どもはがと

    してそんな乙とはありません。私は,教育とは数学や歴

    史の問題ではなくて,世界lζ満ちている惜しみを減少さ

    せるととであると考えます。J30> í感情 (heart) が~

    K自由であるζ とを評されるなら,知性 (intel1ect)は

    ひとりでにうまくやっていくだろう。J311ニイ ルは乙の

    ように言っているが,とれまで考察してきた感情の自由

    というものを,乙れらの乙とばは十分に表現している。

    惑情の不自由が問題児や神経症患者を生み出し,憎し

    みや犯罪を増加させる。しかし感情の自由はそれ自身は

    究極の目的ではない。ニイルは 「人生での成功について

    のわれわれの基準は,喜びをもって働き,積極的に生き

    る能力である。J32>と言っている。感情の解放はそれ自

    ( 32 )

    身で目的であるときうよりも,むしろニイルの言う積駆

    的な生活を可能にするための条件である。それは 「人生

    はさtきるに(遣するという人生肯定の信念をもって生きるととJ33>の前提である。

    f?Doa.晶仇S品ν67

    o.-JCUI品.uA.抽d 岨 ザ.u,.炉l.b

  • 堀:ニイルの教育玲における自由の駁念 -181-

    自由と権利を侵容しない限り個人的なζ とに潤してはわ

    がままも言午されるけれども.社会的な.事柄tζ隠しては統

    制が働いているのである。しかし,その際の統ltIJI;t教師

    のltI:威によって,あるいは道徳の名において行なわれる

    のではなくて,共肉体生活における相互統制という仕方

    でなされる。サマーヒルでは,ピアジェの言う「相互慈

    敬の道徳jが4. 5才の時から行なわれていると言って

    もよい。

    教師の権威は,教師という地位自体に,教舗の人格や

    実力とは無関係に本来具有されているものである,とい

    う考え方がある。3&1 ニイルの学校の教師の権威はその

    ようではない。ニイ ルの学校の数舗に佐威があるとすれ

    ば,それは,子どもたちがその人柄を愛し, またその学

    :訟の深さと広さおよび銭何の優秀さに敬服すると乙ろか

    ら生じたものである。また,サマーヒルの全体あるいは

    グループの活動をある教師が統率するのを生徒が認める

    とすれば,それは.T~オーケスト ラの百人の団員が一

    人の術者事者の指弾様を信頼するのと同じような場合であ

    る。教師の織威はまさに乙のようであるべきで,貌の縫IZ

    も同級である。権威は優初から綴や教師lζ内在するもの

    ではない。相互信頼の1:.活から自然に生じてく るのであ

    る。冒頭にも引用したように六才になる}人の少年は,

    「ζζにはニイルっていうすてきなやつがいます。ぼく

    はかれがすきです。Jと商緩IC!Jき送っている。乙のよ

    うに恐怖を抱く乙となく接するζとのできる大人に乙そ

    子どもは哀の尊敬を鎚〈乙とができるであろう g ホイル

    ズ (1.A. Hoyles)はサマーヒルに言及して.r c.の学校の雰囲気tまれの民主主穫のそれである。JS引と評して

    いるが,乙のような民主的な集団生活で乙そ本当の社会

    伎が発達するものと忍われる。

    と乙ろで,との自治も,当初の 「問題児時代jには必

    ずしもうまくいかなかったようである。問題児たちは次

    次と規則を作っては破り,土般の夜は途反者IC対する~

    費量 ・ 糾~の集会のごとくなったり したようである。 ζれ

    が煩銅IC行なわれるようになったのは,問題児が感情的

    {こ解放された年長児となり始めた30年代以後の乙とであ

    る。進歩的な貌lζよって自律的IC:育てられた子どもの入

    ってくるようになった40年代以降は側鎖な くい ってい

    る。(尤も. ギャング ・エイジを過ぎる以前の年少者だ

    けでは不可能である。〉乙の乙とから言えるととは, 相

    互尊敬の社会道徳は感情陣容をもっ問題児には困難であ

    るという乙とである。従って. P5Mの自由JIま自治によって促進されると同時に,自治を可能にする基礎条件

    でもある。

    ( 33 )

