03 h30交通安全作文作品集巻頭言...平 成 三 十 年 度 交 通 安 全 フ ァ ミ リ...

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平成三十年度交通安全ファミリー作文コンクール優秀作品集の発刊に当たって

 昨年の交通事故による死者数は、三千五百三十二人で、警察庁が保有する昭和二十三年以降の統計で最少となった

前年を更に下回りました。交通事故で亡くなる方は、一万人を超えていた平成五年から、四半世紀で三分の一以下に

減少しています。

 しかしながら、今なお多くの尊い命が交通事故で失われていることには変わりなく、飲酒運転等の悪質・危険な運

転による重大な交通事故も依然として後を絶たない状況にあります。

 このような状況のもと、第十次交通安全基本計画に基づき、世界一安全な道路交通を実現するためには、引き続き

国民の皆様一人一人が交通ルールを守り、交通マナーを実践していくなど、積極的に交通安全に関わっていくことが

必要です。

 「交通安全ファミリー作文コンクール」は、家庭、学校、職場、地域等において交通安全について話し合ったこと、

また、これらを通じて思ったことや感じたことなどについて、作文を通じて国民の皆様が共有することで、具体的な

交通安全活動の実践につながる取組みとして四十年の永きにわたり続いてまいりました。

 今年度も、小学生から高齢者まで幅広い年代の方から一万二千九百四十三点という多数の応募を頂きました。

 本書は、その応募作品の中から、最優秀作(内閣総理大臣賞)を始めとする優秀作品をまとめたものであります。

この作品集を通じて、国民の皆様が交通事故のない社会を願う気持ちを共有し、そのことがさらなる交通ルールの遵

守と正しい交通マナーの向上につながることを心から期待しております。

 結びに、本事業の実施に当たり、御協力いただいた関係の方々に厚く御礼申し上げます。

     平成三十一年二月     

                                     警察庁交通局長 北 村 博 文

目  次

《小学生の部》

最優秀作

〔内閣総理大臣賞〕

お互いに守ろう交通安全  ………………………………

3

 茨城県下妻市立上妻小学校   

五年

龍道彩音

優秀作

〔国務大臣・国家公安委員会委員長賞〕

ぼくのこうつうあんぜん 

………………………………

5

 群馬県渋川市立橘小学校

一年 今井伶皇

じてん車は車のなかま …………………………………6

 兵庫県明石市立山手小学校

二年 高橋悠月

お父さんの自転車教習所

 

………………………………

8

 茨城県龍ケ崎市立馴馬台小学校

三年 甘利光麗

お地ぞうさんとわが家の交通安全  …………………

9

 石川県七尾市立和倉小学校

四年 出崎絢菜

登校班での交通安全 

………………………………………

11

 兵庫県高砂市立米田小学校

五年 平川智彩

お年寄りの想い 

……………………………………………

12

 茨城県水戸市立三の丸小学校

六年

大峯健太郎

優秀作

〔文部科学大臣賞〕

ぼくがまもっているこうつうルール  ………………

14

 兵庫県加古川市立若宮小学校 

 二年 渡部俊輝

佳作

〔警察庁交通局長賞〕

じぶんのいのちは、じぶんでまもる 

………………

15

 埼玉県蓮田市立黒浜北小学校

一年 伊藤知洋

ちょっとゆっくりでもいいですか? 

………………

16

 埼玉県さいたま市立大成小学校 一年 永幡樹一

あわてない、あわてない、ひとやすみ 

……………

17

 香川県高松市立仏生山小学校

一年 多田奏誉

色いろなこうつうあん全 

………………………………

18

 埼玉県飯能市立加治小学校

二年 椙田雄星

しっかりまもろうこうつうルール 

…………………

20

 兵庫県明石市立花園小学校 二年 三浦知晃

じぶんでまもろうルールといのち 

…………………

21

 香川県さぬき市立長尾小学校

二年 平木太一

交通ルールを守ってくれてありがとう 

……………

22

 栃木県那須塩原市立高林小学校

三年 室井まお

「どうぞ」の気持ち 

………………………………………

24

 千葉県市川市立大柏小学校

三年 髙山梓希

「交通安全」はまほうの言葉 

…………………………

25

 富山県射水市立大門小学校

三年 海老澤琴芭

とつぜんの出来事 

…………………………………………

27

 茨城県下妻市立豊加美小学校

四年 金子莉菜

言葉のお守り 

………………………………………………

28

 栃木県佐野市立吉水小学校

四年 吉原馴人

貴重なかがみ 

………………………………………………

30

 埼玉県飯能市立加治小学校

四年 椙田帆夏

ぼくが事故にあって気付かされたこと ………………

31

 宮城県大崎市立古川第一小学校

五年 宍戸祐太

命を大切に 

……………………………………………………

32

 茨城県古河市立中央小学校

五年 江原悠真

私達の交通安全について 

………………………………

33

 岡山県倉敷市立葦高小学校

五年 赤尾萠奈美

横断歩道、青信号でも油断するな 

…………………

34

 宮城県仙台市立寺岡小学校

六年 秋保泰葉

おじいちゃん、僕が遊びに行くよ 

…………………

36

 茨城県守谷市立守谷小学校 六年 松井智伸

運転手の目を見よう 

………………………………………

37

 香川県高松市立弦打小学校

六年 石本晴人

《中学生の部》

最優秀作

〔内閣総理大臣賞〕

孤立をなくす取り組みを 

………………………………

41

 宮城県名取市立みどり台中学校

三年 鈴木

優秀作

〔国務大臣・国家公安委員会委員長賞〕

「かも知れない運転」で事故防止 

…………………

42

 徳島県鳴門教育大学附属中学校

一年 八代蒼太

歩行者と運転手 

……………………………………………

44

 宮城県仙台市立郡山中学校

二年 千葉善大

交通事故で奪われたもの 

………………………………

45

 栃木県小山市立小山第二中学校

三年 澤田

優秀作

〔文部科学大臣賞〕

反射材の大切さ  ……………………………………………

47

 岡山県総社市立総社西中学校  

三年

片山

佳作

〔警察庁交通局長賞〕

命を守る 安全ベルト 

…………………………………

48

 愛知県一宮市立大和中学校

一年 長沼栞菜

その一言で救われる 

………………………………………

50

 岡山県倉敷市立庄中学校

一年 二宮涼太朗

変化していく交通安全 ……………………………………

51

 徳島県鳴門教育大学附属中学校

一年 青木陽幸

いのち 

…………………………………………………………

53

 茨城県常総市立石下中学校 二年 市川奏来

自転車のルール 

……………………………………………

54

 栃木県栃木市立都賀中学校

二年 小森稀乃香

安全への第一歩を ……………………………………………

56

 岡山県倉敷市立南中学校

二年 小河原優希

「こころ」の若葉マーク 

………………………………

57

 山形県米沢市立第一中学校

三年 山木 穂

免許返納を家族で考える 

………………………………

59

 静岡県静岡市立清水第二中学校

三年 三好彩心

 審査を終えて ………………………………………………

61

  小・中学生の部      

星 忠通

《高校生・一般の部》

最優秀作

〔内閣総理大臣賞〕

黄こがねいろ

金色の背中 

………………………………………………

69

 宮崎県延岡市

   星野有加里

優秀作

〔国務大臣・国家公安委員会委員長賞〕

職場で交通事故ゼロを目指す 

…………………………

71

 滋賀県草津市

   川那部友貴

 審査を終えて ………………………………………………

80

  高校生・一般の部  

鈴木 春男

優秀作 〔文部科学大臣賞〕

私の原付運転記  ……………………………………………

73

 鹿児島県霧島市

寺田優斗

佳作

〔警察庁交通局長賞〕

今日も一日 交通安全 ……………………………………

75

 秋田県大仙市            佐藤利男

小さな予防 

……………………………………………………

76

 福島県郡山市

   須田陽菜

助手席運転 

……………………………………………………

78

 宮崎県宮崎市

   池田恭我

小学

部の

3

茨城県下妻市立上妻小学校

五年 龍りゅうどう道

 彩あやね音

お互いに守ろう交通安全

 最近、登校中の通学班に自動車が突っ込み小学生が

巻き込まれる事故が多発しています。

 交通事故のニュースを見るたびに、お母さんは、

 「いくら交通ルールを守っていても、事故に巻き込

まれる事があるのだから、だろうではなく、かも知れ

ないと考えて、目配り気配りを忘れずに行動しなさ

い。」

と言います。私は頭の中で、「またおおげさな事を言っ

てる。そんな事を言われなくても分かっているし、そ

れに事故なんて滅多におきないよ!」と思いながら返

事をしていました。

 ある朝、いつものように通学路の十字路の信号を確

認して横断していると、突然、車が私達の班に突っ込

んで来ました。次の瞬間、「ギギギー」と、けたたま

しいタイヤのスレる音がなりました。私は、「あっぶ

つかる! 逃げなきゃ!」と頭に浮かびましたが、怖

くて足がすくんでしまい、その場で目をつぶる事しか

出来ませんでした。そして、「あっ私達死ぬのかも?」

と思った瞬間、あの時のニュースが頭に浮かびました。

「私にかぎって、事故に巻き込まれるなんてないだろ

う」と思う、これこそが「過信なのだ!」と気付きま

した。そして、今まで他人事のように思っていた自分

が情けなく悲しくなりました。いつ自分の身に起こっ

てもおかしくない事なのだと分かりました。

 そして数カ月後、通学班の子達と下校していると、

低学年の子が水筒を落としてしまい、車道側に転がっ

た水筒を追って飛び出そうとしました。私は、

 「危ない! 飛び出したらダメ!」

と低学年の子の手を引いた次の瞬間、「バァン! グ

シャ!」と凄い破裂音がして、一瞬で水筒がぺたんこ

最優秀作   内閣総理大臣賞

4

に潰れてしまいました。私達は、驚いたのと同時に車

の恐ろしさを目の当たりにして、その場に立ち尽くし

ていました。

 運転手さんは、そんな私達を無視して、何事もなかっ

たかのように行ってしまいました。もし低学年の子が

飛び出していたらと思うと背筋がゾッとします。毎朝、

お母さんが、「だろう」ではなくて、「かも知れない」

と考えて、気をひきしめて行ってらっしゃいと言う意

味が身に染みて分かりました。

 私は、お互い相手を思いやる心と時間に余裕を持ち、

皆が交通安全を心掛けるようにすれば、悲しい事故が

少なくなると思います。

 そして、運転手さんにお願いがあります。時間がな

く急いでいたのかも知れませんが、私達歩行者を、ご

自分の家族と考えてみて下さい。あなたの家族に同じ

事をされたらどう思いますか? 私達も、「目配り」「気

配り」をして気を付けますので、運転手さんも、「安

全運転」を、よろしくお願いします。

5

群馬県渋川市立橘小学校

一年 今いまい井

 伶れ

お皇

ぼくのこうつうあんぜん

 ぼくは、四がつから小がくせいになりました。いえ

からがっこうまでぼくのふたりのおにいちゃんと、き

んじょのおにいちゃんふたりのご人でとうこうしてい

ます。

 おにいちゃんたちのように、にゅうがくするまえの

はるやすみにがっこうまであるいていき、あるいてか

えるれんしゅうをしました。ぼくのおにいちゃんがは

んちょうさんなのでおにいちゃんもぼくとあるいてく

れました。おかあさんは、ぼくたちのあるくようすを

うしろからみていました。いえにかえってからだいは

んせいかいのはじまりでした。一ばんちゅういされた

のは上のおにいちゃんでした。

 「れおをつれていかないといけないんだからもうす

こしゆっくりあるいて。さいしょのうちはちょいちょ

いうしろをきにしてあげてね。」といわれていました。

 そのあとは、どこにぼうはんきょうりょくのいえが

あったかや、くるまがとびだしてきそうなばしょのか

くにんをしました。ぼくのあるくつうがくろはあんぜ

んだとおもっていたのですが、とってもきけんなば

しょもあってすこしこわくなりました。おかあさんが

しんぱいしているのは〝しぜん〞だそうです。はるに

なってあたたかくなるとくさや木がどんどん大きく

なってつうがくろがあるけなくなるからです。それに

ぼくはちいさいから、ざっそうにかくれてしまい、く

るまからはみえないみたいです。だからおかあさんは

ぼくに、

 「きいろいぼうしはかならずかぶってあるくこと。

いえにつくまではかぶりつづけること。」といいます。

 きいろはめだつからよいのだそうです。そのほかに

もたくさんはなしをしました。とうげこうだけがこう

優秀作

国務大臣・国家公安委員会委員長賞

6

つうあんぜんではなく、一ぽそとへでたらきをひきし

めてこうどうする。ひとりひとりがきをつけなければ

いけないとおもいました。

兵庫県明石市立山手小学校

二年 高たかはし橋

 悠ゆづき月

じてん車は車のなかま

 ぼくは、小学生になってから、じてん車にのって出

かけるようになりました。でも、まだ、おとうさんや

おかあさんといっしょの時にしか、のらせてもらえま

せん。

 「もう、じょうずにのれるんやから、一人で出かけ

てもええやん!」と言いました。そしたらおかあさん

に、

 「じてん車のルールを、しっかり頭と体でおぼえて

からじゃないとムリやなぁ。」と、言われました。だ

から、かぞくでじてん車のルールをしらべたり、考え

たりしました。

 ヘルメットをして、しんごうでとまって右左をかく

にんすることは知ってるし、スピードを出しすぎたら

ダメなことも知ってるし、まもってる。でも、それだ

けじゃなかった!

 ぼくは、だいたいいつもはほどうをはしっているけ

ど、本とうはじてん車は、車どうをはしらないといけ

ない。それも、車とぶつからないように、左がわをと

おること。十三さいより小さい子どもか、七十さいい

じょうのこうれいしゃ、体のふじゆうな人はほどうを

はしってもいいそうです。でも、ほどうをはしる時は、

 「歩いてる人がゆう先なんやで!」と、おとうさん

が言いました。ぼくは、

 「ゆう先ってなに?」と聞いたら、

 「ほどうって、かん字で歩くみちって書いてほどうっ

て読むねん。だから、歩く人が一ばんってことや! 

