はじめに 「金融機関行職員と マネー・ローンダリング」ii...

8
ii 本講座を受講されている金融機関の行職員のみなさんにとって「マ ネー・ローンダリング(マネロン)」は聞き慣れた単語でしょうし、マネロン に関する事務は金融機関にとって重要な業務の1つであるという認識は きっとおありのことでしょう。 しかし、マネロンに関する事務を日々こなしているなかで、 「この手続き はちょっと面倒だな」とか、 「手間を省きたいな」という気持ちが出てくる ことはないでしょうか。また、お客さまに対しご協力をお願いすると、 「な ぜいちいち身分証明書を提示しなければならないのか」とか、「なぜそこま であなたに聞かれなければならないのか」などと難色を示される方もおら れるのではないかと思います。 それでも我々金融機関の行職員がマネロン対策に真摯に取り組む必要が あるのは、なぜなのでしょうか。それは、我々が、わが国のマネロン対策 の中核を担う立場にいるからです。 犯罪行為、特に麻薬の密売や特殊詐欺等の組織的な犯罪行為は、多くの 資金を必要とします。マネロン対策を講じ、犯罪行為を行う者の間で資金 を循環させないようにすることで、犯罪組織の資金源を分断し、犯罪行為 を未然に防ぐことが可能となります。 わが国では、事前の「取引時確認」と事後の「疑わしい取引の届出」を中心 にマネロン対策を行っていますが、これらはいずれも金融機関の行職員が 直接担当する職務です。それゆえ、我々金融機関の行職員は、わが国の犯 「金融機関行職員と マネー・ローンダリング」 はじめに