    5. ニイルにおける自由 (3)一一自律

    ニイ ルが自由という恋を用いるとき,それは級も多く

    の場合「自fltJと同義である。彼は早くから「自己決定J( se1f-

  • -182- 児

    型車し人と考える微慢なわぎである,という乙とにはる。自

    由は.消極的には何物かからの自由 (freedom fromー)

    積極的Irは何物かへの自由 (freedom to-ー〉として理解

    されるのが普通である。従来.教育における自砲を乙れ

    らのこ種に分けて考察するものは,外的拘束の欠除ある

    いは外的拘束からの解放としての消極的自由の怠畿を否

    定はしないにしても,自己を越えた普通的法則IC.遭った

    行動と客観的価値の実現をもって積極的自由として,乙

    れを教育の理怨とする点で一致している ように思われ

    る。 例えば,篠原助市著 『改訂理論的教育学』では,自

    由lま5段階に分けて論ぜられている。

    {け外的諸条件の制約 ・拘束を受けぬζ と,と{幻自己の

    自然的衝動の束縛を免れている乙とが消極的自由であり

    (3玲士会の数序と規範に寂する乙と,(0道徳的な選択によ

    って行動するζι(S)しかもその行動の選択が「理性の

    光」によるζとが積極的自由である。 f自ら自らを徐し,

    自ら立てた法則に自らlHする。之を自律という。 ζのと

    き律するものは理性の九人の人たるべき普通の法則で

    あり,律せられるのは.衝動,本能等,~意の発動であ

    る。j401

    乙のように普通約な法則や,神のζ とばをIliめたり,

    あるイデオロギーを唯一のものと考える教育観は,当然

    教育者の働きを重観するζ とになる。今日,絶対的ti,価

    僚や君主怒を認める立場で自由を槍じている一人Irパン ト

    ック (G.K. Bantocめ がある。 州 パントックIC.よれ

    ば, 積極的な r~への自由」 には実現されるべき価値と

    定、向されるべき方向が含まれるのであって, 乙の価値と

    方向へと子どもは「鍛えられねばならない。j 乙の価値

    と方向は普通性をもつものであって,すべての人にとっ

    て等しく梅威をもっ。そして,教師というものは乙の織

    威を「代表するJものであるから, r子どもたちの窓志を.級舗の意志に一致させるζとが教育の第ーの仕事で

    あるojというのがパント ッタの主張である。

    ニイルは乙のような教育観に真っ向から反対する。ま

    ず~-K,教舗が教簡であるが放にそのような普逼的権

    威を代表すると考えるとζろに虚偽がある。Jalr織り返

    し途べたように,教師の侮威はその人柄と学滋・技舗に

    由来するのであり,共同の生活における能」りある味方と

    してのみ可能である。教師が普遍妥当の道徳徐を体得し

    ていると考え, 自己の理慾を子どもに押しつけようとす

    るなら,それは自己を神と同一視する思い上った態度で

    ある,とニイルは考える。乙れは親についてら同織であ

    る。f税務所への所得申告ぞどまかす緩が,わが子が獲

    みをしたと室つてなぐる。j・むしかし 「いつかは子ども

    重E

    ( 34 )