じてん車は、通らせてもらってるんやから、歩く人の

じゃまになったらダメなんやで!」と、おかあさんが

言いました。ほどうをはしる時は、ゆっくりはしって、

7

歩いている人をおいこしたらいけないし、早く通りた

いからって、ベルをならしたりしてはいけないそうで

す。

 こうやって、かぞくでいっしょにしらべて話し合っ

て、ぼくはまだ、じてん車のルールのことをちゃんと

知らなかったんだなと思いました。

 そして、ぼくは歩いてる時に、じてん車にのってる

人、みんなちゃんとルールまもってるんかな? と気

になって見るようになりました。そしたら、スマホを

見ながらのってる人や、すごいスピードで歩いてる人

にベルをならして、みちをあけさせて通ってる人がい

ました。ニュースでも、きけんなうんてんをしている

じてん車がじこをおこしているのを見たので、こわい

なぁと思いました。でも、ちゃんとゆっくりはしった

り、じてん車から下りて、おして通っている人もいま

した。ぼくは、もっとみんなが、じてん車のルールや

マナーについて、しらべたり、考えたらいいのになと

思いました。

 ぼくは、かぞくで話し合って、

 「人も、じぶんも、ものもきずつけないで、あんぜ

んにたのしくじてん車にのろう!」ときめました。

 おとうさんとおかあさんが、

 「じてん車は、車のなかまなんやで!」と、言って

いたのが、こころにのこりました。

 じてん車にのると、歩くよりも早く、行きたいとこ

ろに行けてべんりだけど、そのぶん、きけんだから気

をつけて、ルールとマナーをまもらないといけないん

だなと思いました。

 ぼくには三さい年下のいもうとがいます。いもうと

がじてん車で出かけるようになったら、ぼくがルール

とマナーを教えてあげようと思いました。

8

茨城県龍ケ崎市立馴馬台小学校

三年 甘あまり利

 光みれい麗

お父さんの自転車教習所

 私は自転車が大好きです。今まで乗ってきた自転車

が小さくなってきたので去年の夏、私のたん生日に両

親が買ってくれました。茶色の花柄もように、茶色の

イスはとてもおしゃれで、私のお気に入りの大切な自

転車です。

 私が自転車に乗る時は、いつもお父さんがマラソン

に出かける時で、走るお父さんの後ろについて行きま

す。コースはいろいろで、市内のいろんな所を走って

行くので楽しいですが、一時間くらい走るので少し疲

れます。なぜ、お父さんと一緒に走るのかというと、

私が小学校の高学年になるまでは、決して一人では乗

らないという約束をしたからです。

 大人は車を運転するために自動車教習所に通います

が、自転車には自転車教習所がありません。小学校の

交通安全教室では、けいさつの人が来てくれて自転車

の正しい乗り方や交通ルールを教えてくれましたが、

外の道路には車がたくさん走っていて、とても不安で

す。そのことをお父さんに言ったら、私が高学年になっ

て上達するまで、一緒に走りながら教えてくれること

になりました。

 お父さんからは、自転車に乗るための心がまえとし

て、

一、必ずヘルメットと手袋をつけて、サンダルは

絶対にはかないこと。

二、出発する時は、必ず後ろを見て、車が来ない

のを確認してからペダルをこぐこと。

三、歩道のない道路は左はしを走り、友達どうし

でおしゃべりをしながら、道路の真ん中をふら

ふら走らないこと。

四、おうだん歩道や交差点では、信号が青に変わっ

てもすぐに渡らない。そして、車が来ないか確

めて、注意をしながら渡ること。

五、一時停止のひょうしきのある所はもちろん、

左右の見えないまがり角は必ず止まって、自分

9

の目で見えるまで確認すること。

など、いろいろ教えてくれました。

 お父さんは心配性なのか、「もっと脇とひざをしめ

て!。」、「そこでちゃんと止まりなさい!。」そして、「右

見て〜、左見て〜、もう一度右見て〜!。」とか、走

りながら大きな声で口うるさく注意してくるので、恥

ずかしくて時々いやになることもあります。

 そんな中、この夏休みに自転車でお母さんと図書館

に行く途中、ヒヤリとしたことがありました。広いガ

ソリンスタンドの奥から車がいきおいよく走ってき

て、そのまま私達の目の前を通り過ぎて表の道路に

入って行ったのです。私はその時、お父さんの言って

いたことを思い出しました。もし、その車に気づかず

に進んでいたら、車にはねられていたかもしれないと

思うと、今でもゾッとします。

 私は、交通事故にあわないように、一所けん命に教

えてくれるお父さんに感謝しています。私は早く上達

して、お父さんの自転車教習所を卒業したら、今度は

一緒に自転車で、遠くへサイクリングに出かけたいです。

石川県七尾市立和倉小学校

四年 出でさき崎

 絢あやな菜

お地ぞうさんとわが家の交通安全

 「このお地ぞうさん何であるがん?」

 今年の夏、おばあちゃんの里におはか参りに行った

時、いっしょにお参りしているお地ぞうさんのことを、

わたしはあらためて聞いてみました。

 「おばあちゃんのおばあちゃんが前の道路で車にひ

かれてなくなっているんだよ。」

 なくなったおばあちゃんのため、そしてもう二度と

悲しいことが起こらないように、とねがいをこめて家

族が建てたということを、おばあちゃんが教えてくれ

ました。知らせを受けた時のびっくりしたこと、おば

あちゃんが死んでしまって、家族じゅうとっても悲し

くて泣いたこと…、おばあちゃんから話を聞いて、わ

たしは言葉が出ませんでした。

 「でも、どうしてこんな広い大きい道路でひかれて

10

んろ。」

 わたしはふしぎでなりませんでした。いなかの道路

だけど、新しくできた道でとっても見通しがいいので

す。わたしはじっと道路を見つめました。

 「こんなにスピード出しとったら、止まれんわいね。

見とるだけであぶなっかしい。」

 お母さんが言った言葉で、ビュンビュンスピードを

出して通りすぎていく何台もの車に、気が付きました。

もしかしたら、見通しがよくて広い道路だから、運転

している人も少しくらいスピードを出してもだいじょ

うぶ、と思っていたのかもしれない。ゆっくり歩いて

いるおばあちゃんに、気付くのがおくれたのかもしれ

ない。今まで見ていた見通しのよい道が、わたしは何

だかこわくなりました。

 家に帰ってからわたしは、お父さんとお母さんに聞

きました。

 「車に乗っとるとき、ルール守らんとスピード出す

ことってある?」

 お母さんは、

 「あわてとると、ついついアクセルふんでしまうか

もしれんね。」

と答えました。どうしたらスピードを出さずにルール

を守って安全に運転できるのか、お母さんと話してい

ると、

 「お父さんの会社では一・二・三運動をしとるよ。」

と、お父さんが教えてくれました。こうです。

・一わりのスピードダウンをする

・二倍の車間きょりをとる

・三分早めの出発をする

 お母さんもわたしも、うんうん、とうなずきました。

わたしも、広くて見通しがいい道でも、しっかりかく

にんしてわたること、運転している人に気付いてもら

えるように、手をあげて、登校中もタスキを必ずわす

れずにすることをやくそくしました。

 家族で話しあい、運転する人も歩行者もおたがいに

気を付けることが大事だと、お地ぞうさんに教えても

らった気がします。今度おじぞうさんに報こくに行き

たいと思っています。

11

兵庫県高砂市立米田小学校

五年 平ひらかわ川

 智ち

さ彩

登校班での交通安全

 私は、学校へ行く時の、登校班について、考えたり、

話し合ったりしました。

 そこでは、毎日の通学路や横断歩道で、あぶない場

所を調べたり、これからは低学年にどのような呼びか

けをすれば良いかを考えました。

 なぜ、このようなことを考えて、話し合ったかとい

うと、今年、私が初めて班長になりました。班長を一ヵ

月間やってみて、班長として、班の子や低学年の安全

を守りながら登校するのは、とてもむずかしいし、大

変だと感じました。そこで、もっと班の子や低学年の

安全を守って登校したいと思ったからです。

 私の班の通学路は、車が通る回数は少ないですが、

道がとてもせまいです。だから、車が来た時は、とて

もはしへよらないといけないのが、とても困りました。

だいたいみんなはすぐに自分から気付いてくれるけれ

ど、たまに気付かない人もいるので、これからはもっ

とよびかけができるように心がけていきたいです。

 もう一つあぶないと思った場所は、道が入り込んで

いる行き止まりの場所です。この場所は、通学路の中

に何カ所もあるのですが、車がとめてある場所もあり

ました。いつ車が出てくるのか分からないので、気を

つけて通るようにしたいと思いました。

 横断歩道は、班の通学路の中に一つしかありません。

ですが、その横断歩道がある場所の道路は、とても大

きな道路なので、わたる時は、後ろがつまらないよう

に、できるだけたくさんの人がわたれるように少し速

く歩くようにしています。ですが、一年生の歩ける速

さの中で、速く歩くようにしないといけないなと感じ

ました。

 私はこのようなことを考えたり、話し合ったりしま

した。

 その結果、たくさんのあぶない場所が通学路の中に

あることが分かりました。

 これからは、低学年の子に、あぶない場所を知って

12

もらって、班長としてもあぶない場所を通る時は、声

をかけてあげるなどのことを少しずつ実行していきた

いと思いました。

 これからは、もっと班の子や低学年の安全を守れる

ように良い班長になれるように努力していきたいと思

いました。

茨城県水戸市立三の丸小学校六

年 大おおみね峯

 健けんたろう

太郎

お年寄りの想い

 「お年寄りは免許証を返納しましょう」

 最近よく耳にする言葉です。そしてぼくはこの言葉

を聞くと、昨年八十四歳で亡くなった祖父のことを思

い出します。

 祖父はぼくの家の近くで一人暮らしをしていまし

た。昔から足が悪かったので、自分で車を運転して買

い物や病院へ行っていました。

 ある日祖父はいつものように自分で車を運転して、

五十キロ離れた親戚のお墓参りに行きました。その帰

りに、運転を誤って縁石に乗り上げてしまいました。

ところが、その車を修理してもらっている間に借りた

代車も、縁石に乗り上げてしまったのです。たった七

日の間に二度も事故を起こしてしまったのです。この

事故は縁石で済んだのですが、もしも小学生の登校の

列だったらと考えると、ゾッとしました。

 ぼくの父は祖父に運転免許証を返納するように言い

ました。しかし祖父は、

 「まだ大丈夫だ。」

と言って聞く耳を持ちません。しかし父は、

 「次は孫をひくことになるぞ。」

と言って祖父を説得しました。祖父もしぶしぶ車のカ

ギを父に渡しました。結局返納はしませんでしたが車

を運転することはやめました。今思うと、祖父の気持

ちがわかるような気がします。

 祖父は、父にカギを渡した後で、

 「車を取り上げられた。」

13

といろいろな人に言っていました。きっと、父の父で

あるという祖父なりのプライドからそんな言い方をし

ていたのでしょう。もしかしたら、年を取ったから運

転ができなくなった、と周りから思われるのが恥ずか

しかったのかもしれません。

 祖父が運転をやめると、父や母の生活も変わりまし

た。父と母が祖父を買い物や病院へ連れて行くことに

なりました。祖父は父や母に世話になっているのにあ

りがとうの言葉も言いませんでした。父や母は次第に

ストレスがたまっていきました。お年寄りが運転しな

くなるということは家族の負担が増えるということな

のです。免許を返納しようとひと言で言いますが、ぼ

くの祖父のように、簡単なことではないのです。

 免許証を返納しやすい街、とはどのような街なので

しょう。ぼくなりに考えてみました。

 先ず、自動運転の車が普及していて、お年寄りが自

分で運転する必要がない街です。

 次に、お店に行かなくてもインターネットで買い物

ができたり、病院に行かなくてもインターネットで診

察が受けられる街です。

 私たちの意識も大切です。事故を防ぐためにお年寄

りから免許証を取り上げる、と考えてしまいますが、

 「運転卒業です。お疲れ様でした。」

と温かく免許証を返納していただくという、気持ちで

接すれば、お年寄りも私たちもお互いに幸せな日々を

送れるのではないでしょうか。

14

兵庫県加古川市立若宮小学校

二年 渡わたなべ部

 俊としき輝

ぼくがまもっているこうつうルール

 ぼくは、小学二年生七さいです。ぼくの体は小さい。

せのじゅんは、いつも一番前だ。お母さんから言われ

ていることは、大人の人といっしょにいない道ろでの

歩き方は、ふざけず、車や自てん車をよく見て歩くこ

とだった。お母さんといっしょでも、ぼくは話にむ中

になってお母さんより先にすすんでしまって、よく手

をひっぱられる。いたっ! と思うことがあるが、ぼ

くがケガをしないため。ぼくは、考えた。せのひくい

ぼくは、車やトラックからどうやったら大きく見える

ことが出きるかと。じっさいにやってみた。止まって

いる車にお母さんにのってもらい、ぼくが前を歩いた。

 「見える?」

と聞くと、

 「ちょっとだけ。」

だって。ぼくの家の車は小さい車なのに、ちょっとだ

けだって。こまった。ぼくは、すぐには大きくならない。

ぼくは、ジャンプしながら手をあげてすすんでみた。

 「それやったら、前にすすまないでしょ。」

とわらって言った。それもそうだ。ジャンプをしてた

ら、おそくなってよけいにひかれる。やっぱり手を上

げて、さっさとわたることにした。ぼくも車にのって

いる人が、どう見えているのかお母さんが子どもに

なってもらって、ぼくがうんてんしゅになってじっけ

んをしてみた。大きなお母さんがぜんぜん見えない。

手を上げてもらったら手だけ見えた。おどろきだ。う

んてんせきからななめを見るとまったく見えない。子

どもがもしとびだすと、うんてんしゅさんもブレーキ

をふむのがおくれるにちがいない。こわいと思った。

もし、ぼくのこうどうで、じこにあったら、きっとお

母さんは、かなしむだろう。そうならないためにも、

優秀作   文部科学大臣賞

15

ぼくはお母さんに、道ろをわたるときは、左右をかく

にんして、大きく手を上げて、はやくわたることをや

くそくした。それからは、かならずじっこうしている。

埼玉県蓮田市立黒浜北小学校

一年 伊いとう藤

 知ともひろ洋

じぶんのいのちは、じぶんでまもる

 ぼくのいえのとなりは、ゆうびんきょくだ。すぐち

かくには、しんごうのないおうだんほどうもある。

 へいじつは、ゆうびんきょくにくるおきゃくさんの

車がどうろにとまっている。

 おかあさんは、ろ上ちゅう車をしている車を見ると

ためいきをつく。ぼくやおとうとが、そとに出るとき

にとてもあぶないからだ。

 まえに、おかあさんとおとうとといっしょにおうだ

んほどうをわたろうとしたら、ぼくの目のまえをビュ

ンと車がとおっていった。おかあさんが、ぼくとおと

佳作   警察庁交通局長賞

16

うとのてをぎゅっとにぎって、どうろをわたるのをや

めた。ぼくのしんぞうは、ドキドキした。

 ぼくは、おうだんほどうをわたるときにろ上ちゅう

しゃをしている車があると、はしってくる車がよく見

えない。ようちえんのころから、おかあさんといっしょ

に右左右をしてからわたっている。

 小がくせいになってせがのびたのに、やっぱりろ上

ちゅう車があるとぼくには、よく見えない。

 おかあさんも、大きな車があると見えないとおしえ

てくれた。

 このまえ、おかあさんがすこしこわいかおをして、

 「じぶんのいのちは、じぶんでまもるんだよ。」

といった。

 ぼくは、さみしかった。

 「どうして、そんなこというの。」

ときいてみた。

 おかあさんは、

 「一年せいになって、とう下こうのときにいつもいっ

しょにいられないでしょ。だから、ひとりのときは、

じぶんで車やまわりにきをつけてほしいから。」

といった。

 ぼくのことを、しんぱいしてるのかなとおもった。

 ランドセルをしょっているときは、おもくてあるく

だけでたいへんだ。

 でも、おかあさんとやくそくしたから、こうつうじ

こにきをつけてがんばってあるこうとおもった。

埼玉県さいたま市立大成小学校

一年 永ながはた幡

 樹きいち一

ちょっとゆっくりでもいいですか?

 ぼくのおとうとは、くるまいすにのっています。ま

だ三さいなので、つかれてどうろのまんなかできゅう

にとまったり、おうだんほどうのあと、だんさにのぼ

れなくてこまることがあります。そんなとき、すぐち

かくをくるまがスピードをだしてとおると、とてもこ

わいです。

17

 それから、ぼくのいえのちかくを、しろいつえをもっ

たおじさんがとおります。めがみえづらいのでしろい

つえをたよりにあるいているんだよと、おかあさんが

おしえてくれました。もしぼくだったら、そとをある

くのがとてもこわいなとおもいました。そのおじさん

がおうだんほどうをわたるのをみていたら、まわりの

くるまは、おじさんがわたりおわるまで、みんなとまっ

てまっていました。ぼくはそのとき、おじさんがわた

りおわったのをみてあんしんしたし、くるまにのって

いる人たちが、とてもやさしいなとおもいました。ぼ

くも、みちでこまっている人をみかけたら、見まもっ

て、たすけてあげたいとおもいました。

 おとなはいつもいそがしそうです。くるまもいそい

でみちをとおっています。だけど、ぼくのおとうとや、

しろいつえのおじさんのように、みちをゆっくりとお

らなければならない人もいます。だから、しろいつえ

のおじさんをみまもったくるまみたいに、みんながや

さしいひとたちだといいとおもいます。そうすれば、

だれでもあんしんしてそとをあるけるまちになるとお

もいます。

 いそいでいても、いろんな人たちがいるから、ちょっ

とゆっくりでもいいですか?

