て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も...

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〈特集「西 西 「西田幾多郎・鈴木大拙 再考――グローバルとローカルの から――」というシンポジウムのテーマのもとで筆者に与えられ 西 西 西 西 西 西 西

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Page 1: て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も お よ ぶ 西 田 の 思 索 全 体 の 評 価 を こ の わ ず か な 分

〈特集「西田幾多郎・鈴木大拙 再考-グローバルとローカルの視点から-」1〉

思想の結節点としての西田哲学

はじ

「西田幾多郎・鈴木大拙 再考――グローバルとローカルの視点

から――」というシンポジウムのテーマのもとで筆者に与えられ

た課題

は、西

田哲学の思

想史上

の位

置づけ

に関する提題で

ある。

はいえ五

十年にもおよぶ西

田の思

索全体の評価をこのわずかな

分量で

十分に展開することなど不可

能である。そこで本提題で

は、

西

田哲学が東西

の思想の結節点にあることを示すことにして、モ

の呼び名を一般に広めることにな

った「場所」の思想と大乗仏教

の唯識思想との関係、および場所における主体のありかたを端的

にあらわす「行為的直観」概念と

ハイデ

ガー哲学との関係につい

論じることでその責務の一端を果たすこと

にしたい。

提題

に先だち西田の思想の流れを概観するならば、それはおお

平 

山   

直接経験

(一九〇

五)・純

粋経

(一九一

・自

(一九一

七)・場所(一九二六)・絶対

弁証法(一九三四)・行為

的直観(一九

三五)・矛盾的自己同

一 (一九三七)の順に進行す

る。こ

のうち自

覚までを前期哲学、場所以

降を後

期哲学

(狭義の西田哲学)と呼

ぶことが通例とな

っている。本提題

は後期哲学の成立にあ

たって

唯識思想が果たした役割について

推測し

、さらにその「場所」の

哲学

における「行為的直観」概念に

ハイデガーの「存在了

解」概

念が与えた影響に関する考察をおこなう。

一 

関係

にオリ

ジナルな哲

学としての西

田哲学が論文

「場

所」(一九

二六)にはじまるということは、すで

に定

説とな

って

いる。

筆者

はその

「場所」論文に従来まで指摘されてこ

なかった東の思想と

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西の思想の結節点の例があ

ると考える。

場所概念はおおむね以下の五

つの特性を有して

いる。まず第一

に、意志を発現させるも

のでありながらそれ自体は作用す

ること

のない鏡のごときものとしての

「場所」は、自覚の哲学の

「絶対

自由の意志」の延長上

に想定されるな

にものかである、と

いうこ

とである。第二は、自覚では

「意志」が重要視されてい

たのにた

いして、場所ではそれ

にかわ

って

「直観」が尊重されて

いること

である。第三は、場所の論理と

は超越論的主観

(意識一般)

によ

る対

象の構成作用

ではなく、意識と対象がともに場所にお

いてあ

る、と考え

る立場

であることである。第四は、場所には

「有の場

所」(存在

界)、「対立

的無の場所」(意識界)、そし

「真

の無の

場所」(叡

智界)

の三通りが

あることで

ある。さら

に第五

として

は、それら

の三つの場所は重層的に構成されていることである。

もちろん場所

が重層的であるというのは、それらが別々

にあると

いうのではなくて、「有

の場所」

は「対

立的無

の場

所」

において

あり

、またその「対

立的無の場所」は「真の無の場所」

において

ある、という関

係をと

っているのである。

西田自身

はこ

「場所」

の論理の発

想の原

点を、(有る

ものは

何かに於てなければ

なら

ぬ、然ら

ざれば有るといふことと無いと

いふこととの区別が

でき

ないのである。……此の如

きイデ

ヤを受

取るものとも云ふ

べきも

のを、プラトンのティマイオスの語に倣

うて場所と名

づけ

て置

く)(④208-209)’