    が自分たちの貌(数節)が,うそつきであり詐欺漢であ

    った乙とを明らかに知るときがくる1・31のである.ニ

    イルは 「どんな人でも,自分の理想を他人に強い得るほ

    どすぐれた人はない。J441と官い切る。

    第二lζ,とのような超鎗的な価値や理怒を認める乙と

    は,ニイルの主張Kよれば,あらゆる不幸と怒徳の根源

    である。 すなわち,完会を追う理想主義がすべての惑を

    生み出すのである。との逆鋭の過程は~のようである。

    つまり,完全や理惣というものはその本質上到達不可能

    のものであり,人間の努力との聞に越え重量い隔たりをも

    って存在する。その追求は常Ir人聞に失敗感, 鐙折感を

    与え,また罪障感を生ぜしめる。乙れらの感情は自己受

    容を不可能にし,自己僧惑を昂進させる。乙の畠己憎惑

    を他人に投彰して他人のうちに欠点を捜し出して乙れを

    憎む。子どもの象育においても同様にしてその自然性を

    憎んでζれを歪め,感情的に阻害された人間を形成する

    のである。その際にその自然性を鈎号討するための合連化

    を助けるものとして超鍾的な理忽を持ち出す釈である。

    乙ういう憎悪の人聞が問題の子どもを生み出し,その問

    題の子どもは受け縫いだ憎悪を次の世代へ伝達する。か

    くして次々と受ゆ継がれた憎悪が今日のあらゆる不幸.

    僧しみ, 悲惨の原因となっている。「問題の子どもとい

    うものは決して存在しない。存在するのはただ問題の親

    ばかりであるけ 制3しばしば引用されるニイルの乙の乙

    とばは,上のように捉えられて初めてニイルの真意が理

    解された乙とになるのである。問題の親も問題の教師も

    と もに, その人間性~~められ, 感情的に不自由な,そ

    して不幸な「問題の大人」である。

    先験的理懲を褐げ,普遍的道徳法則を教育の中にもち

    出すζとの第三の危険は,それが子どもを「規則iζ盲従

    するイエス?ンjに育てるとζ ろにある。フロム (Erich

    Fromm) Iま, r子どもの窓玄を弱くする一番有効な方法iま,罪の.訟を喚ぴ起すζ とであるJ“'と奮いている

    が,ニイルの密告するのもとの点である。大人I立児童Eの

    自発的行動や白律を許さず,既成遺徳や宗教教畿を背景

    Iとして外からの司令に服従させ,自分の自然的傾向を惑

    なるものと数え込む。子どもは絶えず外なる規律に自己

    を一致させ,しかも,自分の欲求を抑制し抑圧しな砂れ

    ばならない.彼は仰え重量い自然の衝動のカと外的尊重1&の

    間で罪障惑に苦しみ,地獄の火や怒れる神におびえるの

    である。乙れが問題児を作り出す乙とは既lζ繰り返し指

    摘した通りであるが, 乙の~の意書量から逃れるためのひ

    とつの容易な方法は継威への服従である。権威の前にひ

    れ伏すζ とによ って安心を得るのである。乙うして権威

  • 堀:ニイ Jレの教育論における自白の緩念 -183-

    を批判する ζ となく受け受れるイエスマンが生まれる釈

    である。

    乙ういう権威IC服従する人附を作り出す教育の危険性

    をニイル{ま阜くから指摘していた。乙のような人間は,

    自己の責任において判断し行動する自由を怒れ,自由か

    ら選定する苦手集を構成する。群集は画一祉を求め,自己

    の主体の独自性を放棄する。ニイルは, ドイツの厳格な

    教育は自由を放棄し f奴車車道徳JIζ走る主体性なき群集

    を育て,乙の群集は縫威者の言うまま速からず第二の大

    駿を惹き起すであろうと,第一次大戦の後に2まに予言していたのである。

    「自律の子どもJ(self-regulated cbild)は決して既

    存の織威に盲従したり,自由から逃走したりする乙とな

    し冒険心をもって勇敢に人生IC乗り出して行く,とニ

    イルは言う。彼l;t人聞の幸福をf創造的幸福J(creative

    happiness)と「所有的幸福J(possessive happiness)

