1982 昭和57年度 大学・学園 年譜 4月 4月 4月 10月 11月 11月 12月 12月 3月...

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1982 昭和57年度 大学・学園 年譜 4月 4月 4月 10月 11月 11月 12月 12月 3月 大学院文学研究科に国文学専攻博士課程、 英文学専攻修士課程開設 入学式。4学部2216名、院生31名 松阪大学開学 第29回大学祭、テーマは「輝(かがやき)」 新体操全日本選手権で中京大男子チームが 5年ぶり4度目の優勝 第9回アジア競技大会(ニューデリー)で、ハン マー投げ室伏重信選手(体育学部助教授)、 棒高跳び高橋卓巳選手(体育・1980年卒)、 女子やり投げ松井江美選手(体育・1980年 卒)、水泳高橋繁浩選手(体育3)がそれぞれ 金メダル 学部増・学費問題シンポジウム開催 同窓会「愛知県小中学校部会」創立 卒業式。4学部1963名、院生21名 地元3県から志願者増 この年度の入試志願者は1万3100名、前年 度の1万3676名と比べると576名 (4.2%) の減 少であった。1978 (昭和53) 年度に1万名を超え て以来、順調な伸びを示してきた志願者が、こ こにきて減少を示すことになった。同時期の大 学を取り巻く状況は、18歳人口が約160万人、 そのうち大学・短大進学率は約37%で、ほぼ 停滞していた。多くの私立大学では、以前から 志願者の減少傾向が表れていたから、本学に は志願者が集まっていたというべきであろう。 志願者に表れた興味深い傾向として、全国 大多数の地域で減少していたが、地元という べき愛知・岐阜・三重の3県からは増加してい た。この年度は全体の45.6%に当たる5968名 が、地元3県からの志願者であった。 本学への志願者は、この年度以降、若干の 落ち込みがみられたものの、全体的には順調な 伸びを保ったままで、1986年以降の18歳人口 の急増期に入り、1万5000名を突破する。その 過程で、地元3県が占める比率は志願者・合格 者ともに、40%台から60%台へと伸びていく。 全国各地から志願者を集めつつも、地元3県 においては、高い知名度を背景に、着実に志願 者を増加させていった実態がみて取れよう。 アジアの鉄人 (写真9) ニューデリー・アジア大会でV4を達成した室伏重 信選手は、この年の「スポーツ功労賞」「日本スポーツ 賞」「朝日体育賞」「中日スポーツ賞」の4賞も受賞。 1986年のソウル大会でも優勝し、空前のアジア大会 5連覇を果たした。 写真はその5つの金メダル。1989 年教授、2011年に退任し、名誉教授。 書家・樽本樹邨名誉教授 (作品写真7) 本名は英信。中林子 鶴、青山杉雨氏に師事。 1960年商学部卒、1979 年文学部国文学科教授。 2008年、第40回日展で 文部科学大臣賞を受賞。 2 0 0 9 年 度、日本 芸 術 院 賞を受賞。日展評議員で 審査員を務め「現代書道 二 十 人 展」のメンバ ーと して活躍する一方、豪快 な筆致そのままに熱心 な指導でも知られる。本 学名誉教授。梅村学園は 1983年3月、功労を特別 表彰した。 5月 6月 7月 11月 11月 4月 8月 11月 11月 関西線「名古屋―亀山」間電化(17日) 東北新幹線「大宮―盛岡」間開業(23日) 中国、歴史教科書検定で政府に抗議(26日) 上越新幹線「大宮―新潟」間開業(15日) 中曽根康弘内閣発足(27日) 英・アルゼンチン間でフォークランド紛争始まる (2日) イスラエル軍、西ベイルート突入。アラファトP LO議長撤退(4日) ブレジネフ・ソ連共産党書記長死去(10日) ポーランドで拘禁中の「連帯」・ワレサ議長釈放 (12日) 国内海外中京大学1 2 3 4 5 6 7 8 9 開学以来初めて開催された「学部増・学費問題シンポジウム」。理事会と教職員が意見交換した 整備が進む名古屋キャンパス ①正門から3、4号館前はレンガ敷きの遊歩道に変わり、中庭には陶製ベン チが置かれた ②4号館に新設された「視聴覚センター」のAVラボ ③3号館地下の学生食堂。現在は生 協の売店 東海3県の志願者が年々増える中、高校教員への進学懇談会が3県下6会場で行われた 文学部心理学科の卒論ガイダンス 留学生会が発足。お互いに理解を深めようと5カ国15名の留学生が参加した 豊田キャンパスのサッカー、ラグビー、ハンドボール練習場にナイター照明が施され、梅村清明理事長による 記念の始球式 書道部を牽引した樽本樹邨・文学部教授が日展「書の部」で初の特選に輝いた作品 4学部が合同で刊行した卒業アルバム第1号 ハンマー投げでアジア大会に4連覇した室伏重信選手。独特の「倒れ込み」投てきフォーム 硬式野球部が瀧正男監督のもと、秋季愛知リーグで3季連続28回目優勝の偉業。次の優勝は7年後 できごと あのころ 6 8 9 7 1 5 3 4 2 2 2 70 71