とプ

ラト

ンに帰し

てい

る。い

っぽう

「場所」論文を通して大乗仏教的な思想

に直接言及

している部分

はな

いようである。しかし筆者

は西田が先の引用

続けて、(プラ

トンの空間と

か、受取

る場所

とかいふも

のと、私

の場所と名づけるも

のとを同じいと考へるので

はない}(④

209)

と書いたとき

に、そ

のプラトンとの「違

い」の部分に、西田がそ

れまで

に身

につけて

いた大乗の唯識思想があ

ったので

はないかと

推測する。もとより上田久の詳細な伝記

『祖父西田幾多郎』

から

は西田が唯識思想を積極的に学んだ形跡を認めることはできない。

しかし西田の蔵書目録には小

山憲

栄著

『唯識三十頌要

解-

名東

洋心理学指針』『成唯識論』『唯識二十論

述記』『成唯識論述記』

などが記載されて

いるのであるから、仏教

(真宗)信仰の篤い家

庭に育

った西田がこれらの文

献を読

んで

いなか

ったとは考えられ

ない。

そこで唯識思想と

はおおむね次のような思想である。すなわち、

人間存在やその他

の諸存在について種

々の言語表現がなされるが、

それはすべて変化しつつ生成する識としてである。そしてその現

れとしては、一切の感覚

の源

泉とな

って

いる「阿頼耶識」、意志

的精神作用としての「末那識」、そして五

感と意識

で構成され

「六識」という三

つのカテゴリ

ーがあ

る。

分別が生

じるのはそれ

らが生じているた

めであるが、とりわけ阿頼耶識は常に作用する

深層心理のようなものである。阿頼耶識の世界はいかなる迷

いの

力もなくな

った世界であり、不可思議・善・永遠にして不動であ

Page 3: て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も お よ ぶ 西 田 の 思 索 全 体 の 評 価 を こ の わ ず か な 分

る。そしてそれは安楽であり

、解脱して自

由になった身

体に宿る。

これが大

いなる沈黙の聖者の真

理なのである、と。

もとより唯識思想は

ヨガの修行

を積むこ

とによって阿羅

漢とい

う聖者を

めざすことを目的

にしているため、実践

的側面

が強く打

ち出

されて

いる。と

はいえこ

の唯識思想において

存在界

としての

「有の場所」

は六識

に、また意

識界とし

ての

「対

立的無の場

所」

は末那識

に対応す

るば

かり

か、さらに一切

の源泉としての阿頼耶

識の性質は、プラトンの「場」よりも西田の「真の無の場所」に

いのであ

る。

ラトンは『テ

ィマイオス』

において、直接感覚に与

えられて

いる世界

を常

に存在して

いる「場」

とその中にその都度生起する

像のよ

うな「生成」

とに分け

、そ

「場」

の性質

いて、

(〔「場」

の種

族は〕

およそ生成す

る限り

のす

べてのも

のにそ

の座

を提

供し、しかし

自分

自身は、一種の擬いの推理とでもいうよう

なものによって

、感覚には頼らずに捉えられるものなのでして、

ほとんど所信の対象にもならないものなのです) (52B) という

説明をおこな

っている。このプラト

ンの

「場」とは一致しないが

唯識には対応する三つの側面が、西田の

「場所」には見受けられ

る。まず第一に、「場所」

には

〈一切を生じさせる根源的創造者〉

の役割が与えられてい

るこ

とで

ある。{

真の無の場

所と

いふの

如何なる意味に於ての有無の対立をも超越して之を内に成立せし

るも

のでなけ

れば

なら

ぬ)(④

220)° (

何処

までも限

定す

るこ

にて

であ

るが

は之

)(

244)°

うし

は唯

おけ

「一

つ」

と同

西

「場

〈苦

地〉

。(

所謂

立す

る場

ぬ)(

224-225)°

 (

るも

背後

に考

には

が見

る、

生ず

)(④

236)°

た真

「感

受」

の阿

る。

、西

〈道

の世

って

る。

(〔真

に於

広義

に於

と云ひ得るであらう}(④231-232)。阿頼耶識は「無漏界なるけ

には

あり

いと

、「場

ンの

「場

に近

いと

いえ

る。

たよ

に、

西

の無

は阿

はな

いか

考え

った

の推

にす

いえ

西

『テ

マイ

ス』

「場

たと

に、

場」

をも

つ阿

い浮

かべ

たと

んど

は西

「場

Page 4: て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も お よ ぶ 西 田 の 思 索 全 体 の 評 価 を こ の わ ず か な 分