    に分けて考える。 創造的幸福とli.母の胎内.母の掬,

    家庭といった「第一次的鉾J(フロムの用語)を脱し,

    自我を成長させ,自己を形成していくと ζろに得られる

    幸福である。所有約幸徳とは,危険を免れ安全を得ると

    乙ろIC得られる幸福である。 ζの見解はホー7 ー・レー

    ンの修響によるものであるが,47)フロムの 『自由から

    の逃走』叫〉の理由量とも一致している。人間の自我の成

    長は,フロムによれば,パースナリティ全体としての自

    我が,肉体,感情,精神の各領域における強さを婚し,

    かつ各領妓が統合される過程である。 ζの自我の成長に

    よって,人間は次第に第一次的緋を断ち切り,自主独立

    の人となるのである。しかし,ζれは古い安定感をふり

    すてる過程でもあるから,常!c無力感,孤立感を伴なう。

    乙の感情の克服の道の一つは.~ ・ 労働 ・ 創造 ・ 前進で

    あり.f也は第一次的緋およびその代用物への退行である。

    財の所有,権威への服従,群集の薗ー性への逃道は.象

    徴的IC. 母の胎内への復帰の代用物である。 (ニイルに

    とっては天国も母の胎内の象徴であり 「幻怨jである。)

    ζ の退行を促すものは,先IC述べたような権威主畿の数

    宵である。

    ニイルにとって自由とは,実存の.iI.荷を外なる織威や

    天国に投げかける乙となく自己のものとして背負い,人

    生は生きるに値するとして肯定する乙とを意味する。そ

    のように生きる人が実の自白人である。そしてその自白

    人の育成は,できるだ砂早くから,できるだり自律の生

    活をさせる乙とによってのみ可能である.と後lま考える。

    従って自律というのは感傷的な教育ではない。厳絡な訓

    練主義の学校から来た子どもが.r回復期J (re∞very

    ( 35 )