香川県高松市立仏生山小学校

一年 多た

だ田 奏かなほ誉

あわてない、あわてない、ひとやすみ

 わたしは、あわてんぼうなのでおとうさんとおかあ

さんに、「あわてない、あわてない、ひとやすみ」と

よくいわれます。どんないみかわからなかったので、

おとうさんにきくと、 「いそいでいるときこそ、おち

ついてこうどうすることがたいせつで、このことばを

おもっていれば、あんぜんにこうどうすることができ

るよ。」といっていました。

 わたしは六さいのときに、じてんしゃにのって、お

かあさんとかいものへいくとちゅうで、くるまとぶつ

かりました。わたしは、ころびました。すぐにおきあ

18

がれませんでした。

 おかあさんがわたしのなまえをよんでおこしてくれ

ました。わたしは、こわくてないて、ガタガタふるえ

ていました。てとあしをすりむいてちがでました。と

てもいたかったです。

 おかあさんが、「だいじょうぶだからね。しんぱい

ないからね。」といってだきしめてくれました。それ

から、びょういんへいきました。ほねはおれてません

でしたが、てくびをねんざしていて、うごかすととて

もいたかったです。しばらく、びょういんでリハビリ

をしました。いまはいたみもなくげんきになりました。

じてんしゃにのるのもさいしょはこわかったけれどの

れるようになりました。

 じてんしゃにのるときは、ヘルメットをかぶりうん

どうぐつをはいて、どうろのひだりがわをはしります。

スピードはだしません。

 また、わたしのいえのまえはどうろで、くるまがた

くさんとおっています。いえのもんをでたらあわてな

いでまわりをよくみてあるきます。ぜったいにとびだ

しません。おうだんほどうをわたるときは、てをあげ

てわたります。これが、おとうさん、おかあさんとわ

たしのおやくそくです。

 かみさまからあたえられたいのちをたいせつに、ま

いにちげんきにすごせていることをかんしゃして、

きょうも、こうつうあんぜんルールをきちんとまもり

ます。

 「あわてない、あわてない、ひとやすみ」をこころに

おもいながら、おとうさん、おかあさんの「いってらっ

しゃい。きをつけて」のこえがきょうもきこえてきます。

埼玉県飯能市立加治小学校

二年 椙すぎた田

 雄ゆうせい星

色いろなこうつうあん全

 ぼくが、こうつうあん全で気をつけていることは「お

うだん歩どうでは、青の時に右・左・右を見て、手を

19

あげてわたる」ということと、どんなにいそいでいる

時でも「ふみ切がなりだしたらとまる」ということで

す。

 みんなはどんなこうつうあん全に気をつけているの

か、聞いてみました。おとうさんは「車のスピードだ

ね。スピードを出しすぎると車はすぐにとまれないか

ら、じこにあっちゃうもん。だからおとうさんは高そ

くどうろでも、ゆうせいに〝もっとスピード出して〞っ

て言われても出してないでしょ? かぞくみんなのい

のちがのってるからね」と教えてくれて、おとうさんが、

いつもスピードを出さなかったいみがわかりました。

 つぎに、おかあさんにも聞いてみました。おかあさ

んは「車をうんてんしてる時に自てん車の人がライト

をつけてくれていないと見にくいし、音がくを聞きな

がら自てん車をこいでいる人がいると、〝車に気づい

てる? とつぜんこっちにこないでね〞。」とドキドキ

するそうです。だから自分が自てん車にのる時にはラ

イトをつけて、きちんと左がわをはしる、ということ

に気をつけているそうです。

 この前、かぞくで自てん車たんけんに行った時に、

ぼくは、後ろをはしっていたおかあさんに、何回も

「もっと左!」と言われました。自てん車は左をはし

るということは、ついついわすれてしまうので、こん

どの時はおかあさんに、ちゅういされないように、き

ちんと左をはしろう、と思いました。

 おねえちゃんは「下校の時に、どうしてもおともだ

ちと話をしちゃって二れつになっちゃうんだよなぁ。

一れつに歩かなきゃと思ってるんだけど。一れつで歩

くのは下校はんでかえる一年生が一ばん上手な気がす

る。」と一れつになって歩くということに気をつけて

いるそうです。一れつになって歩くこともこうつうあ

ん全の一つなんだ! 自分も気をつけよう! と思い

ました。

 みんなに、こうつうあん全で気をつけていることを

聞いて、みんなが自分と同じことを言うだろうと思っ

ていたけれど、一人ずつちがうこたえを言っていて、

とてもべんきょうになりました。こんどは、おじいちゃ

んやおばあちゃんにも聞いて色いろなこうつうあん全

に気をつけます。

20

兵庫県明石市立花園小学校

二年 三みうら浦

 知ちあき晃

しっかりまもろうこうつうルール

 一年生のあき、ならいごとへ行っているときのこと

です。いえの近くのしんごうきのないおうだん歩どう

をわたっているとき、ほっぺとひざになにかがぶつか

りました。ぶつかったときは一体なにがおこったのか

わかりませんでした。前を見るとバスがとまっていま

した。そのときぼくはバスにぶつかったということに

気づいてこわくなりました。にげないとと思ってはし

ろうとしたら、バスのうんてん手さんがバスからおり

てきてぼくのことをよびとめました。ぼくはふあんに

なりながらけいさつの人とおかあさんがくるのをまっ

て、みんなでじこがあったおうだん歩どうをみてから、

おかあさんといっしょにびょういんへ行きました。

 いえにかえると、おばあちゃんがしんぱいそうにぼ

くのことをまっていました。

 「大きなけがをしなくてよかった。もしバスのタイ

ヤにひかれていたら大けがをしていたよ。どうしてバ

スとぶつかったのか、どうしたらこれからじこにあわ

ないかよく考えてごらん。」

と言われました。

 ぼくはバスとぶつかったときのことを思い出してみ

ました。ぼくがわたっていたおうだん歩どうはしんご

うきがなくて、夕がたは車がたくさんはしっていま

す。おうだん歩どうの近くにはぎん行やコンビニがあ

るので、とめてはいけないばしょにたくさん車がとめ

てあります。おうだん歩どうをわたろうと思って右左

をよく見ても車がきているかどうかわからないときも

あります。車がきていないと思っておうだん歩どうを

わたっていても、見えていないだけでゆっくりと車が

きていることもあります。ぼくはそのことにきがつか

ずにバスとぶつかってしまいました。

 これからじこにあわないようにするには、いままで

いじょうに右左をかくにんすること、とおまわりに

なってもしんごうきのあるおうだん歩どうをわたるこ

とが大切だと思いました。これからもこうつうルール

21

をしっかりとまもりたいです。

香川県さぬき市立長尾小学校

二年 平ひらき木

 太たいち一

じぶんでまもろうルールといのち

 三年前、おにいちゃんが交通じこにあいました。そ

の日の朝、家に何回もでん話がかかってきたけど、お

母さんはせんたくをしていて気がついていませんでし

た。ぼくが、

 「何回もでん話がなっとるよ。」

とおしえてあげると、いそいででん話に出て、

 「おにいちゃんが交通じこにあった。すぐに行くよ。」

とあわてて車にのせられました。ぼくは、車の中で、

 「おにいちゃん、しんでしまうん?」

と何回も聞いたことをおぼえています。とてもこわ

かったです。おにいちゃんは足のけがだけですぐ家に

帰ってこれたけど、その時ぼくは気をつけようと思い

ました。

 今は小学生になってしゅうだんとう校をしていま

す。お母さんによく聞かれることがあります。

 「まい日きちんとルールをまもってる?」

 ぼくは、しばらく考えて、

 「ううん、まもれてないかも。」

と言いました。

 「きゅうに道をわたる。」

 「車がきても止まらない。」

 「みんながバラバラであるく。」

 「右、左を見ないであるく。」

 少し考えただけで、ダメなところがたくさんありま

した。たくさんできていなくてビックリしたし、お母

さんには、

 「これでは、いつじこにあってもおかしくないな。」

といわれました。

 それから、どうしてまもれていないのかをいっしょ

に考えました。すると、「車が止まってくれるかな」

とか「友だちがいっしょだから大じょうぶかな」とい

22

う気もちがあることに気づきました。

 そして、あのときの「こわい」という思いもわすれ

ていました。

 「これ、見て。」

とお母さんが見せてくれたのは、おにいちゃんがじこ

にあった時のくつとくつ下でした。くつ下はビリビリ

にやぶけていて、くつもちぎれていました。

 「やっぱり、こわい。じこにあいたくない。」

と思いました。

 だから、ぼくは、

 「きゅうにはしらない、とびださない、おうだんほ

道でふざけない、しんごうをまもる」あたり前のこと

だけど、じぶんで気をつけます。

 まい日元気よく「行ってきます。」や「ただいま。」

を言いたいです。

栃木県那須塩原市立高林小学校

三年 室むろい井

 まお

交通ルールを守ってくれてありがとう

 「あぶないよ。」

 わたしは、大好きなさん歩中、いつもひやひやしな

がら妹を注意します。歩道がせまくて車がわたしたち

のすぐそばを走っていくからです。また、道路をわた

るときには、

 「右を見て、左を見て、もう一度右を見て。」

と元気よくかくにんするようにしています。それは、

わたしの家の周りには信号きがないからです。信号き

がなくても、安全に道路をわたれるように、小さなこ

ろから父や母に教えられてきました。妹も、わたしの

まねをして、手をしっかりあげて道路をわたっていま

す。妹は、道路を走る車を見るだけでも手をあげるこ

とがあり、かわいらしいです。近所のおばあさんには、

 「えらいね。」

23

とほめられて、とてもいい気分になります。

 歩道がせまかったり信号きがなかったりときけんが

いくつもあるわたしの家のまわりですが、今まで交通

事こが起こるのを、見たことはありません。

 しかし、テレビを見ていると、とう校中の小学生の

れつに車がとびこんで、小学生がいのちを落としてし

まったというニュースを耳にすることがあります。き

ちんとルールを守って歩いているのに事こにあってし

まうのはなぜなのでしょう。とてもかわいそうで、か

なしい気もちになります。車は、とてもべんりなもの

ですが、きけんなものでもあると思います。ほんの一

しゅんのうちにいのちをうばってしまうからです。車

さえなければ交通事こは起こらないのであれば、車が

なくなればいいと思ったこともあります。でも、車が

ないと生活ができなくなってしまう人もいます。わた

しの住む地いきでも車は必要です。近くのスーパーに

買い物に行くにも、車で十五分はかかります。車は、

わたしたちの足のようなものです。

 では、どうすれば交通事こは起こらないのでしょ

うか。それは、歩行者も車のうんてん手も一人一人が

交通ルールを守ることだと思います。わたしの住んで

いるところで事こが起こらないのも、きっとみんなが

ルールを守っているからでしょう。そう考えると、と

てもうれしくなります。わたしたちがさん歩するこの

道を安全運転してくれる人たちに感しゃしたいです。

もし、歩行者、車の運転手それぞれが、おたがいに「交

通ルールを守ってくれてありがとう」という感しゃの

気もちをもち、ルールを守ったら……。交通事こも少

なくなり、安心して生活できるようになると思います。

そうなるためにも、わたしは、交通ルールを守ってく

れる運転手さんに感しゃしながら、これからも交通

ルールを守って妹と一しょにさん歩を楽しみたいです。

24

千葉県市川市立大柏小学校

三年 髙たかやま山

 梓あずき希

「どうぞ」の気持ち

 「あっ! 赤しん号なのに。」

 赤しん号の横だん歩道をわたる大人を見かけて、わ

たしは、ずるい! あぶない! と思いました。子ど

もには、赤しん号で横だん歩道をわたってはいけませ

ん、と言っているのに、どうして大人が平気でわたる

のだろうと、ふしぎな気持ちになりました。

 わたしのお父さんは、お仕事がいそがしくて、毎日

朝早く家を出て、夜おそく帰ってきます。お父さんが

帰って来ると、わたしとお母さんは、無事でよかった!