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Page 1: 1982 昭和57年度 大学・学園 年譜 4月 4月 4月 10月 11月 11月 12月 12月 3月 大学院文学研究科に国文学専攻博士課程、 英文学専攻修士課程開設

1982昭和57年度

大学・学園 年譜

4 月

4 月4 月10月11月

11月

12月12月3 月

大学院文学研究科に国文学専攻博士課程、英文学専攻修士課程開設入学式。4学部2216名、院生31名松阪大学開学第29回大学祭、テーマは「輝(かがやき)」新体操全日本選手権で中京大男子チームが5年ぶり4度目の優勝第9回アジア競技大会(ニューデリー)で、ハンマー投げ室伏重信選手(体育学部助教授)、棒高跳び高橋卓巳選手(体育・1980年卒)、女子やり投げ松井江美選手(体育・1980年卒)、水泳高橋繁浩選手(体育3)がそれぞれ金メダル学部増・学費問題シンポジウム開催同窓会「愛知県小中学校部会」創立卒業式。4学部1963名、院生21名

地元3県から志願者増 この年度の入試志願者は1万3100名、前年度の1万3676名と比べると576名(4.2%)の減少であった。1978(昭和53)年度に1万名を超えて以来、順調な伸びを示してきた志願者が、ここにきて減少を示すことになった。同時期の大学を取り巻く状況は、18歳人口が約160万人、そのうち大学・短大進学率は約37%で、ほぼ停滞していた。多くの私立大学では、以前から志願者の減少傾向が表れていたから、本学には志願者が集まっていたというべきであろう。 志願者に表れた興味深い傾向として、全国大多数の地域で減少していたが、地元というべき愛知・岐阜・三重の3県からは増加していた。この年度は全体の45.6%に当たる5968名が、地元3県からの志願者であった。 本学への志願者は、この年度以降、若干の落ち込みがみられたものの、全体的には順調な伸びを保ったままで、1986年以降の18歳人口の急増期に入り、1万5000名を突破する。その過程で、地元3県が占める比率は志願者・合格者ともに、40%台から60%台へと伸びていく。全国各地から志願者を集めつつも、地元3県においては、高い知名度を背景に、着実に志願者を増加させていった実態がみて取れよう。

■ アジアの鉄人 (写真9) ニューデリー・アジア大会でV4を達成した室伏重信選手は、この年の「スポーツ功労賞」「日本スポーツ賞」「朝日体育賞」「中日スポーツ賞」の4賞も受賞。1986年のソウル大会でも優勝し、空前のアジア大会5連覇を果たした。写真はその5つの金メダル。1989年教授、2011年に退任し、名誉教授。

■ 書家・樽本樹邨名誉教授(作品写真7)

  本 名 は 英 信 。中 林 子鶴、青山杉雨氏に師事。1960年商学部卒、1979年文学部国文学科教授。2008年、第40回日展で文部科学大臣賞を受賞。2009年度、日本芸術院賞を受賞。日展評議員で審査員を務め「現代書道二十人展」のメンバーとして活躍する一方、豪快な筆 致そのままに熱 心な指導でも知られる。 本学名誉教授。梅村学園は1983年3月、功労を特別表彰した。

5 月6 月7 月11月11月

4 月

8 月

11月11月

関西線「名古屋―亀山」間電化(17日)東北新幹線「大宮―盛岡」間開業(23日)中国、歴史教科書検定で政府に抗議(26日)上越新幹線「大宮―新潟」間開業(15日)中曽根康弘内閣発足(27日)

英・アルゼンチン間でフォークランド紛争始まる(2日)イスラエル軍、西ベイルート突入。アラファトPLO議長撤退(4日)ブレジネフ・ソ連共産党書記長死去(10日)ポーランドで拘禁中の「連帯」・ワレサ議長釈放

(12日)

【国内】

【海外】

【中京大学】

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開学以来初めて開催された「学部増・学費問題シンポジウム」。理事会と教職員が意見交換した整備が進む名古屋キャンパス ①正門から3、4号館前はレンガ敷きの遊歩道に変わり、中庭には陶製ベンチが置かれた ②4号館に新設された「視聴覚センター」のAVラボ ③3号館地下の学生食堂。現在は生協の売店東海3県の志願者が年々増える中、高校教員への進学懇談会が3県下6会場で行われた文学部心理学科の卒論ガイダンス留学生会が発足。お互いに理解を深めようと5カ国15名の留学生が参加した豊田キャンパスのサッカー、ラグビー、ハンドボール練習場にナイター照明が施され、梅村清明理事長による記念の始球式書道部を牽引した樽本樹邨・文学部教授が日展「書の部」で初の特選に輝いた作品4学部が合同で刊行した卒業アルバム第1号ハンマー投げでアジア大会に4連覇した室伏重信選手。独特の「倒れ込み」投てきフォーム硬式野球部が瀧正男監督のもと、秋季愛知リーグで3季連続28回目優勝の偉業。次の優勝は7年後

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