    time)を過ぎて解放としての自由に返思し始め,ニイル

    』ζ. r何かすることを教えてちょうだいJと言って来るζ とが少なくないけれども.ニイ ルは原則としてその頗

    いをle.否する。子どもは自分の為すべき ζ とを自分で見

    出さねばならない。サマーヒルでは自己決定の生活をな

    さざるを得ない。誰も指図してくれるものはないのであ

    る。ニイルの教育は, 安易に権威IC服従するのを許さず

    絶えず 「自分自身の生活をする」 ζ とを迫るという厳し

    いものであると言う ζとができる。(もちろん, そζiζ

    は~と貧認tζ満ちた教師があり,必要な援助は与えられ

    る。) 乙の点を見逃すと ζ ろに, ニイJレを単なる r......からの自由Jを叫ぶ甘い感傷家と見る誤解が生ずるのであ

    る。

    ニイルの教育のとの厳しさを正しく捉えた人は少ない

    が,そのうちでV.c.モリス (VanCleve Morris)の

    見解は示唆すると ζ ろが多い。 モリスはその著 r教育における実存主義』の中で,実存主義の教師の最も重要な

    仕事は. r主体性の目覚めてJ(awareness of subject-ivity)をもたらす乙とであると言う。乙の目覚めの内

    容は.f(l)私は選択しつつある人間であって,一生選択

    を避けるζ とができない.(2)私は自由な人間であって,

    自分の人生の自療を自由に決定する。 (3)私は責任ある

    人闘であって……自分の自由選択に貧任をもっ。」“1と

    いうととである。そして,幼少の時よりの自由な生活K

    よって.乙の目覚めを可能にしている唯一の模範的な学

    校はサマーヒルであると言う。 rニイ Jレ自身ははっきりとは述べではいないけれども,自由の子どもは最後には

    責任感のある青年になるというとと,そしてとの目覚め

    を可能にするのは自由そのものであるζ と,そのととを

    今少し明確に論じたなら,ニイ Jレ1ま実存主義の教育をさ

    らに一層徹底的に例証する乙ととなるだろう。J501とモ

    リスは望書いている。ニイルを実存主婆者と見るζ とは図

    重量であるかも知れないが,しかし,乙れまでに検討して

    きたニイルの自律の綬念をそリスは正しく把握している

    と言う乙とができるであろう。

    6.結鎗

    以上, ニイルの教育論と実践における自由の意味につ

    いて考察してきた。ニイルのきう自由とは,消極的には

    感情の解主主であり,積極的には自治と自律である。それ

    ぞれの自由の反対の滋念は,それぞれ感情的障害,放緩

    そして権威への盲従である。また消極的自由と積極的自

    由は,互いに位の条件となり相互に依存しているのであ

    る。

    ニイ N の教育論における積極的自由,とくに自律とし

  • -184- 児

    ての自由は,普通言われるような普遍的絶対的なものに

    よる自己限定ではなくて,まさにその普遍的絶対的なも

    のの否定を貫くと乙ろから生まれている。乙ういう教育

    鏡Iま伝統的教育の立場から見れば教育の否定であると考

    えられようが,ニイルの学校における生活!i,そのよう

    な教育の否定の上にひとつの教育と して成立しているの

    である。 「ニイル主義でだらしなくやっていくのは禁物

    である。J51)などという批判があるが,しかし,ニイル

    の教育は決して気まぐれでもなければ「だらしないJも

    のでもない。それはまた,伝統iζ対する単なる反逆でも

    ないし拘束に対する放縦を説くだけのものでもなくて,

    ひとつの首尾一貫した哲学をもっている乙とも明らかで

    ある。

    そして,英国文部省視学官による報告審やt 52:)アメ

    リカ人・ パーンスティン (ManBernstein)によって行

    なわれた$業生との面接による調査 53)を読めば,ニイ

    ルの教育の成果が大きなものであ7.)と認めない釈にはい

    かない。 卒業生の一人が現配かなり大がかりな調査をし

    ているという乙となので,その結泉の公表が待たれる。

    なお,私は,ニイJレの1望論の問題点として,彼の社会

    綴と学習銭をあげたい。また今後取り上げられるべきテ

    ーマとしては,教育史上のιイルの位置,日本の教脊界

    への影響および日本の学校での彼の議論の具体的応用の

    仕方,ニイJレの心理学の検討などがあるが,とれらにつ

    いては穏を改める他はない。

    支 献

    1) Francis, L: Genius with Humour, Id-]ournal

    of the Summerhi1l Sodety, n, 10 (1963) 2) Nash, P: Authority and Freedom in Educat-

    ion, New York, Wiley, p. 112 (1袋路)

    3) Nei11, A. S. : The Free Child, London, Herbert

    ]enkins, p. 1ω (1953)

    4 ) 阿部弥太郎 : ニールの~\f校, をき波講~ ・ 教育科学,

    第20冊,p. 7, (1933)

    5)柴谷久雄 :ラッセルにおける平和と教育,御茶の水

    書房,p. 192 (1963)

    6) Nei11, A. S. : Summerhi11, in H. A. T. Chi1d

    ed. : The Independent Progressive School,

    London, Hutchinson, p. 146 (1962)

    7)ニイJレの生涯.については主として次の緒著による。

    Nei1l, A. S. : My Scholastic Life 1-6, Id 2-7

    (1960-1961)

    給問静志 :ニイルの忠偲と教育, 金子強:j1,-,(1959)

    向:ニイJレ伝,誠{言書弘 (1962)

    ( 36 )

    8)霜田強志訳編:問題の教師,万江普段, p.7 (1933)

    9)同, p. 8

    10) NeiU, A. S. : My Scholastic Life 2, ld 3

    (196の11) Boyd, W & Rawson, W: The Story of the New

    Education, London, Heinemann, p. 72 (1気汚)

    12) Neil1, A. S. : The Problem Child, London,

    Herbert Jenkins, p.I0 (1926)

    13) ibid., p. 111

    14) ibid., p. 14

    15) Freud, S. : Neue Fo1ge der Vorlesungen fur

    Einfuhrung in die Psychoanalyse, Gesammelte

    Werke XV, London, Imago Publishing, S. 114

    (1940)

    16) 00. : D唖sUnbehagen in der Kultur, Ge鉛m-

    melte Werke, XIV, London, Imago Publishing,

    S.471 (1940)

    17) Nei11, A. S. : op cit, p.17

    18) Stewart, W. A. C. : The EducatioDal Innov-

    ators, vo1. I ; pr噌 ressiveSch∞Is 1881-1967, LondoD, Macmillan, p. 112 (l袋潟〉

    19) Castle, E. B. : A Parent's Guide to Education,

    London, Penguin Books, p. 125 (1決潟)

