85 『骨度正誤図説』について 鶴田...

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113 回 日本医史学一般演題 231 骨度正誤図説について 田 泰平 灸研究会 『骨度正誤図説』は江戸中期の医家村上宗占により著された骨度研究書である.村上宗占(生未詳)は,名を親方,字は宗占,号は一得子という.『兪穴弁』と本書の巻頭に「土浦城医員」記され,同著者の『兪穴弁』の序に在所を「東都」とすることから,常陸土浦藩の藩医で,江戸詰であったと見られる.本書以外の著作として本書と相互に補翼する関係にある経穴書『兪穴弁解』2 巻(宝暦 4 1754]序刊)がある.『兪穴弁』には『骨度正誤図説』を,『骨度正誤図説』には『穴弁』を参照指示する文が見られる.また銅人への経引きと彩色を述べた『銅人形引経訣』(寛政 5 年[1793]刊) 経穴部位骨度手足の要穴禁鍼穴禁灸穴などを一覧できるようにした『十四発揮経絡兪穴骨度之図』掛軸様装丁 2 枚(刊行未詳.)がある.ただ『兪穴弁』の自序に見える『経八脈銅人形経訣』が刊行されたどうかは不明である.宗占の学統については,本書所収の「銅人経兪校正惣図」の各経絡の彩色表示法「引経分色」とその配色が味岡三伯の著とされる『家伝十四経の「人形ニ経ヲ引次第」や岡本一抱著『引経訣』の「引経図」の配色とほ一致することなどから,岡三伯統との関連が推測されるこのたびは江戸中期後半の鍼灸における経穴並びに骨度の捉え方を理解することを目的に度正誤図説』の内容と構成について検討した.テキストには『臨床灸古典全書』第 15 巻に影印さている京都大学附属図書館京大富士川文庫所蔵本67を使用した本書は延享 2 年(1745)の井上雅貴序延享元年(1744)の自序を附し宝暦 2 年(1752)に跋刊れている.国文学資料館のウェブサイト「日本古典籍総合目録」によれ,延享 2 年刊本が存在するされるが,者は確認するに至っていない.書名は内題によるが,序跋や版心には骨度正誤」とあことからそのように呼ばれていた可能性もある.なお京都大学附属図書館京大富士川文庫所蔵本(67)の題僉には「(輸穴弁附翼)骨度正誤図説」,九州大学附属図書館医学分館所蔵本(シ 322)の僉には「(鍼灸)十四経骨度正誤」とある.また本書と『兪穴弁』の両書の校正に携わっている加俊丈(滕曼卿)は『難経古義』の著者である本書及び『兪穴弁』を著した目的として,両書の自序と跋では,「効果のある鍼灸を行うには,確な経穴位置が必要であり,正確な経穴位置を得る為には,正確な骨度の理が必要であるが,先哲が 著した鍼灸経絡骨度の書は語意が簡古淵玄にして理解し難いので子弟の為に国字に読み下しし易くした」旨を記している.本書の構成は,2 つの序文と跋文(跋文が巻末に置かれている場もある),及び凡例,目録に続き,1.「銅人形経兪校正惣図」(全 11 図と「禁灸之穴歌」「禁之穴歌」 ならびに「骨度正誤図」(全 6 図) 2.「仰人之骨度差繆弁」 3.「同正義」 4.「同詳解」 5.「巨闕一穴説謂臍上六寸当為六寸半弁」,6.「臍至横骨一説謂五寸也正義詳」,7.「両乳偵在骨度為九寸半取経穴当為八寸」,8.「肩至肘一尺七寸一説有誤以」,9.「同正義」,10.「中指本至末四寸半」,11.「経下行腹之経穴骨度弁」 12.「督脈之穴処所在衆説與景岳不同以弁」 13.「背兪寸方弁不同」 14.「同問二條」, 15.「血気形志草度之方解」, 16.同草度之方象国字解」, 17.「脊骨長短」, 18.「或問草度之方」 19.「張介賓草度方解」,20.「背兪侠脊弁」の 20 項目が記されている(項目名は目録と本文を総合し表記した).内容は主に張介賓の骨度の説を基礎とし『素問』『霊枢』『甲乙経』『医学綱目』『十四発揮』『十四経和語』「馬玄台」などを引用し自論を交えてその正誤を論述している.上記の 13 は背部兪穴を取穴するための論に終始しているが,とくに 16 項目以は張介賓の「草度之方」検証を目的に草の代わりに紙を用いた宗占自身の実験の内容と考察を述べている本書は,江戸期を通じて灸の基本的な典拠の一つであった張介賓の『類經』及び『類経図翼』にづき,その他の関連諸書を勘案して書かれた,江戸中期を代表する啓的な骨度研究書である85

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Page 1: 85 『骨度正誤図説』について 鶴田 泰平plaza.umin.ac.jp/~jsmh/journal/58-2/58-2_231.pdf · 年[ 1793]刊),経穴部位,骨度,手足の要穴,禁鍼穴,禁灸穴などを一覧できるようにした『十四経