Upload: others

Post on 02-Feb-2021

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • ii

     本講座を受講されている金融機関の行職員のみなさんにとって「マ

    ネー・ローンダリング(マネロン)」は聞き慣れた単語でしょうし、マネロン

    に関する事務は金融機関にとって重要な業務の1つであるという認識は

    きっとおありのことでしょう。

     しかし、マネロンに関する事務を日々こなしているなかで、「この手続き

    はちょっと面倒だな」とか、 「手間を省きたいな」という気持ちが出てくる

    ことはないでしょうか。また、お客さまに対しご協力をお願いすると、「な

    ぜいちいち身分証明書を提示しなければならないのか」とか、「なぜそこま

    であなたに聞かれなければならないのか」などと難色を示される方もおら

    れるのではないかと思います。

     それでも我々金融機関の行職員がマネロン対策に真摯に取り組む必要が

    あるのは、なぜなのでしょうか。それは、我々が、わが国のマネロン対策

    の中核を担う立場にいるからです。

     犯罪行為、特に麻薬の密売や特殊詐欺等の組織的な犯罪行為は、多くの

    資金を必要とします。マネロン対策を講じ、犯罪行為を行う者の間で資金

    を循環させないようにすることで、犯罪組織の資金源を分断し、犯罪行為

    を未然に防ぐことが可能となります。

     わが国では、事前の「取引時確認」と事後の「疑わしい取引の届出」を中心

    にマネロン対策を行っていますが、これらはいずれも金融機関の行職員が

    直接担当する職務です。それゆえ、我々金融機関の行職員は、わが国の犯

    「金融機関行職員と マネー・ローンダリング」

    はじめに

    マネロン新�ック.indb 2 20/03/03 8:48

  • iii

    はじめに

    罪行為を未然に防止する役割を担っているという自覚を強く持ち、1つひ

    とつ “ 漏らさず ”“ 毅然と ” マネロンに関する事務を行う必要があるので

    す。また、マネロンに関する事務は、決して形式的な事務作業ではありま

    せん。それゆえ、それぞれの金融機関の行職員が「この取引は何かおかし

    い」などと異常に気づくことが必要です。そのためには、それぞれがアン

    テナを鋭くし、異常に気づける感性を育ててゆく必要があります。

     昨今、インターネットや新聞などでテロ行為など国際的な組織犯罪が問

    題となっています。一部の国だけが万全の対策をしていても、他の国の対

    策が不十分な場合は、その国が狙われることになります。それゆえ、マネ

    ロン(およびテロ資金供与)の防止については、国際的な協調が不可欠であ

    るというのが世界的な共通認識になっています。1989 年、国際的なマネ

    ロン対策に取り組むため、FATF(Financial Action Task Force on Money

    Laundering)が設立され、わが国も FATF の要請にもとづき、「取引時確認」

    や「疑わしい取引の届出」を義務化するなど、必要な対策をとってきまし

    た。金融機関の行職員1人ひとりによる真摯な取組みが、わが国のマネロ

    ン対策に対する世界からの評価の礎となります。

     この講座を受講される金融機関の行職員のみなさんには、マネロンに関

    する確実で正確な知識を習得し、真摯な姿勢でマネロンに関する事務に取

    り組んでいただくことを期待しています。

    マネロン新�ック.indb 3 20/03/03 8:48

  • 192

     なお、2019 年の調査書においては、 上記①~⑯の項目ごとに、「危険度の低減措置」

    として「法令上の措置」、「所管行政庁の措置」及び「(業界団体及び)事業者の措置」につ

    いて記載していることからもわかるように、行政庁及び事業者の双方によるリスク低

    減措置の実施により、国全体として如何にしてリスクベース・アプローチに取り組ん

    でいるかにつき、より明確な記載となっています。

    金融機関におけるリスク評価の枠組み FATF 勧告は、このようなリスク評価を国だけが実施するのではなく、国が金融機

    関に対して同様に実施させることも求めています。これに関連して、犯収法施行規則

    では、特定事業者は、「自らが行う取引(新たな技術を活用して行う取引その他新たな

    態様による取引を含む)について調査し、および分析し、並びに当該取引による犯罪

    による収益の移転の危険性の程度その他の当該調査および分析の結果を記載し、又は

    記録した書面又は電磁的記録(以下、「特定事業者作成書面等」)を作成し、必要に応じ

    て、見直しを行い、必要な変更を加えること」が努力義務規定として記載されていま

    す。つまり、特定事業者によるリスク評価の実施が求められるということです。

     金融機関は、リスクベース・アプローチを実践するために、マネー・ローンダリン

    グおよびテロ資金供与のリスクを特定・評価・モニター・削減するという枠組み自体

    を整備しなくてはなりません。

     金融機関としてのリスク評価の枠組みの事例は、〈図表3-4-4〉のとおりです。

     まず、国としてのリスク評価が前提となりますが、金融機関が行うリスク評価は、

    ① 「国・地域」、② 「顧客」、③ 「商品・サービス」、④ 「チャネル」の4要素に分解して

    実施することが一般的に求められます。

     さらに、リスク評価は、①金融機関全体としてどのようなリスクにさらされている

    のかという観点と②日々の取引において当該取引、当該顧客がどの程度のリスクを有

    するのかという観点の2つの局面に分けられます。

    ❶ 金融機関全体のリスク評価