と、ホッとします。お父さんはいつもわたしに、

 「車に気をつけてね。交通ルールをきちんと守って

いても、とつぜん車やオートバイがとび出してくるこ

ともあるからね。」

と言います。もしかすると、赤しん号の横だん歩道を

わたった人も、いそがしくて、急いでいたのかもしれ

ません。でも、だからと言って、赤しん号の横だん歩

道をわたっていいわけではありません。テレビで交通

事このニュースを見ると、こわくなります。わたしも、

学校の帰り道、青しん号で横だん歩道をわたろうとし

た時に、とつぜん車がとび出してきて、事こにあいそ

うになった事があります。とてもびっくりしました。

 わたしは、こういう事がなくなるにはどうしたらい

いか考えました。考えてみると、そういう悪い大人と

はちがう人もいました。わたしが道路をわたろうとし

た時に、車が来たので待とうと思っていたら、運転し

ている人が、手で、やさしい感じで「どうぞ」として

くれました。わたしは安心して先にわたりました。そ

して、車の前を通った時に、おじぎをしました。

 人にはいろいろな人がいます。けがや病気でゆっく

り歩く人、お年よりでつえをついている人、おなかに

赤ちゃんがいる人。そして、目の不自由な人は車が見

えません。耳の不自由な人は車のクラクションが聞こ

えません。みんながみんな、元気だというわけではあ

25

りません。だれもが安心して、安全に横だん歩道をわ

たるには、どうしたらいいのでしょう。

 大切なのは、みんなが交通ルールを守る事。どんな

に急いでいても、大人も子どももルールを守らなけれ

ばなりません。そして、わたしが気づいた事は、いろ

いろな人の立場になって考えてみる事です。そうすれ

ば、相手の気持ちがよく分かるようになるからです。

 「どうぞ」と道をゆずられてわたしがうれしかった

ように、わたしもだれかに「どうぞ」の気持ちをあ

げたいです。こまっている人がいたら、助けたいで

す。そしてわたしだけでなく、世の中の人みんなが交

通ルールを守り、「どうぞ」の気持ちを持っていたら、

もしかすると世の中から交通事こがなくなるかもしれ

ません。それがわたしのねがいです。

富山県射水市立大門小学校

三年 海えびさわ

老澤 琴ことは芭

「交通安全」はまほうの言葉

 わたしのおじいちゃんは、むかしけいさつかんでし

た。交通かというところで長い間仕事をしていたので、

道路のきまりや交通安全についてたくさんのことを教

えてくれます。だから、わたしにとって「交通安全」

という言葉は、少しきんちょうするとくべつな言葉で

もあります。

 いつもはやさしいおじいちゃんですが、お出かけの

ときには、こわい顔になることがあります。

 「車が急に動くかもしれんから、ふざけたらあかん

ぞ。」

と、いつも声をかけてきます。家の近くの道をいっしょ

にさん歩していても、

 「とび出しは、しられんよ。」

26

と、車がいてもいなくても大きな声でさけんできます。

わたしは、おじいちゃんに声をかけられなくても、い

つも気をつけているつもりなので、正直ちょっとめん

どくさいなあと思うこともあります。でも、おじいちゃ

んは今までにたくさんの事こを見てきたから、心ぱい

してくれているのだと思います。

 そんなおじいちゃんが、運転するときに気をつけて

いること、それは「きけん予知」をすることだそうです。

きけん予知とは、「〇〇かもしれない」と考えること

です。「子どもがとび出すかもしれない」「お年よりが

おうだんするかもしれない」とそうぞうしながら、い

つも運転しているそうです。わたしはどんな気もちで

運転をしているかなんて考えたこともなかったので、

きけんを予知しながら運転をするなんてすごいなあと

思いました。そして、きけんを予知しないから事こを

起こすのだとも、教えてくれました。車を運転する人

は、「〇〇だろう」とゆだんして運転するのではなく、

「〇〇かもしれない」と注意してほしいと思いました。

そうすることで、事こでいやな思いをする人を少しで

もへらせるはずです。

 わたしもおじいちゃんを見習って、小学校のとう下

校で気をつけていることがあります。それは、信号が

青でもしっかり右左を見ることです。「青だけど、車

は止まらないかもしれない」「青だけど、車が曲がっ

てくるかもしれない」と考えて、毎日横だん歩道をわ

たるようにしています。これは、歩いている人の「き

けん予知」だと思います。

 「交通安全」や「きけん予知」は、車を運転する人

だけの言葉ではないと思います。歩いている人、自転

車にのっている人、バイクにのっている人、みんなの

言葉です。そのことを考えていれば、交通事こでかな

しい思いをする人はいなくなって、みんながにこにこ

のえ顔になれると思います。そう考えると、「交通安全」

は、みんなをえ顔にするま法の言葉なのかもしれませ

ん。わたしは、これからもこのま法の言葉を大切にし

ていきたいです。

27

茨城県下妻市立豊加美小学校

四年 金かねこ子

 莉り

な菜

とつぜんの出来事

 「おばちゃん、どうしたの。」

 そろばんじゅくのおむかえにいつもおばちゃんが来

てくれるのに、なぜかおじちゃんだったので具合でも

悪くなってしまったのではないかと、どきどきしなが

ら聞いた。

 「おばちゃんは、そろばんじゅくに送っていった帰

り、スーパーのちゅう車場で車をぶつけられちゃった

んだよ。」

とおじちゃんは教えてくれた。

 「おばちゃん、大じょうぶなの。」

 私は心配になり聞いた。心ぞうがどきどきしている

のが分かった。

 「おばちゃんの体は大じょうぶだよ。」

 おじちゃんがそう言ったのを聞いて、私は少しほっ

とした。

 しばらくして帰って来たおばちゃんは、とてもつか

れた顔をしていた。相手の人は軽トラに乗った八十四

才のおじいさんで、おばちゃんがちゅう車場に車を止

め終わった時いきおいよくバックしてきて、おばちゃ

んの車にぶつけてしまった。おばちゃんは車からすぐ

に下りたが、そのおじいさんはぶつかったことも分

かっていないのかそのまま帰ってしまいそうだったと

言う。ただ、そのおじいさんも体にけががなかったと

聞いて安心した。

 私はお父さんに、

 「車は何才まで乗れるの。」

と聞くと、

 「運転めんきょしょうを取とくしたら、何才までで

も運転できることになっているんだよ。」

と教えてくれた。私は知らなかったのでびっくりした。

高れいになると、注意力や反応力もにぶくなり事こも

増えるから、運転めんきょしょうの返のうせい度があ

ることも教えてくれた。また運転めんきょしょうをこ

28

う新する時、こう新できない人もいるという。でも今

は高れい者だけで生活している家庭も増えているか

ら、車はかかせないい動手段ということも知った。そ

してこれからもっともっと高れい者が増えるという。

 私は今回のおばちゃんの車の事こで、いろいろな事

を感じた。平日はお父さんとお母さんはお仕事に行っ

ているので、習い事の送りむかえはおばちゃんとおじ

ちゃんにおねがいしている。私が大人になったら、今

助けてもらっている分、おばちゃんとおじちゃんが車

に乗らなくてもすむように助けてあげたい。そして私

が大人になるころには、お年よりが自分で車を運転し

なくても生活できることが当たり前の世の中になって

ほしいと思う。事こは一歩まちがえば命までなくなっ

てしまうこともある。お年よりが運転する車が建物に

つっこんでしまったというニュースをテレビで見たこ

ともある。

 近いしょう来、お年よりにやさしい社会になればい

いなと思う。そんな社会を作っていくのは、私たちな

のかもしれない。

栃木県佐野市立吉水小学校

四年 吉よしはら原

 馴しゅんと人

言葉のお守り

 ぼくは、今年の春から通学班の班長になりました。

去年までは六年生の上級生が班長で、ぼくはその班の

一番後ろを歩く副班長でした。通学路はせまい道なの

で、後ろからスピードを出して来る車などを班のみん

なに知らせていました。

 今までたよりにしていた上級生が卒業して、新しい

黄色の班長旗を持ち、先頭になって毎日登校します。

初めてみんなの前を歩く時は、なんだか、はずかしい

気持ちとうれしい気持ち半分です。そして一番は、み

んなを安全に登校させる責任を感じました。

 ぼくの班には、春から一年生が入学してきました。

新入生一人、二年生が二人、そして三年生の副班長と

ぼくの合計五人です。登校の時に気をつけている事は、

まず歩く速度です。特に一年生は、体が小さいので歩

29

くスピードに注意します。そして次に、一列に並んで

道路のはしをきちんと歩く事。道を横だんする時は、

班のみんなが安全に渡れるように左右をよく見て、車

に注意しながら渡ります。だから、ぼくは後ろの様子

をかくにんするために、よく後ろをふり返って声をか

けます。

 ぼくが一年生の時、毎朝集合場所までお母さんが

いっしょについて見送りをしてくれ、下校の時間にな

ると、途中まで歩いてむかえに来てくれました。いっ

しょに歩きながら自動車が来ると、大きな声で、

 「後ろから、車がきたから気をつけて。」

 「道のはしを歩いてね。」

と言い、道を渡る時も、

 「左右、よく見て渡ってね。」

と列のみんなに聞こえるように言います。そして、む

かえに来ている他のお母さんやおばあちゃん、おじい

ちゃん達も列からおくれぎみの子や、はみだして歩い

ている子に、やさしく声をかけ、注意してくれました。

 ぼくが二年生へ進級すると、毎朝お母さんは家の玄

関で、

 「車に気をつけてね。いってらっしゃい。」

と言って、今度はぼくが見えなくなるまで窓から見

送ってくれます。学年がどんどん進級しても、毎日同

じく言われると、わかっているのにうるさいなぁと思

うこともあります。だからお母さんに、

 「もう、いつもわかっているよ。」

と不機げんそうに言うと、

 「だって、毎日事故にあわないための言葉のお守り

だから。」

と笑って答えます。そんなふうに言われるとなんとな

く、うれしくなりました。

 ぼくは、小さなころから両親やまわりの人から守っ

てもらい、そして今までたくさんの人から言葉のお守

りをもらっていたんだと思いました。だからこれから

は、ぼくから班のみんなに言葉のお守りと思ってもら

えるよう、事故に気をつけて安全に登校したいです。

30

埼玉県飯能市立加治小学校

四年 椙すぎた田

 帆ほのか夏

貴重なかがみ

 ある日、お母さんが車で家を出て、右にまがろうと

した時に、

 「おっ! かがみがあってよかった。」とブレーキを

かけました。その後すぐにバイクが行きました。

 「え? どこにかがみがあるの?」と聞いてみると、

 「あそこだよ。」とオレンジ色の丸いかがみを指さし

ました。〝道路にかがみ?〞見た事はあるけれど、特

に気にしていなかったので、

 「どういう時に使うかがみなの?」と聞いてみると、

 「あれは、カーブミラーというもので、見通しが悪

い所にあるから、今から買い物に行く所までに何こあ

るか数えてみたら?」と言われ、数えてみると、車で

やく十分の所までに三十八ケ所ありました。

 初めて知って、うれしかったので、お父さんに、ほ

うこくしてみると、お父さんは、

 「あー! かがみはべんりだけど、最後は、自分の

目でかくにんするんだよ。」と、教えてくれました。

 私は、その日からオレンジ色のかがみが気になって、

通学路で、登校する時に数えてみたり、おでかけをす

る時には、数えるのが習かんになっていました。

 毎日数えていると、丸いかがみと四角いかがみが

あって、「どんな意味があるのかな?」と思って、調

べてみると、丸型は「全体を見わたしやすい」、四角

型は「角の部分の、細かい所まで見える」という事で

した。

 道路のすみに、ポツンと立っているカーブミラー。

気にしないで、かがみのある意味も分からない。とい

う私にとっては、とてもかげのうすいそんざいでした。

だけど、このかがみの一つ一つが、たくさんの人をう

つしてくれて、交通事故をふせいでくれているという

事を知ってからは、私の中では、人の役に立っている、

とてもきちょうなそんざいにかわりました。

 他にも、車には、サイドミラーや、バックミラーが

31

ついていて、このかがみたちも、色々、大切なやくわ

りをはたしてくれています。交通安全に気をつけるの

は、一人一人、という中に、かがみもたくさんきょう

力してくれているという事が、分かりました。

宮城県大崎市立古川第一小学校

五年 宍ししど戸

 祐ゆうた太

ぼくが事故にあって気付かされたこと

 これは、ぼくが四年生の時にあった事故のお話です。

 それは、まだ気温が二十度をこえている日々に起きま

した。その日は同じ地区にいる友達と一緒にゲームをす

る約束をしていました。友達の家に行くには、交差点を

通らないといけないので車がたくさんならぶ交差点で、

ぼくはすぐ右側に止まっている大きなトラックより少し

前で止まっていました。信号が変わって軽く左右を見て、

横断歩道をわたろうとすると、右側に止まっていたトラッ

クが左折して、ぼくの道をふさぐ様に前に出ました。次

のしゅん間、その出来事は一しゅんでした。トラックの

前輪に自転車のタイヤがまき込まれました。この時、ぼ

くは心の中で、

 (あっ…まずい…)