第 113回 日本医史学会総会 一般演題 231

『骨度正誤図説』について

鶴田 泰平日本鍼灸研究会

『骨度正誤図説』は,江戸中期の医家・村上宗占により著された骨度研究書である.村上宗占(生没年未詳)は,名を親方,字は宗占,号は一得子という.『兪穴弁解』と本書の巻頭に「土浦城医員」と記され,同著者の『兪穴弁解』の序に在所を「東都」とすることから,常陸土浦藩の藩医で,江戸詰めであったと見られる.本書以外の著作として,本書と相互に補翼する関係にある経穴書『兪穴弁解』2

巻(宝暦 4年[1754]序刊)がある.『兪穴弁解』には『骨度正誤図説』を,『骨度正誤図説』には『兪穴弁解』を参照指示する文が見られる.また銅人への経引きと彩色を述べた『銅人形引経訣』(寛政 5

年[1793]刊),経穴部位,骨度,手足の要穴,禁鍼穴,禁灸穴などを一覧できるようにした『十四経発揮経絡兪穴骨度之図』掛軸様装丁 2枚(刊行年未詳.)がある.ただ『兪穴弁解』の自序に見える『奇経八脈銅人形系経訣』が刊行されたどうかは不明である.宗占の学統については,本書所収の「銅人形経兪校正惣図」の各経絡の彩色表示法「引経分色」とその配色が,味岡三伯の著とされる『家伝十四経』の「人形ニ経ヲ引次第」や岡本一抱著『引経訣』の「引経図」の配色とほぼ一致することなどから,味岡三伯系統との関連が推測される.このたびは,江戸中期後半の鍼灸における,経穴並びに骨度の捉え方を理解することを目的に,『骨度正誤図説』の内容と構成について検討した.テキストには『臨床鍼灸古典全書』第 15巻に影印されている京都大学附属図書館京大富士川文庫所蔵本(コ・67)を使用した.本書は延享 2年(1745)の井上雅貴序,延享元年(1744)の自序を附し,宝暦 2年(1752)に跋刊されている.国文学資料館のウェブサイト「日本古典籍総合目録」によれば,延享 2年刊本が存在するとされるが,筆者は確認するに至っていない.書名は内題によるが,序跋や版心には「骨度正誤」とあることから,そのように呼ばれていた可能性もある.なお京都大学附属図書館京大富士川文庫所蔵本(コ・67)の題僉には「(輸穴弁解附翼)骨度正誤図説」,九州大学附属図書館医学分館所蔵本(シ・322)の題僉には「(鍼灸)十四経骨度正誤」とある.また本書と『兪穴弁解』の両書の校正に携わっている加藤俊丈(滕曼卿)は,『難経古義』の著者である.本書及び『兪穴弁解』を著した目的として,両書の自序と跋では,「効果のある鍼灸を行うには,正確な経穴位置が必要であり,正確な経穴位置を得る為には,正確な骨度の理解が必要であるが,先哲が著した鍼灸,経絡,骨度の書は語意が簡古,淵玄にして理解し難いので,子弟の為に国字に読み下し,理解し易くした」旨を記している.本書の構成は,2つの序文と跋文(跋文が巻末に置かれている場合もある),及び凡例,目録に続き,1.「銅人形経兪校正惣図」(全 11図と「禁灸之穴歌」「禁鍼之穴歌」)ならびに「骨度正誤図」(全 6図),2.「仰人之骨度差繆弁」,3.「同正義」,4.「同詳解」,5.「巨闕一穴一説謂臍上六寸当為六寸半弁」,6.「臍至横骨一説謂五寸也正義詳解」,7.「両乳偵在骨度為九寸半取経穴者当為八寸弁」,8.「肩至肘一尺七寸一説有誤以弁」,9.「同正義」,10.「中指本節至末四寸半弁」,11.「胃経下行腹之経穴骨度弁」,12.「督脈之穴処所在衆説與景岳不同以弁」,13.「背兪寸方弁不同」,14.「同或問二條」,15.「血気形志篇草度之方解」,16.同草度之方象国字解」,17.「脊骨長短」,18.「或問草度之方」,19.「張介賓草度方解」,20.「背兪篇侠脊弁」の 20項目が記されている(項目名は目録と本文を総合して表記した).内容は,主に張介賓の骨度の説を基礎とし,『素問』『霊枢』『甲乙経』『医学綱目』『十四経発揮』『十四経和語鈔』「馬玄台」などを引用し自論を交えてその正誤を論述している.上記の 13項目以降は背部兪穴を取穴するための論に終始しているが,とくに 16項目以降は張介賓の「草度之方」の検証を目的に,草の代わりに紙を用いた宗占自身の実験の内容と考察を述べている.本書は,江戸期を通じて鍼灸の基本的な典拠の一つであった張介賓の『類經』及び『類経図翼』に基づき,その他の関連諸書を勘案して書かれた,江戸中期を代表する啓蒙的な骨度研究書である.

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