論文

を書

いて

いたとき

に、自ら

の思

想はプラトンの導き

によると

はいえ

、しかし

その核

心はオリ

ジナルなも

のだと考えて

いたの

もしれ

ない。そうで

あるとしても、西

田の精

神の根底に大乗仏教

の唯識

に由来す

る土着

的な思想があ

って

、彼

は知らず識らず

のう

にそれ

に添

って

思索

を巡らせ

たと

いう可

能性は十

分にありう

であろう。

二 

観と

ハイ

西田幾多郎とマルティン=ハイデガーは。ともに存在者におけ

る「無」を重要視した点

からも、また

いずれもが壮大

な哲学体系

を打ち立て

た点

からも、さらに戦間期

の日独両国

において果たし

た役割が近似して

いた点

からも、比較

され並

び称

せられ

ることが

多い。管見

によれば、西田が

はじ

めて

ハイ

ガーに言及して

いる

のは

フライ

ブルクに留学して

いた務

台理作

に宛て

た書簡(一九二

七年二月一八日付)においてであ

る。そこで西

田は務

台に

マール

ク大学の

ハイデ

ガーを訪問す

るよう勧

めて

いる

ので

あるが、

『存在と時間』

の公刊

はま

さにその同じ

月で

ったから、あくま

フッサ

ールの弟子で現象学研究者として

ハイ

ガーを念頭

おいてのことであ

った。西田が務台

から送ら

れた

『存在と時間』

に触れたの

は同年六月のことで、礼状

に{

H氏

の書

はかねて期待

してゐ

たので其

中読

んで

見た

いと

思ひま

す}(⑩

327)と

書き、

同年一〇

月まで

には何

度か読み返

して(

ちとくど

が大変

面白

い)(⑩

333)

う感

ろが

こと

われ

ハイ

の評

は決

て高

はな

いの

。西

の著

ハイ

言及

「自

於て

るも

の及

の背

後にあるものとの関係」(一九二九年四~六月発表、『一般者の自覚的

体系』所収)が最初であるが、そこで彼は《ハイデッゲルの解釈

学的現象学の立場といふのは、フッサールの立場に比して一歩を

はあ

るが

、未

に伴

ふ根

し得たものと云ふことはできない》(⑤349-350)と述べている。

また翌一九三〇年二月の和辻哲郎宛書簡では、《ハイデッゲルに

は死にゆく所はあるが生れ出る所がない》(⑩402)と、また翌

一年

一月

ハイ

ガー

学し

た三

宛て

書簡では、《ハイデッゲルの様にWahrheit〔真理〕を唯

Unverborgenheit〔非

て見

ふ事

は十

ぬ 

実真

はそ

ぬ 

シャ的の考にすぎませぬ》(⑩421-422)とまで書いている。さ

「私

の」(一九三一年三月発表)では、《ハイデッゲルの了解といふのは

一種

行為

限定

へる

それ

は自

、了

の世

いふ

を有

い単

時の世界たるに過ぎない》(⑥165)と厳しく批判している。

まで

ハイ

ガー

定し

なけ

なら

った

ので

Page 5: て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も お よ ぶ 西 田 の 思 索 全 体 の 評 価 を こ の わ ず か な 分

ろうか。筆者のみ

るところ、西田

によ

るハイ

デガー批判

には次の

二つの理由が考えられ

る。

一つは、『存在と時間』

が現存在

としての人

間のも

つ不安

や恐

れを鮮や

かに分析し描き出し

ながら

、そこ

から脱却する解決策を

なんら与えて

いない、というところ

にある。

そもそも

ハイデ

ガー

の構想で

は前半部

にす

ぎない

『存在と時間』

にすべてを求

めるの

は酷と

いうも

ので

ある。とはいえ

、断

定はで

きないのだが、留学

先で

ハイ

デガーに師事して

いた三宅剛

一や和辻

哲郎への返信には、

自ら

の後継

者たちが(

弁証法

的で

はな

い)(⑦

180)