     全体的なリスク評価においては、次のように4要素の評価結果と金融機関の経営戦

    略とが整合していなければなりません。

    4

    マネロン新�ック.indb 192 20/03/03 8:50

  • 193

    第3章マネー・ローンダリング対策に関する動向

    ① 国・地域の評価結果 ⇒ 金融機関としての地域戦略

    ② 顧客の評価結果 ⇒ 顧客受け入れ方針

    ③ 商品・サービスの評価結果 ⇒ 商品・サービス戦略

    ④ チャネルの評価結果 ⇒ チャネル戦略

     このように実施されたリスク評価結果をもとに、金融機関自身が整備した態勢その

    ものがリスクに見合っているかどうかを定期的に見直していく必要があります。

     これが、リスクベース・アプローチの実践であり、リスク評価がリスクベース・ア

    プローチの起点といわれる理由です。

    ❷ 日々の取引におけるリスク評価

     次に、日々の取引におけるリスク評価は、金融機関全体のリスク評価と同じく4要

    素ごとに、どのような特性が高リスクか、低リスクかをあらかじめ整理します。そし

    て、個々の顧客や取引が、整理した内容にどのように一致するかの度合いによってリ

    リスク評価の4要素

    図表3-4-4 金融機関におけるマネー・ローンダリング評価の枠組み

    情報記録

    説明責任 当局報告 情報共有

    リーダーシップとガバナンス

    方針・手続き

    顧客管理措置

    フィルタリング

    取引モニタリング

    研修 事業者としての評価

    国としてのリスク評価

    モニタリング

    リスク・ファクター

    国・地域

    顧客

    商品・サービス

    チャネル

    全社的なリスク評価

    日々の取引におけるリスク評価↓

    ■地域戦略

    ■顧客受け入れ方針

    ■商品・サービス戦略

    ビジネス部門において整合的で一律のリスク評価が可能となるように評価方法を定めて,手続き(モデル)化

    ■チャネル戦略

    基盤的要素

    対外的要素

    経営的要素

    固有的要素

    監視的要素

    (出所)有限責任あずさ監査法人作成、監修

    マネロン新�ック.indb 193 20/03/03 8:50

  • 204

    第4次FATF審査とは1 わが国については、2019 年に第4次 FATF 対日相互審査が実施されました。犯罪収

    益移転防止法(犯収法)上の特定事業者である金融機関は、マネー・ローンダリング等

    対策の態勢整備を強化し、第4次 FATF 対日相互審査に備える必要がありましたが、

    審査は通過点と捉えるべきであり、不断の高度化が求められる点に留意が必要です。

     これまで FATF 審査では技術的遵守状況(TC:Technical Compliance)のみが審査の

    対 象 と な っ て い ま し た が、 第 4 次 審 査 で は 技 術 的 遵 守 状 況 に 加 え、 有 効 性

    (Effectiveness)も審査の対象となりました。

     技術的遵守状況とは、FATF 勧告の内容に則して法令の整備がなされていること、

    すなわち FATF 勧告の内容が法令の形で法的拘束力をもって実現されていることであ

    り、その審査は形式的なものです。第4次審査では、この技術的遵守状況に加え、国

    ベースでのリスクの理解と調整の実現度、有効性のほか、金融機関等によるリスクに

    応じた対応の実現度、有効性についても審査の対象となりました。

     技術的遵守状況は、 C(Compliant)、LC(Largely Compliant)、 PC(Partially Compliant)、

    NC(Non Compliant)の 4 段 階 で 評 価 さ れ、 有 効 性 審 査 で は、11 の 直 接 的 効 果

    (immediate Outcomes)の 実 現 度・ 有 効 性 が H(High level of Effectiveness)、SS

    (Substantial level)、M(Moderate level)、L(Low level)の4段階で評価されます。

     有効性審査の直接的効果の1つとして「 金 融 機 関 等 が AML/CFT(Anti-Money

    Laundering/Counter Financing of Terrorism)の予防措置についてそのリスクに応じ

    て的確に講じており、疑わしい取引を報告していること」(直接的効果4)があり、そ

    の主要課題として、以下の点があげられています。

    節第1第4次FATF審査の特徴

    マネロン新�ック.indb 204 20/03/03 8:50

  • 205

    第4章FATF第4次対日相互審査を踏まえた態勢整備の強化について

    ①�� 金融機関等は、自己のML/TF(Money�Laundering�/�Terrorist�Financing)リスク及びAML/CFTの義務をどの程度よく理解しているか②�� 金融機関等は、自己のリスクに見合ったリスク軽減措置をどの程度よく適用しているか③�� 金融機関等は、顧客管理措置及び記録保存措置(実質的支配者情報及び継続的モニタリングを含む)をどの程度よく理解しているか④�� 金融機関等は、以下に対する強化された措置又は特別の措置をどの程度よく適用しているか  a.�PEPs     b. コルレス銀行    ���c. 新しい技術  d. 電信送金規則 �e.TF 関係者への金融制裁���f.�FATF が特定した高リスク国⑤�� 金融機関等は、犯罪収益と疑われるものやテロ支援を疑われる資金について、報告義務をどの程度果たしているか。内報を防ぐ現実的方策は何か⑥�� 金融機関等は、�AML/CFT に対する義務を履行するため内部管理及び手続を(グループレベルを含め)どの程度よく適用しているか