と思いました。この時は少し時間がおそく感じられまし

た。自転車のハンドルを持っていたぼくは、自転車と一

緒にトラックに引っぱられてしまいました。

 ぼくはその後、近くの病院に運ばれ、右のふとももに

打ぼく、全身のいたるところにすりきずを負いました。

原因はトラックの運転士さんが周囲をよく確認していな

かったことのようですが、ぼくはこの事をふり返って自

分にも少し責任を感じています。理由は二つあります。

 一つ目は自分も周囲をよく見ていなかったからです。

あの時、事故が起きることはないと思いこんでしまい、

周囲を確認できていませんでした。

 二つ目は、親にも心配をかけてしまったからです。こ

の事には、親が一番ぼくにやさしくしてくれました。そ

してぼくは今、この作文を書いて気付いたことがありま

す。それは、交通安全の大切さです。それに一番大切だ

32

と思ったのは相手に全てをおしつけないで自分がした行

動を先に考えることです。これからはこの気付いたこと

を生かして私生活で楽しくすごしたいです。

茨城県古河市立中央小学校

五年 江えはら原

 悠ゆうま真

命を大切に

 「ドン、ガシャン。」

 自転車で出かけようとしていた時、もうすぐ三才に

なるぼくは、自転車のチャイルドシートに乗ったまま

たおれてしまい気を失なってしまうという事故にあっ

てしまった。母は、すぐにぼくをだき上げて名前をよ

び続けてくれたそうだ。顔色はどんどん白くなり、な

んの反応もしないぼくを見て、

 「このままだと死んじゃう。」

と不安になってふるえながら救急車をよんで病院に

行ったそうだ。救急車の中でようやく声を出して泣く

ぼくを見て、救急たいの人に、

 「もうだいじょうぶですよ。」

と声をかけてもらいやっと安心できたという話をして

くれた。

 五年生になったぼくに母は、

 「ヘルメットは、ぜったいにかぶってよ。」

と必ず言ってくる。小さい時の事故でヘルメットをか

ぶらず自転車に乗せてこうかいしていたという話を何

度も聞いていたのでぼくは、

 「あたり前じゃん。かぶるよ。」

と答える。

 ヘルメットをかぶって自転車で出かけると、

 「ださくない?」

 「めんどくさくねぇ。」

と言われてしまうことがある。でも、ぼくは、

 「そう思うかもしれないけど、ぜったいかぶった方

がいいよ。」

と言う。ヘルメットに対して良いイメージをもってい

ないから、友達はそんな風に思ってしまうのかもしれ

33

ない。でも、ヘルメットは、ちっぽけな道具だと思っ

てしまうかもしれないけれど、命をつなぐ大切な道具

だとぼくは思っている。だからぼくは、ヘルメットの

大切さをみんなに知ってもらいたいし、

 「かぶった方が自分を守ることができるんだよ。」

と伝えて行きたい。

 夏休み中には、何度も交通安全について考えさせら

れるニュースを見た。

 あおり運転をする自動車が、トラブルや事故をおこ

すというもの。自転車に乗っていた大学生が、スマー

トフォンに気を取られて、前を歩いていたおばあさん

に気がつかずにぶつかってしまい死なせてしまったと

いうニュース。ぼくはどうしてそんな事故がおきるよ

うな行動をしてしまうのかまったく意味が分からな

かった。交通安全のルールをきちんと守っていれば、

こんな大きな事故がおきるわけがないと思ったから

だ。

 だからぼくは、自分の命、みんなの命を守るために、

色々な人達から教えてもらった交通ルールをしっかり

守って生活していきたい。

岡山県倉敷市立葦高小学校

五年 赤あかお尾

 萠も

み奈美

私達の交通安全について

 最近ニュースで、交通事故について、よく見ます。そ

のニュースを見るたびに社会科見学でけい察しょへ行っ

た時に、岡山県は交通事故が特に多いと言っていたこ

とを思い出します。ニュースでは車の事故がとても多い

けれど、今回は私にとって身近な自転車のことについて、

どうやったら交通事故が少なくなるか、どうやったら

けがが減るかを家族と一緒に考えてみました。

 たくさん話し合った結果、四つの案がでてきました。

 一つ目は、車やバイクには、バックミラーがついて

いるのに、自転車には、なぜついていないのだろうと

思っていました。後ろの様子が分かったほうが安全な

ので、自転車にもバックミラーをつけた方が良いと思

います。しかし、私一人だけつけるのは、「恥ずかしい」

ので、きそくでみんながつけなければならないように

34

なったら良いと思います。

 二つ目は、自転車でも転んだら大けがをすることも

あるので、自転車用エアバッグがあったら良いのでは

ないかと考えました。もしかしてと思い調べてみたら、

なんと首にまく自転車用エアバッグがありました。そ

れはしょうげきでヘルメット型に広がる物でした。そ

れなら、「ヘルメットをかぶったらいいのでは」と思

いました。

 三つ目は、自転車用めんきょしょうを作ることです。

例えば、ヘルメットをかぶっていなかったらマイナス

一点、夜にライトをつけていなかったらマイナス二点

などというふうにします。私なら、ずっと満点がいい

ので安全に意識してがんばります。

 四つ目は、町中で片手運転をしている人がとても多

いので、タイヤが回っている間、片手運転になってい

たら、「ピッピー」と鳴るものをつけるということです。

けれどもこれは、毎回片手運転をしている人は、「う

るさい」と思いスイッチを切ってしまうと思います。

それでは意味がないので、私は三つ目の自転車用めん

きょしょうが一番効果的だと思います。

 今回、家族と一緒に交通安全について考えた時間が

私にとって一番自分のためになった時間だったと思い

ます。

 ですが、こういうそう備などをいくつもつけたとし

ても交通事故はおこります。そのほとんどが人の不注

意から始まっています。なのでまずは、「交通事故を

おこさないぞ」と強く意識をすることが大切だと改め

て思いました。

宮城県仙台市立寺岡小学校

六年 秋あきほ保

 泰やすは葉

横断歩道、青信号でも油断するな

 「きっとやりたい事が沢山あっただろうな。心残り

だろうな。」私は横断歩道の手前に添えられている、

きれいな花束に手を合わせた。小学校のたてわりの授

35

業で優しくしてくれた、あの時のお兄さんの笑顔が目

にうかび涙がツーッと流れた。

 「お兄さんは悪くない。だって歩行者の信号は青だっ

たんだから…。」そういくら思ってもお兄さんは戻っ

てこない。お兄さんは、塾の帰り道、スマホ運転して

いた車に横断歩道ではねられてしまった。悲しすぎる

けれどどんなに悪くなくても、死んだら戻ってこれな

いんだ。

 私は心の中でお兄さんに誓った。お兄さんの事を忘

れない事。そしてお兄さんの死を無駄にはしない事を。

 私は、家族とどうしたら良いか話し合った。まず最

も重要なのは「歩行者の信号が青でも車が進入してく

るかもしれない。車が必ず止まるとは限らない。」そ

ういう意識を一人一人が持つことが大切だと、今回の

事故から学んだ。確かに青は進めと、幼い頃から学ん

できたけれど、思い返してみると、正確には「注意し

て進め。」だったような気がする。今回の様なながら

運転や、いねむり運転、酒酔い運転している人もいる

かもしれない。そんな車が自分に向かってきた時、自

分で気づき逃げなければいけない。自分の身を守れる

のは、自分なんだ。だから、いつ、どんな時も注意し

て道を渡らないといけないと思う。

 そして、もう一つ大事だと考えたのは、自分の存在

を運転手にアピールする事だ。特に暗くなると歩行者

は気づかれにくく、私も助手席に乗っていて、何度か

「ドキッ」とした事がある。それ位見えない。その点

自転車は、反射板がついている為、遠くからも存在が

わかる。私は、ジャンパーやかばんに反射テープを貼っ

てもらった。しかし、日によって違う物を使う事も多

いので、最終的には何足かの靴に反射テープを貼って

もらい、いつでも反射テープを身につける様にした。

実際には、かかとの部分の短いテープだけれど、外観

にも影響がなく、自分でも安心できて気に入っている。

 そして、送迎の運転が多い母は、運転する時はスマ

ホの入った鞄を後部座席に置く事にした。モード切り

換えだと忘れるし、助手席で音が鳴ると気になるらし

い。それから、テレビの番組で夜はハイビームだと歩

行者に気づくのが格段に早くなる、と知ってから細め

にハイビームを使用する様になった。

 私は、これからも通学路でもある、花の横断歩道を

36

渡り続けるだろう。毎日、心の中でお兄さんに手を合

わせ、誓いを胸に刻み続けたい。そして、悲しい事故

が二度とおきない様に、お兄さんからのメッセージで

あろう、

 「横断歩道、青信号でも油断するな。」

を周りの人達に伝えていきたいと思う。

茨城県守谷市立守谷小学校

六年 松まつい井

 智とものぶ伸

おじいちゃん、僕が遊びに行くよ

 父が単身赴任をしていた時、祖父は僕にさびしい思

いをさせまいという思いから、月に一、二回程度高速

道路を使い、遊びに来てくれていました。祖父はイン

ターを降りた後、近くのコンビニエンスストアに寄っ

て、公衆電話から、

 「着いたよ、お願い。」

と、連絡してきました。そこで飲み物や弁当を三人分

買って祖父は待っていました。インターから僕の家ま

での道がよく分からないと言っていたので、僕と母は

車でそのコンビニエンスストアの駐車場に向かい、祖

父の車を先導しました。後ろを見ると、祖父がニコニ

コして手をふっている姿が見えました。ところがある

日、祖父が車をぶつけて壊してしまったという話を聞

きました。幸いけがはありませんでしたが、愛車は廃

車にせざるを得ない状況になってしまい、毎月遊びに

来ていた祖父はその時からやって来なくなりました。

四年前の事です。

 超高齢化社会である日本で、高齢ドライバーによる

事故のニュースをたくさん耳にします。これらの対策

として、例えば七十歳以上の人は運転免許証を更新で

きないようにする、運転免許証返納を義務化するなど

色々な考え方があると思います。しかし、この運転免

許証返納というのは、車の運転を継続したい人にとっ

ては言葉では言い表せないほどのかっとうがあるそう

です。まず、足代わりの車がなくなってしまうことで、

37

生活に不便が生じるかもしれません。そしてそれ以上

に、運転免許証を返納するということは、そう失感で

いっぱいになり生活していく中で、自信や喜びや楽し

みといった気持ちがもてなくなってしまうそうです。

母や伯父が、祖父に運転免許証返納の話をすると、

 「お父さんから免許を取ったら、何が残るんだ。」

と言って、目を真っ赤にしたという話を聞いた時、元

気だったころの祖父が笑顔で車のハンドルを握ってい

た時の事がよみがえってきました。

 人は皆老いていきます。できていたことができなく

なってしまうことも多いかもしれません。運転免許証

自主返納に対する、公共交通機関利用の優ぐう制度な

どがあることをニュースで知りました。僕はそれと同

時に人を孤独にせず、コミュニケーションをとりやす

い明るい社会を目指すことが交通安全を守る、ひいて

は命を守ることにつながるのではないか、と思います。

 今週末、祖父に会いに行きます。

香川県高松市立弦打小学校

六年 石いしもと本

 晴はると人

運転手の目を見よう

 ぼくは、最近自転車に乗る機会が多くなっています。

そこで、二つ気をつけていることがあります。

 一つ目は、角から曲がって来る車の運転手の目を見

るということです。家族の中で絶対そうしようと決め

たことがあります。それは、ぼくが一年生の時に、母

が一人で車に乗って走っていると、左の道から出てこ

ようとしている車としょうとつしてしまったことで

す。その時母は、運転手の顔は見ておらず、車だけを

見ていたそうです。その後、父が母に、

 「相手の車を見るのではなく、運転手の目を見た方

がいいよ。」

と言いました。相手がこちらに気づいていないと分

かっていれば、速度を落としたり、クラクションを鳴

らしたりして、事故を防ぐことができていたかもしれ

38

ません。それ以来母は、運転手の目を見るようになり、

ぼくもそのことを教わりました。

 ぼくは主に、習い事の行き帰りの時に自転車を使う

ので、少し危ないなと思う車があると必ず運転手を見

て、運転手がこちらを見ていたら進み、他の方を見て

いたら念のため停まるようにしています。

 また、横断歩道を渡る時、青信号で渡っていても車

にひかれてしまったというニュースを見たことがある

ので、青だからといって安心するのではなく、その時

も必ず運転手の目を見るようにしています。でも、昼

間光が反射する時や夜暗い時は、相手の顔がよく見え

ないこともあると思います。そういう時は、より注意

深く確認することが必要です。相手にも自分の存在を

分かってもらうために、特に暗い夜は、明るい服を着

たり、反射板をつけたりすることが大事だと思います。

 二つ目は、かくれている物を予測するということで

す。停まっている車をよける時など、何も考えずによ

けるのではなく、もし何かが飛び出してきたらと予測

するように心がけています。自転車と歩行者がぶつか

り、歩行者にけがをさせてしまったという話もよく聞

きます。実際にぼくも、急に歩行者が路地から曲がっ

てきて、ドキドキしたことがあります。細い路地で止

まれの標識が無い所でも、速度を落としたり、止まっ

たりすることは大事です。

 来年は中学生になり、毎日自転車で通学する予定で

す。事故にあわないように注意し、自分の命は自分で

しっかり守るようにしたいです。そして、これらの事

を弟にも教えてあげて、事故のないようにしてあげた

いです。

中学

部の

41

宮城県名取市立みどり台中学校

三年 

鈴すずき木

 舜しゅん

孤立をなくす取り組みを

 「父さんはまだ若いし、認知症でもないけれど、念

のため眼科に行こう」

 僕にはまだ七十歳の元気な祖父がいる。大きな病気

もないが、最近視力が低下し車の運転が不安だという。

医師をしている父に聞いてみるのが一番と考えたのだ

ろう。二人で話し合っている声が聞こえてきた。

 高齢者の運転事故が増加していることは、僕も新聞

やニュースを見て知っている。認知症の患者さんは車

を運転してはいけないのか、率直な疑問を父に尋ねて

みた。

 記憶など物事を適切に判断する脳の能力、認知機能

と呼ぶらしいが、これらが一定基準以下に低下し、改

善する可能性が少ない状態になった時、認知症の診断

をすると教えてくれた。車の運転は常に集中力を必要

とし、瞬間的に状況判断をしなければならないため、

認知症が存在すると、安全に運転する事が困難になる

場合があるという。その際、医師は運転免許更新の可

否について診断書を書く。

 交通事故は人の命に関わる。リスクがあるなら、認

知症患者の免許証を禁止にするべきではないか。安易

な返答をした僕は、高齢者が直面する切実な状況を知

る事となった。

 問題は他の交通手段が発達している都市部ではな

い。子供や孫達が家から離れ、高齢化が進む不便な過

疎地域である。例えば八十歳の夫婦が二人で住んでい

て、妻は病院通いを欠かせない状態だとしよう。夫は

車の運転が可能だが、物忘れの進行は、年齢を重ねる

度に実感する。免許証もそろそろ返納したい。だが、

自分が車を手放したら、妻を病院に送迎できなくなる。

それどころか、生活に必要な食材や日用品を買いに行

最優秀作   内閣総理大臣賞

42

く事も不可能だ。運転しなくなったその日から、夫婦

の生活は破綻してしまう。介護送迎サービスを使うに

もかなりのお金がかかり、毎回は使えない。

 このように、運転は辞めたいが、生きていく上で簡単

に辞められないという患者や家族が、病院にたくさん

いるというのだ。事態の深刻さは僕でも十分理解できた。

 認知症患者や高齢者が、運転免許を返せばそれで解

決するという簡単な話ではない。孤立を深めないよう

に、地域で支える必要がある。当事者だけの責任にし

てはいけない。無理をしてまで運転を続ける理由を、

皆でもっと真剣に考え行動するべきだと思う。

 乗り合いバス「なとりん号」が、僕の街を走ってい

る。主に高齢者が使うのだが、市民であれば安い料金

で誰でも利用可能だ。空席が目立つが、より多くの人

達が積極的に利用すれば、高齢者が利用しやすい時間

に合わせて、集中的に運用できる事を運転手さんが教

えてくれた。正直、乗るには少し恥ずかしいが、こん

な僕にも出来ることがあるのだ。小さなことかもしれ

ないが、その積み重ねが地域と交通安全を支えるのだ

と思う。

徳島県鳴門教育大学附属中学校

一年 

八やしろ代

 蒼そうた太

「かも知れない運転」で事故防止

 我が家で交通安全について話し合った結果、交通事

故が起こる原因の多くは、「だろう運転」と、急いで

いる時のあせりの気持ちであるという結論になりまし

た。もちろん、他にもたくさんの原因がありますが、「だ

ろう運転」をやめる事と、心に余裕を持った運転を行

う事で、事故を大きく減らす事が出来るのではないか

という事です。

 私の父母は、自動車を毎日運転しており、事故を起

こしそうになった経験について質問してみると、父

は、「狭い道で、だれも飛び出して来ないだろうと思っ

優秀作

国務大臣・国家公安委員会委員長賞

43

て運転していると自動車が急に飛び出して来る時があ

り、ハッとする時がある。」と言っていました。又、

母は、「仕事でお客さんと約束があって、時間に遅れ

そうになった時に、あせって運転していると、視野が

狭くなって、普段なら見えている物を見落としそうに

なる事がある。」という事でした。私は、自転車を運

転したり、歩いている時が多いですが、私の経験から

も、「あの車は止まってくれるだろう。」と思っている

時に止まらなかった時や、時間に遅れそうになった時

に、信号の近くでスピードが出すぎている事など、後

で思うと、危なかったなと思う事が時々あります。

 このような、「飛び出して来ないだろう。」「止まっ

てくれるだろう。」という運転が、「だろう運転」と呼

ばれている事を、今回初めて知りました。だろう運転

は、自分の都合での勝手な思い込みであり、周りの事

を考えていない運転であると感じました。これに対し

て、「あのわき道から飛び出して来るかも知れない。」

「前の車が急ブレーキをかけるかも知れない。」と考え

て運転する事を、「かも知れない運転」と言う事も学

びました。この「かも知れない運転」をいつも行う事

が、交通事故を防ぐ上で、非常に重要であると感じま

した。

 もちろん、交通事故の発生原因は他にもたくさんあ

ります。車の故障によるものや、わき見運転、スマホ

を見ながらの運転や信号無視によるものなど多くがあ

げられます。「かも知れない運転」と心に余裕を持つ

事が全ての交通事故を無くす事になるとは言えないか

も知れません。しかし、心に余裕を持って、「かも知

れない運転」をみんなが行う事で、多くの交通事故が

減らせる事は間違いないと思います。

 今回、我が家で決めた事は、「予定より早く出発し、

心に余裕を持った運転をする事。」と「かも知れない

運転」を実行する事です。それからは私も、曲がり角

が来ると、「あの角から、自動車が来るかも知れない。」

と考え、いつでも止まれるスピードで走る事を心がけ

ています。

44

宮城県仙台市立郡山中学校

二年 千ち

ば葉 善よしひろ大

歩行者と運転手

 私は、車を運転しない。しかも、「歩行者優先」と

いう言葉は、よく耳にするし、よく見る。

 先日私は、家族で、とあるショッピングモールに出

かけた。私が何も考えずに道を歩いていると、車とぶ

つかりそうになった。私はなにげなく、「歩行者優先

なのに。」と言うと、父から、「確かにそうだけど、善

大は悪くないのか。」と言われてしまった。ふに落ち

なかった。

 帰宅し、私は父に、「歩行者優先ではないのか。」と

尋ねた。すると父は、運転手の立場から話をしてく

れた。父は運転をしている時に、子どもや、自転車

にとび出されたことが何度もあるらしい。その時は