哲学

に傾

すること

にたいす

る西

田の苛立たしさが感じ

とれるように思われ

る。逆

ハイ

デガーやその信奉者からしてみ

れば、西

田によるそ

うし

た批判

こそ

が、ヘーゲルの流れを汲む

一九世

紀型哲学者の陥

りがちな存

在忘

却の典型

ということになるので

あろう。

た二

つめとして、彼らの「無」の捉え

かたが決定的

に異な

いることがあげられる。西

田は大乗仏教の方向から思索を進め、

空・不

空を超えた絶対的なるものとしての無をい

っさ

いの根源と

した。彼にと

って無

とは、前節で

も述べ

たよう

に、「場

所」とし

自覚的世界を生み出し、それを無限

に発展させ

る創造的

な無で

ある。それにたいしてハイデガーの無は、世界=内=存在として

の現存在にと

って、不安と

いう根本的心境のな

かで本来的

にあら

わになる不気味さ

の原因として、ネ

ガティブなもの

にすぎ

ない。

すなわち

ハイデ

ガーは無

をあくまで西洋哲学

の立場

から

、ニヒリ

ムを

批判

視し

ので

った

して

の無

と存

無、

これ

の解

釈も

いで

さき

ほど

で西

は、

《ハイデッゲルの考ではEntwurf〔投企〕とかEntschlossenheit

〔決

いふ

る所

ので

「無

の自

ふ如

ねば

だめです》(⑩422)とも書いているが、ここからも西田があく

まで

的世

いて

をと

らない哲学は無根拠であやふやな《解釈学的現象学たるに過ぎな

い》(⑦180)ものと見なしていたことが分かる。

『存

に早

から

批判

づけ

た西

も受

った

であ

か。

の哲

にお

いて

きあ

を示

「行

ハイ

ガー

「存

解」

の影

いう

溶け

んで

ので

った

の哲

の看

い相

る。

はま

に、

の哲

(主

・述

の形

「論理

いし

はむ

「実

践」

立場

から

の精

に、

「行

いし

って

めざ

いう

目的

点で

る。

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者はこの相違

の第

二に関

わることとして、

ハイデ

ガーの存在了

解概念を受容した西田

が自ら

の哲学の

「行」方向の不十分

性に思

いいたり、結果

として

直観と行

為の結合体である行為的直観概念

を生み出

したのだ、と

考え

る。

このことは西

田の行為

的直観と

ハイデ

ガーの存在了解に著しい

相似性があることから推測で

きる。すなわち、両者の相似の第一

として、いずれもが〈人間

(現存在)の根本的なありかた〉とし

て想定されていることがあげられる。行為的直観は、《我々が創

造的であ

るかぎり、物が我で

あり、我が物である、我と

物とが一

考へら

れる、即

ち直観的と

考へられる。そこに我々が自覚す

ので

ある、そこ

に我

々が生き

るので

ある、そこに我といふものが

あるのである。行為的直観なくして我といふものはない》(⑧

348)と表現される。いっぽう存在了解は、《われわれは、この了

解を基本的な実存範疇として解釈するのであ

るが、そのことから

うかがわれるように、われわれはこの現象を現存在の存在の根本

的様態としてとらえるのである》(初版143)とされている。また

二に、いずれも〈人間

(現

存在)の行為を惹起する〉とされて

いる。すなわち、《行為的直観的なるものは……我々の行為に対

して否

定的であ

ると共

に我

々を動かすもの、我々の行為を惹起す

るものである》(⑧498)°いっぽう存在了解は、《了解するとい

うこ

とは、実存

論的には、現存

在自身がおのれの存在可

能を存在

することであり、そのさいこの存在は、おのずからにして、おの

れ自身の要所(おのれ自身が何

に懸けられているか)を開示して

いるのである}(初版144)

とあ

る。さら

に第三と

して

、いずれも

〈人間

(現存在)