     金融庁が各金融機関に対し、リスクベース・アプローチによるマネー・ローンダリ

    ング等対策の高度化(各金融機関のビジネス環境等を踏まえたリスク評価、組織横断

    的な緊密な連携、戦略的な人材確保・教育・資源配分等)を求めているのは、上記

    FATF 勧告の内容および FATF の評価手法を踏まえてのものです。

     各金融機関は、FATF 勧告が掲げるリスクベース・アプローチの内容およびその評価

    手法を十分に理解のうえ、実効的なリスクベース・アプローチの実践に取り組む必要

    があります。

    第4次FATF審査のスケジュール2 まず審査員に対し「法令整備状況に係る申告書」と「有効性に係る申告書」を提出し、

    その後、これらの申告書について審査員により書面審査が行われ(4月から9月頃)、

    その後、10 月から 11 月にかけてオンサイト審査が実施されました。

     これらの書面審査、オンサイト審査を踏まえ、審査員により審査報告書の第一次案

    が作成され、2019 年末から 2020 年の春頃にかけて議論が行われ、対面会合を経て、

    報告書案の内容がほぼ確定し、2020 年6月頃に審査報告書が討議され、採択される

    予定です。

     FATF 審査は、その報告書が採択されれば終わりというわけではありません。むし

    ろそれは、その後のフォローアッププロセスのスタートラインという位置付けなので

    マネロン新�ック.indb 205 20/03/03 8:50

  • 206

    す。フォローアッププロセスは、審査結果に応じ、通常フォローアップと強化フォ

    ローアップに分かれますが、いずれにせよ、5 年後には再評価が予定されています。

    その時点で、指摘された課題が解決されていない場合にはさらにフォローアップは継

    続します。

     このように、2019 年に行われた FATF 審査は通過点と捉えるべきものであり、金融

    機関においては、不断の高度化が求められるのです。

     なお、本テキスト執筆時点では、わが国に対する審査結果は公表されていません

    が、ご参考に、他国の審査結果の状況をご照会します。

    図表4-1-1 他国の審査結果の状況

    (出所)財務省国際局「関税・外国為替等審議会 外国為替等分科会 配布資料 金融活動作業部会について(令和元年 6 月 14 日)」より表を抜粋

    法令整備、有効性の審査で不合格水準となった項目の個数

    (注)上図は、監視対象国、非監視対象国①、②の基準を簡略化して図示したもの。

    有効性不備事項数

    法令等整備不備事項数

    監視対象国

    非監視対象国②非監視対象国①

    ●非監視対象国①:通常フォローアップ国(Regular Follow-up)●非監視対象国②:重点フォローアップ国(Enhanced Follow-up)

    11

    10

    9

    8

    7

    バーレーンサウジアラビア シンガポール

    マレーシア

    スウェーデンポルトガル

    イタリアイギリス

    スペイン イスラエル

    フィンランド

    ベルギー オーストリア

    ノルウェー

    中国 デンマーク

    アイスランド

    メキシコ

    オーストラリアカナダ

    米国

    スイス

    アイルランド

    6

    5

    4

    3

    2

    2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22

    1

    マネロン新�ック.indb 206 20/03/03 8:50

  • 207

    第4章FATF第4次対日相互審査を踏まえた態勢整備の強化について

    リスク管理態勢1 リスクベースでの実質的、実効的なマネー・ローンダリング等防止態勢を整備する

    ためには、以下のようなプロセスを経る必要があります。

    ① 自己のマネー・ローンダリング等リスクの性質・程度を理解(リスク評価)

    ② 当該リスクを適切に削減するための内部管理態勢等の構築・適用

    ③ 顧客を特定・確認するため適切な顧客管理措置を適用、継続的にモニタリング、そ

    の他のマネー・ローンダリング等対策の義務を履行

    ④ 疑わしい取引を適切に察知し、当局に届出

     金融庁は、これらのプロセスにもとづく、自金融機関のリスク評価およびリスク管

    理態勢について、具体的かつ説得的に説明できることを求めています。

     そのためには、まず、経営陣がマネー・ローンダリング等のリスクについて深く理

    解し、経営陣の主導のもと、所管部を通じて、営業店の職員に至るまで、危機意識を

    醸成し、マネー・ローンダリング等に係るリスク管理の必要性を認識、共有すること

    が重要です。

    態勢整備の高度化2 また、必要に応じて、マネー・ローンダリング等の態勢整備の高度化を図るため、

    マネー・ローンダリング等に係るリスク管理態勢、具体的には、マニュアル、業務フ

    ロー等をたえず検証し、必要に応じてこれを見直すことが必要です。その際には、明

    マネー・ローンダリング等防止態勢の整備プロセス

    節第2金融機関に求められる態勢整備

    マネロン新�ック.indb 207 20/03/03 8:50