気を付けていたため事故にはならなかったが、事故

を目撃した事があるそうだ。自転車が赤信号で飛び

出してきた事が原因だった。「たしかに、過失はある

し、責任も車の方が大きい。それでも、善大は車の方

が悪いと思うか。」と聞かれた。その時私は、歩行者

の方が悪いと思った。考えてみると、事の大小は違え

ど、自転車と同じような行動を私もしていたのかも

しれないと思った。それと同時に、交通事故がどの

くらい起きているのか気になった。七月三十日現在、

三千八百二十五件起きており、死者二十八人、負傷者

四千七百五十六人(宮城県警HPより)いることが

分かった。今年はまだ約七カ月しか経っていないのに、

とてもたくさんの事故が起きていて、とても驚いた。

この事故のうち何割が歩行者の意識で防げたのだろう

と思っていると、父が、「歩行者が考えただけでも事

故は減らない。」と見すかされたように言われた。そ

こで、気付いたのが歩行者と運転する側の双方が「思

いやり」を持って行動する事が大切だということだ。

私がすぐにとれる行動は、「信号の無い横断歩道では

一時停止をする」、「〜かもと考えて行動をする」くら

いしか思いつかなかった。普段それだけ何も考えずに

歩いているんだと思った。でも、一人一人が小さいこ

45

とを意識し始めると、交通事故は、少なからず減って

いくのではないかと思うことができた。

 この小さな「思いやり」は何も交通だけではなく、

これからの私の生活の様々な部分で生きてくると思

う。今回、このことについて考えることができたこと

は、夏休み明けの学校生活ですぐに生かせるので、と

てもいい経験になったと思う。

 今後小さなことでも、私自身の生活に必要だと思う

ことは、面倒くさがらずに考えて、よりよい中学校生

活を送って行きたいと思った。

栃木県小山市立小山第二中学校

三年 澤さわだ田

 舞まい

交通事故で奪われたもの

 二〇一七年十一月、それは突然起こりました。日が

落ち真っ暗になった夕方五時、部活動が終わり自転車

で帰宅途中のことでした。赤信号で止まっていた交差

点が青信号になり渡り始めたそのときです。猛スピー

ドで左折してきた大型のトレーラーに衝突されまし

た。その瞬間、私は道路の左側に飛ばされました。

 私は、中学校入学前に母からあることを聞かされて

いました。

 「ひいおばあちゃんは自転車で交差点を横断中、Uユー

ターンをしようとした前方不注意の自動車に衝突さ

れ、高く飛んでしまい頭を強く打って即死だったの。

もし自転車から降りて押して渡っていれば高く飛ばさ

れずに助かったかもしれない。交差点では慌てずに自

転車を降りて押して渡りなさい。」

という話でした。このことは私の胸に深く刻みこまれ

ました。毎日の自転車通学に恐怖を覚え、交差点では

自転車を降りて、青になっても左折してくる車がない

か右後方を振り向き確認してから自転車を押して渡っ

ていました。慎重すぎると思われるその行動が私の命

を救ったのです。警察の方には、

 「あんなに車高の高い大型トレーラーに衝突され、

全身打撲の怪我で済んだのは奇跡ですよ。自転車を降

46

りて押していたから命が助かったんですね。」

と言われました。曾祖母の死、そして母の言葉が無駄

にはならなかったのです。幸いにも、全身の怪我で済

み、車いすや松葉づえを使って家族にサポートをして

もらい、リハビリ治療をすることになりました。

 しかし、体の痛みよりももっと計りしれない辛い恐

怖が私を襲いました。事故のときの真っ暗な光景、大

型トレーラーが自分にぶつかってくる瞬間の映像、音、

感覚、運転手の顔、私に言った信じられない反省もな

い言葉、一つひとつが鮮明に頭の中にフラッシュバッ

クし、地獄のような時間が毎日続くのです。病院で、

PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されまし

た。PTSDとは、天災、交通事故など、突然の不

幸な出来事によって死の恐怖を体験し、強い精神的衝

撃を受けることが原因で心身に支障をきたし、生活に

様々な影響を及ぼす後遺症のことです。フラッシュ

バックの辛さで、私は普通の学校生活が困難になって

しまいました。一瞬の交通事故で、たくさんのものを

奪われたのです。

 私たち家族のような、事故による犠牲者をこれ以上

増やさないために、今、もう一度、家族と話し合いを

しました。一人ひとりが交通事故に対する意識を強く

持ち、交通ルールを遵守すべきだということ、その上

でお互いに思いやりをもって交通事故防止に取り組ん

でいくことが何よりも大切だということを考えまし

た。そして運転手の皆さん、十分すぎるほど注意力を

張り巡らせて、安全確認の徹底をお願いします。ほん

のわずかの気の緩みや甘い判断が人の人生を大きく狂

わせてしまうことを忘れないでください。

 これから私は、この事故で傷ついた心に向き合うこ

とを恐れず、奇跡的に助かった大切な命を家族ととも

に精一杯力強く生きていきます。

47

岡山県総社市立総社西中学校

三年 

片かたやま山

 怜れい

反射材の大切さ

 「その格好で走っていくなら、反射タスキつけてい

けよ。」

 夜、走りに行く前に私は父に呼び止められた。私の

その時の格好は黒のTシャツに紺色の体操ズボン。

確かに目立つ格好ではなく、危ない。私は心の中で「反

射タスキっておばさんがつけてるイメージでなんか嫌

なんだよなあ。」と思いつつ、反射タスキを探してい

た。いつか学校で配られたような反射タスキが見つか

り、それをつけて走ることにした。

 私は走りながら反射タスキの大切さについて考え

た。反射タスキをつけることで遠くからでも存在が分

かるということは知っていたが、実際どのくらいの効

果があるのか調べてみようと思った。

 家に帰り、私はインターネットで反射材の効果を調

べた。ヘッドライトをつけて、夜間に走行中の車から

歩行者が見える距離の図があった。歩行者が黒っぽい

服装だと、車に乗っている人が気づくのは約二十六

メートル先から。明るい服装だと約三十八メートル。

反射材をつけていれば約五十七メートル。反射材の面

積が広ければ百メートル先からでも見えるほど、反射

材にはかなり効果があることが分かった。もっと知

りたいと思い調べていくと恐ろしいことに気づいた。

時速六十キロメートルで走っている車の停止距離は

四十四メートル。つまり、黒っぽい服や明るい服、色

に関係なく、反射材を着用しなければ車にひかれてし

まう可能性が高いのだ。

 インターネットから学んだことを父に話すと、父も

知らなかった事が多かったらしく驚いた様子だった。

 「本当に反射材をつけんと見えんの?」

と私が聞くと、

優秀作   文部科学大臣賞

48

 「うん、見えんな。夜細い道をゆっくり通っとったら、

こんなに近くに人がおったんか! ってびっくりする

ことがあるよ。じゃけん反射材はつけて欲しいなぁ。」

と、父は話してくれた。父と話して私は、反射タスキ

をイメージで嫌っていた自分がばかだと思った。反射

タスキは車に乗っている人と自分を守ることのできる

大切な道具だったのだ。

 今、思い返せば、反射タスキや自転車の反射板を配

られたり、保健体育で交通事故の原因を学んだりと交

通安全について考えられる機会はたくさんあった。し

かし、自主的に交通安全について考えたのは今回が初

めてで恥ずかしいと感じた。

 この出来事を通して私は、自分の命を守るためにで

きる事はたくさんあるのに、していないことに気づい

た。これから自分でできることをひとつひとつしてい

こうと思う。今日から私は反射タスキを堂々と肩から

下げて走るつもりだ。

愛知県一宮市立大和中学校

一年 

長ながぬま沼

 栞かんな菜

命を守る 安全ベルト

 私が小学校低学年のころ、その日は夏休みで家族で

川遊びに行った帰り道、事故は起こりました。連日、

お父さんは私や妹を楽しませるためにいろいろなとこ

ろへ連れていってくれていました。その日もいつもの

ようにお父さんが運転していました。午前中からずっ

と遊んでいたので、家族全員が疲れていました。私と

妹は、後部座席でディーブイディーを観ていました。

赤信号で止まったとき、お父さんは少し寝てしまいま

した。青になったのを助手席に乗っていたお母さんが

知らせ、お母さんは不安そうにしていました。車が発

佳作   警察庁交通局長賞

49

進した後、お母さんの「危ないっ」という声と同時に

中央分離帯にぶつかりました。その衝撃でシートベル

トをしていなかった私と妹は前の座席にぶつかり、そ

のまま座席の足元に落ちました。お母さんはシートベ

ルトをしていたけれど、シートベルトで首をしめつけ

られ、跡が残っていました。お父さんはうでや足に多

少のかすり傷を負いました。この事故は単独事故で、

だれも大きなけがをすることがなかったのでよかった

です。

 私は、事故の原因について振り返ってみると、お父

さんの疲労が原因だと思いました。もし、一度休けい

をとってから運転をしたり、何日も続けて遊ばず、一

日体を休めて体調を整えてから遊んでいたら、事故は

起きなかったのかもしれません。

 私は、シートベルトの非着用の危険性について調

べました。シートベルトの着用率は、運転席は約

九十七・七パーセント、助手席では約九十三・二パー

セントと高いのですが、後部座席での着用率は約

三十三・二パーセントとすごく低い結果が出ていまし

た。また、シートベルトの非着用時の死亡率は着用時

に比べて約三・五一倍*も高くなると知りました。後部

座席でシートベルト非着用で乗車した場合、一瞬で自

分の体重の約三十倍の衝撃がかかります。車が時速

四十キロメートルで走行中、壁などに衝突したときの

後部座席の人が受ける衝撃はビルの三階から落下した

ときの衝撃とほぼ同じになります。このとき、前へ押

し出されます。また、座っている場所によっては、衝

突時に座席などの障害物に当たらず、そのままフロン

トガラスを突き破り、車外に放出される危険性があり、

身体が強くもどされるときに後方の窓を突き破り、車

外に放り出される危険性があります。体重の軽い子ど

もほど飛び出す危険性が高くなります。

 私と妹は後部座席でシートベルトをしていなかった

けど、けがをしなかったことが不幸中の幸いだと思い

ました。

 私は、後部座席に乗るときに「近い距離だから」「め

んどくさいから」「いつも着用していないから」など

思ってしまい、着用しないときがありました。これか

らは、どんな時でもシートベルトを着用したいです。

*後部座席の場合 

50

岡山県倉敷市立庄中学校

一年 二にのみや宮

 涼りょうたろう

太朗

その一言で救われる

 「あっもう五時だ。」

 僕は、五時三十五分の電車に乗るために、急いで服

を着替え、全力で駅に向かって自転車をこぎました。

赤信号。大きな交差点で僕は止まりました。信号が青

に変わった瞬間、僕は自転車をこぎました。「危ない。」

僕の後ろからおばあちゃんの声が聞こえてきました。

僕はとっさに急ブレーキをかけました。僕の前を大型

トラックが通り過ぎました。僕はおばあちゃんに「あ

りがとう。」と言った後、自転車をこぎ再び駅に向か

いました。そのとき、自転車をこぎながら聞こえてく

る心臓の高鳴る音が今でも忘れられません。僕はあの

「危ない。」という言葉がなかったら今元気にサッカー

が出来ていないかもしれません。もしかしたらこの世

にいなかったかもしれません。あの一言に僕は本当に

感謝しています。

 僕は家に帰ってその日の出来事を家族に伝え、次の

夜に交通安全について家族会議が始まりました。僕は

昨日の出来事の反省点として「交差点で赤信号のため

止まっていたとき、青信号に変わっても、すぐに飛び

出さずに左右を見て、車が止まっているのを確認して

から渡ること。」と伝えました。兄は僕の話を聞いて、

「早め早めの行動をして時間に余裕があれば、信号が

青に変わっても急がずに渡れたのではないの。」とア

ドバイスをくれました。妹は「登下校中の横断歩道の

ない道路を渡るときに前の人が渡ったからといって自

分も渡るのではなく、左右を自分の目で確認してから

渡る。」と言いました。お父さんは「夜、お酒を飲ん

だ後、歩きスマホをしていて近所の用水に落ちた経験

から歩きスマホをやめる。」と言いました。お母さん

は「危ないと言ってくれたおばあちゃんは命の恩人だ

ね。みんなが安全に登下校できるのはいつも見守って

くれている交通安全パトロール隊の方々や交差点の安

全確認をしてくれている旗当番の人達のおかげだよ。」

と言いました。

51

 今回の出来事や家族会議を経験して、僕は自転車に

乗るとき安全を意識するようになりました。すると今

まで意識しなかったことに気付くようになりました。

例えば歩道を自転車で走っている人が多いこと、自転

車で右側通行をしている人が多いこと、スマホをさわ

りながら自転車を運転している人が多いこと、このよ

うなことをしていても交通事故がおきる可能性は少な

いかもしれません。しかし一回の交通事故で命が失わ

れてしまうかもしれません。決められたルールをきっ

ちり守ることが交通安全の第一歩だと思いました。

 あのおばあちゃんの「危ない」という一言で命を救

われ、交通安全に対する意識も高くなりました。これ

から年齢を重ねるにつれて自転車の行動範囲が広がり

ます。また大人になれば自動車にも乗ることがありま

す。今回の経験を忘れずに一生無事故で過ごしたいと

思いました。 

徳島県鳴門教育大学附属中学校

一年 青あおき木

 陽はるゆき幸

変化していく交通安全

 僕の家族は、両親と僕と二人の弟、そして隣に住む

祖父母達と猫の合計八人と三匹で暮らしています。祖

父はいつも家の前の畑で野菜を作ったり庭で果物を育

てたりしています。祖母は花を育てるのが趣味で、僕

達三兄弟は家の前の空き地でキャッチボールをしたり

走り回って遊んでいました。その様子を見ているかの

ように猫達がそばで寝転んでいたりととても良い環境

で暮らせていました。

 ところが、最近家の近所にマンションが建設される

ことになり、工事が始まりました。そして、近くの畑

があった場所も高層マンションが建つ予定なのです。

以前の近所の様子はというと、住宅地なので多少車の

数は多いですが僕の家の前は空き地や田畑があり大通

りまでは誰が通っているか一目でわかるほど見わたせ

52

ていました。でも今現在は工事のため白く高いへいが

立ちならんでいます。僕の家から見る近所の景色はが

らりと変わってしまいました。細い通りに大型車両が

通るため渋滞になることもよくあります。歩く時は僕

の家は通りを曲ったところにあるのでへいがあると車

や自転車が来てるかよくわからず一歩でて驚く時があ

ります。工事の人達は子供達の登校時間と重ならない

ように、時間をずらして工事してくれていますがへい

がなくなるわけではなく先が見わたせずこわいと感じ

るのはかわりません。工事が始まると決まった時に家

族で話をしました。父は、「もともと住宅が多い地域

だから子供達もたくさん通るし事故が起きないか心配

だ。」と言っていました。母は、「あなたが小学校の時

は大通りまで歩いていく姿を、家の二階から見送れた

けど弟達は家を出てから数メートルで姿が見えなく

なってしまう。さみしいなと思うのと大丈夫かなとい

う不安な気持ちがある。」と言っていました。それに

祖父の畑はへいの真横にあるので日があたらず、猫達

と僕らが大好きだった場所はコンクリートに変わり近

づかなくなりました。きっと、どこであっても同じ様

な事はあるし特別な事ではないけれど、急激に変化し

ていく環境に慣れるのには時間がかかります。しかし、

この変化のおかげで家族と交通安全について改めて話

すよい機会となりました。例えば、高いへいや見通し

の悪い場所では一度立ち止まって確認してから通ると

いうことや、遠回りになったとしても安全なあまり車

の通らない道を歩くということ。あせって走らずにす

むように今までより早めの時間行動をすることなど、

たくさんの方法を皆で話し合いました。安全な生活は

周りの環境によって変化していくこともあるがその時

の状況によって、僕達の考え方も変化しながら対応し

ていくことが大事だと思いました。皆が安心して暮ら

していくためにも必要な事だと思います。

53

茨城県常総市立石下中学校

二年 市いちかわ川

 奏そ

ら来

いのち

 私には大好きな人がいた。それはひいおばあちゃん

の君子さん。本当は大好きな人がいたじゃなくてい

るって現在進行形で言いたかったけど、過去形にせざ

るを得ない。そう、大好きな家族を亡くしたんだ。そ

れは二ヶ月くらい前のこと。

 ばあちゃんが亡くなった原因は、病死でもない。老

衰でもない。交通事故だった。ばあちゃんは七十九歳

でまだ若かったしいつも車を運転していた。心臓とか

脳に病気は持っていたけどとても元気な人だった。あ

の日も車を運転していて事故に遭った。電柱にぶつ

かってしまったとかなんとか。色んな話を聞いている

と、その時はエアバッグが出たらしいけどばあちゃん

はシートベルトしていなかったって。確かによく考え

るとばあちゃんはいつもシートベルトするのを忘れて

いた。一緒に乗ってる人に、「ばあちゃん、ちゃんとシー

トベルトして。」そう言われてからやることがしょっ

ちゅうだった。事故の日は一人で乗ってたからまた忘

れてしまっていたんだろうか…即死ではなかったけど

心肺停止状態で二時間。心臓破裂してしまうほどの事

故だった。もしかしたらシートベルトをしていれば、

少しでも助かる希望がみえていたかもってばあちゃん

のことを考えるたび思う。シートベルトの大切さを改

めて知った。それも私が一番大好きだった家族から

だ。こんな教わり方は嫌だったけどばあちゃんのおか

げで知ることができた。今では、前よりもシートベル

トの着用を心がけるようになった。自分だけではなく

他の人にも言うようになった。それもあんな思いは二

度としたくないから。いつどこで事故が起きるかは分

からない。起きてからじゃ遅い。例え事故が起きたと

しても、〝いのち〞だけは守りたい。医者にだって手

に負えないことくらいある。それなら最初から自分の

命を守るためにできることをしておくことが大事だと

思う。自動車だけじゃない。学生なら自転車の可能性

だって高い。ヘルメット、たすきの着用は命を守るた

54

めに必要なはず。自動車だって自転車だって交通事故

が起こるなら私達のまわりは危険なことであふれてい

る。実際、私はこの四月に自転車で怖い思いをしてい

る。自転車の規則を守って乗っていた。左折した時に

右通行できた自転車と少し衝突をしてしまった。これ

は命に関わる程のものではなかったが私は相手の人と

のトラブルで恐怖症が残った。ばあちゃんの事故と私

の事故は全然違う。命に関わる関わらない、でも少な

くともどっちも苦しい思いをしてるのは確か。私は今

も苦しいし怖い思いをしてるから。私は事故に遭った

時ルールを守っていたのに後悔している。あの時よく

左を確認してから曲っていればこんな怖い思いを抱え

たままになっていなかったんだろうなと。だからもう

そんな思いをしないように交通事故に遭わないように

気をつけている。ばあちゃんも後悔してるのかな。ば

あちゃんの後悔、私の後悔。

 これからの人生、交通事故で嫌な思いはしたくない。

誰だってそう思っているはずだ。なら、たった一つの

〝いのち〞は精一杯守らなきゃ。たった一つしかない

んだから。失ったものは取り戻せないんだ。だから、

何よりもどんなものよりも守らなきゃいけないのは、

〝いのち〞なんだと私は思う。

栃木県栃木市立都賀中学校

二年 小こもり森

 稀の

か乃香

自転車のルール

 ある日、家族で夕食を食べていた時のことです。母

が、車の免許更新でのことを話し始めました。「今日

は、免許の更新で講習を受けてきたよ。そこで自転車

に関する話も聞いてきたよ。」と言いました。私は中

学生になり、家から学校までの距離を毎日自転車で登