にと

って

の理想を設定

(投企)す

る〉と

いう

ことがあげられる。まず(行為的直観によって見られ

るものがイ

デヤである。故にイデヤは表現的世界の自己限定の内容と

いふこ

とができる}(⑧

173)

のにたいし、存在了

解は。(根

源的に、現

存在のそのつどの世界

の世界性としての有意義性へむ

かって投企

する)(初版145

のであ

る。す

なわちわれわれにとって

の理想

行為的直観

(存在了

解)

においてあらわ

になるのであ

る。さら

第四と

して、いずれも

〈人間

(現存

在)

の時間

観念

を準

備す

る〉ことがあげら

れる。行為

的直観で

は、(時と

いふも

のでも、

行為的直観的の自己矛盾

から成

立するのである。我々が行為的直

観的

に計るといふことから

成立す

るのである}(⑧

370)

とある。

同様

に、(日常的現存在

は、……

〈経験さ

れる〉

時間

を、身近

な存在了解の地平

において、す

なわち、この時間そのものをも

種の客体的存在者として

、了解して

いる}(初版405

とされて

る。も

ちろん

ハイデ

ガーの存在了

解と西田の行為的直観にはこうし

た相似点ば

かりではなく相違点もある。それはまず第

一に、存在

了解

は実存の立場からのあ

くまで主観的

なありかたで

あるの

にた

いし、行為的直観は客観

主義の立場

から現存在の意義

を軽視して

いる

る。

た第

に、

存在

にお

いて

Page 7: て に の 提 論 あ 唯 呼 田 量 は 課 〈特集「西田幾多 …...五 十 年 に も お よ ぶ 西 田 の 思 索 全 体 の 評 価 を こ の わ ず か な 分

(Ausiegung

 =解

され

いし

、行

ると

ると

ろで

る。

の相

の第

決定

な差

から

ので

西

の行

的直

ハイ

ど同

して

る。

ハイ

の西

る概

たこ

。西

『存

を批

そこ

にあ

在了

時代

と同

に影

を受

西

の思

想が

ハイ

ガー

の交

いて

立し

るこ

た。

それ

の思

を吸

い取

命体

る。

西

ンや

アリ

トテ

の哲

った

ハイ

ー哲

批判

行為

って

な果

不可

った

ので

る。

の西

田哲

の実

解き

の手

続き

して

(1) おおむね当該概念を中心課題とす

る著作が刊行された年であ

る。

(2)

『西

田幾多郎

全集』第四巻

(岩

波書店

‥初版

1949/11)二〇

八頁

から二〇九頁、また( 

)は引用、……

は中略を示す。さらに以下

〔 〕は筆者

による補記

、〈 〉は強調のために用

いる。

(3) 南窓社刊

(1978/11)°

(4) 山下正

男編

『西田幾多郎

全蔵書目録』(京大人文研

: 1983/3)°

(5) ステ

ファヌス版五二頁B

を示す。引用文

は種山恭子訳

『プラトン

全集』第一二巻(岩波書店: 1975/9)八四頁。

(6) この相違についてはす

でに溝口宏平

による指摘が

ある。「西田哲

学と

ハイデ

ガー哲学」

大峰顕

『西田

哲学を学ぶ人

のために』(世

界思想社: 1996/2)所収。

(7) この点に関してシンポジウム終了後、

パネリストの一人である浅

見洋会員より

、「現実の西田の参

禅を

考慮す

れば、場所

の哲学に行

的側面が

ないと断ず

るのは早計

ではな

いか」

との疑義を受け

た。

っとも、筆者は本提題

において、あくまで

「場所」

論文

のテキス

ト内に「行的側面がな

い」と指摘し

たにすぎない。

(8) この相似についてはすで

に有

福孝岳

による指摘があ

る。「西田

おける行為的直観」前掲

『西田

哲学を学ぶ人のために』

一五

一頁。

(9)

『存

在と時間』

初版

の頁を

示す。引

は細

谷貞雄

(理想

1963/12) による。

(ひらやま・よう、倫理学・日本思想史、

大学