    20) 00. : Moral Education in Christian Times,

    London, Al1en & Unwin, p.お8(1958)

    21) Neil1, A. S. : That Dreadful Sch∞1, London, Herbert Jenkins, p.17 (1937)

    22) ibid: p. 8

    23) ibid: p. 58

    24) ibid: p. 58

    25) Do: My Scholastic Life 4, Id 5,3 (1961)

    26) Ritter, P& Ritter, J: The Free Fami1y, Lo-'

    ndon, Victor Gollancz, p.252 (1959)

    27) Nei1l, A. S. : Talking of Summerhi11, London,

    Victor Gollancz, p. 78 (1967)

    28) Do. : The Problem Child, p.16

    29) Do. : Talking of Summerhi1l, p. 93

    30) 196711李・10.月8日付,筆者あて私信(第1図)

    31) Nei11, A. S. : Summerhi11-A Radical Approach

    to Education, London, Victor Gol1ancz, P.lω

    (1962)

    32) ibid. : p. 29

    33) Do. : Talking of Summerhil1 ,p. 93

    34) ibid. : p. 34

  • 婿:ニイルの教育論における自由の概念 -185-

    35)例えば, [日中耕太郎:i教育に1がする権威と自由,岩

    i波:楼庖 (1946)

    36) Hoyles, 1. A. : The Treatment 01 the Young

    Delinquent, London, Spworth, p. 158 (1952)

    37) Ritter, P. & Ritter, J. : op cit, p. 13

    38) Neill, A. S. : Summerhi1l, p.104

    39) Do. : Talking 01 Summerhill, p. 1ω

    40)篠原助fl'i:改訂'J理論的教育学,協同出版社, p. 444

    (1949)

    41) Bantock, G. K. Freedom and Authority 1n

    R辺:Iucation,London, Fabor

    42) Neill, A. S. : Freedom-Not Licence, New York,

    Hart Publishing, p. 113 (1袋詰5)

    43) Do. : The Problem Child, p.173

    44) ibid: p. 211

    45) Do. : The Problem Parent, London, Herbert

    Jenkins, p.9 (1932)

    46) Fromm, E. : Man For Himself, London, Rout-

    ledge & Kegan Paul, p. 1日,(1949)

    47) Lane, H. T. : Talks to Parents and Teachers,

    London, George Allen & Unwin pp. 121-129

    (1928)

    48) Fromm, E. : Fear of Freedom, London, Rout-

    ledge & Kegan Paul, (1942)

    49) Moηis, V. C. : Existentialism in Education,

    New York, Harper & Row, p.l35 (1袋詰5)

    50) ibid. : p. 150

    51}岡鶴弥太郎:前掲笹, p.18

    52) in Neill, A. S. : The Free Child, PP.162-172

    Summary

    A. S. Neill is known to us as the most radical of the progressive educators in England. The aim of

    this paper was to examine the conception of freedom that is the basic principle in his theory and practice

    of edu回 tion.

    It has become clear that Neill means by‘'freedom" ;

    (1) the release of emotion seen from the psycho-analytic view point,

    (2) self-government, to Iive a democratic lue,

    (:j) self-regulation, to Iive one/s own life with the sense of responsibility from as early age as possible.

    It is sometimes said that Neill insists only on the negative kind 01 freedom that is "freedom from-". But

    1 might say that he emphasizes not only the negative freedom but al50 the positive one. The positive

    Ireedom in Neill's theory is realised as self-government and self-regulatio且

    ( 37 )

    SKM_C454e16020111391_ページ_175SKM_C454e16020111391_ページ_176SKM_C454e16020111391_ページ_177SKM_C454e16020111391_ページ_178SKM_C454e16020111391_ページ_179SKM_C454e16020111391_ページ_180SKM_C454e16020111391_ページ_181SKM_C454e16020111391_ページ_182SKM_C454e16020111391_ページ_183SKM_C454e16020111391_ページ_184SKM_C454e16020111391_ページ_185SKM_C454e16020111391_ページ_186