下校しています。だから、これは他人事ではないと思

い、話を聞き始めました。母が講習で聞いてきた話は、

小学生が乗った自転車と散歩中の女性が衝突する事故

が発生したこと。女性は事故の影響で寝たきりになり、

裁判所は小学生の両親に約九千五百万円の賠償金を払

55

うように命じたという内容の話でした。自動車と違っ

て免許のいらない自転車は、子供にとっても重要な移

動手段です。しかし、もし事故を起こしてしまえば、

大人と同等の責任が生じてしまうということです。さ

らに、高額な賠償金を請求された場合、子供には支払

い能力がないため、親が賠償するケースが多いという

ことを知り、とても大変なことだと思いました。時に

は自己破産に至る例も少なくなく、家族全員が辛い思

いをするということでした。

 自転車は、誰でも気軽に乗れるものです。だからこ

そ、加害者になる可能性もあるのです。その危険性を

意識して利用している人は少数派で、まさか自分が加

害者になるとは思わずに乗っている人がほとんどだと

思います。特に中高生は、集団で自転車を運転してい

ることも多く、いつ自転車事故が起きても不思議では

ない状態です。

 そこで、事故に遭わない、起こさない、加害者にな

らないためにはどうしたらよいか、母と妹と話し合い

ました。母が、自転車安全利用五則を印刷してくれま

した。ヘルメットの着用はもちろん、二人乗り、並進

の禁止、光るタスキの着用、交差点等での一時停止に

ついて再確認しました。そして、何より時間と心の余

裕をもって運転することを三人で約束しました。

 エコロジー、さらに健康的な自転車への人気が昨今

高まっていますが、その反面で道路整備といった環境

面や交通ルールの徹底という意識の面で、不十分で反

省すべき部分があるのも事実です。誰でも乗れる自転

車は、れっきとした車両です。だからこそ、交通ルー

ルをしっかり守り、安全運転に努めていきたいと思い

ます。

56

岡山県倉敷市立南中学校

二年 小おがわら

河原 優ゆ

き希

安全への第一歩を

 私には、歳が五つ離れた兄がいます。その兄が先日、

車の運転免許を取りました。兄の運転する車に乗って

みて感じたことや、運転していた兄の言葉から考えた

ことなどが二つありました。

 一つ目は、車を運転している人全員が初心に帰って

運転したらいいのにということです。兄は、運転中、

よく後ろをふり返ったりバックミラーを見たりしま

す。また、制限速度をきちんと守り、ウインカーもき

ちんと出します。車を運転する上で、これらをするの

は当り前ですが、実際はしていない人も多くいます。

そういう人たちが、よく交通事故に巻き込まれたり、

関係のない人まで事故に巻き込んだりしてしまうと思

うのです。

 初めはみんな、教習所で教えてもらったとおりの正

しい運転をしているはずです。正しい運転をすれば

きっと交通事故は減ります。だから、運転をしている

人全員が初めの頃を思い出して、その頃の気持ちで運

転することを心がけられたらいいなと思いました。

 二つ目は、もっと周りに気をつけて自転車に乗ると

いうことです。いつだったか兄が、「自転車って怖い

わー。急に飛び出してくるし、夜とかライトつけてな

かったらおるのが全然分からんし。」

と言っていました。そのとき、自転車に乗っている側

からしたらそんなに気にしていなくても、車を運転し

ている側からはそんなふうに感じていたんだなと思い

ました。それから私は、前以上に周りに気をつけて自

転車に乗るようになりました。道路を渡るときは必ず

止まって左右を確認したり、駐車場から出てくる車に

は注意したりしています。また、部活で多人数で自転

車移動するときは、

 「車来てるから端によってー。」

と声かけもするようになりました。私だけではなく、

多くの人たちがこのようにして自転車に乗ると、車を

運転している人たちも少しは安心して運転できると思

57

います。それが、交通安全にもつながるなと考えました。

 このようなことから、交通事故を減らして安全に生

活するためには、「自分は大丈夫。関係ない」と思わ

ないことが大切だと考えました。自分は事故しないと

か、交通事故に遭遇する確率なんて低いと考えるのは

よくないと思います。みんなが交通事故を身近に感じ、

自分ができる最大限の対策をしていくべきです。

 私も、もう何年かしたら免許を取ると思います。自

分が車を運転するときには、交通ルールを守って安全

を一番に考えようと思っています。

山形県米沢市立第一中学校

三年 

山やまき木

 穂みのり

「こころ」の若葉マーク

 先日、家族みんなで買い物に車で出かけた時、自宅

近くの一方通行の道路を逆走してくる一台の車を見か

けました。父は車の窓を開けて、

 「この道路は一方通行だよ。危ないよ。」

と声をかけましたが、その車の中にいた六十代くらい

の夫婦は止まらずに、そのまま走り去って行きました。

その道路には、他の車や自転車、歩行者もいましたが、

みんな驚いているようでした。初めて車の逆走を見た

私も、とても驚きました。父の話によると、この道は

大きな道路の側道になっていて、近くのショッピング

センターから出てくる車が、時々間違えて逆走してく

るのだそうです。

 その日の夜、家族でこの件について話し合いました。

毎日この道を車で通勤している姉の話では、今まで二、

三度ほど逆走してくる車を目撃していて、危うく事故

になりかけた時もあったとのことでした。姉がこの道

を通る際は、特に集中して運転していると聞き、近所

にそのような道路がある事に驚きました。私は今ま

で、自分が交通ルールを守ってさえいれば安全で、事

故に遭わないと考えていましたが、この日の逆走を見

て、周りを走行している自分以外の車や自転車等の状

況を、きちんと把握しておく必要があるのだと感じま

58

した。

 また、姉からは運転についてこんな話も聞きました。

 私の姉はまだ運転初心者で、つい先日まで若葉マー

クを車につけて運転していました。大多数のドライ

バーは初心者の姉に対して、道を譲ってくれるなど、

優しい運転をしてくれるのだそうです。姉はそれがと

てもうれしく、ありがたいのだと言っていました。し

かし、それとは全く反対の、心ないドライバーも中に

はいるのだそうです。

 姉がまだ若葉マークを車につけていた時に、後ろを

走っていたトラックにぴったりと接近され、ジグザグ

に走られたり、クラクションを鳴らされたりして、す

ごく怖い思いをした事もあったと聞きました。おそら

く、姉が出していたスピードを遅いと感じたトラック

のドライバーが、あおり運転で嫌がらせをしてきたの

だと話していました。その話を聞いていた母は、

 「そのドライバーも昔は初心者だったはずなのに、

初心者に対してあおり運転をするなんてひどいね。」

と言っていました。また父は、

 「あおり運転は事故につながりやすい危険行為だし、

警察も取り締まりに力を入れている重大な違反だよ。」

と教えてくれました。

 そんな姉は先日、私とドライブをしていた時に、若

葉マークをつけた車に道を譲ってあげていました。姉

にその事を聞くと、

 「私もたくさんの先輩ドライバーに優しくしても

らったから、そのお返しを後輩たちにしているんだ

よ。」

と笑顔で話してくれました。

 私は車の運転という、心が通いづらいものだからこ

そ、譲り合いや感謝の心を忘れないようにすることが

大切だと思います。そして私たち歩行者も、横断歩道

で止まってくれたドライバーに感謝の気持ちを伝える

など、お互いが安全で気持ちの良い関係でいられたら

と考えています。

 最後に、姉がこんなことを言っていました。

 「車の若葉マークは取れたけど、『こころ』の若葉マー

クはいつまでも持ち続けたいね。」

59

静岡県静岡市立清水第二中学校

三年 

三みよし好

 彩あやね心

免許返納を家族で考える

 家に遊びに来た祖父が祖母について愚痴を言った。

 「バァは、あっち行け、こっち行け、次はこっちだ。

毎日毎日ジィは運転手だよ。」

 祖母は昔から免許を持っていない。そのため買い物

はいつも祖父の運転する車に乗って出かける。私の母

も時々祖父の運転する車に乗り出かける。車に傷はな

いか、運転は大丈夫かチェックしているらしい。母は

ハッキリ言う。

 「運転が危なっかしく感じたり、車にぶつけたよう

な跡があったら今後の運転についてしっかり話そう

ね。」

 私も時々祖父の運転する車に乗るが、とても安全運

転だと思う。目は大変良く、制限速度や標識もしっか

り守る。運転中は音楽やラジオもつけない。

 時々、ニュースで高齢者の事故について目にする。

そのたびに思う。これだけ事故が多いのに、自分の運

転は大丈夫だと思っていたのか。家族は何も言わな

かったのか。免許を取得できる年齢が決まっているの

なら、返納の年齢もあってはいいのではないだろうか。

私は祖父が車を運転しなくなったときのことを考えて

みた。祖父母の家の近くには、スーパーや薬局、病院

などはない。自転車での移動は体力的にも危なっかし

い。バス停は少し離れた場所にあるが、目的地まで行

くのにバスを使うとなると不便なことが多すぎる。そ

うなるとタクシー。祖母はきっと料金のことなどを気

にして利用しないだろう。それでは新しいサービスを

使ってはどうだろうか。今の時代、買い物はインター

ネットで簡単にすませることができる。また病院に

よっては、これから自宅に居ながら医師の診察を受け

ることができるサービスも出てくるらしい。私からす

ると、どれもとても便利で嬉しいサービスだと思う。

しかし、祖父母からすると、あまり魅力的ではないら

しい。それらのサービスを利用するには、スマホやパ

ソコンが必要になり、覚える必要もある。新しいこと

60

を始めるのは大変で、少し抵抗があるらしい。自分で

商品を見て買うことは、楽しみの一つでもあるそうだ。

また、病院もある意味、憩いの場だったりもするらし

い。そんなことを聞き、考えると、やはり車はなくて

はならないものに感じる。しかし、何かがあったとき、

これらは自分のためのことであって、言い訳でしかな

い。

 先日、祖父は自動車学校で行われた高齢者ドライ

バーの運転教室へ行ってきたらしい。テストで百点は

とれなかったものの、合格点をもらえ少し嬉しそうに

話をしていた。そして、次の免許の書き換えは行わず、

返納するかもしれないと話していた。母はその潔さに

少しホッとしたらしい。私は母に、祖父が免許を返納

した後のことをどう考えているのか、聞いてみた。

 「近くに住んでいるんだから、一緒に買い物へ行っ

たり、病院にも乗せていったりするよ。あなたも周り

をよく見て歩いてね。」

と言った。

 人それぞれの考え方や過ごしている環境の違いもあ

ると思う。多くの人が視野を広げ、お互いのことを考

え、事故がない安全な世の中になることを望む。そし

て、高齢者の世界が狭くならずに過ごせる環境が整い、

広がっていってほしいと思う。

61

審査を終えて

安全教育研究所長 

星 忠通

小・中学生の部

 

昨年(平成三十年)中の交通事故による全死者数は、三千五百三十二人と統計がとり始められた昭和二十三年以降最

少を記録した一昨年をさらに下回った。

 

子ども(十四歳以下)の交通事故をみると、同様に年々減少していることは喜ばしい。

 

しかし、子どもの死因(死亡率)を年齢層別に見ると、「不慮の事故」が上位に挙がっている(〇歳~四歳三

・〇

、五

歳~九歳一・二、十歳~十四歳〇・九(人口十万対)(厚生労働省「平成二十九年人口動態統計」より)。

 

一方、内閣府の「平成三十年版子供・若者白書」の事故・災害データをみると、最近の「不慮の事故」の特徴として、

一歳~十四歳では交通事故と溺死が多いことが報告されている。

 

これらのことから、現代にあっても子どもの命を脅かしているのは「交通事故」といっても決して過言ではない。

 

このような状況のなか、家庭を中心とした「交通安全ファミリー作文コンクール」の開催は極めて意義深い活動とい

える。

62

【応募数】

 

平成三十年度交通安全ファミリー作文コンクール、小・中学生の部の応募総数は、一万二千百三十七点(「小学生」

二千二百五十二点、「中学生」九千八百八十五点)であった。応募数を昨年度と比較すると、総数で四百四十五点(「小

学生」八十一点増、「中学生」五百二十六点減)と僅かながら減少した。

【審査過程】

1.予備審査の開催

 

小・中学生の部に応募した全作品(一万二千百三十七点)は、十二名(教職経験者や編集者など)で構成される予

備審査において、小・中学生の学年ごとに上位十点(小学生計六十点、中学生計三十点の合計九十点)を選定し本審

査会(

最終審査会)

に送付された。

2.本審査の開催

 

最終審査となる本審査会(

七名で構成)では、各審査委員は予備審査を通過した全作品(小・中学生計九十点)を

事前に評価し、その結果を事務局で「審査評価集計表」としてまとめ本審査会に提出され、これに基づき審査・討議

を重ねて各賞を決定した。

 3.選定手順

 

本審査会においては、小学生の部においては各学年十点の中より「優秀作品」一点以内(計六点以内)、「佳作」三

点以内(計十八点以内)を、中学生の部では各学年十点の中から「優秀作品」一点以内(計三点以内)、「佳作」三点

以内(計九点以内)をまず選定した。

63

 

次いで、各学年で「優秀作品」として選定された作品の中より小学生の部・中学生の部それぞれで、最も優秀と評

価された作品を「最優秀作品」(内閣総理大臣賞)として選定した。

 

なお、「最優秀作品」に選定された学年では、「佳作」の中より最も評価の高い作品を改めて「優秀作品」として再

選定した。また、佳作の追加については、更に審査の上で選定を行った。

【選定数】

 

〇最優秀作(内閣総理大臣賞)

  

小学生全体で一点、中学生全体で一点

 

〇優秀作(国務大臣・国家公安委員会委員長賞)

  

小学生、中学生とも各学年から一点以内

 

〇優秀作(文部科学大臣賞)

  

小学生全体で一点以内、中学生全体で一点以内

 

○佳作(警察庁交通局長賞)

  

小学生、中学生とも各学年三点以内

 【審査結果】

1.作品に対する審査員からの全体印象・意見

 

審査を通すなかで、本年度小・中学生作品の全体印象、受賞作印象などについて各審査員から指摘された意見のい

くつかを左記に示す。

  

〇小学生は学年が上がるにつれ成長していることが良く分かる。

64

  

○学校の指導が行き届いているのか、作文の構成など技巧的に画一な印象を受けた。

  

○「ファミリー作文」の評価基準として家族など周囲の人々と話し合った様子などがしっかり書かれている作品は、

   

相対的に高い評価を得ている。

 

○中学生の部では本年度は一年生、二年生の作品には内閣総理大臣賞のレベルに達しているものがないことが残念

である。

  

〇これからも高齢者の安全に対する作品(免許返納など)が多くなる傾向が感じられる。

などの発言があった。

2.最優秀作品と優秀作

 

ここでは、内閣総理大臣賞と文部科学大臣賞のみの選定結果を示す。

 

⑴ 

小学生の部

 

最優秀作品(内閣総理大臣賞)は、五年生の龍道彩音さんの「お互いに守ろう交通安全」が選定された。本作品

は審査員全員が高い評価を与え、小学生作品の中でも群を抜いた作品であった。作品は、登校時の通学班での危険

な体験を通して歩行者だけでなく、道路参加者全員の「気配り」や「目配り」の大切さを訴えている点が高く評価

された。

 

この龍道さんの作品の背景には、母親の交通安全に対するとらえ方、すなわち「楽観的安全意識」(だろう運転)

と危険の発生をあらかじめ予想した「攻めの安全意識」(かもしれない運転)の理解の違いが強く影響を及ぼして

いると推察できる。

 

また、文部科学大臣賞には二年生の渡部俊輝さんの「ぼくがまもっているこうつうルール」が選定された。本作

65

品は自分の身長に関心をもち、その高さが運転席からどのように見えるかを家族(母親)とともに実験しその実態

を己のものとした点が評価された。

 

ここには、交通安全を自分なりに少しでも「科学的」にとらえようとする交通安全の「参加」への姿勢と共に、文

部科学省が定める学習指導要領に沿った内容(調べた結果を自分なりに考察する)であることが受賞理由となった。

 

⑵ 

中学生の部

 

中学生の部での内閣総理大臣賞は、中学三年生の鈴木舜さんの「孤立をなくす取り組みを」が選定された。

 

本作品は今日の運転免許を持つ高齢者の「返納」だけでなく、免許を持たなくなった高齢者のその後までを考え

た深い作品であることが評価された。

 

また、文部科学大臣賞には、三年生の片山怜さんの「反射材の大切さ」が選定された。

 

本作品は、夜間の反射材の効果性を自分なりにデータを調べ、服装の色や速度・距離の違いを理解し、これまで

いかに交通安全に無関心であったか深い反省と共に、今後は積極的に取り組もうとする姿が評価された作品である。

 

最後に、小・中学生の部の予備審査での読み込みと絞込みに尽力を頂いた事務局、並びに本審査会において終始真剣

かつ厳正な審査に当たられた審査員の方々に末筆ながら厚くお礼申し上げ、小・中学生の部最終審査の結果報告とする。

高校

部の

一般

69

宮崎県延岡市

星ほしの野

 有ゆ

り加里(教員

四十歳代)

黄こがねいろ

金色の背中

 「今日、免許を返納してくるよ」

 朝一番、きっぱりとした口調とは裏腹な淋しげな瞳

で父が告げた時、寝惚け眼まなこの私は一瞬で覚醒した。珈

琲を飲んでいた母も吹き出さんばかりに目をまん丸く

見開く。この数年、母と私が待ち続けた父の台詞だっ

たから……。

 車が好きで、運転が大好きな父。幼い頃から父の運

転で家族旅行に沢山出掛けた。私が成長し、免許を取っ

て運転し始めても、父は変わらず家族旅行でハンドル

を譲らなかった。

 「俺は、免許の返納なんか一生しないぞ。免許を奪

われるぐらいなら、死んだ方がマシだ」

 いつも鼻息荒く豪語していた父。実際父の運転は抜

群に巧うまく、かつ安全だった。他人の運転では眠れなかっ

た私も、父の車なら安心して熟睡できた。お蔭で私は

歴代の彼氏の運転への採点が辛くなり、口喧嘩の火種

が増えてしまった。……だが、この数年、徐々に父の

運転に不安を覚え始めた。赤信号で直進しかけたり、

前の車にぶつけそうになったり、歩行者に気付かず危

うく轢きそうになったり……。

 父も既に傘寿間近。判断力も瞬発力も視力も衰えた

のだ。心配した私と母は、「パパ、取り返しがつかな

い事故を起こす前に、運転はもう卒業しようよ」と何

度も説得した。だが、父は決して頷かなかった。免許

を返納する事は即ち、父の生き甲斐が奪われる事だっ

たから。だから、せめて父が運転する際は、私も極力

同乗するように努め、安全に気を配った。

 だが、誰よりも父自身が自らの衰えを痛感していた

のだ。だから、傘寿を前にけじめをつけ、七十九歳を

迎えた今朝、父は宣言した。

最優秀作   内閣総理大臣賞

70

 「俺の危険な運転のせいで人様の大事な命を奪って

しまう方が、免許を奪われるよりも死んだ方がマシ

だって事に気づいたんだ。いや、とっくに気付いてい

たけど、随分と遠回りして、やっと受け入れる心の準

備ができたんだ」

 父は晴れやかな顔で私と母に告げた。

 「最後のドライブだ」と言って、父は母と私を乗せ、

免許センターまで愛車を運転した。

 「パパ、今までお疲れ様でした! ママと私をいっ

ぱいドライブに連れてってくれてありがとう。これか

らは私の番だよ! 私がいっぱいいっぱいパパをドラ

イブに連れてってあげるからね! まずは、帰りの運

転は私に任せて!」

 免許を返納した父を気遣い、明るく労うと、

 「三十年早い! お前の運転は下手過ぎて、怖くて

乗ってられん。……よーし、じゃあ今日からの俺の生

き甲斐は、助手席に乗ってドライバー劣等生をビシバ

シ、特訓する事に決めた」

 憎まれ口を返す父に、思わずムカッ!

 ……でも、まあ、『鬼教官』として新たな老後の生

き甲斐を見つけてくれたなら、それでよしとするか。

……と父思いの娘は寛大に許した。

 帰りは、私の運転で黄昏の海岸ドライブ。

 海へ降りると、両親は並んで浜辺に座った。六十年

の車人生の誇りだった金ゴールド色免許を自主返納した父を寿ことほ

ぐように、黄こがねいろ金色の夕陽に照らし出されたその背中を

私は誇らしく眺めた。

71

滋賀県草津市川か

わなべ

那部 友ともき貴(

会社員

三十歳代)

職場で交通事故ゼロを目指す

 私の働いている職場では通勤時や社用車での事故が

少なくありませんでした。

 事故を起こした本人とは直接話をし、反省すべきは

反省してもらい、注意を促しておりましたが、職場全

体での事故はなかなか減りません。

 そこで、事故が起きるとミーティングを開き、どう

いう事故であったか、どうすれば防げたのかというこ

とを話し合い、事故を起こした本人以外にも広く交通

安全を訴えかけました。

 しかし、「かもしれない運転」をしましょうとか「ハ

インリッヒの法則」が、などと熱弁をふるっても反応

は薄く、頭の中では皆、事故や違反はいけないと理解

していても、心のどこかに「自分は気を付けているか

ら大丈夫」だとか「今回事故を起こしたのは自分じゃ

ないし」という意識があるのか、効果は限定的でした。

 どうしても事故を減らしたい私は、私自身が事故防

止の為に普段から意識して守っていることの中からわ

かりやすく簡単に実行出来ることを選んで、それを一

度のミーティングにつき一つ挙げ、皆にも実践しても

らうことにしました。

 まず、指定場所での一時停止。この標識がある交差

点ではその直前で一時停止をしなければなりません

が、街中で他の車を見ていても全然止まらず普通に通

行していく車があったり、止まろうという意識はある

が速度をグッと落とすだけで、きちんと一時停止でき

ていない車があったりします。一時停止とは完全に車

輪が停止することをいい、そのことだけは、次回運転

時より意識して絶対に守ってもらうようにしました。

 次に取り上げたのは横断歩道を横断しようとしてい

る人があれば、きちんと横断歩道手前で停車し、通行

優秀作

国務大臣・国家公安委員会委員長賞

72

させてあげるというもの。これは歩行者等を気遣うマ

ナー的なものではなく、道路交通法にも記されており、

守らなければ違反となるのですが、これも守らない車

両が少なくありません。「後続車両に迷惑がかかるか

も」とか「自車が止まっても対向車が全然止まってく

れない」等と色々意見もありましたが、ルールはルー

ル、まずは我々だけでも守っていきましょうと声をか

け、実行していただきました。

 この二つが特に効果覿てきめん面で、それ以降ピタッと事故

が無くなりました。

 どうやら、運転中に一時停止の標識を見る度に「ミー

ティングで言っていたな、ちゃんと止まらなきゃ」と

思うそうで、横断歩道にしても然り、横断歩道を見る

度にミーティングを思い出し歩行者等がないか確認す

る…。そうやって場面を限定して具体的なテーマを決

めて守ってもらうことによって、法令順守にもつなが

りますし、交通安全を意識する頻度も増え、徐々に安

全意識が体に根付いてきます。

 事故をきっかけに安全運転に目覚める方もいらっ

しゃいます。これはこれで否定はしませんが、大きな

事故が起きてからでは遅いのです。事故を起こす前に

どうすれば安全意識の向上が図れるのか、どうすれば

安全運転に目覚めてもらえるのか、管理者としてこれ

からも考え続けていこうと思っております。

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優秀作   文部科学大臣賞

鹿児島県霧島市

寺てらだ田

 優まさと斗(

高専生

十歳代)

私の原付運転記

 今月原付の免許を取得し、私は新人ライダーとなり

ました。長期休みでアルバイトを頑張り、やっとの思

いで買った原付。わくわくどきどきしながら乗った日

の思いを、初心を忘れないために、ここに綴ってみた

いと思います。

 買った原付を押して持って帰り、ナンバーの申請も

自賠責の支払いも終わってやっと乗れる、と準備が

整ったその日、いざ乗ろうとバイクにまたがったとた

ん、八分の興奮と二分の恐怖に襲われました。結局そ

の日はそのままエンジンをかけることができず。部屋

に戻って学科試験前に何度も読んだ原付の参考書を読

みふけりました。講習の時に見た、事故の様子を映し

たビデオのように、自分も事故を起こしてしまうので

はないかと心配で、その日はなかなか寝つけませんで

した。

 次の日。まずはエンジンをかけ、家の周りを走って

みようと思いました。十キロもないぐらいのスピード

でしたが、なんとか慣れることに成功し、そのまま

三十分ぐらい家の回りを走っていたその時です。慣れ

が気の緩みにつながったのかもしれません。近所の方

の車が曲がり角から出てきて、事故を起こしてしまい

そうになりました。幸いお互い徐行運転だったので、

ぶつかりはしませんでしたが、気を引き締めるできご

ととなりました。

 そのままなかなか大きな通りに出る勇気は持てず、

家の周りを周回していました。しかしどんな車にもあ

るものです。ついに私の車にも、ガソリン切れの時が

やってきました。ガソリンを入れなければ、もう走る

ことはできません。ガソリンスタンドに行くことを決

意し、交差点へ向かいました。幸い交通量の少ない時

74

間帯で、勉強した通り交差点の直進も難なくクリア。

ガソリンスタンドに着き、画面に表示されたアナウン

スに従い、満タンにはできなかったものの、なんとか

ガソリンをゲットできました。後ろに二台待たせてし

まった以外大成功です。ごめんなさい。そしてもう一

つ、私を焦らせる事態が発生しました。なんと、幸か

不幸かガソリンスタンドまでの道のりは、大通りに出

たあとすべて左折で、初めての右折がガソリンスタン

ドの出口となってしまったのです。出ようにも来たと

きより交通量が増え、行き交う車のエンジン音がさら

に私を焦らせます。なかなか出られません。後ろには

また二台待ち。泣きたくなりました。そんな時、右手

から来た白い車が、止まってくださいました。すると、

左側から来た車も止まってくださったのです。免許を

取る時に、思いやる心が大切だ、と習いましたが、わ

ざわざ道をあけてくださるとは思っていませんでし

た。何度も頭を下げて無事また道路に戻り、やっとの

思いで家までたどりつきました。その日はとても良く

眠れました。

 ここまで私が経験した事を書いてきましたが、バイ

クに乗り始めて早々に、運転をする上でとても大事な

事をいくつも学んだような気がします。これから先普

通免許や普通二輪免許を取るつもりです。楽しく安全

に運転するために、初心を忘れず、また時には振り返っ

てみたりが大事になってくると思います。

 私の住んでいる街が、もっと運転しやすい街になる

ように、安全運転、日々の運転技術の向上に努めてい

きたいと思います。

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秋田県大仙市

佐さとう藤

 利としお男(

農業

六十歳代)

今日も一日 交通安全

 交通事故のない、安全で快適な地域社会の実現は私

達一人一人の願いであります。しかし現実には、飲酒

運転や暴走運転、あおり運転等による悲惨な交通事故

のニュースが絶えることはありません。

 交通安全運動は、人の命に直接に係わる重大な問題

であるにもかかわらず、何故か行政でも、地域社会の

中でも、他人事のように扱われている感じがして残念

でなりません。

 私達は、車に乗れば運転者であり、車から降りれば

歩行者にも成ります。交通事故を防止するためには、

道路交通法などの法令で定められた交通ルールを守る

だけではなくて、道路交通の場で、お互いが相手の立

場を尊重して、優しさと思いやりを持った安全な優し

い運転を、常に、どこででも実践していくことが大切

だと思っています。

 運転免許の更新時講習を受講した際に貰った交通教

本の最後の頁に「安全運転五則」というルールが書か

れています。それは、①安全速度を必ず守る。②カー

ブの手前でスピードを落とす。③交差点では必ず安全

を確かめる。④一時停止で横断歩行者の安全を守る。

⑤飲酒運転は絶対にしない。というルールです。この

安全運転五則は、万人向けの安全運転の心構えとし

て、基本原則で正しく常に守るべきことが示されてい

ます。この安全運転五則が、人々の心を打ち、共感を

与えて、個々の人々の心の芯に響くものとなるように、

更新時講習時に全員に対して配布するなどして、もっ

ともっと強く訴え、働きかけていくべきだと思ってい

ます。

 私は退職後、地域の小学校の通学路で交通安全の見

守り活動をしています。毎日朝、約四十五分間、通学

佳作   警察庁交通局長賞

76

路の交差点で交通誘導していますが、子どもたちが信

号交差点の横断歩道を渡る時の運転者の対応は実に

様々です。

 子ども達との間隔にゆとりを持って、子どもたちが

安心して渡れるように停車してくれる運転者がいる反

面、誘導している私と子どもとの間に無理矢理割り込

むように突っ込んでくる危ない運転者も時々います。

秋田は、雪国ですので、人々の心も真っ白なはずです

が、何故か悲しい運転をする人がいるのも現実です。

とても残念です。

 悲惨な交通事故は、ある日突然、何ひとつの前触れ

もなく、誰にでも起こり得ます。悲惨な交通事故に巻

き込まれることの無いようにしていかなければ成りま

せん。

 私には、今孫が三人います。私は、この孫たちに恥

ずかしいことだけは絶対にしない。と言う気持ちで運

転し、歩いています。

 私は自宅玄関に「今日も一日交通安全」の交通安全

旗を掲げています。そして、毎日毎日「今日一日は、

絶対に違反しません。絶対に事故を起こしません」と

いう思いを持って生活しています。

 みんなで努力すれば、交通事故のない、安全で快適

な車社会は実現することができると信じて「今日も一

日交通安全」を実践しています。

福島県郡山市須す

だ田 陽はるな菜(

専門学校

高等課程生

十歳代)

小さな予防

 最近、学校への通学途中や買い物で外を歩いている

と、とても気になることがある。それは、親子の歩き

方だ。このごろ、子供と手を繋いで歩く親が少ないと、

私はとても気になっている。駐車場や歩道などで、子

供の手を離して歩いているのは非常に危険なこと、こ

れは、誰でも分かる常識だと思っていたが、子供の手

を繋いで歩く親を見るのが少ないと感じるのは私だけ

ではないだろう。

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 私が、実際、駐車場で見掛けた親子は、荷物を片手

に持ち、子供の前をスタスタと歩く親と、その後方を

追いかけるように、時折走りながらついていく三才位

の子供だった。駐車場という、いつ車が動いてもおか

しくない場所で、前に子供を歩かせるならまだしも、

手も繋がず目を離している光景を見た私は、驚きと不

安に陥った。

 私は、五人姉弟の一番上で、下の弟や妹達の世話を

する事が多かった。外に出ると、道路や駐車場では特

に気を付け、手を繋いで、弟や妹を護った。

 子供の行動は、本当に計りしれない時もあるので、

「いつも自分についてくる」という考えは、全く当て

はまらない。子供の為にも親や周りの大人は、最大限

気を配り、危険を排除しなければならない。

 先日、おばあちゃんが子供を乗せる前に車を発進さ

せて、それから車に子供を乗せているのを見て、私は、

前に見たニュースを思い出した。そのニュースでは、

お母さんやおじいちゃんが、子供を乗せる前に少し車

を動かしてから子供を乗せるという、私が実際見た同

じことをして子供を轢いてしまった悲しい事故だっ

た。

 この様な悲しい事故は、車を運転する人、そして一

緒に居る人々が危機管理意識が低いから生じるのでは

ないかと私は思った。

 誰でも、この行動をしたらどんな危険があるのかや、

安全に行うにはどういう事を心掛けねばならないかを

事前に考えてから行動すべきでしょう。

 「ここで待っていて」「ここから動かないでね」と声

を掛けたから大丈夫と思って安心するのはとても危な

いことだと思う。

 子供だけに危険を回避させるのはとても難しいの

で、子供達に危険や安全について具体的に教えていく

のと同時に、大人がしっかりと気配りしてルールやマ

ナーに反しない運転をする事で、楽しい車社会にすれ

ば良いと思う。

 「大丈夫、大丈夫」というその安心感は、とんでも

ない事になって、簡単に覆される。子供がいつも同じ

行動をすると思っていてはいけない。

 大人達は、その危険性を慎重に予測することで、「悲

しい事故を防ぐことが出来る」ことを考えていただき

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たい。

 平和な生活をする為にも、みんなで大切な命を守り、

幸せに過ごせる世の中を作っていきたい。

宮崎県宮崎市

池いけだ田

 恭きょうが我(

高校生

十歳代)

助手席運転

 「助手席の役目」私の家庭のルールの一つにこれが

ある。車を運転する上で一番重要な人物は運転手であ

るが、その隣に座る助手席の人もとても重要なのであ

る。

 私の母は、交通事故の経験がある。その時は、本当

に一瞬の出来事で何も覚えていないと語る。そんな母

は、

 「とても注意して運転をしても、交通事故にあって

しまった。一人の注意力じゃ、交通事故は確実には避

けられない。」

と言った。そして、私の家庭では新たなルールが追加

された。それが、「助手席の役目」である。助手席は

ただ一緒に行く人が座る席ではなく、運転手を助ける、

サポートするという本来の正しい「助手席」の役目を

するということだ。その内容はなかなかシビアなもの

で、例えば、曲がり角では右左の確認を一緒に行った

り、車間距離を意識し合ったりといろいろやらなけれ

ばならないことがある。このルールができてから、何

かと忙しくはなったが、母が安心する、と喜び、また

私にとっても将来車を所持する身としてとても勉強に

なることが多い。このようにとても良いルールだと実

感している。

 ある時、部活動の送迎で友達を乗せた。友人は私の

行動に驚き、こう言った。

 「なんか助手席の人も一緒になって二人で運転して

るみたい。」

 そうか、とうとう「手助け」ではなく「運転」に見

えるか。私もその発言に驚いた。「運転」に見えるま

でに成長した私の「手助け」を自分自身で称賛した。

79

 そのことを母に伝えると、母も嬉しがっており、

 「良かったね。初めはめんどくさいと思ったかもし

れないけど、しっかり続けてきたからそうやって見ら

れたんだよ。」

と言った。私は何ともいえない満足感を味わうことが

できた。

 「助手席の役目」私の家庭で生まれたルールだが、

もっと広まってほしい。交通事故にも、相手がいる場

合がある。そんな相手側も「助手席の役目」を使って

いたら、どうであろうか。このルールがあれば、一人

でも多くの意見が出て、危険を察知することができる

はずだ。助手席に座る人は、運転手と同等の責任感を

持ち、しっかりと「手助け」の努力をする。そして、

いつしかそれが「運転」へと変わり、共に注意し合え

たら、安全は保障されると強く思う。

80

審査を終えて

千葉大学名誉教授 鈴木 春男

高校生・一般の部

 文章を書くということはたいへん創造的な作業です。仮に自分の体験を綴った作文であっても、全体の構成を考え、

筋道を立て、何を結論として明示するかを自分で考える必要があります。その意味で、作文はまさに主体的な作業と言

えますが、同時にそれに心から打ち込むという意味で参加的作業でもあります。そのようなことから、交通の安全とい

う全体的テーマをめぐって文章を作っていただく「交通安全ファミリー作文コンクール」は、まさに参加・体験・実践

型交通安全教育の典型的な場だと考えています。しかもそれぞれの作者がそれぞれのテーマをめぐって、ご本人だけで

なく、友人や家族あるいは職場や地域の仲間とも話し合い、そこで出た意見も参考にして記述いただいた場合には、そ

の過程でさらに多くの方々に参加していただける作業でもあります。

 よく知られているように、ここのところ免許保有者数や車両保有台数は増え続けているのに、交通事故の死者数は年々

減少しています。平成三十年の交通事故死者数は、統計を取り始めた昭和二十三年以降もっとも低い数となった平成

二十九年をさらに下回っており、本当に画期的なことです。本事業もその一つである交通安全への啓発活動、車の安全

装置の進化、道路環境の整備、さらに救急救命医療の進化など総合的な交通安全対策の成果だと見ることができます。

しかし他方で、年間三千人をはるかに超える方々が依然として悲惨な交通事故で亡くなっているという事実にも注目し

なければなりません。そして、そうした悲惨な事故を無くすためには国民一人一人が自ら進んで交通安全を守ろうとす

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る自発的・自立的な行動がなければなりません。

 交通安全ファミリー作文コンクール「高校生・一般の部」は、そうした交通安全を動機づける貴重な場である「家庭・

学校・職場・地域」の中で、重要な役割を演じている方々の意見が伝えられる大事な事業です。本年度の応募総数は

八百六点と、昨年度の三百六点、一昨年度の八十一点に比べて大幅に増えました。本事業への関心の高まりと関係各位

のご努力の結果だと感謝しています。

 今回は、その応募作品の中から予備審査を経て最終審査に十点が残り、厳正な審査の結果、最優秀作一点、優秀作二点、

佳作三点が選ばれました。

 最優秀作(内閣総理大臣賞)は、宮崎県の星野有加里さんの「黄金色の背中」でした。父の免許返納のプロセスが、

心温まる家族の会話を中心に描かれている作品で、高齢ドライバーの免許証自主返納を動機づける作品としての価値も

高いと強く感じました。

 優秀作(国務大臣・国家公安委員会委員長賞)には、滋賀県の川那部友貴さんの「職場で交通事故ゼロを目指す」が

選ばれました。職場で働く人たちに安全運転を動機づける方策として、一回のミーティングでは一つの具体的なポイン

トに絞って注意を促すことが他の安全行動にも好影響を与えることが事例とともに示されているよい作品でした。

 優秀作(文部科学大臣賞)には、鹿児島県の寺田優斗さんの「私の原付運転記」が選ばれました。免許を取得したば

かりの高専生の筆者が、安全運転をしようという初心を忘れないために、初めて運転した時の体験を綴るというユニー

クな作品で、自分がそこで体験し助けられた思いやり運転の大切さも述べられています。

 佳作(警察庁交通局長賞)は以下の三作品です。宮崎県の池田恭我さんの「助手席運転」は、筆者が助手席に乗った

車に同乗した後席の友達が、「二人で運転しているみたい」と評したほどの家庭内ルール、すなわち助手席の者も運転者

と同じように周囲に気を配り、運転者をサポートする役目がある、というルールの重要性を紹介した作品です。

 福島県の須田陽菜さんの「小さな予防」は、日常見かける大人が子どもに向けて行う交通行動を材料に、子どもへの

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気配りの必要性を説いた作品で、子どもの安全を守りたいという女子高校生のやさしい気持ちがよく表れています。

 秋田県の佐藤利男さんの「今日も一日 交通安全」は、退職後行っている通学路の見守り活動体験をもとに、交通

行動の上で三人の孫たちに恥ずかしいことだけは絶対にしない、という交通安全を訴える気持ちが強く打ち出されてい

る作品です。

 今回選ばれた六作品の中には就学中の若い皆さんの作品が三点、高齢者の作品が一点、男性が四点、女性が二点と、

国民各層の意見が反映しており、交通安全ファミリー作文コンクールが世代を超えた皆のものになり、力作が生まれる

場になってきていることが理解されました。